説 教 『帆を揚げよ』kyodokita.life.coocan.jp/eiko1902.pdf219年2月号 (2)...

栄    光 2019 年 2 月号 説 教 27 20 27 37 18 23 33 使27 39 44 No.771 説教……………1 特集・心温まること 共有しませんか…2 イランだより……新成人おめでとう! ………………… 説教・ 長山道先生…… 世田谷地区一致 祈祷会報告…… 長老のファイル 牧師の書斎から…8 (1) 27 31 27 22 27 43 27 11 使

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栄    光 2019 年 2 月号

説 教

 

パウロ最後の旅となったロー

マ行きは船旅でした。風向きに

悩まされ、ついには嵐に飲み込

まれてしまいました。「幾日もの

間、太陽も星も見えず、暴風が激

しく吹きすさぶので、ついに助

かる望みは全く消えうせ」まし

た(27・

20)。船に乗り合わせた

276人(27・

37)は、全員無

事に救われるのでしょうか。

 

人生は航海にたとえられます。

潮の流れ、風任せの航海は人間の

思い通りにはなりません。人生も

私たちの思惑や力ではどうにもな

りません。囚人パウロの航海が嵐

に見舞われたように、教会も、人

生も、思いがけない困難に遭遇し

ます。その時、私たちを救うもの

は一体何なのでしょう。

 

船に乗り合わせた276人は、

『帆を揚げよ』

創世記18章23節~33節

使徒言行録27章39節~44節

俊彦

No.771

説教……………1

特集・心温まること共有しませんか…2

イランだより……4

新成人おめでとう!…………………5

説教・長山道先生……6

世田谷地区一致祈祷会報告……7

長老のファイル…7

牧師の書斎から…8

(1)

人間的に見れば偶々乗り合わせた

種々雑多な人たちでした。バラバ

ラな人たちが、どうやって思いを

合わせ、力を合わせ一つとなっ

て、嵐を乗り切ることができるの

でしょう。

 

漂流している内に天候は回復し

ます。しかし、どこに流されてい

るかは全く分かりませんでした。

2週間漂流して、陸に近づいてい

ることに船員たちは気づきまし

た。島に寄せる波音を聞き分ける

ことができたからです。このまま

では船が座礁して沈没してしまい

ます。船員たちは密かに夜明けを

待たず小舟で脱出しようとしまし

た。誰だって自分がまず助かりた

いのです。

 

パウロは彼らを見逃しませんで

した。「あの人たちが船にとどまっ

ていなければ、あなたがたは救わ

れない」(27・

31)と叫びました。

ローマ兵たちは、船員たちの脱出

を阻むために小舟を流してしまい

ました。小舟を流してしまうのは

危険な賭けです。陸が近づいたら

小舟が先に立ち、船が暗礁に乗り

上げないよう水先案内をしなけれ

ばなりません。その手だてを放棄

したことになるからです。もっと

もそれでは助からないから船員た

ちは抜けがけしようとしました。

 

しかし、船員たちは残されまし

た。嵐で痛めつけられた船をなん

とかコントロールできるのは船員

たちだけです。そのためパウロは

彼らをとどめました。パウロの考

えは276人全員が救われること

でした。そのためには一人として

船から脱出させてはなりません。

全員が救われるために力を合わせ

るのです。それが神の計画と必然

だからです(27・

22)。

 

結局船は砂浜に上手く乗り上げ

ることはできず座礁して沈没寸前

になります。ローマ兵たちは囚人

が逃げ出したらその責任を問われ

るため、囚人を殺そうとしました。

 

この時百人隊長はパウロを救い

たいと思って、兵士たちを押しと

どめました(27・

43)。百人隊長

は、航海の最初ではパウロの言

うことを信用していませんでし

た(27・

11)。暴風に遭い、漂流

し、難破してその体験を共にしな

がら、パウロは中々の人物であり、

殺してはならない人物だと百人隊

長の見方が変わりました。パウロ

こそが神を信じ、神を礼拝し、神

の計画に目を注ぎ、神に心を開こ

うとしていた唯一の人物でした。

パウロこそキリストの約束(1・

8)を信じ、その使命に生きよう

としたキリストの証人でした。

 

276人全員が神の計画と必然

に目を開き、キリストの福音を受

け入れ、主を信じ、主の証人となっ

たのではありません。パウロ一人

がキリストの約束を信じ、その約

束に生きようとしました。パウロ

ただ一人、主を信じる一人がいる

ことで、全員が救われました。

 

私がキリストを信じ、神の約束

に生き、キリストの証人として神

の恵みに生きる時、私たちの教会

は救われます。私たちの家族は救

われます。私たちの社会でさえ救

われるのです。

栄    光2019 年 2 月号 (2)

老いを楽しく受け容れる

佐々木慶太郎

心 まること  共有しませんか温

 

掛け布団を持ち上げると、頬か

むりをした空き巣?が寝ていた。

1964年の晩秋に老衰で亡くな

った祖父金太郎には、死の床にあ

っても見舞い客を楽しませたいと

いうサービス精神があったのだ。

 

2日に次女の朗子の一家4人が

年賀の挨拶に来た。上の孫娘の優

帆は二代目の百人一首を持参し

た。私が小学校低学年の頃から長

女の玲子と孫の裕斗の時代まで使

った一代目の取り札の一枚が「み

かの原わきて流るる泉川

色変わ

りしてすぐ取れるなり」になった

ので、玲子が二代目を買い、後日

朗子に譲ったのだ。

 

朗子が読み手になって歌留多取

りをした。小5の優帆は部活でそ

の手のことをしているので、取り

札の数は抜群だが、保育園児の朝

日花が結構な数を取るのに驚く。

 

4日には玲子の一家が来て、玲

子と裕斗は2泊して帰った。この

ように我々一族には百人一首を通

じて培われた絆がある。私も小学

校低学年から、百人一首に凝って

いた。記憶力には多少自信がある

が、それを培った要因の一つがそ

れだったことは間違いない。そん

なことで、年賀状には俳句らしき

ものと短歌らしきものを載せてい

る。但し季語など全く気にしてい

ないから、私の五七五は俳句では

なく冗句(joke

)かも知れないし、

五七五七七は冗歌(joker

)かも

しれない?

 

80代半ばになって老化に悩んで

いる。膝が痛い、腰が痛い、肩が

凝るは日常的だ。かかりつけ医が

「その齢でどこも悪くない奴がい

たら化け物だ」と言う。がっかり

せずに出来るだけ歩いている。「も

う駄目だ。どうすることもキャン

ノット」。言ってみたら、事態は

それ程悪くない様に感じる。

 「アスリート今情けなやテスリ

ート」若い時には槍穂高にも登っ

たが、今は手摺がないと階段が

怖い。「不具合を笑いの種に生く

る也

わが身の果ては神に任せて」

とクリスチャンらしく締めよう。

「マッチ売りの少女」の話が大好きです。

マッチの火が映し出す光景を思い出すだけでポカポカと、

とても温かい気持ちになるからです。

日常のちょっとした場面でも

優しい気持ちになり心が温かくなるものです。

皆さんの気持ちが温かくなる場面は

映画でしょうか? 

愛猫、愛犬の姿でしょうか?

寒い季節、みんなの話で温まりましょう。

栄    光 2019 年 2 月号(3)

烏と青大将

岡田和貴

箱根駅伝

河野滋由

 

我が家は箱根駅伝の大ファンで

す。毎年1月2日の朝8時のス

タート時には、私と家内そして娘

の3人はテレビの前に正座して拍

手して送り出します。

 

そんな箱根駅伝の往路の最大の

ヤマ場は第5区の箱根の山登りで

す。800メートルを駆け上る難

路です。2005年のレースで順

天堂大2年生の今井選手が突然現

れて11人抜きの快挙を成し遂げま

した。それ以来、今井選手はこの

5区を走り、3年生と4年生の時

には往路優勝の結果を残して「山

の神」と呼ばれました。

 

3年生の時、復路も含めた総合

優勝が期待されていました。とこ

ろが番狂わせが起きます。第8区

を走っていた先輩4年生がペース

を乱し、軽い痙攣症状を起こし、

走れなくなりました。横浜新道の

上で歩くこともままならない状況

に陥ります。チームの監督は車

を降りてその選手の横を並走しま

す。片手には水のボトルを、もう

一方の手にはタオルを持っていま

した。水を飲ませることは認めら

れていましたが、タオルを選手に

かけることは棄権を意味します。

駅伝は襷をつなげるゲーム。その

先輩選手はやっとの思いで水を飲

むと、なんとか徒歩よりは速い程

度の速さで再び走り出しました。

結局、襷をつなげましたが、その

区間での遅れが原因となり、チー

ムは総合優勝できませんでした。

 

翌年4年生の時には、今井選手

は陸上部主将として第5区を走

り、前年に続いて往路優勝しまし

た。そして、チームは復路も首位

でゴールし、総合優勝を成し遂げ

ました。東京大手町のゴールの先

では優勝チームの胴上げが行われ

ます。まずは、監督、次に主将と。

今井主将はなんとその場に前年第

8区で棄権寸前まで難渋した先輩

選手を呼んでおき、その先輩を胴

上げしたのです。「優勝の感動を

味わってください」と先輩に差し

向けた胴上げでした。

 

神様のお計らいに感動しまし

た。

 

聖書では、蛇はアダムとエバに

命の木の実を食べさせたことで、

神様から「すべての家畜、野のす

べての獣のうち、最ものろわれる。

おまえは腹で、這いあるき、一生

ちりを食べるであろう」と言われ

たとある。

 

以下、現在の家の近くで出会っ

た1匹の青大将のことを書く。

 

我家は道路を隔てて豪徳寺の北

面にある作業用の門とその両側の

コンクリート板の長い塀に面して

いる。

 

5年程前の晩秋、2階のベラン

ダから寺の紅葉を見ていると、墓

地の道に風もないのに、コロコロ

と朴葉が転がって来た。朴葉でな

く何かの塊だと気付いた時、2羽

の烏が急降下してその塊を口で攻

撃しては素早く跳ね上がり離れる

動作を交互に始めた。

 

暫く見ていると、塊は蛇が獲物

をぐるぐる巻にし、鎌首をもたげ

戦っているものとわかった。それ

は記録映画のようだった。数分す

ると蛇が獲物から離れ草藪へ消え

た。残されたのはヒヨ鳥ぐらいの

大きさの鳥で、怪我をしているの

ではないかと見ていると、烏の1

羽が追い払うように飛びかかった

ので、獲物だった鳥はそれこそ全

力で遠くへ無事逃げていった。

 

それから2年位過ぎたある日、

烏が異常な鳴き方をしていたので

外に出ると、お寺側の道に蛇が、

必死にコンクリート塀に登ろうと

何度も失敗していた。道の中央に

来ると車にひかれるので、蛇のそ

ばで両手を広げ、作業用門の方へ

追っていった。やがて門の下の隙

間より寺の方に入っていった。い

つの間にか烏の鳴き声も止まって

いた。

 

この蛇は以前見たものと同じ青

大将と思われる。多分木の上の烏

の巣の卵かヒナを狙ったが、途中

で親鳥と争って落ちたに違いない。

 

昨年孫が近所で蛇を見かけ、ス

マホに撮ったのを動画で見た。や

はり同じ青大将で住宅の方に行っ

たとのこと。餌となる蛙やネズミ

が少なくなり蛇も大変な世の中だ。

栄    光2019 年 2 月号 (4)

思い出せないので、

いろいろ考える

イランだより

内藤慎也

 

昔、映画が好きでよく観ていた

頃、そう言えば『ハート・ウォー

ミング』と評される作品を好んで

観ていたことを思い出した。少し

コメディが混じるくらいの、エン

タメ色の強いものが好きだった記

憶がある。しかし、そんなに観て

いたというのに、どういう内容に

心温まったかは意外と具体的には

思い出せない。人間の記憶には

長期記憶と短期記憶があるらしい

が、自分の長期記憶のメモリから

はそれらが呼び出せない。

 

ならばと、短期記憶の方で考え

てみる。普段テレビなどを観てい

ても、たぶん何度もあったかい気

持ちになったり、ホッコリした気

持ちになっている気はする。が、

やはり、いちいち思い出せない。

ちょっとまずい。少し頑張って記

憶を辿ってみる。例えばパンダの

シャンシャン(!)か。彼女の動

きは見ているだけで、なんとも幸

せな気持ちになる(う~ん、記憶

がピンポイント過ぎる)。

 

ここでふと考える。人はなぜ温

かい気持ちになるのか。生物学的

には、ホルモンなどによる生体維

持のためのメカニズムが作用して

いるのかもしれないが、ならば動

物はどうか、などと考えてもキリ

がない。でも猿たちは温泉に浸か

って至福の表情をしているから、

温かい幸せな気分なんだろうな、

ということは想像できる(単に体

が温かいだけかもしれないが)。

 

話を人間に戻す。生体維持だと

すると、心温まる時間を持つこと

で自分自身の心身も救われている

のかもしれない。何かを見て心が

温まる感じがするのは、それは同

時に、知らず知らずのうちに自分

の心や体のメンテナンスにもなっ

ているのかもしれない。まぁホッ

コリする時間でもないと体がもた

ないよね、ということか。たぶん

笑いや涙も含めて、人間に備わっ

た機能なのだろう。では、人類が

出現して以来、いつ頃からそれら

は備わったのだろうか。考え出す

とキリがない。

 

今年の新年はイランで迎えまし

た。イランの正月は3月の春分の

日から始まるため、日本のお正月

にあたる日はイランでは通常の日

と変わりません。「今日から新し

い年が始まりました」と伝えると

「おめでとう」との一言で終わり

ました。未だに新しい年になった

実感がありません。

 

去年のクリスマスは、イスラム

教国のクリスマスはどんなものか

と好奇心の中で過ごしていまし

た。12月中旬から商店やホテルに

サンタクロースやクリスマスツリ

ーの飾りがちらほら見えるように

なりましたが、クリスマスソング

は全く聞かれませんでしたので、

あのクリスマスの嬉しい感じは湧

いてきませんでした。ただ私達の

町のエスファハンに政府から保護

されているアルメニア正教会のヴ

ァーンク教会がありますので、ク

リスマスはそこへ行くつもりで楽

しみにしていました。アルメニア

正教会は1月7日にクリスマスを

祝うと聞いていましたが、ともか

く1692年に完成した歴史ある

教会の有名な壁画を見るつもりで

主人と出かけました。観光地とし

ても有名な場所なので、門の入口

には長蛇の列。入場料も取られま

した。中に入ると広場の周りに会

堂、博物館、その他の建物が立ち

並んでいます。広場には大きなク

リスマスツリー、サンタクロース

等、電飾で美しく飾られていまし

た。会堂の壁画には圧倒されまし

た。クリスマスの讃美歌が流れる

広場の真ん中に立って教会堂を

眺めながら不思議な感覚にとらわ

れ、暫くボーと立っていました。

 

11月末からクリスマス、1月1

日から新しい年が始まる生活から

抜け出し、感覚的な時差を感じな

がら帰国の途につきました。

(久保田あけみ)

栄    光 2019 年 2 月号(5)

新成人おめでとう

左から村田真理さん、坪内通徳さん

成人式を迎えて

村田真理

 

先日は成人のお祝いをしてくだ

さって有難うございました。生ま

れた時からお世話になっている教

会で皆さんにお祝いしていただけ

てとても嬉しかったです。教会に

いる大半の方には、まだたったの

20歳と思われるかもしれません

が、あっと言う間に20年経ってし

まったという感覚です。

 

CSに行き、大人の礼拝が終わ

るのを地下で遊んで待っていたの

が昨日のことのように思います。

CSでお世話になっていたヘル

パーのお兄さんお姉さん達の祝福

式を見て、凄く大人に見えたし、

自分にはもっと先のことだと思っ

ていたら、あっと言う間に自分の

番になってしまいました。心境の

変化はあるかと最近よく聞かれま

すが、20歳ってこんな子供でいい

のだろうかというのが正直な今の

気持ちです。

 

16歳から4年間ベルギーで過ご

し、最近日本に戻ってきて、母の

バレエ教室のお手伝いをしながら

祖父と私

坪内通徳

「卒業式を迎えて、今一番に思う

こと!」

 

これは私が小学校6年生の時に

卒業式で聴衆に向けて話した口上

である。あれから8年。現在、私

は成人を迎えて、今一番に思うこ

とを書こうとしている。

 

私は6歳、小学校1年生の時に

母方の祖父である尾藤千曲を亡く

し、岸先生をはじめ、経堂北教会

の皆さんにお世話になった。そこ

から私は経堂北教会にご縁あっ

て、召天者礼拝の際には母共々お

世話になっている。祖父は若いこ

ろから旅好きで、祖母と旅行に行

くことが多かった。鉄道も好きで、

旅先ではよく列車の写真を撮って

いたそうだ。私も小さい時から鉄

道が好きで、電車の隣で父に写真

を撮ってもらっていた。そういう

所は祖父に似ているのかもしれな

いと、ふと思った。

 

先日、祖母が私にこう話した。

「私が結婚した後、友達にね、千

鶴子さんは千曲さんの声に惹かれ

たんじゃないの?って言われたの

よ。私は全く意識してなかったん

教えの勉強をさせてもらっていま

す。まだまだ一人前には程遠いで

すし、「人に何か伝える、教える」

というのは責任の伴うことで難し

いですが、ただ純粋に踊るのが大

好きで楽しそうにお稽古に通う小

さい子たちを見ていると元気をも

らいますし、何も分からずただひ

たすら楽しくて踊り続けていた自

分の小さい時を思い出します。

 

何をするにしても、何かを極め

て一人前になるのはそう簡単なこ

とでないですし、一生懸命やって

も結果が伴わないことも沢山あり

ますが、思い悩んでいる時こそ初

心を忘れないでいたいです。

 

自分が子供の頃に思い描いてい

た20歳像とは程遠くて、まだまだ

周りの方々に助けていただくこと

ばかりですが、これからは自分の

ことだけでなく、周りにも目を向

けて日々過ごしていきたいです。

 

この先何歳になっても、自分の

現状に満足出来ることはないと思

いますが、それが自分の思い描い

ていた理想と違ったとしても、振

り返った時に「充実していた」と

思えるような、後悔のない時間の

使い方をしたいです。

だけどねぇ」。私は中学の時アナ

ウンサーになるのが夢で、放送委

員会に所属していた。入るきっか

けになったのが委員会体験の時

に、当時担当の先生から「坪内君、

原稿読むの上手いわね。アナウン

スするのにいい声しているわ」と

言っていただいた言葉だった。な

ので、先日祖母が話していた話が

どこか似ているなと思ったら、中

学の自分の体験とリンクした。

 

中学の時はアナウンサーになる

ことだった夢も高校、大学に進む

につれ変わってきている。目前に

は就活もあるが、どこに就職して

も社会の役に立ち、祖父のように

立派な社会人になれるよう精進し

たい。

栄    光2019 年 2 月号 (6)

〈教会形成と伝道に励むために〉

『成熟した人間』

詩編68編18節~19節

エフェソの信徒への手紙4章7節~16節

東京神学大学准教授 

長山

説 教

 

成熟した人間とは、どんな人間

でしょうか。エフェソはギリシア

人の町でしたが、ギリシア人に

とって成熟した人間とは、完全な

人間を意味していました。それに

対して未熟な人間とは、成人のよ

うな円熟した判断と確実さに欠

け、波に弄ばれる船のようにぐら

ぐらと迷ってばかりいるような人

間を意味していました。

 

しかし現在の発達心理学では、

人間は一生、子ども時代や青年時

代と同じように乗り越えていくべ

き発達課題を持っていると考えら

れています。ですから、幾つに

なっても迷ったり、誤ったり、弱

さを覚えたりということは続くの

でしょう。人間は、「人々を誤り

に導こうとする悪賢い人間の、風

のように変わりやすい教えに、も

てあそばれたり、引き回されたり

する」(14節)のです。エフェソ

は海に近い街で、人々は船に乗っ

て移動しましたから、風に翻弄さ

れるということは、とても身近な

恐怖でした。同じように人生にも、

小さな船が強い風に吹き付けられ

て思うように進路を行くことがで

きなかったり、沈みそうになった

りということがあります。

 

それではわたくしたちは、成熟

した人間になることはできないの

でしょうか。実は、エフェソの信

徒への手紙において「成熟した人

間」(13節)とは、個々の人間で

はなくて、わたくしたち教会が一

人の成熟した人間のようになるこ

とをさしています。

 

教会の中には、いろいろな人が

います。それぞれに個性があっ

て、立場が違い、性別が違い、出

身が違い、年齢が違い、賜物が違

います。それは、わたくしたちが

ばらばらなのではなく、一人の人

の体が、頭や手や足やお腹など、

幾つもの違った部分を組み合わせ

て造られているのと同じことで

す。それらがどうして一つの体と

なるのかといえば、地上に降りて

きてまた天に上げられた方(8~

10節)、つまり十字架と復活のキ

リストが、「ある人を使徒、ある

人を預言者、ある人を福音宣教者、

ある人を牧者、教師とされ」(11

節)ることによってです。これは、

教会の最初期の伝道者たちのこと

です。伝道者は「節々」(16節)、

つまり関節に当たるのだそうで

す。新約聖書の時代には、関節と

は体の部分部分をつなぐだけでは

なく、頭から必要な刺激と成長の

力を伝えて体全体を維持するとこ

ろだと考えられていたのだそうで

す。「頭であるキリスト」(15節)

から、伝道者が必要な御言葉と成

長の力を伝えて、キリストの体の

全体を維持していきます(16節)。

 

キリストが伝道者を教会に与え

てくださることによって、聖なる

者たち、つまり教会に集まる信徒

の人たちは、「奉仕の業に適した

者とされ、キリストの体を造り上

げて」(12節)いきます。「奉仕の

業」とは、最も根本的な意味では、

ただ「仕える」ということです。

伝道者を通して仕えるのに適した

者とされるというのは、福音の説

教を聴いて養われ、「信仰と知識

とにおいて一つのものとな」(13

節)り、「愛に根ざして真理を語

る」(15節)ことです。そのよう

にして、様々な人間の集まりであ

るわたくしたちが、他の教えに迷

わされることなく信仰と愛の一致

によってキリストの体としての教

会を形作って行くということが、

「仕える」ということです。

 

このようにして教会が一人の成

熟した人のようになるということ

と、わたくしたち一人ひとりが成

熟へと向かって行くということ

は、どこか繋がっているようにも

思います。教会の頭であるキリス

トを主とするということは、キリ

スト以外の何ものをも主とせず、

それに引き回されないということ

でもあります。成熟した人間のよ

うな教会の肢であるということ

は、わたくしたち一人一人を神の

前に成熟した人間にし、決して虚

しくされることのない生き方を与

えてくれるものではないでしょう

か。

栄    光 2019 年 2 月号(7)

世田谷地区一致祈祷会報告

 

世田谷地区一致祈祷会が1月20

日午後、松沢教会を会場に行われ

ました。カトリック、プロテスタ

ントなどのキリスト教一致運動

(エキュメニズム)から生まれた

一致祈祷週間の世田谷版です。教

団のもより教会がミレニアムクリ

スマスを祝うため、近隣の諸教派

に呼びかけたことがきっかけとな

り、この地域の一致祈祷会が始ま

りました。もっともその後尻すぼ

みとなりました。

 

しかし、再開第1回となった

2011年千歳船橋教会での祈祷

会は、予定の倍2百人近くの出席

者が集い、大慌てとなりました。

それ以来2年ごとに、カトリック

赤堤教会、日本福音キリスト教会

連合宣教教会、日本聖公会東京聖

三一教会、そして松沢教会と会場

を移し、今回で再開5回目となり

ました。今回は126人の出席者

でした。前回は187人でしたか

ら3分の1減少したことになりま

す。それでも教会、学校など21団

体の協力で開催できました。

 

隣りに座ったカトリック赤堤教

会のガブリ神父に式文の読めない

漢字を尋ねられました。そして、

日本では教派を越えて一つとなっ

て伝道することが大事だと話して

くれました。

 

若い児玉武志牧師(宣教教会)

が代表を務める実行委員会がよく

準備してくださって、式文も整え

られ、進行も実にスムーズでした。

「ただ正しいことのみを追求しな

さい」(申命記16・

18~20)をテー

マに、インドネシアのキリスト者

が作成した式文に従い、「キリス

トの十字架のもとに一つになり、

不正義を無くす恵みと、分裂をも

たらす罪へのあわれみを願い求め

る」祈祷会となりました。

 

献金(10万3千929円)は

インドネシア地震被災者支援と

「せたがや子ども食堂・みっと」

の働きのために献げられました。

 

松沢教会がお茶の準備をしてく

ださいました。祈祷会後の交わり

も楽しいひと時でした。思いがけ

ない再会もあり、「あなたもキリ

スト者!?」とビックリ。この地

域に主は7千人の一人を確かに残

してくださいました。(岸 

俊彦)

 

2019年の歩みが始まりまし

た。どんな年となるのでしょう? 

平和で明るく穏やかな1年を、と

祈りつつ1月の長老会についてお

伝えします。

 

昨年2月もこのファイルを担

当させて頂き、そこには東神大か

らの伝道師の紹介がなかったこと

が記されていました。今年は無事、

狩野進之佑神学生を担任教師とし

て招聘することが出来、1月20日

礼拝後に臨時教会総会を行い教会

員にその旨の承認を問うことにな

りました(1月20日、承認されま

した)。また4月の定期総会につ

いても協議され、長老選挙の実施

を確認しました。クリスマス諸集

会についても振り返りを行いまし

た。今年度は愛餐会が再び行われ

祝会では教会員同士の豊かな交流

の時も持たれ、良かったこと、イ

ブ礼拝後にはキャロリングが復活

し27名が参加され好評であったこ

とが委員より報告され、一つ一つ

の集会が恵みのうちに行われたこ

とを確認し感謝しました。

 

今回の長老会では研修の時も持

たれ、『長老会と教会総会、長老

の務め』と題し岸先生より学ぶこ

とが出来ました。北教会の基本方

針「長老会を中心として、教会形

成に励む」ことが示され、わたし

たちの教会は改革派的福音主義教

会であること、それゆえ教会総会

選挙で長老を選ぶがそれは人の思

いを超え神様の計画による選びで

ある、選挙ではあるが神様が選ん

でくださっている長老なのである

と教えられました。私は教会での

在籍も他の方から比べると短く、

それゆえ教会員の皆様のお名前も

なかなか覚えられず、失礼してい

ることが多々あると思い悩み、こ

の役割に対して力不足であると考

えておりました。でもこの学びか

ら、神様からの選びであることを

真摯に受けとめ、その選びに相応

しく歩めるようにと主に祈って、

その任を果せるよう努めさせて頂

こうと思いを変えていくことが出

来、感謝しています。

 

このファイルを書きつつ「知る

ことは力となる」ことを実感して

いる一長老の報告でした。

(千葉一恵)

栄    光2019 年 2 月号

○臨時教会総会報告 1 月 20 日に行われた臨時教会総会で狩野進之佑神学生の担任教師招聘が可決されました。

○図書茶話会 2 月 17 日(日)礼拝後 本の紹介 大友太郎

○西南支区役員信徒・社会合同講演会 2 月 17 日(日)午後 3:00 於 美竹教会

「心を育てる-心の居場所づくり-」 講師 酒井道子(臨床心理士)

○ハッピーアワー 2 月 24 日(日)礼拝後

○西南支区総会 3 月 10 日(日)午後 2:00 於:当教会

○レントに入る 3 月 6 日(水)

▽今月2回目の栄光編集委員会でした。毎月お忙しい中、きちんと作業していただき感謝です。

(沢田)

 

東京教区は東支区、西南支区、

南支区、北支区、千葉支区の5支

区からなっています。その中の東

支区から1月14日成人の日、教会

役員研修会に講師として呼ばれま

した。テーマは「伝道する教会・

支区・教区・教団」でした。

 

昨年は、 「

将来に向かう教会の

姿―教団の今を歩みつつ―」と

題して佐々木美知夫前教団総会副

議長が講師でした。教勢低下、財

政縮小、少子高齢化の中で教団の

伝道力を高めるために、いかに組

織改革を行うかを講演されたとの

ことでした。

 

その講演を受けて今回、東京教

区はいかに伝道するかを話すこと

になった次第です。ただし伝道す

るのは教区ではなく教会です。地

域の伝道の最前線に立つ教会を結

ぶ支区と教区はどのように協働で

きるかという話になりました。教

区が支区をこえて教会と関わるこ

とはなく、また教会も支区をこえ

て関わることはない、これが東京

教区の組織としての大前提です。

教区は教団と繋がりつつ、支区と

協力して教会に仕えます。それら

を結ぶのは、「教団信仰告白を告

白し、教憲、教規を遵守する」こ

とです。教団は教師を生み、教区

支区は教会を生み、教会は信徒

を生む。このようなそれぞれの働

きを理解しつつ、いかに協力でき

るかが課題です。

 

東京教区として取り組んでいる

具体的課題は2つです。一つは、

1971年から20年間東京教区総

会が未開催だったことなどによる

負担金等未納問題(1億2千万円)

の解決。もう一つは、現住陪餐会

員20人以下の伝道所・教会(全国

では557、東京は54)を財政的

に支える経常互助費の強化です。

 

終わりの日を待ち望みながら、

「共に祈ろう、共に伝えよう、共

に献げよう」(教団伝道推進基本

方針)を旗印に、今日出来る事を

果たしてゆきましょう。(

俊彦)

「栄 光」2019 年 2 月号日本基督教団 経堂北教会〒 156―0051 東京都世田谷区宮坂 3―21―11電 話 :03―3428―5029 / FAX:03―3428―5038牧 師 :岸 俊彦編 集 :栄光編集委員会Email :[email protected] :http://kyodokita.life.coocan.jp

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