飯舘村住民 初期外部被曝量 見積もり0322 kagaku mar. 2014 vol.84 no.3...

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0322 KAGAKU Mar. 2014 Vol.84 No.3 飯舘村の放射能汚染 福島原発事故にともなう陸域での最大の放射能 汚染,つまり福島第一原発の敷地から北西に向か って浪江町飯舘村福島市と細長く延びる汚染 が形成されたのは,2011 3 15 日の夕方か ら翌朝にかけてであった。3 15 日の午前 11 に当時の菅首相と枝野官房長官が記者会見し, 「早朝に 2 号機の格納容器が破壊されたもよう」 と発表した。冷却機能を失ってメルトダウンを起 こしている原子炉の格納容器が破壊されたとは, チェルノブイリ事故のように,遮るものがなく大 量の放射能が環境中に放出される事態に至ったと いうことであった。 15 日の午前中, 2 号機からの放射能プルームは, 南向きの風に乗っていわき市から東京方面に向か った。東京都内では午前 10 時から 11 時にかけ 0.4 nSv/h の放射線量率ピークが観察されてい 1 。午後になって,風向きが西から北西へと変 わった。前日 14 日に飯舘村役場近くに設置され た可搬型モニタリングポストの放射線量率が急上 昇をはじめたのは午後 3 時頃からで,午後 6 20 分に 44.7 nSv/h という最大値が記録された 2 飯舘村の人々がアンラッキーだったのは,放射能 プルームの到来と雨や雪が重なり,大気中の放射 能が一気に地表沈着を起こしたことだった。飯舘 村のアメダスでは,この日の午後 5 時から翌朝 にかけて 10 mm の降水量が記録されている 3 飯舘村の放射能汚染が全国的に報道されはじめ たのは 3 23 日だった。飯舘村の土壌 1 kg あた 16 3000 Bq 137 Cs が検出されたという当 局発表をうけて,新聞からコメントを求められた 今中は, (表面 2 cm,見かけ比重 1 の土壌サンプリングを想 定すると) 312.6 Bq/m 2 という汚染密度となり, チェルノブイリの移住基準 55 Bq/m 2 の約 6 の汚染に相当すると答えた。原発事故以前より飯 舘村の村興しに協力してきたグループによって急 遽結成された 飯舘村後方支援チームの小澤の 相談をうけて,今中ら放射能汚染調査チームが飯 舘村に入ったのは 3 28 日だった。その時の役 場周辺の放射線量率は 57 nSv/h で,最大は村 南部の長泥地区での 30 nSv/h であった 4 。今中の 職場の研究用原子炉では 20 nSv/h を超える場所 には放射線管理部が 高放射線量率区域の標識 をして,普通の放射線作業従事者はみだりに立ち 入らないようになっている。飯舘村全体に信じが たいようなレベルの放射能汚染が拡がっており, そうした中で人々が普通の暮らしを続けているの をみて,調査チームは言葉を失い茫然とするしか なかった。 飯舘村のような福島原発から 20 km 圏外の高 レベル汚染地域が (概ね 1 カ月を目途に避難を実施すると いう) 「計画的避難区域」に指定されたのは 4 22 日だった。結局,飯舘村の人々は高濃度放射能汚 染の中で数カ月間の生活を続けたため,3 12 特集震災・原発事故 3 飯舘村住民 初期外部被曝量 見積もり 今中哲二 いまなか てつじ 京都大学原子炉実験所 飯舘村初期被曝評価プロジェクト External dose assessment for inhabitants in Iitate village until evacuation after the Fukushima-1 NPP Accident Tetsuji IMANAKA and Project for Initial Dose Assessment in Iitate Village

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  • 0322 KAGAKU Mar. 2014 Vol.84 No.3

    飯舘村の放射能汚染

    福島原発事故にともなう陸域での最大の放射能汚染,つまり福島第一原発の敷地から北西に向かって浪江町―飯舘村―福島市と細長く延びる汚染が形成されたのは,2011年 3月 15日の夕方から翌朝にかけてであった。3月 15日の午前 11時に当時の菅首相と枝野官房長官が記者会見し,「早朝に 2号機の格納容器が破壊されたもよう」と発表した。冷却機能を失ってメルトダウンを起こしている原子炉の格納容器が破壊されたとは,チェルノブイリ事故のように,遮るものがなく大量の放射能が環境中に放出される事態に至ったということであった。

    15日の午前中,2号機からの放射能プルームは,南向きの風に乗っていわき市から東京方面に向かった。東京都内では午前 10時から 11時にかけて 0.4 nSv/hの放射線量率ピークが観察されている1。午後になって,風向きが西から北西へと変わった。前日 14日に飯舘村役場近くに設置された可搬型モニタリングポストの放射線量率が急上昇をはじめたのは午後 3時頃からで,午後 6時20分に 44.7 nSv/hという最大値が記録された2。飯舘村の人々がアンラッキーだったのは,放射能プルームの到来と雨や雪が重なり,大気中の放射

    能が一気に地表沈着を起こしたことだった。飯舘村のアメダスでは,この日の午後 5時から翌朝にかけて 10 mmの降水量が記録されている3。飯舘村の放射能汚染が全国的に報道されはじめたのは 3月 23日だった。飯舘村の土壌 1 kgあたり 16万 3000 Bqの 137Csが検出されたという当局発表をうけて,新聞からコメントを求められた今中は,(表面 2 cm,見かけ比重 1の土壌サンプリングを想定すると)312.6万 Bq/m2という汚染密度となり,チェルノブイリの移住基準 55万 Bq/m2の約 6倍の汚染に相当すると答えた。原発事故以前より飯舘村の村興しに協力してきたグループによって急遽結成された “飯舘村後方支援チーム”の小澤の相談をうけて,今中ら放射能汚染調査チームが飯舘村に入ったのは 3月 28日だった。その時の役場周辺の放射線量率は 5~7 nSv/hで,最大は村南部の長泥地区での 30 nSv/hであった4。今中の職場の研究用原子炉では 20 nSv/hを超える場所には放射線管理部が “高放射線量率区域”の標識をして,普通の放射線作業従事者はみだりに立ち入らないようになっている。飯舘村全体に信じがたいようなレベルの放射能汚染が拡がっており,そうした中で人々が普通の暮らしを続けているのをみて,調査チームは言葉を失い茫然とするしかなかった。飯舘村のような福島原発から 20 km圏外の高

    レベル汚染地域が(概ね 1カ月を目途に避難を実施するという)「計画的避難区域」に指定されたのは 4月 22日だった。結局,飯舘村の人々は高濃度放射能汚染の中で数カ月間の生活を続けたため,3月 12

    特集震災・原発事故 3年

    飯舘村住民の初期外部被曝量の 見積もり

    今中哲二 いまなか てつじ京都大学原子炉実験所 飯舘村初期被曝評価プロジェクト*

    External dose assessment for inhabitants in Iitate village

    until evacuation after the Fukushima-1 NPP Accident

    Tetsuji IMANAKA and Project for Initial Dose Assessment

    in Iitate Village

  • 0323科学飯舘村住民の初期外部被曝量の見積もり

    日の段階で避難指示が出た 20 km圏内の人々に比べ大きな被曝を受けてしまった。福島原発事故によって周辺住民がどれくらいの被曝を受けたか見積もることは,なぜか福島県の “県民健康管理調査”の一環として実施され,いわば政府の責任が福島県に丸投げされた形になっている。その県民健康管理調査には,不透明性などさまざまな問題が指摘されており5,今中らは独自の被曝量評価の必要性を感じていた。

    2012年夏,内閣府原子力災害対策本部が “放射線の健康影響に係わる研究調査事業”という新事業を立ち上げ研究計画の公募を行った。そこで,「福島第 1原発事故による飯舘村住民の初期被曝放射線量評価に関する研究」というタイトルで今中を代表者として応募したところ,幸いにも採択された(途中から管轄は環境省に移行)。2012年度は,飯舘村の 137Cs詳細汚染地図の作成など,いわば机の上での分析と計算を行った6~8。2013年度は,25人のメンバーで “飯舘村初期被曝評価プロジェクト”チームを立ち上げ,事故直後に住民がどのように行動し,いつ飯舘村から避難したかなどの聞き取り調査を実施し,村全体ならびに村内 20地区での初期外部被曝量を推定した。本稿ではその概要を報告しておく。

    沈着放射能に基づく空間放射線量率の再現計算

    “初期被曝”とは,3月 15日に放射能汚染が生じてから村外に避難するまでに飯舘村住民が受けた被曝量である。本稿で扱うのは外部被曝のみで,放射性ヨウ素の吸入にともなう甲状腺被曝といった内部被曝は測定データが少なく不確定さが大きいので,別の機会に議論する。外部被曝には,プルーム通過時の大気中放射能からのガンマ線被曝(クラウドシャイン)と地面に沈着した放射能からの持続的なガンマ線被曝(グランドシャイン)とがあるが,飯舘村住民のように汚染地域に一定期間滞在した場合は,グランドシャインの寄与が圧倒的に大きい9ので,本稿ではクラウドシャインは無視し,地面に沈着した放射能からの外部被曝だけを見積もる。

    2011年 3月に実施した放射能汚染調査から,グランドシャインに実質的に寄与する沈着放射能核種は,132Te/132I(半減期 3日),131I(8日),134Cs(2年),137Cs(30年)の 5核種であることが判明している。(132Iの半減期は 2時間だが,親核種の 132Teと放射平衡の関係に

    ある。)図 1は,役場横にある “までいな家”花壇の土壌測定データを用いて,3月 15日 18時以降

    空間放射線量率(n

    Sv/

    h)

    沈着後時間(日)0 10 20 30 40

    100

    10

    1

    0.1

    花壇上 1 m測定値

    計算値(合計)

    Te‒132Cs‒134Cs‒136

    モニタリングポスト測定値

    I‒131I‒132

    Cs‒137

    図 1―“までいな家”の花壇土壌測定データにもとづく地上 1 m空間線量率の計算値(点線,実線,nGy/h)と測定値(◆,nSv/h)不連続な点線は約 100 m離れたモニタリングポストの記録,nSv/h。

  • 0324 KAGAKU Mar. 2014 Vol.84 No.3

    の地上 1 mでの空間放射線量率の推移を計算し,測定値と比較したものである。単位沈着量から放射線量率への換算には Beckの値10を用いた。沈着 14日後の測定値(◆)と計算値合計(太線)はよい一致を示した。また,約 100 m離れたモニタリングポストの値と計算値合計の減衰傾向がほぼ平行していることは,沈着時の組成がわかれば,その後の空間放射線量率変化が計算可能なことを示している。

    飯舘村での沈着放射能組成と積算空間放射線量

    図 2は 2011年 3月に土壌サンプリングを行った 5カ所の位置で,表 1は 137Cs沈着量と放射能比である。137Csの沈着量には長泥曲田と山津見神社で 3.8倍の違いがあるものの,132Te/137Cs比や 131I/137Cs比には大きなバラツキは見られず,これらの沈着比の平均は,3月 15日 18時換算でそれぞれ 8.3±1.2,9.2±1.5となった。この沈着比を村内全域に適用できると仮定すると,137Csの初期沈着量さえわかれば,飯舘村のどんな場所でも空間放射線量を計算できることになる(134Csと137Csの沈着比は 1である)。図 3は,137Csの初期沈着量が 100万 Bq/m2の場合について,3月 15日 18時以降の地上 1 mでの積算空間放射線量を計算したものである。7月 31日 12時までの積算は,空気吸収線量として 38.2 mGyとなった。この値は,四六時中野外のその場所にいたという仮想的被曝に対応するもので,具体的な個人の被曝に適用するには,家屋での遮蔽や個人の行動パターンなどを考慮する必

    要がある。

    137Cs汚染地図と飯舘村全戸位置での初期沈着量

    米国NNSA(核安全保障局)の放射能モニタリングチーム 33人が大量の機材とともに輸送機で米軍横田基地に到着したのは 3月 16日未明だった11。翌 17日からヘリコプターや飛行機で福島県上空の放射能測定を開始し,NNSAの測定結果は生データの形でWEBに公開されている12。金沢星稜大の沢野は,そのデータを内挿して汚染地域の詳細な 137Cs沈着量マップを作成した6。福島原発事故が起きた 2011年 3月の飯舘村の人口は約6000人で,世帯数は約 1700戸であった。国土

    表 1―137Cs沈着量と 2011年 3月 15日 18時に換算した放射能比

    サンプル137Cs沈着量

    kBq/m2131I/137Cs比 132Te/137Cs比

    臼石 956 9.6 6.9佐須 774 10.9 8.9山津見神社 588 10.1 10.0飯舘村役場 672 8.2 7.9長泥曲田 2188 7.0 8.0

    平均 9.2±1.5 8.3±1.2

    曲田

    役場

    臼石

    山津見佐須

    飯舘村

    図 2―2011年 3月 29日の土壌サンプリング位置.●の大きさは 137Cs沈着量に比例

    Te-132 I-132 I-131Cs-134 Cs-137

    積算空間放射線量(

    mG

    y)

    放射能沈着後の日数(日)1 16 31 46 61 76 91 106 121 136

    40

    0

    10

    20

    30

    図 3―137Csの初期沈着量が 100万 Bq/m2の場合の地上 1 mでの積算空間放射線量(2011年 7月 31日まで)

  • 0325科学飯舘村住民の初期外部被曝量の見積もり

    地理院地図や市販住宅地図などを併用して飯舘村全戸位置の緯度経度を割り出し,沢野が作成した137Cs沈着等量線マップにプロットしたものが図4である7。図 5は全戸位置での 137Cs沈着量推定値のヒストグラムである。137Cs沈着量は(学校や公共機関の建物を含む)1768戸の平均で 88万 Bq/m2,最大 236万 Bq/m2,最小 12万 Bq/m2であった。ちなみに,この平均沈着量に飯舘村の面積 230 km2を掛けて,飯舘村での 137Cs総沈着量を求めると 2×1013 Bqとなった。原子力安全委員会発表の福島原発事故による大気中への 137Cs総放出量は 1.2×1016 Bqなのでその 0.2%弱に相当する。

    行動パターン聞き取り調査

    2012年度までの作業により,飯舘村の人たち

    が避難するまでの行動パターンがわかれば,それなりの根拠をもって具体的な個人の初期外部被曝量を推定する準備が整った。2013年 7月に JR福島駅前にプロジェクト事務所を開設し,飯舘村民の聞き取り調査 “飯舘村初期被曝評価プロジェクト”を開始した。聞き取り作業は,プロジェクトメンバーが家族の一員を訪問し,3月 11日から 7月 31日までの家族全員の行動を聞き取るという形ですすめた。調査受入の要請は,依頼文の郵送,仮設住宅への訪問,個人的関係での電話連絡という 3つの方法で行った。昨年 10月末までに,飯舘村民全体の約 3割に相当する 496家族1812人分の行動パターン情報を入手できた。表2は聞き取りの行政区別分布で,図 6に 20行政区の位置を示す。聞き取り割合が多いところは前田地区の 49%,少ないところは臼石地区の 17%と,行政区により聞き取り割合に変動はあるものの,ほぼ万遍なく調査が行えたと考えている。図7は,行動パターン情報が得られた 1812人と飯舘村全体 6132人の年齢分布を比較したものである。仮設住宅の聞き取りでは高年齢者が多かったので,調査対象者は高年齢に偏っているかと思われたが,両方の分布はよく似ており,聞き取り対象者に年齢分布の偏りは認められない。したがって,我々の聞き取り結果は,村全体の分布を反映しているものと考えていいだろう。

    図 4―NNSAデータにもとづく飯舘村137Cs沈着量の等量線と各戸位置(左図の点)等量線の刻み単位は 10万 Bq/m2。

    ×万 Bq/m2

    飯舘村全体 1768戸 平均 88万 最大 236万 最小 12万

    戸数

    0

    100

    200

    300

    400

    500

    600

    <24

    0<

    230

    <22

    0<

    210

    <20

    0<

    190

    <18

    0<

    170

    <16

    0<

    150

    <14

    0<

    130

    <12

    0<

    110

    <10

    0<

    90<

    80<

    70<

    60<

    50<

    40<

    30<

    20<

    10

    図 5―飯舘村全戸位置での 137Cs初期沈着量分布(単位:万 Bq/m2)

  • 0326 KAGAKU Mar. 2014 Vol.84 No.3

    初期被曝量の推定結果

    行動パターン情報が得られた 1812人に対して,2011年 3月 15日の放射能沈着から 7月 31日までの外部被曝量を求めた。被曝量推定に用いた主な仮定は次の通り:①計算対象の外部被曝は,飯舘村内に滞在していた時のみとし,村外にいたときの被曝はゼロとする。

    ②飯舘村内では自宅に滞在していたとし,生活スタイルは屋内 16時間・屋外 8時間とし,家屋の放射線低減係数は 0.4とする13。

    ③空気吸収線量から実効線量への換算係数(Sv/Gy)は,10歳未満は 0.8とし 10歳以上は 0.7とする14。こうして得られた 1812人の初期外部被曝量推

    定値の分布を図 8に示す。平均被曝量は 7.0 mSvで,最大値は長泥地区の 60歳男性の 23.5 mSvであった。福島県による県民健康管理調査15とし

    表 2―聞き取り調査の行政区別分布

    行政区 戸数 聞き取り数 割合

    草野 221 64 29.0%深谷 102 20 19.6%伊丹沢 100 26 26.0%関沢 77 27 35.1%小宮 128 51 39.8%

    八木沢・芦原 40 12 30.0%大倉 34 12 35.3%佐須 63 21 33.3%宮内 72 25 34.7%飯樋町 117 27 23.1%

    前田・八和木 90 28 31.1%大久保・外内 68 13 19.1%上飯樋 124 30 24.2%比曽 88 22 25.0%長泥 68 28 41.2%蕨平 49 16 32.7%

    関根・松塚 43 19 44.2%臼石 88 15 17.0%前田 53 26 49.1%

    二枚橋・須萱 60 14 23.3%

    合計 1,685 496 29.4%

    避難指示解除準備区域

    居住制限区域

    帰還困難区域

    八木沢・芦原村役場

    二枚橋・須萱

    上飯樋

    比曽 長泥 蕨平 N

    小宮前田・八和木

    飯樋町

    関沢大久保・外内伊丹沢

    臼石

    前田

    関根・松塚

    深谷草野

    宮内

    大倉佐須

    図 6―飯舘村の 20行政区

    飯舘村全体の年齢分布(平成 23年 3月 1日:6132人)

    80歳以上11.0%

    70歳代 13.9%

    60歳代 13.4%

    50歳代 17.3%

    40歳代 9.9%

    30歳代 9.1%

    20歳代 8.2%

    10歳代 9.1%

    10歳未満8.1%

    聞き取り 1812人の年齢分布

    90歳以上2%

    80歳代9%

    70歳代16%

    60歳代15%

    50歳代17%

    40歳代8%

    30歳代9%

    20歳代8%

    10歳代7%

    10歳未満9%

    図 7―聞き取り対象者と飯舘村全体の年齢分布の比較

  • 0327科学飯舘村住民の初期外部被曝量の見積もり

    て報告されている図をもとに,飯舘村 3102人の初期外部被曝量の平均を求めると約 3.6 mSvになるので,我々の見積もりはその 2倍に相当している。表 3は年齢グループ別の平均被曝量で,10歳未満の被曝が小さく,子どもたちの避難が大人に比べて早かったことを反映している。

    20の行政区別の平均被曝量を表 4に示す。予

    想通り,汚染の大きい長泥,比曽,蕨平地区での被曝が大きく,比較的汚染の小さい二枚橋・須萱,大倉地区の被曝が小さくなっている。聞き取り調査を進める中で気がついたことは,地震や原発事故発生直後に避難した方が一旦飯舘村に戻られ再び避難されていたことだった。そこで図 9のように,村民が村内に残留していた割

    各区分の人数

    200

    150

    100

    50

    0

    ~24~

    23~

    22~

    21~

    20~

    19~

    18~

    17~

    16~

    15~

    14~

    13~

    12~

    11~

    10~9~

    8~

    7~

    6~

    5~

    4~

    3~

    2~

    1

    7月 31日までの外部被曝量(mSv)

    全対象者:1812人平均 7.0 mSv

    図 8―行動パターン情報が得られた 1812人の初期外部被曝量分布

    表 3―年齢区分別の平均初期外部被曝量

    年齢区分 人数 平均初期外部被曝量 mSv

    10歳未満 155 3.810歳代 128 5.120歳代 139 6.330歳代 171 5.540歳代 151 7.650歳代 315 8.160歳代 262 8.570歳代 292 7.5

    80歳以上 194 7.3

    飯舘村残留割合(%)

    0

    20

    40

    60

    80

    100

    3月11日

    3月31日

    4月20日

    5月10日

    5月30日

    6月19日

    7月9日

    7月29日

    全年齢 :1812人10歳未満 :152人

    図 9―福島原発事故後の飯舘村残留割合

    表 4―行政区別の平均初期被曝量

    行政区 人数 平均137Cs汚染

    (Bq/m2)平均初期被曝量(mSv) 行政区 人数

    平均 137Cs汚染(Bq/m2)

    平均初期被曝量(mSv)

    草野 203 68.2万 5.8 前田・八和木 103 80.2万 7.1深谷 71 78.9万 6.3 大久保・外内 65 73.6万 6.0伊丹沢 96 73.7万 8.0 上飯樋 117 75.5万 6.2関沢 77 86.7万 7.8 比曽 72 108.7万 11.0小宮 182 93.4万 8.4 長泥 104 178.9万 12.5八木沢・芦原 45 54.6万 5.8 蕨平 53 132.1万 9.3大倉 50 34.3万 3.5 関根・松塚 83 76.3万 6.3佐須 76 49.1万 4.6 臼石 58 74.6万 8.1宮内 101 66.1万 5.7 前田 120 68.5万 5.5飯樋町 83 73.0万 5.8 二枚橋・須萱 48 39.6万 3.5

  • 0328 KAGAKU Mar. 2014 Vol.84 No.3

    合をプロットしてみた。避難していた村民が 3月 21日以降に一旦村に戻りはじめ,計画的避難区域に指定された 4月 22日以降に再び避難したという興味深い傾向がはっきりと認められる。避難した人々が一旦村に戻った理由としては,―避難先での生活が様々な意味で困難になった―当局主催の講演会で,放射能汚染は問題ないと聞いて安心した―村内の職場から帰村を要請されたことなどが聞き取りによって明らかになっている。

    集団被曝量とガン死リスク評価

    環境省公募研究の枠外の作業として,集団被曝量にもとづくガン死リスク評価を試みた。図 10は,被曝量を推定した 1812人に対する

    集団被曝量が増加する経過をプロットしたものである。集団被曝量とは,一人ひとりの被曝量を足し合わせたもので,単位は人・Svである。つまり,1 mSvの被曝を受けた人が 1000人いれば,1000人・mSv=1人・Svの集団被曝量となる。平均 7 mSvといったレベルの被曝影響としてまず懸念されることは,将来におけるガンやガン死の増加である。被曝量とガン・ガン死増加の関係(線量・効果関係)についてはさまざまな見解があるものの,“被曝量に比例してガン死が増える”という LNTモデルで飯舘村の人々の初期外部被曝にともなうリスクを考えてみる16。LNTモデルに従うなら,被曝集団に予測されるガン死数の増加は集団被曝量に比例する。図 10に示したように,7月 31日までの調査対象者 1812人の集団線量は 12.6人・Svとなった。この値を飯舘村全体(6132人)に換算すると 42.7人・Svとなる。被曝にともなうガン死リスク係数を,ICRP(国際放射線防護委員会)勧告17

    に従って 1 Svあたり 0.055とすると 2.3件,今中らが翻訳した Gofman18に従って 1 Svあたり0.4とすると 17件のガン死が飯舘村の人々にもたらされるという見積もりになる。“日本人の 2人にひとりはガンになって,3人にひとりはガンで死亡する”ということを考えるなら,人口約

    6000人の飯舘村民のうち約 2000人の方は原発事故がなくてもガン死することになる。本稿でのリスク評価にもとづくと,飯舘村の初期外部被曝はその上に 2~17件のガン死を上乗せさせるということになる。昨年 12月に 2013年度環境省研究事業の成果

    報告会が東京で開かれ,今中が本節のような内容を発表したところ,専門委員から「低レベル被曝量域での科学的に不確かなリスク係数を用いてガン死数の見積もりを行うのはいかがなものか」とか「ガン死リスクを数値で表す場合には,今中先生も表現に気をつけて下さい」といったコメントをいただいた。ここで,ICRPの低レベル被曝影響に関するスタンスを説明しておこう。最近の ICRPは 2007年勧告で以下のように述べている。「約 100 mSvを下回る低線量域では,がん又は遺伝性の影響の発生率が等価線量の増加に比例して増加するであろうと仮定するのが科学的にもっともらしい,という見解を支持する。しかし……低線量における健康影響が不確実であることから,非常に長期間にわたり多数の人が受けたごく小さい線量に関係するかも知れないがん又は遺伝性疾患について仮想的な症例数を計算することは適切でない」。つまり,ICRPとしては LNTモデルを認めはするものの,“低線量被曝でのリスクの値は不確かなので,1 mSvの被曝リスクを数字にして議論するようなことは慎め”ということである。しかしその昔,一般公衆に対し年間 5 mSvという線量限度を勧告していた頃の 1977年 ICRP勧告は

    集団被曝量(人・

    Sv)

    0

    5

    10

    15

    3月11日

    3月31日

    4月20日

    5月10日

    5月30日

    6月19日

    7月9日

    7月29日

    全年齢 :1812人

    図 10―3月 11日以降の集団被曝量の集積

  • 0329科学飯舘村住民の初期外部被曝量の見積もり

    次のように述べている。「一般公衆の構成員に関する確率的現象についてのリスクの容認できるレベルは……公共輸送機関の利用に伴うリスクである。……この根拠から,年当り 10-6~10-5の範囲のリスクは,公衆の個々の構成員のだれにとっても多分容認できるだろう」。当時の ICRPの認識は,被曝基準を守っていれば公衆にもたらされるリスクは電車やバスの利用にともなう程度で問題ないというものであった。この 30年間に蓄積された知見で明らかになったことは,被曝にともなう発ガンリスクが以前に考えられていたものよりずっと大きいということだった。1 mSvの被曝リスクを数字にすると,社会的には無視できない大きさとなるため,不確かさを持ち出して具体的な数字の議論を避けるというのが現在の ICRPのスタンスであると今中は解釈している。

    結びに

    福島原発事故により大きな被曝を受けた飯舘村民を対象に事故当時の行動についての聞き取り調査を行った結果,約 3割の村民についての行動パターン情報が得られた。その情報をもとに,独自の被曝量推定方法によって飯舘村から避難するまでの初期外部被曝量を評価したところ,村民平均で 7 mSvという値が得られた。被曝評価のプロセスにはさまざまな仮定を採用しており,それにともなって得られた結果にはさまざまな不確かさが入り込んでいる。不確かさについては今後より細かく分析し,不確かさを小さくする努力を続けていきたい。我々の値と県民健康管理調査では約 2倍の違いが認められたが,被曝量推定のやり方が違っていることを考えるなら,“案外と合っていた”というのが被曝量推定作業を行った今中の素直な印象である。どちらがより正しい値に近いかについては今後の議論の課題である。いずれにせよ,行政から離れた立場で独自の被曝評価ができたことの意味は大きいと考えている。他の汚染地域での初期外部被曝評価の可能性について

    もこれから検討していきたい。また,本稿では議論できなかった放射性ヨウ素の取り込みにともなう甲状腺被曝といった内部被曝についても,外部被曝とは違ったアプローチでの評価を試みたいと考えている。最後に,この場を借りて,聞き取り調査に協力いただいた飯舘村の皆様,および様々な場面で本プロジェクトに対して激励をいただいた皆様に感謝の意を表したい。

    *飯舘村初期被曝評価プロジェクトメンバー 今中 哲二(代表,京都大学原子炉実験所) 明石 昇二郎(ルポルタージュ研究所) 家田 修(北海道大学) 石田 喜美恵(ふぇみん) 市川 克樹(オフィス・ブレーン) 糸長 浩司(日本大学) 浦上 健司(日本大学) 遠藤 暁(広島大学) 大瀧 慈(広島大学) 小澤 祥司(エコロジー・アーキスケープ) 上澤 千尋(原子力資料情報室) 川野 徳幸(広島大学) 鬼頭 秀一(東京大学) 佐川 よう子(プロジェクト事務局) 佐久間 淳子(立教大学) 澤井 正子(原子力資料情報室) 沢野 伸浩(金沢星稜大学) 城下 英行(関西大学) 菅井 益郎(國學院大學) 那須 圭子(福島から祝島へ 子ども保養プロジェクト) 庭田 悟(ルポルタージュ研究所) 畠山 理仁(フリーランスライター) 林 剛平(東北大学) 振津 かつみ(兵庫医科大学) 渡辺 美紀子(原子力資料情報室)

    文献1―永川栄泰・他:「福島第一原子力発電所事故による放射性物質漏えいに係わる都内環境放射能測定及び被ばく線量測定」,RADIOISOTOPES,60, 467(2011)2―福島県ホームページ: http://wwwcms.pref.fukushima.jp/down load/1/7houbu0311-0331.pdf

    3―気象庁ホームページ: http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn /index.php

    4―今中哲二・他:「福島原発事故にともなう飯舘村の放射能汚染調査報告」,科学,81(6), 595(2011)5―日野行介: 福島原発事故 県民健康管理調査の闇,岩波新書(2013)6―沢野伸浩・他:「 米国 NNSA による空中サーベイデータを用いた飯舘村のセシウム汚染詳細マップ」,KEK Proceedings

  • 0330 KAGAKU Mar. 2014 Vol.84 No.3

    2013-7,136(2013)7―今中哲二・他:「地表沈着放射能に基づく村内全戸の空間線量評価」,KEK Proceedings 2013-7,145(2013)8―城戸寛子・他:「大気拡散シミュレーションによる村内全域の空気中放射能濃度分布」,KEK Proceedings 2013-7,151(2013)9―瀬尾健: 原発事故 その時,あなたは!,風媒社(1995)10―H. L. Beck, “Exposure Rate Conversion Factors for Radionu-

    clides Deposited on the Ground”, EML-378(1980)11―C. Lyons & D. Colton, “Aerial Measuring System in Japan”,

    Health Physics, 102, 509(2012)12―NNSAホームページ: http://nnsa.energy.gov/mediaroom/pressreleases/japandata

    13―原子力安全委員会: 原子力施設の防災対策について(2003)14―Y. Yamaguchi. “Age-Dependent Effective Doses for External

    Photons”, Radiation Protection Dosimetry, 55, 123(1994)15―福島県ホームページ: http://www.pref.fukushima.jp/imu/ken koukanri/251112siryou1.pdf

    16―今中哲二:「“100ミリシーベルト以下は影響ない”は原子力村の新たな神話か?」,科学,81(11), 1150(2011)17―ICRP: 国際放射線防護委員会の 2007年勧告,日本アイソトープ協会(2009)18―ジョン・W.ゴフマン: 人間と放射線,明石書店(2011)

    付録は,調査に協力していただいた方々や講演会参加者に配布している今中の文章である。原発の安全問題に関わってきた原子力研究者の私見であるが,参考になれば幸いである。

    付録「放射能汚染への向き合い方 ―― どこまでの被曝をガマンするか」 (今中哲二)はじめに

     3年前に福島第 1原発事故が起きるまで,私は 20年以上にわたってチェルノブイリ事故のことを調べてきました。福島原発事故が起きてマスコミは『安全神話が崩壊した!』と書き立てましたが,『えっ,みなさんは原発が安全だと思っていたの!』というのが私の驚きでした。私にとって原発安全神話が完全に消え去ったのは 1979年の米国スリーマイル島原発事故のときでした。この事故を契機に,『原発で大事故が起こりうる』ことを私は確信し,それが現実になったのがその 7年後の 1986年に起きたチェルノブイリ原発事故でした。以来,チェルノブイリがどのような事故であり,どのような放射能汚染や被害が生じているかを調べることが,私の仕事のひとつになりました。20年以上のチェルノブイリ事故調査を通して,原発事故というものについて私が学んだ最も大きなことは次の2つでした。

    ➢原発で大事故がおきると周辺の人々が突然に家

    を追われ,村や町がなくなり地域社会が丸ごと消滅する ➢原子力の専門家として私に解明できることは,事故被害全体のほんの一側面に過ぎず,解明できないことの方が圧倒的に大きい

     福島原発事故の前までは,『日本にもたくさんの原発があるから,下手をすればチェルノブイリのようなことが起きますよ』と皆さんに警告するのが私の役割でした。しかし,チェルノブイリのようなことが福島第 1原発で現実に起きてしまい,福島県はもちろん,東京を含めた本州北半分の太平洋側が “無視できないレベルの放射能汚染”を受けてしまいました。放射能汚染の主役が半減期 30年のセシウム 137であることを考えると,私たちはこれから 50年,100年にわたって放射能汚染と付き合わざるを得ません。私はこの3年間,飯舘村をはじめとして,日本各地の放射能汚染を調べてきましたが,一般の方々に汚染や被曝について報告しながら,自分自身にこれまでとは違った役割が出てきたことを感じています。 避難を余儀なくされた方々はもちろん,福島事故をきっかけに日本中の普通の人々が,突然にベクレル,シーベルトでものごとを判断しなければならない世界に巻き込まれてしまいました。そして,『100ミリシーベルトまで健康に影響はありません』という当局サイドの楽観的見解から,『チェルノブイリの汚染地域には健康な子どもは 1割もいません』といった悲観的情報が飛び交っています。放射能汚染に囲まれながらこれから長く暮らして行かざるを得ない人々にとって“どの情報が頼りになるの”というのが正直な気持ちでしょう。 チェルノブイリの被災者たちは事故によって時代が引き裂かれたと言っています。“チェルノブイリ前 ”と “チェルノブイリ後”とに。日本の私たちも “福島後”を生きることになってしまいました。この時代を生きて行くには,私としては,(情けない話ですが)みんながベクレルとシーベルトを理解して単位になじみ,さらに被曝リスクについて勉強し,さまざまな情報の根拠を自分でチェックし,それぞれの人がどこまでの被曝をガマンするのか自分で判断できるようになるしかないだろうと考えています。

    被曝の発ガンリスクは被曝量に比例する 一度に大量の放射線を全身に浴びると人は死んでしまいます。4シーベルトという被曝を受けると半分の

  • 0331科学付録:放射能汚染への向き合い方

    人が亡くなると言われています。このように大量の被曝による大量の細胞死にともなって直に現れる症状は“急性放射線障害”と呼ばれ,ある量(しきい値)以下の被曝では現れません。3年前,当時の枝野官房長官が繰り返したように,福島原発周辺住民の被曝が『すぐには健康に影響ありません』というレベルであったことには私も同意しています。問題は,被曝によって細胞が受けた傷が後々になってガン・白血病として現れる晩発的影響です。 晩発的影響については,被曝量が小さくてもそれなりの被曝リスク(発生率の増加)があると考えるのが,放射線被曝の影響を考えるときの基本です(しきい値なし直線説:Linear Non-Threshold, LNT説)。放射線影響国連科学委員会(UNSCEAR),放射線の生物影響米国科学アカデミー委員会(BEIR),国際放射線防護委員会(ICRP)もこの立場をとっています。 ところが,福島原発事故が起きた後,日本の権威スジの先生方は『100ミリシーベルト以下で健康影響は認められていません』とマスコミでしばしば繰り返しました。“認められていません”は “ありません”という意味ではありませんが,『100ミリシーベルトまで健康影響はない』と拡大解釈されて宣伝されました(しきい値説)。権威スジの先生方の頭にあるのは,広島・長崎被爆生存者の疫学追跡データです1。このデータを,横軸を被曝量,縦軸をガン死率にしてグラフにすると,0ミリシーベルトの被曝グループから 2000ミリシーベルトの被曝グループまで,“直線的に”ガン死率が増えています。つまり,ガン死リスクは被曝量に比例することを示しています。ただ,100ミリシーベルト以下のデータだけをよく眺めると,ガン死率の増加傾向がはっきりしません。このことが,“100ミリシーベルト以下での被曝影響は観察されていない ”という見解の根拠です。 しかし,原爆放射線量問題を仕事の一つにしてきた私から言わせると,広島・長崎データはもともと大きな被曝を受けた近距離被爆者集団に着目した追跡調査であり,100ミリシーベルト以下の被曝,つまり原爆投下時に爆心から 2 km以遠にいた人々の被曝リスクについて細かい議論ができるようなデータではありません。最近,100ミリシーベルト以下の被曝に直接関連する原子力産業労働者や医療被曝者の疫学追跡データが次々に報告されています。図 1は,昨年発表された論文で,CT検査を受けたオーストラリアの青少年68万人を追跡調査した結果です2。CT検査の数とと

    もにガン発生率がきれいに上昇しています。CT検査1回当たりの被曝量は 4.5ミリシーベルトで,平均 9.5年の観察期間中に CT検査 1回当たり 16%のガン増加が観察されています。

    1ミリシーベルトの被曝リスクはどれくらいか 被曝にともなって後々ガン・白血病がどれくらい増えるかを示すのが “ガン(死)リスク係数”です。リスク係数については,さまざまな団体,研究者が見積もりを行っています。私たちが翻訳したゴフマン博士の値に従うと,1ミリシーベルトの被曝を受けた場合に後々にそれが原因でガン死する確率は 0.04%,つまり1万分の 4です3。ICRPの値では 0.005%,10万分の5となっています。リスク係数の見積もりには大きな不確かさをともなっているので,ここでは,1ミリシーベルトの被曝があったときのガン死リスクは 10万分の 5から 1万分の 4の間にあるとして考えてみましょう。日本人は現在,半分の人がガンになって,3分の 1がガンで死ぬと言われています。1ミリシーベルトという被曝量は,放射線取り扱い作業をしてきた私の感覚で言えば “かなりの被曝”ですが,そのリスクを個人で考えるなら,もともと 33%のガン死確率がゴフマンの値に従って 33.04%に増えたところで,『気にしなくていいよ』と言えるでしょう。 次に,たくさんの人が 1ミリシーベルトの被曝を受けた場合を考えてみましょう。たとえば原発事故で福島県民 200万人の受けた被曝量が平均 1ミリシーベルトだったとしたら,将来のガン死数は 100件から 800件となります。一方,2012年の福島県での交通事故による死者数は 89人です。交通事故と被曝とを比較するのは不見識と言われるかもしれませんが,私はリスクを示す数字としてそれなりに参照できると考えて

    CT検査の回数

    相対的ガン発生率(

    95%信頼区間)

    0.8

    1.0

    1.2

    1.4

    1.6

    1.8

    0 1 2 3

    図 1―オーストラリア青少年 68万人の CT検査後の追跡調査結果

  • 0332 KAGAKU Mar. 2014 Vol.84 No.3

    います。1ミリシーベルトの被曝リスクは,個人レベルでは神経質になるほどではないものの,交通事故死と同じように,集団としては無視できません。1ミリシーベルトの被曝は社会全体としては無視してならないレベルであると言っていいでしょう。

    “リスコミ”と “スリコミ” 福島原発周辺の避難地域では現在,急ピッチで除染作業が実施され,環境省,福島県,自治体が一体となって近い将来の帰村に向けて動いています。そうした中で,住民を対象にいろいろな形で “リスクコミュニケーション”(通称リスコミ)が実施されています。ある場所で当局サイドの方から『今中先生のように低線量被曝のガン死数を数字で表すと,人々が不安になりリスコミの妨げになる』と言われました。そこで,リスコミとは何かを調べてみると,専門家によると次のようなことでした4。『多くの個人や関係団体,機関が,リスクについての疑問や意見を述べ,リスクに関する情報を交換し,ともに意志決定に参加することである。また,意見や情報の交換にとどまらず,ステイクホルダーと言われる利害関係者がお互いに働きかけ,影響を及ぼし合いながら,建設的に継続されるやりとりである』 これを読んで気がついたのは,リスコミの妨げになるどころか,この 3年間,飯舘村や福島で放射能汚染の調査をしながら私がやってきたことは,リスコミそのものではないかということでした。放射能汚染調査の結果とその意味を地元の人に説明し,『まずベクレルやシーベルトの意味を理解し,数値になじんで下さい。そして被曝の影響について勉強し,どこまでの被曝をガマンするか,つまり受け入れるのか自分で判断できるようになって下さい。専門家の一人としてみなさんが判断するための知識や知恵は提供できますが,みなさんに替わって判断することはできません』と私は言い続けてきました。 リスコミと称して行政がやっていることは,『年間20ミリシーベルト以下なら安心して生活できます』,『被曝より野菜不足の食生活の方が心配です』といったことの押しつけのようで,さまざまな立場からのフランクな意見交換が邪魔になるということなら,“リスコミ”というより “スリコミ”といっていいでしょう。

    どこまでガマンするのか “被曝はできるだけしない方がいい”という原則を

    考えるなら,結局の問題は,“私たちはどこまでの被曝をガマンするのか,ガマンさせられるのか”ということになります。原発事故を引き起こした責任が東電と国にあるのは確かですから,『原発事故由来の汚染は 1ベクレルでも,被曝は 1マイクロシーベルトでもいやだ』という権利は私たちにはあります。しかし,日本のかなりの部分が汚染されてしまい,その中で生活を余儀なくされている現実の問題としてはどこかで“折り合い”を付けざるを得ないと私は考えています。私の言う “折り合い”とは,ガマン量を自分で判断し,放射能汚染に対してどう対応するのかそれぞれの人が納得して選択することです。どの被曝レベルでどのように折り合いを付けるかは,それぞれの人の家族環境,職業,さらには価値観によって変わってくるでしょう。被曝影響について私たちの知識に不確かさがあることを考えるなら,放射線に対する感受性の大きい,小さな子供をもつ方々がより慎重になるのも当然です。 私は,そうした折り合い方を考える出発点は『年間1ミリシーベルト』と言っています。この値は,現行法令での一般公衆に対する線量限度ですし,自然放射線による日本での平均的な年間被曝量でもあります。自然放射線の強さは場所によって違っていますし,その違いは年間 0.2~0.3ミリシーベルトになります。自然放射線の強さを考えながら住むところを選ぶ方はまずいないので,私個人としては,福島由来の放射能汚染にともなう追加の被曝が年間 0.2~0.3ミリシーベルト以下であれば “神経質になっても仕方がないレベルでしょう”と言うことにしています。国が帰還の上限としている『年間 20ミリシーベルト』は,私のような放射線取り扱い作業者の職業上の線量限度でありその値を一般公衆に当てはめるのは明らかに大きすぎます。私の役割は結局,年間 0.2ミリシーベルトから 20ミリシーベルトの間のどこかでみなさんが折り合いを付けながらやってゆくための知識と知恵を提供することだろうと思っています。

    文献1―K. Ozasa et al.: Radiation Research, 177, 229(2012)2―J. D. Mathews ey al.: British Medical Journal, 346, f2360

    (2013)3―ジョン・W.ゴフマン: 人間と放射線,明石書店(2011)4―堀口逸子: 保健医療科学,62, 150(2013)