上原記念生命科学財団研究報告集, 27...

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53. TOR キナーゼ複合体の細胞膜局在機構 塩﨑 一裕 Key words:Target of Rapamycin (TOR),      TOR complex 2,分裂酵母 奈良先端科学技術大学院大学 バイオサイエンス研究科 細胞シグナル研究室 緒 言 細胞膜は,細胞内部と外部環境を物理的に隔てるだけでなく,細胞内シグナル伝達の足場としても重要な役割を果た す.例えばガン遺伝子産物の Akt キナーゼは,細胞膜に含まれるイノシトールリン脂質に結合し,細胞膜上でリン酸 化・活性化される(図 1,上段)が,この Akt をリン酸化する酵素活性の一つが,TOR Complex 2 (TORC2) と呼ばれ るタンパク質キナーゼ複合体である 1) .TORC2 は細胞膜に特異的に局在することが,これまでに酵母およびヒト培養 細胞で報告されている. TORC2 による Akt の活性化は,インスリンに応答した筋肉・脂肪細胞のグルコース取り込みにも必須であり,ガン に加えて糖尿病にも深い関係があるが,TORC2 の制御機構の研究はその端緒についたばかりである.著者らは,遺伝 学的解析が容易で,ヒトの TORC2‒Akt 経路と酷似したシグナル経路(図1)を持つ分裂酵母 (Schizosaccharomyces pombe) を TORC2 研究のモデル生物として確立し 2) ,それまでどの生物種でも不明であった TORC2 の活性化因子と して Rab 低分子量 G タンパク質の1つである Ryh1 を同定することに成功した 3) .GTP を結合した活性型の Ryh1 は 細胞膜に検出され,Ryh1 は細胞膜上で TORC2 を活性化していると考えられる(図 1,下段).また,ヒトでは Ryh1 に相同な Rab6 が TORC2 を活性化している可能性がある. 以上のことから細胞膜は,TORC2 がシグナルを受容し,さらに下流の因子へと伝達する場であると予想され, TORC2 の細胞膜への局在はそのシグナル伝達機構において非常に重要である可能性が高い.そこで本研究では,分裂 酵母をモデルとして TORC2 複合体の制御サブユニットが細胞膜局在に果たす役割を解析した. 方法および結果 TOR キナーゼは,TOR complex 1 (TORC1) と TOR complex 2 (TORC2) という2種類の複合体を作るが,細胞膜 に局在するのは TORC2 のみである.したがって,TOR キナーゼ自体ではなく,TORC2 に含まれる4種類の制御サブ ユニット(図1)が細胞膜局在を決定していると予測されるが,そのいずれにも膜貫通や脂質修飾など既知の膜局在配 列は存在しない. 1 上原記念生命科学財団研究報告集, 27 (2013)

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Page 1: 上原記念生命科学財団研究報告集, 27 (2013)...図1.ヒトTORC2-Aktシグナル経路と酷似した分裂酵母TORC2-Gad8経路. ガン遺伝子産物Aktは,細胞膜上でTOR

53. TOR キナーゼ複合体の細胞膜局在機構

塩﨑 一裕

Key words:Target of Rapamycin (TOR),     TOR complex 2,分裂酵母

  奈良先端科学技術大学院大学  バイオサイエンス研究科  細胞シグナル研究室

緒 言

 細胞膜は,細胞内部と外部環境を物理的に隔てるだけでなく,細胞内シグナル伝達の足場としても重要な役割を果たす.例えばガン遺伝子産物の Akt キナーゼは,細胞膜に含まれるイノシトールリン脂質に結合し,細胞膜上でリン酸化・活性化される(図 1,上段)が,この Akt をリン酸化する酵素活性の一つが,TOR Complex 2 (TORC2) と呼ばれるタンパク質キナーゼ複合体である 1).TORC2 は細胞膜に特異的に局在することが,これまでに酵母およびヒト培養細胞で報告されている. TORC2 による Akt の活性化は,インスリンに応答した筋肉・脂肪細胞のグルコース取り込みにも必須であり,ガンに加えて糖尿病にも深い関係があるが,TORC2 の制御機構の研究はその端緒についたばかりである.著者らは,遺伝学的解析が容易で,ヒトの TORC2‒Akt 経路と酷似したシグナル経路(図1)を持つ分裂酵母 (Schizosaccharomycespombe) を TORC2 研究のモデル生物として確立し 2),それまでどの生物種でも不明であった TORC2 の活性化因子として Rab 低分子量 G タンパク質の1つである Ryh1 を同定することに成功した 3).GTP を結合した活性型の Ryh1 は細胞膜に検出され,Ryh1 は細胞膜上で TORC2 を活性化していると考えられる(図 1,下段).また,ヒトでは Ryh1に相同な Rab6 が TORC2 を活性化している可能性がある. 以上のことから細胞膜は,TORC2 がシグナルを受容し,さらに下流の因子へと伝達する場であると予想され,TORC2 の細胞膜への局在はそのシグナル伝達機構において非常に重要である可能性が高い.そこで本研究では,分裂酵母をモデルとして TORC2 複合体の制御サブユニットが細胞膜局在に果たす役割を解析した.

方法および結果

 TOR キナーゼは,TOR complex 1 (TORC1) と TOR complex 2 (TORC2) という2種類の複合体を作るが,細胞膜に局在するのは TORC2 のみである.したがって,TOR キナーゼ自体ではなく,TORC2 に含まれる4種類の制御サブユニット(図1)が細胞膜局在を決定していると予測されるが,そのいずれにも膜貫通や脂質修飾など既知の膜局在配列は存在しない.

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 上原記念生命科学財団研究報告集, 27 (2013)

Page 2: 上原記念生命科学財団研究報告集, 27 (2013)...図1.ヒトTORC2-Aktシグナル経路と酷似した分裂酵母TORC2-Gad8経路. ガン遺伝子産物Aktは,細胞膜上でTOR

図 1. ヒト TORC2-Akt シグナル経路と酷似した分裂酵母 TORC2-Gad8 経路.ガン遺伝子産物 Akt は,細胞膜上で TOR complex 2 (TORC2) 複合体と PDK1 キナーゼによってリン酸化され,活性化される. 分裂酵母においてはヒト Akt に相同な Gad8 が,TORC2 と Ksg1 キナーゼによってリン酸化・活性化される. Rab ファミリー G タンパク質の Ryh1 が分裂酵母 TORC2 の活性化因子として同定されており,Ryh1 に相同なヒト Rab6 も TORC2 の活性化に働く可能性がある.

 分裂酵母 TORC2 複合体の細胞内局在は,TORC2 特異的な制御サブユニットである Ste20 および Bit61 をコードするゲノム遺伝子の下流に緑色蛍光タンパク質 (Green Fluorescent Protein, GFP) 遺伝子断片を挿入し,Ste20 およびBit61 をそれぞれの遺伝子座から GFP との融合タンパク質として発現することによって可視化した.この方法によって,(1) 経時変化を含めた生細胞でのダイナミックな局在観察が可能で,細胞の化学固定が実際の局在を変えてしまう危険を回避でき,また (2) 発現ベクターではなく,ゲノム上の本来の遺伝子座から発現することによって,複合体を構成するサブユニット間の発現量比を乱すことなく観察できる. Ste20-GFP あるいは Bit61-GFP を発現する分裂酵母株では,主に細胞表面に点状の蛍光シグナルが観察された(図2,左).両方の TORC2 サブユニットが酷似した細胞内局在パターンを示したこと,また,tor1 遺伝子のノックアウトによって TORC2 複合体を破壊するとこのような特異的な局在は見られなくなることから 3),Ste20-GFP およびBit61-GFP によって観察された蛍光シグナルは TORC2 複合体の局在を示していると考えられた.

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Page 3: 上原記念生命科学財団研究報告集, 27 (2013)...図1.ヒトTORC2-Aktシグナル経路と酷似した分裂酵母TORC2-Gad8経路. ガン遺伝子産物Aktは,細胞膜上でTOR

図 2. 分裂酵母 TORC2 の生細胞における局在.TORC2 サブユニットである Ste20 および Bit61 をコードするゲノム遺伝子の下流に緑色蛍光タンパク質(Green Fluorescent Protein, GFP) 遺伝子断片を挿入し,Ste20 および Bit61 をそれぞれの遺伝子座から GFP との融合タンパク質として発現することによって可視化した. bit61 遺伝子破壊株 (∆bit61 ) では Ste20-GFP の細胞膜局在は正常で,Bit61 サブユニットが TORC2 の局在に必須でないことが示された. Bit61 は Ste20 サブユニットを介して TORC2 と会合しており,Bit61-GFP の蛍光シグナルは ste20 遺伝子破壊株 (∆ste20 ) では細胞全体に拡散しているように見える. Scale bar : 5µm.

 Bit61 サブユニットが TORC2 の局在に関わっているかどうかを調べるため,bit61 遺伝子を破壊 (∆bit61 ) したSte20-GFP 発現株を構築した.この株では野生型株と同様の Ste20-GFP の局在が観察された(図2,右上)ことから,Bit61 は TORC2 の細胞膜局在に必須ではないと結論できた.一方,ste20 遺伝子を破壊 (∆ste20 ) した株では Bit61-GFP の蛍光は細胞表面に局在せず,細胞全体に拡散したような像が観察された(図2,右下)が,これは Bit61 が Ste20サブユニットを介して TORC2 に結合しているため 4)と推測された.TORC2 局在における Ste20 の役割を評価するために,現在,Sin1 サブユニットを GFP との融合タンパク質として発現する株を構築中である.

考 察

 TOR キナーゼは TORC1 と TORC2 と呼ばれる2種類の複合体を形成するが 5),それぞれの活性制御,基質特異性,細胞内局在などは,複合体を構成する制御サブユニットの組み合わせによって決定されていると考えられる.しかしながら,制御サブユニットそれぞれの分子機能は不明な点が多く,本研究は,インスリン刺激の伝達やガン細胞の増殖を引き起こす TORC2-Akt シグナル経路の分子レベルでの理解をめざして,TORC2 が細胞膜に局在するメカニズムの同定を試みた.本研究の結果,酵母からヒトまで保存されている Bit61/Protor サブユニットが TORC2 の細胞膜局在に必須でないことが示された.我々の以前の研究では,Sin1 サブユニットも TORC2 の細胞膜局在の必須因子ではない

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Page 4: 上原記念生命科学財団研究報告集, 27 (2013)...図1.ヒトTORC2-Aktシグナル経路と酷似した分裂酵母TORC2-Gad8経路. ガン遺伝子産物Aktは,細胞膜上でTOR

ことが明らかになっており 3),今後は Ste20 (ヒト Rictor) の役割を検討していく必要がある.情報伝達分子の細胞膜への局在は,これまでにも Farnesyltransferase inhibitor (FTI) に代表されるような薬剤標的としての成功例があり,TORC2 細胞膜局在のメカニズムの解明は,新たな標的分子の同定につながる可能性がある.

共同研究者

本研究の共同研究者は,奈良先端科学技術大学院大学バイオサイエンス研究科の建部 恒である.本稿を終えるにあたり,ご支援を賜りました上原記念生命科学財団に深く感謝申し上げます.

文 献

1) Sarbassov, D. D., Guertin, D. A., Ali, S. M. & Sabatini, D. M. : Phosphorylation and regulation of Akt/PKBby the rictor-mTOR complex. Science, 307 : 1098-1101, 2005.

2) Ikeda, K., Morigasaki, S., Tatebe, H., Tamanoi, F. & Shiozaki, K. : Fission yeast TOR complex 2 activatesthe AGC-family Gad8 kinase essential for stress resistance and cell cycle control. Cell Cycle, 7 : 358-364,2008.

3) Tatebe, H., Morigasaki, S., Murayama, S., Zeng, C. T. & Shiozaki, K. : Rab-family GTPase regulates TORcomplex 2 signaling in fission yeast. Curr. Biol., 20 : 1975-1982, 2010.

4) Tatebe, H. & Shiozaki, K. : Rab small GTPase emerges as a regulator of TOR complex 2. Small GTPases, 1 :180-182, 2010.

5) Wullschleger, S., Loewith, R. & Hall, M. N. : TOR signaling in growth and metabolism. Cell, 124 : 471-484,2006.

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