Download - 道徳 「人のために尽くす」 - Kofu...-2-「 だ れ に も 愛 さ れ ず,世 話 を し て も ら え ず に い る 赤 ん ぼ う を 死 な せ る よ う
道徳
「人のために尽くす」~やさしさや思いやりの心を生かそう~
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マザー・テレサ
少女のときから,修道女になることを志してきたテレサは,18才でインドへわたり,
神に一生をささげて奉仕に生きるちかいをたてた。2年後,修道女としての修練を終えた
テレサは,やがてカルカッタにある聖マリア女学校の校長をまかされることになった。
この学校に通う生徒たちはめぐまれた生活をしていたが,学校を一歩出れば,町には貧
しい人々があふれていた。テレサは人々の悲さんなくらしに心をいためた。
家のない人や,ハンセン病のために家を追われた人たちなどがひしめき合ってくらして
いるのに,救いの手をさしのべる者はいない。テレサは決心した。
(わたしの使命は,貧しい人々の中に飛びこんで,苦しんでいる人たちに,すべてをささ
げて生きることだ
)。
テレサは38才で校長をやめ
パトナという町の病院で
かん護の知識や技術を学んだ
,
,
。
4か月の訓練を終えたあと,テレサはカルカッタにもどると,すぐに活動を始めた。
テレサの最初の仕事は,貧しいために病院へいけない人々をかん護することであり,学
校にいけない子どもたちに,文字や計算を教えることだった。ノートも黒板もない。協力
者もいない。たったひとりで,地面を黒板がわりに,木の枝で文字を書いて教えた。
(貧しさからぬけだすことができるようにするためには,学校へ行きたくても行けない子
どもたちに教育を受けさせることがたいせつだ
)。
そう考え始めたテレサの青空教室は
次第に5人
10人と子どもたちがふえていった
,
,
。
子どもたちに勉強を教えるだけでなく,貧しい人たちの住む町を歩いて,道ばたにたお
れている病人の手当てをしたり,自分がほどこしを受けたわずかな食料を分け与えたりし
た。
「歩いて,歩いて,つかれはてたときになってはじめて,わたしにも,かれらがどんなに
苦しい思いをしているのかがわかりました
」。
テレサの活動は少しずつ実を結びはじめ,女学校のときの教え子が協力してくれるよう
にもなった
テレサは40才のころから
親しみとうやまいをこめて
マザー・テレサ
。
,
,「
」
とよばれるようになった。
ある日,マザーはひとりの老女が道ばたにたおれているのを見つけた。すぐにだきおこ
して目の前の病院へ運んだが,
「助かる見こみのない病人に貸すベットはない
」。
と,病院は受け入れをこばんだ。しかし,マザーは一歩もひかなかった。老女を受け入れ
させ,その命を救った。こうしたことは,毎日のように起こっていた。マザーたちの目の
とどかない路上で死んでいき,そのままにされる人も,あとをたたない。
マザーは,貧しい人たちが心安らかに死をむかえられる施設を作ろうと決心して「死を
し
せ
つ
待つ人の家」を開設した。
かいせつ
当時のカルカッタは人口が600万から800万人。そのうち20万人もの人々が路上
で生活をしていたといわれ,親にすてられる子どもも多かった。マザーたちは子どもたち
の世話をするため
「孤児の家」を
開いた。マザーは言った。
,
こ
じ
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「だれにも愛されず,世話をしてもらえずにいる赤んぼうを死なせるようなことがあって
はなりません
」。
また,ハンセン病で苦しんでいる人たちのためには
「希望の家」を開設した。
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1979年(昭和54年
,69才のマザーはノーベル平和賞を受賞した。その晴れの
)
席にも,いつものサリー(インドの民族衣装)とサンダルすがたで出席して,こうあいさ
みんぞくいしよう
つした。
「わたしは,世界のもっとも貧しい人々に代わって賞を受けました。晩さん会の費用は貧
ばん
しい人たちのためにお使いください
」。
貧しい人々にひたむきにつくすことだけに人生をささげてきた,マザー・テレサ。その
大きな活動の輪も
初めはたったひとりからの出発だった
カルカッタの貧しい町まちで
,
。
,
ひとりの人間から他のひとりへ,そしてまた他のひとりへ手わたしされてきた愛だった。
その手わたしの愛こそが,あとについてくる仲間たちへ広がり,ついには世界へ輪を広げ
たのだ。そんなマザーが,わたしたちにこう言っている。
「パンの飢えがあるように,豊かな国にも思いやりや愛情を求める,
う
はげしい飢えがあります。だれからも愛されず,必要とされない心の
う
いたみです。あたえてください。あなたの心がいたむほどに
」。
(出典
学研
みんなのどうとく
6年
山梨県版)