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731部 毒ガス展の開催 未決の戦争責任を追及する 115号 2018年 8月 Atomic(核 )Biological(生 )Chemical(化 )兵 器に反対する 編集 発行 :ABC企 画委員会 187‐ 0045 東京都小平市学園西町 1‐22‐15‐ lF TELIFAX:o42(348)1127(留 守電 郵便振替 :00140‐ 7‐ 59255 http://abckikaku.web.fc2.∞ m/ 寿 使 旧日本軍 731部 隊」施設 (遺 )紹 その 5 凍傷実験室内部― 既に 70数 年を経ているが中に 入るといつ もひんや りするのは気のせいだろうか? 731部 隊遺跡紹介 その 5。・・・・Pl 73¬ 部隊配下の支部の実態」 7/29学 習会慨略報告 … … …・P2,3 米国の原爆投下責任を問う 水澤壽郎氏 ・・・ ●● 5 『 歩平さんの追悼文集』出版案内 ・・P6 7・7」 事件)~8月(敗 戦記念) 各地の動きから ・・P7,8 お知らせ 0・ ・・・・P8

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731部 隊 ‐毒 ガ ス 展 の 開 催

未 決 の 戦 争 責 任 を 追 及 す る

第 115号2018年 8月

Atomic(核 )Biological(生物)Chemical(化学)兵器に反対する

編集・発行 :ABC企画委員会 〒187‐0045 東京都小平市学園西町 1‐ 22‐ 15‐lFTELIFAX:o42(348)1127(留守電 郵便振替 :00140‐ 7‐59255

http://abckikaku.web.fc2.∞ m/

「凍傷実験室」遺跡

責任者

・吉村寿人から通称

「吉村班」と呼ばれている。

現在二部屋が残存・保存されている。冬季は野外で、夏は室

内に設置した冷凍設備を使用し通年実験が行われていた。

昨年、東側の建屋跡の発掘が開始された。公一〇王ハ年撮影)

旧日本軍「731部隊」施設 (遺跡)紹介・その5

凍傷実験室内部― 既に 70数年を経ているが中に

入るといつもひんやりするのは気のせいだろうか?

 

 

 

 

 

 

731部隊遺跡紹介 。その 5。 ・・・・Pl

「73¬ 部隊配下の支部の実態」

7/29学習会慨略報告 … … …・P2,3

米国の原爆投下責任を問う

水澤壽郎氏 ・・・ 。・ ●●眈 5

『 歩平さんの追悼文集』出版案内・・P6

「7・ 7」 嚇 事件)~8月 (敗戦記念)

各地の動きから …・・P7,8

お知らせ ・ 0・ ・・・・P8

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7ノ29 ABC企画学習講演会

『731部隊配下の支部の実態』概嚇告

当初、 (第 23回 ABC企画スタディツ

アー事前学習会)と して企画 したが、多

くの方に参力日して頂くための学習会とし

て周知、広い会場を設定した。60人の方

が参加 して下さり改めて 731部隊に対す

る関心が多いことに驚かされた。

講師の近藤昭二さんは “参加者がどこ

まで「731部隊」について知っているか

によって話の内容を変えたい"と 言つて

いたが、基本的な、731部隊・関東軍防疫

部がどの様な背景の下に創設 さ_れたか ?

から詳 しく話をして下さつた。

第一次大戦以前の世界大戦は、19o7年

に定められたハーグ陸戦協定という国際

法規に則つて (協定と法規を一括して「ハ

ーグ陸戦条約」という)戦われたものであ

るが、56条からなっている。例えば交戦

者、戦 うものの資格や害敵手段 (敵を倒

す手段)の方法の選択についての決まり、

捕虜の扱いを定めたもの等全部で 56条ある。22条に害敵手段の選択 として、ど

のような方法どのような手段で、どのよ

うな兵器を使つても無制限の権利を有す

るものではない。だが 23条で特別の条約

により規定された禁止事項、特に禁止す

るものとして 8項目を挙げている。毒ま

たは毒を施 した兵器の使用。不必要の苦

痛を与えるべき兵器 (兵隊に必要以上の苦

痛を与えるべき兵器)、 投射物、その他の

物質の使用 (レ ントゲン、放射能や生物兵

器はこれにあたる)を禁止 している。

第一次大戦になると非常に悲惨な状態

に、特に ドイツ軍の毒ガス戦が悲惨な状

態であったために世界各国 44カ 国の代

表が集まり毒ガス兵器 と細菌兵器の禁止

を定めるジュネーブ議定書 (1925年 )を成立させた。それまでは兵士と兵士の戦

いだつたが、国と国、国を挙げての国家

総動員戦になってきたのを機にジュネー

ブ議定書が成立、1928年 に発行される。

この条約には日本からも参加 してお り、

」奮奪霞:泰辱ζttλ彙言言Fttt与塚

ある。この禁止兵器の 8項 目、イロハニ

ホヘ トチの 5番 目に入つているのが「ホ」

で、生物兵器が入つている。後に陸軍の

細菌戦の符合が「ホ号」になっているが

この呼称はここからきていると言われて

いる。

ただ “条約には抜け道がある"と 石井

四郎はここに目を付けて、細菌戦を陸軍

中央に提言をする。そして 32年に陸軍防

疫研究室が設置され、大規模な研究室を

「満洲」に求める。背蔭河―平房の 731

部隊―各地支部 (林 日、牡丹江、孫呉、ハ

イラル支部)構成ができてくる。ソ連軍の

監視を兼ねて、各支部はソ連軍の前線に

造られた。

平房 0731部隊本部構造、組織編成そ

してツアーで訪問する「林 口支部」と元

支部長の榊原秀夫について、さらに昨年

放送で話題になった「ハバロフスク裁判」

について等々、広範囲にわたって 731部

隊の全体像を語ってくれた。

詳細は次回に、お楽 しみに !

(文責 :和田)

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榊原秀夫元林□支部長の自供書

(近藤堕

ぎんの請演資料かこ

(前頁・前項省略)7、 関東軍防疫給水部林 日支部長 (1944年 11月 -1945年 8月 )

林口支部長は第 731部隊長の指揮下部隊で細菌戦の実施及び準備の外、第五軍管内の一

般部隊防疫及び給水を任務 と致 します。私の在任間の林 日支部の組織は総務部 (庶務室経理室に分け課長は細谷少佐)第一課 (細菌生産及び細菌検査ならびに一般部隊防疫を任務と致 します。課長細谷少佐、課附渡辺中尉 )、 第二課 (給水及び濾水器修理、課長間所薬剤少尉 )、 資材課 (動物ならびにノミの飼育及び一般衛生材料の保管、生産用材料の保管、課

長間所少尉 )、 教育課 (細菌戦に関する教育、課長渡辺中尉)に区分され人員 280名 であります。林口支部の主要な器材は大型高圧蒸気滅菌釜五具、小型高圧蒸気滅菌釜・・以下略※参考まで :2014年 7月 (戦後 70周年を前に)、 中国政府は「藩陽特別軍事法廷」で裁かれた旧

日本軍人 45人の自供書を 1日 一人、45日 間にわたり中国語、日本語、英語に翻訳して全世界に向けてインターネットで公開した。14年公開文書は「中央梢案館」の文字が刻まれている。

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米国の原爆投下の責任を問う~ 新たな視点からの原水爆禁止運動を ~

水澤 壽郎 (米国の原爆投下の責任を問う会 。事務局)

私達はこれまでの核兵器廃絶運動に

不足しているものとして、米国の原爆

投下が民間人大量虐殺の戦争犯罪であ

つたこと、米国の原爆投下そのものを

批判 して、その責任を問 うて来なかつ

たことに問題があると考えています。

それゆえ、原爆投下後 73年目を迎え

ても核兵器廃絶は未だ実現 していませ

ん。昨年 7月 に「国連核兵器禁止条約」

が 122カ 国の賛成で採択されましたが、

米国をはじめとする肝心の核保有国や

「核の傘」の下にある同盟国は反対 し

ました。そして唯―の戦争被爆国であ

る日本も賛成 しませんでした。

米国では「実戦で核兵器を使用 した

国として核廃絶を主導する道義的義務

がある」といつてノーベル平和賞を受

賞したオバマ大統領の時から核兵器の

「近代化」「スマー ト化」を名 目に小型

で実戦に使いやすい核兵器の開発に巨

額の予算をつぎ込み、核兵器使用のハ

ー ドルを下げようとしています。

日米の国民には米国の原爆投下責

任を免罪する原爆神話が浸透 していま

す。

曰く、原爆投下が日本の降伏を早め、

その結果 100万人の米軍兵士の命を救

つた。

曰く、日本がポツダム宣言を黙殺 し

たから原爆を投下した。

こうした宣伝は原爆投下直後から米

国により、巧みな情報操作と放射線の

被害隠し、ニユーヨークタイムスやハ

ーバー ド大学長など世論に大きな影響

力を持つメディアと人を駆使 して作 り

上げたものです。

日本の降伏を決定づけたのは連合

国との仲介役を期待 していたソビエ ト

の 8月 9日 の参戦でした。すでに 3月

10日 の東京大空襲により 10万人を超

える死者を出し、各地の主要都市を灰

燎にされ膨大な被害が出ています。原

爆の被害が敗戦を決定した訳ではあり

ません。

100万人の被害予測も トルーマン

の言い出した根拠のない数字です。米

軍の分析やマッカーサーを始めとする

将軍た ちの予測で も最大で損害は

66,000人で戦死者はその 4分 1で した。

ポツダム宣言を黙殺 したから、とい

うのも事実ではありません。

ポツダム宣言は 1945年 7月 26日

ですが原爆投下命令が出されたのは、

その一 日前です。 しかもポツダム宣言

は回答期限もなく中立国を通 した正式

な文書でもなく、短波放送で伝えられ

た宣伝の類のものでした。 日本が宣言

を受諾 しようがしまいが関係なく投下

は決定されていたのです。

しかもこの宣言の草案では「天皇制

を保証する」という項目が入つていま

した。 しかし原爆投下の前に降伏 され

ては困る米国首脳はこれを外 し、無条

件降伏を求めて日本が降伏 しにくくし

たのです。

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「真珠湾攻撃への報復」ともいいま

すが、「真珠湾攻撃」と「広島・長崎の

原爆投下」は全く異なる攻撃です。真

珠湾では軍事施設・軍艦への攻撃で民

間人死傷者は出ていません。広島では

軍事施設を攻撃したと言つていますが

違います。爆心地は民間人が住む住宅

地、人口密集地の真ん中です。

では、軍事作戦上の必要がないのに、

なぜ原爆を投下したのでしょうか。

第一には戦後を見据えて、原爆の威

力をソビエ トに見せつけて威嚇するこ

とでした。

第二に人体実験です。原爆の効果は

どんなものかを知ることは軍にとって

は極めて重要です。そこには日本人に

対する民族差別があったことは否めま

せん。

第二に国家予算の 1/3に もなる 20

億 ドルもかけた兵器を使わねば納税者

の反発を買うことを恐れたのでしょう。

特に第一のソビエ トヘの威嚇が今

日の際限のない核兵器の拡散と高性能

化を招いたのです。核兵器の本質は桐

喝外交であり核兵器という絶対兵器で

桐喝すれば相当の政治目的を達成でき

るからです。

従つて核兵器の恐ろしさを訴える

だけでは、かえって桐喝手段としての

核兵器の有効性を裏付けることになり

かねません。「ノーモア・ヒロシマ、ナ

ガサキ」と核兵器の悲惨さを世界に訴

える反核運動は大なる効果を上げてき

ました。 しかし原爆投下決定過程の真

相や非戦闘員の大量殺数が人道に対す

る罪、戦争犯罪だとい う核心に触れな

ければ核廃絶に自ずと限界があるので

はないでしょうか。

原爆投下直後に日本政府は米国に

非人道的だと抗議文を出していますが、

それ以後は誰も米国の原爆投下に対 し

て抗議 し責任を追及 してこなかったこ

とが米国を増長させ、今 日の事態を招

いたのではないかと考えます。

そのために米国や 日本に流布 され

ている原爆神話を打破 し、真実を両国

民、また他の国民に知ってもらうため

の行動を起こしてお ります。

日本の良心的な人には日本の戦争

犯罪を認め、補償させてからでないと

米国の責任は問いにくいという考えが

ありますが我々は同時に行 うことが大

切だと思っており、現に、我々の会の

メンバーは、朝鮮人強制連行、 731部隊、中国人毒ガス被害等の補償裁判

や研究に長年、取 り組んでいます。

人類絶滅を招きかねない究極兵器

を生み出し「核抑止力」とい う神話を

生み出した原点が広島長崎への原爆投

下でした。これまで問われなかった米

国の責任追及を早急にやらねば何時ま

でも核兵器廃絶はならないと思います。

我々の運動にご理解 とご協力をお

願いする次第です。 (了 )

※2015年 12月 、上記の趣旨で結成 された

「米国の原爆投下の責任を問 う会」(略称「責

任を問 う会」)は今年 8月 広島で開催 された

「原水爆禁止世界大会」に 3人が参加 し、分

科会でそれぞれの言葉で訴えま した。ABC企画委員会は日本のカロ害責任を追及す ると

共に「A」 原発、原爆問題を追及する運動と

して賛同しています。「責任を問 う会」の活

動に賛同される方、関心のある方はブログ

「米国の原爆投下の責任を問 う会」または

ABC企画まで。

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☆『歩平さんをしのぶ追悼文集』6月 出版 ☆ '一腕をノ

アジアと世界恒久平和を考え、ともに歩むために

進歩学者の遺志を未来に継承するために

8月 14日 は故・歩平さんの 2回 目の命日

でした。翌 15日 は「終戦記念日」 (本来は

敗戦記念日)と 称して武道館では政府主催

の「全国戦没者追悼式」が、隣接する「靖

国神社」は相変わらず政府閣僚関係者の参

拝が行われている。被害者への謝罪も加害

国としての反省も全くみられませんでした。

たぶん、中国の研究者で最初に靖国神社

を見学したのは歩平さんではないだろう

か?研究者たちの間でも「靖国」だけは拒

否していたが、日本を知るうえで見る必要

であると、皆が拒否していることを承知で

見学をした。「広島原爆資料館」の場合も同

じく何ごとにも真正面から向き合ってきた

のが故 。歩平さんです。

この本は単なる「追悼集」ではない。

(1)「歩平さんをしのんで」―中国黒竜

江省社会科学院研究者 4人 と日本の様々

な分野で活動 している 14人の追悼文

(2)「主要著編著・学術論文一覧」(一部)

(3)「歩平さんが歩んだ平和への道」―

各市民団体との活動の中で発表 した論文

や投稿文 13編 と 4冊の書籍を選び「序

文」「推薦文」を掲載。 その他貴重な資

料や思い出の写真を沢山挿入 している。

『追悼文集』は日中関係、遺棄毒ガス、

日本軍性暴力、日本の右翼など戦後問題

B5版ソフトカバー 146頁 頒布価格 1,000円 (税込み)

送料 1冊に付き80円 10冊以上送料無料

問い合わせ&申 し込み先 : ABC企画委員会

を考える上で貴重な文献資料が多数盛り

込まれている。「論文」から内容の一部を

紹介① 「日中間の歴史認識と遺棄毒ガス

問題」一遺棄毒ガス処理は日本の責任で

ある。民衆の歴史認識として中国、日本

の被害と加害、相互理解の必要性を説く、

そして民衆の交流のために学者の役割・

責任は重い、学者は必ず歴史事実をきち

んと民衆に教えなければならない。

②2010年、中国で『 日本軍性暴カパネル

展』の開催が実現した際の講演録には「中

国の参観者に即してみれば、パネル展の

発端・経緯の全てがはっきり見えないの

で、パネル展はただ戦争中の日本軍の暴

行を明らかにし展示した一般的な展覧に

すぎないと容易にみなすだろう。 (中略)

共同してより高い角度から歴史問題への

思考を行い、未来への意志を明確に打ち

出すことを提案する」③ 「どちらがでた

らめを言つているのだ」―『正論』誌上で

中国の遺棄毒ガス処理を日本政府が行 う

必要はない、と主張する日本右翼への反

論。④「毒ガス裁判意見陳述書」と「敗訴

判決への抗議文」“東京地方裁判所の裁判

官がこのような浅い知識と低い判断能力

しか持ち合わせていないことに驚き憤慨

する。私はここに強い不満と抗議を表明

する"。

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「 7・ 7」 鑢 溝橋事件)~8月 徴 戦記念)各地 の 動 き か ら

■「平和のための戦争展 0喜多方」

(第 24回)7月 5日 ~9日 (福島)

来場者へ配布の「展示会開催にあたっ

て」挨拶文中に “「平和のための戦争展」は

戦争の現実を、地域から、歴史から、現在

の世界のできごとから学ぶ場です。そして

戦争を生む原因を明らかにし、どうやつて

戦争を押しとどめ、なくしていくか、参加

した皆さんと一緒に考えたいと思います"

と記 しているように展示内容は趣旨に沿

つて「戦没者名簿」は喜多方市史をはじめ

地域の村史、町史、忠魂碑や慰霊碑を調査

し2612名の戦没者を。「日本の戦争責任」

では東南アジアと731部隊 ぎらに「軍事

教育、国民生活に関する資料」、「原爆写真

展」「原爆実物大模型」晴摯砺噛を 実物破

片」「戦争と動物」。「戦禍の諸相」では陸軍

中野学校や登戸研究所、風船爆弾などを取

り上げている。また隣町白河の「アウシュ

ヴィッツ平和博物館展」や「沖縄戦」「シベ

リヤ抑留」「戦争体験を語つた 4人展」等々

なんと24項 目の分野に及んでいる。

実行委員の一人、山崎さんは「毎年、地

元の小中高校が授業として参観 している

ので 7月 に実施。130人の高校生アンケー

トは教師が纏めて実行委に報告をしてく

れる。准看護専門学校の生徒も来てくれた

ので、731部隊について説明をしたが、皆

さん “知らなかったことでとても勉強にな

つた"と言つて帰つて行つた。731部隊を

展示して良かった」と話してくれた。

■「侵略 と植民地支配の歴史を直視 し、

アジアに平和をつくる集い」

7月 5日 (東京)

綴織厚氏の「明治 150年に隠された日本

の侵略思想を問う」一明治 150年を前期と

後期に分けて考え、前期は 1874年の台湾

出兵で開始された侵略戦争が日清戦争、日

露戦争そして満州事変を契機に日中戦争

へ、日中戦争の延長として対英米戦争へと

い う一つの戦争が次の戦争を準備すると

いう「戦争の連鎖」が断ち切れていない時

期であつた。

後期 (戦後)は如何かというと前期の負

の遺産を否定し、平和憲法を持ちながらも

常に戦前への回帰を志向する保守権力が

政治を主導してきた。戦前と戦後の一貫性

を主張する勢力によって 日本が運営され

てきた。“ちょっと間違ったかもしれない

が近代国家ができたことを喜ぶ"ための

「明治 150年」である。

侵略戦争 とその背後にある歴史的教訓

を理解し、今 日の「7・ 7」 集会のように話

し合 う機会を持つべきである。そしてこの

問題を追及することは歴史と記憶を振 り

返るだけでなく現在の日本の社会、政治を

考えることに繋がる。

中国から参加した王選さん (元細菌戦被

害者訴訟原告代表)は、2002年に裁判は敗

訴 したが旧日本軍が中国で細菌兵器を使

用 し住民に被害を与えた歴史的事実は認

めた。しかし今もなお、日本政府は 731部

隊細菌戦関連の資料や証拠がなく証明で

きないとして731部隊の犯罪行為を認めて

いない。 日本政府は加害の歴史を直視 し、

中国人被害者に謝罪と賠償をすべきであ

ると発言した。

主催は「村山首相談話を継承し発展させ

る会」。同会が 2015年 11月 に戦争法廃止

を求める集会を企画し、中国、韓国から証

言者を招聘したところ、中国人細菌戦被害

者へのビザが発給されず「集会の自由を侵

害された」として裁判に訴えている。

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■「文学で刻む 日中戦争の記憶一 日中和

解を求めて」 7月 7日 (神奈′:D

日中平和友好条約締結 40周年記念・ 7・

7虚溝橋事件記念の集いとして日中友好神

奈川県婦人連絡会が主催。36年前から毎年

使用しているという演壇に掲げられた「7・

7慮溝橋事件記念のつどい」の看板は歴史

の重さを感じさせていた。

講師は ABC企画代表の田中寛。冒頭「`歴史学者」ではない自分がなぜ「中国」

「日中戦争」「戦争文学」とかかわりを持つ

ようになったか ?少年期、周囲の元兵士や

戦後社会を見聞する機会が多かった。この

子 どもの頃の体験が根底にあつてその謎

解きのように中国に関心を持つたように

なったと思う″

と体験、経緯を語つた。

中国には戦争文学という呼称はなく「抗

戦文学」「抗日戦争文学」と称されている。

戦場に素材を選んだ文学作品については

当然中国文学も検証する必要がある。例え

ばある中国文学に、日本軍に捉えられた女

性にまつわる実話が語られている。「歴史」

に載 らない民衆の歴史を読み取ることが

できる。

まとめとして「戦時期には彩 しい戦争文

学、報道文学、手記が残された。それは負

の遺産であると同時に戦争から学び取る

(平和資源)と もなるはずである。これら

の戦場記録文学といってよい作品から、私

たちは何をどう汲み取るかであろう」と。

時間の都合で戦争文学の一部 しか紹介

できなかったが、多くの方が「戦争文学」

に関心をもつたようである。

■「所沢平和のための戦争展」

(第 31回)8月 11日 ~13日 (埼玉)

会場の「市民文化センター」から、戦後

73年を経ても未だに返還されずに残つて

いる「米軍基地 (通信)」 がよく見え、最終

日はこの基地のフィール ドワークも実施。

24団体による展示で、ABC企画は 3年連

続で「731部隊と毒ガス展」を展示してい

る。親子連れも多く、中・高校生の見学も

多い。3日 間の入場者約 850人。毒ガス展

パネルの前で女子高生 3人が座込んで、大

久野島に学徒動員された岡田黎子さんの

体験書『大久野島・動員学徒の語り』を熱

心に読んでいた。

毎年行われている学生向けの「クイズラ

リー」、5間のうちの一つが「第二次大戦中

に使用禁止されていた兵器はどれ ?」 答え

は①毒ガス②核兵器③クラスター爆弾

④巨大ロボットから選ぶ。

■「731部隊陳列館と座談会」0勅哀)

8月 10日 、金成民館長他職員 3名 が来日。

当会役員と細菌戦資料センタご合同で情

報・意見交換会を行った。陳列館は現在助ロ

害・被害者証言展示室」を企画し写真や証

言録を収集中。また遺跡発掘は進んでいる

がその後の保存が難題と。発掘された遺跡

写真 惚3の )6枚を頂いた。

アメリカオハイオ州にある「ウイルミントン大学の平和資料センター」に保管されてい

た毒ガスマスクを日本の市民団体で役立ててほしいと、寄贈先を募っていましたが出根不□

代様、松村高夫様の推薦で ABC企画委員会に寄贈されました。

経緯等詳細は後ほどお知らせします。

毒ガス展開催時にLaLさ んに公開したいと思います。なお、戦争展などで毒ガスマスクの

展示を希望される団体|よ 一定の条件で貸し出しますので、ABC企画までご連絡<ださい。