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モーツァルト《魔笛》における異界 : <夜の女王>を中心に(TheSirenical Sphere in Die Zauberflote : Focusing on the Queen of Night)
著者Author(s) 長野, 順子
掲載誌・巻号・ページCitat ion 美学芸術学論集,2:1-21
刊行日Issue date 2006-03
資源タイプResource Type Departmental Bullet in Paper / 紀要論文
版区分Resource Version publisher
権利Rights
DOI
JaLCDOI 10.24546/81002312
URL http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/81002312
PDF issue: 2020-11-02
美学芸術学論集 神戸大学芸術学研究室 2006年 1
モーツァル ト《魔笛》における異界
- (夜の女王)を中心に-
長野 順子
序 新 しい神話'
まず私はここで一つの考えについて語ろう。それは私の知るかぎり、これまでいか
なる人間も思いっかなかったものである。--一すなわちわれわれは、新しい神話を
もたなければならない。しかしこの神言割ま理念に仕えるものでなければならず、ま
たそれは (理性)の神話とならなければならない。
「ドイツ観念論最古の体系計画」(1796-7年)1
モーツァル トの最後のオペラ 《魔笛 (D1'eZaubez:Gb'te)》 2は、物語の奇抜 さと音楽の魅
力によって人々の関心をひいてきた。封建社会から市民社会-の大転換期にあって、この
作品は、新 しい ドイツ ・オペラの出発点を画 した。それまでのイタリア語オペラから脱 し
て、モーツァル トはは じめて民衆劇場のために、ドイツ語の音楽劇に取 りくんだのである。
貴族文化 と市民の文化 とがせめぎ合 うなか、ここには異種のジャンルが混清 し、不思議な
舞台空間が現出している。近代 とい う新 しい時代の息吹が感 じられるだけでなく、後景-
と退きつつある世界も決 して輝 きを失っていない。それ どころか、衝突する二つの世界が
両立する、稀有なユー トピア的瞬間が、ここにある。
軽妙 さと崇高さが入 りまじった物語には、さまざまなシンボルが含まれている。伝統的
な 「救出」 ドラマが前半部で挫折におわると、後半からは、それぞれが自律的 「人間」-
と脱皮する、いわば自己 「救済」の ドラマがはじまる (下線は主要な登場人物)。
狩りで岩山に迷って大蛇に襲われた王子タミ-ノは、この領域を支配する夜の女王の三人の侍女に救
われ、女王の娘バミーナを悪者の手から救い出すよう頼まれる。彼は女王に仕える鳥刺レ 1パゲ-ノ
と、それぞれに魔法の笛と鈴を携えて、バミーナがモノスタートスに見張られる太陽の神殿、ザラス
上三の国に赴くが、捕われてしまう (第1幕)。ザラストロと僧侶たちは、タミ-ノを彼らの神殿に
受け入れようと、まず沈黙の行を課す。その後三人の童子に自殺から救われたバミーナは、タミ-ノ
とともに火と水の試練を乗り越える。途中で脱落して自殺を試みるパパゲ-ノも、最後にはパパゲ一
三と結ばれる。夜の女王たちは奈落に沈み、太陽の光が輝きわたる (第2幕)。
《魔笛》の起源を、広範囲な古代の神話に求めることができるのはたしかである。だが
1GeorgWilhelmFriedrichHegel,Wez:ke,Theorie-Werkausgabe(Suhrkamp),Bd.1,S.236.若き--ゲルは、友人の-ルダーリンやシェリングとの交流のなかで、この断片を執筆したとされる。2 《魔笛》(K620,1791)、全2幕のドイツ語オペラ。台本:E・シカネ-ダー (EmanuelSchikaneder,1751-1812)、音楽 :W・A・モーツァルト(WolfgangAmadeusMozart,1756-1791)o初演 :1791年 9月 30日、アウフ・デア.ヴイーデン (フライハウス)劇場 (TheaterimFreihausaurderWiedenzuWien)。
2
それとは別に、この作品は近代の 「新しい総合的な神話をつくる試み」を表わしている、
というのが、スログェニアの哲学者M ・ドラーの解釈である3。「闇」に対する 「光」の勝
利という古代の物語は、「迷妄」から「理性」-と目覚める近代の啓蒙主義のモデルとなり、
この啓蒙主義に神話的な基盤を与えている、と彼は考える。
「近代」を、宗教的迷妄や封建的支配から解放された 「理性」と科学の時代ととらえる
ならば、「神話」とは、その対極にあるものとみなされてきた。根拠なく信じられた古い 「神
話」からの解放こそが、個人として自立した 「近代的主体」の条件であり、いわゆる 「啓
蒙」された人間の条件とされてきた。こうした近代の合理主義が、実は必ずしも明るい側
面だけでなく、ふたたび 「神話」の迷妄に陥ってしまうような暗い側面も抱えこんでいた
ことは、(啓蒙の弁証法)(アドルノ)という形ですでに批判されたところである。そこで
は、もっぱら 「神話」の否定的な面が強調されていたといえよう。
ところが、そのような近代的人間の (目覚め)そのものをひとつの 「物語」ととらえる
ならば、そして 「神話」とは、ものごとの起源を象徴的に表わす物語であるとするならば、
逆説的な仕方で、「近代の神話」、「理性の神話」という言い方ができることになる。この場
合、「神話」とは必ずしも否定されるべきものであるわけではない。論理だけでなく直観的
形象によってものごとをとらえる人間にとって、なくてはならない表現形態でもあること
になる。18世紀末、フランス革命に動揺するドイツでは、若い思想家たちが 「新しい国家」
を構想し、そのための 「新しい神話」を希求していた。《魔笛》は、まさにそれを先取りす
る形で提示していた、というドラーの見方は、一定の説得力をもつ。
《魔笛》は、その時代を支配した理性という神話を、つまりもは早 (他者)〔主人、支配者〕の慈悲
に従属することのない人間に対する神話的な賛歌を提示している0-- 《魔笛》がやろうとしている
のは、まさに、神話と理性を結びつけること、すなわち、啓蒙主義の合理主義とそれに対立するあら
ゆるものとを結びつけることである。いいかえれば、理性の勝利についての神話を創造すること、民
衆と哲学、感性と概念を調和させること、人間性と愛の宗教をつくりだすことである。モーツァル ト
が二つの世界、二つの社会体制、さらには矛盾しあったまま危うい均衡を保っている二つの存在論が
交叉する点に、すなわち、慈悲と自律性が交叉する場所に立っているとすれば、《魔笛》は、この二
つのものを神話的な、ユー トピア的な融合によって両立させる試みと考えることができる4。
「理性の神話」というこの逆説的な考え方を、作品そのものに即してもう一度とらえな
おしてみること、それが、本論の最終的にめざすところである。そのためにまず、《魔笛》
のなかでひときわ異彩を放つ (夜の女王 (K6niginderNacht))という、一見ネガティヴ
な役柄に焦点を当ててみたい。その異形の世界は、太古の神話、古い伝統文化、そして感
性の古層を重ねあわせて、圧倒的な存在感を生みだしている。魔法の笛や鈴はここに由来
し、また、主人公の若者を自立した人間-と目覚めさせる 「太陽の神殿」も、この闇の世
iCf.Zizek,Slavoj&M.Dolar.2002,CpemをSea)ndDea的 Routledge,p.73fr.(S・ジジェク+M ・ドラ-2003『オペ
ラは二度死ぬ』中山徹訳、青土社、138頁以下)
ilbid.p.76.(S・ジジェク十M ・ドラ-2003、144頁)
3
界によって輝きを与えられているのである。以下においては、まず 《魔笛》という作品に
ついて概観し、同時代の類似作品と比較した上で (り、(夜の女王)に象徴される 「異界」
が、どのような水脈を含みもっているかを、舞台上での視覚表象とともに検討する (ll)。
次いで、この (夜の女王)の 「異界」性が、モーツアル トの音楽によってどのような手法
で表現されているかを、具体的に考察する (日日。これらの作業を通して、18世紀末から
19世紀にかけての ドイツ語圏における文化的力学の一面が見えてくるはずである。それは
また、「近代」という神話そのものを、もう一度読みなおすことにつながるであろう。
Ⅰ.〈魔笛〉という作品
18世紀のヨーロッパでは、どの国でもオペラといえばイタリア語で上演されるのが通例
であった。もちろん宮廷社会を中心とした限定された領域内のことではあったが、ヨーロ
ッパ文化のなかで、イタリア ・オペラは一種の トランス ・ナショナルな支配力をもってい
た。ちょうどカ トリック教会で教会ラテン語が使用され、学問の世界では古典ラテン語が
通用していたのと同じように、イタリア語 (とフランス語)は社交上のいわば共通言語と
なっていたのである。各国の音楽家たちはオペラの生まれた国イタリア-学びに出かけ、
またイタリア人の音楽家や劇場関係者たちはつぎつぎに国外に移住し、イギリスや ドイツ
やフランスの劇場界を席巻していた。そうした状況のなかで、各地に近代的な 「国家」意
識がめばえはじめ、また 「劇場」という公共空間が一般市民にも開かれはじめたとき、そ
れぞれの自国語による国民的な音楽劇-の希求が生まれてきたのは、自然な成りゆきであ
った5。
ドイツ語圏でもその頃、自国語の歌芝居 「ジングシュピール (Singspiel)」運動がはじ
まった。ジングシュピールとは、語り、歌曲、合唱等からなり、最後に全員登場のヴオー
ドヴィル風フィナーレでしめくくられる音楽劇であり、19世紀ウィーンの大衆的な 「オペ
レッタ」や今日の 「ミュージカル 」の起源の一つでもある6。北 ドイツのプロイセンやザク
セン地方と南 ドイツやオース トリアでは、この運動のきっかけは少し異なっていた。ベル
リンやライブツイヒ等の北部の都市では、1750年前後にイギリスのバラー ド・オペラ (J・
ゲイの 《乞食オペラ》7)の ドイツ語版に新しく音楽をつけたものが、大きな刺激剤となっ
た。バラー ド・オペラには、もともと政治的な風刺劇の要素が含まれていた。一方、-ブ
スブルク帝国の首都ウィーンでは、それまで人気のあったイタリア語のオペラ ・ブッフア
やフランス語のオペラ ・コミックといった外来の喜劇からの影響と、伝来の民衆劇の要素
5イギリスでは-ンデルを中心とするイタリア ・オペラの優勢に対して、バラー ド・オペラが巻き返しを図って成功し
た。フランスでは叙情悲劇 trag6dielyriqueやオペラ・バレーop6raballetの伝統がすでにあったが、1752年に起こっ
たブフォン論争でのラモー (に代表されるグラント・オペラ派)とルソー (に代表されるオペラ・ブップア派)の対立
は、フランスとイタリアという構図に託しながら、むしろ様式をめぐる階級論争的なものであり、結果として市民的な
オペラ・コミックop6racomiqueの発展を促すことになったO各国の自国語オペラについては以下を参艶 D・J・グラ
ウト1957『オペラ史-上』服部幸三訳、音楽の友社、369頁~。
6 ジングシュピールの歴史については、以下を参照。Bauman,Thomas."GermanOperafromtheNational-Singspielto
DieZauberfl6te,"inParker,Roger.1994,TheOkfordLllustTBtedHl'StozyofOpe招,(0ⅩfordUniversityPress,0Xford)7CfJohnGay,TneBeggaz・をCpezIB,1731.(a・ゲイ 1993『乞食オペラ』海保其夫訳、法政大学出版局)
4
が混じりあってこの運動が進められていった。まず、啓蒙君主ヨーゼフ二世の劇場政策と
して ドイツ語オペラを促進しようとする (上からの)動きがあったが、これは短期間の試
行に終わり、イタリア ・オペラにまき返されてしまう。ところがそこに、(下からの)動き
が起こってきた。それまで民衆エネルギーの昇華装置となっていた道化劇や魔法劇を定期
的に上演する民間劇場が、都市の周辺部のあちこちで開設されはじめたのである。もちろ
んこれらは最初からドイツ語で演じられ、方言も混じるドタバタ喜劇が中心であったが、
音楽的にも徐々に洗練されはじめた。こうして、ウィーンの市壁の内外で劇場活動が活発
になり、貴族的なイタリア ・オペラに対抗する庶民的な ドイツ語音楽劇-の関心が高まる
なかで、《魔笛)というジングシュピールは生まれた。
モーツァル トは、生涯に 6つのジングシュピール (ドイツ語オペラ)を手がけている。
そのなかには未完成のものや宮廷内の催しで上演された小品も含まれるが、現在でもよく
上演されるのは、1782年の《後宮からの誘拐 (DIeEDtfdkungausdemSeml'b》と1791
年の 《魔笛》の二作品である8。ウィーンに定住するようになって書いたこの二作品の間に
は、彼のイタリア語オペラの傑作 《フィガロの結婚》(1786年)、《ドン ・ジョヴァンニ)
(1787年)、《コシ ・フアン ・トウツテ》(1790年)が生まれている。
もともと宮廷劇場であったブルク劇場 (Burgtheater)は、ヨーゼフ二世の計画によっ
て 1778年に 「国民劇場」(NationalTheater)として新たに開設されるようになり、それ
まで中心となっていたイタリア ・オペラのレパー トリーと平行して、 ドイツ語劇やジング
シュピールのジャンルが演目に組みいれられた。そこに加わった 《後宮からの誘拐》は、
かなり成功したほうであったが、そのすぐ後でブルク劇場はふたたびイタリア路線に戻っ
てしまった。市壁の内側では、依然としてファッショナブルな外国ものの方が好まれたの
である。市壁に近いケルントナー トーア劇場 (KarntnertorTheater)では、早くからイ
タリアのコメディア ・デラルテに対抗して、 ドイツ語の茶番劇がウィーン民衆劇の伝統を
守ろうとしたが、1780年にブルク劇場からサリエリの監督するイタリア俳優座が移動して
きて以来、ここでも依然としてイタリア優先が続いていた9。
それに対して、ウィーン郊外つまり市壁の外側で一般庶民のために作られたいくつかの
劇場では、道化劇や魔法劇 (機械じかけのスペクタクル劇)が盛んに上演されはじめた。
1780年代にウィーン市外の北東と南に二つの劇場が相ついで開設され、この二つは ドイツ
語の民衆的な歌芝居を提供するよい競争相手となった10。北東のユダヤ人地区のレオボル
トシュタット劇場 (LeopoldstadtTheater)は歓楽街のなかにあり、南のアウフ ・デア ・
8 《魔笛)と 《後宮からの誘拐》(K.384,1782)以外の 4作品は以下の通り。《バステイアンとバステイエンヌ (BBStl'en
undBastleDDe)》(K50,1768.ルソー 『村の占い師』のパロディ)、《恋の花つくり(DIeGA'rtnezllDauSLz'ebe)》(K196,
1775)、《ツァイーデ (ZaL'de)》(K344,1779.未完)、《劇場支配人 (DerSchauspleldiitehtor)》(K.486,1786.ウィー
ン、シェーンブルン宮殿でサ リエ リと競作).
9 ウィーンの劇場事情については、以下を参照。Michtner,Otto.1970,I)asAlteBuzlgtheatez・alsCpembijhDe/VoDdez・
ElnBihmDgdesDeutcムenSl'DgPIels(177:8)blkzumZTod彪lbez・LeopoldslI(1792),fk)hlau,Ⅵenna.Hunter,Mary.1999,TheCultureorCpe摺BuHalhMozaz・tをIieDnaAPoetl'csofEnteztHl'nment,PrincetonUniversityPress,Princeton.
10ウィーン郊外の小劇場については、以下を参照O原研二 1988『18世紀ウィーンの民衆顔トー放浪のプルチネッラたち』
法政大学出版局。Zechmeister,Gustav.1971,DieWl'enez・TheaterDaChstderBuzguDdDaChstdenBJmtnezihoTvan1747bls1776(鮎hlau,Vienna).
5
ヴィ-デン劇場 (TheaterimFreihaus aufderWieden)は、フライハウスという大規模
な集合住宅兼市場の建物の一角に場所を定めた。前者はいわゆる悪所と呼ばれる界隈で、
劇場内の照明も暗めであったが、後者はウィーン市内から通ずる道も明るい街灯に照らさ
れて、より広い層の聴衆を獲得していった。興行師シカネ-ダーが 1788年から座長とな
ったこのフライハウス内の劇場で、《魔笛》は初演された。
ただし、 ドイツ語で上演されたとはいえ、前作の 《後宮からの誘拐》が トルコを舞台と
したエキゾティックでギャラントな救出 ドラマである一方で、《魔笛)も、エジプ トを連想
させる架空の場所でくり広げられるファンタジックな救出ドラマである。こうした異国的
題材にはまだ、次第にゲルマン的な民族意識に訴えかけるような傾向はまだ見られない11。
何よりも、誰にでもわかる言葉で無条件に人々を楽しませる娯楽を供給すること、それが
民間の劇場経営のまず要求することだったのである。のちの世代の ドイツ語作品の題材を
見るならば、ベー トーヴェンの 《フィデリオ (F1'dell'0)》 (1805年)はスペインを舞台に
くり広げられる救出 ドラマであり、ウェーバーの 《魔弾の射手 (DerFrel'schdtz))(1821
午)に至って、ボ-ミアの森を舞台とする民衆たちの物語が出てくる。その意味では、い
わゆるドイツ人のための ドイツ語オペラは、厳密にいえばこの《魔弾の射手》にはじまり、
やがてワーグナーに受け継がれていったといえる。
モーツァル トの ドイツ語オペラには、まだナショナリズムの称揚は前面に出ていない。
広範な観客層を劇場に引きつけるという、興行上の必要しかそこにはなかったのである。
こうしてこの作品は、貴族文化と市民文化の (交叉)する地点にあって、それまでの限定
された トランス ・ナショナリズムと、芽生えてくるナショナリズムとのはぎまで、まさに
どちらからも自由な、一種のユー トピア的な世界をつくり出しているのである。
「魔法オペラ(Zauberoper)」という当時ポピュラーになってきたジャンルに対しては、
モーツアル トは、最初はそれほど乗り気でなかったし、その成功に対しては不安もあった。
彼にとって、宮廷劇場ではなく大衆劇場のための仕事は、ほとんどはじめての試みであっ
た。1791年の夏、この作品の大半を作曲していた最中に、プラハでの戴冠記念式典のため
のオペラ ・セリア 《ティトの慈悲》の仕事が入った。ヨーゼフ二世の後を継いだレオボル
ト二世の、ボ-ミア王としての戴冠式用の祝典オペラである。8月から9月にかけてモー
ツァル トはプラハ-行き、国立劇場で9月6日に初演を指揮したのちに、ウィーンに戻っ
てから 《魔笛》の作曲を仕上げた。
擬似東洋的な舞台設定、神話的な大蛇、パントマイムをする動物たち、おどけた鳥人間、
気球に乗る童子、人間同士のきずな、啓蒙主義、フリーメイソン的儀式、民謡、バッハ風
のフーガやコラール前奏曲といった実に雑多な要素を統一しながら、ややぎごちない場面
転換と大がかりなスペクタクルを用いて、オペラは進行していく。ときには観客とのやり
とりもある。作品全体のもたらす印象は、崇高であると同時に陽気である。各地の大衆劇
場で経験を積んだ座長のシカネ-ダーは、人々の好みや欲望をそそる手法を熟知していた。
11もちろんここには、17世紀以降ヨーロッパ中に広まっていった異国趣味、とりわけドイツ語圏での トルコ趣味という
オリエンタリズム的な問題はあるが、ここでは措いておく。
6
同一出典による類似の作品
《魔笛》の台本は、さまざまな物語から合成されている、その主要なものとしては、二
つの源泉が考えられる。一つは、フリーメイソンの思想的基盤をなす古代エジプ ト神話に
関係する文献、もう一つは、当時流布していた童話集のなかの妖精物語である12。
前者については主に、1778年にドイツ語訳されたフランスの小説 『ェジブ ト王セ トスの
物語 (Geschl'chtedesb'BWtl'scheDKbhlisSethos)』と、1784年にフリーメイソンの雑誌
に発表された Ⅰ・フォン ・ボルンによる論文 「エジプ ト人の秘儀について (tiberdie
MysterienderAgyptier)」が指摘されてきた。まず、セ トスの物語はドイツ語圏のフリー
メイソンの基本書となったもので、その冒険譜を構成しているのは、オルフェクス神話と
イシス信仰である。次に、ウィーン最大のフリーメイソン・ロッジを主催者していたボル
ンの長大な論文は、死と再生にかかわるイシスの秘儀を中心とする学術的なものだが、そ
の思想は 《魔笛》の随所に反映している13。女神イシス像は、奇妙なことに、敵対者側の
(夜の女王)とも重なるが、それについては次章で触れたい。
ここで注目したいのは、リーベスキント (J.A.Liebeskind)作の 「ルル王子、あるいは
魔笛 (LuluoderDieZauberfl6te)」というメル-ンが、 《魔笛》の筋書きの主な原本と
なっていることである。この物語は、ヴィ-ラント (Ch.M.Wieland)の編集した全三巻
の童話集 『ジニスタン 〔悪魔の国〕あるいは妖精精霊物語集 (Dschlhnl'staDOder
auseTleseneFeeD-undGel'ster-Mb'mhen,thellsneuez:funden,thellsDewtjbersetztuDd
umgeazTbe)'tet,178619)』に収録されたものであり、同書のなかのヴィ-ラント作 「賢い
童子たち (DieklugenKnaben)」も、もう一つの原本となっている14。
興味深いことに、この童話集を下敷きにしたジングシュピール作品として、 《魔笛》と
深い関係にあるものを二つ挙げることができる。一つめは、 《魔笛)のほぼ一年前に同じ
アウフ・デア・ヴィ-デン劇場で初演された《賢者の石、あるいは魔法の島 (DerStelhdez・
Wel'seD,Oder/dl'eZaubenhseカ》15、そして二つめは、 《魔笛》の初演の約三カ月半前に
12 《魔笛》の台本の出処については、これまでの研究史も含めて以下に要領よくまとめられている。Branscombe,Peter.
1991,WA.Mozaz・t/DIEZaubeTG6te,CambridgeUnlVerSltyPress,Cambridge,Chap.1.13 セ トスの物語の原作は、1731年に出版されたテラソン (JeanTerrasson)神父の小説 『セ トス、古代エジプ トの逸
話ふう事跡の物語あるいは伝記 (SetJzos,hlstoireoul4'etire'edesmonumentsanecdotesdel'aDCl'ez7neEgpte)』であ
るOこの ドイツ語訳は、初期のモーツアル トが合唱と幕間音楽を作曲した劇 《エジプ ト王タモス (Tnamos,Kbnlgl'DE" ten,K345/336a.)か(原作は 1773年、ゲ-プラ-ToblaSPhilippYonGebler男爵)の典拠の一つでもあったD尚、
シカネ-ダーは早くからフリーメイソン会員であり、モーツァル トも1784年にフリーメイソンに入会している。モー
ツァル トは、大ロッジ 「真の融和 (ZurwahrenEintracht)」の主催者ボルンのために、カンタータ 《フリーメイソンの
喜び (DieMaurerfreude)》(K471,1785)を作曲した。《魔笛)のなかのザラス トロは、ボルン (IgnazvonBorn)をモデルにしたものだとされているO《魔笛》とフリーメイソンとの関係を強調する解釈者は多いoP・ネットゥル 1956/1981
『モーツァル トとフリーメイスン結社』海老沢 ・栗原訳、音楽之友社、J・シャイエ 1968/1976『魔笛 秘教オペラ』高
橋 ・藤井訳、白水社 (Chailley,Jacques.1968,LaFliiteeDChaDte'er亡かe'zvmapnD)'que)0
14 この二つの童話については、以下を参照。A.チャンパイ+D.ホラン ト編 1982/1987『モーツアル ト 魔笛』 (名作
オペラ・ブックス、音楽之友社)187-197頁oCf.Branscombe.1991,p.25ff.15 ジングシュピール 《賢者の石》の筆写譜は、1991年にロシアのサンクト・ペテルブルクからハンブルク国立 ・大学図
書館に返還された手書き楽譜コレクションのなかに入っていたのを、1996年になってアメリカの音楽学者 DIJ・バッ
ク (DavidJ.Buch)が発見した。それまで残っていた諸資料と対照して詳しく調査研究したものにもとづき、全曲を復
元演奏したCD (TelarcStereoCD・80508,M.Pearlman指揮,BostonBaroque)が 1999年にリリースされたOこの筆
写譜の発見の経緯、本作品および関連作品と当時の劇場事情については、以下を参照oBuch,DavidJ.1997,Mozartand
theTheateraufderWieden:Newattributionsandperspectives',inCBmbyl'dgeCpem Jozlmal,9-3,pp.195-232.
7
ライバルの レオボル トシュタ ッ ト劇場で上演 された 《ファゴッ ト吹きカスパー、あるいは
魔法のチター (Kasper,deTFagottl'st,OdeT/Zauberzl'theT)》 16である。 この三つの作品
はいずれ も、同 じ出典 による機械 じかけのスペ クタクル を売 りものに した魔法オペ ラ-メ
ル- ン ・オペ ラであった。 したがって、筋の細部 は異なるが、登場人物や道具立てに共通
す るところが多 く見 られ る。以下に、 この三作品を比較対照 してみ よ う。
☆童話集 『ジニスタンあるいは妖精精霊物語集』による三作品の比較
《賢者の石》1790.9.11初演 《魔笛》1791.9.30 《ファゴット吹きカスパー》1791.6.8
DerSteinderWeisen,oder:dieZauberinsel Dt'eza〟berjlae KasperlalsFagottist,oder.dieZaubenither
台本 :シカネ-ダー シカネ-ダー ぺリネ (JoachimPerinet)
音楽 :5人の作曲家の共作 モーツァル ト ミュラー (WenzelMdller)
〔モーツァル ト、シカネ-ダー、 〔レオボル トシュタット劇場楽長〕
-ンネベルク (指揮?)、ゲルル、シャツク〕
登場人物の対応 :
アストロモンテ (善良な神) 夜の女王
オイティフロンテ (邪悪な神)-Gerl- ザラストロ
ナディール (魔剣と魔法の矢)-Schack一 夕ミ-ノ
ナディーネ (アス トロモンテが連れ去る) バミーナ
ルバーノ (森番)-Schikaneder- パパグーノ
ルバナーラ (ルバーノの妻、猫に変身) パパグーナ
モノスター トス
精霊 (アストロモンテの使者) 三人の童子
サーディク (アルカディア島の統治者)
ペリフィリーメ (光輝く妖精の女王)
ボスフォロ (魔術師、シーディを幽閉)
アルミド-ロ (魔法のチターをもつ王子)
シーディ (ボスフォロに囚われた王女)
カスパー (魔法のファゴットをもつ従者)
パルミ-レ (シーディの女友達)
ツーミオ (女達の番人)
ピッイッキ (小精霊)
ここでは とくに、同 じシカネ-ダーの一座で1790年秋 に初演 された 《賢者の石》 (全2
慕)について見てお きたい。初演時のポスターで くとび き り新 しい英雄的喜劇オペ ラ) と
形容 されたこの作品のあ らす じは、以下の通 り。
ピラミッドのそびえるアルカディアの地で、 (賢者の石)をめぐる兄弟神アス トロモンテとオイティ
フロンテの争いに、共同体の長サーディクの娘ナディーネと恋人ナディール、羊飼いたち、森番の夫
婦らが巻きこまれる。ナディールは、ナディールを連れ去ったアス トロモンテを倒しに出かけるが、
この神が実の父親だったことがわかり、恋人同士はむすばれ、全能の (賢者の石)も手に入る。オイ
ティフロンテに猫に変身させられていた森番の妻ルバナーラも無事にルバーノのもとに戻る。
1996年にこの作品の筆写譜 を再発見 したアメ リカの音楽学者D・J・バ ックによれば、
16 この作品の台本と曲の一部については、以下を参艶 原研二1988、434頁~。Cf.Rommel,Otto(Hg.).1974,DieMaschlnenkomo-dl'e.DeutscheLiteraturinEntwICklungsreihen,Barocktoraditionim6sterreichisch-bayrischenVolkstheater,Bd.1,Darmstadt.
この作品はシカネーダーをは じめとする五人の作曲家の非剛 乍巣によるものだとい うこと
那.オペラ中のナン/(一に付された作曲家の名前からわかった一 発くべきことに.作.(..J.中
の3曲 (第2帯、通称 r林の二重唱JKV625=592aとフィナー レ中の2曲の短い二重唱)那
モーツ7ル トの作曲によることが判明 した。 シカネーダ-とモーツアル ト以外の作曲家と
は、座付き楽長で指挿省のJIB・-ンネベルク.′くス歌手を康ねたF・X・ゲルル、テノ
ール歌Tiを兼ねたB・シャツクであるが、この三人とも、 《幣・者の石》だけでなく-年後
の 横 笛》の上済時に もかかわっていたことが、初演のボスタ-等からわかる17。
(Egl1,2,3さ照)
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3州 6Er糾rr.
Ig)1tT帯の石Iポスター17桝 Ei)2当時のアケフ デT ヴィーテン■伽 Eh ㈲ Iボス5'1179)年
それだけでなく.二つの作品には.対応するキャラクター間に打楽上の類似がいくつか
認められるのである18。 ここでとくに注ElLたいのは、(aJの女モ)に対応するアス トロ
王と三が、93声のテノールであるにも拘 らず、第1薪で点初に重量嚇するときに同 じように
技巧的なコロラ トクー ラの/,'ッセージを歌 うことであるL9。 このアス トE・モンテは放後ま
で善良なる神であ り、ザラス トロに対応するオイティフロンテの力は邪想なる兄弟仲であ
る. どちらも超人rZq的な存在であることを表わすために.アス トロモンテはiLE金に飾られ
た盟の,I.F,助 こ乗って現われ、またオイチイフロンテが登場するときには、必ず177鴫がとど
)7J I)へンネパレレク (JohJInrLBaptL8LHerlnetN:rgHi脚 の多敦の上清を相打Lf=..カイチイフロ/テ役だったFIX ゲルJI,(PrAnZXaヽtrGerl)はザラストE)を衣い、主人公のナディ-ル徐だったJlシ十・/ク(EkTd LkLSchack)rlV]済岬に同じく主人公のタミ-ノを♯っfT_ 庚Jtのyカネーy--は if/riB化役のルパー/と′(パケー/を我っている.モーツT′レト札 とくにy十・/クと比較しいbL-人で頼tに行き来していたことから 什 方の7nの/ヤ-/クの担1箇所にri.れ介的にモーツアルトの手が入っていた可鰍 ミ十分にあるとされていち.CrBLKh1997.I.231t一例えば.yカネ-ダーの相当したi&化牧のル′く-ノ と パパゲ-/のす弛i どちらt'8いやすいLW JLのdbである.主人公のナディールとタミーノはテノールの甘hfで1棚 的なメE'ディをホい とりわけiAiJfがJt抑こ4*11.るアIJTの℡朝音型の鞍似は明らかである. t■蒜Iでタミーノが-ミーナの月tLi5i・見てホうTLITg瀬の、この点6dEの彬l上行は.バミーナのイ}-ジを溌わすのぴやかで肋 的IL℡ZE!である.rptt劉 相 で くずの女JB iTZtったモ-ツァIL,トの長持のヨゼ-77・ホー7T-はら▲うどこ4)とき#児偶 中であった._t'Lb牡女が仕事ができる状Bにあ'}たなら、7ストt7モノテ役はソプラノのパートになったかt,Lれ/iい.
9
ろくように指示されている。これは、両者とも (夜の女王)の先行形態という点で興味深
い。いずれにせよ1790年から1791年にかけてモーツアル トは、シカネ-ダー一座との交流
のなかでメル-ン ・オペラの手法を自分のものにしていったと思われる。
他方、レオボル トシュタット劇場で上演された 《ファゴット吹きのカスパー》は全3幕
のジングシュピールで、道化役のカスパーは、十年来のこの劇場の看板役者の当たり役で
あった。物語は、 《魔笛》と同じ 「ルル王子、あるいは魔笛」からとられたもので、同じ
ような救出劇である。とはいえ、この劇場に先を越されたことでシカネ-ダーが急いで筋
立てを変更したという説は、短絡的にすぎる20。たしかに、ここでのキャラクター間にも、
ある対応関係は指摘できる。たとえば、 (夜の女王)に対応する光の妖精は、主人公の若
者に魔法のチターを渡して娘を救うように送りだす。また、雷鳴とともに光に包まれて現
われるその姿が目をつぶすほど輝かしい、という点も興味深い。さらに、この三作品に共
通する図式が、三組のカップル (超人間的な存在あるいは親の世代、王子と王女、従者た
ち)のからみ合う救出劇であることも、容易に見てとれる。しかしながら、 《魔笛》は、
素材を同じくしながらも、なにか別の新たな世界をつくりだしているのも、たしかである。
以上の三作品は、当時ウィーンの各劇場で盛んに上演されるようになった一群のメル-
ン.・オペラ-ジングシュピールのレパー トリーに属している。大衆娯楽として人気を博し
ていたその作品群には、シカネ-ダー一座で最初の演目となったウラニッキ一作 《妖精王
オベロン (Oberon,KbhlideTElBeD)》 (1789年)や、 《魔笛》の直前の演目であった
《慈悲深い托鉢僧、あるいは鈴のついた三角帽 (Derwohltb'疫eDeTWIsch,oder/dl'e
Schellenkappe)》等が含まれる21。そのなかでも 《魔笛》は、先行するどの作品よりも、
台本も音楽的内容も豊かで充実したものであり、それゆえにこそ、シカネ-ダーは 《魔笛)
を (大オペラ (EinegrosseOper))と銘打ったのである。
II.く夜の女王)の物語上の位置づけ
(夜の女王)は、ウィーンの大衆劇で好まれた宙乗りの妖精や自然神の役柄が変型され
たものである。ここにはいくつかのシンボルが組みこまれており、そのことがこの存在を、
一義的ではない謎めいたものにしている。まずは、それを解きほぐしてみよう。
【舞台は岩山、そこここに樹々が茂り、両側には人が通れる山がある.かたわらに丸い形
の神殿。】これが、《魔笛》冒頭の情景である。物語は、(夜の女王)の治めるこの領域に
狩の途中のタミ-ノが迷いこんでくるところからはじまる。ごっごっした岩山には樹木が
生い茂り、自由に動きまわる獣や鳥たちが共存している。ここに棲みつく 「自然人」パパ
ゲ-ノは、始原的エネルギーをもっている。無邪気で、欲望のままに生き、鳥のさえずり
のようにおしゃべりをし、あちこちに飛びまわる。この世界でのパパゲ-ノの仕事は、鳥
を捕まえて女王に渡すことで、その代わりに日々 の糧を受けとるのだが、それは 「労働」
という性質をあまりもたない。パパゲ-ノ自身羽根をつけた鳥のような格好で、その本来
20代表例は、E・デント1947/1985『モーツァル トのオペラ』石井 ・春日訳、草思社。
21Cf.Buch.1997,p.202-.
10
のもちものは単純なパンの笛である。
(夜の女王 (dieX6miginderNacht))は、他の登場人物のように固有名詞をもっては
いない。それぞれの立場からは、次のような名称で呼ばれることがある(括弧内は幕と場)。
(私たちの女領主 (unSereFbstin))、(偉大な女領主 (diegroSSeFtirstin)) (1-1,3)。
彼女に仕える三人の侍女は、自分たちの主人をこのように呼ぶ。
(星に輝く女王 (dieSternflammendeXbnigin))、く夜の女王 (dienachthcheX6nigin))
(1-2)。パパゲ-ノはタミ-ノに、自分では見たことのない女王のことをこう呼んでいる。
そして、「彼女の漆黒に織られたヴェール (ihrschwar2:durchwebteSchleier)」を通して
その姿を見ることは、どんな人間の眼にもできないという。バミーノと出会ったときには、
(あんたのお母さん (deineMutter)) (1-14)ともいっている。
(夜の支配者 (HezTSCherinderNacht))、く夜の女神 (G6ttinderNacht)) (1-2)。タミ
-ノはこう呼び、かつて父親から彼女のことを聞いたことがあるのを思いだす。
(高慢な女 (einStOIze8Weib))、(悪女 (einb68eSWeib))(ll18,2-1)。ザラストロはこ
のように非難し、「夜のヴェール (nachtlicherSchleier)」で、暗に彼女のことを指すO
(偉大な夜の女王 (groSSeXbniginderNacht))(2-29)。フィナーレで、三人の侍女とモ
ノスター トスとともに滅びる前に、彼らからもう一度こう称えられる。
またモノスター トスがバミーナにキスをしようとするとき、「お月さま (Mon°)、隠れて
おくれ、それがいやなら目をつぶっておくれ !」(2-7)と母親に許しを乞うかのように歌う。
(夜の女王)は、人間にとって文字通り超越的な存在である。彼女の存在は、冒頭の場
面から何度も示唆されるが、実際に舞台に現われるのは、第 1幕第6場と、第2幕第 8場、
そしてフィナーレ中の三回だけである。冒頭にくる岩山の情景は、そのまま第 5場までつ
づき、娘のバミーナの肖像を見て恋におちたタミ-ノは、彼女が 「悪者」の城にさらわれ
てしまったことを三人の侍女から聞いて、「救出」を決意する。すると、
【たちまち激しい轟く和音が聞こえる。】「女王様のお出ましです」、と侍女が告げると、
【雷鳴】が響きわたり、タミ-ノだけでなく観客の緊張も高まる。そして舞台転換となる。
【山が左右に割れ、舞台は豪華な広間となる。】ここで第 6場、(夜の女王)の登場である。
【女王、透きとおった星々で飾られている玉座にすわる。】
厳密にいえば、女王は、どこか他の場所からここに移動して登場してくるのではなく、
現実界の人間にとっていま初めて目に見えるようになるのであり、それはちょうど空を覆
う雲が晴れて明るい月が出てくるかのごとくである。あたかもそこで帳が上げられて視界
が開かれ、まるで舞台上にもう一つの舞台が見えてくるかのように、舞台転換が行われる22。
玉座にある女王は、そのときはっきりと姿を現わす。まさしくこの瞬間に、その場に (異
罪)が現出するのである。(夜の女王)の (異界)性は、すでにこの登場の仕方に表現され
22 《魔笛》全体では、14回の舞台転換が行われる。シカネ-ダーの他の作品では21回もの舞台転換もあることからす
れば、これはそれほど多いわけではない。しかしそのなかでも、この最初の舞台転換は、緊張感を伴った特別のもので
あるO
ている。女王はつねに、突然に姿を現わし、またあっという間に姿を消す。夷台上での筋
の進行に参加したり、他の登場人物の行為を見守ったりはしない。あくまでも人間1虻非と
は別の額域に所属iる仲的TiL(Eとして、外部から弗台上U)筋に関与するのみである。第 2
耳でt)ラ-度登場するときは、娘のバミーナと、その父であった亡き夫について比較的長
い対J占を交わすが,アリアを歌い終わったあとはまたもや-l削こして消え去る。
二つのアリアの直前には、'i!i吸がとどろく。7..'境は、.R世辞の存在者、神の登場につき
ものである。台本では、最初の登場では 「玉座にすわる」という指定であるが、シカネ-
ダーは観客をあっといわせる機械じかけのスペクタクルを好んだことから,玉座は宙吊り
であったはずである。三人の光子も、当LtF流行の T気球」に乗って空を飛んだ.(攻の女王)
の背馳 二は、満月が浮かんだり、ミュン-ンやワイマール等での公演に見られるように、
五経そのものが三日月であったりした。そして、女王のLLJ.現するこの場面はたいてい下カ
が雲で確われているQこれは、神がLtJ.現するときに必ず雲に乗って現われるという、バロ
yク劇以来の伝統的手法を.肺炎したものであり、のちのベル リンでの新しい舞台非役に
も取りいれられることになる.(阻4,5,6)
図4ウイ一一/での#台本 1791年 図5(右上) ミュ/′、ノ サルヴァトールプラyツのオペラPI舶
(J クTリオの■台装牡)1793年
Eg6(右下)ワイ7-′L,書娃■1叫 (W ゲ-テの■白茶)179-IfF
女♯デーメーテル (ギリシア許せ).そしてtJレフェウス牡括
第 1第でこのように登場する く夜の女王)は、娘を奪われた母親の嘆きを敦い、タミー
/に救出を懇願する.その原型として考えられるのは、ギリシアの大地と豊壌の女神デー
メーテル (Demeter)の神話である23。ゼ ウスとデーメーテルの娘ベルセポネー
(Persephone)は、彼女に恋をした冥界の王--アースによって地下-と連れ去られた。
t'デーメ-テJL・と次のオルフェウスのけ砧については、多くの山Aがあるが.以下i・事RL 神経♯yE1960rギJ)ソア
ロー-I7+貼辞JIJ岩波書店.
12
母は娘を探して天界を捨て、そのために大地は実らなくなったので、ゼウスはハ-デース
に娘を帰すよう命じたが、彼女は冥界でざくろの実をたべていたので、毎年 3分の 1はハ
-デースのもとで暮らさなければならなかった。ベルセポネ-は、穀物の種を象徴し、蒔
かれて一定期間地下にあったのちに芽生えて地上に出る。母と娘の二女神の祭儀は、エレ
ウシスの秘教の主祭として毎年秋に行われていた。デーメ-テルは、豊穣の女神として、
当然死者の場所でもある地下とも関係していた。
一方、《魔笛》には、もう一つのギリシア神話が含まれている。それは、同じ冥界行きを
題材とした、音楽家オルフェウスの物語である。アポロ神に竪琴を授けられたオルフェウ
スは、蛇にかまれて死んだ妻エウリュディケ-を取り戻しに冥界-下るのである。彼の音
楽は冥界の住人を魅了して、妻を連れ戻すことができるが、地上に出る寸前に彼女の姿を
見ようと振り向いてしまうので、妻はまた引き戻されてしまう。音楽の力を象徴したこの
物語は、17世紀初めのフィレンツェで誕生したオペラの最初の題材となって以来、くりか
えし取りあげられたものでもある24。このように、《魔笛》に流れこんでいる水脈として、
ギリシア神話から、「死と再生」をめぐる母と娘の物語と男女の物語の二つが認められる0
女神イシス (エジプト神話 ・フリーメイソンの秘儀)
ところで、デーメ-テルはしばしば、古代エジプ トの女神イシスと同一視されていた。
《魔笛》では、第2幕の 「太陽の神殿」でザラス トロたちが何回かイシスとオシリスを讃
える歌を歌う。これらの部分は、フリーメイソンの儀式を模したものである。つまり、(夜
の女王)と (イシス)の女神とは、それぞれ対立する陣営の象徴とされている。それにも
拘らず、(夜の女王)にイシス像が重なってくるのは、いったいどういうことであろうか。
紀元 1、2世紀頃にギリシア語で書かれたプルタルコスの 『ェジブ ト神イシスとオシリ
スの伝説について (DeZsl'deetOsizT'de)』(随筆集 『モラリア (Mwall'a)』の中の-篇)
は、後世にエジプ ト伝説を伝えた最初の典拠であるが、そこから次の物語が引きだせる。
万物を生んだ男神オシリスは、王としてエジプ トの支配者になり、獣のような野蛮な人民を教育して
文明も与えた。ところがこれをねたんだ兄弟のテエポン 〔セ ト〕に生きながら棺に閉じこめられ、ナ
イル河に流された。オシリスの妹であり妻でもあるイシスは、その棺を引きとったが、テエポンは、
今度はオシリスの遺骸を 14に切り刻んでばらまいた。イシスはその断片を探して放浪し、息子のホ
ロスの協力をえてオシリスを復活させた25。
死者を復活させる呪力をもつ女神イシスは、死者の守護神、母神、そして宇宙神として、
秘儀宗教的な信仰の対象となった。その銘文は、次のようなものとして伝えられている。
24 1600年にフィレンツェのメディチ家で上演されたペ-リ作曲の《ェウリディーチェ》以来、この題材はいくつものオペラ作品で取りあげられているo以下を参照o戸口幸策1995『オペラの誕生』東京書籍。
25イシスとオシリスの神話については、以下を参照。プルタルコス1996『ェジブト神イシスとオシリスの伝説について』
柳沼垂剛訳、岩波文庫、第 12-19節 (30-43頁)oCf.Grimth,∫.Gwyn.1970,1Yutamh主DeIsldeetOsin'de,ed.withan
Introduction,TranslationandCommentary,Cardiff.
13
(私は、現存するもの、現存 したもの、現存するであろ うものの、すべてである。死すべきものの誰
ひ とりとして、私のヴェールを翻 したことはない) 260
この言葉は、18世紀後半にはよく知られたものとなっていた。たとえば、1790年に出
版されたカントの美学理論の書 『判断力批判』では、概念的把握よりも想像力や感性に訴
える 「美的理念」に関する注として、次の文とともに引用されている0「おそらく、イシス
(母なる自然)の神殿に掲げられたあの銘文よりも崇高なことは言われたことがなく、ま
たそれよりも崇高に思想が表現されたことはないだろう」27。これは自然研究に向かう者
に畏怖の感情を促す言葉として、「ヴェール」の比喰とともに言及されたものである。古代
エジプ トの神秘主義はこうして、フリーメイソンの教義の基盤となるだけでなく、ギリシ
アやローマよりもさらに根源的な場所-と遡ろうとする人々の想像力に働きかけていたの
である。さらに、ナポレオンのエジプ ト遠征 (1798-9)を機に、エジプ ト学は興隆を見、
建築学や大都市のモニュメント(オベリスク)建設にも実際的な影響を与えることとなる。
注目すべきは、1801年にパリのオペラ座で 《魔笛)のフランス語版が、《イシスの神秘
(LesMystdTleSd'Zsls)》というタイ トルで上演されたことである。台本も音楽も大幅に改
変され、一種のパロディのようなものとして、批評界の論議を呼んだにもかかわらず、「こ
の作品はフランスにおけるモーツアル トの紹介に一時期を画するのみならず、それ自体が
一つのシンボルになった。モーツァル トは古典主義者に対するロマン主義者の闘争にまき
こまれて」いたのである28。
イシス一天の女王一三日月の聖母
さて、イシスは、《魔笛》では 「太陽の神殿」でオシリスとともに祭られる女神であるが、
自然神、母神であるという点だけでなく、月とのかかわりにおいても (夜の女王)と重な
る。プルタルコスでも、イシスは 「三日月」と関係させられている (第52節、97頁)が、
このプルタルコスより少しあと、紀元2世紀中頃のアプレイウスによるラテン語の伝奇小
説 『黄金のろば』(『変身』)においても、女神イシスは月にたとえられている。この小説は
1783年にドイツ語に訳され (DerGoldeneEseカ、多くの人々に読まれていた29。遍歴の
はての最後に、主人公をろばから人間の姿にもどすイシスは、太陽に光を与え、冥界をも
26前掲書、第9節 (25頁)。訳文は変更している。
27 Kant,Immanuel.1790,K7'tikderUz・tellskah,§49,An n.また、この書の 「崇高論」の中では、崇高経験の典型
例としてピラミッドが挙げられている (§26)が、そこでの典拠とされている 「サヴァリ」の 「エジプ トについての戟
告」とは、フランスの東洋学者N・サヴァリが1787年にパリで出版した 『ェジブ ト書簡』(NicolasSavary,LettzleSSuZ・
1'Egwteoul'oDOBSlelepamlliledesmoeursaDCl'ennesetmodemesdeseehabltants)のことだとされるoCf.Ⅰ.Kant.2000,Cn'tL'queofthePoIγ打OfJudgment(TheCambridgeEditionOftheWorksofImmanuelKant),ed.byP.Guyer,tr.byGuyer&E.Mathews,p.374(Notes).28B・デイデイエ 1991「フランスにおけるモーツアル ト作品の受容について」『歴史のなかのモーツアル ト』岩波書店、
39氏 《魔笛》の初期の受容については以下を参照oR・アンガーミュラー1988/1991『モーツァル トのオペラ』吉田泰
輔訳、音楽之友社、221頁~。
29アプレイウス1956『黄金のろば』(LuciusApuleius,Metamorpju)ses,wT:healdenAsse)岩波文庫、下巻第 11亀
1783年のドイツ語訳は、ローデ (AugustRode)によるものであった。Cf.Assmann,dan.2005,D1'eZaubez:Gb-teCpey
undMysten'um,CarlHanserVerlag,MtlnchenWien,Rap.2,6.
照らす光の大きな源泉とされる。また、主人公の斬 こ現われるとき、自分はすべての神と
女神に共通の因子だと告げている。さらにイシスはこの番で r天の女王 (ReginaCoeh))
とも呼ばれるが、この名称は、キリス ト教では.処女マリアの奇蹟を…控える聖歌における
マリア-の呼び名となっている。そして、r三日月の聖母 (MadonnaaufderMondsIChel))
と呼ばれるマリア像が、中世末期以来の中央ヨーロッパで木彫や銅版画によって普及して
いた。それは、キリス トを抱いた聖母マリアが大きな三El月 (純潔の象徴)を足で踏む俊
であり.r無原罪の御宿り (lmmaculat且COnCePtlO)Jという、本来マリアの性の懐胎を意
味したものがマリア俊として定耕していったものである (図 7,8,9)30。こうした一連の
水脈が、《魔笛》の初期の耗台装置において (夜の女王)を登場させるときの r三 El月の玉
座」のなかに視覚化されていた,ということは否定できない.この水脈は、19ut紀初期の
ベル リンにおける画期的な舛七装進にも、新たな意匠とともに生きつづけることになる。
(左から) 国7 (里砂子tb (木形)〟・--ゲナウアー(NikJALIBHagenowlZr)、オー′く-ハイン 1510中頃
図8 (栄光の取扱子IT--ン宮廷礼拝堂、1524年
図 9 (兼原罪の御宿りI(三日月は逆向)L.・チ-ゴリ(1.AJdovtcoCJITd■血 ClPU 、ロー†.1610-I2年
物論全体の儀式的な性格を考えたとき、(夜の女王)にポジティグな相貌を与える意味の
紺層は、タミ-ノがi書遇する餅 こ似た出来事の多義性の聞魅に連なり、そしてそれはまた、
このオペラそのものの 「統一性」の問R副こもつながっていく。少なくともここでは、たし
かに一義的な衣梨になってはいない。
(左目こ准く女王)のことを./くバグーノは 「EIには見えない」といっていた。その昔某
は、彼女の姿がElに見えるようになるのが、畏怖を呼びおこす神的存在の顕現となること
を暗示する。そのあとでタミーノは、彼女が星の玉座にすわっているのを突然ロにする。
バ/(グーノには見えないままの (夜の女王)が、タミーノには、夢のなかでのように現わ
れるのである。そして、略帝された娘をめぐる嘆きを歌う彼女はまず、ェレクシスの秘儀
の中心神であるデ-メ-テルを思わせ,そしてこの点初のイメージの連想から.彼女がイ
シス的な相貌をもそなえているのが、見えてくるはずである。
aJこれはまたrDi的里書Jrヨ′、ネ劣赤肌 12jrのr身に大仏をまとい.月を足の下にし、頭に12の星の冠をかぶるJ
女の姿とも重なる.以下を事照.藤田治彦2仙6r天作の固tt宰 相洋夷術に描かれた宇'd]'J八坂甘D!t第3.5.7札
15
イシスのもつイコ/I/ラフイー的な指標のひとつは、r天の女王Jの r三日月」であり、
それは.キリス ト教の型枠像のなかに生きつづけていた. もとの台本ではとくに言及され
ていないが、すでに初期の井台所の構想のなかにそれは引用さrしている。おそらく-/カネ
ーダ-も、イシスに関するこうしたイコノグラフィー的なT解了軒頃を、自明のものとして
前擬 していたであろう。 ミュンヘンのヨ-ゼフ ・ク7リオ (JosephQuagl10)による六台
装鑑 (図 5)では.女王は三日月の馬車に乗って現われ、ここではまだ掛 けているが、
ワイマール宮廷劇場でのゲーテによる構想 (図 6)では、処女マ リアの立ち姿というEgl俊
秋型で表わされている.そしてまた、ベル リンのシンケル (K.FSchlnkel)による壮大な
舛台所の構想 (図 11)でも.(夜の女王)はまさにそのような姿を呈する。
'r7it-Aの岩山の門 (lgr10)から垣間見られていた、星の光に.Lmらされた、ラピスラズリの
壮大な ドームo空海と雷光に浮かぶ三日月の玉座で、(星に輝 く女王)が歌 う嘆きのア リア。
この rt,つとt,崇7..iで天才的な頼台装世」(E・T・A・ホフマン)は,劇場史に放る画期
的なものとなった。点終的には.「太陽の神殿」の理性 と 「光)の世界にうちまかされるは
ずの r牌」の世界が、魅惑的な揮さに満ちていることだろう。逆に、r太陽の神殿」の光は、
約款にひざまずく従者たちをさらに深い闇に沈めているかのようだ (図 12)。
図10(上)ベル1)ン (//ケル)1816年 甲軸 面 tgH2(上)ベルリン 点… 面 r太FAの沖RJ
Eall(下)ベルリン (食の女王)丑甘 国13(下)ミュン.、ン 6 クTl)オ)1818年 (8Eの女王)
伝統的なイメ-ジを引き継ぎながら、まったく新しい井台空間を構想 したシンケルの影
辞は、∃-ゼフの払子のシモン ・クァリオ (SimonQuagllO)によるミュン-ンの舞台装
鮭にも、他の場面でのモニュメンタルなェジブ ト風井台と同じく、はっきりと見られる (図
13)。 こうして、多義的な形象を含む (夜の女王)の先非性は強調されてきたのである。
16
日 .く夜の女王)の音楽的表現
(夜の女王)は、第 1幕と第 2幕でアリアを一曲ずつ歌う (第 4番アリアと第 14番ア
リア)。二曲とも、コロラトウ-ラの技巧を駆使する輝かしいアリアであり、この二曲だけ
で、女王の存在はきわめて強く観客に印象づけられる。ナポリ派オペラ様式のコロラ トク
ーラ・アリアとして、《魔笛》全曲のなかで (夜の女王)の音楽だけが、イタリアの伝統的
なオペラ ・セリアの特徴を表わしている。とくに、パパグーノの民謡風のアリア、ザラス
トロの力強い賛美歌風のアリアの単純明快さとは対極にある。初演時、この役はモーツァ
ル トの妻コンスタンツェの姉ヨゼ-フア ・ホ-ファー (JosephaHofer)が担当した。
オペラ ・セリアとは、文字通り (真面目)で高尚なオペラで、日常生活から離れた英雄
的で荘重な物語にもとづいた、旧体制のオペラを代表するジャンルである。オペラ ・ブッ
プアが喜劇であるのに対して悲劇と史劇を中心にして、洗練されたベルカント歌唱法をと
り入れ、宮廷オペラにふさわしい華やかで威厳にみちた舞台を提供 してきた。この音楽は、
様式化されているが、そのなかで、多彩な感情描写、感情の起伏を表現していく。(イタリ
ア ・オペラでは、セッコ・レチタティーヴオ (通奏低音つきの叙唱-語りに近い歌)が物語を
進行させていくが、ジングシュピールではその代わりに、語られるセリフが、筋を進行させて
いく。この 「歌芝居」の起源の一つが道化劇であったことからも、対話は、歌とともに大きな
比重を占めている。)ここでは、とくに第一のアリアに焦点を当てて、その音楽的特徴を分
析してみよう。
(第4番アリア)(1・6)「怖がらないで、私の息子よ !」
導入部分として、オーケストラによる 10小節の序奏がアレグロ・マエス トーソで弱音から
はじまり、変ロ長調にふさわしい高貴で荘厳な雰囲気を作り出す。弦楽器が中心となって分散
和音がシンコペーションのリズムでクレッシェンドしながら上昇していき、それにオーボェと
ファゴットのやや暗い響きが伴う。クレッシェンドで音の強さが増すだけでなく、音域も3オ
クターブにまで幅を広げて音量を増して緊張感を高めていく。(譜例①)
譜例①
序奏につづくレチタティーヴオとアリアの全体は、大きく三つの部分に分かれる。
(R)タミ-ノに向かって呼びかける (レチタティーヴォ)。
(Al)娘を奪われた母の悲しみを歌う (アリア前半部)0
(A2)ふたたびタミ-ノに向かって 「救い」を要請する (アリア後半部)0
17
(夜の女王)の自己紹介の役割も果たすこのアリアは、《魔笛》のなかでレチタティーヴオに
よって導かれる唯一の歌であり、正統なセリア ・アリアの雰囲気をかもし出す。曲全体は変ロ
長調 (Bdur)ではじまり、関係短調のト短調 (gmoll)に変わったあと、ふたたび変ロ長調に
もどる。フラット記号 ♭二つの調性である変ロ長調は、18世紀前半のフランスの作曲家ラモー
の和声理論によれば、「嵐」や 「怒り」を表現するとされるが、19世紀末の音楽理論家ラヴィ
ニヤツクによる調性性格論では、「高貴」「優雅」「優美」を表わすとされる31。 ト短調は、前者
によって 「穏やかさ」や 「甘美さ」に関連づけられるのに対して、後者では 「憂密」で 「疑い
深い」調と見なされる。モーツァル トにとっては特別の、透徹した悲しみを表わすこの調は、
第2幕のバミーナの く嘆き)のアリアの調でもある。この ト短調のアリア前半部 (Al)がゆっ
たりした3拍子になるのも特徴的である。以下、歌詞の内容と音楽の特徴を平行して見ていく。
(R)「怖がらないで (震えないで)、わが息子よ !」と、女王は自分の母親としての立場を明
らかにしながら若いタミ-ノに呼びかける。「おまえは清く、賢く、やさしい」。タミ-ノは蛇
に追いかけられて気を失うほど強くもなく勇気もそれほどないが、ここで言われるような性質
はたしかにもっている。「無垢な若者」は、つねに救済者の条件なのである。そして 「おまえの
ような若者こそ、この深く悲しむ母の心を慰めることができるのです」、と次につないでいく。
主和音での毅然とした最初の呼びかけは、「怖がらないで、わが息子よ (0zittrenicht,mein
lieberSolm!)」のmichtでバスの主音の上にドミナント和音を鳴らして、耳障りな不協和音を
響かせる。この音型は、のちに今度はタミ-ノがザラス トロの神殿前で行き惑ったときに歌う、
「おお永遠の夜よ、いつ明けるのか (0edgeNacht,Wannwirstduschwhden?)」と対をな
す (1-15)。後者はイ短調 (amoll)で独白的に歌われ、あたかも (夜の女王)に問いかけてい
るかのようだ。(譜例(卦と③)
語例(塾
ReZiitativK6nl'glnderNclchI
o zjtt・renicht,meinlieberSohn!
0 ew'geNacht!Wannwirstdu schwinden?wantlWirddasLichtmeinAu・ge
31《魔笛》の主調であるフラット記号三つの変ホ長調がフリーメイソンの基本的な数字である3を暗示するのに対して、
2という数字は女性-一般を象徴するとされる。全体の序曲では冒頭和音が5回鳴らされ、この二つの数字が組み合わさ
れて多産の女性を表わすと解釈される。これについては、J・シャイエ 1976を参照。調性の性格については以下を参艶
JiJ・ナティエ 1996『音楽記号論』足立訳、春秋社(Nattiez,Jean-Jacques.1987,Musl'colog'ege'I7e'rBleetse'ml'01087'e.)o
18
さてレチタティーヴオの後半では早くもト短調に転調して、「深く悲しむ母の心 (dastier
betrdbteMutterher2:)」の 「深く (tief)」の音は (ナポリの6)の和音を用いて半音下げられ、
「母の心 (Mutterherz)」では減 7度の不協和音で下行するo(ナポリの6)という、音階上の
第2音を半音下げる- ここでは変イ音 (as)になる- ナポリ楽派で生まれた印象的な和声
効果は、(夜の女王)とバミーナの両方の音楽に特徴的で、モーツァル トが好んだ手法である。
さらに、滅7の和音は悲劇的な響きを決定的なものにしている。レチタティーヴォは定型通り、
ドミナント和音で締めくくって、アリアを導く。
(Al)アリアの前半部分はさらに三つに分けられる (a-b-a')。それまでの 4分の 4拍子か
ら4分の3拍子に変わり、アンダンテかラルゲットのゆったりとしたテンポで ト短調の悲しみ
のメロディが歌われる。ここでは伝統的なダ ・カーポ ・アリアの反復形式 (a-b-a)に類似
しながら、忠実な反復 (a)の代わりにいわば 「変型した」再現部 (a')がくる。
(Aト a)「苦しむために私は選びだされたのです、娘がさらわれたのだから。あの子のため
に幸せはすべて消えてしまいました。悪者があの子とともに逃げ去ったのです」。短 2度の
下行音型で母の嘆きが表わされるが、「悪者 (einB8seyicht)」の鋭い付点音符のリズムの
前後で一瞬、変ロ長調に戻る。
譜例④
(A1-b)「あの子のおののきが今でも見えます、怖れ怯えて、不安げに身をふるわせ、及ば
ぬ努力をしている様子が」、と娘自身のおののくさまを描写する。ここでも (ナポリの6)の
高音の変イ (as)を強調したあと、娘の不安とおののきを表わす半音階下行には、オーボェ
とファゴットとヴィオラのオブリガ- トがよりそう。
(A1-a')「私はあの子が奪われるのを見ているしかなかった。ああ、助けて !とだけあの
子は言ったけれど、その願いはむなしかった、私の助けはとても及ばなかったのです」。(A1
-b)の途中からト短調に戻り、バミーナの悲鳴 「ああ、助けて (Achhe】丘!)」を再現する
高い変イ (as)音や、母の無力さを嘆くフレーズでは、ここでも減5度や減 7度の音程が不
安定さを強調する。
譜例⑤
(A2)アリアの後半部分は、ふたたび変ロ長調の4分の4拍子に戻り、アレグロ・モデラー ト
の速いテンポで、ほとんど脅迫に近い仕方でタミ-ノに訴えかける。
19
(A2-a)「おまえがあの子を救い出しにいくのです。おまえが娘の救い手となるのです !」
きっぱりとした音型で、タミ-ノを 「救い手Retter」として指名する。
語例(砂
(A2-b)「勝利者として戻ってくるなら、そのときあの子は永遠におまえのものです」。こ
う 「救い手」-の報酬の約束をする。「そのとき (damn)」という語をくり返すとき、きらめ
くようなコロラトウ-ラがはじまる。言いたいことをすべて言い終わったあとで、言葉の乗
らないコロラトウ-ラ部分は超人的なスピー ドと技巧を発揮して、ロゴス化されない感情的
な昂ぶりを表わす。一番高い3点-普 (f)に達したあと、王者の威厳、光輝を保つような決
然としたフレーズで終わる。
譜例⑦
オーケス トラの後奏による、高揚感の残照。そして (夜の女王)は、
【三人の侍女たちと退場。舞台はふたたび一転。もとの場面となる。】
さて、第 2幕では (夜の女王)は娘バミーナのもとに現われ、刃を渡してザラス トロを
倒すよう迫る。ごく簡単に、第二のアリアを見ておこう。
く第 14番アリア)(2・8)「わが胸は地獄の復讐に煮えたぎる。」アレグロ・アッサイ
モーツァル トにとって、ニ短調 (amoll)は復讐の調性であり、神の怒りにふさわしい。冒
頭から弦楽器の刻む音で焦燥感が表わされる。ここでも (ナポリの6)が効果的に用いられる。
語例⑧
KONJC/NDBR uaHP
rt'oL紬CeuOeBasso
途中で-長調 (Fdur)に転調して、娘を脅す箇所で早くもコロラトウ-ラ ・パッセージに
移る (譜例⑨)。この箇所は、序曲での次のようなアレグロ部分 (語例⑩)に対する鏡のような
反行形の動きになる。
7 7 7 7 7 て エヾアL I I -I L- ≒二二 二 ■JI I JI I ZI I P 1
調性はさらにト短調-と変わり、67小節目でふたたびニ短調に戻ったときに金管楽器とティ
ンパニが、きわ立った鋭さを付け加える。さらに急転回をしようとするところと、後奏 3小節
でふたたびニ短調で終わるところでも同じような手法が用いられる。カデンツのあとに休止は
なく、アリアは緊張したドラマを中断することなしに演奏される320
(夜の女王)は、その音楽的な形象化においても決して、はじめから邪悪で冷酷で計算
高い存在という性格を与えられているわけではない。たしかにオペラ ・セリア風のコロラ
トクーラは、同時代の聴衆の耳には技巧的でもったいぶって聞こえ、大げさで悲壮、激越
であり、古風で不自然だという印象を与えたかも知れないが、「邪悪」という印象はなかっ
ただろう。また、第 2幕で女王が二番目のコロラトクーラを歌うときには、たしかに一義
的に邪悪、非人間的でデモーニッシュにみえるかもしれないが、それも、歌詞の内容から
わかることで、様式的なものではない。モーツァル トはむしろ、コロラトクーラの極端な
技巧性によって、この存在を、自然的で人間的な表現の領域から離れた神的な圧倒的存在
として特徴づけたかったのであろう。
(夜の女王)は最初の場面ではただ (星に輝く女王)と呼ばれるが、ス トーリーが先に
進むにつれて、別の破壊的な悪の側面を示すことになり、それは、イシス-デーメ-テル
像とは相容れないものとなっていく。だがそれは、「理性」の神話を要求する近代のうちな
る (異界)といった様相を呈しはじめることになる。もしも (夜の女王)が最初の登場場
面から、悪の化身として現われることになれば、ストーリーは、その緊張感やアンビヴァ
レンツや意味深さの大半を失ってしまったことだろう。こうした矛盾を含みながら、《魔笛)
全体は、近代社会のうちなる (異界)の輝きを封じこめた 「暴力的」要素を暗示しつつも、
稀有なユー トピア的瞬間として 「近代の神話」を提示しているのである。
:i2 《魔笛》の初演から二ケ月半、死の床にあったモーツァル トは、幻聴でこの 「地獄のアリア」を聴いていたことが、
弟子の証言にある。