創立周年 記念誌 - 東京都立日野高等学校...2 挨拶・祝辞...

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創立50周年 記念誌 東京都立日野高等学校

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Page 1: 創立周年 記念誌 - 東京都立日野高等学校...2 挨拶・祝辞 創立50周年に寄せて 第15代校長 宮﨑 高一(現 東京都立砂川高等学校) 東京都立日野高等学校創立50周年にあたり、心から

創立50周年記念誌

東京都立日野高等学校

創立50周年記念誌

東京都立日野高等学校

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創立50周年記念誌

東京都立日野高等学校

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校旗・校章・校歌・教育目標

教育目標1 自主・協調の精神を養う

2 知性を高め、体力の向上を図る

3 豊かな心を培う

東京都立日野高等学校 校歌

勝  

承夫 

作詞

井上 

武士 

作曲

一、みどりさわやかに 

空広やかに

窓には清き 

武蔵野の風

若き英知の 

みなぎるところ

夢多き 

センペルセコイヤ

純情の 

われらあり

日野高校に 

のびゆく力

二、光なごやかに 

日に新しく

呼べば答える 

高幡の丘

多摩もながれを 

寄せ合うところ

永遠の意気のまほろば 

友情の 

泉あり

日野高校に 

かがやくわれら

三、遠きあこがれよ 

富士晴れやかに

明日待つすがた 

情熱の雲

つねに希望の 

燃えたつところ

かぎりなき 

愛のふるさと

青春の 

星座あり

日野高校よ 

われらが母校

校章の意匠(デザイン)は校樹センペルセコイアにちなんだものを、という条件で創立当初の生徒全員から募集したものの中から選んだ。中央に日野の「日」を意味する朝日を配し、抱き込む形でセンペルセコイアの葉をめぐらせたものである。校樹に守られ、励まされて、共にすくすくと伸びようという願いを込めている。

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平成27年度(2015) 部活動集合写真

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目 次

校旗・校章・校歌・教育目標写真で見る日野高校

挨拶・祝辞

50周年を迎えて~明日へ、未来へ、輝け! 校長 小宮德健 /1

創立50周年に寄せて 第15代校長 宮﨑高一 /2

永続する学び舎 第14代校長 伊藤 清 /3

世界へ羽ばたく人材を輩出する学校へ 第12代校長 上原健夫 /4

50年の歴史と次の一歩へ いちい会(PTA)会長 米沢 剛 /5

母校創立50周年にあたって 同窓会会長 後藤正幸 /6

50年の歩み

学校の沿革… …………………………………………………………………………………………………………… 8創立から10年 / 1411年から20年 / 1621年から30年 / 1831年から40年 / 2041年から50年 / 22

校地、校舎の変遷……………………………………………………………………………………………………… 24

部・同好会一覧………………………………………………………………………………………………………… 32

卒業生と日野高校……………………………………………………………………………………………………… 38美術部OB会展 / 38

学校創立50周年にあたって 5期生 野球部後援会副会長 梅田 武 / 39

同じ時間の流れの中で過ごしてきた 12期生 泉田洋一 / 40

私の人生を変えてくれた日野高校 13期生 松下 耕 / 41

日野高校生物部と私 旧職員 8期生 京本 隆 / 42

日野高校の現在(10年間の記録)

移り行く時の中で……………………………………………………………………………………………………… 44学力向上の試み / 44部活動の躍進 / 46主将としての3年間 46期生 元野球部主将 工藤誠也 / 48

東京国体 日野高校ダンス部の活躍 徳田雅信 / 49

映画★演劇部が映画祭にかけた思い 48期生 辻…菜々子 / 50

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異文化交流 / 51「日野」から「世界」へ 旧職員 高島みゆき / 53

TVに映った日野高校 / 54NHKドラマ「トランジスタ・ラジオ」に参加して 49期生 坪井秀記 / 55

学級数の増減 / 5650周年記念デザイン!日野高校3代目制服決定! 制服検討委員会 / 57生徒の活動… …………………………………………………………………………………………………………… 58体育祭 / 58文化祭 / 61合唱祭 / 65修学旅行と校外学習 / 67マラソン大会 / 69その他の行事 / 72生徒の活動~部活動~ / 73生徒会活動10年間の推移 / 79 挑戦、それから。 45期生 元生徒会長 草野晴菜 / 81

校務分掌からの報告…………………………………………………………………………………………………… 82教務部 / 82生活指導部 / 84進路指導部 / 85保健部 / 87総務部 / 89図書館 / 91経営企画室 / 93

いちい会のページ……………………………………………………………………………………………………… 94

資料編

教育課程の変遷 / 96ここ10年の卒業生 進路状況推移(及びそのグラフ) / 103ここ10年の進学・就職先 / 10410年間の担任団 / 107在籍教職員一覧 / 109

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50周年を迎えて ~明日へ、未来へ、輝け!

校長 小宮 德健

東京都立日野高等学校は、創立50周年を迎えることになりました。この記念すべき日を迎えることができたのもひとえに、創立以来本校の教育に御支援、御協力いただきました地域の皆様方、PTAいちい会をはじめとした保護者の皆様方、また、これまで本校の教育を支えてこられました歴代の校長先生をはじめ多くの教職員の方々、そして何よりも努力を積み重ねた卒業生のおかげであると心より感謝申し上げます。

本校の歴史を遡りますと、ベッドタウンである多摩地区の人口急増により、当時の日野市や多摩町、稲城町からの都立高等学校を誘致しようという熱き思いにより、昭和39年12月、日野市から請願書が提出されました。昭和41年1月1日、都立日野高等学校が設置され、4月1日、地域の皆様方の大きな期待を受けて開校しました。開校当時は、プレハブの仮校舎でしたが、昭和42年4月に本校舎が落成、その当時に植樹された校樹でもある3本のセンペルセコイアに見守られながら巣立っていった卒業生は、16,000人を超えています。

初代故松吉利夫校長は、「都立高校の良い所を日野に結集しよう」を合言葉に、教職員、生徒ともに一丸となって学校づくりに励まれたとされています。松吉校長は、「自発的に自分で勉強し、自分で考えてはじめて学力も真に身についてくるものである。」と「学問に王道なし」を説き、「進路の選択について」は、「人間の適性は仕事に対する経験や努力によって成長し、発展し、変化していくものであることを忘れてはならぬ。適性がないのだからといって努力をしないのは、自己の責任を適性に転嫁したものである。」と訴えています。こうした建学の精神は、半世紀もの間受け継がれ、「明るく伸び伸びとした」校風の下で学んだ多くの卒業生が、社会の一員として社会の発展に貢献し、活躍していることは、本校の誇りでもあります。

この10年間、本校は東京都教育委員会から、平成18年度に重点支援校に指定され、「日野サンライズプラン21」を策定し、学校の改革に取り組みました。平成22、23年度に部活動推進指定校、25年度に部活動推進

指定校、スポーツ教育推進校、26年度にオリンピック教育推進校、安全教育推進校、27年度にはオリンピック・パラリンピック教育推進校・スポーツ特別強化校として指定され、教育活動の充実を進めてきました。

現在本校は、『日野高から始まる未来、輝け自分!』、『切り拓け 自分の未来』をスローガンとして、あらゆる場面で生徒一人一人に徹底して寄り添い、生徒の成長と希望実現のための教育活動を実践しています。「迷ったら四年制大学、迷ったら一般受験」の方針を掲げて、「部活動にも勉強にも全力を尽くす!」日野高生を育て、「学力」(=「自ら学ぼうとする意欲」+「思考力」+「判断力」+「自己表現力」)の向上を目指した授業を展開し、平成26年度からは、年間18回程度の土曜授業を実施しています。進学実績では、四年制大学合格者数が、3年前と比較し倍増するなど着実に成果を挙げています。また、部活動では、女子バスケットボール、女子バレーボール部、陸上部が関東大会に出場し、硬式野球部が西東京大会で準優勝、吹奏楽部が都のコンクールで金賞など多くの部が上位進出を果たしました。さらに、生物部による日野市や国土交通省と連携したホトケドジョウ復活再生事業の実施、地学部による日野市民天体観測会の実施など、地域でも積極的に活動しております。

現代社会は、急激な変革期にあり、グローバル化が進み、次期学習指導要領や大学入試についても検討されているところです。今後、社会の変化は、益々急激に進むものと思われます。卒業生、在校生ともに「入学して良かった、やって良かったと言える学校」にすることはもとより、建学の精神を受け継ぎ、これまでの教育実践をさらに加速させ、豊かな個性とすぐれた人格、心身ともに健康で進んで未来を切り拓き、たくましく生きる生徒を育成できる学校を目指します。本校発展のために、今後とも、皆様方からの御支援、御指導を賜りますようよろしくお願いいたします。

結びに、本校50周年記念行事の準備に当たり、御尽力、御協力いただきました皆様方、御多忙中にもかかわらず玉稿をいただきました皆様方に深く御礼を申し上げます。

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2 ■挨拶・祝辞

創立50周年に寄せて

第15代校長 宮﨑 高一(現 東京都立砂川高等学校)

東京都立日野高等学校創立50周年にあたり、心からお祝い申し上げます。

私が日野高校に着任した平成25年は、日野高校の歴史の中で最も大きな話題にあふれた年でした。4月に着任して間もなく女子バレーボール部の関東大会出場のニュースがあり、さすがにスポーツが盛んな学校なんだと強く感じました。また、平成25年は国民体育大会が東京で開催、日野市が空手、ホッケー、ボクシングの会場となっておりました。実行委員会の中でも日野高校の協力についていろいろな方々から声をかけられ、わけもわからぬまま、協力に当たったダンス部や関係の先生方と連絡をしたことを記憶しています。  

そのような中で日野高校として決して忘れられない大きな出来事がありました。かねてより注目を集めていた硬式野球部の活躍です。私も生徒の校外での活動はなるべく足を運び、声援を送るようにしていたのですが、所用の関係で、緒戦には八王子球場での一戦のみしか観戦できませんでした。その後、順調に勝ち進み、神宮球場での上位出場、対明大中野八王子、そして、準決勝で対国士舘戦となりました。当日は、高等学校文化連盟写真部門の地区大会閉会式にて入賞者の表彰をすることがあり、対国士舘戦の勝利を見届けてから、タクシーで新宿の会場に駆けつけた思い出が強く残っています。そして、日野高校が決勝進出というニュースがかけめぐり、神宮球場は駆けつけた応援の皆さんで超満員となりました。外野席にも入れず、相手校側のスタンドに入れたという日野高校応援の人の声を聞くこともありました。また、東京都教育委員会の教育長、地元日野市の市長と教育長をはじめとした方々も駆けつけてくださり、一緒に観戦しました。惜しくも準優勝という結果とはなりましたが、ベンチに入っていた選手の活躍はもちろん、応戦していたダンス部や吹奏楽部をはじめとした生徒、保護者、そして多くの卒業生、地域近隣の皆さんに、感謝の思いで一杯でした。日野高校だけでなく都立高校全体に、大きな希望と元気を与えてくれた熱い夏のひとこまだったと思います。

冒頭から硬式野球部のことで長くなってしまいまし

たが、それだけ、日野高校の、日野高校生徒のパワーを見せてくれた出来事だったと思います。その後も、行事や多くの部活動、地域での奉仕等の活動で、生き生きとした活動があり、保護者、地域や各方面の皆さんから期待と温かい励ましの言葉を頂くことが続きました。高校の最も望ましい本当の姿がここにあったと思います。

そしてもう一つ、大きな話題となったことが卒業生の活躍であります。芸能界で活躍するアンジャッシュのお二人が学校を訪れ、親しくお話しさせていただきました。また、忌野清志郎さんの母校ということで、高校時代をモチーフにしたドラマが制作され、日野高校の校舎を撮影場所として使っていただきました。生徒の皆さんや、先生方にも多くの協力を頂きました。忌野清志郎さんの卒業時に描いた自画像が本校に所蔵されています。通称『顔のない自画像』と言われていますが、その撮影の際に、裏面に本人自筆のタイトルではないかと思われる言葉が確認されました。『春』というひと文字ですが、悩みつつも夢を追いかけ、迎えようとする卒業を前にしての気持ちを端的に表現した言葉と思います。50年を経て時代が変わっても、今の高校生にも共有できるものではないでしょうか。

私は、平成27年3月をもって退職し日野高校をはなれましたが、最後の卒業式で、卒業生の皆さんに『やってみなはれ』という言葉を贈りました。これからの日野高校で学ぶ生徒の皆さんが、充実した生活を送るとともに、培った『人間力』を、社会に出てからも遺憾なく発揮していただけることを祈っています。

日野高では、先生方、経営企画室の皆様のおかげで、生徒の諸活動が十分満足のいくものとなり、進路状況も希望実現に向けてより向上していると伺います。職務を遂行するに当たり、大変助けられ、感謝しております。

皆様とともに創立50周年を迎えられたことをお祝い申し上げ、東京都立日野高等学校のますますの飛躍と発展、関係する皆様の御健勝を祈念して挨拶とさせていただきます。

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3

永続する学び舎

第14代校長 伊藤 清(現 日体桜華高等学校)

日野高校在任期間の4年4月の思い出はあまりに多

くその密度はあまりに濃い。紙面には載せられない体

験をいくつもした。それらの個人的な体験は日野高の

イメージと重なり当時の日野高だからこそ体験できた

貴重なものだと思う。生徒が母校に抱く思い出も日々

の学校生活と重なってインプットされる。そしてそれ

が母校への懐かしい思い出となってその後の人生を生

き抜く力となる。

学校はそのような思い出作りの場でなければならな

いと思う。楽しさも苦しさも友と交わり教師とはぐく

む。そんな私たちの学校はいつまでも残ってほしい。

そして発展し続けてほしい。卒業生だけでなく教職員

にとってもそれは共通の願いに違いない。そういう意

味で日野高が50周年を迎えるに至ったことを本当にう

れしく思う。ようやく大人の仲間入りを果たせたよう

な気がする。

学校が元気で永続するにはミッションが必要だ。元

気はつらつ自信をもって生き抜くには一丸となって取

り組める高い目標と大義を創出しなければならない。

それは時代の変化につれて変わっていく。大切なの

は、いつの時代にあっても未来を見据えることだろ

う。私は日野高を初めて見たとき周りに民家が少な

く、浅川と多摩川が合流する砂州の中にあって、自然

いっぱいの環境に着目した。そこで二つの目標を立て

た。甲子園と東大である。周りを気にせずにスポーツ

に打ち込める。大声を出しても苦情がこない。勉強し

ようと思えば静かな環境がわたしたちを深い思考へと

いざなってくれる。甲子園も東大もそれを達成したか

らといってそれ自体に意義があるわけではない。やれ

ばできるという明快な事実をもっともビジュアルな形

で示したいと考えたのである。できないから目指さな

いのではない。まず、目標を立てて、どうすればそこ

にたどり着くかを考えるのである。そんなことを夢想

しているうちに私は万願寺や高幡不動から日野高を目

指して浅川の土手に生徒があふれる光景を目に浮かべ

た。過去に都立高校で甲子園に行った学校があるが、

私は校長が示す学校経営計画に位置付けて、意図して

計画的に達成してみたいと考えた。

教育活動の標語に文武両道や文武不岐という言葉が

あるが、もとより文も武も一つである。武から逃げて

文はない。文から逃げて武はない。武は文を求め文は

武を求める。私が日野高で目指した方針は教育活動の

根本を成すものだと考える。

そんな日野高校は100周年に向けて確実に発展し続

けるだろう。私が夢想した突飛な夢を誰かが現実のも

のとして形にするに違いない。今のところ5合目あた

りまで登っただろうか。次の50年を迎えるころには過

去の一校長の突飛な夢は当たり前のように学校の柱と

して位置づくだろう。在校生、卒業生、教職員、保護

者、日野高の歴史を紡いでくれるすべての皆様に感謝

の気持ちとエールを送る。本当にありがとう。

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4 ■挨拶・祝辞

世界へ羽ばたく人材を輩出する学校へ

第12代校長 上原 健夫(現 東京女子体育大学)

開校50周年を、心からお慶び申し上げます。日野高校には、中学校長を4年間務めた後、平成15

年に着任し、5年間お世話になりました。この間、開校40周年を迎え、PTA(いちい会)のご尽力によりA棟屋上に校名看板を設置していただくことができました。また、京王電鉄高幡不動駅の大改修に伴い、案内表示に「日野高校」を入れていただくこともできました。

着任した当時の第一印象は、生徒達はとても明るいのですが、「自主・協調の精神を養う」という教育目標がいつの間にか「自由・放任・無秩序」という校風に変わってしまっているように感じました。初めは、中学校から高校へと勤務先が変わったことによる錯覚かとも思いました。しかし、平成13年度頃から、日野高離れが進み、自由すぎる校風の為か女子中学生には好まれても、男子中学生には敬遠され気味となり、募集状況の低迷が続いていることは錯覚ではなかったと実感しました。自由がない所には発展はあり得ず、秩序のない所ではその発展は持続しないとも言えるのではないでしょうか。また、当時は多くの都立高校に慣行慣例が残っており、本校でもそれを打破することから始めなくてはなりませんでした。折しも私が着任した平成15年度から全都立学校長は、「学校経営計画」の提出が義務付けられることとなりました。職員会議に原案を出したところ先生方から猛反発を受けましたが、良い意見は取り入れて都教育委員会に提出しました。私の学校改革に向けた最初の課題は、大職員室がないことでした。学校の図面には載っているのですが、実際は各教科職員室になっているのです。担当分掌ごとに席が固まっている大職員室は、生徒を指導していく上で、また、先生方のチームワークづくりには不可欠なものです。改革の糸口として大職員室の設置を提案しましたが、先生方の意見は二分し、校長の職権をもって、ようやく2年目の夏休みに設置することができました。人数分必要な先生方の机と椅子は、当時の柴田事務長が全都立学校に連絡をとり、お金をかけないで調達するという手腕を発揮し、念願の大職員室が実現しました。次の学校改革への着手は、入学応

募者増に向けて、中学校や学習塾へのローラー作戦の展開でした。ただ訪問しても目玉になるものがなくては相手にしてもらえませんので、東京都重点支援校の指定を受けることを考えました。テーマを「生徒が輝く『日野サンライズプラン21』~生徒の希望進路の実現と豊かな人間性を目指す健康づくり~」として、学校改革に取り組む具体的な計画を作成しました。しかし、1年目は応募校が数多くあり、指定を受けるまでには至りませんでした。再度計画を練り直し、ようやく2回目の挑戦で指定を受けることができ、この看板を背負って中学校や学習塾を訪問しました。一方で、地域や中学校に信頼される生徒を育成する生活指導の徹底を目指し、今ではどの学校でも当たり前になっていますが、まず頭髪指導に着手しました。保護者への通知や、学年・生活指導部の先生方が中心となって、生徒への粘り強い指導を行い、確実に指導が浸透していきました。スポーツ・文化部の躍進も加わり、現在のような意欲的に学習する生徒、部活動や学校行事に汗を流す生徒、地域に貢献する生徒で満ち溢れた日野高校になったと自負しています。私は、現在大学に勤務しており、学生募集も兼ねて毎年4月に日野高校を訪問します。明るく礼儀正しい挨拶をする生徒に会うたびに嬉しさが込み上げます。

着任から10年たった平成25年には、野球部が夏の東京都大会で決勝まで進出しました。神宮球場には西東京で都立国立高校以来33年ぶりの都立高校の甲子園行きを応援しようと3万人を超える観客が球場を埋め尽くしました。相手校の日大三高よりも多くの人が日野高校に声援を送ってくれる姿を見て、こんなにも都民から愛される学校になったのかと目頭が熱くなりました。残念ながら甲子園出場は叶いませんでしたが、日野高校の歴史に新たな1ページを刻んだ野球部員、それを支えて下さった保護者、卒業生、地域の皆さんに改めて感謝したいと思います。日野高校が、これから先も校樹センペルセコイアのようにたくましく大きく成長を遂げ、世界に羽ばたく人材を輩出する高校として躍進が続いていくことを願っています。

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5

50年の歴史と次の一歩へ

いちい会(PTA)会長 米沢 剛

日野高校の50年、本当におめでとうございます。心からのお慶びを申し上げます。

この50周年記念誌への寄稿に当たり、創立20周年記念誌と当時のPTA広報誌をめくりました。50年前の開校当時や30年前の学校の様子とPTA活動がつづられており、大変興味深い内容です。これまでの50年の歩みに敬意を表すとともに、お節介とは思いますが、皆さんにぜひ日野高校の歴史の一端を知っていただき、ますます日野高校が好きになり、これからの未来をみんなでつくっていくことにつながればとの気持ちを添え、お祝いの言葉に代えたいと思います。

《開校当初~創立20周年の頃》①1966年1月、「住民の絶大な期待のもと、日野市に

都立高を誘致」「農協の倉庫にて、日野高校開設準備が始まる」←準備室に机一つなかったそうです。

②同年1月末、グレーの制服に決定「明るい校風と進取な気質を養うため」←当時は斬新なものであったそうです。

③同年1月、校樹センペルセコイアに決定。「すくすく成長してほしい」←最初植えたのがダメになって、何度も土をいれかえ、4本新しく植え、10年たっても2ⅿの高さしかなかったそうです。

④同年3月、いちい会の名称が決まりました。⑤1979年、卒業記念講演 サッカー岡野俊一郎氏、

1985年5月、冒険家の植村直己氏 講演会中止 ←2月12日、マッキンリー登はん後の下山途中に消息を絶ったため。講演を心待ちにしていた生徒の悲痛な顔が瞼に焼き付いているとの、記録があり、今読んでも胸が痛くなります。1985年当時のいちい会スローガンに「日野高は、日

4 4 4 4 4

野市の誇りとならねばならない4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4

」とあり、斬新大胆さにとても驚くとともに、学校とPTAで遠慮のない関係であったのだと感じさせられます。当時のPTA活動は、全国PTAから認められ表彰されたこともあることを知りました。これらは、ほんの一部です。今、いちい会会長である私に、PTAの運営を任される責任の大きさを改めて感じるとともに大きな勇気と刺激

を与えてくれています。日野高校の50年×365日=18250日、とても重みのあ

る日々の積み重ねだったかと思います。先生方と生徒たち、そして保護者の汗と涙と、喜びと悲しみや口惜しさや様々のピンチもあったかと思いますが、みんなの知恵と勇気で乗り越えてきたことでしょう。今まで、本当にありがとうございます。

現在のPTA活動は、当時の先輩方からするとやや希薄に映るかもしれませんが、「この1年を楽しく!」と活動をしています。子供たちが日々の日野高校での学びを最優先に、そして、日野高校で過ごした3年間を大切にし、社会に貢献してもらえるように支えていきたいと思います。ぜひ、子供たちには、「何のために高校に通うのか」「なぜ日野高校に通うのか?」「どのような道に進み、どんな大人になりたいか!」を考え、目標を定めてしっかり勉強して欲しいと思います。そして、いつも笑顔で弱きを助け、自分で判断できる人間になって欲しいと思います。「日野高校が大好き」「自分の子供が卒業すると日野

高校に行く理由がなくなってしまいさみしい。」とおっしゃっていただく保護者が多数います。日野高校には、日野市内の老舗として地域からも信頼され続ける学校でいて欲しいと思います。先生方には、これからもますます日野高校と生徒たちを全力で愛して、3年間育てていただき、卒業してからも卒業生と共に保護者も笑顔で迎えていただけたらと願います。

同窓会の皆様は、人生の目標となる先輩の姿そのものです。次の60周年に向けて、ますますの御健勝をお祈りするとともに、いつでも笑顔で集まれる大切な場を作り続けていただきたいと思います。

日野高校が、次の10年の歩みを進める一歩を、私たちPTAいちい会も、微力ながら御協力させていただきます。これからの日野高校のますますの発展を願います。願うだけでなく、共に歩みたいと思います。これからの人生の一部を日野高校と共に。

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6 ■挨拶・祝辞

母校創立50周年にあたって

同窓会会長 後藤 正幸

都立日野高校の創立50周年、誠におめでとうございます。同窓会を代表して御挨拶させていただきます。

本校の同窓会は、平成28年3月まで48回の卒業生を迎え、1万5千人を超える会員を抱える組織となり、今回の50周年記念を晴れて祝うことができることは、会員・役員一同喜ばしい限りと感じているところです。

さて、私は本校の第2回卒業生です。私たちのころの昔話しを少しさせてください。

入学したのは昭和42年4月でした。校舎は現在の位置に新たに建築されピカピカでしたが、体育館はまだなく、入学式は中庭で行われました。2期生でこれですから、仮校舎での1期生の御苦労は大変だっただろうと思っていました。

体育館は2年の時に建設されましたが、プールは結局卒業までできませんでした。校庭も粘土質の水はけの悪い土質で、雨が降るとなかなか水が引かず、体育の授業も水たまりのある中でハンドボールやサッカーをやったと記憶しています。

体育館がない時期、バスケット部やバレー部などは屋外で、卓球部は通路でといった部活の練習環境でした。なんか急いで学校を設置して施設は後回しみたいな印象がありましたが「団塊世代」が高校入学年齢にさしかかってからの東京都教育委員会のあわただしい対応だったという印象を拭えませんでした。

学校の周囲も、今テニスコートがあるところは「たんぼ」と林で、近在に農家が点在するようなのどかな環境でしたが、学校内は新設校らしい活気があって、生徒一人一人が自分たちで伝統を作るんだといった気概があったように思います。先生方も新たな学校つくりに取り組むといった気持ちを強くお持ちであったようにお見受けしましたが、生徒指導は非常に穏やかで、他の都立高に比較して自由・闊達な雰囲気はこの頃から醸成されたと思っています。

それから、50年が経過したわけですが、その間、学校群制度が終わって単独選抜になったり、学区制も撤廃されるなど、都立高校を取り巻く環境は大きな変化の時代を過ごしてきました。

余談ながら、学校群制度は2期生の我々の入学時からの制度でした。入学後、複数の友人から群の他の学校に行きたかったといった意見を耳にしましたが、受験生の希望は一切聞き入れられない制度には私自身も納得できないものを感じていました。

また、その後都立高校も統廃合が検討された時期があり、わが母校は大丈夫だろうかと心配したこともありました。実際に一時期は入学選抜の結果、二次募集するといったこともあったようです。

幸いに、ここ10年くらいの間、部活動が活発になるにしたがって、明るく、元気良く、かつ礼儀正しいという生徒の姿が見えるようになったと感じているのは私だけでしょうか。ある先生に聞いた「今の生徒達のうち帰宅部は1割未満」というお話しからも、在校生らが部活を含め本校での高校生活を、しっかりとした目的意識をもち、そして楽しく過ごしている様子が見てとれます。

50年にわたる日野高生一人一人の日々の学習活動の積み重ねが「伝統」と呼べる歴史を刻み、そして今後の50年に向けて新たな歴史を後輩諸君が刻み続けてくれることを会員・役員一同願っております。

日野高校の多くの卒業生が旅立ち、そして今立派な社会人・学生として活躍することができているのは、本校に着任された先生方のよろしき薫陶を受けてのことで、同窓生一同を代表し、この場をお借りして諸先生方に感謝の気持ちを表します。

ありがとうございました。私たち同窓会は、今後も日野高校の発展と在校生徒

の多方面にわたる活躍のために、末永く応援役を務めることをお約束してお祝いの言葉とします。

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50年の歩み

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8 ■ 50年の歩み

学校の沿革昭和41 . 1 . 1 東京都立日野高等学校設置。

1 . 1 元都立白鷗高等学校教頭松吉利夫初代校長に着任。1 . 10 日野市日野2835日野市農業協同組合内に仮事務所を開設。4 . 10 都立立川高等学校において第1回入学式挙行。4 . 11 日野市三沢689仮校舎に移転。9 . 13 本校舎地鎮祭挙行。9 . 21 校章、バッジを制定。10 . 14 都教育委員会規則第41号により、富士森・南多摩高校とともに第71群に所属。11 . 1 本日を開校記念日とする。11 . 30 校旗推戴式。

42 . 4 . 7 日野市石田190本校舎へ移転。6 . 26 本校舎(第1期工事)引継。9 . 1 校歌完成。伝達式挙行。11 . 1 開校記念日並びに第1期工事竣工式挙行。

43 . 4 . 27 本校舎(第2期工事)仮引継。6 . 26 本校舎引継。

44 . 3 . 16 第1回卒業式挙行(卒業生396名)。3 . 28 体育館竣工。

45 . 4 . 1 初代校長松吉利夫都立九段高等学校長として転補。4 . 1 都立大泉高等学校教頭佐田彊2代校長に着任。4 . 20 プール竣工。

47 . 1 . 20 生徒部室竣工。48 . 4 . 1 佐田彊校長教育庁指導部長として転補。

4 . 1 都立武蔵丘高等学校教頭青柳甲子男3代校長に着任。51 . 5 . 15 隣接都有地5,761㎡を第2グラウンドとして借用。

10 . 23 創立10周年記念式典及び記念行事挙行(立川市民会館)。52 . 4 . 1 青柳甲子男校長都立城南高等学校長として転補。

4 . 1 都立久留米高等学校教頭中里富美雄4代校長に着任。10 . 20 都教育委員会規則改定により、第71群より分離し、単独選抜校となる。

53 . 8 . 30 体育館床貼替工事竣工。54 . 11 . 28 教学高発第309号により昭和55年度より募集人員男子235名、女子235名、計470名と決定。55 . 12 . 30 教学高発第283号により昭和56年度募集人員男子188名、女子188名、計376名と決定。56 . 3 . 10 普通教室2教室及び体育館ステージ新設工事竣工。

3 . 31 中里富美雄校長退任。4 . 1 都立八王子北高等学校長中里義夫5代校長に着任。10 . 1 都教育委員会規則第12号により第7学区第71グループに所属。12 . 17 格技棟新設及び体育館フロアー拡張工事竣工。

57 . 3 . 15 特別教室棟新設工事竣工。3 . 31 中里義夫校長退任。4 . 1 都立竹早高等学校教頭松原恒久6代校長に着任。

58 . 3 . 31 グラウンド改修工事竣工。4 . 1 昭和58年度より募集人員男子235名、女子235名、計470名となる。3 . 31 30学級移行による校舎改修及び普通教室改修工事竣工。

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59 . 11 . 30 2教室増築工事竣工。これにより30学級関係工事終了。60 . 3 . 16 落成記念式を挙行。61 . 3 . 31 松原恒久校長退任。

4 . 1 都立館高等学校教頭松本信義7代校長に着任。10 . 30 創立20周年記念式典及び記念行事挙行(八王子市民会館)。

平成元 . 4 . 1 松本信義校長都立武蔵丘高等学校長として転補。

4 . 1 都立富士森高等学校教頭濱中勇次8代校長に着任。2 . 11 . 9 教学高発第405号により平成3年度募集人員男子180名、 女子170名、転勤者4月入学2名、計

352名と決定。12 . 25 校舎西側の国有地8,610㎡を東京都教育庁施設部施設計画課第1164号により知事から引継。

3 . 1 . 10 上記の土地の所有権移転完了。6 . 5 テニスコート、バレーコート、バスケットコートの整備工事着工。7 . 11 大規模改修工事着工。10 . 24 テニスコート、バレーコート、バスケットコートの整備工事竣工。12 . 19 A棟工事竣工。

4 . 3 . 1 研究紀要創刊。3 . 31 濱中勇次校長退任。4 . 1 都立井草高等学校教頭藤本勤9代校長に着任。7 . 31 大規模改修工事竣工。10 . 16 中庭等環境整備工事着工。

5 . 3 . 12 中庭等環境整備工事竣工。11 . 11 教学高発第461号により平成6年度募集人員男子165名(隣接33)、女子153名(隣接30)、転勤

者4月入学2名、計320名と決定。6 . 3 . 10 忌野清志郎氏(2期生)本校体育館にて「卒業記念ライブ」を開く。

4 . 1 校医及び産業医に土方英史氏就任(内科・4期生)。7 . 3 . 31 藤本勤校長退任。

4 . 1 都立五日市高等学校教頭池田宜弘10代校長に着任。5 . 24 新制服の提案。12 . 6 新制服の決定。グレーのブレザー(紺のチェックのスカート)。

8 . 4 . 1 平成8年4月1日より第1学年は7学級となる。11 . 6 創立30周年記念式典及び記念行事挙行(日野市民会館)。

10 . 3 . 31 池田宜弘校長退任。4 . 1 都立桜町高等学校教頭喜多村健二11代校長に着任。4 . 1 平成10年度より各学年7学級計21学級、 1学級の募集人員、40名となる。9 . 20 文化祭閉祭式にアンジャッシュ出演。9 . 30 校舎等耐震補強改修工事(1期)竣工。

11 . 3 . 9 防球網設置工事竣工。9 . 22 校舎等耐震補強改修工事(2期)竣工。

★この年、 校樹センペルセコイアの中央の最も高い木に落雷。12 . 3 . 9 グラウンド改修工事竣工。15 . 4 . 1 喜多村健二校長都立国分寺高等学校長として転補。

4 . 1 区立北中野中学校長上原健夫12代校長に着任。9 . 14 文化祭閉祭式にアンジャッシュ出演。

17 . 4 . 1 平成17年4月1日より第1学年は6学級となる。18 . 3 . 31 平成17年度卒業生数は275名。

以上、学校要覧、記念誌を参考に記述。

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10 ■ 50年の歩み

■この10年のできごと平成18年度18 . 4 . 1 東京都教育委員会より重点支援校の指定を受ける。

これより3年間、生徒が輝く「日野サンライズプラン21」―希望進路の実現と豊かな人間性を目指す健康づくり―をテーマに掲げ、様々な取り組みを展開。

4 . 1 1・2学年6学級、3学年7学級となる。5 . 2 校外学習(1年 昭和記念公園  2年 鎌倉・江の島  3年 大学巡り)。6 . 2 体育祭。6 . 17 中学生体験授業。7 . 5 芸術鑑賞教室 歌舞伎鑑賞教室「彦山権現誓助剣」(国立劇場大劇場)。8 . 10 A棟屋上に「東京都立日野高等学校」の看板設置。9 . 16 ~ 17 文化祭11 . 3 開校40周年記念式典並び記念行事を挙行(本校体育館)。12 . 6 ~ 9 修学旅行(沖縄)。

19 . 2 . 6 合唱祭(日野市民会館)。2 . 14 マラソン大会。3 . 31 平成18年度卒業生徒数263名。

★この年度に低倍率への対策、授業態度指導の徹底などが職員会議で話し合われる。平成19年度19 . 4 . 1 1学年6学級で全学年が6学級にそろう。

4 . 27 校外学習(1年 秋川橋河川公園バーベキューランド  2年 鎌倉  3年 東京ディズニーランド)。

7 . 7 中学生体験授業。6 . 1 体育祭。9 . 15 ~ 16 文化祭(美術部OB会展が多目的室にて行われる)。9 . 28 芸術鑑賞教室 「キャッツ」(キャッツシアター東京)。12 . 11 ~ 14 修学旅行(沖縄)。

20 . 2 . 6 合唱祭(日野市民会館)。3 . 31 平成19年度卒業生徒数233名。

上原健夫校長退任。平成20年度20 . 4 . 1 人事部職員課担当副参事丹治芳男13代校長に着任。

1学年6学級で全学年が6学級に揃う。4 . 28 校外学習(1年 多摩テックキャンプ場  2年 東京下町見学〈浅草・上野方面〉  3年 

東京ディズニーシー)。6 . 5 女子バスケットボール部 関東大会出場の壮行会。6 . 6 体育祭。7 . 10 セーフティ教室(1年AED講習)(2年は3月、3年は12月に実施)。9 . 13 ~ 14 文化祭。10 . 30 大学訪問(1年)。11 . 14 芸術鑑賞教室 「さんしょう太夫―説教節より―」(前進座)(日野市民会館)。12 . 5 ~ 8 修学旅行(沖縄)。12 . 1 都立瑞穂農芸高等学校副校長伊藤清14代校長に着任。

21 . 2 . 13 マラソン大会。2 . 19 合唱祭(この年より学校行事となる)(日野市民会館)。3 . 31 平成20年度卒業生徒数215名。

平成21年度21 . 4 . 1 1学年7学級、2・3年6学級となる。

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5 . 8 校外学習(1年 西湖 浜の家キャンプ場  2年 羽田空港・横浜  3年東京ディズニーシー)。

7 . 9 国際理解。9 . 12 ~ 13 文化祭。11 . 18 芸術鑑賞教室「韓国舞踊・音楽(鼓舞) 朴貞子韓国舞踊団」(日野市民会館)。

22 . 1 . 12 ~ 15 修学旅行(沖縄)。2 . 18 マラソン大会。2 . 26 合唱祭(日野市民会館)。3 . 17 セーフティ教室(万引き、軽犯罪防止)。3 . 31 平成21年度卒業生徒数222名。

平成22年度22 . 4 . 1 東京都教育委員会より部活動推進指定校に指定される。

1・2学年7学級、3年6学級となる。5 . 7 校外学習(1年 富士緑の休暇村  2年 羽田空港・横浜   3年 東京ディズニーラン

ド)。5 . 21 ~ 24 インドの高校生との国際交流。7 . 10 中学生体験授業。9 . 11 ~ 12 文化祭(いちい会、同窓会による座談会、展示「愛し合ってるよ~ 清志郎さんと日

野高の仲間たち」を視聴覚室で開催)。11 . 12 芸術鑑賞教室「ライオンキング」(四季劇場「春」)。11 . 16 サウジアラビアの高校生との国際交流。11 . 18 サウジアラビアの高校生との国際交流。12 . 14 ~ 17 修学旅行(沖縄)。

23 . 1 . 14 百人一首大会。2 . 10 合唱祭(日野市民会館)。2 . 17 マラソン大会。3 . 11 東日本大震災発生。深夜まで帰宅できない生徒への対応をする。13名の教職員が学校に泊まる。3 . 31 平成22年度卒業生徒数236名。

平成23年度23 . 4 . 1 1年7学級で、全学年が7学級にそろう。

4 . 1 国際交流委員会設置。5 . 6 校外学習(1年 東京サマーランドで飯ごう炊さん  2年 羽田空港・横浜  3年 東京

ディズニーシー)。6 . 2 体育祭。6 . 16 大学・専門学校訪問(2年)。7 . 14 国際理解講座 (拓殖大学国際学部留学生との交流)。7 . 15 AED講習会。7 . 16 中学生体験授業。9 . 17 ~ 18 文化祭。10 . 22 アスリートによる部活指導(男女テニス部 長塚京子氏による指導)。10 . 25 アスリートによる部活指導(男女テニス部 長塚京子氏による指導)。11 . 19 ~ 21 ベトナムの高校生との国際交流。11 . 22 芸術鑑賞教室 俳優座プロデュース「十二人の怒れる男たち」(日野市民会館)。12 . 12 セーフティ教室「自転車の安全な利用について・講話」。12 . 17 ~ 20 修学旅行(沖縄)。12 . 19 性教育講演会「エイズから学んだこと」。

24 . 1 . 17 百人一首大会。2 . 8 合唱祭(日野市民会館)。2 . 16 マラソン大会。

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12 ■ 50年の歩み

3 . 31 平成23年度卒業生徒数281名。平成24年度24 . 4 . 1 1学年8学級、2・3年7学級となる。

東京都教育委員会よりスポーツ教育推進校に指定される。東京都教育委員会よりOJT推進指定モデル校に指定される。

5 . 11 校外学習(1年 レイクホテル西湖にてほうとう作り  2年 羽田空港・横浜  3年 東京ディズニーシー)。

5 . 21 金環日食の観測会(地学部)。6 . 8 体育祭。6 . 15 ~ 16 宿泊防災訓練。6 . 21 大学・専門学校訪問(2年)。6 . 26 ミャンマー学習会。7 . 6 AED講習会(1年)。7 . 10 国際理解講座(2年)。拓殖大学国際学部留学生との交流。7 . 14 中学生体験授業。9 . 15 ~ 16 文化祭。11 . 15 インドを学ぶ特別講座(2年)。11 . 21 芸術鑑賞教室 「地球のステージ」(日野市民会館)。12 . 18 セーフティ教室「自転車の安全な利用について」。

25 . 1 . 15 ~ 18 修学旅行(沖縄)。1 . 17 百人一首大会。1 . 18 HIV講演会。2 . 2 インドを学ぶ特別講座修了記念式典に2年生10名が参加。2 . 7 合唱祭(日野市民会館)。2 . 13 マラソン大会。3 . 31 生徒シンポジウム2013を本校を会場に開催。3 . 31 平成24年度卒業生徒数270名。

伊藤清校長退任。平成25年度25 . 4 . 1 都立立川高等学校副校長宮﨑高一15代校長に着任。

1・2年8学級、3年7学級となる。東京都教育委員会より部活動推進指定校に指定される。東京都教育委員会よりスポーツ教育推進校に指定される。スクールカウンセラー配置。

5 . 10 校外学習(1年 西湖 浜の家キャンプ場  2年 羽田空港・横浜  3年 東京ディズニーシー)。

5 . 30 女子バレーボール部・陸上部・関東大会出場の壮行会。6 . 7 体育祭。6 . 20 大学訪問(2年)。6 . 21 ~ 22 宿泊防災訓練。7 . 26 ~ 28 国際交流 台湾の高校生のホームステイ受け入れと柔道部を中心に交流。7 . 28 野球部夏季西東京大会準優勝。9 . 14 ~ 15 文化祭。10 . 24 カウンセリング研修会「思春期の心理―支援が必要な生徒のサイン―」。11 . 14 芸術鑑賞教室 「ミュージカル『リトルマーメイド』東京公演」 (四季劇場「夏」)。12 . 24 セーフティ教室「自転車の安全走行・歩行者保護について」。

26 . 1 . 14 ~ 17 修学旅行(沖縄)。1 . 16 百人一首大会。

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2 . 13 合唱祭(日野市民会館)。2 . 19 マラソン大会の予定であったが、雪のため中止。3 . 31 平成25年度卒業生徒数282名。

平成26年度26 . 4 . 1 東京都教育委員会よりオリンピック教育推進校に指定される。

東京都教育委員会より安全教育推進校に指定される。1年8学級で、全学年が8学級にそろう。

5 . 9 校外学習(1年 西湖 浜の家キャンプ場  2年 羽田空港・横浜  3年 東京ディズニーシー)。

6 . 9 体育祭。従来の赤・青・白に黄団を加えて、初めて4団で競う。6 . 13 ~ 14 宿泊防災訓練。13日に「地球のステージ」鑑賞。6 . 18 上級学校見学会。7 . 11 AED講習会(1年)。9 . 13 ~ 14 文化祭。11 . 13 カウンセリング研修会(教員対象)「不登校その背景と関わり」。12 . 18 大学見学(1年)。12 . 24 セーフティ教室「情報モラル講座・サイバー犯罪防止について」。

27 . 1 . 13 ~ 16 修学旅行(沖縄)。2 . 5 合唱祭(日野市民会館)。2 . 17 マラソン大会。3 . 23 百人一首大会。3 . 中旬~下旬 忌野清志郎さん在学中の本校を舞台としたNHKドラマ「トランジスタ・ラジ

オ」の撮影が行われ、在校生がエキストラとして出演した。3 . 31 平成26年度卒業生徒数316名。

宮﨑高一校長退任。平成27年度27 . 4 . 1 教育庁指導部指導企画課統括指導主事小宮德健16代校長に着任。

東京都教育委員会よりオリンピック・パラリンピック教育推進校に指定される。1年8学級で、全学年が8学級にそろう。

5 . 7 上級救命講習(1年)。5 . 8 校外学習(1年 西湖 浜の家キャンプ場  2年 羽田空港・横浜  3年 東京ディズ

ニーシー)。6 . 4 体育祭。6 . 19 ~ 20 宿泊防災訓練。19日に「地球のステージ」鑑賞。9 . 12 ~ 13 文化祭(開会式にアンジャッシュのビデオレター上映・中夜祭で花火の打ち上げ)。12 . 24 セーフティ教室「情報モラル講座・サイバー犯罪防止について」。

28 . 1 . 12 ~ 15 修学旅行(沖縄)。2 . 4 合唱祭(日野市民会館)。2 . 10 マラソン大会。3 . 11 卒業式にアンジャッシュ渡部さん司会のTV番組の収録があり、渡部健さん、歌手の藤巻亮太

さんが来校。藤巻さんが「3月9日」を歌う。3 . 22 百人一首大会。3 . 31 平成27年度卒業生徒数309名。

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14 ■ 50年の歩み

創立から10年

東京都立日野高校は昭和41年1月1日に設置された。1月10日には日野市農業協同組合事務所別棟倉庫2階に仮事務所を開設し、2月22日に日野一中で入学選抜学力検査が行われるまでに、初代松吉利夫校長の下、制服決定、教育方針決定、校樹決定が次々となされていく。1期生入学後の9月には1年生であった生徒の図案をもとに校章の制定が、翌年9月には校歌が完成し、学校として備えるべきものがそろっていく。創立の年の10月に、学校群制度により日野高校は富士森、南多摩高校と共に第7学区71群となる。昭和53年入学の13期生までの11年間、日野高校はこの群制度のもとにあった。

都立立川高校で行われた第1回入学式では、男子200名、女子201名が1期生として入学を果たした。翌42年に本校舎が完成するまでの1年間は、日野市三沢689の地に建てられた鉄骨プレハブ2階建て2棟の仮校舎において諸活動が展開された。42年2月の読売新聞に、「耐え抜いた一年間 待望の新校舎も完成近い」という記事が掲載されている。夏は暑く、冬は寒いプレハブ校舎での日々はさぞ苦労多きものであったろうと思う。

日野高校創立にあたって、松吉校長は「東京中の高校のよい所を集めて日野高校を創る」というスローガンを掲げ、「是非明るい学校を創りたい」との熱意をもってその責務を担われた。自由闊達な校風、学校行事の充実など、今の日野高校が引き継いでいる伝統は、松吉校長の時代に築かれたものである。プレハブ校舎の時はもとより、本校舎に移ってからも、校庭の整備など、文字通り教職員と生徒が一丸となって新しい学校作りに励んだようだ。

教職員と生徒たちの結びつきの強さは、昭和44年、45年あたりの学園紛争時代を乗りきるのにも功を奏した。この時代、大学の学生運動が高校にも波及し、紛争状態になる高校も少なくなかった。日野高校でも、そうした時代の影響が及ぶことは十分懸念されており、10周年記念誌を紐解くと、その対策に長時間の会議がもたれ、数名の教員が泊まり込んだことが書かれている。生徒たちが実力行使に出て、校内が紛争状態

になることを防ぐため、当時の生徒指導主任や学年主任は生徒集会において「学校のルールを守れ」「お互いの信頼関係を失わないようにしよう」「如何なることがあっても暴力に訴えてはならない」ということを説いたようだ。これらの言葉が生徒たちの胸に響いたとすれば、それは常に教職員と生徒とのつながりが密で、お互いが信頼によって結びついているという創立当時の精神が受け継がれていたからであろう。

こうして教職員と生徒の意欲と熱意が相まって日野高校の教育活動は安定と充実の時を迎えることになる。48年、49年は必修クラブ研究中心校、49年には修学旅行研究協力校となっているが、創立以来の日野高校の教育活動の深化が見て取れる。

創立から10年にかけての学校行事は現在以上の盛況ぶりを見せている。遠足、体育祭、文化祭、マラソン大会、修学旅行(2年 奈良京都)、球技大会のほかに、水泳教室、スキー教室、林間学校(1年 蓼科)、演劇教室、芸術鑑賞教室、そして毎年ではないが講演会も行われていた。また、昭和48年度より、学校行事という位置付けで昼礼が始まっている。

校外学習、特に修学旅行については、その是非が議論されている時代であったが、事前学習と事後の指導を重視し、惰性に陥りやすい行事に、新設校らしく、新しい積極的な意義を見出す形で実施されていたようだ。行き先は「日本人の文化のふるさとを見学するという意図から」奈良・京都と決め、各教科の連携のもと、効果的な事前学習が行われていたようである。林間学校は1年の夏休みに実施されていた。1回目は41年8月1日から6日の日程で蓼科高原に開設されている。蓼科山登山のほか、宿舎でのキャンプファイヤーやフォークダンスなど、この時代ならではのレクリエーションも企画されていた。

意欲に燃えた創立期から安定と充実の時期を経て、昭和51年、日野高校は10周年を迎えた。

第1回蓼科林間学校

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校樹 センペルセコイア現在も日野高校のシンボルとして親しまれている校

樹センペルセコイア。この木が校樹と決まるにあたっては、初代校長の「日野高生にすくすくと成長してもらいたい、それに相応しい樹木を校樹にしたい」との希望があったようだ。その希望を受け、当時の理科教諭が近くの農林省浅川実験林にいらした方に相談し、センペルセコイアが選定された。

センペルセコイアは開校当時浅川実験林より2本授与され、三沢の仮校舎に移植された。昭和42年4月に現在地の本校舎落成と共に三沢から移されたが、間もなく枯死してしまった。そこで改めて浅川実験林より3本の授与を受け、現在地に植樹され、今の姿に成長したのである。

センペルセコイアは、「柔らかい幹ながら耐久力のある常緑高木で、北米太平洋岸山地では樹高100m、直径6mのものもあり、1年で約1mも伸びる」という特徴を持ち、「柔軟、耐久力、成長」と日野高生に望む条件をそろえている。現在は校舎を越える高さに成長しているが、10周年の頃はまだ2mほどの高さだったようだ。途中、落雷に見舞われたこともあるが、今も青々と葉を茂らせ、私たちを見守っている。

水道水

かつての学校では、喉が渇けば生徒たちは水道の水でその渇きを癒していた。現在は、各自ペットボトルや紙パックに入ったお気に入りの飲料を用意しているのが主流のようで、水道水をがぶ飲みする姿を見かけることもほとんどなくなった。創立当初、日野高校の給水用には井戸水が使われていた。しかし水質が悪く砂が混じるなどの問題もあり、PTAと共に都に対して上水道設置のための働きかけを行い、日野高校に上水道が通ったのは昭和47年のことである。そのころは、運動の後に蛇口をひねってがぶがぶ水を飲む日野高生の姿があったに違いない。

日野高校今昔

創立10周年記念式典(生徒有志による演劇)

第1回体育祭

現在のセンペルセコイア

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16 ■ 50年の歩み

11年から20年

草創期の自由で闊達な校風を受け継ぎながら、日野高校の教育活動は充実期を迎えていた。だが、新設から10年がたち、内外に様々な変化が訪れていた。昭和51年に創立10周年記念式典が立川市民会館で行われたが、この10周年を機に昭和46年以来申請を続けてきた単独校移行運動が活発化する。そして、昭和52年10月、「悲願」は達成され、日野高校は71群から離れ、晴れて単独校となる。昭和53年入学の13期生より、昭和56年度グループ制入試制度が導入されるまでのことである。単独選抜校として新入生を迎えた翌54年、30学級移行への東京都教育委員会の施策決定が内示された。30学級ともなれば、集会その他、学校運営と教育活動に支障をきたすことが予想される。当然、すんなり受け入れられるはずはなく、様々な議論と動きがあった。しかし、最終的には受け入れざるを得ず、昭和55年より30学級規模の学校となるべく、大規模工事が始まることになる。この工事の概要は次の通りである。・特別教室棟(C棟)と格技棟の新築。

(特別教室棟には、生物、化学の実験室と講義室、保健室、図書館、視聴覚室、LL教室、多目的室が置かれ、格技棟には男女更衣室、体育準備室、器具庫、柔道場、剣道場・トレーニングルームが置かれた。)

・A棟東側に2階建てHR教室4教室分の増築。・校地の拡張とグラウンド整備。・既存設備の改修。

昭和59年11月に30学級移行への諸工事はほぼ終了し、日野高校の施設は格段の充実をみた。しかし長引く工事は、教育活動にも大きな影響があった。一例としては、昭和56年から58年の3年間にわたる体育祭の中止があげられる。

10学級の受け入れは昭和55年度新入生より始まったが、56、57年度は一旦8学級に戻っている。これは、工事において2階建てのHR教室増築が不測の事態によって頓挫したため10学級受け入れが一時凍結されたことが原因のようだ。各方面の努力により事態は解決し、昭和58年度新入生から再び10学級となり、昭和60年度には全学年が10学級にそろい、30学級の大規模校となっている。

学級増と並行して、それまで多種多様に行われていた学校行事の見直しが始められた。昭和54年に行事精選のための特別委員会が発足し検討が進められ、結果として宿泊リーダートレーニング、林間学校、後夜祭、卒業記念行事、スキー教室の5つの行事の廃止が決定された(のちにスキー教室は復活している)。廃止されたものもあるが、さらに充実したものもある。例えば修学旅行の事前学習がそれに当たる。修学旅行の事前学習は以前より熱心に行われていたが、昭和52年2月に「修学旅行を効果あらしめるために」修学旅行委員会が設置された。委員会のメンバーが奈良京都に足を運んで、指導用のスライドを作るという熱の入れようであった。

建設中のC棟 当時の修学旅行ノート

完成したばかりの渡り廊下

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入試制度の変化や大規模工事による制約の中にあっても、生徒たちは「日野高生」としての日々を変わらずに過ごしていた。部活動では、バドミントン同好会(昭和52年度)、茶道同好会(昭和54年度)、SF研究同好会(昭和54年度)が発足し、卓球部がインターハイ出場(昭和55年度)、コーラス部がNHK全国学校音楽コンクール東京西部地区大会高校の部最優秀校(昭和57年度)、同コンクール東京C地区大会高校の部最優秀校(昭和59年度)、同コンクール同地区大会高校の部金賞(昭和60年度)、陸上部走り幅跳びでインターハイ出場(昭和60年度)と、各大会で健闘している。

またこの時期、日野高校は図書館活動が活発であったことで名高い。図書部を事務局とした研究活動が各教科、特別活動の両分野でさまざまに行われ、その成果は授業や行事を通して生徒に還元されていった。司書と司書教諭が常に図書館に常駐するという恵まれた環境の下、図書委員会も縦横無尽の活躍をみせた。読書会、広報、整理、調査統計、資料、視聴覚の各班に分かれ、それぞれの業務を担当する傍ら、文化祭での展示(作家研究が多い)、蔵書点検の手伝い、講演会の主催などを精力的に行っている。委員会ながら、一つの部に匹敵する活動がなされていたようだ。

大規模校化という大きな流れを乗り越え、20周年を迎えた日野高校は、昭和61年、八王子市民会館で創立20周年の記念式典を行った。

パンの購入

お昼休みになると、購買の前には生徒の人だかりができるのは日々の風景である。その昔もお昼のパンの販売はあったが、予約して買うことのできる時代もあった。パンの種類と価格が書かれた小さな紙袋にチェックし、お金を入れ、日直が取りまとめて2時間目の休み時間までに出しに行くのだ。そうすると、お昼には頼んだパンが届くという訳である。しかし、時には頼んだパンがなくて、代替品のパンが入っていたこともあったらしい。「甘食が入っていて悲しかった」という思い出話を聞いたことがある。

日野高校今昔

創立20周年記念式典

第1回日野高祭

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18 ■ 50年の歩み

21年から30年

30学級が続く中で迎えた20周年だが、大規模校は平成2年を最後に縮小に転じていく。平成3年度は8学級、平成8年度は7学級の新入生が入学している。大規模校に向けての諸工事は昭和59年に終了したばかりだが、再び改修の時を迎える。平成元年より計画、設計が始まり、都に移管された校舎西側の国有地にテニスコート、バレーコート、バスケットコートが整備される平成3年6月の工事を皮切りに、大規模改修工事が次々と行われた。平成4年からは中庭等環境整備工事が入り、この時期の工事によってほぼ現在の校地、校舎の姿となる。校舎内でも、2教室分のパソコン教室がA棟2階に造られ、茶室風の和室が整備されるなど、教育環境が整っていった。

平成4年9月から月に1回(平成7年度からは月2回)の学校週五日制が導入されたことと、学級減による教職員定数の減少により、カリキュラムにも変化があった。平成4、5年度には1、2年に芸術以外の選択科目はなかったが、平成6年度には2年に社会(地理)と数学(代数・幾何)に3単位分の選択科目が導入された。平成8年度には、国語(現代国語、古典Ⅰ)数学(数学B)理科(物理ⅠA、ⅠB、生物ⅠA、ⅠB)保健体育(体育)から6単位分を選択するようになっている。総単位数も平成4年度が1、2年32単位であったものが、平成5年度が31単位、平成6年度以降が30単位と減少している。現在も日野高校では2年生より、ゆるく文系・理系に分かれるようになっているが、それはこの時期に形作られたものである。

入試制度にも変化があり、平成6年度の入試より推薦制度が行われるようになった。初年度の合格数は定員の15%(翌年からは20%)で、面接試験を実施している。

新教育課程の編成方針案に「都立高校間の競争化という事態に対応して、特色ある学校づくりに資するカリキュラムをめざす」とあるように、このころから都立高校間にも自校を魅力的にPRして意欲のある生徒を獲得し、競争力を高めようという空気が流れ始める。昭和55年の日野台高校に続いて、昭和60年には南

平高校も開校し、日野市内に3校の都立高校が存在していた。都立高校の統廃合の動きもあり、危機感をあおられることもあったのかもしれない。そうした流れに沿うように平成4年度の2学期から有志による学校PR委員会が活動を開始し、「学校案内」の刷新などに着手し、翌年には学校説明会が実施されている。平成4年にPR委員会が打診したことをきっかけに、創立以来の制服を改定しようという動きも具体化していく。制服を規則通りに着用しない生徒が少なからずおり、生徒指導の観点からも「生徒の着たいと思う制服に変えよう」という声は上がっていたが、募集対策上の必要が重なり、実現に向けて歩を進めることになったようだ。制服検討委員会が発足し、教職員と生徒の間で丁寧な話し合いの場が持たれ、平成7年に新制服が決定し、平成8年度入学生より新制服が着用されることになった。伝統のグレーはそのままに、当時の流行を取り入れた制服は斬新さには欠けるものの、それだけに「日野高生らしさ」を受け継ぐものであった。

何年にもわたる工事の期間も、日々の教育活動は脈々と変わらず続けられており、ゆとりのある学校運営の中で学校行事が種々に企画されていた。平成元年から4年にかけて、毎年ではないが、スキー教室も実施されている。本物や伝統的なものを見せようという草創期からの考え方が教員の間で共有されていたようで、芸術鑑賞会や校外学習の機会には、落語や歌舞伎といった古典的なものを鑑賞している。外部施設での講演会が行われた年もあり、当時の生徒たちは、今より文化的なものに触れる機会に恵まれていたと言えそうだ。また授業にも実習や体験の要素をもつものが多かったようで、生物では、校外の樹木や池の微生物観察、蚕を用いた観察や実験が行われていた。

生徒たちも自由に個性を活かした活動に邁進し、その努力は図書委員会の活動(文化祭での展示や史跡巡りのビデオ上映、読書会など)や高校生料理コンクールにおける受賞などに結実した。

しかし進路実績という面からは、この10年間、専門学校進学が優位の状況で、四年制大学への合格者は20%近くを推移しており、中堅普通科高校としては難しい局面を迎えていたことが想像される。

そうした中、日野高校は30周年を迎え、平成8年11月、記念式典を日野市民会館で挙行する。

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理科の実験

授業の中でも、実験には座学とは違った楽しさがあった。実験は理系の科目につきものだが、日野高校にはかつて生物の実験用の専用報告用紙があった。入学すると用紙の綴りが一人一冊配られ、実験の後には必ず提出しなければならなかった。生物の実験ではカエルやザリガニが使われた。それらは近くの川で調達されたものだとか、夜中に逃げ出して、生物部が捕まえに行ったとか、今となっては確かめようもない話がまことしやかにささやかれていた。何とも牧歌的な日々であった。

日野高校今昔

創立30周年記念式典(生徒によるアトラクション)

修学旅行の研究レポートと記念文集

整備された昇降口前

新制服を紹介する平成8年度学校案内

研究紀要(平成4年3月創刊)

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20 ■ 50年の歩み

31年から40年

平成7年の阪神淡路大震災のあと、建物の耐震構造が社会的な話題になった。日野高校の校舎はその規模の地震に耐えられないとの判断で、平成10年、11年の夏休みに大規模な耐震工事が行われた。また、平成12年の1月には多摩都市モノレールが立川北―多摩センター間で営業を開始し、万願寺駅が最寄り駅となり、より広域からの通学が可能となった。さらに平成12年の冬にはグラウンドが全面改修され、野球部が待ち望んでいたバックネットも設置された。

この改修が功を奏したのか、野球部は平成13年の秋季大会で東京都ベスト8に進出し、「21世紀枠候補校」になり、この時捕手であった横川選手は平成14年のプロ野球ドラフト会議で指名され、プロ球団に入団するなど、野球部が注目を浴びた。他にも美術部が平成12年度から全日本美術展や全国高等学校総合文化祭に出展し、毎年のように受賞者や東京代表者を輩出するなど、活発な活動によって校内に明るい話題がもたらされた。

生徒会も活気に満ちており、平成12年度には七生特別支援学校との交流会が始まり、平成14年度には、「過ごしやすい学校をめざして」とのテーマでアンケートを実施したり、美化委員と共に校内美化活動を行ったりしている。また学校行事においても、平成15年度には文化祭にOBのアンジャッシュがライブを行い、合唱祭を復活させ、盛んな様子が見られる。このように生徒たちは自由な校風を継承しつつ、個性を活かして諸活動に精一杯取り組んでいた。

学習内容の変化としては、平成6年度より2学年に必修選択が置かれた流れをさらに進め、平成15年度には13単位分の選択科目が導入された。それぞれの興味や関心、進路希望に合わせた科目を選択でき、学習意欲を高めようとの意図である。

進路指導にも力が注がれ、生徒たちの多様な進路に対応するため平成15年度より導入された「総合的な学習の時間」を有効に使いキャリア教育の充実が図られた。また全教員が講師役となる「進路アドバイザー制度」が設置されたのもこのころである。キャリア教育の充実と少子化により大学入学がたやすくなったこ

と、現役志向などの影響により、この10年間は四年制大学に進学する者が増加した。平成9年には四年制大学進学者は22%であったものが平成18年には40%に上昇している。

こうした教育活動の充実の一方で、社会的な風潮もあってか制服を着崩したり、髪を染めたりする生徒も目立つようになっていった。平成14年度の生徒会アンケートにも、「『日野高生はちょっと怖い』『マナーが悪い』『学校が汚い』などの声も時々耳にします」との言葉がある。また同じアンケートに、日野高生自身も「だらしない」「見た目が良くない」「いいかげんなところ」を良くない点として挙げている。この平成14年度あたりから、日野高校のあり方について考えなくてはいけないという気運が高まっていったようだ。生徒の動きに呼応するように、教員側でも生活指導部主催の研修会が催されるなど、議論、討論の場が様々に設けられた。

身近に接していれば、部活動や行事に汗を流す高校生らしい姿を目にすることもあるが、外の目で見ると「自由な校風」が「放埓」に映ってしまうこともあろう。外見や校外での行動から、日野高校の評判は芳しくないものとなっていき、応募倍率が低迷するようになってしまう。日野高校が多くの中学生にとって魅力ある進学先となるために、改善策が模索されることになる。学校活性化の起爆剤として考えられたのが、重点支援校への応募である。平成16年度に応募を試みたが、このときは指定に至らなかった。支援に対するコンセプトをより明確にし、関連する資料を詳細に整えるなどの手直しを加え、再度応募して平成18年度より重点支援校に指定されたのである。

変革の予兆をはらみつつ、日野高校は創立40周年を迎え、平成18年11月本校体育館において記念式典が行われた。

開校40周年を記念して設置された大看板

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肘あて

上下グレーのスーツという創設当初の制服は、リニューアルされ、現代的なものになっている。生地も違っているのか、擦り切れて穴の開いた制服を着ている生徒を見かけなくなった。かつての制服は、3年生ともなると、生地が薄くなって、肘などが擦り切れることがあった。そんな時には、丸い肘あてで繕う生徒が多かった。ワイシャツの上にセーターを着ることがなかった時代の生徒にとって、制服のブレザーは擦り切れるまで愛用するものだった。

日野高校今昔

さまざまな時代の学級通信

平成9年頃の日野高校と周辺の様子

34期生合唱祭 ルーズソックス全盛の時代

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22 ■ 50年の歩み

41年から50年

生徒たちの外見や行動によって地元の評判が思わしくないものになれば、規範意識の高い中学生は遠のいていく。そしてそれは、受験倍率の数字に如実に表れてしまう。日野高校も40周年を前に、低倍率に悩んだ時期があった。そうした中、平成18年度に重点支援校に指定されたことを嚆矢とし、改革の策が具体化されていく。それ以前より改善のための動きは見えてはいたが、重点支援校に指定されたことによって、日野高校で実現したいプランを持った教員の採用と実現に必要な予算の確保が可能になった。それが改革の動きに拍車をかけることになる。「生徒が輝く『日野サンライズプラン21』―希望進路の実現と豊かな人間性を目指す健康づくり―」をスローガンに掲げ、様々な取り組みが展開された。希望進路の実現については、学力向上策やキャリア教育の充実が、豊かな人間性の育成については、部活動や学校行事の活性化と地域との連携が、そして健康づくりについては外部講師による講演会などが実施されていった。

生徒への指導としては、髪の染色やピアス等の禁止、制服の着こなしに一定のルールを設けるなど、外見を整える指導を強化した。また、遅刻や中抜け、授業中のマナーなどにも指導への共通理解を深めつつ、学年団や授業担当者が対応して規範意識の向上と基本的な生活習慣の確立に努めた。また、教員間では授業力向上のために研究授業や各種研修が企画された。平成26年度からは土曜授業が導入され、1日4時間、年に18日程度の授業が行われている。こうした取り組みはもちろん大きな障壁を乗り越えつつ進められてきたことである。特にその始まりにおいては、それぞれの教育観による衝突や軋轢が教員間に生じ、生徒からの反発、抵抗も大きかった。日野高校のあり方を巡って、様々に話し合いの場がもたれたであろうことが、40周年記念誌からも読み取れる。

部活動の活性化も進められ、部活動加入率は重点支援期間(平成18 ~ 20年度)に目標としていた1年生100%、2、3年生75%という数値目標は、平成23年度には概ね達成され、いくつかの部は「強豪校」と言われるほどになった。部活動加入率が高まると、学校

への帰属意識も高まり、学校行事へも積極的な姿勢で参加するようになる。落ち着いた雰囲気の中で授業を受け、部活動に熱中し、行事を楽しむ生徒が増えると、学校生活への満足度も高まっていった。また、「奉仕体験活動」などで地域の方々と交流する機会をもち、日野高生の純朴で明るい人柄も好意的に理解されるようになっていった。こうした一年一年の努力によって、地域の評判も徐々に上向き、日野高校は中学生たちの間で、部活動や学校行事が盛んで、生活指導のしっかりとした高校というイメージで捉えられるようになってきた。

そして、それらの取り組みの成果を広く知ってもらい、応募倍率の上昇につなげるため、募集対策にも力を注いだ。「学校案内」は表紙を入れて8ページだったものを平成22年度用より12ページのものへと充実させ、私学に見劣りしないことを目標に作成するようになった。その「学校案内」はそれまで教員や管理職によって中学校や塾に届けられていたが、平成24年度より、生徒によって出身中学へ届けられるようになった。平成25年度より総務部が設置され、募集対策業務を専門に担当するようになり、外部説明会への参加や出前授業、学校見学の受入れもそれまで以上に積極的に行うことが可能になった。校内で行う説明会も学校紹介ビデオを制作し、生徒会の生徒が自分たちの言葉で学校生活を紹介するなど、日野高校の教育活動と生徒たちを魅力的にアピールする工夫をしている。

この10年は、IT機器の教育現場での活用が推進され、様々な変化がもたらされた10年でもある。平成18年度あたりから都立高校にTAIMSというシステムが導入され、教職員はパソコン端末を使ってメールのやり取りや事務処理を行うようになっている。学習活動においては、パソコン上のデータや視聴覚教材を授業で活用できるように、教室にはプロジェクターが備えられるようになった。今後はこうした機材を駆使した授業内容の研究、研修が実践されることだろう。

このようにして、平成27年度に50期生を迎え、日野高校は次の10年へと歩みを進めている。

震災の日の日野高校突然の大きな揺れに見舞われたのは、職員会議の最

中だった。平成23年3月11日(金)14時46分のことである。しばらく続く横揺れに緊張の時が流れたが、ほどなく収まった。会議後、職員室に戻ると、机上のプリントや書籍が床に落ちている。だが、ガラスが割れ

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たり、棚が倒れたりといった大きな被害は見当たらない。ニュースで状況を確認しようとテレビをつけると、津波の押し寄せる様子が次々と映し出され、大変な事態になったことが呑み込めた。

その日は午前授業で、校内に残っているのは部活動中の生徒がほとんどである。多くの鉄道が運行停止の状態となっているので、帰れなくなった生徒は、各自保護者と連絡を取り、迎えを待つことになった。携帯電話を持たない生徒は職員室の電話を使うようにした。倉庫から備蓄してある食料と水を出し、夕食をとり、会議室に集まって保護者の到着を待った。校舎からは浅川の土手道しか見えないが、道路も当然大渋滞で、わずかな距離にもかなりの時間を要するようだった。そこで、迎えに来ることが可能な方には、近隣の生徒も一緒に乗せて行ってもらうことにした。一人、また一人と保護者と共に帰宅して行ったが、最後の生徒に迎えが来たのは、日付が変わってからだった。帰宅できないのは教職員も同じで、13名が翌日(土曜日)の鉄道の復旧を待って学校で一晩を明かした。

震災のあと、福島から2名の転学者を迎えることになったが、無事本校を巣立って行った。

センペル君誕生40周年記念誌にも、日野高校のマスコットが考えら

れたことが書かれている。しかしそれは男子バスケットボール部のものに類似していたせいか、その後校内であまり話題にならなかったようだ。そこで登場したのが「センペル君」だ。平成24年度、カリキュラムが改定され、3年生の選択に初めて「類型」がおかれた。科目選択について何か説明できるものがほしいということで、教務部が文芸部に依頼して作成したのが、「教えて!センペル君」という漫画だった。センペルセコイアの精であるセンペル君が、迷える日野高生に選択の取り方を指南するという内容で、赤い頭巾を被り、頭に3本のセンペルセコイアが生えたキャラクターがデザインされた。その後、マニュアルアーツ部がぬいぐるみを作ったり、学校紹介ビデオに登場したりして徐々に「出番」を増やし、生徒たちの間にも浸透してきている。

雨の日

まだモノレールがない頃、最寄りの駅は高幡不動だけだった。しかも改札口は不動尊側にしかなく、登下校には今より時間がかかっていた。風雨の激しい時など、ふきっさらしの土手の道は誰でも歩きたくないものである。そこで、雨が激しい時は、タクシーを呼んで、見ず知らずの日野高生たちが乗合で利用することがあった。そして、濡れて、だれてしまったスカートは、乾かした後、布団の下に敷く「寝押し」によってパリッとよみがえらせていた。

日野高校今昔

宿泊防災訓練(三沢給水塔での給水訓練)

センペルセコイアの精センペル君

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24 ■ 50年の歩み

校地、校舎の変遷歴代の学校要覧の「校地と校舎」より、校地と校舎の配置に変化があった年の見取り図を、当時の写真を織り

交ぜながら年代順に並べてみた。要覧によって図の南北がまちまちで見にくかったので統一した。そのため文字の向きが寝てしまったりしているがご容赦いただきたい。

昭和41年度学校要覧より日野市三沢689の仮校舎時代の配置図。家庭科と芸術が一つの教室にまとめられているが、どのように授業を

やりくりしていたのか気になる。

昭和42年度学校要覧より現在の校地となり、A棟B棟が現れるが、この年には一部をまだ工事していたらしい。

建設中の本校舎。ボンネットのダンプカーがなつかしい

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昭和43年度学校要覧より体育館を工事しているようで、予定地が描かれている。裏門が出現する。

昭和44年度学校要覧より体育館が完成したようだ。まだプールを工事している

ようで、予定地が描かれている。裏門の外側50mが校地拡張予定地として描かれている。

完成当初の体育館

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26 ■ 50年の歩み

昭和47年度学校要覧よりプールは完成し実線で描かれた。部室棟もできあがった。

昭和48年度学校要覧より現在のC棟付近にテニスコートが描かれた。

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昭和50年度学校要覧よりテニスコートの隣にバレーコートが描かれた。

昭和52年度学校要覧より校地が拡張され、裏門の外側に「第二グランド」ができる。

バレーコートから見た校舎

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28 ■ 50年の歩み

昭和57年度学校要覧より裏門が消え、グラウンドが拡張して描かれた。現在はクリーンセンターとの間は空地になっているが、この場

所に第二グラウンドがあったようだ。C棟が完成し、テニスコートが描かれていた場所が「特別講義棟」に書きかえられた。

完成当初のC棟

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昭和58年度学校要覧より拡張された部分に「テニスコート」、「バレーボールコート」の文字が入った。

平成3年度学校要覧より東側に拡張した校庭が消え、西側に拡張した校地にバレーコート、バスケットコート、テニスコートが出現。

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30 ■ 50年の歩み

平成5年度学校要覧よりバレーコート、バスケットコート、テニスコートが詳細に区分されて描かれた。

平成7年度学校要覧よりグラウンド東側の一部が消え、現在の校地境界と同一になる。

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平成12年度学校要覧より図面がリニューアルされ、グラウンドのラインやバックネットが描かれた。この図面は現在まで使用され続けている。

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32 ■ 50年の歩み

部・同好会一覧

卒業アルバムをもとに、1期生(昭和44年卒業)から47期生(平成27年卒業)までの部活動をまとめてみた。その年度のアルバムに写っている部活動写真があれば網掛け表示としている(P.34 ~参照)。部であったり同好会であったりするがいずれの場合も表示している。基本的に卒業生のみの写真をもとにしているので、表示がなくても1、2年生で活動していた可能性もある。すなわち表示がなければただちにその部同好会が存在しなかったことを意味するものではない。

予想はしていたが、運動部はほぼ安定して切れ目なく存続している部・同好会が多い反面、文化部は興亡がさかんであり、さまざまな活動が存在していた。

例えば現吹奏楽部と現合唱部の元になった「音楽部」はすでに1期には存在していて、コーラス部門の生徒と楽器部門の生徒が別々の写真に写っていた。2期のアルバムにはそれぞれ「ブラスバンド」と「コーラス」に分かれて写っている。その後9期で再び「音楽部」に統合されるが10期ではブラスバンドが分離され、音楽部はコーラスの生徒だけが残留したものと思われる。11期には「ブラスバンド」と「コーラス」に戻り、今に至っている息の長い文化部である。

その他、1期から現在までほぼ切れ目なく続く息の長い文化部として、「美術」、「地学」、「生物」が挙げられる。次点として「ギター」は2期からほぼ切れ目なく現在まで存続している。「マニュアルアーツ」と「写真」は4期にはすでに存在し、所々切れ目はあるものの現在まで続く老舗(?)である。「ギター」は発足当初クラッシックギターであったがその後フォークギターが登場し、15期(昭和58年/ 1983年)に遂にエレキギターが登場する。時代の風を感じる文化部である。「漫画研究」は10期に登場し27期を最後に姿を消す

が、33期に再登場(15年ぶり)した「文芸」に合流したものと思われ、現在まで続く。当時の部誌「コズミック」が奇跡的に残存していたので拝見したが、レベルの高さに驚かされた。近年の高校漫画研究はコミックイラスト系が主流であると思われるが、これはほとんどがストーリー漫画で構成されている。スク

リーントーンやコピック、PCアプリ等の漫研画材に恵まれなかった時代、難易度の高いつけペン

4 4 4 4

のみでレベルの高い原稿を描いている所が素晴らしい!

SFブームに乗った「SF研究会」はどんな部活だったのだろう。こちらも当時の部誌「ゴボゴボ」と「宇宙散歩」が現存している。内容は論評と小説などの文章と、漫画・イラストで構成されている。同時期に活動していた「漫画研究」との住み分けがどうなっていたのか気になったが、おそらく漫画人口のうち多くの女子が漫研にいて、多くの男子がSF研にいたのではないかと想像する。「鉄道研究会」は平成元年に登場し、Nゲージの大

きなレイアウトが写っている。あれは何処へ行ってしまったのだろう。鉄道好きはいつの時代も存在するので、指導する顧問さえいれば現在でも入部する生徒がいたのではないだろうか。

平成13年、14年に登場する「ハイキング」は一体どんな活動をしていたのか?一応文化部の欄に入れたが、平成8年以来途切れていた「ワンダーフォーゲル」の代わりになるような部活動だったのだろうか?

運動部は男子部女子部がある。バスケットボール、バレーボールはすでに1期の時に男女分かれて写っているのでそのまま47期まで表示した。硬式テニス部、卓球部は1期の時には男女まとめて1枚で写っているが、その後男子部女子部で分かれて写っていたりまとめて写っていたりとまちまちだったので、表示は一本にした。文化部と違ってどの部もほとんど切れ目なく存続しているのが運動部の特徴だが、「体操」と「ダンス」「自転車」は少し様子が違う。

1期から長く続いた「体操」は平成7年に姿を消す。一方翌平成8年に「ダンス」が登場する。最初はクラシックダンスのような印象なので、「体操」の代わりになった部活なのかと思いきや、途中からストリートダンス系の生徒が混ざり、その後それ一色となり現在の「ダンス部」に続いている。

たった1回だけ登場した「自転車」。唯一の写真はロードレーサー風1台とマウンテンバイク風1台、シティサイクル1台の異色の3車種混合。こちらも指導顧問のもと、大会に出場するなどの活動が行われていれば、運動能力の高い日野高生の部活動として現在でも続いていたかもしれない。

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1期(昭和44年/ 1969年)の卒業アルバムより、「音楽部」の写真。この時すでに楽器部門と合唱部門に分かれて写っている。翌年から「ブラスバンド部」と「コーラス部」に名称変更される。

昭和56年/ 1981年の漫画研究部誌「コズミック」表紙(左)内容の一部(右)つけペンで描かれ、ストーリー漫画で構成されるハイレベルな部誌。

SF研究の部誌 右から「ゴボゴボ」vol. 9(昭和57年/ 1982年)、同vol.12(年代不明)、「宇宙散歩」(昭和56年/ 1981年)

21期(平成元年/ 1989年)の卒業アルバムより、「鉄道研究」の写真。Nゲージの大きなレイアウトが少なくとも2つ確認できる。

2期(昭和45年/ 1970年)の卒業アルバムより、発足当初の「ギター部」の写真。現在の軽音楽部の前身である。ダブルベース(コントラバス)とクラッシックギターの組み合わせ。どんな演奏をしていたのだろうか?

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34 ■ 50年の歩み

1期生 2期生 3期生 4期生 5期生 6期生 7期生 8期生 9期生 10期生 11期生 12期生 13期生 14期生 15期生 16期生 17期生 18期生 19期生 20期生 21期生 22期生 23期生 24期生1969年 1970年 1971年 1972年 1973年 1974年 1975年 1976年 1977年 1978年 1979年 1980年 1981年 1982年 1983年 1984年 1985年 1986年 1987年 1988年 1989年 1990年 1991年 1992年昭和44年 昭和45年 昭和46年 昭和47年 昭和48年 昭和49年 昭和50年 昭和51年 昭和52年 昭和53年 昭和54年 昭和55年 昭和56年 昭和57年 昭和58年 昭和59年 昭和60年 昭和61年 昭和62年 昭和63年 平成元年 平成2年 平成3年 平成4年

文化部

社会研究社会科学研究同好会物理・化学化学理化科学英語演劇音楽ブラスバンド(吹奏楽)コーラス(合唱)美術地学華道茶道文芸漫画研究生物放送ギター出版委員会新聞生徒会総務マニュアルアーツ写真英文タイプSF研究アマチュア無線図書委員会修学旅行委員会鉄道研究発見工房「卵」ハイキングパソコンお笑い将棋学習映画制作映画・演劇園芸

運動部

剣道ハンドボール女子バレーボール男子バレーボール女子バスケットボール男子バスケットボール陸上体操卓球硬式テニスサッカー柔道ワンダーフォーゲル(山岳)野球水泳バドミントン軟式テニス(ソフトテニス)ソフトボールダンス自転車

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1期生 2期生 3期生 4期生 5期生 6期生 7期生 8期生 9期生 10期生 11期生 12期生 13期生 14期生 15期生 16期生 17期生 18期生 19期生 20期生 21期生 22期生 23期生 24期生1969年 1970年 1971年 1972年 1973年 1974年 1975年 1976年 1977年 1978年 1979年 1980年 1981年 1982年 1983年 1984年 1985年 1986年 1987年 1988年 1989年 1990年 1991年 1992年昭和44年 昭和45年 昭和46年 昭和47年 昭和48年 昭和49年 昭和50年 昭和51年 昭和52年 昭和53年 昭和54年 昭和55年 昭和56年 昭和57年 昭和58年 昭和59年 昭和60年 昭和61年 昭和62年 昭和63年 平成元年 平成2年 平成3年 平成4年

文化部

社会研究社会科学研究同好会物理・化学化学理化科学英語演劇音楽ブラスバンド(吹奏楽)コーラス(合唱)美術地学華道茶道文芸漫画研究生物放送ギター出版委員会新聞生徒会総務マニュアルアーツ写真英文タイプSF研究アマチュア無線図書委員会修学旅行委員会鉄道研究発見工房「卵」ハイキングパソコンお笑い将棋学習映画制作映画・演劇園芸

運動部

剣道ハンドボール女子バレーボール男子バレーボール女子バスケットボール男子バスケットボール陸上体操卓球硬式テニスサッカー柔道ワンダーフォーゲル(山岳)野球水泳バドミントン軟式テニス(ソフトテニス)ソフトボールダンス自転車

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36 ■ 50年の歩み

25期生 26期生 27期生 28期生 29期生 30期生 31期生 32期生 33期生 34期生 35期生 36期生 37期生 38期生 39期生 40期生 41期生 42期生 43期生 44期生 45期生 46期生 47期生1993年 1994年 1995年 1996年 1997年 1998年 1999年 2000年 2001年 2002年 2003年 2004年 2005年 2006年 2007年 2008年 2009年 2010年 2011年 2012年 2013年 2014年 2015年平成5年 平成6年 平成7年 平成8年 平成9年 平成10年 平成11年 平成12年 平成13年 平成14年 平成15年 平成16年 平成17年 平成18年 平成19年 平成20年 平成21年 平成22年 平成23年 平成24年 平成25年 平成26年 平成27年

文化部

社会研究社会科学研究同好会物理・化学化学理化科学英語演劇音楽ブラスバンド(吹奏楽)コーラス(合唱)美術地学華道茶道文芸漫画研究生物放送ギター出版委員会新聞生徒会総務マニュアルアーツ写真英文タイプSF研究アマチュア無線図書委員会修学旅行委員会鉄道研究発見工房「卵」ハイキングパソコンお笑い将棋学習映画制作映画・演劇園芸

運動部

剣道ハンドボール女子バレーボール男子バレーボール女子バスケットボール男子バスケットボール陸上体操卓球硬式テニスサッカー柔道ワンダーフォーゲル(山岳)野球水泳バドミントン軟式テニス(ソフトテニス)ソフトボールダンス自転車

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25期生 26期生 27期生 28期生 29期生 30期生 31期生 32期生 33期生 34期生 35期生 36期生 37期生 38期生 39期生 40期生 41期生 42期生 43期生 44期生 45期生 46期生 47期生1993年 1994年 1995年 1996年 1997年 1998年 1999年 2000年 2001年 2002年 2003年 2004年 2005年 2006年 2007年 2008年 2009年 2010年 2011年 2012年 2013年 2014年 2015年平成5年 平成6年 平成7年 平成8年 平成9年 平成10年 平成11年 平成12年 平成13年 平成14年 平成15年 平成16年 平成17年 平成18年 平成19年 平成20年 平成21年 平成22年 平成23年 平成24年 平成25年 平成26年 平成27年

文化部

社会研究社会科学研究同好会物理・化学化学理化科学英語演劇音楽ブラスバンド(吹奏楽)コーラス(合唱)美術地学華道茶道文芸漫画研究生物放送ギター出版委員会新聞生徒会総務マニュアルアーツ写真英文タイプSF研究アマチュア無線図書委員会修学旅行委員会鉄道研究発見工房「卵」ハイキングパソコンお笑い将棋学習映画制作映画・演劇園芸

運動部

剣道ハンドボール女子バレーボール男子バレーボール女子バスケットボール男子バスケットボール陸上体操卓球硬式テニスサッカー柔道ワンダーフォーゲル(山岳)野球水泳バドミントン軟式テニス(ソフトテニス)ソフトボールダンス自転車

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38 ■ 50年の歩み

美術部OB会展

美術部の卒業生たちが、毎年国立のギャラリーで作品展を開いているのをご存じだろうか。その活動は今年で35回目を迎える。日野高校の部活動OB会としてこれほど息の長い活動をしている会は稀であろう。その活動の様子をぜひ多くの在校生、卒業生にお伝えしたい。

作品展は忌野清志郎さんの歌のモデルとして知られる小林晴雄先生の教え子たちを中心に営まれている。美術部ではなかったとのことだが、清志郎さんも生前よく出展されていたそうだ。会員は小林先生が教えていらした、1期から12期までの卒業生で、絵画、焼き物、染め物、アクセサリーなど、多彩な作品が来場者を楽しませている。もう何十年も続いている作品展だが、その第一歩は日野高校の会議室からだという。その後、立川高島屋近くのギャラリー、八王子のギャラリー、国立のギャラリーへと場を移し、ここ12、3年は国立のコートギャラリーで、1月か2月に開催するのが恒例となっている。平成19年(2007)9月にも再び日野高校の多目的室で開催された。本校文化祭への参加であった。しかし、その時は見に来る人が少なく、手ごたえが得られなかったということで、それ以後は日野高校での開催は成されていない。

現在、会員は40名以上で、作品の出品者は三十数名ほどとのこと。美術部の卒業生に組織的に声をかけた訳ではなく、たまたま友人に誘われたり、作品展を見に行った際に声をかけられたりして集まって来たのだという。切り絵をされている理科の川本先生も出品されているが、きっかけは切り絵用品を購入したお店が会員のお店であったことだ。三浦友和さんも在学中は他の部に所属されていたが、同期で懇意にされている方との結びつきから陶芸作品を出品されるようになったそうだ。三浦友和さんと忌野清志郎さんという、著名なお二方が参加されているということで、各方面からの取材もあったという。12期までの卒業生で、OB

会展の輪に入りたいという人は、作品展に足を運んだ折に出品の希望を伝えてみてはいかがだろうか。

作品展の会期中、特別ゲストによるアトラクションが催されたこともあった。平成23年(2011)の第30回の作品展ではRCサクセションとも親交のあったサックス奏者、梅津和時さんの演奏が行われた。ある時、会員のひとりがジャズ喫茶をやっているOBから、梅津さんが来店されるので来ないかという誘いを受けた。そこで店に行き、その帰りがけの駅で一緒になった梅津さんに作品展での演奏を頼んでみた。すると見ず知らずであるにも関わらず、快く引き受けてくれたそうだ。日野高校の人間関係の中で、たまたま、あるいは偶然結ばれた縁によっても作品展は支えられていると言えようか。

年代を越えて多くの人が集まり、まとまりをもったひとつの活動を展開して行くというのはすばらしいことだ。仕事や家庭のほかにも気持ちを傾けて取り組むことがあり、温かい関係が保たれているのはなんと豊かなことだろう。しかし、仕事や家庭のある人たちが、毎年作品展を開くのは容易なことではない。途切れずに続けて来た陰には、この作品展に並々ならぬ情熱を注ぎこんできた人たちの強い思いがあったはずだ。そうした会員たちの中心にいらっしゃる小林先生は、誰にとっても、いつまでも「ぼくの好きな先生」であり続けるに違いない。

卒業生と日野高校卒業してもなお日野高校と関わりのあった卒業生がいる。継続的であったり、一時的であったり、関わり方に違いはあっても、母校を大切に思う気持ちには変わりがない。そんな卒業生たちの姿や声をお届けしよう。

小林先生(中央)と三浦友和さん(左)忌野清志郎さん(右)

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学校創立50周年にあたって

5期生 野球部後援会副会長 梅田 武

私たち野球部後援会は、平成13年の秋季東京都大会のべスト8になったことをきっかけに、以前から後援会の立ち上げを望んでおられた当時の監督先生の意向を受けて、翌14年6月に発足しました。野球部員の保護者や野球部のOBを中心に「甲子園のアルプススタンドで日野高校の校歌を!」をモットーに、現役野球部員への主にボール・バット購入代などの支援を行ってきました。

幸いに、その後の野球部は歴代の監督・部長先生らのご尽力と良き指導を得て成長を続け、最近はいたるところで「都立の強豪校」などといわれているようです。平成25年夏の西東京大会では決勝まで進出し、残念ながら準優勝に止まりましたが、まさに甲子園まであと一歩のところまできました。

話が少しずれますが、この決勝戦は神宮球場が、プロ球団のヤクルトがうらやむ立ち見が出るほどの超満員でした。日野高校の応援者が圧倒的に多かったと自負していますが、さぞ多くの卒業生などが駆けつけてくださった結果と、後援会として感謝に堪えないところです。

話を戻します。現役部員たちにはこの準優勝という結果に満足せず、励みに励んで近年中に甲子園出場をつかみとり活躍してくれるだろうことを後援会として確信し、後援活動をなお一層活発化する考えです。

私事になりますが、私自身も日野高校の第5期卒業生で、妻も5期生で野球部のマネージャーをしていたということもありますが、長男が34期で野球部に在籍した関係で後援会に入会したという経緯です。

そのようなことから、この10年ほど野球部と日野高校を遠く近くに眺めてきましたが、長男の在学時より、最近の生徒の元気良さ、明るさが増したと感じられます。用事があって高校に行きますと、他の部活の生徒はもちろん、制服の生徒も元気のよい挨拶をしてくれます。その度にとても清々しい気持ちにさせてくれ、さぞ在校生らは日々楽しい高校生活を送っているのだろうなと感じさせてくれます。

聞くところによると、野球部に入ることを願う生徒が増えたことによって、結果として学力検査の受検者

数が増えたとのこと。そのようなところで野球部の活躍が貢献しているのかとうれしく思います。

現在の日野高校は部活に力を入れているように感じられます。野球部以外の部活でも東京都大会で上位の成績を収めて関東大会に出場した部活もあるとのことで、これも生徒の元気の良さの一因であろうかと思います。

また、野球部の公式戦には、日程が合えばブラスバンド部とダンス部の多くの生徒が球場に駆け付けてくれて、私どもと一緒にかつ整然と一生懸命に応援してくれます。その他にも、夏の大会はじめ野球部の公式戦に多くの制服着用の生徒が応援に来てくれます。

在校生のこういった行動は、学校としての一体感や自分の高校に対する愛校心があってのことと思われ、年々日野高校が良い学校になっているなと感じさせてくれます。

また、公式戦の応援スタンドでは、卒業した各期の同級生と思しき方々がグループになって応援している姿を度々拝見します。あたかもミニ同期会が開かれているかのようです。

野球部の活躍が、部のOBに限らず多くの卒業生に応援する楽しみや甲子園出場の期待を与えてくれており、同じ学校の卒業生としてそのような共有するものがあることは素晴らしいこととあらためて考えさせられます。このような、多くの卒業生や応援者の方々が大会の都度嬉々として球場に足を運び、懸命に応援する状況がずっと続くことを願ってやみません。

さらに、現役野球部員の父母会も非常に活発に活動されています。野球部後援会はこの父母会と共に手を携えて現役生徒たちの支えとしての役目を果たしていく所存です。

最後になりますが、私たち野球部後援会は、今後も野球部の活躍のみならず、日野高校の発展のために、末永く活動を継続することをお約束して、日野高校50周年へのお祝いの言葉とします。

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40 ■ 50年の歩み

日野高校50周年おめでとうございます。なんだ、私より年下だったんだ、日野高は。(笑)。

私は12期生で、高校1年生の後半から2年生の後半までの1年半だけ、図書委員をやっていました。卒業後35年以上も経つのに、図書委員の後輩(13期生から16期生)と、年3、4回ぐらいは集まっています。部活動ではなく、委員会のメンバーが卒業後もこんなに長い期間、つながっているのは珍しいことだと思うので、そのことを書かせていただきます。

まずは、図書委員の仕事内容を説明しておきます。多くの方は、「図書委員は、図書室で本の貸出しを手伝っている人」くらいしか知らないと思います。実際には、図書に透明なシールや貸出カードをつけていたり、新聞記事をスクラップしていたり、読書会や映画会の開催、図書新聞「あぜみち」の発行、図書の貸出状況把握等々を、当時は行っていました。このような活動を、班ごとにやっていました。こういう活動が、一種の部活動のようなものであり、部活動同様、先輩・後輩関係が作られていったのです。

図書委員会は文化祭にも出展していました。「図書委員会がなんで、文化祭に出ているの??」という感じがしますよね。でも、しっかり出展していたのです。私が1年生の時には井上靖、2年生の時は安部公房の研究でした。どちらもノーベル文学賞候補と噂された作家ですね。先輩たちは、実際に井上靖さんと対談をされていました。あの井上靖と対談って、すごいですよ!!こういう研究作業をまじめにやっていたからこそ、委員会としては異例の先輩・後輩関係が深まっていったのだと感じています。

図書委員OBは、高校を卒業した後も、司書の先生や後輩たちに会うために、日野高図書室によく顔をだしていました。みんな図書室のアットホームな雰囲気が大好きだったのでしょう。こうしているうちに、後輩の後輩たちと知り合いになっていきました。

私や後輩たちが就職してからは、会う場所は、日野高の図書室ではなくなりました。まだ、20代だったので、ディズニーランド、西武遊園地、富士急ハイランド、まだ体力があったので高尾山・陣馬山ハイキング等々でした。ちなみに、図書委員が待ち合わせにする場所は本屋が多いです。本屋なら、時間に遅れてきた

人を待っていても、気にならないのです(図書委員あるある)。

年月が過ぎ、結婚する人が出てからは、新婚家庭にお邪魔をしたりして、ご主人/奥様たちとも一緒に遊んでいました。子供が生まれると、今までのOB会のイベントへの参加は難しくなりました。「ならば、子供主体のイベントをやろう!」ということになり、こどもの国、まちだリス園、上野科学博物館や昭和記念公園等に行くようになりました。子供たちが迷子になったときは、みんなで探しました。

子供たちが大きくなり、子供主体のイベントから、単なる飲み会へと変わってきました。どこかへ遊びに行く体力が無くなってきたのかもしれません(笑)。普通の飲み会と違うのは、読んだ本の話がちょくちょく出てくることでしょうか(図書委員あるある)。

ある年の1月、私の同期の図書委員が入院しているということで、後輩たちとお見舞いに行きました。しかし、彼は、目は動いてはいるが私たちのことを認識できない状態になっていました。耳はまだ聞こえるのではないかと思い、みんなで彼に声をかけてきました。その年の10月の飲み会で「久しぶりに、彼のお見舞いに行こう」という話をした翌日、彼の訃報が入りました。もう同じ時間の流れで過ごせないと思うと、とても寂しいです。彼は、最後に、私たちの飲み会に顔を出してくれたのかしれません。それ以降の飲み会では、いつも彼の名前を出しています。彼も、一緒に飲み会に参加してくれていると思っています。

最近の飲み会には、お酒も飲めるようになった図書委員OBのお子さんも参加してくれています。子供主体のイベントで迷子になった子と、酒を飲み交わす時が来たというのは、感慨深いものがあります。子供たちにとっては迷惑かな?という思いもありますが、高校卒業後、35年以上経っても、こんなに会える仲間がいることの幸せさを感じてもらえればと思っています。

こんな長い付き合いができるのも、日野高という「場」があったからでしょう。こういう「場」を作れる日野高であり続けて欲しいです。50年後、日野高が100周年を迎えたとき、また、こういう原稿をぜひ書きたいと思っています。

同じ時間の流れの中で過ごしてきた

12期生 泉田 洋一(キャリアコンサルタント)

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日野高校創立50周年、誠におめでとうございます。私は、13期の松下 耕と申します。現在、作曲家、合唱指揮者として活動させていただいております。仕事の内容は、東京近郊及び関東、中部地方に17団体の合唱団をもち、合唱曲を中心に作曲活動をしております。これまでに、NHK全国学校音楽コンクールなど、国内外のコンクールの課題曲を作曲しています。また、海外の合唱団の客演指揮や、ワークショップの講師、また、ヨーロッパやアジアの国際合唱コンクールの審査員も数多くさせていただいています。

このように、私の人生は合唱音楽一筋、そして、合唱のおかげで、世界を忙しく回っている身なのですが、この合唱に出会ったのが、日野高校でした。日野高校に入学しなければ、今の私の人生はありませんでした。

ですから、私にとって日野高校は、感謝してもしきれないほどの重要な場所です。

幼少の頃から、私はピアノの英才教育を受けておりました。そのおかげで、私の、ピアノの技術と、音を聞き分ける耳は、そこそこ上達したのではないか、と思います。しかし、音楽が全く楽しくなかったのであります。上達するために「弾かされていた」状態で、音楽に感動を覚えたことはあまり記憶にありません。

私が中学生の時、ピアノの教師から、君には音楽の才能が見受けられないから音楽の道に進むのを諦めたほうがいい、と宣告されました。失意と無気力の中、高校受験を迎え、日野高校に入学しました。理由は、家に近いこと。そして、当時の都立高校で施行されていた、学校群から離れ、その年に単独校になったことでした。失礼ながら、「入りたくてたまらなくて入学した」学校ではなかったのです。音楽の道を諦めたことにより、高校生活に対する夢や希望といったものは、ほとんどなかったと思います。高校は、どこでもよかった、と言っても過言ではなかったでしょう。

そんな私に、もう一度、いや、それまでの人生には感じたこともなかった夢と人生の楽しさを与えてくれたのが、当時の音楽の先生であられた長澤明正先生でした。

私は、上に書いたような気持ちで入学しましたから、高校で音楽の部活動に入ろうなどとは露程も思っていなかったのですが、そんな私を、長澤先生は粘り強くコーラス部に誘ってくださったのです。のらりくらり逃げ回る私を、ある時は、昇降口で、ある時は廊下で、ある時はトイレの中で(笑)私を誘ってくださいました。

ある日、ついに先生の根気強さに負けた形で、コー

ラス部に入部した私ですが、何しろやる気の全く無い不良学生でしたから、最初のうちは幽霊部員で、先輩や同期のメンバーにとても迷惑をかけていました。そんな私を、目覚めさせてくれたのが、1年生の秋に行われたNHKコンクールの東京D地区コンクールでした。場所は立川市民会館。その日のことは、今でもはっきりと覚えています。仲間と共に、一つの音楽を作り上げていく喜び、感動を共にしているという実感を、ステージの上で味わった私は、その日を境にすっかり、合唱の虜となってしまったのです。長澤先生は、絶えず笑顔で、私たち生徒に向かってくださいました。そして、トレードマークであった、パイプをくゆらせながら、音楽のすばらしさ、歌うことの意義を私たちに教えてくださったのです。私は、生まれて初めて、音楽はこんなに楽しいものなんだ、そして、人生は希望とともにあるのだということを知りました。同時に、何でも腹を割って話せる友人や、先輩後輩を持つことが出来ました。私の人生は、日野高校で180度変わったのです。

一度は諦めた音楽の道を、もう一度歩もうと決心し、音大の作曲科に進み、その後、ハンガリーへの留学の時期を含め、ずっと、この仕事を続けています。大学を卒業したのが昭和60年(1985)ですから、私の音楽家生活は、今年でちょうど30周年を迎えました。

大好きな合唱と共に、音楽と共にこの人生を歩んでこられたのは、日野高校と、長澤先生、そして、高校時代私を支えてくれたコーラス部の仲間たちがいてくれたからに他なりません。今、本当に素晴らしい高校で学ばせていただいたと、心から感謝しています。

現在、日野高校の合唱祭では、課題曲として、拙作を歌っていただいています。これは、私にとって何よりも嬉しく、光栄なことであります。後輩たちに私の曲を歌っていただいているとは、なんと誇らしいことでしょうか。ありがとうございます。

そして、日野高校のホームページを拝見すると、しばらく廃部状態だった合唱部が、再び結成されたことを知りました。私は、家内と(家内も、日野高出身で、コーラス部17期です)、この嬉しいニュースに喜びあいました。そして、合唱部が大きく育ちますよう、心からお祈り申し上げます。また、私たちの時代にはなかった、合唱祭が、現在行われていることを、とても感慨深く思っております。今後とも、我が母校日野高校が、平和と融合、愛と慈しみの象徴である合唱、美しい歌声とともに、創立100年を目指してますます発展されることを、お祈り申し上げます。

私の人生を変えてくれた日野高校

13期生 松下 耕(作曲家 合唱指揮者)

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42 ■ 50年の歩み

私が日野高校に入学したのは昭和48年4月、生物部に入部したのは連休明けだった。当時から生物部は、鳥班、プランクトン班、蝶班、植物班などの班単位で活動していた。入部すると先輩からどの班で活動するか聞かれ、先輩のいない蝶班に入ることにした。蝶班のメンバーは私一人であったので、河原に鳥や植物の観察に出かける先輩や同級生に混ざって捕虫網で蝶を捕まえ、生物室で標本作り(展翅)をしていた。この頃、好きだった蝶はヒメアカタテハとアオスジアゲハで、今でもヒメアカタテハやアオスジアゲハが舞う姿を見ると当時を思い出す。

冬のある日、同級生と合流点に遊びに行った。そこで、当時は珍しかったカワセミを発見し、その美しさに感動した。そして、もう一度見たい、他にはどんな鳥がいるのだろうかと、捕虫網とともに双眼鏡を持って合流点に出かけるようになった。一度鳥に興味を持ち始めると、自分の家の周りにもさまざまな野鳥がいることに気が付いた。そんな生活を2年間過ごし、3年秋のある日、生物の時間に紹介されたオパーリンの「生命の起源」という本を図書館で見つけ借りてきた。「生命の起源」には、コアセルベートが始原細胞として有力であるという仮説が書かれていた。そこで、生物部顧問の栃本先生に相談し「短時間で崩壊しないコアセルベートを作るにはどうしたらよいか」という課題に生物部員としての最後の活動として取り組み、ほぼノート一冊分のレポートを書いた。

そんな高校生活だったので、生物こそ我が学びの道と思い込み、生物を学べる大学への進学を目指した。大学に入ると専門科目の他に、理科と農業の教職免許取得に必要な単位をとり、東京都教員採用試験を受け、高校理科生物の合格者名簿に登載されることができた。そして、3月に勤務先の高校が決まった。それは、母校日野高校であり、8年間勤務することになる。

日野高校の近くには、浅川と多摩川という二つの一級河川の合流点があり、河川敷にも水の中にもさまざまな生物がいる。そんな自然環境に恵まれた都立高校は他にない。生物部顧問になった私は、部員にできるだけ野外で生き物を観察し記録を残すように指導した。部員にも恵まれ、一時期部員が40名を超えた時期

もあった。日常活動は、伝統を引継ぎ各班に分かれて行い、年

間を通して活動することで結果が得られるよう、生物目録の作製、季節変動の調査、分布の調査を各班共通のテーマとした。他にも野鳥観察会、磯の生物の観察会、山や海での合宿、水質調査などさまざまな活動を行った。これらの活動のうち、「浅川水系の水質調査」と「多摩川・浅川合流点の鳥の季節変化」は、高校生物教科書(三省堂)に自然環境における調査研究の例として示すことができた。

数年前のある日、私が顧問であった時の生物部員である内村君(19期)から、「日野高校のHPを見ていたら生物部が復活して元気に活動しているようなので一緒に行きませんか」と電話があり、数名のOBと一緒に文化祭に出かけることにした。それ以来、毎年生物部OBと一緒に文化祭にお邪魔している。まず、土手から生物室の様子を確認してから日野高の門をくぐる。そして受付を済ませ真っ直ぐ生物室を目指す。生物室では、昆虫、魚、動物などをテーマにした展示の他に、夏合宿のまとめ、理数チャレンジ団体としての研究発表などがあり、案内役の部員が丁寧に解説をしていた。現在、多くの高校で生物部の活動が衰退しているにも関わらず、日野高校ではしっかりとした活動が行われている。そして、何よりも生き物好きの生徒の活躍の場が日野高校にあることをうれしく思う。

生物室の机の上に部誌「ノウプリウス」の最新号があった。「ノウプリウス」は、生物部の調査研究活動を部員が分担して1年間の活動の成果をまとめたもので、日野高校生物部の活動の証である。高校時代に顧問の栃本先生に、部誌の名前の由来を聞いたことがある。すると、「ノウプリウスは海に浮遊している甲殻類フジツボの幼生である。浮遊生活を終えると岩にへばりついて固着生活をするようになる。みんながノウプリウスの様に、やがては自分の場所に定着するように名前をつけた。」とおしゃっていた。歴代の生物部員がまとめてきた「ノウプリウス」。現顧問の長谷川先生の指導の下、今の生物部員にも受け継がれ、今後も「ノウプリウス」が製作され続けていることを期待している。

日野高校生物部と私

旧職員 8期生 京本 隆(現 東京都立町田高等学校)

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日野高校の現在(10年間の記録)

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44 ■日野高校の現在(10年間の記録)

移り行く時の中でこの10年間、私たちを取り巻く環境には様々な変化があった。幾度かの大きな天災。携帯電話やスマートフォンといったコミュニケーションツールの進化と普及。長引く不況や経済格差。グローバル化の波、等々。そうした影響を受けつつの高校生活には、もちろん不変の営みもあるが、変わらざるを得なかったこともある。本校における新しい動きや特徴的な変化について、いくつかの観点から振り返り、日野高校の10年を俯瞰してみよう。

学力向上の試み

中学生にとって、落ち着いた環境で学習のできる学校であるかどうか、そして進路実績はどうかということは高校選びの際の関心事である。そのためほとんどの高校で独自の学力向上策を展開しているが、日野高校も例外ではない。この10年間、学力向上のための様々な取り組みがなされつつ現在に至っている。あぶくのようにポッと浮かんですぐに消えてしまったものもあれば、現在も継続しているものもある。

それらの試みの中でも、異彩を放っていたのは「学習クラブ」の存在であろう。「学習クラブ」の発足は平成21年度である。平成21年1月16日にその運営についてのプリントが作成されている。それによると「学習クラブ」の目的は、「クラブ員同士が切磋琢磨して勉学に励み、進路の可能性を広げる(例:一段階上の志望校へ合格する)ための環境を提供する。」とある。具体的には「MARCHレベルの大学に現役合格すること」を目標としていた。(平成22年度の『研究紀要』による)この「学習クラブ」には顧問がついて、部活動のような形態で運営された。具体的な活動内容は次のとおりである。

①補講組指導②合宿③検定試験・模擬試験受験(英検、数研、進研模

試、大手予備校模試)④HINO土曜塾⑤英検対策講座⑥学校行事(新入生募集、文化祭、学校説明会、合

唱祭など。)このうち、最も中心的な活動は、週に1回、部員が

数学や理科の苦手な生徒に補講をするという活動であったようだ。ほかに、文化祭で展示やコントを行うなど、学校行事への積極的な参加もあり、独特な存在感を醸し出していた。

結果としては、学習クラブの中心メンバーであった44期生(平成21年度入学)はMARCHクラスの大学への現役合格は果たせなかった。しかし、この頃より、MARCHや同等レベルの大学への一般受験による合格者が現れるようになる。学習クラブの活動は、しっかりとした勉強をして受験に挑戦するという現在の流れの端緒を開くものだったといえよう。

また、「学習クラブ」顧問が中心となって、「HINO土曜塾」も運営された。これは東京都教育委員会によって発表された「都立高等学校土曜日補習の充実に係る外部指導者活用支援事業」を受けて企画されたもので、学校外から講師を招き、毎週土曜日に合計270時間の講習が行われた。講座内容は英語・化学・物理・日本史で、主に河合塾の講師による指導である。HINO土曜塾は24年度まで行われていた。このような土曜日を利用した学習は、26年度より土曜授業が導入されることによって終焉を迎えた。

その他、1年の各クラスが競い合う「学習クラスマッチ」(平成25年度)や外部講師を招いて添削指導を受ける「小論文講座」(平成23・24年度)などが行われた。平成23年度には、職員室前の廊下に学習相談・質問コーナーが設置されたが、これは、A棟とB棟の間の渡り廊下にも広がり、現在も面談やテスト前の学習に活用されている。同じく23年度には、卒業生2名が英語・数学の受験勉強の指導者として招かれている。

44期生が始めた「週末課題」は現在も継続中である。これは、家庭での学習を習慣づけたいとの目的で行われるようになったもので、週末にプリントが渡され、週明けに提出するというものである。現在、1、2年生で実施しており、2~3科目の出題をプリント

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1枚にまとめたものを課題として生徒に渡している。部活動加入者の多い本校において、家庭での学習時

間の確保は悩むところである。大学進学希望者が増加し、さらに現役志向が強まっている今、部活動と学習の両立は日野高校にとっての大きな課題となっている。

自習時間

今は先生が休みで自習になる時は、出欠の確認を自習監督が行い、生徒は出された課題に取り組むことになっている。その昔、自習監督の先生が、しばらくの間、話をしてくださることがあった。自習の時は毎回そうだったのか、たまたまそうだったのかは覚えていない。ある時、校歌の歌詞にある「まほろば」の意味を話された。その時、「まほろば」というのは古典の言葉で、とても良い場所のことをいうのだと説明された。話された先生はそのことをもうお忘れかもしれない。何気なく聞いた言葉がずっと記憶の中に残っているというのは、時々あることだ。

日野高校今昔

職員室前廊下の相談コーナー

週末課題のファイル

HINO土曜塾授業風景

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46 ■日野高校の現在(10年間の記録)

部活動の躍進

学校説明会に行くと、中学生の質問の中に、部活動に関することが多いのに気付く。中学生にとって、入学後にどんな部活動に入れるのかは、高校選びの大きな着目点になっている。そういう中学生において、日野高校は、部活動の盛んな高校という一定の評価があるようだ。中堅の都立高校という、競合相手が多い現状を考えると、本校ならではの特色として魅力的な部活動が多数あるというのは、大きなセールスポイントになる。

実際の部活動加入率を見てみよう。平成21年度(2009)は全体で71%、男子75%・女子68%であったのが、平成27年度(2015)は、全体で91%、男子85%・女子97%にまで上昇している。特に女子の加入率が上昇しているのがわかる。学年では3年生の加入率が伸びていて、平成21年度は60%だったが、平成27年度は83%になっている。平成27年度において、日野高生の放課後は、ほとんどが部活動に費やされているといえよう。

しかし、こうした状況は、短期間の努力で築きあげることはできない。そこには、生徒たちの頑張りに加え、部員に寄り添い、支え、少しずつ入部者を増やし、活動を盛んなものにしていった、顧問一人一人の尽力があったはずである。

この10年、顕著な活躍で、注目を浴びた出来事を挙げてみる。

平成20年(2008)・女子バスケットボール部 関東大会出場 

「祝 関東大会出場 女子バスケ部」の横断幕 テニスコート西側防球ネット最上部に掲出。京王線高幡不動駅に手作りポスター(5/ 30 ~6/6まで)高幡まんじゅう松盛堂店舗に垂れ幕掲出。「女子バスケットボール部 関東大会出場決定 野球部春季大会ベスト16 西東京大会シード権獲得」本校11期生の社長の御厚意により、製作費は御負担いただく。6月5日に壮行会を行う。

平成21(2009)年・12月7日、野球部 「21世紀枠」の推薦校に選ば

れ、表彰される。

平成23(2011)年・水泳部女子 100mバタフライで全国大会進出

平成24(2012)年・女子バレーボール部 関東大会出場

平成25(2013)年・女子バレーボール部 関東大会出場・陸上部(女子400m) 南関東大会出場

5月30日に壮行会を行う。・野球部 夏季西東京大会準優勝

平成27(2015)年・女子バレーボール部 関東大会出場・ソフトボール部 関東公立大会出場

こうしてみると、運動部系の部活動の活躍が目立っている。しかし、文化系部活動が衰退しているという

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訳ではない。増学級により、文化系の部活動への加入も増え、充実した活動を展開している部も少なくない。毎年コンクールに出場、出展している吹奏楽部や美術部。天体観測の市民講座を開催している地学部。休部状態から、平成21年度に活動を再開し、校外の機関や団体と連携した活動を行っている生物部。奉仕体験活動で「水再生センター」のイベントに参加している文芸部や発見工房「卵」同好会(平成25年廃部)。日野市の映像コンクールに連続入賞の映画★演劇部。市のイベントに招かれ、演奏を披露する軽音楽部(平成27年にギター部から改称)。文化祭で意欲的な活動を見せる、マニュアルアーツ、華道、茶道の各部。吹奏楽、美術、地学、生物、文芸、映画★演劇の各部は夏季休業中に合宿も行っている。

華やかな戦績を誇る運動部と、校内にしっかりと根を張る文化部。これら部活動は、この10年間、心置きなく付き合える友人のいる場として、日野高生たちの高校生活を実り豊かなものとしてきた。

自主映画

パソコンが普及し、動画の編集や上映は昔と比べて格段に楽になった。ホームビデオやパソコンのない時代に自主映画を上映するには結構な手間がかかった。フィルムを切り貼りしたり、映写機を借りたり、映写機を扱うための講習を受けに行ったりしたOBもいることだろう。手間がかかっても、自主映画の製作が盛んだった時代がある。いつの時代も青年たちは自己表現への欲求をもつものなのだろう。しかし、昔に比べると今の高校生たちは自分たちの物語を作りたいという欲求が希薄になっているような気がする。スマートフォンなどの普及に何か関係があるのだろうか。

日野高校今昔

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48 ■日野高校の現在(10年間の記録)

この度は、都立日野高校の創立50周年を迎えられたことを心よりお祝い申し上げます。私が卒業してから2年の月日が経ちますが、高校生活3年間がとても充実した日々だったため卒業してからの2年が長く感じます。私は野球部の主将を務め、西東京大会で準優勝を果たし、多くのことを経験しました。まず、主将という立場は誰よりも頑張らなければならないということです。人の先頭に立ち指示を出す立場にある以上人一倍の努力が必要です。しかし、私はそこまで強い人間ではありませんでした。そのため何度もくじけそうになりました。練習や試合で失敗を繰り返し、先生に叱られ、つらい思いを何度も経験しました。それでも私がくじけずにやっていけたのは仲間がいたからです。私は主将としての役目を果たせたかは分かりませんが、仲間と共にいくつもの壁を乗り越えた日々は私の誇りです。

西東京大会を勝ち抜くに当たって、とても心強く感じたことが二つあります。一つは試合に出ていないベンチ入りしている選手の存在です。試合に出なくても、試合に出ている選手のために声を出し、雰囲気を盛り上げてくれたり、ベンチに帰ってきたときにタオルや給水を渡してくれたり、自分の役目を一人一人が理解しており、ベンチ入りしている20人全員が試合に戦っている状態でした。チャンスでは盛り上がり、ピンチであっても励ましあい、全員野球で大会を戦い抜きました。このチームワークはどの高校にも負けない自信があります。二つ目はアルプススタンドからの応援です。吹奏楽部の演奏、ダンス部のチアリーディング、ベンチに入れなかった選手、選手の保護者、日野高校の生徒などの声援はとても大きなものでした。ヒット一本に対して大きな声援が上がり、とても気持ちよく試合に臨めました。そして得点を挙げたときに流れる校歌は相手にとって脅威になっていたと思います。試合に興奮していて落ち着きがないときにスタンドを見ると多くの人達が私達に声を上げている姿が見え、気持ちが自然と落ち着き、もっとやってやろうという気持ちになりました。勝ち続けていくにつれて私達を応援する人が増えているのが分かり、決勝では約

3万人の観客の多くが日野高校を応援していることを感じ、私は自分のやってきたことは間違いじゃない、人から認められる最高のチームに成長したということを肌で感じました。

私は大学に進学し、野球部に所属しています。大学の野球部員から日野高校はどんな練習をしているのか、なぜ大会で毎回好成績を残せるかなど色々なことを聞かれます。そこで私は自信をもって高校時代の3年間の話をすることができます。私のやってきた日々は多くの人に認められている、日野高校野球部は多くの人から興味をもたれていると改めて感じ、うれしく思います。

私はこれからも日野高校野球部卒業生として、野球部を応援し続け、さらに飛躍することを期待しております。末筆ながら、都立日野高校の一層の御発展と皆様方の御活躍を祈念いたしまして、お祝いの言葉とさせていただきます。

主将としての3年間

46期生 元野球部主将 工藤 誠也(現 桜美林大学)

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創立50周年、誠におめでとうございます。この50年間、日野高校は日野市で最初に開校した高

校として、様々な場面で地元日野市とともに歴史を刻んできました。

さて、日野市は日野高校よりも早く、平成25年(2013)に市制施行50周年を迎えました。この年は、4月に新しい市長を迎え、節目を刻む年となったわけですが、日野市と日野高校にとっても、新しい歴史を刻む年となりました。

まず、日野高校野球部の快進撃です。日野高校だけでなく多くの市民が喜び、感動し神宮球場へと駆けつけました。市民の心が一つとなる機会になりました。

そして、秋には、第68回国民体育大会(スポーツ祭東京2013)が54年ぶりに東京で開催され、日野市も空手道、ボクシング、ホッケー3競技の会場となりました。会期中には、天皇皇后両陛下を迎える行幸啓も行われ、日野市の歴史に残る一年となりました。

この国体の開催成功に、日野高校ダンス部は大きな役割を果たしてくれました。

始まりは前年の平成24年(2012)でした。日野市が国体への気運醸成に取り組んでいるさなか、6月16日七生公会堂で行われた「がんばっぺ福島!チャリティダンス&トーク」で日野高校ダンス部が「ゆりーとダンス」を披露しました。これを見た日野市職員が即座にスカウトし、国体終了までの長い道のりがスタートしたのです。「ゆりーとダンス」は、スポーツ祭東京のマスコッ

トキャラクターである「ゆりーと」の名前を冠していて、ユリカモメをモチーフに丸っこいデザインのゆるキャラ「ゆりーと」のダンスで、子供から大人まで楽しく、かわいく踊れるものになっています。

当時、開催気運醸成のため、東京都や日野市が「ゆりーとダンス」の普及促進に努めていましたが、日野高校ダンス部の「ゆりーとダンス」は市民にとって見本となるものでした。黄色いTシャツとショートパンツ姿の日野高校ダンス部は、さながらご当地アイドルのように、日野市のイベントにデビューしていったのです。

平成24年(2012)は、7月29日に「ひのよさこい祭」、10月8日に「スポーツレクリエーション大会」、10月14日に「手をつなごう・こどもまつり」、11月11日には「日野市産業まつり」に出演し、「ゆりーとダンス」や、オリジナルダンスを披露してくれました。

平成25年(2013)には、4月3日に「日野市スポーツ祭東京実行委員会総会」、4月12日に「日野市市民体育大会開会式」、5月12日には「スポーツ祭東京100日前イベント炬火式」に出演しました。

6月16日には、東京都からゆりーとダンス推進大使に任命されました。

そしていよいよ国体の開幕です。平成25年(2013)9月28日の「スポーツ祭東京2013総合開会式」で味の素スタジアムのフィールドに日野高校ダンス部が登場し、元気いっぱいのダンスを披露しました。

9月29日には、日野市市民の森ふれあいホールで開催された、空手道競技大会のプラカーダーを務めるとともに、アトラクションで「ゆりーとダンス」の披露もありました。10月1日には、ひの煉瓦ホール(市民会館)で開催されたホッケー競技大会開会式のアトラクションで「ゆりーとダンス」を披露してくれました。

また、平成25年(2013)10月8日午後、第1回ゆりーとダンスコンテストが、駒沢オリンピック公園総合運動場で開催され、日野高校ダンス部は見事「審査員特別賞」を受賞しました。

振り返ると、こんなにもたくさんのイベントに協力いただいたことに驚きます。空手道の開会式のリハーサルで、日野市と競技団体との調整不足があったにもかかわらず、目に涙をたたえながら頑張ってくれたことなど、大変な思いをしながらも責任感を持ってやり遂げてくださったことが思い起こされます。

初めて日野市で開催された国体で、その成功に向けて日野高校が、そしてダンス部が取り組んでくれたことにより、日野市と日野高校が共有できる歴史を築くことができました。重ねて感謝申し上げます。

東京国体 日野高校ダンス部の活躍

徳田 雅信(前 日野市企画部 国体担当参事)

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50 ■日野高校の現在(10年間の記録)

私たち、映画★演劇部は3年連続で、日野市が主催する「青春映画祭」で優秀賞をとり続けています。この祭典は日野市をPRするために毎年決められたテーマに沿って映画を作製するものです。参加者は日野市と関連のある中・高・大学生と限定されていますが、テーマに沿っていれば内容は自由に設定でき、編集ソフトも統一されていないので、部活で活動している我々では大学生に勝てる見込みなどありませんでした。しかし、そんな私たちがなぜ3年連続できたかというと、普段の部活動や日野高校を取り巻く様々な人達との関係が重要だったと私は思います。

映画★演劇部は、自主制作映画を撮影し、舞台公演もするという一つの部活で二つの体験ができる珍しい部活です。そのため、部員一人ひとりの仕事が重要で、その全てが組合わさることで歯車がスムーズに回っていき、すばらしい作品が作れ、賞が取れるのです。部員の協力以外にも普段の部活で大切にしていることがあります。それは基礎練習です。これは映画★演劇部だけでなく、ほぼ全ての部活に共通することだと思います。うちの部活では基礎練習として、発声練習や滑舌、思いどおりに体を動かせるように軽い筋トレなどもしています。これらをしっかりとトレーニングすることで、映画や舞台できれいな動きや、しっかりとした発声での台詞回しが可能になるのです。このような普段の活動により、役者は相応の力をつけ、スタッフもそれに応えることで部としての実力をつけていきました。しかし、自主制作映画はこれだけでは賞は取れません。内容も大事になっていくからです。

私たちは毎年与えられるテーマに真摯に向き合い、内容の方向性を決めると一人が台本に起こし、さらにその内容を部活動で審議します。その結果により、最初の台本とは全く違ったものができたり、登場人物が変わったりします。私の参加した代では、チームを二つに分けてそれぞれ作品を出したり、台本を捨て切ることができずにとりあえず二作品制作し、生徒や先生方の投票で大会に出す作品を決めた年もありました。またエキストラとして映画に出演してくれた生徒もいました。どのような作り方になっても、私たちが大切

映画★演劇部が映画祭にかけた思い

48期生 辻 菜々子

にしたことは、自分たちらしい作品で日野市の魅力をPRすることでした。自分たち日野高生と日野市の歴史や風景を絡め、自分たちならではの強いメッセージ性を出すことを意識しました。いずれの作品にしても、部員や台本へのアドバイスをしてくださった顧問の先生方、その他の人々の協力なくしては生まれなかった作品ばかりです。

私たち映画★演劇部は、部員の基礎の力や協力だけでなく、周囲の人々の支えによって大学生などの強豪校の中、3年連続で優秀賞を受賞することができました。この受賞は周りの人々の支えと、部員の普段の取り組みの結晶です。このことを胸に刻み、感謝し、さらに連続受賞ということに驕ることなくこれからも大会に向けて努力を続けていきたいです。

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異文化交流

平成22年度(2010)あたりから日野高校では異文化交流が盛んになり、多くの外国の高校生が本校を訪れた。平成24年度(2012)、生徒9名がミャンマーへ派遣されるというプロジェクトへの参加を頂点とする諸活動は、日野高校の一時代を築いたと言って良いだろう。その流れを記してみたい。

平成22年度(2010)5.21 ~ 24

インドの高校生との国際交流。21日 講義室の飾り付け・日野クリーンセンター見

学。22日 高幡不動見学・対面式(講義室)。23日 ホームステイの受入れ。24日 1日学校にて交流・・歓迎会(吹奏楽・ダン

ス部。オカリナペンダント作りや書道体験、英語での交流、生物実験。日野高歓迎パフォーマンス(吹奏楽部・ダンス部・新日本舞踊)。インド文化紹介のパフォーマンス。部活動交流(発見工房『卵』・茶道・地学・剣道・ソフトボール・男女テニス・バドミントン・男子バスケットボール)。歓送会(ホストファミリー参加の食事会)。

11.16及び11.18 サウジアラビアの高校生(ダル アル フィックルハイスクールの生徒)との国際交流。中東協力センター(日本の経済産業省の外郭団体)とサウジアラビアとの共同プログラムで、企業家育成プログラムで来日した生徒との交流。

16日 日野高校を訪問し、市場調査を行う。放課後は部活動交流と校内見学。

18日 1・2年の各1クラス対象の疑似販売体験10月に生徒会則の改定があり、「交流」係ができる。

平成23年度(2011)4. 1

国際交流委員会が設置される。

7.14国際理解講座(2学年)。拓殖大学 国際学部 留学生 約35名と交流。剣道場にて全体会、その後各クラスにて交流。

11.19 ~ 21ベトナムの高校生(24名)との国際交流。19日~ 20日 ホームステイ。21日 日野高校での1日学校交流(ダンス部・新日

本舞踊の披露・ベトナムの歌や踊りの鑑賞)。

平成24年度(2012)7.10

国際理解講座(2学年)。拓殖大学 国際学部 留学生 約14名と交流。

平成22年度 国際交流

平成23年度 国際交流

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52 ■日野高校の現在(10年間の記録)

剣道場にて全体会、その後講義室で学校紹介DVDを視聴し、校内と部活動の見学。

7.24 ~8. 221世紀東アジア青少年大交流計画(JENESYSプログラム)により9名の生徒と1名の引率教員をミャンマーに派遣。ミャンマーの学校や各施設の訪問・書道や歌、踊りなどの日本文化の披露・学生との交流やディスカッションを行う。派遣に先立ち、4月~6月にかけて、5回程度の事前学習を行う。外部講師による講演会は次の通り。

4.28社団法人 日本ミャンマー友好協会理事・NPOザ・コンサルタンツミャンマー理事 浅野静二 氏

6.26フリージャーナリスト 田辺寿夫 氏

11.15 日印国交樹立60周年記念教育行事。インドを学ぶ特別講座~インドを学び、インドを知る~(2学年)。体育館での全体会の後、分科会。分科会内容①インドの食文化「インドの食文化~一緒にチャイ

を作りましょう!」。②インド舞踊「一緒に、インド舞踊を体験しましょ

う!」。③「日本とインドの教育の相違、インド式エデュ

ケーションを学びましょう」。

平成25年度(2013)2. 2

日印国交樹立60周年記念教育行事。インドを学ぶ特別講座修了記念式典プログラムに2年生10名が参加。「インドの教育」「インドの食」「インド舞踊」について発表(於 在日インド大使館)。

7.26 ~ 28台湾高校生(「スポーツ交流」柔道25名)のホーム

ステイ受け入れ。柔道部との交流。26日は校内で部活動交流などを行い、27日は都立秋留台高校で柔道の高校合同練習会に参加。28日は本校にて歓送会を行う。

平成26年度(2014)JICA「東京グローバルユースキャンプ」に生徒1名参加。

平成27年度(2015)JICA「東京グローバルユースキャンプ」に生徒1名参加。

台湾の学生との柔道国際交流(平成25年度)

平成25年度国際交流

インドの学生との交流記念

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「今、アメリカの大学に通っています。毎日忙しいけど充実しています。」「ケニアのインターンシップに行ってから、今は、アフリカで起業しようと考えています。」「今、大学の枠を超えた様々な活動をしていますが、今度インドのインターンシップに行こうと思っています。」これは、日野高時代、国際交流に積極的に参加した卒業生の声です。私自身もその力強い言葉に感動し、勇気づけられました。

日野高校では、拓殖大学留学生、サウジアラビア中高校生、日野市姉妹都市のアメリカの高校生との交流など様々な国際交流を行いましたが、自由に活動をさせていただいた日野高校に感謝の気持ちでいっぱいです。ここでは『外務省の21世紀東アジア青少年大交流計画(JENESYS:ジェネシス)』について御紹介したいと思います。

平成22年(2010)5月、初めてインド高校生23名の受入れをしました。ホームステイも含まれる事業でしたので、当初、受入先があるか心配しました。「インドの高校生のホームステイ先を探しているんだけど、誰かの家庭でお願いできないかなあ」と尋ねたところ、すぐに「興味があります…」と反応してくれたのが、上記の卒業生たちでした。その一言が「引受けをしよう」という気持ちにしてくれたのをよく覚えています。5月21日(金)日野クリーンセンター(ゴミ処理・環境問題)視察。22日(土)~ 23日(日)12家庭でのホームステイ。24日(月)1~4時限美術、書道、生物、英語他の授業参加。5~6時限歓迎会:日野高校からは吹奏楽部、ダンス部、日本舞踊の披露。インドからはインド紹介のプレゼンテーション、歌、踊り。放課後は各部活動見学。そして体育祭の応援団の練習にも参加しました。夕刻:涙、涙の歓送会。明るく元気な日野高生と実に楽しく交流していました。(生徒の感想)「この交流を通じて言葉や人種の壁は、自分の考え

方次第でどうにでもなるんだと強く感じました。国が違っても自分たちは皆同じ人間なのだということです。確かに英語が話せず、コミュニケーションが上手くとれずに困ったりしましたが、もっと話したい、

もっと気持ちを共有したいと思うようになりました。国や言葉が違うからと自分から交流するチャンスを逃がしてはいけないと実感しました。」

その後平成23年(2011)11月21日(月)同様のベトナム生徒の受入れをしました。

次は、平成24年(2012)7月24日~8月2日ミャンマー(ビルマ)派遣(生徒9名、引率教員秋山先生)に参加しました。当時「ミャンマー」は軍事政権から民主化されたばかり。不安材料ばかりでした。そこで、ミャンマー専門家の浅野静二さんや、元NHK国際放送局田辺寿夫さんをお呼びし、学習会を企画しました。話をいただく方皆が、「いい国だよ。いい人たちだよ。」と話され、徐々に不安は解消されました。明るい9名は、日本との違いも積極的に受入れ、笑いに変えていました。派遣後も、文化祭での発表展示、伊藤清元校長の同僚だった根本敬上智大教授を招いての発表会。ミャンマーの留学生と秋川渓谷バーベキュー大会など活動を継続させていました。この中から急成長するミャンマーとの架け橋になる人物が生まれることを期待しています。

平成25年(2013)7月には、台湾生徒(柔道)の受入れをしました。万田先生の受入れにより実現した交流でしたが、ちょうど、野球部夏の選手権西東京大会準優勝の時。忙しい中、活動に協力していただいた方々に心から感謝の気持ちでいっぱいでした。「初めは不安も多かったが、いろいろ体験すること

で、自信がついた。」「高校時代は、いろいろやって鍛えて、挑戦することが大切。」「様々な価値観を知り、それを尊重することが大切だと思った。この考えが世界平和につながる。」卒業生の言葉です。明るく、元気で、パワーがあり、真剣に頑張る人たちを素敵だと思い、周りへの配慮ができる校風。これが日野高の魅力だと痛感します。今でも日野高校応援団です!!

「日野」から「世界」へ

旧職員 高島 みゆき(現 東京都立若葉総合高等学校)

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54 ■日野高校の現在(10年間の記録)

TVに映った日野高校

日野高校の卒業生の中には、芸能活動によって名を知られている人も多い。そのため本校はそうした方々の「母校」として取材を受けたり、その様子がTV放映されたりすることも少なくない。本校がいつどのようにTVに映ってきたか、まずはその記録を記してみたい。

平成19年(2007) 5月26日 テレビ東京「出没!アド街ック天国」 高幡不動周辺の紹介で日野高校が11位になる。

平成22年(2010) 7月23日 BShi「ハイビジョン特集『ぼくはロックで大人になった~忌野清志郎が描いた500枚の絵~』忌野清志郎さんの歌のモデルとなった小林先生が日野高校で思い出を語る。

平成23年(2011) 11月4日 TBS「A-Studio」笑福亭鶴瓶さんとシェリーさんが三浦友和さんの母校として本校を訪問。

平成26年(2014) 2月16日 日本テレビ「誰だって波乱爆笑~アンジャッシュ~」アンジャッシュのお二人が日野高校や芸人になることを応援してくれた担任宅を訪問。

平成26年(2014) 10月28日 テレビ東京「ポンコツ&さまぁ~ず」廃油で走る車で旅をするという企画で、アンジャッシュの児嶋一哉さんが母校の日野高校に廃油をもらいに立ち寄る。狩野英孝さんが当時の宮﨑校長の似顔絵を描く。

平成27年(2015) 5月2日 NHK総合「ラストデイズ『忌野清志郎×太田光』」爆笑問題の太田光さんが、日野高校で忌野清志郎さんを知る同窓生と対談。

平成27(2015)年 5月3日 NHKBS「プレミアムドラマ『忌野清志郎 トランジスタ・ラジオ』」昭和43年頃の日野高校を舞台としたドラマ。忌野清志郎さんに憧れる「日野高生」が主人公。日野高校でロケが行われ、在校生がエキストラとして出演した。

平成28年(2016) 1月20日 テレビ朝日「あいつ今何してる?ゴールデンスペシャル」アンジャッシュ結成の経緯を語る中で、お二人の同級生であった卒業生が登場。

平成28年(2016) 3月28日 フジテレビジョン「FNSうたの春まつり」 卒業式にアンジャッシュ渡部建さんと歌手の藤巻亮太さんが現れ、藤巻さんが「3月9日」を歌う。

卒業式のサプライズ平成28年3月11日、春とは思えない冷たい雨の降る

中、48期生の卒業式が行われた。卒業の歌「3月9日」を歌い終わり、閉式の辞が述べられ、いよいよ卒業生退場の直前、「今年はこれでは終わりません。皆さんの卒業を祝ってOBの方が駆けつけてくださいました」という司会者の言葉に続いて、舞台上にアンジャッシュ渡部建さんが現れた。参加者の歓声があがる。

この日、「旅立ち・卒業・出会い」さまざまな場面で歌われている春の名曲を紹介する番組の撮影が本校で行われた。企画と準備は秘密裏に行われ、生徒にはもちろん、多くの教員にも伏せられていた。渡部さんの紹介でレミオロメンの一人だった藤巻亮太さんがギターを弾きながら「3月9日」を歌う。見つめる生徒たちの目の輝き。感涙にむせぶ姿。前日にスタッフによって舞台装飾が施されており、色とりどりのライトとともに体育館は美しいライブ会場となった。演奏が終わると、渡部さん、藤巻さんとともに記念撮影が行われた。

お二人からは卒業生にあてた色紙もいただき、48期生にとって、忘れ難い卒業式となったに違いない。

卒業式のサプライズにも大きな反響があったが、特筆すべきは、「プレミアムドラマ『忌野清志郎 トランジスタ・ラジオ』」であろう。日野高校が全面的に

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NHKドラマ「トランジスタ・ラジオ」に参加して49期生 坪井 秀記

3月の終わり頃、私は、NHKプレミアムドラマ「トランジスタ・ラジオ」に出演しました。と言っても、私たち現役日野高校生は主人公のクラスメイト役でエキストラだったのですが、とても貴重な体験をさせていただけたと思います。私は映画★演劇部に所属していて、映画の撮影をしているのですが、本物は違いました。カメラの値段もそうな

のですが、撮影方法や音声さん、大道具さんの技術面に私は感動してしまいました。そして何より、撮影スタッフさんたちの恐怖すら感じるやる気に現場の空気は、ピリッと張りつめていました。そして撮影の本番を迎えました。私は、とてつもない緊張感に襲われました。ですが、同じエキストラの役者さんが私に、「大丈夫だよ。気楽に、落ち着いて演じれば。」と温かく優しい言葉をかけて下さいました。その言葉に私は肩の力が抜け、変なぎこちなさがとれました。そして、何カット目かの撮影を終え、昼食に入りました。そこには撮影待ちをしていた先輩方がいらっしゃいました。先輩方は昼食を食べつつ、口々に「待ち時間がとても長い。」と言っていました。確かに我々の数シーンだけでも4時間以上たっていて、ドラマの制作とは、こんなに時間をかける大変な作業だと改めて感じました。

協力し、平成27年の3月、春休み期間中に大掛かりなロケが行われた。生徒も何人かがエキストラで出演し、PR番組では出演した在校生の一人が紹介された。

日野高校を訪れた方々からの色紙

初めてドラマ作りの現場に参加した生徒も大きな驚きと刺激を感じたようだ。エキストラとして参加した生徒の感想にもそのような気持ちがよく表れている。

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56 ■日野高校の現在(10年間の記録)

学級数の増減

平成18年度(2006)に第1・2学年6学級、第3学年7学級であった学級数は、平成27年度(2015)に、全学年8学級となった。毎年のように学級数が変わり、それに対応するため、校内の配置転換に追われる年が続いた。具体的な学級数の推移は次のとおりである。

1学年 2学年 3学年

平成18年度(2006) 6 6 7

平成19年度(2007) 6 6 6

平成20年度(2008) 6 6 6

平成21年度(2009) 7 6 6

平成22年度(2010) 7 7 6

平成23年度(2011) 7 7 7

平成24年度(2012) 8 7 7

平成25年度(2013) 8 8 7

平成26年度(2014) 8 8 8

平成27年度(2015) 8 8 8

平成28年度(2016) 9 8 8

平成21年度より、学級数が増加しているため、普通教室の確保が課題となった。違う学年を同一階にすることは避けたい、しかし展開授業で使用する選択教室や進路指導室なども確保しなければならない。毎年のように教室配置の案が出され、部屋の移動が相次ぐことになった。

平成19年度の校舎配置図を見ると、A棟の教室は、1学年が4階、2学年が3階、3学年が2階で、1階には社会科準備室・同講義室、進路相談室、進路資料室、生徒会室が2教室、選択教室が4教室となっている。学級数が増えるにしたがって、1階に3学年の普

通教室が置かれるようになり、選択教室がなくなり、生徒会室が3階に移動した。

7学級でそろった平成23年度には、1階は普通教室の他は社会科準備室・同講義室、進路指導室のみとなり、進路資料室は2階に移された。さらに平成24年度には、進路指導室とするため社会科準備室がB棟3階に移り、社会科講義室はなくなり、進路資料室となった。翌25年には進路資料室は2部屋に仕切られ、進路資料室と選択11教室になった。こうして8学級にそろった26年度を迎えたのである。生徒会室と社会科準備室・同講義室の移動においては、かなりの物品を備えた部屋であったため、相当の労力を費やしたようである。

平成26・27年度は各学年が8クラスにそろい、部活動においては、文化部にも入部者が多く、充実した活動が展開できた。学校行事も大いに盛り上がり、50周年にふさわしい体育祭・文化祭となった。

28年度は1学年がさらに増学級となり、9学級となったため、選択31教室を普通教室とすることで3、4階に1学年を収めることになった。しかし、今のところ、1、2階は8学級までの教室しか同フロアーに確保することができないので、2年次からの教室割が懸案事項として残っている。

日野高体操

今はなくなってしまったが、かつて日野高には「日野高体操」なるものがあった(5・6期あたりまでは「どんどん体操」と呼ばれていたらしい)。入学後の体育の授業はまず「日野高体操」を覚えることから始まる。授業前の準備体操はもちろん、在学中の体操はすべて「日野高体操」なので、その動きは3年間でしっかり体に染みついてしまう。「あの奇妙な動きを今の高校がやっているとは思えない」というOGの感想があるほどの、個性的な体操であった。卒業後、ラジオ体操をやろうとしたら、忘れてしまってできなかったというOBがいたとか、いなかったとか…

日野高校今昔

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50周年記念デザイン! 日野高校3代目制服決定!

制服検討委員会

伝統のグレー平成27年4月「50周年を機に制服を変えよう」とい

う声があがった。現在のデザインはすでに20年愛用されている。高校生の体格やその嗜好は変化し、さすがにシルエットや色を変更する時期だとみなが感じていたようだ。

教職員の声は「やはりグレーは外せない」「チェックのズボン」「アイドルのようなものはダメ」「実用的なもの」「指導しやすい工夫」など現在のものをベースに、より現代風に変更する案が多く出た。在校生が対象のアンケートからは「金ボタンがいい」「ネクタイの種類を増やしたい」「ズボンとスカートを同じ柄に」など、在校生は自分たちの着ている制服が嫌なわけではないことがわかった。

紺ブレザーが主流の今、グレーブレザーは日野高ブランドのひとつである。新制服ではこの独自性を生かしたマイナーチェンジを行うこととした。

らしさの構築~スクールアイデンティティ平成28年度入学生より着用となる新制服は今までの

制服の良い点を踏襲しつつ、ディテールにまでこだわった他校にはない本校らしい制服となった。

日野高校伝統のグレーは今までよりも少し濃いグレーを採用し、全体的に落ち着きのあるデザインである。

冬服は、校樹センペルセコイアの深緑と日野市の鳥であるカワセミの翡翠色をアクセントカラーに取入れた上品なデザインである。夏服には水に恵まれた日野高校らしく清涼感のあるサックスブルーを取入れている。ネクタイは深緑と紺の2種類、リボンも深緑とワインレッドの2種類があり、自由にコーディネートすることができる。また、女子にもスラックスを採用している。さらに生地は、型崩れしにくく耐久性に優れたウォッシャブル素材で扱いやすくしている。

制服は日野高校らしさのイメージをつくり出すひとつのツールである。制服を変更させることで本校のあるべきイメージを作り出し新しいビジョンが見えてくる。今あるものを大切に活用し、さらなる発展を求める新制服は本校のPR計画のひとつのアイテムとなりうると考えている。

きちんとした着こなしをあとは入学してくる生徒たちに誇りをもって着用し

てもらいたいと願う。軽い着用感と着心地の重視、十分なゆとりと美しい

シルエットは活発な本校の生徒の動きに対応するものであり、高校生としてのフォーマルな場面にも映える。さらに要所に配したアルファベットのHとセンペルセコイアのモチーフに本校の社会的責任を感じる。

服装を考えるにはコミュニケーションスキルが必要である。人を外見で判断してはいけないといわれるが、それは人は外見で判断されてしまうということである。制服を綺麗に着こなすことは皆が気持ちよく生活していくためのマナーである。「身だしなみ」の正しい知識を身に付け、さらにしっかりと目的をもって着用してもらいたいものである。

冬服(正装) 夏服 女子スラックス

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58 ■日野高校の現在(10年間の記録)

生徒の活動社会の状況が変わろうとも、日野高校が10代後半の若い人々の学び舎であり続けたことには変わりがない。いつの時代も、青春期を送る生徒たちの声が響いていた。勇ましく挑む姿、楽しく談笑する姿、傷つき涙する姿。学校行事や部活動では、授業中とは一味違う表情を見せる生徒たち。センペルセコイアが見守り続けた生徒たちの活動を中心に10年を振り返ってみる。

応援合戦とマスコット各団が力を結集してパフォーマンスを繰り広げる応

援合戦は、毎年観客たちの楽しみとなっている。生徒自らがデザインした衣装に身を包み、7分間を力いっぱい踊りきる。競技とは別に審査が行われ、競技での勝敗と同様にその結果が注目される。

各団の席の後ろに立てられるベニヤ板8~ 10枚ほどのマスコットも、体育祭を華やかに盛り上げる重要な要素のひとつである。運動はあまり得意ではなくても、絵やイラストが描ければ、それを活かして体育祭に積極的に参加することができる。以前は、既存の有名なキャラクターを使うこともあったが、最近は著作権に抵触するという問題もあり、オリジナリティーで勝負する傾向になっている。また、ペンキで彩色した上に、異素材を使って装飾したり、立体的にしたりといった工夫を凝らしたものも多い。

競技プログラムこの10年間、ほぼ定着している。学年種目・団体種

目・個人種目ともに種目・内容・構成は不変である。7~8年前迄は、100m走・200m走の最終レースにパフォーマンス部門が入っており、仮装したランナーがお菓子をまきながら走るというしまりのないおふざけの幕切れであったが、現在は最後まで力の限り本気で走るレースが展開されている。

部活対抗リレーは、男女とも真剣勝負の場が設定されている。男子の硬式野球部VS陸上競技部の一騎打ちや女子の陸上競技部VSバスケットボール部の息詰まる闘いは毎年最高の盛り上がりを見せている。男子第2レースは、文化部や教職員チームも参加し、例年会場を沸かせている。

平成22年度(2010)大会時、女子団体棒引きで大けがを負うアクシデントが起き、次年度は一旦中止にし、代わりに「借り物競争」を実施したが、企画倒れで不評のまま終わった。平成23年度(2011)からは、

体育祭

体育祭は平成9年度より秋の文化祭と分かれて6月に実施されるようになった。梅雨に入る直前で、天候不安定な時期ではあるが、準備期間の確保を考えると妥当な時期であると言えよう。学年を縦割りにして、団を結成するという方法は代々受け継がれている。5月の生徒総会時に結団式を行うことも変わらず継承されている。この10年、学年により学級数に違いがあり、赤・青・白の3団に分けるのに苦心をしてきた。平成26年・27年は、学級数が8クラスにそろったので、黄団を加え、各学年2クラスずつ、4つの団を組織した。

運動部系の生徒が多い本校において、体育祭は大変力の入る行事である。かつては、上級生が競技中にふざけたパフォーマンスを行い、ひんしゅくを買うこともあったようだ。現在は、遊びの要素が入っている障害物競走に、多少その傾向が残っているが、そのほかの種目は真剣勝負の場となっている。

学年種目は1年が「大縄跳び」、2年が「むかで競走」、3年が「全員リレー」で、これはここ10年変わりがない。体育祭が近づくと各クラスの朝練と放課後の応援団のダンスが始まるというのも変わらない本校の風景である。若い命の、弾けるごとき躍動感に感嘆しつつ、喧噪の中での授業準備に堪えるという複雑な時間を送るのも、本校に勤務する者の常である。

1年生にとっては、入学後、初めて挑む大きな学校行事である。この体育祭を経て、新入生としての硬さが取れ、本校生徒としての位置が定まると言ってよいだろう。

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棒の先端に安全甲のクッションを装備する等の工夫で、同競技は復活し、今年度まで続いている。

男・女騎馬戦は、毎年のように教職員アンケートからは「危険」・「野蛮」という声も上がり、常に検討課題としてあがっているが、かたや「活発」・「醍醐味」という声も聞かれ、何よりも実際に競技を行う生徒達の希望で継承しており、依然として注目競技・花形競技として盛り上がっている。

しかしその陰で、自ら危険を顧みず、ホイッスルを吹きながら審判に当たってくれている多数の教職員の

存在も忘れてはならない。

係分担部・同好会の活動が、この10年間で更に活発にな

り、人数・まとまりともに、まさに体育祭の大きな“戦力”として定着している。運動部を主体として、文化系の部・同好会にも役割を担ってもらい、各種委員会も組織的に機能している。2015年第50回体育祭の係分担は以下の通りである。

■平成27年度 体育祭 役割分担

係 担当生徒(部・委員会) 係 担当生徒(部・委員会)総務・進行 体育祭実行企画委員会(3学年) 用具 男子バスケットボール

召集硬式野球部 卓球

剣道 警備 風紀委員会誘導 女子バスケットボール 救護 保健委員会

審判 陸上競技美化

美化委員会サッカー ダンス

記録 バドミントン ソフトボール水泳 放送 放送委員会

会場

女子バレーボール 受付 図書委員会男子硬式テニス 応援団

3学年女子硬式テニス 応援会計柔道 マスコット

陸上競技 マスコット会計写真 映画★演劇、写真

平成27年度(2015年度)体育祭

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60 ■日野高校の現在(10年間の記録)

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文化祭

実行委員を中心とした主体的な運営へ毎年9月に行われる。企画のクオリティーを上げる

べく、文化祭実行委員を中心に、体育祭前の5月下旬から準備が始まる。

開祭式と閉祭式開祭式は初日の朝、体育館で開催される。参加団体

の1分間PRは長い間継承されている。テンポのよいPRが続き、体育館が和やかな雰囲気に包まれる。

閉祭式は日をあらため、全校の片付け・清掃の後、体育館で開催される。審査結果の発表及び講評を行い、生徒の健闘をねぎらう場となっている。

クラス企画平成16年度より1学年は舞台部門での参加となり、

その流れはこの10年間継続されている。演劇には役者のほかに多くの裏方が必要だ。一人一人の生徒が得意なことを活かし何らかの作業に関われるという点で、よい企画であろう。しかし40人ほどの人数で一つの舞台を仕上げるためには相応の苦労がある。平成26年度までは夏休み中に専門家を招き演技指導を受けていた。そのため夏休み前に脚本を仕上げなければならない。しかし1年生の中でオリジナルの物語を創作できる生徒は少なく、脚本の完成にはどのクラスも難儀する。そこで多くのクラスが「シンデレラ」や「桃太郎」、「ドラえもん」といった既存の話を下敷きにし、それをアレンジして上演している。多くの生徒が知っている話は限られているので、毎年変化に乏しい舞台になってしまうという課題があった。そこで平成27年度は、学年で「時代劇」等の分野を設けクラスを割り振り、似通った内容にならない工夫をした。

2・3学年の企画に縛りはないが、例年2学年がお化け屋敷や縁日といったバラエティー部門、3学年が飲食部門での参加となっている。お化け屋敷は作るのも片付けるのも大変だが、毎年人気のある企画だ。お化け屋敷に限らずバラエティー部門の企画は遊びに偏りすぎているという批判もあるが、それぞれのクラスで生徒は企画を練り、創意工夫を凝らしている。

飲食部門については、この数年は調理を伴うものが

6団体、販売が2団体となっている。調理6団体のうち主食となるようなメニューの提供は2団体と決まっているが、その他のメニューは年によって流動的だ。平成25年度は「世界のメニュー」というコンセプトで、バラエティー豊かな食を提供した。提供数も「すぐに完売してしまう」との声を受けて増やした。毎年、クラスの連携や手際のよさが試される。

文化部の企画この10年間で生徒数の増加があり、文化部の部員も

増加した。活動も活発になってきた。また新しい文化部や同好会の創設もあった。これらの部や同好会による展示や研究発表も年々充実してきている。運動部と違い、文化部の活動は実態が見えにくい。文化祭はうってつけのアピールの場となる。中学生や保護者も注目しているはずだ。毎年多くの来客があるが、本校文化部の隆盛を目にし、文化部入部希望者にも選ばれる学校となるよう期待したい。

PRボード過去各団体のPRは、1×2メートルの布(垂れ

幕)に描かれていたが、平成24年に1枚のベニヤ板に描く「PRボード」となった。垂れ幕同様、通用門を入ったフェンスに展示される。全団体のPRボードがそろうと壮観で、文化祭への期待を高める役割を果たしている。最近では、ペンキでの色付けだけでなく、布や毛糸を使用する、立体的にするなど手の込んだものも増えている。

オブジェ毎年趣向を凝らして来場者を楽しませている。例年

2学年のクラスが担当してきたが、希望するクラスが出ない年度もある。その場合、文化祭実行委員や2学年有志が制作してきた。

最近大きな話題になったのは、平成26年に2年2組及び有志が手掛けた爪楊枝アートだ。これは、白・黒・グレーに塗られた19万800本ほどの爪楊枝を巨大なボードに刺し、新撰組副長の土方歳三の姿を浮かび上がらせるものである。文化祭終了後は「新撰組のふるさと歴史館」に移設され、複数のメディアに大きく取り上げられた。

平成27年度の取り組みも素晴らしかった。2学年有志(男子バスケットボール部員を中心とするメンバー)が2つのプロジェクトに取り組んだ。1つは、昇降口前に設置された、雄大な海に躍動する生き物た

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62 ■日野高校の現在(10年間の記録)

ちの姿を描いた巨大な壁画。丁寧に描き込まれ、見るほどに完成度の高い作品であった。もう1つは、中庭に浮き上がった、物理の実験も兼ねた巨大なクジラのソーラーバルーン。破損のため一時的な展示に終わってしまったが、ゆらゆらと中庭を「泳ぐ」姿は見る者に強い印象を与えた。

平成26年度及び27年度のオブジェには特別賞が授与された。

公演部門近年はダンス部、吹奏楽部、映画★演劇部の3団体

が体育館で公演を行っている。ダンス部は年々部員が増加し、平成27年度は1学年

から3学年までで86人となっている。大人数であるが、しっかりと統制のとれた部で、練習熱心な生徒が多く、パフォーマンスの質は高い。一人一人のダンスだけでなく、ショー全体の構成も完成度が高い。

ダンス部の陰に隠れがちになってしまっているが、吹奏楽部も毎年安定して、ハイレベルな演奏を披露している。和やか、かつ妥協しない普段の雰囲気がよく表れたパフォーマンスだ。文化祭の要と言っていいだろう。

映画★演劇部のレベルも上がっている。近年は指導する教員もそろい、発声練習など普段から地道な練習を積み重ねている。体育館での演劇に加え、視聴覚室では映画も上演している。

いちい会毎年会議室をお休み処とし、来場者がホッとできる

空間を演出している。また、年によって細かな違いはあるが、バザーや募金、小物づくりの講習なども行っている。平成22年度には、その年の7月に衛星ハイビジョン「ボクはロックで大人になった~忌野清志郎が書いた500枚の絵画」が放映されたのを機に、同窓会とタイアップし、初日に視聴覚室で座談会と展示会「愛し合ってるよ~清志郎さんと日野高の仲間たち」を開催。日野高に寄贈された自画像も公開された。

後夜祭生徒からの要望を受け、平成22年度に、それまでの

閉祭式に代わる形で開催されるようになった。参加は有志で、バンド演奏やダンスで盛り上がる。出演者も観客も3年生が中心となっている。平成26年度には男子テニス部を中心としたメンバーによるペンライトを使用したパフォーマンスと、その団体のダンス部との

コラボレーションがあり盛り上がった。野球部生徒数名によるアカペラのコーラスもこの年に初めて登場した。相当量の練習を積み、質の高いパフォーマンスを披露した。これはバージョンアップしたかたちで27年度にも引き継がれた。出場団体数はダンスが最も多いが、近年はダンス部のレベルが上がり、全体の印象を引き締めている。

第50回記念祭平成27年度の文化祭は50回目という区切りを意識し

て、スローガンに「繋(つなぐ)―50年目の青春―」を掲げた。意欲溢れる実行委員がそろい、強力なリーダーシップの下、全校生徒を巻き込むかたちで準備が進められた。結果的に素晴らしい記念祭となったが、それは3年生の実行委員の力によるところが大きい。一人一人が自身の得意分野を活かし、独創的なアイデアを次々と出し、実現に向けての戦略を立て、様々な交渉及び膨大な作業をいとわなかった。

開祭式では、卒業生でお笑い芸人のアンジャッシュのお二人からのビデオレターが上映されるというサプライズがあり、生徒の歓声が上がった。実行委員長が発案し、自ら交渉し実現したものである。

全学年、全生徒に呼びかけ、中庭上空装飾にもチャレンジした。A棟・B棟間を、千個近い色とりどりの風船が結んだ。

一日目の午後7時からは花火大会。校庭の真ん中から花火師による本格的な花火が打ち上げられた。生徒は校庭あるいは校舎屋上に集まった。近隣の住民のみなさんにも集まっていただいた。みんなで校歌を歌い、みんなでカウントダウンをして、いよいよスタート。時間としては5分程度であったが、数としては千発近い花火が打ち上げられた。真下から見上げる花火は迫力満点。見る者に強い印象を残した。

圧巻は、今年度に限り、一日目の一般公開終了後、この打ち上げ花火の時間まで体育館で開催された「中夜祭」。全学年全クラスが参加した「男女逆転コンテスト」、ダンス、コーラス、ボディービル……。一つ一つの企画のクオリティーも高かったが、全体の構成もよかった。大いに盛り上がり、実行委員がこだわった「全校生徒が一つになりたい」がここで実現することになった。

この年は8月下旬から長期にわたり悪天候が続いたが、文化祭期間は好天に恵まれた。生徒は、多くの来場者とともに、50回目の文化祭を心行くまで楽しんだ。

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第50回日野高祭

見れば見るほど完成度が高かったウェルカム・オブジェ

27年度は第50回記念祭で盛り上がりました

メイドの部屋?

野球部を引退した3年生が素晴らしいアカペラを披露

まるで生きているようだった……中庭に浮かぶ巨大クジラ

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64 ■日野高校の現在(10年間の記録)

■文化祭スローガン

年度 月日 回 文化祭テーマ〈スローガン) オブジェ

平成 18 年度(2006) 9月 16・17 日 第 41 回ついに来た! 40th 日野高祭

~You 達みんな来ちゃいな Yo☆~

ドラえもん不思議の国のアリス

平成 19 年度(2007) 9月 15・16 日 第 42 回 Surprise!! ビッグバン起きちゃったよ日野高祭

タージマハールアーチと壁画

平成 20 年度(2008) 9月 13・14 日 第 43 回 カムカムカミングーググー Sweets Casteleくま城

平成 21 年度(2009) 9月 12・13 日 第 44 回 日野のココあいてますよ !! 忌野清志郎さんの壁画竜宮城

平成 22 年度(2010) 9月 11・12 日 第 45 回 思い出残す センペルセコ year見に来 year ~ !!

風神雷神図弁財船

平成 23 年度(2011) 9月 17・18 日 第 46 回

H 日野高祭A 明日に向かってP ピースサインP パーッとY やろうぜ !!

写真アート本のオブジェ

平成 24 年度(2012) 9月 15・16 日 第 47 回 Laugh & laugh君がやらなきゃ始まらない スカイツリー

平成 25 年度(2013) 9月 14・15 日 第 48 回どこの文化祭行くの?

日野高でしょ!~ special day in your heart ~

虹の風車

平成 26 年度(2014) 9月 13・14 日 第 49 回 let it go~文化祭つくーろー♪~

爪楊枝アート(土方歳三像)

平成 27 年度(2015) 9月 12・13 日 第 50 回 繋つなぐ

 ―50 年目の青春― ソーラーバルーン(鯨)ウェルカムオブジェ(海)

爪楊枝アート(土方歳三像)

毎年恒例のPRボード

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合唱祭

合唱祭は平成19年度(2007)まで1・2学年主催の行事であった。平成19年度末に1・2学年より、学年行事から学校行事への変更の希望が出され、それを受けて平成20年度(2008)に学校行事として位置付けられ、生活指導部が担当することとなった。一週間の短縮授業を組み、練習時間を確保し、毎年2月に、1・2年生の各クラスが日野市民会館にその歌声を響かせている。

平成20年度(2008)の課題曲は、1学年が『日野高等学校校歌』で2学年が『ローレライ』であった。平成21年度(2009)より、2年生の課題曲は、本校13期の作曲家、松下耕さん作曲の『四月の風』となった。これは「松下さんの曲をぜひ歌いたい」という合唱祭委員会の要望が実現したものである。松下さんに歌う際の注意点などを伺ったところ、大変丁寧なFAXをいただいたので、その一部をご紹介したい。

この曲が、日野高校における合唱祭の課題曲として歌っていただけることを、心から嬉しく、誇りに思っております。

皆さんが歌ってくださる『四月の風』は、詩も、この曲に対する書き下ろしです。

作詞は、現在東京家政大学の学長であられる、片岡 輝先生です。全てのものが芽吹く春、人生も希望に満ちようじゃないか、という、とても積極的な讃歌です。

この素晴らしい詩に、私なりの音楽を付けてみました。

この曲は、もともと教科書に掲載するための曲でしたが、同時に、私の長男誕生の記念としての作曲でもありました。その長男も、今ではみなさんと同じ高校生です。皆さんと同じように、都立高校に通っています。つまり、この曲は、私にとっても、忘れることができない、大切な曲なのです。

演奏上の注意は、あまり細かく述べたくありません。皆さんがこの曲から感じたままに、自由に表現していただくことが、一番大切だと思っています。

全体的にレガートで、滑らかに、優しく、愛情に満ちた表現をしてください。しかし、曲中、アクセント記号が付いた場所は、決然と表現して、そのほかの部分とのコントラストを作ってください。各節の最後、『生きることに/膨らみゆく この胸』の部分も、はっきりと、一つひとつの音を強調して、クライマックスを効果的に演出してください。しかし、乱暴にならぬよう、丁寧に歌いきってほしいと思います。

音楽は、この地球上に残された、最後の『平和を表現する武器』だと思います。皆さんが力を合わせてこの曲を歌うとき、その時こそ、この地球上の、真の平和の実現への第一歩を踏み出すことになるのです。

高らかに、希望と平和を叫んでいただきたいと思います。

松下 耕

『四月の風』は平成23年度(2011)まで2年生の課題曲として歌われ、平成24年度(2012)からは同じく松下さん作曲の『ほらね』が2年生の課題曲となっている。また、平成26年度(2014)は、それまで1年生は校歌を課題曲としてきたが、初めて1・2年共通で『ほらね』を課題曲とした。この課題曲は3年間続いたので、そろそろ新しい曲に挑戦しようということで、松下さんに相談し、平成27年度(2015)は『たったいま』を課題曲とした。

また自由曲は、ここ数年は音楽科と合唱部顧問により推薦作品を予め数十曲提示し各クラスが選曲する形式をとっている。また平成24年度(2012)からは、ポップスを演奏するクラスはなく、むしろ合唱曲として難易度の高い作品が選曲されるようになった。さらに現在は無伴奏作品に挑戦するクラスもあり、全体の演奏レベルも年々向上している。

合唱祭には、生徒有志や、教員による合唱団も参加し、審査の間の楽しい時間を提供している。教員合唱は毎年練習不足で仕上げるのが厳しい。だが生徒たちの頑張りに応えるべく、毎年同じ舞台に立ち、真剣勝負の後の和ませ役を果たしている。

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66 ■日野高校の現在(10年間の記録)

■合唱祭の記録

年度 月日 最優秀賞 テーマ 教員合唱有志・部などの合唱

平成18(2006) 平成19. 2. 6 『予感』(2-4) 『エーデルワイス』

平成19(2007) 平成20. 2. 6 『3月9日』(2-6) 『あのすばらしい愛を もう一度』

平成20(2008) 平成21. 2.19 『河口』(2-6)『決意』(1-6) 『手紙 ~拝啓15の君へ』

平成21(2009) 平成22. 2.26 『信じる』(2-2) 『行こうふたたび』『虹』

平成22(2010) 平成23. 2.10 『落葉松』(2-7) 日野高校合唱祭最響合唱にしようぜ

『夢の中へ』『種子』『カリンカ』

平成23(2011) 平成24. 2. 8 『走る川』(2-2) 合唱祭歌え楽しめ盛り上がれ

『道化師のソネット』『宇宙戦艦ヤマト』ほか

平成24(2012) 平成25. 2. 7 『きこえてくる』(2-5)金賞・合唱・歌いまshow 『オー・ソレ・ミオ』『全部』(合唱同好会)

平成25(2013) 平成26. 2.13 『流浪の民』(2-5)  『みやこわすれ』(1-7)

一致団結・以心伝心・一声入魂~己の青春を歌に捧げよ~

『今ここに』『Cantate Domino』

『言わない』『古の君へ』

平成26(2014) 平成27. 2. 5 『わが抒情詩』(2-1)

『前へ』『一ばんぼし』『心に花を咲

かせよう』(合唱部)『汽車ぽっぽ』『はっか草』

(音楽Ⅱ合唱団)

平成27(2015) 平成28. 2. 4 『君や忘る道』(2-7)

『なごり雪』松下耕さんの作品より

(音楽Ⅱ合唱団)『Dear snow』『出発』『こころよ うたえ』

(合唱部)

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67

修学旅行と校外学習

校外学習は、入学あるいはクラス替えの後、初めて体験する学校行事である。毎年、4月末から5月初めに予定されており、クラスの親睦を図る良い機会となっている。

行先は年によって多少の違いがあるが、各学年の目的とするところは定まっている。1学年は、自然の中で、バーベキューや飯ごう炊さんといった共同作業を行うことで、クラスメートと円滑な人間関係を築く場としている。2学年は、修学旅行の事前指導としての色合いが濃く、羽田空港に集合し、その後横浜などでグループ行動を行っている。3学年は、本格的な受験勉強に入る前の楽しい思い出づくりとして、生徒の要望を取り入れ、ディズニーランドなどのテーマパークに行く年が続いている。

修学旅行は、学年が2年近くの年月をかけて練り上げる行事である。2学年の冬に予定される修学旅行の行先は、この10年沖縄が選ばれている。毎年、学年の修学旅行担当者が中心となり、教科などの協力を得ながら、様々な事前学習が行われている。テーマを決めての調べ学習、沖縄戦にまつわる映画の視聴、郷土料理の調理や試食、エイサーの鑑賞などである。

修学旅行の集合場所への交通手段を確認するため、2年の校外学習は羽田空港へ行くことも7年間の恒例となっている。

沖縄修学旅行の主眼は、琉球王朝の流れをくむ文化の理解とともに、沖縄戦の戦跡や壕を訪ね、体験者の講話を聞くといった平和学習にある。生徒たちが、それぞれの感受性を通して、戦争の悲惨な実態を捉え、平和を維持する主体としての自己を意識する、貴重な体験となっている。沖縄修学旅行の概要紹介として、49期生の旅行の内容と事前指導について記しておく。

行程の概要第1日目…県立平和祈念資料館、平和の礎、平和講

演「元白梅学徒隊中山きくさん」(那覇市内泊)

第2日目…南部戦跡、ガマの暗闇体験、浜比嘉島散策、米軍基地、世界遺産「座喜味城

跡」、エイサー鑑賞など(恩納村泊)第3日目…シーカヤック、沖縄菓子づくりなどの体

験学習、美ら海水族館など(恩納村泊)第4日目…世界遺産「首里城」、那覇市内班別研修

事前学習の概要事前学習は、1年次の3学期から「総合」の時間を

中心に行った。沖縄協会製作ビデオ「清ら島 沖縄~摩文仁からの

メッセージ~」、沖縄コンベンションビューロー製作ビデオ「沖縄修学旅行紹介」ビデオ、アニメ映画「かんからさんしん」、映画「GAMA-月桃の花」、「ドキュメント沖縄戦」の鑑賞のほか、沖縄の自然や文化などのついても映像による学習、旅行委員会による新聞「行

いちゃりばちょーでー

逢えば兄弟」の月1回の発行、沖縄菓子「ポーポー」の調理実習、夏休みの宿題として「私の沖縄新聞」と沖縄に関する本の「ポップ」の製作を一人一人で行った。これらの学習成果については、文化祭で旅行委員会が中心になって特設コーナーを設けて発表し、沖縄に持っていく折鶴づくりを来校者に呼びかけるなどを行った。2学期には、文化や自然について映像で鑑賞したり、修学旅行後には文集を作って現地で学んだことなどをまとめることを計画している。このほか、日本史や理科、家庭科の授業などでも、沖縄の歴史や自然の特異性、食べ物の違いなどにも触れている。

戦後70年目に当たり、テレビや新聞などでも数多くの特集が組まれ、選挙権が18歳以上に改正され(対象の最初の学年にあたる)、また改正安保法案が話題になったためか、戦争と平和について自分がどのようにかかわっていくべきか考え、映画「GAMA-月桃の花」を感想文で表明した生徒もいた。ここに紹介する。

私は今まで戦争映画を見たことがありませんでした。今まで戦争映画はただ感動させるためのもの、言い方は悪いですが、お涙頂戴のイメージがありました。しかし今日、「GAMA-月桃の花」を観てそのイメージは変わりました。戦争映画は私たちに戦争の恐ろしさを教えてくれ、受け継がれていかなければいかないものだと思いました。…中略…今回は映画を観て戦争のいろいろなことを知りました。そこで私は、私が戦争の恐ろしさを伝えていくために何ができるか考えてみました。私にはもちろん映画を作ることはで

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68 ■日野高校の現在(10年間の記録)

きません。しかし、私たちにもできることはあります。今の私たちにはインターネットやSNSなどの情報をたくさんの人に伝えられるものもあります。将来子どもができたとき戦争の恐ろしさを話すこともできます。また、選挙に行きしっかりと国の代表を選ぶことも戦争を起こさないための一つだと思います。今話題になっている安保法案、本当にそんなものを作っていいのかと思う人はたくさんいると思います。だからこそ自分たちの国の代表をきちんと決めなければいけないと思います。来年の夏から18歳から選挙権が適用されます。私は来年の夏には18歳になるので選挙にしっかり行きたいと思います。戦争の恐ろしさをしっかり伝え、もう二度と戦争を起こさない、そうするためには私たちが戦争をしっかり学び、伝え、考えて行動することが大切だと思いました。

修学旅行

その昔、修学旅行といえば「京都・奈良」が主流だった。班別の自主行動の日があり、みんなで、ガイドブックを見ながら行程を考えた。パソコンもなかった時代の高校生は、今よりよほど苦労して案を練ったことだろう。事前学習も充実しており、修学旅行の記録をつけるノートが一人一人に配られた年もある。班員がそろって行動していなかったことがばれて、青くなって宿に着いたという思い出を語ったOBもいる。携帯電話もない昔のことで、失敗も多かった。今も昔も修学旅行は高校生活の中の一大イベントだ。

日野高校今昔

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マラソン大会

マラソン大会は日野高校創立当時より続けられてきた行事である。以前は学校のグラウンドを出発し、浅川・多摩川の堤防上を通り、学校のグラウンドに戻るコースで、男子が10㎞、女子が6. 5㎞を走り、脚力を競っていた。また、実施時期も11月下旬で、全学年が参加して行われていた。しかし、平成8年度より1・2年生のみが参加し、時期も3学期に行われるようになった。これは、3年生の推薦入学希望者が増加し、3年生のマラソン大会参加の負担を考慮してのことである。コースも、近年は学校内グラウンド入口付近からまず男子が、そして少し時間をおいて女子がスタートし、浅川堤防上を通り、通用門を通過し、グラウンド入口付近に戻るというものである。距離は、男子10㎞、女子7㎞と、女子の距離が伸びている。マラソン大会に備え、1月から体育の授業は長距離走となり、生徒たちは気力と体力を十分に高めて大会に臨むことになっている。

ここ10年間では、1度だけ実施できなかった年がある。平成25年度(2013)のことで、雪のための中止であった。残念に思う生徒たちのために、後日の放課後、有志による大会が行われた。その年を除けば毎年実施され、日野高生それぞれの力走が見られた。またマラソン大会の日は、いちい会の方々が豚汁を用意してくださり、毎年走り終わった生徒たちが温かい豚汁に和み、疲れを癒している。

近年のマラソン大会

昭和46年度のマラソン大会

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70 ■日野高校の現在(10年間の記録)

■マラソン大会歴代記録 男子(34回大会以降)歴代順位 開催回 当時の順位 タイム 学籍番号 氏名 所属部等1位 38回 1位 34分43秒 2506 今 野 大 輔 硬式野球2位 44回 1位 34分46秒 2423 田 倉   勝 硬式野球3位 48回 1位 35分01秒 2219 坂 本 佳 樹 陸上競技4位 44回 2位 35分04秒 2203 池 野 翔 太 硬式野球5位 44回 3位 35分12秒 1140 吉 田 一 彦 FC東京6位 44回 4位 35分16秒 1229 平 野 和 哉 硬式野球7位 48回 2位 35分26秒 2229 箱 田 奏 平 硬式野球8位 43回 1位 35分34秒 2215 栗 原   峻 無所属9位 43回 2位 35分35秒 1406 池 野 翔 太 硬式野球9位 45回 1位 35分35秒 2340 吉 田 一 彦 FC東京11位 35回 1位 35分40秒 2521 高 橋 綾 一 硬式野球11位 48回 3位 35分40秒 1539 矢 島 嵩 大 陸上競技13位 48回 4位 35分45秒 2807 金 子   幹 硬式野球14位 48回 5位 35分52秒 1222 杉 本 純 平 バスケット15位 43回 3位 35分58秒 1626 田 倉   勝 硬式野球16位 38回 2位 36分01秒 2515 小谷野 竜 成 硬式野球17位 44回 5位 36分01秒 2231 早 川 雅 也 バドミントン18位 35回 2位 36分06秒 2310 川 和 絋 平 バスケット18位 46回 1位 36分06秒 1616 小 林 正 人 硬式野球部20位 46回 2位 36分11秒 1418 志 岐 健太郎 硬式野球部21位 44回 6位 36分19秒 2128 増 村 慎之介 陸上競技22位 37回 1位 36分21秒 1616 小谷野 竜 成 硬式野球23位 43回 4位 36分21秒 1133 早 川 雅 也 バドミントン24位 42回 1位 36分28秒 2115 齋 藤 弘 明 硬式野球25位 42回 2位 36分29秒 1519 坂 田 宏 基 バスケット25位 47回有志大会 1位 36分29秒 2223 頓 宮 啓 太 バスケット27位 44回 7位 36分31秒 1523 田 中   涼 バスケット28位 34回 1位 36分32秒 1716 高 橋 綾 一 硬式野球29位 45回 2位 36分34秒 1214 坂 愼   航 硬式野球29位 46回 3位 36分34秒 2520 嶋 津 慧 青 バスケット31位 49回 1位 36分35秒 2823 宮 下 一之介 陸上競技32位 38回 3位 36分38秒 2407 岩 澤 航 也 硬式野球33位 43回 5位 36分40秒 1333 宮 川 洋 喜 硬式テニス33位 49回 2位 36分40秒 2236 矢 島 嵩 大 陸上競技35位 44回 8位 36分44秒 2130 宮 川 洋 喜 硬式テニス36位 42回 3位 36分46秒 1218 櫻 井 秀 一 硬式野球37位 45回 3位 36分47秒 1621 嶋 津 慧 青 バスケット38位 46回 4位 36分48秒 2623 中 井 崇 麿 バスケット38位 49回 3位 36分48秒 1620 下 島   龍 陸上競技40位 48回 6位 36分51秒 2618 後 藤 秀 隆 陸上競技40位 38回 4位 36分55秒 2301 赤 木 啓 太 硬式野球42位 35回 3位 37分00秒 2503 青 松 貴 志 硬式野球42位 42回 4位 37分01秒 2528 福 島 拓 弥 サッカー44位 43回 6位 37分01秒 2520 櫻 井 秀 一 硬式野球45位 38回 5位 37分04秒 2721 丹 野 修 平 バスケット45位 43回 7位 37分04秒 2424 高 山   健 地学・卓球47位 45回 4位 37分05秒 2511 小 野   翼 陸上競技48位 44回 9位 37分06秒 2621 相 澤 勇 介 硬式野球48位 49回 4位 37分06秒 2138 若 林 龍 介 陸上競技50位 42回 5位 37分07秒 2210 小 椋   幹 サッカー50位 45回 5位 37分07秒 2405 金 子 智 祐 硬式野球

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■マラソン大会歴代記録 女子(34回大会以降)歴代順位 開催回 当時の順位 タイム 学籍番号 氏名 所属部等1位 49回 1位 26分47秒 1817 小 林   蒼 陸上競技2位 49回 2位 27分28秒 1622 瀬 戸 希 更 バスケット3位 34回 1位 27分35秒 2734 梅久保 知 世 バスケット4位 48回 1位 27分36秒 2214 熊 澤 遥 香 バスケット5位 49回 3位 27分49秒 2129 古 川 遥 子 陸上競技6位 47回有志大会 1位 27分57秒 2205 大 野 夏 生 陸上競技7位 48回 2位 28分30秒 2335 森 田 捺 美 バスケット8位 42回 1位 28分33秒 1608 伊 藤 桃 美 バレー9位 44回 1位 28分40秒 1707 大 塚 みのり バレー10位 43回 1位 28分48秒 1120 鈴 木 花 野 バスケット11位 48回 3位 28分50秒 1114 小 石 夏 泉 バスケット12位 42回 2位 28分51秒 2617 田 上 瑠 衣 バスケット12位 46回 1位 28分52秒 1805 大 野 夏 生 陸上競技14位 46回 2位 28分53秒 1808 川 崎 理 惠 バスケット15位 46回 3位 28分56秒 1123 飛 内 若 菜 バレー15位 49回 4位 28分56秒 2815 久 住 知沙都 バスケット17位 35回 1位 28分58秒 2117 高 橋 由記子 バスケット18位 35回 2位 29分00秒 2338 望 月   梢 バスケット19位 36回 1位 29分02秒 2710 木 下 さと子 バレー20位 46回 4位 29分05秒 1212 小 林 桃 華 陸上競技21位 44回 2位 29分06秒 2321 鈴 木 花 野 バスケット22位 36回 2位 29分08秒 1530 峯 尾   綾 バレー22位 49回 5位 29分08秒 1439 吉 田 有 里 バスケット24位 34回 2位 29分10秒 2138 木住野 早 苗 バスケット25位 35回 3位 29分11秒 2516 小 林 美 奈 バスケット26位 37回 1位 29分11秒 2736 峯 尾   綾 バレー27位 45回 1位 29分14秒 2105 大 野 千 穂 バスケット28位 45回 2位 29分17秒 2316 小 山 里 奈 バスケット29位 48回 4位 29分25秒 1609 久 住 知沙都 バスケット30位 46回 5位 29分26秒 2615 清 崎 嘉 恵 ダンス31位 34回 3位 29分28秒 2642 根 岸 恵利香 バスケット31位 34回 4位 29分30秒 1338 望 月   梢 バスケット33位 38回 1位 29分31秒 2616 小 林 陽 子 バスケット34位 38回 2位 29分32秒 1512 斉 藤 めぐみ バスケット35位 46回 6位 29分34秒 2618 信太 すずらん バレー35位 44回 3位 29分35秒 1306 大 野 千 穂 バスケット37位 43回 2位 29分37秒 2110 伊 藤 桃 美 バレー38位 44回 4位 29分38秒 2339 山 下 文 音 陸上競技39位 36回 3位 29分40秒 1134 三 浦 真 紀 バスケット40位 38回 3位 29分43秒 1612 川 幡 なつみ バスケット41位 44回 5位 29分44秒 1438 森 園 斉 子 バレー41位 45回 3位 29分44秒 2308 伊 藤 誠 夏 バスケット41位 49回 6位 29分44秒 2829 日 向 彩 夏 バスケット44位 42回 3位 29分46秒 2409 越前屋 友 香 ソフトボール45位 49回 7位 29分51秒 2829 吉 田 李 音 バスケット46位 49回 8位 29分55秒 2115 佐久間 渓 夏 バスケット47位 40回 1位 29分57秒 2413 大 潤 富士花 バレー48位 38回 4位 29分58秒 2640 吉 田 窓 香 バスケット49位 38回 5位 30分00秒 1211 菅 野 紗 穂 バスケット49位 46回 7位 30分00秒 2718 斎 藤 明日香 バスケット49位 48回 5位 30分00秒 2421 杉 山 詩 織 陸上競技

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72 ■日野高校の現在(10年間の記録)

その他の行事

百人一首大会百人一首大会は、45期生(平成22年度〈2010〉入

学)が1年生であった時(平成23年〈2011〉・1・14)から始まったものである。国語科と学年が協力し、毎年1学年を対象に、3学期に実施している。各クラス、国語の授業において練習が行われる。和室や柔道場で行われる熱戦は、冬の寒さを忘れるほどである。

球技大会球技大会は、例年3学期の期末テスト後に行ってい

る。(3年生は卒業前)学年ごとに、生徒自身が運営し、進行や審判も部活を中心に担当している。クラス対抗で行う最後の行事なので、応援にも熱が入り、参加者はスポーツの楽しさを満喫する。

対面式・生徒会オリエンテーション・生徒総会ともに生徒会が主催している。対面式は、新入生が

初めて上級生と顔を合わせる機会で、やや緊張気味の新入生の姿が初々しい。

生徒会オリエンテーションは新入生に対する部活動の紹介が主で、各部数分間のパフォーマンスを行う。新入生は、生徒会が作成した冊子を手に、各部のPRに耳を傾ける。

生徒総会は5月と11月の年2回行われる。各委員会からの報告や予算案のほか、学校生活を送る上での諸問題について生徒同士で議論し、解決策を考えて行く場である。

予餞会ここ4、5年、3年生が卒業前に体育館で行ってい

る。有志参加で歌やダンスを繰り広げ、高校生活との別れを惜しむ。

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生徒の活動 ~部活動~①現在の活動日 ②部員数 ③現在の活動状況④ここ数年の主な活動実績 ⑤部の特徴<50音順>

運動部

■剣道部①毎週 火、木、土②1年6名、2年3名、3年8名③4月1年生部員が9名入部し、活況を呈してきた。

そのうち二段を有する者が3名もいて生徒相互間で指導し合える雰囲気も強くなった。各種大会にも、個人戦・団体戦とも積極的に参加している。

④平成25年 東京都新人戦男子団体部 都大会出場平成26年 東京都秋季大会女子団体戦3回戦進出平成27年 東京都国公立大会個人戦無段の部3位

⑤初心者でも、真面目に続ければ高校時代に二段はとれるので、取得をめざし日々練習をしている。七段の外部指導員の方からご指導を受けている。

■硬式野球部①週6日(月曜定休日)②1年33名、2年42名、3年34名③夏の西東京大会ベスト16

秋季東京都大会ブロック優勝④平成25年 第95回全国高等学校野球選手権記念大会 

西東京大会準優勝 平成21年2度目の21世紀枠候補校

⑤厳しい練習と規律のなか言い訳をせず本気で甲子園を狙う。

■サッカー部①原則週6日程度

②1年15名、2年11名、3年7名③高体連主催公式戦、高校総体・全国選手権・新人戦

兼関東大会予選参加東京都サッカー連盟主催U-18地域リーグ参加その他練習試合など

④公式戦における2回戦・3回戦進出。⑤マッチの反省点をトレーニングで解決し、次の試合

でその課題を生かし、よりよいプレーができるように取り組んでいる。

■山岳部①毎週火・金(トレーニング)月1回休日(野外活

動)②1年10名、2年6名、3年4名③登山―生藤山、丹沢塔ノ岳、高尾山、杓子山、高水

三山 夏合宿―北アルプス槍ヶ岳 奥多摩河原バーベキュー 高尾山清掃登山

④3年前、部活昇格をして以来、着々と実績を積み上げてきています。夏合宿も3年連続実施(①北アルプス焼岳②尾瀬ヶ原至仏山③北アルプス槍ヶ岳)

⑤山が好き、自然が好き、そして人が好きな山男たちの集まりです。でも、できたら女子部員がいた方がいいかも。

■柔道部①月、火、水、木、土、日②1年3名、2年8名、3年4名③放課後の柔道場での稽古以外に週2日朝トレーニン

グを実施。週末には他校との合同練習や大学へ出稽古を実施。多摩地区の中学生と合同練習も行い、近隣の道場からも参加者が増加している状況である。

④平成27年4月 第63回関東高等学校柔道大会第4支部予選会 女子団体優勝 平成27年6月 第64回全国高等学校総合体育大会東京都予選会 女子団体第5位 その他女子個人戦東京5位多数

⑤男子は高校から柔道を始めるが全員が昇段し黒帯を取得。女子は関東大会初出場に向け稽古に取り組む。

■女子硬式テニス部①火、水、木、金、土、日(月曜日以外)②1年6名、2年10名、3年15名③インターハイ予選や新人戦などの公式戦のほかに、

秋季団体戦、杉並杯、多摩西部大会、西東京大会などと様々な大会に出場している。

④平成24年 高校総体予選4回戦進出(シングルス・ダブルス)、5回戦進出(団体)、都立高大会(団

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74 ■日野高校の現在(10年間の記録)

体)4回戦進出、新人戦(ダブルス)5回戦進出。平成25年 高校総体予選5回戦進出(シングルス)4回戦進出(ダブルス)ベスト32(団体)平成26年 高校総体予選 4回戦進出(シングルス)5回戦進出(ダブルス)都立高大会(団体)ベスト16 新人戦4回戦進出(シングルス・ダブルス)

⑤毎年10名程度の入部があり、現在は1、2年生16名で活動を行っている。テニスは個人競技の性質があるものの本校テニス部はチームで協力し、実力向上、大会での実績を残すことに主眼を置いている。今年の目標は都立高校の中でベスト16を取ることである。

■女子バスケットボール部①月曜日以外毎日②1年9名、2年10名、3年7名③4~5月関東大会予選 ベスト32。5~6月イン

ターハイ(総体)予選 ベスト32。7月25日~ 29日夏季合宿(長野県)8月夏季大会 2回戦進出

④平成24年 関東大会予選 ベスト32 総体予選 ベスト32 新人大会 ベスト32平成25年 関東大会予選 ベスト56 総体予選 ベスト32 新人大会 ベスト32平成26年 関東大会予選 ベスト32 総体予選 ベスト32 新人大会 ベスト56

⑤東京都ベスト8 関東大会出場を目標に自主的に練習に取り組んでいる。

■女子バレーボール部①月曜日以外毎日・土日祝及び長期休業中は全日練習

試合等②1年12名、2年7名、3年8名③高体連の公式戦は年間5大会(関東大会を含む)。

都立大会年1回。各地、招待大会…松蔭大学招待試

合(1月)三島フェスティバル(3月)8ブロックフェスティバル(3月・8月)10ブロックフェスティバル(7月)座間フェスティバル(8月・12月)湘南フェスティバル(8月)多摩フェスティバル(8月・1月)秦野市招待試合(9月)クリスマスマッチ(12月)年忘れマッチ(12月)

④平成24年度(山梨県)25年度(東京都)27年度(栃木県)関東大会出場。24年度関東大会予選、25年度春高予選、27年度関東大会予選、27年度インターハイ予選 都ベスト8。23年度新人選手権大会~ 27年度春高予選、6シーズンに渡って、都ベスト16以上 連続堅持。都立大会21、22年度 全都第3位、24、25、26年度 全都準優勝。

⑤「我武者羅」「信頼・団結・闘志」「乾坤一擲」を部のモットーに常に“明るく、楽しく、元気よく”活動を進めております。先代の先輩方が築き上げて下さった伝統を継承し、『強い日野』を更にアピールして行きます。文武両道を守り、これからも精一杯精進致しますので、今後とも御声援お願いします。

■水泳部①月、水、木、土②1年6名、2年4名、3年9名③新人戦で男子50m背泳ぎ 第2位。春季大会、東京

都高等学校選手権にも参加。夏は学校のプールで活動、プールの使用できない季節はランニングや筋力トレーニング。

④平成23年、女子100mバタフライで関東大会及び全国大会に進出。

⑤上級生も下級生も仲が良く、皆が協力しあって部の運営をしている。個人競技なので自由度が高く、学業との両立もしやすい。

■ソフトボール部①月曜日以外毎日②1年8名、2年5名、3年3名③公立新人戦東京都3位 関東公立出場決定④高体連新人戦都大会出場⑤毎日地道に練習しています。3年生最後の大会、夏

の公立選手権では3年連続してブロック優勝、都大会に出ています。

⑥人数は少なく、経験者も少ない部活ですが、毎日地道に積み重ねています。

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■卓球部①火、水、木、土②1年5名、2年11名、3年5名③部員たちで話し合い、練習計画を立て、強くなろう

と努力しています。公式戦や練習試合を通して経験を積み、一歩一歩強くなってきました。

④シングルス5回戦など。⑤一人一人の個性を生かし、自主性を重んじるクラブ

です。強くなるために力を合わせてが頑張っています。東京都国公立大会の幹事校を務めるなど、少しでも卓球を盛り上げていくのに役に立てればいいなあと思っています。

■男子硬式テニス部①月~土 日曜日は不定期②1年20名、2年18名、3年16名③公式戦(インターハイ予選、個人の部 団体の部、

新人戦)に出場。都立校大会(団体戦)に出場。夏季合宿を実施(山中湖3泊4日)

④平成24年 都立校大会団体4回戦進出、多摩西部大会準優勝。平成25年 新人戦シングルス4回戦進出、ダブルス5回戦進出。都立校大会シングルスベスト16、ダブルスベスト32。平成26年インターハイ予選シングルス4回戦進出。都立校大会ダブルス4回戦進出。多摩西部大会ベスト8。

⑤試合(公式戦)に勝てる技術と精神力を身につけるために、毎日練習している。勉強との両立を図りながら、自主的に活動している。

■男子バスケットボール部①土日は練習試合を中心に活動。平日は火曜日

(REST)以外、体育館練習及びトレーニングで活動。②1年26名、2年20名、3年8名

③高体連公式戦(春季大会、インターハイ予選)の他、夏季合宿(4泊5日:長野県鹿教湯にて)、各種地域の大会(日野市近隣の4校リーグ他)、市内中学校交流大会(日野カップ他)、特別支援学校チームとの合同練習会、中学生対象の体験入部、定期考査1週間前の部活勉強会、等を実施。

④高体連公式戦においては、都ベスト32までは頻繁に進出している。5年ぶりのベスト16を、さらにはベスト8を目指し、日々練習に励んでいる。平成24年以降、支部選抜対抗戦に本校生徒が計3名選出され出場。平成25年のスポーツ祭東京[東京国体]での少年男子決勝戦のTO(テーブルオフィシャルズ)を担当した他、毎年全国大会[ウインターカップ]のTO補助役員として大会運営をサポートしている。

⑤ここ数年で入部者数が激増し、現在1、2学年で40名を超える大所帯での活動となっているが、マネージャーも含め部員相互は学年の枠を超え仲が良い。部員数が多い分、激しい競争やライバル関係を作り、みんなで切磋琢磨し、目標に向け頑張っています。

■ダンス部①月、水、金、授業日の土曜②1年23名、2年31名、3年32名③西部南区文化交流発表会、新井地区夕涼み会、日野

市民フェア、八王子トレインズオープニングパフォーマンス、多摩地区都立学校教育フェア西風、交通遺児チャリティイベントDANCE SHOW CASE、たにぞうファミリーコンサート 校内―引退ライブ、文化祭発表、クリスマスライブ、野球部応援チア

④③の上記地域イベントに参加し、地域交流を行っているが、平成25年の東京国体において、ゆりーとダンス推進大使に任命され、国体オープニングイベントや、日野市での競技補助員など務め、平成25年度東京都教育委員会児童生徒の表彰を受けた。

⑤1年から3年まで約90名の部員数で、本校では野球部につぐ、最大規模の部活であり、日野市での地域活動、学校行事などにおいて、かかせない部活となっている。

■バドミントン部①月、水、木、金、土、日②1年24名、2年15名、3年6名③インターハイ予選 女子単 都ベスト40。女子団体 

西ブロック予選 ベスト16。新人大会 女子複 都ベスト40。

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76 ■日野高校の現在(10年間の記録)

④平成24年 関東大会予選 団体女子ベスト40。高校総体予選 団体女子ベスト32。国公立大会 団体 男女 決勝トーナメント進出。平成25年 関東大会予選 女子団体ベスト24。高校総体予選男子ダブルスベスト40、女子シングルスベスト24、女子団体 4回戦進出。国公立大会 女子団体 決勝トーナメント進出。平成26年 関東大会予選 女子 都ベスト40。国公立大会 団体 男女 決勝トーナメント進出。

⑤ここ数年、部員数は増加傾向にある。使用できるコートが十分ではないことが悩みの種。実績としては女子が上回っているが、男子部員も増えてきたので、今後に期待できる。

■陸上競技部①月、火、水、金、土②1年17名、2年15名、3年20名③東京都高校総体 男子800m7位、男子やり投げ7

位東京都高校新人 女子800m6位

④平成25年東京都高校総体 女子400m6位 関東大会出場

⑤「自己ベスト更新」を目標に日々、頑張っています。

文化部

■映画★演劇部①毎週火・金を基本に、文化祭前はほぼ毎日活動②1年8名、2年1名、3年2名③映画制作、文化祭での舞台演劇等④平成24年度 日野「青春」映画祭 青年会議所賞 

ケーブルテレビ賞、地域賞 受賞平成25年度 日野「青春」映画祭 優秀賞受賞平成26年度 日野「青春」映画祭 優秀賞受賞

⑤平成22年度に、「映画製作同好会」として発足し、その後、平成24年度に「映画★演劇部」に昇格した新しい部です。昇格にあたっては、映像だけでなく、舞台演劇にもチャレンジしたいという気持ちから映画★演劇部とも名称に決めました。部員数は少ないながら、文化祭では「体育館公演」と「映画上演」の両方に挑戦しています。

■合唱部①月、火、木、土②1年3名、2年2名、3年4名

③NHK全国学校音楽コンクール東京都予選出場東京都高等学校文化祭音楽部門 中央大会出場東京都高等学校文化祭音楽部門 第6地区大会出場

④平成24年度 同好会 発足平成26年度 部   昇格

⑤兼部者が大多数である。

■華道同好会①金曜日の放課後(和室にて)②1年1名、2年2名、3年8名③部員は積極的で毎回きちんと活動して帳面に、はん

こを押してもらっています。楽しそうに生けています。

④去年から、文化祭で教室を借りて展示ができるようになりました。多くのお客さんを迎え、コメントを書いてもらっています。校内の美化にも貢献しています。

⑤しばらく休止状態だった華道部がここ3年の活動から華道同好会に立上がり、軌道に乗始めました。生徒の「花を愛する心」を感じて嬉しく思います。

■軽音楽部①月~金 授業のある土曜日②1年40名、2年22名、3年18名③日野高校で合同ライブ(上水高校と富士森高校)

昭和高校で合同ライブ(昭和高校と日大明誠高校)文化祭HINO ROCK FES

④平成25、26年度 育成会 復興支援チャリティーコンサートに参加

⑤日野高校の軽音楽部の特徴は、部員の多さと、1年生のためのLIVE講習や1年生LIVEといった初心者でも上達できる環境があるところです。(部長)

■茶道部①月、水(文化祭前は毎日)②1年6名、2年5名、3年0名③文化祭でお手前披露(120席)裏千家第八東支部懇

茶会参加(11月1日高幡不動尊茶室)④文化祭でのお手前披露。校内茶会の開催。⑤茶道部は本校卒業生である佐藤裕子先生を外部講師

としてお招きし、裏千家の作法修得を目指して活動しています。初心者として入部する生徒がほとんどですが、文化祭でのお手前や日々の練習を経て、卒業時に学校茶道奨励証を取得できるまでに上達する生徒もいます。

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■写真同好会①毎週水曜 そのほか不定期②1年2名、2年1名、3年2名③文化祭での展示④特になし⑤平成24年度に「写真同好会」として2年生を中心に

発足しました。写真を撮ることが好きな生徒の集まりで、学校行事やのんびり地域の風景の撮影会を行い、校内で作品展示を行っています。

■吹奏楽部 ①月~土(本番前は日曜も活動)②1年12名、2年13名、3年8名③7月野球応援 8月都コンクールBⅡ組銀賞

9月文化祭 11月高文連地区大会 1月都アンサンブルコンテスト 3月定期演奏会

④25年度 都コンクールBⅡ組金賞26年度 都コンクールBⅡ組銀賞 TAMAアンサンブルフェスタ2014金管五重奏金賞

⑤野球応援をしたくて、入部した部員も実はいるが、入部後は当然、コンクール、定演の練習をメインとしている。パート内の結びつきが強く、楽しく、自分に厳しく練習している。

■生物部①週4日活動、土日に活動することもある。(飼育

(主に魚)のえさやりは毎日交代制で)②1年1名、2年1名、3年3名③昆虫班は昨年からアリジゴクの生態研究、ホ乳類班

は日本獣医生命科学大と共同で日野市内のロードキル(ホ乳類の交通事故死)研究を行っています。この他、共通の部全体の課題として、メダカの遺伝子保全やアユの遡上鑑賞会、高尾山でのムササビ観察なども行っています。夏休みは、地学部と合同で、長野県入笠山で夏季合宿も行いました。

④平成24年度 東京都理数教育推進事業助成研究 ポスター発表、科学の甲子園 予選参加、多摩川流域市民学会ポスター発表平成25年度 全国一斉水環境調査、潤徳水辺の楽校支援、ツバメの集団ねぐら保全活動、その他平成26年度 日本動物学会関東支部大会 優秀賞受賞

⑤部員数は少ないのですが、毎年熱心な部員が入部、活動しています。大学や地域と協力しあって活動している点が特色です。部室代わりに使っているC棟生物講義室では、魚や昆虫を飼育していて、校内では異色の空間となっています。

■地学部①月・水②1年5名、2年3名、3年5名③7/ 17プラネタリウム見学実施 7/ 26市民講座「夏の天体観望会」実施(日野どんぐりクラブと共催)8/ 14 ~ 16地学部・生物部夏季合同合宿(長野県入笠山)実施4/2、7/ 25多摩川河川敷にて化石採集実施

④平成22年中高生の科学部活動振興事業シンポジウムにて発表 平成23年(独)科学技術振興機構 地球惑星科学連合大会にて発表 平成24年(独)科学技術振興機構 中高生の科学部活動振興事業実施(採択) 日野高校地学のガイド発行 日野市民天体観測会実施 学びの収穫祭 発表 相模原市立博物館研究発表会 平成25年日野市民天体観測会実施 平成26年日野市民天体観測会実施

⑤天体観測と化石採集を中心に活動していますが、地学は広い分野にまたがる学問なので、地球や宇宙に関する幅広い興味を持った部員が活動しています。日々の活動としては、晴れた日の昼休みの黒点観測があります。また、週2日の活動日のうちどちらか晴れた日には、屋上にて天体観測を行います。7月には、ひのどんぐりクラブとの共催で、主に地域の

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78 ■日野高校の現在(10年間の記録)

小学生を対象に市民講座「夏の天体観望会」を開催します。

8月のペルセウス座の流星群の時期には、生物部と合同で夏季合宿を行います。9月の文化祭には、日々の活動の成果を発表するとともに、例年プラネタリウムの上映を行っています。

■パソコン部①月、火、水、木、金②1年5名、2年7名、3年3名③平日(月~金)の放課後は、ほぼ毎日活動していま

す。今年度は、パソコン室の機器更新のため、4月当初から5月中旬頃まで活動できない期間がありましたが、機器の更新後は、新しい機器を利用して活動できるようになりました。

④例年、9月に実施される文化祭へ向けて作品制作を行い、展示を行っています。昨年度と今年度は、主にゲームを制作して展示しました。今年度の文化祭終了後は、来年度の文化祭で映像作品を展示することを目指して制作を開始した部員もいます。また、今年度は、1月頃にグラフィック作品のコンテストが実施されるとの連絡が入り、そちらに向けたグラフィック作品の制作を始めた部員もいます。

⑤各自、自分の興味のある分野に取り組んでいます。プログラミングに取り組んでいる部員、コンピュータグラフィックスの制作に取り組んでいる部員、ゲームのシナリオ等の制作を行っている部員、映像作品の制作に取り組んでいる部員等がいます。

部員は全員男子です。女子の入部を禁止しているわけではありません。女子の入部も歓迎します。

■美術部 ①月・火・水(木)金(土)②1年6名、2年0名、3年3名③クロッキー、鉛筆デッサン、木炭デッサン、テンペ

ラ画、油絵等の作品制作④文化祭での作品展示及び油絵、デッサンの体験・指

導 中央展(東京都高等学校文化祭 美術・工芸部門)で作品発表

⑤今年は2年生部員が一人もおらず、3年生も引退してしまった中、1年生部員のみで頑張って活動を盛り上げています。

■文芸部①月、水、金②1年5名、2年11名、3年9名③夏休みに1年の部員が「水再生センター」で奉仕体

験活動に参加。文化祭ではオフセット印刷の部誌を発行する他、合宿の報告、イラストの展示、ラミネートカードの配布を行う。

④部誌を年4回発行。文化祭での展示活動。奉仕体験活動では「水再生センター」でカップコースター作りを行う。

⑤自由な雰囲気の中で、切磋琢磨しながら創作活動を行っています。活動内容も自分たちで話し合いながら決めています。今後は文学の分野での活動を増やして行く予定です。

■マニュアルアーツ部①週2日 火・水曜日②1年9名、2年5名、3年8名③お菓子作りやワンプレート料理等、調理を中心に活

動しています。夏季休業中には檜原村の紅茶畑再生プロジェクトに参加しました。茶摘みし作った茶葉をパウンドケーキにして、日野高祭にて販売しました。本校キャラクター「センペルくん」のぬいぐるみ作りにチャレンジしています。

④日野高祭でのお菓子販売が日頃の努力の成果を発揮する場です。連続して展示部門賞を獲得しています。さらに他校の家庭科部との交流や地域活動へも参加しています。

⑤現在全員女子部員(1年9名、2年5名、3年8名)レシピや型紙作成から、材料の購入、調理、製作、片付けまで自分達で計画的に活動しています。

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生徒会活動10年間の推移

本校生徒会の10年は、大げさにいえば時代の趨勢に沿い変化してきた。身の回りの事柄を自治で決めるローカル化と、世界と関係をもつことを当たり前とするグローバル化の流れを感じさせるからだ。それを象徴するのが平成22年10月の生徒会則変更である。この時期から現在につながる生徒会を特徴づける「交流」と「庶務」の担当が新設されたのである。

交流担当とは、教員側の学校組織である「国際交流委員会」並びに「特別支援教育推進委員会」に対応したものである。国際交流については、国際理解教育をライフワークとしている高島みゆき先生が、財団法人日本国際協力センター(JICE)実施事業であるアジア各国留学生の訪日にあわせ本校に招待し、部活動体験並びに有志生徒との座談会を催したのが嚆矢である。インド(平成22)、ベトナム(平成23)、台湾(平成24)から高校生が来ている。さらにミャンマーにも事前研修をして本校生徒を派遣している。かなりのインパクトがあり、現3年生まではごく自然に英語で国際交流するという認識が残っている。もう一つの柱である特別支援教育については、7月並びに12月の考査明けに、部活動紹介やアイスブレイクのためのゲームをする「交流会」を七生特別支援学校の生徒会と共催している。相手校にある球技部やダンス部と本校生徒がコラボして一緒に身体を動かすのが好評である。その他にも、「赤い羽根募金」や「ペットボトルキャップ回収」を通して日野市社会福祉協議会に協力している。

一方、庶務といえば学校生活に直接かかわる事項を先輩の指導のもと主に1年生が自治とはどういうものかを学ぶべく担当している。長年にわたり生徒会が要望してきた制服の規則改訂で実ったことに、ベストやセーターの色がある。従来は制服では定番の白、黒、紺、灰色のみであったところに、ベージュや緑が加わりオシャレ度が増した。しかしそういった改革をしても、ブレザーの灰色については一切変えてほしいといわず、むしろ現在の制服を「着こなす」ことを目指しているのが頼もしい。生徒会広報がだす学校紹介誌「日野人」(ひのんちゅ)からは、制服に誇りをもっ

ている様子がうかがわれるからだ。そして平成27年度には生徒会は文化祭に出展し、本校の紹介を教員組織の総務部と協働して行った。雨天時には傘を貸し出すサービスをしているように、学校生活改善への意欲は高い。

日野高校生徒会の活動が盛んであるのは、多摩地域全体の特徴かもしれない。例えば目安箱を設置して生徒の意見を吸い上げ教員側にながすという活動は、「多摩生徒会協議会」をはじめ近隣の生徒会と情報交換しているなかで始めたものである。そうした横のつながりを大切にする出来事として、平成25年3月にあった「生徒シンポジウム2013」がある。会場校になり、全国から100名程度の中高生を集めて、本校生徒会役員が実行委員長を務めている。本校、地域、国、そしてアジア諸国の人たちが何を考えどう行動するものかを肌で感じながら活動をするのが、日野高校生徒会である。

七生特別支援学校交流会7月中旬・12月中旬の年2回の交流会は完全定着

し、生徒会同士で事前打ち合わせを行い綿密な計画を立てて進めている。両校生徒会執行部主催のゲーム・アトラクションは毎回盛り上がり、温かなふれあい溢れる場となり、終了後は七生の生徒がつくってくれたお菓子を頂き、親しくおしゃべりしながらのコミュニケーションを楽しんでいる。参加は部単位で、執行部の他、バドミントン部・ソフトボール部・ダンス部・柔道部・陸上部・軽音楽部・男女バスケットボール部・女子バレーボール部等が、七生の要望にも応えて出席し、バド・ソフト・ダンスは、部単独でも独自に交流し、親交を深めている。

目安箱より多くの一般生徒から「生の声を聞く」という趣

旨で校内数ヶ所に設置している。広く意見・要望を募り、クリエイティブに活動を推

進していきたいという強い思いから、5~6年前に機能し始めた。平成24年役員改選後、選挙公約にも掲げており多くの生徒からの要望もあり、支持も厚かったことから「セーター類の色を増やす」という生徒指導部の生徒心得の改正をしたいという大きな動きが生徒会で起きた。

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80 ■日野高校の現在(10年間の記録)

輪転機

かつて、生徒会は印刷用の輪転機を部活動などに貸し出していた。文化系の部活では、部誌などを印刷する際、学校の印刷室を借りるのではなく、生徒会から輪転機を借りて教室で印刷をした。顧問の先生にお願いして原稿から原紙を作っていただき、それを輪転機にセットしてハンドルを手で回して一枚一枚印刷したのである。こうして手間暇かけて作った部誌は、出来はどうであれ部員にとっては愛着のある一冊となった。今は印刷室の機械を生徒も使えるので、高品質の印刷物があっという間にできるようになった。

日野高校今昔

深緑・濃青の許可全校生徒の圧倒的な支持を生徒総会で確認し、セー

ター類の色を新たに2色加える要望を生徒会執行部から教職員団体に提出。“数ヶ月間、現行のルールを全校生徒で遵守出来れば”と条件を出したがそれをクリアし、深緑・濃青の2色を加えた現行の8色に規定を広げて身だしなみ指導をするに至った。生徒の意見・要望から学校が動いてルールが変わるという本来あるべき姿が光った。

生徒昇降口にある目安箱

生徒会・共同募金

文化祭・学校PRコーナーへの協力とスタンプラリー景品

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本寄稿文を執筆するにあたって、懐かしい高校時代を思い出しておりましたが、改めて振返ると、私の高校生活は、自分の視野を大きく広げるきっかけとなった、大切な時間でした。書き始めたらきりがないほどの多くの経験を与えてくれた高校生活。その中でも強く印象に残っていることが、大きく2つあります。

1つ目は3年間を通して取り組んだ生徒会活動。大したビジョンもなく、興味本位で始めた生徒会活動でしたが、関わっていくにつれてその面白さに引込まれていき、最後は生徒会長に任命されるほどに生徒会という活動にはまっていたことを覚えています。生徒総会を開催するにあたって、その準備が山ほどあったこと、毎週月曜日に定例会を実施していたこと、1年生の時は定期的に生徒会だよりを発行していたこと、海外の学生が本校に来たときは、校内を案内したこと…生徒会の一員だったことで、私の高校生活はたくさんの「考え、挑戦する」機会がありました。その集大成ともいえるのが、高校3年時に行った、校則改正です。私が1年生として高校に入学した頃からすでに話題に上がっていた「校則で許されるカーディガンの色を増やしてほしい」という生徒からのニーズ。何となく生徒会内でもうやむやになってしまっていたこのニーズ、どうして取り組もうと思ったのか?それは、単純に仲のいい友達の多くが変えてほしいと思っていて、それをできるのが私たちだったから。校則改正なんて頻繁にあることではなく、手探り状態から始まった校則改正への道。2度も全校生徒へアンケートを実施し、生徒会メンバー全員で数百名分のアンケートの集計を行い、結果と共に先生へ提案をしに行く。しばらく返事がなければこちらから聞きに行って進捗を把握する。そうやって少しずつ、生徒会メンバー一丸となって校則改正へ向け努力をしました。その努力が、少しずつ実ってきていると感じられたのが、1週間の試用期間を設けてもらえたとき。そして、その試用期間中に誰も校則違反をしなかったとき。それを経てやっと校則改正を達成することができました。体育大会の予行演習の日、全校生徒の前で校則改正の報告をしたことが忘れられません。みんなの協力があったか

ら成し遂げられた校則改正だったと、改めて思います。前例がなくても、とにかくやってみればいい。そう思えるようになった経験でした。

2つ目は、高校3年時に渡航したミャンマーでの経験です。それまで大して海外に興味がなく、単純に「あまりお金がかからず海外に行ける」というだけで参加を決定しましたが、これに参加したことが、間違いなく人生のターニングポイントとなったと確信しています。日本とは全く違う習慣、言葉、環境。見るものすべてが新しく、とにかく新鮮でした。海外に行くということだけでも当時の自分には大きな挑戦でしたが、そこでもらった言葉が、今でも心に残っています。それが「日本はチャンスがたくさんあるから頑張って」という一言。生まれた場所、地域で同じ努力量でもチャンスの差があることをまざまざと突き付けられた一言です。海外、面白い!と思った反面、平等にチャンスが与えられる世界にしたい、そう考え始めた経験でした。

高校での経験を経て、今は「海外×人材育成」ということをテーマに活動をしています。学生が運営している全国規模の社団法人に入り、「グローバルエデュケーション」をテーマに高校生向けのキャリア教育事業を立ち上げ統括を任されたり、はたまた茨城の高校に講演をしに行ったり、海外インターンシップを仲介している企業で1年半以上インターンシップをしていたり…。高校時代に学んだ「とにかくやってみる精神」を最大限に活用し大学生活を送ることができています。そして、この寄稿文を書いている今、まさに人生で最大の挑戦をしています。実はこの寄稿文、インドで執筆しています。というのも、現在、現地にいる日本人向けにフリーペーパーを発行する企業でインターンシップをしているんです。そして、インターンシップが終わったあとすぐに、南米パラグアイに行き、現地のリアルな情報を発信するサイトを一人で立ち上げようと思っています。前例なんてない。だからこそ面白い。高校時代の経験が、今なお生き続け、私の人生を形作っています。高校時代の経験に感謝し、より一層大きな挑戦をし続けていきます。

挑戦、それから。

45期生 元生徒会長 草野 晴菜(現 中央大学)

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82 ■日野高校の現在(10年間の記録)

校務分掌からの報告�分掌等は、平成27年度の担当者です。

より合計2単位分の授業を確保しています。入学者選抜においては、部活動推進の一環として、

硬式野球・男女バスケットボール・女子バレーボールにおいて文化・スポーツ特別推薦を実施しています。一時期硬式テニスも実施していましたが、応募人数の関係で現在実施はしていません。一般推薦及び学力検査による入試という形式は変化ありませんが、平成25年度入試からは推薦選抜において個人面接の他、集団討論・作文が実施されるようになっています。また平成27年度入試では、学力及び人数のバランス調整のため男女別定員制の緩和を実施しています。さらに平成28年度入試からは、東京都全体として学力検査においてマークシート方式が導入されます。この年度は、本校として学級増・制服改変もあり、新生日野高校の記念すべき第51期の受検生を迎えることとなります。

平成18年度重点支援校の指定(活力に満ちた魅力ある学校づくりを目指す「重点支援校」改革の推進)数学Ⅰ、Ⅱ、英語Ⅰで習熟度別授業実施長期休業日等の弾力的運用試行校として土曜日を柔軟に活用(7回)開始

平成19年度重点支援校の指定各学年6学級(18学級)1学年の「総合的な学習の時間」で「奉仕」を代替実施開始

平成20年度重点支援校の指定

平成21年度7学級開始部活動の形で「学習クラブ」が始まる

平成22年度部活動推進指定校の指定週1回7時間目授業の開始「学習クラブ」が主体となり、土曜講習を実施

平成23年度各学年7学級(21学級)部活動推進指定校・スポーツ教育推進校の指定学力開拓推進プラン実施

教務部

教務部主任 井上小百合

本校は、本年度創立50周年を迎えています。開校以来次の教育目標を掲げ、日々を送ってきました。1.自主・協調の精神を養う。2.知性を高め、体力の向上を図る。3.豊かな心を培う。以上の点に留意して、豊かな個性とすぐれた人格、心身ともに健康な人間の育成を目指す教育を行っています。

ここ10年の日野高校の歩みを確認すると、学級規模の変動が挙げられます。平成17年度から6学級が始まり、完成年度の翌年にはさらに7学級へと、また平成24年度からは8学級規模へと段階的に学級数が増えました。平成28年度にはさらに51期生が9学級へと学級数増加の一途をたどっています。

平成18年度から活力に満ちた魅力ある学校づくりを目指す「重点支援校」改革推進のもと、1、2年次の数学・英語において2クラス3展開の習熟度別少人数学習に力を入れてきました。授業内容としても平成19年度からは1年次の「総合的な学習の時間」の代替として、東京都の設定科目である「奉仕」が1単位導入されています。教育課程上は、様々な生徒の進路希望に応じることが可能なように、低学年で基礎基本科目を配置し、上級学年では進路実現にむけ選択可能な科目配置としてきました。土曜授業の実施により単位数も増加したことを受け、3年次に3類型を設けるなど更なる工夫をしています。

完全学校週5日制が定着する中、授業確保及び学力向上を図るため、まずは長期休業日の弾力的運用を図り、土曜日を柔軟に活用していました(当初は年7、8回程度)。平成21年度には、部活動の形で「学習クラブ」が始まり、ここを主体として土曜講習が実施されましたが、平成22年度からは週1回7時間目を設けることで単位増を、さらに平成26年度からは年間21回(平成27年度からは年18回程度)の土曜授業の開始に

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「学習クラブ」及びHINO土曜塾が主体となり、土曜講習・学習合宿を実施家庭学習の定着のため1年次より週末課題を組織的に実施

平成24年度8学級開始OJT推進指定モデル校・スポーツ教育推進校の指定

平成25年度部活動推進指定校・スポーツ教育推進校の指定数学Ⅱ、コミュニケーション英語Ⅰ、ライティング

で習熟度別授業開始平成26年度

各学年8学級(24学級)安全教育推進校・オリンピック教育推進校の指定学力スタンダード開始土曜授業の実施開始(年間21回)数学Ⅱ、コミュニケーション英語Ⅰで習熟度別授業開始

平成27年度オリンピック・パラリンピック教育推進校の指定

日直の仕事

今では日誌を書くぐらいになってしまった日直の仕事だが、かつての日直は責任重大だった。昼のパン購入のお世話の他、帰りのHRで諸連絡を伝えるのも日直の仕事だった。職員室の前の黒板に委員会の開催などが書き込まれているので、日直は事前にそれをメモし、HRで読み上げるのである。過去の記念誌にもメモを取る日直の写真が載せられていた。「呼び出し状」や「連絡票」の必要のないシステムは環境面からも良いと思われるが、復活は難しいだろうか?

日野高校今昔

48期卒業式 色紙の前で

合格発表

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84 ■日野高校の現在(10年間の記録)

生活指導部

生活指導部主任 関 博文

日野高校の生徒の様子はこの10年でかなりの変化を見せた。平成17年度からの頭髪指導の後、外見と生活習慣をただす指導が次々に入れられた。平成19年度入学の43期生よりの遅刻指導、平成22年度入学の45期生よりのピアス禁止、そして平成27年度入学の50期生よりのスカート丈指導などである。

自由な校風を伝統とし、活力あふれる生徒たちを育んできた日野高校であるが、他校の制服を着用したり、1時間目の授業に10人以上の生徒が来ていなかったりする状況があり、地域の信頼も薄らいでしまっていた。そうした状況に危機感を抱いた教職員が、規律ある高校の姿を取り戻すべく、力を注いできたのがこの10年である。

朝の立ち番指導や特別指導に関しては、生活指導部が中心となっているが、遅刻や中抜け、ピアス、授業中のルール違反については学年が中心となって指導をしている。また、頭髪指導も、指導そのものは生活指導部が担当するが、定期テストの際にテスト監督が違反者をチェックするなど、組織的な指導体制となっている。

平成22年頃までは、期日までに頭髪を直さず、再登校指導になる生徒や、違反したセーターやベストを着用して登校する生徒も見られたが、27年度の現在、そのような生徒はほぼ見られなくなった。授業においても、携帯電話やスマートフォンの使用などマナー違反は皆無とはいかないが、指導に従わないという事態はなくなった。保護者の方々の協力もあり、無断欠席や無断遅刻もほとんどなく、朝から授業をしっかり受け、放課後は部活動や受験勉強にいそしむというのが当たり前の日野高生の姿となっている。ここ2、3年は運動部を中心に挨拶が励行され、職員室や準備室に入る際のマナーなどの改善も進んでいる。規範意識の向上は日野高生全体に及んでいると見られ、特別指導の件数も減少している。平成20年度には20件、45名だった特別指導が平成25年度は5件、6名、26年度は7件、8名にとどまっている。

校則違反に対する厳しい指導だけでは、生徒たちを萎縮させてしまうことになりかねない。日野高生の、

伸び伸びとして闊達な気風はそのまま育てていきたい。そこで、行事や部活動の運営には生徒たちの意欲や意向を大事にするという姿勢で臨んできた。その結果、部活動や同好会も数を増やして行った。平成23年度には「映画制作同好会」(のちに「映画★演劇部」)、24年度には「ワンダーフォーゲル同好会」(のちに「山岳部」)、「華道同好会」が発足した。また、名前はあっても部員がおらず休部状態であった「生物部」「合唱部」「柔道部」も活動を再開し、素晴らしい成果を上げている。部活動の中には、行事の役割分担や奉仕体験活動の母体となっているものもあり、部活動によって培われた生徒と顧問の信頼関係は、様々な場面で日野高校の教育活動を支えるものとなっている。また、学年団も学年通信や面談、保護者会を通して学校の様子を伝え、指導方針への理解と協力を求め続けている。生徒や保護者に対して、丁寧な説明と細やかな気遣いがあって初めて生徒の校則遵守の精神を涵養することができる。

また、昨今はコミュニケーションツールの発達によって、かつてとは違ったいじめや犯罪が増えているし、薬物使用への抵抗感も弱くなっている。それらの脅威から生徒たちを守る手立てを考えるのも生活指導部の役目である。終業式における注意喚起やいじめについてのアンケート、警察と連携しての不審者対応のほか、毎年、セーフティ教室を実施して、生徒たちが健全な高校生活を送れるよう心を砕いている。

近年のセーフティ教室の内容は次のようなものである。

平成22年度 「万引き、軽犯罪防止」平成23年度 「自転車の安全な利用について 講話」平成24年度 「自転車の安全な利用について」平成25年度 「自転車の安全走行・歩行者保護につ

いて」平成26年度 「情報モラル講座・サイバー犯罪防止

について」平成27年度 「情報モラル講座・サイバー犯罪防止

について」

これからも高校生を取り巻く社会の状況は刻々と変化していくことだろう。指導のあり方もそうした状況をにらみつつ、試行錯誤しながら探ってゆくほかはない。センペルセコイアとともに生徒たちのこれからを見守りたい。

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進路指導部

進路指導部主任 梶 貴子

この10年の間、生徒の生活態度や服装・頭髪等、大きく変化し、それと同時に進路状況も右肩上がりになり大学合格者数も増加した。また、フリーターや卒業後の進路先が未定の生徒がほとんどいなくなってきている。このことは、「生徒一人一人に対応する指導体制を積み重ねてきた成果だ」と思われる。

進路指導方針平成10年代後半ごろからであろうか、本校では推薦

入試やAO入試などで早期に学校を決めるなど、「入りたい学校」ではなく、「入れる学校」に安易に進学してしまう生徒がおり、生徒自身の力を十分発揮させることなく自ら進路決定してしまうという状況が少なからずあった。そこで、四年制大学の一般受験を想定して学習に臨むことにより、その後どのような進路に変更しても対応できる実力がつき、前向きな進路を選択できるという考えによって、以下の方針を打ち出した。

平成22年度に、1学年においては「進路理解」、2学年においては「進路希望の具体化」、3学年においては「希望進路の実現」と、具体的目標を掲げた。

さらに、平成24年度には「迷ったら四年制大学、迷ったら一般受験」というメッセージを掲げた。

進路アドバイザー制度平成12年度、当時の進路担当者が、他校で行われ成

功をおさめていたキャリア教育の方法を知り、本校にもそれを導入し活性化を図ることを発案した。それは、「全教員が進路指導に当たることで、生徒はよりきめ細かな指導を受けられるようになり、各担当は少人数の生徒に対してじっくりと指導ができる」という、年2回実施の進路アドバイザー制度がスタートした。

この制度は、生徒からは評価されている面もあると聞いている。しかしその一方で、充分な準備がされないままのスタートとなり、「全校の生徒に対して、きめ細かな指導が必ずしもできない」という実態になった。順調に機能していると言い切れない面も出てきた

ため、平成23年度からこの形をかえ、本校の現状に合った進路指導をしていくこととなる。

進路の手引き進路指導部では、年度ごとに卒業生徒の合否状況と

生徒の在学時の成績をリンクさせた資料と、受験体験記を冊子として作成し、3学年のみに配布していた。しかし、高校3年間の進路学習の指針となるような資料の様なものは含まれてはいなかった。

そこで平成23年度に、生徒が手元に置き、進路について疑問や知りたいことが出てきたとき、「自分が今、何をどのように調べるべきか」が分かるような進路資料と、本校生徒の進路状況などを合わせた『進路の手引き』を作成した。そして、前年度までに行っていた「進路アドバイザー制度」に代わるものとして『進路の手引き』を使った進路講話などを実施する事とした。

総合的な学習の時間現在、本校の「総合的な学習の時間」は、キャリア

教育を中心とした学習としており、1学年では教科「奉仕」とキャリア教育、2学年では、自己の進路を具体化するための進路学習や修学旅行に向けた学習、3学年では、それぞれの進路希望に合わせた分野別進路学習としている。

平成19年度から教科「奉仕」が導入され、その時の42期生から1学年の「総合的な学習の時間」を「奉仕」とした。

それまで総合的な学習の時間は、1~3学年にそれぞれ1単位ずつ設置されていたが、1学年においては「奉仕」を実施する事とし、2学年では「総合的な学習の時間」は実施せず、3学年に進路学習を中心とした「総合的な学習の時間」を2単位実施する事とした。しかし、2学年において「総合的な学習の時間」がなくなると進路指導の継続性が損なわれた。その結果「総合的な学習の時間」を1・3学年での形で実施したのは、41期生から44期生までとなった。

また、3学年における「総合的な学習の時間」は、進路決定における重要な時間となるので、43期生~46期生まで、様々な試行錯誤の繰り返しで、実施してきた。

現在では、様々な進路先に進む本校生徒の一人一人へのきめ細かい進路指導が出来る体制として、分野別にクラス分けを行いそれぞれの分野に適した説明会な

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86 ■日野高校の現在(10年間の記録)

どを行っている。今後の課題としては、早期に進路決定した生徒のさらなる学習向上について検討しなければならないと思われる。

奉仕平成19年度から、東京都設定教科「奉仕」が導入さ

れ、本校は1学年の総合的な学習の時間に代替し実施を始めた。本校の「奉仕」体験活動は、恵まれた自然環境と日野市内の施設を中心に、地域に開かれ魅力ある学校をめざし、近隣地域に根ざした社会貢献となるよう進めてきた。

奉仕体験活動は、学年全体で行う体験活動と、個人の選択による体験活動とした。

学年全体での体験活動は、本校の目の前に流れる浅川の環境美化を目的とした「集団での奉仕活動」とした。「個人の選択による体験活動」でも体験場所としている日野市クリーンセンターの方に、浅川周辺のゴミの状況や、クリーンセンターの役割などの講話のあとクラスごとに分かれゴミの収集を行うものである。「個人の選択による体験活動」は、日野市にある公

共施設の東京都多摩動物公園、東京都水道局浅川水再生センター、日野市クリーンセンターなどを「環境共生施設」とし、「特別支援学校」、「保育園」「高齢者施設」「障がい者施設」「美術館」「動物愛護相談センター」等の分野から生徒が選択し、夏季休業中に施設に出向き体験活動を行うとした。また、本校は部活動も盛んであるため一部の部活動では部活動ごとに地域清掃、市民講座、地域のイベントのお手伝いなど部活動で実施できる部に関しては「部活動」も選択できるように分野の1つとした。

体験活動の成果発表は壁新聞を体験グループごとに作成し、生徒全員ですべての壁新聞を読み、評価するという形にした。

この奉仕体験活動は、地元日野市において、地域に開かれた魅力ある学校として信頼され続けるためにも、これからも地域に根ざした「奉仕」体験活動を続けていくことが望まれている。

校外模試・各種説明会本校生徒は四年制大学進学者が7割弱を占めるよう

になってきたが、短大、専門学校、公務員、民間就職と進路先が幅広い。

平成22年度から3学年においては、大学入試に向けた模試や看護医療模試、公務員模試など希望者を募り

校内での模試の実施を多く取り入れ始めた。1・2学年においては、定期テスト以外の実力テス

トなど例年定期的に実施してきたが、年々大学進学希望者が増加してきたこともあり、平成23年度から1・2学年全員に11月模試も新たに加えた。また、変則的に実施していたさまざまな進路説明会も年間行事に載せ、計画的に実施するようにしている。以前より行っていた「卒業生を囲む会」も3学年のみ対象としてきたが、2学年まで広げた。

また、土曜授業の実施とともに「卒業生を囲む会」を土曜日に設定することで、様々な分野の卒業生が参加できるように配慮した。

補講・講習夏季休業中における講習については、進路指導部が

集約を行ってきたが、開講する講習の数や実施時間は、この10年それほど大幅には変わっていない。しかし、参加する生徒の延べ人数は大きく変化している。平成19年度は延べ人数227人、平成23年度812人、平成26年度1,663人、著しく増加しているのがわかる。また、平日の放課後に3年生に対する講習も実施し、塾などに行かない生徒も志望校へ合格している。このような学習への姿勢は、この数年、放課後など、教室や自習室で学習している生徒の姿が多くなってきたことにも反映している。

まとめ現在の都立高校における本校の特徴や生徒気質など

から鑑みると、これからも多種多様な進路希望先や受験方法を選択する生徒が入学してくることは変わらないと思われる。

そうした生徒たち一人一人が満足できるような進路決定が出来るように、よりよいキャリア教育、進路指導を組織的に行っていきたい。

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保健部

保健部主任 前野貴美子

保健部では、定期健康診断、健康相談(合宿前・修学旅行前・マラソン大会)及び美化活動を行ってきた。

平成18年度から3年間は重点支援校として「家庭・地域と連携した心と体の健康づくり」に取り組んだ。重点支援予算でAED 2台を購入し、1年を対象としたAED講習会を現在まで継続して取り組んでいる。また、教員対象のAED研修会も実施した(平成19年度)。

1年生にはHIV講演会を継続して行ってきたが、平成25年度からは、性感染症・オーラルケア・心の健康・スポーツ障害の4部門に分かれて健康講話を行った。

平成19年度には、都内で麻疹の流行があり、予防接種を希望者に実施した。

平成19年度末に教室の空調設備工事が完了し、平成20年度から使用している。節電のため、温度設定等制限はあるが、夏の暑い日は扇風機しかなかったころに比べ、授業中の学習環境はかなり改善された。エアコンの導入と当時に、冬季には加湿器を使用している。

美化活動としては、ペットボトル持ち込み禁止の指導を続けていたが、ペットボトルのゴミが増え、平成19年度にはペットボトルのリサイクルを開始した。また、古紙のリサイクルのために各教室に古紙回収箱を設置した。平成22年度には、一般ごみに古紙が混ざっているものは回収不可となり、古紙の分別を徹底し、ゴミのチェックを厳しく行った。自動販売機でのペットボトルの販売は、平成19年度頃から検討されていたが、ゴミの分別等の問題によってなかなか実現されなかった。空き缶のデポジット制も行っていたが、一時中断するなど、継続が危ぶまれていた。平成23年度に飲料用の缶のデポジット制を廃止するとともに、ようやく自販機でペットボトルが販売されることになった。デポジット制廃止後も空き缶やペットボトルの分別は順調に行われ、リサイクルされている。平成22年度よりゴミ袋にクラスや部活動などの団体名を記名する方式が始まり、その方式が継続されている。平成25年度にはゴミ回収業者の変更に伴い、それまで、可燃

ゴミとされていたプラスチックが不燃ゴミに分別の仕方が変わり、不燃ゴミが大量に増加し、予定された予算では処理しきれなくなる事態になった。最終的には全て回収されたが、プラスチックゴミの多さを改めて認識した。現在(平成27年度)は、おもに紙類などの可燃ゴミ、プラスチックなどの不燃ゴミ、缶、ペットボトルを分別し、美化委員がゴミの分別をチェックし、分別を徹底している。

平成23年度に特別支援推進委員会を設置し、平成25年度にはスクールカウンセラーが全都立高校に配置されると同時に教育相談委員会を設置し、平成26年度よりいじめ対策委員会を設置した。

教員対象の研修は、特別支援教育に関する研修(平成25年度)、カウンセリング研修(平成26年度)などを実施した。

平成24年度までは、保健・図書部として組織されていた。平成25年度に総務部が新設され、それに伴い、保健部として再編された。

保健室の利用状況毎年、6月、9月・10月頃に来室のピークがある

が、これはどこの学校でも同じ傾向がみられる。新しい環境に慣れ緊張が解けてきた頃、季節の変わり目、夏休み明けの生活リズムの乱れなどが影響していると思われる。

年によって若干の差はあるが、年間来室人数は1,000人前後を推移しており、この10年で大きな変化はみられない。同規模の学校と比べても保健室来室者は多くはなく、落ち着いている。

主任養護教諭・馬場智子

自動販売機

今はどこの学校でも飲み物の自動販売機がおかれている時代だが、現在のような多種の飲み物が販売される前、日野高での自販機の飲み物といえば牛乳とコーヒー牛乳であった。しかも、今は見かけなくなってしまったピラミッドのような「三角パック」である。それでも、中学校にはない「コーヒー牛乳」が買えるということで、ちょっとだけ大人になった気がしたものだ。喉が渇けば水を飲むというのが当たり前であった、遠い昔のことである。

日野高校今昔

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88 ■日野高校の現在(10年間の記録)

■保健部の10年間の主な取り組み

平成 主な取り組み 生徒向け研修 委員会

18家庭・地域と連携した心と体の健康づくりAED2台購入

AED講習会・ HIV講演会(1年) 学校保健委員会(平成17年度より)

19家庭・地域と連携した心と体の健康づくり古紙回収箱を設置

AED講習会・ HIV講演会(1年)

20 家庭・地域と連携した心と体の健康づくり AED講習会・ HIV講演会(1年)

21 各教室にペットボトル回収箱設置 AED講習会・ HIV講演会(1年)

22 ゴミ袋記名方式導入古紙分別の徹底 AED講習会・ HIV講演会(1年)

23 自販機に缶に加え、ペットボトル導入 AED講習会・ HIV講演会(1年) 特別支援推進委員会設置

24 24年度まで分掌名は保健・図書部 AED講習会・ HIV講演会(1年)

25 保健部として再編スクールカウンセラー配置 AED講習会・健康講話(1年) 教育相談委員会設置

26 スクールカウンセラーによる1年全員面接 AED講習会・ 健康講話(1年) いじめ対策委員会設置

27 スクールカウンセラーによる1年全員面接 上級救命講習会(1年)

■保健室利用状況

300(人)

250

200

150

100

50

4月 5月 6月 7月 9月 10月 11月 12月 2月 3月1月

H27H26H25H24H23H22H21H20H19H18

0

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総務部

総務部主任 新井一弘

平成24年度から始まった増学級(新入生7クラスから8クラス)により教職員定数が増員となり、分掌の定員枠にゆとりが生じてきた。今まで教務部が担当してきた入学式・卒業式全般、各事務用品の整理、職員室環境整備、防災関係、対PTA窓口等を担当する新たな分掌として、平成25年度より総務部が発足した。加えて図書館、募集対策も担うこととし、定員5名(教員4・学校図書1)で4月よりスタートした。

業務は多岐にわたっているが、その中でより多くのエネルギーを必要とするのが、募集対策分野である。

総務部設立以前、本校でPR委員会が募集対策を担当し、「学校案内」製作、外部説明会への教職員派遣、学校見学対応、学校説明会の企画・立案・実施等、ひとつの分掌並みの業務をこなしていた。人員は各教科・分掌・学年から各1名を拠出していたが、各自の仕事をこなしながらの業務のため、その負担の重さがかねがね指摘されていた。

それが、総務部の立ち上げにより募集対策業務の特化を図り、校務運営の継続性と一貫性を目指したものとなった。

総務部設立以降の募集対策関係の数字を示すと、

まず外部説明会件数(出張授業も含む)

平成25年度   19件平成26年度   16件平成27年度   15件

夏季休業中の学校見学者組数

平成25年度    835組平成26年度    896組平成27年度    1,104組

学校説明会出席組数(3回の合計)

平成25年度   727組平成26年度   695組

平成27年度   824組

学校説明会は、同日に他の都立高校が行っている場合が多いので組数の変動が予測しにくいが、夏季休業中の学校見学者組数は、期間が長いだけに本校の注目度がそのまま数字に出やすい。この2、3年で見学組数は増加している。特に平成27年度は1,000組を突破した。日によっては午前の部で40組を超え、人数でいうと(大体生徒本人と保護者で見学に来る)80名以上が校内を見学する。基本は当日の日直が対応するが、これだけの見学者数であると、充分な説明や見学ができなくなる恐れがある。

来年以降はネットによる申込みと中学3年生即ち高校受験生を対象とした日と中学1、2年生を対象とした日に分けることも現在検討中である。

防災関係では、平成24年度より実施された『宿泊防災訓練』は総務部と第1学年団が担当している。対象となる学年は第1学年で、時期は毎年6月中旬に設定している。この時期は運動系の部活動公式戦で、3年生の引退試合と重なっている部が多い。入部して間もない1年生に先輩の最後の公式戦に賭ける姿を見せたいと思っていても当訓練と重なり、やりくりの点で当惑する顧問も多い。かといって、他の時期は、大きな学校行事や第一学年から計画的に実施される進路指導との調整が難しく今後の課題である。

しかしながら内容は日野市役所防災安全課、日野警察署警備課、日野消防署高幡出張所、東京都水道局八王子給水事務所の協力を受け充実したものとなっている。特に水道局の全面的な協力を受けている給水訓練は、60余名の生徒が3㎞離れた給水所まで一人当たり5リットルの水を本校まで運ぶもので、災害が発生した場合、地域住民の避難生活に貢献ができるものと思われる。

総務部は発足により今まで保健・図書部が担当してきた図書館関係の業務を受け継いだ。図書館関係は別項に譲るが、図書部が担当していた行事の中に全学年対象の「芸術鑑賞教室」がある。しかし、落ち着いた学習環境を目指す中、行事の精選を進めていった結果、平成25年度をもって廃止となった。廃止には様々な意見も出て存続を望む声もあったが、他行事とのからみ、第3学年は推薦等の大学受験日程との重なりで適切な時期が設けられない事情もあり、廃止を決定した。

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90 ■日野高校の現在(10年間の記録)

ここ10年間の演目は以下の通り。平成17年度 クラシック音楽鑑賞

モーツァルト交響曲第40番平成18年度 歌舞伎鑑賞教室

「彦山権現誓助剣」平成19年度 劇団四季ミュージカル

「CATS」平成20年度 前進座

「さんしょう大夫」平成21年度 韓流雑技

「演舞・曲芸」平成22年度 劇団四季ミュージカル

「ライオンキング」平成23年度 劇団俳優座

「十二人の怒れる男達」平成24年度 歌と音楽と映像のコラボ

「地球のステージ」平成25年度 劇団四季ミュージカル

「リトルマーメイド」

貸出しカード

図書館がパソコン管理になる前、本の貸出しはカードで行われていた。入学と同時に一人一人のカードが作られ、借りた本の書名が書き込まれていった。高校時代の読書の記録が積み重なっていくものだ。3年間使われたカードは、卒業の時に図書委員によってお祝いのメッセージカードと一緒に封筒に入れられ、一人一人に返却された。

日野高校今昔

学校説明会で使用したスライド

文化祭PRコーナーでの部活動ユニフォーム展示

総務部発行の日野高通信

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図書館司 書 籠島雪子総務部 松村玲子

図書館の運営は、現在総務部に位置付けられている。それまでの分掌組織では、保健・図書部となっていたが、学校のPR活動と図書館運営を行う新しい分掌、「総務部」が平成25年度に設置されたためである。この組織改編により、司書のほかにも図書館業務に担当者を割り当てることができるようになり、より活発な委員会活動が展開されることになった。

日野高校の図書館には、現在約27,000冊の蔵書がある。これらの蔵書はデータ化され、コンピュータによって管理されている。館内には、生徒たちが自由に使うことのできる検索用のパソコンが2台設置されている。図書館は平成21年にIT化が導入され、図書の貸出しや返却、蔵書点検もIT機器によるものとなった。

図書の管理や使用についての業務のほか、図書館は自習室としての役割も果たしている。15脚のキャレルデスクがあり、選択の空き時間や放課後は、3年生を中心に受験勉強や課題に熱心に取り組む姿が見られる。

IT化導入の現在にあっても、図書委員会の活動は基本的には委員たちの意欲と責任感という人間的な面に支えられている。図書委員会は、各クラスから選出された2名によって構成されている。そして、専任司書と司書教諭、総務部担当者がその指導に当たっている。役職は委員長(1名)、副委員長(2名)、書記(2名)で、役付きの委員も含めて全員が読書会班、広報班という2つの班に分けられ、それぞれの業務を担当している。また、貸し出しと返却を担うカウンター当番も、輪番で公平に担当することになっている。

読書会班は、月に1度程度のペースで、読書会またはビブリオバトルを開催している。ビブリオバトルは書評合戦とも言われ、平成24年度より行われるようになったもので、次のように実施される。

1 発表参加者が読んで面白いと思った本を持って集まる。

2 順番に一人5分間で本を紹介する。

3 それぞれの発表の後に参加者全員でその発表に関するディスカッションを2~3分行う。

4 全ての発表が終了した後に「どの本が一番読みたくなったか?」を基準とした投票を参加者全員で行い、最多票を集めたものを『チャンプ本』とする。

このビブリオバトルは平成25年度以降、各校から選出された代表生徒による全都規模の大会も開かれるようになった。

高校生の読書離れへの対策として、本校でも図書館を中心にいくつかの試みがなされている。教職員・図書委員による「推薦図書」の冊子作成・各教科や学年と連携しての調べ学習やポップ作りなどである。また、1学期に1、2回、図書館だよりを発行し、図書館での種々の活動や読書への興味を喚起するようにしている。

司書の外部委託という大きな流れの中で、これらの活発な委員会活動を支え、多くの生徒が書物に親しむ環境をいかに維持していくかが今後の図書館運営の課題となるだろう。

春日文庫と加藤文庫

図書館には在職中に亡くなった二人の教員ゆかりの蔵書がある。「春日文庫」と「加藤文庫」である。「春日文庫」は平成元年度(1988)~平成12年度(2000)在職の、春日奈保先生(養護)の蔵書が寄贈されたものである。「加藤文庫」は平成15年度(2003)~平成22年度(2010)在職の加藤陽一先生(数学科)のご葬儀手伝いの謝礼を資金に作られたものである。現在、「加藤文庫」の書籍は一般の書架に移されているが、日野高生を温かく見守ってくださった二人の思いを今も図書館に見ることができる。

日野高校今昔

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92 ■日野高校の現在(10年間の記録)

■読書会の記録平成23. 5.23 石田衣良 著 『約束』より「ハートストーン」

6. 7 星新一 著『ボッコちゃん』より 「ボッコちゃん」「年賀の客」7.11 時雨沢恵一 著 『キノの旅 Ⅱ』より「自由報道の国」「努力する国」9. 5 乙一 著 「失はれる物語」11. 7 角田光代 著 『presents』より「名前」「涙」

平成24. 1.16  有川浩 著 アンソロジー『Story Seller』より「ストーリー・セラー」2.13 柴村仁 著 『4Girls』より「Run!!Girl!!Run!!」5.29 坂木司 著『短劇』より「迷子」7. 6 三崎亜記 著 『鼓笛隊の襲来』より「覆面社員」9.28 乙一 著 『ZOO1』より「SO-far そ・ふぁー」 

10.31 グリム童話より「ホレおばさん」12.21 乙一著 『君が見つける物語 恋愛編』より「しあわせは子猫のかたち」

平成25. 6.19 伊坂幸太郎 著 『死神の精度』より「~恋愛で死神~」11.12 太宰治 著 『御伽草子』より「瘤取り」

平成26. 3.13 又吉直樹 著 『第2図書係補佐』より「コインロッカー・ベイビーズ」「銀河鉄道の夜」「人間失格」「ジョン・レノン対火星人」

4.28 星新一 著  『悪魔のいる天国』より「もたらされた文明」6.16 緑川聖司 著 『赤い本』より「おいてかないで」9.26 「魔女の恋人」(生徒作品)

12.15 東野圭吾 著 『毒笑小説』より「本格推理関連グッズ鑑定ショー」平成27. 2. 9  川端康成 著 『伊豆の踊子』

3.17 浅田次郎 著 『雛の花』5.11 角田光代 著 『さがしもの』より「さがしもの」7.11 『君が見つける物語』より 森絵都 著「17レボリューション」

10.29 北條民雄 著 『命の初夜』12.17 乙一 著 『ZOO1』より「カザリとヨーコ」 

平成28. 3. 9  『短編工場』より 桜木紫乃 著「かみさまの娘」

■ビブリオバトルの記録〈( )内はチャンプ本〉平成24. 2.18 ビブリオバトル 2年

2.20 ビブリオバトル 1年平成25. 6.10 ビブリオバトル(『キノの旅』)

6.14 ビブリオバトル(『ヘンたて 幹館大学ヘンな建物研究会』)7.11 ビブリオバトル(『ジョーカーゲーム』)9.14,15 文化祭にて読書会・ビブリオバトルのまとめ及び1学年ポップを渡り廊下に展示11.19 ビブリオバトル(『強気な小心者ちゃん』)

平成26. 5.12 ビブリオバトル(『リブセンス』)11. 5 ビブリオバトル(『ひぐらしの鳴く頃に』『空想科学読本』『二十四の瞳』同数票)

平成27. 2.19 ビブリオバトル(『ハーモニー』)6.22 ビブリオバトル(『カラフル』『カフェかもめ亭』同数票)9.17 ビブリオバトル(『嫌われる勇気』)

11.19 ビブリオバトル(『りぽぐら!』)

■ビブリオバトル全都大会出場者平成25年度 武井 優奈 (1年)平成26年度 辻 悠樹(2年)平成27年度 岡西 花奈(1年)

■10年間の貸出数貸出統計

平成26年度 1,485平成25年度 1,792平成24年度 1,828平成23年度 2,470平成22年度 1,607平成21年度 1,368平成20年度 1,522平成19年度 910平成18年度 1,226平成17年度 1,788

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93

経営企画室

経営企画室長 伊藤恵子

平成9年度から実施された都立学校改革推進計画により、都立高校は様々な「改革」を実践してきました。普通科から異なるタイプの校種に転換した学校や、統廃合により新たな学校に生まれ変わったところも多数です。普通科高校として引き続くことを選択した学校も、それぞれの個性を見つけ出し、精一杯それを打ち出してきました。まさに、都立学校サバイバル時代です。そんな中、本校もまた「日野高校」としての個性を模索し、管理職をはじめ生徒指導に携わる全ての先生方の地道な努力により、現在の「日野高校」の姿にたどりついたのでしょう。

私が本校に着任したのは平成25年度でした。当時私が本校に感じた印象は「勉強も課外活動も全力で取り組む中堅進学校」というところでしょうか。文化スポーツ等特別推薦入試がほぼ定着し、運動部を中心に活発に活動している。勉強にも手を抜かず、生徒一人一人が3年間の学校生活を目いっぱい楽しんで過ごしている。卒業する生徒たちは母校を愛し、日野高生であったことを誇りに思っている…日野高校は「学校へ来ることが楽しい生徒」であふれていました。

学校外の一般都民の方々の目から見たとき、現在の日野高校の学校生活は、いわゆる「高校生」の典型でしょう。生徒はいつも元気いっぱい、授業中は少し眠そうだけど、放課後の部活動になるとフルパワーで動き始め、辺りが暗くなってもまだ屋外で活動している。行事の前はクラス一丸となって準備を行い、当日は全員で燃え尽きるまで張切る。学校休業日もせっせと部活動練習に精を出し、試合があればクラブ全体で応援する…。

でも10年前、ちょうど創立40周年を迎えた本校は、今からは想像できないような状況でした。平成18年度に本校は東京都教育委員会により重点支援校の指定を受けています。当時の「重点支援校改革推進状況資料」等を見ると、当時の教職員の努力が垣間見られるような文言がたくさん記載されています。「基礎的・基本的な学力の確実な定着」「制服着用徹底と染髪禁止」「部活動加入率の向上(この当時の定着率は今よりかなり低めでした)」「4年制大学進学140名(現在

は200名を超えています)」等々…。この10年間、教職員や生徒、保護者に地元の方々までが力を合わせて、地道に進んできた結果が、現在の輝く日野高なのです。

私たち経営企画室にとっても、この10年は激動の10年でした。平成18年4月1日付で施行された「東京都立学校の経営企画室に関する規程」により、それまで「事務室」と呼ばれていた私たちが「経営企画室」に変わったのです。これまで先生方の学校運営を陰から支える縁の下の力持ちだった私たちが、いきなり学校経営に主体的に関わる立場になりました。

現在の経営企画室の業務は、いわゆる事務だけではありません。まず「学校経営計画、企画調整その他学校経営に関すること」が業務の筆頭です。続いて「広報・広聴」、「学校運営連絡協議会等連絡調整」、「学事」と来て、その次あたりにやっと各種の事務手続きになります。その事務も「人事」「文書」「予算・決算・会計・契約」「物品管理」「徴収金」「施設管理」「環境整備」「警備」「図書館」…随分広範囲に様々な分野に広がっています。分野によっては、ある程度専門的な知識を必要とするものもあります。これを事務4名、用務2名、司書1名で担当します。

都立学校は都民の税金が主たる財源です。その執行には細かいルールが存在します。このルールと毎日の学校運営がうまく噛み合うように「調整」し、「学校経営」の「企画」の一助となることが、私たちの職務だと考えています。そのためには、学校がこれまでたどってきた道筋を振り返り、諸先輩方の努力を慮り、これからの本校の未来を全教職員が一丸となって模索していくことが必要不可欠です。経営企画室が目指すのはただの「事務」ではなく、「生き生きとした学校を作り出すための事務」であることが求められている時代になりました。

本校は創立50周年を迎え、伝統校の一端に名を連ねました。これからまだまだ取り組むべき課題は山積みです。ただ、どんな時でも、校長先生をはじめとして、全教職員が一丸となれば、乗越えられないことはないように思います。これからますます大きくはばたく「日野高」を目指して、頑張ってまいりましょう。

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94 ■日野高校の現在(10年間の記録)

いちい会のページ

年度 役職 氏名

平成18年度会 長 石 橋 ひとみ副会長 糸 山 良 子副会長 渡 部 公 成

平成19年度

会 長 青 木 武 子副会長 渡 部 公 成副会長 古 屋 典 恵副会長 松 本   功

平成20年度

会 長 高 木 千津子副会長 古 屋 典 恵副会長 阿 部 二三枝副会長 赤 川 千賀子

平成21年度会 長 高 木 千津子副会長 阿 部 二三枝副会長 岸   由紀子

平成22年度

会 長 岸   由紀子副会長 阿 部 二三枝副会長 橋 本 加津子副会長 岡 田 英 樹

平成23年度

会 長 阿 部 二三枝副会長 大 島 かおる副会長 前 田 暁 子副会長 中 澤 友 子

平成24年度

会 長 阿 部 二三枝副会長 中 澤 友 子副会長 上 田 晋 也副会長 出 口 尚 子

平成25年度

会 長 上 田 晋 也副会長 奥 住 さゆり副会長 土 居 弘 美副会長 真 野 由香利

平成26年度

会 長 米 沢   剛副会長 大 山 朝 恵副会長 土 居 弘 美副会長 増 渕 和 子

平成27年度

会 長 米 沢   剛副会長 西 村 木綿子副会長 益 留 香穂里副会長 鈴 木 ひとみ

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資料編

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96 ■資料編

■教育課程の変遷平成 18 年度(2006)~

教 科標準単位

1 学 年 2 学 年 3 学 年必 修 必 修 必 修 必修選択 必 修 必 修 自 由

選 択 選択Ⅰ 選択Ⅱ 選 択 選 択

国 語国 語 総 合 4 4現 代 文 4 3   3古 典 4 2 C 2 2国 語 表 現 Ⅰ 2 2

地理歴史

世 界 史 A 2 2 F 3世 界 史 B 4 2B1 2 F日 本 史 A 2 3日 本 史 B 4 2B2 2 F地 理 A 2 2地 理 B 4

公 民 倫 理 2 2政 治 ・ 経 済 2 2 2

数 学

数 学 Ⅰ 3 3 2数 学 Ⅱ 4 4B3 4 2数 学 Ⅲ 3 4数 学 A 2 2  数 学 B 2 2 C数 学 C 2 2

理 科

理 科 総 合 B 2 2物 理 Ⅰ 3 3 D物 理 Ⅱ 3 3化 学 Ⅰ 3 2化 学 Ⅱ 3 3 3生 物 Ⅰ 3 3 D 3生 物 Ⅱ 2 3地 学 Ⅰ 3 3 D地 学 Ⅱ 3 3

保健体育 体 育 7~ 8 3 2 2 3 2保 健 2 1 1

芸 術

音 楽 Ⅰ 2 2 A 2音 楽 Ⅱ 2 2 E音 楽 Ⅲ 2 2美 術 Ⅰ 2 2 A 2美 術 Ⅱ 2 2 E美 術 Ⅲ 2 2書 道 Ⅰ 2 2 A書 道 Ⅱ 2 2 E

外 国 語

英 語 Ⅰ 3 3英 語 Ⅱ 4 3 1 3O . C . I 2 2ライティング 4 2 C 2リーディング 4 3

家 庭

家 庭 総 合 4 2 2服 飾 手 芸 2 2被 服 2 2フードデザイン 2 2 2食 物 2 2保 育 2 2

情 報 情 報 A 2 2情 報 B 2 2

総合的な学習の時間 3 1 1 1

備    考

⑴ 1学年の必修選択…Aの中から 1科目選択⑵ 2学年の必修選択…①必修選択Ⅰ 文系はB1+ B2、理系は B3 を選択

②必修選択Ⅱ 4単位選択(物理Ⅰ、化学Ⅱ・生物Ⅰを選択したときは英語Ⅱ(1単位)を同時に選択)③Cは文系は古典またはライティングを選択、理系は数学Bを選択④D、Eより各1科目を選択

⑶ 3学年の必修選択…Fより文系は世界史B・日本史Bを選択、理系は世界史Aを選択

3学年の自由選択…文系は 0~ 12単位選択、理系は 2~ 14単位選択

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97

平成 19 年度(2007)~

教 科標準単位

1 学 年 2 学 年 3 学 年必 修 必 修 必 修 必修選択 必 修 必 修 自 由

選 択 選 択 選 択

国 語国 語 総 合 4 5現 代 文 4 3   3古 典 4 3 D 2

地理歴史

世 界 史 A 2 2 F世 界 史 B 4 3 2 F世 界 史 演 習 2 2日 本 史 A 2日 本 史 B 4 3 E 2 F日 本 史 演 習 2 2地 理 A 2 2地 理 B 4

公 民倫 理 2政 治 ・ 経 済 2 2政治・経済演習 2 2

数 学

数 学 Ⅰ 3 3 2数 学 Ⅱ 4 3 2数 学 Ⅲ 3 4数 学 A 2 2  数 学 B 2 3 D数 学 C 2 2

理 科

理 科 総 合 A 2 2物 理 Ⅰ 3 3 B 3 E物 理 Ⅱ 3 3物 理 演 習 2 2化 学 Ⅰ 3 2化 学 Ⅱ 3 2生 物 Ⅰ 3 3 B 3 E生 物 Ⅱ 2 3地 学 Ⅰ 3 3 B 3 E 2

保健体育体 育 7~ 8 3 2 2体 育 特 講 2 2保 健 2 1 1

芸 術

音 楽 Ⅰ 2 2 A音 楽 Ⅱ 2 2 C音 楽 Ⅲ 2 2美 術 Ⅰ 2 2 A美 術 Ⅱ 2 2 C美 術 Ⅲ 2 2書 道 Ⅰ 2 2 A書 道 Ⅱ 2 2 C

外 国 語

英 語 Ⅰ 3 3英 語 Ⅱ 4 3 3O . C . I 2 2ライティング 4 2 2リーディング 4 3

家 庭家 庭 総 合 4 2 2フードデザイン 2 2発 達 と 保 育 2 2

情 報 情 報 A 2 2情 報 B 2 2

総合的な学習の時間 3 1 ※ 0 1

備    考

⑴ 1学年の必修選択…Aの中から 1科目選択⑵ 2学年の必修選択…①Bの中から 1科目選択

②Cの中から 1科目選択③Dの中から、文系は古典を、理系は数学Bを選択④Eの中から、文系は日本史Bを、理系はBで選択した以外の 1科目を選択

⑶ 3学年の必修選択…Fの中から、文系は世界史Bと日本史Bを選択、理系は世界史Aを選択

3学年の自由選択…文系は 0~ 12単位選択、理系は 2~ 14単位選択

※東京都設定教科科目「奉仕」は、1年の「総合的な学習の時間」で代替

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98 ■資料編

平成 20 年度(2008)~

教 科標準単位

1 学 年 2 学 年 3 学 年必 修 必 修 必 修 必修選択 必 修 必 修 自 由

選 択 選 択 選 択

国 語国 語 表 現 Ⅱ 2 2国 語 総 合 4 5現 代 文 4 3   2古 典 4 3 D 2

地理歴史

世 界 史 A 2世 界 史 B 4 3 3日 本 史 A 2日 本 史 B 4 3 E 3地 理 A 2 2地 理 B 4

公 民現 代 社 会 2 F倫 理 2 2 G政 治 ・ 経 済 2 2 G政治・経済演習 2

数 学

数 学 Ⅰ 3 3 2数 学 Ⅱ 4 3 2数 学 Ⅲ 3 4数 学 A 2 2  数 学 B 2 3 D数 学 C 2 2

理 科

理 科 総 合 A 2 2物 理 Ⅰ 3 3 B 3 E物 理 Ⅱ 3 4物 理 演 習化 学 Ⅰ 3 2 2化 学 Ⅱ 3 4生 物 Ⅰ 3 3 B 3 E生 物 Ⅱ 2 4地 学 Ⅰ 3地 学 Ⅱ 2地 学 特 講 3 B 3 E 2

保健体育体 育 7~ 8 3 2 3体 育 特 講 2保 健 2 1 1

芸 術

音 楽 Ⅰ 2 2 A音 楽 Ⅱ 2 2 C音 楽 Ⅲ 2 2美 術 Ⅰ 2 2 A美 術 Ⅱ 2 2 C美 術 Ⅲ 2 2書 道 Ⅰ 2 2 A書 道 Ⅱ 2 2 C

外 国 語

英 語 Ⅰ 3 3英 語 Ⅱ 4 3 3O . C . I 2 2ライティング 4 2 2 2リーディング 4 3

家 庭家 庭 総 合 4 2 2フードデザイン 2 2発 達 と 保 育 2 2

情 報 情 報 A 2 2情 報 B 2 2

商 業 簿 記 2総合的な学習の時間 3 1※ 0 2

備    考

⑴ 1学年の必修選択…Aの中から 1科目選択⑵ 2学年の必修選択…①Bの中から 1科目選択

②Cの中から 1科目選択③Dの中から、文系は古典を、理系は数学Bを選択④Eの中から、文系は日本史Bを、理系はBで選択した以外の 1科目を選択

⑶ 3学年の必修選択…理系はFの 1科目を、文系はGの 2科目を選択3学年の自由選択…文系は 0~ 12単位選択、理系は 2~ 14単位選択

※東京都設定教科科目「奉仕」は、1年の「総合的な学習の時間」で代替

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99

平成 22 年度(2010)~

教 科標準単位

1 学 年 2 学 年 3 学 年必 修 必 修 必 修 必修選択 必 修 必 修 自 由

選 択 選 択 選 択

国 語国 語 表 現 Ⅱ 2 2国 語 総 合 4 5現 代 文 4 2   3古 典 4 3 D 2

地理歴史

世 界 史 A 2世 界 史 B 4 3 2日 本 史 A 2日 本 史 B 4 3 E 2地 理 A 2 2地 理 B 4

公 民現 代 社 会 2 F倫 理 2 2 G政 治 ・ 経 済 2 2 G政治・経済演習 2

数 学

数 学 Ⅰ 3 3 2数 学 Ⅱ 4 3 2数 学 Ⅲ 3 4数 学 A 2 2  数 学 B 2 3 D数 学 C 2 2

理 科

理 科 総 合 A 2 2物 理 Ⅰ 3 3 B 3 E 2物 理 Ⅱ 3 4物 理 演 習化 学 Ⅰ 3 2 2化 学 Ⅱ 3 4生 物 Ⅰ 3 3 B 3 E生 物 Ⅱ 2 4地 学 Ⅰ 3 2地 学 Ⅱ 2 2地 学 特 講 3 B 3 E 2

保健体育体 育 7~ 8 3 2 3体 育 特 講 2保 健 2 1 1

芸 術

音 楽 Ⅰ 2 2 A音 楽 Ⅱ 2 2 C音 楽 Ⅲ 2 2美 術 Ⅰ 2 2 A美 術 Ⅱ 2 2 C美 術 Ⅲ 2 2書 道 Ⅰ 2 2 A書 道 Ⅱ 2 2 C

外 国 語

英 語 Ⅰ 3 3英 語 Ⅱ 4 3 3O . C . I 2 2ライティング 4 2 2リーディング 4 3

家 庭家 庭 総 合 4 2 2フードデザイン 2 2発 達 と 保 育 2 2

情 報 情 報 A 2 2情 報 B 2 2

商 業 簿 記 2総合的な学習の時間 3 1※ 0 2

備    考

⑴ 1学年の必修選択…Aの中から 1科目選択⑵ 2学年の必修選択…①Bの中から 1科目選択

②Cの中から 1科目選択③Dの中から、文系は古典を、理系は数学Bを選択④Eの中から、文系は日本史Bを、理系はBで選択した以外の 1科目を選択

⑶ 3学年の必修選択…理系はFの 1科目を、文系はGの 2科目を選択3学年の自由選択…文系は 0~ 12単位選択、理系は 2~ 14単位選択

※東京都設定教科科目「奉仕」は、1年の「総合的な学習の時間」で代替

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100 ■資料編

平成 24 年度(2012)~

教 科標準単位

1 学 年 2 学 年 3 学 年必 修 必 修 必 修 必修選択 必 修 類 型 選 択

選 択 文 系 理 系 選 択 科 目

国 語国 語 表 現 Ⅱ 2国 語 総 合 4 5 2 A 2現 代 文 4 3   2古 典 4 3 2

地理歴史世 界 史 A 2 2世 界 史 B 4 3 2日 本 史 A 2日 本 史 B 4 2 2 2

公 民現 代 社 会 2 2 C倫 理 2 2 AB政 治 ・ 経 済 2 2 AB政治・経済演習 2

数 学

数 学 Ⅰ 3 3 2数 学 Ⅱ 4 4 2 BC数 学 Ⅲ 5 6数 学 A 2 2  数 学 B 2 2 2

理 科

物 理 基 礎 2 3物 理 4 4 C化 学 基 礎 2 2 2化 学 4 3 E 2・4生 物 基 礎 2 2生 物 4 3 E 4地 学 基 礎 2 2 2地 学 4生 物 特 講 2 B地 学 特 講 2

保健体育体 育 7~ 8 3 2 3体 育 特 講 2保 健 2 1 1

芸 術

音 楽 Ⅰ 2 2 D 2音 楽 Ⅱ 2 2 F 2 F音 楽 Ⅲ 2 2美 術 Ⅰ 2 2 D 2美 術 Ⅱ 2 2 F 2 F美 術 Ⅲ 2 2書 道 Ⅰ 2 2 D書 道 Ⅱ 2 2 F 2 F

外 国 語

英 語 Ⅰ 3 3 2 A英 語 Ⅱ 4 3 3O . C . I 2 2ライティング 4 2 2リーディング 4総 合 英 語 2

家 庭家 庭 総 合 4 2 2フードデザイン 2 2発 達 と 保 育 2 2

情 報 情 報 A 2 2情 報 B 2 2

総合的な学習の時間 3 1※ 1 1

備    考

⑴ 1学年の必修選択…Dの中から 1科目選択⑵ 2学年の必修選択…①Eの中から 1科目選択

②Fの中から 1科目選択⑶ 3学年の類型選択…A、B、Cの 3類型(8単位)のいずれかを選択

選択科目…2 ~ 8単位選択

※東京都設定教科科目「奉仕」は、1年の「総合的な学習の時間」で代替

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101

平成 25 年度(2013)~

教 科標準単位

1 学 年 2 学 年 3 学 年必 修 必 修 必 修 必修選択 必 修 類 型 選 択

選 択 文 系 理 系 選 択 科 目

国 語国 語 総 合 4 5 2 A 2現 代 文 4 3   2古 典 4 3 2

地理歴史世 界 史 A 2 2世 界 史 B 4 3 2日 本 史 A 2日 本 史 B 4 2 2 2

公 民現 代 社 会 2 2 C倫 理 2 2 AB政 治 ・ 経 済 2 2 AB政治・経済演習 2

数 学

数 学 Ⅰ 3 3 2数 学 Ⅱ 4 4 2 BC数 学 Ⅲ 5 6数 学 A 2 2  数 学 B 2 2 2

理 科

物 理 基 礎 2 3物 理 4 4 C化 学 基 礎 2 2 2化 学 4 3 2・4生 物 基 礎 2 2生 物 4 4地 学 基 礎 2 2 2地 学 4生 物 特 講 2 B地 学 特 講 2

保健体育体 育 7~ 8 3 2 3体 育 特 講 2保 健 2 1 1

芸 術

音 楽 Ⅰ 2 2 D音 楽 Ⅱ 2 2 E 2 E音 楽 Ⅲ 2 2美 術 Ⅰ 2 2 D美 術 Ⅱ 2 2 E 2 E美 術 Ⅲ 2 2書 道 Ⅰ 2 2 D書 道 Ⅱ 2 2 E 2 E

外 国 語

コミュニケー ション英語Ⅰ 3 3 2 Aコミュニケー ション英語Ⅱ 4 4 2コミュニケー ション英語Ⅲ 4 3英 語 表 現 Ⅰ 2 2英 語 表 現 Ⅱ 4 2 2総 合 英 語 2

家 庭家 庭 総 合 4 2 2フードデザイン 2 2子どもの発達と保育 2 2

情 報 社 会 と 情 報 2 2情 報 の 科 学 2 2

総合的な学習の時間 3 1 ※ 1 1

備    考

⑴ 1学年の必修選択…Dの中から 1科目選択⑵ 2学年の必修選択…Eの中から 1科目選択⑶ 3学年の類型選択…A、B、Cの 3類型(8単位)のいずれかを選択

選択科目…2 ~ 8単位選択

※東京都設定教科科目「奉仕」は、1年の「総合的な学習の時間」で代替

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102 ■資料編

平成 26 年度入学生

教 科標準単位

1 学 年 2 学 年 3 学 年必 修 必 修 必 修 必修選択 必 修 類 型 選 択

選 択 文 系 理 系 選 択 科 目

国 語国 語 総 合 4 5 2 A 2現 代 文 B 4 3   2古 典 B 4 3 2

地理歴史世 界 史 A 2 2世 界 史 B 4 3 2日 本 史 A 2日 本 史 B 4 2 2 2

公 民現 代 社 会 2 2 C倫 理 2 2 AB政 治 ・ 経 済 2 2 AB政 経 演 習 2

数 学

数 学 Ⅰ 3 3 2数 学 Ⅱ 4 4 2 BC数 学 Ⅲ 5 6数 学 A 2 2  数 学 B 2 2 2

理 科

物 理 基 礎 2 3物 理 4 4 C化 学 基 礎 2 2 2化 学 4 3 2生 物 基 礎 2 2生 物 4 4地 学 基 礎 2 2地 学 4生 物 特 講 2 B地 学 特 講環 境 学 2

保健体育体 育 7~ 8 3 2 3体 育 特 講 2保 健 2 1 1

芸 術

音 楽 Ⅰ 2 2 D音 楽 Ⅱ 2 2 E 2 E演 奏 研 究 2美 術 Ⅰ 2 2 D美 術 Ⅱ 2 2 E 2 E美 術 特 講 2書 道 Ⅰ 2 2 D書 道 Ⅱ 2 2 E 2 E実 用 書 2

外 国 語

コミュニケー ション英語Ⅰ 3 3コミュニケー ション英語Ⅱ 4 4 2 Aコミュニケー ション英語Ⅲ 4 3英 語 表 現 Ⅰ 2 3英 語 表 現 Ⅱ 4 2 2総 合 英 語 2

家 庭家 庭 総 合 4 2 2フードデザイン 2 2子どもの発達と保育 2 2

情 報 社 会 と 情 報 2 2情 報 の 科 学 2 2

総合的な学習の時間 3 1 ※ 1 1

備    考

⑴ 1学年の必修選択…Dの中から 1科目選択⑵ 2学年の必修選択…Eの中から 1科目選択⑶ 3学年の類型選択…A、B、Cの 3類型(8単位)のいずれかを選択

選択科目…2 ~ 8単位選択

※東京都設定教科科目「奉仕」は、1年の「総合的な学習の時間」で代替

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103

【進路指導部関連資料】■ここ10年の卒業生 進路状況推移(及びそのグラフ)

期 卒業年月 学級数 卒業生 四年制大学 短期大学 専門学校 就職 その他 合計

38期生 平成 18 年(2006 年)3月 7 275男 58 0 34 5 34 131女 53 24 51 2 14 144

決定率 40% 9% 30% 3% 18% 100%

39期生 平成 19 年(2007 年)3月 7 263男 78 1 21 3 33 136女 59 18 36 5 9 127

決定率 52% 7% 22% 3% 18% 100%

40期生 平成 20 年(2008 年)3月 6 233男 69 2 15 6 24 116女 43 13 46 3 12 117

決定率 48% 6% 26% 4% 16% 100%

41期生 平成 21 年(2009 年)3月 6 215男 57 1 15 9 23 105女 53 19 21 3 14 110

決定率 51% 9% 17% 6% 17% 100%

42期生 平成 22 年(2010 年)3月 6 222男 82 0 12 1 26 121女 48 11 31 4 7 101

決定率 59% 5% 17% 2% 17% 100%

43期生 平成 23 年(2011 年)3月 6 236男 74 0 15 3 33 125女 37 18 43 3 10 111

決定率 47% 8% 25% 3% 18% 100%

44期生 平成 24 年(2012 年)3月 7 281男 77 0 36 6 27 146女 53 25 48 1 8 135

決定率 46% 9% 30% 2% 12% 100%

45期生 平成 25 年(2013 年)3月 7 270男 91 2 19 4 26 142女 55 21 46 2 4 128

決定率 54% 9% 24% 2% 11% 100%

46期生 平成 26 年(2014 年)3月 7 282男 99 2 21 2 25 149女 68 22 39 1 3 133

決定率 59% 9% 21% 1% 10% 100%

47期生 平成 27 年(2015 年)3月 8 316男 120 2 22 4 17 165女 94 11 40 2 4 151

決定率 68% 4% 20% 2% 7% 100%

80(%)

70

60

50

40

30

20

10

38期 39期 40期 41期 42期 43期 44期 45期 46期 47期

四年制大学短期大学専門学校就職その他

0

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104 ■資料編

私立大学

大学名平成18年3月 平成19年3月 平成20年3月 平成21年3月 平成22年3月 平成23年3月 平成24年3月 平成25年3月 平成26年3月 平成27年3月現役(38期) 既卒 現役

(39期) 既卒 現役(40期) 既卒 現役

(41期) 既卒 現役(42期) 既卒 現役

(43期) 既卒 現役(44期) 既卒 現役

(45期) 既卒 現役(46期) 既卒 現役

(47期) 既卒青山学院大学 1 1 3 2麻布大学 1 1亜細亜大学 4 2 3 2 3 7 1 6 4 3 8 12 1 18跡見学園女子大学 3 1 1 3江戸川大学 1桜美林大学 3 1 2 3 4 8 10 11 16 15大阪芸術大学 1大妻女子大学 3 3 5 3 1 2 1 3嘉悦大学 1 1 1 2 1 1 2 1 1学習院大学 1 2 2 1 1 1 2 1 1 1 2 1 2神奈川大学 4 1 3 1 1 1 1 3 2 4 3 1神奈川工科大学 1 1 2 2 1 5金沢工業大学 1神田外語大学 2 1 1関東学院大学 2 1 1 2北里大学 2 1京都産業大学 1共立女子大学 2 1杏林大学 6 6 7 6 5 5 3 1 1 2 1 9 1群馬医療福祉大学 1慶應義塾大学 1恵泉女学園大学 1 1 2 3 1 1 1工学院大学 3 2 1 4 1 1 2 3 4 3 2 7 2 3皇學館大學 1 2國學院大學 1 1 3 2 1 1 5国際医療福祉大学 1国際武道大学 1国士舘大学 5 4 1 5 4 4 2 7 6 2 10 10 1駒澤大学 6 1 4 1 1 1 1 2 2 3 5 6 8 3駒沢女子大学 1 1 1 1 3埼玉医科大学 1 1相模女子大学 2 1 1 1 1 1 1 3産業能率大学 1 2 2 3 2 2 2 1実践女子大学 4 5 4 3 2 1 3 2 5 2芝浦工業大学 1 1 1 1 4 1十文字学園女子大学 1 1 1 1 2 1淑徳大学 1松蔭大学 2順天堂大学 3城西大学 1 2 2 1 1 3城西国際大学 1 1 1 1上智大学 1湘南工科大学 2 1尚美学園大学 1昭和大学 1昭和音楽大学 2昭和女子大学 1 1 1職業能力開発総合大学校 1 1女子栄養大学 1 1女子美術大学 2 2 1 2白梅学園大学 1 1 1 1白百合女子大学 1杉野服飾大学 1 2 1 1 1駿河台大学 1 1 1 1 8 2成蹊大学 1 1 1 1 1 1 1 2 2 1 3 2 4成城大学 1 1 1 1清泉女子大学 1聖徳大学 1聖母大学 1専修大学 2 3 5 3 6 3 1 7 1 6 5 10 2 13 10 2洗足学園音楽大学 1 1 1

■ここ 10 年の進学・就職先①四年制大学国公立大学

大学名平成18年3月 平成19年3月 平成20年3月 平成21年3月 平成22年3月 平成23年3月 平成24年3月 平成25年3月 平成26年3月 平成27年3月現役(38期) 既卒 現役

(39期) 既卒 現役(40期) 既卒 現役

(41期) 既卒 現役(42期) 既卒 現役

(43期) 既卒 現役(44期) 既卒 現役

(45期) 既卒 現役(46期) 既卒 現役

(47期) 既卒会津大学 1鹿児島大学 1首都大学東京 3 1 1 1電気通信大学 1東京外国語大学 1東京海洋大学 1東京学芸大学 1 1新潟大学 1山梨県立大学 1合計 2 0 4 0 0 0 1 0 0 0 0 1 1 1 2 1 1 0 1 0

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105

大学名平成18年3月 平成19年3月 平成20年3月 平成21年3月 平成22年3月 平成23年3月 平成24年3月 平成25年3月 平成26年3月 平成27年3月現役(38期) 既卒 現役

(39期) 既卒 現役(40期) 既卒 現役

(41期) 既卒 現役(42期) 既卒 現役

(43期) 既卒 現役(44期) 既卒 現役

(45期) 既卒 現役(46期) 既卒 現役

(47期) 既卒創価大学 2 1 1 1 6大正大学 3 1 2 1 2 2 1拓殖大学 10 9 2 10 2 7 1 9 1 5 5 1 7 2 9 10多摩大学 2 1 5 3 3 1 5 2 3 5玉川大学 3 3 4 1 2 2 1 4 2 4 2 6 5 2多摩美術大学 1 1 4千葉科学大学 1 1 1中央大学 3 1 3 3 1 2 2 2 1 3 3 1 3 4 2 1 2 7つくば国際大学 1津田塾大学 1帝京大学 9 1 11 2 15 1 13 1 12 7 4 24 25 21 1帝京科学大学 2 1 3 2 1 3 12 4 13帝京平成大学 1 1 1 6 1デジタルハリウッド大学 1田園調布学園大学 1 1桐蔭横浜大学 1 2 1 1 3 1 5東海大学 4 1 3 4 1 2 2 1 1 4 3東京医療保健大学 1 2東京家政学院大学 2 9 5 7 6 4 7 9 4 8東京経済大学 11 6 1 5 1 8 4 2 7 3 9 12 1 25 30 2東京工科大学 3 1 7 1 4 4 6 10 1 5 5 3 5 1 13 2東京工芸大学 5 2 3 1 1 1東京国際大学 3 2 1 1 1 1東京聖栄大学 1 2東京成徳大学 1東京純心大学 2 1 1 1 1 1 2 1東京女子体育大学 3 1 1 2 1東京造形大学 2 1 1 2 1 2 1 1東京電機大学 2 2 1 2 1 1 3 2 2 1東京都市大学 1 1 1 1東京農業大学 1 3 2 2 1 3 2東京福祉大学 1 2 1 1 2 1 2 1東京薬科大学 1 1 1東京理科大学 1 1 3 2 1東邦大学 1 1東洋大学 5 1 3 1 5 1 2 3 1 3 2 1 7 4 9東洋学園大学 1 1 1東洋英和女学院大学 1 1獨協大学 1 1 1 4新潟薬科大学 1二松学舎大学 1 1 1 2日本医療科学大学 2日本獣医生命科学大学 1 1 1日本大学 7 5 9 2 9 3 4 2 5 1 2 1 6 1 3 4 11 3 11 3日本映画大学 1 1 1日本女子体育大学 1 2 1 3 2 2 2日本体育大学 1 1 1 1 6 6 7 2 2 6日本文化大学 1 2 2 3 2 1 2日本薬科大学 1 1白鴎大学 1フェリス女学院大学 1人間総合科学大学 1文教大学 1 1 1 1文京学院大学 1 1文化学園大学(文化女子) 2 2 2 3 2 1法政大学 3 4 4 2 2 1 4 4 1 1北陸大学 1武蔵大学 1 2 2 2 4 1 1武蔵野大学 2 4 2 1 4 2 2 4 7 1 7 1武蔵野音楽大学 1武蔵野学院大学 1武蔵野美術大学 2 1 3 2 1 1 1明海大学 2 1明治大学 1 1 1 5 1 1 1明治学院大学 1 1 1明星大学 12 19 1 12 1 8 2 18 14 16 1 29 2 24 2 53 1目白大学 2 2 1 1 3 1 4 1 4 3山梨英和大学 1山梨学院大学 1 1横浜薬科大学 1 1 1 2酪農学園大学 1立教大学 2 1 1 1立正大学 1 4 1 1 1 2 3 3立命館大学 1ルーテル学院大学 1和光大学 3 1 2 1 1 2 2 2早稲田大学 1 1 1 1和洋女子大学 1海外の大学 3 1 3合計 163 40 187 36 149 36 136 26 152 20 145 10 179 21 211 60 275 26 369 49国公立私立合計 165 40 191 36 149 36 137 26 152 20 145 11 180 22 213 61 276 26 370 49

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106 ■資料編

②短期大学短大名

平成18年3月 平成19年3月 平成20年3月 平成21年3月 平成22年3月 平成23年3月 平成24年3月 平成25年3月 平成26年3月 平成27年3月現役(38期) 既卒 現役

(39期) 既卒 現役(40期) 既卒 現役

(41期) 既卒 現役(42期) 既卒 現役

(43期) 既卒 現役(44期) 既卒 現役

(45期) 既卒 現役(46期) 既卒 現役

(47期) 既卒国立宮古海上技術短期大学校 1職業能力開発総合短期大学校東京校 1青山学院女子短期大学 1 2秋草学園短期大学 2 2 4 5 1 3 1 1亜細亜大学短期大学部 2 3 1 2 2 3和泉短期大学 6 3 1 1 2 2 4 3 1大妻女子大学短期大学部 1 1 1 1 1 1 1 1 1嘉悦大学短期大学部 1共立女子短期大学 1国際短期大学 1駒沢女子短期大学 2 1 2 1 2 3 4 3 3埼玉女子短期大学 1 2 1相模女子大学短期大学部 1実践女子短期大学 2 1 1 3 1 1 4 2 2自由が丘産能短期大学 1 1湘北短期大学 1 1十文字学園短期大学 1昭和女子大学短期大学部 1淑徳短期大学 1女子栄養大学短期大学部 1女子美術大学短期大学部 1 1白梅学園大学短期大学 4 2 2 2 2 1 2 2聖セシリア女子短期大学 1星美学園短期大学 1洗足こども短期大学(洗足学園) 1 1 1 1創価女子短期大学 1 2 2 1 2鶴見大学短期大学部 2 1帝京大学短期大学 1帝京短期大学 1 1 1 2戸板女子短期大学 1 2東京交通短期大学 1東京家政大学短期大学部 1 1東京家政学院短期大学 1東京女子体育短期大学 2 1 1 2 2東京成徳短期大学 1東京農業大学短期大学部 1 2 1東横学園女子短期大学 1新渡戸文化短期大学 1日本大学短期大学部 1 1日本体育大学女子短期大学部 1 1 1 1 3武蔵野短期大学 2 1 1 1 1目白短期大学 1 1山野美容芸術短期大学 3 1 1立教女学院短期大学 1 1 1合計 26 0 20 0 17 1 22 0 11 0 21 0 29 0 24 0 26 1 14 0

③専門学校(分野別)平成18年3月

(38期)平成19年3月

(39期)平成20年3月

(40期)平成21年3月

(41期)平成22年3月

(42期)平成23年3月

(43期)平成24年3月

(44期)平成25年3月

(45期)平成26年3月

(46期)平成27年3月

(47期)男 女 計 男 女 計 男 女 計 男 女 計 男 女 計 男 女 計 男 女 計 男 女 計 男 女 計 男 女 計

工業系 5 2 7 4 0 4 3 2 5 10 5 15 2 1 3 2 1 3 12 0 12 7 0 7 6 0 6 6 0 6看護・医療系 6 22 28 9 13 22 7 10 17 1 11 12 3 8 11 2 8 10 5 15 20 3 16 19 3 21 24 4 15 19栄養・調理系 4 7 11 1 1 2 1 0 1 0 0 0 1 3 4 0 4 4 2 4 6 1 8 9 3 4 7 2 4 6理容・美容系 0 11 11 0 12 12 0 9 9 1 1 2 1 4 5 0 11 11 4 3 7 0 6 6 2 3 5 0 11 11保育・福祉系 3 3 6 0 2 2 0 8 8 1 0 1 0 1 1 1 3 4 1 3 4 0 1 1 0 1 1 0 1 1商業実務系 9 1 10 3 3 6 1 8 9 1 3 4 1 7 8 6 4 10 3 4 7 1 3 4 4 10 14 7 4 11デザイン・服飾系 2 3 5 0 2 2 3 2 5 0 1 1 0 1 1 0 1 1 0 6 6 0 4 4 1 2 3 1 3 4語学系 0 3 3 0 0 0 0 2 2 1 0 1 0 0 0 0 1 1 0 0 0 0 2 2 0 0 0 0 1 1音楽・芸術系 5 2 7 4 5 9 0 5 5 0 3 3 3 1 4 4 8 12 6 6 12 2 3 5 1 1 2 2 2 4その他 0 3 3 1 1 2 0 1 1 0 0 0 1 6 7 0 2 2 3 7 10 5 3 8 0 5 5 1 4 5合計 34 57 91 22 39 61 15 47 62 15 24 39 12 32 44 15 43 58 36 48 84 19 46 65 20 47 67 23 45 68

④就職平成18年3月(38期)平成19年3月(39期)平成20年3月(40期)平成21年3月(41期)平成22年3月(42期)平成23年3月(43期)平成24年3月(44期)平成25年3月(45期)平成26年3月(46期)平成27年3月(47期)

男子

警視庁 海上自衛隊 陸上自衛隊 警視庁 ㈱多摩計装 神奈川県警 警視庁 警視庁 東京都 三省堂印刷株式会社

新光電業株式会社 東邦建設工業 ㈱凸版フォームズ日野工場 ㈱日本通運 陸上自衛隊 自衛隊 京王運輸株式会社 自衛隊 株式会社 ガーデ

ンベーカリー㈲町田 ファイブフォック

ス㈱凸版フォームズ日野工場 ㈱東京ミサワ建設 日野精機 自衛隊 ゼストクック株式

会社三菱ふそうバストラック株式会社

東京電力 株式会社 アントワークス

株式会社 アントワークス 自衛隊 日本高齢者施設マ

ネジメント協会 三英印刷㈱梅香荘(警察犬・家庭犬学校)

株式会社 ヘルフェン ㈱凸版フォームズ 自衛隊ドリームファンタジア事務所 ㈱ヤマト運輸 E-Light

㈱ムサシノアロー飲食関係

女子

社会福祉法人 和光園 ジョイステージ 東京スバル 日野自動車株式会

社日野自動車株式会社 ㈱サトウ 警視庁 東京消防庁 トップアート トヨタ東京自動車

大学校ミツウロコ ツルヤ靴店 S H I N E B E

MODEL 日本分光 ㈱ライフコミューン

㈱スーパーアルプス 芸能活動 飛鳥ドライビング

カレッジ日野パイオニアトレーディング

カネボウ化粧品販売 on2L シガノ アパレル系 ㈱マイテック

町田市農業協同組合

東京ガス葛飾エナジー株式会社

ファイブフォックス

計男子  5名 男子  3名 男子  6名 男子  9名 男子  1名 男子  3名 男子  6名 男子  4名 男子  2名 男子  4名女子  2名 女子  5名 女子  3名 女子  3名 女子  4名 女子  3名 女子  1名 女子  2名 女子  1名 女子  2名合計  7名 合計  8名 合計  9名 合計 12名 合計  5名 合計  6名 合計  7名 合計  6名 合計  4名 合計  6名

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107

■10年間の担任団

年度 組 1学年 2学年 3学年

平成18年度(2006)

1 君島 達也 竹井 美矢子 濱中 俊仁

2 中沢 真知子 篠原 真奈美 風見 岳快

3 俵川 高明 山倉 和正 宮﨑 多美子

4 柴野 文 加藤 陽一 佐藤 賢司

5 石川 重行 赤崎 伸一 並川 朋美

6 戸倉 信一 瀬川 康兼 小野 幸代

7 古屋 哲

平成19年度(2007)

1 八木 寿郎 君島 達也 竹井 美矢子

2 大橋 一生 中沢 真知子 赤崎 伸一

3 新海 幸平 俵川 高明 山倉 和正

4 奈良林 稔 柴野 文 篠原 真奈美

5 鈴木 久美子 石川 重行 加藤 陽一

6 新井 一弘 戸倉 信一 瀬川 康兼

平成20年度(2008)

1 柴山 潤 奈良林 稔 君島 達也

2 須藤 剛 新井 一弘 中沢 真知子

3 嶋田 雅之 新海 幸平 俵川 高明

4 秋山 秋子 鈴木 久美子 柴野 文

5 可長 清美 大橋 一生 石川 重行

6 青嶋 一 山田 幸博 戸倉 信一

平成21年度(2009)

1 関 博文 秋山 秋子 奈良林 稔

2 小早川 恭子 青嶋 一 新井 一弘

3 野澤 直規 柴山 潤 新海 幸平

4 吾妻 依理子 須藤 剛 山田 幸博

5 梶 貴子 嶋田 雅之 大橋 一生

6 森田 聡 可長 清美 鈴木 久美子

7 江沼 直樹

平成22年度(2010)

1 北久保 靖司 関 博文 柴山 潤

2 柴野 文 新井 一弘 青嶋 一

3 沼田 大作 野澤 直規 須藤 剛

4 松村 玲子 森田 聡 嶋田 雅之

5 河野 明夫 梶 貴子 秋山 秋子

6 三宅 七重 小早川 恭子 長谷川 博之

7 友光 厚直 吾妻 依理子

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108 ■資料編

年度 組 1学年 2学年 3学年

平成23年度(2011)

1 須田 英一 三宅 七重 関 博文

2 高島 みゆき 柴野 文 野澤 直規

3 森 浩一 松村 玲子 小早川 恭子

4 奈良林 稔 沼田 大作 吾妻 依理子

5 伊藤 惠美子 友光 厚直 梶 貴子

6 俵川 高明 河野 明夫 新井 一弘

7 北久保 靖司 森田 聡

平成24年度(2012)

1 高取 克明 須田 英一 松村 玲子

2 宮下 洋 高島 みゆき 渡邊 七重

3 吉岡 幸隆 佐藤 貴弘 沼田 大作

4 田村 糸子 伊藤 惠美子 北久保 靖司5 須藤 剛 奈良林 稔 友光 厚直6 吉川 みなみ 俵川 高明 柴野 文

7 相沢 栄 森 浩一 河野 明夫

8 大杉 恵子

平成25年度(2013)

1 嶋田 雅之 吉岡 幸隆 森 浩一

2 川崎 直子 青木 正由 伊藤 惠美子

3 新海 多恵子 大久保 龍 佐藤 貴弘

4 沼田 大作 梶 貴子 俵川 高明

5 長谷川 博之 宮下 洋 高島 みゆき

6 西川 緑 吉川 みなみ 須田 英一

7 加藤 文恵 相沢 栄 奈良林 稔

8 小林 正晴 大杉 恵子

平成26年度(2014)

1 北久保 靖司 加藤 文恵 梶 貴子

2 加藤 洋章 嶋田 雅之 吉岡 幸隆

3 笠木 由希 長谷川 博之 吉川 みなみ

4 吉武 康平 小林 正晴 大久保 龍

5 万田 友和 西川 緑 青木 正由

6 小山 治子 川崎 直子 大杉 恵子

7 増渕 真弓 沼田 大作 宮下 洋

8 舞薗 浩司 武藤 正人 相沢 栄

平成27年度(2015)

1 友光 厚直 加藤 洋章 武藤 正人

2 河西 正貴 笠木 由希 沼田 大作

3 奥田 和広 万田 友和 加藤 文恵

4 山﨑 仁士 舞薗 浩司 小林 正晴

5 三好 達也 北久保 靖司 嶋田 雅之

6 丸山 みち子 吉武 康平 川崎 直子

7 栗原 郁夫 妹尾 ゆみ子 西川 緑

8 佐藤 恵子 増渕 真弓 長谷川 博之

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109

職名・所属 氏   名 在籍年度 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27

校 

松吉 利夫 S41/1 ~ S44佐田 彊 S45 ~ S47青柳 甲子男 S48 ~ S51中里 富美男 S52 ~ S55中里 義夫 S56松原 恒久 S57 ~ S60松本 信義 S61 ~ S63濱中 勇次 H元~H3藤本 勤 H4~ H6池田 宜弘喜多村 健二上原 健夫丹治 芳男伊藤 清宮﨑 高一小宮 德健

副 

校 

(H15年度以前は教頭)

斉藤 登 S41/1 ~ S45三浦 富美雄 S46 ~ S49松井 章 S50~ S57/10馬庭 計夫 S57/11 ~ H3小西 至 H4~細谷 七井坂田 敬一北澤 道夫柴田 英男北川 英一青木 修佐藤 和彦福原 利信

国 

畠山 義和 S41 ~ S50遠藤 誠治 S41 ~ S45稲垣 津那子 S41 ~ S42小野 脩 S42 ~ S52木村 秀次 S43 ~ S45勝俣 静雄 S43 ~ S55角田 豊子 S43 ~ S49宿谷 恒夫 S43 ~ S45三上 滋 S46 ~ S51金田 友行 S46 ~ S49山田 平 S46 ~ S48花上 しのぶ S49 ~ H元河井 博信 S49 ~ S63入倉 健 S50 ~ S63高野 正美 S50鈴木 隆二 S51 ~ S62西尾 文雄 S51 ~ S53楠木 繁雄 S52 ~ H2大越 喜文 S53 ~ S55宮部 恒雄 S54 ~ S60山川 裕子 S55 ~ H5田中 均 S55 ~ S57坪田 美恵子 S56 ~ H5前田 知信 S56 ~ S63小川原 健太 S58 ~ S62棗 隆 S61 ~ S62片桐 須美子 S63 ~石塚 律子 S63 ~ H6新井 珠枝 H元~H6田口 かおる H元~馬場 重行 H元~H4藤田 正和 H5~橋本 真理子 H6~ロドリゲス 美香八木岡 章夫福江 香赤崎 伸一佐々木 寿恵竹澤 美江子

■在籍教職員一覧

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110 ■資料編

職名・所属 氏   名 在籍年度 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27

国 

平 和子中沢 真知子小野 幸代柴山 潤奈良林 稔吾妻 依理子松村 玲子森 浩一大杉 恵子川崎 直子青木 正由井上 小百合奥田 和広加藤 洋章

地理歴史・公民

(H元年度以前は社会科)

宗像 弘吉 倫理 S41/1 ~ S58白石 誠吾 地理 S41~ S51/12藤本 和代 地理 S41 ~ S49安田 修一 世界史 S42 ~ S51高橋 和巳 日本史 S43 ~ S61松田 四郎 政経 S43 ~ S56疋田 通文 日本史 S43 ~ S55高原 将 世界史 S43 ~ S45多田保 次郎 世界史 S46 ~ S57田中 穀一 S51松井 和彦 世界史 S52 ~ S63上田 敏夫 地理 S52 ~ H元深沢 信 現代社会 S56 ~ H3川 さゆり 日本史 S57 ~ H6杉本 仁 S58 ~ H5梅原 康弘 S59 ~ H4伊藤 彁 S59 ~ S61大川 潤一 S60 ~ H6幡野 龍一 S60 ~ H3松井 和彦 S61 ~ S63濱田 俊裕 S63 ~浅野 治 S63 ~金井 徳幸 H元~H5対馬 俊也 H2~山田 俊明 地理 H5~奥原 千年 倫理 H6~茨木 智志 世界史 H6~末次 紳一郎 日本史瀬戸 彰 政経関根 秋雄 世界史戸塚 吉彦 日本史和田 仁 地理福嶋 正明 世界史古屋 哲 日本史山倉 和正 政経瀬川 康兼 日本史樋口 兼久 地理新井 一弘 世界史戸倉 信一 地理佐久間 曜一 地歴小早川 恭子 地歴沼田 大作 政経名越 寿昭 地歴相沢 栄 政経吉武 康平 地歴河西 正貴 地歴三好 達也 地歴武藤 正人 地歴

数 

杉村 保 S41/1 ~ S46稲垣 昭次 S41~ S52/12芝田 敬久 S41 ~ S50磯野 幸 S42 ~ S53塩沢 宏夫 S42 ~ S49入手 髞雄 S42内田 米子 S43 ~ S52栗田 茂 S43 ~ S48

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職名・所属 氏   名 在籍年度 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27

数 

細川 達 S47 ~ S61高橋 亘 S49 ~ S60小池 文夫 S49 ~ S54伊井野 通保 S51 ~ S54小野 久 S53 ~ S61田中 孝司 S53 ~ S57斉藤 寧 S54 ~ S58片桐 三郎 S55 ~ H4中谷 伸子 S55 ~ S57岡田 弘 S58 ~ H6白田 尚輝 S58 ~ H6荻原 康敬 S59 ~ S61町田 和生 S59 ~禰津 朋彦 S60 ~小林 槇男 S61 ~ H4川津 鉄礼 S61 ~ H3平岡 さゆり S62 ~内田 寛 S63 ~濱中 俊仁 H4~村野 文男大久保 望齋藤 優子及川 秀子福原 稔菅又 基紀五十嵐 俊典加藤 陽一黒澤 敏明八木 寿郎山田 幸博濱中 俊仁中里 健佐藤 貴弘秋山 秋子黒崎 忠夫森田 聡河野 明夫吉岡 幸隆大久保 龍小林 正晴西川 緑阿久津 和浩舞薗 浩司丸山 みち子山﨑 修平

理 

高水 典夫 生物 S41 ~ S50近藤 正義 地学 S41 ~ S49有元 則夫 物理 S42 ~ S59栃本 忠良 生物 S42 ~ S55舛田 辰郎 化学 S42 ~ S54松本 夷男 物理 S42 ~ S50花沢 廸明 化学 S43 ~ S63貫井 茂 地学 S50 ~ H2下田 知 S51 ~ S57/7金井 克明 S52 ~ S54川本 秀雄 生物 S55 ~ H3早川 隆雄 化学 S55 ~ S63遠藤 和雄 物理 S56 ~ S63京本 隆 生物 S56 ~ S63柿崎 晶子 化学 S58 ~ S63林 道雄 化学 S59 ~藤川 博之 化学 S59 ~山崎 和敏 物理 S60 ~大桐 幸則 物理 S60 ~小笠 一樹 生物 H元~服部 知樹 H元~H5篠塚 美夏 生物 H4~老固 勉 化学中島 和夫 化学津川 卓也 物理

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112 ■資料編

職名・所属 氏   名 在籍年度 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27

理 

清水 政義 地学飯山 高久 生物可長 清美 地学磯部 昭彦 生物山之口 和宏 化学江沼 直樹 物理柴野 文 化学赤羽 一郎 生物桑原 哲史長谷川 博之 生物前野 貴美子 化学増渕 真弓 物理田村 糸子 地学佐藤 恵子 化学山﨑 仁士 地学

保 

健 

体 

磯野 良夫 S41 ~ S49下野 紀子 S41 ~ S54増島 輝次 S42 ~ S63保坂 邦雄 S42~ S54/12北原 文雄 S43~ S52/12佐藤 久男 S50 ~ S61加藤 修 S53 ~ S55栗岩 淳一 S55 ~ H3小西 輝幸 S55 ~ S62初道 恵美子 S55 ~ H4秋本 嘉一 S56 ~ S63原口 えり S59 ~ H5重松 正寛 S61 ~二階堂 国光 S61 ~ S63馬場 寿 S62 ~酒井 嘉幸 H元~藤原 大生 H元~石山 彰義 H元~H6柿添 佳子 H5~川上 佳子 H6~清見 昭荒木 孝二君島 達也佐藤 賢司大橋 一生竹井 美矢子鈴木 純子嶋田 雅之関 博文北久保 靖司高取 克明伊藤 惠美子吉川 みなみ万田 友和シャイ 久美原田 洋子

芸 

小林 晴雄 美術 S42 ~ S52野口 啓吉 音楽 S42 ~ S44石川 昌敬 音楽 S45 ~ S49長沢 明正 音楽 S50 ~ S53中沢 洋次郎 美術 S53 ~ S63大越 なおみ 音楽 S54 ~ H2原 宣夫 美術 H2~小峰 和則 音楽 H3~鈴木 朋子 音楽岡部 芳広 音楽宮﨑 多美子 美術車田 和寿 音楽鈴木 久美子 音楽須藤 剛 美術井上 雅文 音楽大高 利之 美術

英 

浜島 良子 S41 ~ S44野村 紀久 S41 ~ S43永尾 二郎 S42 ~ S47

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113

職名・所属 氏   名 在籍年度 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27

英 

山崎 岳夫 S42 ~ S47渡辺 輝之 S42 ~ S46福田 健次郎 S43 ~ S61仁平 正男 S43~ S50/12伊原 緑 S44 ~ S46/4山口 喜美子 S45 ~ S50西内 弘人 S45 ~ S48塩田 春美 S46/5 ~ S48佐藤 文雄 S47 ~ S50宮尾 真人 S48 ~ S57木口 由美子 S49 ~ S58依田 清彦 S50 ~ S56佐々木 光男 S50 ~ S51徳永 松雄 S51 ~ H4小林 三代次 S51 ~ S54渡辺 敏子 S51 ~ S54秦 一夫 S52 ~ S56亀岡 美文 S55 ~ S63菅田 真代 S55 ~ S62高野 敏子 S55 ~ S62野田 隆 S57 ~ H3眞弓 かおる S57~ S58/12志賀野 夫佐子 S58 ~ H4井上 佳子 S59 ~ H3矢島 利彦 S59 ~ H3木村 大二 S59 ~ S63纓坂 美穂 S62 ~板谷 進 S62 ~黒沢 令子 S63 ~ H5池田 麻奈 S63 ~ H5中村 良弘 H元~岡野 明子 H元~初海 三津枝 H4~菅野 正則 H4~北出 良子 H5~山﨑 尋 H5~田村 茂平岩 順青田 愛牛込 久雄村上 真輝海老原 明美前田 道子風見 岳快篠原 真奈美石川 重行新海 幸平長谷川 正青嶋 一野澤 直規渡邊(三宅) 七重須田 英一友光 厚直川口 徹堀米 信行川野 一郎笠木 由希新海 多恵子宮下 洋加藤 文恵栗原 郁夫市川 憂樹小山 治子若井 康博妹尾 ゆみ子

家 

古川 敏子 S41 ~ S44江川 良子 S45 ~ S52中島 郁代 S53 ~ H4渡邊 康子 H元~H5長田 三枝子 H5~

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114 ■資料編

職名・所属 氏   名 在籍年度 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27

家 

吉田(鎌田) 靖子 H6~小宮山 雅子仁神 康子並川 朋美羽野 みき子梶 貴子高島 みゆき鈴木 民子

情 

竹澤 美江子俵川 高明島田 元

養 

古谷 昭代 S43石井 律子 S44 ~ S48松田 留美子 S49 ~ S50宮津 百代 S51 ~ S63春日 奈保 H元~山口 紀子山口 洋子馬場 智子

実習支援専門員

(旧

実習助手)

青木 利夫 S47田多園 節雄 S48 ~ S60田畑 了 S62 ~石橋 郁子原島 重樹伏見 忠堀 敦子舘野 文子加藤 由紀子林 陽一郎

経営企画室長

(H17年度以前は事務長)

市川 家康 S41 ~ S44石井 周次 S45 ~ S47伊野 一雄 S48 ~ S51菊池 久幸 S52 ~ S53奥住 茂 S54 ~ S61伊藤 禮之 S62 ~ H2助川 勝男 H3~ H6金子 弘岩元 達郎酒井 秀雄柴田 進片山 一比古黒田 篤新井 麻由美伊藤 恵子

主 

(旧

次席・主査含む)

八巻 美枝 S53 ~ S57中村 正子 S58 ~ S61谷口 明 S62 ~ S63大久保 昌也 H3~ H6鈴木 友幸 H4~小林 岳朗川村 みさ子渡邊 智子鍋嶋 直樹山田 和子加來 宏章佐藤 壽子岡本 礼子

主 

(旧

一般事務)

太田 幌一 S41/1 ~ S44大坪 一司 S41/1 ~ S44松川 泰子 S41/1 ~ S41小林 幸子 S42 ~ S51羽賀 典子 S42 ~ S45成内 頴一 S43 ~ S49/5荒井 道子 S43 ~ S48/4吉沢 実 S45 ~ S50横尾 正和 S45 ~ S49依田 春江 S46 ~ S48府川 俊江 S48/5 ~ S52外川 寿子 S49 ~ S52野島 清 S50/6~S54/11

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115

職名・所属 氏   名 在籍年度 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27

主 

(旧

一般事務)

菊池 範雄 S50~ S53/11金高 京子 S51/5 ~ S52穂坂 稔 S52 ~ S57上野 律子 S53 ~ S55宮城 千嘉子 S53 ~ S55旭沢 茂徳 S54/5 ~ S58戸部 健一 S54/12 ~ S57浅田 浩一 S56 ~ S59山田 裕紀子 S56 ~ S58浅田 光代 S58 ~ S60佐々木 卓也 S58 ~ S60宮澤 由紀子 S59 ~ S62武藤 加枝 S59 ~ S60山田 和子 S60 ~ H3河村 公義 S60 ~ S63小峰 利行 S61 ~ S62畠中 美知子 S61 ~ H5古平 路乃 S61 ~ H元吉田 敦 S63 ~ H3冨山 隆 S63 ~ H2関口 芳見 H元~H5平 美佐子 H元~H2清水 和子 H2~ H5布川 りか H4~ H5島田 満智子 H5~ H6林 直子 H6~山内 真美枝 H6~佐藤 壮一 H6~佐々木 雅美若林 美果小野 順子川畑 忠行安部 政佳井上 力重室井(鷲崎) 旬子田中 陽子中西 明子島崎 明広田村 恭一近藤 直美篠原 公枝二木 レイ坂本 路代松根 勝也松川 美砂笹本 知宏村久木 綾子高田 敬子吉田 尚樹古藤田 博貴岸川 浩史

司 

(司書教諭含む)

稲垣 信子 S41 ~ S61永浜 郁子 S46/7 ~ S47増田 道子 S48 ~ S58廣井 季葉 S59 ~ H4増田 松江海老名 このみ島田 満智子籠島 雪子

技 

(旧 

一般技能Ⅰ・Ⅱ、

業務員含む)

土方 勝男 技能Ⅰ S41 ~ S61内田 ウメ 技能Ⅱ S41/6 ~ S60岡田 薫子 技能Ⅱ S41 ~ S58/4小荒井 国夫 技能Ⅰ S41 ~ S48山下 久次 技能Ⅱ S41 ~ S45/5三神 イサ 業務員 S44 ~ S46馬場 文雄 技能Ⅱ S46/5 ~ S62小林 美武 技能Ⅰ S49 ~ H4佐々木 陽子 技能Ⅱ S61 ~ H2志茂 充彦 技能Ⅱ S63 ~八代 倉充 技能Ⅰ S63 ~ H6

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116 ■資料編

職名・所属 氏   名 在籍年度 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27

技 

(旧 

一般技能Ⅰ・Ⅱ、

業務員含む)

高見 芳見 技能Ⅰ H5~ H6井上 力重 技能Ⅱ川畑 忠行 技能Ⅱ篠原 公枝 主任坂本 路代島崎 明広石川 秀夫田口 美和柴田 智子

非常勤職員

(旧

嘱託員)

目崎 正明 国語 S62 ~ H3佐伯 礼 家庭 S62 ~ H3石戸 キン 養護 H2~飯島 タマ 技能Ⅱ H2~ H6井上 昇二 技能Ⅱ H2~ H3林 哲二 化学 H3~林 信光 物理 H3~窪寺 隆雄 主事 H3~ H5佐々木 守 日本史 H4~中山 祐一 世界史 H4~小阪 年雄 技能 H4~粟谷 きみ子下野 富紹高橋 俊木下 孝治江本 栄三池亀 倭子持田 好子中村 洋一緒環 三雄菅井 博之 教育相談見須 慶子 保健体育

講 

蛭川 乃理子 書道 S55 ~岡田 富子 家庭三島 由明 世界史吉田 喜久 日本史小川 武賢 英語中村 京子 国語平井 尚志 国語古川 祟子 保健体育沼屋 悦子 数学竹内 久恵 家庭加藤 里花 世界史石塚 史子 家庭大洞 ゆかり 英語永井 美陽 美術嶋田 武浩 世界史鈴木 智美 化学木村 博子 理科横田 ゆかり 音楽吉永 清子 生物保井 俊一郎 保健体育深谷 希誉香 家庭上村 綾子 芸術島田 高志 国語守谷 充江  家庭

英語指導員

Glenn WarwickChristopher ClaytonJoseph Peter HeilmanPhioip Steven OlsonDaniel Scheerwatzky JET青年Colin McAulay ALTCharls Hunter Watson ALTDamien Anderson ALTJames Ying-Pak Tag JET青年

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創立50周年記念式典及び記念行事日時 平成28年(2016)5月7日 午後1時30分開式会場 オリンパスホール八王子

式次第記念式典              記念行事

開式の辞              記念演奏国歌斉唱                吹奏楽部校長式辞                合唱部東京都教育委員会挨拶          PTA&同窓会合唱「大地讃頌」来賓祝辞              記念公演来賓紹介                ダンス部祝電披露              ビデオレター記念品贈呈               本校卒業生 三浦友和氏校歌斉唱                 アンジャッシュ 児嶋一哉氏・渡部建氏閉式の辞              学校紹介ビデオ上映

編集後記日野高校も創立以来半世紀を迎えた。振り返れば、長い一本の道が続いている。その道から見える

風景をできるかぎり書き留めておきたい。そんな思いで始めた記念誌編集だが、触れられなかったことも多く、50年の歴史のほんの一端を書き留められたに過ぎない。10年ごとに編まれている記念誌を道標にしようと、丹念に確認してみた。どの記念誌を開いても生き生きと躍動する生徒たちの姿と、真摯に向き合う大人たちの姿が立ち現れるようだった。今の私たちもその直向きさを失っていないだろうか。先達の言葉を読むと、自問せずにはいられない気がした。

卒業生は1万数千人になる。その一人一人の記憶の中に、日野高校の50年の様々な場面が収められている。「おはよう」と笑顔で挨拶する友達の顔、土手から見る富士山、黒板に書かれた味のある文字、体育館の舞台で賞状を受け取る先輩―日野高生が分かちもつ、それら一つ一つを集めてコラージュにしたらどんな絵が出来上がるのだろう。そんなことを想像しながらの編纂作業だった。そして、もしこれからもそのコラージュは完結することなく描き足していけるとしたら、日野高校に縁を得た私たちとしては、この上なく嬉しいことだ。

この記念誌を編むにあたっては、本当にたくさんの方々の力をお借りした。玉稿をお寄せくださった方、執筆してくださった方、問い合わせに応じてくださった方、その方々に「ありがとうございました」と心からお礼を申し上げたい。その方々の労に報いるためにも読み応えのある記念誌にしなければと思い、編集者一同力を尽くした。果たして創立50周年にふさわしい一冊に仕上がっただろうか。その判断は読者の方々に委ねることにしよう。

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創立50周年 記念誌発 行 平成28年(2016) 5月7日

発行者 東京都立日野高等学校長 小宮 德健 東京都日野市石田1-190-1 電話 042(581)7123 FAX 042(581)5835

編 集 創立50周年実行委員会 記念誌編集特命係

印 刷 ぎょうせいデジタル株式会社 東京都立川市曙町1-25-12 電話 042(522)3176

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創立50周年記念誌

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