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2012/4/24
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広く蓄積された地理的知識(情報)
• これらはどのように扱われていったか。
<観光の大衆化と地理的知識の需要>
*交通・通信の発達(蒸気汽船・鉄道、郵便制度)
*ジャーナリズムの発達(新聞・ニュース・小説、天気図)
*大衆消費行動の発生(デパート・遊歩者・万博)
*複製芸術の発展(写真・映画・レコード)
19世紀後半からの<近代化>全般と関連づけな
がら考察
時間による空間の絶滅
<輸送手段の革新>
・馬車と帆船(1500-1840年)
時速16キロ
↓
・蒸気機関車(1850-1930年)
時速104キロ
↓
・プロペラ機(1950年代)
時速480-640キロ
↓
・ジェット機(1960年代)
時速800-1120キロ
<近代>的変容と観光の関係
→ とくに、<大衆化>という点に着目して
・交通手段(蒸気汽船,蒸気機関車=鉄道)
・通信手段(郵便制度,電信)
・複製芸術(写真,映画,蓄音機/レコード…)
・ジャーナリズム(新聞・小説)の発達
・博覧会・百貨店、パッサージュ…「消費のための空間」の発生
大衆観光の発端
• トーマス・クック(1801-1892)
家具師であり、本屋・印刷屋・出版屋を兼ねた店の
経営者、そして禁酒協会の地方幹部。
• 1841年7月5日:レスター=ラフバラ間の団体旅行。禁酒運動大会参加。485名。
• ただしこれが最初の団体旅行というのではない(1830年代からみられる)。
• ただ、<広告>で参加者を募集したのはこれが最初。
• 以後、クックは各種の団体旅行を組織するようになる。
• イングランド内の旅行からスコットランドへ。
• 鉄道会社の割引切符不売により、海外へと目を向けるようになる。
• その前に1851年、「ロンドン万博ツアー」を企画
海外団体旅行の開始
• 1855年:パリ万博ツアー• 同年:大陸周遊ツアーを企画
→ ベルギー・ドイツ・フランス
*貴族や金持ちだけでなく、労働者階級も参加できた。
• 1862年:スイス・ツアー• 1863年:イタリア・ツアー• 1866年:北米ツアー• 1869年:中東ツアー(エジプト・パレスチナ・トルコ)• 同年:スエズ運河開通
• アメリカでは大陸横断鉄道開通
• 1872年:クック「世界一周ツアー」(大西洋・太平洋横断)• 1873年:『クックの大陸列車時刻表』創刊
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「観光」と「地理学」
• 事例:バリ島(インドネシア)• 観光地としてのバリ• 観光地なるものの「誕生」
→ そもそも「観光」(この場合「大衆」観光)は
いつから?
*19世紀後半
• 観光地になるきっかけ→ 「生きた博物館」としてのバリという表象
• トーマス・ラッフルズ:『ジャワ誌』(1817年)→ バリは古代ジャワ・ヒンドゥーの「生きた博物館」と
いうイメージが形成
• 「最後の楽園」というイメージ→ 南太平洋とインドのイメージの合体の上に成立
• 1920年代:ニースやフロリダがアメリカ人によって夏のリゾートして開発される。
• 他方で、「エスニック・ツーリズム」という観光形態も生まれる。
• ゴーギャン:1891年にタヒチへ→ きっかけは街角で見かけた観光案内書
バリの歴史(つづき)
1914年:最初の観光客の一団バリへ
1923年:オランダ郵船会社プランシウス号
シンガポール→ジャワ→バリ
1924年:アメリカン・エキスプレス社
マニラ発→バタヴィア→モルッカ→バリ→ジャワ……3日間のバリ滞在
「バリ文化」の創造
• バリにやってきた様々な文化人たちによって、バリの文化が西洋に紹介されていく。
• クラウゼ(写真家)1920年:バリの写真集
• シュピース:バリの様々な芸能・美術を紹介
• ミードとベイトソン:人類学者。バリ島の生活様式を研究。
• コバルビアス:ニューヨークのイラストレーター→『バリ島』(1936)は今日に至るまで多くの
人が参照する著作。
• 1936年:ミゲル・コバルビアス『バリ島』出版
→ 植民地支配への攻撃の書
西洋化の中で失われていく世界への
ロマンティックな郷愁
・1930年代のバリに滞在
・だが、もとはクラウゼの写真集『バリ島』(1922)に魅
せられてニューヨークから汽船でやってきた。
→ いずれにせよ,重要なことはそこが植民地であっ
たということ!
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バリ=「劇場国家 theater state」?
• アメリカの文化人類学者クリフォード・ギアツのバリ研究
• バリにおける国家の存在理由→ 支配や統治ではなく
→ 儀礼を演劇的に行うこと
• 文化のなかにある演劇性の要素→ 政治の領域に拡大
• それによっていままでの政治学では見えなかった部分が解明される場合もあるが・・・
• あらゆる事柄を演劇や儀礼に還元してしまうため
• → 支配・被支配の関係、国家権力の行使な
ど、国家の政治的な要素が軽視されるおそれ
もある
位階的世界の模範的中央において行われる権力の
演劇をその実体とする。
→ 地位が支配観念であり、華麗さが地位の本質
→ 地位は神性からどれほど隔たるかによって決 ま
る
*権力の文化的次元が問題
→ 政治の「象徴的」局面が「現実的」局面(支配・統
治など)よりも重視される
*象徴的表現に充ち、それを精髄とするバリの政
治!
• 1891年ムンウィ、タバナンとバドゥンの二国により滅亡(7王国→6王国:他にギャニアル、クルンクン、カルンガム、バンリ)
• 1906年オランダ軍サヌール上陸。バドゥン進攻。
一週間後タバナン攻略。
*1908年、名目上の首都クルンクン滅亡
同じ1908年、バタヴィアに政府観光局設置。
• それによっていままでの政治学では見えなかった部分が解明される場合もあるが・・・
• あらゆる事柄を演劇や儀礼に還元してしまうため
• → 支配・被支配の関係、国家権力の行使な
ど、国家の政治的な要素が軽視されるおそれ
もある
1931年:パリ国際植民地博覧会
*オランダ政府
の主展示館の
テーマ:バリ
この間、バリでは
間接統治体制
成立
• 一度は滅ぼした旧支配層の
復権
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文化的媒介者
• ラコー・スカワティ(ウブドの有力者・ホスト)• 地元出身の植民地官僚
・(シュピースら)西欧人の滞在受け入れ
・植民地政府寄り
→ 1945年:東インドネシア国大統領となる
↓
オランダの肝煎りで誕生した傀儡政権
1949年末:消滅
戦後のバリ島
・1908:最初の民族主義的組織(ブディ・ウトモ)結成
• 1912:イスラム同盟結成
• 1920:インドネシア共産党結成(もとは1914)
• 1927:インドネシア国民党(スカルノ党首)
• 1942:日本軍政下に入る
• 1945:8/17 スカルノが独立宣言読み上げる
• 1945-49:独立戦争期
• 1949:12月正式独立。スカルノ政権(軍と共産党の支持)
• 1965:9月30日事件(共産党の鎮圧)
• 1967:スカルノ失脚。スハルトが次期政権掌握
• 1968:スハルト第2代大統領となる。
第1次5カ年開発計画
スカルノの劇場国家?
• 伝統的要素と近代的要素を混ぜ合わせた、純インドネシア文化を創造すること。
• ジャワ文化は父なる文化、バリ文化は母なる文化• 外交の場として「バリ」を活用
• ただし、大衆観光の場ではなかった→ 1950年代はほぼゼロ、60年代に入って徐々に
増加 (ヒッピー → サーファー)
*この後、スハルトによる開発計画の一端を担うよ
うになる。
バリ観光の二形態
*リゾート滞在型
→ 代替可能性(特にバリである必要はない)
1960年代からの観光開発による
第一次経済5カ年計画(スハルト主導)
*文化探究型
→ その土地固有性
1920年代・30年代に植民者によって形成
バリ…まとめ
Ⅰ 戦前のウブドを中心とする観光のあり方
エキゾチズム(異国情緒)、神秘性…
Ⅱ 戦後のビーチリゾート
リラクゼーションのための場、ストレスから逃
れるための…?
→ もちろんこれらの折衷形態が通常のあり方
Ⅲ 今日のあり方は?
→ ex-tourism ノスタルジアの消費…?
そこに住み着く人々
ちなみに…
• ここ10年で270人の日本人女性がバリ島で結婚生活を
おくる(1996年段階) → うち100人がウブドに住む
• いずれも1990年頃からバリに行くようになる。
→ バブル経済期
何故、男性ではなく女性なのか?
→ 職種・可処分所得の違い?
→ 疎外感(…懐かしさを求める?)
• 昭和30年代の風景としてのバリ・・・
• 農村的なものへのノスタルジア?
• 高度経済成長期に幼少期をおくった女性たち
* では、バブル崩壊後、高失業期の今日ではどうなの
か?