融輔e諏瀞劃罫member.tendai.or.jp/doc/data/doc_1268799275.pdf’ 光明供解説...

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’ 光明供解説

例熾の解説

例倣とは、例時作法と法華熾法とを併せて略称する語で、この二法は、わが天台宗に於

ける農勤晩課の常用法麟として、何れの寺院でも、年中一日も欠くことの出来ない行法で

ある。その上、寺院はもとより、檀信徒の追善回向には、概ねといってよい程に、}」の法

憾が用いられるから、天台宗の教師たる以上、第一に習得せなければならない必須の法駿

である。それほど重要な法儀であるだけに、従来、幾多の先覚者が解説をしておられるし、

概ねの教師が研究を重ねておられるので、今更に之を取上げて話をすることは如何かと思

うが、解説轡が普及せられておらないだけに、始めてという人もあろうと、教学部の鋸め

はしがき………………………………………………………………………………:

例憾の縁由…………………………………………………・……………………………

法華臓法…………………………………………………………・………・……………

例時作法・・………………………………………………………………………………

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しがき

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一一一醗波多分………………・………・…NC■■△

31 3511

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に従って筆を執る次第である。

昭和二十年一月十三日、京都妙法院に隠棲せられていた前天台座主梅谷孝永大僧正が、

忽然として遷化せられた。戦争終末期に於ける非常時であり、密葬を終えた晩に、敵機が

襲来して、妙法院のお居間の近くに爆弾を投下したような騒ぎがあった際でもあったので、

初七日のお逮夜は、親近のものや院内に勤務する者など、僧俗十数人が集ってしめやか

に回向法要を勤めたのであったが、その時、法要の導師を勤められた平野観応僧正(当時

三千院門跡)が、法要を終えて導師の座を下られると、自分の席には帰らずに、そのまま

正面から皆の方に向いて座を占め、厳かに一礼せられた後、

只今は懇ろなご回向を頂いて誠にありがたう御座いました。只今お勤めいたしました

法要は常行三味と申しまして……

と、僧侶七分、俗人三分の随喜者に対して、約十分間、常行一一一味のなり立やその功徳を説

かれたことがあった。私はこの時、始めて真の回向法要に遇うた心地がして、非常に感動

したのであるが、法要は法儀と法話(講説)と二つを合せて一会となるものであることを

心得られた注意すべき一事として、今も忘れることが出来ないのである。法要を勤修する

ものが、法要の意義や成立を承知した上で修するなれば、威儀もととのい、功徳も増大す

るのであるから、如何なる場合にも出来得る限り平野僧正の如くにありたいものである。

例時作法は常行一一一味、法華倣法は法華三昧ともいって共に四種三昧の一行法であるが、

それがいつとはなしに法華織法となり、例時作法となり、更に農には法華憐法、夕には例

時作法を修するように、不文律のうちに一具の行法となって天台は朝題目に夕念仏とさえ

いわれるようになった。法華織法は法華三味憐法というべきを、一一一味の二字を略して呼称

したのであり、例時作法は常例の時刻に修する行法の意で、阿娑縛抄(承澄編文永十二年

二、例儀の縁由 ’

2 3

I 道場に於て法華一一一味を発得せられた天台大帥は、更に般舟道場に常行一一一味を修得して

その臨終に当って法華経と無量寿経を調せしめられた。そして法華経を聞いては「法

門の父母慧解由て生ず」と讃嘆し、無量寿経を聞いては「四十八願を以て浄士を荘厳す、

易往無人の処」と賞歎していられるし、伝教大帥は比叡山開削の砲り、鎮護国家の道場の

本尊として、現世守護の誓願を立てられている薬師如来を自刻して一乗止観院に本尊とし

て安置せられたほかに、釈迦如来と阿弥陀仏の一一尊を同時に自刻せられたことは、法華経

修行の道場たる意義を剛明せされたものというべきではなかろうか。誰にも話られたこと

もなければ、何処にも書き残されていないので、確実なことはいえないが、釈迦如来は諸仏

の実体であり、撰遺の教王であり、法華経の教主であるから、法華経修行の道場には欠く}」

との出来ない本尊であり、阿弥陀仏は諸仏の慈悲の力用(はたらき)であると共に、法華経行

者が転生修行する極楽世界の教主であるから、これまた当然祀らねばならない本尊である。

かくてこそ天子の本命を鎮護し、大乗相応の国家に適当する法華経宗を建設せられ

(一、二七五)二月大成)にその語が見られるから、かなり古くから用いられていたこと

は明かである。また、後花園帝(一四二八’’四六四)の御代に別勅を以て幟法に続いて

例時を用いられるに至り、ここに例憐は一具の行法として取扱われることとなったようで

ある。然し、》」の二法は、このような時宜にもとづいた形式的な意味や、外部的取扱いか

ら一具の行法となったのではなく、教理的理由によって我が宗立教の当初から不即不離の

行法として一具の扱いをうけて来たのである。即ち、所依の経典たる法華経の化城職品に

は、阿弥陀仏は現に西方に在って法華を説くと申されているし、薬玉菩薩本事品には法華

経行者の極楽往生が述べられている。現世成仏を期し(法華三昧)或は転生得脱のために

未来往生を願求する(常行三昧)そこに何か別途のように見えるが、法華の教意に基いて

三世常恒不断に修行して菩提を証せんとする法華の行者であって見れば、いつも永続の現

在であり、断ゆることのない未来であるから、そこに少しの矛盾もなく、現在の教主(普

賢菩薩)にすがり、未来の教主(阿弥陀仏)に願求することは当然である。大藤山の普賢

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んとする本願の達成に、最も相応した三尊となり、比叡山の本尊となるのではあるまい

か。この故に伝教大師は比叡山に於ける修行の根本を四種三味におかれて、顕戒論に

は「春秋は常行、冬夏は常坐、行者の楽欲に随うて半行半坐、非行非坐を修せ」と申され

ているし、臨終の際には「四種三昧を怠ることなかれ」と誠められている。また慈覚大師

は、入唐帰国の船中に於て、生身の観音を空中に感見せられたとき、観仏三味経の教理に

従うて忽然として悟りを開かれ、「昔は霊山に在って法華と名づけ、今は西方に在って無

量寿、娑婆に示現して観世音、三世一体衆生を和す」と悟偶を煩されたと伝えられている

し、その臨終に当って、始めは弥陀、大日、釈迦の三尊仏名に合せて、普賢、観音、弥勒

の各菩薩号を唱えさせられていたが、遂には弥陀の名号を専唱する中で往生せられた。慈

恵大師や恵心僧都の行状を窺うても、現世は法華経の修行であり、未来は極楽往生を願求

せられたことが示されている。このように天台の教法が弘ぬられる当初から、その教蕊的

理由によって法華一一一味と常行一一一味が、不即不離の一具の行法となって、祖師先徳すべてが

併せ行ぜ》られており、更にこれが転進して法華職法と例時作法が、日常朝夕の勤行法儀と

天台宗の修行は宗祖大師が示されている通り、四種三味を以て本鍍とする。一一一味という

のは定とか正受とかいって、心の暴れ狂うのを調え、心の曲れるを直し、心の散乱するを

定める意味で、これに四極の方法があるから四種三昧というのである。一には常坐一一一味、

これは一行三昧ともいって、静かな所を選んで座を設け、九十日を一期として、西方に面

して端坐し、呼吸を調えて身心を安住させた上で、世間一切の}」とすべて因果の道理にか

なうて存在している事実を悟る工夫を運ぶのであるが、どうしても工夫がつか唾い時は、

阿弥陀仏を念じてその名号を唱えよといわれている。一一には常行一一一味、これは般舟三昧経

に説かれている行法であるから般舟三昧ともいい、此の三昧を行ずれば諸仏が現前せられ

るから仏立三昧ともいって、九十日の間、心に西方阿弥陀仏を念じながら、その名号を唱

えつつ行道する行法で、念々歩々唱々、休息することなく行道するのでこの名が附け.われ

なったのである。

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ことになり、常坐三昧の唱名念仏は常行一一一味の念仏唱名に触会せられて、四穂一二味は法華

一一一味と常行一二味に収約せられることになり、朝夕の勤行がそのまま四種三昧の修行となる

のである。また、常坐三昧は適当な静処を選んで行う行法であり、非行非坐一一一味は随時随

所であるから殊更に専門の道場を必要としないが、他の二法は修法の関係上、行法の性質

上是非とも専門の道場が必要であるので、わが天台の悠行道場としては法錨堂、常行堂が

必須のものとなるのである。比叡山に於ては、弘仁三年(八一二)七月に、宗祖大師が根

本中堂の西方に法華堂を建立せられた。四種三味堂の創めである。更に弘仁九年七月に弟

子たちに四極一一一味をそれぞれに振り当てて鯵行をさせられた時、慈覚大師には非行非坐一一一

味が当てがわれたが、二十五才の若さに満ち満ちている大師には、仕躯なり所作なりに相

応して心を仏に運んだり、因果の理法に結びつけて思いを練ることが出来ず、常行三昧に

かえて貰って修行せられたのであるが、その時宗祖大師からお堂を建立するように命ぜら

れたので、根本中堂の東、虚空蔵の峯仁則めて常行堂を建立せられた。もっともこの常行

たのである。例時作法は即ち此の行法である。三には半行半坐一一一味、これは初行のものは

三七日を一期として、衆罪を倣悔し兼て坐禅観法する作法で、行道礼拝、坐禅を行うので

あるが、下根の人は九十日或は三年、或は生涯鯵すともいわれているし、方等陀羅尼経に

は、期日を限ることなく、罪過が許されたという霊験をうけるまで修行せよと説かれてい

る。法華倣法は即ちこの半行半坐三味に該当する。四には非行非坐三味、これは前の一二秘

の行法のように、期日や方法を定めて行う憾行でなく、田を耕しながら念仏したり、木を

伐りながら因果の道理を観ずるなど、毎日の生活を営みながら、常に仏を念じ、因果の道

理を槻じて、悟りの境界に入る修行である。従って随自意三昧ともいわれている。此の四

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種の行法は何れも同格で主伴はなく、行者の意楽に随うてその一を選んで修するのである

が、すべての修法は熾悔が基本であり、倣悔することによって随喜、勧鋼、回向、発願と、

菩提を戒ずる課程に入るのであるから、法華三昧は、すべての行人が欠くことの出来ない

行法であり、現世成仏の修行は必然的に未来往生を願うことから、自然に常行三味に及ぶ

堂のことは非際師の伝教大師和字伝に基く説であるが、山門堂舎記によると、慈覚大師は

この時常坐一二味を申付けられたので建てられたのも常坐三昧堂であり、九月に工が成ると

大師自ら三昧に入って六年の修行を稲まれた。常行堂は大師人膚帰朝の年、承和十五年(八

四八)に虚空蔵の筆に建立せられたが、後、大師の遺命によって、元慶七年(八八三)に

相応和尚が講堂の北に移して内部を荘厳せられた。四方の壁には九品浄土や影像を図し、

金色の阿弥陀仏一鰹と四菩薩の像を奉安したと記録せられている。宗祖大師の滅後、円澄

座主が西塔院を開くに当り、天長二年(八二五)延秀大徳と戦力して法華堂を建立せられ

たし、常行堂は寛平五年(八九三)に増命座主が建立し、顕作大徳が内部を荘厳して両堂

が双ぴ設けられた。横川は遅れて慈恵大師の時代になるが、天暦八年(九五四)右亟相藤

原師輔卿が慈恵大師の勧請により、慈覚大師点定の地を検案して法華堂を建立し、常行堂

は冷泉院の御願により康保四年(九六七)に建立せられた。本尊阿弥陀仏の他に観音、勢

至、地蔵、龍樹の各菩薩や摩多羅神、四大師像等が祀られ、両堂共に横川中堂の東北一丁

十五間の地に存在したと記されている。このように比叡山三塔各その地に両堂を設けて、

日夜の修行を重ねたのであるが、元亀の兵乱以後は、僅かに西塔に両堂が復興せられただ

けで今日に至っている。比叡山に於て既に斯くの如くであるから、日光山を始め台宗所属

の名刹には、必ず此の両堂が設けられて盛んに行法が修されたのである。朝の法華愉法、

夕の例時作法は一日と錐も欠いてはならないのである。宗祖大師の「四種三昧を怠ること

なかれ」との遺命を奉じて、朝夕の勤行を至心に運ぶことは、天台宗徒の大切な義務でぁ

ザ(》。職とは慨摩という梵語の略で、悔過と訳されている。いわゆる職悔のことである。法と

は作法、規則で、悪を改め、善を催する法規を臓法というのである③即ち法華経、普賢観

三、法華餓法

1卜-11--

’ 法華三味の法を我が国に伝えられたのは伝教大師である。但虫これには慈覚大師が五

台山から伝来せられたという説が、昔から伝えられているが、これは、大師伝にはもとよ

りのこと、元亨釈書にも高僧伝にも、安然の対受記にも見られない。常行三昧法が慈覚大

師によって五台山から伝えられているので、|具の法としてさように伝えられるに至った

のではあるまいか、伝教大師の将来目録には妙法蓮華経倣法一巻或名三昧行法智者大師出。

一十八紙妙法蓮華経三昧補助嬢一巻荊溪和上撰三紙と立派に鞭せられていて、伝来せられ

たことは明かである上に慈覚大師の御伝記に、入唐帰朝せられた直後、即ち承和十五年の

条に、山僧のために法華三味を改伝すと見えているから、伝教大師が伝えられた大綱を基

本として、慈覚大師流に改めて伝授せられたのでないかと思うのである。慈覚大師の巡礼

行記開成四年七月二十三日の条に五台山に志遠禅師や文窒座主という高僧がいて、盛んに

法華三味を行じていることを聞かされたことが見えるし、五台山に行かれてから行法を学

ぶと共に欠本の天台教迩を抄写したことも記されているから、五台山で法華三昧の行法を

経及び諸大乗経に説かれている行相を、天台大師が悟りの意にまかせて親撰自修せられ

た行法である。恵心僧都が作られた天台大師和識にも述べられている如く、天台大師が中

国光州の大蘇山に登り、南岳慧思禅師に調えられたところ、禅師は、昔霊山に牌て倶に法

華経を聴聞したが、宿縁朽せず再び蕊に遇うことが出来たうえE共に法華経を修行し得

ることは、喜ばしい限りであると申されて、普賢道場に於て法華憾法を柊せしめられた。天

台大師は昏暁苦到して、教の如くに心を研かれたところ、一一七日に至って硲然として大悟

せられ、霊山会場厳然として散ぜず、法華三味を見証し、初膳陀羅尼を発得せられた。以

来、弁才無凝にして自在に法を説かれたというのである。即ち、天台大師は法華経の精髄

を集めて悠行の綱目を立てられたので、大師の作られた法華三昧倣儀には、倣法を峰する

ことはそのまま法華を行ずることで、このために十方の諸仏は直ちに道場に雲築して行者

を讃仰し拾い、梵釈四王並に諸天善神、悉く常に行者を守護し拾うが故に災いを除かずと

いうことなく、求むる所得ずということなしと述べられている。

-13- -12-

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例職の読み方は百済読みⅡくだらよみⅡ(濁点のない読み方)ともいわれ、古代漢音に

よる儀式音様として、いつの時代にも変更せられることなく、今日まで伝えられた貴重

な存在であり、中国文学史上に於ても、隅唐宋三国にわたる音韻(未整調の音)として

残されて来た大切なものであるから、一宇一句の発音にも殿大の注意を払わなければな

らないと同時に、誤りなく後世に伝える鵜務があると中山勘学は申されている。

法華撤法は法華三昧倣法と称して、憧悔、礼仏、諦経にあわせて、坐禅観法することが

本儀であることは、天台大師の法華三味倣儀によって明かである。また、前にも申した通

り、初心者は三七日、その他は一一一年にても、生涯にても、行者の意楽に従うて修すべきょ

うになっているのである。従って当今の如く、臨時に一座を鯵することは行法を極略にし

たもので、識儀の意に副わない上に、坐禅を附加しないのであるから、法華三昧と名乗る

には相応しない作法といわねばならない。法華三昧倣儀と現行の倣法とを合せて見ると、

しまったのではあるまいか、

修得せられたことは明かであるし、その上法華経修行が最も盛んに行われていた赤山法華

院に、五台山に登られる前に約八ヶ月(開成四年「日本承和六年Ⅱ同九」六月から翌年二

月下旬まで)長安を退去して帰国の機会を待たれる為に約一年七ヶ月(会昌五年、日本承

和十二年「八四五」七月末から大中元年、日本承和十四年間一一一月中旬まで)と二回にわた

り、長期に滞在しておられるのであるが、その間、専ら赤山法華院の僧たちから、緬経作

法や音梯を学ばれたと伝えられているから、此の間にも法華倣法の作法を習得せられたこ

とは疑う余地がないと思う。古来、法華憧法や例時作法の読音について、区々の論が立て

られているが、両法の発音が純粋の漢音でもなければ、また純粋の新羅音でもなく、この

二つが揮然と融合した特殊の音である}」とは、専門家の一致した定説で、新羅僧が多く住

していた赤山法華院の踊経音様も自ら推察せられることであり、法照法師が極楽世界に

於て、阿弥陀仏から親授せられたという例時作法と、同じ音の読み方である}」とが裏付け

となって両者共に慈覚大師五台山将来と伝えられ、やがては伝教大師将来のことが隠れて

’ 15-

14

て以て悟道を開き、運心回向することである。

伽陀法華幟法の最初は伽陀である。伽陀は梵語で頌と訳し、三宝を礼する運心の詞

である。凡そ人が礼を行ずるときは、内に慶恭の心があって始めて礼の実を尽すのである。

これより三宝を礼拝せんとする行人であるから、正に尊重渇仰の心を起さねばならない、

しかも自身は具縛の凡夫なれども値かに一念を起して礼を行ずれば、迷悟一加の本理にか

なうて、其諦の境界に在す三宝が忽ちに納受し袷うこと、鏡に物のうつるが如くで、礼に

従うて降臨ましますことを想念して、三宝を礼拝せなければならない。伽陀は即ちその想

念を現わす調である。此の文は華雄経の文で、彼の経には六句説かれている。即ち、能礼

所礼性空寂、感応道交難思鍛、我此道場如帝珠云々となるのであって、始めの二句が運心

の肝要であるから、伽陀を頌する時は、先づ以て此二句を心中に剛じて後に、静かに我此

道場と始むくきである。また此の伽陀は法華倣法の始めに唱えるものと限られたものでな

く、何れの場合に於ても、仏を礼する時は此の偶を唱えてから礼拝するが宜しく、法華三

大体は同じであるが、文句に少しづつ不同がある。これも法華三昧熾般が流伝せられる間

に、文字の書き誤り等で多数の異本が出来たので、悪霊大師(杭州天竺霊山寺霊応尊者遵

式で、慈雲の号は真宗皇帝から賜った。天台寧海の人で、宋太宗乾徳元年に生る。国情寺

普賢像の前で一指を焼き、誓って天台の道を伝えた。明道元年六十九才で寂)が校定して

正本としたと伝えられるから、現存の法華三昧倣醗が正しいか、今の倣法が正しいかとい

うことは、決定せられないことと思う。従って、慈覚大師によって始められた現今の倣法

は、我が宗に於ける正本として之を取扱うべきであると共に、当初より職悔、礼仏、調経

と組み立てられて、坐禅観法が略されているのであるから、三味の一一{子を略して、ただ法

蕪倣法と称することも、誤りとは申されないのである。もっとも悪党大師は、坐禅観法の

代りに、如法写経をせられていたことは注意すべきことであるし、既に噸法によって熾悔

を行うことは、坐禅観法による理の幟悔をも具備するとして略されたと見れば、法華三昧

と名乗ることも、むげに誤りとは申されない、要は臓悔によって心気清浄に、礼仏論経し

-17- 16--

’ 一二宝礼と供養段一心敬礼十方一切常住仏の三宝段と、次の供養文の段は三業供養で、

身ロ意一一一業を尽して礼を行うのである。心を一一一宝に運びつつ、ロにそのみ名を唱え、身は

五体投地して三宝のみ足を掌に受けて頂灘せなければならないのである。仏教の礼法は印

昧倣法には一仏毎に此の句が用いられている。従って文句も仏に従うて変更するのが本鵬

であり、若し釈尊を拝する時なれば、我此道場如帝珠釈迦如来影現中我身影現釈迦前

とその仏名を入れ、伝教大師などの場合は、我此道場如帝珠、十方三宝影現中我身影現

大師前とするのである。それであるから、本来の意味からいうなれば、倣法に於ても、礼

仏の際にはその一仏一仏に此の文を頌するのが至当であるが、煩頂の難は反って心を乱す

ことになるから、最初に総礼の意を以て一度だけ煩するのであって、文中の我身影現三宝

前の一一一宝は、別しては始めの三宝礼、総しては憧法中の全一一一宝と心得べきで、総礼伽陀と

称するのも、その意此の辺にあることを思い、如何なる場合にも略してはならないのであ

異》。

度の礼法を基本としているの好、敬礼九種といって一発言慰問、二筋首示散、三挙手高揖、

四合掌平挟、五屈膝、六長脆、七手膝曙地、八五鱸倶屈、九五体投地といろいろの仕方が

あるが、普通は起居礼、鱒鋸礼、投地礼が多く用いられており投地礼を最上の敬礼とせら

れている。倣鵬の礼仏はすべて投地礼を以て行うことになっているから、倣法の礼仏も当

然投地礼を以て礼拝すべきであるが、大衆が一座に会して之を行うとき、斉一の動作こそ

法要の荘厳と道場の厳粛を保持する根源であり、行人の心気を静めて連想を満足させるた

めには、穂かな動作を以てする方がよいので、態と起居礼が用いられているのである。仏

法僧の僧は衆という意味で、道を弘むる人を衆というとせられているから、人を通してそ

の任務を尊び敬うのである。

供養文は観仏三昧経の文で、専ら彼の地の風習に従うて行う供養の方法である。文にも

ある通り、先づ曙鑓の礼艇をととのえてから香と花とを献じ、此の香華、念々の中に於て

週く十方の一切仏土に至り、種々の宝を以て荘厳せる楼閣となり、歌唄讃頌となり、栴檀

18-1串

1‐‐11

沈水等種々の湯葉となり、悉く法界に充満して諸仏を供養し、一切衆生に蕪じて菩提心を

発さしめよと連想するのである。香は不浄を浄め、稜れを離れしめるが故に仏の便ともい

われており、花は荘厳の具で、花の開くところ即ち浄土で、開いた花には常に諸仏来って

坐し袷うが故に、花を散する時は、鬼神も柿れて遠ざかるのである。

踞鮠は胡脆と聾かれ、屈膝の礼のことである。右膝を地に着け、その足指を地に竪てて

右の股を空に置き、左膝を竪てて左足で地を踏むので、峨々競々として敬意を表する姿で

ある。左右何れにても一方を膝まづき、一方を竪ててよいのであるが、お経の中に書かれ

ている右膝着地を正儀とする。

如法供養は法華経法師品に説かれている十種供養のことで、供養することは、また如説

耀行であるから、法華三昧のことを如法経というのである。受用作仏率は、供養する香鵡

等は、すべて仏事を作し袷えと連想する大切な文言であるから、|結の衆僧皆ともに之を

唱えて連想するのである。.

奉醜段を略すること法華悩法が定められた当初には、供養文の次に奉舗段というの

が設けられて、一心奉請南無釈迦牟尼仏、一心奉謂南無過去多宝世尊、一心奉謂南無十方

分身釈迦牟尼仏等と仏部五、法部一一、僧部十二、これに法華経中の春風部一と計二十回、

投地礼を行いつつ唱名奉網し、唯願くは我が本師釈迦牟尼世尊、多宝如来、分身諸仏大慈

大悲を以て我が奉謂をうけて道場に来到し拾え、大乗妙法蓮華経典瀞法門哀懸狐議し、我

が奉調をうけて道場に顕現し袷え、文殊師利菩薩等乃至天魂八部等我が奉講をうけて道場

に来到し絶え、この渚の聖衆等願くは悉く証明し給え、我れ今日十方一切の六道の衆生の

為に大乗の無上菩提を修行し、一切の重罪を砿して法華三昧菩賢色身を得、一念の中に於

て一切十方の三宝を供養し、一切十方六道の衆生を度して一乗平等大患海に入らしめん。

此の故に三七日の間一心に経に説かれているように修行いたすにより、普賢菩薩を始め一

切の諸仏菩薩、本願力の故に我が倣悔を受けて所願を成就せしめ拾えと、請願するのであ

る。そしてこれを終ると、唄師は別席に於て如来妙色身、世間無与等、無比不思議、是故

-21- 20-

山因みに此の唱題目のことであるが、経題を鴫する功徳は法華経陀羅尼品に、法華の名を

受侍する者を擁護するとき、その福斌るべからずと説かれてあるに基くものとせられてお

り、天台大師もとうにこれを信受せられていたことは、前にも述べた通りであり、慈覚大

師の時代には、五台山はもとより、長安の資聖寺や、赤山の法華院に於て、盛んに行われ

ていたことは巡礼行記によって明かである。従って、唱題目を我が国に弘められた元祖は、

慈覚大師であると申される所以もここにあるのである。

法則と究願古い熾法は奉請段が終って兒願に入り、現行の織法は供養文を終って法

則、兇願となっている。法則というのは表白(または啓白『神分、霊分、祈願を合せて唱

うる一連の作法のことで、鐙分、祈願を略する時は神分、表白と次第することになってい

る。これは調声の役で、法要の趣旨を述べ、功徳を成就するために神仏に祈願するのであ

るが、法要全体の枢軸を表示する大切な役であるから、調声が自らこれを行うことになっ

ているのである。なお此の行法は自行の法であるから、大衆が一会して行うと錐も、立前

今敬礼、如来色無尽、智恵亦復然、一切法常住、是故我帰依の文を唄匿し、終って敬礼常

住三宝歎仏功徳と敬礼するのであり、大衆は柄香炉を持ち香を焚きながら「妙法蓮難経」

の題目を唱えつつ、遠仏経行(けいれん)する一」と七度または二十一度である。しかも此

の唱題目は、巡礼行記によると長引音多有屈曲と音を長く引き、屈曲ある節をつけると説

明せられている。朝題目の言葉は此の奉調段の唱経題をさしていうのであるが、今の悩法

に此の奉調段が略されているので、多くの人は朝題目の所以が呑みこめないのである。そ

れでは何故に略されたか、これは法華三昧臓儀に、「行者が始めて道場に入るときは十法

を具足せなければならない」として、一に厳浄道場、二に浄身、三に一一一業供養、四に奉請

三宝、五に讃歎三宝、六に礼仏、七に倣悔、八に行道旋選、九に鋪法華経、十に思惟一実

境界と修行の次第や方法が定められてあり、その簸後に「昼夜六時に修行の時は、初めて

道場に入る時には必ず十法を具足せなければならないが、後の五時には、奉調段の一法を

略してもよどと申されているので、一生修俄の立前から略されたのでないかと思う。

-23- -22-

’ はあくまで自行であり、それぞれ自身が各個に修していることになるのであるが、法儀を

整え、行法を斉一にするために長老が音様を調整し、作法を主導して、法要を荘厳するこ

とになっている。従って例臓に限り調声(ちようせごといって導師とはいわないのでぁ

法則の作法が終ると、調声は柄香炉と龍とを持って下坦し、尻願師と相対して起立して

「敬礼常住三宝歎仏功徳」と心中に調念しつつ散華をする。究願師は調声の下段と同時に

座を立って礼盤の附近にまで進み、調声と向い合うて起ち、中啓を懐中し、合黙したる先

きに二三枚の苑をはさみ、調声の散華につづいて散華をする。調声が本尊に向うと兇願師

も本尊に向い。

叩几願というのは、法語を唱えて施主または先亡の福利を願い求むることをいうのであっ

て、これに食時冗願と法会兒願とがある。食時兒願というのは斉食儀の鍛初に唱える十方

施主罪障消除福寿長増云々というのがそれであり、法会兒願というのは、法会の時導師が

故らに法文を講して施主の為に福利を祈願するをいうのである。それであるから、几願は法

要の躍重要事として、常には大導師が自らこれを勤めるのであるが、法則がある場合には

一一重になるので、大法会には冗願師を別に立てるのである。従って究願師は法会の趣旨に

副うて〈法会に適する函ル願文を作成して兒願の意を表示せなければならないのである。施

主が自ら願意を述べるのを願文というので、顛几願とは自らその性質を異にするのである。

調声は兇願師の踊文を心中に置いて、その動作を運ばなければならない。坦の下で一心

と発し、敬の始めに左足より旭に登り、礼にて柄香炉をささげて礼儀を尽して鱒踞の姿勢

に還えるのである。

敬礼段敬礼段は、先づ大恩教主である本師釈迦牟尼仏(仏)と、証明法華多宝世尊

る。

容願甚奇妙光明照十方我適曽供養今復還親近(歎仏)

仰ぎ願くは、此の倣摩妙行の功徳に籍り彼の菩提得果の勝因に資せん(函化願)

と黙論し、調声が一心と発するを聞いて本座に復するのである。

24 25-

繊悔段(または六根段)

為法界衆生の句から下は餓悔段である。この句は愉悔に入

る意趣を述べたもので、法界衆生の為に三陣を断除したまえと帰命し礼し倣悔したてまつ

ると、先づ総の竃を運び、次で詳しく六根斌悔の法に入るのである。三陣というのは緬悩

陣、業障、報障で罪過の根元である。

六根段は五梅の第一段である倣悔段で、他の四悔に比して特に詳細に、六根各別にその

内外に渉って、甑理の倣悔を行ずるのは、本殿が此の行法の眼目であるからである。緒仏

諸菩薩を敬礼奉謂して香華を献じ、十方界に運心して道場を荘厳すれば、普賢菩薩六牙の

白象に乗じて道場に来到して行者に対し拾うと共に、無量の春属をして、行者を囲逵して

除障の助行をなさしめ総うのであるから、常に生身の普賢菩薩を目前に拝する加くに想い

を運び、一心一意一切衆生のために倣悔の法を行い、無皿劫より造れる一切の悪業を、悉

拝するのが、古来の本麟とせられたと記されている本もあるが、典拠や聯実等は明かでな

いようである。

(法)並に十方来集の分身諸仏(僧)に、道場に到来して供養をうけ袷えと、総じて三宝

を礼し、更に別しての仏宝として、四方四鍵上下と十方世界の一切の諸仏、三世諸仏等に

十七返、法宝として所依の経典たる妙法蓮華経一返、僧宝として菩薩声聞衆等に十二返、

都合三十三返の礼拝を行うのである。礼拝の数を一二十三にしたことは総の三宝は別として、

別の三宝は行者の一心十界に週到するが故に、各界の三宝を悉く敬礼する意を以て、一一一十

返に限るとも説明せられている。要するに三葉の誠を尽して一心に奉調することが、敬礼

段の本質であるから、一一一十三返ともに投地礼の気分を以て唱名礼拝せなければならない。

従って始めの総三宝のように全部起居礼をせなければならないのを略して、起立したまま

唱名していることを心得ねばならない。また此の敬礼段の末尾並に十方念仏の末尾に、普

賢菩薩を奉謂し冊命することは、普賢菩薩は法華熾法の教主にして、行者の所作はすべて

が普賢菩薩に対して行うので、他の諸仏菩薩等は、普賢菩薩に対する行者の運心と所作を

証明せられる立場にあるのであるから、普賢菩薩の段ばかりは、調声一人のみで唱えて礼

-27- 2F

’ く発露熾悔して、今日以後未来際を尽して、更に再び一切の悪業を造らざることを聾い、

大禰塊の心を生じて焼香散華せなければならないのである。各段愉悔の内容はお経に示さ

れた通りで解り易いから説明は省略するが、}」の法はもと普賢観経より出たもので、今の

文は普賢観経の文と少々相違しているのは、態と文句を更えられたものと申し伝えられて

いる。また各段毎に第一一第一一一亦如是とあるは、三反づつ繰返してこれを読むことを申され

ているので、初反は六根の罪を戯悔し、第二反は六境の罪を倣悔し、第三反は六識の罪を

徴梅すると申されている。即ち初反は身、||反はロ、一一一反は意と一一一業所造の罪を倣悔する

のである。然し普賢観経には、三業は身業所造を本とするから若し一一一反を行じ難い時は初

反を修したる後、必ず「第二第三亦是の如し」と唱えよと申されているので、今の法にこ

の式がとり入れられているのである。また、故障などあって行法を略するとき、六根段の

中抜きなどといって、始めの眼根段と後の意根段を、或は意根段だけを行ずる風習がある

が、四明の修憐要旨に従うときは、「略するときは眼耳鼻の三段を略して舌身意の三根段

を修せ」といわれている。これは身口意三業を表ずる大切な段であるから、絶対に略せぬ

というのである、心得べき事と思う。

四梅勧請、随喜、回向、発願の四梅は、倣悔に非ずという説があるが、この四束は

専ら発露倣悔によって起るもので、餓悔なくしてはこの事は起り得ないのである。従って

職悔は発願まで進んで、始めて其の撒悔となるのであるから、熾悔を含めて五梅というの

である。弥勒問経には昼夜六時に五梅を勤行せぱ、苦行をからずしてよく菩提を得と説か

れて、五悔は一連の行法である}」とを示されている。また、始めの儀侮段の詳細に比して、

後の四悔が短かく、その上一反づつであるのは、此の行法が専ら織悔を主とするからであ

る。なお、六根段を含めて五梅全部の最初に「至心」の一一{子を置かれたことは、三心を具

足すれば必ず往生を得と説かれている、普賢観経の意によるもので、三心とは一に至誠心、

二に深心、一一一に回向発願心で、六根段凹悔そのすべてを至誠心と深心で貫き、最后の二句

に回向と発願を配して三心を具足せしめるので、この運心こそ例時作法と一具の行法なる

’ 28-29

I ことを示す肝要のことであり、全段の最後を己礼三宝と結ぶのは、各段を行じ終る毎に、

投地礼を以て一一一宝を礼するが本筋なる}」とを現わすもので、それを調声のみ騨鋸の礼をと

り、大衆は平座して六根段を行じ、四梅に至って踊曙の礼をとることは、すべて存略の礼

儀であることを弁え、心中常に敬慶の意を失わないように心掛けねばならない。

十方念仏南無十方仏の段を十方念仏という。十方念仏から次の経段後の十方念仏ま

でが行道段で、これまでが坐鋸の法であるに反して、行道段は立行の作法となるので、半

行半坐三昧の名が附けられているのである。行道は仏を敬うために行う義と、仏を廻護す

るために旗る義と、二つの意義があるが、行法全体を眺めるとき、慨悔段終るまでは、起

居礼または踞踊の礼を以て、常に仏を畏敬する念を表ずるのであるが、これは職悔のこと

を首伏というが如く、立行では出来ないことで、専ら身をへり下り、静寂のうちに心を運

ばねばならないからである。従って行者と仏との間には、相当の隅りを持つのであるが、

倣悔を行じ終るとその身そのまま凡聖一加の境界に入ることが出来るので、此の仏に親近

し、仏を守護し奉ると共に、仏の加被力をうけて身心安楽を得ることになるのである。行

道は仏界に在る分証即の行人の作法と心得て、これを行うべきである。

十方念仏は始めの一一一句は総の三宝に帰命するのであり、次の釈迦牟尼仏は法轆の教主、

多宝仏は法華の証明、釈迦の分身仏は十方世界の法華経弘通者、文殊菩薩は法華証信の菩

薩普賢菩薩は法華倣悔の教主、またこの仏菩蔬は教化の助力者であるから、ここに帰命し

て華を献ずるのである。散華は南無の句ごとに之を行うを本則とする。調声は行道の座に

立ち、中啓を懐中した後、随を右の手に持って最初の南無を発音すると共に散華し、大衆

は次の南無十方法の南無にて一斉に起立し、十方の十の字にて一損の後中啓を懐にさしな

がら行道の姿勢に移る。従って大衆は第三句目の南無から散華することになる。参詣人等

にその意を配することなく、敬慶の念を以て鑓を押し頂いてから、右前の方に手をのべて

静かに散華すべきである。

経段経段は経本のみを手にして行道するを本則とする。綴本は左手に持ち、(右手

3卜-31-

は中啓を待って右腰前に軽くあてる)、折本は両手に持つ(右手に中啓を持ったまま)前後

の間隔を平均に保ち、音調、遅速等、よく心得べきである。

さて経段は安楽行品に限るかということであるが、これには二通りの説がある。法華経

であれば全部または何れかの一部を読調してよいというのと、安楽行品に限るというのと

である。始めの説は具足調の人といって、法華経一部を習い上げて通利している人であ

いザ△ら

れば、経段に於て意楽に従うて一品なり、一一品なり、一巻なり、一一巻なりを読諦してよい

というのであり、限るというのは不具足調の人といって、未だ法華経を習得していない人

は、安楽行品に限るというのである。尤も今日の定本の如く、安楽行品に限ると制せられ

たのは慈覚大帥で、大師伝の貞観二年の条にそのことが記されてあるが、これには深い理

由があるのである。即ち六根倣悔は有相の行で方等三昧であり、安楽行は十八空を観ずる

無相の行で、法華三昧ということが出来るのはこれあるが為めである。同じ法華経に於ても

勧発品は有相の行であるから、愉悔有相の行に対するときは、無相の行である安楽行品に限るの

である。また安楽行品の中に、常好坐禅在於閑処撰修其心と説かれてあるのは、織悔

の後に於ける坐禅観法する様相を示されているので、法華三昧式にかなうていると共に、

六根段や四悔が事の職悔であるに対して、安楽行品は理の憧悔で、事理かね具うごとにな

るので、これらのことから、具足調にかかわらず、すべての人が安楽行品を以て行道す

ることにせられたのである。また安楽行品のうち、身安楽行の一段に限られたことは、四

種一一一味が身儀に約してその名が立てられていると共に、身安楽は他のロ意誓願の三安楽の

依止であり、身安ければ道隆んであり、道隆んなれば本立つが故に、特に身安楽の一段を

鋪するのである。しかも行道は一匝にても二匝にても、乃至七匝にても、行者の意の満つ

るまで旗鍵するがよろしいとせられていることは、諸仏に親近し奉って、一一一味を成立する

為に行道することを意味しているのである。

経の読諦は経の文句を分明に発音せなければならない。寛ならず急ならず、常に心を経

中の文句にかけて、謬誤の鞍いように読まねばならない。また心を静めて音声を発し、空

-32- -33-

’ ●

所に運著して、ここに改めて一一一掃の法を行じて総の三宝を礼し、更に七仏通戒偶を唱えて

行者の心を摂し、行法の功を全うするのである。

般後に回向伽陀を頌することは、行法に憧悔、梢進、回向の三鍵を具する恵味で、止悪、

修善、利衆生の菩薩行が、これによって顕現するのである。

例時とは常例の時刻、すなわち「いつもの時間」という}」とで、大方の習わしに従うて

毎日同じようにその時刻が来たら修行する作法を例時作法というのである。この作法は

首尾一貫したものであり、立派な内容を持つものであるから、法華倣法の如く、個有の名

称を以て呼ぶべきであるのに、何故に例時作法などと、内容を明示せない一般名称がつけ

られたのであろうか、浅学にして未だこの名の起原を知らないが、或は法華倣法の内分一

若し行道を竜らんと欲せぱ、前の如くに三宝の名字を称え、焼香正念契唄を作せ。唄寛

らぱ本礼仏の所に至って三宝に帰依し、一心正念に口唱せよ。

今の熾法は行道は十方念仏、経段、十方念仏を一連のものと仕組み、その行道を覚えた時

に慨儀の示す行法を取り入れたのである。それであるから行道を覚えて後唄を頌し、本礼

谷にひびく如きおだやかさを持たしめるように心がけ、此の音声法界に充滴して三宝に供

養し、一切衆生をして大乗一実の境界に入らしむと運心して読舗せよと慨雛に説かれてい

る。音声は最もよく心中を現わすものであることを忘れてはならない。

結了の行法経段の後の十方念仏は、経行終るが故に重ねて三宝を称念して、以て法

華三昧を結了せしめる為で、続いて後唄を喝うるのもその為である。後唄の文は超日月一一一

昧経に出づと示されている。

法華三昧倣儀には、始めの十方念仏の次に三帰があり、一一一掃の前に次のような文句が示

されている。

四、例時作法

-35- 34

まいか、識者の教示を得れば幸甚である。

例時作法は慈覚大師が撰せられたものであることは、古来から一致した意見で、中国五

台山竹林寺の法照和尚が撰した五種行法中の、西方愉法を根拠とせられたものと伝えられ

ている。慈覚大師は承和五年(八三八)に入唐し、承和十四年に帰朝せられるまで、五台

山や長安などに於て、円密両教を始め、悉曇、声明など、広く仏教全般に捗って伝承して

来一われたのであるが、浄土の法門に就ても、五台山の竹林寺や大輔厳寺に於て艫行中に、

念仏法儀の実体を体得し、長安の章敬寺(法照が五会法事讃を撰した寺で、長安に於ける

念仏法門の中枢であった)に於て、鏡輔について浄土の教行二門を伝承せられた。帰朝後

嘉祥元年(八四八)に比叡山東塔に常行三昧堂を建立し、仁寿元年(八五一)に五台山の

念仏三昧法を山僧に伝授して、常行三昧を修行せしめられている。これを例時作法の始修

とするのである。

部の作法として行う意味に於て、態とこのような名称を用いたのではあるまいか。法華倣

法は法華経を体得する修行、即ち法華三味倣儀に基いて作られた行法で、天台の行人とし

ては、日夜に専修せなければならないのであるが、段に鯵する法華倣法の四梅に於て願臨

命終神不乱正念往生安楽国面奉弥陀値衆聖修行十地証常楽と、至心に発願したその

意を承けて、ここに転生往生の行業を修するものとして、この作法が作られたとするなれ

ば、いわば法華倣法の延長であり、内分一部の修法で別名を附すべきものでないから、こ

のような呼び方にしたのではないであろうか、前に例倣は教意に基く一具の法といったが、

更に行法の構成から見て、法華倣法がその大綱に於て礼仏、熾悔、調経と櫛成せられてい

るのに対し、例時作法が、諏経、倣悔、礼仏と組合せて、朝夕の勤行が二つを一つに見て、

首尾を一貫した完全な一具の作法に仕立てられていることから見ても、例時作法として別

立しながら、而もなを法華熾法の内的延長の作法たる性質を示しているので、「農に始めた

勤行を夕に終結する作法を例時作法という」と解釈することが、当を得ているのではある

唐の代宗(七六二1七七九)の時代に、中国に法照という和尚がいた。厳山に於て一一一味’

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を修行中、定に入って極楽世界に至ると、阿弥陀仏の側に粗末な衣を着た一人の僧が坐っ

ているので、不思蟻に恩うていると、阿弥陀仏がこの僧は衛山の承遠であると告げられた。

出走して衛山に行き、承遠を訪ねると入定中に見た僧と全く同じであったので、随侍して

法門を承受した。承遠はその届を般舟道場と名づけて、常に念仏三味を鯵していた。貞元

十八年(八○二Ⅱ慈覚大師九才人寺の年)に九十一才で入寂したと伝えられている。

法照が承遠のもとで修行中の或日、食噸をしようと薄い汁のような粥を入れた鉢を持ち

上げると、粥の中に五台山の仏光寺が現われ、更にその東北の谷間に大聖竹林寺という石

標の立ったお寺が現われた。不思織に思いつつ修行を重ね、三年の後五台山に登ったとこ

ろ、仏光寺は粥の鉢に見た通りに在ったが、竹林寺は幻の寺であることが判った。法照は

仏光寺に住して念仏の修行に精進した。或夜、一道の光りに導かれて寺の東北に進むと、

大聖竹林寺と石標の立つ寺に来た。お堂を伺うと、中で文殊菩薩と普賢菩薩が法門を傭し

ていられたので、ありがたいこととお堂に入り、往生の業をたづねられると、文殊菩醗が、

常に西方の阿弥陀仏を念じ、三宝に供養すれば極楽世界に往生することが出来ると教えら

れた。翌朝東北の谷を按ずると、夢に見た通りの場所に出たので、早速そこにお寺を建て、

大聖竹林寺と名づけて念仏専修の道場とした。また、法照が南岳の弥陀台に於て九十日間

の念仏三昧を修行したとき、現身のまま如来に導れて極楽に至り、水鳥樹林が奏でる念仏

の声を聞いて悟るところがあり、ここに五会念仏の法を開いた、阿弥陀経読諭の音様もこ

の時如来から親授せられたというのである。悪党大師が五台山に登られた時は、法照が入

寂してから約二十年を経たばかりで、五会の念仏法が盛んに行われていたので、音曲や行

法を残りなく習得伝承せられたが、この慈覚大師の所伝には、引声lいんぜいIの作法と

短声の作法とがあり、引声は別時にこれを修し、短癬は日々にこれを行うとせられている。

例時作法はこの短声の作法に基いて鯵するものであり、引声の念仏は大原の来迎院、京都

の真如堂、伯耆の大山寺に伝承せられて、憧かにその命脈を現存しているといわれている。

伽陀例時作法の伽陀は普賢観経に出ている。朝の勤めに於て倣悔の法を修すと錐も、

38 39-

’ 日中の所作自ら三業の清浄を失うが故に、ここに行法に入るに当り、改めて衆罪を熾悔し、

六根を荊浄ならしめて晩課に入るのである。法華慨法の伽陀を総礼伽陀というに対し、こ

の伽陀を衆罪伽陀と呼んでいる。そして「倣悔六情根とあるから此の伽陀は法華倣法の伽

陀である」などという人がいるが、法華倣法はその全体が倣悔を修する行法で、六根の溌

罪を残るところなく倣悔して消除することが主眼であるから、珠更に始めから慨悔の意を

表する要はないのである。それよりも、晩課はその主眼を転生浄土の行業に置くのである

から、主眼の行法に入るに先だって、まづ以て職梅して清浄の身心にならなければならな

いから、簡単ではあるが、至心に此の伽陀をとなえて、総憧悔を行うのである。

’一一札行法を修する始めに三宝を礼して正法に婦人する意を表することは、入道の基

本であり、生仏が感応道交して行法を成就する元初であるからで、その初めに一切恭敬と

いうことによって、三帰の意を端的に現わすのである。釈氏要覧には一切恭敬を説明して、

衆心を収接して馳散せざらしむる為めといっており、身心を挙げて聖境に州入することを

褒示するのである。この文は華厳経の浄行品に出ている。

七仏通戒侶温盤経の梵行品やその他の経に出ている偶で、これを頌することは略布

薩を行ずろのである。仏法の大海は戒を以て般筏となすといわれているように、戒を持つ

ことが往生の直因で、法華倣法の回向の段で、「三業所憾の一切善を回向して」といって

いるように、持戒の功徳を回向して往生を願えば、本願を達することが出来るから、ここ

に助念の一法として、此の偶を煩するのである。和南聖衆というのは、和南は臣が王に服

従するごとく、恭順の意を表わす言葉で、一切恭敬の句に対し首尾を一貫せしめたのであ

黄昏偶.黄昏は「たそがれ」または「ゆうぐれ」ということで、太陽が西山に傾いて、

夕空を捜色に染める時刻をいい、六時に配分すると、午後の二時から六時までに該当する。

一日の業を終えてその行賦をふりかえれば、無駄と過失の連続で、むなしくその日を過し

たことを悔いるのみであると共に、無常迅速の現実に鴫された我が身命を思う時、一時一

るり

40-41

刻もゆるがせにすごせないと、梢進心を奮いたたせるために煩する偶である。此日己過か

ら斯有何楽までの四句は大法句経に出ている。この偶の段後にカナ字でドウまたはノウと

つけられているが、これは郡の字が書かれている経本もあるところから察すると、梵字の

汀』という字があって、それをドウまたはノウと発音するように示したのではあるまいか、

此の字は漢字にあてはめて那、郷、鰯讃襲と轡かれているからカナの妬くに発音したので、

若しそれであるとすると、この字は否定の接頭語に用いられる字で、智度論に「郡、葉に

は不(いなや)という」といわれている如く、単独字であるから、本文と混同することを

避けるために、態とカナを以て示したので、偶頌の般後に於て「放逸すること英れ」と一

は自ら誠め、|は仏に誓いを立てたので、更に亜ねて「まちがいないか」と自問して「ま

ちがいありません」と自警を堅くする意味を示したのである。

無常偶始めの諸行無常の偶は浬盤経聖行品に、次の如来証浬盤の偶は同じ経の徳王

品に出ている文で、始めの偶は無常、次の偶は常住を明したものであるが、此の両偶を併

せて頌することは、厭雄穣土欣求浄土の心を発さしめる為である。

寂しい山奥に一人の修行者が居た、幾年月の間苦行を重ねても、悟りを開くことが出来

なかった。帝釈天が憐れに恩うて羅刹に化身し、竹林の中から譜行無常是生滅法の二句

を頌した。修行者はこれを聞いて心に大歓喜を生じ、全部を聞けば悟りが開けそうな気が

するので、早く後の半句を聞きたい、誰が煩したのであろうかと周囲を見ると、一人の羅

刹が恐ろしい形相をして、行者をにらみつけていた。「今の偶を頌したのはあなたか」と

尋ねると、「そうだ」と答える。「後の半句を聞かせて頂けぬか」とたのむと、空腹で声

が出ないという。食物はというと「軟かな人の肉、温い人の血」という。布施を行ずる修

行者としては、他の人からこれを求むることは出来ない。「聞かせて頂いたら私の肉身を

さし上げます」羅刹は直ちに生滅々巳寂滅為楽と後の半句を頚した。修行者はこの全句

を岩や木に彫りつけてから衣を樹の枝にかけ、高い崖に登って翻然と竹林に身を投げた。

繩刹がいつの間にか帝釈天の姿にかえって、鯵行者の身を途中で抱きかかえていた。此の

ii

42 43

’ ものであり、法界衆生狂犬菩提の為めに文殊菩薩を念ずるは、一切の覚母にして明慈第一

の大士であるからである。

四奉請六為を以て行者の三業もととのい、入行の誓願も具備したので、ここに蕊を

散じつつ、聖衆を奉講するのである。奉請すること四度、此の故に四奉請というのである。

この文は五会法事讃に出ており、始めに十方仏を講するは証明主としてであり、次に釈迦

仏を鋼するは播過の教主、弥陀仏を讃するは引接主であるからである。賎後に観音勢至の

二菩薩を讃するは、共に弥陀浄土補処の薩埋であり、娑婆化導の誓願主であるからである。

散華をするは、道場を荘厳して華座を設くれば、道場たちまちに一切諸仏の浄土に変じ、

奉謂に応じて聖衆が不来にして来迎し給い、功徳を納受して行願を成滴せしめたまうから

修行者は釈尊の前身で、此の偶を施身聞偶といっている。

六為施主、国主、恩処、籾霊、神祇、衆生の為めに三宝に祈念する段で、何々の為

めにというのが六つあるから六為というのである。阿弥陀経の中に念仏念法念憎の句があ

るので、この経意に従うて作られた祈念とも見られるし、神分、霊分、祈願の三意が盛ら

れている点から見ると、法則の意を以て設けられたものと見るべきで、表白等をはさむ場

合、この六為をすませた後で読まれるのも、その為である。念仏に叡山三塔の本尊を正俊

未の順に連ね」られたは、正しく天台の特色を示したものというべきである。十方施主除災

患の為に釈迦仏を念ずるは、破有法王なるが故であり、皇帝陛下の増宝寿の為に薬師仏を

念ずるは、十二噸王であり、鎖国道場の本尊なるが故であり、三世四恩の人々が生極楽の

為めに阿弥陀仏を念ずろば、大悲願王であると共に、法華行者転生浄土の教主であるから

である。大師等成正覚の為めに法華経を念ずるは、如来秘要の奥蔵なる溌故であり、一切

神祇増威光の為めに般若経を念ずるは、智恵増進の経であると共に、六度摂収の意を示す

である。

甲念仏引声の作法には甲乙両様の念仏を唱えるが、短声は甲念仏のみになっている。

この作法が甲念仏のみを用うる所以である。甲乙は音様の高下に名けたもので、高音の念

45- 44

甲念仏法華倣法の後の十方念仏と同様、緩行終るが故に重ねて三句の念仏を諭して

結了を示し、本尊仏を敬礼する為めである。}」の経行結了について、道場や衆僧の多撫に

くべきである。

らざるもの」と申しており、或は慈覚大師が帰国の船中に於て弥陀三尊が顕現せられて成

就如是功徳荘厳の如是の読み方を教えられたので、ジョウシャと読むようになったとか、

或は慈覚大師が音痴の故に尺八を用いて阿弥陀経の音様を伝承して来『られたが、成就如是

に至って進まなくなったので、比叡山の常行堂の辰巳の扉にもたれていろいろと炊き悩

んでおられると、空中からャの音を加えよとのお告げがあったので、》ソョウシャとなった

などの伝説が古い書物に残されており、読み方に関する書物や考証なども数観あるが、前に

も申した通り、例熾の読み方は慈覚大師が大藤山の法華三味、五台山の常行一一一味として直

授相伝して来」られたもので、その時代に於けるそのままの読み方として、古来から尊重せ

られて来たものであるから、天台宗のみに伝わる独特の読み方と心得て、完全相承を心掛

仏という竃である。仏名を喝うるは仏を讃仰すると共に行道に入るための準備である。遜

仏行道は前にも申した通り、敬仏と衛護の二鵜がある。

いま仏号を喝うるにあたり、南無の一念発するとき、阿弥陀仏即時に行者の心中に入り

絵い、我身印弥陀となって、行者の三葉そのまま弥陀の一一一業と変現するから、凡夫の当体

に於て仏に親近し奉ることが、敬仏と術護の二錠を成就する}」とになるのである。始めの

一句に於て仏より同音するば、大衆の一人一人が仏名を三唱して、自行を修していること

を示しているので、この一一一唱は三鑑の本尊を唱うともいわれている。

経段阿弥陀経小阿弥陀経ともいつr羅什三蔵の訳するもので、往生浄土の要門が

説かれている。往生要築に「日々の説諭は小阿弥陀経に如かず」といっているように、古

来から日課として受持読諭せられている。此の例時作法の読み方は一種独特の読み方で「弥

陀親授の読み方」と申されている。即ち山門堂舎記には法照和尚が現身往生して親授せら

れて来たものを、慈覚大師が相伝せられて来たものであるから「師資の所承撒く掻くべか

47 4F

合穀合殺lかつきつ’は合せ了ずろ雲締めくくりすることである.もと瀧

楽より出た言葉で、雅楽の本には「穀は薩散楽終らんとする曲調を名けて合殺となす」

といっており、悉くを散じ了る為めに、曲調をうまく折り合す}」とをいうのである。従っ

て甲念仏の後に続いて合殺が設けられたことは、経行の終了を円澗ならしめて、行者がそ

の本座に復する為めに唱える念仏である。なお合殺の念仏の数が十一声とせられている点

について、百如の念仏口訣に、「始めの一声は南無の二字だけであったのを、後の人が脱

落したものと思いちがいして、南無の二字を除いて阿弥陀仏と入れたので、十声が正しい

のでないか」という恵味のことが述べられているが、合殺の性質からいって、ここに南無

を入れることは如何であろうか、研究を要することである。

回向功徳を自他に回施して、志願を満足せしむる為めに設けられた一段で、始め慈

よって、各自がその本座に復するには加減を要するので、甲念仏につづいて合殺が置かれ

ている。

党大師が設けられたのを、後世の人が次第に増句して今の全文になったと伝えられている。

最初の句の念仏前は念仏善とすべきであるとの説が多くの本に見えている。或本には念仏

者とせられていることより見て、念仏善が宜しいのでないかと思う。遷化大師は別しては

宗祖大師、総じては中国天台の列祖をも含めての先徳を指したものであり、本願聖盤は融

通念仏の祖師良忍上人を本願大師と呼ぷところから、上人の為に此の句が挿入せられたと

伝えられている。良忍上人は引声念仏を中興した人であり、例時作法を実鯵した第一人者

であるからであろう。

この行法を終るに当って回向を立つるは、密教行法の終りに随方回向があるのと同趣で、

顕密一致を宗是とせられた悪党大師の作意が窺われる一端であろう。

後唄経行を終了するに当り、亜ねて本尊を称讃する唄匿で、これを以て大綱第一段

の論経は終るのである。

初夜偶後唄の次に三札と七仏通戒偶があって、次にこの初夜偶が上げられているこ

48 49-

以て自他平等同利益の境地に至らしむるのである。神分を未来成仏の神祇として、この一一一

分を一一一世に配合した見方を立てている人もある・

大憾悔おおいさんげと読む。即ち題目の下に附けられている菩薩決定経の文、普為

四恩三有法界永除一一一陣礼仏戯悔の四句を小憧悔というに対して、大倣悔と名けられたので、

声明文句出処には、此の文は決定毘尼経に出ているといっている。文意は大別して憾悔と

発願の一一段になっており、始めの段に於ては無始以来の罪障を十方諸仏に織悔して、身心

を消浄にすると共に、次の段に於て、今日以後未来際を尽して普賢文殊等の諸薩達に値遇

し、恭敬供養し奉ることによって、転生往生の素懐を遂げんと発願するのである。然し毎

がら、総じてその内容を見るときは、熾悔、勧謂、随喜、回向、発願の五梅を具している

の電文は短かくもその内容は熾悔の意を尽しているのである。最後に乗仏子とある峰

行者自身を表現したもので、幟悔発願したのは私でありますと、改めて内省すると共に籾

逆することを自覚する為めの言葉で、乗の一宇に何も冠らせてないのは、行者に従い一乗、

とは、明かに第二段階に移った}」とを示すもので、黄昏の行事は前の後唄を以て一段落し

て、行者は休息に入り、初夜に至って改めて修行に入る。この為めに先づ三坂礼を鯵し、

更に七仏通戒偶を頌して此の初夜偶を頚するのである。此の偶は菩薩処胎経に出ているの

で、法華戯法の終りに示されている他の四時の偶(黄昏偶を除く)と共に善導大師が抄出

九声念仏法華憧法の兒願に当るもので、倣侮に入る前提として、本尊に敬虞の念を

運ぶのである。行者の一念はただ転生往生の一事にあるが故に、歎仏即求願となるので、

唱名念仏の一行に限って他念をさしはさまないのである。九声と限られたことは、九品の

弥陀を念ずる意であるといわれている。また、十念の式はこれより起るという説もある。

神分霊分祈願兒願の意を以て行ずる念仏の続きであるから、この三折が当然の

所作となるのである。即ち行法を随喜し行者を擁護し拾う神祇Eその戚光倍増を祈念し

て法施を奉り、先亡霊位の追福を祈り、現在有縁の武賎の人々のためにその福寿を祈り、

したものである。

-51- 5卜

可南干

念仏乗、金剛乗等、その身分に相応せしむる為めといわれている。

五念門礼拝、讃歎、作願、観察、回向の五門に渉って、七言八十八句の偶頌で綴ら

れており、作法の大綱第三段の礼拝が、即ちこの五念門である。学者の説によると、慈覚

大師の当初に於ては、今日の五念門の煩はその全部が揃えられていなかったのではないか

として種々その証左を示しているが、行者修行の上から見て、行法の最後に礼拝歎仏回

向の行儀が設けられていたことは疑う余地がない。五念門の作法はその形式に於て悪党大

師が創始せられたものであると思う。たF往生要集に「五門は往生の正因にして正修念仏

の一行は五念門より他なし」と示されていることから見て、念仏門の興隆に随うて、自然

に今の如くに完成せられたものであろう。

初めの句から願共衆生生彼国までの四句十二偶は礼拝門で、龍樹菩薩の願往生礼讃偶に

あるを用い、鳥蓋賦沙無見相より是故見者無厭足までは、如来の一一一十二相を説き、我今略

讃仏功徳より皆願速証菩提果に至る四句を加えて一一十行四十句を讃歎門とし、恵心僧都

の作とも、恵心僧都以前の作を恵心僧都が用いたともいわれている。彼国清浄無悪趣より

我誓不戌等正覚に至る二十六行五十二句は作願門で、此の頌は弥陀の四十八噸に総願の四

弘誓願を加えたものであるが、作者は誰であるか判っていない。願我臨欲命終時より最初

引摂結縁者に至る六行十二句は、四十華厳行願品に出で、要集の引接結縁楽に終りの四句

を訂正して用いられている。阿弥陀仏真金色より週遊一切衆生界に至る六行十二句は観察

門で、此の内上の八句は択瑛の浄土修証義中の讃仏偶、下の四句は龍樹の讃といわれてい

る。以此礼讃仏功徳荘厳法界諸有情臨終悉願性西方共韻弥陀戒仏道の句は回向門で、

この偶の出所は不明と伝えられているが、或は慈覚大師の作ではないであろうか、礼仏し

てこの作法を終らんとするとき、当然に示される行者の意志であり、行法終結の常套であ

るからである。願共譜衆生往生安楽国願共諸衆生値遇弥陀尊は微音でこれを唱える

ことになっているが、文意は回向門の延長であり、回向の意を重ねて頌するところに、行

者の一一一心が透徹して、所行の三昧を発得して、行願満足となるのである。五念門の題目の

5器-53-

一般寺院に於ける一般法要としては、顕教の法要に於ては、法華一二味と常行一一一味が主と

して用いられ、密教法要としては、光明供が多く鯵せられている。葬式の場合、施餓鬼の

場合、すべて先づ光明供を徳し、その後で葬送の作法なり、施餓鬼の作法が行われている

から、光明供といえば、行記は飾り物のようにして、スラスラと鯵法しておられるのを見

うける。ありがたいことである。前段に於て例織の組織なり、内容なりを説明したから、

今段は光明供について少しく解説を加えて見よう。供というのは伝供のことを意味するの

であるが、普通には行われていないから、正直にいうと、光明真一》ロ法というのが、適当で

下に用否随意と示きれているのは、声明例時(御織法講に用う)の時の注意で、日常の晩

課には必ず最後まで修法せなければならない。なお、例時作法に、法華憾法の如く回向の

段が設けられていないのは、此の五念門の簸後に回向門があるからである。

光明供解説

55- 54 凸

’ 光明供作法は十八道に準じて作られている。十八道というのは、十八仏印契(いんか巴

を用いて行う作法で十八契印ともいわれているが、別に根拠となるお経や儀軌があるの

でなく、蘇悉地の略行で、蕊悉地経や蘇悉地の儀軌等を以て、本疏とせられると伝えられ

ている。その上、この行用は、東寺では弘法大師が作られたといい、台門では道海和尚の

作といわれているが、十八道間書によると、伝教大師が入唐の際、順暁阿閣梨から授って

}」られたという説と、弘法大師が入唐の際、恵果阿聞梨から伝えられたという説があるし、

更に、慈覚大師の在唐目録の中に、十八契印一巻というのが見えるから、慈覚大師が将来

せられたもので、日本で作られたものでないという説があると述べられている。これらの

正しいことは学者の研究にまかせるとして、この十八道は如意輪瑞伽法要と、無量寿儀軌

の中から、肝要の印明を取り集めて作られたものであり、此の印明の本源は、蘇悉地経、

金剛項経にあるのであるから、誰が合せ作るとも、その中には作者の私的な意見も言葉も

加えられていない、仏意による純粋の密教作法であり、弘法大師作というとも、道海和尚

ある。

凡そ密教に於ける一尊法の修法には、十八道立、胎蔵界立、金剛界立の三種がある。

|尊法というのは、定められた一本尊に対して供養を行い、祈願を運ぶ作法のことであ

り、何々立というのは、四度加行の時に鯵した十八道なり、胎蔵界、金剛界の行記に準じ

て組み立てられた行用次第ということである。行用というのは密教の秘伝や口決を記し

た修行の要用ということで、実際に行う作法が次第して瞥かれているから次第ともいって

いる・始めの頃は修法の順序なり、作法なり、心得なりを、師匠から資弟に口授直伝して

いたが、年月を経るに従い、阿閣梨の意楽がその中に加味せられて自然に何々流という

のが生れ、天台密教だけでも十三流といわれるようになった。そして作法や心得を間違わ

ないようにというので、記録して伝えられるようになった。口授直伝せなければならない

のを、私に記録したというので私記ともいっており、行記、行用、次第、私記、いい方に

異りはあるが、何れも修法の次第書であり、作法の定本である。

-57- 56-■

’ 光明供は大日如来または阿弥陀如来を本尊として、光明真言を念鋪する法会である。光

明真言は、不空網索毘虚遮那仏大瀧頂光真言経に出ている陀羅尼で、この陀羅尼即ち真言

を調するときは、仏の光明を得て諸の罪報を除くから、光明真言というのである。この真

言が轡かれている塔婆に触れた風にあっても、現在世に於てはあらゆる一切の罪報を除き、

災厄を逃れ、成仏の直因となるといわれたり、此の真言の書かれていた塔婆が腐朽して、

その破片が墓の土に混りこんだ功徳によって、極重悪人が成仏したことなどが、光明真言

金壷集やその他の本に書かれている。また、.大瀦項光真言経には、十悪五逆の篭罪を犯し

た者でも、光明真言によって加持せられた土砂を、その屍体か墓所に散じてやると、その

作というとも、台密で行うことに少しの矛盾もないし、台密なるが故にこそ、十八道作法

を行う自信と誇りを待つべきであると申されている。前にも申した通り、両部不二の立場

にある蘇悉地の賂法であり、胎金両部に通ずる作法であるから、台密の本領ともいうべき

人が罪の報いによって、四趣の悪道に堕して苦しんでいようとも、毘慮遮那如来の本願に

より光明真言の威神力に救けられてp直ちに西方極楽世界に生れかわり、再び悪趣に堕す

ることはないと説かれており、追薦回向や施餓鬼や葬送の際に、光明供を峰するのは、全

くこのお経に基くのである。

光明供作法は、大きく分けて前方便と正耀作法の二段になり、正確作法に於て七段に分

けて組み立てられている。

|前方便

二正徳作法

であろう。

4鍵蕃魏唾分

3成身分

1行願分

2三摩耶分

58 5坐

’ 7三摩波多分

前方便前方便というのは、祈願の作法を鯵するための準備行為で、修法者の身心を調えたり、

道場を荘厳したり、仏前の供物を加持したりする作法をいうのである。

蔚衣加持衣とは袈裟のことである。素絹や抱裳は如何に立派であっても、それは寒

磐を調節加減するための糞掃衣であって、その上に着する袈裟が仏教を信奉する者の象徴

であり、其の衣なのである。一」の大切な袈裟を着することによって、始めて修法者の威儀

が調うのであるから、不著の間に於ける穫触を払うために、加持して清浄ならしめた上で

着用する、これが此の作法である。修行の要諦は身心の調整を以て基本とするが、衣服を

整えることは、心と威儀を厳粛ならしひる肝要噸であるから、清楚で折目ただしい物を身

につけることが大切である。禅宗の僧がいつ如何なる時でも、袈裟をつける時、個頌を唱

發身法護身法は、身口意一一一業を消浄にすることによって、自らその行いを正すと共

に、更に化他のために金剛の甲惚を被て、渚魔の群る中に活肋する行駿を示すもので始

めの浄三業は身口意一一一乗を総体的に禰浄ならしむる為に修するのである。印は印契、印相

契印ともいって、指の先にて樋々の形をなし、以て法徳の標識となすもので、火徳を標ず

るために火印を結び、水徳を標じて水印を結ぶなどがその例である。契は契約不改の義で、

偽りのないことを証明するので契というのである。仏在世の剛り、僧団の庫蔵に賊が入り、

畜えられていた物を盗み去ったので、仏が命じて錨石赤銅などで印を作らせて、蔵物に押

捺せしめられた。公物は転法輪の印、私物は骨鎖の像か燗鰡の形を刻ませられた。中国や

日本で印形を用うるのはこれを範としたのである。

印を結ぶのを一一一味耶形といって、自分の意志を標じ、仏身を標じ、其富の意を標ずるの

たいものである。

え祈念をこめてから、鄭重に着用しているのは尊いことで、僧たるものすべてが斯くあり

5供養分

6作業分

…品

61 6ト

! 戸

その功徳衆によって真言行者が加持護念せられて、身業清浄になると共に罪業が消滅し、

福恵が増長するのである。

蓮華部三昧耶はロ業清浄のために菩薩部の聖衆来集して行者を加持したもうので、部主

観自在菩薩の如く、弁才無碍、説法自在なることを得るのである。

金剛部三味耶は、印明を結論することによって金剛蔵菩薩並に金剛部の聖衆が悉く来集

して、行者を加持し、意業を清浄ならしめ、一一一味を現前して速かに解脱を得るのである。

簸後の被甲護身は、自行を満じて化他に赴くために、身に甲冑を被て群衆の中に入り、

一切の有摺と結縁して猪の天魔破旬を除き、意業清浄なることを得しめ、菩提心を証して

速かに一]一味現前して、解説を得ることになるのである。此の印明で身の五処を印するのは、

五処が身中躍要の処であるからである。

門前漉浄護身法によって行者の三業を清浄ならしめたが、更に諸仏諸菩薩の在す境

界に進入するために、行者が稲集した塵垢を除く意を以て、門前に設けられた瓶所に至り、

で、密教の修法では最も大切なものである。三昧耶形を成ずることによって行者、仏、真

言が一時に顕現するのである。或る時一体和尚が高野山に登り、お寺の僧に指でいろいろ

の仕草をして、それが何の役に立つのかと野次ったことがある。その時お寺の僧はそれに

返答をせず、暫くして食事を上げるからと厨房へ案内した。廊下の途中で右手を挙げ無言

でその手を前へ押す様に動かした。一体和尚はその場に立ち止った。お寺の僧は一人で厨房

に入り、再び入口に姿を見せて、今度は右手を挙げて招いた。一体和尚は直ちに行動を起

して厨房へ入って来た。お寺の僧は一体和尚に印相の功能は判りましたかと尋ねたので、

一体和尚も前言を詫びたという話がある。印を結ぶことによって、行者と仏とが意を通じ、

真言の功能が発揚せられるのである。

話を本筋に戻して、浄三業の次に三部三昧耶を鯵して、身ロ意一一一業を各別に荊浄ならし

めるように祈念するのである。

仏部三昧耶は印を結び、明を舗することによって諸仏因位の時に発された本誓を集め、

’ I I 63-- 62

’ Q

倣悔は過去の垢塵を払うて身心を禰浄ならしめる般勝の方法で、如何なる重罪も倣悔することによって、朝日に照された籍のように消え失せるとせられている。戯悔には凡そ一一一つの方法がある。その一は、事の倣悔で、これは畏敬する尊者に対して、過去の罪業をありのままに申し述べるのである。第二は作法の倣悔、これは仏前に於て深く三宝に帰依し、華を散じ香を焼き、礼拝を致して、戯悔し怖畏し精進する心境を示すのである。第一二は理の織悔、これは心に無生の理を槻じて罪福無主と悟るのである。今の法に於ける憾悔は作法の倣悔で、倣悔文を唱えることによって搬悔と糟進の心を発し、更に瀞一一一業の印明を繕鋪することに依て、身心を即坐に消浄ならしめるのである。倣悔の文は、一切の有情は本来消浄なれども、業煩悩のために覆蔽せられて真理を悟ることが出来なかった。この故に

法上に是非必要であることを申して置きたい。

繊悔罪障礼盤に到着したなれば直ちに長聡合準して我従過去世等の倣悔の文を黙鮒する。 印明を用いて瓶水を加持して自身に酒ぎ、象香の香煙に身を蕪じて、内外共に滑浄ならし

めるのである。象香は道場の入口に設け、これを跨ぐことによって悪業の臭穰を蔽い、戒

の香を馥郁たらしめるのが本意であるが、出入の便をはかって門前瓶の下に置かれている

ので、跨ぐ葱を以て右、左と順次に足をかざすようにするのである。

弾指弾指は修行者が道場に入る合図として、道場内に入定し絵う諸仏諸菩薩を驚覚

し奉る為めに行うので、他人の室の入口の扉を開く礼儀としてノックしたり慾言葉をかけた

りするのと同じ意である。

入堂人間世界(分段の生死)を離れて、仏の世界(無為の報土)に移入する。入堂

とは即ち此の意であることを修行者は心得ねばならない。然しながら以上の作法は、修法

者が自行のために行う観念と化儀で、参詣者がある本堂とか、或は在家の仏間等に於て行

う鰯合は、作法通りに行うことが出来ないと思うが、これは慨況に於て化般を略すること

で止むを得ない。ただ憾法者がこの観念のもとに入堂し仏前に到ることは、これからの鯵

65- 64

I ●

ロ〈今修する一一一密の加持によって、自他共に澗浄なることを得たと観察する旨を述べるので

蕪ずるがよい。

ある。

礼仏光明供の本尊は大日如来であるから、普通には南無帰命頂礼摩訶毘虚選那如来

と唱えて、五体投地礼を一二度行うのであるが、鯵法の道場の本尊が阿陀弥如来である場合

は、南無西方極楽世界教主阿弥陀如来と唱えて差支えない。また礼盤のある場合には礼盤

に両手と額をつけて礼拝してもよろしい。ただ、密法に於ける礼拝には柄香炉を執ら鞍い

のが普通で浄三業の印明が終るとそのまま礼拝に移るのである。一部には柄香炉を待っ

て礼拝してもよろしいと許されている流派もあり、柄香炉を持つことが絶対に異法とはい

えないが、浄一一一業の印明を終えてから改めて柄香炉を執らねばならないので、威儀をくず

さないように心掛けねばならない。

着座礼盤に登る時、左向きになって右足を膝から礼盤につけるように坐しながら腰

駐下ろし次で左足を右のももの上に乗せ、礼盤の前の方を右手で持って身体を本尊の方へ向け

る。如何なる場所も膚が触れないように衣で隔てるようにする。別鉄坐は不動の姿勢で一一一

味に入り易く、不動安坐の故に摩障がないのである。この着坐についても、正修作法第一

分の五大願が終るまで平坐して行う流派もあるが、化他の場合、唱礼等は坐礼を行うから、

始めから銅坐するのが普通になっている。

塗香塗手、焼香等香を身に塗るのは肉身の不浄を除いて戒を証得するので、本式に

は沈香や白摘の粉末を水にとかして全身に塗るのであるが、印度の如く裸身に限り、普通

はその想いを以て胸、左肩、右肩と香を振りかける化駿を行い、両拳に塗った上で胸の前

で両掌を左右に引いて香を塗る作法とするのである。火舎や柄香炉に焼香するのは、香は

不浄を浄め、機れを離れしめる功徳があるから、臭獲の気臭を本尊や譜尊にかけいように

と薦ずるのであるから、煙りさえ立てばよいというのでなく、出来るだけ匂いの高い香を

行紀を開いたり、酒水器の蓋を除いたり、六器の塗香を盛ったり、盤のパイを用恵した

’ ;

IC

66--67

加持供物仏前に献ぜ」られている供物を穫そうとしている鬼類を除くために、三股杵

を以て垢犠を除く功能を持っている兇を翻しながら、供物を加持するのである。

金剛盤には一一一楓の杵が置かれている。このうち、五股、一一一股の両杵は共に金剛部の所縁であるから加持牒除に用い、独股杵は一縁一境に住して念調するに相応する用具であり、

五股杵は金剛薩睡の威腰を示す具であるから振鈴の時に用いるのである。

拍掌拍蛾には騨除と歓響の両羅が持たれている。雄を柏?」とによって群腿を辞除

するし、除くことに鱸よって諸仏が欲害し袷うからである。拍轍は一一一度これを行うが拍音を

.調整する意を以て始めの一一度は化儀を以て示し、最後の一拍に音を立てるのである。何故

に一一一度するかというと、煩悩業苦の一一一陣を除くとも、或は諸仏諸菩薩諸天の一二部諸尊を露

し奉るためとも説かれている。

弾指邪をして正に帰らせる意を以て、これを行うのであるが、これにも三棚の搬式

があ愚。即ち、前方便の時は拳の面を下に向け、施食の時は拳の面を左に向け、発避の時

水を自身に三鹿、

つ酒ぐのである。

りなど、修法に入る準備を調える。密法修行の際は聾よりも打叫しを用いるのがよい。

加持香水乖茶利明を翻しながら、五股または三股の杵を以て栖水器にある香水を加

持する。ランバンと附するのはランは空、パンは仮であり、阿密利帝は中であるから、空

仮中の三槻を以て加持することによって、香水は実相中道不老不死の妙薬となり、この甘

露中道の智水を酒ぐことによって、本有の功徳を成就するのである。

瀧浄昨発咄と唱えつつ散杖を以て香水を三度右旗する。この兇は障魔を破壊する鍵

を待っているので、この兇を加えることによって甘鑑水は除障の功能を加味する、この香

水を自身に一一一鹿、埋上に一一一度、供物に三度、道場の東北隅より順次に囚維、四方に一庇づ

流派によってば軍茶利明に咋発妬を附して加持し、ランバンと唱えつつ散杖にて香水を

三度左右旗した後に酒ぐなどの法もあるが、要はこの香水を酒ぐことに.よって一切が柑住

不変に転化することを証得するのである。

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69-68-

は上方に向けるのである。前方便は供物の加持であり、施食は邪を弾く意でありP発遺は

諸天みな天上に在すが故に上に向うのである。

去垢、滑浄、光沢この三柧の印明は、仏前の供物諸物を加持して妙供とならしめ、

光沢あらしめるためであるが、憾法者自身に於ても、去垢の印明で塵垢を除き、消浄の印

明で潔浄ならしめ、光沢の印明で切瑳琢磨する義を現わすとせられている。

以上で前方便を終えたのである。正修作法に入る前の準備行為はこれが完了したので、

ここで改めて加持を発揚して祈願が成就するように祈念を擬すのである。

なお、行記には示されていないが、阿闇梨の意楽を以て加持香水に入る前に、改めて護

身法を結ぶことも差支えなく、このために今までの動から静に移る心の安定が得られる。

正悠作法前方便を催してすべての準備が完了したので、これからいよいよ正修作法に入るのであ

るが、正修作法というのは、修法の道場を荘厳して本尊を迎え、供養をした上で祈願を運

ぶ、光明供作法の本筋の全体をいうので、始めから終りまでを

㈹三頤披多分

の七段階に組識せられている。専問語でいうからむつかしく聞えるので、私どもが或る

人に、助力を依頼せなければならないことができたとして、その人を自分の宅に招いた時

に行う所作であると考えて、筋の運びを見ていただくと、順序なり、気持なりが気易く呑

みこんで頂けるのでないかと思う、即ち、そのようなお客を招待するとなると、先.つもっ

てその人にお越し下さるように依頼せなければならない(行願分)次に先方が来ることを

⑤供養分

㈹作業分

凹曼茶羅分

口成身分

pH 三行味願耶分分 I …

霜…

-71- 7卜

志0

本尊大日如来(阿弥陀如来)及び本尊を中心として展開せられる。愛茶羅の諸尊聖衆に

対して、願意を告げると共に、冥助擁護を垂れて所願を満足せしめられるように、行者の

意楽を薦めるのが本分の梗概で、敬白、供養分、唱礼、聴覚、九方便、金剛給陀羅尼、発

願、五大願の順序をもって、組み立てられている。

敬白敬白は

承諾してくれたとすると、改めて自舟の腹を決め(三昧耶分と成身分)客室を美くしく調

えた上で、迎えの車を先方へ差向けて、その車でお客を謂じ入れる(愛茶羅分)主客の座

が定まると、茶菓や料理を出してお客を持戒した上で(供養分)さて今日お出でを願いま

したのは、斯くの雛でありましてと、依頼の筋を詳しく話してお願いをする(作業分)お

客が願いの儀藍承引してくれると、ありがとうご座いました。お帰りを願う前に改めて一

献をと、供養をささげた上で、車をもってお送りする(三摩披多分)客室の後かたづけを

して、よかった、よかったと、関係者一同が感謝を致しあう(後の法楽)これですべてが

修了するのであるが、この願いをする相手が、大日如来または阿弥陀如来で、願いの筋が

謹魂の得脱冥福をお祈りする為に行われるのが光明供の正修作法であると、一通りの段ど

りを胸におさめておいて、次の解説を見て頂くと、全体の組織や、一つ一つの根本的な意

鍵を、たやすく理解して頂けるのではないかと思うのである。

ィ始めに願意を運ぶ相一子となる本尊を始め、諸尊聖衆を表しつつ呼びかけ

ロ次にこの法を艦する潅趣を被蝿し

ハ更に本軟を敵じて、本誓に繩る旨を明かにし

一一終りに随意の所願を附する

n行願分

111

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-73- 72-

【1

敬白を捧げるにはへ先づ珠数と五杵(または三杵)を執って鳴馨一下、次に柄香炉を執

って鳴磐一下して、これを唱えるのであるが、珠数と杵を持つことは、行者の威儀を整え

るのであり、香炉を持つのは、それより立ち上る香煙が、法界に遍満する際、行者の言音

夕〃チリニレ

ニ心血ケノ

品今内はり寸叩

亦生者必滅処・誠是生々世々難受人界生在々処々難値仏陀教也就中

ログ

サノリ

ク九プ

レし

光明真一富者大日遍照光明照一一一一一界昏簡闇一秘密真言智水洗二六道轄廻垢一震以一週講

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曲レ

ノ二

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満之功力勝一一百億無量諦経一神四几一座勤修者等二万億無数諸仏菩薩供一足即衆善最

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頂功徳無極滅罪生善秘術何事如之手結二秘契一口調二密語一此是大、ロ自然惣持称

レレ

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陀法爾之神、几即身頓証直道現生得益之妙門也所仰者大日能説之経文所期者弥陀

ナリ

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レレ

能引之誓願世金言有悪仏語無疑一一一{玉悉知證見

鈩甸1

次神分、霊分、祈句すべて通例の通り。但し、敬白の読み方には古来の慣例がある・鷲一

嶺三明覚月(しゆれい、さ―んみようのかくげつ)功力(くりき)金言(きんげん)等の加

.きがそれである。

祈願

と次第するのが作法となっている。一文を掲げて例示とするから、上述の各項に当ては

めつつ、文意を分析、解了して頂きたい。

Ⅲ?ムナ

謹敬白真言教主・理智不一一深妙法身砒慮遮那仏。一代教主釈迦善逝・西方化主弥陀

二|ムハ

種覚・十方一一一世諸仏世尊・光明真言甚深秘蔵・’一一部五部諸尊聖衆・惣仏眼所照微塵刹土

〃二勺夕。’千十

『←咄?ノーシ

一一一宝境界一言方今於南閻浮州大日本国・某国某所新円寂某甲当一一閉眼刻一修二不空大

一一JワヘゾラL

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トヂ』式し

瀧頂法一調二葬送儀則一折》聖霊出離生死・頓證菩提妙果一事其】曰趣如何者夫真言惣

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持秘蔵者法身如来究寛奥旨・底下凡夫頓證径路也然者則鷲嶺一一一明覚月・早隠・

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一一千余年之霧一・龍猛一一一部智水・遥隔豐五濁乱漫之浪凡娑婆是会者定離境分段

神分

霊分

このような順序で四段に立てるのが古来の形式であり、随意の祈願は、

74

I して、仏名を唱えては五体投地の礼を作するのが本式であるが、常には坐ながら杵を金剛

蛾に挾み、仏名を唱える毎に頭面礼(投地礼拝を連想しつつ、上体を前に曲げる)を行う。

但し胎、金両法の時は愛茶羅主のみは一二礼するのが例であるが、十八道立の場合は、法報

応の一一一身を喝礼するので、このことは略されることが多い。若し唱礼の中に南黛大愛茶羅

主云々の段があれば、その段を一二礼するとよいのである。

髄覚諸仏は常に入定し袷うが故に、先づもってその本擦悲願を驚覚し奉り、然る後

に鯵法に入るので、三昧を出で給えと乞う段である。本式に行うときは、下座のま、、長

脆の姿勢で作法するのである。

九万便胎蔵界九方便、または金剛界五梅を用いるのであるが、その一段毎に印を結ん

で偽と仏名を唱え、仏足を礼する意をもって頭面礼を行うのであるが、これも本式に行う

時は、右膝着地して偶及び仏名を唱え、その都度投地礼を行うのである。

金剛輪陀羅尼この真一一一臣は、妄念を起して法則を錯誤したり、行中に曲伸鵬仰等を行

がこの香煙に随うて、十方の仏土に至るからで、般勝王経の仏説に従うた所作である。

また、期間連座修法の時は、開閥のみに敬白を用い、次の座からは之を略して、神分、

霊分、祈願のみを唱える慣しになっているが、一座修法の時は、敬白を略することはない

から、注恵が肝要である。

供養分これは法華慨法にある供養文と同じもので観仏一二昧経の文であるが、総礼一一一

宝、総供養の意をもって、唐土の式に従うて加えられたもので、顕密には関りないもので

ある。従ってその儀式に於ても同じである。

常の式には左手に柄香炉と杵とを持って、これを喝うのであるが、若し本式に行う場合

は、行者は坦を下りて起立合掌して、一切敬恭敬礼常住一一一宝と唱え、己って三度礼拝し

た後、香を焼き、花を散じ、右膝著地して香炉を執り、是諸衆等以下の文を唱えるのであ

る゜

唱礼三宝総礼供養に次で、|仏一理各々に唱名礼拝するので、下坦のま、起立合拳

ⅡIし

’ -77- 7←

がある。これは、四弘誓願は菩薩の総願で、顕密にかかわらず、如何なる場合にも当然果

さねばならない願いであるが、密教作法に於て特に五大願を用うることは、四弘醤願と五

大願とはその趣旨に於て同一であるという立場に於て本尊の五智の顕現に預って、化度の

目的を達せんが為である。即ち、始めの衆生無辺誓願度は大円鏡智の功能に頂る、この智

は普く有為無為の諸法を現じて、能く自他の大菩提心を発さしめるから、この鏡智に於て、

衆生の実体を見ることによって大誓願を発し、衆生を化度するのである。福智無辺誓願蕊

は平等性智の功能に預る、平等性智は能執所執ともに、その性平等なりと悟る智であるか

ら、この性智をもって、一切衆生の五住の煩悩は仏地の福徳宝蔵なるが故に、惑即解脱と

悟ると共に、これを修習するのである。第三の法門無辺(無尽)誓願学は、妙観察地の功

徳に頂る。この智は一切の法門を観察して、大会の中に於て妙法輪を転ずる功能があるか

ら、この智に於て法門を照し悟り、修学するのである。第四の如来無辺誓願事は成所作智

の功能に頂る。この智は一には諸仏を供養し、二つには衆生を利益する事業に於て功能が

うて三醗耶を犯した時、これを消除する功能があるので、それらの意をもって鴫ぅのであ

るが、補欠分の功能が有るので、略法の時には、三度これを唱えて、供養文、唱礼、九方

便の代りとすることが許されている。従ってこの真言は顕密に拘らず、法儀を修行した際

にはその最後に緒印舗明して捕欠分とするが宜しく、法華経を説諭した時など、一巻を終

る毎に、この真言を鋪しながら転経すると、誤読や欠語の罪を補うて其の功徳を頂くこと

になるのである。

発願敬白の際と同じ作法で、珠数、杵、香炉を執って之を唱えるのであるが、随意

別願であるから、過去聖霊、頓証菩提護持施主罪障消除家内安全息災延命など、

時に臨んで祈願の意趣を表するのがよいと思う。

五大願前の発願はこの修法のみの別願であり、|」の五大願は、密教行者としての総

願である。身俄は前の通りであるから、発願につづけてこれを唱うのであるが、この総願

につづいて、顕教法要の場合は四弘誓願を用い、密教法要には五大願を用えることの相違

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78 79-

■M睡偶田]評Ⅱ『jnMnN司刮uu刑

第二の一一一摩耶分は、護身法の一一一部一一一摩耶であり、すべては始めに説明した通りであるが、

ここに於て一一一部三摩耶を修することは、一一一道(煩悩、業、苦)を転じて一一一徳(法身、般若、解脱)を成ぜしめ、凡身のまま仏位に坐して、本尊に対応する化儀を作すのである。

もぁる。また、以上の説明によっても判るように、行願分の間は、或は上坦座修、下坦礼

拝など、身儀所作に於て区々であるから、これらの所作を省略して、すべてを坦上着座の

まま惨法するとも、省略の意を明かにするために、坦上に在っても、五大願が終るまで鋤

坐せず、平座を以て鯵法する流派も出来たのであって、それの是非を論ずるには及ばない

のである。但し平座修怯の場合は、ここに於て改めて結珈跣座するのであり、始めから跣

座している場合は、塗香塗手して威儀を調え直した意味を示すのである。

あるから、}」の功能に預って、|は如来に事え、|は衆生に利益するのである。第五の無

上菩提誓願成は法界体性智の功能に預る。この智は上の四智を総ぺて以て体性とする。菩

提とはこの体性をいうのであるから、この智によって極果を照了し惨証し得るのである。

四弘誓願は苦集の因果に於て誓願を発すのであって、感応同交することによって求願を

満足させるのであるから、専ら本尊の本誓に従うので、その点を密教的に解了し運心する

のであるから、本質に於て相違はないのである。ただ私どもの修行の主眼である断煩悩の

ことが、五大願に見られないのであるが、これは、如来の五智は共に照了の功徳があるか

ら、|智即一切智で、照了即断煩悩となるからである。

以上で第一の行願分が終るのであるが、行願分を修する一」とによって、行者自身に於て

も、本尊に於ても、修するところの本願が明瞭になり、願う行者も、受ける本尊も、共に

一つの目標に全力を集中して、功徳を成満する課程に入るのである。それであるから、密

教書の中には、この行願分も正行に入る前の準備なりとして、前方便に見立てているもの

ロ三摩耶分

『』』却凹0.

81 8ト

曼茶羅分は大別して、道場の結界(地結と金剛輔)道場の荘厳電場観から普通供)本

尊の勧請(振鈴から迎請まで)道場の結護(辞除から火院まで)の四段に組織立てられて

道場を設けて本尊を招請する。これを愛茶羅を成就するというのであるが、前にも申し

た通り、客間を荘厳して客人を招き入れ、主客相対して座を占めるまでの作法と心得て見

ていただくと会得し易い。但し、この愛茶羅の立て方にも、いろいろの説があるが、今は

十八道私記の立て方に従うての組み立てであるから、その線に立ってこれを見ることにす

る。 被甲護身第一一一の戒身分は護身法の被甲護身で、ここに於て被甲護身を催することは、

一切の悉地を成満する意趣で、正行に入るについての身心の調熟である。

なおこれは光明供のことではないが、十八道に於ける十八契印を数うろ鳩合は、この一一一

味耶分の仏部三昧耶の契印を第一印とするのである。

三種悉地印明本法の大儀を円満成就せしめる為に、特に加修するもので、この法を

修することによって、行者に法報応三身の徳が備り、成身具足して世出世間の悉地を円

満ならしめるのである。

但し、この成身分は法に依て異りがある、即ち、今の法は十八道立てによる略法である

から、被甲護身を以て成身分とし、この上更に鳥謹娑摩儀軌によって、本尊の印明を加修

(法曼流)したもので、流派によっては、金剛鵯の印明を結諦して成身分とするのもあり、

一般には被甲護身だけで差支えないのである。

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曰成身分

倒曼茶羅分

83 ‐I佛

8歩

自然に現前すると赴く膳、行者の未来成仏の国土ともなるので、この道場観こそ、悠法達成

を左右する第一条件となるのである。

如来拳印行者の三昧力が未熟のために、運心送想か、或は不思鍍の境界に至らない

かも知れないので、更に如来の加被力を仰いで道場観を満足させるために、この印明を

繕調するので、この印明加持の功徳によって、所居の道場が直ちに常寂光土に変じ、諸仏

聖衆が快く集会し蛤うことになるのである。

三力偶仏教の宗教的理念を示す根本義で、一切の法は、自ら鯵する功徳と、仏の加

被力と、法界の助縁力と、この一一一つの力が冥〈回せなければ、成就せないのであるから、こ

の場合に於ても、修法を成就せしめる為に一一一力を冥合せしめるのである。巻お、この一一一力

偶は、前の道場観に真一一一百がないから、それを補う意味に於て唱えるともいわれている・偶

は真言に通ずるの意で、唱えることは、真言を論するのと同じ功徳を発すからである。

普通供養道場観や一一一力偲は、ともに行者の自作自念で、その成否の程もはっきりし

先づ、始めの道場の結界に於て、

地結印を結んで大地を型つのであるが、これは道墹を建立するために地がためをす

る作法で一切の不浄を焼き払い、地界を竪固にすることによって、大愛茶羅を成就する

のに相応するので、これによって修法の道場が成立するのである。

金剛鱈これは道場の周囲を結界する作法で、}」の印明を結調することによって、道

場の周囲に火焔を立てる鏑(かき)を作り、}」の聴によって外部から魔障が道場に浸入し

て、修法を妨げない}」とになるのである。

斯くて道場が定ったので、これから本尊を迎えるために、道場の内部を荘厳するのであ

道塙観躯の道場に、理の道場を冥合せしめて、本尊常住の蓮華蔵世界を顕現せしめ

るのである。行者の心作心是直ちに本尊不思議の境界に至り、諸仏聖衆集会し給う光景が

る。

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85- 84

るょぅに、握りたるま、その化般を示す方がよいようである。

また左手の鈴の持ち方であるが、流派によっては風指を中央の頂点にかけるが、中央は

大日如来の法界体性智を表じているのであるから、畏敬して他の鈷の一にかけるように心

得る方がよい。風指をかけることは、声は風によって出るからである・

送車轄調軍籍本尊並に聖衆を奉迎のために、乗って頂く車を本尊の世界に遣わす

作法が送車輔であり、本尊、聖衆が乗駕せられて、道場に釆至し給う作法が譜車輪である伺

われわれの社会に於ても、賓客を招待するとき、お迎えの車を差向けるのと同じである。

車轄というのは、至上の位に在る人が乗る車の特別名称で七宝金剛を以て荘厳せられ、

空中を電光よりも速かに走るのである。

迎請聖請車鵜を鯵すると同時に車が道場の空中に到着して、本尊は行者が招請す

るのを待っておられるので、引つづきこの法を徳してお招き申上げるのである。本尊は真

言と印の加持力によって、本誓を発揮し絵い、直ちに道場の中に聖衆と共に来襲して、護

ないので、麓に駆れてこの結論を行うて、さきの道場観を成就せしめるのである。この印

は虚空蔵の印で、瀞く通じて供養する功能を持っているので、特にこれを結調して、その

加持を仰ぐことに依って、福徳智恵を具足せしめて、本尊等にささげる諸削の供物のすべ

てが真実となり、広大な供養となるのである。普通という二百葉は「ありきたり」というの

でなく、「一切を平等に通じて広く」という意味である。

振鈴この作法は、不空縞索経その他に示されている招請法で、初鈴九度のうち、始

めの五度は本尊を驚覚し奉り、次の二度は招調、終りの二度ば声性の寂定を示すもので、

これによって音声仏事の化儀が成就して、本尊及び聖衆がその本誓に従うて、来至し給う

用意を調えられるのである。

この振鈴の時、その前に右の手に五杵鈷を持って右の乳の上に置くのであるが、杵を握

った掌を上に仰けて、右へ三返転旗した後、長声のウンを唱えながら、一一一度上方へ櫛げ上

げる作法があり、流派によって実際に櫛げ上げているのもあるが、これは一般に行うてい

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87 86-

■ 金剛網従魔を辞除し、本尊、聖衆の安坐を得たので、ここで本尊等が来入せられた

入口即ち上の方に網を張ってこれを閉鎖し、道場の四方上下を厳重に結界するのである。

これは修法に専念するためで、この結界によって道場の中は、拝まれる仏と拝む行者とそ

の助兒者など、即ち修法関係者のみで、関係のないものは誰一人居らないことになるので、

心行くばかりに祈願を運ぶことが出来るのである。

上方に網を張ることは浄土を荘厳する作法の一つで、阿弥陀経に七宝羅網といっている

のは、このことを申されたのである。

火院天井を金剛網で蕊うて道場を密閉したが、更に天魔外道が道場に近づいて、陣

けの座に安住し給うのである。

辞除従魔以上で本尊や聖衆を勧請し終ったのであるが、勧請し奉るときに、いつも

魔界衆が附随して来るので、この麗界衆を辞除しておかないと、或は障碍を生ずる怖れも

あるので}」の法を惨するのである。牌除とはのぞくということで、何故にこのようなこと

をするかというと、仏に魔が従うことは自然法爾のありさまで、善悪合住の現実社会に於

て、迷悟一体、善悪不二を示される為である。従って一」の辞除従魔の作法は、魔そのもの

を払うことよりも、自分に震蔵する悪心を転じて、仏菩提に廻入する}」とを意味している

人もあるようであるが、これは既に招き奉った本尊が、辞除の印明によって腰を挙げよう

となさるのを、「あなたに申したのでありません、あなたは動かないで、藩ついていて下さ

とと押し止める作法で、「どうか、どうか」という意を以て、作法を行えばよいのであ

る。 示一一一昧耶従魔を去らしめようとする行者の所作は、善悪不二の立場に立たれる本尊

としては、堪えられないことで、従魔を去らしめるなら私も共にと、座を立たれようとす

るので、行者は、悪心即菩提心の境地に立って辞除したのであるから、本尊は留まり給え

とお願いするのである。印を高く挙げて動かすのは、本尊をお招きするのだと心得ている

のである。

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89-- 88

碍を起す場合を考慮して、ここに金剛輔の外側に、改めて火網を張り廻らし、何としても

接近出来ぬように防禦を施すのが、この作法である。普通の家でも厳重な構えになると、

垣の外に溝が作られているし、お城ともなれば、二重三重の濠を廻らせて敵の接近浸入を

防ぐようなもので、天魔を怖畏せしめるには、火焔を最上とせられているので、この印明

を緒謝するのであり、三度右に旗すのは、竪固禰浄の大界火院を道場の周囲に棡成するた

めである。

これで準備が完了したので、これから本願である祈願作法に入るのであるが、この準備

完了を密教では曇茶羅を成就したというのである。

力曾らか③い◎

閼伽を献ずる印は一一一種類あるが、光明供の燭合は、八葉の印の中に器を入れて奉ること

になっており、献ずる前に香に蕪ずるのは、關伽の功徳を香煙に乗せて、法界に周週せし

つづいてこの供養分に入るのである。御招待申し上げたお客に対する作法として、先。つも

って茶菓を献じて接待するという常識的な順序で、世、出世間ともに異りないところに、

仏教の妙趣が含まれているのである。

閼伽供養分の始めに「アヵ」を献ずるのは、来臨影向せられた聖衆が、その両足を

すすがれる水を奉るのである。關伽は梵語であって、円滴器または蹴浮と訳されている・

円満器というのは、これを奉ることによって、自他ともに円満ならしめるからである。ま

た欝浮というのは花を浮かべるということで關伽に機の葉の小片を浮かべるのが即ちそ

れである。浮かべられた花は、本尊が両足をすすがれるときの所座となり、休浴せられる

ときは、この花に鱒曙したまうことになるのであるから、これを浮かべることを忘れては

曇茶羅を成就して、主(徳法者)客(仏)の座が定まり、応接の心柵えが調うたので、

国供養分

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90-91

五供養五供養は、塗香、華蔓、焼香、飲食、燈明の五種を献ずることで、すべて印

度の風習に従うて設けられたものである。塗香は印度に於ては、霧いときには栴檀の粉末

を身体に塗って需竺式を避け、寒い時には沈水香を塗って寒さを防ぐ風習があるので、それ

を取り上げて行うことになったのである。従って塗香には栴欄香と枕水谷とを混ぜ合せた

ものを用ぅるのが正しく、塗香の功徳によって戒品が滑浄になるから、悪趣に堕すること

挨拶の言葉に合せて、兒願の意を含むとせられている。

重結大界これは重ねて結界することで、前に蔓茶羅を成就する際に、重々の結界を

満足しているのであるから、改めてここに綣界を行う必要がないのであるが、金轄尊を綿

念する行者が、五百由旬(一由旬は六丁)内にいるときは、余尊の行法は成就しないと税

かれているから、たとえ行者がいて、金鵜法を鯵していようとも、金輪尊の威神力に奪わ

れることなく、この尊法を成就せしめるために、重ねてこの印を結び真言を論するのであ

る。

めるためで、泰供養を行うた後に行う理供養もどの功徳を成就する為めに行うのである、

即ち印を結び真言を論すると、印より無賦の功徳雲海を論出して、尽虚空に周逼せしめる

のである。雲海というのは、雲は忽らに集まることを意味し、海は深く広く、際限なきこ

ことを示すので、功徳が速やかに深く広く顕現する様相をいったのである。

また、闘伽を献じて以本澗浄水の偶を唱えた後に、そのままで所願をつけ加えることは、

自他円澗の意を達することになるのであるから鍼心に献じなければならない。

華座両足を浴し難』られた本尊の坐処として献ずるので、私どもが客に座蒲団をすす

めるのと異らない意である。

華座を献ずると、本尊は直ちにその座に着かれ、春風がそれを囲邊して各々所定の座に

つき、主客ともに安座する}」とになるのである。

善来偶本尊並びに聖衆の座が定まったので、ここで改めて挨拶の言葉を申し上げる、

善来偶はこの挨拶の言葉で、一般の風習に従うて加えられたものであるが、四度見聞には、

IIiIIllII‐11.111…

93 92

11

燈明は、仏の境界には常に光明があるから、献ずる必要はないのであるが、世間の風習

に従うてこれを行うので、燈明を献ずる功徳によって、智恵の光明を施与せられること、

飲食と同じ趣意である。

以上の次第によって甑供養(器物を用いて物を献ずるのを事供養という)を行い、次で

理供養を鯵す。理供養は運心供養ともいって、印を結び明(其一三を論することによって、

無辺無限の功徳を周週させることは、闘伽の時に申した通りである。

普供養五供養によって諸事具足したのであるから、重ねて供養を行う必要がないの

であるが、五供養は別々の供養で、その一つ一つにそれぞれの深義を含んでいるが、それ

だけに、その一つ以外に功徳が及びがたい点がある、それらを補う為に行う総の供養がこ

の普供養である。従って総別重ねて行うことは、簡善を示すものであり、鄭重の意をあら

わす為めである。供養分は行法の中では特に邇要なもので法成就には必須の条件として本

なるのである。

を防ぐだけでなく、五分法身(戒、定、患、解脱が解脱知見)を証得して、一切有情の煩

悩を除くことができるのである。

華蔓は花をつなぎ合せて首飾りにするためのもので、これを献ずることは、仏の三十二

相を荘厳円滴する意味である。通じて楴の房花を用うることは、その様子が青蓮華に似て

いるからである。青蓮華は蓮華の中で鍛上のものとせられており、お経の中に優波羅華と

いわれているのが、即ちそれである。時期の花を用いることは差支えないが、虫が喰うた

り、萎んだものを献じないようにしなければならない。

焼香は香煙の立つのを見て、主人ありとして客がその室に入る風習をとり入れたもので、

香煙に乗じて行者の念願が仏の世界に至る意義を表わすのである。

飲食は、飲むものと食うものということで、奨水(しろみず}を飲といい、飯、餅を食

という。仏は常得上味の相を具足せられているので、飲食を献ずることは不用なのである

が、この飲食を供養することによってその功徳が行者に還って、好食を与えられることに

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95P- 94

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襖を隔てて請願したり、下の方から遠く上の方を仰いで申し上げるのでは、同一の境界

という訳にはならないから、そこで同一境界に入るために、行者が仏界に入らねばならな

作業分は念舗分ともいい、行者の意志を本尊に通ずる、中心肝要の一段で行法本来の

目標は全くこの作業分にあるのである。

入三厩地すべての準備がととのうたので、これからいよいよ本願の筋を御本尊に申

し入れるのであるが、それには先づもって、行者と本尊とが同じ境界に安住することが大

切である。

尊に供養をしなければならないことであるから、行法のことを供養法ともいうほどに、犬

本尊識五供養や普供養は、本尊に対する身密供養で、客に饗応したのと同じで、御

馳走を差し上げた際にお客を称讃する如く、本尊の徳を讃歎することも亦、世間の例に従

うた組み立てである。〒」の本尊讃を語密供養といい、先きに行うた理供養が意密供養であ

るから、これによって身ロ意の三密供養を成就するのである。

四智識其言法に於ては、大日如来の五智を礎得成就することが、究寛の目的である

から、ここに於て五智を讃歎して功徳を円満ならしめるために、四智讃を唱えるのである。

本尊はそれが如何なる仏であっても、すべて皆大日如来の応化であり、変作であるから、

本尊讃を称歎することは、法界体性智を讃歎したことになり、本尊讃に次で四智(大円鏡

智、平等性智、妙観察智、成所察智)を讃歎して五智を成ずるのである。若し本尊讃のな

い時は、大日小讃を唱えることになっている。

切なものである。

これで御本尊を謂招して、祈願をいたすまでの一切の作法即ち供養分惑修了したので

これからいよいよ本願の申し入れをする作業分に入るのである。

㈱作業分97 9←

I

ぃ。練達の行者とは入三摩地を完全に行ずる人のことである。

根本印本尊所証の功徳の顕理を願うために結緬するので光明供に於ては光明真言

秘印を根本印とする。しかし同じ光明供でも、行法によっては無所不至印を加えたり、仏

眼印と蓮華部の無所不至印(大日劔印)を用いるようになっているのがあるが、光明真一奪回

秘印の外はすべては行者の意楽にまかせて差支えないのである。因みに無所不至印は諸尊

通用の印で、光明供の本尊が大日如来、または阿弥陀如来となっているから、光明典一一一口秘

印の前に、無所不至印明を結論することは、意義深いものがある・

加持珠正念調に入る前Eその準備として加持珠の作法を行う。加持珠とは、念調

に用ぅる珠数を加持する作法で、加持というのは仏力を衆生に典えて、それを受侍せしむ

る功徳をいうのであり、珠数は一一一宝の名を唱える時、その数を記憶する用兵で、この珠数

に仏の力を加えて、唱名する毎にその名言に仏力がはたらいて、一隅一仏の妙力を発揮す

ることになるので、正念諭のためには、是非とも必要なことである。作法としては、始め

い。本尊は既に降鴎ましましているのである。行者が風情俗塵の境界にいては、本尊に近

よる訳にはいかない、ここにこの入三摩地が必要となる。三醗地というのは梵語で、等至

とか等念と訳されている。禅定のことで訳語より梵語の方が親しみ易い位に、普遍的な仏

散語になっている。行者が仏の境界に入って仏形を現ずるには、定力によるより外に方法

はない。心を一境に注して仏身を観ずる、これが入三醗地である。先づ自心に、我が菩提

心は円明にして、禰浄無垢なること、曇りなき天空にかかる満月の如しと槻じ、満月轄の

中に本尊の極字を顕現せしめ、更にその種字から本尊の三醗耶形(五輪の塔婆)を観顕し、五絵即

五智と心を運んで大日如来を顕現するのである。大日如来が顕現し給うとき、同時に行者も亦大

日如来となる。好相を成ずることは、仏の境地に至らねば得がたい〒」とで、仏の境地に至るとき

行者も自ら仏身となるからである。この本尊即ち自身、自身即ち本尊の境地に於て、以後の行法

本願の筋を運んで行く、従って入三摩地が成就するか否かによって、修法の功徳が顕現するかど

うかということになるのであるから、常に心を一境に住せしむる工夫を練磨しておかねばならな

9鮨98

ぅにしなければならない。母珠は大覚位に在る本尊であるからである。

以上の作法を行ったなら、次で珠数を二つ蛤にし、記子を仏の方に向けて右の掌に戦せ

て香に蕪じた後、左掌をその上に重ね、両手の中指をもって母珠をはさんで合掌し、浄珠

の真言を論した後、合掌を上方に向けて珠数を頂いた後、母珠をはさんだまま珠数の輪を

ほどき、鈷を左手に持ち添えた後、両手の水指と空指で珠数をつまんで念舗に入るのであ

る。密教の作法にはその一つ一つに意義があることは、これによっても知ることができる

ので、作法を略することは、意義を消失せしめることになるから注意しなければならない。

正念調行法の正宗であるから正念舗というのであって、密教修法の本義はこの正念

調にある。従って端的にいうなら、正念論さえ修すればよいのであるが、この正念調は、

本尊と行者とが一体不一一の境地に於て修さなければ成就し得ない。甚深微妙の法であるか

ら、行者即本尊の境地に入るために、これまでの作法を行うてきたのである。この故に惨

法するものは正念調に全糟神を集中してただ一途に本尊を念ずべきである。加行の際に

に旋転、次に浄珠の二法から成っており、旋転作法としては、左右の水と空の指で珠数を

取り、右手の指で第一珠をつまみ、右え珠数を半分頃まで引いて、真言の半分を唱え、次

に右手の指を左手の指の前にある珠に送って、また母珠まで引いて半転しながら残りの真

言を唱える、斯くてこれを三回繰返すのであるが、これには次のような理由がある。即ち

第一の旋転は衆生が苦を楽と誤り思う苦楽顛倒のことを示し、第二の旋転は離苦得楽、即

ち讃の波羅密を行ずることを勧め、第三の旋転は行者の果徳を証するもので、珠数を旋転

することは、諸仏の説法即ち法轄を転ぜられる際は、必ずこの示、勧、証の三が具えられ

ているので、そのことを表示するのであり、半から半に至ることは、菩薩の上求菩提下化

衆生を表示するもので、始めの半旗が下化(母珠から発するから)であり、後の半旗が上

求(母珠に到達するから)を意味する。また左の指をもって各珠に触れることは、百八煩

悩を断ずることを示したもので、煩悩断によって三味に入ることができるからである。こ

のような意義を含む作法であるから、一旋転から次の旋転に移る際に、母珠を越えないよ

ii I

101 100

IIi111111I

運念珠加持珠の時と同様、珠数を一一つ籍にして合掌の中に入れ、中指の先をもって

母珠をはさみ、これを頂難すると共に、重ねて祈念した上、珠及び鉛を所定の位証に置く、

珠数を頂蔵することは、珠数は其言を謝することによって、煩悩を転じて諸尊の功徳を生

むから、仏と同搬に思惟するのである。

五大願行法によっては後の修法に入る前に、ここで改めて五大願を論するようにな

っているのがある。これは仏位に安住した行者が、法成就の功徳を円満ならしめるために、

これを億念するのである。

入一二廠地禅定に入って本尊の種字を観ずるのは、行法の功徳を種字に収めて、一切

不可得と観ずることによって、一切の執著を離れるので、無着無執であるから、所修の法

が自在に遍満し、成就することになるのである。

根本印再び根本印を緒鋪することは、前の三醗地の所観を加持するためで、加持す

ることによって、行法が無上の功徳を発し、悉地成就所願満足に至るのである。

あまりに早く出堂して来たので、どうしたのかと尋ねると、本尊の念舗が同じことばかり

繰り返すので、面倒くさかったから略したというので、諄々と説き聞かせてやり直させた

ことがあったが、よくよく注意すべきことである。但し参詣人のある時、或は葬式の時な

どは、化儀の上から時間的に制限をうけるので、正式に念調を行う余猶がない場合がある

が、それらのことは前もって承知し得ることであるから、この際には僻法に入る前、適当

な時に正式な数の念踊だけをすませて選くのがよろしく、一座の憾法に於て如何なる場合

にも、本尊の兇は百返を欠いてはいけないことになっている。

光明供に於ける正念諭は、大日如来真言百返、仏眼部母真言百返、一宇金輪真言百返、

光明真言千返、一一一部総兒百返、諸天総兒百返であるが、大日如来は一切諸仏の本体であり、

仏眼部母は仏部の功徳を生ずる母であり、一宇金轄は悉地成就の功徳、一一一部総兒は仏菩薩

一切の功徳、諸天総兒は護法渚天の一切の功徳を顕現せられるから、光明真言の功徳成就を

円欄ならしめるために、合せて念調するのである。

103 】02

……誉五供養。讃。閼胸作法や趣意はすべて前の供養分で述べた通りである・たF、この

度の關伽は、ご本尊のおロをおすすぎ願う意であるだけが違っている。

振鈴お送り申し上げるときが参りましたと、申し上げるためで、必ず初鈴より短かく振ることになっている。多く振ることは追い立てる意味を持つからである。

回向方便九方便を極略に行うもので、初めに発した行願を、より一層竪固ならしめ

鋤こ

る為に、再度行うのであるが、上来催して得た功徳を、十方に回向する意も含まれている。随方回向回向方便と同じ趣きのもので、上来催して得たる功徳を、一切衆生に回向

して、共に菩提を成就するのである。回向というのは、功徳を回らして他に施し向わしむるということで、菩薩の上求下化の誓願に順ずる大切な修行であるから、如何なる行法に

ので、いわばお招きしたお客と無事に要談を調合し畢えたので、お礼の意をもっておもて

なしをした上で、お宅までお送り申し上げる筋合いが、この段であると解してよいのである。 三雄波多は梵語で、究寛ということである。所修の行法は前の作業分で正しく終了し、

功徳を成就したので、道場に来臨して下された諸尊聖衆に、本宮に運帰して頂かねばなら

ない。その作法が即ちこの三摩波多分で、始終を冥合して究寛円満ならしむる為に峰する

仏母印今までの修行によって生じた功徳を仏母にお預けして、いついつまでも失壊

しないようにこの印明を結論するので、一切の諸障碍を除いて悉地成就すると共に、部母

尊の威神力によって、諸天善神が常に行者を擁護するのみで蓬く、利益を増長ならしめら

れるのである。

以上で正宗分である作業分が終了した。即ち行者が願い入れた趣きを正しく納骨せられ

て、所願は正に満足したのである。

恂三摩波多分 iii

圃虹閉鞄露獅周閏野冊鋳轤蝿欝鬮割蝿樋驍崇

105 104

し難いことがあるので、これらのことから逃れる為に、重ねて行者自身を結護して、待身

竪固ならしむために、峨後にこれを行うのである。ここに一つ注竃しておきたいことは、

顕密にかかわらず、諸種の法要に於て一切の所作が終ると、随喜の衆僧が、|機にこの一一一

部被甲の印明を結論し、これに拍轍や弾指をやっていられるのを見聞するが、これは作法

の上に於て無意味であるからしない方がよい。拍掌、弾指は始めに申した通り、本尊を驚

党したり、魔障を除却するために緒調するので、いまはその必要がなく、如何なる修法に

もそのような作法がないのであるから、静かに衣の袖の中に於て一一一部被甲のみを修するよ

うにいたしたいものである。総じて法要は導師(阿悶梨)が中心であり、導師の修法を随

喜助援するための衆僧であるから、始めの拍掌や弾指も、理修の意をもって、目立たぬよ

う、音させぬように心掛けることが礼儀であり、法要の化儀である。

以上で光明供の作法が終ったのであるが、始めに申した通り、すべての作法に於て、ま

た諸印明の結調に於て、その依って来たる意蕊を承知の上で悠法するのと、それが如何な

於ても必ず行うことになっている。

解界御本尊や、猪聖衆をお迎えしたとき、障魔が浸入するのを防ぐために緒界した

ので、本宮にお還りを願うにあたり、先づこの結界を解かなくてはならない。その作法が

これであって、火印を用うることは、この印明の功能によって、結界の諸印がすべて焼減

し、解除するからである。

奉送本尊並びに諸聖衆を本宮にお送りする所作であるが、これに車輔と部心の二つ

の印明を用うることは、車絡は本尊を単に乗せ奉って、本土の虚空にお送り申すのであり、

部心印は車より降し奉って本座に就け奉る為めである。これも世間通常の作法として考え

て見ると解ることで、礼儀としても、始終の円満からいっても当然のことである。

三部被甲本尊を送り奉ったから、これで一切の所作が終ったのであるが、長い修法

であったが為に、行者の心に疲労や開放感が生じると、とかく魔障が聾うて来て、行者の

心を怖畏せしむることがある。若しそのようなことになると、折角の行法も悉地成就いた

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ることか判らないが、行法恒示されているから行うのだというのでは、第一に心の運び方

に霊泥の相遮があり、第二に所作そのものに理解が伴わないから間違いが生じ易く、それ

では全く形式になってしまって、鯵法したということができなくなるから、折角、菩提を

祈り、功徳を増上せしめる修法を、十分に意轆あらしめ、効果あらしむるために、作法の

次第する理由や、作法の意轆を心得て置きたいものである。

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