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「香りの迷宮を訪ねて」 (レモンの故郷と官能のタンゴナイト) 山本芳邦 香りを生業にする者にとって、柑橘系、いわゆるシトラスノートは最も重要な香りである。 そもそもオーデコロンの元祖であるケルンヴァッサー(ケルンの水)はシトラスノートの 原点でもある。レモン、ベルガモット、スウィートオレンジ、ビターオレンジ、ライム、グレー プフルーツ。珍しいところではクレメンチンや柑橘樹の葉や小枝だけを水蒸気蒸留した プチグレンという精油もある。オレンジの花からはネロリやオレンジフラワーアブソリュ ー卜が作られる。その様々な柑橘系の天然香料の中でもひときわシャープで爽やかな香 りを生み出すのがレモンである。特に、トップノートで香り立つ爽快感は切れ味が良〈、他 の柑橘製油を凌駕する。その精油採取法は多様だ。その昔、南イタリアのカラブリア地方 では、乾燥した海面にレモンの皮をこすりつけ、浸み込んだ精油を搾って採取していた。 タンザニアでは今でもおろし金の上を転がして精油をとるやり方で行われている。その 後機械化が進み金属の爪で外皮だけを削り取るSufumatorice(スフマトリーチェ)やお ろし金付きの円盤もしくは、らせん状のおろし金の中を転がしながら精油を採取する Pelatrici (ベラトリーチ)という機械が発明され、生産量は劇的に増加した。現在の主流 は、外皮を金属の爪で削ぎ落とすと同時に、果実の中心にノズルを差し込んで一気に果 汁を搾り取るFMCと、一面に無数の細かい針の付いたロール上を転がして外皮だけを 綺麗にはがし取るBrown社の機械である。面白いことに、異なる機械で採取された精油 は同じレモンからのものでも微妙に香りが異なる。精油に含まれる含酸素化合物の比率 が変化するからである。Brown社の機械で採取したレモン精油は、よりフレッシュでフル ーティーな香りがする。この方法で採取すると、果汁と精油が混じりあわないので香りの 変化が最小限に抑えられるからである。 レモンの花をご覧になったことがあるだろうか。とても可憐な白い花が咲く。香りはジャ スミンを少しマイルドにした感じの素敵なフローラル調であるが、残念ながら花から香 料は作られていない。レモンの生産地は世界中に点在するが、スペイン、イタリア、アメリ カのカリフォルニア州やフロリダ州が有名である。そして、南米では世界最大の生産量を 誇るアルゼンチン。その中心地は首都ブエノスアイレスから北北西へ1300Kmの地にあ るサンミユゲル・デ・トゥクマン。1816年、アルゼンチンが独立を宣言した街である。ここ で栽培されているレモンの種類は様々で、リスボア、ジェノヴァ、ユーレ力、サンタテレサ などがあるが、精油量ではサンタテレサが一番多い。世界各地で生産されている品種も 同種のものなのだが、土壌や気候の違い、そして精油の採取法によってその香りは微妙 に異なる。ベテランの調香師になると、産地別の香りを嗅ぎ分けることができる。 レモンの清々しい香りとは裏腹に、ブエノスアイレスの夜を支配するのは極上のレッドワ インと、紫煙漂うシガーの香りである。むせび泣くようなバンドネオンの調べに乗って絡 まりあう男女の影。夜明けが永遠にやってこなくても良いと思えるほど、艶やかにして物 悲しいアルゼンチンタンゴの哀愁が間に切なく溶けて行く。 山本香料株式会社 代表取締役社長(薬学博士)

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Post on 27-Feb-2021

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「香りの迷宮を訪ねて」(レモンの故郷と官能のタンゴナイト)

山本芳邦

香りを生業にする者にとって、柑橘系、いわゆるシトラスノートは最も重要な香りである。そもそもオーデコロンの元祖であるケルンヴァッサー(ケルンの水)はシトラスノートの原点でもある。レモン、ベルガモット、スウィートオレンジ、ビターオレンジ、ライム、グレープフルーツ。珍しいところではクレメンチンや柑橘樹の葉や小枝だけを水蒸気蒸留したプチグレンという精油もある。オレンジの花からはネロリやオレンジフラワーアブソリュー卜が作られる。その様々な柑橘系の天然香料の中でもひときわシャープで爽やかな香りを生み出すのがレモンである。特に、トップノートで香り立つ爽快感は切れ味が良〈、他の柑橘製油を凌駕する。その精油採取法は多様だ。その昔、南イタリアのカラブリア地方では、乾燥した海面にレモンの皮をこすりつけ、浸み込んだ精油を搾って採取していた。タンザニアでは今でもおろし金の上を転がして精油をとるやり方で行われている。その後機械化が進み金属の爪で外皮だけを削り取るSufumatorice(スフマトリーチェ)やおろし金付きの円盤もしくは、らせん状のおろし金の中を転がしながら精油を採取するPelatrici (ベラトリーチ)という機械が発明され、生産量は劇的に増加した。現在の主流は、外皮を金属の爪で削ぎ落とすと同時に、果実の中心にノズルを差し込んで一気に果汁を搾り取るFMCと、一面に無数の細かい針の付いたロール上を転がして外皮だけを綺麗にはがし取るBrown社の機械である。面白いことに、異なる機械で採取された精油は同じレモンからのものでも微妙に香りが異なる。精油に含まれる含酸素化合物の比率が変化するからである。Brown社の機械で採取したレモン精油は、よりフレッシュでフルーティーな香りがする。この方法で採取すると、果汁と精油が混じりあわないので香りの変化が最小限に抑えられるからである。レモンの花をご覧になったことがあるだろうか。とても可憐な白い花が咲く。香りはジャスミンを少しマイルドにした感じの素敵なフローラル調であるが、残念ながら花から香料は作られていない。レモンの生産地は世界中に点在するが、スペイン、イタリア、アメリカのカリフォルニア州やフロリダ州が有名である。そして、南米では世界最大の生産量を誇るアルゼンチン。その中心地は首都ブエノスアイレスから北北西へ1300Kmの地にあるサンミユゲル・デ・トゥクマン。1816年、アルゼンチンが独立を宣言した街である。ここで栽培されているレモンの種類は様々で、リスボア、ジェノヴァ、ユーレ力、サンタテレサなどがあるが、精油量ではサンタテレサが一番多い。世界各地で生産されている品種も同種のものなのだが、土壌や気候の違い、そして精油の採取法によってその香りは微妙に異なる。ベテランの調香師になると、産地別の香りを嗅ぎ分けることができる。

レモンの清 し々い香りとは裏腹に、ブエノスアイレスの夜を支配するのは極上のレッドワインと、紫煙漂うシガーの香りである。むせび泣くようなバンドネオンの調べに乗って絡まりあう男女の影。夜明けが永遠にやってこなくても良いと思えるほど、艶やかにして物悲しいアルゼンチンタンゴの哀愁が間に切なく溶けて行く。

山本香料株式会社 代表取締役社長(薬学博士)