寄稿1 英国特許庁 the patent office2016.5.13. no.281 49 tokugikon 寄稿1 英国特許庁...
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48tokugikon 2016.5.13. no.281
抄 録
0 はじめに
本稿でご紹介する内容は、英国特許庁の公式ホー
ムページや筆者の調査に基づいたものです。全て筆
者の私見を述べたものであり、日本特許庁や英国特
許庁の公式見解とは関係がないことをご理解頂きま
すようお願いいたします1)。
1 英国特許庁について
1.1 概要
英国における特許庁の法的な正式名称は、“The
Patent Office”です。ビジネス・イノベーション・
職業技能省2)の下部組織であり、また、事業執行機
関(executive agency)3)です。知財関連法のうち、
特許、意匠、商標、及び著作権を所管しており、通
称名として、“The Intellectual Property Office”を
使用しています。職員は、自らの職場のことを、通
常、“IPO”と 呼 び ま す。 日 本 特 許 庁 は“Japan
Patent Office”、米国特許商標庁は“United States
Patent and Trademark Office”であるように、各国
特許庁の名称には国を表す単語が含まれることが多
いですが、英国の特許庁にはそれがありません。日
本語で表現すれば、「ザ 特許庁」という感じでしょ
うか。“UK”を付けるまでもないという、プライド
が垣間見えます4)。以下、本稿でも英国特許庁のこ
とを“IPO”ということがあります。
英国特許庁のほとんどの職員は、ロンドンから西
へ約220キロ行ったところにある、ウェールズ第三の
都市であるニューポートに位置する本庁舎に勤めて
います5)。車通勤の職員が多く、敷地内には大きな駐
車場が整備されています。ウェールズの首都である
カーディフからも車で30分程度と近く、カーディフ
在住の審査官も多いです6)。筆者もカーディフセント
ラル駅付近にアパートを借り、バス通勤をしました。
筆者は、2015年3月から半年の間、英国特許庁に滞在し、調査研究を行う機会を頂きました。本稿では、皆様にとって興味深いと思われる、英国特許庁の審査官の業務環境や英国の特許審査を中心に紹介させていただきます。
審査第三部金属電気化学 辻 弘輔
寄稿1
英国特許庁 The Patent Office
1) 過去の特技懇の記事として、菅原洋平「英国の特許制度について─Intellectual Property Officeを中心に─」特技懇No.260(2011)があります。筆者の調査の際にも、また、本稿の執筆においても参考とさせて頂きました。
2)正式名称はDepartment for Business, Innovation and Skillsで、BISと略されます。
3) 日本の独立行政法人制度に類似した制度とも言われますが、公務員の身分を持っていることなど、異なる点も多いです。業績・成果を通じて運営がコントロールされており、大臣との間で合意された目標(“Ministerial Target”)を達成することが最優先されます。目標はIPOのホームページ https://www.gov.uk/government/organisations/intellectual-property-office/about で閲覧可能です。
4)例えば、ゴルフの全英オープンもThe open championshipと表記され、BritishやUK等は入りません。
5)ロンドンにも、出願受付等を行う小規模なオフィスがあります。
6)ニューポートよりもカーディフの方が住むには人気があります。
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寄稿1
英国特許庁 The Patent O
ffice
●職員数 2015年4月時点での総職員数は1,108人で、その
うち特許審査官は293人です。滞貨の増加に対応し、
2014年から2016年までの3年間に、計150人の新
審査官を採用する予定となっています。JPOの特
許審査官数が約1,700人で、出願件数が328,436件
(2013年)でしたので、審査官数はJPOの2割弱、
出願件数は1割弱というところでしょうか。なお、
IPOには、審判部はありません。
1.3 オフィスについて
CPCに基づき編成された約20の審査グループが
あり、各グループには10〜20人程度の審査官が所
属しています。各グループはDeputy Director10)又
はD1と呼ばれる、審査長相当の職員によってマネ
ジメントが行われています。
数年前までは、2人の審査官に一つの部屋が与え
られていましたが、審査官の増員に伴うスペース問
題に対応するため、全面的に、オープンプラン方式
に改装されました。筆者の滞在中も、新人審査官の
研修に対応すべく会議室を拡張する工事が行われて
おり、現在は、個室を利用できるのは審査長や一部
の審査官のみとなっています。オープン形式を好ま
ない審査官も多く、雑音を絶つためにヘッドフォン
をして仕事をしている職員もいました。各審査官の
机は横幅2m程度で24インチモニタが2台設置され
1.2 統計
●出願件数 2013 年時点で、世界の 12 位となっています。
2009 年までは 9 位の位置を保っていましたが、
2007年にオーストラリアとインドに抜かれ、2010
年にブラジルに抜かれました。
●出願・請求件数 2014年度の出願件数は約23,000件、サーチ請求
は約17,000件、審査請求は約12,000件となってい
ます。いずれの数値もゆるやかに増加しつつありま
す。それに伴い、滞貨(特に実体審査待ち案件)も
増加しています。
7)WIPO統計データベース http://www.wipo.int/ipstats/en をもとに作成。
8)The Patent Office Annual Report and Accounts 各年度版をもとに作成。
9)The Patent Office Annual Report and Accounts 各年度版をもとに作成。
10)日本でDeputy Directorというと、「課長補佐」の英訳に用いられる用語ですが、IPOでは「審査長」相当を意味しており、差があります。
825,136
571,612
328,436
204,589147,987
63,16744,914
43,03134,741
30,88429,717
22,93816,886
15,444
0
100,000
200,000
300,000
400,000
500,000
600,000
700,000
800,000
900,000
中国アメリカ
日本韓国欧州ドイツ
ロシア
インド
カナダ
ブラジル
オーストラリア
イギリス
フランス
メキシコ
図1 2013年の各特許庁における出願件数 7)
0
5000
10000
15000
20000
25000
2011/12 2012/13 2013/14 2014/15
出願
サーチ請求
審査請求
図2 出願・請求件数の推移 8)
0
50
100
150
200
250
300
350
400
2011/12 2012/13 2013/14 2014/15 2015/16 2016/17
審査官増員開始2016年度まで50人ずつ採用
図3 IPOにおける審査官数の推移 9)
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ており、JPOよりも全体的にゆったりとした雰囲気
です。一部の机は電動モータで高さ調整ができ、立っ
てサーチを行うことも可能です(眠くならず集中で
きるし、エクササイズにもなるとのこと)。服装は自
由で、Tシャツにジーパンという格好も珍しくあり
ません。管理職はスーツ姿の人が多いようでした。
JPOとは、以下の点で違いがありました。
まず、コアタイムなしの完全フレックス制が採用
されており、7時〜19時までの間であれば登庁・退
庁が自由であり、1週間で計37時間働くことになっ
ています。登庁・退庁時に専用端末にIDカードをタッ
チすることで、勤務開始・終了が記録される仕組み
で、業務用PCからも時間が確認できます。職員の
評価指標の一つとして生産性の観点が用いられてい
ることもあり、残業を行う職員はあまり多くはあり
ません。18時を過ぎるとオフィス全体が静かになり、
掃除の業者も入ってきます。
在宅勤務も広く行われています。一定の頻度で本
庁舎へ出勤することが条件となっていますが、キャ
リアが浅い職員を除き、申請すれば多くの場合認め
られるとのこと。PC、デスク、電話等は貸与され、
本庁舎と同じ環境で業務ができますので、遠隔地に
住居がある職員や、子供の学校への送迎 11)等で時
間をとられる職員には人気の制度になっています。
また、JPOと大きく異なる点として、紙の使用
量が極めて少なく、文字通り「ペーパーレス」な職
場となっています。IPOでは、多くの審査官が、プ
リントアウトを行うことなく、本願発明の理解、サー
チ及び引用文献の内容の理解を行っていました。机
の周りに書類が積まれているということはなく、非
常にすっきりとしています。プリンターも、コピー
機兼用の複合機が各フロアに数台あるのみで、紙を
使わない働き方が浸透していました。
さらに、JPOでは審査官補と指導審査官が近接した
位置に座るのが通常ですが、筆者がIPOで在籍した審
査グループでは、両者をあえて離して配置していまし
た。理由を聞いたところ、常に監視する/されるとい
う関係になることは精神衛生上好ましくなく、また、
指導審査官以外の審査官に質問をしやすくすることも
必要なのでは、とのことで、個人の自由を重んじるイ
ギリス人らしさが現れているように感じました。
1.4 食堂・売店等
食堂では、日替わりランチやオーダーメイド形式
のサンドイッチが提供されており、約4ポンド(約
600円)でお腹一杯になります。日替わりランチは
肉+チップス(フライドポテト)+野菜(豆・ブロッ
コリー・人参)のセットであることが多く、木曜日
はカレー(添えるのは、ご飯か、チップスか、両方
かを選べます)、金曜日はフィッシュアンドチップ
スと決まっています。カレーは非常に人気が高く、
12時頃には長い列が出来ていました。
食堂の隣には小さい売店があり、牛乳が大量に販
売されています。イギリス人は紅茶好きであり、特
にミルクティーをよく飲みます。オフィスの各フロ
アにはTea pointと呼ばれる小部屋があり、給湯器と、
大きな冷蔵庫が設置されています。多くの審査官が
牛乳を冷蔵庫に入れており、仕事の合間にミルク
ティーを飲んでいました。ティータイムが開催され
ることもあり、筆者もよく参加させてもらいました。
1.5 セキュリティ
セキュリティはとても厳しく、写真の撮影は、庁
舎内はもちろん、敷地内でも全く認められませんで
した。写真を撮ろうものなら、強面のセキュリティ
が飛んできて、撮った写真をチェックされ、その場
で削除させられます。また、外部から敷地内に入る
際のセキュリティのチェックポイントは、庁舎から
は200mほど離れており、身分証なしでは庁舎内に
入ることもできず、身分証を忘れたときは、庁舎に
電話して職員経由で確認をとってもらう必要があり
11)イギリスでは、通常、親が小学校への送迎を行います。
写真1 英国特許庁の庁舎(英国特許庁提供)
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ジの外国産業財産権制度情報から、2014年改正法
の日本語仮訳を参照することができます13)。
2.2 出願から特許査定まで
以下のような流れになっています。
●出願 出願日の確保のためには、書式Form1及び発明
の詳細な説明(a description)の提出が必要になり
ます。この時点では無料です。
●方式審査段階 出願料は30ポンド(約4,700円)ですが、オンラ
インで出願・支払いをした場合は20ポンド(約3,000
円)に減額されます。出願料が支払われることで、
方式審査官(Formalities Examiner)による方式審
査(Preliminary examination)が開始され、その後、
方式審査官により審査グループへの割り当てが行わ
れます。この割り当てが適切でなかった場合は、審
査官によって、適切と思われる別の審査グループへ
転送されます。
●サーチ段階 出願日から 12 ヶ月以内に、サーチ請求(書式
ました。庁舎の壁には“CCTV in operation”の掲示
があり、多くの監視カメラによって常時監視がなさ
れています。写真1はIPOから掲載許可を頂いた、
庁舎の玄関の写真です。ちなみに、敷地内には野生
のリスやウサギが多く生息しており、写真に写って
いる木でもリスが遊んでいました。本稿執筆時(2月)
は、この木の上にサギが巣を作っているとのこと。
2 英国の特許制度と審査官の業務
2.1 審査基準 Manual of Patent Practice(MoPP)
審査官は Manual of Patent Practice(MoPP「モッ
プ」と庁内では呼ばれていました)に則り業務を行っ
ています。審査官の業務において必要な情報は、ほ
ぼここに網羅されており、筆者もよく参照しました。
冊子は配布されておらず、IPOのホームページで
PDFバージョンとHTMLバージョンが提供されて
います12)。更新は頻繁に行われており、ホームペー
ジには最近の更新箇所が明示されています。PDF
バージョンの分量は978頁(平成28年2月時点)となっ
ており、JPOの審査基準(500頁)の約2倍です。
以下、出願から特許査定までの流れについてご紹介
しますが、MoPPの参照箇所も合わせて示します。
なお、英国特許法については、特許庁のホームペー
12)https://www.gov.uk/government/publications/patents-manual-of-patent-practice
13)https://www.jpo.go.jp/shiryou/s_sonota/fips/mokuji.htm
図4 出願から特許査定までの流れ
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の専門分野を検索することが有効であると考えられ
る場合には相談を行うこと、17.61には事後的なア
プローチには注意すべきである旨など記載されてお
り、実務に沿って詳細に記述されているという印象
を受けます。
サーチはもちろん英語を中心にして行います。日
本語文献のサーチをどのように行うかは、分野に
よって異なっていますが、日本語文献のサーチが有
効であるとされる分野に関してはFI及びFターム
が利用されています。
英語以外の言語で記載された文献を利用する際は
原則機械翻訳を利用していますが、データが古い等
の理由で、機械翻訳を利用できないことがあります。
この対策として、主要な外国語(フランス語、ドイツ
語、スペイン語、中国語等)を理解することができる
職員が、ボランティアで援助を行っています。筆者
も滞在中、昭和の時代に発行された実用新案の日本
語の内容について質問を受けることがありました。
●実体審査段階 出願公開の日から6ヶ月以内に審査請求(書式
Form10の提出と手数料の納付)を行えば、実体審
査段階に入ります。
サーチを行った審査官と同じ審査官が実体審査を
行うことが通常ですが、人事異動や、OJTの一環
として経験の浅い審査官に審査を行わせる等の理由
で、異なる審査官が担当することもあります。
英国の特許制度の特徴的な点ですが、実体審査が
開始されますと、一回目の拒絶理由通知から12か
月又は出願日から4年6か月のいずれか遅い方が期
限16)として設定され、この期限までに特許査定でき
る状態になるよう、拒絶理由通知→意見書・補正書
の提出、のサイクルが繰り返されます。この期限内
であれば拒絶理由通知の回数に制限はありません。
拒絶理由がすべて解消すれば、審査官は特許査定
を行います。第三者が情報提供する機会を確保する
ために、出願公開前の特許査定は行われません。少
なくとも出願公開から3ヶ月の期間を待って、特許
Form9Aの提出と手数料の納付)を行えば、サーチ
が行われます。サーチはForm9Aの提出から6月以
内に行うことを目標としています。出願公開に間に
合わせる必要があるため、この目標は厳しく管理さ
れています。サーチ請求をしない場合は、出願は取
り下げられたものとみなされ、公開もされません。
サーチ段階では、Internal Search Report14)と呼
ばれる、IPO内部のみで活用される書類が作成され、
後の実体審査時の参考資料とされます。ここには、
本願発明の分類、検索した分野、発見した文献とそ
のカテゴリ(XやA)の他、Search Statement15)と
呼ばれる本願発明の最も本質的な点のみを抽出した
記述や、検索履歴、独立請求項が複数ある場合の単
一性の見解、各文献に関する説明等、サーチ終了時
における詳細な情報が記載されます。出願人には、
検索した分野、発見した文献とのそのカテゴリ、本
願に付与されるIPCが記載されたExternal Search
Reportが送付されます。
サーチに関するIPOの強みは、安い手数料で、
高品質なサーチを、早期に提供できるという点にあ
ります。手数料は、EPOと比較しますと約8分の1
となっています。
EPO : €1,285 (約16万円)
IPO : £130 (約2万円)
●サーチ戦略 IPOの審査官は、EPOから提供されるEPOQUE
ネットを主に利用してサーチを行っています。
MoPPのSection17には、サーチの進め方について
も詳細に記載されています。例えば17.55には使用
されるデータベースとしてEPODOCやWPIがある
こと、非EP/US文献に関してはCPC付与にタイ
ムラグが存在することや、日本・韓国・中国文献に
はCPCが付与されないことから、CPCだけでなく
IPCもサーチ範囲に含めるべきことが記載されて
います。さらに、日本のFI及びFタームの使用が
適切であるかどうかについて考慮すべき旨が記載さ
れています。他の箇所では、17.60には他の審査官
14)MoPP 17.86
15)MoPP 17.50
16) 英国特許法第20条は定められた期間内に特許要件を満たさない場合には、出願は拒絶されたものとみなされる旨を規定しており、規則第30条は、当該期間が、出願日から4年6か月又は最初の審査レポートの発行から1年のいずれか遅い日である旨を規定しています。
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質的に早期化されることになります。サーチ請求と
審査請求を同時に行えば自動的にCSEの手続きが
開始されますので、早期に英国特許を取得したい出
願人にとっては有用な制度です。
●早期サーチ、早期審査の請求 出願人は、早期サーチ又は早期審査を請求するこ
とができます。このとき、早期処理が必要である理
由を併せて提出する必要があります。例えば、グリー
ン関連技術、PCT段階で肯定的な見解を得ている
案件、及びIPOを第二庁とするPPH案件18)は、そ
れを理由に、早期サーチ又は早期審査を利用するこ
とができます。
その他の場合には、提出された理由が早期処理を
行うのに十分であるか否かは、その案件ごとに判断
されることになっており、MoPPには、早期処理が
受け入れられる理由の例として、出願中の技術につ
いて他者が侵害している可能性がある場合、発明に
対し投資を行う投資者を安心させる必要がある場
合、UKを第1庁とし他国にPPH請求するために
UKで特許査定を得たい場合等、が挙げられていま
す 19)。CSEと早期審査、早期サーチを併せて請求
することも可能です。
これらの早期サーチ、早期審査制度についての説
明は、ホームページで提供されています20)。
2.4 オピニオン
登録済みの特許権に関して、特許性の要件を満た
しているか否か、又はある特定の行為が特許権を侵
害しているか否かについて、誰でも(特許権者自身
や、ダミーでも可)、法的拘束力のない見解を請求
することができます 21)。2005年に開始された、比
較的新しいサービスです。
対象となる特許は、IPOの審査により取得した特
許権(UK特許)と、EPO経由で取得した特許権(EP
査定の手続きが行われます。
一方、審査官が拒絶査定を行うことはできません。
拒絶理由通知を繰り返しても審査官と出願人との間
で意見が折り合わず、上記の期限(一回目の拒絶理
由通知から12か月又は出願日から4年6か月のいず
れか遅い方)までに特許査定できない場合は、「ヒ
アリング」17)という手続きに進みます。Deputy
Directorがヒアリング担当官となり、拒絶か否かの
決定を書面にて行います。拒絶の決定に不服がある
場合は、裁判所で争うことができます。
ソフトウェア関連発明以外では、ヒアリングに至
るケースはまれです。上述したように、拒絶理由通
知に回数制限がありませんので、新規性や進歩性や
記載要件に関しては、最終的に拒絶理由が解消する
ケースが多いものと考えられます。一方、ソフトウェ
ア関連の分野では、英国特許法第1条がプログラム
そのものを特許対象外としており、発明適格性が否
定される場合は、新規性・進歩性の判断が行われず
に拒絶されます。そのため、ヒアリング及びその後
の訴訟に至るケースは比較的多いようです。
2.3 早期サーチ・早期審査について
●Combined Search and Examination(CSE) ここまでは、サーチ請求を行った後に審査請求を
行うことを前提として説明してきましたが、サーチ請
求を行う際に、審査請求を同時に行うこともできます。
この場合、審査官は、サーチレポートと同時に一回目
の拒絶理由通知を作成し、出願人に送付します。こ
の 手 続 きは Combined Search and Examination
(CSE)と呼ばれています。サーチレポートを受け
取った後に審査請求を行う場合は、一回目の拒絶理
由通知を受け取るまでに一定の待ち期間が生じます
が、CSEの場合は、出願日から6ヶ月以内という短
い期間で、サーチレポートと同時に一回目の拒絶理
由通知を受け取ることができるため、実体審査が実
17) ヒアリングは公開されており、今後の予定も閲覧可能です。https://www.gov.uk/government/publications/patents-hearing-diary ヒアリングの結果も閲覧可能です。https://www.ipo.gov.uk/p-challenge-decision-results.htm
18) IPOはグローバルPPHに参加しています。グローバルPPHについては以下のホームページを参照。 http://www.jpo.go.jp/ppph-portal-j/globalpph.htm
19)MoPP 17.05.1 及び18.07
20)https://www.gov.uk/government/publications/patents-fast-grant
21)英国特許法第74A条
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アリングオフィサーとなり、判断を行います。また、
上述したように、審査手続きにおける拒絶査定につ
いても、DDがヒアリングオフィサーとなり、拒絶
か否かの決定を行います。
オピニオンの件数規模は毎年30件前後となって
います。年間の特許件数は約5000件(IPOでの審
査分のみ)であり、現時点ではそれほど利用されて
いません。法改正を経て今後に期待、という感じの
ようです。
オピニオンについての説明も、ホームページで提
供されています23)。
2.5 英国特許庁と欧州特許庁への同時出願
英国で有効な特許を取得するための方法として、
英国特許庁に出願し英国特許(UK特許)を取得す
る方法と、欧州特許庁に出願し英国を指定国とした
特許(EP(UK)特許)を取得する方法の二通りがあ
ります。
英国特許法第73条第2項によれば、UK特許と
EP(UK)特許が、同一優先日を有する同一発明に
付与され、同一出願人によって出願されたものであ
る場合には、意見を述べる機会及び補正の機会を出
願人に与えた上で、それでもなお両発明が同一であ
る場合には、長官がそのUK特許を取り消すことが
できる旨を規定しています。すなわち、請求項に記
載される発明が同一でなければ、UK特許とEP(UK)
特許の両方を取得することができます。両方の庁に
維持年金を支払うことになるのでもちろんコストは
高くなりますが、一方の庁で広めの請求項を書き
チャレンジングな範囲で特許権の取得を試みつつ、
他方の庁では狭めの請求項として安全に権利を確保
する等の出願戦略が考えられます。
2.6 審査関係書類の閲覧サービス
IPOのホームページでは、“IPSUM”というサー
ビス 24)が提供されており、英国特許出願の出願番
号又は公開番号を入力することにより、オンライン
(UK)特許)の両方です。手続きは全て書面で行われ、
10年以上の経験を持つ審査官により見解が作成さ
れ、結果は出願人に送付されるとともにホームペー
ジでも公開されます。手数料は 200 ポンド(約
31,000円)で、請求から3ヶ月で発行されます。
英国における特許権を取り消すための正式な法的
手続きは、IPOへ特許取り消しを請求するか、裁判
所に特許取り消しの訴えを起こす2つのルートがあ
りますが、資力に乏しい中小企業・個人にとっては、
いずれにしてもコストがかかることが問題でした。
「オピニオン」は低コストで迅速に見解が得られる
ので、正式な法的手続きに進むか否かの参考材料と
して利用されることが期待されています。
この「オピニオン」サービスは、2014年の法改正
によって、2つの点で大きく拡充されました。
一点は、従来は有効性の判断において提起できる
理由が新規性、進歩性に限定されていたのに対し、
法改正により、明確性、サポート要件、実施可能要
件、新規事項などに関しても見解を求められるよう
になりました。
もう一点は、「オピニオン」の結論において新規
性・進歩性が明らかに欠如していると判断された場
合、職権にて特許取り消し手続きが可能となる規定
が導入されました22)。この手続きが実際に開始され
るかどうかは、その技術を扱う審査グループの
Deputy Director又はD1(以下DDといいます)が
まず判断します。手続きが開始された場合は、特許
権者に補正・反論の機会が与えられ、その結果、取
り消しの必要がないとDDが判断した場合、特許は
維持されますが、合意に達さず議論が平行線になっ
た場合は、「ヒアリング」に移行します。それでも
特許要件の欠如が認められた場合には、当該特許は
取り消されます。なお、2015年8月時点では、こ
の手続きによって取り消された特許権はまだないと
のことでした。
なお、IPOには審判部がありませんので、「オピ
ニオン」や「ヒアリング」等の手続きにおける実体
的な判断は、審査グループに属する職員が行います。
IPOに特許取り消しが請求された場合は、DDがヒ
22)英国特許法第73条(1A)及びMoPP73.04
23)https://www.gov.uk/guidance/opinions-resolving-patent-disputes
24) https://www.ipo.gov.uk/p-ipsum.htm
55 tokugikon 2016.5.13. no.281
寄稿1
た。その後も、3年に一回行われる監査を継続的に
クリアし認証を維持しています。また、本稿の執筆
中(2016年2月23日)に、商標の審査プロセスにお
いてもISO9001の認証を取得したことがアナウン
スされました25)。
ISO9001では、顧客及び法律の要求を満たす品
質を備えた製品(サービス)を組織が常に提供でき
る仕組みを整えられるように、組織に対し様々な事
項を要求しています。ISO9001の認証を取得する
ためには、当該組織がそれらの要求事項を満たして
いるという認定を受ける必要があります。
ISO9001の要求事項は多岐にわたりますが、そ
のうちの一つとして、提供している製品(サービス)
が、顧客が求める事項を満たしているかどうかにつ
いて顧客がどう感じているかの情報を監視するこ
と、及び、この情報の入手方法を定めること、とい
う事項が規定されています26)。
このような背景のもと、IPOの組織全体において、
顧客満足度をどのように向上させていくかが常に意
識されています。顧客満足度調査も毎年実施されて
おり、「顧客満足度を80%以上とする」という数値
目標も設定されています。2015年6月24日には、
2014年度の顧客満足度調査の結果が公表されまし
た。インフォグラフィックを利用したイラストをホー
ムページ27)で公開することによって、85.4%という、
高い満足度を達成したことを対外的にアピールして
います。
ここに記載されている85.4%という数値は、ラン
ダムに抽出された出願人に対し、10段階評価のア
ンケート調査を行い、その平均値から算出されたも
のです。ここには、前年度よりも4.4%の上昇がみ
られたこと、10段階評価で10点を付けた回答者が
27%いたことなども示されています。10段階評価
によって85.4%という高数値を得ることは容易なこ
とではなく、IPOが品質管理及び顧客へのコミュニ
ケーションに関して、相当の自信を持っていること
が伺えます。
また、具体的な対顧客の取り組みの一つとして、
IPOのホームページには、フィードバック送信用
で審査関係書類を閲覧することができます。また、
EPOで審査され英国を指定国とした特許(EP(UK)
特許)についても、閲覧可能となっています。
閲覧可能な書類は以下のとおりです。
・A公報とB公報
・要約
・請求項
・発明の詳細な説明
・図面
・審査レポート(方式・実体両方とも)
・サーチレポート
・IPOに送られたPCT関係書類
・ 2010年11月1日以降にIPOによって送付された
書類
・2011年3月1日以降にIPOにおいて受領した書類
・2011年7月1日以降に格納された以下の書類
1.特許査定後に提出された書類
2.第三者による情報提供関係書類
3.当該案件を特定して行われた顧客からの苦情書類
4.EP(UK)特許に関係する書類
なお、以下の書類は閲覧対象から除外されています。
・ 公衆に対し公開されていない書類(例えば、秘密
にする要求が受け入れられた書類や、IPOにお
ける保存・廃棄ポリシー(IPO's Retention and
Disposal Policy)に基づき廃棄された書類)
・ 法的な理由でオンライン化できない書類(例えば
個人情報保護が関係する書類)
・ 非特許文献
・ 純粋に事務的な書類(例えばヒアリングの日程調整)
・ Inter Partes proceedings(当事者系の争い)に関
する書類
・ ライセンスや権利譲渡関連書類
3 品質管理について
IPOは、2003年に、特許の出願から付与にかけ
ての一連のプロセスに関して、品質マネジメントの
国際標準規格であるISO9001の認証を取得しまし
25)https://www.gov.uk/government/news/trade-marks-and-designs-division-iso-9001-quality-certification
26)ISO9001項目8.2「監視及び測定」、及び項目8.2.1「顧客満足」
27)https://www.gov.uk/government/news/customer-satisfaction-with-the-ipo-at-a-5-year-high
56tokugikon 2016.5.13. no.281
“Welcome to Wales”を 意 味 す る、“Croeso i
Gymru”という看板が目に入り、ウェールズに入っ
たことが分かります。
人口は約300万人、面積は約2万平方kmであり、
日本の四国と同じ位です。なお、羊は人間よりも多
く、その数は約1000万頭です。
ウェールズでは地名等の表示に、ウェールズ語を
併記することが義務付けられています。写真2は英
国 特 許 庁 の 前 の 道 路 標 識 で す が、“Y Swyddfa
Batent”は“Patent Office”を意味することが分か
ります。ウェールズ南部の都市部に住む人たちは
の フ ォ ー ム が 用 意 さ れ て お り、 顧 客 が、 苦 情
(complaint)や、賞賛(compliment)などを投稿する
ことができます28)。そのような情報を庁内で共有で
きる仕組みが構築されており、既存の実務の問題把
握・改善策の導入・マニュアルの更新などに生かせ
るように、日々改善が行われています。これらの取
り組みを継続的に行うことによって、顧客の満足度
の向上につながっているものと考えられます。
4 ウェールズについて
最後に、IPOの本庁舎が位置するウェールズにつ
いてご紹介いたします。
ウェールズは、イギリス(正式には、グレートブ
リテン及び北アイルランド連合王国)を構成する4
つの国の一つです。ロンドン、リバプール、マンチェ
スターなどの大都市及び観光地を多く抱えるイング
ランドや、イギリスからの独立を巡ってニュースに
なったスコットランドに比べて、ウェールズのこと
はあまり知られていないのではないでしょうか。
●独自の文化 ロンドンから西へ約200km、ブリストル海峡にか
けられた長い橋を渡りますと、ウェールズ語で
28)https://www.ipo.gov.uk/about/feedback/feedback-comments.htm
図5 2014年度の顧客満足度調査の結果出典:英国特許庁ホームページ
写真2 英国特許庁前の道路標識
57 tokugikon 2016.5.13. no.281
寄稿1
英国特許庁 The Patent O
ffice
なっています。北部には世界遺産にもなっている古
城が多く残されていることでも有名です。
人口約35万人のカーディフが、ウェールズの首
都です。街はコンパクトにまとまっており、徒歩で
ほとんどの場所を訪れることができます。公園が多
く緑に溢れており、治安もよく、家賃・物価も安い
ので、とても生活がしやすい街です。カーディフセ
ントラル駅から歩いて10分ほどの位置に、観光客
で賑わうカーディフ城があり、そのすぐ近くにプリ
ンシパルティ・スタジアム(2016年に旧名:ミレニ
アム・スタジアムから改名)という、75,000人収容
の巨大な競技場があります。2012年のロンドンオ
リンピックのサッカー会場、2015年のラグビーワー
ルドカップの会場としても使用されました。
ロンドンとカーディフの間は、平日であれば1時
間に2本電車があり、所要時間も約2時間なので、
気軽に日帰りが可能です。カーディフでは、ホテル
もロンドンの半額程度と安く、みんなとてもフレン
ドリーです。もしイギリスを訪れる機会がある場合
には、ロンドンから少し西へ足を伸ばしてイギリス
の中の異国を楽しんでみてはいかがでしょうか。
最後に、筆者の調査研究のための滞在を快く受け
入れてくれた英国特許庁の皆様に、この場を借りて
厚く御礼申し上げます。
ウェールズ語をほとんど話せませんが、北部では日
常的に使用されています。ウェールズの小学校では
ウェールズ語が必修になっており、ウェールズ語で
放送されるTV局さえあります。ちなみに、写真3は、
ウェールズ北部にある世界で最も長い駅名を持つ駅
ですが、これもウェールズ語です。
ウェールズは、独自の言語であるウェールズ語、
独自の国旗を持ち、更には、国歌(歌詞はもちろん
ウェールズ語)も持っています。13世紀にイングラ
ンドに征服されて以来、イングランドあるいはイギ
リスの一部として今日に至っていますが、このよう
な独自の文化を大事にすることで、ウェールズ人と
してのアイデンティティを強く保っていることを感
じました。
●首都カーディフ ウェールズの主要な都市はカーディフ、スウォン
ジー、ニューポートなどで、これらは南部の海沿い
に位置しています。ウェールズ中部にはブレコン
ビーコンズ国立公園、北部には、ウェールズ一高い
山であるスノードン山(標高1085m)が含まれるス
ノードニア国立公園があり、自然豊かなエリアと
写真3 �世界で最も長い駅名を持つ“Llanfairpwllgwyngyllgogerychwyrndrobwllllantysiliogogogoch”駅
図6 ウェールズ国旗
写真4 �カーディフ城 ウェールズ国旗が掲揚されている。後ろに見える船のような建築物がプリンシパルティ・スタジアム
profile辻 弘輔(つじ こうすけ)
平成14年4月 特許庁入庁(特許審査第三部半導体機器) 平成24年4月より 審査第三部金属電気化学