title 唐の天寳時代に於ける河西道邊防軍の衣糧給與...
Post on 24-Jul-2020
7 Views
Preview:
TRANSCRIPT
Title 唐の天寳時代に於ける河西道邊防軍の衣糧給與に就きて(一)
Author(s) 那波, 利貞
Citation 東亞經濟論叢 (1944), 4(1-2): 28-55
Issue Date 1944-09-12
URL http://hdl.handle.net/2433/128754
Right
Type Departmental Bulletin Paper
Textversion publisher
Kyoto University
W.I__.,_..__I.__"_-
併 究 研 済 軽 亜 発 雷 奄β撃 管 嘉
年四回
(軍
帽二日)費行
教戒 ・萱第 億 匹Ij第
月 二 十 ・九 年 九 十和 昭
支
部
貨
幣
小
卑
-≡------‥----
稽
積
文
雄
孫
文
の
民
生
主
義----≡-
-≡---
出
口
勇
蔵
支那奥地産塵技術の技術史的地位-----
良
恭
防軍の衣糧拾輿に就きて
一11「ノ11J...ヽ.ヽlIAtdJA-エコー_り一
,辿≠二御地川に彩れ71.」月F-皿鳶/遠
宙か天資時代に於ける河西道連
金 那
・田 沌
出壬: 利
彦 貞
支那インフレイシオン/̂)其の封策・・・-・・・・-・・・谷
口
富
豪
(禁
樽
載)
要 拳 闘 斐 有 嘩 書
.+'7* 'TJ{iシ
・ユ ●- ・・-p ごI'∴ 1-● -・1-- l・- r ・- i
唐の天守時代に於ける河西逆進防軍の衣糧給輿に就きて
第四番
二八
第
1解
二八
ヽ
居の天資時代に放ける河西遠退防軍の
▲■JidーL●一lhヽ.I,一し..I
誘電〟耽奨1i宙rruて
二
)
邦
沌
利
貢'
唐朝は高讐
武莞
年
閑讐
苛
競
よ晶
毒
の天赫四年
髭
t誤
加科
量
る吾
・大約二百九十年間
の
存規王朝であるが'其の間に兵制が三度壁連した.『新暦害』毛五+.兵志に
古着兵法越]t於井田?自l]用筆
王制壌而不レ復O要一於府兵?如
7寓、乏
於農?共偲巌教養。書材行事O動作休息。骨有一一腎EEY
錐>不払
レ合]]古法二恵撃
其大意L希o些
局組太宗之所二以寧
也。至..芙後代?子孫騎窄
小̀レ学
課守壷
撃
其削?・・
暦
有二天下,ll官飴年oTm兵之大勢三壁.共始盛時有二府具?府兵後腹而寧]劫騎?頚騎又磨而方鍔之兵痛英.及]真
末J也.蛋
臣惇滑共布,ttK下7両天子亦自学]uK於京師7日.l薬軍?共後天子扇。方錨頭。而柄退以亡威名.措筒之勢僅レ然也。
とある。
即ち南
北朝時代の西貌・北問に其の制
の淵.*を
蟹し'
隅朝に於て左
右朝街・左右膜
除荷・左右武衛
・左
\右屯衝
・左右禦衛
・左右候衛の十二衛の関都守備軍の組織せらるるや'何れも将軍ありて諸府の兵を分統すると
共に.その兵員は天下に設置したる府の兵よ-之を戎むる原則な-Lが~暗部の国道短か-し璃、、
ぁ生り成績を
見ずして絡-'之晶
襲・lたる唐朝は'太宗の貞警
年
鎚警
㌫
宗
に天下に墓
の兵府姦
べ
て折衝府孟
絹
[
・・・
j・・p・-h…-塵
栴して上
・巾
・下の三枚とLt天下十道に府を畳′主
と紙計六雪
二十四府.これが所謂府兵制にして.高宗の末
・・=・・:・
・
.
.
.
.
∴
J・・・・
・
・
.・..,L・I
-
I:
・い
・
-
紙
・左右武術
・左右威術
・左右領革街
・左右金吾織の所謂左右十二街並に太子左右街率府
・左右率府親府動府欄
府
・太子左右司禦郵相
・太子1tl有精JTp不偏
・太子左右監門孝和
・太子左右内密府の所謂一ハ牢肘の兵即ち析謂術士
\は都べて此の折衝府の兵が輪番に上室
父替服務した。此の府兵は徴兵fhHに揺るものにして募兵には非す、その常
揃の楓数は略ぼ六.於義
人内外・Ll層
へられて居り'而して府兵よ-輪番上京して禁軍に凝るものは常時略ぼ拾常人
ばかりであった。
之に対して揮ら肘噂遮防の璃のみに存したる軍圏は
之と軍拡と稲し.
成増に於ける地勢の除
・三1:ヽ
、/\-JトLr、ヽ、p′」JLlt11、.三首J/ヽ
トL、ノヽLpJ、\、ノ_1」諒
ノヽ
)ノヽA⊥7一′l
成と呼碑した。
『漸層書』番五十p兵志に円く
大所レ謂方鉱者。節度使之兵血
。歩兵始?些あ追贈十し屯防者7麿朝兵之成レ遥満。大n=ノ博。小日,呑
捉7日レ城。甘/環om
組レ之者日レ噌
若恵
硯撃
て
凍
原等守捉十
!0日を
慮通?
斯くじて寧初より
十度
・苑腸
LtFT東
・幽門
・河拓
・北庭
・安西
慌右
・創南
.嶺甫
・河南ノの十
l道に於て夷秋
と接蓮する地鮎に,それ
-ヾ其々星
川某量
産
・其
々城
・其々損と
呼構する退防軍が設置せられてゐて・、天資
の
初期明恵では閣内の折衝府と相接携し'軍制として内外璽
jLした.
損は上
.中
・1fIの三等あ-て各
々定員
に多少
あり'戊も水上
・中
・下の三級に分れてゐて.其の最小なる下戊の定貞は三十人未嘩
而してそれ-ぐ1
鍛粁
・戊
唐の天蟹時代にI於ける河西道連防軍の衣糧給典に就きて
第四番
二九
第
l張
二九
唐の天資時代に於ける河西逼迫防軍の衣糧給輿(=就きて
第四啓
三0
第l洗
三〇
主あ-て之
を統率し
た。
『新暦書』巻四十九、百官志下
には'上鍛二十㌧中鋲九十、7鋲
l百二1+五、上成十
1.
中成八・L六.下戊二百四十五とあるが'此の敦は時代によ-て多少の消長樹液あ-、太宗
二qEiL耶時代には鋲四百
十工.T
7u
rtJ「E
」ノT
すり・-′L
I刀
TYllJF;♂EBLh缶ムーレ〃卜hJイrEILLLLllie月ニTlLLmh1Lti葦.∠huI′
ヨノWqm小人」・S;・i;A判・i=・誹.<JL「居jrJ・L
飴Iu馬
-L
に
反
し
、戒は相
加して略ぽ四百近いものと食った.各道の速防軍の最高統率官としては
l人苑のi(恐
管がめり.倭
に
+八部
好
と故
桐せ
ら
れ
.klI示時代には硯に行程征討に従幕中の大和滑即ち地場に在る大都膝た特忙
㌔.・
-・・'
∴
・・
・・
・
'・
∴
・.・
J=・
・
'
∵
・1.・・・・:'・:・・
歪
量
る表
替にして背任宗
の者晶
警
俗苧
る風量
じ'禁
の景軍
事
鴎墜
望
】
甲
に賀慧
嗣を
以て涼州都督河西節度使に任じたるより以遠'節度使がは上めて正式の官名と濁り~之より開元の初期頃までに
ば'本詰所題の河西道は甚だその因縁の深い地方である詩である。斯-唐の節度使の設置は景雲二年の河西節度
使以葬のことではあるが'其の嘗質は夙に寧初より中原の府兵制と相山必びて存在したるものにして'庸一初以雅の
達塞屯防の兵制であ-'後に至-て之が帝兵制の顧薮に乗じて長頭し、盆に暦朝を滅亡せしめたのである。
折衝府
・軍
・守捉
・城
・鋲
・戊の恥は関元時代以前の唐朝の完備充責せる内外の兵制なるが、此の中の速防軍
に就きて'特にその鍛
・成各等のみの関元時代の兵員の紙数を見ても'其の敦は茸に彩多しくして'円地の六官
三十四桁橋府の兵の組数と伯仲の間に在る。開元時代の制にては上鉄定員五百人
・中鋸三百人
・下笹
二百人未
満'上成定貝LFj拾人
・中些
二十人
・7戊三十人未満であるから、之を総計すれば略ぼ六4・:貰よ-七拾蔦の間にあ
一
りしものと推測せられ'以て達防の充萱せしことを推知し得る。『賛精通淀』撃
盲
十二、麻紀二十八、玄宗の閃
I-.A・・
.
.
.
-I-..
・
:.
・[・
-
・・
.
.
>・・・・.
--・'.11・-.-
を記して
く〟-韓姥は駆
康行賓飴蒜原顎千度
.
白棒=-可汗7張祝蓉レ兵追討.鳩,之。柊義弟平
準
三
十諌戯7位レ還レ農。始書芸ハ充,l宿衝?
先/見抜達成兵営六十除幕。試以三時無]]演題7奏
とあるO開元十年以前の完備せる退防軍の維兵員数」ハ拾懇篤JLあるは、魚が錬
成設置の級数蛙に共.の三等毅の
定員数に接-て計算したる結果の楓兵員数と甚だしい懸隔が頻小から.兜づ・kJ約六拾粛乃至七輪寓の問にあ-レ
・JJJは略ぽ信ぜられると配転
これが帽誼の厭講に摘-て約匹拾常乃署五拾宗に減少せられたのであるが、Ljれ
は別兵にLtrl.決して漣防軍の質の低下ではな-'兵員数は減少しても獲ほ充篭したものであったO俳園観立置
書給所燕煉燥散見文書第武六五七枕
・同第武八C)容故及び同第巷
C)書流は等し-天賛六
・七・八
・九戟頃の
『丁
男計帳残準DであるがtLJれに明記せる敵役に相常に土錨なる名辞の見えるのは'其の土地の鋸
・戊の兵として
服持せること聖不せるものにして、仮設の糾兵役の遼防軍が展面目に規定通りに賓施せられてゐたことを詮する
ものである.乃ち
1例として備圃第武八O重視の
『丁男計帳残寒』聖不すと次の如-である.
〔首
部
挟
紙
幅〕
男
懐本
載升
l
晶子
土領
左進賢
載冊七
上桂団子
士範
府の天守時代に於ける河西通過錆軍の衣糧給典に就きて
第円雀
三1
第
1競
三
7
牌の天蟹時代に於ける河西避退防草の衣梢給輿に就三J
第四巻
三二
第
一光
三二
左業務
戟六十三
批
虫1J,
質
楚楚
王座新
馬含嘩
梁元譲
′弟
守的
升懐爽
王桁相
磯〃=t進
悲+/順
避小臣
王威蘭
載冊九
枚肘七
戟十九
打似
‖Lr
-じ
戟州六
載廿三
載榊四
載五十
二
戟仙九
載六十六
戟榊上
載十九
載耕
一
載十九
載廿九
老男
上桂園子的資
衛士
次男
太守執衣
ヒ桔組子師資
白丁姥残
材花
白丁土
鏡
上妊園
子紙質
上庄国子
土銭
上枝園子
,%走
老男
騎都尉
郡上
次男
渠頭
白
丁
倖丁
攻男
倖丁
上
梓
観
、.
,▲i・1.7,Jp,㍗
二向大慶
弟
英秀
避仙嘩
張車齢
弟
思息
張英俊
tfCJl刀胴
敏一ハ十七
載廿九
戟廿六
載五十五
載仲
裁五十四
朝来丁工T〓L
トにしー「一ヽ
毒-TJノ
采
崇量
載
五十
二
親陶兄
載升七〔以
老男
上程園子
土錯
上任国子
土鏡
上程団
塊疾
護軍
柄賛
瑚街
覧bLt一L/
六.'「{
瑚衝
晶子
土準
下
挟
紙
幅〕
右は昔時
の沙州倣燈郡十二面
の中の或る郷の
『丁男計帳戎巻』たることの明確なるものであるから'此の士鏡
の任に嘗る男子は'申す迄もな-河西道管下の鏡
・成の兵である。その如何なる鏡
・戊なりしかは後節に於て自
ら略ぼ分明となる筈である。
然るに開元時代の後年期を経過する間に'天下の泰平なるに馴れて武備を軽税する凪を助長し'府兵制が漸次
弛壊し'天賓時代に入-て折衝府は仝-有名無音の存在と為って釆た。『唐曾要』巻七十二.府兵の僕に
居の天智時代に於ける河内道道防軍の衣糧給典に裁きで
第四巻
三三
第1硯
三三
唐の天皆時代に於ける河西道連防軍の衣糧給輿に就きて
第四啓
三四
第1既
三四
\
天宮
入戟五月九日D停三折衝上府下]L魚書?以Ti寧一兵可ア交O至二末年?折衝府但有.真野
其軍士戒告六駄鍋幕換桂並歴。
どあるが'『新暦菩』蕃
五+.
兵志
には更に
詳細に其の拙祝
を侍へ'
魚著の
停止も李林甫の蓉議に擦るな-とあ
る。白く
申兎
観.山筒。朗闘'二詫ヌ稗抑Y.駄LJ
士幣柴二純綿ぺ八斬新筏謂府lAHi撃一兵可Li焚。
李林甫送諸件三上下魚苔丁英検従有)]異
教
甘置?lB戎籍駄馬銅市税槙鶴腔尖.
故障府人日新i13蔽
街.僻Hl藤
甘二.Ⅶロレ伴.南天
千?室/草間佐然uTt暇人ゐ
=髭故;京帥
人
不レ能レ愛レ甲安。
賓際'安藤山の叛するや、賊軍を征討する篤の園豪の正規兵無きに苦しみ、『菅唐音』巷九.玄某本紀下期兄の
如-.天軍
四載
器
一票
完
十
1月丁丑-
京兆牧の柴王
警河芸
慶の高仙芝とがそれ
-元帥
・副元帥
と璃-て毒男兵牡招漬して拾寓の天武健兇軍を編成Ltまた
『冊府元租Eg等の書籍に所見の如-
'同年河南に詔
して武士健兄五千人
・店
1千疋を火急に訓練し'また衝碁楼刊本の『詮邸』撃
ハに収むる宋の荘鰐の『範肋踊』所
′ヽ
見の荊甫白碑辞の暦碑に劃せる唐の官街にある如く'、招嘉健見任を以て天下に勤王の菱勇軍を募るべく狼狽せる
のであり'天武軍の如き磨急軍除の細粒の属には先づ招嘉健見任と謂ふ官制上に規定せられざる臨時官を設けて
天下に轟勇兵を招暮せざるを得なかったのであるoその衛士を出だす府兵が斯-の如-であるから、国都の禁軍
も亦そ@名あるのみにして'『唐禽要』巻七十二'軍雑録の僕に
天蟹末D天子以])中質太平?修二文教?塵t哀
情一。錦]]弟錦7川野一天下豪傑?於レ是政三軍器I者有Ⅴ鮮O夢一圏散.者有レ隷O習=弓
矢哀
菊l非G不省子弟軍武
官】軍
父兄接lj/八不レ歯。惟遼州軍義
兵7中原乃包二英文甲?示レ不一姦
用?人妻レ老不レ間二戟賢二ハ
,.J・
軍諸衝之士。皆市人自社o富者販二相撃
食,]梁内?壮者斉抵抜河.勉大在故.
日以凝固.有島TFr股懐。不レ能迄
旨
。其後監
東而反。非レ不レ幸血.
とある通りであったが'喝-遠州閲境の兵のみは却りて増加せられてゐた。これは北方の諸民族より任冠を受-
ることが多-な-Lが馬にしてF折衝府に比較すれば恒に緊張する状勢に置かれてゐたO大腰府兵と連防軍とは
諸種の鮎に於て後者の方が安定的にして'武重に専念し得るものであったと想はれる。即ち方鋲の制は常に散面
に封し屠れるのみならず'之を統率せる軍牌は部下兵卒を私兵の如-考
へて'其の生酒の安定
・身分の確保に努
め'兵卒も亦筆耕に判LtTJF・1H縦的即急を抱懐すること弧く..而して軍鼎たる節度使の支配する地境に放てはt
.判定
ヒと山人)内定ヒ:'J,j')=.TT‥・'】-I.ヒ、=i・ーrJLl二、)..1ー.
等の革
民たるかの賊を呈
し
たoAJれは
正
に
『新暦書』巻五七
兵志に
及.]府兵法填.而方鋲盛O
武夫停滞n
維]t無′事時?琴
壷
険.専二方面叫既有']其土地?又有三共人民?又有']其甲兵.]又有真
府
警
以布一丸
天下?然別方銘不仁得レ不レ雫
京
師不′待/不′璽
故jj義
置之勢使y森
者以レ此也0
.
と論ぜる通であるっ
府兵制に比較して有力なる根抵牢固として抜くべからざるものあれば'方供は如何しても白
ら極大と男らざるを得ない韓である。比等の遼防軍園には'封夷秋の細係事情
の如何
・軍略的地形的事情の如何
等よ-其の傭兵に大小あ-て必ずしも
1様ならざるは'後節に於て河西道のそれとの此較上詳細に惑ぺむとする
過-であるが'簡軍に例示すれば、花陽道の如-'寅大なる地域'今日の東北頚純正
一帯に居任せる葵
・契丹韓
民族に封するものは軍の敦が十六に達せる,Oのあ-'瀧右道の如く
吐春に封抗すべ-軍の数が十八・
守碇
の数
倍
の.1天賀時代に於ける河西追返防軍の衣糧給典に就きて
第四巷
三五
弟
一叢
三五
て
r
芳
香
慧
盈
席の天蟹時代に於ける河西試適防軍
3衣糧給輿に就きて
第四番
三六
帝
1妨
三
六
が三と謂ふ様なものもある。最小組織の
戊は戊主が之を統率するが'軍
・城
・守糎
にはそれノ
ぐ1そ
の
統率者とL
tての債があり'鍛鼎も後に鉱促と改稗せられ'軍使
・城便
・守捉俊
・銭度は都べて大都督の麿下に展し、而して
止
の+/都骨が閃元以後となれば節度使たるのである。
l【一1■
叙トlLはホ岸の序説ItJLで簡緋の兵抑糖化F叶乃兵鞘か-5回巨頭わ.J琉翠
こ起./..Tfこ町野賢つ竪右巨)こし7,-
lノ・1'イrI.・・I・'Ei)
」■-71tト・・r.ノー、..NけUトと.1一nu、くく7′く
珊解する上仇於での読破たらしめfJと致し舟のであるが.i(鰹頗郭の兵即は堅
Fj時代を時間的蹄界として斬後の
二期に分ち得られ、前期は園内の府兵制も遭防の軍群別も完備充茸してゐてその運用が囲滑に行はれ'折衝府の
兵総計約六拾商人
・連防軍の兵総計約六拾高乃至七拾寓であり'それに禁軍の兵的拾甫であるから'線計萱百三
拾甫乃至萱首四拾常人である。後期は禁軍も折衝府の軍も仝-加療して'濁り連防軍のみがその勢盛にして、節
度使が管内の兵政
・財政を其の手中に掘る結果は'達防軍は宛として節度使の私有兵たるかの如き有様とな-1
其の兵力も轟々
増大するのみにして、随つて中唐時代以後の速防軍の賛兵員数は的確には知るべからざるもので
あ-'少-とも初唐時代に於ける規定の兵員数よりも遠に多大なりしことならむことのみを推測
rj得るに己むの
み。却
詑府兵制の未だ寮乱せざる時代の鱈兵員数六拾常人のことは如く措き'本籍に於て問題の封象とせる適防軍
のことに就きて考察せむに'其の練兵貞数を六拾寓人な-としても'之に給輿すべき衣糧の費は菅に美大なるも
のな-LLJとを想見し得る。唐代に於ける軍糧即ち
兵蝕に威きては
『新庸菩』.食貸志に相営畳の記載を属してあ
レP、
-・・
-
㌦
量
るが'遺憾ながら詳細なる計数や統計の記載に於て挟-る朋がある。天賓年間、鍔六拾首相を以て諸道に蹴して
軍飴なりしなるべく'共の大略は知-得ても兵員各員に封する給輿が如何なる程度のものなりしかは、比の細説
的記漂
て芝
嘉
挙
ることが出雲
。或誓
窟
書食貸志に.徳宗時代
H
T謂
閂
1諜
鍔
に於ける速
防の兵駒を赦して
二・二
【JLAriH
R_J1人ノ〓EZ.∃うーP此所叫dィ二」・左≠ノ
」TIYTl)7~・匹
ノ/i・′』β
]昔7m.M仁Lq′fg和一t笥‖
十七龍料?皆野私闘中?笠相隣敦以7繭中潮購叫諸l]利描?刊レ璽
項線蔑別?.計]]諸旅館凍ペ寧哀余部慣四十有餅。氷儲七
十7別i年和輝之数.軍商運之二年?7斗帽運と資.草加碓ウ誌
斗?琴海連な賓・.過。存議
運7以備レ時b華1Til
lTあF・t.拾七筒の典の規にijE,南に釈十七敵船毅給しかte.■℃あ.Iもから、転封
二ufn一缶窮ま緊
一別ih;り;-,・・,が知れ
.
る
のみで、其の他のことは
大局の主計的記載たるに過ぎず'成季個々が如何なる生活的待遇に在りしか'その1
~
兵の衣食の
1年間の費が幾何許なりしかなどのことは
1朝之を明にすることが出奔ぬ。侍同書食貸志に任意宗の
元和牛問
詰
7畑票
〓
1Sll∞鞘
の軍糧のこと見え,『苦
萱
竿
六・穆宗本紀に豊
莞
年
譜
遠
望
印度
の要
のこた
同書警
九上.警
本紀には成翌
年
醜讐
蛋
前
島
警
詰
責
て称賛
嘉
、同書竿
九下'債雲
紀には光莞
年
配撃
畑崇
鞘
四月乙卯朔'田命孜が墓
碑竿
軍使としてその軍蓬
得芸
心せ
る記載などがあるが'
何れも抽象的記述たる上に.
詳細なる数字が無いから'
兵駒供給策論としては債値ある
も、本簾にて目的とするが如き兵士の給輿の賛情を知らむと欲する場合にはあまり適切なる史料ではない小
前述の通わ'開元十年の張説の滅兵以遠'唐朝の達防軍の紙数は略ぼ四拾寓乃至五拾寓の間にあるものと葛つ
唐の天守時代に於ける河西遥遠防軍の衣槙給輿にこ就きて
第四巻
三七
第
一都
三七
唐の天賓時代に於ける河西道連防軍の衣板絵興に就mJで
第四番
三八
第l来
三八
たのであるがこ
天莞
年
産
1切竺
稗
晋
に天下三百二十
l州
・八首震
州に
十節度経略使塞
いて避雷
充責して以遠は'
7度飢兵せられたる達防軍が復た増員せられ'『資治通鑑』撃
看
十五、唐紀111十
二
天賓元年
.
の候に擦れば'安西
・北塵
・河西
・朔方
・河東
・羅陽
・平鹿
・髄右
・創南
・嶺南の拾節度経略使統率の通防軍蛙
に備州的領の長米経略僻の兵
?千五甘人
・軒州所領の東新守耗僻の兵及び苧州所願の東卑守雄促の兵それく
!
千八
丁討二千五百人を概汁すれま.1jを員王'E3T4=-J毎JL)巨
/、享iJrl汀己i
LJ).h■LlhJ二
AAnヲき
し■.
に
引
ける賀紀陀天筆
九年現在の兵の絡薮五指七寓四千七
百三十三人と謂へるは'賓は天下健見聞腰麻等の属数む
も加算せるもの促して、純粋の連防軍は約五拾商人と観るべきであらう。此の約五拾寓の兵糧の上に八寓飴匹の
馬億をも要し'閑元以前には毎年造兵に供給する衣糧額通計二百貰疋斜に過ぎざりLが'天賓以後蓮牌の要請に
よ-tL漸次兵月を増加したる葛'毎歳衣服材料
l千二拾寓疋・糧食
l百九十葛餅と謂ふ互額に上り・公私共に費
に弊して民度は漸く其の負猪に堰へ難-葛つたと侍へられてゐる。
常時の兵三
人
養
分の糧食の量は果し㌔莞
許のもの苦
しか。差
これ姦
格にすれば具して莞
許菅
/
しかを探らむに'量の問題は駐在地並に時代の差異あ・slても'度量衡制にさへ差異無ければ大性愛化なき筈であ
るから'必ずしも天聾初期の史料に揺らすとd/以て天賛初期のそれを知り得る筈である.『賓沿通鑑』巷二百
三十二、唐紀苧
八'禁
の貞元=年
鴎聖
篭
鵠
七月の讐
'李泌が宝
箕
雷
雲
したる記述が見えて
ゐるが'其の中に攻の如き文句がある.日-
今歳撃
関東莞
成TZ京西J者十七蛮人。計歳食二軍
百
四海鮮?今粟斗直貫九十o撃
絶三空ハ馬絹-0
拾七常人竺
壱
四高科と謂
へは兵卒
1人
1年の消費積量はj・Eしく拾式別.
一ケ月にl斜でめる.]
斜は市は十
斗の名な-Lも'支那近世にでは五斗を以てl掛と辞し'唐代に於ても既に
l斜は十斗に非ざるを以てt
l日
分
は萱升五合ばかりにか嘗らぬo天賛時代の凌防軍の兵士も大鰻此の如きものなりLと監はれるから'
1年
1人拾
坑斜として計算すれば、天寧初期達防軍約五拾常人の食ふべき
1年分のその総額は六百貰斜、月額として五拾高
射である.その債格は駐在地並に時代の差異によ-債の貴膿があるから.
一概には謂へぬが、偶に李泌の言を以
てすればt
l斗百五十文にて1射七百五十女t
l年
一人拾二料にて九千女即ち九糖であるO更にこれを天聾時代
L̂.lJ.dl各こ胎訳∩ノこきIF胡勺こdEE串,.;1Llrrlガムt的仰山割J,山上打刻臣il{na斤小乾敷ハ.71・d私R・nTtjLLj監ヨ.I-=廿,・L,・M・.ZtlU叫,㌧穀八・ifir.)TT.n封,m)がu奴T・TIA.-
iJ蛭ヨ葺#hlこ豪.ワ⊂J/rrn話」/目許SO七つtifヒrT.,「こET7十九TT{こ糾し邑ノヽfrJ・文白.i]賢か礼コLt:耳こ
「か叫」\」ヽ
S
lノrJ多-虹ポトlつLr'L〇
l火、ノ-ノrヶー′千
..
-1山/レム一什Ti-l一二三JILr..11・IJ一つ′′dk/HVulurT止八ま1・T一Jl.JJ[盲m叩「--1丁エ
F/
一/しく-し「、ェ人血ゾ
rL.レ.イ・]イ
が'
その首尾を省略せるのみならず
、文書の形
式を変じ且つ肝要なる文字
に誤譲と誤
篤
と
が
多
いから、信掃して
利用し難い憶がある。比の備図第歩容四八競文書の紙表は朱書の俳数々
叢書らしいが、紙背は都べて官署の経済
出納文書で'馬思簡
・責景曙
・宋息亮
・超敬徴等の約粟朕、宋無浸
・重宝芝
・李産金
・張欽明以下康仁布に至る
までの各細葉喋があ-.その大部分は典の部伯乃と孔目判官の某が取-扱って居-'取扱者の署名の箇虞に各々
曲尺牽寸八分四方の禾印竺
幸
二行に排宇せる
「重度軍印」が押捺せられ.年紀は悉く天賛六載十二月十日前後
にして'同月十四日より十九日に至るまでの間に受附けられて居-'何れも互罷軍の軍倉に軍用粟即ち豆膚軍用
の兵蝕を納めたる牒文である.依-て余は之を
『天賀六載十二月豆慮軍軍倉収納莱文書』と命名して居る.今そ
の首部の若干を併示すれば次の如-である。
唐の天資時代に於ける河西通達防軍の衣糧給典に就きて
第四巷
三九
第
l戟
三九
-
で
一
唐の天聾時代に於ける河西道連防軍の衣穏給典に就N,て
〔前
部
妖
統
括〕
第四魯
四
〇
第
1鞍
四
〇
・
.J,.・.・
{
・・・.I:=
J.
盲姓妻景野
菜萱
伯碩
百姓宋偲売
粟萱伯碩
牒0枚徴等04T・有二上作粟補講=交蔀?
EE=]鹿
卦
叫講
媒';.
天聾六
載十二月
日
行者
趣敬徴
牒e
蛋
/
-
ア
ム
・
ヰ
雪
-Lア
十二月十七日典
部伯乃交
孔目判官
車.:I.i..L・一予.
■l
r
粟萱伯硬
膜。無環今有二上件粟?
講喜納軍
一交乗?
謹膜。
天賛六載十二月
日
行客
宋無我
膜。
打
r
L酌
ソ.乙
叡了を
ナ
ノ7
ム
「
十二月十七日典
弥伯乃交
_ー1■・._日日一11
り
す
LLLLや丁場H
mTkI
い乍
皇'
:'
'''l.L....1・I:.:.
此等の牒文に焼きで統計愛育二手
二行の経済文書が遣存してゐて'其の首のものは次の如きものである。
軍
食行客任悲予納交桑葉萱伯捌碩陸封
基
。
右奉制令槍網前件人交桑葉約諾具
上着遠位槍納話具状如前述鐘状
I.・ri・束W
l
唐の天賓時代に於ける河西講壇防軍の衣糧給異に就きて
7第田巻
四
一
第
1戟
四
l
庶
S天賛時代に於ける河西追返防軍の衣糧給輿に裁きで
)弟・田巻
匹二
第
蒜
四二
牒
件
耽
如
前
謹
牒
天賛六載十
1月
日
興
索高明
興
部士
廊
これ以下には天質六載十
一月失名氏納粟'十
一月
廿九日興
部伯乃'孔目判官某受附牒ありて比の桶牒共に天地
噸倒して介在して膳る。比の二腰丈にも
「汀茂
軍
畑」が淑扱者
の半端の佃鮭に押捺J・Flられ-・r.居・,rDr・.甲
レて比の貨
軍
二十二行の経碑文著は首尾完全ならす'中間竺
ハ箇鹿の総社ありて挽紙
・脱文あることは明瞭であるが'其の
残巻の末尾に
右
於
常
軍
天
賛
四
載
和
粂
疋
段
等
具
備
慣
〔以
下
紙
幅
挟
如し
件
於
□
前
とあるから'此の量
が天賓四
・五
二ハ載
詰
一業
門
lElGEi434,等
の震
軍の軍倉
への入冥
・入
疋段の収翌
書なることは略ぼ明であると思はれる。而して右の文書の牒文中'及び後に逆録せる根本史料に管見する柔の字
は確の字の昔時に於ける煙俗字であり'蓋し略書より来由する庶居間
の通行字であらう。
三
富慮軍に就いては史料の関係よ-後節に於て種々説明を加ふる預定であるが'唐代の倣燥地方は漢民族と非漢
民族との雑居にて異族語の常伺多-.比
の豆虞なる語は鮮卑民族
の語
の漢字音詩にし
て漠等すれば蹄義の憩であ
.・
・-.・一,.
.・
∴J.量
-、鮮卑民族の慕容氏の某容葺が貌よ旦且慮氏の姓を賜は-て以遠は姓氏としても存するW.uJ然らば竜虎氏は節義
望
遠
軍は霊
軍の意にして,蓋し宣誓
は蘭の薫
の大中五年
詣
這
聖
紳
以後の沙州の掃萱
の名稀の前
身か・と息はれる。要するに唐代河西道連防軍十軍中の1軍にして、其の本営は沙州城内に置かれ、四千二.百人の常
備員数を擁して他の九軍と共に河西節度使の指揮下に在-し達防軍である。此の
『天肇六載十二月豆虜軍軍倉収
納莱文書』の1節に次の如き膿みありて'天賛甲
五二ハ載頃の小賓・青穿・些早
粟・床等の賀物の償格j以仁大生絹・
了シでヌ
河南府所産の
沌
・鰻
緋・鰻練・大綿・大練義
絶等の布南の慣格を的確に知-得るのである。此等の人馬の食糧山姐に被
服材料は、後に詳述すべき過防軍のTI軍た旦且膚軍の軍兵の鶴の軍需品にして、以て丑防軍
一般に判する守備必須
の憲
品の如何-
もの-
しか是
賛完
為
るのみ-
ず'天警
一・四
よ
こハ戟
詣
霜
器
〓霜
監
叫
331.Sit,LLl-ノqJ;-yFEl玉空1bl讃確に点々の頂の胡記せられあるを
以て.代誌を以てすりE3内Jも
一丁丈
Tjと
-,1・っノ
‥'
訂
笥叱Ll/.'、ri)T二†ーJi]∫1]rI.一IJ~A~
--
時の河西道地方に於ける
1般杜昏経済生酒を知る上に於ても甚だ稀潮にして貴重なる根本史料なりと謂ふべきで
あるD少しく長けれども大海の遺珠も膏からざる翼に珍らしき天地間の孤史料なる馬'芹にこれを原文書の形式
Jの儀に,SSJ録するO
〔首
部
快
文〕
載夏季載支塊帳託
嘩伯伍拾陸碩捌封伍勝染合
小穿
萱伯舜拾染碩嘩封
青変
唐の天菅時代に於ける河西通過防軍の衣糧給典に就きて
第四巷
四三
第
一朝
四三
膚の天守時代に於ける河西道追防軍の衣憶給輿に戯きて
萱
伯項牽封
碗豆
甥肝垂伯垂拾畝碩嘩封萱勝
粟
登肝要伯萱拾随碩捌合栗填本外
利潤其東根附同前季利潤帳
詑
伍肝柴伯畝於萱硬式封砕勝舜食餌封
三戟冬季交柔的唯佑計常
鏡萱肝伍伯染拾伍貫玖伯伍□
伍肝韓伯伍碩制動重爆染合冥
・・・〔此虞二
紙縫アリ数行
切除サ
レアリー骨
三
・
斗値廿七文計武肝捌伯煎拾武貫畝伯腰拾武文八分
萱苗皐拾孝碩陸勝架台御lS唯和柔低
所項充交桑疋段本其斜剖牧附軍倉三
・・.〔此底
二紙経
アp〕・・-
計登肝坪伯伍拾畝貫伍伯染給費文
萱拾染碩萱別席
斗佑廿七丈計嘩貫
第四番
四四
第
i戟
四四
随伯喜捨巣女
虻伯陸拾就碩伍封
青蕃
斗借肝丈
計染拾捌貫架伯伍拾文
染拾陸碩染合
小藩
斗伯什二丈
計武拾
郎貫蓉伯式拾巷文伍分
武拾畝碩捌到
頭豆
斗借廿九文
計捌貫
睦伯呼拾武文
岬汗別伯削除堕唱導糾笠肝玉14。好
飛沫豆等紫郎染rin肝
匡充
ユ竹男正人斑.FT讃轡LJn).撒陣等
倉同請載冬季戟支根帳託
菅拾染碩茸封
床
式伯降給武碩伍到
着
番
染拾陸碩染合
小変
式拾軌間捌引
率且
雄陣伍伯碩玖封印
勝捌
合
粟
唐の天菅時代に於ける河西道連肪軍の衣糧給輿に就Jnて
第四番
四五
第
1戟
四五
Ip・・-Al・・
唐の天質時代に於ける河西追返防軍の衣捜給奥に就NJT
玖伯樺碩捌封捌勝玖合粟境木外
利潤共莱収附同前季利潤帳詑
染陣伍伯陸相随碩邸,S染勝嘩合
別封四戟不李交兼約聯柵
訂
f.=E鎚
qr,rq抑陸相試買察伯
登
拾染
文
武分
陸陣染伯畝拾玖碩功JS献勝糾合莱
L斗
伯廿七文計菅陣捌伯象拾五貫畝伯捌拾文債分
蔵伯垂拾碩陸封
青穿
斗佑付文計
陸拾玖貫萱伯捌拾文
武伯難治萱項捌対訳勝陸合
小穿
斗傭fll文計染粉染貰参伯捌
拾辞文参分
武伯染拾陸前軍.JmT武藤
床
斗佑廿七文
計染於邸貫伍伯伍拾武文砕分
萱拾捌項
荊豆斗借j=九文
計伍貫
・〔此虞
二紙把
ア・=数行
キ失
ヘル
モノノ如シ〕.1
算四巻
四六
第
l戟
四六
.青i/_HT-J・・
l
.・・.・jJJv.・ヽ
・
~
嘩陣容伯捌拾耕硬式封萱勝重合
斜封准填和桑侶折碩売文柔
-〔此虚三択捷アリ数行チ失
ヘルモノノ如
シ〕.
合普軍天賓四載和柔准
旨支式高段出武
威郁准佃所謂得純絹練絹等惣畳苫
嘩肝睦伯染拾捌屯疋魯文伍尺邸寸萱拾錬
伍肝随伯正
大生絹
伍伯伍拾疋
河南府細
部伯染拾正
絹
緋
式伯染拾疋
娼;
緑
萱肝玖伯式拾染屯萱拾鉄
大綿
萱陣染伯疋
駅郡絶
砕陣容伯陸拾普疋重文伍尺樺寸
大練
染肝萱拾染屯疋萱捨鉢行綱倣燈郡
巷軍武少驚天賛三載十
月十二日充
旨支四載和
I
解の天領時代に於げろ河軒道連防軍の衣棺給輿に裁きで
第四番
四七
第
1戟
四七
唐
の天昏時代に於ける河西,W珪防革の衣糧給興に就きて
粂萱寓段数共物並給百
姓等和束直破相並売
価阿陸伯疋
i(生絹
正伸四百六十TF文
計
前件・堕伯津賢女
イノーイ
上れ「人
In.TljrJ〃・=mHr八.¶7/
一ul-1】′/
計
巷伯砕拾萱貰文
武伯染拾疋
浦緋
疋借五百五十文
計萱伯蝉拾捌貫伍伯文
武伯染拾疋
頒緑
疋借四百六十文
計萱伯就籍帝貫武伯文一
巷伯歪
慧
藁
駄
犬綿
詔
盲
先
計嘩聴功貫伍拾文
以前疋段唯佃都計嘗鋳金肝武伯畦
給睦貫染伯伍捨玖文計余得射封
霊菌登伯尊拾伍碩陸封玖勝空合
其科封収附去載冬季茸倉載支
弟四番
四八
第
一駅
四八
I,■叩寸--・、.ヾ、.
根慣経
安
定勾
井牒上余部比部
度支記
款肝就伯邸於染頂染勝鱒合
粟
斗伯仲二丈
計式肝玖伯伍拾玖貰陸相碑文申分
邸伯萱拾染碩巷封伍勝重合
小
賓
斗倍肝七文
計量伯伍拾望
月嘩伯
試拾文随分
普伯春
治
款碩武封陸勝嘩合
床
斗倍肘二丈
汁韻伸治珊賃借伯檀紙伍文代(F,
樺拾玖碩伍封
が.跳豆斗
伯什四.LJ
計鍔管
拾陸貫捌伯参拾文
武伯陸拾式碩伍封
青奔
斗借川五文
計領玖拾萱貫捌伯染於伍文
染陣陸伯陸稔豊屯疋重文伍尺蝉寸疋段
行網別粁張虞廉二有
十八ヨ於武威
郡領充到
旨支E義
和
順の天零
時付l_l於ける河西演迫糖塔
3衣碍給輿に就三
,
・・
.
‥
・
・・,jP,寸善
一
算四番
mH九
第一
既
四九
唐の天普時代に於ける河西道連防軍の衣桧給典に就きて
粂空音段数春季
新附其
勺r・
疋給百姓和
〔粂∪解剖芽准余部
格給副使強直
破用並轟
蜜粁染伯疋
駅郡
施
髭肝随伯巾
ブ
凪
坪
肝容伯睦拾萱疋魯
文伍尺砕寸
i(顔
捌拾参疋登丈玖尺萱寸大締准格
給副使李景玉天賓四載春
夏的季線栗畳伯式指碩
直
的佑什二丈
計参拾捌貫邸伯
文折給上件練
正倍四百六十文
不粂酎封
染陣伍伯染拾捌屯疋萱文陸尺垂寸疋
段給百姓等和粂鮒封直
嘩阿武伯染拾捌疋重文睦尺参寸
大練
定借四空
ハ十文計萱肝玖伯睦拾捌貫陸拾拙文口
重阿染伯疋
険郡熱絶
正倍六百文
計誉
第四奄
五
〇
第
1戟
五〇
阿武拾貫支
署粁陸伯屯
大綿
屯倍
7百五十文
計
式伯邸拾貫文
以前和束疋段准佑計嘗鐘参阿
武伯
式拾捌貫陸
拾捌文染分計
粂
得斜
封惣蜜甫
武拾染碩萱
.3
州り除1琴計比、‖珊叫叩虻村野酷
評季械k.約j煩詩仙
要田TTq祁け山階511Ll¶仰鮎Hl毘巷願7諸∠LL
.トし.り■
i・T
iy
計式肝玖伯陸拾重賞砕伯坪女玖分
式伯参拾碩陸封
青穿
科倍冊五文
計
捌拾貫染伯萱拾文
武伯渠拾陸項萱封武勝
床
斗佑什二丈
計捌拾捌貫参伯伍拾捌文辞分h
荒
諾
芸
捌崇
勝陸合
小穿琵
什
討捌拾玖貫邸伯染拾伍文邸分
糖の天智時代に於ける河西道連防軍の衣糧給典に就MJで
第四懸
五
一
第
1渋
五
一
麿の天蟹時代に於ける河西道連防雪丁山衣糧給8.に就きて
虐拾捌耶
野
口寺
佑什四文
計望
見誉
伯
配
給
文
弟El巻
千二
第
l戊
五二
此の魂に前節の経に綻
介し
たる論h'富
軍天頚内灘和束至
コの三行がありて紙
幅
が絞損して居るのである。退
弟
に常りて特に共だ圃鷹を明示
せる通り、北の借間第参参四八涜莞
Rl文零忙は麿々
忙紙縫部が多いのみ寧
9す'荏
tは∴∴揃腔::・/.・・L
:I;J・I:;.;I,こ∵・1・rJ.:.‥
.JJ,r・i:.・;=・.:・.,∴・JJJ卜、T.・7,日
,-I.ー∴:...・.[・..し.;Jrt7..∴.∴.I
も
のと
葛寮せられ
るが、
常時の
河内道地方の諸
物頂を
知る環には'少々の挽落はあ-ても史料とし
て充分
に利用
し得る性質の文書であり'牒支よよ・S}見TOと'天軍
ハ載十二月の豆観賞軍倉牧鋼業支署ではあるが'此の諸物債
の明記せられある箇庭は天雫四裁定に於ける豆膚軍軍倉収支経蹄計算史書
の残巻であるから.此の悌関節蓉参四
八故紙背文書は'之A・j厳軒に命名すれば
『天賓四載乃至
ハ琴
且併軍軍倉牧的穀物並に取立経緯討算文革Bと謂ふ
のが最も通常であらう.文書の時代は既に末尾に右於官軍末葉四戦利&云々とあれば'その四戟以後、寧ろ
五
薮
に於て前年の収支決算を明記したるものと考察せられ'文中に倣塩郡の名栴あれば沙州のものたること明で
ある
が、天賓四栽度
に式高段の疋島を武威郡に支出して和籍を致すこととな-.絶
・絹
・練
・綿等惣て萱帯締肝睦伯
染拾捌屯疋重文伍尺邸寸飴を以て之を苦行した-といふ文句見え'而して此の武威郡は信州にして
『新唐音」巷
′
四十'地珊志四の記載に徴琵すれば、筏に詮-所の弄水軍
・i<斗軍
・烏城守捉
・張枝マ捉
二父城守捉
・白亭軍の
駐在する地方なれば'比等の軍需品は赤水
・大斗の諾軍に要したるものと息はれるn比の文吉にて斗升合の升を
.・一
ば升または昔時茸過の習なる新の字を梢ひずして'節の字を使LpfFしかるは.
一見R/芋か音字孝7(1かの如-誤解さ
洩
響
憾
層
暫
賓
を儀夢
ト
れ易い虞があるが'頬論看過に緑由する文字で'胃の字を以てすることも常時
l股の習俗として唐く慣行せられ
てゐたものであるから'決して誤記でも誤篤でもな-'比の習俗は遠-梅波を凌いで皇国にさ
へも流侍したるも
ので'正倉院尊痕の経済関係文書に放ても之を見るのである。佃は劉復
の
『敦焼損琴コ中輯
「魂六六」に逆銀せ
るものは悉く安物の時偵を十倍に誤記誤解して居る。JJれは本文に封偶州文
・斗惜二十九文などとある封
・斗の
文字が原文書に於て草書鰐に書かれて謝
・計な
どとあるのを漸
・升の字と誤譲せる甥に起-し誤にして'例せば
].斜の傾〓亭
文戎tiT手
九女なるを悉く
l升の債と誤為して屠る.此等が
1斗の慣なることは'量額と其の維慣
額とを計算照合すれば趣めて容易に分明なるに拘らず、浬黙と博荒して升偵と名せるは軒率なり・と謂はなければ
■二rl)・'Eu.・1)F∃)E.1・・p-ナWr〓1引こA人し‥工へ。・J一日只LjUILiL/′\‥阻hr,rrL、
なら洗(伊方すかは
某喪章btLur膏・-l-二手LILL仁汐でJJ.侶bL攻TJU
・・t僻三TEプTr・:
才.i;才
ノ石′ー
‥11
-寿4.ノ
貫萱首二十文とな-F,,史書の示す通であるが.若し劉復の如-之を
山升債とすれば組慣節が六
拾萱貫二笥文と濁
-て十倍となり原文書の記載に合致せぬことと賃るoその他皆之に準じて正し-
一斗の慣なのである。倍の字は
その普
コ'佑債などと熟字する字にして
「アタヒ」の意'『新暦芦□巻萱百五十
一、睦長源侍に
「高]]塵慣]腰二島
佑一」な
ぜと使用せられたる例あり'偶の字と同義に解して宜しS。比のD.天賓四載乃至六載豆贋軍軍倉収支経済
計算文書』の示す所にては'真空斗憤二十七文乃至
二十二支
・床萱斗債二十七文
・音容萱斗憤三十文乃至二1+五
文
・小変重斗慣≡十二支乃至三十七文
・武重萱斗演二十九文乃至三十四文
・大生絹
1疋憤四石六拾五文
・河南府
所産織豊疋慣六雪
二十字
線緋畳疋慣五百五十文・緯線萱疋慣四百六拾文
・大純量屯偵萱首五十文
・大細萱疋慣四
百六十文
・院郡所産熱総室疋債六百文である。此の中で粟
・青琴
小琴
碗豆などの斗債に両種あるは同じ
1年間
膚の天菅時代に於ける河西迂遠防軍の衣板絵典に敢きて
第四懸
五三
第
1既
ノ五三
\●
iZI
\
唐の天蟹時代に於ける河西過退防軍の衣櫨給輿に就きT
第四巻
五四
第
1凝
五四
に於てのことながら'季節の如何によ-て時債に壁動ありlLことを語るものなるべ-'何れも等し-萱斗につき
五文宛騰貴して居るが'
これは各々
の収
穫期
と
端境期
とに於
ける購貴
の差異
であらうと
想ほれて
甚だ興味が深
い。端境期
の現
物減少の
時期に於て
約壁
割五
分
乃
至試割
の慣格
騰貴で
ある韓で
ある
o
此の天賀四
,五
二ハ載
頃の某債を
以て前述の
兵卒
一人
一年分の捜食豊治武脚部ち
六頓を計算すれば'普斗信二
「七
史なれば誉
LL六百式拾文、唐音
偶。1.+二文なれば壁千九百武治文となり'金婚且個牛の慣格の鞍柁た考旗に初
へて見る時は'兵卒
一人
一年の糧食費は萱千七百七十文'
1.箇月にでは豊百blGT拾文内外となるo李泌の時代は粟
債葺
百五拾文と謂つて居るから'之豊
富
慣であるが'これは禁
の莞
=年
鎧
遠
州轟
のことにして
芸
の天賓ET・五
二ハ載頃豊
】加盟
〓】加禁
軒よ-
四拾年許も管
のことにして、諸物慣
蒜
に讐
し尿
-し鶏と'李泌の設ける将兵は敬煙地方などの僻地と異なりて'首都長安の西郊忙戊守してゐるのであるから'
首都郊桐のこととて'諸物債は
1般に高慣なる等であると共に'これは特殊なる現象なるかも知れぬo『唐骨翠n
奄九十'和確の保に'住に萱箇年の時間的距離しかない卓
空
事
の葉番に就いて攻の如き記載あり'
〔阜Rll年〕十7月。度支・
又請丁
度支給践添Tf成四十寓貫?令.L兄兆府o今年内服一南
東夢五十鴇石?以備
垂
倉=O
.
詔従レ之。
四十高貫を添加するは今年牧確する粟番の葛の代金であるから四十寓貫を以て葉番五十高石が買
へる課である〇
四十寓貫は四億文なれば'これにて五十筒石を購入し得る常時の粟参萱石の時債は八百女の筈にして、随つて登
斗債は八拾文である。時代を異にLtまた首都のことなれば'天賛四
・五
二ハ戟頃の敬蛙といふ僻陳地方の畳斗
嘗
葦
---葛
-
・.
・∫
:
.
・・・・
-
.言
量
慣二十七文乃至三上
支
なるに比較すれば、二倍額乃至三倍であつても特に怪しむに足もぬであらうが.此の登
斗償八拾文のものが'同じ地域に於て、すぐ翌貞元二年
に費百五拾文なりとは精々
其の懸隔が大に過ぐる雄があ
る.恐くはこれ特殊の事情に経由する特殊現象であらうから'以て
1殻的な老嬢標準とは属し難いと思ふ。倣煙
相方は僻陳であるから、これ亦
l般普通よりは稽々韓債であらうと推測せられるが'しかし斯様塑且膚軍といふ
達防軍の軍倉の収納合計簿に見える債であ-、
且つ1般に達防章の駐在地域は徽短地方に頬似せる経済事情の袖
にして.諸物債の高貴なる中原や首都地方の如き地域ではないから'少-とも遁防軍の軍糧
の債に関する限-は
此の轍燈地方のものを以て
1殻を席しても'甚だしき過誤に陥るよいと考察せられるo然らば汝防軍の兵卒の翌
g箇牛の糧食費は萱人音千七百七恰文なれば'末筆間期の達防軍槽故五拾溝八のrLJれは渦絹八S.:八甫五千貨女:
*rT
唐の天菅時代に於ける河西道連防軍の衣糧給典に裁きで
第四巻
五五
第
l凝
五五
top related