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(平 12年 )5月 28日 日曜 日 使 84 98 ´ 姿 使 ず謝罪 気持 ち表 して 日英の和解活動は私の使命」と語る恵子・ ホームズさん =長 崎市城栄町、 ESA

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Page 1: agapeworldjp.orgagapeworldjp.org/news/pdfs/IMG_0005.pdf · Created Date: 3/11/2013 10:33:17 AM

(平成12年)5月 28日 日曜日

∧戦時中、東南アジアや

日本国内にあった収容所な

どで日本軍に虐待された

れると知り、紀和町にいて

帰国した元捕虜や遺族を捜

すため会場へ行った。大会

私の計画を取り上げてく

れ、日本全国から励ましと

募金が相次いだ。日本企業

も次第に援助してくれるよ

うになった。

∧「伏せていたのに蓋(ふ

た)を開けるな」などと日

本人からの嫌がらせも受け

たが、クリスチャンとして

の信仰が活動を支えてい

は正当化できませんが、英

国も植民地にしていた歴史

があります。

虐待を受けた彼らに日本

人が謝ることで、

「英国は

大英帝国時代にもっと輪を

掛けて悪いことをしてい

た」と反省の

気持ちを率直

に表す人もい

る。それは原

爆問題にも関

する

こと

で、日本人が

原爆の被害ば

かり

も、向こうは

身構えてしまう。心を開い

てまず

「悪かった」と謝罪

することだ。

―インドネシアでの戦争

に関するオラングの企画展

開催打診を長崎市は断りま

した。

イギリスの戦争博物館で

は原爆投下のことも展示し

て戦争を多面的にとらえて

いる。長崎市の原爆資料館

が原爆以外の戦争被害者の

こともきちんと展示すれ

ば、他の国の人々は日本を

評価し原爆に関することも

もっと理解してくれると思

つヽ。※

――――※

い家族

の苦しみ

―元捕虜らは日本に来て

どう変わりますか。

それまでの苦しみがすっ

かりなくなり、自分の絵を

売った代金を活動資金に寄

付してくれる元捕虜もい

る。帰国後、

「アイ ラブ

ジャパ

ニーズ」という

言葉を国にするのも聞い

た。―

元捕虜たちは高齢にな

っていますが

父親を日本人に殺された

息子や娘たちの憎しみの方

が、元捕虜たちの気持ちよ

り想像以上に強い。そうし

た遺族たちの態度も活動で

少しずつ変わってきたが、

まだまだ続けねばならな

い。∧

英国には三年前、約二

万人の元捕虜がいたとされ

る。中には日英両国政府や、

戦時中に捕虜を使役した日

本企業に補償を求めている

元捕虜もいる。これまでの

活動で訪日した元捕虜や遺

族らは延べ三百人以上。

初、傍観していた日本政府

も資金援助するようになっ

たという。活動は広がりを

みせている∨

(聞き手

・石田謙二)

〓一個〓

潮琳贈蜘詢結

婚 っ

し1979年からロンドン

で生活。

84年に夫を飛行機

事故で亡くすが2人の子供

を育てる。日英和解活動の

母体であるチャリティー団

「アガペ」

(ギリシャ語

「無条件の愛」の意味)

の責任者。

98年には活動に

対しエリザベス英女王から

勲章を受けた

交流を通し和らぐ憎しみ

り、苛酷

(かこく)な労働

を強いられた元英兵や遺族

を連れて訪日し、市民との

交流や日本文化を理解して

もらう活動を続けている。

開始から八年。日本人を知

り、半世紀以上も抱いてき

た憎しみ、苦しみが消えて

打ち解ける元捕虜が後を絶

たないという。長崎の協力

者と今後の進め方を話し合

うため来崎した∨

※――――※

古里の活動が端緒

―活動のきっかけは。

ホームズさん 私の古里

の二重県紀和町にあった銅

山で戦時中働かされて亡く

なった英国人捕虜十六人の

ため、地元の人々が立派な

墓を造り弔っている。この

ことを遺族やここにいた元

捕虜に知らせたり、連れて

来れば、心が癒

(いや)さ

れ、忌まわしい思い出に悩

まされることもなくなるの

ではないかと思った。 一九

八八年のことだ´

―すぐ軌道に乗りました

か。実

現するまで四年かかっ

た。元日本軍捕虜の追悼式

と親ぼく会(全国捕虜大会)

が九

一年、ロンドンで開か

が始まる前、

ロビーで自己

紹介をすると

「帰れ!日本

人なんか大嫌

いだ」とば声

を浴びせられ

た。会場には

千人ほどの元

捕虜たちがい

た。やり場のない苦しみや

心の痛みを持つ姿を目の当

たりにして、この人たちの

ため働くのが私の使命と確

信した。

―苦労したことは。

「日本に行くつもりはな

い。日本には何の興味もな

い」

「日本に行くことは捕

虜仲間を裏切ることにな

る」として慎重になる元捕

虜たちを、家まで訪問した

りして懸命に説得した。「昔

の日本人と違う」

「日本ヘ

行けばふっ切れる」と。

―資金の正面は。

日本企業に資金援助を依

頼すればみんな大いに賛成

してくれると思ったが、現

実は意外に厳しく、九二年

の最初の訪日では英国航空

が最高の援助をしてくれ

た。最終的にはロンドンに

ある日本のマスコミ支局が

る。

「半殺しにされるから

(捕虜大会には)行くな」

という英国の知人の忠告に

もかかわらず敢行したのは

「レッツ ゴウ

(一緒に行

こう)」という神の声を信

じたから。

「人間の欲望や

征服欲が戦争に走らせてい

るのに、人間はその責任を

民と広く交流の場をと、ホ

ームステイや家庭訪間もす

るようになった。三回目か

らは被爆者の苦しみ、願い

も理解してもらうため広

島、長崎を訪ねることも加

えた。長崎では原爆落下中

心地で追悼式をし原爆資料

館を見学。被爆者とも接し

彼らは、原爆投下で救われ

たと思っていたのに、罪の

ない市民が悲惨な目に遭っ

ていたのを知って心に葛藤

(かっとう)を起こすよう

だ。当時の連合国の

一員と

して、原爆を落としたこと

を謝る元捕虜もいた。

―日本の東南アジア占領

まず謝罪の気持ち表して

とむ

t組

癒り

帥瑚

一死ロロ

神唯気躍壌‘性燿燿躍壌躍饉燿像1,‥‥

る」V           I被爆の惨状を目の当た

※――――※

広島、長崎も訪問

―日本での活動内容は。

紀和町などでの追悼式や

レセプションだけでなく市

りにするわけですが。

連合軍が日本に上陸した

ら日本や東南アジアにいる

すべての捕虜が日本兵に殺

される運命だと知っていた

「 日英の和解活動 は私の使命」 と語 る恵子 ・ホ ームズ さん =長 崎市城栄町、 ESA