第2 部 公共投資乗数の変化と...

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2 公共投資乗数の変化と マクロ計量モデル

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Page 1: 第2 部 公共投資乗数の変化と マクロ計量モデルこうした経済状況の下で「バブル崩壊後の日本経済では経済対策の効果が低下した」という命

第 2 部

公共投資乗数の変化と

マクロ計量モデル

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第 2 部 公共投資乗数の変化とマクロ計量モデル

第 1 章 序論

日本経済は長期低迷に喘いでいる。バブル崩壊後の 91 年 3 月に始まった平成不況は厳しく 2

年半にも及ぶ (戦後 2 番目の) 長期後退局面となった。その後経済は回復局面 (93 年 10 月~) を

迎えたが、その足取りは緩慢で、民需を推進力とする力強い成長とは程遠い状況だった。この間、

政府は数次に渡る経済対策を行ったが、設備投資をはじめとする民間需要の目立った回復は見ら

れていない。

こうした経済状況の下で「バブル崩壊後の日本経済では経済対策の効果が低下した」という命

題が、学会に止まらず、官民エコノミストを巻き込んだ広範な議論を巻き起こしている (吉野他

(1998)、建設経済研究所 (1997)、富士総研 (1998) 他多数)。そこでの論点は、対策における

「真水」の量の問題から、公共投資の生産誘発係数、更には公共投資が経済に長期で与える影響ま

で多岐に渡っているが、本稿では、マクロ計量モデルのいわゆる「乗数」に対応するケインズ的意

味での公共投資乗数 (主として短期) に焦点を当てた分析を行う。

「公共投資乗数が低下したのではないか」という議論は広範に見られるが、その決定メカニズ

ムをマクロ経済全体の (一般均衡的) 文脈でとらえ、具体的な数値の形で示した実証分析は驚く

ほど少ない 1。本『経済分析』のテーマであるマクロ計量モデルには公共投資乗数論の実証におい

て中核的な役割を果たすことが期待されている。今般、新モデルの公表に当たって、開発当事者の

持つ「乗数低下論に対する感触」を明らかにしていおくことは有益だろう。以下では、本分析第 1

部で紹介した「短期日本経済マクロ計量モデル」を念頭に、公共投資乗数低下論の蓋然性をマクロ

計量モデルの枠組みの下で (理論的/実証的に) 整理、検討する。

本稿 (第 2 部) の主要メッセージは次の 3 点に凝縮できる。イ )乗数は財市場要因 (限界消費性

向等) 以外に、価格調整、国際間資本移動、貨幣需要の利子弾力性等、複数要因の相互作用で定

まっており、それらを総合的に評価して始めて定量的把握が可能になる (例えば、リカード中立性

の検証のような個別分析は、総体としての乗数把握には十分でない) 。ロ)過去の景気対策の歴史的

回顧、及びマクロ計量モデルを用いた乗数分析に基づいて判断する限り、「公的固定資本形成の乗

数が 90 年代に入って顕著に低下した」とする議論の実証的根拠は十分でない。ハ) 乗数低下論が

広く世間に膾炙した一つの要因として、過去の対策の効果が過大評価されていた可能性がある。財

政拡大は (80 年代以前においても) その時点の経済を下支えこそすれ、その後の成長を保証する

呼び水ではなかった (乗数は 1 を若干上回る程度であった)。

第 2 部の構成は以下の通りである。まず続く第 2 章では、標準的なマクロ計量モデルが持つ基

本構造を簡潔に示す理論モデルを展開する。そこでは、イ)金融政策が貨幣供給量固定的である

場合と利子率固定的である場合に、理論値としての乗数がどう変化するか (2 章 2 節、2 章 3 節)、ま

たロ)価格や金融環境の影響を度外視した財市場(45°線)型乗数はどのようにして定まるか ( 2

1 乗数の低下を独自の試算に基づく数値を伴って論じた研究として、森口 (1988)、吉野他 (1998) が挙げ

られる。

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章4節) 等を検討し、公共投資乗数にあり得べき変化を引き起こす経路を整理する。第3章では、

過去の経済対策を回顧し、理論編で整理された諸経路が過去の対策時の乗数メカニズムに実際に

どのように作用していたか検討する。第 4 章は計量モデル乗数の変遷を用いた公共投資乗数低下

論の再考であり (4 章 1 節)、異なる期間に同一構造を適用した場合の乗数比較を試みる (4 章 2

節)。第 5 章は論文の総括である。

第 2 章 マクロ計量モデルの理論構造と乗数変化の経路

はじめに乗数低下に関する議論全体の見通しをよくするため、開放経済のマクロ理論モデル

を展開する。財政政策がマクロ経済に与える影響の理論分析としては、吉野他(1998)、栗林(1988)

などが挙げられるが、それらは何れも価格、賃金を外生扱いした超短期乗数の分析であり、マク

ロ計量モデルの乗数、延いては現実の乗数を検討するための完全なフレームたり得ていない。本

章では、敢えて計算の煩雑さを恐れず、フィリップス曲線による価格調整等も考慮し、標準的な

マクロ計量モデルが持つ構造と整合的な形の理論モデルを展開することによって、公共投資乗数

のありうべき変化を引き起こす経路の整理を行う。

第 1 節 マクロ計量モデルの理論構造

マクロ計量モデルと一口に言ってもその細部に渡る構造に統一されたスペックが確立されてい

るわけではない。しかしながらその細部を捨象してエッセンスのみを描くことが可能だとすれば、

それが財・サービス、労働、貨幣、及び外国為替の 4 つの市場均衡を記述する(1)~(6)式で表現

されることに異論は少ないだろう2。(以下理論編の変数記号については表 2-1 を参照)

)(2

21

1

1p

p

Y

YYf

P

PP

P

PP −+−=−

−−

− 01≧f

)(PY

WLg

L

LLp

p

=− 01 ≧g

( )RYlP

M,= 0,0 21 ≦≧ ll

0)()()( =−+− **

**

* RRaP

EP,YmEP

P

EP,YPx

01≧x , 02≧x , 01≧m , 02 ≦m , 01≧a

2 本来のマクロ経済体系にはこれらに加え (自国) 債券市場が含まれる。しかしながら周知のワルラス

の法則によって、債券市場は分析から落とされるのが通常である。

(1)

(2)

(3)

(4)

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)()()(1

1

P

EP,Ym

P

EP,YxG

P

PPR,TYdY

*** −++−−−=

01≧d , 02 ≦d (5)

( )KLhY ,= ⇔ ( ) ( )YkKYhL == − ,1 1k ≧0 (6)

(1)式はインフレ率調整付きフィリップス曲線で、モデルにおける財サービス市場の均衡への

調整メカニズムを表現するものと解釈できる。 1f =0 の時、価格は硬直的となる一方、 ∞→1f では

調整が瞬時に完了する。(2)式は分配率に応じて雇用 (失業) が調整される労働市場のメカニズム

を表現している。伝統的なマクロ・モデルでは古典派の第一公準を基礎に実質賃金を通じた労働

調整を考えるが、賃金が労働市場を均衡に向ける力は実質的には弱く、むしろ雇用状況と生産性

を前提に賃金が決められると考える方が現実的だと考えた。したがって本体系では需要で定まる

生産水準を基に(2)式で賃金が決定される3。(3)は貨幣市場の均衡、所謂 LM 曲線であり、(4)は

外為市場の均衡を表す BP 曲線である。BP 曲線内で資本収支を表わす a の説明変数としては、

内外金利差の他に為替変動期待を含めるのが通常であるが、ここでは議論を簡略化するため捨象

している4。(5)は IS 曲線で、価格調整が完全でない短期の GDP 水準はこの式の右辺により決定

される。(6)は生産関数である。以下の分析は短期分析という観点から投資の生産力効果は無視

( K は外生に)することとしており、結果として(6)を通じ雇用L と生産Y が一対一で対応する(言

うまでもなく、 ( )K,LhY pp = であり、このモデルでは外生で扱う pL によって pY も一定と

なる)。

(6)を(2)式の L に代入し、G 、T 、M 以外の外生変数及び先決変数を固定した下で均衡近傍の

線形近似を考えれば、体系は次のように表せる。

=

+−−−++−

−−

+−−

−+−

TdG

MP

E

R

W

P

Y

P

Pm

P

Pxd

P

EPm

P

EPx

P

dmd

P

EPmmPPxa

P

EPm

P

EPxxmEP

lP

Ml

PY

kg

Y

k

P

Wg

L

k

PY

kYk(Wg

PY

f

****

***

***

p

p

∆∆

∆∆∆

∆∆

1

22222221

211

2

221

2

221

221

121

12

11

1

0

10

0

01

0

00

00)(

0001

マーシャル・ラーナーの条件が成立していることを前提とすれば、上の行列中、第 4 行の第2 要素と第 5 要素について、それぞれ次の関係が保証される。

02

22 <

+−

PEP

mP

EPxx

**

3 この式の採用により、後述するように、景気循環における賃金の順循環的 (或いは非循環的) な動きが

表現可能となっている。 4 Meese and Rogoff(1983)による、為替予測の困難性に関する指摘は本モデルにおける簡略化の正当化材

料となり得よう。

(8)

(7)

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02

22 >−−P

EPmmPPx

*** (9)

更に、第 5 行第 5 要素は実質貿易収支の為替レート (邦貨建て) での微分にマイナス 1 が掛か

ったものだから、

0)( 22 <−−P

Pm

P

Px

**

(10)

も成立している。記述の煩雑さを回避するため、(8)~(10)の左辺についてはその意味を考え、以

後それぞれ ( )0NTB P < 、 ( )0NTB E > 、 ( )0RTB E <− と表記する。

第 2 節 貨幣供給量一定の下での公共投資乗数 (教科書的乗数論の一般化)

前節で示した体系について、まずマネー・サプライが外生の場合の乗数を考えよう。現実の経

済政策では経済状況に対する認識を背景に財政政策と金融政策とを何らかの形でコーディネー

トするのが通常である。従って、財政政策を発動する際に貨幣量の固定に腐心するかのごとき設

定は現実性を欠く。しかしながら、巷間の乗数論が、貨幣量一定を前提とするフレームで行われ

る場合が多いのも事実である。そこで本稿ではまずその最も基本的ケースから始める。体系(7)

において赤字ファイナンスで財政支出を拡大すること ( G∆ =1、 T∆ = M∆ =0) が、GDP、価

格、賃金、利子率、及び為替レートに与える影響は次の通りである5。

Λ

=∆∆ −

=

21

21 l

P

PNTB

YP

kg

G

YE

fixM

(≧ 0)

Λ

=∆∆

=

21

21 l

Y

fPNTB

YP

kg

G

P PE

fixM

(≧ 0)

( )

Λ

+

−+

=∆∆ −

=

PPE

fixM

L

k

PY

kYkWg

PYP

kgW

Y

flNTB

G

W

12

11

1211

21

Λ

+

=∆∆ −

=

PE

fixM

Y

f

P

M

P

Pl

YP

kgNTB

GR

1

112

1

(≧ 0)

Λ

++−

=∆∆ −

=

)()( 1*

2111

211

21 mEPlal

P

PPNTBla

P

M

Y

f

YP

kg

G

EPP

fisM

ここで、

5 (7)式の右辺の形から明らかなように、減税( T∆ =-1)の乗数は以下に示す財政支出乗数の丁度 d2(<1)倍になる。貯蓄への漏れが生じる分、効果が小さくなるわけである。

(11)

(12)

(13)

(14)

(15)

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+−++−

−=Λ

−)()1( 1

2

11

*22

2

1112

121 a

l

lmEPlRTBd

l

lmdlNTB

P

P

YP

kgEE

(16)

−−++−

)1

()1

( 12

221

221 NTBa

PM

llRTB

PM

lPP

ldNTBYf

EEP

は体系(7)における左辺の系数行列の行列式の値であり、均衡の近傍における経済の安定性を仮

定する意味で Λ>0 とする。(11)、(12)、(14)式の末尾の (≧ 0) は、以上の設定の下でそれぞれ

が必ず正値 (正確にはゼロ以上の値) を採ることを意味する。つまり、現実的な想定の下で、貨

幣量を一定に保ちつつ (国債発行によるファイナンスで) 財政支出を拡大すれば、GDP は増大

し、物価と金利が上昇する。

一方、賃金と為替の式についてはこれだけの情報では符号は確定できず、幾つかのパラメータ

の大きさに応じて変化することがわかる。具体的には、賃金の式に関する符号は、労働需要の

GDP 弾力性を表わすパラメーター 1k に影響され、 1k が十分に小さければ(13)式は正値となって賃金

が上昇する6。例えば何等かの理由で雇用保蔵的慣行があり、雇用の景況に対する調整が遅い場

合等では、財政支出の拡大が賃金の上昇につながるわけである7。また、為替の式の符号は資本

移動の利子感応度を示すパラメータ 1a で規定される。 1a が十分に大きく国際間の資本移動が活

発な場合には(15)式が負値となり、政府支出の拡大によって為替の増価を生じるが、 1a が小さく

資本移動が生じにくい場合、為替は減価するわけである。

以上で貨幣量一定の下で財政支出拡大がもたらす効果の大方の方向は明らかとなったが、我々

の最大の関心事である公共投資乗数の大きさを規定する要因についてもう少し検討してみよう。

やや煩雑ではあるが、(16)式を(11)式に代入し、整理すれば貨幣量一定下の公共投資乗数は次の

形で与えられることがわかる。

( )

−++++−++−=

−= )1

()1

()(1

1

1221

211

12

112

2

111 a

PM

lNTB

NTBRTB

PM

lPP

dPP

Y

fa

ll

mEPNTBRTB

dll

mdGY

E

E*

E

EfixMP

∆∆ (17)

こうして導出された式は、通常用いられている財市場均衡に注目した 45゜線型乗数式

)1

1(

11 mdG

Y

+−=

∆∆

を複数市場を考慮する意味で一般化したものとして解釈できる。

分母の一番右側に位置する )( 1P

Y

f+ で始まる項は、財市場の価格調整が乗数に与える影響を

表している。{ }内の符号が正であることを前提として 8、価格の調整速度が無限大になれば

( →1

f )∞ 乗数はゼロに収束する。このことから、乗数の大きさは需給ギャップに対する価格の反応が

6 本モデルでは資本K が固定されているので、労働の限界生産性は逓減的になり、結果として 1k < k /Y は保証されている。また賃金の動きは失業率の労働分配率弾力性 1g や価格の生産弾力性 1f 等にも依存しており、それらが ( 1k との相対で) 十分に大きければ賃金は上昇する。

7 この関係は 1k が十分小さければ、価格の調整速度 1f の大きさ如何にかかわらず成立する。したがって、01 =f の極端な場合を考えればわかるように、本モデルでは実質賃金の順循環的な変動も説明できる。

8 これは任意の 1f について体系が均衡の近傍で安定的になるための必要条件である。

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遅ければ遅いほど大きくなることが示唆される。

右から 2 番目の )(E

E

NTB

RTB− で始まる項は (価格一定の下で) 為替レート変動が乗数に与え

る影響を表している。例えば、国際間資本移動が十分に大きければ当該部分は全体として正値と

なる )0)(( 12

11 >+− a

l

lmEP

NTB

RTB

E

E * から、乗数は低下する (極端な場合として、 ∞→1a では乗数は

ゼロに収束する)。逆に 1a が小さく 012

11 >+ a

ll

mEP * となる場合、乗数は為替減価により逆に

拡大することになる9。

分母の右から 3 番目の項 )( 22

1 dl

lは、利子率の上昇を通じた所謂 (間接的) クラウディン

グ・アウトに対応している。クラウディング・アウトの大きさは支出の利子率に対する感応度

)( 2d を所与として、LM 曲線の傾き ) (2

1

l

l が (絶対値で) 大きいほど拡大する。所謂「流動

性の罠」の状況では貨幣需要の利子感応度が無限大になる。 )( 2 ∞→l からクラウディング・ア

ウトは生じず乗数は最大になる。

以上、マクロ計量モデル型理論モデルから導出された、貨幣供給量固定下での公共投資乗数

に関する知見は次のように要約できる。

イ)貨幣量一定の下で財政支出を拡大すると、GDP、価格、及び利子率が上昇する。賃金の動

きは労働需要の生産感応度 )( 1k の関数であり、 1k が小さければ賃金も上昇する。為替動

向は資本移動の大きさ )( 1a に依存しており、 1a が小さければ減価、大きければ増価する。

ロ)公共投資乗数の大きさは、財サービス市場均衡から考えられる素朴な (45°線型) 乗数を左

右する要因に加え、a)財サービス市場における価格調整速度、b)国際間資本移動の大きさ、

c)貨幣需要関数の形状、国内民間支出の利子感応度等の諸要因から影響を受ける。

ハ)価格調整速度の高まりは、乗数の低下をもたらす。価格調整が完全であれば )( 1 ∞→f 、乗

数はゼロに収束する。

ニ)国際間資本移動の活発化は、貨幣量一定下での乗数の低下をもたらす。資本移動が完全だ

と )( 1 ∞→a 、為替増価で外需が完全にクラウド・アウトされ、乗数がゼロになる。

ホ)貨幣需要が利子非弾力的になり、LM 曲線の傾きが大きいと、一定の支出増加に対し利子

率が大きく反応し、投資の (間接的) グラウディング・アウトが生じる。

ヘ)乗数論において通常活用される (45°線型の) 素朴な公共投資乗数 )1

1(

11 mdG

Y

+−=

∆∆

は、

9 式(15)から読み取れるように、 12

11 a

l

lmEP* + >0 は価格一定の下で資本移動が為替減価をもたらす条件

になる。

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a)価格が硬直的で )0( 1 =f 、b)資本移動が為替に対して中立的 )0(2

11 =+ a

l

lmEP* 、かつ

c)「流動性の罠 )( 2 ∞→l 」が生じている (あるいは支出が利子感応的でない )0( 2 =q )

世界での乗数を表すものと解釈できる。

へ)で a)~c)を想定することは必ずしも現実的ではなく、またa)~c)のいずれもが基本的に乗数を抑

制する方向に崩れると推察されることは10、45°線型の素朴なモデルによる推論が (貨幣供給量

一定下での) 乗数の過大評価に繋がる可能性を示唆している。

第 3 節 金利がコントロールされている場合の財政乗数

前節では最も教科書的マクロ・モデルの議論に立脚し、貨幣供給量を (外生的に) 一定とした

場合の財政乗数を検討したが、ここでは名目利子率の水準が政策手段となり、貨幣供給量は内生

的に決まる場合の財政乗数を考える。その妥当性に関する議論はさておき、我が国の金融政策運

営が貨幣供給量 (特にハイパワード・マネー) の制御ではなく、利子率制御の形態で行われてき

たことは多くの論者の指摘する事実である (翁(1993)、吉川他(1993))。更に、我が国の政策運営

においては、景気刺激のための支出拡大時に同時に金融の緩和 (利下げ) が選択された事例も多

く、前節でみた利子率上昇を通じるクラウディング・アウトは (少なくとも短期的には) 現実的

でないという議論もある。その意味では、ここで考える利子率一定の下での乗数の方が、我が国

における公共投資乗数を評価するより適切なフレームになるといえる。

ここでも前節同様、財政支出の増加が国債発行によって賄われた場合を考えよう。

( )

+−−−

=

∆∆∆∆∆

+−−++−

−−

+−−

−+−

RqTdG

Ra

R

0

0

E

M

W

P

Y

P

Pm

P

Px

P

EPm

P

EP

P

dmd

P

EPmmPPx

P

EPm

P

EPmEP

P

MPY

kg

Y

k

P

Wg

L

k

PY

kYkWPY

**

1

ΔΔΔ

Δ

Δ

21

1

2

*

2

*

2

2*

2**

2

1 l

x

xx

Pl

g

f

P

P

001

00

010

00)(

0001

2

*

22

*

21

211

2

221*

21

211

21

1

この体系を解いて国債発行による財政支出の乗数を求めると今度は次の形で与えられる。

Ω

=∆∆ −

=

E

fixR

NTBPYP

kg

GY 1

21 1

(≧0) (19)

Ω

=∆∆

=

EP

fixR

NTBY

f

YP

kg

GP

121

(≧0) (20)

10 ここでは

1a が為替を増加させる程度には十分大きいことを想定している。

(18)

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( )

Ω

+

+

=∆∆ −

=

PP

fixR

L

k

PY

kYkWg

PW

Y

f

YP

kg

P

G

W1

21

1

1

121 11

Ω

+

−−

=∆∆ −

=

11

121 l

P

P

P

M

Y

fNTB

YP

kg

G

M PE

fixR

(≧0)

Ω

=∆∆ −

=

1

*

1

121 m

P

EP

P

PNTB

Y

f

YP

kg

G

EPP

fixR

(≧0)

ここでの

( )

++−++

−=Ω −

NTBRTBPP

NTBdY

fRTBmEPNTBmd

PYP

kgEEPEE

12

11

*11

121 11

は、体系(18)における左辺の係数行列の行列式の値である。ここでも前節同様、経済の安定性を

保証するためΩ >0 と仮定する。これにより、今回の体系では賃金を除く 4 本の式がいずれも正

値となることがわかる。つまり、利子率を一定に保つ金融政策をとりつつ財政支出拡大を行えば、

GDP が増加し物価が上昇するばかりでなく、貨幣供給量が増加し、為替は必ず減価する 11 わけ

である。賃金式(21)の符号については、貨幣供給量一定の場合と同様、 1k が十分小さいことで正

値になることが保証される。

ここで前節同様、公共投資乗数の大きさを規定する要因を検討しておこう。

( )

++−++

=

−= NTBNTB

RTB

P

Pd

P

P

Y

fmEP

NTB

RTBmd

G

Y

E

EP

*

E

EfixR

12

111111

1∆∆

(17)式と比較すれば容易にわかるように、この場合の乗数は(17)式において貨幣需要の利子感応

度を無限大にする )( 2 ∞→l ことによって得られる形と同一である。つまり、公共投資を行う際に

利子率を一定に止める金融政策を採れば、あたかも「流動性の罠」を生じているかの如き乗数が

実現するわけである。この場合、利子率上昇による支出のクラウディング・アウトや為替増価に

よる外需面からの乗数抑制が生じることはなく12、公共投資乗数 (但し価格固定下) は貨幣供給量

一定の場合よりも必ず大きくなる13。

次に価格調整と乗数の関係をみると、これは貨幣供給量一定の場合ほど簡単ではない。確かに

分母の内が正値であれば、前節同様価格の調整速度が高まる )( 1 ∞→f につれ乗数はゼロに収

束する。しかし内は以前とは異なり、それが必ず正であるとする仮定の現実味は薄い。例えば、

分析対象国が貿易赤字 (NTB<0) であれば内は必ず負値になり、その場合、価格調整速度

11 吉野他(1998)の理論分析では、この点が「通常予想されるものとは異なる」点として強調されている。 12 この場合、貨幣供給量固定型乗数の大きさを支配する一要因であった国際間資本移動の利子感応度 )( 1a

が乗数と無関係になっている点に注目されたい。つまり金利固定型の政策を採る限り、国際間資本移動の活発化は乗数には影響を与えない。

13 より正確に言えば、この価格不変の想定下では為替減価により乗数が 45°線型のものより大きくなる。

(21)

(22)

(23)

(24)

(25)

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が大きいと乗数は発散的に拡大する。この問題の本質は価格の調整速度が大きい )( 1 ∞→f こと

と利子率固定政策とが本来両立して持続し得ない関係であることにあると考えられる14。したがっ

て、(25) 式で表される利子率固定型財政乗数が意味を持つのは価格の調整速度が小さい場合か、

あるいは調整が小幅に止まる短期分析に限られる。(25)式が発散しない程度の大きさの 1f を前提

に(25)式のと(17)式のそれとを比較すれば、

+>

−++−−

NTBNTB

RTB

P

Pda

P

M

lNTB

NTB

RTB

p

M

lP

Pd

E

E

E

E

121

2212 )

1()

1( (26)

は必ず成立するから、価格調整が乗数に与える効果についても貨幣供給量一定の場合の方がより

抑制的になる。

以上を総合し、利子率固定型金融政策の下での公共投資乗数については次の諸点が明らかにな

った。 (以下、全て価格が暴発しない範囲において、)

イ)利子率固定下での公共投資乗数は、(価格調整の有無にかかわらず)貨幣供給量一定下での乗

数よりも大きい。

ロ)利子率固定下の公共投資拡大では為替の減価が必ず生じるため、価格調整が行われない場

合の乗数は財市場 (45°線) 型の乗数より更に大きくなる。

ハ)利子率固定型金融政策が採用されている場合、(当然のことながら)利子率上昇によるクラウ

ディング・アウトや為替増価による外需抑制が生じることはない (資本の国際間移動の活

発化も乗数の大きさとは無関係になる)。

これらのうちのハ)は、イ)とロ)の帰結がもたらされるメカニズムを再述したものに過ぎないが、

後段で行う実証分析の観点から興味深い。というのも、巷間行われている乗数低下論の根拠とし

て、利子率上昇を通じたクラウディング・アウトや国際間資本移動の活発化を背景とする為替増

価 (マンデル=フレミング・メカニズム) による外需抑制が挙げられることが希ではない。しか

しながら、本節の始めでも指摘したように、我が国の景気浮揚を目的とした財政支出拡大は利子

率固定、或いは緩和基調の金融政策とパッケージで行われるのが通例であった。とすれば、公共

投資乗数低下論の根拠をクラウディング・アウトやマンデル=フレミング・メカニズムに求める

ことはできず、むしろその立証には価格調整の迅速化、あるいは 45°線型乗数自体の低下を示

す必要が生じる。

第 4 節 財市場 (45°線) 型乗数の決定要因

前節までの分析結果は、LM 曲線や BP 曲線の傾きに表れる金融環境の変化が乗数にもたら

し得る影響が、金融政策のスタンス如何では実質的な意味を失う場合があることを示唆している。

財政拡張時に実際にどのような金融政策が採用されていたかは実証に委ねるべき問題だが、ここ

では仮に金融要因は乗数の大きさに中立的であったと想定し、その下でも乗数低下の根拠となり

得るような 45°線型乗数の変化の経路を整理する。

14 物価が急速に上昇する下で名目利子率を固定するためには貨幣供給を急増させる緩和策が不可欠だが、

そのような政策は実質金利の大幅低下につながり、支出の拡大と更なる物価上昇をもたらす。

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前節までにおける表記 )1

1(

11 mdG

Y

+−=

∆∆ が示すように、我々のモデルにおける 45°線型

乗数は比較的簡単な 2 つの要因 (国内民間の限界支出性向 1d と輸入性向 1m ) で定まる。乗数の

低下をもたらすのは、言うまでもなく、支出性向の低下、及び輸入性向の高まりである。これら

のうち後者については「輸入性向の上昇が乗数低下に作用した」という一般論15以上、新味のある

議論は見られない。一方、前者の国内民間支出については、消費や民間投資が短期的な需要変動

に反応しなくなった可能性が、リカードの等価定理等の文脈で様々に論じられている。そこでこ

こでは我々のモデルの支出 )(d 決定部分を若干拡張し、そうした経路の存在が乗数にどのような

影響を与えるかを検討しよう。

前出のモデルにおける国内民間支出 )(d を以下の構造を持った消費、及び投資に拡張する。

( ) ( )GYiTcd P ,+−Π= 0,0 11 ≧ic > (27)

( )GY ,π=Π 01 ≧π (28)

( ) TTGtT P +−= 01≧t (29)

(27)式は、国内民間支出が消費cと投資 i に分割できることを表す。消費は恒常所得仮説により、

生涯所得 (税込み) の現在価値 Π と生涯税負担 )( PT の差から定まる。投資は単純に今期の所

得に依存するものとしているが、公的支出と民間投資の代替 (または補完) 関係から直接的に生

じ得るクラウディング・アウト (またはイン) に配慮するため、説明変数 G を符号未定の形で

別途加えている 16。(28)は生涯所得と当該期所得、及び財政支出の関係を表す関数である。もし

当該期所得の変動が生涯所得に一切影響を与えなければ、 01 =π だが、一般には 01 >π である。

2π の符号は公共投資が潜在成長経路に与える効果に依存しており、もし G の拡大によって将来

の所得経路が高まるなら 02 >π 、逆に公共投資が長期的な成長阻害要因であれば 02 <π となる。

(29)は生涯租税負担に関する個人の期待形成式である。ここでは単純に、今期の財政赤字基づく

将来負担の予想 )0( 1 ≧t と当該期自体の租税負担の和で与える。

以上、3 本の式を(1)~(6)式の体系に組込み、価格他一定の下で 45°線型乗数を導出すると次

の関係が得られる。

1111

22111

11

micictc

GY

+−−++−

=∆∆

ππ (30)

やや込み入っているので、始めにこの乗数と 45°線型乗数の基本型 )1

1(

11 mdGY

+−=

∆∆ の関係

を明らかにし、その上で追加的な要因が乗数の大きさにどのように作用するかを検討しよう。拡

張モデルと基本モデルの相違は、i)生涯租税負担 pT を導入し、財政赤字がそれに影響する点 1( t

15 この一般論は我が国の実質輸入対 GDP比に上昇傾向があるという事実を踏まえると説得力ある議論に見

える。しかしながら同期間に見られた大幅な円高傾向が輸入の拡大を促した点を考えると、話がそれ程容易でないことがわかる。

16 本来は、投資にも消費同様将来見通しが大きな役割を果たすと考えられるが、ここでは議論の複雑化を避け、単純な想定となっている。また、(5)式から明らかなように、支出決定には利子率が作用する。

しかしながら、本節の趣旨は物価、為替、金利一定の下での45°線型乗数の検討にあるので、そうした変

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がゼロでない可能性) を認めたこと、ii)公共投資から支出や生涯所得へのY を通じない経路 ( 2iや 2π がゼロでない可能性) を認めたこと、の 2 点に集約できる。このことは、(30)式で

== 22 πi 01 =t とすれば、1

11111

1micG

Y

+−−=

∆∆

π (31)

が得られ、 1111 icd += π であることから容易に確認できる。

それでは新しい基本式となる(31)から出発しよう。(31)式では、乗数の大きさは a)限界消費性

向 ( 11πc )、b)限界輸入性向 ( 1m )、及び c)限界投資性向 ( 1i ) の大きさで定まる。最も素朴な形の開

放経済型 45°線モデルでは、前二者に注目して乗数の大きさが論じられることが多いが、乗数

の変化の経路としては、c)が重要であり得ることが吉野他 (1998)、森口 (1988) 等によって示唆

されている。それらに加えて、この式から読み取るべき事実は、限界消費性向 11πc が消費の生涯

所得感応度と生涯所得の当該期所得感応度に分割して理解できる点である。今、消費の (税引き

後) 生涯所得弾力性が 1 であること ( 11 =−∏C

Tc

P

)、及び生涯所得の当該期所得弾力性が 1 より

小さいこと ( 1/1 <ΠYπ ) をコンセンサスと考えれば、次の変形が可能である。

ppp TY

CYT

C

T

Cc

−∏∏=∏

−∏<

−∏= 111 ππ (32)

つまり、限界消費性向は生涯所得と当該期所得が同一視される状況で最大となる一方、当該期所

得が生涯所得にほとんど影響しない場合 ( 01 →π )、最小 ( 0= ) となる。このことは、乗数の

決定において財政支出が中長期的成長経路に与える影響 ( 1π ) が重要となりうる点を示唆してい

る。

続いて(31)の導出では排除した i) 1t がゼロでない可能性、や ii) 2i や 2π がゼロでない可能性、

が乗数に与える影響を検討しよう。これらは(30)式の分子のみに現われ、所謂乗数メカニズムに

よってではなく、初期効果を変化させる形で乗数を左右する。個別にみると i)については必ず

01 >t となることから、乗数を抑制する。これは財政支出の (国債発行での) 拡大により、生涯

租税負担の予想額が増大し、消費が抑制されるからである。この消費抑制効果は、個人が完全予

見的で支出の増分がそっくり将来の増税になると認識される場合に最大となる 17。完全予見の場

合 11 =t であり、容易に確かめられるように減税の乗数はゼロになる (リカード等価定理) が、

公共投資の場合は、分子が 0111 111 >−∏

−=−=−pT

Cctc となってプラス効果が残る。

一方、ii)については、財政支出がどのような形で生涯所得 (成長経路) や民間投資に直接的

な影響を与えるのか必ずしも明らかでなく、その符号すら確定できない。しかしながら、もし昨

今の公共投資否定論が強調するように、公共投資が非生産的対象に向かい資源の浪費をしていた

り、民間投資代替的な対象に向かって民間の投資機会を奪っているような場合には、 02 <π 、 2i

1数は捨象してある。

17ここでは期待がオーバーシュートする可能性を排除している。

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0< となり、初期効果が事実上低下して乗数が小さくなっていることも考えられる18。

以上の理論分析から明らかになった財市場 (45°線) 型乗数に変化をもたらし得る経路は次

の通りである。

イ) 公共投資乗数 (45°線型) の骨格となる、いわゆる「乗数効果」は、広く認められている

限界消費性向、限界輸入性向に加え、投資の経済規模に対する感応度 (限界投資性向) の

大きさに依存して定まる。限界消費性向や限界投資性向の低下、あるいは限界輸入性向の

上昇があれば、乗数は低下する。

ロ) 限界消費性向の大きさは、生涯所得に関する認識の当該期所得感応度に依存する。財政支

出による経済拡大が生涯所得の増大とは認識されない場合、限界消費性向は小さくなり、

乗数も低下する可能性がある。

ハ) 支出増による財政赤字の拡大が将来の増税に繋がると認識される場合、消費 (広くは民間

支出) が抑制され、乗数が低下する。この抑制効果は完全予見の場合に最大となるが、減

税の場合 (リカード等価定理) と異なり、プラス効果が完全に相殺されることはない。

ニ) 財政支出が当該期の経済規模 (GDP 水準) を経ず直接に生涯所得や民間支出系列に影響

を及ぼす場合、公共投資 (1 単位) の初期効果 (乗数の分子) 自体が 1 から乖離し、乗数

の値が変化する。こうした効果の符号は一概に確定できないが、公共投資が中長期的な成

長の阻害要因となっていたり、代替により民需を直接的にクラウド・アウトしている場合、

乗数は低下する。

第 3 章 個別経路の歴史的検討 (過去の経済対策時点に関する回顧)

前章における理論的整理を踏まえ、以下では公共投資乗数に変化が生じた可能性について実証

的接近を試みる。本稿で行なう実証分析は大きく 2 つの異なった形態による。まず本章では、戦

後の日本において裁量的な需要拡大策としての財政政策が実際に採用された時点を特定し、そこ

で生じていたであろう乗数メカニズムを個別エピソード毎に検証する19。「近年、我が国の公共投

資乗数は低下した」とする議論が過去と現在の比較を意味する命題にかかわるものである以上、

過去の公共投資拡大エピソードを適正に評価しておくことは必須の課題であろう。次章では、本

『経済分析』の中核でもある計量モデルに基づき、公共投資乗数が変化している可能性を検討す

る。

第 1 節 70 年代以降の日本における景気対策

公共投資の経済効果を実証的に把握しようとする以上、公共投資拡大が実際に景気対策として

活用された時点 (エピソード) を確定する作業は避けられない。我が国における景気対策として

18 言うまでもないが、 02 >π 、 02 >i の場合には初期効果が事実上拡大し、通常の 45°線型乗数以上の

効果が生み出される。 19 ここでの分析の基本コンセプトは、米国の金融政策に関する Romer and Romer (1989)に負う。日本の財政

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の公共投資は、本予算での公共事業の施行方針、あるいは秋の景気対策の形で陽表的に決定され

るものだから、その時期の特定は論を待たぬ自明の作業に思われるかもしれない。驚くべきこと

に、我が国における「裁量的な需要拡張策としての財政政策」の発動時期に関しては、研究者の

間にもコンセンサスがない。極論では、野口 (1984、1996) の「戦後日本の経済政策からケイン

ズ政策の実例を見出すのは困難」との主張がある 20一方、岡崎 (1996) は「1965 年以前の黒字財

政下でも当局には裁量余地があり、不況期の支出拡大が行なわれた」と論じる。その他多くの論

者 (黒坂・浜田 (1984)、井堀 (1984)、浅子 (1997) 等) は概ねこの両者の中間に位置するが、

それとて政策発動時点について合意があるわけではない。政策発動時点に関するこうした認識の

バラツキは、それ自体興味深いが、論者ごとに一様でない裁量性の定義等微妙な問題から生じて

おり、ここで議論を重ねても得る所は少ない。そこで本稿では、「戦後の日本には、裁量的財政

政策が反循環的に活用された事例が複数ある」という命題を前提とした上で21、比較的合意が得

やすいと思われる 4 回の拡張的政策を以下に述べる基準で選定し、それらの各拡張政策時に乗数

メカニズムがどのように働いていたかを検討する。

表 2-2 は、1970 年以降 22における我が国の景気循環の状況 (「網掛」部分が後退局面 23) と、

その関連で示された各種経済政策 (財政・金融) の大枠をまとめたものである。1970 年夏にピー

クをつけた第 6 循環の下降局面以降、日本経済は (1996 年までに) 計 6 回の景気後退を経験し

ている。一方、政策面を見ると、タイミングに前後はあるものの、その一つ一つの後退局面全て

に関連して何らかの政策対応が公表されている。こうした対応には必ず公共事業促進の方針が含

まれており、70 年以降の当局に「景気後退時には拡張的支出 (のアナウンス) が必要」との認識

が一貫してあったことが示唆される。

それでは 6 回の後退期に全てケインズ的拡張政策があったのかというと、話はそれ程単純でな

い。というのも、公共事業促進のアナウンス自体は、我々が理論モデルで単純に想定する公共投

資の拡大を必ずしも意味していないからである。図 2-1 は 1965 年以降の我が国における公的

資本形成対 GDP 比 (実質) 並びに一般政府財政収支対 GDP 比 (名目) の推移を示している。図

から容易に読み取れるように、景気刺激策公表時の全てにおいて公的投資 (対 GDP 比) の拡大

や財政バランスの悪化が生じているわけではない。顕著な例は 1980 年 2 月から 83 年 2 月にみら

れた第 9 循環の下降局面で、この際には 36 ヶ月に及ぶ戦後最長の景気低迷に対し累次の対策

がアナウンスされたにもかかわらず、公的投資比率は年々低下し、財政収支はむしろ改善してい

政策について同様の歴史的評価を試みた例として富士総合研究所(1998)が興味深い。

20 土井 (1986) は計量的手法により同様の主張を行なっている。 21 Asako, Ito, and Sakamoto (1991) は、予算規模や国債による資金調達率が経済成長率に反応するという意

味においてファインチューニングが行われていたことを計量的に示している。逆にもし野口の言うように、戦後日本においてケインズ政策が行われたことがないのであれば、「乗数の低下」を問うこと自体無

意味になる。 22 対象期間をより広げた場合、1965 年の均衡財政主義離脱も検討すべき時点となる。本稿で期間を 70年以降に限定したのは、a)本稿が安定成長移行後の乗数変化に注目していること、b)65 年は安定的固定相

場制下にあったという意味で 70 年代以降とは対外環境が違うと判断されること、そして何よりも c)データ数に制約が生じ、後の計量分析に困難をきたすこと、による。

23 経済企画庁調査局の「景気基準日付」による。

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た。

6 回の後退局面にはこの他にも財政面からの積極政策と容易には判定しかねるケースがある。

例えば 1974年の後退時には一般政府赤字の大幅悪化が認められるものの、公共投資対 GDP 比は

73 年の急落後部分的な反動を示した程度であり、景気を意識して高水準に維持されたとはみな

し難い。また、1985 年後半~86 年にかけての円高不況期には、公共投資対 GDP比の減少トレン

ドに反転が生じたものの、財政赤字は縮小方向にあった。これらのうちの前者にあたる石油危機

後の赤字拡大について前出の野口は、税収の落込み及び 70 年前半に始まった歳出膨張 (社会保

障、食管費) を受けた受動的なものであり、積極的な対策の結果ではないと主張している。図 2

-2 はこうした判定困難を脱する一つの手掛かりとすべく、財政収支対 GDP 比の対前年度比変

動とその要因分解 (分類はモデル変数ベース) を示したものである。これによれば、74~75 年の

赤字拡大が、野口の主張するように、消費的経費の増大や税収減によるものであり、公的投資が

積極的に行なわれた結果ではないことが確認できる。一方、85 年後半~86 年の判定は更に微妙

である。80 年代の財政運営では赤字公債からの脱却が最大のテーマとされた。シーリング等を

通じた 80 年代前半の歳出抑制は図でも顕著に読み取れ、80 年代始めの後退局面に (事実上の)

公共投資抑制が行われた点は既に指摘した。85 年後半以降の対策は、このような抑制トレンド

を押止め反転させたという意味で景気刺激的だったと言えるが、実質規模は小さく、タイミング

にも遅れ馳せの観があった。

以上を総合的に判断し、本稿では第 6、第 8、第 10、第 11 循環時における景気後退局面での

景気対策 (70 年後半~、77 年初~、85 年半ば~、91 年後半~) をケインズ的支出拡大策である

とみなす。選択の基準はこれまでの議論でも明らかなように、a)景気後退局面において、b)政策

のアナウンスを伴いつつ、c)前後のトレンドを超えて公的投資が拡大されていることである。公

的投資を微増させつつもトータル・バランスは改善傾向にあった円高不況時をケインズ的支出拡

大に含めることには異論もあろうが、理論編における議論も示す通り、公的投資の拡大は財政収

支に中立な場合にも総需要に正の効果をもたらす (財政均衡乗数)。以下では、景気後退時にお

ける公的投資の拡大が (そのファイナンス手段の如何を問わず) もたらした効果に注目するこ

ととし、85 年半ばからの対策を含めた 4 回のエピソードを分析する 24。

第 2 節 景気対策時における乗数関連諸変数の動向 前節で特定した 4 回の公的投資拡大が我々の関心対象たる「裁量的な需要拡張政策としての財

政政策」に相当するという点で合意できたとして、次になすべきことは、そうした政策の効果が

時代を経るに従い変化しているか否かを検証することである。また、仮に変化が生じているとす

れば、それがどのような経路でもたらされたかを考えることも重要だろう。しかしながら、既出

の理論モデルも示す通り、乗数の低下をもたらし得る経路は、価格調整、内外需のクラウディン

24 もし 85 年のエピソードがケインズ政策でないということになれば、80 年代には景気浮揚目的の財政

拡張は一度たりとも行われなかったことになり、例えば、「80 年代から 90年代へかけて乗数が低下し

た」という主張は、架空の過去と現在とを比較する検証不能な命題になってしまう。

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グ・アウト、45°線型乗数自体の低下等多様であり、それらの可能性全てを識別して逐一検討す

ることは容易ではない 25。何等かの形で検討対象を減らすことはできないか。幸いなことに、2

章 3 節の理論モデルは、支出拡大時に利子率固定型金融政策が採択されていれば、利子率上昇に

よる (間接) クラウディング・アウトや為替増価による外需抑制の可能性を乗数低下の根拠から

排除できることを示唆している (短期に限定すれば、更に 01 →f となり、価格調整の影響も無視

できる)。したがって、我々が第一になすべきは、選択した 4 回のエピソードにおいて金融政策

が実際にどう運営されていたかを確認することである。

1.ケインズ政策発動時における金融政策

財政拡張時において、並行する金融政策の運営はどのようなものであったか。この点は、対策

前後の金利為替動向の観察、あるいは前節のエピソード選択に用いた表 2-2 の見直しで確認で

きる。表 2-2 から出発しよう。

表からまず読み取れるのは、我々が選択した時期 (70 年後半~、77 年初~、85 年半ば~、91

年後半~) に公表された対策の 4 回中 3 回 (一番目を除く) で「金融緩和」が公に謳われている

点である。このことは、我が国の経済運営において、金融調整が財政と並ぶ政策手段として認識

されており、しかも両政策を同方向に (不況時には拡大方向に) アナウンスするのが通例であっ

た事実を示している。

金融緩和は単なるアナウンスに止まらない。表 2-2 の最右列には、当局のスタンス変更を随

意に反映する公定歩合のデータを掲載している。興味深いことに (ある意味では当然だが) 、こ

のデータについて、4 回のエピソード中 4 回とも公定歩合の低下が確認できる。つまり、支出拡

大時に敢えて金融緩和が選択されているのである。しかも対策時に見られるこうした利子率の低

下にはある程度持続性があり、公共投資拡大後、更には景気反転の後まで低下が継続することが

確認できる。選択された 4 時点についてみれば、 (後退期入り後最初の) 公共投資拡大から公定

歩合の反転上昇までの期間は最短でも2年を超えており、1~2年程度の短期乗数を考える限り、

利子率上昇によるクラウディング・アウトが重要であるとは考え難い26。

一方、もう一つの潜在的な (間接) クラウディング・アウト経路である為替レートの影響はや

やパラドックス的である。理論モデルに基づく限り、拡張的金融政策下での財政拡張が円増価に

よる外需クラウディング・アウトをもたらすことはない。しかしながら、図 2-4 に示した為替

レートの推移からは、4 回のエピソードで一貫した円高傾向が読み取れる。この点には一層の検

討が必要だが、a)当該時点における円高傾向は拡張政策発動の以前から認められること、b)4 回

のエピソード中少なくとも 2 回 (70 年~のニクソン・ショック、円切上げ、85 年~の円高不況)

25 太田 (1995a,b) は「財政政策の有効性」に変化をもたらし得る諸経路を網羅的に検討している。 26 利子率の拡張財政への反応を公定歩合で判定することには異論があるかもしれない (公定歩合は市場利

子率動向と隔離して留め置くことも可能である) 。図 2-3 は同期間における我が国の長短金利 (短期利

子率として CD金利、長期利子率として 10 年物国債利回り) 動向を公定歩合、及び公的資本形成の推移と重ねて示したものである。我々の注目する 4時点に関し、市場利子率が公定歩合と乖離して上昇す

る様子はみられない。その意味で、我が国で 1970年以降採られた拡張的財政政策は、金利固定かあるいは

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では寧ろ円高状況を主因に拡張政策が選択されたと考えられること、c)既述の通り、拡張政策時

に利子率は低下しており、マンデル=フレミング的メカニズムは働いていないこと、等を考え合

わせれば、観察された円高は財政拡張の結果ではないと暫定的に推論できる。更に後段の第 11

循環に関する検証では、直近の対策時 (91 年後半~) において当初外需が景気の下支えになって

いた点が示される。こうした事実に基づけば、「近年乗数の低下が生じている」という命題が仮

に正しいとしても、それがマンデル=フレミング・メカニズムの強化による外需抑制の結果であ

るという議論は到底受入れ難い127。

2.公共投資拡大と民間需要項目の動向:VAR 予測による検証

金融変数を通じた間接クラウディング・アウトが乗数を変化させる (とりわけ低下させる) 主

要経路足り得なかったとすれば、我々が検討すべき次の課題は 45°線型乗数 ((30)式) が変化し

た可能性である28。

議論が 45°線型乗数に限定されたとはいえ、2 章 4 節での議論が示唆するように乗数が変化

する経路は無数にあり、それら一つ一つを識別して検証するには膨大な作業が必要になる 29。そ

こで本項では、メカニズムの構造的な解析は放棄し、敢えて誘導形に見出される関係について公

共投資拡大が民間需要に与えた影響に注目する。乱暴な議論ではあるが、公共投資が民需にプラ

スの影響を持つ場合に乗数は 1 を上回り、影響がなければ乗数は 1、マイナスの影響であれば 1

より小さくなる ((30)式における乗数の低下メカニズムが如何様なものであれ、乗数の変化は誘

導型における民間需要の公共投資に対する反応に表れる)。以下ではこの視点に立ち、民間需要

項目の公共投資拡大に対する反応を (エピソード毎に) VARモデルによる予測の結果も交えつつ

検証し、乗数低下論の妥当性を探る。

2.1 第 6 循環の後退局面 (70 年後半~)

いざなぎ景気の終了 (70 年 7 月) から始まった第 6 循環の後退局面は、米国の保護主義化、更

には 71 年 8 月のニクソン・ショックで追い討ちを受け、設備投資の落込みと輸出の鈍化を主因

に深刻化した。この時期の拡張的財政政策については、その当初の目的が円切上げ回避にあった

点は多くの論者の一致するところであるが、それが (円切上げ後まで含め) 国内的に適切であっ

たかは意見が分かれている (小宮 (1988)、野口 (1996) )。いずれにせよ、この時期における政

府の対応は迅速で、71 年当初には既に積極財政が意思表示されており、その後インフレが顕

それよりも緩和基調の金融政策下で実施されたと判断できる。

27 1995 年度の『経済白書』は、計量的手法 (回帰、VAR) に基づきつつ、我々と同様の結論を導いている。 28 本項の分析は専ら価格変動の効果を度外視できる短期 (1~2 年程度) に焦点を当てている。価格変動が

影響を生じる中長期の乗数については次章の計量モデルにおける乗数の議論で触れる。 29 45°線型乗数低下の一要因となり得るリカード等価定理の妥当性については、井堀・黒坂 (1987)、加藤

(1998) 他数多くの先行研究がある。本間 (1991) は「中立命題」に関する内外の実証分析を広くサー

ベイした後、自らも分析を行い、ミクロ・データを用いれば命題は棄却できる (マクロで「中立命題」成立の有無を結論づけるのは危険) と論じている。赤井 (1996) は日本特有の地方制度を考慮したモデ

ルの下で他方債の中立命題を検証し、総合的に見て公共政策は消費刺激効果を持ったと結論している。

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在化する 73 年当初まで拡張姿勢が継続した。

ではこの時期の公共投資拡大はどの程度の乗数効果を持ったと評価できるだろうか。拡張政策

が採られた前後の時期の需要項目の推移を見る限り (図 2-5-1)、公共投資が呼び水となって民

間需要が喚起されている姿を想像するのは必ずしも容易ではない。設備投資は 72 年一杯低迷し、

消費も従前からのトレンドでの緩やかな増加に止まった。71 年末以降の住宅投資の急増が民需

回復の端緒となったことに異論は少ないと思われるが、タイミング、規模、また住宅投資の本来

的性質 (消費等に比べても一時所得の変動を受け難いと思われる) 等に鑑みてこれが公共投資

拡大の呼び水効果によるものか否かは判定が難しい30。

次に VAR 予測を活用して計量的な評価を試みよう。図 2-6 は、政策発動時期から過去 15 年

間 (本エピソードのみ1961 年第 II 四半期から1973 年第 III 四半期までの 12 年半) で推定した

VAR (内生変数は GDP、個別民需項目、M2CD、及び IG、各変数のラグは 4 期) モデルを用い、

拡張政策を (最初に) アナウンスした時点 (本ケースでは 70年第 IV 四半期) 以後のダイナミック

予測 (M2CD のみ外生扱い31) を作成し、その予測と実績値との乖離 (実績÷VAR予測) を描いた

ものである (図中の細実線)。この乖離は、シミュレーション開始時点以降に生じた貨幣政策以

外の全ての構造ショックが経済に与えた影響を表している。本エピソードに関する図 2-6-1

からまず明らかな点は、公的固定資本形成の予測が過少となっている点である32。このことは、

この時期の公共投資が過去のパターンに比べ明確に拡張的であったことを示唆している。一方、

民需項目 (特に内需) はいずれもトレンドを下回る推移であった。つまり、景気は後退期にあっ

て民需には明らかなネガティブ・ショックが生じていたわけである。

それでは公共投資の拡張は民需にどういう影響を与えていたか。それを知るには、上述の VAR

予測において公的固定資本形成 (IG) を実績で外生とした場合に、各民需項目の予測値がどう影

響されるかを検討すればよい33。結果は図の点線の通りで、乗数低下論の (かつての乗数は大き

かったという) 観点からは意外なものである。すなわち、1961 年第 II 四半期から 1973 年第 III

四半期までのデータで推定された VAR モデルに基づく限り、本エピソード時における公共投資

の民需呼び水効果はゼロに近い。しかも、回復の主動力となった民間住宅需要に関してはマイナ

スの影響すら及ぼした可能性が示唆されている。

この時期の対策 (特に 72 年以降) については、国内均衡下での対策であり、インフレーショ

ンを引き起こしマイナスであったという議論もある。そうした局面がこの結果にどのような影響

を与えたかは必ずしも定かではないが、以上の材料は、本エピソード時における公共投資の呼び

水効果が極めて限定的であった (あるいはほとんどゼロであった) 可能性を示唆すると思われ

る。といって、逆に民需をクラウド・アウトする程マイナスの影響を与えたという証拠も見出せない

30 富士総研 (1998) は、この時期の住宅投資の増加を金利低下の影響であろうと論じている。 31 ここで M2CD外生の予測をベースラインとしたのは、金融政策スタンスの違いが財政支出拡大効果に与える影響を排除するためである。

32 IGについては、各民需項目ごとのモデルに対応して別々予測となり得るものだが、実際の予測誤差は何れのモデルでも大差ない結果となる。ここでは紙面を節約するため、GDPと M2CD (実質) 及び IGの3変数 VAR モデルでの予測誤差を代表して掲載している。

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(個別項目の結果を合計して作成した民間需要全体の図 2-6-1-ト)を参照)。したがって、この

時期の (短期) 乗数は慨ね 1 前後であり、対策は応分の下支え効果を持ったと評価するのが妥当

であろう34。

2.2 第 8 循環の後退局面 (77 年初~)

円切上げ、更には石油危機という 2 回のショックを契機として、日本経済は高度成長の時代を

終え、安定成長期に移行した。75~76 年の緩慢な回復期を経て、77 年に景気が再び弱含むと政

府は立続けに拡張的経済対策を公表し、需要喚起を試みた。この対策について、野口 (1996) は「経

常黒字圧縮のための積極財政であり純輸出をクラウド・アウトしただけ」と否定的だが、大方の

評価は「裁量的な景気対抗策であり自律的成長軌道への回復に寄与した」と好意的である (黒

坂・浜田 (1984)、岡崎 (1996)、鈴木 (1996)、森口 (1988) )。

景気後退期が短かかった反面、消費、投資ともに回復のテンポは緩やかであった (図 2-5-

2) ため、回復の切っ掛けを特定の需要項目に定めるのは難しい。一方、外需面は (対策後) マイ

ナス方向に大きく振れており、野口の主張と部分的に符合する状況であった事がわかる35。

次に VAR 予測の結果をみよう (推定期間は 1965 年第 II 四半期から 1980 年第 I 四半期までの

15 年、図 2-6-2 参照) 。公的固定資本形成の予測が過少になる点は以前と変わらない。すな

わちこの場合にも過去のパターンからの予測を上回る積極的公共投資が実施されている。また民

需について (当初) ネガティブ・ショックがあった点も以前同様である。しかしながら、公的固

定資本形成を実績値で外生とした予測では、消費、住宅投資等に公共投資の民需押上げ効果が認

められる。一方、投資は当初若干プラス方向への反応を示した後、1 年半を過ぎたあたりからマ

イナスに反転している。外需面は (円高等を反映するネガティブ・ショックに比べれば小さいが)

輸出に乗数抑制的な反応がみられ、一部に対策効果の漏れが生じていたことが窺える。

以上を総合した民間需要全体の公共投資に対する反応は、当初 2 年程度は若干のプラス効果が

みられるものの、極めて小幅なものに止まった (図 2-6-2-ト)を参照)。この際乗数がどの程度

だったかは必ずしも明らかではないが、民需計がプラスに反応している当初 2 年について若干 1

を上回る値であったと考えられる36。

2.3 第 10 循環の後退局面 (85 年半ば~)

プラザ合意後急激に進行した円高は、85 年半ばから「円高不況」をもたらした。円高という

33 ここでの前提、及び考え方については、第 2 部末の補論を参照。 34 中長期の乗数については、供給制約があり物価上昇が見られていることから、1を切ってゼロに近づく

ケースも想定できる。しかしながら、VAR 予測に基づく限り、そこまでの (直接的) クラウディング・

アウトは確認できない。 35 この外需減は概ねその時期に生じた大幅な円高によるところが大きいが、この円高は拡張的財政政策が

採られる以前の時期から日米金利差の動きとは矛盾する形で生じており、公共投資拡大下でのマンデル

=フレミング・メカニズムの結果であるとは考え難い。 36 富士総研 (1998) では、建設業及び建設財に焦点を当てた歴史分析により、我々と同様に「呼び水効

果」を否定している。

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明確なシグナルがあったこともあり、経済対策は景気のピーク・アウト後間もなくアナウンスさ

れたが (85 年 10 月の「内需拡大に対する対策」)、一方で 80 年代を通じたマイナス・シーリン

グ基調の下での対策であったため、公共投資の出足は鈍く、公共投資拡大が実質的にみられたの

は、景気底入れ (86 年 10 月) 後の 87 年半ば以降となった。

この時期の民需の動向を見ると、まず外需の大幅な落込みが目を引く。こうした外需低迷の主

因は (外生的な) 円高にあり、87 年までの小規模な拡張政策がそれに大きく作用したとは考え難

い。一方、内需では消費、設備投資がともに小康状態にあり、落込みは小さかった反面、回復テ

ンポも緩慢だった。遅れ馳せの対策発動があった 87 年後半以降、設備投資の拡大が見られるが、

これは過度の金融緩和がもたらしたバブル経済入りによる所も大きく、財政拡張がきっかけにな

ったとは考え難い。唯一、住宅投資が対策発表と軌を一にした 86 年からの回復を示しているが、

タイミング的にみて公共投資の拡大よりも早く (また規模も大きく)、住宅金融公庫の融資枠拡

大や住宅ローン金利の低下に促された面も大きい (以上、図 2-5-3 参照)。

VAR 予測の結果 (モデルは 1973 年第 IV 四半期から88 年第 III 四半期の推定、図 2-6-3) は、

公共投資が民需に与えた影響の点で、これまでの 2 つのケースとはやや異なっている。まず公共

投資については、他の対策時点に比べ支出拡大は小さかったにもかかわらず、再び過少予測が得

られる。すなわちこの時期にも過去のパターンからの予測される以上に積極的な公共投資が行わ

れていた。更に対策が遅れ馳せであったことに対応し、予測誤差は 87 年半ば以降大幅に拡大す

る。民需に関しては、設備投資及び輸出に大きなネガティブ・ショックが観察される一方、消費

及び住宅投資にポジティブ・ショックが発生している。民需の公共投資に対する反応をみると、

消費、投資にプラス効果がみられ、これが輸出にみられる若干の抑制効果を上回る結果、民間需

要が 2 年目あたりから 1%近い押上げ効果を受ける形になっている。しかしながら、本循環の回

復局面で主導的な役割を果たした住宅投資についての影響はゼロに近く、本ケースにおいても公

共投資の呼び水効果がそれほど大きかったとは考えにくい。対策 (財政支出) は下支え効果を持

ったが、後のバブル経済の呼び水となったのは別の要因 (ルーズな金融政策等) であったと考え

る方が現実的であろう。

2.4 第 11 循環の後退局面 (91 年後半~)

80 年代の後半に急騰した日本の資産価格は 90 年代に入ると急落し (バブルの発生と崩壊)、日

本経済に戦後最大級の不況をもたらした。資産価格の下落と価格低迷はバブル後の「バランスシ

ートの悪化」を生じ、不良債権問題や企業倒産が顕在化させた。政府は 92 年 3 月の「緊急経済

対策」を皮切りに、立続けに戦後最大規模となる拡張政策を打ち出し景気回復を図ったが、その

後も経済の足取りは重く、「対策の効果が低下した」という議論が巷間広く聞かれた。

平成不況における民間需要の低迷は、これまでに見た 3 回の不況期と比較しても、深刻かつ長

期に渡るものであった。特に設備投資の落込みは顕著で、循環が底に達する 93 年第 IV 四半期ま

で低下を続け、低下幅はピーク比で 2 割に達している。この落込みに対する民間エコノミストの

評価は「投資ブームの反動としての大規模なストック調整」というものである (三和総研 (1995)、

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さくら総研 (1995) )。一方、消費は期間中安定的に推移し、結果としてGDP 構成比を高める結果

となった。外需は当初内需の落込みを受ける形で増加 (輸入減) を示すが、同時期に円高が進行

していたこともあり、93 年以降減少に転じた (以上、図 2-5-4)。

VAR 予測 (モデルの推定期間は 1980 年第 I 四半期から 94 年第 IV 四半期の 15 年間、図 2-6

-4) の結果は、ある意味で上段の観察を補強する材料となった。まず公的資本形成に関する過

少予測は 92 年から 94 年に安定して生じ、戦後最大規模の拡張政策を裏付けている。一方、民需

については設備投資、及び 93 年以降の輸出に大きなネガティブ・ショックがあったことが見出

せる 37。我々の最大の関心事は言うまでもなく民需の公共投資に対する反応である。公的資本形

成を実績で外生扱いした予測を見ると、消費、住宅投資及び輸出は僅かながら公共投資からプラ

スの影響を受けていた一方、設備投資は若干のマイナス効果を被っており、総体としての民需は

ゼロかややマイナスの反応が見られた。

以上を総合すれば、平成不況時における公共投資についても、景気後退を緩和して最終需要の

低下を押し止める下支え効果はそれなりにあったと考えるのが妥当に思われる。需要項目別に見

れば、設備投資の落込みが顕著だが38、それにはバブルの反動という面が大きく、公共投資によ

る直接的なクラウディング・アウトが主因であったとは考え難い (公共投資がなければバブル期

の投資が継続したとは考えられない)。つまり、90 年代の対策においても公共投資の下支え効果

は以前同様に機能していたが、同時期に (公共投資拡大とは独立に) 生じていたバブル崩壊等の

ネガティブ・ショックが (従来比で) 大きかったことにより相殺され、あたかも公共投資の効果

が小さかったごとく受取られたのである。

第 4 章 マクロ・モデルにおける乗数の変化と理論及びモデル構造の変遷

「バブル崩壊後の日本経済において公共投資の効果が低下した」という主張は学会に止まらず、

官民エコノミストを巻き込んだ広範な議論を呼んでいる (吉野他 (1998)、建設経済研究所

(1997)、さくら総研 (1995)、三和総研 (1995)、第一勧銀総研 (1996)、富士総研 (1998)他多数)

が、それらの論点は、対策における「真水」の量の問題から、公共投資の生産誘発係数、更には

ケインズ的意味での所謂「乗数」の変化まで多岐に渡っており、ここでその全てをカバーするこ

とはできない。以下ではマクロ計量モデルの活用に直接関わる、ケインズ的意味での乗数の変化

に焦点を当てた議論を行う。

37 図 2-5-4 に見られる大幅な落ち込みにもかかわらず、住宅投資にネガティブ・ショックが見られず、また設備投資のそれも比較的小幅に止まっているのは、予測の起点を対策時としている関係上、対策発動が遅かった本後退局面では予測の発射台自体低くなっていることによる。

38 吉野他 (1998) は、近年乗数が低下した根拠として 91 年 3Q以降、投資の GDP感応度が大幅低下した点を挙げている。しかしながら、吉野らが主張する乗数低下は 3 前後から 1 近傍への低下であり、1を下

回る一層の低下には (感応度の低下では不足で) 直接クラウディング・アウト等民需へのマイナス効果

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第 1 節 マクロ・モデル乗数とモデル構造の変遷 38

ケインズ的な意味での乗数が低下したか否かについては、既述の多岐に渡る議論にもかかわら

ず、定説がないのが現状である。議論が収束しない一つの大きな理由は、乗数低下を具体的に示

す実証分析の困難さにある。乗数は 2 章の理論分析も示すように極めて多くの要因の相互作用に

より決定されているが、そうした要因一つ一つの分析 (例えばリカード等価定理の検証) は必ず

しも総体としての乗数の把握に結びつかない (別の要因で相殺されている可能性がある)。乗数

低下論の大半は、その時代論議 39 の蓋然性とは裏腹に、実証的裏付けが十分とは言い難い状況

に甘んじている。

こうした困難の下で、経済企画庁経済研究所の日本モデル (増淵他 (1995) 等) に見られる「乗

数の低下傾向」が乗数低下論の実証的根拠として広く活用されている40。乗数は既述のように複

数要因の相互作用による合成物であり、その意味でマクロ体系を包含する計量モデルによる総合

的評価こそ相応しい。しかしながら、これだけ広範になされる乗数低下論の大半が唯一のモデ

ル乗数に依拠しているとすれば、この際その「低下傾向」の意味を再検討しておいたほうがよい

だろう。

1.推定パラメータ型マクロ計量モデルに見られる乗数の変遷とモデルの枠組み

表 2-3 は、我が国において継続的に推定され、かつその結果が入手可能な主要モデルについ

て、その公共投資乗数 (名目及び実質) の変遷をまとめたものである。個々の数字には公表主体

ごとの差があるものの、マクロ計量モデルにおける「乗数の低下傾向」は主体の如何に拘わらず

共通して観察できる。伴 (1996) はこれらのうちの経済企画庁の 2 つのモデルを素材としつつ、

イ)第一次石油危機を挟み乗数が大きく低下した、ロ) (1 年目の乗数は比較的安定している一方、) 2、

3 年目の低下が著しい、ハ)第一次石油危機後の低下幅は相対的に小さく、最近では増加する例も

ある、ニ)乗数の大きさは推定期間のみでなく、モデルの枠組みに大きく依存する、といった点を

指摘している。

我々はこのようなモデル乗数の変遷からどのような情報を読み取るべきだろうか。伴によるイ)

の指摘は、石油危機を挟んだ乗数低下の実証的根拠と受取られるかもしれない。しかしながら、

70 年代前半までのモデルと後半以降のモデルの比較には、ニ)の指摘であるモデルの枠組が大き

く影響してくる。太田 (1995a) も指摘するように、70 年代前半以前のマクロ計量モデルでは供

給ブロックや金融ブロックの重要性は認識されておらず、物価上昇や金融面からの乗数抑制は全

が必須になる。 39 例えば、財政制度審議会による「財政の基本問題に関する報告」 (1995 年 12月 12 日) は、「冷戦の終了、

東アジアなどの新興経済国の急速な発展は、約 20 億人もの人々の世界市場への参入を意味し、世界的な需要・供給構造の変化をもたらし、変動相場制への移行、国際資本移動の自由化、グローバル化によるマーケットの価格調整機能の向上等と相まって、財政政策の需要喚起効果を相当程度減殺するようにな

ってきている」と主張している。 40 乗数低下論に絡め経済企画庁のモデルを引用している例として、田村編 (1996)、三和総研 (1995)、伴

(1996)、建設経済研究所 (1997)、加藤 (1998) 他が挙げられる

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く生じないモデル構築が行われていた41。したがって、70 年代以前に考えられていた (またモデル

で計測されていた) 乗数は今日的な意味で過大評価であった可能性が高く、そこからの低下は

(事実としての乗数の低下を意味するのではなく)我々の事実認識の変化を反映しているに過ぎ

ないかもしれない。

モデルの枠組みに生じた変化は、ロ)の事実の理解にも大きく関わってくる。理論分析と対照す

れば明らかな点だが、70 年代半ばまでのモデルで無視されていたのは、主として中長期の乗数

を抑制するメカニズムである。だとすれば枠組みの変更によって 2~3 年目の乗数に低下が生じ

る一方、1 年目の乗数の変化が小さいのは当然の結果と言える。つまり、マクロ計量モデルの乗

数に顕著に読み取れる低下傾向のうち、もっとも劇的な部分 (石油危機前後の差、長期乗数の低

下) は、現実の経済の変化ではなく、主としてマクロ経済構造に関する我々の認識の変化に関わ

っていた可能性が高い。

以上を踏まえれば、過去の計量モデル乗数による政策効果の比較は、ハ)の論点、すなわち第一

次石油危機後に見られる比較的穏やかな乗数変動に限定された場合にのみ意味を持つ。そこで、

比較の範囲を (推定期間に 80 年代を含む) 安定成長移行後のモデルに限定した場合、乗数の低

下傾向はかなり減殺される。特に 1 年目に関わる乗数は、実質 1.1~1,4、名目 1.1~1.5 の範囲を

上下しており、低下しているというよりは安定しているとみるのが相応しい。2~3 年目の乗数

については、若干の例外もあるが穏やかな低下がみられ、特に実質乗数のピークは近年になって

3 年目から 2 年目へと移動した。

安定成長期後のモデルに見られる中長期乗数の低下の解釈は期待されるほど直截的ではない。

確かにこの時期のモデルでは石油危機前後のような枠組みの根本的変更は生じていない。その意

味で、観察される 2~3 年目の乗数低下は現実の経済構造の反映と解釈できるかもしれない。し

かし一方で、この時期に見られる乗数の低下は石油危機前後の変化に比べればずっと小幅で、モ

デル設計のマイナー・チェンジによっても生じ得る範囲のものである。事実、70 年代後半から

80 年代にかけてのマクロ経済学における一大潮流は古典派の復活であった。計量モデル作成者

が世捨て人でないとすれば、モデル設計がそうした潮流から影響を受けないことこそ驚くべきで

あろう。だとすれば観察された中長期乗数の低下にはモデルでの古典派的特徴の採用が影響して

おり、事実として生じた乗数の低下は安定成長期後のモデル乗数に見られるそれより更に緩やか

であった可能性が高いことになる。

モデルの枠組みが乗数にもたらす影響を認めた上で、我々は最後に、安定成長期以降後のモデ

ルに見られる「1 年目の乗数の安定性」を強調しておきたい。この安定性が確認されるのは、表

2-3 に示した各種機関の乗数比較に限らない。我々自身、今回公表モデル作成の研究途上にお

いて様々な試行を行い、多様な構造のモデルを検討した。そうした作業経験から判断すれば、推

定パラメータ型計量モデルの 1 年目の乗数が 1~1.3 程度に収まる蓋然性は極めて高い。つまり

41 一例として、小林他 (1974) によるパイロット・モデル SP-15 は、財政拡張に際し、全く価格が上がらない (寧ろ低下する) 初期ケインズ型の構造になっている。加えて、利子率、貨幣供給は互いに独立

に外生で与えられており、ほぼ完全な 45°線型乗数が計測されていたと考えられる。

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公共投資はそれ自身の規模、プラス若干程度の浮揚効果を当該年の経済にもたらすわけである。

一方、2 年目以降の乗数についてはモデルの設計に応じた変化が大きく、幅を持った理解が必要

と感じられた42。つまり、公共投資が経済に中長期的にどのような影響をもたらすかは、公共投

資がどういった用途に向けられるべきかも含め、今後の検討と研究成果が待たれる分野である 43。

2.合理的期待 (モデル整合的期待) とモデル乗数

モデル乗数に大きな影響を与え得るモデルの枠組み変更の一つとして、合理的期待 (完全予見、

あるいはモデル整合的な期待) の採用がある。新保 (1996) は前向きの期待が政策効果に与える影

響を強調する文脈で、合理的期待を織り込んだ幾つかの国際機関のモデルの乗数が 1 年目でも 1

を切る結果になっている (3 年目までに効果はゼロないしマイナスとなる) 点を指摘している。

モデルの枠組み変更 (ここでは合理的期待の採用) が乗数に影響を与えるという指摘は前項

での我々の主張とも共通しており、異論はない。問題は 1)合理的期待の採用がモデル乗数にど

のような影響を与えるのか (モデルの期待を合理的にすれば、乗数の低下が必ず生じるのか)、

また 2)合理的期待が現実認識としてどれほど妥当であるか、という 2 点にある。以下それぞれ

について検討しよう。

2.1 合理的期待の採用がモデル乗数に与える影響

期待が前向きである場合公共投資乗数が小さくなるという認識は目新しいものではない。合理

的期待形成仮説は 1970 年代末「政策はそれが予想されたものである限り実質変数に影響を与え

ない」とする LSW (Lucas-Sargent-Wallece) 命題とともにマクロ経済学に衝撃を与え、それを反

映するマクロ計量モデルの開発も進んだ。表 2-4 は、ブルッキングス研究所が 1986 年に行っ

たモデル比較プロジェクトにおける 12 モデルでの公共投資乗数比較表である (Bryant (1998))。

表から読み取れるように、合理的期待を採用した 4 つのモデル (LIVERPOOL、MSG、TAYLOR、

MINIMOD) の乗数は他の 8 つのモデルより慨ね小さい。この結果は、理論面における LSW 命

題と合せ、合理的期待が政策効果を低下させる実証的根拠と考えられた。

その後理論面での LSW 命題は、その強力な主張が合理的期待の純粋な帰結ではなく自然失業

率仮説との複合仮説の帰結に過ぎないことが認識されるに至り、一時の狂騒から大幅に後退した

(吉川 (1984) 等)。一方、「合理的期待が政策効果を低下させる」という命題に関する実証面での

認識は、上記モデル比較の当時からあまり変化していないようである。しかし、理論面での展開

は、本質的には、命題の実証的根拠とされたモデル乗数比較にも一石を投じている。上述の比

42 貞広 (1992) は、1986 年に米国ブルッキングス研究所で行われたモデル比較コンファレンスでの結果

(本稿表 2-4 を参照) を引用しつつ、短期乗数に比べ長期乗数の大きさについてモデル間でのバラツキ

が大きい点を指摘している。 43 中長期的な乗数は、2 章理論編で外生扱いされた総供給 (完全雇用 GDP) の動きに最終的に依存する。

例えば、建設経済研究所 (1997) では、公共投資には社会資本ストックの生産力効果を通じて潜在成長

力を押上げる効果があるとされており、中長期的にもプラスの乗数が残る。一方、公共投資が長期的に成長の抑制になるという議論では、公共投資の生産力効果は民間投資のそれよりも小さく、かつ公共投

資は民間投資をクラウド・アウトすると考えられており、結果として中長期乗数はマイナスになる。

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較では確かに合理的期待型のモデルで慨ね小さい乗数が得られているが、そうしたモデルには合

理的期待と同時に古典派的特徴を持つ簡素なモデル構造が採用される傾向がある44。構造の違う

モデルを比較している限り、乗数の低下が期待によるものなのか構造の違いによるものなのか明

らかにはできないわけである45。

この問題を解決する一つの方法は、適応的期待のモデルと合理的期待のモデルを同一構造で構

築し、期待の違いが乗数に与える影響を純粋に検討することだろう。適応的期待と合理的期待の

比較を同一構造モデルで行った例は、Bryant et al. (1989)、Dungan and Wilson (1988)、Fair (1994)

等に見られる。結論を掻い摘むと、Bryant et al.では、「合理的期待の採用で乗数が低下した」と

される一方、後 2 者では逆の結果 (合理的期待の方が乗数が大きくなった) が報告されている。

今回の研究では、我々も MULTIMOD 日本モデル 46の適応的期待バージョンを作成し、オリジナ

ル (合理的期待) との乗数比較を試みたが、そこでは、合理的期待が乗数低下をもたらす一方、

初年をピークに減衰する乗数特性は期待以前のモデル設計によるということが明らかになった(表

2-5)。

以上の材料だけから合理的期待の採否がモデル乗数に与える影響を断ずることは性急に過ぎよ

う。しかしながら、先行諸研究に見られた結果のバラツキは、合理的期待の影響自体が土台とな

るモデル構造次第で変り得る点を示唆している。理論面における LSW 命題が自然失業率仮説に

依拠していたのと同様に、合理的期待を織り込むとモデルの乗数が低下するか否かも前提とする

モデル構造に依存するわけである。仮に「合理的期待の採用で乗数が低下する」という命題が正

しい場合でも、合理的期待型モデルのグループに (古典派的) 理論制約の多い簡素なモデルが集

中している47表 2-4 の比較は、その効果を過大評価している可能性が高い。

2.2 合理的期待の現実性

合理的期待に関しもう一つ忘れてならない論点はその現実認識としての妥当性である。無論、

合理的期待型モデルのシミュレーションで前提とされるモデル整合的期待が文字通り現実的であ

ると主張する論者は少ないだろう。むしろ重要なのは、人々の前向きの期待形成が経済構造 (政

策効果) 自体を変化させる効果を、実際の乗数を計測する上でどの程度考慮すべきかという点に

ある。

この点に関する我々の評価は、それが 1 年目の公共投資乗数を 1 以下にする程大きくはない、

というものである。合理的期待に基づき 1 年目から 1 以下の乗数を提示しているモデル・シミュ

44 こうした傾向は、LSW命題とセットで登場したという合理的期待形成仮説の歴史に加え、リード変数

を持つモデルの解法 (Fair-Taylor法が最もスタンダードである) を考慮すれば、あまり込み入った作り

のモデルが作れない (解けなくなる) という事情があるものと推察される。 45 加えて、合理的期待を採用しているモデルには、強い仮定の政策反応関数や先験パラメータの活用等、

従来の計量モデルには見られなかった (乗数の低下に繋がる) 技術的前提に基づくものが多い。 46 MULTIMODは IMF保有のモデルで、冒頭で述べた「合理的期待を織り込んで乗数が 1 年目でも 1 を

切る国際機関モデル」の代表格である。 47 実際、合理的期待グループに含まれる 4 つのモデルのうち、LIVERPOOL は全ての市場の均衡と価格・

賃金の完全調整を仮定したモデルであり、MINIMOD及び MSGは先験パラメータを用いた非確率的シミ

ュレーションモデルである。

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レーション (例えば、EC の QUEST、IMF の MULTIMOD) の詳細表を見ると、民需項目

(QUEST では消費、MULTIMOD では投資) に初年から大きなマイナス効果が発現していること

がわかる。これが短期の公共投資乗数を 1 以下にする必要条件であることは理論モデルの (31)

式からも読み取れよう 48。しかし、前節の VAR 予測による検証等からも明らかなように、民間

需要が公共投資拡大に即時に反応して (トレンドから) 大きく下振れしたと考えられるケース

は平成不況時の対策まで含めて見当たらない。そういう意味で、乗数が 1 年目から 1 を切る合理

的期待型モデルは人々の前向きの期待形成が政策効果に与える影響を過大評価していると考え

られる。

無論、財政状況悪化の認識が国民に浸透すれば、理論モデルの 1t (今期の赤字増に基づく将来

負担の予想) が高まり、今後の乗数低下に繋がることも考えられる 49。しかし、政策効果の評価

を目的とする計量モデルの構築に当たっては、 1t の大きさ自体優れて実証的問題であり、先験的

に 11 =t (財政に関する合理的期待とリカード等価定理の成立) を仮定する話ではない。平成不

況期の民需の中で消費が比較的安定していたという事実 (図 2-5-4 参照) は、リカード等価性

が経済対策の効果を失わせたという主張と相容れないだろう。合理的期待と理論的制約を多用し

たモデルは実験として興味深く、経済の長期展望を考えるには有益で有り得る。しかし、本『経

済分析』の意図 (足下の状況を反映し、短期的な追跡能力を持つ実証的モデルの開発) に鑑みれ

ば、適応的期待を基礎に直近データまで反映して推定パラメータ型モデルを構築し、必要に応じ

て期待変化の可能性を考慮する方が現実的対応と言えよう。

第 2 節 同一構造モデルによる検証 合理的期待の導入も含め、モデルの枠組み変更が表 2-3 の形での乗数の時代間比較を困難た

らしめているとすれば、次に行うべき作業は、異なる期間について同一構造を持った (所謂スペ

シフィケーションを統一した) モデルを推定し、データ期間の違いで生じるパラメータ変化のみ

によって乗数に引き起こされる変化を検討することである。推定パラメータ型計量モデルの構築

では、一定期間のデータ・セットを前提に、推定パラメータやシミュレーション結果が妥当と判

断される水準に至るまで、スペシフィケーション設定と推定作業が繰り返すのが通常である。し

たがって、ある時代に満足すべき結果をもたらしたモデル構造が別の時代にも満足できる結果を

もたらす保証はない。以下では、今回公表モデル (推定期間は原則 85~97 年) をベースに、80

年代 (同 77~89 年) でも同一構造のモデルを推定し、乗数比較を行った結果を報告する。その

際、特に 80 年代モデルの推定結果は必ずしも吟味を尽くした良好なものばかりではなく、比較

は暫定的なものである点に留意されたい。

48 厳密に言えば、消費や投資の反応がゼロでも、限界輸入性向 ( 1m ) が正であることにより、乗数は 1 を

切り得る。但し、この場合 1m は高だか 0.1 であろうから、乗数は 0.9 以上となり公共投資の下支え効果

はほぼそっくり温存される。 49 乗数低下を促し得る他の期待要因として、公共投資が非生産的対象に向かい資源の浪費によって将来成

長を妨げていると認識されている場合 ( 02 <o ) が考えられる。

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1.80 年代モデルの作成 以下では、今回公表モデル (短期日本経済マクロ計量モデル) を前提としつつ、1980 年代 (77

~89 年) についても同一構造のモデル (以下、「80 年代モデル」と呼ぶ) を推定し、乗数比較を試

みる。本作業の趣旨は、スペシフィケーション選択に関わるモデル作成者の恣意が乗数に与える

影響を極力排除し、データ期間の違いによる推定パラメータの変化のみが乗数にもたらす変化を

検討することである。よって比較されるモデル同士は完全に同一スペシフィケーションであるこ

とが望ましい。80 年代モデルは、今回公表モデルのスペシフィケーションを完全に保ったまま

で推定期間だけを変更して作成されており、あらゆる意味でのモデル作成者の恣意が排除されて

いる50。

紙面の制約もあり、80 年代モデルの推定結果を全て報告することは敢えてしないが、期間の

変更に伴う変化の概要は表 2-6 に示す通りである。80 年モデルにおける推定期間の末尾は 89

年第 IV 四半期に統一した一方、開始期についてはデータ・ベースの制約の範囲内で溯ることとし

た。予想された通り、推定式の統計値 (ここでは自由度修正済決定係数と DW 比を検討した) は

やや低下しているが、破壊的という程ではない。説明変数の符号が反転した事例も片手で数えら

れる程度であり、モデル全体でみれば使用に耐える範囲に踏みとどまったと判断される。

2.80 年代モデルの乗数とその要因

我々の関心はこうして推定された 80 年代モデルの公共投資乗数にある。結果の概要は表 2-7

が示す通りだが、この結果はある意味で驚くべきものと言える。

まず、公共投資乗数 (標準ケース) は 1 年目で 1.30、ピークは 2 年目で 1.31 である。この乗

数は 97 年までのデータを用いて推定した今般公表モデルの乗数 (1 年目 1.21、2 年目 1.31) と

驚く程似通っており、推定期間が 80 年代モデルに近いかつてのモデル (例えば 4 次版や 5 次版

の EPA 世界モデル) と比べるとやや小さい。したがって、今般公表モデルの乗数が 5 次版世界

モデルのそれから僅かながら低下していることをもって「経済環境の変化による乗数低下」を云々

することは疑問である。

では 80 年代から 90 年代へかけ、経済に何等の変化もなかったかと言えば、無論それも非現

実的だろう。このことは結果としてのマクロ乗数に囚われず、需要の構成項目や価格、更には金

融変数の動きを見ることで確認できる。まず需要構成を見ると、消費や投資といった内需項目の

(当初の) 反応は 80 年代の方が大きく、円高等による外需減をカバーして 1 年目の乗数を若干高

めている。しかし、次年以降この格差は消費を中心に縮小し、2 年目には乗数が拮抗、3 年目に

は逆転が生じる姿となっている。2 つのモデルの間に見られるこうした時間的パターンの格差は

実は公共投資に対する価格の反応によるところが大きい。今般公表モデルの民間消費デフレータ

は 3 年目でも 0.52%しか上がらないが、80 年代モデルでは 2.7%上昇する。この差は実質賃

50 無論、今回公表モデルのスペシフィケーション選択の段階において作成者の恣意が介在している。した

がって、別構造のモデルを前提に同様の比較を行えば、異なった結果が得られるかもしれない。しかし

ながら、今回公表モデルのスペシフィケーションは本比較の結果まで意図して選択されているわけでは

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金変動経路の違いとなって消費パターンに影響するのである。この現象は、2 章の理論モデルに

却って考えれば、価格の調整速度 1f の違いとして理解できる。バブル期とデフレ・ギャップが広

がり価格破壊が進んだ 90 年代では需要変動に対する価格の反応が全く異なっており (事実、価

格の説明変数としての稼働率にかかるパラメータは 80 年代モデルの方が 4 倍大きい)、殊この

点に限っては近年における乗数押上げ原因となっている51。

80 年代モデルから 90 年代モデルへの乗数押上げ要因としては、価格の他に金融政策スタンス

の違いも考えられる。モデルの金融スタンスは短期利子率 (CD 金利) の反応関数による決定を

原則としているが、物価上昇速度の違いもあり、今般公表モデルでは 0.35%の上昇 (3 年目) に

止まる長期金利が 80 年代モデルでは 0.97%も上昇しているのである。理論モデルの議論でも明

らかなように金融政策スタンスの違いは乗数に大きな違いをもたらし得る。表 2-7 の中段以下

は、金融政策の影響をコントロールするため、今回の 2 つのモデルで金融政策のスタンスを変え、

貨幣供給量 )CDM( 2 + を固定したケース、及び短期利子率を固定したケースの双方について公

共投資乗数の比較を行ったものである。これによれば、貨幣供給量固定ケースでは 80 年代乗数

の方が大きく、逆に利子率固定ケースでは今回公表モデルの乗数の方が大きい (この結果は 80

年代モデルの支出の利子弾力性が小さく計測されたことによる)。本節で用いた 80 年代モデルは

機械的に作成したあくまで暫定的なものであり、この結果がどの程度真実の反映とみなせるかは

定かではない。しかしながら、この結果は「公共投資乗数が近年顕著に低下した」という命題の

実証困難性を示すとともに、公共投資乗数動向の議論を不毛なイデオロギー論争に終わらせない

ために、少なくとも金融政策の前提等を明らかにすることが必要である点を示唆している、と考

えられよう。

第 5 章 結語

本第二部では、標準的なマクロ計量モデルの構造を持つ理論モデルを展開し、公共投資乗数に

有り得べき変化の経路を整理するとともに、歴史的エピソード、及び計量モデルを活用し、「公

共投資乗数が近年になって顕著に低下した」という命題に関する実証的考察をおこなった。乗数

の大きさは無数の要因から影響を受けており、我々の分析もあくまで推論に止まらざるを得ない

が、暫定的な結論は以下のように整理できる。

まず理論面の整理では、イ)乗数は 45°線型の素朴な公共投資乗数( ))1

1(

11 mdG

Y

+−=

∆∆

を左右す

る要因以外に、価格伸縮性、国際間資本移動、貨幣需要の利子弾力性等の影響を受ける。ロ)利子

率固定の下で公共投資が行われる場合、利子率上昇によるクラウディング・アウトや為替増価に

よる外需抑制は働かず、貨幣供給量固定の場合に比較して乗数は大きくなる。ハ)利子率固定を前

なく、そういう意味で、比較結果は恣意性を排除したものとみなせる。

51 実際のモデルで確認することはできないが、名目乗数と実質乗数の格差等から判断すると、電中研の最

新モデルにおける乗数の拡大 (表 2-3) はこのメカニズムによると推察される。

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提とし、加えて価格調整が無視できる短期に限定すれば、乗数は基本的に 45°線型となり、限

界消費性向、限界輸入性向、及び限界投資性向に依存して定まる。ニ )限界消費性向の大きさは、

生涯所得に関する認識 (恒常所得) の当該期所得感応度に依存するが、感応度は、公共投資が成

長の阻害要因と認識されたり、将来の増税に繋がると認識されたりする場合に低下して、乗数を

押し下げる。等々の点が整理された。

実証面では、まず我が国の景気対策に関する歴史的分析から、イ)70 年以降の対策エピソードに

おいて、金利や為替を通じた間接的クラウディング・アウトが働いて乗数を変化させた形跡はな

いこと、及びロ)過去の対策は景気の下支え効果を発揮こそすれ、その後の成長の原動力となるよ

うな大きな呼び水効果を持ったとは考え難い点が示された。また、乗数とマクロ計量モデルの関

係を扱った分析では、ハ)モデル乗数の変化自体にはモデルの枠組み (背景理論) が大きく影響して

おり、モデル乗数の低下は必ずしも現実の乗数低下と一対一ではないこと、ニ)80 年代と 90 年代

について同一構造モデルの乗数比較を行い、乗数は概ね変化無しという結果が得られたこと、

等が示された。

以上を総合すれば、「公的固定資本形成の乗数が 90 年代に入って顕著に低下した」とする議論

の実証的根拠は十分ではないと結論できよう。にもかかわらず、「対策の効果が 90 年代に入って

低下した」という見方が広まった背景には、a)バブル崩壊に伴う金融不安等の負のショックが大

きかったこと 52、や b)財政拡大の形態が通常想定される持続的拡大ではなく反動減を伴う一時的

拡大であったこと 53、等が挙げられる。しかし、それにも増して重要な要因は、過去における対

策の効果が過大評価されていた点ではなかろうか(この点こそモデル乗数の低下に顕著に読み取

れる)。対策時に関するエピソード分析も示すように、財政拡大はその時点の経済を下支えこそ

すれ、その後の成長を保証する呼び水ではなかった。我々が示す 1~1.3 というモデル乗数はそ

の意味で穏当であり、抜本的な対策を先送りにしたままで財政支出の拡大を行ったとしても、そ

れを呼び水とした景気の本格的回復やその後の持続的成長を安易に期待することはできないと考

えるべきであろう。

52 財政拡大と同時にネガティブ・ショックがあると、結果としての経済の拡大は生じないから対策の効果

は存在しないかに思える。しかしこの場合、財政拡大がネガティブ・ショックの原因であり更なる財政の拡大は同様のネガティブ・ショックを生じると考えられない限り、対策の景気下支え効果は存在する

と考えるべきだろう。 53 第 1 部でも紹介したように、本分析のモデルで 1 年間だけの支出増の効果を検討すると、1 年目の効果

は持続的拡大と変らないが、2 年目の効果はゼロ、3 年目以降はマイナスとなる。

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(補論 2-1) VAR (ベクトル自己回帰) 予測による公共投資波及の検証について

本部第 3 章 2 節 2 項では、民間需要主要構成項目 (CP、IFP、IHP、XGS、MGS) のそれぞ

れについて、次の形の VAR モデルを推定し、そのモデルの内挿シミュレーション (事後予測)

に基づいて公共投資が各民需項目に与えた影響を各エピソード毎に検証している。そこで用いら

れたモデルの基本構造は次の形で与えられる。

tt B(L)YAYY ε++= (1)

ここで、A 、B は構造型の係数行列であり、L はラグ・オペレータ (次数は任意) を意味する。

Yはモデルの内生変数で構成される [ ]IGCD,M2DC,GDP,Y' += の形の列ベクトル (民需項目

DC は CP、IFP、IHP、XGS、MGSの何れか)、ε は 'ε [ ]IGMDCGDP ,,, εεεε= からなる構造シ

ョックの列ベクトルである。この体系をY について解けば次のVARモデル (誘導形) が与えられ、

t11

t )AI(Y)L(B)AI(Y ε−+−= −− (2)

任意の出発点 (時点 0t ) からの ( )t(j0 0j ≧=ε とした) 予測シミュレーションが可能になる。

今、時点 0t から n 期間に渡るシミュレーションを行い、その結果得られたY の推定値をY と表

記すれば、Y とY の乖離は、時点 0t 以降に生じた全ての構造ショックがY に与えた影響に対応

する。

ここで加えて、 tIG は当該期 (すなわち t 期) の他の変数からは影響を受けない (すなわち、

行列A の第 4 行は全てゼロである) と仮定すると54、誘導形モデル(2)の撹乱項 t1)AI( ε− − の第

4 要素は構造形モデル(1)の撹乱項 tε の第 4 要素 (すなわち gε ) に一致する。したがって、この

場合、(2)の VAR モデルで第 4 式 (IG) を外生化して行った予測シミュレーション ( 0t から n 期

間) の結果 (Y の推定値としての IGexY ) とY の乖離に注目すれば、それは時点 0t 以降に生じた

IG 関連の構造ショック ( IGε ) がY に与えた影響の表現になる。つまり、これによって公共投

資の変化がモデルの諸変数、特に民間需要構成項目 (DC) に与えた影響を明らかにできるわけ

である。

54 この仮定は、公共投資額の調整にある程度の時間がかかる (ラグが有る) 場合において現実的である。