。中 - nias2 故 郷 の 街 を 散 策 す。中 学 時 代 の 通 学 路 を 行 く に 、...

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1

天気晴朗、所用ありて博多をめざす。博多はわが生まれ育ちし故郷なれば、久し振りのこ

ともありて、恩師友がきの顏いくたりか思ひ浮かび懐旧の念浅からず。

途次サービスエリアにて休息せむとて、車降り見あぐれば、澄み切った青空の眞中を飛行

機雲の白き一筋、博多に向かひて伸び行く。那珂川河畔の砂浜に

て夏遊びせし幼少の想ひ出胸に忽然たり。

かの夏に帰らむすべや飛行機ぐも

2

故郷の街を散策す。中学時代の通学路を行くに、その狭隘にして短きこと思ひのほかなり。

わが町の主幹道路と思ひし往時との感覚の隔たり年月の隔たりに等し。されど半世紀変はら

ざる看板、店構へ、小公園もあり。見覚えある簡易食堂あれば、入りてかき氷を求む。暫し

のち、予想せざる豪華なるかき氷きたりて、それ食し終はれば、口中いささか冷えたり。小

学生時代、町内対抗の野球大会練習のあと、何度か上級生、中学生含め、皆で食せしかき氷

は、粗末なプラスチックの容器、多くはなき量のかき氷に、

赤或いは緑の蜜かかり、頂きに砂糖ふりかけてありたり。

かき氷五円の頃の空のあを

3

昭和三十年代のことなり。柳橋連合市場辺りの那珂川は水澄み、夏来れば近隣の子供集ひ

きたりて川泳ぎ魚釣りに興ぜり。博多湾遠からずして干満あり、潮引けば半分ほどは砂場と

変じ、恰好の遊び場とはなれり。少年野球が中心なれど、水際に川砂の堰せ

つくりメダカ追込

むもまた愉しみのひとつなりき。囲み終はりて暫しのあと潮満ちきたれば、自から堰崩れメ

ダカまた川へ戻れり。

時移り事去り、今当地訪ふに砂浜少なく、人影もなし。戯れに水際に下りて、昔日を思ひ

砂を盛り上げ堰つくれり。思ひがけざるは、川の水澄みてメダカまた昔日のごとく多数群れ

泳ぎたることなり。

幼な日やめだか囲ひし砂のせき

4

山影のうつろひ、雲のおもしろき形、落葉の流るるが如き散り様に情味おぼゆる齢とはな

れり。壮年多忙なる日には思ひよらざりしことなり。遡れば幼き日の景色音調忘れがたきも

の二、三あり。十歳越えしばかりの頃ならむ。真夏の縁側にひとり暑さ避けし折のことなり。

心づけば夕焼けにあたり一面茜色に染まりて、四囲に音なく刻は今

とも遠き過去とも知れず覚えたり。いひ難き不思議の想ひ今に忘る

る能はず。

遠き日に思ふ彩い

あり夕焼

5

わが亡父生業は博多人形の彩色にして、亡母家事の傍らそれを扶た

く。父母とも朝早くより

家内の仕事場に絵筆をとる。還暦過ぎてより数年にて人形製作停止せしが、最後の作、黒田

武士母里

太兵衛の人形は長子たるわが家にあり。父は春卯月に逝きしかど、追懐するは幼少

時蝉盛んなる頃のこと多きは、蓋け

し長き夏休みのためやらむ。

武士

もののふ

のひとり立てるや蝉しぐれ

6

ひと日、志賀島に遊ぶことあり。高校卒業以来のことなり。海の

中道より島東側をめぐり宿舎へ向かふ。島内に万葉の歌碑十ありと

聞きしは中学遠足の機にあらずや。途次玄界灘の風強く波荒くして、

岩に砕け散るさま北斎浮世絵のごとくなり。

夕暮れて宿舎前の砂浜に出るに、既に海水浴の季過ぎたれど、砂

浜に足跡つけ遊ぶ子供、貝殻を拾ひ興ずる若夫婦などありて寂しか

らず。強き潮の香、寄せ来る波の音、遠き昔泳ぎ遊びし海浜なれば、

またこれ万葉人も味はひしものと思へば、感慨禁ぜざる宜なるべし。

行く南風

の昔変はらぬ潮香かな

7

列車日帰りにて福岡へプロ野球観戦に赴く。今の鴻臚館跡なる平和台球場に父に連れ行かれしは昭和三

十年代、浮沈ある地元球団の強く活気ある時代のことなり。整然たるスタンド、夏空を区切るドーム、グ

ラウンドの芝生、桑滄

そうそう

の変の感禁ぜず。また観客も蓬頭

ほうとう

垢こう

衣い

は小綺麗な身なりに、荒声の野次は女性含め

た行儀よき応援に変ぜり。各段の年月隔たりなれば、当然至極のことなり。

途中ビールの勢ひもあり、懐旧の念とまらず。小学生高年次の夏休み、町内

対抗の少年野球がため、朝未だ暗く球も見え難き刻から毎日練習せしこと、に

も拘はらず野球部員所属の他の町に手もなく捻られしことなど、思ひ起せば尽

きず。眼前の試合経過に身は入らざれど、懐旧に浸り得たる価値、入場料旅費

回収しえて余りあり。

夏野球思ひは遠き昭和かな

8

近くの神社に立ちたる幟見て、散歩の途中寄りてみれば、子供相撲大会開催されてあり。

関係者ならざれば、やや離れて窺ふ。十五人ほどの児童、まわし姿にて土俵に並びて開会式

なるべし。

子供の頃、最も近き神社の秋の行事に少年相撲大会あり。親しき友我が小学校代表として

出場したれば応援に行きしことあるを思い起せり。その友、体格良く膂力あれど、当時栄養

状況良くはなきを鑑みれば、今ならば普通の体格なるべし。団塊世代のこととて父兄子供見

物人雑踏、われ遠くより人の隙間越しに覗きたり。身体細く痩せて、まはし重たげなる選手

も多かり。我れ同情の感あれど、それ無用にて選ばれるに相応の力と技能あり、我が友もそ

のやうなる選手にあへなく敗退せり。

華奢

きゃしゃ

な児の厚きまはしの勝ち相撲

9

近くに石榴

の木あり。初夏に咲く橙赤色の花美しく、秋の初めの球形の果実にも異国風の

趣きあり。

子供の頃、一軒隣の家に石榴の木あり。入りくみし住宅地のことゆへ樹木殆どなく、まし

て果実なる木は他に無花果

以外知らざりき。

彼の家の主、毎年きまりたる時期に、少なから

ざる量の石榴我が家に分けくれたり。その家の子と低くはなき木に登りて果実捥も

ぎしことも

あり。種多く赤黄色果汁のみなれど、当時は有難きおやつにて、夏休み終り近き頃、赤く色

づき始めるを見上げるは子供心の愉し

みの一つなりき。

ざくろ実のまだ割れざるや枝の先

10

福岡天神にて旧き友に会ひしことあり。別れて故園の情あり、早歩きにて繁華なる街離れ、

鴻臚館

ろか

跡を訪ひたり。今は奈良平安の世偲ぶ史蹟となりしが、昭和三十年代には地元野球球

団活躍せし地なり。さらに福岡城跡の遊歩道そぞろ歩き、黒田如水の屋敷跡へて舞鶴公園へ

と至れり。沿道の樹々、紅に黄色に色づきて、時にその葉の風に流れ散るさま殊更やはらか

に見へしは、奈良江戸昭和の故郷昔日に想ひ馳せし故ならむ。

行く行くに郷さ

秋やさし城やぐら

11

所用にて赴きしホテルのロビー一角に、昭和三十年代小学校の教室再現されてあり。黒板、

机、椅子など、実際の教室一部の如く配置せしものなり。給食の蝋細工もあり。メニューは

コッペパン、脱脂粉乳、クジラの竜田煮にて、色艶などこれらの状我が記憶と微妙に異なる

は年代、地域の差なるべし。贅沢いへる時代ならざるは無論なるも、毎日の脱脂粉乳、コッ

ペパンの味気なさの記憶今に残れり。

また椅子に掛けられたる当時のランドセル、かくも粗末なりしかと一驚禁ぜず。小学校入

学当時の記憶さすがに今は殆どなし。ただ、入学間もなき頃、忘れ物取りに家へ戻り、遅刻

怖れて学校まで駆けし折のランドセルの重き嵩張

り微

かすか

かに思ひだすのみなり。

かの春の背なに重かりランドセル

12

齢の故なるや、眠り浅く朝方に快ならざる夢見ることしばしばなり。会社勤め出張の最終

飛行機に遅れんとす、また遅れてその処置に焦慮する、多くこの類なり。

されど醒めて心地よき夢も又あり。先日は幼少時の独楽

回しに興ぜる夢をみたり。喧嘩独

楽と称するものにて、他人の独楽を自らの独楽にて撥ね倒し、次なる独楽と戦ふ勝抜き格闘

技といふべきものなり。子供ながら渾身の投擲

とうてき

なれば、時に投げ損ね相手に傷負はせること

もあれど、愉しき思ひ出の一つなり。独楽は、人生良く回るといふ意にかけた縁起物なれば、

近く良き消息もあらむかと、知らず枕上

ちんじょう

しく悦に入れり。

吉きっ

左右

の夢に投ぐるや喧嘩独楽

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