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現代インド地域研究・外大拠点 (FINDAS)・第4回研究会
「タゴールと近代ベンガル人の世界J
1.丹羽さんの『タゴール』を読んで
2011年 07月 09日
東京外大本郷サテライト
白岡雅之
@ 20世紀最初の 10年間の不幸の連続が、後半生のタゴールを作った。
① 「・・・タゴールは詩人として、あるいは文学者としてのキャリアをすでに築き、妻
と五人の子供を持ち、タゴール家の領地であるシライドホ(現パング、ラデ¥ンュ)で
の地主稼業のかたわら、これもまたタゴール家の有するシャンティニケトン(現イ
ンド、西ベンガル州内)の土地において自らの理想とする学園を作るという事業に
取りかかろうというところで、あったJ(12ページ)
② 「この時点でタゴールがその生涯を終えていたとしてもその名はベンガル文学史
上に刻まれただろうが、それはおそらく平凡の域を出でないものだ、ったろうJ(12
ページ)
③ 「タゴーノレがまさに非凡としか言いようのない創作活動を展開し、ベンガル文学に
おける生きた伝統となり、また世界的な詩人として容易には手の届かない存在にな
っていくのはこのあとのことであるJ(12ページ)
④ 「・・・それまでおよそ孤独とは縁がなかったように見えるタゴールが、この十年間
でみずからの家族を失い、その背後にしっかりと存在していたタゴール家も家長デ、
ベンドロを失い、こうしてひとりになってしまった詩人タゴールの目の前に現実の
世界が姿をあらわしたのである。壮年期に達したタゴールは、いよいよみずからこ
の世界と対時しその取るべき道を選択しなければならなかった。学園をめぐる諸事
にせよ、ベンガル分割を巡るみずからのかかわり方にせよ、そうした選択のはじま
りだったし、・・・(中略)・・・タゴーノレ独自の精神世界の産物とも言える詩篇の数々
ですら、まもなく世界に見出される運命にあったのであるJ(16-17ページ)
この時期の重要性の強調は、本書の大きな特徴であり魅力であるが、その前の 10年間
すなわち 1890年代の重要性を強調するニロード・チョウドヲリの説を紹介したい。
・幼少期がけっして幸せなものではなかったこと
・結婚して東ベンガルの農村で暮らした経験の重要性
⑤ 「ほうーら、あの中州の対岸、ポッダの水平線が見られるところから、ここまでー
条の幅広し、月光がきらきらとしている。人っ子ひとりいない。一般の舟もない一一
向こう岸の新しい中州には一本の木もなく、草もはえていなし、一ーまるで空虚な大
地の上に無関心な月がひとつ昇っているように思われる一一一人のいない世界の真
ん中をとおって一筋の行く先のない河が流れている。 一篇の太古の物語が見捨てら
れた地球の上で終わった。今日、あのすべての王、王女、大臣、同盟者、黄金の都
はひとつとしてない。わずかにあの物語の『荒涼とした広い野原』と『七つの海と
十三の河』が膳ろな月の光りに荒れさびれている。・・・私はまるでこの瀕死の大地
のたったひとつの脈拍のように、ゆっくりゆっくりと進んでいたJ(1891年 10月
『折々の手紙集』、トボンドパッダエ著、我妻和男・西岡秀樹・臼田雅之訳『タゴ
ールの絵について』、第三文明社、 1988、210ベージ所収)
⑥ 日本のタゴール研究における丹羽さんの位置
i .片山敏彦のタゴール観「タゴールの声は美しいものであり、波打っている白い髪とひ
げと、気品のある顔と深い眼の輝きとは、青年の私の心に非常に大きい印象を残したJcr詩
人タゴールJW片山敏彦の世界』みすず書房、1998、123ページ)
註.我妻和男のタゴール批評「すべての国には、他の文化信仰を尊重する民族主義が必要
である。その考えにそって、他国の文化、伝統を尊重するように自国の文化、自国の伝統、
自国の霊性を自信をもって唱道すべきである。
タゴールは正にその理念の上に立っているのに、あれほど一方的に日本非難を繰り返し、
政治的には以上述べた通りタゴールにも矛盾したところがある。しかし、タゴールの詩は
万人のためであり、ベンガル人のためには、かれらの血と肉kなるものであり、一つ一つ
の珠玉の詩は、ベンガル語という心情を表すのに最もふさわしいものによって表現されるJ
(Wタゴール:詩・思想・生涯』麗揮大学出版会、 2006、321ページ)
温.丹羽京子のタゴールへのアプローチ「・・・タゴールの正体はいっこうにつかむことはで
きない・・・ここで求められていることは単純である。タゴールとは本当のところし、かなる人
物であり、その作品とはいかなるものなのかを示すこと。そしてタゴールという人物がか
つて生きていたということが、あるいはその残された作品群が、自分にとってあるいは今
を生きる人々にとってどれほどの意味があるかを考える、ということである。
ゆえにここではタゴールを、創造を絶する業績を残した偉人としてではなく、あるいは
ほとんど象徴と化した世紀の詩人としてではなく、十九世紀から二十世紀にかけて本当に
生きた詩人として今一度描きなおしてみたいと思う。そして詩人というからには、その詩
作品がどのようなものであるかを辿ってみたいと思う。そのうえで、 二十一世紀を生きて
いる読者のみなさんに、タゴールとその作品が持つ意味を少しでも知ってもらえれば幸い
である。 (Wタゴール』清水書院、 2011、5-6ページ)
@評伝のクライマックスをどう設定するか
我妻本:タゴールの本領で、ある詩から始める
丹羽本:詩を最後において盛り上げる
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@ピラリ・バラモンとし、う特殊なバラモンで、あること
0周縁性の発生(ピラリ・バラモンの成立)
0周縁の活性化(タゴール家の確立)
0中心からのズレ(→知的・文化的多産性、批判性)
Adhunikta 0 Rabindranath, Kolkata, 1968, p. 1)→しかし、アユーブ、は近代文学をモダ
ニズムの文学と解するので、タゴールの作品が本当にモダニズムと言えるかどうか、の問
題が生じる。
O近代文明の批判者としての詩→近代文学を歴史学の「近代Jに近づける試み
Oマイケル/ボンキムからタゴールへ(歌われる詩の意味)
II.ベンガ/レ史におけるタゴール家の位相
⑥大ザミーンダールとしてのタゴール家
01847年の世界恐慌によるタゴール家の破産
→企業家と してのタゴーノレ家の消滅
財産のザミーンダーリーへの一元化
Omadhyabi tta (中間層)と abhijat(市民貴族)
O中間層を先取りし、ときにその批判者
Oインド文明あるいは西欧文明への距離の取り方
IV.詩人タゴール
0多面的なタゴール(インド的な「芸術」の在り方とのかかわり)
O先ず何より固であったり、ーノレ
@アーディ・ブラフモ・サマージの支柱としてのタゴール家
0ラームモーハン・ローイ→デベンドロナート・タゴール
表現する者と表現される物の区別を要請する
→神秘家ではなかったタゴール
O 近代ベンガノレの主流を形成したボンキムとグィヴエーカーナンダ
タゴールはどとが違うのか
0詩人タゴーノレは、はたしてベンガルで愛され、理解されている/いたか?
(二ロード・チョウドリの問い
あるいは、現代ベンガノレにおける文学
異常なタゴール崇拝?)
0世界文学におけるタゴールの位置
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Akshaykumar Datta→Sadharan Brahmo Samaj 方
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(Navavidhan)
identity,London, <<参考文献》
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ド人』、明石書居、 2008) .
(政治的にはコングレス指導部を形成)
Rammohan /' ¥、…Rabindranath
(ナ、ンョナリズ、ムの時代にナシヨナリズム批判を取行)
III. タゴールとモダニズム
0歴史学おける「近代J(modern times)
0近代文学とは「近代Jの文学ではなく、モダニズムの文学
O欧米における近代イメージの差異(国民文学の偏向)
→ドイツ文学の見方はイギリス/フランス文学の見方とは異なる
Oベンガノレにおける近代文学
0タゴーノレの場合『心の女(マヌシ)~ (1890)以降が近代文学 (AbuSayeed Ay刊 b,
なお、タゴールの本格的な伝記としては PrashantakumarPal, Rabijibaniが、 AnandaPublishers
から刊行中である。