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1往生思想の源流とその展開

往生思想の源流とその展開

武邑尚邦

〔I〕はじめに 平成6年度の布教講会の教講を拝命、本日より4回にわたりまして

「往生思想の源流とその展開」ということで御縁を頂くことになりました。皆さんには酷暑の中の聴講ご苦労と存じますが、ただ今の門主のお言葉、総長の願いを心して共々に勉強させて頂きたいと考えております。振り返ってみますと、昭和37年の第2回の講会には「仏教教義の問題」と言うことで掌議を勧めさせて頂きましたが、当時は業の問題について、いろいろ議論のあった時でしたので、これについて種々検討したのでありました。次いで39年には「現代社会と仏教」ということで副講を、さらに44年には「真宗の救い」ということで、再度の掌議、48年に「仏教教団の諸問題」で教団論を教講として講じさせて頂いたことでした。それから約20年がたちました。今回二度目の教講を勤めさせて頂くことになりました。 時代の流れの中で、私達自身の浄土真宗という宗教的思想信条の根本的立場には変りはありませんが、一般に宗教と呼ばれるものが、時代社会の中で現実に生きて働くためには、時代の流れや社会のもっている民族性や風土性を基盤として人間生活の環境や生活形態を無視することはできません。勿論、風土性や民族性といっても、例えば、キリスト教やイスラム教のように、その成立基盤に一定の世界創造の神話を持つものの場合は、時代社会の動きを超えた根本的な理念がありますから、時代社会への対応という点では難しい問題があります。このことについては、かって、和辻博士が昭和9年から10年にかけて

『思想』の 150 号から 154 号に「牧場」という論文を発表され、そこで文化の風土性を明らかにされているのであります。今回、此処でこの問題を議論する必要はないと思いますが、博士によれば、世界の

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文化を特色づけている風土性について、ヨーロッパの牧場風土、地中海の南の砂漠地帯の砂漠風土、中国南岸と日本のモンスーン風土の三つをあげて、それらの文化の特質を論じておられるのであります。この博士の主張に、私なりの考えをつけ加えてみますと、次のようなことが考えられるのであります。一.湿潤と乾燥とがバランスよく働き雑草の生えない牧場風土に育ったヨーロッパの文化の根底には、ギリシャ以来のカオスからコスモスがという自然創造の考えがあり、そこでは知性的合理的な文化が形成されたのであります。二.暑熱と乾燥の強い地中海の南岸の砂漠地帯の文化の根底には、神が世界や人間を造ったという神意創造の考えがあり、感情的情熱的文化が形成され、三.暑熱と湿潤の働く雑草の国、日本のようなモンスーン風土に育った文化の根底には神(上・鏡)が土地も人も生んだという人間創造の考えがあり、感性的情緒的な文化が形成された と考えられるのであります。このように、民族性風土性と申しましても、それぞれに特色があり、そこで説かれる宗教は必ずしも普遍的宗教とはいえません。 ところが、釈尊の説かれた仏教の場合は、その根底に独自の世界創造説をもたないし、民族性を根底ともしないで、ただ現実の真相である無常や無我の中で人間の自我的欲望による現実苦の克服を説くのでありますから、風土や民族を異にする人々に納得のゆく教化が必要で、これを信奉する人々の民族性や生活環境を支配している風土性を無視することはできません。インドに興った仏教が、中国、日本、チベット等へと伝播し、それぞれの地域で、根本思想を保ちながら、それぞれ中国仏教、日本仏教、チベットのラマ教などと展開し、それぞれに特徴をもった教えとなったのは、これを示しています。例えば、『大智度論』に説かれ、宗祖も『本典』化土巻に引用されている「依法不依人、依了義経不依不了義経、依義不依義、依智不依識」の四依の第

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一の依法不依人、即ち、仏教は法に依る教えであり人に依ってはならないと教えられているのですが、その精神は十分に心得ながらも、中国の慈恩大師は『異部宗輪論述記』に「法在人而弘宣」と、人に重点をおいているかの如き説をなされているのであります。ここに私達は中国仏教の特色をみるのであります。例えば、宗派の名でも華厳宗を賢首宗、法相宗を慈恩宗と開祖の名で呼んでいるのであります。それにたいして、日本の場合は、全てがグループ中心のようで、完全な宗派仏教であります。これを考えますと、日本仏教は日本の民族性と風土性を基盤として形成された日本の仏教ということができるでありましょう。殊に日本の政治体制の転換期、鎌倉時代に道元、日蓮と同じく比叡山を下りられた親鸞聖人が説かれ、800 年にわたって日本人の中に定着してきた浄土真宗も変化する時代社会への対応の中で人々の救いとして生き続けてきたのであります。 このように時代社会に生きる人々の救いとならればと古来からの宗門の努力は、戦後のわが国の社会変革の中で、殊に重要な課題でありました。実は布教講会の開催は、このような時代社会の変化の中での布教のあり方を中心として、時々の課題の検討を中心として行なわれてきたのでありました。 このように、この講会の使命は時代社会に生きる真宗の教えを布教伝道を踏まえながら、今日の課題として研究することであるといえるでしょう。このような考えから今回の課題として往生の問題が取り上げられたと考えるものであります。勿論、往生の問題は浄土真宗の根本問題でありますから、これを時代社会を考慮しての課題として取り扱うことは正しくないといわれるかもしれません。しかし、現実には、この根本問題である往生思想は過去に於いてもいろいろと解釈され、同じく親鸞聖人を宗祖と仰ぐ真宗の各派でも理解の相違があるのであります。殊に、今日の現実重視の現実主義的立場に立つ人々は、この往生を未来主義であると批判する傾向があります。このような点から昭和62年の石田和上の「さとりとすくい」、63年の松野尾師の「現

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代思潮と往生思想」、平成4年の稲城師の「浄土」などの講義があったものと思うものであります。 ところが、1989〈平成元年〉12月に岩波書店から発行された『岩波仏教辞典』に「親鸞」と「教行信証」の項目に親鸞が「現世での往生を説き、この世で往生成仏と説いた」と記述されていることから、その正否が問題となったのであります。しかも、これを問題にしたのは、外でもありません西本願寺当局であったわけであります。このことは、既に皆さんの周知のことでありますので、ここで詳しく説明する必要はないでしょう。これにつきましては、平成2年の『宗報』の8月号と9月号に「宗祖における往生と成仏」という題で、当時、勧学寮の部長であり、現龍大助教授の内藤知康君が詳しく解説していますので、ここでの説明は省略しますが、これを受けて、平成2年12月の『東方』第六号に東方学院長の中村元博士が「極楽浄土にいつ生まれるか―岩波仏教辞典に対する西本願寺からの訂正申しいれをめぐっての論争」の見出しで、そのいきさつを詳しく述べておられるのであります。問題の性質上、詳しくは上記解説をご覧いただくとして、簡単にその要点について触れて、参考にさせて頂きたいと思います。 いま、『東方』によりますと、そこで、中村博士は平成2年7月21日の毎日新聞、同年7月26日の中外日報等の西本願寺が岩波書店に抗議した記事をあげ、これに関して岩波の編集部に「申入れに屈してはならない」との電話が殺到しているといわれ、それが主として大谷派の人々であると指摘しておられるのであります。そこで、これは広く意見を求むべきであると考えられ、高田派のある学者に尋ねられたところ、申し入れは穏当と考えられるから修正すべきであろうが、高圧的で護法意識の強すぎることは困りものとの返事があったといわれ、さらに、平成2年の9月2日の大阪朝日新聞や仏教タイムズの記事を紹介されています。次で、西本願寺の申し入れと内藤君の解説を掲載した後、これに反対する人や意見のある人々として曽我量深師や上田義文博士や松野純孝師らの意見をあげ、さらに大谷派の人々

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の説を列記しておられますが、それは主として未来往生は親鸞の真意でないとの主張のようであります。次に、浄土真宗親鸞会の情報部長の浅倉保氏の中村博士あての手紙が全文紹介されています。そこにはいろいろ親鸞聖人自身のお言葉をだして「結論から申しあげれば、親鸞聖人の著述の中には現世の往生と死後の往生と二つの往生がみられますので、現世のみとするのも死後のみと考えることも共に誤りであるといわざるをえません」といい、「現世での往生は説かれていない、とする西本願寺の主張は、それ自体が誤りなのであります」と言われているといわれていますが、此は誤解であろうとおもいます。当流では古来から体失往生と不体失往生を説いているのであります。氏は、次いで現世成仏については、これは認められないといわれていると紹介されています。この親鸞会の浅倉氏の意見は当宗の正しい解釈を示されていると考えてよいでしょう。ところが、最後に月刊『住職』の10月号の「浄土真宗が岩波書店に抗議した親鸞の現世往生説」という記事を紹介されているのですが、そこには、西本願寺の抗議は筋が通っていて岩波の負け本願寺の勝ちと評し、しかし、このような抗議をする西本願寺の教団には特有の性格があるとして「浄土真宗には他の宗派にないエネルギーがみとめられる。新宗教ならいざしらず。一宗の総局公室が一仏教辞書の記述に抗議するなんぞ、みんな大人になってしまった既成仏教諸派のなかで同宗以外にどの宗派があえてするだろうか」といっているのであります。最後に中村博士は、いずれも親鸞の枠内の議論であり、浄土経典には梵語やチベット語の原典を考慮すべきであると評されていますが、これは、今の議論とは外れた説明であるというべきでしょう。今回は、以上のような問題論争を考えながら、それでは、仏教で往生思想が何故説かれ、如何に展開したのか、それが親鸞聖人にどう伝承され、本願寺派の教学的理解となったかについて、皆さんと共に考えたいと思うものであります。 ところで、往生の問題につきましては、昭和64年1月に法蔵舘から刊行されました『親鸞大系』第 9 巻に、往生に関係した諸学者の

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論文が収録されていますので、参考までに、次に問題の取扱い方を考慮して組織的に整理された諸論文を紹介したいとおもいます。

一、往生思想の起源と展開 原始仏教における生天思想の研究(辻本鉄夫)原始仏教における出家道と在家道、往生思想の起源(舟橋一哉)往生思想の系譜(武邑尚邦)往生思想とその源流(藤田宏達)往生思想論考(色井秀譲)後期無量寿経と般若思想(池本重臣)

二、輪廻と往生 輪廻の思想的根拠(雲井昭善)輪廻思想は無我思想と同一の体系に属するか(和辻哲郎)原始仏教における無我説(中村元)業の問題(深浦正文)往生の意義(稲城選恵)

三、往生論―イ.往生論 親鸞聖人の往生思想(山本佛骨)真宗の往生観(稲葉秀賢)往生浄土の問題(神子上恵龍)真実証(金子大栄)真宗の生活―往生と成仏

(曽我量深)      ロ・即得往生論 西山の即便往生と真宗の即得往生と及び其の往生思想とについて

(杉紫朗)体失往生と不体失往生(藤原幸章)親鸞における往生と成仏について(星野元豊)

四、化土往生の意義 方便の因果(普賢大円)化土往生に対する疑問(村上速水)胎生論

(播谷明)

〔Ⅱ〕往生の意義 往生とは往生浄土といわれますように、浄土に往き生まれることで

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あります。この場合、浄土とは清浄の土ということで仏の国のことであることはいうまでもありません。しかし、仏の国のことを何故、浄土というのかといいますと、古来から涅槃の四徳といって、涅槃の世界は常楽我浄の四種の功徳を備えているのであります。この中、我とは大我の意味で宇宙大の人格を完成し、一切衆生を包含した絶待者である仏を指すのであり、その仏の世界は迷いの現実が無常であり、苦であり、不浄であるのに対して、常住であり、極楽であり、清浄であるというのであります。勿論、この涅槃の四徳は、凡夫が執着した常楽我浄でないことはいうまでもありません。この四徳を備えた浬藥の世界は、阿弥陀仏の世界だけではありませんから、往生浄土とは、必ずしも阿弥陀仏の浄土への往生とは限りませんが、今日では常識的に往生といいますと阿弥陀仏の浄土への往生と考えられていますし、ここで問題とするのも阿弥陀仏の浄土への往生でありますから、ここでは、弥陀の浄土への往生ということで考えてゆくことにしたいと思います。 以上のような考えに立って、往生の意味を尋ねる時、まず弥陀経典の代表経典である『大無量寿経』で往生と訳されている梵語の原語に二様の原語があることが注意されます。即ち、一つは√ upapad

或いは√ utpad を語根とした upapanna, upapatsyqte, utpqdayisyanti 等と用いられるもので、それは佛国〈Buddhak2etra〉極楽〈Sukkhqvat]lokadhqtu〉に生まれることであります。二つには pratyajqti を本として pratyajqta, pratyajanisyanti 等と使用されるものであります。ところで、この第二の pratyajqti をエジャートン〈Edgerton〉は「転生」〈reborn〉と訳しています。〈Buddhist Hybrid Sanskrit Dictionary〉。即ち、インドで一般にいわれる輪廻転生の意味であります。往生の原語が、この転生を意味する pratyajqti であることは、往生が、何らかの意味でインドで信じられていた生天思想と関連性があるように思わしめるものがあります。しかし、釈尊の仏教という立場に立つ場合、インド在来の生天思想を持ち込むことは正しくないといわねばなりません。と

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いいますのは、釈尊が出家して無所有処定を修していたアララ仙を尋ね、更に非想非非想天を目指し非想非非想定を修していたウッダカ仙を尋ね、この2仙人の修する転変説による修定主義の修行に真の解脱への道を見出すことができず、その許を去られ、当時、積集説に立っての苦行主義の苦行に進まれたことは、釈尊が生天思想に立つ修行を捨てられたことを意味していると考えられるからであります。 このように考えてきますと、この pratyajqti という語は、輪廻の意味での転生ではなく、特に仏土としての極楽に生まれ成仏の果を得するのでありますから、内容的には化生〈aupapqduka〉の意味で理解されねばなりません。といいますのは、例えば、梵文『大経』の第41章に、所謂、胎化二生の得益を述べるところで、次のように述べているからであります。「また、世尊よ。衆生が自然化生して蓮華の上に結跏趺坐する〈aupapqdukq4 padme2u parya/kai4 prqdurbhavanti〉を見たり。世尊よ、何の因、何の縁によって或るものは蓮華の内に住み〈garbhqvqsa/ prativasanti〉或るものは自然化生して蓮華の上に結跏趺坐するや」

 と、即ち、同じく浄土に生まれながら、或るものは蓮華の内に住み、或るものは蓮華の上に結跏趺坐するのは、どのような因と縁によるのであるかと問うのであります。それにたいして、経は次に主として胎生について、それが仏法にたいして疑惑〈vicikitsa〉をもつからであるといい、そのために同じく浄土に生まれながら含華のままでいて、見仏聞法供養ができないので、悟りへの唯一の他利利他が果たせないので、真実の利益を得て成仏できないといっているのであります。 このようにして、往生浄土とは浄土に自然化生することであり、しかも、それが化生であることは、じかに仏に仕え、仏の加被力によって聞法供養せしめられて、自利利他円満の仏果を完成するためであるといえるでしょう。修行者にとっては、あらゆる修行は自利行であります。しかし、仏果は自利利他円満でなければなりません。とすれば、因行としての利他行はどうして可能であるのでしょうか。それが、見

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仏聞法し仏によってしからしめられる仏への供養であります。一般に往生浄土して修行に適した環境のよいところで修行を積み、他利利他せしめられて成仏得果するといわれるのはこのことであります。このようにして、往生浄土は成仏への要請として説かれるようになったのであります。

〔Ⅲ〕成仏の要件としての見仏 以上述べてきましたように、仏果を成就するためには、単なる自学自習では、それを達成することはできません。それには、必ず直接に仏に出会って仏を供養しなければなりません。ジャータカに説かれていますように、釈尊は因位に24仏について修行されたといわれます。即ち、逢事仏であります。この逢事仏が見仏といわれ、観仏となり、これらを総合して念仏となったのであります。このように、仏に直接出会い、聞法供養することが、成仏の第一要件であります。大乗の菩薩道を説いた彼の『十地経』には、世親が『十地経論』に果利益勝の摂報果の中の出家果を明かすと指摘した中の入三昧と見仏を説いた処に初地から十地までの各地に次のような類型的な叙述をみるのであります。「諸々の仏子よ。是の菩薩は此の菩薩の歓喜地に住しおわりて、多くの諸仏を見る。大神通力と大願力とを以っての故なり。多百の仏、多千の仏、―中略―多百千万億由他の仏を見たてまつる。大神通力と大願力とをもっての故なり。是の菩薩は諸仏を見る時、上心と深心とをもって供養し、恭敬し、尊重し、讃嘆し、衣服、飲食、臥具、湯薬、一切の供具を悉く以って奉施し。諸々の菩薩の上妙の楽具を以って衆僧を供養す。此の善根を以って、皆な願じて阿耨多羅三藐三菩提に回向す。 是の菩薩は諸仏を供養するに因るが故に、衆生を教化し利益する法を成ず」と、

 ここに、見仏聞法供養が衆生教化の利他の法を成ずというのであり

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ますが、それは単に修行者の修行としての聞法供養ではなく、見仏し仏の加被力をうけるからであります。まさしく、他に利せられた利他であります。 さらに経典は、これに続いて衆生を利益する法である四摂法を説いているのであります。「かくて彼が諸仏世尊を供養する時、衆生を成熟することが生ず。彼は布施と愛語との摂事によって諸々の衆生を成熟す。更に信解の力によって後の二の利益である利楽と同事の摂事が生ずるが、それは全智に通達したからではない」

 と。世親はこの入三昧と見仏は智慧の修習を目指すものであり、それによって衆生に正信を生ぜしめ、衆生を利益するものであるといっているのであります。即ち、見仏供養が衆生利益の利他行を成ぜしめるものであるというのであります。 以上、菩薩道を説く代表経典である『十地経』の上に見仏のもつ意味をみてきましたが、この見仏とは、仏に直接出会って仏の加被力のもとで、聞法し親近供養し他に利せられる他利利他の行であることをしるのであります。このように、成仏の根本要件は見仏に集約されるのであります。したがって、見仏の不可能な胎生、含華のものには、たとえ、浄土に往生しても見仏ができないので、開華の時まで成仏は不可能ということになります。このようにして、無仏の時代での成仏の要件を満足するためには、仏の現在する仏の国に自然化生と往生しなければならないのであります。 ところで、このように仏果の完成の根本契機が見仏であるとする、このような菩薩道の立場は、何処にその源をもっているのでしょうか。それは、仏滅300年頃に菩薩道として体系化された十地思想が、釈尊の本生話を含む仏伝に示される成仏道の組織体系化であることを考えますと、それは、古くは仏伝に説かれる逢事仏といわれたものに源を持つと考えられるのであります。この逢事仏とは、単に仏に出会うのではなく、仏に出会い仕えることであります。このようにして、直

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接、仏に出会い仏力によって聞法供養せしめられて、仏に育てられるのであります。このような逢事仏を成仏の契機とすることは、ジャータカの中に同じような形式で説かれているのであります。南伝の『ブッダバンサ』〈Buddhavamsa〉には、釈尊の成道について過去世に24仏について、十波羅蜜を行じ、師仏より授記〈vyqkaraza〉を受けたと説かれています。勿論、ここでは釈尊についでありますが、成仏には逢事仏、波羅蜜行の実習、師仏よりの授記等が、その要件であることが示されているのであります。これは、人間が人間界に人間として生まれ、生涯をとおして人間によって育てられて、本当の人格を完成した人間に成るのと同じでありましょう。人間でない動物によって育てられれば人間は動物になるのであります。 このことは、北伝の仏教でも同様であります。その最も整った形で説かれているものは、部派仏教の経量部がかった説一切有部の教義が述べられている世親の『倶舎論』「業品」の叙述でありますが、それは『大毘婆沙論』に説かれる菩薩の修する波羅蜜行に関して示される逢事仏の説をうけたものであります。即ち、『論』の178巻に「問う。此の四波羅蜜多を修する時、一々の阿僧企耶に於いて幾仏に逢事するや。答う。初劫阿僧企耶に七万五千仏に逢事す。最初は釈迦牟尼と名ずけ最後は宝髻と名ずく。第二阿僧企耶に七万六千仏に逢事す。―乃至―第三阿僧企耶には七万七千仏に逢事す。最初は燃灯にして、最後は勝観と名ずく。相異熟業を修する九十一劫中に於いて六仏に逢事す。最初は即ち勝観にして最後は迦葉波と名ずく」等と。

 これは、三祇百大劫の菩薩の修行について、ことに九劫超過して九十一劫で成仏したといわれる釈尊の前生について述べたものでありますが、ここに、明らかに成仏の為の逢事仏が説かれているのであります。『倶舎論』巻18の「業品」は、これをうけているのであります。勿論、此は一仏一菩薩に立つ部派仏教でありますから、一切衆生の成仏を説く大乗仏教とは立場を異にしますが、成仏の要件として見仏聞

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法供養を説いているのであります。 また、これと同時に師仏からの授記の考えも本生話の成立の頃であったと考えられます。授記の原語 vyqkaraza は「説明する」「記述する」という意味の√ vyak3i からつくられた中性名詞であり、質問にたいして説明し、自分の心境を告白することでありますが、これが仏から成仏を告げられる意味となったのでありましょう。自学自習して自分で修行を成就したと考えたとしても、成仏は必ず悟りを開いて成仏した師仏より、それが証明されねばならないというのであります。単なる自覚は真に自覚ではないというのであります。学業を終えたことを証明する卒業証書が必要であるのと同様であります。これが授記のもつ重要な意味であります。『南本涅槃経』巻14「梵行品」第二十之一に十二部経の中の授記経について「何らをか名ずけて授記経となすや。経律あり如来説く時、諸々の天人のために、仏、記別を授く。汝、阿逸多、未来に王あり、名ずけて儴怯という。まさに是の世に於いて仏道を成じて号して弥勒というが如し。これを授記経と名ずく」

とありますし、龍樹は『大智度論』巻33に「成仏の記別を与えるを授記という」と説明しているのであります。 以上のように、逢事仏授記が成仏に必要な要件であるとしますと、それは現に仏がおられる時でなければなりません。『大毘婆沙論』や『倶舎論』が有仏の時代でなければ、衆生の成仏は不可能であると説くのは当然であります。それでは、大乗仏教に於いて一切衆生の成仏を説くことのできるのはどうしてでありましょうか。実は、このようなことから、仏の現在する浄土へ往生して、この成仏の要件を満足するという往生思想が生まれてきたのであります。それでは、それがどのようにして説かれるようになったのか。次に、此の点について明らかにしようと思うのであります。

〔Ⅳ〕無仏時の成仏道について

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 以上に述べてきましたように、仏教における成仏道が逢事仏と授記を必要条件とするならば、釈尊滅後のこの世界での無仏時の成仏は不可能といわねばなりません。勿論、釈尊のみが仏であり、その教えを受けた弟子達は聲聞として悟りを開いても仏ではなく、自利のみの阿羅漢であるとする一仏一菩薩思想に立つ仏教の場合は問題ではありませんが、世界観の拡がりの中で他方世界の存在を認めるようになりますと、この一仏一菩薩思想は変更を余儀なくされ、多仏多菩薩思想が主張され、改めて衆生の成仏が問題となるのであります。ところで、このような考えが典籍の上にあらわれたのが、部派仏教の中の説出世部の仏伝書であります『大事』〈Mahqvastu〉であります。その「十地品」には、一切の国土に仏は生ずるかどうかと問題を提起して、それにたいして、仏は秀でた相好をもっているし、長い間修行した智慧者であり、一切の法に通達したものであり、一切の衆生に安楽を与えるものである、このような人は仲々得難いものであるから、一切の国土には現れることはないと説いているのであります。次いで、それではそのような仏は一国土に二仏が併起することがあるかどうかと問い。それにたいして、二仏の併起はありえないと、次のように説いているのであります。「仏陀の成し遂げた仕事は、人中の龍王によってもすることのできないものであり、仏陀の本質〈Buddhadharmatq〉は完全なものである。そこで、この完全な本質を有する仏は一国土に二仏は併起せず」

 といい。しかし、他方の国土には、それぞれ仏がおられ、そこには副国土があって、それぞれに教師がいるのであると説き、更に「仏弟子よ。若しそれ程多くの仏がおられ、一仏が無量の衆生を涅槃に導くならば、久しからずして一切の衆生を涅槃に導くことになり、この世界は、その本質を失い、一切衆生は空無となるであろう」

 との疑問を出しているのであります。このことは、後の大乗仏教でも何らかの形で問い続けられていた問題であります。かの華厳宗の賢首大師法蔵は『華厳五教章』の中の「所詮差別」の「種性差別」で悉

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有仏性を説くことに関して、すべて衆生が皆な作仏するならば、衆生は幾ら多くても、いずれは作仏して衆生はいなくなるであろう。もしそうならば。最後の成仏を願うものは、所化の衆生はいないのであるから、利他行は出来ないから成仏できないであろう等と。衆生有尽の難、後仏無化の難、行欠成仏の難、仏徳有尽の難、自語相違の難、損不損の難、総難等の七難七答して、この問題を議論しているのであります。いま、それは兎に角として、『大事』では、この質問にたいして、長老大迦栴延が長老大迦葉に答えたとして、次のようにいっているのであります。「常に満たされているならば、(衆生は)空無になるであろうけれども、常に拠り所なく安住出来ないものがある。如何に世界〈p3ithiv]dhqtu〉が多くとも、また衆生〈satva〉が、それ以上に、さらに多くとも彼の最上者〈parama dar1ina〉にとっては異生〈p3ithagjana〉といわれる。人中最上者の教えを聞く衆生の極限が何処にあるだろうかと。これは大聖〈Mahar1iza〉の説き給うものなり」

 といっているのであります。ここでは、世界観の拡がりによって、他方国土にではありますが、多仏の同時存在を認めているのであります。しかも、仏の導きによって一仏国で衆生が皆な涅槃することがありうるとするならば、仏の利他活動はできなくなり、仏の本質は無いこととなるであろうとの問いにたいしては、人中の最上者からすれば、他の人々は凡夫異生にすぎないと一仏の立場に立っているのであります。その点では一仏一菩薩の立場を抜け切ってはいないといわねばなりません。ところが、この問題は大乗仏教の興起と共に大きな変化を生ずることとなったのであります。 これについては龍樹は『大智度論』巻4(大 . 25, 93b-c)に、次のように述べているのであります。「仏は説く。一三千大千世界中、一時に二仏なし。十方世界に現在仏なしと謂うにあらず。四天下世界中に一時に二転輪聖王出ることなし。この大福徳の人怨敵と世を共にすること無きが故に。是

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をもっての故に四天下には一転輪王のみなり。仏も亦た是の如し。三千大千世界中に於いて、また二仏の出ることなし。仏及び転輪聖王は経に一種なりと説く。汝、何を以って余の四天下に更に転輪聖王ありと信じ、而も余の三千大千世界中に更に仏ありと信ぜずや。 復た、次に一仏は一切の衆生を度することを得ることあたわず。若し一仏が一切の衆生を度せば、余仏を須いざるべし。但だ一仏のみ出ずれば諸仏の法の如く、度すべき衆生を度しおわって滅す。燭尽きて火の滅するが如し。〔しかし〕有為法は無常にして性空の故に、是をもっての故に、現在にまた更に余仏あるべし。 復た、次に衆生は無量にして苦も無量なり。是の故にまさに大心の菩薩出ることあるべく、亦、まさに無量の仏の出世して諸々の衆生を度すことあるべし」

といっているのであります。 いま、この『大論』によりますと、そこでは、一、一世界には二仏の併起はない。二、しかし、他方世界では別の仏の出世を認めるべきであるから現在

同時多仏を認めるべきである。三、衆生は際限なく生ずるから、多仏の出世を認めるべきである。四、衆生が無際限であるから苦もまた無際限である、そこで、それを

救う大心の菩薩がなければならない。五、成仏を目指す菩薩が無量であれば、仏もまた、当然、無量に出現

するはずである。というのであり、ここには部派仏教からの離脱がみられるのであります。 ところが、これが弥勒の『瑜伽師地論』になりますと、さらに強力な現在同時多仏説の主張へと進展するのであります。即ち、『同論』巻38(大 . 30 499c)によりますと、そこでは、次のようなことが述べられているのであります。即ち、十方無量の世界には同時に無量の諸仏が出現する。何故かといえば、現に十方世界には無量の諸菩薩

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が同時に発願し六度の行を行じているのであるから、これらの菩薩が同時に成仏することがないとはいえない。また、あっても支障はないであろう。ただ、しかし、同時に一度に成仏しても何の利益にもならないから、時と国土を異にして別々に成仏されるだけてあると。ここに、明確な形で現在同時多仏説が主張されるようになるのであります。 このようにして、大乗菩薩道の普遍化は同時現在多仏説の主張となるのであります。ところで、このような成仏道の根本には、衆生無辺誓願度を初めとする四弘誓願があります。したがって、たとえ衆生の数は無辺であっても誓って救わずにはおかないとの願いをもって修行し、その願いを成就して成仏された仏ならば、二仏の併起は必要がありませんし、一世界に一仏でよいはずです。しかし、その仏が現存しない無仏の世界では、いくら修行に励んでも、前に示しました成仏の要件であります見仏は不可能でありますから、成仏することはできません。そこで、このような状況の中で、成仏を求めるならば、何らかの見仏の方法を講じなければなりません。これが、三昧による見仏であります。前に挙げました『十地経』は、これを代表するものでありましょう。しかし、そこでは、無仏の時代の見仏は意識されていませんから、仏の国への往生という考えは説かれないのでありますこれを意識しながらも、三昧による見仏の成就を信じて説かれたのが『般舟三昧経』『菩薩念仏三昧経』『観仏三昧海経』等の三昧関係の経であります。殊に、私達にとって注意すべきことでありますが、自分は釈尊の導きで無生法忍を得させて頂いたが、釈尊入滅後の無仏の時代の衆生は、どうして見仏し仏に導かれることができるのかとの韋提希夫人の問いに始まる『観無量寿経』の依報観、正報観の叙述は注意すべきでありますが、兎に角、三昧による見仏が説かれるようになるのであります。中でも、その代表的なものが諸仏現前三昧といわれます般舟三昧を説く『般舟三昧経』であります。 この経は「広大な智慧を得、堅固なる心を得、常に仏を見奉るには如何にすべきや」との賢護菩薩の問いに対して「そのような種々の功

17往生思想の源流とその展開

徳を得んとするならば、まさに般舟三昧を修すべし」との仏の答えに始まるのであります。次いで、この三昧を発得するについて西方の阿弥陀仏を念ずべきであるとし、しかも、この三昧は空三昧であり、この三昧を発得すれば、自由に三世の諸仏を見奉ることができ、この三昧の成就によって自然に六波羅蜜の功徳を満足することができると説いているのであります。更に、三昧経典の功徳利益の広大なることを説き、しかも、この三昧による見仏が般若皆空の理と離れないことを説いている点は、注意すべきでありましょう。経は最後に賢護菩薩自身が燃灯仏の三昧を証して成仏の授記を得たことを述べ、三昧による正覚の内容を述べて、三昧経典の書写伝持を勧めているのであります。このような三昧の重視は三昧に入ることによって仏と同じ境地となりうることを示しているのであります。このことは、例えば、『大無量壽経』は大寂定、弥陀三昧に入って説かれるように、それぞれの経は、釈尊がそれぞれの三昧に入って、その経の説者としての仏となって説かれていることに知られるのであります。 以上のように、西方の阿弥陀仏を念ずる念仏によって発得された三昧による見仏によって、前に述べました逢事仏の内容である仏への親近供養や六度の行の満足と授記までも得することができるというのであります。このように、見仏と念仏との結合は「念仏三昧必見仏、命終之後生仏前、見彼臨終勧念仏」と『華厳経』〈大 . 9, 437b〉にも説かれているのであります。このように、阿弥陀仏や燃灯仏等の仏を念ずる念仏によって、六度の行を満足し、仏の授記をえて成仏すると説かれているのであります。 以上、成仏の契機としての見仏と授記が、念仏三昧の中で仏の加被をうけて遂行され、成仏道が完成することを見てきたのでありますが、此と関連して、それでは、更に往生浄土による成仏が、何故説かれなければならなくなったのでありましょうか。このことについてその経過を尋ねてみようとおもいます。 さて、往生思想の興りについて、一つの示唆をあたえるものがあり

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ます。それは『瑜伽師地論』の次の主張であります。即ち、そこでは諸仏を拝見するのに二種の方法があると説いているのであります。その中、一つは仏の教えを聞いて内心に菩提心を起こして、教えをよく領解し十方世界に住したまえる多くの仏にたいして、浄信をもって現見したいとの願いを起こし努力精進する方法であり、他の一つは心に正しい願いを起こして、それぞれの仏の世界に往生して願いのままに仏を現見する方法とであるというのであります。 いま、この『論』に示されている見仏についての二種の因縁をみますと、これは現に仏の存在しない無佛の時代の中で、成仏の契機となる見仏を果たすための二つの方法を示したものと考えられるのであります。即ち、無仏の時代における見仏の方法の一つは念仏三昧による現世見仏の方法であり、他の一つは仏の現存する浄土に往生して直接逢仏する往生見仏であります。ところで、ここに第一の現世の三昧見仏だけでなく、第二の往生見仏が説かれるのは、仏教が単に出家者のためだけでなく、在家者をも含めて一切の衆生の成仏道として考えられていたことをしめしていると考えられますし、さらに、釈尊滅後における釈尊の人格的影響の低下をかたる正像末の三時思想による末法の自覚があったと考えられるのであります。しかし、この点については、後に考えるとして、以上に明らかなように往生浄土ということは、成仏の契機としての見仏と授記を満足せしめる成仏道として説かれたものであり、それは部派仏教の一佛一菩薩思想から大乗の多仏多菩薩思想へと展開する根拠となった一切皆成仏思想からの要請であったといえるでしょう。 それでは往生思想の背景となった末法という時代観とはどのようなものであるのでしょうか。これが、正像末の三時思想の末であることはいうまでもありませんが、それはインドで部派仏教の時代には思想として確立していなかったことはいうまでもありません。ところが、仏滅 500 年頃、西暦紀元前後になって、教団内部の教学の対立から釈尊の教えの帰趨に迷うような事態になったのであります。こ

19往生思想の源流とその展開

のような中で、仏弟子達の間に正法の衰退と像法の流行を意識するようになったと考えられるのであります。即ち正法〈saddharma〉と像法〈saddharma_pratir[paka〉の自覚であります。例えば、正法 500年、像法 1000 年を説く『大集経』月蔵分、法滅尽品の所説。正法1000 年、像法 500 年を説く。『悲華経』。正像各 500 年を説く。『賢劫経』等であります。ところで、これらの経典では末法は説かれていません。また、偽経の疑いがありますが、『蓮華面経』『大乗同性経』には末世と法滅という語はありますが、末法という語はありません。このような点から考えますと、経典の上では末法とは、滅法とみてよいように思われるのであります。このことは、末法の梵語でありますsaddharma_vipralopa が、正法の滅を意味していることからも明らかであります。しかし、後世では末法の後に法滅を説きます。しかし、この正、像、末、法滅の考えは、中国の学者の著作に見られ、日本の仏教が強調しますので、中国、日本の仏教で説かれた説であると考えられるのであります。 ところで、この三時について、その特質をかんがえるのに、参考となるのが、『大集経』巻55に、宗祖にも見られます五五百年説であります。即ち、仏入滅後 500 年中は解脱堅固、次の 500 年は禅定三昧堅固、次の 500 年は読誦多聞堅固、次の 500 年は多造塔寺堅固、最後の 500 年は闘諍堅固白法穏没等といわれるのであります。後世の末法 10,000 年の考えでは五五百年説の最後の 500 年の様相をとるものと考えられていたといえるでしょう。しかし、三時の特色は多くは、教行証の三法説によって説かれたと考えられます。即ち、正法期には教行証の三法が存在し、像法期には教行の二法が、末法期には教のみが存在するという説であります。このような三時思想を信じていた人々にとって、例えば『周書異記』などによって、仏滅を考えた人々にとっては、西紀第6世紀はまさに末法期に入ったことになり、行証の不可能な時代であり、到底、成仏は覚束無いことでした。中国では北斎の慧思〈562-645〉、隋代の三階教の信行〈540-584〉、同代の

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浄土教の道綽〈562-645〉等の人々は、この成仏への問題に苦しんだ人々であったと考えられます。また、日本では源信〈941-1017〉源空〈1132-1212〉でありました。 さて、このような時代意識の中で求められたのが、現生での逢事仏ではなく、往生浄土しての逢仏修行であったのであります。源信の天台の止観念仏から称名念仏への転換は、これを物語るものでありましょう。それでは、このような往生浄土の教えは、どのような教えとして確立されたのでしょうか。次に、このことについて考えたいと思います。

〔V〕浄土教に於ける往生の意義 さて、それでは浄土教の伝承の中で往生とはどのように説かれてきたのでしょうか。まず、往生については『黒谷上人語燈録』巻6の「往生要集大網」第7(大 . 83, 133b)に往生とは、「捨此往彼、蓮華化生」なり。といわれ、此を釈して「草庵瞑目之間、便是蓮台結趺之時、従聖衆後一念之頃、得生西方極楽世界、故言往生也」といっているのであります。 ここに示されていますように、往生とは此の煩悩に汚れている世界から彼の悟りの清浄の世界に往くことであり、それは蓮華の台の上に結跏趺坐して、聖衆の後に従って臨終の一念に西方極楽世界に生まれることであるというのであります。このような往生浄土の教えを説くのが浄土教であると説明されているのであります。しかも、この教えを説かれたのが道綽禅師であると「綽禅師によるに、略して二教を立て、もって一代仏教を判ず。一に聖道教、二には浄土教なり」と道綽の二教判を説き、浄土の法門について、次のように説かれているのであります。「抑も三乗四乗の聖道は、正像すでに過ぎ、末法時にいたれば、但だ虚しく教えのみあり、行証あることなし。かるが故に澆末の世に断惑証理を求めて入聖得果する人、是れ甚だ得難し。しかれば、即

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ち何をもって生死を離るることを得んや。 然るに往生浄土の法門は、未だ無明煩悩を断ぜずといえども、弥陀の願力によって彼の浄土に生じ、三界を超出して永く生死を離る。その事跡を求るに紀伝戴するもの甚だ多し。かるが故に知る。往生浄土の法門は、是れ未だ惑を断ぜずして三界を過ぐるの法門となりと」

 以上のように往生浄土の教えを説いておられるのであります。即ち、浄土教とは無明煩悩の未断の衆生が阿弥陀仏の本願力によって往生浄土して生死を離れる教えということであります。 ところで、この捨此往彼、蓮華化生の経典のよりどころはといいますと、それはいうまでもなく、『大経』の「胎化段」の次の経文であります。「その時、慈氏菩薩、佛に申していわく。世尊よ。何の因、何の縁ありてか、彼の国の人民、胎生化生なるやと。仏、慈氏に告げたもう。 若し衆生ありて、疑惑の心をもって諸々の功徳を修して、彼の国に生ぜんと願はんに、仏智、不思議智、不可称智、大乗広智、無等無倫最上勝智を了せずして、この諸智に於いて疑惑して信ぜず。然も、なお罪福を信じ、善本を修習し、その国に生まれんと願ず。此の諸々の衆生、彼の宮殿に生まれて寿五百歳、常に仏を見奉らず、経法を聞かず、菩薩、声聞の聖衆を見奉らず。この故に、かの国土に於いて、これを胎生という。若し衆生あって明らかに仏智乃至勝智を信じ、諸々の功徳をなして、信心廻向すれば、この諸々の衆生、七宝の華中において、自然に化生し伽跣して坐し、須臾の間に身相・光明・智慧・功徳、諸々の菩薩の如く具足し成就せん」

以上の漢訳を梵文で見れば、次のように説かれています。「また、世尊よ。彼処に蓮華の中に化生し、結跏趺坐して出現する衆生がある、世尊よ。何の因、何の縁によってか〈hetu4 ka4 pratyaya4〉或るものは胎蔵住処〈grabha_qvqsa〉に住し、また他の或るものは、自然化生して蓮華に於いて結跏趺坐して〈paryanka〉

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出現するや」 と問い。この二つの生について、次のように説明しています。一、他の仏国に住する諸菩薩で疑いをもちながら極楽世界に生まれん

と願い、その心のままに善根を植えたものは、それによって、極楽にうまれて胎蔵住処に住するのである。

二、また、無疑にして惑を断じ、極楽世界に生まれんとして、諸善根を植え、諸仏世尊の無碍智を受持信解したるものは、蓮華の上に自然化生して結伽跣坐して出現するのである。

と。 ここに明らかなように疑惑仏智、植諸善根のものは胎生でありますし、信解仏智、植諸善根のものは、自然化生であると説いているのであります。勿論、ここにいわれる胎生と化生とが、一般にいわれる胎卵濕化の四生でないことはいうまでもありません。この四生の場合は原語が jarqyu_jqti, azfa_jqti, sa/sveda_jqti, upapqduka_jqti でありますが、ここでは胎生は garbhqvqsa でありますし、化生は aupapqduka であります。即ち、子供ができ、そこで育って生まれ出る女性の子宮を意味する garbha を住処としているものが胎生のものであり、蓮華に包まれているので含華といいますが、そのために見仏することができず成仏できないのが胎生のものといわれるのであります。これにたいして、化生の aupapqduka のものとは自然化成して蓮華上に結跏趺坐するものであり、佛智を信解受持し、見仏聞法供養して成仏することのできるものであります。 さて、それでは、ここに説かれるような往生とは具体的にはどのようなことをいうのでありましょうか。次にその点について考え、今回の講義の結講としたいと思います。

〔Ⅵ〕結講 さて講義の最初の日に申しましたように、今回、この講会で往生の問題をとりあげましたのは、往生浄土真実之教であります浄土真宗に

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とって、教学上重要な問題であります往生浄土ということを未来主義的であると批判し、宗祖親鸞聖人が現世での往生、他力信心による現世での往生成仏を説かれたというような考えが、識者の間で主張されていることに関して、これを成仏の教えとしての仏教という根本に立って問い直したいとの思いからでありました。 このような思いで、今日まで三回わたって、このことについての私の考えを経論によって述べてまいりました。最後に聖人が法然上人の許で、殊に強い影響を受けられたと思われます曇鸞大師の『浄土論註』について、その伝承の次第を辿ってみたいと思います。 曇鸞大師は往生について、天親菩薩の『浄土論』の「世尊我一心 帰命盡十方 無碍光如来 願生安楽国」をうけて、その中の願生安楽国の願生を註して、これを述べておられるのであります。『論註』の上に「願生安楽国とは、この一句は是れ作願門なり。天親菩薩の帰命の意なり」

 と言い、安楽については、後の観察門で考えるといって、次に「願生」について問答されているのであります。「問うて曰く、大乗経論に処処に衆生は畢竟無生にして虚空の如しと説けり。云何が天親菩薩は願生と言うや」

 という。即ち、大乗の立場にたてば、一切法は空無自性であり無生であり、虚空にも喩えられるものである。それに天親菩薩は生ぜんと願ずと生を願われるのは理に反することであろうというのであります。ところが、これにたいして、無生というのには、二様の意味があると「答えて曰く、衆生は無生にして虚空の如しと説くに二種あり」

 といって、これを説明しているのであります。即ち、 一には、凡夫は自分達が考えているような実の衆生がいて、此処に死んで彼処に生まれるように考えているが、そのようなことは本来的にありえないことで、それは丁度亀には本来毛がないのに、あ

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るが如くに考えるのと同じで、衆生は虚空のように空無である。 二には、あらゆるものは因縁所生であって、本来不生であって、仮に生というので、凡夫が考えるような実の衆生があって、実の生死があるのではない。

 いま、天親菩薩が「生まれんと願う」といわれたのは、この因縁生の上でいわれたのであるというのであります。 それならば、往き生れるという往生とはどのような意味なのかと問い。それにたいして、次のように答えているのであります。「この世間に住んでいる因縁生の衆生(仮名人)が礼拝等の五念門を修めて往生する場合、前の一瞬に命終し、次の一瞬に生まれるが、その場合の其の人の修める前念の心は後念の心のために因となる。この迷いの世界の人(穢土の仮名人)と浄土に生まれた人(浄土の仮名人)とは、きまって一ともいわれず、きまって異ともいわれない。前心と後心との関係もまたこれと同じである。何故かというに、もし同一ならば因果の別がないことになり、また別異であるというならば、同一のものの相続でないことになるからである」

 と。即ち、此処で衆生といったところで、それは実の死にたいする実の生ということではなく、仮名〈praj`qpti〉であるから、無生であり、この無生のままが生なのであるというのでありますが、それならば、何故、天親菩薩は願生といわれたのであるのだろうか。現実の生が迷いの世界の生であり、多くの禍の根本であるからと、この生を捨てても、また、浄土の生を求めるのであれば、此と彼と差別する彼比差別の心で願うことになって、生は尽きないであろうという疑いがでてくる。そこで、この疑いを解くために、彼の円満な浄土の荘厳功徳成就を観察するのであると、次のように説くのであります。「彼の浄土は、是れ阿弥陀仏の真如法性にかなった清浄本願力によって受けるところの生死相対をこえた無生の生であって、三界の迷いの世界での虚妄の生とは異なるものである」

と説いています。しかし、それは如何なる理由によるのかといえば

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「抑も真如法性というものは清浄であって、生死相対を超えた畢竟無生の真実そのものである。そのような世界に生まれるという言葉を使ったのは、そのような世界に生まれようとするものの心情にしたがっただけである」

といっているのであります。 ところで、此の世界での生を捨てて、また浄土の生を求めるというならば、彼比差別して生は尽きないことになるではないかというのにたいして、この疑いを解くために17種の荘厳功徳成就を観ずるのであるといったが、この荘厳功徳成就の観察は、この疑いを除くためだけではないといって「復た、次に此の十七種の功徳は、しばらく但だ上にいった疑いを解くばかりではない。此の十七種の荘厳功徳成就を観ずれば、能く真実の浄信を生じて。必定して彼の安楽仏土に往生できるのである」

 と説いているのであります。 ところが、このように生即無生を悟るということは、機根の優れた立派な往生人には間違いはないであろうが、機根の劣った往生人の場合は、十念念仏で往生するので、このような人は実の生滅にとらわれているから、不生不滅の浄土をも実の生滅とみてしまい、真の浄土に生まれることはできないし、かりに浄土に生まれたとしても、生死に執らわれ惑いを起こすでありましょう。それでは意味が無いではないかという問いにたいして、次のように説くのであります。「喩えば、浄摩尼珠を濁水におけば、珠の力で水が清浄となるようなものである。もし凡夫で無量劫の間、迷わねばならぬ罪があっても、かの阿弥陀如来の法性真如にかなったこの上もない清浄の名号を聞いて、これを濁った心の中にいただくならば、念々の中に罪が滅し清浄の徳を得て往生が得られるのである」

 といい、しかも、かの阿弥陀如来の浄土は無上の宝珠があって、これを往生した人の心水に投げ入れるのであるから、この往生人の生見

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を転じて無生の智とすることができるのであるといって、有名な氷上燃火の喩を説いているのであります。即ち、氷の上に薪を積んで、それに点火すれば、薪の燃えるにしたがって氷は溶け、この氷の溶けるにしたがって火は消えてしまう。このように、実の生ありと見生の思いをもって、浄土に生まれても浄土の土徳ともいうべき無生の悟りの働き、即ち如来の本願力によって転成せしめられ、見生の火は自然に消滅するというのであります。 このように、往生浄土とは輪廻における再生としての生ではなく、解脱涅槃の体認としての生であります。それを無生の生というのでありますし、迷いの生存において経験する死を伴う生ではありません。ところで、道綽はこの曇鸞を受けて『安楽集』上に前に述べてきた本文を全部にわたって引用しているのであります。 日本浄土教の始祖ともいうべき源信僧都は『往生要素』に、『安楽集』を15回も引用しながら『安楽集』が述べる曇鸞には触れていないのであります。此処では難易二道に触れながらも、やはり天台の止観を立場とする口称と観念の念仏を説いているのであります。即ち念仏は、結局、一心三観の完成のための念仏であったわけであります。これに納得がいかず山を降りられた親鸞聖人は法然の許をたずねられたのであります。親鸞聖人は天台でいう凡聖同居士の浄土の阿弥陀仏の救いには満足できなかったのでありましょう。 29歳で法然の門に入った親鸞聖人は、33歳で『選擇集』の付属をうけられたのでありますが、この書の初めの二門章を読まれた聖人の感激は深いものがあったと想像されるのであります。それは曇鸞を受けた道綽の『安楽集』のそれであったからであります。しかも、二門を立てる理由は、聖道を捨て浄土に入らしめんがためであるというのであります。それは大聖を去ること遠く、理が深く理解が難しいから、五濁末法の今日、聖道門では成仏は不可能であり、浄土の易行のみが成仏の道であるとの教えであります。このようにして、親鸞聖人は末世の成仏道である往生浄土の真実の教を伝承されたのでありまし

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たが、聖人が道綽、源空をうけ綽空と名乗られ、法然上人の門に入り善導、源信を偲び善信といい、流罪の後、聖覚の非僧非俗を思い愚禿といい、親鸞と称されて天親と曇鸞を慕われたことを考えますとき、聖人の浄土真宗の伝承が、如何なる師達によられたのか、殊にその教学の面における天親、曇鸞の『浄土論』『論註』の重さを感ずるのであります。 以上、講義として行き届かない点も多かったことでありましたが、今後の皆さんの布教伝道への幾分でも参考となりますれば幸せに存じます。一層の御精進を念じつつ、今回のご縁を終らしていただきます。有難うございました。

(勧学・龍大名誉教授)


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