ル・コルビュジエの都市と自然の思想に関する一考察 … · 市(ville...

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0-1 背景と目的 ル・コルビュジエ(Le Corbusier, 1887-1965)は,近代建築と ともに,都市計画において大きな影響を与えた。1922年のサロ ン・ドートンヌに「300万人の現代都市(Ville contemporaine de trois millions d’habitants)(以下「現代都市」と表記する)を出 展,1930年にブリュッセルで開かれた第三回CIAMにて「輝く都 (Ville radieuse)」を発表し,ル・コルビュジエは,近代の都 市計画の基礎を築いた。一方で,1929年の南米,1931年のアル ジェへの二つの旅は,ル・コルビュジエに「新しい発見」をもた らした。南米とアルジェの都市計画において,直線的な都市モデ ルとは対照的に曲線の形態が出現した。「ル・コルビュジエに何 が起こったのか?」そして,1935年に“La Ville radieuse”を著し た。この著作は,ル・コルビュジエの都市計画に関する大著であ るが,「輝く都市」と,南米やアルジェの都市計画との関係性を 容易に読み解くことはできない。ル・コルビュジエはいかなる都 市計画を志向したのか。本研究の目的は,南米とアルジェの都市 計画における思想の内実を明らかにし,ル・コルビュジエの言説 のうちに,都市思想の一端を読み取ることである。とくに,ル・ コルビュジエが南米やアルジェという非西欧で感得した「自然」 に着目し,彼の自然観の転回を明らかにすることで,都市思想を 考察する。本研究は,ル・コルビュジエの都市思想の新たな側面 を浮かび上がらせることに,意義を見出すものである。 0-2 既往研究と位置づけ ル・コルビュジエの都市計画や思想形成に関する既往論考は, 建築に関するものほど多くない。八束はじめは,ル・コルビュジ エを地域主義者として捉えることを試みている。1929年の南米旅 行,1931年のアルジェ訪問の二つの旅が,ル・コルビュジエに とっての「地域主義的展開」への回心のきっかけを与えたと考え られるとして,自然の地形という「風景=地域主義」の発見は, アルジェ訪問に先立つ南米旅行,ムンダネウム,若年の「東方旅 行」と遡ることのできる生涯のライトモチーフであると述べてい る。ノーマ・エヴァンソンは,ル・コルビュジエの都市計画を包 括的に論述している。ル・コルビュジエのデザインは,形式的な 図式以上のものであり,それらは努力の重要性を示す模範であっ たと述べている。また,南米やアルジェの都市計画の形態の特異 性に言及する既往論考は見受けられるが,「輝く都市」との連関 からその内実を明らかにしているものはない。本研究は,ル・コ ルビュジエの自然観の転回に着目し,南米とアルジェの都市計画 における「自然」の思想を明らかにすることで,彼の都市思想の 一端を読み取ることに,独自性を見出すものである。 0-3 対象と方法 本研究は,「輝く都市」と,南米とアルジェの都市計画に関す る著作をもとに考察される。ル・コルビュジエの都市思想に関す る主要な一次資料を以下に挙げる。 “La Ville radieuse”, 1935(『輝く都市』と表記)[VR]と略記 “Précisions sur un état présent de l’architecture et de l’urban- isme”, 1930(『プレシジョン』と表記)[PR]と略記 “Urbanisme”, 1925(『ユルバニスム』と表記) これらの主要な一次資料をもとに,ル・コルビュジエの都市思想 を明らかにする。 本論の構成を以下に示す。第1章にて,ル・コルビュジエの都 市計画の活動を概観する。第2章にて,ル・コルビュジエの自然 観の形成を明らかにする。1920年代の著作をもとに,第1節で は,自然観の基底を確認し,第2節では,1920年代の自然観を 明らかにする。第3章にて,『ユルバニスム』にみる「自然」の 思想と『輝く都市』にみる「自然」の思想との相違を明らかにす ることで,『輝く都市』における都市思想を浮かび上がらせる。 第4章にて,『輝く都市』『プレシジョン』を通して,前章にて 抽出される「自然」の思想のうち,「性格」「蛇行」という概念 に注目することで,南米とアルジェの都市計画における都市思想 を明らかにする。第5章にて,二つの都市思想と三つの都市計画 とのあいだの関係性を考察する。そして,ル・コルビュジエがい かなる都市計画を志向したのかを考察する。 第1章 ル・コルビュジエの都市計画の活動 1-1 二つの都市モデル ル・コルビュジエは,都市計画の研究から原理的な都市モデル を導き出した。それが「現代都市」と「輝く都市」である。本節 では,二つの都市モデルを概観する。 1-1-1 「現代都市」 ル・コルビュジエは,1922年のサロン・ドートンヌに「現代都 市」を出展した。「現代都市」はそれぞれの都市の問題に解決を もたらすのではなく,「基本原理」を表象する都市モデルとして 構想された。そして,1925年の国際装飾芸術展にてパリの「ヴォ アザン計画」を発表した。「ヴォアザン計画」は「現代都市」の 原理をパリに適用させたもので あった。ルーヴル宮殿などの歴史 的建造物は残されている。「ヴォ アザン計画」もパリの都市の問題 に解決をもたらすのではなく, 「基本原理」によって秩序だてら れたパリを顕示することが企図さ れていた。 1-1-2 「輝く都市」 ル・コルビュジエは,1931年の第三回CIAMで「輝く都市」を 発表した。「これまでの研究の論理的帰結」であり「人間性の問 いとなった」と述べられ,「輝く都市」は都市計画の研究の成果 として普遍的な都市モデルへと昇華したものであるといえる。そ して,1935年に出版された『輝く都市』にて結実した。この著 作のなかで,太陽,緑,空間の「自然の条件」,住居,仕事,心 身の鍛錬,交通の「四つの機能」などのアテネ憲章で提唱された 近代の都市計画の「基本原理」が述べら れている。このことから,「輝く都市」は ル・コルビュジエの都市計画の理論的な基 礎をなしていると考えられる。また,『輝 く都市』は近代の都市計画に大きな影響 を与えたものとして重要であるといえる。 そして,ル・コルビュジエは,1930年代 には実践的な都市計画に取り組み,それ らの都市計画を「輝く都市」の実践に位 置づけていた。 ル・コルビュジエの都市と自然の思想に関する一考察 ──“La Ville radieuse”を通して── 建築学専攻 田路研究室 岡野孝則 fig.1「現代都市」 fig.2「輝く都市」

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Page 1: ル・コルビュジエの都市と自然の思想に関する一考察 … · 市(Ville radieuse)」を発表し,ル・コルビュジエは,近代の都 市計画の基礎を築いた。

序0-1 背景と目的ル・コルビュジエ(Le Corbusier, 1887-1965)は,近代建築とともに,都市計画において大きな影響を与えた。1922年のサロン・ドートンヌに「300万人の現代都市(Ville contemporaine de trois millions d’habitants)」(以下「現代都市」と表記する)を出展,1930年にブリュッセルで開かれた第三回CIAMにて「輝く都市(Ville radieuse)」を発表し,ル・コルビュジエは,近代の都市計画の基礎を築いた。一方で,1929年の南米,1931年のアルジェへの二つの旅は,ル・コルビュジエに「新しい発見」をもたらした。南米とアルジェの都市計画において,直線的な都市モデルとは対照的に曲線の形態が出現した。「ル・コルビュジエに何が起こったのか?」そして,1935年に“La Ville radieuse”を著した。この著作は,ル・コルビュジエの都市計画に関する大著であるが,「輝く都市」と,南米やアルジェの都市計画との関係性を容易に読み解くことはできない。ル・コルビュジエはいかなる都市計画を志向したのか。本研究の目的は,南米とアルジェの都市計画における思想の内実を明らかにし,ル・コルビュジエの言説のうちに,都市思想の一端を読み取ることである。とくに,ル・コルビュジエが南米やアルジェという非西欧で感得した「自然」に着目し,彼の自然観の転回を明らかにすることで,都市思想を考察する。本研究は,ル・コルビュジエの都市思想の新たな側面を浮かび上がらせることに,意義を見出すものである。0-2 既往研究と位置づけル・コルビュジエの都市計画や思想形成に関する既往論考は,建築に関するものほど多くない。八束はじめは,ル・コルビュジエを地域主義者として捉えることを試みている。1929年の南米旅行,1931年のアルジェ訪問の二つの旅が,ル・コルビュジエにとっての「地域主義的展開」への回心のきっかけを与えたと考えられるとして,自然の地形という「風景=地域主義」の発見は,アルジェ訪問に先立つ南米旅行,ムンダネウム,若年の「東方旅行」と遡ることのできる生涯のライトモチーフであると述べている。ノーマ・エヴァンソンは,ル・コルビュジエの都市計画を包括的に論述している。ル・コルビュジエのデザインは,形式的な図式以上のものであり,それらは努力の重要性を示す模範であったと述べている。また,南米やアルジェの都市計画の形態の特異性に言及する既往論考は見受けられるが,「輝く都市」との連関からその内実を明らかにしているものはない。本研究は,ル・コルビュジエの自然観の転回に着目し,南米とアルジェの都市計画における「自然」の思想を明らかにすることで,彼の都市思想の一端を読み取ることに,独自性を見出すものである。0-3 対象と方法本研究は,「輝く都市」と,南米とアルジェの都市計画に関する著作をもとに考察される。ル・コルビュジエの都市思想に関する主要な一次資料を以下に挙げる。

• “La Ville radieuse”, 1935(『輝く都市』と表記)[VR]と略記• “Précisions sur un état présent de l’architecture et de l’urban-isme”, 1930(『プレシジョン』と表記)[PR]と略記

• “Urbanisme”, 1925(『ユルバニスム』と表記)

これらの主要な一次資料をもとに,ル・コルビュジエの都市思想を明らかにする。

本論の構成を以下に示す。第1章にて,ル・コルビュジエの都市計画の活動を概観する。第2章にて,ル・コルビュジエの自然観の形成を明らかにする。1920年代の著作をもとに,第1節では,自然観の基底を確認し,第2節では,1920年代の自然観を明らかにする。第3章にて,『ユルバニスム』にみる「自然」の思想と『輝く都市』にみる「自然」の思想との相違を明らかにすることで,『輝く都市』における都市思想を浮かび上がらせる。第4章にて,『輝く都市』『プレシジョン』を通して,前章にて抽出される「自然」の思想のうち,「性格」「蛇行」という概念に注目することで,南米とアルジェの都市計画における都市思想を明らかにする。第5章にて,二つの都市思想と三つの都市計画とのあいだの関係性を考察する。そして,ル・コルビュジエがいかなる都市計画を志向したのかを考察する。

第1章 ル・コルビュジエの都市計画の活動1-1 二つの都市モデルル・コルビュジエは,都市計画の研究から原理的な都市モデルを導き出した。それが「現代都市」と「輝く都市」である。本節では,二つの都市モデルを概観する。1-1-1 「現代都市」ル・コルビュジエは,1922年のサロン・ドートンヌに「現代都市」を出展した。「現代都市」はそれぞれの都市の問題に解決をもたらすのではなく,「基本原理」を表象する都市モデルとして構想された。そして,1925年の国際装飾芸術展にてパリの「ヴォアザン計画」を発表した。「ヴォアザン計画」は「現代都市」の原理をパリに適用させたものであった。ルーヴル宮殿などの歴史的建造物は残されている。「ヴォアザン計画」もパリの都市の問題に解決をもたらすのではなく,「基本原理」によって秩序だてられたパリを顕示することが企図されていた。1-1-2 「輝く都市」ル・コルビュジエは,1931年の第三回CIAMで「輝く都市」を発表した。「これまでの研究の論理的帰結」であり「人間性の問いとなった」と述べられ,「輝く都市」は都市計画の研究の成果として普遍的な都市モデルへと昇華したものであるといえる。そして,1935年に出版された『輝く都市』にて結実した。この著作のなかで,太陽,緑,空間の「自然の条件」,住居,仕事,心身の鍛錬,交通の「四つの機能」などのアテネ憲章で提唱された近代の都市計画の「基本原理」が述べられている。このことから,「輝く都市」はル・コルビュジエの都市計画の理論的な基礎をなしていると考えられる。また,『輝く都市』は近代の都市計画に大きな影響を与えたものとして重要であるといえる。そして,ル・コルビュジエは,1930年代には実践的な都市計画に取り組み,それらの都市計画を「輝く都市」の実践に位置づけていた。

ル・コルビュジエの都市と自然の思想に関する一考察──“La Ville radieuse”を通して──

建築学専攻 田路研究室 岡野孝則

fig.1「現代都市」

fig.2「輝く都市」

Page 2: ル・コルビュジエの都市と自然の思想に関する一考察 … · 市(Ville radieuse)」を発表し,ル・コルビュジエは,近代の都 市計画の基礎を築いた。

1-2 1930年代以降の都市計画ル・コルビュジエは,1929年に南米を訪問し,南米の都市のエスキスを描き出した。また,1931年にアルジェを訪問し,オビュ計画を提案した。そのさい,二つの旅にて自然に感銘を受けていた。そして,ル・コルビュジエは,数多の実践的な都市計画に取り組み続けた。しかし,ほとんどすべての計画が実現には至らなかった。1951~52年のチャンディガールの都市計画が唯一の実現であるとされる。ル・コルビュジエは,基本的にはすでにあったマスター・プランを踏襲し,議事堂や総合庁舎,最高裁判所などの建築とモニュメントをデザインした。既往論考においてチャンディガールの都市計画は「近代都市計画が生み出したいかなる都市空間とも似ていない」とされ,「輝く都市」の系譜とは異なると考えられる。ル・コルビュジエの都市計画のなかで,南米とアルジェの都市計画の形態の特異性はきわだっているといえる。ジャン・ピエール・ジョルダーニは,『ル・コルビュジエ事典』にて,1929年の南米,1931年のアルジェの二つの都市計画は,最も目覚ましくかつ例外的な研究であり,彼の造形探究の再生を成就させたと述べている。本研究においても,ル・コルビュジエの造形の創造性という視座から,彼の都市思想を考察していく。小結二つの都市モデルが彼の都市計画の理論的な基礎をなしていたといえる。そして,南米やアルジェの都市計画の形態の特異性は彼の造形の創造性に起因していた。また,南米やアルジェにて,「自然」に感銘を受けていたことも看過されてはならない。

第2章 ル・コルビュジエの自然観の形成本章では,「自然」の思想に着目し,ル・コルビュジエの自然観の形成を明らかにする。2-1 自然観の基底本節では,ル・コルビュジエの自然観の基底に大きな影響を与えたとされるレプラトニエとラスキンの思想を確認する。2-1-1 シャルル・レプラトニエレプラトニエは,自然にたいして崇高な信仰心をもち,自然に倣えという教えを説いた。それは,自然の形を生み出す生命力を理解することで,自然の法則を導き出すことであった。そして,自然への深い洞察から,自然の生命力を描き出す装飾芸術を創造することを提唱した。また,「家をやり直そう」と述べ,石彫や製陶などのさまざまな装飾技術を習得させた。レプラトニエは,生活全体に関わるものとしての家を創造する総合芸術を志向していた。文献5)

2-1-2 ジョン・ラスキンラスキンは,機械によって生産された装飾に溢れた物質主義的な時代を非難した。そして,人間の感覚的かつ自然的な手による装飾芸術を提唱した。ル・コルビュジエは,ラスキンを愛読し,青年期にはラスキンに鼓舞されたと述べている。青年期のル・コルビュジエの作品には装飾の有機的な形態がデザインされていることからも,レプラトニエやラスキンが提唱する装飾芸術に傾倒していたといえる。そして,青年期のル・コルビュジエは,自然への純粋な眼差しから,自然と人間を同位相におき,いわば自然と人間との共通地平を見ていた。文献5)

2-2 1920年代の著作にみる自然観本節では,1920年代の著作を通して,青年期をへて形成されたル・コルビュジエの自然観を明らかにする。

2-2-1 自然と人間芸術における自然と人間の関わり合いを考察する。自然に存在する「普遍的法則」を導き出し,自然と人間が一致する体系が必要であると述べる。普遍的法則は秩序に成り立ち,自然と人間との共通地平に体系,つまり秩序を築き上げることで,人間は調和を感じるのである。そして,芸術が自然の秩序を現前させるのである。また,人間は幾何学によって自然の普遍的法則を認識すると述べる。これは人間の「幾何学精神」とされる。そして,「幾何学精神」によって芸術的欲求も変化したと述べる。幾何学は芸術の造形的な構成要素でなければならないのである。文献4)5)6)

2-2-2 自然と幾何学自然と幾何学の関係性を考察する。幾何学は自然に潜在する秩序を描き出すと述べる。人間は秩序を作り出すために,先験的に幾何学を創造してきたのである。また,人間は幾何学に表現された自然を美しいと感じると述べる。芸術は幾何学でなければならないのである。ここにル・コルビュジエの幾何学の美学を看取できる。そして,人間の秩序への欲求から自然に「幾何学精神」を投射させることで科学は進歩し,近代科学から発展した機械主義も幾何学に成り立つと述べる。機械主義は自然の秩序を表象しているといえる。そして,幾何学を媒介に,建築も機械主義に導かれるのである。文献4)5)6)7)8)

2-2-3 建築と機械建築と機械主義の関係性を考察する。建築は地域に固有な文化によって「首尾一貫した配列システムを創出する」とされ,機械時代において,建築のシステムは規格化による大量生産となると述べる。建築は規格化によって秩序だてられる。そして,規格化の経済性や合理性は幾何学によって実現されるので,建築も「幾何学的現象」となるのである。機械主義の「幾何学精神」を通して,建築の規格化が志向されたといえる。文献4)5)7)

小結ル・コルビュジエは,自然と人間との関わり合いを問うことを芸術の根幹にすえていたといえよう。芸術によって自然と人間との共通地平に秩序が生み出される世界を志向していた。そして,自然の秩序を現前させるものが幾何学であった。機械時代において,幾何学の芸術,そして幾何学の建築を創造することで,世界を秩序だてることを企図していたといえよう。

第3章 二つの著作にみる「自然」の思想本章では,『ユルバニスム』と『輝く都市』にみる「自然」の思想における相違を明らかにすることで,『輝く都市』における都市思想を浮かび上がらせる。3-2 『ユルバニスム』にみる「自然」の思想本節では,「自然」の思想との連関から,『ユルバニスム』における都市思想を読み解く。3-2-1 秩序としての幾何学都市と幾何学の関係性を考察する。「都市は純粋な幾何学である」と述べる。都市は幾何学によって自然と人間の共通地平に秩序を築き上げ,人間の精神のなかに永続していく芸術作品であるべきである。そして,都市は直線と直角に成り立つと述べる。直線は都市の街路,直角は都市の空間をそれぞれ秩序だてるのである。このことから,都市の秩序は,芸術的な秩序と功利的な秩序という両義的なものとして把握されているといえよう。しかし,その根底には,芸術的欲求に応える「幾何学精神」があったと考えられる。

Page 3: ル・コルビュジエの都市と自然の思想に関する一考察 … · 市(Ville radieuse)」を発表し,ル・コルビュジエは,近代の都 市計画の基礎を築いた。

3-2-2 秩序としての自然都市と自然の関係性を考察する。人間は秩序のために「自然の本質」に関わり合うと述べる。自然の本質に関わり合うとはどのようなことか。都市において木,つまり自然は人間の快適さのためにあると述べる。自然は都市と人間のあいだを「共通の尺度」によって媒介する「比例中項」である。すなわち,都市に「人間的な共通寸法」の自然を挿入することで,人間は肉体的・精神的に快適さを感じるのである。そして,都市の風景は,建築の「幾何学的な要素」と自然の「絵画的な要素」の出会いによって変化に富み豊かになるのである。このことから,自然は,人間の快適さを満たすための実利的な存在かつ都市の風景に豊かさを生み出すための美的な存在であるといえる。そして,自然の比例中項という性質に自然の本質を見ていたといえよう。3-3 『輝く都市』にみる「自然」の思想本節では,「自然」の思想との連関から,『輝く都市』における都市思想を読み解く。3-3-1 法則としての幾何学「人間の法則」への眼差しについて考察する。ル・コルビュジエは,1929年に南米にて建築と都市計画に関する10回の講演を行なった。そのさいに,飛行機で空を旅し南米の大地を眺めた。そして,南米の町の形成から法則を見出した。それがクアドラという幾何学である。クアドラは生活単位に基礎をおいた110メートル四方の区画であり,開拓や制御に適した都市単位と,人間の身体寸法に成り立つ。ル・コルビュジエは,クアドラの幾何学に「人間の真理」を看取したのである。そして,「人間は自然の法則にもとづいて創られてきた」と述べる。「自然の法則」と「人間の法則」における本源的な関係性を見出していた。すなわち,人間は「自然の法則」を「人間の環境」に適用するために「人間の法則」を創造するのである。幾何学とは「人間の法則」のことであるといえる。そして,人間は「自然の法則」と調和するために幾何学によって都市を創造するといえる。このことから,都市において自然と人間との関わり合いを問うなかで,ル・コルビュジエの自然への態度に転回が起こっていたと考えられる。3-3-2 法則としての自然「自然の法則」への眼差しについて考察する。ル・コルビュジエは,南米の空の旅によって「鳥の目」という新たな見方を獲得した。この体験から,目で「見る」という知覚の基礎的な方法を感得していた。そして,「見る」ことで,自然の「性格」を見出した。「性格」とは「自然の法則」の秩序を構成すると述べる。人間は「性格」を創造しなければならない。なぜならば,人間が創造する「性格」と自然の「性格」との「相互作用」によって,交響曲を奏でる,すなわち自然と人間のあいだに調和を生み出すからである。ル・コルビュジエは,都市計画において「性格」を創造することを志向していたといえる。また,ル・コルビュジエは,南米の空の旅によって「蛇行」という「自然の法則」を見出した。大きな川は障害の存在によって「蛇行」を生じる。「蛇行」を繰り返しながら,どんどん下流に流れていく。そして,「蛇行」は奇跡的に打破される。ル・コルビュジエは,「蛇行」という驚くべき現象に感銘を受けているのである。この現象は「蛇行の法則」とされる。そして,「蛇行の法則」が都市計画の解決策と重ね合わされる。すなわち,障害である機械主義自体が都市計画の解決策となるのである。ル・コルビュジエは,「蛇行の法則」という「自然の法則」から解決策という「人間の法則」を創造することを志向していたといえる。

3-4 二つの著作における相違「自然」の思想という視点から,二つの著作における相違を明らかにする。二つの著作を比較することで,次の二つの相違を指摘できる。• 『ユルバニスム』において自然を秩序だてるという態度にたいして,『輝く都市』において「自然の法則」と調和させるように「人間の法則」を導き出すという態度を看取できた。

• 『輝く都市』にて,「見る」という態度から,「性格」を創造すること,「蛇行の法則」から解決策を導き出すこと,という新たな概念が抽出できた。小結ル・コルビュジエは,自然と人間との関わり合いのなかで都市を創造することを志向していた。しかし,二つの著作に相違が見出されたことには,南米での体験から感得したものが大きいと考えられる。ル・コルビュジエは,「見る」という態度から,「性格」を創造すること,「蛇行の法則」から解決策を導き出すことという「自然」の思想を形成していたといえよう。

第4章 南米とアルジェの都市計画における「自然」の思想本章では,前章にて抽出された概念をもとに,南米とアルジェの都市計画における都市思想を明らかにする。4-1 二つの都市計画本節では,二つの都市計画の計画内容を概観する。(以下,詳述略)

4-2 「見る」という態度ル・コルビュジエは「見る」ことについて次のように述べる。

私は見るという条件を満たしたときにのみそこに存在しているのである。[PR-7]

都市計画において「見る」ことが重視されていたことがわかる。本節では,「性格」「蛇行の法則」という概念との連関から,南米とアルジェの都市計画における都市思想を考察する。4-2-1 「性格」への眼差し「性格」を創造することについて考察する。ル・コルビュジエは,南米の風景に感銘を受け,そのさいに空と大地の境界をなす地平線を見ていた。地平線という情景に喚起されているのであった。そして,地平線が光の列をなす光景から都市計画にたいして示唆されていた。ル・コルビュジエは都市計画における水平線について次のように述べている。

広々とした水平線を眺める人の目は気高いのです(中略)これは都市計画家の省察です。[PR-235]

都市計画において水平線を創造することに至ったのである。そして,リオ・デ・ジャネイロの都市計画において,自然の地形と建

fig.3 南米の都市計画

fig.4 アルジェの都市計画

Page 4: ル・コルビュジエの都市と自然の思想に関する一考察 … · 市(Ville radieuse)」を発表し,ル・コルビュジエは,近代の都 市計画の基礎を築いた。

築の水平線が調和するような都市の光景を描き出した。ル・コルビュジエは,「見る」ことで,自然の「性格」を見出し,都市の「性格」を創造したのである。そして,自然の「性格」と都市の「性格」とが相互作用によって調和を生み出すことを企図していた。4-2-2 「蛇行」という方法「蛇行の法則」の解決策について考察する。「蛇行」は「大地の根元的真理」を現前していると述べ,「蛇行」の現象から人間の世界における奇跡的にみえる解決策として「蛇行の法則」を導き出したのである。都市計画の解決策として「蛇行の法則」はどのように援用されるのか。南米とアルジェの都市計画において,「蛇行」のように湾曲した平面計画がなされている。曲線の形態について説明している。第一に,地形に沿って構造物を伸ばすことで,より広大な地平線を眺められるため,第二に,地形の起伏の最も低い地点を結んでいくことで,曲線の形態となるとしている。そして,第三に,次のように述べている。

創造性を受け入れようと招いている景観を生かすため。水平線に応えることがさらに遠くへ運んでくれることになる(中略)再び自然的な場所,風景となる。[VR-237]

曲線の形態は,風景に呼応するような創造性への衝動に応えた成果なのである。そして,曲線の形態の都市は「再び自然的な場所,風景となる」のである。4-3 都市と自然との関わり合い都市の風景について考察する。ル・コルビュジエは南米の都市像を喚起しながら次のように述べている。

建築?自然?定期船が入港し,新たな水平の都市を見る。それは敷地をなおさら崇高にする。さあ,この広い一筋の光について考えてみよ,今夜にでも…。[VR-224]

水平線に沿って,一筋の光がつらなる都市の情景が映っていた。そのとき,建築と自然の境界が溶け合い,建築と自然が混然一体となるような都市の風景を創造することを志向していた。そして,都市と自然との関わり合いのなかで,ル・コルビュジエがいかなる都市計画を志向していたのかを考察する。『輝く都市』のなかで,作品,人間,自然,という三者の関わり合いについて図式を描いている。自然には「普遍性」と「偶然性」が存在する。人間は自然を「受信」し,人間の創造,つまり芸術作品を「啓示」するのである。そして,「普遍性」は「性格」,「偶然性」は「蛇行の法則」に対応すると考えられる。ル・コルビュジエは,「見る」ことで「普遍性」と「偶然性」を見出し,「性格」として水平線,「蛇行」として曲線の形態を描き出した。そして,建築と自然とが調和し,一体となった都市の風景を創造することを志向していた。

小結ル・コルビュジエは,「見る」という態度から,「性格」「蛇行の法則」を見出し,水平線と曲線の形態として描き出した。そして,南米とアルジェの都市計画において,建築と自然とが調和する都市の風景を創造することを志向していたといえる。

第5章 二つの都市思想と三つの都市計画本章では,二つの著作における都市思想と三つの都市計画とのあいだの関係性を考察する。自然と幾何学は,著作のなかでどのように語られ,都市計画としてどのように描かれたのか。『ユルバニスム』のなかで語られた都市思想は,「現代都市」によって都市像として描き出されていた。都市は幾何学を構成し自然も幾何学によって秩序だてられていた。そして,幾何学の都市のなかで,幾何学的な建築と絵画的な自然とが調和することによって,豊かな都市の風景が生み出されていた。『輝く都市』のなかで語られた都市思想は,「輝く都市」によって記号的なシステムとして描き出されていた。都市は生物学的に機能するものとして幾何学を構成し,自然も記号として表れていた。そして,都市の全体性は機能的なダイアグラムとなり,都市の実像を表すものではなかった。『輝く都市』のなかで語られた都市思想は,南米とアルジェの都市計画によって都市像として描き出されていた。都市は,水平線という人間の普遍的な幾何学と,曲線の形態という自然の偶然的な形を構成していた。そして,その都市像は「自然の法則」と「人間の法則」が統合されたものであった。また,ル・コルビュジエの自然観の転回は,自然の「偶然性」への眼差しによるものであった。

結本研究にて見出された,ル・コルビュジエの芸術思想,および都市思想の特質は,自然と人間,そして都市と自然との関わり合いへの問いであった。ル・コルビュジエは,つねに人間を根幹にすえていた。自然への深い眼差しから,幾何学によって秩序を描き出すことで,自然と人間との共通地平に秩序を築き上げることを命題に,芸術を創造していた。幾何学とは,人間が「自然の法則」から導き出した「人間の法則」であった。普遍的な「人間の法則」として幾何学に成り立つ芸術を創造することを志向していた。そして,ル・コルビュジエは,南米の雄大な自然から「見る」という態度を感得していた。「見る」ことで,自然の「普遍性」「偶然性」を見出し,「性格」は水平線として,「蛇行」は曲線の形態として描き出されていた。都市において,水平線は自然の「性格」との相互作用によって調和を生み出すもの,曲線の形態は自然の風景にたいして応答するものであった。そして,建築と自然が溶け合い,一体となった都市の風景を創造することを志向していた。

主要参考文献1) “La Ville radieuse”, l’Architecture d’Aujourd’hui, 19352) “Urbanisme”, G. Crès et Cie, 19253) “Précisions sur un état présent de l’architecture et de l’urbanisme”, G. Crès et Cie, 1930

4) “Vers une architecture”, G. Crès et Cie, 19235) “L’Art décoratif d’aujourd’hui”, G. Crès et Cie, 19256) “La Peinture moderne”, G. Crès et Cie, 19257) “Almanach d’Architecture moderne”, G. Crès et Cie, 19268) “Une maison, un palais”, G. Crès et Cie, 1928

fig.5「性格」への眼差し

fig.6「蛇行」という方法

fig.7 都市の風景

fig.8 作品,人間,自然