国うみ神話に繋がるピラミッドライン
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☆☆☆ 国生み神話につながるピラミッドライン八幡山の南北線上には北から城崎の日来岳、八鹿 町の舞狂山、福崎町の日光寺山、そして、姫路市 別所町の高御位山が一直線に並んでいた。 この南方位線上に、じつはもうひとつ、奇妙な存 在がある。 それは正に八幡山の真南線上に乗っていた。 南方位を っていくと南端の高御位山を経て播磨 に出る。 さらに海上を り行き当った淡路島にそれがあっ た。 ーが、ピラミッドではない。神社である。 南線上にピタリと乗っていたのは、国生み神話の オノコロ島神社だったのだ。 参照⇒兵庫ピラミッドライン国生み神話のオノコロ島オノコロ島神社は淡路島の南淡町にある。 島を縦断する高速自動車道・南淡インターの東北側の平坦地に建っている。ピ ラミッドといえる山上ではない。 祭神は、伊弉諾尊(イザナギノミコト)と伊弉冉尊(イザナミノミコト)ー。 国生み神話に係わる神社である。 オノコロ島とTRANSCRIPT
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☆☆☆国生み神話につながるピラミッドライン
八幡山の南北線上には北から城崎の日来岳、八鹿町の舞狂山、福崎町の日光寺山、そして、姫路市別所町の高御位山が一直線に並んでいた。この南方位線上に、じつはもうひとつ、奇妙な存在がある。それは正に八幡山の真南線上に乗っていた。南方位を辿っていくと南端の高御位山を経て播磨灘に出る。さらに海上を辿り行き当った淡路島にそれがあった。ーが、ピラミッドではない。神社である。南線上にピタリと乗っていたのは、国生み神話のオノコロ島神社だったのだ。
参照⇒兵庫ピラミッドライン
国生み神話のオノコロ島オノコロ島神社は淡路島の南淡町にある。島を縦断する高速自動車道・南淡インターの東北側の平坦地に建っている。ピラミッドといえる山上ではない。祭神は、伊弉諾尊(イザナギノミコト)と伊弉冉尊(イザナミノミコト)ー。国生み神話に係わる神社である。オノコロ島とは「淤能碁呂島」あるいは「自凝島」と書き、 自ずから凝り固まって出来た島の意味である。記紀によればー、 イザナギ命とイザナミ命は、天津神(あまつかみ)一同から国作りを命ぜられ、天の沼矛(あめのぬぼこ)を授かる。二神は天上の「天の浮橋」に立ち、天の沼矛(あめのぬぼこ《沼矛とは、玉で飾った太古の刀》)をもって青海原をかきまわし、その矛を引き上げたときに矛の先から滴り落ちる潮(しお)が凝(こ)り固まって一つの島となった。これが「おのころ島」であり聖書でいえば「エデンの園」に匹敵する。そしてこのあと、国生み神話が始まる。二神はこの島に降り、天の御柱(あめのみはしら)を立て、八尋殿(やひろどの)を建てた。天の御柱を左右から回って出会い結婚した。そして、夫婦の契りを結んで国生みを始めたのである。はじめに造ったのが淡路島で、次いで四国、隠岐の島・対馬・九州と島を生み最後に本州ができたと云う。オノコロ島が何処の島かは定かでなく、候補地として家島や紀伊水道にの沼島(ぬしま)などが上げられている。神話が歴史になった明治政府は国家の樹立に記紀を利用した。日本の歴史は神武天皇に始まるとし、天皇家を全国民の総本家とした中央集権体制を築いた。
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日本は、はるか悠久の昔より神々が住んだ国であり九州の高天原に神々が降臨して大和朝廷が始まったという歴史が取り入れられた。天皇は高天原に降臨した神々の末裔であり現人神(あらひとがみ)であると規定した。そして記紀に従い神武紀元を紀元前六六〇年とした皇紀を制定した。ちなみに、皇紀二六〇〇年が昭和十五年(一九四〇)である。国家の歴史は絶対であり、この歴史に異議をはさむことは非国民とされ弾圧されてきた。しかし、昭和二十年の敗戦で一転した。また、騎馬民族説の出現で大陸との歴史に沿った形での歴史が摸索されていく。記紀神話はすべてが架空の出来事、おとぎ話とした新しい歴史が作られた。だが、昭和四〇年代に入り記紀神話を見直す動きが出てきた。神話の中の出来事には、史実に基くモデルがあるのではないかー。外国の文献と記紀を照らし合わせ日本の真実の古代史を発掘しようとする動きである。昭和四二年に発刊された「まぼろしの邪馬台国」は正に一世を風靡する。中国の史書に記された邪馬台国が信頼できる日本の最も最古の国であるとされ、記紀神話と比較検討されていく。卑弥呼は記紀の中のどの人物なのか。十五代・応神天皇の母・神功皇后ではないか、あるいは、天照大神ではと様々な学説が登場してくる。また、邪馬台国の存在場所も九州から近畿、あるいは沖縄までいたる場所が想定され論争されていく。邪馬台国四国山上説近年、邪馬台国四国説を提唱する人物が現れた。徳島県在住の大杉博氏である。その著書「古代ユダヤと日本建国の秘密」の中で、邪馬台国とは「変な馬を台にしたような国」でありそれは峻険な四国の山々を見渡した形容であるという。四国では明治時代まで山焼きの習慣があった。毎年山を焼き払うため一面に茅が生え火を放つと一斉に燃え広がった。消火などせず一週間でも二週間でも燃えるに任せていた。冬に草山が枯れるとちょうど馬体のような色になリ、それが邪馬台国の意味だと云う。大杉氏は、邪馬台国の中枢を徳島県の剣山山系と想定している。また彼は卑弥呼が記紀のアマテラス神であるとして、記紀神話もまた四国の剣山が舞台であるという。そして、記紀に記された場所を特定していくのだが、奇妙なことは紀伊水道を挟んだ徳島県と紀伊半島にまったく同じ地名が点在しているのである。徳島県を西から東に縦断しするのが吉野川なら、和歌山県を東から西に流れるのも吉野川である。万葉集の雨の香具山が奈良にもあるが徳島の小松島にもある。徳島県に那賀郡があれば和歌山にもある。これらがすべて記紀のトリックではないか、記紀の記述が四国発祥を覆い隠すための作為ではないかと疑うのだ。国生みの神話神話の内容はこの冒頭で簡単に紹介した。イザナギとイザナミの国生みから記紀は始まる。最初に造ったのが「おのころ島」であり、この島に降りて天の御柱(あめのみはしら)を立て、八尋殿(やひろどの)を建てた。酒井勝軍は、この八尋殿がピラミッドのことではないかと云う。先に造った天の御柱が天と地を結ぶメンヒルとするなら、酒井の指摘は確かに的を得ているような気もするのだがー。そして最初に生んだのが「ヒルコ」、これが日本書紀ではオノコロ島である。その次に造ったのが「アワ島」、淡路島である。
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そのあと、四国・隠岐・対馬・九州といった島々をつくり最後に本州ができた。淡路(アワジ)という地名が阿波(アワ)への路(ミチ)という意味で、淡路が通り道の地名だという。国生み神話の冒頭は、日本の開発がまず淡路から始まったことを示している。そしてこの開発を手がけた者たちこそ、古代ユダヤから日本にやって来た者たちである、と大杉氏は云う。ではそれが、いつの時代なのかー?イザヤの来日古代のイスラエルで失踪した一団が二つあった。紀元前六世紀の「十支族」と紀元一世紀の「エルサレム教団」である。そして、これ以外にもうひとつの可能性があるのが滅亡前の「南ユダ王国」である。紀元前七二二年、「北朝イスラエル王国」はアッシリアによって滅亡し北朝のユダヤ人はすべてメソポタミアに捕囚されてしまう。この人たちがのちに云う「失われた十支族」である。そののち、南朝の「ユダ王国」は紀元前六〇五年まで命脈を保つのだが、この間アッシリアに変わって台頭したバビロニアの脅威を恐れていた。この時の宰相がイザヤである。 彼は、バビロニアによって国が滅ぼされるのを予感した。ユダ王国には、数々の財宝とともにユダヤの秘宝「契約の聖柩」があった。これにはモーゼがシナイ山で神から授かった「十戒石板」・「マナの壺」・「アロンの杖」というユダヤの三種の神器が納められていた。紀元前五八六年、バビロニアはエルサレム神殿を破壊した。だがこの時、聖柩(アーク)はなかった。ほかの礼拝用の器具は残っており、全てバビロンへ持ち去られた。そのリストは聖書に記載されている。だが、聖柩だけが消えていたのである。イザヤが、聖柩をひそかにエルサレム神殿から持ち出しはるばると日本の国まで運んだ、と大杉氏は云う。そして聖柩は剣山に隠されたというのだ。
この聖柩の存在が後世の、国家を上げての歴史の改ざんに発展したと大杉氏は指摘する。古事記の記述は、大筋は正しい。しかし、決定的に改ざんしたのは場所である。四国の地名を日本全国にばらまき、九州、島根といった地域を登場させて聖柩の所在を秘匿した。古事記には四国は登場しない。四国は死国にされたと云うのだが・・。
古事記の国生み神話が淡路から出発していることは事実だ。淡路から阿波の国へ、阿波とはまさに剣山を中心とした山麓の国である。剣山には何かがある。
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不思議の古代史
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☆☆☆伝説の剣山
八幡山ピラミッドの磁場が指し示した南南西の方位、それが剣山だった。
四国随一の最高峰、標高一.九五五メートル。この剣山にひとつの伝説がある。剣山の頂上に伝説の「聖柩アーク」が埋まっていると云うのである。
剣山が人工的な山ではないかという噂は昔からあった。剣山系の西に広がる山々と深い谷の中の村、東祖谷(いや)村と西祖谷村では昔から言い伝えられてきたと云う。
この噂を確認した人物がいる。その人の名は、高根正教(たかね・まさのり)。神奈川県の尋常高等学校の校長を務めた名士で聖書研究家だった。高根ほか3人の男が剣山山頂部を発掘したという。表向きは剣山鉱区地質調査だが、本当の目的は別のところにあった。ソロモンの財宝の発掘だ。ソロモンの財宝とは、伝説のイスラエルの秘宝・契約の柩(アーク)のことである。彼は、言霊(ことだま:言葉には魂が宿っているという考え)に精通しており、言霊を使って旧約聖書を解き、剣山にアークが眠るという結論に辿り着いたという。注目したのは山頂付近の鶴岩と亀岩。昭和十一年から三年間にわたり亀岩の下を147m掘り進んだという。彼の探索結果は、「四国剣山千古の謎」(四国剣山顕彰学会刊)でまとめられた。その結論は「・・その人工なる一点の確証は、完全に把握した・・」という。つまり彼の結論は、古来からの言い伝えは事実であり剣山が人工の山だったというのだ。この詳細については伝えられていないが、ネットサイトの情報では、131m地点で巨大な球体型をした太陽岩を発見したといい、さらにその4m奥でも同じ球体の岩を発見、さらに、大理石でできたアーチ門や、高さ15mほどのピラミッド型の空間までも発見したというのだ。今の世なら大ニュースだが、80年前の日本の国家体制は民主主義ではない。この話は瞬く間に政府の耳に入り発掘はストップになった。発掘品は一部を除き全て没収されてしまったという。
話には奇妙な後日談がついている。この噂は日本中の男たちの心に火をつけ、戦後、その価値8000億円ともいわれるソロモンの財宝を求めて多くの冒険家が剣山を目指した。その中に高根正教以上の発見をした男がいるという。元海軍大将・山本英輔。高根たちの掘った穴を特定してさらに奥へと掘り進み、16日目、とんでもない物を発見したという。レンガ作りの回廊の奥に100体以上のミイラが眠っていたというのだ。この山本氏も色々な問題に邪魔され、計画はこの辺りで頓挫したという。高根氏・山本氏などによって剣山が人工の山であり、山頂付近には遺跡のような地下施設がある事が判明したというのだが・・果たして事実はどうなのか。祇園祭この剣山に奇妙な祭りがある。夏の七月十七日、村人が御輿を担ぎ剣山の頂上を目指して一気に山肌を駆け上がっていくという祭りである。 同じ七月十七日、「八坂神社」の祇園祭では山鉾が巡行される。同じ七月、神崎郡内にある祇園神社でもお祀りが行われている。この七月十七日とはー、
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旧約聖書のノアの箱船がアララト山に漂着した日であり、新しい時代が始まった日だというのだ。
旧約聖書「創世記」七章十七節ー。「・・それから大洪水が四十日間、 地の上にあった。水かさが増していき、箱船を押し上げたので、それは地から浮かびあがった。 水はみなぎり、地の上に大いに増し、箱船は水面を漂った。・・・・」そしてやがて雨がやみ水が引き出した。箱船が漂着したのがアララト山だった。そして、新天地で人類が始まる。このアララト山は中東のトルコとアルメニアの国境にあるとされる。祇園祭の山鉾巡行のかけ声が「エンヤラヤー」といい日本語の意味を為さない。しかしこれを古代ヘブライ語で訳すと「我こそは神を誉め讃えまつらん」となるという。この「祇園」が明治に起こった日ユ同祖論の幕開けの言葉だった。一一〇年前のマックレオドも又、祇園祭に触れている。祇園(ギオン)とはシオン(ユダヤのエルサレムのこと)が訛ったものではないか?京都の祇園祭の起こりは疫病の蔓延だったと伝えられる。厄払いのために山鉾巡行が始まったというのだがー。ユダヤのソロモン王が初めて神殿を造り捧げたときの祈りが、ユダヤの民に伝染病が起こらないように祈ったというのだ。そして、祇園祭りではモーゼ山という言葉が用いられている。
平成六年、各種ユダヤ関連物を出している宇野正美氏が「古代ユダヤは日本で復活する」と題した本を出版した。その中で宇野氏は、剣山頂の中に巨大な水溜めが掘られているのではないか、という。洞窟が掘られ水が溜まる。内部は温度と湿度が一定に保たれる。そうした中にあれば、木製品であっても、長期の保存が可能になる。そこに古代ユダヤの「モーゼ契約の箱」が安置されているのではないかと云うのだ。だが、長い年月でひび割れが生じている。剣山の頂上付近では、同じぐらいの高さから、幾筋もの水が噴き出して滝になっている。下界で水不足といわれる年でも、剣山頂から二百メートル下ったあたりでは、同じ高さから幾筋もの滝が流れている。剣山の中に膨大な量の水が溜まった池があるのではないかと云うのだ。◆麁服(あらたえ)たしかに剣山系の村々には奇妙な事実が多々ある。その一つが皇室との隠された関係である。天皇即位の「大嘗祭(だいじょうさい)」。この大嘗祭に使われる神聖な神衣の「麁服」。大嘗宮内陣の第一の神座に供えられる。平成天皇の大嘗祭にも用意された。この麁服(あらたえ)を貢ぐのは徳島県木屋平村の「三木家」と決まっている。 木屋平村は剣山系の山の奥「三木家」は、その山中の村の山頂近くにある。家の裏に尾根を走る古代の山上道路がある。昭和三九年まで公立の小学校があった。学校は明治十二年の建立だった。その頃は木屋平村の中心が頂上にあった。この三木家の庭で、麁服の材料が栽培された。大麻である。盗難・いたずら防止のため、畑の周囲に竹垣と鉄条網がある。ここで種まきから刈り入れまでの三ヶ月間、二
三木家
大麻を栽培した畑
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十四時間体制の監視がつづく。作るのは必要な四反の麻布の原料である。麁服は、古来、阿波国の忌部(いんべ)氏が貢ぐものと定められていた。三木家は忌部氏の末裔である。
学校の碑
◆麁服(あらたえ)
古文書によればー、 永仁六年(一二九九)十一月・後伏見天皇。延慶二年(一三〇九)六月・花園天皇。文保二年(一三一八)十一月・後醍醐天皇などの記録が残っている。麁服の運搬について、朝廷は通過国の国司に道路の清掃を命じてうやうやしく見送れと命令したという。これが一時期、中断した。南北朝争乱で阿波忌部氏は南朝について負けて四散した。南北朝合体後は朝廷が勢威を失い麁服の献上が途絶えた。復活は維新後の大正天皇からー。昭和天皇の記録が残っている。昭和三年四月から用意し、木屋平村の麻畑で蒔(まき)付けされ十人の青年が管理した。八月・抜麻式。九月・麻紡式。その月の終わりに織初式が挙行された。これには八名の若い女子が選ばれ、朝風呂に入り神主のお払いを受けた後、織殿に入り作業が許された。厳粛に織られた麁服は厳粛に京都に運ばれたという。平成天皇の大嘗祭は東京の皇居だった。 麁服は木屋平村の山上から厳粛に運びおろされ新幹線で東京まで運搬された。この時の器は二つ、カムフラージュの偽物まで用意されていたという。◆阿波国風土記奇妙な事実がある。現在、日本に残る風土記は六点、その中に阿波国風土記がない。だがそれは、徳川家と阿波徳島藩に明治初年まであったことが確認されている。昭和五年、小杉榲邨(すぎおみ)氏が「阿波古風土記考証」という本を出版した。このとき、風土記が一斉に消えた。小杉氏の「阿波古風土記考証」も同時に消えた。阿波国の歴史が何者かによって封印されてしまったというのだ。この阿波国の歴史をしつこく調べていたのが徳川幕府だという。徳川光圀が阿波・淡路の古代天皇の葬場を調査せよと命令し、徳島藩では普請奉行が中心となり阿波と淡路の古代天皇葬場を調査しつづけたという。四国・阿波国には秘められた歴史があるらしいというのだ。◆山上の集落
剣山系に入ると、国道から見上げる山上に点々と立ち並ぶ民家をご覧になるだろう。現在は国道が
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谷川に沿って走っている。この国道は大正時代になってから開発された道である。剣山系の道は山々の尾根にあった。人々は山上の道路に沿って住み生活圏も山の上にあった。山の上にある家ほど金持ちで位が高かったという。山上集落の名残りは他の地域にもあるが、ここほどは顕著に残っていない。時代が下るに連れて人々は山を降りた。平坦な平野で暮らすことに慣れていった。なぜこの地域だけに山上の暮らしが残ったのか。山の下には平野がなかったのだ。見上げるばかりの急峻な山と川の流れだけで一杯になるほどの深くせまい谷底、それが四国の剣山系ー、なのである。
◆クルス堂
◆栗枝渡(くりしと)神社はクルス堂
四国山系には奇妙な存在が多々ある。東祖谷村の中腹に八幡神社があるのだが、この神社がちょっと奇妙である。この神社には鳥居がなく正面の瓦紋には十六弁菊花紋が使われている。「栗枝渡の御火葬場」には神籠があり案内板には、安徳天皇を火葬した場所と説明されている。 史実では、安徳帝は壇ノ浦で入水した事になっているが、屋島の合戦後にこの地に落ちのび余生を全うしたという。この「栗枝渡」は「くりしと」と読み元は栗須戸(クリスト)神社といったとも云う。クリストとはキリストのギリシャ語で救世主を意味するものであり、地元ではこの境内を「クルス堂」と呼んでいる。
白人神社の石積み徳島県穴吹町にある白人神社。まさに白人神社だが、これは「しらひと」と読み「知らす人」の訛化だという。この神社の西の丘に白人神社の古社があり、そこには「五社三門」と呼ばれる完全な形の磐境(いわさか)が残っている。その形、古代ユダヤ教の祭壇の石積みとそっくりだと云うので多くの人が調査に訪れている。
◆悲願寺の灯台徳島・剣山系神山町の山奥に神山神領という所がある。千人程度なら住めるほどの平坦地だが、この中心に悲願寺があり寺の庭に灯台がある。江戸時代、この灯台はもっと山中の切り立った崖の上に立っていた。この灯台が一年中灯されていたというのだ。灯明は、はるか吉野川からも見えたし徳島からも見えた。 だがこの灯台は海上の船とは何の関係もなく、山の頂上で二五〇年間、灯りつづけた。灯火の守護に数家が選ばれ一日でも絶やすと斬首と定められていたという。 徳島藩は阿波の国の歴史を探り日本の根幹に係わる何かを発見したのではないかという。◆アワへの道宇野氏は云う。その秘密とは剣山に隠された「モーゼの契約の箱」である。
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そして、空海の四国八十八カ所の霊場もこの剣山を意識して造られたという。日本最古の歴史書「古事記」、この中の「国産み神話」、イザナギとイザナミが最初に国を生んだのは第一に淡路島、そして四国である。淡路とは、分解すれば「アワへの道の島」。このアワとは阿波であり今の徳島県であるという。
イザヤここへー、約二七〇〇年前、旧約聖書の中のイザヤとその妻、そして、南ユダ王国の者が古代ユダヤの秘宝「契約の箱」を持ってきたというのだ。秦氏のルーツを追って古代イスラエルの歴史を垣間見た。その章を参照しながら読み進んでいただこう。紀元前七二二年、北朝イスラエルがアッシリア帝国に滅ぼされ十支族がメソポタミアに捕囚された。この後、南ユダ王国もアッシリアの攻撃を受けるのだが、神の奇跡が起こりアッシリアを撃退する。こののち、ユダ王国が滅亡するのは一二〇年後の紀元前六〇五年ー。アッシリアに変わり台頭した新バビロニアの攻撃によりエルサレムは陥落、イスラエル人はバビロンに捕囚される。この時、エルサレムの神殿にあった数々の宝物がバビロンに持ち出されてしまうのだがー、モーゼの契約の箱、いわゆる「聖柩アーク」だけが無かったのだ。紀元前七二二年、北朝を滅ぼしたアッシリア軍は勢いに乗じて南ユダ王国まで迫った。この頃の王は、ヒゼキヤ王。彼は抵抗しても無駄と考えてアッシリア王へ申し出る。「我らはあなたに手向かうことが出来ない。どうか・・・・」ヒゼキヤはソロモン神殿や王宮の銀や神殿の柱に貼られていた金まではがしてアッシリア王に献じて窮地を逃れた。このヒビキヤの傍にいたのがイザヤである。彼は政治家であると同時に予言者でもあった。そのころ、 南ユダの周囲の国々から多くの見舞いの使者がやって来た。 その中にバビロニアの王からの使いもいた。使者は王からの手紙と贈り物を届けた。ヒゼキヤは素直に喜び、その使者に宮殿の中の宝石・金・銀など宝物蔵の中の全部を見せてしまったのである。イザヤは、ヒゼキヤのやったことを聞きそして恐れた。 次ぎに来るべきものを、である。イザヤは云った。「万軍の神の言葉を聞くべきである。見よ。あなたの先祖たちが今日まで蓄えてきたものが、すべてバビロンへ運び去られる日が来ている。何一つ残されない、と神は云われる。また・・」(イザヤ書第三九章)神との対話イザヤは彼自身が若かったときに不思議な体験をしている。イザヤ書第六章ー、「わたしは高く上げられた王座に座しておられる神を見た。 その裾は神殿に満ち、ケルビムがその上に立っていた。彼らは六つの翼があり・・」このとき神はこういわれた。「だれを使わそう。だれが我々のために行くだろう」この言葉に対しイザヤは直ちに答えている。「ここに私がいます。私を遣わしてください」主語と述語はあるが、目的も意味も分からない問答である。神はこの後、つぎのように述べる。
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「行ってこの民に言えー。『聞き続けよ。だが悟るな。見続けよ。だが知るな』 この民の心を肥鈍らせ、その耳を遠くし、その目を堅く閉ざせ。自分の目で見、自分の耳で聞き、自分の心で悟り、立ち返って、いやされることのないために」何の意味なのか、さっぱり分からないだろう。 しかし、これを預言として訊くとこの謎が解けていく。何となく・・だが。イザヤには、若き日の神の言葉がきょうの日の為にあったことが分かった。するべき事は神からすでに命令されていた。エルサレムから「契約の箱」を持ち出す。そして、持っていく。その行き先が日本である、と宇野氏は云う。古代ユダヤの秘宝・モーゼの契約の箱「聖柩アーク」を携えて、イザヤを筆頭とした南ユダ王国のユダ族・ベニヤミン族、そして、祭祀を司どるレビ人たちが黒潮に乗ってはるか東方の日本にやって来た。淡路島に着き阿波国にいたり、彼らは剣山を加工してその中に「聖柩アーク」を納めた。聖柩アーク・契約の柩イスラエルには三種の神器がある。その第一が契約の十戒を刻んだ「十戒石板」第二が「マナの壺」。 エジプトを脱出し約束の地カナンに入るまで絶対神ヤハウェは食料として「マナ」を降らせた。白いウェハースのようなもので甘い蜜の味がしたが太陽が昇ると溶けたという。ヤハウェは、一オメル(二・三リットル)のマナを代々蓄えるようモーゼに命じた。これを入れた黄金の壺が「マナの壺」である。第三が「アロンの杖」。エジプトのファラオの前で生きた蛇になった杖だ。 ナイル川に浸すと蛙やブヨ、イナゴ、疫病が発生したり燃える雨を降らせたりする奇跡の杖である。この三つの宝物を収めた箱がイスラエルの至宝「契約の柩」で 「聖柩アーク」といわれるものである。「聖柩アーク」すなわち、イスラエルの「三種の神器」の事である。ではそれは、どういうものなのか。イスラエル人と契約した絶対神ヤハウェは神殿の製作を命じた。使用材・寸法・造る人まで箱の造り方も指示した。 「アカシヤ材で作れ。寸法は、縦二・五キュビット、横一・五キュビット、高さ一・五キュビット、内側も外側も純金で覆い、金の飾り縁を作る・・」(出エジプト記二十五章)このアカシヤ材とは砂漠アカシヤで棘があり素手ではつかめない。皮をはぐと硬質の白い木材である。一キュビットは約四十四センチ。つまり、長さ一一〇センチ、幅と高さが六六センチのサイズの純金の箱である。また、純金の「贖(あがな)いの蓋」を作りその蓋に黄金で作った「ケルビム」を一対、配置した。ケルビムとは複数のときに使う言葉で一体のときは「ケルブ」という。 これは天使を指しているようで 有翼人間のような形をしている。それが二体、向き合っている。箱の下端の四隅に金の環が取り付けられこの環に棒を通して担いだ。この棒は抜いてはならない。安置しておくときも指したままにしておくのである。これをイスラエル人は担いだ。担ぐ担当は祭祀専門部族のレビ族の者に限られている。このアークのレプリカが日本の御神輿ではないかと云われている。秋祭りになるとワッショイワッショイと多勢の人間でにぎやかに担ぎ練りまわる。この祭りの形がイスラエル人の聖柩アークを担いで運んだ様とまったく同じだというのである。邪馬台国四国説
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四国・邪馬台国説を提唱する大杉博氏は、平成四年に「邪馬台国は間違いなく四国にあった」と題する本を出版した。以来一貫して四国の山上集落を研究し次々とその全容を明らかにしているのだがー、四国山地には現在も高地性集落が残っているが、その集落の畑から弥生土器や石器が出てくるという。山上には山焼きの習慣が明治十二年頃まで続いており全体が草山だった。山並みの稜線に細い道路が通り少し下ったところに集落があった。飲用水の確保は溜め池だった。四国山上には大小無数の溜め池またその跡地が見られるという。その全部が人工の池であり、池の周辺からは弥生式土器の破片や池の中からは弥生式の完全な壺まで発見されたという。そして、卑弥呼=天照大神として四国山上が記紀の云う高天原であり魏志倭人伝の云うところの邪馬台国であるとしているのが彼の邪馬台国論である。大杉氏もまた、剣山上に「モーゼの契約の箱」が秘匿されているという。 彼はその著書で云う。明治天皇の即位は十六歳、このとき天皇は三種の神器のひとつ、八咫(やた)の鏡を調べたという。鏡の裏に文字があった。文字はヘブライ語。意味する所は「我は我にて在るものなり」。このあと明治十六年、キリスト教が解禁になったというのだ。この八咫(やた)の鏡を御神体とする伊勢神宮。内宮と外宮の参道には石灯籠が並んでいる。その灯籠に彫り込まれたマークは十六弁菊花紋とカゴメ紋ー。そのカゴメ紋とは正にダビテの六茫星なのである。ヒミコ本編はピラミッドから古代日本を追っている。邪馬台国が九州か大和地方か四国にあったかどうかは主題ではない。日本歴史の全容がつかめれば自ずから浮かんでくるのではないかと思う。卑弥呼が、記紀の中の天照大神ではないかという人が多い。卑弥呼は日本の女王だという。倭人伝の記載からである。
本編はヒメコはヒミコで「日・巫女」ではなかったか、ピラミッドのある所にピラミッドの数だけヒミコがいたのではないか、と考えている。ヒミコは名前ではなく職制ではなかったかと考えているのだ。
ところが、ヒミコ=天照大神がじつは女ではなく男だったという話がある。神社の伝承をたどると、天照大神が女になったのは記紀編纂以後のことらしい。それ以前は男神だったというのだ。古代史研究家の原田常治氏が全国の神社をたずね歩き膨大な伝承を収集した。そして神々の系譜をつないだところ、記紀の編纂される八世紀以前に成立した神社には天照大神を祀った神社はひとつも存在しなかったというのだ。その一方に「天照」のついた神社があった。天照大神ではあるのだがその正式名は「天照国照彦」という男名だったというのだ。こうなると卑弥呼が女王だったというのも怪しくなってくる。 ヒミコは「日・巫女」ではなくなってくる。だが、そう慌てることもない。たとえば聖徳太子、である。聖徳太子の若かりし頃の名前を何と云ったか。廐戸皇子=うまやどの みこ、と呼ばれた。「ミコ」、である。聖徳太子ばかりではない。成人するまでの天皇は全て、××皇子(みこ)と呼ばれている。神々もまた、××命(みこと)。ヒミコは「日・巫女」ではなく「日・皇子」だったかもしれない。ピラミッドにいたのは「日・巫女」ではなく、「日・皇子」であり、「日・命」だった可能性も十分にあるのだ。
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記紀は聖書なのか奇妙な話がつづいている。しかしここにもう一点、奇妙な話をお届けしたい。日本人の祖先は果たして古代のイスラエルからやってきたのか。じつはこれを示唆する古文書がある。得体の知れない奇書ではない。日本の正史・古事記と日本書紀、この歴史書の中にその示唆があるのだ。
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☆☆☆驚異の事実!
古事記は聖書の日本語版かここに興味深い一説がある。古事記がじつは聖書の日本語版だと云う。これは根本某氏が、インターネット上で展開しておられる一説である。(http://homepage2.nifty.com/greatnoon/)
論証は古事記に現れる神々と聖書の神々の人数を照らし合わせていく。その人数がピッタリと符合していく。非常に長い話なのでとても全部を紹介できるものではないが、ここでは冒頭の国生み神話に係わる部分と、アマテラス神の部分を抜粋して紹介する。
①古事記と聖書の冒頭★古事記は国生みだが、この国々も神の数に入れる。イザナギとイザナミの最初の子どもは「ヒルコ」である。ところが、この子は葦の舟で流してしまう。次に「アワ島」が生まれるがこれも数に入れない。古事記はその理由を説明しない。☆一方の聖書は、アダムとイヴとの間に生まれた子供が、カインとアベルである。同時に彼らは聖書における最初の殺人事件の犯人と被害者でもある。
兄のカインは弟アベルを殺害しエデンの東に追放される。古事記のヒルゴとアワ島の不可解な排除は、カインが弟アベルを打ち殺して追放される聖書の話によく似ている。
②このあと★古事記はイザナギとイザナミは大八島(大八州)と六つの島(国生み六島)を生む。大八島とは日本の主な島々と列島四島のことで、六つの島とは九州・四国沖の島々を指す。
☆聖書ではこの後、アダムとイヴに三人目の子ども「セツ」が生まれる。
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アダムの系譜は、第三子セツと第一子カインの二系統で広がっていく。古事記の六つの島はカインの系譜六代を指し、本州の大八島は聖書・セツ系譜の八代を指す。これを系図で確認するとー、!!セツ系図""第三子セツを含む系譜上の八人が古事記の大八島にあたる。アダムから九代目の⑧レメク(ノアの父親)で区切られる。!!カイン系図""ここでの注目は六代目の四人だが、古事記の六つ目の島は、⑥の両児の島!天の両つ屋"でそれぞれ二つずつあり、合計で四つになりこの点も付合する。
③このあとの聖書と古事記
☆聖書では、!セツ系図"⑧レメクの子どもが「ノアの箱船」で知られる「ノア」である。(アダムから十代目)。このノアから十一代目の子孫が「アブラハム」である。
★古事記では国生みを終えて神生みがはじまる。聖書の「ノア」に対応するのがその最初に生まれた神様だがその名前が「大事忍男」という。「大きな事を忍ぶ男」…これがノアである。
☆ノアが聖書のなかでも特別な存在であることは記述の端々にうかがえる。!!セツ系図""の八代、平凡な記述がズラズラとつづき、ノアの代になって急に次のような記述になる。レメクは一八二歳になって男の子を生み「この子こそ、ヤハウェ神が地を呪われたため骨折り働く我々を慰めるもの」と言って、その名を「ノア」と名づけた。…ノアは五〇〇歳になって、セム・ハム・ヤペテを生んだ。箱舟から出たノアの子らは、セム、ハム、ヤペテであった。…この三人はノアの子らで全地の民は彼らから出て広がった。ノアの大洪水によって人類は一度滅びた。そして箱舟から出てきたノアの三人の子どもが、現存する全ての人間の祖先となったと聖書はいう。
このあと本文では、古事記・聖書ともに、47人の神(人)が対応しながら並んでいくがその全部はとても紹介できない。ここでは対応が目的ではないので、聖書の系図と古事記の神々が数の上でピッタリと対応していることを確認していただきたい。
④神代ラスト・アマテラスーアブラハム 聖書系図では、このあと四八人目にアブラハムが現れる。このアブ
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にアブラハムが現れる。このアブラハムに対応するのが、アマテラスである。双方ともに重要な人物として扱われており、この対応もピッタリである。こうして系図を比較すると見事なまでに一致していくことが分かる。どちらも初代から五人の子が生まれ、五人の内の一人から更に五人の子が生まれている。また、二代目の一人から二人が生まれその子から三人が生まれている。系図の対応から云えば、⑫デタンがイスラエルから日本に来たこと、それが「天孫降臨」になる。
古事記ではアマテラスから神武天皇へと系譜が引き継がれていくが、聖書の系譜はここで終わる。古事記が聖書を受け継いだ事実の記録なら、ケトラ系図は、日本で後世に連がったことになり、旧約聖書の系図が⑮レウムで途絶えたのは当然の結果といえるのだがー。この系図からだけ考えるとー、日本に来たのがー、⑫デタンとその子どもたちの、⑬アシュル⑭レトゥシュ ⑮レウムであり、その日本名が、⑫邇邇芸(ニニギ)命 ⑬火でり命⑭火すせり命⑮火おり命となる。記紀で云う天孫降臨は、⑫邇邇芸(ニニギ)命である。
ここに示したアブラハムとケトラの系譜は「正統」ではない。ケトラとは、アブラハムが最初の妻・サラが死んだあと、新たに迎えた妻(愛人)である。このあと千年以上つづくユダヤ苦難の歴史は、正妻サラの子である嫡子・イサク、その子のヤコブを通じて受け継がれていく。このヤコブがイスラエルを名乗りヤコブの十二人の子供たちから構成されたイスラエル十二支族が世に言うイスラエル民族である。◆参照#亡国のイスラエル
付記しておくと、記紀がベースにしている系図はそれ以前に分岐している訳であり、記紀系図の神々はイスラエル民族ではない。
アブラハムには事実上の妻が三人ある。ひとりは正妻のサラ。サラの子「イサク」は、後のイスラエル十二部族の祖先となった。 二人目は愛人のハガル。サラの女奴隷だったが、サラに子供ができないので愛人として迎えられイシマエルを生む。しかし、正妻のサラに子供ができると追い出されてしまう。
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アブラハムは、正妻サラと愛人ハガルとの間に一人ずつ子を設けた。サラの子イサクからイスラエル民族が生まれ、ハガルの子イシマエルから、アラブ民族が生まれたという。 アブラハムはユダヤ人とアラブ人共通の祖先とされて、今日でもユダヤ人・アラブ人双方から尊敬と信仰を受けている。
第三の系譜・ケトラ系譜アブラハム=ケトラの系譜は「第三の系譜」である。聖書に詳しい者でもケトラの系譜を知る人は少ない。誰もが見すごす系譜を、なぜ古事記は選んだのか。その答えは聖書のなかにある。 ーアブラハムは、ふたたび、妻をめとった。名をケトラという。 彼女は、ジムラン・ヨクシャン・メダン・ミデアン・イシバク・シュワを産んだ。ヨクシャンの子は・・・。デダンの子孫は・・・。ミデアンの子孫は・・・。これらはケトラの子孫である。(創世記二五章・一ー四)
聖書には「これら」の子孫はアブラハムの子孫ではなく「ケトラの子孫」だと書いてある。
古事記はフィクションか?さらに、系図だけでなく物語にも類似性があるという。有名な大国主神話も聖書のヤコブ物語の焼き直しの体裁を示している。西部劇の銃が時代劇で刀になって物語が作られるように・・である。もしそうなら、記紀の細部を検証していくこと自体まったくの徒労であり、ウソの焼き直しになるだけだ。フィクションとして楽しむだけなら問題はないのだがー。古事記を記した太安万呂は、何のためにアマテラスを女神とした女系の系譜をベースに選択したのだろうか。その意図とする所はどこにあっただろうか。ただひとつ云えることはー、記紀が作られてから一三〇〇年になる。世界で一三〇〇年以上同じ王統がつづいている国は他にはなく、この系図を使用した国家の歴史書は日本の国以外にはない、ということである。記紀の記述がフィクションかどうかは別にして、太安万呂がなぜこの系図を使ったのか、この辺りに焦点をおいていくと奇妙な推論が出てくるのである。
男神アマテラス・女神アマテラス記紀の記述でもっとも大きな問題がアマテラスである。このアマテラスは本当は男神ではないか、という疑問である。記紀の製作は八世紀初頭、それまでの歴史書を整理して正式な歴史書を編纂したという。記紀以前に歴史書があったのか・なかったのか、日本書紀には「ある一書に曰く」という書出しが多く見られ、それまでの日本に歴史書が存在したことを示唆している。記紀が記したアマテラス系図はそれまでの歴史書にも載っていたのだろうか。神社の色々な祭神から察すると、全く同じでないにしてもそれらしき系図があったと思われる。このケトラ系図は記紀以前のどれかの歴史書に記録されていたのだ。太安万呂はそれを利用した。でなければ、こんなにピッタリとは合わない。問題はアマテラス・・である。
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アマテラスが記紀成立以前は男神だったという話は述べた。古代史研究家の原田常治氏が発見した貴重な資料だ。記紀以前のアマテラス女神は同じ天照大神だが、正式名は「天照国照彦」という男名、つまり、アマテラスは男神だったというのだ。それを記紀で女神にした。よくある解釈はこの時代の女性天皇の話だ。この時代によくあった女性天皇を正当化するために記紀で女性の大神を作ったというのだが、あまりにも薄っぺらだ。その程度の話で後世何百年にも残る歴史書を変えたりしない。聖書系図に対応する古事記系図のアマテラスが男神なら、古事記以前はアブラハムに対応していた訳だ。それが女神に変更されたことでアマテラスはケトラに対応したことになる。これがどのような意味を持つのか。古事記を作った太安万呂は太氏で、この太氏は秦氏の支族といわれる氏族だ。古事記が製作された時代、日本の国では神社仏閣がどんどんと建設され、全国の秦氏はメキメキと力をつけていた時代である。この数十年後には秦氏の甚大な協力の基に平安京が建設されるのだ。この頃の朝廷に秦氏の影響がなかったなどととても考えられない。秦氏の影響・・となればー、アブラハムからケトラに変えた理由があるのではないか。聖書には「これら」の子孫はアブラハムの子孫ではなく「ケトラの子孫」だと、ただし書きまである。これを裏返すと、アブラハムの子孫は正妻セツのイサク・ヤコブのラインで後のイスラエル民族であり、ケトラの子孫はアブラハムの子孫ではないわけだ。元へ裏返せば、アブラハムの子孫ならイスラエル民族、ということなのだ。この辺りに記紀の操作があるのではないか。日本の歴史には男と女のアマテラスがいたことになる。そして実にこの男と女のアマテラス神は、日本のピラミッド山・・・磐座(いわくら)の山にひっそりと祀られているのである。そしてこの男のアマテラスこそ、日本の神社の中の本当の神・・なのである。男神アマテラスとは何者なのか。
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