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退 10 撮影 中英

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信仰生一活のよ一サどころを・盤一石にされた師父

フランシス森紀旦主教逝去1周年礼拝説教 鈴木伸明

一森記■‐‐師‐なの略座

主教フランシス森紀旦師父の略歴

を共に振り返ります。

主教フランシス森紀旦師父は、1

940年1月1日、埼玉県にてお生

まれになりました。東松山聖ルカ教

会で信仰生活を過ごされてから聖職

志願をされて聖公会神学院

へ入学、

1966年卒業されました。翌年執

事に叙任され、1969年に司祭に

叙任されました。

1970年、立教大学大学院文学

研究科修士課程を修了、1971年

から翌年にかけ、米国

マサチ

ュー

セッツ州ヶンブリツジのエピスコパ

ル神学校に留学されました。帰国後、

前橋聖

マッテア教会をはじめとする

北関東教区諸教会で働かれるととも

に、立教大学文学部キリスト教学科

講師として、ギリシア語、新約聖書

を担当されました。

この川越基督教会には1977年

松平惟太郎司祭の後任として牧師に

就任、初雁幼稚園園長としても活躍

されました。H年にわたる当教会で

の働きの後、聖公会神学院校長でお

られた竹田員司祭が東京教区主教に

就任された後任として、聖公会神学

院校長に就任されました。

2年にわたる聖公会神学院校長任

の後北関東教区

へ戻り、高崎聖

オーガスチン教会で3年間働かれま

した。

1993年、京都教区

へ移籍され

てウイリアムス神学館副館長に就任、

翌年には館長に就任され、教会にお

ける働き人育成のため尽力されまし

た。ご担当は新約聖書学、礼拝学で

した。

1998年、日本聖公会中部教区

主教に就任、以後

H年にわたり中部

教区主教として働かれました。

退職後は東京

へ居を移され、日々

を過ごしておられましたが、201

8年7月

10日、通院先にて倒れられ

写真撮影 田中英夫

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蔦の教会2019年 7月 28日 (4)

そのまま神様の許

へ召されることに

なりました。あまりにも突然の出来

事で茫然自失とな

つたのを、昨日の

ことのように思い出します。

曹言

主教フランシス森紀旦師父の働き

は多岐多様にわたりますが、日本聖

公会全体に関わることといたしまし

ては、日本聖公会現行祈祷書、現在

私たちが用いております緑色の祈祷

書でありますが、約

10年にわたりま

す祈祷書改訂作業に関われました。

1世紀頃、礼拝は国語で行われてい

たことをもとに、文語だつた祈祷書

の国語化、東面式だつた聖餐式が対

面式になつてきたのに伴う、対面聖

餐式前提の式文改訂作業、1年周期

だつた教会暦を3年周期

へ改めるこ

となど、現在の私たちの礼拝の根幹

にかかわる重要な改訂作業に関わら

れました。また旧約聖書朗読後に、

黙想の意味を込めて詩編を用いる習

慣を回復されたもの、森主教様をは

じめとする祈祷書改訂委員会の働き

によるものです。

また、現在の日本聖公会聖歌集は

2006年に発行されましたが、聖

歌集改訂委員会委員長として働かれ

たのが森主教様でした。この委員会

は1994年に設置され、

12年にわ

たる改訂作業の末、2006年5月

に行われました日本聖公会総会で決

議され、同年

H月に発行されたもの

です。このように森主教様は、現在

の私たちの礼拝に欠かせない、祈祷

書および聖歌集両方の改訂作業に関

わられ、信仰生活のよりどころを盤

石にしてくださつたと言えましよう。

本国、ご家族の皆様をお迎えして

主教フランシス森紀旦師父の逝去1

周年記念礼拝をこの川越基督教会と

して行えますのは、私たち

一同の念

願であり、心からの喜びとするとこ

ろです。

,一一・一‥

私自身は1995年から北関東教

区でお世話になることになりました

ので、森主教様の北関東教区在任中

にご

一緒した者ではありませんが、

横浜教区時代より聖歌集改訂関係の

集まりに参加させていただいて森主

教様にお会いしておりましたし、2

002年に聖歌集改訂委員になりま

してから4年間、東京

。名古屋

・京

。大阪で行われる委員会でほぼ毎

月お会いし、かなりのスケジ

ュール

の中で改訂作業をご

一緒させていた

だくことになりました。その作業の

中から思い出に残ることにつきまし

て、お話しさせていただければと思

います。

聖歌の改訂作業のうち、原詩が英

語などで、それを訳出して日本語の

詩としている聖歌につきましては、

原則として全曲、原詩を再確認する

ことになっていました。現在の詩に

とらわれずに

一旦原詩の精神に立ち

戻り、その上で、ある聖歌について

は原詩の精神を生かして思い切った

訳出を行い、ある聖歌については原

詩の直訳にかかわらず、意訳をもと

に詩を考えるといつた作業を行いま

した。原詩は英語である聖歌が大半

でしたが、森主教様の優れた英語の

知識に毎回感服していました。

聖歌の改訂作業を行う上では、ど

うしても自分自身の信仰が問われる

ことになります。聖歌の詩は、個人

の信仰や思いを超えて普遍性を持つ

内容でなければならない一方、自分

自身の生き方がそこに関わり、実存

が伴っていることが重要であるから

です。そのため委員会ではしばしば、

それぞれの信じる神様の姿や。神様

と自分自身のつながりについて激し

い議論が交わされることもありまし

た。一森

主教様の訳詩の根底には、この

世界の中で悩み続けどのように歩ん

でよいかわからない人間の姿があり

ました。悩む人間、悩み続け歩めな

いでいる人間を、神様は無理に歩ま

せようとせず、その場にしつかり留

まりつつ、神様の愛を実感しつつ過

ごしてよいのだということに主眼が

置かれていたように思います。

私はそれがなかなか納得できませ

んでした。この世界は神様が時を定

めておられるのだから、その時を目

指して歩んでいくことが必要であり

その導きを祈ることこそ、聖歌の詩

の重要な要素でなければならないの

ではないか、悩み続け歩めないでい

る人間を詩に表現するのはよいけれ

ども、それだけでは不十分であり、

そこから引き上げ、希望

へ導いてく

ださる神様についても詩に含めなけ

れば不十分であると主張しました。

動いている自転車が倒れないように

私たちも留ま

ってはならず、神様の

導きにしたが

つて不断の歩みを続け

ていかねば希望を見いだせない、聖

歌の詩にもそのことを含めなければ

十分とは言えないと主張したのです

これは40代前半であ

つた私の実感

でした。それに対して森主教様は多

くを語られませんでしたが、混とん

とした世界の中で悩み続ける人間の

姿を、どこまでも重視なさる姿勢は、

聖歌集改訂作業の中で変わることは

ありませんでした。

当時の森主教様の年齢に、自分自

身が間もなく達しようとしています

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(5)蔦の教会2019年 7月 28日

が、神様との時間を持てば持

つほど、

人生経験を重ねれば重ねるほど、自

分自身の歩みや決断は慎重でなけれ

ばならず、自分自身が信じる方向

やみくもに向かつて突き進めばよい

のではないと、森主教様は当時の私

に語つておられたのではないか、な

んでもかんでも自分自身の体を張

て歩んでいけば神様と出会えるのだ

と安易に考えないように、森主教様

はよく注意するように、私に言

って

おられたのではないかと、今更なが

らに思います。

一時代に流ざれず真‐■を見出す

昨年1月

13日に逝去された、モニ

カ松本操さん、5月3日に逝去され

たステパノ松本博

一さんの葬儀の時

に、森主教様は当教会においでくだ

さり、告別のお祈りをご奉仕くださ

いました。

「もう大きな声を出せな

いんだよ」とおつしやつておられ気

になりましたが、近日中にまたお会

いできるだろうと全く疑いもしませ

んでした。しかしこれが森主教様に

お会いした最後の時となりました。

H年牧師として働かれたこの礼

拝堂に、本国多くの皆様においでい

ただき、森主教様逝去1周年の礼拝

をささげることができますのを感謝

いたします。現代社会はどんなこと

でも性急に答えを求めがちです。デ

ジタル時代が示す通り、明確な判断

や数字で表せる尺度にのみ価値が見

出され、目に見えない存在や測れな

いことを大切にしようとしないこと

が多くな

つています。また、聖書が

語る忍耐や希望を待ち望む生き方も、

行いにくくな

っているような気がし

ます。

私たちは森主教様のご生涯から、

神様

への祈りと導き、自分自身の悩

みにしつかり留まりながら、今の時

代に流されず、日に見えない真理を

見出しながらしつかりと歩んでいく

大切さを学びます。よい模範を示し

てくださ

った主教フランシス森紀旦

師父の魂の光明と平安を祈りつつ、

パラダイスに憩われているすべての

方々との交わりの聖餐式を共に続け

てまいりましょう。

(7月

13日〉