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閤南語における日本語語葉の受容様態 村上嘉英 はじめに 閏南語は,中国の主要な方言の一つであって,福建省南部一帯から広東 省の潮州、卜海南等の地や台湾省全省に及ぶ広範な地域で通用し,このほか 東南アジアでも,シンガポール・フィリピン・インドネシアなどの地に居 住する華僑の間で根強い勢力を有していることが一般に知られている。こ の間南語には,よく知られた下位方言として,泉州方言・匿門方言・樟州 方言・潮州方言・台湾方言の五つが普通数えられる。下位方言聞は,歴史 的あるいは地理的要因により,それぞれ若干の差異を語黍・音韻・語法の 各面で内在している。とりわけ,台湾方言の語実は他の下位方言のそれと の間で差異が目立つ。これは1895 年,日清戦争が終り講和条約が結ぼれた 結果, 日本が清国より台湾と滋湖島の割譲を受け,以後51 年間にわたって, 日本の文化や制度を伝播させ且つ日本語教育を進めたため,日本語の語棄 が台湾方言の中に溶けこんでいったことによる。 本稿は,日本語が外来語として閏南語特に台湾方言の中にどのように受 容されているかを考察しようとするものである。日本は台湾領有の当初か ら,教授の方法に直訳法・グアン式言語教授法・ベルリョツ式言語教授法 ・直接法など幾多の変遷はあったにせよ,一貫して「国語」による教育を 行なった。国府種武氏によれば, 「台湾に於て取上げられた母国語による 教育は,決して単なる文字通りの意味に於ける母国語による教育ではなか ったので、ある。其処には本島人の精神生活を母国人のそれの中に投入し之 を融合せしめ之と i 軍一態たらしめんとする強烈なる意図が蔵せられてゐ (1) た。j という。「国語J教育の展開は, 日本語の普及につながり,統治の中 期から後期になると数字の上では普及率が1932 21.7 パーセント, 1935 (2) 29. 1 パーセント, 1938 41.9 パーセント, 1941 57.0 パーセントと上がっ

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閤南語における日本語語葉の受容様態

村上嘉英

はじめに

閏南語は,中国の主要な方言の一つであって,福建省南部一帯から広東

省の潮州、卜海南等の地や台湾省全省に及ぶ広範な地域で通用し,このほか

東南アジアでも,シンガポール・フィリピン・インドネシアなどの地に居

住する華僑の間で根強い勢力を有していることが一般に知られている。こ

の間南語には,よく知られた下位方言として,泉州方言・匿門方言・樟州

方言・潮州方言・台湾方言の五つが普通数えられる。下位方言聞は,歴史

的あるいは地理的要因により,それぞれ若干の差異を語黍・音韻・語法の

各面で内在している。とりわけ,台湾方言の語実は他の下位方言のそれと

の間で差異が目立つ。これは1895 年,日清戦争が終り講和条約が結ぼれた

結果, 日本が清国より台湾と滋湖島の割譲を受け,以後51 年間にわたって,

日本の文化や制度を伝播させ且つ日本語教育を進めたため,日本語の語棄

が台湾方言の中に溶けこんでいったことによる。

本稿は,日本語が外来語として閏南語特に台湾方言の中にどのように受

容されているかを考察しようとするものである。日本は台湾領有の当初か

ら,教授の方法に直訳法・グアン式言語教授法・ベルリョツ式言語教授法

・直接法など幾多の変遷はあったにせよ,一貫して「国語」による教育を

行なった。国府種武氏によれば, 「台湾に於て取上げられた母国語による

教育は,決して単なる文字通りの意味に於ける母国語による教育ではなか

ったので、ある。其処には本島人の精神生活を母国人のそれの中に投入し之

を融合せしめ之とi軍一態たらしめんとする強烈なる意図が蔵せられてゐ(1)

た。j という。「国語J 教育の展開は, 日本語の普及につながり,統治の中

期から後期になると数字の上では普及率が1932 年21. 7パーセント, 1935 年(2)

29. 1パーセント, 1938 年41. 9パーセント, 1941 年57.0 パーセントと上がっ

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28 天理大学学報

ていった。このような調査は,主観が入りやすいものであるから,全面的

には信頼ができないけれどもこの時期に台湾で急速に日本語の普及を見た

ことはうかがい知れる。しかし,実情は川見駒太郎が以下のように分析し

ている。これが書かれたのは日本の領台末期であるから,それ以前のこと

については推して知るべしであろう。 「かくの如く複雑な不便さを押し切

って,領台以来,教育の中心を国語教育に置いて努力して来た結果,己に

七十パーセントの国語理解者を得たといふのは,異数の成功と見倣して然

るべきであろうと d思ふ。しかしそれは,曲りなりにも国語が理解されると

いふことで,その人々が全部完全に国語を語り,国語を常用してゐるとい

ふ意味ではない。かなり教養のある者でも,母語を捨て全く国語生活をし

てゐるものは,極少数者に限られてゐるといふのが偽のない現状である。」

日本の領台時期を通じて,「内地人」児童は小学校,「本島人」児童は公学

校でと区別して初等教育を施した。 1922 年,新台湾教育令で内台人共学が

打ち出されたが「本島人」児童で小学校に入学したものは微々たる数で,

終戦前一年即ち1944 年度ですら 5,044 名にすぎなかった。 「国語家庭に属

さない本島人の児童は,学校に入るまでは国語を解しない」し, 「学校で

は,一応日本語を国語として話すが,一旦校門を踏み出すと直ぐ母語の台

湾語に置きかえるといった実態である。」 というのが大勢であった。だが,

こうした中でも, 「本島人」で初等教育もしくはそれ以上の教育を受けた

者の数が増加してくると,台湾において閏南語と日本語を自分の言葉とす

るこ重言語者が増えていった。そして, 日本語の語棄が台湾で通用する閏

南語台湾、方言の中に受容され易い素地が形成され,日本語からの外来語と

して,台湾方言の中に新らしい語が陸続として生み出されたのである。小

稿は,これらの語業のうち現在もなお使用されているものと戦後に日本語

から台湾方言の外来語になったものの双方に焦点を当て考究する。

台湾に現住する中国人の言語生活は複雑である。ここにはおおまかにい

って,閏南語・客家語・中国各地の方言・高山族語の四つの言語集団があ

り,標準語として「国語」が押し広められている。筆者による1971 ~72 年

の調査によれば,戦後の「国語」教育を受けた本省人のうち80.8% が自分

の母語である閏南語や客家語より「国語」の方が熟達していると答えてい

るが,家庭内では「国語」を常用している者が閏南糸 2.4% ・客家系 0%

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関南語における日本語語業の受容様態 29

でやはり母語の力が依然として強い。戦後30余年たったとはいえ,日本統

治下で中等教育以上の教育を受けた年代の人々は,今もって日本語を保有

し運用する。すべての教育を日本語で受け,戦後はじめて「国語J Iこ接し

た本省人も少なくないのである。このため,台湾にはいろいろな形で日本

語が残っているが,本稿ではこのうち完全に台湾方言の中に外来語として

溶けこみ,その使用が社会的習慣化したもののみを考える。 tai-chhiat (貸

切), tu 剖 k (株式)のように日本統治下の教育を受けた年代が時には今も

一部で使用する語であっても, 40 才以下の人々にとってその意味が十分に

分からないものは扱わない。もちろん,死語や標準語即ち「国語」からの

訳語によって取って代わられた語なども取り上げない。例えば,以下のよ

うな語はかつて常用語として使用きれていたけれども,本稿の考察の対象

にしない。 ( )内はローマ字表記に対応する漢字。以下,同じである。

日本領台下 原日本語 現在

chδ ・,kau-siu

chhiet-chhiu

gδ ・-h6k

iah ・oan

iah-tiu・

iap-su

kau-ju

kun-cho

sゐe-bδ ・

tian ・ha

tiδng-iah

thek 引m

SU ・liu

助教授

切手

呉服

役員

役場

葉書

教諭

軍曹

歳暮

殿下

重役

勅任

書留

hu ・kau-siu (副教授)

iu-phiδ (郵票)

beng-sin-phi• (明信片)

koa-hδ (掛嘘)

さて,台湾方言における日本語からの外来語を便宜上次のように分けて

論を進めたい。 1. 日本語の語棄をそのまま音訳したもの。 2. 漢字で表記

された日本語の語棄を借用し,それを閏南語音で発音したもの。

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30 天理大学学報

1. 音訳の語棄

閏南語台湾方言の語糞の中に日本語の語棄の発音と意義をそのまま借用

したものがある。これらは,外来語として閤南語の語業の中に組みこまれ

る過程で,音韻上の同化の影響を受ける。なお,中国の標準語には,高名

凱・劉正竣著『現代漢語外来詞研究』と王立達「現代漢語中従日本借来的

調索」を見る限りにおいて,日本語から音訳語はない。

以下,閤南語台湾方言の語黍のうち,日本語からの音訳語葉の例をあげ

る。同義語のあるものは参考までに付加した。略符号は《同》。

CA) 日本語の語棄の発音を閤南語台湾方言に音訳したもの

閏南語 原日本語 備考

a-sa-ga-oh

hi-no-khi

hδ ・-6・-tai

io ・kang

jio・-to

ki-lin

khi-mo・-chhih

kho・-nia-kuh

kh,'mg-buh

Il!Il づIll

0 ・-ha-sang

0 ・-ji-san

o・-nm-g10・

oa-s 卓-bih

P《、や

おばさん

おじさん

お人形

ワサピ

thang-khah

siok-phang 食パン

担架

《同》 oa•-a・hoe (碗仔花)

【同》 siδng-ngδ ・(松梧)

《同》 pheng-toa (鰯帯)

《同》 siδng-teng (上等)

しばしば khi-mo ・と略す。

《同》 khun-po ・(見布)

Jin サin とも発音。《同》

ang 品-pok (紅葉室葡),

ang-chh 主i・thau (紅莱頭)

《同》 ang-a (店仔)

《同》 soa•-kiu• (山室長)

《同》 tan-ke (縫架)

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関南語における日本語語棄の受容様態

CB) 日本外来語を借用し取りいれたもの

31

ba-suh

ga てie

hiu サuh

kha ・bang

kha ・lu-siu-muh

la-ji-o ・h

Iai ・ta

ne-ku ・tai

o・-ba

se-bi-loh

phang

sia-chuh

SU ・lip-pah

thδ ・-lam ・puh

tho・ ‘la-kuh

tho・-ma-toh

ノ4ス

ガーゼ

ヒューズ

カパン

カルシウム

ラジオ

ライター

ネクタイ

オーパー

セピロ

パン

シャツ

スリッパ

トランプ

トラック

トマト

(以下には適切な同義語がない)

閤南語 原日本語

a-s ピ1・phi-Jin アスピリン

gδ ・-lu-huh ゴノレフ

hai-hi-lu ハイヒール

khap-se-luh カプセル

ma-ga ・!in マーガリン

moh ・tah モーター

oai ・sia-chuh ワイシャツ

phian-chih ベンチ

phu ・M ・-phe-lah プロペラ

《同》 kong-kiδng khi-chhia

(公共汽車)

《同》 se-po・ (紗布)

《同》 nng-soa• (軟線)

《同》 phe-pau (皮包)

《同》 kai ・chit (釘質)

《同》 siu-im-ki (収音機)

《同》 ta・-he ・ki (打火機)

《同》 nia-toa (領帯)

《同》 tδa ・i (大衣)

《同》 se-chong (西装)

《同》 mi-pau (麺包)

siah ・chuh ともいう。《同》

lai・sa• (内杉)

《同》 chhian ・thoa (浅抱)

《同》 phok ・khek-pai (撲克牌)

《同》 khah ・chhia (帝車)

《同》 kam ・4・bit (柑仔蜜),

chhau-kl 曲・a C臭柿仔)

閏南語

bi-ta-min

ha-muh

khong-ku-li

16 ・-suh-bah

ma-s 白・khuh

0 ・-t6 ・-bai

phang-khu

phong-phtt

s6 ・-suh

原日本語

ビタミン

ハム

コンクリート

ロース肉

マスク

オートパイ

パンク

ポンプ

ソース

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32 天.理大学学報

閏南語と日本語は音韻体系が異なる。音韻的音節構造を見ても,閏南語

は/I (M) VE .• T/であり,日本語は/C (S) V (M )/である。このため,

日本語の語実が音訳で閏南語の中に取り入れられる時には,どうしても閲

南語の音韻体系の影響を免れない。上に掲げた例は決して多くないが分析

してみると以下のように受容されていることが分かる。

a. 子音

①潤南語の音韻体系には濁音がないため,日本語の濁音を取り入れ

る時には有戸無気音を用いる。例えば, ba-suh, a-sa ・ga ・0 ・h, ・nin 引n

に現われる/b/, /g/, /z /である。なお,日本語の半濁音は聞南語化

するとすべて有気音で発音されている。 phang-khu, a・SU ・phi-lin,

phu ・M ・-phe-lah などに見られる/p'/がそれである。

② 日本語の清音のうち,語頭に来る無声破裂音は有気的に発音され

るが閤南語に取りいれられると有気音になる。例えば,' kha-bang,

thang-khah, th.o・-la-kuh などに見られる /k' /, /t' I である。日本語

の語奨の音節で最後に来る音節の音節頭位の子音が破裂音でも閏南

語化した場合,有気音に発音されることがある。例えば; hi ・n6 ・khi,

khi-mo・-chhih の/k'/, /c '/に見られる。

@ 日本語のラ行音は,閏南語化すると例外なく〔1〕になる。 l対i・

0・h, liai~hi・16., 16 ・-suh など。

b. 母音

① 閏南語には長母音がないため,長母音を含む日本語の語繋が閏南

語に音訳されるとしばしば長母音が短母音化する。例えば, g討を,

b ・ba, h卓i-hi ・lu, ma-ga ・lin, a・・t6 ・・bai のようになる。ほうたいは,

ho 」tai では意味が分かりにくいので, hδ ・-6・-tai と 6・を重ねたも

のと考えられるが, hδ ・・tai と発音されるのが皆無というわけでは

ない。ょうかんは,音声表記[「jol: kaN ]であることから,閏南語

に入ると io ・kang になったと考えられる。

@ 日本語の語繋が閏南語化すると,しばしば最後の音節の音節末位

に喉音閉塞音〔?〕が加わる。 se-bi ・Joh, sia ・chuh, tho・-ma-toh, gδ ・.

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閤南語における日本語語索の受容様態 33

lu ・huh, ma ・su-khuh など。

@ ネクタイは, Ine I ku I ta I i I と4 音節 4 モーラであるが,閏南語化

すると日本語の母音の重なりの部分が二重母音になり, ne ・ku-tai

と三音節三モーラになる。同様の例に Iai-t 主, 0 ・-t6 ・-bai, Mi-hi ・Ju

がある。

c. 劫音

閏南語の音韻体系には勘音がないため,日本語の劫音は常に[ia],

[iu], [io ]のように結合母音を用いて閏南語に音訳される。日本語

の勘音に現われる半母音 [j] が摩擦子音であるのに対し,閏南語の

白は摩擦をしない半母音である。 kho・-nia-kuh, 0 ・-ninτi6・, hi 川 uh,

sia-chuh はいずれもこの例である。食パン[Lfo 」kupaη ]は,閏南

語化すると無声化母音[u]が脱落して [f コk]と第一音節が入声の

如く発音されたのち,更に[siok ]に変化したものと考えられる。

閏南語には入声があるので,日本語のつまる音 IQ/ をもっ語繋が

閏南語化する時にも同じような現象が見られる場合がある。例えば,

su-lip-pah.

d. はねる音

日本語のはねる音 /NI は,音戸学的に見るとその現われる位置

によって[m], [n], [I)], [w], [u], [1], [N]などになるが,閏南語台

湾方言になった日本語の語実 nin-jin, thδ ・-lam-puh, khung-ku ・li な

どを見ると,語尾以外ではほぼ日本語の発音通りにはねる音/N/

が取りいれられているのが分かる。語尾においては, ma-ga-lin, o・.

ha-sang のように凹のあとでは[n], [a ]のあとでは[I) ]と発音

される。ただし,ポンプ[「pol mp1,1 ]が phong-phu となるような

例外もある。

かばんは lkalba[NI と二音節三モーラであるが閏南語化すると

lk'albal)I と二音節二モーラになる。これは,日本語の/N /が閏南

語の音韻体系の中で,前の母音と結合して鼻音韻尾をもっ韻母にな

るためである。 0 ・-ha-sang, 0 ・-nin-gi6・, a-su ・phi-lin …なども同じ現

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34 天理大学学報

象で日本語よりーモーラ短かい。

e. 日本語のアクセントと閤南語の戸調

日本語にはモーラ相互間に高低アクセントがある。閏南語の声調

も高低アクセントであるがそれは音節固有のものである。このため,

日本語の語棄が閏南語に音訳される場合,原語のアクセントは声調

に転化する。例えば,朝顔[LaJ 「sa 1 I)ao ]は a-sa-ga ・0 ・h の如くに

なる。 sa, ga は“陰上”であるが声調変化で(55 :)に発音される

ので,あたかも中高型のように聞える。同じようにじて見ると,ヒ

ノキは hi-no-khi と訳され頭高型のように聞える。 khong-buh は

khδng が“陰去”だがやはり声調変化で(51 :)となるので,頭高型

に聞える。このように音訳の語索を観察していくと,平板型に聞え

るものは皆無で, ほとんどが中高型か頭高型に聞える。 kha-bang,

nin サin など形としては二音節ニモーラの尾高型に思われるものも

若干あるが,-bang, -jin は原語二モーラがーモーラになったもので

“陰上”(53 :)であるため,実際上は中高型に聞える。

寺川喜四男は,閏南語台湾、方言を話す人々が外国語として使う日

本語を観察し,そのアクセントについて以下のように述べている。

台湾アクセントは,原則として,各語の終から数へて二番目の音節

を一個だけ高めるのである。但し,終から数へて二番目の音節が,若

し独立性に之しいもの即ち長母音の尻部とか重母音に於ける高I]音とか

「ん」の音とか促音とかのやうな所謂「準音節」である場合は,特に

今一つ前の音節即ち終から数へて三番目の音節を(勿論一個だけ)高(13)

めるのである。

また,寺川は次の点も指摘している。

台湾アクセントの今一つの大きな特徴は,連語に於けるアクセント

も単語に於けるアクセントも変ることがないということである。言換

へれば,或る語が,連語内の如何なる場所に在っても,当語固有のア

クセントが変らないということである。従って,助辞が附いても附か

なくても,当語り持つアクセントは絶対不動である。

寺川によれば,台湾における本島人(福建系)の発音する日本語

のアクセントは「単一型アクセント」であるという。日本語を音訳

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閤南語における日本語語突の受容様態 35

した閏南語台湾方言の語会の音節にかぶさった高さアクセントを観

察すると,これも固定したものであることがわかる。ただ,外来語

として閏南語に組みいれられたものは,上掲凶(B)表の例を見る限り

において, 「原則として,各語の終から数えて二番目の音節を一個

だけ高める」ということを当てはめるわけにはいかない。例えば,

M ・M ・khi の戸調は, 声調変化したあと〔高平一高平一高降り〕と

なり,前二音節が高くて平らな調子に発音される。終りから数えて

二番目の音節が一個だけ高いとはいえないのであるo a-sa ・ga-o ・h,

kha-lu-siu ・muh, a・SU ・phi-Jin など同じことがいえる。外国語を学ん

だり自国語の中に取りいれたりする時には,個人差があるにしても

母語の影響が及ぶ。アクセントは, 「個々の語について,社会的慣(15)

習として決まっている相対的な高低または強弱の配置」であるから,

殊に母語の影響を受けやすく,閏南語の音韻の基礎の上にこのよう

な現象が現われてきたと考えられる。(16)

1920 年10 月1 日施行の第一回台湾国勢調査の結果によれば,台湾

在住の日本人総数は 164,266 名で,本籍別の統計を見ると,そのう

ち3割9 分余が九州及び沖縄の八県に属している。これに山口・広

島の二県 9分6 厘を加えるとほぼ半数に近い人がこれらの地方の出

身者によって占められているのがわかる。東京府は 3分 9厘。この

数字から台湾在留の日本人は多くが方言アクセントを保有していた

と想像できる。台湾で使われた日本各地の方言アクセントが,台湾

の人々の学んだ日本語や日本語から外来語に対し,影響があったか

否かについては今後に期したい。

2. 借用の語葉

閏南語台湾方言の語棄には,漢字で表記された日本語の語裳を借用し,

それを閤南語で発音したものが多々ある。例えば, 「水道」は閏南語の発

音で読むと ch 白i-tδ となるが,これをそのまま外来語として台湾方言の語

実の中に組みこむといった具合である。閏南語は書き言葉と話し言葉の役

割がはっきり区別され別々に発達してしまったため,閏南語の話し言葉を

漢字で表記する時には仮借字や転注字などで不統一な点が見られる。しか

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36 天理大学学報

l.,, 「十五音J と呼ばれる通俗韻書,例えば『奨音宝鑑』では19.257 字の

多くを収録しているし,日本語からの借用の語棄を閤南語の発音で読むに

はそれら原語の語繋が生活語繋が主であるだけにさしたる特異な漢字のな

いことも考えあわせると,簡単に読み替えができたものと考えられる。

日本語から大量の語索を借用し外来語として吸収したことは,漢語全体

についていえる。高名凱・劉正竣共著『現代漢語外来調研究』は次のよう

に述べている。

誰もが知っているように,欧米の資本主義が世界的な範囲で発展を

始めてきた時より,アジアで最初に欧米の先進文化を学んだのは臼本

人である。日本の明治維新は我国の近代化運動以前である。漢語が欧

米の言語の成分を吸収しそれを改造して漢語の語棄の外来語成分とす

る以前に,日本は多くの欧米の言語の語索成分を吸収し大量の日本語

語集中の外来語を作り出していた。日本人の用いている文字と漢字は

同じで吸収しやすく,また,中国人と日本人は歴史的地理的条件の関

係もあって,きわめて頻繁な往来と接触があった。ある時期には,中

国人の知識分子で日本に留学した者が留学生総数の絶対多数を占めた

こともあった。そこで,漢語と日本語の融合過程において,現代漢語

は大量の日本語の語実成分を吸収し現代漢語中の外来語成分としたの

である。

中国から初めて日本に留学生が派遣されてきたのは,日清戦争の講和条

約調印の翌年,すなわち1896 年のことである。以後,中国からの留学生は

急激な増加を見せ, 1906 年には 1万人または 2万人にもなったという。こ

の講和条約の調印で台湾は日本の領有に帰し 1895 年 7 月より日本語の教

育が着手された。このため,一方は中国からの留学生自身が求めたもので

あり,他方が日本から強制されたものという違いがあったにせよ,結果的

には日本語を語源とする外来語が同じ形で発音だけの差となった場合が少

なくない。以下,それらのもので筆者が抽出した例をあげる。まず,語源

になった日本語の語会に日本語特有の訓義を有するものを列挙する。

閤南語

主m-sek (暗室)

an-mo ・(按摩)

現代中国語

暗室

按摩

原日本語

暗室

按摩

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関南語における日本語語繋の受容様態 37

ch をng-M (政府) 政府 政府

choat-tui (絶封) 絶対 絶対

chham-koan (参観) 参現 参観

chham-kh6 (参考) 参考 参考

gi ・sek (儀式) {史式 儀式

hak-ui (塑位) 学位 学位

hii-tam (負捨) 負担 負担

jiu-tδ (柔道) 柔道 柔道

keng-ch 色(経済) 経済 経済

keng-khi (景気) 景主主 景気

ko・ ・chiong (故障) 故障 故障

kii 必 k (奮暦) 旧日 旧暦

khong-chhiu-tδ (空手道) 空手道 空手

Iiu-heng (流行) 流行 流行

p6 ・hiam (保険) 保険 保険

su-kia• (事件) 事件 事件

tiu•-bin (場面) 坊面 場面

tiu•-hap (場合) 坊合 場合

tiu•-s6・(場所) 坊所 場所

thoan-phio (停票) 待票 伝票

次に語源になった日本語の語会の訓義が必らずしも日本語特有とはいえ

ないものをあげる。紙幅の関係で現代中国語と原日本語を省略するが,間

南語の後の( )の中に示した対応の漢字によって推察できょう。注釈を

要するものは表の後に abc ……の記号でまとめた。

b6k-phiau (目標)

chi6h ・j(t (石油)

chl 市 1g-kiu (請求)

gun-hang (銀行)

hian-kim (現金)

i・hak (警察)

cheng-ti (政治)

chu-sia (注射)

chh ピ1-siau (取消)•

ek ・the (液体)

hδ -gδa (競外)

i剖 k (意識)

chi 品(指導)

chii-s6 ・(住所)

chM-the (取締)b

ge-sut (萎術)

hong-sang (放送)

ian-chau (演奏)

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38

ian-soat (演説)

in-soat (印刷)

kau ・siap (交渉)

Ji 引 6ng (理想)

tian-khi (電気)

a 取り消す

天理大学学報

iau-so・ (要素)

in-tδ・(引渡)•

kek ・beng (革命)

khi-chun (汽船)

tian-oe (電話)

b 取締り(る) c 引き渡す

iau-tiam (要黙)

jip-khau (入口)

kim-kho・ (金庫)

put-tδng-san (不動産)

sia-hoe (社合)

上記の例を数えると日本語特有の訓義を有するものとそうでないものを

合わせて55 語である。もちろん実際はこれだけに止まらず,例えば薬茂豊(20)

はこのような語集を 538 語指摘している。同氏は,さねとうけいしゅう氏(21 〕

が論文「中国語のほかの日本語」に記載した中国人の認める中国語の中の

日本語の語葉 830 語の一つ一つについて検討し,このうち 538 語が台湾語

化した日本語ともいえるとしたのである。だが,両氏の語棄の中には,他

の中国人から日本語の来源とは認め難いといわれたものも混入しているの

で,実数はこれより少なくなるであろう。本稿は来源の暖味なものや現在

ほとんど使われない語はすべて割愛したため集録語数が少なくなったので

ある。なお,日本が台湾を領有した当初, 「閏南語,客家語以外の支那語

を話すものが4 万名いた」といわれるから,日本語の語裳で漢語を経由し

て閏南語台湾方言の外来語になったものもあると考えられる。しかし,ど

れだけの語繋が経由したものであるかを詳らかにすることは難しし、。第一

回台湾国勢調査によれば, 1920 年10 月 1 日現在,台湾に居留する「支那

人」は24,271 人という。いずれにせよ台湾全人口からすればごく一部であ

るから,在留「支那人」の言語を経由したものは皆無に近かったと想像さ

れる。それから, 日本の統治下にあって,台湾の人々の中国本土往来は厳

しく制限されていた関係で,留学生によって中国にもたらされた漢語の中

の日本語からの外来語が更に台湾に伝えられた可能性もあまりないであろ

う。

さて,以下に閏南語台湾方言には見られるが,漢語では取りいれなかっ

たものをあげる。もちろん語源になった日本語の語黍に日本語特有の訓義

があるものばかりである。一→の後は,同義語・類義語である。

主i-kiau (愛矯) 主n-nai (案内) bak ・i6h (目薬)

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関南語における日本語語棄の受容犠態 39

ban-lian-pit (高年筆)ー→ kng-pit c鋼筆) bian-kiong (勉強)•

boe-siu (買収) chai-kl 昨-phin (在庫品)

chiok-tian (祝電)ー→ hδ -tian (賀電) chu ・bun (註文)

chu-choan ・chhia (自轄車)ー→ kha-tah-chhia (脚踏車)

chii-t6ng-chl 由(自動車)一→ khi-chhia (汽車)

chui ・tδ (水道)ー→ chu-lai-chui (自来水)

chhut-kh(m (出勤)ー→ si6ng-pan (上班)

chhut-tiu• (出張)一→ chhut-chhe (出差)

goan-khi (元気) heng-su (行事)

h6e-sia (舎祉)一→ kong-si (公司)

ia-kiu c野球)ー→ pang-kiu (棒球)

in-siii (引受)t iu ・chi (有志)g

jim-ti (認知) jin ・khi (人気)

keng-be (競馬) keng-phin (景品)

kian 圃pun (見本)一→ iii ,‘- '.m (様本)

khan-pan (看板)ー→ chiau-pai (招牌)

Ii 品 n (離縁) Iok ・te (落第)

pian-tong (弊首) put-Iiδng (不良)'

phoe-tat (配達) phoe-tong (配首)

sio ・pau (小包)ー→ pau-ko (包裏)

siong-siok (相績)k sit-keng (失敬)

sng ・吋・(酸素)ー→ iong (鎮)

sun-le (巡躍) tan-chhia (草車)

tiau ・hap (調合) tiong-ko・ (中古) m

iin-choan (運轄)

ch }的1g-hii (請負)b

g6a ・ia c外野)'hoan-cl 品(患者)

ia-heng c夜行) d

in ・ke c引縫)•

iu-pian (郵便)

kam-hok (感服)

ki-hu c寄附)h

kip-sii (給仕)

kl 山 k-ge (曲毒事)

oan-chiok (遠足)

phi• (坪) j

seng-phiah (性癖)

siδ 時サiong (松茸)

siu-giap (授業)

sii-cheng (事情) I

teng ・liok c登録)

to 由旬(都合)

。勉強(する〕 b 請負,請け負う c 野球用語 d 夜行列車

e 引き継ぐ f 引き受ける g ある物事に志のある人

h 口語音 kia-hu i 性質・品行の悪い人 j 面積の単位

h 家督・遺産など引き継ぐ l 物事の訳 m 中古品

この項には,上記の59 語に先の日語を加えると計 114 語集録したことに

なる。これらの語繋が閏南語台湾、方言にどのように受容されているかを以

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40 天理大学学報

下に考察する。

a. 品調の類別

① これらの語紫のそれぞれの語源の語の品詞はすべて名調である。

しかし,このうち39 語がサ行変格活用の動詞の語幹になりえるので

動詞にも属する。このほか名調であって,四段活用の動調の語幹に

なるもの 4語と下一段活用の動調の語幹になるもの 1語がこの中に

ある。また,形容動調ダ型活用の語幹になるもの 3語もみられる。

② 語源の語が名調にのみ属する語は,閏南語台湾方言に組みこまれ

ても名調になるだけである。

例: put-chi ii jin-khi (不止有人気)=とても人気がある。

sai chii ・tδng-chhia (殴自動車)=自動車を運動する。

@ 語源の語が名調と動詞の二つの品詞に属するものは,閏南語台湾

方言の中に入ると次のようになる。

(イ) 動詞としてのみ用いられる。比較的多し、。 22 語見られる。

例: jim-ti SU 叩 ng-chu (認知私生児)=私生児を認知する。

g6a chin kam-h6k Ii (我員感服体)=君には感服した。

(ロ) 名詞と動調の二つの品詞に用いられる。前の記載の語索表中

では, chi-tδ ,chheng-kiu, chham-kh6, chham-koan, hかtam,

ian-chau, kau-siap, ki ・h1¥ kcl"-chiong の9 語。

付名詞としてのみ用いられる。 i-sek, kip-sii, oan-chiok, phoe ・

tong の 4 語。

(斗 名調で四段活用動詞の語幹にもなる語棄を語源にもつ4 語,

chh かsiau, in-ke, in-tδ ・, chhu ・the は,前二語が動詞としてのみ

用いられ,後の 2 語が名詞と動詞の双方に用いられる。 in-siii

は,語源の語が名詞と下一段活用の動詞として用いられるが,

悶南語語法では動詞としてのみ使われる。

@ 語源の語が名詞と形容動詞ダ型活用の語幹になるものは3語で,

goan-khi は名詞と形容詞, sit-keng は形容詞, put-Iiδng は名詞に

それぞれ用いられる。

例: 16ng b6 goan-khi (嫌無元気)=ちっとも元気がなし、。

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関南語における日本語語繋の受容様態 41

I chia• goan-khi (伊成元気)=彼はとても元気だ。

Sit-keng, sit-keng. (失敬,包失敬)=失敬,失敬。

⑤ bian-kiong は動詞として用いられるほか,形容詞にもなる。

例: Hit e gin-a chin bian-kiong (彼的固仔員勉強)=あの子

はよく勉強する。

b. 同義語・類義語

戦後,台湾では中国標準語の普及が進められ,閤南語台湾方言の

中にもそれより多くの新しい語繋がもたらされてきた。そして,日

本語からの外来語を駆逐してしまったものも多L、。 chhiet-chhiu (切

手)が iu-phi む(郵票)となったのはその 1例である。しかし,標

準語から新らしい語がもたらされても,上掲のように日本語からの

外来語と併用されていることが珍しくない。ただ, chil-choan-chhia

(自轄車)がすでにたいていの場合 kha 吋 h-chhia (脚踏車)とい

われるように,日本語からの外来語が時と共に淘汰されつつあるの

は否めない。

ま と め

台湾の人々は,日本の統治下で日本語を強制された。殊に芦溝橋事件

(1937 )を契機として皇民化運動が提唱され,それが以前より更に厳しく

なっていった。しかし,日本語は台湾の人々にとってはあくまでも外国語

であった。だから,日本統治下で台湾において使われていた日本語の語集

の多くは,間南語台湾方言の音韻や語葉体系の中に組みこまれた外来語で

はなく,外国語としての日本語そのものであったと認めるべきであろう。

現在も台湾で通用している日本語の語実は少なくないが,例えば「刺身」

「茶わん蒸し」 「おしんこ」……などを見ても分かるように,その大部分

が外国語としての日本語である。

こうした中で,本稿は日本語来源で閤南語台湾、方言の語棄の体系に完全

に組みこまれたと考えられるもののみ集録し考察した。その上,現在使用

されているものに限ったので数の上では意外と少なくなってしまった。し

かし,集録した語棄を通して,漢語における日本語からの外来語とは違っ

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42 天理大学学報

た特徴を知ることができた。すなわち,(1)閏南語台湾方言は,日本語を音

訳した外来語をもつこと。(2)日本語からの外来語が生活語索中心であるこ

となどである。

(1) 国府種武『台湾における国語教育の展開』(台北, 1931. 1頁)

(2) 台湾総督府『台湾事情昭和18 年版』 131 ~132 頁。

(3) JII 見駒太郎「台湾に於て使用される国語の複雑性J (『日本語』昭和17 年 3月

号, 33 頁)

(4) 台湾総督府『昭和二十年台湾統治概要』 45 頁。なお, 1941 年,国民学校の名

の下に初等教育が行われることになり,第一課程表(国語を常用する)第二課程

表(国語を常用しない), 第三課程表(主に「蕃人」公学校)の三つに分けられ

たが実際は名のみ変っただけで, 「小学校」と「公学校」の別学をそのまま受け

継いだ。

(5) 台湾人で国語を常用していると認められた家庭。

(6) 春山行夫「台湾の国語教育参観記」(『日本語』昭和17 年 3 月号, 50 頁)

(7) 察茂豊『中国人に対する日本語教育の史的研究』(1977 序, 143 頁)

(8) 「国語」とは「北平で中等教育以上を受けた人の日常用語を標準とする」と

いう。参照:方師鐸『五十年来中国富語運動史』(台北, 1965. 121 頁)

(9) 村上嘉英「台湾における標準語の普及現状」(『天理大学学報』 1973. 29 ~44

頁)

(10) 察茂豊氏は以下のように述べている。 「わたしの知るかぎり,昭和 6 年前に

生まれた台湾人(今は四十六才以上だが)なら,日本語は分かるといえようが

(教育程度にもよる),四十六才以下の台湾人は殆と.出来ないと敢えて言えよう。」

(「中国人の日本語における音声教育」 er 東呉日本語教育』 2 号, 1977. 92 頁)

(11) 北京, 1958.

(12) (『中国語文』 68 期, 1958. 90 ~94 頁)

(13) 寺川喜四男『台湾に於ける国語音韻論(音質・音韻篇)一一外地に於ける国

語発音の問題』(台北, 194_1. 131 頁)

(14) 向上, 134 ~135 頁。

(15) 国語学会『国語学辞典』(東京, 1955. 6 頁)

(16) 台湾総府官房臨時国勢調某部『第一回台湾国勢調査記述報文附結果表』 (台

北, 1924. 293 ~294 頁)

(17) 沈富進『増補禁音宝鑑(全1』(嘉義, 1954 初版, 1974 十八版)

(18) 高名凱・劉正域・上揚書 79 ~80 頁。

(19) さねとう・けいしゅう『中国人日本留学史』(東京1960. 15 頁)。さねとう氏

は「わたくしの研究の結果,実数は八千名ぐらいである……」といっている。

(20) 「国語化的自語及台語化的日語研究J (『日語文諸問題的研究(台北, 1969.

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関南語における日本語語集の受容様態 43

82 ~107 頁)

(21) (『言語生活』 182 号, 1966. 86 ~89 頁)

(22 〕 さねとうけいしゅう『中国人日本留学史』 395 頁。

(23) 小川尚義「台湾語に就て」(『台湾協会会報』 90 号, 1906. 1頁)

(24) 台湾省行政長官公署統計室『台湾五十一年来統計提要』(台北, 1946. 320 ~

321 頁。