社会のしくみと世論の距離 - nhk216 放送メディア研究 13 2016 1...

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社会のしくみと世論の距離 吉川 大阪大学大学院人間科学研究科 社会学からみた「社会の心」 社会のしくみから離床した世論形成 1 2

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社会のしくみと世論の距離

吉川 徹大阪大学大学院人間科学研究科

社会学からみた「社会の心」

社会のしくみから離床した世論形成

1

2

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216 放送メディア研究 No.13 2016

1 社会学からみた「社会の心」  私は,社会学の枠組みの中で現代日本の「社会の心」のあり方をみてい

る。その際,もっぱら大規模調査データからエビデンスを得るので,これ

を計量社会意識論と呼ぶ。「なんだ,それなら世論研究と同じではないか」

と思われる方もあるだろう。この二つの領域は研究方法がたいへんよく似

ているため,確かに外部からは違いを見極めにくい。けれども,計量社会

意識論の方向性は世論研究のそれとは明らかに一線を画している。

 ひとまず両者の違いのあらましを述べるとすれば,世論研究は現代日本

社会の具体的な意見をデータによって把握し,それが不規則かつ小刻みに

変わっていく様子をレポートする。対する計量社会意識論も,やはり現代

日本社会の総体を量的にみるのだが,こちらは人びとの心の状態が社会の

しくみとどう繋がっているのかという構図を知ろうとする。必然的に前者

は「社会の心」のうつろいやすさに関心をもち,後者は「社会の心」の動

かしがたさを強調することになる。

 この小論では,このように世論研究とは「同床異夢」の関係にある計量

社会意識論が蓄積してきた知見に基づいて,現代日本の世論形成プロセス

を考えたい。

 計量社会意識論は,社会のしくみと「社会の心」の関係性に関心をおい

た調査研究によって発展してきた。社会学的に設計された調査では一般に,

履歴書に書くような個人の人生や生活のプロフィール(社会的属性)がま

ず詳しく尋ねられる。それらを集積して,現代日本社会の人口や産業や経

済や家族や地域などの社会のしくみの全体像を知るためである。次に「社

会の心」すなわち社会意識が,意見や態度あるいは活動頻度の回答(社会

的態度)から尺度化される。こちらは社会構造を駆動する潜在システムで

あるという意味で,情報科学におけるソフトウェアになぞらえることがで

きる。計量社会意識論においては,このようにして社会構造と社会意識の

関係性を分析し時代の潮流を見定めていく。

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217第3章 世論が生まれる社会の困難

社会のしくみと世論の距離

 では,現代日本の「社会の心」についていったいどのような潮流が見出

されているのか。そのことに進む前に,調査データの読み誤りから導かれ

た一つの社会現象を振り返りたい。ちなみにこの出来事は,世論研究と計

量社会意識論が別々の道を歩みはじめる契機の一つともなっている。

 今からおよそ40年前,「一億総中流」という流行語が一世を風靡した。そ

の名が示すとおり,これは「あなたは日本社会の上層にいますか,中層に

いますか,下層にいますか」とたずねる質問(階層帰属意識)の回答分布

に端を発した時代認識であった。この回答分布を1960年前後から1970年

代中盤まで見比べると「中」回答の比率がどんどん増えており,ある調査

では「国民の九割が中(流)」といわれるまでになった。そこで新聞をはじ

めとするメディアは,この世論の動向に「一億総中流」と名付けてさかん

に報道した。さらに当時の識者は,未曾有の高度経済成長のために,多く

の日本人が自分を豊かな社会の中ほどに位置付けるようになっているとい

う解説をこれに加えた。

 けれども,総中流社会日本という社会認識はやがて下火になっていき,

平成に入るころからはほとんど耳にすることがなくなった。じつは,総中

流がいわれなくなったのは,階層帰属意識の回答分布に時点間の変化が生

じなくなったからである。この事実はある疑念を生じさせる。もし当時の

解釈が正しければ,「バブル経済」から「失われた20年」,そして格差や貧

困が目立つ現在に至るまで,「中」回答の比率は,その時どきの空気を反映

して増えたり減ったりしなければおかしい。しかしそうはなっていないの

だから,「中」回答比率は時代のバロメーターとしてのはたらきをもたな

いのではないか,ということになるのだ。

 そこであらためて振り返ってみると,総中流の時代からすでに,どの層

が「中」と答えているのかという客観―主観の対応関係がよくわからない

状況がレポートされていたことを確認できる(直井 1979;間々田 1990;

盛山 1990)。さらに,調査方法論を再検証してみると,戦後期の調査にお

いては,質問のたずね方や選択肢,調査技法,対象者設計にゆらぎがあっ

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218 放送メディア研究 No.13 2016

たため,数字の上で「中」回答比率が増えたようにみえていたにすぎない

こともわかってきた(吉川 2014)。以上から,総中流化と高度経済成長の

間には,因果的対応はなかったとみるのが現在の定説となっている。

 火のないところに立ち上った煙のような「一億総中流」の現象は,計量

社会意識論にとっての大きな反省材料となった。一般に,継続調査の回答

分布を折れ線グラフにして推移を眺めたとき,そこになんらかの動きが認

められれば,その調査時点の社会的な出来事が原因として安直に結び付け

られる。こうしたデータの読み方は,世論研究の常道でもある。しかしこ

の推論は,たまたま同じタイミングで起こった偶発事象(コインシデンス)

を変化の原因として関連付けてしまう危険性をはらんでいる。さらに重要

な問題点は,この読み方は,社会のしくみのどこの「ネジ」をどれくらい

巻けば,「社会の心」がどの程度変化するのか,という因果のしくみを解明

しようとするものではないということである。この観点でデータをみるか

ぎり,ある時点で「社会の心」が動いたことを示すことはできても,どう

すれば「社会の心」を変えていけるのかは知りえないのだ。

 その後の計量社会意識論では,データ処理と解析の技法が大幅に発展し

たこともあり,基礎集計だけに基づく立論はほとんど目にしなくなった。

これに代わりこの分野ではこんにち,社会のしくみと「社会の心」の間の

因果関係の解明が焦点とされている。それは図1のように,性別,年齢と

いうデモグラフィック要因,学歴,職業,経済力という階層構造要因につ

いて,相互の関連を統計的に統制して,直接的な因果効果をみる多変量解

析である。説明する側をこれらの主要な社会学的要因に定めたものを,社

会意識論型回帰モデルという。

 このモデルにおいて様々な社会的態度を従属変数におけば,ジェンダー

の「社会の心」への影響力,世代・年齢構成の「社会の心」への影響力,

産業社会と「社会の心」の結びつき,消費社会と「社会の心」の結びつき,

家族と「社会の心」の結びつきの強さなどを知ることができる。

 そうした解析から階層帰属意識については,次のような時代変化が明ら

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219第3章 世論が生まれる社会の困難

社会のしくみと世論の距離

かになってきた。表1は1985年のデータの結果である。ここからわかるこ

とは,まず有意な影響力(標準偏回帰係数)をもつ規定要因は多くはなく,

全体の因果的説明力(決定係数)は7%程度にとどまっているということ

である。ただし、そんな中で世帯収入の効果だけが際立って大きい。この

時代は階層帰属意識と社会構造との因果的なつながりは,シンプルで希薄

なものだったのだ。

 これに対して表2の2010年のデータの分析結果をみると,かつては世帯

性 別

年齢

学歴 社会的態度

直接(因果)効果職業的地位

経済力

図 1 社会意識論型回帰モデル

表 1 1985年の階層帰属意識の規定要因(吉川 2014より)相関係数 回帰係数 標準偏回帰係数

r sig. B 標準誤差 β sig.性別(男性<女性) 0.057 ** -0.156 0.04 0.088 **年齢 -0.013 0.000 0.002 0.002 学歴(教育年数) 0.127 ** -0.021 0.008 0.065 **世帯年収(対数値) 0.236 ** -0.279 0.027 0.210 **職業:下層ホワイト 0.027 0.089 0.056 -0.039 職業:自営 -0.006 0.062 0.061 -0.024 職業:熟練ブルー -0.047 * 0.11 0.06 -0.045 職業:非熟練ブルー -0.085 ** 0.187 0.058 -0.083 **職業:農業 -0.004 0.021 0.080 -0.006 職業:無職 -0.003 0.106 0.066 -0.004決定係数(R2) 0.071 ** 調整 R2 0.068 **

n = 2,590職業カテゴリの数値は「上層ホワイト」を基準とした値。

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220 放送メディア研究 No.13 2016

収入が主たる規定要因であったのだが,学歴と職業的地位が階層帰属意識

に対する影響力を増して,要因が多元化していることがわかる。そしてこ

れに伴い,因果的説明力の大きさ(決定係数)は25年間で約2.5倍になっ

ている(調整R2:6.8%→17.3%)。

 データ分析からあらためて浮かび上がってくる総中流の時代の日本人の

姿は,急速に変わりゆく社会のかたちを把握できず,自分の立ち位置の自

覚もあやふやで,それゆえに社会のしくみと「社会の心」がしっかりつな

がっていないという状態である。言い換えるならば,「一億総中流」という

のは当時の人びとの自覚(アイデンティティ)を捉えたものではなく,単

なる印象(イメージ)であったのであり,それゆえに「社会の心」は報道

などの外力に左右されやすい不安定な状況(幻影的平準化状況)にあった

ということになる。

 これに対し現代の日本人は,複雑に絡み合う社会的地位の構造について

のリテラシーを高め,そこでの自分の位置付けを正確に自覚できる状況

(覚醒的格差状況)に至っている。だからこそ現在の格差は「一億総中流」

のような一過性の社会現象ではなく,社会問題として真摯に扱われている

のだ。

表 2 2010年の階層帰属意識の規定要因(吉川 2014より)相関係数 回帰係数 標準偏回帰係数

r sig. B 標準誤差 β sig.

性別(男性<女性) 0.057 0.161 0.041 0.101 **年齢 0.022 0.005 0.002 0.064 **学歴(教育年数) 0.279 ** 0.069 0.011 0.175 **世帯年収(対数値) 0.302 ** 0.198 0.023 0.218 **職業:下層ホワイト 0.032 -0.218 0.061 -0.107 **職業:自営 -0.060 * -0.342 0.074 -0.126 **職業:熟練ブルー -0.052 * -0.235 0.072 -0.094 **職業:非熟練ブルー -0.191 ** -0.449 0.067 -0.204 **職業:農業 -0.068 ** -0.644 0.161 -0.098 **職業:無職 -0.012 -0.209 0.064 -0.104 **決定係数(R2) 0.178 ** 調整 R2 0.173 **

n = 1,482職業カテゴリの数値は「上層ホワイト」を基準とした値。

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221第3章 世論が生まれる社会の困難

社会のしくみと世論の距離

 計量社会意識論で明らかにされた以上の時代変化は,「階層帰属意識の静

かな変容」と呼ばれている。あらためて確認しておくが,「中」回答比率を

追っていたのでは,この時代の流れに気が付くことはなかっただろう。

 ところで,計量社会意識論には,これとは別に「○○主義」と一般に呼

ばれるような,社会全体が関与する価値対立の軸の姿を見極めるという課

題がある。わたしたちは,政治や地域活動やNPO活動,あるいは文化活動

や消費,子育てや福祉などによって社会と接し,社会に対して働きかけて

いる。その際に,イデオロギー,理念あるいは価値観などと呼ばれる「○

○主義」を思考の補助線としてしばしば用いる。その補助線がその時の社

会に確たるものとして実在していれば,各個人の中での社会的活動の一貫

性が保たれ,「社会の心」は社会全体にかかわる大きな動きを呼び起こす。

 20世紀近代社会においては,そうした社会的オリエンテーションの主軸

は,伝統性と近代性の対立軸(伝統―近代主義)であった。これは,旧来

の因習や伝統的価値観を肯定的にみているか,新しい考え方を積極的に受

け入れようとしているか,ということの社会全体の賛否のばらつきを指し

ている1)。

 この伝統-近代主義の時代変化については,データ分析(吉川 2014)か

らおおよそ次のようなことがわかっている。1980年代には,社会のどの層

にいる人びとが伝統的価値を支持し,どの層が近代的な考え方をとるのか

ということがはっきりしていた。すなわち,年長世代は伝統的価値意識を

保持し,若年世代は近代的価値意識をもっているということが自明のこと

としてまずあり,加えて社会の上層では近代的な考え方が支持されがちで,

下層には伝統的な考え方が残存しているという「社会の心」の傾斜もみら

れたのだ。それらは,データからも生活実感からも確認できる明瞭なもの

だった。

 ところが2010年の調査データでは,伝統―近代主義の社会構造とのつ

ながりが,1980年代の3分の1ほどに弱まっている。社会のどの層が伝統

的で,どの層が近代的なのかが見定められなくなる変化が徐々に進行した

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222 放送メディア研究 No.13 2016

のだ。これを私は「伝統―近代主義の退役」と名付けている2)。

 社会的オリエンテーションの基盤の脆弱化は,これだけにとどまらない。

データを確認すると,民主主義を支える理念として重要だといわれている

公共性,公正概念,信頼なども,伝統―近代主義と同じように,社会構造

との因果的なつながりを失っているのだ。

 そもそも何らかの社会的態度が,「○○主義」として社会学的なはたら

きをするためには,まずだれもが認識している対立軸でなければならない。

さらに担い手となる社会層をだれもが具体的に思い描くことができること

も必要である。実社会に繋留点をもたず,「根無し草」のような状態の価値

観では,「結局,賛否は人それぞれだ」ということになるため,人びとの

共通のモノサシになりにくいのだ。けれども日本社会では今,そのように

しっかりした「○○主義」を見出せなくなっており,意見は個々バラバラ

で(個人化),人びとはその場かぎりの判断で動きがちになっている(コ

ンサマトリー化)。しかも厄介なことにそれは,前述したとおり人びとが

社会全体の姿をよく理解し,そこでの自分の立ち位置をよく自覚している

状態において進行しているのだ。

2 社会のしくみから離床した世論形成

 それでは計量社会意識論のこれらの知見は,こんにちの世論形成の「磁

場」としてどのように作用しているのだろうか。こんにちの世論形成につ

いて私が注目しているのは,具体的には次のような動きだ。

 2015年7月13日月曜日,朝日新聞とNHKは直前の週末に実施したRDD法電話調査において,安倍内閣不支持率が支持率を上回ったことを相次い

で報道した(朝日新聞では「支持する」39%と「支持しない」42%,NHK では「支持する」41%と「支持しない」43%)。

 これらの世論調査は,安全保障関連法案が衆議院本会議で強硬採決され

る3日前というタイミングで実施された。それゆえに与野党ともにその集

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223第3章 世論が生まれる社会の困難

社会のしくみと世論の距離

計速報に注目した。特に法案に反対する野党側は,この数字をおおいに参考

にして「世論の理解が得られるに至っていない」とする攻勢を強めた。同

じ週には,2020年の東京オリンピック会場となる新国立競技場の高額建設

費問題がにわかに報道されはじめたため,安倍首相は同年7月17日,建設

計画を白紙撤回することを表明し,おりから高まっていた内閣批判の矛先

を変える動きをみせた。

 この政治の側の動きを受けて朝日新聞は,その翌週末の18日19日にも

緊急電話調査を行い,内閣支持率がこの1週間でさらに2ポイント低下し,

不支持率が4ポイント増えたことを報道した。

 ここには,昨今のマスコミ世論調査のいくつかの性格をみることができ

る。第一は,世論調査の主目的が集計結果を速報することにおかれている

ということである。これはマスコミ世論調査に限ったことではない。内閣

府の調査でもやはり,「賛成が○○パーセント」というような基礎集計結果

の迅速な報道が重視される傾向がみられる。

 一般に世論調査は,社会学的な調査よりも質問項目数が少ないため,社

会的属性の情報は性別,年齢などに限られる。これは前述の社会意識論型

回帰モデルのような多変量解析には向かない設計であり,必然的にシンプ

ルな集計結果が主要な情報となる。ただし,一時点の回答分布からは「国

民の過半数が○○に賛成している」というような絶対的な意味を読み取る

ことはできない3)。ここに挙げた報道の例でも,支持率の減少と不支持率

の増加はほぼ連動するので,それを組み合わせて作り出された比率の逆転

という「事実」には,本来は特別な意味はない。もちろん,選挙予測とい

う重要な目的があるがゆえに,内閣支持率については「支持―不支持」が

取り立てて論じられるのだが,そのことはこの先で検討する。

 第二は,継続調査のインターバルがどんどん短くなっていることである。

これはRDD法による電話調査をはじめとした調査技法の飛躍的な進展に

より,調査結果がほぼ瞬時に集計できるようになったことによる。その結

果,世論調査は週単位,月単位で生じる小さな周期の変化に注目する傾向

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224 放送メディア研究 No.13 2016

を強めている。これに対し,社会学の時点間比較調査データは,3年,5年,

10年というような長いインターバルをおいて収集され,じっくりと因果分

析がなされる。こちらは「社会の心」の大きなうねりを捉えようとするか

らである。

 図2は計量社会意識論と世論研究の関心の相違を模式化して示したもの

である。世論研究では,事件や事故や政変などによって回答分布に生じる

急な変化を,タイムリーに捉えることが視野に入れられる。これに対して,

計量社会意識論や国民性研究では,都市化,高学歴化,被雇用化,女性の

社会参加,世帯人数の減少など,大きな時間幅の潮流に関心が定められる。

両者は同じ「漁場」で操業しているようにみえるが,狙っている「魚」の

種類が異なり,それゆえに仕掛ける「網」の目の細かさが違っているのだ。

 第三に指摘できるのは,マスコミ世論調査の目的と主題が「政治化」も

しくは「模擬選挙化」していることである。こんにちのマスコミ世論調査

とその集計速報は,民意を調べて,読み解いて,伝えるという役割を担っ

て,民主主義の政治システムに積極的に関与しはじめている。政治家は,

選挙の前に民意のありようがわかるならば,それに即座に対応したい。マ

構造変動

構造変動

時間

反応 世論研究の関心

事件報道

事件報道

政変

事故報道

計量社会意識論の関心

図 2 世論研究と計量社会意識論の関心の相違

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225第3章 世論が生まれる社会の困難

社会のしくみと世論の距離

スコミ世論調査はそれを知るための他に代えがたいツールとして期待され

ているのだ。他方,アナウンス効果という言葉で知られているとおり,報

道は有権者の投票行動に影響力をもつ。その意味において,マスコミ世論

調査は民主主義のリアルな手続きにがっちりと組み込まれつつあるのだ。

岩本裕(2015)は,ジャーナリストの視点からマスコミ世論調査の現状に

ついて整理したうえで,「選挙は世論調査の『答え合わせ』ができるほぼ

唯一の機会」だと述べている。しかし計量社会意識論の立場では,調査の

「答え合わせ」というのは,全く思いもよらない考え方だといえる。

 ともかく,民主政治(=選挙)の側からのニーズに応えるためには,世

論調査の質問と回答選択は,実際の投票に対応するかたちにしておかなけ

ればならない。そう考えるとき,マスコミ世論調査においてなぜ「どちら

ともいえない」という中間回答を置いたリッカート尺度があまり用いられ

ないのか,なぜ偏差(平均値からの離れ具合)ではなく,賛否の意見カテ

ゴリの「○○パーセント」という数字そのものに強い関心が寄せられるの

か,という疑問もおのずから解ける。

 もはや明らかなとおり,世論をめぐるこうした動的なプロセスを考える

ことは,社会意識論ではなくメディア論の課題に他ならない。そのメディ

ア論の立場から佐藤卓己(2008)は,世論と輿論という言葉を使い分けつ

つ,政治・政策と世論調査の関係性を論じている。それによると,戦前期

において旧字体で表現されていた輿論は公論と読み替えうるものを意味し

ていたが,世論は私情に近いものを指していたとされる。公論とは,市民

の社会意識が新聞などの言論メディアによって統合的な民意へと醸成され

たものを指す。実際の政治・政策を左右する力をもつ社会意識のことであ

る。本論の文脈に引き寄せるならば,世論調査の結果に報道機関が主体的

に方向付けをしたものが,実態政治の反応を期待しつつ世論報道として発

信されるとき,測り出された世論の数字はメディアの「御輿」に乗り,輿

論となるということだ。

 この輿論と世論という概念の使い分けは,世論調査の実務や分析に携わ

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226 放送メディア研究 No.13 2016

る人たちにも参考にされている。そしてその場合にもやはり,輿論のほう

は高く価値付けられ礼賛されるが,世論のほうはとりとめもない私情とし

て軽視される傾向がみられる。しかし私は,計量社会意識論の研究主題は,

メディア論の研究主題である輿論ではなく,むしろ世論であるという立場

をとりたい。それは次のような理由による。

 社会調査では,個人がもっている社会的態度の総和(シグマ)から社会

の全体像を知ろうとする。これは言ってみれば私情の機械的な集積作業に

他ならない。この過程においてわたしたちは,対象者に影響を与える意図

をもった問いかけや,社会の反応をあからさまに狙った結果公表は視野に

入れていない。計量社会学者にとっての社会は,あくまで科学的分析の対

象であり,調査を介して政治システムに積極的に関与することは思いもよ

らないことなのだ。このように科学的かつ中立的な視点でみた「社会の心」

の断面は,輿論ではなく世論と呼ぶべきだろう 4)。よってここでは,世論

調査で世論を正視するという,当たり前のことの有用性と正当性をあえて

強調しておきたい。

 最後に,この小論でやや雑駁に述べてきたものごとを総合して,政治・

政策にかかわる世論形成システムの時代変化を考えたい。図3と図4は20

世紀と21世紀の日本の社会意識と政策世論の関係を描いたものである。

 図3からみていこう。20世紀の世論形成システムは連続的な推移で結ば

れたフローチャートのようなものとして考えることができた。諸個人の社

会的地位に基づく利害が,政治・政策の基盤とされており,そこでは人び

とは,社会における立ち位置を「○○主義」の基軸上へと写像し,それを

思考の補助線として政治的行動をとることができていた。これこそが階級

政治(もしくは地位政治)と呼ばれていた状態である。そのイメージを具

体的に膨らませてみるならば,世帯の稼ぎ手は,長期雇用慣行のものとで

企業別労働組合に加盟していたり,農協や商工組合などの業界団体に所属

したりしている。そしてかれらは,それぞれの所属団体が掲げるイデオロ

ギーに従って,その受け皿となる政党に投票する。同じ世帯で利害を共有

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227第3章 世論が生まれる社会の困難

社会のしくみと世論の距離

している家族もまた,世帯主と同じように投票する,というような姿とな

る。

 このように,諸個人が社会構造に埋め込まれ,その影響下で社会的オリ

エンテーションを形成している場合,世論はこんにちのように目まぐるし

く変化することはない。それゆえに頻繁な世論調査によって状況を逐一確

認する必要はそもそもなく,世論報道が政治の方向性や政党の意思決定を

左右する余地も少なかっただろう。そこではメディア(=世論調査の調査

政治・政策

言 論

社会意識

社会構造

政治・政策

言 論

社会意識

社会構造

政治・政策

世 論

集計速報

社会意識

社会構造

図 3 20世紀の世論形成システム

図 4 21世紀の世論形成システム

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228 放送メディア研究 No.13 2016

主体)の役割は民意を順当に水路付けて政治に受け渡すことであった。そ

してそれは,政策を介して民意の基盤である社会構造へとフィードバック

されていた。もちろんこれは完全なシステムであったわけではないが,当

時の社会には,このように大きく緩やかな社会の循環が成立していたとみ

ることができる。「五五年体制」といわれた昭和の保守革新の政党対立は,

社会のしくみが「社会の心」を繋留しているこのような「磁場」において,

長期間成り立っていたといえるだろう。

 しかし図4に示したとおり,21世紀の世論形成システムは社会意識形成

プロセスと分離してしまっている。計量社会意識論が明らかにしているの

は,社会構造が社会意識を形成するプロセスが,かつてのように政治・政策

にまっすぐに強い力を与えるものではなくなってしまった状況である。今

や政治的な意見としての世論は,社会のしくみに根差したものではなくな

り,不安定で流動的になっている。A.ギデンズ(1991)の言葉になぞら

えるならば,世論は社会構造から離床(脱埋め込み)した状態にある。

 このように世論の性質が浮動的で外力によって動かしやすいものになっ

たことと表裏をなして,マスコミ世論調査が頻繁に繰り返され,その報道

が政治に選挙結果と相似形の民意を速報するようになった。政治・政策側は

その数字を睨みながら解散総選挙などの政治的判断や政策決定を進め,世

論の反応をみる。

 こうして今,世論と集計速報と政治・政策は,三すくみの構図で小さく

回転の速い世論形成空間を成立させ始めているのではないかと私はみてい

る。砂原庸介(2015)は,現在の日本の政党構造は,理念やイデオロギー

を共有する集団ではなく,選挙において有権者の民意を集約しやすく,政

党補助金を交付されやすい受け皿としての機能を重視するものとなってい

るとみている。そうであるとすれば,現代の政党はさかんに離合集散する

宿命にあるということになり,民主主義の根幹にある選挙は,世論と政党

という共にかたちの定まらない要素の共鳴によって成り立っているという

ことになる。

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229第3章 世論が生まれる社会の困難

社会のしくみと世論の距離

 そしてそこにおいてマスコミ世論調査は,かつての控え目な目的を超え

て,高速回転する世論形成空間に,輿論を能動的かつ頻繁に作り出して,社

会に伝える重要なステイクホルダーとして関与し始めているようにみえる。

けれどもこの世論形成空間には,本来ならば政治の基盤であるはずの産業,

労働,家族,福祉,教育,ジェンダーなどは関与する余地をもっていない。

だとすると,政治と世論がどれだけ目まぐるしく変動しても,その動きと

実際の社会のしくみは連動しないのではないか,ということが危惧される。

 このようなことを考えつつ現代日本の世論調査をみるとき,しばし立ち

止まって社会システムと「社会の心」の関わり方を再考してもよいように

思われる。しかし翻って,計量社会意識論について省みると,こちらには

「一億総中流」の時代のように,世論の動向にかかわる社会学的知見を積極

的に発信することが求められる。両者の新しい連携が成立したとき,わた

したちは現代社会の構造に再埋め込みされた世論形成の新たな構図を手に

することができるのだろう。

注 1) 調査計量の分野においては,その起源は林知己夫(1988)が「日本人の国民性」調査の分析によって

伝統―近代の「考え方の筋道」を見出したことに始まる。筆者の場合は,権威主義的伝統主義や性別役割分業意識などのように,少し社会学的な問題関心に引き寄せた社会的態度を用いて,その時代変化を検討してきた。

2) 少し紛らわしくなるが,回答分布の時点間の変化についても触れておきたい。この半世紀ほどの間の日本社会では,基本的には伝統を肯定する側から近代的な考え方への総体としてのシフトがみられる。ただし,ごく最近では弱い伝統回帰の傾向もみられる(統計数理研究所2014,NHK放送文化研究所2015)。しかしこの小論においては,同じ調査時点で平均を中心として分布する回答のばらつき(分散)が何によってどれくらい説明できるか,ということに問題関心をおいている。

3) 世論調査の回答比率は,どのような対象者設計で,どのようなメソッドを用いて,いかなる質問文と選択肢で尋ねたかということに依存している。記述統計量から知見を引き出せるのは,同設計の調査が繰り返されているときに時点間の変化量をみる比較分析をする場合に限られる。

4) 政治的意見の形成については,社会調査のプロセスに調査主体と対象者の相互作用を取り入れる研究も数多い。その典型は,対象者に情報を与えたり,討論を促したりして,政治的意見の醸成を促し,そのプロセスをみる討論型世論調査である。また,いわゆるネット世論もコミュニケーションの双方向性の産物だといえるだろう。

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230 放送メディア研究 No.13 2016

文献 ● G iddens , Anthony,(1991=2005), Modern i t y and Se l f - Iden t i t y : Se l f and Soc ie ty i n the

La te Modern Age , B lackwe l l Pub l i sh ing . (秋吉美都・安藤太郎・筒井淳也訳『モダニティと自己アイデンティティ 後期近代における自己と社会』ハーベスト社)

● 林知己夫(1988)『日本人のこころをはかる』朝日新聞社 ● 岩本裕(2015)『世論調査とは何だろうか』岩波書店 ● 吉川徹(2014)『現代日本の「社会の心」 計量社会意識論』有斐閣 ● 間々田孝夫(1990)「階層帰属意識 経済成長,平等化と『中』意識」原純輔編『現代日本の階層構

造2 階層意識の動態』東京大学出版会:23-45.

● 直井道子(1979)「階層意識と階級意識」富永健一編『日本の階層構造』東京大学出版会:365-388.

● NHK放送文化研究所(2015)『現代日本人の意識構造 第八版』 ● 佐藤卓己(2008)『輿論と世論 日本的民意の系譜学』新潮社 ● 盛山和夫(1990)「中意識の意味」『理論と方法』5(2):51-71.

● 砂原庸介(2015)『民主主義の条件 大人が学んでおきたい政治のしくみ基礎のキソ』東洋経済新報社 ● 統計数理研究所(2014)「日本人の国民性第13次全国調査」の結果のポイント」ht tp : / /www. ism.

ac . jp /kokuminse i /(2015.08.25閲覧)

吉川 徹 きっかわ・とおる

1966年島根県生まれ。大阪大学大学院人間科学研究科教授。専門:計量社会意識論。主な著書:『現代日本の「社会の心」計量社会意識論』,有斐閣,2014/『学歴分断社会』,筑摩書房,2009

/『学歴と格差・不平等 成熟する日本型学歴社会』,東京大学出版会,2006/ほか