bòbðbñb÷ bö ¬ ³ - nimra · 2017. 8. 20. · bòbðbñb÷ bö ¬ ³ ã (bú ¬ ãbè...
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2017年6月例会
日 時:7月 20日(水)19:00~20:30
場 所:I.C. Nagoya 教室 (名駅永田ビル 7階)
講 師: 団野誠 氏 (中日新聞社理財企画室長、NIMRA会員)
テーマ: 久屋大通を語ろう
■軽い前菜…久屋大通の誕生と私見
昭和 20年、名古屋の都心部は米軍爆撃により一面焼け野原になり、
名古屋城も消失した。添付の写真 3枚はいずれも名タイ・アーカイブ
ス委員会発行の写真集「昭和の名古屋」から許可を得て転載した。
写真 1 は昭和 35年、戦災復興のための 100m道路の整備が整い始め
たころ、若宮と久屋の交差点から北のテレビ塔を見た構図だ。
写真 2は昭和 36年、久屋と若宮の 100m道路を東南側上空から移し
た空撮写真。「交差点」にポツンと残っているのが、中日新聞の前身、
中部日本新聞の旧本社である。この写真撮影の直後に取り壊され、換
地先のひとつが現中日ビルの敷地だった。
写真 3は昭和 41年、換地先に竣工した中日ビル。西側ではバスター
ミナルが建設中だ。中日ビルとバスタの「ど真ん中ペア」は半世紀後
の今も現役である。このふたつがどうなるかが栄のカギを握る。
私は昭和 46年に名古屋にきて建築学生になった。しかし 7年後に志
を一転し、地元紙に入って新聞記者を 32年つとめた。ところが 7年前
から「社有不動活用担当」を任じられ、中日ビル建て替えがいまの最
大使命になっている。
添付した原稿は、私が外部理事をつとめる愛知建築士会の会報に投
稿した 2年前のエッセイ。きようのテーマ、久屋大通りと公園は「家
康公と田淵氏が残してくれた遺産」であると書いている。
■苦い主菜…賑わいは週末だけ、この贅沢空間を生かせていない
生かせていない原因の第一は、久屋大通公園が東西道路で分断され
ていること。南北車線も広すぎる。名古屋が「クルマの街」になった
ためか、地下に巨大駐車場を設けたことも分断をもたらしている。
原因の 2は「発達しすぎた地下街」にあると思う。栄の地下街は、
ある意味で「広大で安全で楽チンな年中ホコ天」だ。中でも地上広場
との連携が悪い。というよりほとんどない。戦災復興シンボルである
TV塔へ地下から吸い上げる工夫もされなかった。
原因の 3番目は、ウィークデーは「広場」になっていないこと。ラ
ンチを食べるサラリーマンや、乳母車で散歩する母子は少ない。近く
に市民がほとんど住んでないからでもあろう。札幌大通公園はイベン
トも多いが、生活に根付いているように見えた。明治初めにできて歴
史が長く、周辺に住む市民が多いことも要因とみている。
■美味な主菜…それでもやっと、動きが出始めた
久屋の北エリアを手始めに、名古屋市に「公園経営」導入の動きが
やっと出始めた。東西道路の一部封鎖とか、PFI方式のカフェ導入、モ
ニュメント撤去などの動きがある。都市公園法の改正も追い風になっ
ているのだろう。
噴水南側のバスターミナルは、市は今年度にオアシス周辺へ移転さ
せる計画だ。その跡地は東京五輪が終わるまでイベント広場として暫
定利用するといい、運営する民間会社公募を予定している。市はその
暫定利用期間中に、バスタから南側のエリアの本格整備の計画を練る
方針。市は先の議会で、南エリア最南端の「光の広場」に 5000人収容
のスポーツアリーナを新設する構想も明らかにしている。
中日新聞社と中日ビル社は昨年 9月、中日ビル建て替えの方針を発
表した。2020年代半ばの完成を目指し計画を煮詰めている段階だが、
バスターミナルを含む南エリアがどうなるかは新中日ビルにとって極
めて重要なので、動きに大きな関心を持っている。
関係する新聞記事を 8本、資料におさめた。参考にしてほしい。
■デザート…もっと議論を、もっと利用を
やはり久屋大通り沿いに名古屋事務所がある日建設計は、6月末にテ
レビ塔で開いたフォーラムで、久屋大通りの生かし方についてさまざ
まなアイデアを披露した。うち 3例を添付資料につけた。
名駅がどう変化していくかも関心事だ。私の持論は「かつて 4M(百貨
店 4つ)、いま 3M(MIRAI、MRJ、MAGLEV)」。名駅の 3Mは、NIMRAの丸山
さんも指摘されていた通りで、名駅は「産」に馬力がある。それに比
べて栄は、真ん中に巨大な久屋大通りがあるため、よくも悪くも、今
も昔も、「市(官)」主導が宿命なのかもしれない。
名駅には 2027年のリニア開通後、駅の東側と西側に細長い「駅上広
場」ができる。きょうのテーマ、100m道路誕生に匹敵する出来事にな
る可能性がある。特に駅東広場は、摩天楼のはざまにできる細長広場
になる。ニューヨークのタイムズスクエアに近いかも。久屋は道路指
定を外すくらいの気概がないと太刀打ちできないかもしれない。
一方、名古屋城の木造復元は市民の意見が割れているが、もし予
定通り進めば、名古屋の文化軸は東へ振れる。その軸は名古屋城から
南の久屋大通りと栄を経て、大須、熱田へと連なる。名古屋の街の変
化は、そんな大きな時間軸と文化軸でも論じていきたい。
(了)
資料 2 愛知建築士会会報「愛知の建築」2015年 10月号「論叢」寄稿
写真集「昭和
の名古屋」(名
古屋タイムズ
アーカイブス
委員会)から
写真集「昭和
の名古屋」
(名古屋タイ
ムズアーカ
イブス委員
会)から
写真集「昭和
の名古屋」
(名古屋タイ
ムズアーカ
イブス委員
会)から