(duke university press, durham and london, 2003) interwar

4
Barbara Sato The New Japanese Woman: Modernity, Media, and Women in Interwar Japan (Duke University Press, Durham and London, 2003) i Sharon A . Mini - chiello /^cm^/s- ^MS^r5. //R/ss;§s- Culture and Democracy 1900 - 19 3 0 Elise K . T ipton , John Clark Being Modern in Japan : Culture and Society from the 1910 s //^i 9 CO &M' Harry D. Harootunian. Overcome by Modernity : History, Culture, and Community in Interwar Japan (Princeton University Press, 2000) ipKendall H. Brown, Sharon A. Minichiello (co-ed). Taisho Chic: Japanese Modernity, Nostal- gia, and Deco (Honolulu Academy of Arts, 2002) Barbara Sato Being Modern in Japan : Culture rwd 5 §/rom ?i9i^?r7,9,sss'Ti.s^:AnAlter-nate informant : Middle-Class Women and Mass Ma crq azmes in 1920 s Japan : Prologue: Women and the Reality of the Everyday 1. The Emergence of Agency: Women and Consumer- ism 2. The Modern Girl as a Representation of Consumer Culture 3. Housewives as Reading Women 4. Work for Life, for Marriage, for Love 5. Hard Days Ahead: Women on the Move '166

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書 評

Barbara Sato

The New

Japanese Wom

an:M

odernity, Media, and W

omen in

Interwar Japan

(Duke U

niversity Press, Durham

and London, 2003)

平石典子

二十世紀初

i

に関する研

、英語圏の日本研究者の間で近年高まりを見せているとい

ぇるだろぅ。ハワィ大学出版会は一九九八年に

Sharon

A.Mini-

chiello

編集の論集、/

^

com

/

s-^

MS

r5.//R /ss;

§

s-

Culture

and

Democracy

1900-1930

^

けたが、

二〇〇〇年にも

Elise

K.

Tipton,

John

Clark

共編の

Being

Modern

in

Japan:

Culture

and

Society

from

the

1910s

//^

i9

CO&

を出し、

高い評価を受けている。

同年に出版され

M' H

arry D. Harootunian. O

vercome by M

odernity : History,

Culture,

and C

omm

unity in

Interwar

Japan (Princeton

University

Press, 2000) ipK

endall H

. B

rown,

Sharon A.

Minichiello (co-ed). Taisho Chic: Japanese M

odernity, Nostal­

gia, and Deco (H

onolulu Academ

y of Arts, 2002)

て、

これらの論集や研究書において特徴的なのは、

いずれの場

合も歴史学、美術史、

メディア論等、さまざまな分野の研究者

たちが、主

「モダンな」

文化に注目し、

その分析を試みている、

といぅ点である。

二〇

〇三年に出版された本書も、

その系譜に連なるものであり、

の時代の中産階級の女性たちに焦点をあてた点が注目され、

に英語圏の学会誌などでも取リ上げられている。

なお、

著者の

Barbara

Sato

Being

Modern

in

Japan:

Culture

rwd

5

§•冬

/rom

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i9

i

?

r7,9,sss

'

T

i.

s^

:

AnAlter

-

nate

informant:

Middle-Class

Wo

me

n

and

Mass

Ma

crqazmes

in1920s

Japan:

を担当している。

本書は、

以下のよぅな構成となつている。

Prologue: Wom

en and the Reality of the Everyday

1. T

he Emergence of A

gency: Wom

en and Consum

er­

ism

2. T

he Modern G

irl as a Representation of C

onsumer

Culture

3. H

ousewives as R

eading Wom

en

4. W

ork for Life, for Marriage, for Love

5. H

ard Days A

head: Wom

en on the Move

主として扱われるのは一九二〇年代であり' 著者は、新しい

166

比 較 文 学 第 4 8 号

费文化が社会的にも文化的にも中産階級の女性たちを

定義し

なおしたこ

指摘した上で、

都会の新しい女性像として当時

の女性たちに新しいア

デンテイテイ—を

提示した三つのタ

プ--「ボブカットで短いスカ丨^をはいたモダンガ

ール' 自己

啓発された主婦、

理性的で外向的な職業婦人(七頁)」--を分

析対象とする。

本書の大きな特徴は、

多くの同時代資料の提示とその読み込

みによって論を組み立てている点にある。本書が取り扱ぅ明治

末期から昭和にかけての資料は、新

•雑誌の記事から統計や

図版に至るまで、

多岐にわたっており、

その多くは初めて英語

圏に紹介されるものである。

日本国内においても必ずしもアク

セスが容易ではないこぅした資料の活用は、

日本語でも数多く

の論文を発表している著者ならではのものであり、本書を大変

豊かにしている。

これまで、表面的にと

がちであった

「モダンガール」などは' 著者の提示する新資料によって、英

語圏の読者の眼前に初めて生き生きと立ち上がってくるだろ

、っ

0本書が明らかにするのは、上記の女性たちを取り巻く言説や

表象が、

メディアによって形作られる様子である。

それは、消

文化を代表する存在として、

神話化されていくモダンガール

姿

(第二章)だつたり、家庭の主婦を主要なターゲットとし

て進化した女性雑誌が、

「家庭記事」「流行記事」「告白記事」と

いった記事内容のジャンル分けによって多くの読者を獲得して

いく様(第三章)、メディアに取り上げられることによって、「修

養」という言葉が大衆化し、変

(第四章)

だった

りする。第

「読む女としての主婦」では、

『主

I

『婦

人倶楽部』、

『婦人公論

j

といった大衆向けの女性雑誌の成立と

その特色が詳細に論じられているが、評者にとって新鮮だった

のは' 著者が、女性雑誌を読む、という行為が彼女たちにもた

らしたものを浮き彫りにしようとした点である。「馬鹿げたブル

ジョア記事」満載と知識人たちに批判される一方で、

こうした

雑誌の家庭記事や告白記事が、読者である中産階級の女性たち

に、自らの家庭や家族を省みるきっかけを与え、他の生き方の

可能性をも示唆したという指摘は重要だろう。また、第四^

「屯

活、結婚' 愛のための労働」における、

「職業婦人や他の中産階

級の若い女性たちにおける修養ブ—

ム」

が、

女性自身が夫を選

ぶ自由、

(一四三頁)、

「社

会経験を積むために外で働き、夫婦の精神的なつながりを重視

する結婚観を養うことは、多くの若い女性にとって修養の一種

)」、という分析は、

日本女性の恋

愛、結婚観の社会階層毎に異なる変遷を考察する上でも大変面

白い。

167

書 評

多くの図版も、特に海外で本書を手にするだろう読者にとっ

ては大変興味深いものが多い。

それだけに、

欲を言えば、

図版

を単に本文に添えるのではなく、

説明や分析を加えてもっと本

論と関わらせてもよかったのではないかと思われる。例えば、

1〇**>1\10<16391-^1^1§

^.11〇05(「モガさんの持物」

=は

モダンガールと断髪について論じられている五二頁に揷人され

ているが、

この風刺絵は、

「A日用英語字典.Bセモリ(と

)

.

Cラ

.

D乳

.

Eチ

F偽

.

G精

.1予

.

L質

(判

ルの典型的な持ち物としている。この中の、特

Gや

Iからは'

モダンガ—

ルたちが進んで性を享楽する存在として考えられて

いたことか伺えるだろう。とすれば、本書

Expectations

and

Extravagances:

Th

e

Mo

de

rn

Girl

and

promiscuity:

の節にこ

そこの図版はふさわしいのではないだろうか。この図版を添え、

持ち物それぞれについての解説を加えることで、

当該部分、

えば六二頁に挙げられる、

モダンガールが性的自由を楽しんで

いるという言説や、

『東

における外国人とモダン

(こ

「モガさんの持物」

英語辞書があ

こととも関係しよう)

t体的になり、

在挿入されている、

一九二九年頃のダンスホールのダンサーた

を的確に読者に伝えることができるよ

思われる。

お、

図版については、評者が入手した第二版では、

八四

八八頁に挿入されている、

女性雑誌における化粧品の広告と

それぞれのキャプションが入れ替わっていた。

本書の図版資料

は、今後多くの研究者が参照するものと思われるので、

改版の

際には訂正されることを願うものである。

最後に、今

いうフィールドを見渡してみると、

本書が扱う、

一九二〇年代の日本のモダン文化への関心はさら

に広がりを見せているようである。二〇〇四年には、「近代家族」

が集、っ「家

」に着目した研究書'

Jordan

sand.

//Iへ/

m

Mockm

Japan:

Aychllecturc,

Domestic

Spac

の,and

Bo

lu、-

^

vs-o///ミ r,

ioooo〒卜

5 へMHarvarduniversitypress)

が出、

さらには

フランス

Jsn-Jasues

Tschudin,

csrude

Hanum

ico-ed.y

La

Ms

hr

m^

Q/THOn’zon:

La

cEhf

re

p^s/s.r<?を

yへ/ミ

^

s

i4ss^covs^(Edit

ions

Philippe

picquier)

が出版された。

これは二〇

二年に行われたシンポ

ジゥムの成果として発行されたようだが、

この論集の中には'

まさに本書が問題にした、

一九二〇年代の女性雑誌を取り上げ

た論文(:

Les

revus

fémi

runes

dans

le J

aTD

on

d

s

années

vingto

がある。このように' 日本の研究者をも含めたいろいろ

168

比 較 文 学 第 4 8 号

な国の研究者が関心を共有し、

切磋琢磨していく中で、さ

精緻さ

ダィナミズムを兼ね備えた研究が進むことを期侍する

その先端を行

著者の今後の研究成果を楽しみにし

たい。

ここで注意しなくてはならないのは' 用語についてである。日本語で「モ

ダニズム」といった場合

r①最新の趣味や流行を追ぅ傾向。現代好み。②

竹し!

セ術•文学で、伝統主義に対立して、

つねに新しさを求める進歩主義

的傾向の総称

◊(『広辞苑第五版』)」といぅ二つの

竞味がある。本稿で取り上

げる研究者たちが主として問題としているのはョ

cdernity

であり、必ずし

も二十世紀の実験的•革新的な芸術運動を指す

modernism

ではないことを

まず確認しておきたい。その上で、本稿においては①

の意味での「モダニズ

ム」を使ぅことレ-するが、この用語上の混乱を避けるためには、日本でも既

に使われてはいるがまだ言葉としてこなれていない「モダニテイ」への言い

換え等も検討しなければならないだろう。なお' 小

『岩波講座

近代日本の文化史.I

のシ

ーズ六卷(二〇〇二年)は、2

大するモダニテイ』

と題されている。

•ロ

『詩としての俳諧俳諧としての詩

I一茶

.国

I』

(永田書房、

二〇〇五年)

金子美都子

ーデル没後五〇周年を記念して出版された本書

は、

フランス人著者による日仏の詩についての新鮮な発想に満

ちている。詩というジャンルに広い視野が開かれる。

それは第

一に著者マブソン氏の切り

|-:1の潔さによる。

マブソン氏は西洋

「比

(メタファーなど)や

調

(押韻、

強勢ア

など)」が重要視され、ぃっぽう近世俳諧では「風

雅」と

「座

」という作者の共同体に相応しい表現法

がもっとも問題にされたとする(七頁)。西洋詩における音綴数、

詩句' 詩節といった用語にも、俳諧における季語、切字、定形、

短詩という用語にも依拠しない。

ジョルジュ•ボ

『日本詩歌選集』^

这0

/

>^

&*§

含>

y§'§»

i (1

935

)から始まるフランスての人間味•国際性といっ

た一茶評価の系譜を受け、著者は第

I部では「一茶俳諧の詩学」、

「一茶句の音調論」を考察し、

フランス詩学の

169