年報 タイ研究 no. 【論文】4thaigakkai.org/wp-content/uploads/journal/14_63.pdfa case study...

17
首都大学東京大学院人文科学研究科社会人類学分野博士後期課程 タイにおける占星術 ── 寺院における占星術師の活動を事例として ── Astrology in Thailand: ── A case study of an astrologer’s activities in the precincts of the Buddhist temple ── 小 川 絵美子 OGAWA Emiko This paper deals with Thai Astrology hooraasaat which forms a part of Thai life and culture. Thais are known to rely on the astrological selections of auspicious times for the performance of a whole range of activities, from wedding and royal rituals to going into coup d’état despite the fact that Thailand is a Buddhist country and that original Buddhism doctrines regard astrology and other practices relating to divination as undesirable form of witchcraft. This paper investigates that paradox by providing a case study of activities of an astrologer hooraacaan who has an office in the precincts of a Buddhist temple. The study finds that hooraasaat, although it has been condoned, has close interaction with Theravada Buddhism. In addition hooraasaat serves a function to responds lay Buddhists’ desire for benefits gained in this world. The author has considered that there is a complementary relationship between a Buddhist temple and a hooraacaan. By accepting hooraasaat and offering a place for the hooraacaan, a temples can meet the needs of visitors indirectly. The hooraacaan in turn gets earns the respect of the people through the authority of the temples. はじめに タイには、仏教を基盤としながらも土着のアニ ミズム的要素やバラモン・ヒンドゥ 1) 的要素と も融合した独自の宗教実践や儀礼の慣行がみられ る。タイ社会における呪的豊穣性や宗教実践につ いては、諸教混淆や異なる宗教の補完関係といっ た視点からの分析等、これまでに数多くの研究が なされている[eg. 2000][Tambiah 1970]。本稿 でとりあげるホーラーサート( โหราศาสตร์ )すなわ ち、占星術または占星学もまたタイの人々の信仰 の中核をなす仏教と共存しており、占星術師が寺 院の境内に相談所を設けていること、僧侶と占星 術師が協力して儀礼を執り行うこともある。また、 王室専属の占星術師が存在し、農耕祭の日取りを ホーラーサートによって決定する習わしがあるほ か、タイではカレンダーや、出生届の項目等にも 占星学的要素を見ることができ、ホーラーサート は世俗的信仰の域にとどまらず、王室や国事にも かかわっているものである。 タイ社会の基盤となっている上座部仏教の教義 上では、占星術は出家者が避けるべき「邪悪な職 業」、「邪悪な遊戯」[中村(監修)2003]とされ ている。しかし、一方で現世の世俗的問題の只中 63 【論 文】4 年報 タイ研究 No.14,2014 63 - 79.

Upload: others

Post on 28-Jun-2020

1 views

Category:

Documents


0 download

TRANSCRIPT

Page 1: 年報 タイ研究 No. 【論文】4thaigakkai.org/wp-content/uploads/journal/14_63.pdfA case study of an astrologer’s activities in the precincts of the Buddhist temple 小 川

*首都大学東京大学院人文科学研究科社会人類学分野博士後期課程

タイにおける占星術── 寺院における占星術師の活動を事例として ──

Astrology in Thailand:

── A case study of an astrologer’s activities in the precincts of the Buddhist temple ──

小 川 絵美子*

OGAWA Emiko

This paper deals with Thai Astrology ― hooraasaat ― which forms a part of Thai life and culture. Thais are known to rely on the astrological selections of auspicious times for the performance of a whole range of activities, from wedding and royal rituals to going into coup d’état despite the fact that Thailand is a Buddhist country and that original Buddhism doctrines regard astrology and other practices relating to divination as undesirable form of witchcraft.

This paper investigates that paradox by providing a case study of activities of an astrologer ― hooraacaan ― who has an office in the precincts of a Buddhist temple. The study finds that hooraasaat, although it has been condoned, has close interaction with Theravada Buddhism. In addition hooraasaat serves a function to responds lay Buddhists’ desire for benefits gained in this world. The author has considered that there is a complementary relationship between a Buddhist temple and a hooraacaan. By accepting hooraasaat and offering a place for the hooraacaan, a temples can meet the needs of visitors indirectly. The hooraacaan in turn gets earns the respect of the people through the authority of the temples.

はじめに

 タイには、仏教を基盤としながらも土着のアニ

ミズム的要素やバラモン・ヒンドゥ 1)的要素と

も融合した独自の宗教実践や儀礼の慣行がみられ

る。タイ社会における呪的豊穣性や宗教実践につ

いては、諸教混淆や異なる宗教の補完関係といっ

た視点からの分析等、これまでに数多くの研究が

なされている[eg. 林 2000][Tambiah 1970]。本稿

でとりあげるホーラーサート(โหราศาสตร์)すなわ

ち、占星術または占星学もまたタイの人々の信仰

の中核をなす仏教と共存しており、占星術師が寺

院の境内に相談所を設けていること、僧侶と占星

術師が協力して儀礼を執り行うこともある。また、

王室専属の占星術師が存在し、農耕祭の日取りを

ホーラーサートによって決定する習わしがあるほ

か、タイではカレンダーや、出生届の項目等にも

占星学的要素を見ることができ、ホーラーサート

は世俗的信仰の域にとどまらず、王室や国事にも

かかわっているものである。

 タイ社会の基盤となっている上座部仏教の教義

上では、占星術は出家者が避けるべき「邪悪な職

業」、「邪悪な遊戯」[中村(監修)2003]とされ

ている。しかし、一方で現世の世俗的問題の只中

- 63 -

【論 文】4年報 タイ研究 No.14,2014 63 - 79.

Page 2: 年報 タイ研究 No. 【論文】4thaigakkai.org/wp-content/uploads/journal/14_63.pdfA case study of an astrologer’s activities in the precincts of the Buddhist temple 小 川

にある在家信者が占いやまじないなど、呪術的要

素を求める場面は珍しくない。仏教と呪術的要素

の接点にはバラモン・ヒンドゥ的要素が数多く見

られ、同じくバラモン・ヒンドゥ的要素が強い

ホーラーサートは、仏教と接する呪術的事象のひ

とつとなっている。

 本稿では、寺院で行われる占星術にまつわる行

為を事例としてとりあげ、タイにおけるホーラー

サートの現状について概観するとともに、一占星

術師と彼が拠点を構える仏教寺院との共存関係に

注目して報告を行う。なお、今回の報告はひとり

の占星術師にまつわる事例に限定されたものであ

り、今後他の人物や地域との比較等、調査対象を

広げ研究を深化させていく必要が指摘される研究

途上のデータであることをあらかじめ記しておき

たい。

 以下ではまず、現代におけるタイのホーラー

サートの具体的事例を示すにあたり、第一章で

ホーラーサートを含めた一般的な占星術(ないし

は占星学)の起源を整理し、前近代におけるホー

ラーサートを概観する。第二章、第三章ではホー

ラーサートの担い手である占星術師についてとり

あげ、筆者が2010年より断続的におこなっている

フィールド調査にもとづき、寺院境内を拠点に活

動を行う占星術師についての事例を取り上げる。

第四章では事例においてホーラーサートとの密接

な関係が観察されるタイ上座部仏教について、そ

の呪術的要素に注目して言及し、現段階での暫定

的な考察につなげるとともに最後に今後の課題を

示したい。

1 ホーラーサートの概要

(1)ホーラーサート(=占星術/占星学)の起源

 占星術または占星学と翻訳されるホーラーサー

トは、天体の動きや位置から人や社会の在り方を

読み解く方法である。タイのホーラーサートの場

合、まず個人の生年月日、出生時刻、出生の場所

を基準とし、十の天体の配置図を作成する。興味

深いのは、ムアン(เมือง)についても生きている人

物と同様に、建国や遷都の日時から天体の配置図

が作成されていることである。これは、国政や自

然災害に関する判断に用いられる。現代において

もタイでは、政治家にもお抱えの占星術師を持つ

者が多く、政情が不安定な時には厄払いの儀礼や、

政敵を呪う儀礼が行われ、「呪術戦争」に発展す

ることもしばしば起こる。そのような際に参照さ

れているのも、ムアンの天体配置図である。専制

君主制の時代には、公式の暦を作成したり、天空

から吉凶を読み解くための計算をしたりといった

事柄をつかさどる占星術部門が王宮や地方裁判所

に設けられており[Cook 1993(1991):190]、現

在でも王室官(สำนกัพระราชวงั)には「占星術事務所」

(งานโหรพราหมณ์)が設置されている。「占星術事務所」

のトップには国王が任命したバラモン出身の占星

術師が就いており、ホーラーサートは王室によっ

て守られてきたブラフマニズムとも通じていると

みられる。

 ホーラーサート(โหราศาสตร์)は、その訳語として

「占星術」をあてたように、占い(divination)の

一種ととらえることができる。占いとは、「通常

の知覚や推論によっては得られない情報を一定の

徴(しるし)を解釈することによって得ようとす

る方法、および方法を用いる行為」[阿部 1994]

- 64 -

タイにおける占星術

Page 3: 年報 タイ研究 No. 【論文】4thaigakkai.org/wp-content/uploads/journal/14_63.pdfA case study of an astrologer’s activities in the precincts of the Buddhist temple 小 川

と定義され、占星術は、諸天体の配置を徴として

解釈することにより、実践的な意思決定のための

判断材料にもなる情報を得るための手段である。

 天体の配置と人の運命とが対応するという前提

になりたつ吉凶の判断が、いつどのようにして行

われるようになったのかは、正確なことは明らか

になっていないが、占星術の起源については一般

的には、紀元前八世紀頃の古代バビロニアが発祥

とされ、ギリシア・インド・アラブ・ヨーロッパ

で発展した西洋占星術・インド占星術 2)と、中

国など東アジアで発展した東洋占星術に大別され

ている。タイにおけるホーラーサートは前者に分

類され、インドから入ったものと考えられている。

 西洋占星術・インド占星術は、黄道を十二等分

し天空に区画をつくり、占う対象に影響を及ぼす

とされる諸天体が、出生時などの年月日と時刻に

その十二の区画のうちのどこに位置しているかを

図に書き出し、それを解釈するという方法で行わ

れる。英語では占星術のことをhoroscopeという

が、horoscopeは書きだした図そのもののことを示

す言葉でもある。音の親和性からもわかるように、

タイにおけるホーラーサートも惑星の位置を示し

た図を解釈することによって行われる。「ホー

ラー」という語は、ギリシア語で一日の二十四分

の一の時間を表す「ホーラー(Ὥρα)」に由来す

る[矢野道雄2004:7]。黄道を基準とし、天空

を区画分けして惑星の位置を把握することを基本

とするこのような占いは、シュメール人の天体へ

の関心や天体神への信仰と深く関わっているもの

とも考えられている[矢島 1993:61]。

(2)前近代のタイ王国におけるホーラーサート

 インドから伝わったホーラーサートは、専制君

主制の時代に遷都の場所の選定や都市計画、他国

との戦争の時期や戦略等、政治や外交の指針と活

用されながら発展し、後に王族だけでなく、上中

流階級の人々、やがて広く一般の国民の間に広

まっていったと考えられている[eg. Cook 1993

(1991)]3)。ホーラーサートは個人や国の運命を

知る為の手段として用いられるだけでなく、タイ

で採用されている暦における月の呼称や祝祭日の

決定とも関係することで、タイ社会に深くかか

わってきた。

 現在のタイでは世界共通のグレゴリオ暦を公用

としているが、公文書や日常生活において、西暦

のほかに仏暦(พทุธศกัราช)が利用されていることは

よく知られている。タイで使われてきた紀年法は

公用として(西暦1912年まで)定められていた

ラッタナーコシン暦(รัตนโกสินทร์ศก)、さらに以前に

公用されていたビルマ起源の太陰暦(จุลศกัราช)と

大暦(มหาศกัราช)、ほかにも古い文献にのみ使用が

みられる暦年なども存在している[末広 1987:

52]。それぞれ紀年元年とする年が異なる紀年法

であるが、このうちビルマ起源の太陰暦と大暦は、

インドの太陰太陽暦に由来する暦年(ปฏิทินจนัทรคติ)

と対応し、各月の呼称は中国の二十八宮のインド

における呼び方を借用したものであることを末広

が指摘している[末広 1987:53]。現在でもタイ

の出生証明書(สูติบตัร)には、グレゴリオ暦による

出生の年月日、仏暦による年、時間、曜日ととも

に、インドの太陰太陽暦に由来する暦年

(ปฏิทินจนัทรคติ)による日付も記録される。

 現在使われているグレゴリオ暦では、タイ語に

よる曜日の名称、すなわち惑星はインド神話の

神々の名に由来するほか、十二の月の名称は、

パーリ語またはサンスクリット語の星座の名前と

- 65 -

タイ研究 No.14 2014

Page 4: 年報 タイ研究 No. 【論文】4thaigakkai.org/wp-content/uploads/journal/14_63.pdfA case study of an astrologer’s activities in the precincts of the Buddhist temple 小 川

一致している。これは、月の満ち欠けとは別に太

陽の運行に基づく月日の測り方がタイに存在して

いたためで、ホーラーサートにおいて天体の位置

を図に書き表す際に使う天空の区画の分け方と一

致する。すなわち、黄道を十二の区画に分け、宮

(ราศี)と呼ばれるその区画の一つ一つにその位置

に見える星座の名前をつけるのである。太陽がひ

とつの宮を通過する時間を一ヶ月とみなし、各月

を宮の名称で呼び習わしたため、ホーラーサート

で用いられる用語と暦で用いられる十二の月の呼

称は一致している。タイ正月と訳される 4月13日

から15日の祝日ソンクラーンは、十二番目の宮で

ある双魚宮(ราศีมีน)から一番目の宮である白羊宮

(ราศีเมษ)へと太陽が移動する時を一年の区切りと

していたことに由来し、この太陽の宮から宮への

移動の時を呼び習わした、サンスクリット語の変

化や移動を意味する言葉「Sankrandhi」に語源が

ある[末広 1987:54][野中 1987]4)。ソンク

ラーンと同じく、タイの旧暦の中に位置づけられ

たに祝日ローイクラトン(ลอยกระทง)もあるが、

ローイクラトンは満月や新月といった月齢によっ

て日程が決定される点がソンクラーンとは異な

る。ホーラーサートとは直接は関係しないが、タ

イにはそのほか同じく月齢を基準とした仏教祭日

もあり、太陰暦に由来するものと太陽暦に由来す

るもののいずれもが存在するというのはタイの祝

祭日の特徴である。

 ホーラーサートとのかかわりが強い祝日にはほ

かに、春耕節もしくは農耕祭と訳されるものがあ

る(วนัพืชมงคล วนัพระราชพธีิพืชมงคลจรดพระนงัคลั/แรกนาขวญั)。タイ

王国王室による五穀豊穣を予祝する始耕儀式がバ

ンコクの王宮前広場 5)で行われる。この日にち

は宮廷付きのバラモン僧(พราหมณ์หลวง)がタイのム

アンのホーラーサートをもとにその年の天体の動

きを鑑みて決定し、タイ王国宮内庁官報で公告さ

れることになっている。現在に形を残す始耕儀式

は1855年にラーマ四世によって始められたが 6)、

古くから北タイの農村部で行われていた稲魂

(ขวญัขา้ว)や土地の精霊(เจา้ท่ี)への信仰にもとづく

初田植え(แรกนา)の儀礼との結合もみられる[田

辺 1993]。タイではほかにも国王の戴冠儀礼と

いった重要な王室儀礼にはバラモン僧と共に占星

術師がかかわっている[cf. 吉川 1983]。これは

タイにはクメール文化からの影響である「神王思

想(devaraja)」が存在したためである[石井 

1975:256]。「神王思想」とは、国王をヒンドゥ

教の神々であるシヴァ神もしくはヴィシュヌ神化

身とする思想であり[Wales 1931:29]、国王の名

称や地名などにも現れている。ホーラーサートが

タイ社会において一定の権威をもつ背景には、必

要となる知識量の膨大さや複雑さだけでなく、古

くから王室によって守られてきたバラモン(ブラ

フマニズム)的要素の影響があるものとみること

ができる。

2.ホーラーサートの担い手

 (1)ドゥー・ドゥアンとホーラーチャーン

 タイ社会は、占星術にかぎらず、種々の幅広い

占いが行われている。占い、すなわち「ドゥー・

ドゥアン(ดดูวง)」には、広義ではタロットカード

やトランプカードを用いるものや、手相、人相を

みるものなど占星術を含む占い全般が含まれ、書

店にはこれらを扱う棚が大きく設けられているだ

けでなく、コンビニエンスストアなどにある限ら

れた書籍の陳列棚であっても、占いにまつわる書

籍がかならず数冊は用意されている。ドゥー・

- 66 -

タイにおける占星術

Page 5: 年報 タイ研究 No. 【論文】4thaigakkai.org/wp-content/uploads/journal/14_63.pdfA case study of an astrologer’s activities in the precincts of the Buddhist temple 小 川

ドゥアンに対する人々の関心は高く、購入する宝

くじの番号から、婚礼等の日取りの選定、子ども

の名付けに至るまで、様々な意思決定を行う際に

占いを拠り所とすることは珍しくない。

 またそういった書籍を手にすることだけでな

く、個人が仕事、恋愛、進路選択等の私的な相談

を、「モー・ドゥー(หมอดู)」と呼ばれる占師にす

ることがある程度一般化、社会通念化していると

いう現状がみられる。モー・ドゥーに示された啓

示を実際に人生の指針として身をゆだねるかどう

かは別としても、人生の節目や問題に直面した際、

先への不安の軽減や、その突破口を求め、占師を

訪ねることはなんら珍しいことではないと捉えら

れている。食品などの露天商と同様に、路上や市

場で机を置いて開業しているモー・ドゥーの姿を

見つけることは容易い。放課後の学生たちが集ま

る大学付近や、昼休みのビジネスマンが立ち寄る

都心部のフードコート、観光客が利用するホテル

のロビー等に場所を借りているモー・ドゥーも多

く、料金も安い場合では50バーツや100バーツ程

度のこともあり、気負わずに相談ができるものと

いえる。

 モー・ドゥーには特別な資格制度や免許がある

わけではない。他のモー・ドゥーから指南を受け

た者や書店で買い求めた書籍から独学で占いを学

んだ者、各種の占いにまつわる養成学校で講座を

修了した者がモー・ドゥーとして開業しているこ

ともあれば、勘が鋭いことを周囲から指摘された

者がモー・ドゥーの役割を果たすようになったと

いう話もある。また、医師や教師など、普段は他

の職業に従事しながら依頼に応じてモー・ドゥー

として相談を受けるというケースもある。いずれ

の場合も、モー・ドゥーに適性が認められる人物

は霊感のような潜在的な素質を持った者であると

いわれている。そうでないものは、知識として

ドゥー・ドゥアンを学んでも、適切に解釈を行う

ことができず、結果的に当たらないので、知人か

ら伝え聞く評判が重要視されるいわゆる「口コミ」

社会のタイ社会の中でモー・ドゥーとして地位を

確立することはできないということになる。逆に

一旦高い世評を得たモー・ドゥーは、その技術を

どこで学んだのかということは問われることな

く、より多くの相談者、顧客を集めることになる。

 個人のレベルにとどまらず、政界にも占いは深

く関係している。タイでは選挙やクーデターの日

程は、占いによって決められていると言われてい

る。タクシン元首相が占いや呪術に凝っていると

いう噂はよく知られ、占い師の助言に従い前世の

業を清めるための儀礼を行ったり、地方やラオス

の寺院を参拝しているということは首相在任中か

ら退陣、国外亡命中に渡っても聞かれる話である。

[赤木 2009][中井 2012][Pasuk and Baker 2008]。

さらに、政治家だけでなく、クーデター等の民衆

の動きにも同様にドゥー・ドゥアンの影響がみら

れる。西暦2006年 9月に生じたクーデターは、吉

兆の数字とされる「9」にこだわったために「(仏

暦2549年)9月19日」という日に決行されたの

だともいわれる[赤木 2007]。また、2010年 5月

に、タクシン元首相派「反独裁民主戦線(UDD)」

が、バンコク中心部での大規模な反政府抗議集会

を開いた際には、運動参加者から 1人あたり10ミ

リリットルの血液を集め、首相府やアピシット首

相邸、民主党本部前に撒くという儀礼が行われ、

物議を醸しだした[cf. Horn 2010]。これは占星術

的考えに基づく儀礼として行われ、集合行動のや

り方に民衆的な要素を意識的に取り込むことで、

- 67 -

タイ研究 No.14 2014

Page 6: 年報 タイ研究 No. 【論文】4thaigakkai.org/wp-content/uploads/journal/14_63.pdfA case study of an astrologer’s activities in the precincts of the Buddhist temple 小 川

運動の正当性を自らの民衆性に求めたUDDの指

導層の戦略であり、民衆の中にある占いなどの超

自然的現象への信仰に訴える狙いから行われた儀

礼だとも分析されている[重冨 2010:38]。

 狭義のホーラーサートは、ドゥー・ドゥアンの

手段のひとつであるが、タロットカードや手相と

いった他の手段よりも、権威があるものと捉えら

れている。政治家や権力者が頼るものとして先に

あげた例のいずれもホーラーサートに基づくもの

である。ホーラーサートの研究を行い、ホーラー

サートの知識を有する者は、モー・ドゥーとは呼

ばれず「ホーラーチャーン(โหราจารย์)」と呼ばれ

る 7)。また、ホーラーチャーンのほかに、タイに

いる少数のインド系バラモン僧 8)がホーラーサー

トの担い手となることもある[石井 1993:272]。

彼らは、モー・ドゥーと同様に依頼を受けた人々

の運勢を占ったり、婚礼等の日取りを決めたりと

いったことをホーラーサートの知識に基づいて行

うほか、バラモン的儀礼を司ることもある。

 ホーラーチャーンには、惑星の運行状況や天体

の位置の計算にまつわる複雑な知識が必要なほ

か、地理、歴史、暦、神話にも通じている必要が

あり、さらにバラモン的自然神崇拝や儀礼にかか

わる能力も問われる。知識や技術の習得が容易で

はないため、趣味の範囲内でホーラーサートを学

ぶ者は少なくないが、ホーラーチャーンと呼ばれ

るに至るかどうかはまた別の問題となる。出自や

階級とかかわるインドのバラモン僧や、潜在的霊

力が必要とされるモー・ドゥーと異なり、ホー

ラーチャーンは性別や出自、本人のもつ霊感にか

かわらず、天体神に対する信仰を持ち、正しい知

識を得て訓練を積み、人柄が人々に認められた者

であることが重要となる。各々のホーラーチャー

ンがどのような経緯でその道を志し必要な知識や

技術を身につけてホーラーチャーンとなるのか、

その背景は多様であり、今後さらなる調査研究の

対象とするべき興味深い点のひとつである。ホー

ラーサートを学ぶ際に重要になる組織にタイ国占

星術協会 9)(สมาคมโหรแห่งประเทศไทยในพระสงัฆราชูปถมัภ์)があ

る。それまで高官やバラモン僧など限られた者に

しか開かれていなかったホーラーサートの知識を

広く一般の国民が学問として学ぶ機会を整えるこ

となどを目的とした協会であり、バンコクで一般

向けのホーラーサートの講座や、ホーラーチャー

ン同士のセミナーを開催するなどもしている。

ホーラーチャーンのなかには、この協会の育成講

座を修了し、認定証の発行を受けている者もいる。

また、タイの教育省が管轄する学校外教育

(การศึกษานอกจากโรงเรียน ก.ศ.น The Non-Formal and Informal

Education)の中にもホーラーサートを学べるコー

スが設けられている。すでに述べたように、ホー

ラーサートとは天体の運行を読み解く占星術の総

称であるが、タイ式占星術のなかでも発展した地

域、使う道具や目的の異なる複数の種類や流派が

存在する。タイ国占星術協会の講座や学校外教育

のコースでは、複数のホーラーサートのクラスが

用意されており、多くのホーラーチャーンはそれ

らを利用して多種のコースを学んだり、複数人の

師に弟子入りするなどし、異なる複数種のホー

ラーサートの技術を身につけ使い分けている。次

節でとりあげるのは、そういったホーラーチャー

ンのひとりであるP氏の事例である。

(2)仏教寺院に拠点をかまえるホーラーチャーン

 事例にとりあげるP氏は、チェンマイの旧市街

地の仏教寺院境内に活動拠点を構えるホーラー

- 68 -

タイにおける占星術

Page 7: 年報 タイ研究 No. 【論文】4thaigakkai.org/wp-content/uploads/journal/14_63.pdfA case study of an astrologer’s activities in the precincts of the Buddhist temple 小 川

チャーンである。北部出身の40代後半の男性で、

学校外教育(ก.ศ.น)のホーラーサートコースを修

了しており、総合工芸学校(วทิยาลยัสารพดัช่าง)、技術

専門学校(วทิยาลยัเทคนิค)でホーラーサートの授業を

担当する非常勤講師の経験を経て、現在は個人か

らの依頼によるドゥー・ドゥアンや個人または寺

院などで行われるバラモン的儀礼を行っている。

ヴィシュヌ派のバラモン教を信仰しているが、仏

教僧として一年間の出家の経験も持ち、寺院での

仏教行事にあわせてタンブンのための炊き出しを

行うなど、日頃から仏教に対する敬意も示してい

る。ホーラーチャーンとしての経験は20年弱であ

るが、薬草や食事療法、政治や歴史などホーラー

サートに留まらない幅広い知識や気さくな人柄か

らも人々に慕われ、評判により各地からP氏の

ドゥー・ドゥアンや儀礼のために集まるクライア

ントがあるほか、新聞テレビ各社の取材を受ける

ことも頻繁にある。

 以前は現在とは別の寺院を拠点としていたが、

近くにあった寺院の住職から「もっと広い部屋を

提供できる」との申し出を受け、現在の寺院に場

所を移した。寺院境内で寝起きをする僧侶とは異

なり、夜は県外の自宅に帰り、毎朝早朝に寺院に

やってくる生活をしている。P氏が拠点とする場

所はホン・ホーラー(หอ้ง โหรา)、もしくは単にサー

ラー(ศาลา)と呼ばれることがあるが、寺院の本

堂の右側にある建物で、元々は僧侶の瞑想の場や

講堂として使われていたものである。境内に新た

に建物が増築されたため、机、椅子、ホワイト

ボード等の寺院の備品とともにP氏に提供される

ことになった。元々あった仏像がそのまま安置さ

れ、P氏はその隣にヒンドゥの神々の像を祀った

神棚を据えている。ドゥー・ドゥアンや儀礼に使

う道具もここに保管しているため、出張の際にも

P氏は自宅からではなくかならず寺院に立ち寄

る。筆者が実際に同席、同行して観察することが

できたP氏がここを拠点に行っている活動につい

て、次章で五つの例を以下で示す。

3.事例 ホーラーチャーンP氏の活動

(1) 個人からの依頼によるドゥー・ドゥアン、

ホーラーサートに基づいた助言

 通常、出張や講座などが無い限りは寺院のホ

ン・ホーラーにてモー・ドゥーのように、訪ねて

くるひとに対してホーラーサートに基づいた

ドゥー・ドゥアンを行っている。電話で予約があ

ることや、常連などに電話のみで行う場合もある。

費用は相談事一件につき100バーツとなっている

が、時には果物や米などの物品を持参した常連に

対し、P氏が代金の支払いを辞退する場面や、ホ

ン・ホーラーの掃除を申し出た常連のクライアン

トに対し、簡単な助言を行うといったこともみら

れる。

 相談に訪れるひとの年齢や性別は20代の女性か

ら60代の男性まで様々であり、内容も自身や家族

の健康、仕事、結婚にまつわる個人的で具体的な

問題がほとんどである。富くじの購入にあたって

当たりやすい数字を見て欲しいという依頼も少な

くない。結婚式の日取りや子どもの名付けにかん

しては、親子、夫婦、友人同士など複数人で連れ

だってやってくる者も多い。

 占う対象となる人物の生年月日および時間に基

づいた天体の配置図を作成し、さらにクライアン

トとの問答を通してP氏は問いへの答えを導き出

す。その時、その根拠となる、描き出された天体

を司る神々の性質や相性、現在の天体の配置との

- 69 -

タイ研究 No.14 2014

Page 8: 年報 タイ研究 No. 【論文】4thaigakkai.org/wp-content/uploads/journal/14_63.pdfA case study of an astrologer’s activities in the precincts of the Buddhist temple 小 川

兼ね合いなどを解説しながら助言を行う場合や、

蝋燭や水、植物をつかった問題解決を願う簡単な

祈祷や治療の方法を伝授する場合もある。ソンク

ラーン直後などには依頼が多く、地元紙がその年

のチェンマイ県全体の運勢についてP氏の見解を

掲載するために取材に訪れたこともある。記事は

チェンマイを良く知る実力あるホーラーチャーン

としてP氏を扱っていた。

(2)有料のホーラーサート教室

 不定期にホーラーサートの教室を開講してい

る。内容は、日付と時間によって天体の配置図を

描き、その配置図を読み解くというホーラーサー

トの基本的な方法を伝授するクラスである。それ

ぞれの天体の進む速度や位置の計算の仕方、天体

を司る神々の役割、その解釈の方法等が学べるも

のとなっている。一か月で修了するコースで、希

望する生徒が多い場合には翌月に上級の内容に進

む。初級コースが開講される際の集客は寺院の前

に掲げられるポスターと寺院本堂におかれるチラ

シ、そしてドゥー・ドゥアンに訪れる人づてであ

るが、上級まで進んだ生徒が繰り返し受講する場

合も含め20人程度の生徒が集まる。費用は月に

600バーツ。13時から16時までと、18時から21

時までの二回生徒を入れ替えて同じ内容の講義を

行っている。

 生徒の職業、性別、年齢層はさまざまで、講座

を受講するようになった経緯や動機、講座で得た

ホーラーサートの知識や技術を使う場面も多岐に

わたる。たとえば、50代の主婦は、以前ほかの

ホーラーチャーンのところへドゥー・ドゥアンの

クライアントとして通っていた際、そのホーラー

チャーンに「素質がある」とホーラーサートを学

ぶことを勧められ、紹介を受けてP氏の講座を受

講するようになったという。彼女はホーラーサー

トを用いて友人や家族の相談事に応じられるよう

になったことが嬉しいと語っていた。また、トー

クセン(ตอกเสน้)2)の講師をしている40代の男性

は、人間の肉体や精神は宇宙との相対関係にある

というトークセンの基本理論がホーラーサートに

通じるものであると考えたことが講座に通いだし

たきっかけだとしていた。さらに、将来モー・

ドゥーとして開業することを志して勉強している

という者もいる。建築系自営業者の30代の男性

は、ドゥー・ドゥアン好きが高じてホーラーサー

トに興味を持ち、P氏の講座を受講する以前にも

ほかのホーラーチャーンのもとで、別の流派の

ホーラーサートを学んでいた経験をもつ。講座を

受講しながらP氏の出張の際には同行して助手を

務めるなどの手伝いもしており、生徒のなかでも

技術が高いので、師範代的存在になっていた。そ

のほかの生徒には、定年退職者の60代の夫妻、市

場の売り子をしている40代の男女、マッサージ師

の30代の女性、携帯電話用アプリケーションの開

発をしている40代の男性等がいる。13時からの

部では、定年退職者や自営業者が多く、18時から

の回は、仕事を終えてから来る者が多い。何年も

同じコースを繰り返し受けている生徒や、一度講

座を受けた後、復習や訓練のために時々やってく

るという生徒もいる。

 毎日ではないが、僧侶(พระสงฆ์)や見習い僧

(เณร)が参加することもある。金銭を扱えない僧

侶たちは、費用を支払えない代わりに菓子や飲み

物などの差し入れをP氏に持参することが多い。

僧侶には最前列の席が他の生徒によってあけられ

るが、その他には僧侶も他の生徒とくらべて特別

- 70 -

タイにおける占星術

Page 9: 年報 タイ研究 No. 【論文】4thaigakkai.org/wp-content/uploads/journal/14_63.pdfA case study of an astrologer’s activities in the precincts of the Buddhist temple 小 川

なことはない。生徒となっている僧侶が椅子に腰

掛け、P氏が立ち上がって講義を行う形になるた

め、ほとんどの時間は頭の位置がP氏のほうが僧

侶より高い位置に来ている。また、講座中とそれ

以外とにかかわらず、質問や挨拶などP氏に言葉

をかける際には、僧侶たちも他の生徒と同様、P

氏に「アーチャーン」と呼びかける。

(3)無料のホーラーサート教室

 通常行っている有料のホーラーサート教室とは

別に、タンブンのために無料で教室を開講するこ

ともある。有料で教えているものほどは複雑でな

い方式ではあるが日付、時間と天体の位置を重視

するホーラーサートの技術を学ぶものである。ま

た、物探しの占い等、配布された図表を使うこと

により複雑な計算を必要としない簡単で実践的な

占いも教授された。

 2012年 8月 5日から2012年10月28日までの毎

週日曜日(寺院の儀礼や葬式の都合により土曜日

に振替の週あり)に開講されたものは、シリキッ

ト王妃の御生誕80年に合わせたタンブンであり、

四十数人が登録。数人の見習い僧も参加した。

 大勢の人が集まったため、普段使っている部屋

よりも広い本堂で行われた。本堂には仏教儀礼の

際と同様にプラスチック製の椅子が並べられ、さ

らに運び込まれた黒板が仏像の前に設置された。

有料の講座と同様、参加者の年齢、職業、性別は

さまざまであり、無料講座をきっかけに修了後に

引き続き有料講座に参加するものや、平日に有料

講座に出席しながら、日曜日は無料講座にも参加

するというものもいた。王妃のお誕生お祝いに合

わせたタンブンであるということもあり、新聞と

テレビのニュース番組にとりあげられた。

(4) 阿羅漢(アラハン)像の安置にともなう儀礼

(พิธีพทุธาภิเษก พระสิวลีและ พระอุปคุต)

 P氏が拠点を構える寺院に二体の聖者像(พระสิวลี

およびพระอปุคตุ)が寄進され、それらを安置するた

めの台座を設えるにあたり、費用となる寄付金を

募ったり、台座の方向やデザインを決める過程に

P氏がかかわった。最後には吉日としてP氏が選

んだ2012年11月27日に大規模な儀礼を執り行わ

れ、無事、像が安置された。

 像の安置にともなう儀礼には、バナナの葉や茎

を使った門が築かれたり、花飾りや供物を作った

りと数日前から大規模な準備がはじめられた。準

備には、P氏の弟子や、講座に出席している生徒

のうちの何名かが参加したほか、見習い僧たちも

P氏の指導のもとで机を運ぶなどの作業に参加し

ていた。当日は、像の寄進にかかわった資産家は

もちろん、上座部仏教の在家信者である近隣住民、

ドゥー・ドゥアンのためにP氏のもとに頻繁に訪

れるクライアントなど多くの参加者があった。

 P氏による儀礼は、本堂内での僧侶たちによる

仏教式の儀礼と同時進行で、本堂の外側に祭壇を

備えて行われた。祭壇中央にはヒンドゥ教の神で

あるガネーシャ神の像が据えられ、それを取り囲

むように、蝋燭、香、花などが置かれ、果物や花、

菓子などの供物もそなえられる。儀礼はまず大鍋

で供物となる餅菓子を作るところから始まる。祭

壇の準備や大鍋で餅菓子を作る儀礼は、本堂での

僧侶による読経に先立って開始されていたため、

寺院の見習い僧たちが写真を撮影するなどしなが

ら興味深げに見守っていたが、途中、P氏の招き

により、見習い僧たちも大鍋をかき回す工程に参

加した。P氏による貝笛、太鼓、鐘を用いた演奏、

歌、マントラの誦唱、舞いの奉納を含めた儀礼は、

- 71 -

タイ研究 No.14 2014

Page 10: 年報 タイ研究 No. 【論文】4thaigakkai.org/wp-content/uploads/journal/14_63.pdfA case study of an astrologer’s activities in the precincts of the Buddhist temple 小 川

本堂内の僧侶たちによる読経が終了し、多くの在

家信者がすでに立ち去った後も本堂内に場所を移

して続けられた。僧侶たちによる読経の間、本堂

に据えられていた像が、本堂での蝋燭を使ったP

氏の儀礼の修了後、青年僧やP氏の弟子の男性た

ちによって像は本堂入り口の土台の上に移動さ

れ、托鉢の儀礼によって像の安置が完了された。

儀礼の最後には、祭壇に供えられた菓子や果物な

どがその場に立ち会った人々に持ち帰られる。こ

れらの供物を食べることにはご利益があると考え

られている。

(5)仏像の建設儀礼

 P氏は拠点を構える寺院とは別の寺院にて、仏

像やヒンドゥの神々の像が新たに建立される際に

それに伴う儀礼を行うために招かれることがあ

る。開眼儀礼等、一部の儀礼にのみ招かれること

もあれば、仏像様式、位置、方向、着工の日時の

相談も含め構想の段階から参与することもある。

過去には在家信者の参拝が少ない寺院に対しP氏

自身が提案をし、仏像を新たに建立したこともあ

るという。

 筆者が同行の機会に恵まれたもののひとつは、

2012年12月に行われたチェンラーイ県ウィエン

チャイ郡の一寺院に新たに仏像が造られるのに伴

う儀礼の執行である。この時造られた仏像は、プ

ラチャーオタンチャイ(พระเจา้ทนัใจ)と呼ばれ、一

昼夜で完成させる粘土製の仏像である11)。

 P氏は数人の弟子を伴い早朝に寺院に到着し、

地元村民に指導を行いながら供物の準備を行う。

日没後には、仏像がすえられる場所に祭壇を用意

し、貝笛、太鼓、鐘を用いた演奏、歌、マントラ

の誦唱を含めた儀礼を行い、聖水(นำ้มนต์)を用い

て、仏像を作る職人たちを清める。職人たちが夜

を徹して作業をする間も、何度か楽器の演奏やマ

ントラの誦唱を行う。途中、僧侶によるプラパ

リット(護呪経)の誦唱、読経と交代しながら、

製像が見守られる。

 またP氏は仏像が形作られている間、寺院境内

の別の場所で大きな鍋を使い、新しい像の供物と

なる餅菓子を地元村民たちと協力して作る。儀礼

に立ち会っている村民たちに大きなしゃもじを持

たせ、それを使ってミルクやもち米、ゴマ、黒砂

糖などが入れられた鍋をかき回させる。鍋をかき

回すことにはご利益があるとし、年の若い者から

次々に交代をして多くの人が参加し、やがて餅米

が炊きあがる。この餅菓子は先に述べた阿羅漢像

の安置にともなう儀礼や後述するラーフー神崇拝

儀礼等、P氏がかかわる他の儀礼の際にも共通し

て同じ材料と手順によって用意されているもので

ある。

 P氏は翌朝、仏像の制作の仕上げに立ち会い、

さらに形が完成した仏像の前に祭壇を再び作り、

開眼儀礼を行う。昨夜大鍋で作られた菓子が新し

く造られた仏像に供えられ、2日目の昼ごろには

儀礼を終え、寺を去ることになった。この間、P

氏や同行した弟子の儀礼中の仮眠の場所や食事は

寺院境内に地元村民が用意し、P氏には謝礼が支

払われた。

(6)ラーフー神崇拝儀礼

 タイのホーラーサートにおいて、太陽、月、火

星、水星、木星、金星、土星と並んで用いられる

架空の天体ラーフー星を司る神、ラーフー神

(พระราห)ูを祀る儀礼である。ホーラーサートによ

れば、チェンマイの街の守護神がラーフー神であ

- 72 -

タイにおける占星術

Page 11: 年報 タイ研究 No. 【論文】4thaigakkai.org/wp-content/uploads/journal/14_63.pdfA case study of an astrologer’s activities in the precincts of the Buddhist temple 小 川

るとされているため、P氏がチェンマイに拠点を

構えるようになって以来、毎年この儀礼を行うよ

うになった。儀礼は、天体の配置図の中で、月と

太陽とラーフー星の位置が同じ宮に入る時(時に

は月食や日食が起きる)を選び、一年に一度行わ

れる12)。これはラーフー神にまつわる伝説と関係

している。

 『リグ・ヴェーダ』等のインドの神話において

は、ラーフー神は元々アスラ(阿修羅、悪神)の

一族であり、ホーラーサートに用いられるほかの

天体を司るテワダー(神々)とは敵対していたと

される。ある時ラーフーは神々だけが飲むはずで

あった秘薬アムリタ(甘露)を盗み飲み、不老不

死の身体を手に入れた。ところが、月神と太陽神

がこれを見ていたために、ラーフーの悪事がナラ

イ(ヴィシュヌ)神に知られ、ラーフーはナライ

神の怒りを受け、ナライ神の武器である円盤

(チャクラ)によって腰から上下に引き裂かれた。

しかし、すでに不死の力を得ていたラーフーの肉

体は死ぬことはなく、下半身と分かれ、上半身だ

けの身となって生き続けることとなった。以来、

ラーフーは告げ口をした月神と太陽神を恨み、時

折両者に追いついては食いつくのだが、上半身だ

けの身体の中に留めておくことができず、月神と

太陽神は飲み込まれても必ず再び姿を現す。これ

が日食や月食の起こる理由だと、神話は説明して

いる。

 興味深いのは、タイのホーラーサートの起源で

もあるとされるインド占星術のほか東南アジア諸

国では、ラーフーは月食、日食とともに不吉なも

のとしてとらえられているが、タイではアムリタ

によって不死の者となったラーフーをプラ・ラー

フー(พระราหู)すなわちラーフー神4

と呼び、秘薬を

飲んだ他の神々と同格に扱う点である。元々アス

ラの出身であることから、秩序を乱したり、悪事

を働くこともあるトリックスター的な存在ととら

えられており、そのためにしかるべき方法で祭祀

儀礼が必要になるという。アスラの出身でありな

がら神となったことから、ラーフー神には不運や

悪運を幸運に転じる力や、事故や黒魔術を跳ね返

す力があると信じられ、護符に描かれることも多

い。さらに、下半身を失ったために食べたものを

身体に留めておくことができないラーフー神は、

いくら食べても満たされないことから欲望の象徴

ともなっており、金銀資産や豊饒、博打運といっ

た世俗的な事柄に対しても霊験を有すると信じら

れている[プリーチャー 2009:136、158]。ラー

フー崇拝の儀礼は街の平安を願うほか、個人的な

切願の機会にもなるととらえられているものであ

る。

 儀礼全体はP氏が取り仕切り、数日前からバナ

ナの葉や様々な花を使った本堂の装飾や供物の準

備がはじめられる。先述した二つの儀礼と同様、

餅菓子などの供物の準備からはじまり、貝笛、太

鼓、鐘といった楽器の演奏、歌、マントラ、舞い

などを奉納するが、儀礼が行われる場所は普段P

氏が拠点としている寺院の境内で、本堂内では仏

教儀礼と同様、僧侶による読経も行われる。寺院

の本堂にはラーフー神像が仏像の隣に安置されて

おり、儀礼当日にはこの像の前に供物が置かれた

り、像と綿糸で結ばれた大蝋燭が用意されたりと、

ラーフー神像を中心に準備がされる。このラー

フー神像はP氏自身が出資、デザインし、しかる

べき儀礼を執り行ってつくられたものである。数

日前よりはじめられた準備段階から、P氏の弟子

や普段P氏の講座に出席している生徒、P氏の

- 73 -

タイ研究 No.14 2014

Page 12: 年報 タイ研究 No. 【論文】4thaigakkai.org/wp-content/uploads/journal/14_63.pdfA case study of an astrologer’s activities in the precincts of the Buddhist temple 小 川

ドゥー・ドゥアンに訪れるクライアントらも参加

した。夕方から開始された儀礼は約 4時間におよ

んだが、延べ参加人数は400人以上に上った。

 この日に合わせ、P氏はラーフーを模った護符

を制作していた。護符は儀礼の間に祭壇の上に置

かれ、儀礼によってラーフー神の霊力が護符に込

められたとされる。ラーフー神の護符は悪運を幸

運に反転させる効力があるとされ、儀礼終了後に

その場で儀礼に参加した希望者に販売されたほ

か、その日に売り切れなかった分は、随時P氏の

もとで販売されている。

 ラーフー崇拝儀礼は毎年行われ、P氏は自身が

年間で行う儀礼の中で最も規模が大きく重要なも

のであると考えている。依頼と報酬を受け取って

行う他の儀礼と大まかな手順は同じであるが、一

年に一度P氏自身の企画によって行われる儀礼

は、P氏の弟子や教え子にも思い入れが強く、遠

方から手伝いにやってくる者もある。

 先に述べた「阿羅漢(アラハン)像の安置にと

もなう儀礼」、「仏像の建設儀礼」などと同様、

ラーフー神崇拝儀礼も、僧侶による儀礼とともに

仏教寺院境内で行われていることから、訪れる

人々にとっては「タンブン」のひとつとも捉えら

れている。さらに、供物の餅菓子を作る工程に参

加することや、祭壇の供物を持ち帰ること、護符

を購入することで「タンブン」によって得られる

とされる心の平安や来世の幸運だけでなく、現在

抱えている諸願の成就に直接的に働きかけること

ができるとされていることからも人々をひきつけ

る儀礼となっている。

4.仏教と呪術的要素

 P氏を事例にホーラーチャーンの活動を概観し

てきたが、いずれの例もホーラーサートにまつわ

るものでありながら、その活動拠点を寺院として

いることだけでなく、儀礼の際の僧侶との協力関

係や、在家の参加者が儀礼への参加や寄付をタン

ブンと捉えていることなど、仏教との強いかかわ

りが観察されている。ホーラーサートがバラモン

的要素を有し、専制君主制の時代に王制の権威や

正統性を強化するために王室によって守られてき

たということについてはすでに触れたが、タイの

王権は「神王思想」のほか、モン族からの影響で

ある仏教的理想王の観念によっても支えられてい

る。いずれも、国王による支配の正当性を付与す

るものとして作用し、支配階層の手動によって発

揚されるナショナリズム13)のシンボルとしても利

用された過去がある[石井 1975:271][トンチャ

イ 2003:248]。これによりタイ社会の基盤には、

バラモン的要素と仏教的要素の双方が強く影響し

ているわけであるが、タイの民衆たちの間で信仰

されている上座部仏教そのものにもヒンドゥ的民

間儀礼、ひいてはホーラーサートに繋がる呪法を

受容している部分が認められる。

 タイの上座部仏教は経典のうえでは、出家者へ

はホーラーサートを含む呪的行為を禁じている。

具体的な例をあげれば、上座部仏教が伝えるパー

リ語の聖典『原始仏典』14)のうち、修行者の正し

い生活習慣が説かれる『ディーガ・ニカーヤ(長

部教典)』において、出家者が避けるべき「大戒」

として、当時インドで行われていたさまざまな呪

術や遊戯が「邪悪な職業」、「邪悪な遊戯」と記さ

れている[浪花(訳) 2003:4]。第五九戒には

「ある種の尊敬すべき沙門・バラモンたちは、信

によって施された食べ物を食べて(生活をしなが

ら)、低俗なる呪術による邪悪な手段で暮らしを

- 74 -

タイにおける占星術

Page 13: 年報 タイ研究 No. 【論文】4thaigakkai.org/wp-content/uploads/journal/14_63.pdfA case study of an astrologer’s activities in the precincts of the Buddhist temple 小 川

営んでいます。すなわち 『日食があるであろう』

『月食があるであろう』『星食があるであろう』

(…)『月食はこれこれの結果をおよぼすであろう』

(…)『月、太陽、星は昇り、沈み、汚れ(斑点が

でき)、浄まり(消え)、これこれの結果をひきお

こすであろう』などなどです。 (しかしかれは)

このような低俗な呪術による邪悪な暮らしから離

れています。これもまたかれの戒です。」[森(訳)

2003:87]と記され、天体に基づく占術、すなわ

ちホーラーサートを否定する具体的な記述のひと

つとしてあげることができる15)。

 以上のように、経典上はホーラーサートは出家

者がそこから離れることを戒めとされたものであ

るといえるが、一方では、即時的な問題解決を望

む在家信者の欲求に直接的に答えるためにタイの

仏教には土着のアニミズムやヒンドゥの呪術的要

素がとりいれられ、ホーラーサートも仏教の信仰

のなかでむしろ肯定されるという側面も存在す

る。

 タイにおける上座部仏教は、サンガを組織しお

のれの解脱のみをめざす出家者と、「タンブン(積

徳行為)」により来世の世俗的幸福を追求する在

家者との、異なる二つの原理に基づいて成立して

いる[石井 1991]。出家者は超俗人的生活を守る

ことで、この世の苦、輪廻からの解脱を目指す。

一方、在家信者はむしろこの輪廻の中でより良い

来世に生まれることを求め、タンブンをする。タ

ンブンとされる行為には、出家者への供養や、寺

院の建立、一時的な出家が含まれ、教理の上では

生業としての労働を一切しない出家者の組織であ

るサンガを在家信者が支える構造になる。出家者

はゴータマ・ブッタの教法の保護者、伝承者とし

ての機能を持つことで在家信者から支持を得、か

れらにタンブンの機会を与えることになり、出家

者と在家信者の共存関係が成り立つのである。在

家信者はこの世のあらゆる欲から身を離そうとす

る出家者と異なり、現世での世俗的な幸福をも求

めている。来世での救済は「タンブン」により得

られるとされるが、今現在抱えている問題にたい

する対処法が輪廻的生存における救済論である原

始仏教には示されない。そこで、在家信者は現世

での不安の解消のために日常的にさまざまの呪法

を行っている。日常的に行われる呪法には、精霊

ピーへの信仰というアニミズム的要素に基づくも

のも指摘されているが[cf.水野 1967][林 1984]

[Tambiah 1970]、すでに世俗的な欲と複雑に絡み

合いながら発展してきた現代におけるタイ上座部

仏教は、バラモン教の民間儀礼に依拠する呪的要

素を取り込むことにより補完され、それ自身に在

家信者の現世における欲求に答えようとする側面

を有しているともいえる[石井 1975:42]16)。ま

た、前世やそれ以前の業や徳が現世の運命に作用

しているという在家仏教徒の信仰と、出生の時点

で人の運命が決定されていると考えるホーラー

サートの理論とは相性が良く、仏教寺院に生まれ

た曜日毎の仏像や賽銭箱が置かれるなど、ホー

ラーサートを含む呪的要素はもはやタイ上座部仏

教の一部を成していると考えることも可能であろ

う。

5.考察

 ホーラーサートは仏教と接する、ないしはすで

に仏教がその一部としている呪術的事象のひとつ

である。ホーラーサートの専門家であるホーラー

チャーンは時に、在家信者の欲求に間接的に出家

者が答えるための仲介役となっているとみること

- 75 -

タイ研究 No.14 2014

Page 14: 年報 タイ研究 No. 【論文】4thaigakkai.org/wp-content/uploads/journal/14_63.pdfA case study of an astrologer’s activities in the precincts of the Buddhist temple 小 川

ができる。

 タイ上座部仏教が事実上は呪術を受容している

としても、原始仏教における経典において修行者

による呪術的行為が禁止されている以上、そのよ

うな呪術的要素を直接的に出家者が司ることには

場合によっては危険がともなう。実際には、呪術

的知識や技術によって人々の人望を集めている僧

侶も存在するが、本来的には出家者が在家者から

支持や尊敬を集めるのは、あくまでも出家者が

ブッタの教えを守り、仏教における正道を外れな

い生活をおくっていることによる。呪物を販売し

たり、ひとの求めに応じて呪術を行う出家者は一

歩誤れば世俗的とみなされ、民衆の尊敬を得られ

ないばかりか、批判を受けることもありうる。強

力な効力をうたった呪術や呪物により多くの信者

と信者からの莫大な寄進をうける僧侶(出家者)

が、新聞などのマスメディアに取り上げられ批判

されることも少なくない[cf. 林 2000]。

 タイ上座部仏教は在家信者による現世での幸福

の追求をみとめているが、出家者が生業として、も

しくは自身や他者の欲求を満たすために呪術的行

為を行うことを禁じている。より厳密には、出家

者には他人や自らを充足させるための行為はすべ

てよしとされないのであるが、これに従えば在家

信者のために儀礼を行うことは認められないこと

になり、それゆえ、現実に直面している問題への

対処を求める民衆の欲求に充分に答えられない。

そのため、タイの寺院においては僧侶にかわり檀

家総代といえるような在家信者のまとめ役や代表

が、寺院の経営や金銭に関係することなど出家者

の戒律に触れる事項の仲介を行い、現実と教理の

バランスをとることがある。これに類似した形で、

バラモン・ヒンドゥ的知識を持つホーラーチャー

ンがホーラーサートを用いて、出家者の協力を得

ながら仏教にかわって在家者の欲求に応える構図

が成り立つのではないかと筆者は考えている。

 事例にあげたP氏は、寺院境内に拠点を構え、

僧侶と協力して儀礼を行うことによりタイ人の大

多数を占める在家仏教徒から一目置かれる存在と

なり、ホーラーチャーンとして重要な、人々から

の信頼や敬意を集めている。その一方で、出家者

にかわって大規模な儀礼や呪術的行為の運営を行

い、民衆の欲求にこたえる役割を寺院にはたさせ、

参拝者や布施の増加によっても寺院を支えている

側面もある。ホーラーチャーンと仏教寺院とは、

互いが完全には融合することなく別々の役割を維

持しながらも、ある種の相互作用をもっているの

である。寺院で仏教行事に合わせてタンブンを行

うホーラーチャーン、ホーラーチャーンに教えを

受ける僧侶、ホーラーチャーンの指示のもとすす

んでホーラーサートにかかわる儀礼に参与する見

習い僧の姿に、互いに敬意を払いつつ共存する仏

教とホーラーサートとの関係が象徴されているよ

うに思われる。

おわりに

 タイにおいてホーラーサートは、古くは王制を

正当化する要素の一部として王室によって維持さ

れてきた部分がある。バラモン・ヒンドゥ教の要

素が国王に正統性を与えると同時に、ホーラー

サートは王室によって権威を与えられてきたとも

指摘できる。そして、民衆の伝統的生活とかかわ

る暦との関係が深いホーラーサートは、王室のみ

がかかわる高貴なる術としてだけではなく、世俗

的な顔も持ち人々に受け入れられていった。こう

して古くからタイの民衆の間に浸透していった

- 76 -

タイにおける占星術

Page 15: 年報 タイ研究 No. 【論文】4thaigakkai.org/wp-content/uploads/journal/14_63.pdfA case study of an astrologer’s activities in the precincts of the Buddhist temple 小 川

ホーラーサートは、仏教と接するところにも呪術

的な役割を見出したことにより、今日にわたって

タイ社会のなかで一定の権威をもって存在し続け

ているのである。タイ社会の理解のために不可欠

であるとされるタイ上座部仏教や、それと共存す

る土着アニミズムや祖霊崇拝と同様、ホーラー

サートへの理解もまた、現代タイをより深く洞察

する糸口として有効であると筆者は考えている。

 本稿において扱ったのは、一占星術師の事例に

すぎず、タイにはバラモン教への信仰や仏教寺院

とはかかわりなく活動するホーラーチャーンや、

ホーラーサートにかかわる天体の計算等を行うコ

ンピュータープログラムの作成に携わる者など、

ほかにも様々な形でホーラーサートにかかわって

いる専門家たちがある。彼らの知識がいかにして

継承され、また一般に活用されているのかを探る

ためには、他のホーラーチャーンの事例を集める

ことだけでなく、「タイ国占星術協会」をはじめ

とした集団や、ホーラーサートの講座を持つ学校

等の組織の研究を進めていくことが不可欠であ

り、今後の課題としたい。また、本稿の中では詳

しく扱うことができなかったが、上座部仏教を信

仰する他の東南アジア諸国では広く、占星術をめ

ぐる類似の現象がみられ、それらとの比較からタ

イ社会の特徴を描き出していくこともできるであ

ろう。特に、事例でもとりあげた、他国では忌避

されているシンボルが、逆にタイでは信仰の対象

となっているラーフー神の事例は筆者が個人的に

強い関心をよせている部分であり、タイにおける

占星術の独自性を解き明かす手がかりとして注目

し、今後も研究を進めていく展望である。

1 ) 古代インドの聖典ヴェーダにもとづくバラモン教にインド地域の多様な神々の信仰が取り込まれた宗教が一般にヒンドゥ教と呼ばれている。タイにおいてはバラモン教とよばれていても古代バラモン教ではなく、ブラフマー、シヴァ、ヴィシュヌのヒンドゥ 3大神への信仰などヒンドゥ教の影響が強い[矢野秀武 2003]。一方、タイは天啓聖典(シュルティ)を受け入れず、バラモン教のうち儀礼、神話などに関わる部分のみをとりいれているという側面もある。本稿においては現時点では暫定的に「バラモン教」と「ヒンドゥ教」の明確な区別は行わずに用いている。

2 ) インド占星術は研究や実践を繰り返すことによって発達してきたものであり、西洋占星術との交流もあるものと捉えられている[羽田 2011:65]

3 ) 占星術は同じく上座部仏教を信仰する諸国において、タイのものと類似した方法で行われ、使用されているが、図の描かれ方や使われる天体の種類など、タイのホーラーサートは独自の発展を遂げたとみられる特徴がある。いかにしてホーラーサートが現在のような方法になったのか、詳細については研究途中であるが、西洋の天文学にも強い関心を持ち、日食を予想したことでも知られるモンクット王の知識が影響されたことも考えられる[cf. Cook 1992]。

4 ) 本来、太陽の宮の移動する時という意味でのソンクラーンは毎年グレゴリオ暦上の同じ日に起こるわけではない。そのため、この日を一年の区切りとすることは困難であり、1889年、チュラーロンコーン王(ラーマ 5世)がグレゴリオ暦を導入した際、ラッタナーコシンソックの年が改まる暦の上での新年は 4月 1日に定められた。さらに1941年には、公用となっていた仏暦の年が改まる日が、4月 1日から西暦と同じ 1月 1日に統一されている。

5 ) チャクリー宮殿の北側に位置するこの広場は、王家の葬儀場としての機能ももつため1855年にラーマ 4世によって改められるまでヒンドゥ的思想にもとづき、「須弥山の広場」と呼ばれていた[吉川 1993b:67]。

6 ) 始耕儀礼は1920年に一旦中止されたが1960年に復活している。1925年発行の紙幣のモチーフに採用されている。

7 ) 広く「占星術師」の意味だととれる。新約聖書における「東方の三賢者(Biblical Magi)」のタイ語訳としてもこの語があてられることが多い。

- 77 -

タイ研究 No.14 2014

Page 16: 年報 タイ研究 No. 【論文】4thaigakkai.org/wp-content/uploads/journal/14_63.pdfA case study of an astrologer’s activities in the precincts of the Buddhist temple 小 川

8 ) ただし、上座部仏教を信奉するタイ社会はインドにあるカースト制度は持たない。バラモンの占星術師はホーラープラーム(โหรพราหมณ์)と呼ばれる。

9 ) この協会は西暦1947年(仏歴2490年)6月20日に、国王賛助のもと設置されたものである。

10) 北部に伝わる木槌を使った振動療法。11) プラチャーオタンチャイは多くの場合、本堂の外に設けられた庵か仏塔に安置され、個人的な切願のために在家信者に参拝されるものとなる。仏像の着工から完成までの期間が短いのと同様に、この仏像に願った事柄は短い期間のうちにかなえられるという。

12) ここ数年では2011年12月10日、2012年12月10日、2013年 8月21日、2014年 6月29日に儀礼が行われており、このうち2011年12月10日は月食の観測に合わせて儀礼が行われた。

13) タイにおけるナショナリズムは、西欧列強から国家の独立を守るための近代化政策として展開された、絶対王政のもとの上からのナショナリズムであるといわれている。この上からのナショナリズムは、村嶋が西洋ネーション理論と、旧来のタイの仏教的な王権論とを折衷しながら形成された「官製国家イデオロギー」によるものであると表現し[村嶋 1997:110]、アンダーソンが、民衆の発意による「民衆ナショナリズム」と異なる「公定ナショナリズム」であると定義しており[アンダーソン 1997:163-

166]、現代にも続くタイの独自性を形作ってきた重要な要素のひとつであると考えられている。

14) 上座部と大乗仏教に部派がわかれる以前(紀元前三世紀頃)、ゴータマ・ブッタ自身とそれに続く弟子の時代に集成編纂された聖典である[中村(監修) 2003:i]。

15) そのほかにも、第三経では「いかがわしい呪術」として再び天体の観察に基づく予言に言及があり、「(修行僧は)そのようないかがわしい呪術、よこしまな生活手段で生活をすることをやめています」[渡辺(訳) 2003:135]と説かれるなど、天体に基づく占術、すなわちホーラーサートを否定する記述が繰り返しみられる。

16) 石井はタイ上座部仏教の在家信者の現世における欲求に答えようとする側面を、「仏教呪術」として検討している。タイ上座部仏教は、プラパリット(護呪経)、ナムモン(聖水)、サイシン(聖糸)、プラクルアング(護符)といった呪術、呪物を民衆に提供するが、これらは呪術の範疇に属する一方で、その呪術の構成要素のひとつである超自然の源泉が、仏教的秩序に属するサンガの聖性のなかに求められているという点において、仏教の範疇にも属していると石井は位置づけている[石井 1975:46-47]

参考文献

[日本語]赤木攻 2007(2007/12/20)“「不可解な選挙慣行「『占い」』、「『酒」』、「『世論調査」』”」 NNA.ASIA<http://nna.jp/free/

column/070705_bkk/07/1220a.html>(2007/12/20)―――― 2009(2009/3 /12)“「呪術頼み?―タイ政治社会の潮流―”」 NNA.ASIA <http://nna.jp/free/column/070705_

bkk/09/0312a.html>(2009/3 /12)阿部年晴 1994「うらない 占い」石川栄吉、大林太良、佐々木高明、梅棹忠夫、蒲生正男、祖父江孝男 (編)『文化人類学事典』弘文堂。

アンダーソン、ベネディクト(白石さや、白石隆訳)1997『想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行』NTT出版。石井米雄 1975『上座部仏教の政治社会学』創文社。―――― 1991『タイ仏教入門』めこん。―――― 1993「バラモン教」石井米雄(監修)『タイの事典』同朋舎。―――― 2000「インド文化の東南アジア的受容」『東方學』100号、pp.188-196。重冨真一 2010「タイの政治混乱―その歴史的位置―」『アジ研ワールド・トレンド』no.178(2010.7) 、pp.35-41。末廣 昭 1987「タイの暦法と干支」小島麗逸、大岩川嫩(編集)『こよみとくらし-第三世界の労働リズム-』アジア経済研究所。

田辺繁治 1993「農耕儀礼」石井米雄(監修)『タイの事典』同朋舎、pp.260-261。トンチャイ・ウィニッチャクン(石井米雄訳)2003『地図がつくったタイ――国民国家誕生の歴史』明石書店。中村 元 1959『宗教と社会倫理』岩波書店。

- 78 -

タイにおける占星術

Page 17: 年報 タイ研究 No. 【論文】4thaigakkai.org/wp-content/uploads/journal/14_63.pdfA case study of an astrologer’s activities in the precincts of the Buddhist temple 小 川

―――― (監修)2003『原始仏典 第一巻 長部経典 1』春秋社。浪花宣明 (訳)2003「第一経 聖なる網の教え-梵網経」中村元(監修)『原始仏典 第一巻 長部経典 1』春秋社、

pp.3-56。野中耕一 1987「タイの暦と農民生活」小島麗逸、大岩川嫩(編集)『こよみとくらし -第三世界の労働リズム-』アジア経済研究所。

羽田守快 2011『密教占星術大全』学習研究社。林 行夫 1984「モータムと『呪術的仏教』-東北タイ・ドンデーン村におけるタン ・ プラタム信仰を中心に-」『アジア

経済』25巻10号、pp.256-292。―――― 2000「現代タイ国における仏教の諸相―制度と実践の狭間で―」中牧弘允(編)『現代世界と宗教』国際書院<

http://home.att.ne.jp/blue/houmon/souryo/nation_tai.htm>。プリーチャー・ヌンスック(加納寛訳)2009『タイを揺るがした護符信仰:その流行と背景』第一書房。松井嘉和 1986「タイの王室と即位式:その概要と特質」『アジア研究所紀要』(亜細亜大学)13、pp.195-225。水野浩一 1967「東北タイ農村の経済生活」『東南アジア研究』5巻 3号、pp.2-28。森 祖道 (訳)2003「第二経 修行の成果-沙門果経」中村元(監修)『原始仏典 第一巻 長部経典 1』春秋社、pp.57-108。矢島文夫 1993「古代占星術の意味論-呪術的思考はナンセンスか-」『ユリイカ』25巻 6号、pp.58-65。矢野秀武 2003「バラモン・ヒンドゥー教」日本タイ学会(編)『タイ事典』めこん。矢野道雄 1992『占星術師たちのインド―暦と占いの文化』中央公論社。―――― 1993「占星術の伝播と変容-インドの場合-」『ユリイカ』25巻 6号、pp.66-73。―――― 2004『星占いの文化交流史』勁草書房。吉川利治 1983「タイ国王の即位式に見られる宇宙観」『世界口承文芸研究』5号、pp.51-56。―――― 1993a「バンコク」石井米雄(監修)『タイの事典』同朋舎、pp.274-277。―――― 1993b「王宮前広場」石井米雄(監修)『タイの事典』同朋舎、p.67。渡辺研二 (訳)2003「第三経 青年バラモンのおごり-阿摩晝経」中村元(監修)『原始仏典 第一巻 長部経典 1』春秋社、pp.109-156。

[外国語]Cook, Nerida M. 1992. “A Tale of Two City Pillars: Thai Astrology on the Eve of Modernization” in Gehan Wijeyewardene & E.

C.Chapman eds. Patterns and Illusions: Thai History and Thought. Singapore: the Richard Davis Fund & Department of Anthropology, Research School of Pacific Studies, ANU.

―――― 1993(1991). “Thai Identity in the Astroligical Tradition” in Craig J. Reynolds ed. National Identity and its Defenders. Chian Mai: Silkworm Books.

Dhani Nivat, Prince 1946. “The old Siamese conception of the monarchy”, Journal of Siam Society, vol.36 (pt.2), pp.91-106.Horn, Robert  2010. “In Thailand, A Little Black Magic Is Politics as Usual,” TIME Bangkok, Saturday, Mar. 20, 2010 <http://

content.time.com/time/world/article/0,8599,1973871,00.html#ixzz2kbCO6GN2.>McGovern, Nathan 2013. Intersections Between Buddhism and Hinduism in Thailand Published online <http://dx.doi.org/10.1093/

obo/9780195393521-0128> .Pasuk Phongpaichit and Chris Baker 2008. “The spirits, the stars, and Thai politics.” Siam Society, 2 December 2008. <http://pioneer.

netserv.chula.ac.th/~ppasuk/spiritsstarspolitics.pdf> .Tambiah, Stanley 1970. Buddhism and the Spirit Cults in North-East Thailand. London: Cambridge University Press.Wales, H.G. Quaritch 1931. Siamese state ceremonies. London: Bermard Quaritch, pp.89-90.―――― 1965. Ancient Siamese government and administration. New York: Paragon Book Reprint corp.

[口頭発表]中井仙丈 2012 「タクシン元首相の支持者によるタクシン王カルトに関する考察」日本タイ学会第14回研究大会(2012年 7月 7日 於:大阪大学)。

- 79 -

タイ研究 No.14 2014