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Instructions for use Title 漢字授業における学習活動 : 認知心理学的モデルによる検討 Author(s) 小林, 由子 Citation 北海道大学留学生センター紀要 = Bulletin of International Student Center, Hokkaido University, 2: 88-102 Issue Date 1998-12 Doc URL http://hdl.handle.net/2115/45564 Type bulletin (article) File Information BISC002_008.pdf Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers : HUSCAP

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Instructions for use

Title 漢字授業における学習活動 : 認知心理学的モデルによる検討

Author(s) 小林, 由子

Citation 北海道大学留学生センター紀要 = Bulletin of International Student Center, Hokkaido University, 2: 88-102

Issue Date 1998-12

Doc URL http://hdl.handle.net/2115/45564

Type bulletin (article)

File Information BISC002_008.pdf

Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers : HUSCAP

北海道大学留学生センタ一紀姿 第 2-5'f (1998)

漢字授業における学習活動認知心理学的モデルによる検討

小林由子

要 旨

漢字教育は日本語教育における古くからの課題であるが、授業におい

てどのような学習活動が行われるべきかについては、あまり検討されて

いない。また、漢字教材が想定している学習活動や教師が授業で行って

いる活動も、ばらつきが大きい。本稿では、漢字教材が想定している学

習活動を概観した後、漢字学習活動を学習者の情報処理の面から分析し、

学習者にとって漢字授業で必要な学習活動は何かを検討する。漢字は、

形・音・意味からなっているが、授業でよく行われる「漢字についての

説明」や「漢字にひらがなで読み方を書く」練習、「ひらがなを見て漢

字を書く」活動だけでは、この3つをむすびつけ実際の運用をはかるこ

とは難しい。学習者が漢字を学ぶのは主に「読む」ためであるが、読解

過程で、漢字知識を効果的に使うためには、導入時に深いレベルの情報処

理を行い、読解場面で検索を容易にするような学習活動を設計する必要

がある O また、学習段階に応じた活動の選択も行われなければならなし'0

〔キーワード〕漢字、学習活動、記憶プロセス、熟達化プロセス

1 . はじめに

漢字教育は日本語教育における重要な課題のひとつである。

漢字学習を支えるために、授業ではどのような学習活動が行われるべき

であろうか。 漢字教育についてはさまざまな先行研究があるが、学習活動

に焦点をあてたものは少ない。また教師による授業方法のばらつきは大き

く(小林 1994)、実捺にどのようにして学習者の漢字知識を運用に結び

つけていくかは、教師の経験則と学習者の自助努力にまかせられているの

が現状のようである O

効果的な漢字教育を行うためには、授業での学習活動を体系化し、必要

に応じて選択できるようにすることが必要で、ある。

88

本稿では、漢字教材に見られる学習活動を概観した後、どのような学習

活動が必要かを、学習者の情報処理モデルから検討する。

2. 先行研究

日本語学習者に対する漢字教育については、さまざまな論考がなされて

おり、そのアプローチは多才長である。

たとえば、武部(1989) は漢字の構成と学習者へのその説明方法に力点

を置いている。石田 (1989) は、特に非漢字系学習者に対する漢字教育の

留意点を述べ、「漢字嫌いを育てないことに最も注意すべきである」と結

論しているが、具体的な方法への示唆はない。また、吉村 (1989) は、漢

字を成立方法・形・音・意味を基準に体系的に語棄を導入しながら教える

べきであるとしている。しかし、これらの論考には教師の姿勢に関するも

のが多く、具体的な学習活動についての言及は少ない。

近年の研究成果には、学習者の漢字学習に対する意識に関するもの(豊

田 1995、大北 1997)、学習者が読まなければならない日本語文献の漢

字の頻度の分析(武田 1994)、イメージを通じた漢字の記憶法(酒井

1993) などがある O 漢字の学習活動については、JlI口 (1993)が、生教材

を使って漢字語葉を文脈から導入し、意味の推測、共通する漢字の語葉群

の形成、漢字の再構成による字形の学習を通じて漢字力を養う方法を紹介

しているが、漢字学習活動を包括的に見た研究はほとんどないといってよ

しミO

3. 教材に見る漢字学習活動

現在市販されている漢字教材には主として以下のようなものがある。

(1) 主教材に付属したもの

1 r日本語初歩漢字練習帳j(1985)北海道大学日本語教材研究会、国際

交流基金

(2) 初級向け

2 rBasicKanjiBook Vo1.1/2j (1989)加納千恵子ほか、凡人社

頻度の高い漢字を、字源や表意性などを軸に体系的に教え、運用能力を

高めることを目的としている。

3 rEss巴凶alKanji for everyday usej (1993)東京大学漢字教材研究グル

ープ、チャールズイータトル

- 89

生活の中で出会う基本的な漢字250を徹底的に訓練することを目的とし

ている 0

4 '漢字はむずかしくなし'J (1993)武部良明、アルク

漢字を覚えるための知識を24の「法目しで分類している O

5 'かんじのくすり J(1992)河原崎幹夫ほか、凡人社

1 El 1罰使吊し、 25日で初級レベルの漢字300をマスターすることを自

的とする。

読み練習・書き練習のみ。

(3) 中上級向け

6 'Intermediate Kanji Book Vo1.1J (1993)加納千恵子ほか、凡人社

運用能力の養成のため、品詞、形声、語構成などに分けて、語葉として

の定着をはかることを目的としている O

7 '意味で覚える中級からの漢字J(1991)東京法令出版(編)、凡人杜

常用漢字を意味別に分類している O

8 'Kanji in ContextJ (1994) アメリカカナダ大学連合臼本冊究センター

(編)ジャパンタイムス

漢字と諾棄を習得するための教材。リファレンスブックとワークブック

からなる O

9 '漢字の道J(1990)豊田豊子、凡入社

1課に10字でまず1000字、次に1500字を学習する O 本冊・練習帳・漢字

テスト・読みテストからなる O

(4) ガイドブック的なもの

10 'Remembering Kanji 1 II III J (1977 -94) W. Heisig et al. 日本出版貿

2000字以上の漢字の読み方、意味、書き方を学び、ストーリーで字義を

覚える O

11 'A Guide to Reading and Writing Japan巴seJ (1959) Skade, Florence

チャールズイータトル

当用漢字の書き )1/貢、読み方、字義、熟語を示す。

12 'Kanji Pict GraphixJ (1992) M. ROi九rley、StoneBridge Press

漢字の読み、意味、部首の意味を示す。字源を絵と文で示しているとこ

ろが特徴である。

13 'Kanji ABCJ (1994) A. Foster et al、チャールズイータトル

90 -

常用漢字を部首を中心に覚える O

表 1は、これらの漢字教材について、各課にどのような項目が含まれる

かをまとめたものである o 0はその教材の各課に当該の項目が含まれてい

ることを示す。

表 1 市販漢字教材の構成

トT 読方み 書順きI例熟語事文 材 名 字義 字源 例文 練読習み 練書習きその{出

お本語初歩漢字線智帳 O 1010 O O O 01 2 Basic Kanji Book 10 O O 01 O O O

3 Essential Kanji for everyday use 1010 O O O 10 O O

4 漢字はむずかしくない O O O O

5 かんじのくすり O O

6 Intermediate Kanji Book lQ O O O O O O O

i 7 意味で覚える中級からの漢字 O O O O O

8 Kanji in Context O O O O

9 漢字の道 O O O O O O O

110 Remembering Kanji I 1I m O O O O O

I l l A Gωωu山山l日I O O O O Japanese

12 Kanj i Pict Graphix O O O

1131 Kanji ABC O o

表の項目のうち、「字義」は漢字そのものの意味を媒介語で示したもの、

「字源」は漢字のなりたちを絵またはストーリーで示したものである O

「読み方」はその漢字の音読み・訓読みを示したもの、熟語例はその漢字

を使った熟語と訳語、斜文はその漢字を含む語棄の例文、「読み練習」は

漢字詰葉を見てひらがなで読み方を書く練習、「書き練習」はひらがなで

書かれた言葉を見て漢字を書く練習である。「読み練習J I書き練習」とも

に漢字詰葉が単独で提示される場合と、例文に埋め込まれて提示される場

合がある。

「その他」には以下のようなものが含まれる。

2 Basic Kanji Book :

学習した漢字語棄を含む読み物、ゲーム、似た漢字を識別する練習、品

- 91

詞を1哉別する車東習など。

3 Essential Kanji for Everyday Use :

各課のイントロダクションの、漢字を使う場面から内容を理解して漢字

を選んだり書いたりする練習。

6 Intermediate Kanji Book :

学習単元(形声文字、部首、諾構成など)に応じた、類似した熟語から

適当なものを選んで文章にあてはめる問題、漢字を再構成する問題などの

練習。

含まれる項目により、漢字教材は次のようなグループに分類できる。

(1) 字義・字源・読み方・書き方・熟語などの説明のみのもの(教材番号

4、10、11、12、13)

(2) 上記の説明に読み練習・書き練習を加えたもの(l、 7、8、9)

(3) 説明・読み練習・書き練習のほかに課題を加えたもの(2、3、 6)

(4) 読み練習、書き練習のみのもの(5 )

とりあげた13種の教材のうち、説明のみのものが3分の 1以上の 5種、

練習が読み練習と書き練習しかないものが5種ある。また、読み練習と

き練習以外の練習を含む教材は3種類しかない。

上記の結果はすべての漢字教材を網羅したものではないが、教材の役割

が漢字についての知識提供を主としており、漢字知識を定着させる練習の

ほとんどが「読み練習J r書き練習」であることをある程度示している O

また、小林 (1994)の諦査では、教師の漢字授業での活動は、クラスで漢

字についての説明のみを行いクイズで定着をはかる、クラスで説明し読

み・書き練習をする、クラスの中で漢字知識を使う機会をできるだけ設け

る、など個人差が大きかった。

これらの結果から言えるのは、漢字援業における学習活動が、説明のみ、

説明と読み練習・書き練習のみである可能性が大きいこと、そのばらつき

が大きいことである。

漢字授業は、説明のみ、読み練習・書き練習のみでその役割を全うでき

るのであろうか。また、漢字授業では、具体的にどのような活動が行われ

るのであろうか。

- 92

4. 漢字学習活動の分類

表2は、漢字授業の学習活動を、導入・練習、関連する知識の面から分

類したものである(小林 (1996) を改変)。分類した学習活動は上記の教

材のほか、川口・加納・酒井 (1995)、筆者の自作教材の学習活動によった。

表2 漢字の学費活動の分類

導入 練習

形のみ :文字の分解再構成 |形 :似た漢字の弁別、

身体運動による形態認識 部分から全体の推測

形→音 ・カードなどによる読みの 字形による神経衰弱、

導入 偏.~号を見つける

個々の文字形予言文字の音符の導入、 形→音 :単漢字の読み練習

ききとりによる文字の書 音符による読み推測

写 音→形 単漢字の書き練習、

形不全意味.字j風説明、イメージ化 かるた

部首の導入、 形本土意味・イメージ・訳語と文字の

対応部首からの意味予測

漢字の造語法の導入、 熟語の意味推測

単語のみ;熟語の意味推iRij 形→音 :熟語の読み練習、カード

(文脈なし)単漢字の意味による詩蒙導入 ゲーム

単漢字の音による語義導入 1 音→形 :熟語の書き練習、かるた

l訳語による熟語の意味導入 漢字を組み合わせて熟語を作る

文姉 | 師一…叫捕によ例加計

関連知識(文脈・る語棄の導入 読み物の読解

i文法知識など) 例 一誠 胤 [文法と関連吋習

との統合 用法による詩集の導入 文脈から適当な語棄を選ぶ練習

動機づけ クイズ・テスト、ゲーム

i学習者の自律 学脅者自身による教材選択、自分に必要な詩裳の選択、学習j去の確立

表中の「形→音」は漢字の形を音に結びつける活動を指す。また、「形

立意味」は、形を意味に、また意味を形に結びつける活動を指す。

上記の分類は主に次のような基準によっている。

(1) 導入段措か練習段階か

導入は、学習者が新しい漢字の知識を獲得する際の学習活動、練習はそ

の知識を検索する「道をつけるJ ための学習活動である。学習活動はこの

2つの段階に分けることができる。

(2) 文字か単語か丈か

ηべυ

ハ吋d

この分類は、学習者が漢字の知識を符号化して貯蔵し検索する擦に必要

な知識の量による。

文字のみを学習する場合、その文学そのものの形態、音、意味が学習の

対象になり、関わる知識は限定される。

この丈字どうしが結びつき単語になると、文字のみの場合とは別の情報

処理がなされる O 長期記憶の中で単語の知識が蓄えられている部分は「心

内辞書」と呼ばれる O この心内辞書についてはさまざまなモデルが提示さ

れている(御領 1998)が、いずれのモデルも、心内辞書がさまざまなモ

ジュールによって成り立っているとしている O 単語間のつながりは心内辞

にも存在しているが、単語は心内辞書とは別の意味ネットワークにおい

ても概念的なつながりを持っている(阿部ほか 1994)0すなわち、単語は、

単一の文字よりも格段に多くの知識と結びついているのである O

さらに、単語が丈や丈章に含まれた場合は、統語的・談話的な知識や文・

文章の内容に関する知識が関わる。特に、漢字を読む場合には、文脈から

のトップダウン的な情報処理がより多く行われることになる O

単漢字、漢字を含む単語、単語を含んだ丈・文章では、学留者は異なっ

た情報処理をする O 単漢字→語葉→丈・文章の}I院に、関係づけられる知識

は多くなると考えられる。

(3) その地の分類基準

漢字の学習活動のほとんどは、上記(1)(2)で分類可能であるが、これら

の分類とは別に、学習活動を学習者の立場から捉える見方がある O すなわ

ち、与えられた漢字知識を受け取る受動的な存在で、はなく、能動的な存在

と見る立場である。学習者の情意面や自律性を考えた活動は、この立場か

らのものと考えられる O たとえば、ゲームは、競争や楽しさにより学習者

に動機づけを与えて漢字の知識を使わせる活動であり、クイズ・テストは

自らへのチャレンジ・他者との競争・よい成績などにより漢字の知識を使

う動機づけを与える。また、自らの学習をコントロールするようなメタ認

知的な能力を育てる活動は学習者の自律性を育てる活動といえる O

表2は、学習者の情報処理プロセスから見た学習活動の分類を主として

いるが、ゲーム・クイズ・テストを学習者の動機づけを考えた活動として、

学習者による教材選択・自分に必要な語義の選択・学習j去の確立を学習者

の自律性を育てるための活動として加えた。

94

これらの活動は、上記に挙げた資料での学留活動を網羅したものであり、

授業で、すべての活動が行われているわけで、はない。 3主主で述べたように、

教材で、は漢字に関する説明と単語の読み練習、書き練習が主であり、教師

による授業の個人差も大きい。

学習者が漢字知識を使えるようになるためには「説明J、「読み練習」

き練習」のみで十分なのであろうか。次節では、このように分類した

学習活動のうち、どのようなものが学習者にとって必要なのかを考察する O

5. 漢字学醤に必要な学習活動

5.1 記憶プロセスかうの検討

学習者の漢字学習の主な目的は、漢字そのものを覚えることではなく、

日本語の文章を読むための漢字知識を獲得し運用能力をつけることである

(小林 1994、1995)0 漢字知識を獲得し運用能力をつけるということは、

漢字の形・音・意味を記憶し、読解時にすみやかに検索できるようになる

ことである。

漢字の授業では、この漢字知識の獲得・検索を促進するような学習活動

が必要になる。

近年の理論では、記憶は符号化→貯蔵→検索という連続した3つの処理

過程であると想定している (Eysenck1990邦訳 pp.86)。この符号化には、

特徴検出、分類、体制化、精般化が含まれる。すなわち、学習者は記憶す

べきことがらの特徴を見いだし、分類し既存の知識と結びつける(体制化、

精綴化する)ことにより長期記'龍に貯蔵しうる形に符号化して貯蔵し、必

要時に検索してその知識を利用するのである O

記憶の際には、符号化の処理水準が問題になる O 処理水準の概念は

Claik & Lockhart (1972)によるが、彼らは、記憶は感覚的・概念的分析

の結果副次的に生じるものと考えるべきであり、このような分析は階層的

に行われると示唆した。記憶の通程において、入力刺激はまず感覚または

表層的な特徴によって分析され、次に音素的・意味的・概念的特性という

ように1IIi'i次深いレベルに進む。記憶表象はこのさまざまな分析レベルによ

り生み出されたものであり、分析レベルが深いほど記憶痕跡がより深くな

る(よりよく記曜される)。より深いレベルの分析と精般化タイプの処理

が実行される限り、その情報についての記憶は後々まで残る (Eysenck

1990邦訳 pp.196-197)。

にひハ吋d

また、項目や事象をどの程度的確に記憶できるかは、初めの符号化の操

作とその結果生じる記憶痕跡、及びそれに続く検索環境と手がかりによっ

て左右される。記憶成績の差は、学習の際の符号化と検索時に有効な手が

かりの聞の関係に違いがあるために生じる (Eys巴nck1990邦訳 pp.387)。

学習の際の符号化操作での手がかりと実際の検索時の手がかりの関係が深

いほど、記憶成績はよくなる。

言いかえれば、効果的に記憶をするためには、学習時に、概念的・意味

的な「深い処理」を行い、その知識を実際に使うときと同じような手がか

りで検索をすることが必要となるのである O

漢字学習に置きかえて考えると、新しい漢字の知識を記憶し、その知識

を効果的に利用するためには、記憶時に「形J r音」の知覚レベルだけで

はなく概念的・意味的な「深い処理」を行うこと、使用場面で漢字の知識

を使う(検索する)ことを容易にするような手がかりのもとに知識の検索

の道筋をつけることが重要になる。先にも述べたように、学習者が漢字を

学習する主な目的は、何かを「読むJ ことである O そのためには、何かを

「読む」ときと同じような活動を学習時に行い、効果的な検索が行われる

ようにしなければならないことになる O

さらに、「読む」対象の意味をつかんだり内容について考えるためには、

漢字に意識的な注意を向けず自動的に処理し、文章の全体的な内容に注意

を向けられるようにしなければならない。「読む」ための漢字学習では、

練習をくりかえし漢字知識の処理の自動化をはかる必要がある。

「処理の自動イLについては次節で述べる O

5.2 熟達化プロセスかうの検器:学習段階別の学習活動

学習活動は、学習者が日本語学習・漢字学習にどの程度熟達しているか

によって左右される O

人聞が意識的に注意を向けることができる情報量には限界がある O これ

を注意の容量限界という(苧阪 1994)。人間の意識的な注意には量的な

眼界があるが、訓練を重ねるにつれ注意は無意識に行われるようになり自

動化されて、注意資源を{吏わなくてもすむようになる O そして新たな対象

に注意を向けることができるようになる。

日本語学習のごく初級の段階では、学習対象である日本語のすべてに対

して意識的に注意を払わなければならない。容量的な限界から、学習者は

96

ごく限られた範囲にしか注意を向けることができず、また、日本語につい

ての知識もきわめて少ない。この段階では、学習者は文法・文字・音声の

すべてに意識的に注意を払わなければならず、特に非漢字国学習者の場合、

漢字に向けることのできる注意の容量は小さくなると考えられる。この段

階において、丈・文章レベルの、より多くの知識を必要とするような学習

活動は、学習者に過度の負担を強いることになる O

加納 (1996) は、非漢字圏学習者の漢字力の初期の発達段階を「字形の

識別・弁別→字形の体系化・構造化→字の意味→字の意味による体系化」

と想定している。学習がこのような段階を経て進んで、いくとすれば、初級

の初期段階の漢字学習は単独の文字ベースでの形態認識練習から始め、丈

j去・語義の導入・定着が進むに伴って、単語レベル、単文レベルでの形と

音のマッチング練習、語葉レベルでの意味の把握ができるような読解練習

(地図を読む、単語と単語・絵の一致など)へと進むのが妥当と考えられ

るO

日本語の学習が進み、単文の処理、複数の文の集まりの談話的な処理が

ある程度自動的にできるようになった段階になって初めて、文章の読解過

程と同様の形で習得した漢字の知識を検索するような学習活動が可能とな

るだろう。この段階では、非漢字国学習者の場合は特に、学習漢字を含む

単語の意味・形・音を自動的に処理できるような練習(単語レベルでの読

み・書き練習など)をした上で、まとまった文章の中で漢字を言語的知識

や内容の背景となる知識と関係づけながら意味を把握する練習が必要であ

る。

日本語の学習がかなり進んだ中上級段階では、日本語についての言語的

な知識は格段に増加し、処理の自動化が進んでいると考えられる O それだ

け漢字に向けられる注意容量は増すことになるが、関連づけられる知識が

増えるにつれ、初級段階とは別の問題が生じる。

中上級設階では、個人的なニーズへの対応や覚えたことがらを忘れにく

くすることが重要になる。学習者自身も漢字の数の多さ、読み・意味の多

様さを困難な点としてあげている(小林 1996b)。中上級者の解決すべ

き課題としては、漢字そのものの字形・意味・音や部首・音符などの漢字

についての知識を増やすこと、語葉的な知識、特に用法についての知識を

増やすこと、既に持っている漢字知識からの推論の誤りを減らすこと、学

習方法の確立などがあげられる(小林 1997a)0

97 -

5.3 漢字授業の役割

以上、漢字学習活動における、学習時の処理の深さ、実際の「読み」と

同様の検索を行うような練習、学習段階に応じた練習の重要性について述

べてきた。

この点から考えると、学習活動から見た授業の役割として次のことがら

が挙げられる O

(1) 学習者の学習段階に応じた学習活動の提供

(2) r深い」処理をするような学習活動の提供

(3) 実際の「読みJ につながる学習活動の提供

3章で述べたように、ほとんどの漢字教材は字源・意味・読み方などの

漢字に関する説明と、漢字から読み方を導く練習、読み方から漢字の形を

導く練習を主にしているが、漢字についての知識をどのように記寵するか

については、倍々の学習者や教師にまかせられているきらいがある O その

ため、学習者や教師によっては、次のような危険性がある O

(1) 漢字に関する説明(字源、意味、読み方など)が学習者によってはう

まく符号化されず、既有知識に組み込まれない、すなわち記憶に残らな

しミ。

(2) 漢字の読み方を書く練習や読み方から漢字を書く練習が、単に形と音

を結びつけるだけの「処理の浅い」活動になってしまい、すぐに忘れら

れてしまう。

(3) 学習時に、本来の目的である「丈章を読むJ 活動と関連づけられない

ため、実際に「読む」時に学習した漢字知識が検索されない。すなわち

学習した漢字を思い出すことができない。

(4) 学習段階に応じた効果的な学習がなされないため、学習者の負担が大

きくなる O または、学習に役立つはずの現有知識が使われずに終わって

しまう。

これらの危険性を避けるためには、学習者の情報処理過程を考慮に入れ

た授業設計が必要である。具体的には、漢字学習の初めの段階では、 4章

の学習活動の分類であげた伺々の文字中心の活動の中の形を認識すること

から始め、学習段階が進むにしたがって、単語・丈・丈章と多様な知識と

関係づけた「深い」処理をするような導入・練習、実際の「読み」の活動

に近い練習がなされていくことが望ましい。

98

ι おわりに

漢字の学習活動については、まだ研究が進んでいるとは言えない。本稿

では、認知心理学的な見地から、漢字学習活動のあるべき姿について械観

した。

効果的な漢字授業には、学習過程を考慮して学習項目・活動の選択を行

い設計することが必要であるが、そのための今後の課題としては以下のこ

とがらが挙げられる。

第一に、実際の漢字の授業で何が行われているのかを、より明らかにし

なければならない。本稿の学習活動の一覧は教材と一部の学習活動の報告

によっている。実際の授業についての量的・質的なデータが必要で、ある。

また、本稿では漢字授業を主眼にしたが、学習者の単独の学習活動と授業

での学習活動を厳密には区別していない。 漢字「授業」を考察する場合に

は、単独の学習、教師との相互作用、学習者同士の相互作用も視野に入れ

る必要があろう。

第二に、学習活動そのものについての詳細な分析が必要で、ある O 熟語の

「読み練習J I書き練習」は、アプローチの仕方により、役割が異なる可

能性がある(小林 1997b、1998)。学習活動がどのような役割を持つのか、

また、その効果をどのように測定するかは今後の大きな課題である O

本稿は、認知心理学での一般的な知見となっていることがらを論拠とし

ているが、記憶・学習・言語理解など言語教育と関わりの深い分野では現

在も新しい研究が進められている。より深い知見を得るためには、これら

の分野との協同が不可欠であろう O

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こばやし よしこ(留学生センタ一日本語教育部助教授)

1i

ハU市

14

Bulletin of International Student Center Hokkaido lJniversity No. 2 (1998)

Learning activities in kanji class:

Discussion from the viewpoint of a

cognitive psychological model

KOBA Y ASHI, Y oshiko

What丘ctivitiesshould be used in kanji classes ?

Although kanji learning has been a major issue in J apanese language

education, there havεbeen few discussions about learning activities in

class. Explanations about kanji, rendering kanji words from hiragana and

vice versa form th巴 mainparts of most teaching materials. This paper aim

to analyze and discuss kanji learning activities from the viewpoint of

learner's information processing. Kanji are composed of three parts, shape,

sound and meaning “Explanations about kanji",“writing kanji words in

hiragana" and “writing hiragana words in kanji" ar巴 insufficientto tie

shape -sound-meaning together, and to permit students to memorize and

to utilize kanji knowledge. L巴arn巴rsmust do “deep" information processing

at the stage of memorization and practice in order to retrieve kanji

knowledge in class, and kanji activities should be designed to achieve this.

Activities should also be chosen according to learner's level taking into

account differεnces in attention focus.

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