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安心安全の街作り新聞 2011 年 (平成 23 年) 9 月 10 日 新宿西口商店街 振興組合 〒160-0023 新宿区 西新宿 7-13-12 コーポラス時屋 202 号 電話 03-3364-3235 FAX 03-3364-2945 輿西宿西宿宿西16 西宿宿45 53 西輿輿西輿輿西西宿西宿西30 西50 宿西西輿西輿輿輿調4神輿蔵に 残っていた太鼓

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Page 1: 祭りと日本人 理事長 宮越 貞臣shinjuku-omoide.com/images/topics/newspaper04.pdf · 安心安全の街作り新聞 2011年(平成23年) 9月10日 新宿西口商店街

安心安全の街作り新聞   2011 年 (平成 23 年) 9 月 10 日

新宿西口商店街振興組合

〒160-0023 新宿区西新宿 7-13-12コーポラス時屋 202 号電話 03-3364-3235FAX 03-3364-2945

 

お祭りは、神を饗応し、神のエネルギーをいただくこと、即ち生命

力を更新するところにあると言われております。

 

特に、今年は震災でモノのはかなさを知り、神や仏といった目には

見えない何かの力を信じる気持ちになられた方も多いのではないで

しょうか。 

お祭りは、日本人が最も自然に、理屈抜きに、神々と

人々、そして人と人とを、信頼の絆で結び繋いでくれる大切な相互

理解の場ではないかと思います。

 

仲間と神輿に肩を入れ、練り歩いた後の爽快感や満足感がたまり

ません。 

私は、西口睦を通じて、先輩や後輩、多くの人たちから、

学ぶことができました。震災復興を祈願し熊野神社例大祭を成功

させましょう。

角筈

(つのはず)の由来

祭りと日本人

新宿西口商店街振興組合

   

理事長 

宮越 

貞臣

 

例年、新宿の街を沸かせる

「祭」で

ある熊野神社の例大祭は、今年も九月

十八日に執り行われることになりまし

た。当地域

の氏子で構

成される新

宿西口睦で

は、9月16

日から小田

急百貨店前

歩道に御神

酒所を設け

ます。子供

神酒所前で鬼剣舞が舞う

 

角筈は、かって、現西新宿の大

部分、新宿三丁目、歌舞伎町の

一部分に付けられていた旧町名で

ある。角筈の町名は、昭和45年か

ら順次現町名に変わり、昭和53

年に完全に消滅しました。 

町名の

由来は、この辺りを開拓した渡辺

氏の髪の束ね方が

「角」や

「矢筈」

に似ており、それが転じて

「角筈」

と言われている。

曳き太鼓の巡廻、西口睦の神輿

の町内渡御、角筈連合睦も加わっ

て、盛大に執り行われます。

 

角筈連合睦の佐藤昌之福幹事

長は

「この祭礼は、東日本大震

災復興祈願を兼ねている。これに

伴い、岩手県北上市指定無形民

俗文化財の鬼剣舞の舞を神酒所

前で28日に披露するイベントも

組まれている。」とのことなので祭

礼に花を添えるものとして期待さ

れる。

神輿渡御(みこしとぎょ)

 

角筈連合睦幹事長で、西口睦

総代の吉川欽章氏はお祭りで神

輿が町内を練り歩くのは

「お神

輿は神様が神社からお出かけに

なるときに乗る乗り物で、地域

を練り歩くことにより、災難や

穢れを吸収して清めることにあ

る。」と述べております。

 

また、今年は、西口睦

・西新

一睦・角一南部睦・角一東部睦・

歌舞伎町睦の五睦が連合し、復

興は新宿からの合言葉で、ニギニ

ギしく盛大に練り歩きます。そ

の音頭をとる西口睦の渡御長は

金子栄二郎さんが務めます。

 

新宿西口のお祭りは、戦後の混

乱もあって30年近く活動を休止し

ていましたが、西口睦の再結成に

ついて、当時の祭りの主要メンバー

であった久田見正二郎氏、宮越貞

臣氏、吉川欽章氏の三人に聞いて

みました。

 

昭和50年代の初め、新宿西口商

店連合会の会長であった上田与一

氏が、これからの商店街は若者が

担わなければならないと青年部の

結成を呼び掛けた。その中心にい

たのが久田見氏で、若者の絆をつ

なぐには

「祭り」が一番と西口睦

の再結成に動いた。熊野神社の総

代であった佐藤仙吉の尽力もあ

り、祭りに参加することができた

が、初めは祭りのやり方がわから

ず苦労が多かった。ただ神社の神

輿蔵に西口睦の「太鼓」が一つ残っ

ていたのが光明であった。だから、

祭りは浅草宮本の貸神輿で長い間

行われた。

 

何とかして自分たちの神輿を持

ちたいと寄付金集めに奔走したの

が宮越氏や吉川氏などで、今の神

輿が新調されたのが平成4年であ

る。当時の予算で三千万円強した

とのことでした。

神輿蔵に残っていた太鼓

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安心安全の街作り新聞   2011 年 (平成 23 年) 9 月 10 日

第七回通常総会

新宿十二社 

熊野神社

 

十二社熊野神社は、室町時代

の応永年間に中野長者と呼ばれた

鈴木九郎が、故郷である紀州の

熊野三山より十二所権現をうつ

し、祠ったものと伝えられていま

す。江戸時代には、熊野十二所

権現社と呼ばれた。この辺りは、

滝や池を擁した景勝地として賑わ

い、明治時代以降は、池の周り

に茶屋や料亭ができ、花柳界と

して知られるようになった。

 

熊野神社には、十二社の碑や七

人役者図絵馬、式三番奉納額な

ど文化財があります。周囲は今

は新宿新都心の高層ビル街へと変

貌しているが、新宿中央公園に隣

接する緑に囲まれた歴史と文化に

溢れる神社内に佇むと、心が洗

われる気持ちになります。

 

第七回通常総会が7月23日、

鍋茶屋で開催されました。

 

はじめに宮越理事長から

「厳し

い経済状況下にあるが新宿西口の

潜在力の強さを信じ、戦災復興

の先頭に立って頑張っていきたい。」

と強調された。次いで遠藤副理

事長が議長に選任され議案審議

に入った。平成22年度事業報告

並びに決算報告が承認され、ま

た、平成23年度事業計画、収

入支出予算案についても満場一致

で承認されました。

 

尚、事業計画では、「安心安全

の街作り新聞の発行、西口駅前

バスターミナルを再構築してバリア

フリーな歩行空間を作る協議会

に参加など、西口の活性化を推

進することが決まりました。

総会に引き続き、佐藤理事の司

会で懇親会に移つた。来賓には、

都議会議員のいのつめ氏、区議会

議員の桑原氏、下村氏、平間氏、

そして、昭和信用金庫の斉藤支

店長、小田急及び京王百貨店の

総務部長などが駆けつけお祝いの

言葉を頂きました。

大震災を乗り越えて

  

西口の活性化を推進

お神輿の担ぎ方は、江戸前担ぎ、

わっしょい担ぎなどの担ぎ方が

あるが、十二社熊野神社の担ぎ

方は「千鳥担ぎ」と言われてい

る。先棒(はなぼう)に肩を入

れるのではなく、首の後で受け

止め、両手を添える。腰を折ら

ないで足をチョイチョイ出して

千鳥足の如く進む担ぎ方です。

御神輿の担ぎ方

神輿(みこし)

 

神輿は神社の例大祭などで氏

子の区域を巡行するもので、古

くは奈良時代の記録に見られま

す。屋根、胴、台輪の3部分

からなり、屋根上には鳳凰を置

き、台には2本の棒を貫きます。

 

市川市本行徳の浅子周慶の作

で、重厚で威風堂々とした佇ま

いである。周りの高層ビルに負け

ないように、台座を高くし、鳳

凰が胸を張り天を向いているのが

特徴である。

一本締め(いっぽんじめ)

 

神輿を担ぎ始める際と、担ぎ

終わった時に拍子木に合わせて行

う儀式。最初に

「イヨー」と掛

け声をかけ3回、3回、3回、

1回と手を打つ。これは、3が3

回で九にになり、もう1回手を

打つと九に点が打たれて

「丸」

になり、「丸く納まる」の意から

きている。

半纏(はんてん)

担ぎ声は「おいさ、ちょいさ」

の軽快なチャンチキリズムで

す。

 

神輿の担ぎ手の装束。「絆」を

纏うという意味をもつ。お揃いの

半纏を着ることで、連帯感が生

まれ、神輿は半纏を纏わないと

担げません。

 

半纏の前襟には、西口睦の文

字、背中には西新壱の江戸文字

で引き締めている

手拭い(てぬぐい)

 

お祭りのアイテムで欠かせないの

「手拭い」がある。半纏と同様

に、睦ごとのデザインがあり、名

刺代わりに使用される。

古来、頭をむき出しにすることが

非礼と考えられ、不浄な頭を被

る意味で用いられる。

 

宮出しや宮入りの際に、身分の

偉い人が話すときは、かぶりもの

を取るのが礼儀とされる。

祭りの構造

 

古代においては、祭りは国や共

同体の将来をきめるマツリゴトで

あった。祭りには、神を迎え|

神を饗応し|神を送るという構

造がある。これは、宵祭り|本

祭り|後祭りの構造に見られる。

宵祭りとは宵宮ともいい、祭りに

携わる者が精進潔斎をして祭りの

準備をする行事である。これに

対して、後祭りは後宴ともいい、

本祭りで使った祭具等を仕舞い、

宴を行い、神職や氏子たちは、

神聖な潔斎の状態から、日常の

生活に戻っていくのである。

 

祭りを行う中で重要な儀礼は

「神人共食」、神と人とが共に食

事をすることにより、生命力を

更新するのである。