131.薬剤性腎障害の発現機序の解明ならびに対策法 …...図3.amb処置 (a)...

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131. 薬剤性腎障害の発現機序の解明ならびに対策法の確立 矢野 貴久 Key words:薬剤性腎障害,抗菌薬,アポトーシス, ネクローシス 九州大学病院 薬剤部 医薬品により引き起こされる急性腎不全は,薬剤性腎障害と呼ばれ,臨床における重要な課題の一つである.特に,抗菌薬 や抗がん剤の使用における腎障害発現は用量規制因子であり,腎障害の発現により治療の変更や中止を余儀なくされる.しか しながら,多くの薬剤では腎障害発現機序の詳細が依然として不明であり,一部の薬剤に対して輸液による排泄促進や血中濃 度管理といった腎障害回避策が実施されているものの,実臨床における腎障害への対策は十分とは言えないのが現状である. 我々はこれまでに,培養腎細胞やラット,マウスを用いた研究から,ヨード造影剤や抗がん剤による薬剤性腎障害の発現機序を 明らかにすると共に,発現機序に基づいた予防策の提案を行ってきた.そこで本研究では,薬剤性腎障害への対策法の確立 を最終目的として,抗真菌薬であるアムホテリシン B (Amphotericin B, AmB) や抗 MRSA (Methicillin-resistant Staphylococcus aureus) 薬のバンコマイシン (Vancomycin, VCM) による腎障害の発現機序について,培養腎細胞を用い て検討を行った. 方法および結果 1.培養ブタ近位尿細管細胞 LLC-PK1 を 24 ウェルプレートに 3.0 × 10 4 cells/well にて播種し,24 時間培養した後に AmB または VCM を処置した.細胞生存率の変化を WST-8 法にて評価した結果,AmB および VCM はいずれも,濃度ならびに 時間依存的に細胞生存率の低下を引き起こした (図 1, 2). 上原記念生命科学財団研究報告集, 25 (2011) 1

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Page 1: 131.薬剤性腎障害の発現機序の解明ならびに対策法 …...図3.AmB処置 (A) およびVCM処置 (B) によるLLC-PK1細胞からのLDH漏出率変化. LLC-PK1細胞にAmBまたはVCMを処置した際のLDH漏出率の変化を測定した結果,AmB処置郡

131. 薬剤性腎障害の発現機序の解明ならびに対策法の確立

矢野 貴久

Key words:薬剤性腎障害,抗菌薬,アポトーシス,  ネクローシス

    九州大学病院 薬剤部

緒 言

 医薬品により引き起こされる急性腎不全は,薬剤性腎障害と呼ばれ,臨床における重要な課題の一つである.特に,抗菌薬や抗がん剤の使用における腎障害発現は用量規制因子であり,腎障害の発現により治療の変更や中止を余儀なくされる.しかしながら,多くの薬剤では腎障害発現機序の詳細が依然として不明であり,一部の薬剤に対して輸液による排泄促進や血中濃度管理といった腎障害回避策が実施されているものの,実臨床における腎障害への対策は十分とは言えないのが現状である.我々はこれまでに,培養腎細胞やラット,マウスを用いた研究から,ヨード造影剤や抗がん剤による薬剤性腎障害の発現機序を明らかにすると共に,発現機序に基づいた予防策の提案を行ってきた.そこで本研究では,薬剤性腎障害への対策法の確立を最終目的として,抗真菌薬であるアムホテリシン B (Amphotericin B, AmB) や抗 MRSA (Methicillin-resistantStaphylococcus aureus) 薬のバンコマイシン (Vancomycin, VCM) による腎障害の発現機序について,培養腎細胞を用いて検討を行った.

方法および結果

1.培養ブタ近位尿細管細胞 LLC-PK1 を 24 ウェルプレートに 3.0 × 104 cells/well にて播種し,24 時間培養した後に AmBまたは VCM を処置した.細胞生存率の変化をWST-8 法にて評価した結果,AmBおよび VCMはいずれも,濃度ならびに時間依存的に細胞生存率の低下を引き起こした (図 1, 2).

 上原記念生命科学財団研究報告集, 25 (2011)

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Page 2: 131.薬剤性腎障害の発現機序の解明ならびに対策法 …...図3.AmB処置 (A) およびVCM処置 (B) によるLLC-PK1細胞からのLDH漏出率変化. LLC-PK1細胞にAmBまたはVCMを処置した際のLDH漏出率の変化を測定した結果,AmB処置郡

 

 図 1. AmB処置 (A) および VCM処置 (B) による濃度依存的な LLC-PK1 細胞障害.

LLC-PK1 細胞に AmB または VCM を 24 時間処置すると,濃度依存的な細胞生存率の低下が認められた.各カラムは平均値 ± SEM (N=4-8) を示す. *P<0.05, **P <0.01 vs control.

   

 図 2. AmB処置 (A) および VCM処置 (B) による時間依存的な LLC-PK1 細胞障害.

LLC-PK1 細胞に AmB (20μg/mL) または VCM (4 mM) を処置すると,時間依存的な細胞生存率の低下が認められた.各プロットは平均値 ± SEM (N=4-8) を示す.*P<0.05, **P <0.01 vs control.

   一方,AmB または VCM を LLC-PK1 細胞に処置した際の乳酸デヒドロゲナーゼ (lactate dehydrogenase, LDH) の漏出率の変化を測定した結果,AmB を 24 時間処置した群においては濃度依存的な LDH漏出率の上昇が認められたが,VCMの 24 時間処置群では,LDH漏出率に変化は認められなかった (図 3).

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Page 3: 131.薬剤性腎障害の発現機序の解明ならびに対策法 …...図3.AmB処置 (A) およびVCM処置 (B) によるLLC-PK1細胞からのLDH漏出率変化. LLC-PK1細胞にAmBまたはVCMを処置した際のLDH漏出率の変化を測定した結果,AmB処置郡

 

 図 3. AmB処置 (A) および VCM処置 (B) による LLC-PK1 細胞からの LDH漏出率変化.

LLC-PK1 細胞にAmB またはVCM を処置した際の LDH漏出率の変化を測定した結果,AmB処置郡 (A) においてのみ,濃度依存的な LDH 漏出率の上昇が認められた.各カラムは平均値 ± SEM (N=4-8) を示す. **P <0.01vs control.

  2.VCM を LLC-PK1 細胞に処置した際のミトコンドリア膜電位の変化を,ミトコンドリア膜感受性試薬 JC-1 を用いて評価した.また,シトクロム C の免疫染色を行い,ミトコンドリア内のシトクロム C を蛍光顕微鏡にて観察した.4 mM の VCM を 24時間処置すると,ミトコンドリア内における JC-1 の赤色の蛍光が減少する一方で,細胞質における緑色の蛍光が顕著に増加しており,ミトコンドリア膜電位が低下していることが観察された (図 4 B).加えて,VCM 処置群では,ミトコンドリア内におけるシトクロム Cの緑色蛍光が顕著に減少しており,シトクロム Cがミトコンドリアから遊離されたことが示された (図 4 D).

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Page 4: 131.薬剤性腎障害の発現機序の解明ならびに対策法 …...図3.AmB処置 (A) およびVCM処置 (B) によるLLC-PK1細胞からのLDH漏出率変化. LLC-PK1細胞にAmBまたはVCMを処置した際のLDH漏出率の変化を測定した結果,AmB処置郡

 

 図 4. VCM処置によるミトコンドリア膜電位の低下とシトクロム C遊離.

LLC-PK1 細胞に VCM (4 mM) を 24 時間処置すると,ミトコンドリア内の赤色蛍光が減少する一方で,細胞質における緑色の蛍光が顕著に増加した (B). シトクロム C の免疫染色の結果,VCM (4 mM, 24 hr) 処置により,ミトコンドリア内のシトクロム C緑色蛍光が消失した (D).

  3.細胞内の活性酸素種 (reactive oxygen species, ROS) は,ROS 感受性蛍光試薬 DCF-DA を使用してフローサイトメトリーにて解析した.その結果,VCM (4 mM) の処置後,12 時間および 24 時間において,細胞内のROS 活性が顕著に増加した (図 5). 4.アポトーシスの検出には TUNEL (terminal deoxynucleotidyl transferase (TdT)-mediated dUTP nick endlabeling) 法を使用し,フローサイトメトリーにて解析した.VCM (4 mM) を 24 時間処置すると TUNEL 陽性細胞が顕著に増加し,腎細胞にアポトーシスが生じていることが明らかとなった (図 6).加えて,VCM による腎細胞のアポトーシスは,カスパーゼ-3 阻害剤 z-DEVD-FMK (50μM) ならびにカスパーゼ-9 阻害剤 z-LEHD-FMK (50μM) の併用により有意に抑制されることが明らかとなった (図 6). 

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Page 5: 131.薬剤性腎障害の発現機序の解明ならびに対策法 …...図3.AmB処置 (A) およびVCM処置 (B) によるLLC-PK1細胞からのLDH漏出率変化. LLC-PK1細胞にAmBまたはVCMを処置した際のLDH漏出率の変化を測定した結果,AmB処置郡

 

 図 5. VCM処置による LLC-PK1 細胞の ROS産生増加.

LLC-PK1 細胞にVCM (4 mM) を処置すると, 処置後 12 時間および 24 時間において顕著なROS 産生の増加が認められた.各カラムは平均値 ± SEM (N=3-4) を示す.**P <0.01 vs control.

   

 図 6. VCM処置による LLC-PK1 細胞のアポトーシスとカスパーゼ阻害剤の保護効果.

LLC-PK1 細胞に VCM (4 mM, 24 hr) を処置すると, TUNEL 陽性細胞が顕著に増加し,その増加はカスパーゼ-3阻害剤 z-DEVD-FMK (50μM) ならびにカスパーゼ-9阻害剤 z-LEHD-FMK (50μM) の併用により有意に抑制された.各カラムは平均値 ± SEM (N=4) を示す.**P <0.01 vs control, ††P<0.01 vs VCM alone.

   

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Page 6: 131.薬剤性腎障害の発現機序の解明ならびに対策法 …...図3.AmB処置 (A) およびVCM処置 (B) によるLLC-PK1細胞からのLDH漏出率変化. LLC-PK1細胞にAmBまたはVCMを処置した際のLDH漏出率の変化を測定した結果,AmB処置郡

考 察

 AmBおよび VCMはいずれも,培養腎細胞 LLC-PK1 に濃度および時間依存的な細胞障害を引き起こした.一方で,AmBによる腎細胞障害は,細胞内へのNa+の流入や細胞内Ca2+の上昇さらにはMAP (mitogen-activated protein) キナーゼの活性化等によって引き起こされるネクローシスであったが 1),VCM による腎細胞障害はアポトーシスであり,その障害発現にはROS が関与することが示された.加えて,VCM による腎細胞のアポトーシスには,ミトコンドリアからのチトクローム C 遊離やカスパーゼ-9活性化,カスパーゼ-3活性化が関与しており,カスパーゼ-9阻害剤やカスパーゼ-3阻害剤の併用により,VCMによる腎細胞のアポトーシスは抑制されることが明らかとなった. 我々はこれまでに,シスプラチンによる腎細胞障害に ROS が関与するネクローシスと p53 やカスパーゼが関与するアポトーシスのいずれもが重要な役割を担うことを報告してきた 2).また,ヨード造影剤による腎細胞のアポトーシスに対して,プロスタサイクリンアナログのベラプロストが有効であることを報告し 3),海外での二重盲検ランダム化比較試験により,造影剤腎症に対するプロスタサイクリン誘導体の予防効果が明らかにされている 4). 今後さらなる検討が必要であるが,これらの知見が薬剤性腎障害への対策法を確立する上での一助となることを期待する. 

共同研究者

本研究の共同研究者は,九州大学病院薬剤部の大石了三である.最後に,本研究のご支援を賜りました上原記念生命科学財団に深く感謝申し上げます.

文 献

1) Yano, T., Itoh, Y., Kawamura, E., Maeda, A., Egashira, N., Nishida, M., Kurose, H. & Oishi, R. :Amphotericin B-induced renal tubular cell injury is mediated by Na+ Influx through ion-permeablepores and subsequent activation of mitogen-activated protein kinases and elevation of intracellularCa2+ concentration. Antimicrob. Agents Chemother., 53 : 1420-1426, 2009.

2) Yano, T., Itoh, Y., Matsuo, M., Kawashiri, T., Egashira, N. & Oishi, R. : Involvement of both tumornecrosis factor-α-induced necrosis and p53-mediated caspase-dependent apoptosis in nephrotoxicityof cisplatin. Apoptosis, 12 : 1901-1909, 2007.

3) Yano, T. : The etiology of iodinated radiocontrast nephrotoxicity and its attenuation by beraprost.Yakugaku Zasshi, 128 : 1023-1029, 2008.

4) Spargias, K., Adreanides, E., Demerouti, E., Gkouziouta, A., Manginas, A., Pavlides, G., Voudris, V. &Cokkinos, D. V. : Iloprost prevents contrast-induced nephropathy in patients with renal dysfunctionundergoing coronary angiography or intervention. Circulation, 120 : 1793-1799, 2009.

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