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理学療法診断学 609

はじめに

 日本は米国と並んで,世界でもっとも理学療法士を擁す国となった。また誕生直後は 3年制だった養成課程が,現在では大学院教育まで行われている。数の増加によるメリットは少なくない。しかし急激な増加によるデメリット,特に若手理学療法士世代の‘団塊化’(30歳までの理学療法士で,全体の約半数を占める)は,中堅・ベテランと新卒者・学生との間で行われる現場教育を難しくした可能性がある。その結果として,「歩行障害があるから歩行練習」「関節可動域制限があるから関節可動域練習」という短絡的な介入が常態化しているかもしれない。 また理学療法士の職域に対する他職種からの圧力(みなしPT制度や特定看護師制度)は,医師の診断・処方があれば理学療法を行える(なければ行えない),という制度に寄りかかった他力依存体質が招いた産物という見方もできなくはない。つまり,理学療法の必要性を自身で判断する技術を養い可視化していくことを怠った結果,長年求めていた“法律による業務独占権の確保”とは反対方向に社会が舵を切ってしまったのではないか。 そしてもっとも危惧すべきは,この現状を見聞きした高校生,その両親,そして教師が理学療法士を職業リストから外す,またはすでに理学療法の学科で学ぶ学生や卒業したての若い理学療法士が転職することで発生する頭脳流出(Brain Drain)かもしれない。これが続けば近い将来の結果として,業界の空洞化・弱体化が起こり,社会に資する職能集団は名ばかりとなる。似たような現象は,優秀な人材に生活基盤を提供できない

社会主義国や共産主義国で,すでに起こっている。 これが現実なのか,単なる悲観論なのかの判断は会員諸兄に任せたい。しかし,これからは政治力の強化をはじめとした,業界の存続を確保するための戦略的介入が必須であろう。同時にそれだけでは,“いじめられっ子”が親を呼んで“いじめっ子”をやっつけてもらう構図と根本的に同じである。いじめられないように腕を磨き,それを相手に伝えることも,同様に重要であろう。そしてそれは,臨床・研究において培った力を誇張せず等身大に可視化し,この職能の不透明性を解決していくことにほかならない。

職能の可視化

 2000(平成 12)年に鹿児島で開催された第 35 回日本理学療法士学会の基調講演で,当時イリノイ大学の理学療法学科教授Rothstein JMは;「サイエンスベース,エビデンスベースのケアをリハビリテーションで行うことは,我々を他のヘルスケアの実践家とともに確固たる位置に導くだろう。そして我々はそれをできるだけ早く実現していかなければならない」(理学療法学,27 巻4号,pp. 95‒96,基調講演 3「世界の理学療法」より引用)と述べている。さらに同教授は,‘誰かが研修会でそう教えていたから’という理学療法士の伝統的思考習慣や,生物学的基礎研究による知見や理論のみに基づく理学療法からの脱却を提言し,臨床研究によって本当に理論通りに効果があるのかを観察すること(つまり実証すること),そして理学療法士による障害診断に基づいた介入が必要であるとしている。欧米の理学療法士によるこういった提言や活動の結果,理学療法関連の研究論文の数は飛躍的に増大した。系統的レビュー論文(根拠としてもっとも説得力のある論文)の数は 1990 年代前半までは50 本にも満たなかったものが 1),2013(平成 25)年 6 月現在では 4,087 件にまで膨れ上がっている 2)。 このような戦略は,ビジネスの世界ではいわばあたりまえである。一橋大学の野中郁次郎教授は世界でもっとも成功している企業の特徴として,暗黙知から形式知への変換作業を意識的,かつ組織的に実践している企業であると述べている 3)。ここでいう暗黙知とは,主観的,経験的な知であり,はっきりとこれだと示すことが難しい技能や技巧が含まれる。一方形式知とは,客観的,理性的な知であり,言語や数字を介して明示することが可能なもので,結果として伝達・共有が可能となる知識である。興味深いのは,世界で成功している日本企業は,現

理学療法学 第 40 巻第 8号 609 ~ 614 頁(2013 年)

理学療法診断学構築の方法と意義*

玉利光太郎 1) 内 田 茂 博 2) 天 野 徹 哉 3)

伊 藤 秀 幸 4) 田 中 繁 治 5) 森 川 真 也 6)

専門領域研究部会 運動器理学療法 特別セッション「教育講演」

* Method and Significance of Developing Physical Therapy Diagnostics in the Path to Professionalism

1) 国立障害者リハビリテーションセンター(ペルー共和国;JICAシニアボランティア参加)

(Av. Defensores del Moro S/N, Chorrillos, Lima, Perú) Kotaro Tamari, PT, PhD: Instituto Nacional de Rehabilitación,

Perú 2) 広島国際大学 Shigehiro Uchida, PT, MS: Hiroshima International University 3) 宝塚医療大学 Tetsuya Amano, PT, MS: Takaraduka University of Medical and

Health Care 4) 山口コ・メディカル学院 Hideyuki Ito, PT, MS: Yamaguchi Allied Health College 5) 専門学校川崎リハビリテーション学院 Shigeharu Tanaka, PT, MS: Kawasaki Junior College of

Rehabilitation 6) 放射線第一病院 Sinya Morikawa, PT, MS: Department of Rehabilitation,

Hohsyasen Daiichi Hospital キーワード:存在意義,透明性,職能

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理学療法学 第 40 巻第 8号610

場の社員がもつ各々の経験や直感,洞察力などの暗黙知を個人の中だけでなく,中堅の社員との議論を通して意識的に形式知化して組織で共有していることである。そして,その共有化された形式知を,そのままではバラバラで収集のつかない知の集合体から,企業の目的と社会のニーズに合ったかたちに集約して商品化するのが企業の上層部の仕事であるらしい。このような知の変換作業を,欧米の理学療法士が体系的に組織立てて行っていた。それゆえに,ひとつの組織として社会に認められていったと考えられるのである。  職能の可視化においてカギとなるのは,理学療法士に固有の職能,いいかえれば他職種には真似できない職能を可視化する戦略である。この点において,理学療法介入の効果を示す無作為化比較対照試験や系統的レビューは,医療従事者全般および社会にとって有用な根拠かもしれないが,ここには 2つの問題がある。1つ目は,医療費をはじめとする社会保障費の高騰を抑制したい省庁は,「○△運動療法に効果があるのであれば,単価の安い‘みなしPT’に運動療法を担ってもらおう」と考え,‘みなしPT’制度を盲目的に後押しする可能性があることである。さらに運動療法や物理療法はどの職種が行うことも合法であり,素人でも実施すること自体は可能である。したがって,優秀なブレインを有し,資金力も豊富な企業がフィットネスクラブを起業し,“効果”が認められた運動療法を国の医療費を消費することなく広く社会に提供していけば,国にとっても社会にとっても恩恵をもたらすと過大評価されるかもしれない。 しかし,リハビリや運動療法にも他の治療法と同様に適用と禁忌があり,万能ではない。たとえば糖尿病患者における運動後の低血糖の発生はよく知られるところであり 4),先行研究でも12週のレジスタンスエクササイズ教室に参加した高齢糖尿病患者は,糖尿病を有さない高齢者と比べて,有意に痛みなどの主観的精神機能が悪化したと報告されている 5)。同様に変形性膝関節症患者に対する抵抗運動では,水治療法に比べ関節痛や関節水腫発生の有意な増加が報告されており 6),下肢関節症を有する高齢者は,そうでない高齢者に比べ,約5倍体操教室参加後に主観的身体機能が低下すると示唆されている 7)。したがって,介入効果に関する根拠自体は重要であるが,必要十分ではない。 では理学療法士に固有であり,かつ社会に有益な職能はなんであろうか。それは基本動作をはじめとする様々なマクロ・ミクロ的運動機能・身体機能障害の有無を同定し,その要因や帰結を医学的・科学的・心理社会学的な観点から見きわめ,必要なプランを考案する評価推論能力ではないだろうか。養成課程における基礎医学そして運動学・解剖学・生理学を基盤として,臨床経験とともに育まれるこの技術は,他職種にとって実質的に実行不可能な要素を多くもつ。 しかしながらその多くが演繹的考察であるため,様々な課題も併せもつ。推論の妥当性を客観的に検証することが困難であること,そしてその結果,自己完結型の推論が野放しとなっていることである。したがって,演繹的推論を臨床疫学的な手法で可能な限り可視化し,それが治療効果や医療経済学的効果を生みだしているかどうかを帰納的に結論づける必要がある。その結果として,技術や職能の透明性を改善し,現場教育上の問題や社会への説明責任に一定の効果をもたらすと考えられる。

理学療法診断とは

 診断とは患者の「異常な状態」を把握し,介入に有用な情報を得るためのプロセスであり,このプロセスをひとつの体系にまとめたものが「診断学」である。医師が行う診断には,病因論的立場や解剖学的立場,あるいは病理学的立場などがあり,疾病が発生した背景にある原因を,おもに生理学的・病理学的に考察することによって疾病を同定する。この疾病の診断は,危険を伴う「絶対的医行為」と位置づけられ,医師法によって医師のみが行う行為と規定される。 一方,理学療法診断は,疾病の同定ではなく,様々な要因によって生じた運動機能障害を同定し,その関連因子や予後を予測し,理学療法による効果を判断するプロセスと定義できる。理学療法そのものが危険性の少ない相対的医行為に位置づけられ,本邦においては医師の処方によって行われるものである。したがってその行為を客観的指標によって可視化し,確率と検査特性値から,定量的に判断していくことは,安全性を増しこそすれ危険性を増すことはない。ちなみに,看護師の行う業務も医行為のひとつであり,医師の指示のもとに行われる。そして看護協会ではすでに去る 1991(平成 3)年に日本看護診断研究会を発足させ,1995(平成 7)年には第一回日本看護診断学会を開催している。また学術誌「看護診断」も刊行され,看護診断に関する書籍は国内だけでもおびただしい。看護診断の定義は,簡潔にいえば疾病等に対する身体や精神の「反応」を,診断指標に基づき診断するものである 8)。またそのカバーする領域は広く,歩行障害やADL障害,廃用性症候群を含む。看護業界のこういった取り組みは見習うべき点が多いが,その一方で,歩行障害やADL障害等の運動機能障害においては,理学療法士がその専門性を発揮して,より確かな診断指標を構築していく必要があろう。

理学療法診断の実際

 本稿では紙面の都合から,運動機能障害の有無や程度を判断する運動機能障害の同定に関する説明は他に譲り 9),理学療法の適用判断について以降述べていく。理学療法適用判断とは,理学療法の効果を予測することによってその必要性の有無や介入法の是非を判断することである。この過程には,理学療法を実際に行っているものでなければわからない暗黙知が多く存在するため,固有の職能といってよいだろう。そして本論で繰り返し述べているように,その経験知が可視化され,客観化・普遍化されることで,診断の信ぴょう性を高めるだけでなく,患者への説明責任を果たすことが可能となる。 米国医学界のワーキンググループは,1990 年代よりエビデンスに基づく診断(Evidence Based Diagnosis)を提唱している。診断のためのエビデンスとして,臨床疫学的手法による臨床予測式(Clinical Prediction Rule: 以下,CPR)の構築が推奨されており 10),そこでは 3つの段階を重視している。すなわち,1)CPR の抽出(Derivation study),2)CPR の妥当性検討(Validation study),3)CPR の効果検討であり(Impact analysis),1)では対象集団に対する縦断研究によって予後予測モデルを抽出する段階である。しかしながら,シングルアー

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理学療法診断学 611

ムで行われるため,介入効果もプラセボ効果も混在した予後を予測するモデルが抽出されることに注意が必要である。次の段階の CPR の妥当性検討では,無作為比較対照試験(RCT)によってツーアーム以上で縦断研究が行われるため,介入による真の効果を予測するモデルを抽出できる。また先行研究で抽出された CPR が,他の類似集団でも抽出されるかどうかを検討する研究もこの段階に含まれる。最後の段階では,構築されたCPRを用いて診療を行った際に,従来の CPRを用いない方法と比較して,治療経過や医療経済学的効果が得られるかを検討する段階である。この段階で効果を確認できてはじめて臨床的に有用なCPRが確立したといえる 10)。 理学療法の領域では,2000 年代に入って CPRを抽出するための研究が行われはじめ,表 1のようなモデルが抽出されている 11)12)。その手順は縦断研究の手法であり(図 1),もっとも重要な過程のひとつが,潜在的予測因子(Potential predictorsまたは Candidate predictors)の決定である。ここで予測因子の選択を誤れば,効果を予測する因子はなにひとつ抽出されずに終わる。したがって,国内外の先行研究を十分に渉猟したうえで潜在的予測因子を採用することが望ましい。しかしこれら既出の因子だけでは結果を十分に予測できないことが少なくない。したがって,臨床経験で暗黙知となっている,予測性能の高い因子を数量化することが鍵である。これによって,これまでの予測モデルの判別性能を高め,その抽出された因子が,他の施設においても重要な因子であることを確認できれば,普遍的な価値をもった診断モデルを提案することが可能となる。 図 1のアウトカムとは,治療効果の判断指標を指す。ここでは大きく分けて運動機能障害の改善または悪化などの障害特異的アウトカムにする場合と,より包括的な患者満足度やGlobal Rating of Change(以下,GROC)13)指標を用いる場合がある。障害特異的アウトカムを選択する場合は,介入前後,つまりベースラインとフォローアップの 2点で測定を行い,「改善 /悪化」などと評価する。その際,使用されるアウトカム尺度が患者の生活や疾病の状態などに直接あるいは間接的に影響を及ぼすことがあきらかになっているものを選択したほうがよい。この点があきらかになっていない変数を,臨床経験をもとに興

味本位でアウトカムとして用いてしまうと,たとえそのアウトカムを予測する因子が抽出されたとしても,臨床的,社会的意義は不明のままの,いわゆる“So what ?(だからなに?)研究”となってしまう。 包括的アウトカムであるGROCは,マイナス 5(非常に悪化)からプラス 5(非常に改善)までの 11 段階のスケールで表示され(マイナス7からプラス7までの15段階スケールもある),理学療法終了後(フォローアップ)の「改善/悪化」の程度を患者が主観的に選択する方法である 14)。それぞれの運動機能障害の「改善/悪化」を患者視点で包括的にとらえた尺度であり,簡便で実用性が確認されているため使用頻度が高い。一方,患者側の視点からの評価であるため,患者の記憶力やものの見方に影響されやすい 13)。障害特異的なアウトカムと包括的なアウトカムのどちらがより重要ということではなく,必要性や意義に応じて使えばよいだろう。 図 1⑧の診断特性の算出では,④で選択された潜在的予測因子と,⑤で選択されたアウトカムとの関連を分析し,予測因子の感度と特異度を算出する。感度と特異度は診断性能を表す尺度であり,これらを算出して使用することによって,患者の検

表 1 理学療法診断(理学療法の適用判断)モデルの例

対象 介入法 予測因子 事前確率 事後確立(改善可能性)

頸部痛および IADL障害 *頸椎牽引+Ex

C4-C7 に対するMob. 時の上肢への放散痛上肢神経伸長テスト肩外転テスト頸椎牽引テスト55 歳以上

44% 3/5 項目陽性で 79.2%

1/5 項目陽性で 47.6%

膝 OAによる膝痛のための歩行障害†

股関節モビライゼーション

股関節痛・鼠径部痛・しびれ大腿前面痛他動股屈曲ROM< 122°他動股内旋ROM< 17°股関節離開による疼痛

68% 1/5 項目陽性で 92%

略語:Mob.= モビライゼーション,Ex=エクササイズ事前確率:ある集団におけるアウトカム改善者の割合事後確率:介入後の改善確率であり,予測因子の結果(陽性数)によって変化する* Currier et al. 2007† Raney et al. 2009

図 1 理学療法診断学構築のための手順の一例BL:ベースライン FU:フォローアップ

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理学療法学 第 40 巻第 8号612

査結果に応じたアウトカムの発生確率を推定することが可能になる。ここでは,わかりやすくするために仮に腰痛症を有する者 10 名を対象として,腹横筋エクササイズで改善を示す者を予測する研究を仮定する。たとえば潜在的予測因子として採用した「腰椎の過剰運動性」の検査結果が,GROCにおける改善/不変を図 2のように予測したとする。この場合,この検査の診断特性は感度= 2 ÷ 4 = 50%,特異度= 4 ÷ 6 = 66.7%と算出される。また「Lumbar quadrant test」の場合は,感度=4÷ 4= 100%,特異度= 1÷ 6= 17%である。 感度と特異度が求まり,腹横筋エクササイズによる腰痛の一般的な改善率におおよその見当をつけることができれば,対象者の検査結果に応じた改善率をそれぞれ推定できる。その算出式は;

 陽性的中率=検査前確率×感度

検査前確率×感度+(1-検査前確率)×(1-特異度)

 陰性的中率=(1-検査前確率)×特異度

(1-検査前確率)×特異度+検査前確率×(1-感度)

であり,陽性的中率は検査が陽性だった場合に,実際にその患者が改善を示す確率(的中率は検査後確率とも呼ばれる),陰性的中率は検査が陰性だった場合に,実際にその患者が悪化を示す確率,検査前確率は,ここでは腹横筋エクササイズによる腰痛の一般的な改善率を指す。この推定はThomas Beyes による主観的確率論(ベイズの定理)に基づいており 15),検査前確率は,類似した対象群を追跡した論文等で算出されている確率を用いるのが一般的である。しかし勤務する医療施設の特性や患者属性,および問診結果や治療者の経験によって,検査前確率は変化しうる。たとえば,急性期病院の入院リハと整形クリニックの外来リハでは,同じ腹横筋エクササイズを実施しても腰痛の改善率は異なるであろうし,整形クリニック内でも,経験のある治療者と初心者ではその改善率は異なるだろう。 また,検査をする前からその改善率が極端に高い,あるいは低いことがわかっている場合は,たとえ感度・特異度の優れた検査を用いても検査後確率に大きな変化は生じない。たとえば,非特異的腰痛に対する腹横筋エクササイズが腰痛を改善させる一般的な確率(検査前確率)が 30%だと仮定する。その効

果を予測する感度と特異度がともに 90%である検査─ここでは仮に肋骨角の狭まりとする─が陽性であった患者Aさんの場合,腰痛が改善する確率(陽性的中率)は;

 陽性的中率=0.3 × 0.9

0.3×0.9+(1.0-0.3)×(1.0-0.9)≒ 0.794

と算出され,約 80%の確率でAさんは腹横筋エクササイズの恩恵を受けると推定できる。一方,腰椎圧迫骨折由来の腰痛に対する腹横筋エクササイズが腰痛を改善させる確率は,理論的には非常に低いであろう。ここではその確率(検査前確率)を1%と仮定する。肋骨角の狭まりが陽性であった圧迫骨折由来の腰痛患者である Bさんが,同エクササイズによって恩恵を受ける確率を,上の式に倣って算出していただきたい。検査前確率の影響が大きいことがわかるであろう。 このように検査後確率は検査前確率に大きく影響を受けるが,上の例のように,検査前確率が極端に低いことが予想される症例に対して,理学療法が処方・適用されることは通常考えにくい。したがって,一般的にはどの程度の感度や特異度をもって,除外・確定診断に有効であるかを知っておくことは重要である。ここでは尤度比という指標を紹介する。尤度比はもっともらしさ,を示す指標であり,検査結果が陽性の時に,正診率と誤診率の比を示すのが陽性尤度比である。一方,検査結果が陰性の時の誤診率と正診率の比を示すのが陰性尤度比である。それぞれは;

 陽性尤度比=感度

1-特異度

 陰性尤度比=1-感度特異度

で算出できる。上の式「1-特異度」は,誤って陽性と判断してしまう確率を指しており偽陽性率と呼ばれる。一方「1-感度」は,誤って陰性と判断してしまう確率を指し,偽陰性率と呼ばれる。一般的には,陽性尤度比が 10 以上の場合,確定診断に有効な検査とされる。同様に,陰性尤度比が 0.1 以下の場合は除外診断に有効とされる 16)。しかしこのような高い診断精度をもつ指標は,保健科学領域ではなかなか存在せず,多くが陽性尤度比1から5,陰性尤度比が0.5から1である。したがって,上の肋骨角の狭まりの例のような,単独の検査項目での診断は,通常不可能である。 そこで表 1の例のように,一定の判別能をもつ検査を複数組み合わせることによって,診断精度を高める必要がある。医師が確定診断を下すために様々な検査を実施するのも,診断精度を高めるためである。しかし,ここで注意しなければいけないのが,それぞれの予測因子が互いに独立していることが証明されていなければならないことである(図 3左上)。たとえば「腰椎の過剰運動性(腹臥位で腰椎に対して後方から前方へ他動的に圧力をかけたときの腰椎不安定性の有無)」検査で治療成績を判別できる特性(図 3a と c)と ,「腹臥位での症状の有無」検査で治療成績を判別する特性(図 3a と b)とが,完全に重なっている場合は,どちらか一方の検査のみを実施する。同じ

図 2 理学療法介入後の各種検査の診断特性の算出例

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理学療法診断学 613

特性をもつ検査を 2度繰り返して,確率を過大評価してしまうことを避けるためである。一方,図 3a(たとえば股関節伸展による痛みの有無)のように両検査で共通して評価している特性があったとしても,図 3b(長時間にわたる軽度腰椎前彎による痛みの有無),図 3c(腰椎前方不安定性の有無)のように互いが独立して評価する特性を有している場合は,組み合わせて評価することによって診断精度を高めることができる。 もう一点留意しておかなければいけないのが,薬物療法の有無や疾病の重症度,年齢,罹患期間など,治療成績に大きな影響を及ぼす交絡因子から,予測因子が独立していることを確認することである(図 3右下)。つまり,治療成績が薬物療法等の理学療法士にとっては介入不可能な交絡因子によって決まっている部分と,介入可能な要素によって決まっている部分を区別したうえで,運動・身体機能障害検査の診断特性をあきらかにする必要がある。これを検討していない予後予測は,検査後確率の過大・過小評価をもたらすだけでなく,障害像を正しく理解することを妨げる結果となるため注意が必要である。 この問題を解決するひとつの方法として,二項ロジスティック回帰分析という多変量解析の手法を用いることが挙げられる。この方法の詳細は成書 17)に譲るが,簡単にいうと二値化されたアウトカム(治療成績)の発生確率を予測するうえで,交絡因子の影響も踏まえたうえで,どの予測因子(二値化された検査値)の組み合わせがもっとも判別精度が高いかを,予測モデルとして提示してくれるものである。これによって抽出された変数の診断特性値をもとに,検査結果を踏まえて検査後確率を算出していく。その際; 検査後オッズ= 検査前オッズ×検査Aの尤度比×検査 Bの

尤度比×…

のように,まずは検査後オッズを算出してから,検査後確率を求める方法が簡便である。オッズは可能性を示す指標のひとつだが,確率とは異なり,起きる確率と起きない確率の比を示す。たとえば,ある事象が生じる可能性が五分五分の場合,確率は0.5(50%)と表記され,オッズは 1.0(0.5/0.5)と表記される。その確率が 0.3(30%)の場合のオッズは約 0.429(0.3/0.7)である。検査後オッズが求まれば,それを次式で検査後確率に変換する;

 検査後確率=検査後オッズ1+検査後オッズ

 大まかな検査後確率を知りたい場合は,ノモグラム(図4)15)を用いると,より簡便で臨床的であろう。 ここまで述べてきた方法は,理学療法診断学を構築するうえでのひとつの方法に過ぎない。またいずれにおいても本節冒頭でも述べたように,抽出された CPR の妥当性を他の集団で確認し,その利用が診療成績や医療経済学的効果を導いてはじめて,これらの指標の臨床的有効性が認められる。したがって,

図 3  治療成績を予測する因子同士の独立性と交絡因子(薬物療法など)の影響

左上:治療成績を予測する因子として 5つの因子が検討されていると仮定する.その時,腹臥位での症状の有無と腰椎過剰運動性の有無は,互いに共通したことを評価している特性(a)と,そうでない特性(bと c)がある.この bと c の特性がそれぞれの因子になければ,この 2つの検査を別々に行う意味はない.右下:5つの因子は一見治療成績を独立して予測するかにみえる.しかし股関節ROMと筋緊張については,薬物療法を受けていた人にこれらの因子の改善がみられており,その結果として痛み(治療成績)がおさまっている可能性も否定できない.

図 4 治療成績(発生確率)を求めるためのノモグラム検査前確率(Baseline Probability)を(A)に,算出された尤度比(Odds Ratio)を(B)にプロットし,両点を結んだ線分を(C)まで延長する.延長線と Cとの交点が検査後確率(Post-exposure Probability)を示す.たとえば,検査前確率が 50%(つまりよくなる確率が 5 分 5 分)の場面を想定してみたい.ある患者に対して,介入前に一連の検査を実施したとしよう.その一連の検査で陽性を示す検査が 3つ以上あった場合の陽性尤度比が 3.0 であった場合,その患者が介入によってよくなる検査後確率は概ね 75%と推定できる(BMJ Publishing Group Ltd. より許可を得て掲載).

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理学療法学 第 40 巻第 8号614

診断学に関連する研究報告で提案されたカットオフ値や診断特性を臨床で利用する際は,対象者の類似性や診断能力の限界を十分に理解したうえで使用することが求められる。

理学療法診断学構築の意義

 理学療法診断学構築により,理学療法の必要性・妥当性や効果を予測したうえで理学療法を実施するという診療形態への移行を促進することが期待できる。そして理学療法を等身大に捉え,必要性の認められる人に正しく適用していくことで入院期間や医療技術の過用・誤用を是正し,医療費の適正配分と削減に貢献していくことが期待できる。 また学生教育や新人教育のコアカリキュラムとして,運動機能障害診断や理学療法適用診断を役立たせることも可能であろう。Dreyfus ら 18)は,学習者が技能や技術を学んでいく段階を,Novice(初心者),Competence(中級者),Profi ciency(上級者),Expertise(エキスパート),そしてMastery(師範クラス)の 5段階に分け,中級者以下ではより形式知が必要であり,エキスパート以上ではより経験知が必要になると述べている。経験の浅い理学療法士にとっては,形式知化された知識を手掛かりにして技術を習得していくことの方が効率的である。また患者に評価や治療の根拠を示す時にも診断学的知見を参照できるため,質の保証・透明性の確保にもつながる。 もうひとつの意義は,理学療法士固有の職能の確立である。理学療法診断そのものが,理学療法士のみ行うことのできる技術であることはすでに述べた。しかしより重要なことは,クリティカルパスや標準化された理学療法では改善の見こみが薄い患者の適用診断を行い,より経験のある理学療法士が担当していく仕組みをつくることで,誰でもできる理学療法と,適正なトレーニングを積んだ理学療法士にしかできない理学療法とを区別することである。このように,専門的で高度な技術を伴う理学療法を,専門理学療法士等の独占業務としていく道筋をつけるひとつの仕掛けとして,理学療法診断学の構築は有効であろう。

理学療法診断学構築のための環境づくり

 理学療法診断学構築のためには,臨床推論能力と臨床疫学的知識が必要不可欠である。したがって臨床現場と大学が手を組んで共同作業をしていく必要があり,大学院に入学した臨床フィールドのある院生との研究はその一例であろう。また診断学構築に興味のある若い会員を集約し,その能力・活力を研究に傾注させる仕組みが必要である。県士会支部組織や各地の有志がつくる学習グループ等,最前線で働く理学療法士に近い組織は,これらの役割を担うことが可能であろう。筆者らも「理学療法診断学教室」(http://physical-therapy-diagnostics-group.kenkyuukai.jp/)という研究グループを立ち上げ,全国から多施設共同研究を実施するための同志を募り,研究計画・倫理審査書類の作成,現地指導やインターネットを介した分析・論文執筆のアドバイスを行っている。これらの仕組みを早急に構築し,協会が代議士や省庁への働きかけを行う際の根拠を提供できるようにしていくことが重要である。

結  語

 整形外科医は,折れた骨を観血的に整復し接合させる。料理

家は,食材をアレンジした一品を客に提供する。翻訳家は,他国の言語を翻訳して社会に伝える。どの仕事も,職能としての領域が明確であり,かつ提供するサービスが可視化されているため,受け手がその質を判断することが可能である。結果として,これらの職種は専門家として認知され,職能技術も発展する。 理学療法士にもこのような職能はあり,そのひとつが本論の内容である。しかしながら,診断学が普遍性を求めるが故に,考え方や見方の均質化を助長し,医療にとって重要な多様性を損なう可能性があることも指摘しておきたい。多様性を失った生物が環境の変化に対応できず絶滅したことはよく知られている。よい医療にとって学問は不可欠であるが,よい医療とは学問以上でなければならない。また,診断学の他にも理学療法士に固有の職能は少なくない。それらを一つひとつ可視化し,次の世代に等身大に伝えていくことで,技術を正しく発展させていく土台ができあがる。この拙論がその一助となれば幸いである。

文  献

1) Parker-Taillon D, Bury T, et al.: Evidence based practice-an international perspective-report of an expert meeting of WCPT member organisations. In: London: World Confederation for Physical Therapy. 2001: 1‒35.

2) The George Institute for Global Health. [Internet] New South Wales: Pedro-Physiotherapy Evidence Database [updated 2013 July 1; cited 2013 July 14]. Available from: http://www.pedro.org.au/.

3) 野中郁次郎,竹内弘高:知識創造企業.東洋経済新報社,東京,1996. 4) Horton ES: Diabetes Mellitus. In: Frontera WR, Slovik DM,

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Japanese Physical Therapy Association

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