一、電気科学のあけぼの...

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日本医史学雑誌第50巻第2号(2004) 275 電磁波による治療というのは、電線を流れる電流や磁石からの磁気などによる療法・ たがって、「電磁波による生体影響の研究・治療の歴史』を論述する前に、高周波エネルギ 一、電気科学のあけぼの 電磁波による 〔要旨〕芯磁界(国のg『・日侭邑の胃詩匡(E 代ギリシャまで遡る事が出来る。しかしながら、 ル・ファラデーまで待つことになる。そして、ダルソ 応用する。それは、理学療法としてまた電気メスに発展 体影響に関し話題となっている無熱効果を発見したのは、シ ある。現在、電磁波は、我々の生活の中に深く浸透しているが、 生体影響についての歴史を本稿によって明らかにした。 キーワードー電磁波生体影響ジアテルミー、短波治療、温熱効果、無熱 奈良圭之輔・岩井信市 日本医史学雑誌 平成十六年六月二

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日本医史学雑誌第50巻第2号(2004)275

電磁波による治療というのは、電線を流れる電流や磁石からの磁気などによる療法・治療とは少々事を異にする。し

たがって、「電磁波による生体影響の研究・治療の歴史』を論述する前に、高周波エネルギーとして装置から作り出され

一、電気科学のあけぼの

電磁波による生体影響の研究・治療の歴史

〔要旨〕芯磁界(国のg『・日侭邑の胃詩匡(EMF)が、歴史上初めて人間に認識されたのは、遥か昔、古

代ギリシャまで遡る事が出来る。しかしながら、電磁波として認識されるのは、一八三一年のマィケ

ル・ファラデーまで待つことになる。そして、ダルソンバルが、電磁波をジアテルミーとして沽旅に

応用する。それは、理学療法としてまた電気メスに発展を遂げていく。また、最近、電磁波による生

体影響に関し話題となっている無熱効果を発見したのは、シュリーファーケ、ヴァィセンベルク等で

ある。現在、電磁波は、我々の生活の中に深く浸透しているが、その電磁波を使った疾病治療とその

生体影響についての歴史を本稿によって明らかにした。

キーワードー電磁波生体影響ジアテルミー、短波治療、温熱効果、無熱効果

奈良圭之輔・岩井信市・横地章生・小口勝司

日本医史学雑誌第五十巻第二号平成十五年四月三十日受付

平成十六年六月二十日発行平成十六年一月十日受理

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奈良圭之輔他:電磁波による生体影響の研究・治療の歴史 276

て空中に飛び出した電磁波と、単に電線上を流れる電流や磁気との性質の違い、並びにそれらとの混同を避ける為、こ

こで電気科学の始まりについて少し触れておく必要がある。

「電気」を意味する言葉、画①宮g己はギリシャ語の『琉珀」が語源となっている。古代ギリシャ人たちは、號珀(こ

はく)を布などで摩擦すると髪などを引き付ける性質、つまり帯電し静電気を帯びる現象を知っていた。電気科学の門

戸を開いたのは、エリザベス一世の侍医であった英国人、ウイリアム・ギルバート(乏旨四日⑦号閏匡豊中屋畠)である。

彼は古代ギリシャ人が行ったように號珀を摩擦する事で、静電気を起こし、その現象をエレクトリック(の阿目Q電気)

という名詞で呼んだ最初の人である。没する数年前の一六○○年には、《己①冒僧画①扇》冒侭ロ黒目の目①99日ぎくのゞ2

口の冨侭二○旨侭邑①蔚弓の冒吊のFoao己.届g》国崗異&言目ゞ.(磁石及び磁性体並びに大磁石としての地球の生理学)という

著書を出版し、世界で初めて磁気や静電気に関する知識を人々に紹介している。また彼は、科学的事実というものは実

験による客観的観察によって得られるものであると考え、科学的方法の一つとして実験を確立し、近代科学の門を開け

た人物としても知られる人物である。彼の方法論や考え方は、後に続くベーコン、ケプラー、ガリレオ、ニュートンら

の研究に多大な影響を及ぼしたとも言われている。

西欧に電気科学が芽生え始めたこの頃の日本は、徳川三百年の治世が始まろうとしていた時代である。電気に関する

記載が、わが国の歴史上はじめて見てとれるのは明和二年(一七六五年)、後藤梨春(一七○二~一七七一)が著した紅毛

(1)

談(おらんだばなし)の中である。彼はこの著述中で摩擦起電機の事を、オランダ語の《国①n国昌昌)〉が、なまったとさ

れている、「ゑれきてりせいりてい」として記載している。その摩擦起電機を発明したのは、マグデブルクの半球の供覧

で有名なドイツ人、オットー・フォン・ギューリッケ(gさく○口⑦亘目鼻①勗冨‐屋患)で一六六三年の事である。この事

は《両xRg、口①pgzoぐ四(三くC8昌昌)冨四沮呂昌哩の四号く印goのロ豊ざ扇囹》国H牌&罠○二・雪》(真空についての(いわ

(2)

ゆる)マグデブルグの新実験)にマグデブルクの半球の報告と共に収められている。したがって、その発表のおよそ百年後

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日本医史学雑誌第50巻第2号(2004)277

感、櫛

電磁波は、マイケル・ファラデー(晨の富里園『且昌弓宮‐扁雪)により一八三一年、電磁誘導現象が発見され、その

約三十年後、一八六五年、イギリスのジェームス・クラーク・マックスウェル(菅ョの銅口の異冒四×言①冒麗串勗ご)(図2)

(6)

によりその現象を理論的に「マックスウエルの方程式」として、まとめられた事によって始まる。その結果、電磁波と

いたので、治療器具にはなりえなかったのである。

科学の発達により、ある程度自由に電気を操れるようになった明治期以降のわが国では、効果の見込めない物も含め

た様々な電気・磁気治療器と称した類の機械が発売されている。それらは、殆どが源内のエレキテルのそれに近いもの

(4)

であった事が伺われる。源内が完成させたエレキテルは、現在では国の重要文化財にも指定されており、逓信総合博物

(戸靭)

館・郵政研究所付属資料館に所蔵されている。

二、電磁波研究の発達

図1

にわが国に西洋の電気の知識が伝来し、紹介されたのである。日本

(3)

の電気学者は、エレキテルを作った平賀源内が有名である。源内は、

明和七年(一七七○年)長崎を訪れた際、一台の破損した起電機を見

つけそれを持ち帰り、「紅毛談」を参考にしながら工夫を加え、七年

後の安永五年(一七七六年)にエレキテル(図1)を完成させる。摩

擦によって静電気を起こす起電機は、一七世紀から一八世紀にかけ

て一種の娯楽、怪しい治療道具などとしてョ-ロッパでは流行して

いる。この起電機により静電気を発生させ、病気を治療すると称し

て人々を感電させ、驚かせるという、一種の手品として用いられて

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奈良圭之輔他:電磁波による生体影響の研究・治療の歴史 278

艦隊司令長官・東郷平八郎は、「直ちに出動、これを撃滅せんとす。本日天気晴朗なれども浪高し」と有名な文章を大本

営へ打電している。電磁波利用の無線電信はやがて無線電話へさらにラジオ・テレビ放送へと発展する事となる。

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産 一一繕一一一 島毎

瞬鷲垂 図'2

通信という目的で初めて手段化し、その応用も含めて商業的にも成功させたのは、

イタリアのグリエルモ・マルコーニ(⑦巨怪①冒○冒閏8己昂這‐届雪)(図4)である。

彼が、無線電信による大西洋横断通信に成功したのは一九○一年の事で、一九○九

年にノーベル物理学賞を受賞している。一九一二年におけるタイタニック号の惨事

4により、彼の会社(現存英国マルコーニ社)で製造された電信機が、《め○四》の緊急

図信号(食ぎぐ①○胃ぎこ一m(馨邑・ゞ又は《《普の己の目○号g艀目oの〉、)の無線電信を発信し

ている。

わが国では、一九○五年(明治三十八年)の日本海海上における五月二十七日に、

哨艦信濃丸に装備された国産三六式無線電信機による「敵艦見ゆ」の電信でロシア・

バルチック艦隊の位置を連合艦隊司令部に打電することにより、それを受けた連合

『,諏嘩夢

凸F

図'3

いうものがこの自然界に存在し、その伝播速度は、光

速度と等しい事が明らかにされる。また、ドイツのハ

インリッヒ・ルドルフ・ヘルツ扇ga呂勾且○惠函閏薗

易弓‐勗置)(図3)は、一八八八年に二本の金属棒の問

に小さな隙間を作り、その間にスパークを飛ばす事に

より実験的に電磁波を作り出す事に成功する。

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日本医史学雑誌第5()巻第2号(2004)ツ7q当、画

医学史上初めて電磁波(界)と生体影響、並びにそれを応用し治療行為を行ったのは、ダルソンヴァル(胃・菅8匡①の‐

どの習①竺旨⑳gくこ(屍望‐尼き)(図5)が最初である。彼は、フランスの物理学者・医学者であり、現在はガウス(G)

(7)

に替わって磁気の単位として用いられている「テスラ」(T)にその名が残されているz房○両目①の両(畠認‐らお)(図6)

三、電磁波による治療

図6

が、発見した交流電流を用いて高周波電磁界を発生することにより、それに

よる生体影響と医学的治療への応用を実験・実践する。ダルソンヴァルは、

パリで脊髄の障害側運動障害と反対側温痛覚障害を呈する脊髄損傷である、

5ブラウン‐セカール症候群の名付け親となった○冨己隅国号匡“a国8ジョ‐

図駅二巨四a(屍弓‐屍震)の元で医学を学び、一八九二年にロ夢品目畠』電流、

いわゆる↑箆胃⑱○二ぐ四房四画○国雪》として、装置から発生された電磁波を皮層と

(8)

粘膜の病変に照射する治療を開始する。現在ではジァテルミー目四号閏昌己

という名でも呼ばれ、医学物理療法の先駆け的なものとなる。日田号⑦『昌己と

は、扁禺旨腎冑○巨瞥のギリシャ語の意味で、電磁波の特異的作用の一つであ

る温熱効果を利用した療法のことを指している。温熱を利用した治療は、太

古の昔から人や動物は傷を負った時や痛みが生じた時に、その患部にたき火

や温石を当てたり、自然に湧き出す温泉に浸かって全身を温めることにより

癒している。例えば、ローマ時代等から見られる蒸し風呂(図7)等も温熱療

法の一つと考えられる。

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効果の他に更なる特殊作用の存在に気付き、一九二○年代後半から国言言評言①g巴《①(易程I己謂)らによってこの特

(州‐鋤)

殊効果についての研究が開始される.一九三○年代初頭には、ウィーン大学の国帰国弓①爵の号①侭らによる小型装置を

(泌‐海)

用いた弱力放射が提唱されるようになる。ヴァイセンベルクは、同大学の物理学者君○局四侭国○胃『の助力により、当

時としては極めて小型の超短波発生治療装置を製作することに成功する。彼らは三年間で、二千名以上の種々の疾患を

持つ患者に対しそれを用いる事により、種々の成績を収め一九三五年(昭和十年)には、今日でも電磁波と生体影響・そ

の技術に関する書物としては初期に分類され、当時の先端医学・物理学に興味を持つ医学者達に広く読まれる事となっ

図7

ジァテルミーの高周波発生装置・電磁波発生器は、一九○六年に、ドイツの物

(9)

理学者である〆閏}印四目z侭①一mg目骨によって、小型化しより使いやすくなっ

たことから発達する。当時は様々な人によって種々のタイプが、高周波発生器と

して開発が進められている。一九二四年に、フランスのアントニン・ゴセー

(シロ8邑旨⑦○印8は、無線周波数領域における生物学的影響に関し自作の電磁波発

信装置を用いて実験し、短波帯の高周波周波数による温熱効果で植物腫瘍を植物

(川)

自身には何の影響も与えず破壊出来る事を発見する。一九二○年代後半となると、

医師であるアメリカの]・雪昌四目のの島①愚のg①急のどらによって高周波電磁界に

よる生体影響への動物実験(短波帯の電磁波はハエ等の昆虫を殺傷する)が電磁波療

法の温熱効果作用を中心に本格的に開始され、超短波治療学と共に電磁波による

(Ⅲ,r)

生体影響に関する基礎を著した諸種の生物学的業績が発表される。

一方、ドイツ語圏の大学においても多くの学者により電磁波の特異的効果であ

る、温熱効果についての研究がなされている。これらの研究を重ねるうち、温熱

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日本医史学雑誌第50巻第2号(2004)281

(”)

また、北海道、東北帝国大学を中心に温熱を除去した超短波の特殊作用について種々の有益な研究が、行われている。

一九三三年(昭和八年)、東京医学電気株式会社(現伊藤超短波株式会社)の創業者であり、わが国の無線技術の振興に

尽力し、またNHK創立の創立功労者にも選ばれた伊藤賢治(一九○○~一九七一)(図9)が、この治療法に大きく触発

され、安藤駒太郎商店(現アコマ医科工業株式会社)から真空管式超短波治療器を製作する。この真空管式超短波治療器、

ワイセンベルグ‐伊藤式超短波放射器(製品名「自の魂」みずからのたましい)が発表されるに至って、わが国における電

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図8

図9

た書物、「○日邑国閉号H

【巨簡言巴帝邑昏閏四宮①」

(「短波治療の基礎」)が公

刊されている。

日本において、大正五

年四月発行の日本内科全

(郡)

害二巻第二冊・電気療法

のテスラ氏電流の項には

電磁波の高周波電流につ

いての発生法、性質、応

用法について詳しく記載

されており、興味深い器

具の図も数葉見てとれる

(図8)。

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電磁波による生体影響の研究は、第一次大戦終了後の一九一八年に、その軍事転用の可能性について列強各国で始ま

っている。わが国でも当時の陸軍科学研究所等において、各種軍事技術の研究開発を行っているが、非電離放射線の一

(帥)

つである電磁波領域においては、それらを「殺人光線」と呼称して、その高周波エネルギーの軍事利用の可能性につい

て模索されている。第二次大戦終了後の冷戦中には、電磁波の応用研究の熾烈な戦いが展開される事となり、特に旧ソ

連において、軍事技術の一つとして基礎的研究が進められたようである。それらと共に断片的ではあるがそれら生物学

(制)

的影響に関する結果が発表されている。この時代の電磁波軍事転用に関する歴史については興味深いものが多いが、政

治的思惑が大きく交差する時代であったが為、現在でも極秘の軍事機密的なところが強くあり、歴史調査は困難である。

主たるこれらの科学的発表は旧ソ連からのものが比較的多く、発表に際して、その多くがロシア語を用いられていた為、

世界の人々は、関心を示す事があまりなかったようである。

一九三○年代以降、無線周波数帯域電磁波の利用は産業、科学、医学、交通、そして国防等の分野を中心に加速度的

にその利用頻度が高くなる。電磁波利用の進歩・発達によって、無線周波数帯域電磁波の送出エネルギーもまた増力の

一歩を辿る事になる。その一方で電磁波エネルギーと生物学的影響に関する人々の関心もまた更に高くなり、電磁波に

(犯,湖)

磁波による生態影響の研究・治療の本格的な幕開けとなる。また伊藤は、無線技術専門誌「無線と実験」(現在は誠文堂新

光社刊)を一九二四年(大正十三年)に発刊している。

ジァテルミーは、電磁波の発する熱により体内の血流を増加させる事によって、組織の修復を早めるという目的で理

学療法の分野において現在でも利用されている。その高周波発生の技術的理論は、今では外科手術時にはなくてはなら

ない電気メス等にも応用されている。

四、電磁波利用「生物学的非特異的効果(無熱効果)」

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日本医史学雑誌第5()巻第2号(200283 l)

関する研究が本格的に幕を開ける事となってくる。多くの研究者達は電磁波暴露下に置かれた人や動・植物の生体にお

いて発熱(温熱)効果とそれに伴う様々な症状が惹起されて来る事をそれまでの研究により経験的に知るようになってき

たが、それがどの様なメカニズムで生体への障害、又は逆に創傷治癒などの利用価値の高い効果としてもたらされるも

のなのかは多くのところが未知なる事であった。

更なる研究による電磁波照射実験の結果、ドイツのシュリーファ-ケ、オーストリアのヴァイセンベルク等は、ヒト

の血圧上昇・めまい・頭痛・虚弱体質・方向感覚の喪失・吐気等の生体にとっては不利益な効果と、そして生体の温度

上昇だけでは説明の付かない生物学的な非特異的影響のある事を経験するようになる。現在でも多く議論が存在するが、

いわゆるそれらの効果は永続的な損傷や熱だけの効果によるものではないらしいという事が歴史上登場してきた(無熱

(錐‐鋤)

効果・餌讐の『目いgの言弓冒侭の認識)のである。

一九三○年代中盤からは世界的な戦争の気運の高まり、そして第二次世界大戦に突入する。これら電磁波の無熱効果

の研究は、戦後を通じてその生物学的影響についてほぼ三十年間、世に出てこなかったのである。考えられるのは、そ

の実験の複雑性(照射周波数や照射強度等が幾通りもある)はもとより、その再現性の困難さと、当時この研究が最も盛ん

であった場所がヒトラーの率いたドイツ第三帝国の時代と重複してしまった事があると思われる。また後の冷戦時代も

含め、敗戦後に分断されたドイツ、更にソ連進駐後のオーストリアでは電磁波による生体影響の基礎的研究が実質上行

えなくなったせいもあるのではないかとも思量される。その後の追試も含めた再検討は残念ながら戦後の西側世界にお

いては、再検討がなされることは最近に至るまで殆ど無く、本研究の発展を結果的に遅らせて来たのである。

電磁波を長時間浴びていると身体の不調を訴える人がいるという事は事実のようである。また携帯電話やコンピュー

丘、

電磁波の無熱効果、非特異的健康影響に関する研究の今後の期待

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奈良圭之輔他:電磁波による生体影響の研究・治療の歴史 284

タ、テレビによる電磁波に日々長時間暴露されていると生理的、心理的な不調が生じる人がいるという事もこれまた事

実である。これらの不調は慢性ストレスの兆候でもあり、よく「電磁波ストレス」、細かく言うと「VDT症候群」等と

も呼ばれているものも含まれている。確かに絶縁素材で作られた携帯電話のカバーやケースは「熱効果」にはある程度

対応出来る事も考えられるが、現在生体に影響があると言われ、人々に注目されているのは電磁波から発生する「無熱

効果」の方のようである。これを遮断する事は現在のところ技術的に不可能である。

現在、様々な形で電磁波による生体影響への関心が人々に持たれている。その発端は一九七九年に発表された、言四号.

(洲)

四日閏とFg閏の論文である。このニュースを見た人々はショックを隠せなかったと言う。その報告は送電線から副次

的に発生される漏れ電磁波によって小児の白血病発症率が増大するというショッキングな内容の疫学調査であった。当

時のアメリカのメディアではかなり大きく報道される事となり、それ以降、比較的大掛かりな疫学調査を主体とする研

(弱‐錦)

究が幾つも報告される等、送電線からの電磁波による生体影響、特に発癌についての疫学調査結果が次々と発表される。

それらによると、調査の約半数において関連性があるものとの結果を示し、残り半数は関連性が見出されなかったとな

一九九六年、WHOの冒蔚目目○口堅○○日目のの旨二○国zo己○口目侭両印&昌○自刃○尉昌○邑(ICNIRP、国際非電

離放射線防護委員会)とドイツ並びにオーストリア政府が共同で、電磁波による生体影響についての科学的再検討会議

がミュンヘンで行われる。ここでは、電磁波による詳細な健康リスク、特に低レベルでの電磁波暴露(無熱効果)によっ

て癌等の発症リスクについて今後も更なる研究が必要であるという見解が決議されている。

この問題を解決する為には生物学、物理学、医学、産業界等の学際的な研究における最も基礎的な研究により革新的

技術の発見が必須である。両刃の剣的な効果・作用を持つ電磁波を、利用者でもある我々がそれとの間に調和の取れた

良好な関係性を築き、積極的に制御する事が出来るようになるのが現在最も急がれる事であると考える。世界各国では

っている。

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285 日本医史学雑誌第50巻第2号(2004)

現在、大学や様々な研究機関でその生物学的無熱効果の測定実験が始められており、それらの結果により正確なる電磁

波の総ての効果の存在と定量化を実証し、安全域と危険域を明確に区別されなければならないと考える。

参考文献及び注

(1)後藤梨春「紅毛談」負目5‐目ロロ・おらんだばなし)明和二年二七六五)江戸時代中期の本草家。本書は上・下巻の二分

冊。江戸参府のオランダ人より聞き取った文物を記述し、一七四六年(延享三年)もしくは一七六五年(明和二年)に世に

出た当時のオランダを紹介した書物。西川如見の「増補華夷通商考」などを参考に、オランダの地理、風土、風俗、暦、物

産、言語等を紹介している。エレキテルが紹介されたのは本書で、下巻に医薬等の情報と共に「ゑれきてりせいりてい」

(国⑦一合庁詳昌電気)という表記で電気に関する事項を摩擦式起電機の図を付して説明しており、「諸痛のある病人の痛所よ

り火をとる器なり」とある。また日本最初の電気に関する文献として知られている。

(2)マグデブルクの半球ドイツ・マグデブルク市長であったオットー・フォン・ギューリッケは、当時の最先端技術であった

空気ポンプに関する実験を行い、その発展・改良に大きな役割を果たした。《両愚四目①邑国zoぐ四(具ぐO8昌昌)三m召各員‐

四8号く四目○普閏ざ屋忌》国門留&昼目・幸》(真空についての(いわゆる)マグデブルグの新実験)はそれらの実験の記録

を後年まとめたもので、特に一六五七年に行われた「マグデブルクの半球」と呼ばれる実験は有名である。この実験は、二

つの銅製半球をあわせて球を作りポンプで中の空気を吸い出すと、両側から数十頭の馬で引かせても引き離すことはでき

ないことを示したもので、ボイルやホイヘンスによる空気ポンプ研究に大きな影響を与えた。

(3)桑木或雄「科学史考」所収「エレキテル物語」河出書房、一九四四年(昭和一九年)

(4)田中聡「健康法と癒しの社会史』青弓社、一九九六年(平成八年九月)

(5)岩井登、井上恵子「ゑれきてる考証」郵政研究所月報、二○○二年(平成一四年四月号)三二~三八頁

(6)ご図×言呂》].。.”鈩再①胃〕器○口座R国凰ご四目日囚唱①爵ョ.○蔦OaQ閏①且○ご頁の⑩のぐ.Q閏の目○口胃①閉陥ュ朗ぐ巳』菖巳.

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奈良圭之輔他:電磁波による生体影響の研究・治療の歴史 286

ヘ8-

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ヘ4-

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(Ⅳ)

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日本医史学雑誌第50巻第2号(20()4)287

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中川恭次郎編、青山胤通〔ほか〕編撰日本内科全書二巻第二冊「テスラ氏電流」二九二~三○三頁、吐鳳堂、一九一六年

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北海道帝國大學超短波研究所「北海道帝國大學超短波研究所彙報」第一巻一號別タイトル”超短波研究所彙報、北海道帝

國大學超短波研究所編纂、札幌、一九四四年(昭和一九年)

伊藤賢治「超短波療法』安藤駒太郎商店出版部、東京、一九三六(昭和十一年)

伊藤賢治『無熱放射超短波治療術」日本アコマ超短波研究所、東京、一九三六(昭和十一年)

宮川壽夫「所謂殺人光線の概念」理研ニュースz○画急皆一唱胃岳麗理化学研究所、一九九八年(平成十年八月)

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中川恭次郎編、

(大正五年四月)

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奈良圭之輔他:電磁波による生体影響の研究・治療の歴史 288

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(昭和大学医学部第一薬理学教室)

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ZurGeschichtederForschungeniiberdieWirkungElektromagnetischerWellenaufdenMenschlichenK6rperunddieTherapeutische

NutzungdieserWellen

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nannten,dieReibungselektriziatvertraut.DasPhanomenderelektromagnetischenWellenwurdeiedocherstl831durchMichaelFaradayentdeckt.Schonbalddaraufbegannder

FranzoseDr.Jacques-Arsened'ArsonvaldieseWellenalsDi"heγ加"inderarztlichenPraxiseinzusetzen.WahrendderdreissigerJahrendes20.JahrhundertsentdecktenProf.Dr.Erwin

SchliephakeundProf.Dr.EugenWeissenbergdieathermischeWirkungelektromagnetischerWellen・EinemoderneNutzungstelltbeispielsweisedasElektroskalpelldar.Heutzutageist

derMenschimAlltagvonunzahligenGeratenumgeben,welcheelektromagnetischeWellenausstrahlen.SeitdenneunzigerJahrenwirdindenMassenmedienimmerhaufigerdieFrage

nachderenEin[lussaufdenmenschlichenOrganismusaufgeworfen.Dochsolltenicht

vergessen,dassesZeitengab,indenenmandieseWelleninderTherapienutzteundihreWirkungenaufdenK6rperintensiverforschte.

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