atsuta-garo.com · 2012. 3. 9. · created date: 2/8/2008 11:49:19 am

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:轟 難申 肖コ0菌蒔鎌 鶉回○辞洲日: 2008年 (平 成20年 )2月 8日て金) 繭ψ 90 80 20

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Page 1: atsuta-garo.com · 2012. 3. 9. · Created Date: 2/8/2008 11:49:19 AM

:轟難申肖 コ 0菌 蒔 鎌 針 鶉 回 ○ 辞 洲 日 :

新 2008年(平成20年)2月8日て金)

繭ψ

鑽 ゝ

御堂筋と新御堂筋が交

差するエリアは

、私の絵

画ライフにと

って思い出

の場所である。今はなき

画廊では夫婦合同の初の

展示会を開き、また画廊

近くにあ

った画材店の2

階にはデ

ッサンやク

ロッ

キーのためよく通

った。

約90分のクロッキーをし

た後、ビールを飲みなが

ら絵画談義をするのが

週末の憩いのひとときで

ったことが懐かしい。

思い出に浸りながらア

メリカ総領事館前を横切

って、大江ビルデイング

の横を通り、知人の個展

が開かれている

「マサゴ

画廊」に向か

った。女主

・古野咲子さんと久し

ぶりの対面だ

ったが、目

が合

った瞬間

「熱田さん

―・

御堂筋ものがたりは

見てるわよ」のこあいさ

つ。うれしい再会だ

った。

お会いする度に話題に

なるのが、画家

・成瀬政

成瀬さんを、古野さんが

憲子さんに紹介した。彼

は近くの裁判所で勤務し

ながら絵を描く、画家志

望の独身であ

った。シ

イな彼は、人に夢を与え

る絵を描きたいと熱

っぼ

く語り始めた。その後、何

回かの画廊での出会いが

縁となり、憲子さんは結

婚を決意された。古野さ

んは、成瀬さんの人柄と

文才

・画才に注目し、応

援を決意されたという。

当時^成瀬さんは絵の

傍ら随筆の出版もされて

成瀬さんは持

っていたよ

うに思う。古野さんは、彼

一途な発展ぶりを見る

のを楽しみにしている。

長野

。安曇野にいる成瀬

さんご夫妻から

「大阪の

お母さん!」と電話があ

ると

、わが子のようにい

とおしく思われてならな

いという。女主人は今年

80歳代に入

ったが、

「お

客様に元気をいただいて

います」と、眼鏡越しの

目を輝かせていた。

帰り道に老松町をまわ

った。美と文化の町二

書画

。骨董の町といわれ

たこの通りを、久しぶり

に歩いた。相変わらず古

美術店が目につき、心持

ち画廊が減

って飲食店が

増えていた。夕刻であ

ただけに飲食店が町に活

変わらぬ空間に心が安らぐ

博さんとそのご家族の消

患。成瀬さんは、週刊新

潮の表紙絵を連載されて

いる著名な画家である。

20年以上も前の成瀬さ

んのエピソードを紹介し

よう。成瀬さんの奥さん

になられている憲子さん

が、マサゴ画廊で個展を

開いていたある日、これ

まで時々来場されていた

いたが、古野さんは画廊

を舞台にして、成瀬さん

の作品と人柄の広報に努

めた。そして徐々に画業

が軌道に乗

ってい

った。

そのころ私も成瀬さんを

知り、私の会社の女子社

員をモデルとして紹介し

たこともあ

った。

「助けであげたい」と他

人に思わせる雰囲気を、

気を与えていた。量日、絵を

買いにきた店も健在だ

たのをみて、何かホ

ッと

させられた。変わらぬ空

間はたたずまいを感じ、

心安らぐものである。間

くところによると、町の

活性化のために骨董市が

開かれているという。新

しい町づくりを期待した

いところである。