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大規模イベントにおける歩行者モデルの設計と評価 Design and Evaluation of Pedestrian Model in Large-Scale Event 1* 大井 1 1 1 1 Yusuke TANAKA 1 Shinya OI 1 Hengjing TANG 1 Tatsushi MATSUBAYASHI 1 Masaru MIYAMOTO 1 1 NTT サー スエボリューション 1 NTT Service Evolution Laboratories, NTT Corporation Abstract: We verified the pedestrial walking speed model measuring walking speed and pedes- trian density of visitors at the large events. The event participants tend to decide their behaviors taking “time” into account concidering the traffic congestion, the heavy crowd and the departure time of the final train, such as gathering for the opening time and leaving after the end time of the event. In this paper, we focused on “time” effect against walking behaviors, and constructed pedestrian model and verified by using real data. In addition, the pedestrian model was con- structed based on the verification results and measurement data, and evaluated by computational multi-agents simulations. 1 背景 2020 されるオリンピック・パラリン ピック アーティストによる イベ ント 退 に大 が移 するため する. イベント させるだけ く, かす を引き こすリスクがある [ 01],イベント ために Multi-Agent Simulation(MAS) った による いる. MAS 各エージェントが「いつ, こから, かうか」 いう に, シチュエー ションにおける をコンピューター ミュレーションするこ る.こ シミュレーショ ンを して, てる [ 12, Yamashita 13, 05]MAS 映したモデルを するこ したシミュレーションを る. 一つに げられる. に, (以 により影 ける してモ デル されている が多い. しかし がら,大 * NTT サー スエボリューション 239-0847 1-1 E-mail: [email protected] イベント これら したイベントに する 演・ )によって, が変 わるこ される. ,大 イベント 退 における い,MAS における をより する す. ,「 」だけ く「 」に ける がわかり, に大 イベントにおいて イベント から が影 えてい るこ らかに った. ,大 イベン トにおけるイベント にて, るこ したデータから イベントにおける らかに し, するモデル フィー ドバックするこ する. から る.2 にて し,3 にて した大 イベントに おける ついて る.4 案した大 イベントにお ける し, データを い,5 にて 4 した い, データを した モデルをシミュ レーションにより する.6 にて 題について る.

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大規模イベントにおける歩行者モデルの設計と評価Design and Evaluation of Pedestrian Model in Large-Scale Event

田中 悠介 1∗ 大井 伸哉 1 唐 恒進 1 松林 達史 1 宮本 勝 1

Yusuke TANAKA1 Shinya OI1 Hengjing TANG1

Tatsushi MATSUBAYASHI1 Masaru MIYAMOTO1

1 日本電信電話株式会社 NTT サービスエボリューション研究所1 NTT Service Evolution Laboratories, NTT Corporation

Abstract: We verified the pedestrial walking speed model measuring walking speed and pedes-trian density of visitors at the large events. The event participants tend to decide their behaviorstaking “time” into account concidering the traffic congestion, the heavy crowd and the departuretime of the final train, such as gathering for the opening time and leaving after the end time ofthe event. In this paper, we focused on “time” effect against walking behaviors, and constructedpedestrian model and verified by using real data. In addition, the pedestrian model was con-structed based on the verification results and measurement data, and evaluated by computationalmulti-agents simulations.

1 背景

2020年に東京で開催されるオリンピック・パラリンピックや人気アーティストによる公演などの大規模イベントでは,入退場時に大勢の人が移動するため会場やその周辺で混雑が発生する.混雑はイベント来場者や近隣住民の満足度を低下させるだけでなく,時には人命を脅かす雑踏事故を引き起こすリスクがある [明石 01].近年,イベント主催者や警備会社等は来場者の満足

度や安全性の向上のためにMulti-Agent Simulation(以下MAS)を使った警備計画による混雑回避に取り組んでいる.MASでは各エージェントが「いつ,どこから,どこへ向かうか」という情報を基に,様々なシチュエーションにおける歩行者の行動をコンピューター上でシミュレーションすることが出来る.このシミュレーションを利用して,誘導計画や歩行者路の道幅確保などの警備計画に役立てる [山下 12, Yamashita 13,犬飼 05].

MASでは,歩行者の行動特性を反映したモデルを入力することで,現実に即したシミュレーションを行うことが出来る.中でも歩行速度は,最も重要な行動特性の一つに挙げられる.従来研究では,歩行速度は歩行者の年齢・性別等の属性,歩行路の物理的な環境等の特性とともに,歩行者前方の人口密度(以下,歩行者密度)等の他の歩行者により影響を受けるとしてモデル化されているものが多い. しかしながら,大規模

∗連絡先:日本電信電話株式会社 NTT サービスエボリューション研究所〒 239-0847  神奈川県横須賀市光の丘 1-1E-mail: [email protected]

イベントではこれらの情報とは独立したイベントに関する情報(開演・終演時刻)によって,歩行速度が変わることが想定される.本研究では,大規模イベントの入退場時における歩

行者の行動特性分析を行い,MASにおける歩行者行動をより高精度に再現する事を目指す.分析の結果,「歩行速度」は「歩行者密度」だけでなく「時間」にも影響を受ける事がわかり,特に大規模イベントにおいてはイベント終演時刻からの時間差とが影響を与えていることが明らかになった.具体的には,大規模イベントにおけるイベント会場周辺にて,来場者の歩行速度及び歩行者密度を得ることで,実測値したデータから大規模イベントにおける歩行者の行動特性を明らかにし,最終的には歩行速度に関するモデル構築へフィードバックすることを目的とする.本論文は以下の構成から成る.2章にて従来研究を

紹介し,3章で本研究にて実施した大規模イベントにおける来場者の歩行速度の計測,歩行者密度の推定について述べる.4章では立案した大規模イベントにおける歩行者の行動特性の仮説を示し,計測データを基に仮説検証を行い,5章にて 4章で検証した仮説に従い,計測データを基に設計した歩行者モデルをシミュレーションにより評価する.6章にて本研究のまとめと今後の課題について述べる.

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2 従来研究

本研究で扱う大規模イベントにおける歩行者の行動特性は人々の移動方向が一方に偏りやすいこと(時間帯によって入退場のいずれか一方が多い),人々が回遊するのではなく目的地へ向け移動する行動(以下,向目的地行動)をとることから,緊急時の避難における行動特性と類似している [日本 03, 山下 14, 印南 12].また後者の定められた時間内に移動する向目的行動である点は駅や空港での歩行者の行動特性と類似している[Yao 12].いずれの場合においても群衆の行動特性を把握する

ため,歩行者密度と歩行速度の関係は重要な要素として着目されており多く先行研究がなされてきた.たとえば通勤群集を評価したものでは,水平路で一方向に流れる人流は周囲の人口密度に応じて状態が変化することが明らかになっている [日本 03].密度が低い状態では,自由に追い越しができる「自由歩行状態」となり,歩行者の歩行速度にはばらつきが見られる.密度が一定以上を超過すると,追い抜きが困難となり歩行速度の個人差が小さくなる「流動の進行状態」に変化する.さらに密度が増加すると,足取りを頻繁に変えなければならず.低速で時には停止することもある「流動の滞留状態」になる.このような状態の変化について,従来研究では緊急時避難,駅構内,街中の移動等を対象として歩行モデルが構築されてきたが,いずれも歩行者周辺の人の密度と歩行速度の関係により与えられており,本研究で着目した「時間」による歩行速度への影響は考慮されていない.以下,従来研究において歩行者密度と歩行速度の関係を表したモデルの一部を図 1に示す [木村 73,戸川 55,打田 56,宮田 66, Pushkarev 75].

図 1: 従来研究における歩行者密度と歩行者速度の関係

本研究が対象とする大規模イベントと従来研究における歩行モデルの対象との違いとして,緊急時避難では事件・事故が発生した直後から各人が目的地まで最短経路で移動することを基本想定していることに対し大規模イベントでは事前周知されたイベント開始・終了時刻などの条件を考慮しながら,各人が移動行動を決定すること,駅構内や街中の移動は双方向移動が中心

となることに対し大規模イベントは入退場の影響により時間帯によって移動方向が一方に偏りやすいという特性がある.つまり大規模イベントにおける歩行モデルを考える上では「時間」による歩行速度への影響を考慮する必要があり,本研究ではこれを取り扱う.また本研究では「水平路における一方通行」という状況を想定を想定しており,滞留が発生しやすい地点や移動方向が複数入り乱れる地点については今回対象としていない.

3 大規模イベントにおける来場者の歩行速度計測と歩行者密度推定

大規模イベントにおける歩行者の行動特性を明らかにするため,実際の大規模なイベントにおいて来場者の歩行速度 v [m/sec],及び流量N [人/sec]の計測と計測データを基にした歩行者周辺の密度(以下,歩行者密度 ρ [人/m2])の推定を実施した.計測はイベント開演に向け会場に入場する様子と,イベント終了後に会場から駅へ退場する様子を対象とする.以降では計測対象としたイベントの概要,計測場所,及び歩行速度計測と歩行者密度推定の手法について述べる.

3.1 計測概要

大規模な音楽イベントが開催される会場周辺にて,来場者の歩行速度計測および歩行者密度推定を実施した.計測は 2018年の 3月 17日∼4月 30日にかけ延べ 15日間行い,計測期間中は異なるイベントが複数行われた.入退場時において計測対象者を無作為に抽出し,後述する方法により歩行速度計測,歩行者密度推定を実施した.各開催日のイベント情報および,歩行速度の計測対象としたサンプル数を表 1に示す.イベント列では,同文字であることは同一のアーティストであることを示し,添え字が異なることで別イベントであることを示している.イベント会場への入場が開始される時刻である「開場時刻」,イベントが開始される時刻である「開演時刻」は入場時の目標となる時間であるため,事前に公表されていた時間を記した.一方,イベントが終了する時刻の「終演時刻」では,予定ではなく実際に終演した時刻を記す.推定来場者数は,事前にイベント会場運営者より見込み来場者数として共有された人数を記した.入場時・退場時サンプル数は以降の節で述べる歩行速度計測,歩行者密度推定の対象となった計測対象者の人数であり,「-」は計測が未実施であったことを示している.

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表 1: イベント情報および,歩行速度の計測対象としたサンプル数 ※ 4/30(月)は昭和の日の振替休日のため祝日イベント 日程 開場時刻 開演時刻 終演時刻 推定来場者数 入場時サンプル数 退場時サンプル数A1 3/17(土) 15:30 17:00 20:25 20,000 354 250A2 3/18(日) 15:30 17:00 21:02 392 272B1 3/27(火) 18:00 19:00 21:31 13,000 - 122B2 3/28(水) 18:00 19:00 21:28 - 157C1 3/31(土) 10:30 12:00 14:51 13,000 - 118C2 16:30 18:30 21:32 179 189D1 4/ 1(日) 10:30 12:00 14:39 13,000 - 158D2 16:30 18:30 21:26 179 122E1 4/ 7(土) 17:30 18:30 21:24 12,000 162 131E2 4/ 8(日) 15:00 16:00 19:11 304 160F1 4/11(水) 18:00 19:00 20:47 153 94F2 4/12(木) 18:00 19:00 20:43 22,000 214 148F3 4/14(土) 17:00 18:00 19:47 129 93F4 4/15(日) 17:00 18:00 19:46 203 113G1 4/21(土) 18:00 18:00 21:48 12,000 283 132H1 4/29(日) 17:00 17:00 19:46 18,000 245 200H2 4/30(月)∗ 17:00 17:00 19:42 289 197

計測箇所

本計測ではイベント時における来場者の行動特性について仮説検証を目的とするため,計測箇所は会場と駅を結ぶ動線上に位置し多数の来場者が通過すること,各入退場口の利用者が合流して通過すること,行列・滞留が発生せず来場者の行動特性に応じた歩行速度の特徴を検出しやすいことを重視し,計測箇所を選定した.各計測地点を図 2に示す.流量は各計測箇所で計測,歩行者速度は地点 Bのみで計測を実施した.

図 2: 人流計測箇所と主な動線

一部の人は自家用車の利用もあったが,8割以上の来場者は最寄駅を利用し,図 2に示す主要な動線上を移動した.計測箇所周辺は,イベント来場者以外の通行人

は少なく,イベント開始前・終了後の人の流れは一方向に偏って発生した.会場の入退場口は 4箇所あり,歩行速度を計測した計測地点 Bに最も近いもので約 200m,最も遠いもので約 450mの距離があり,1.2 [m/sec]で移動すると,3∼6分程度で移動することになる.

3.2 計測・推定対象時間

イベント来場者を対象にイベント開演時,終演時の歩行速度計測,歩行者密度推定を実施した.イベント開演時は開場が開演時刻の 1∼2時間前に設定されたため,開演時刻の 2時間前から 15分後までを対象とし,イベント終演時は来場者の一部は終演前から退場を開始し終演 30分後にはほぼ全員が入退場口からの退場を終えたため,終演時刻の 45分前から 60分後までを対象とした.

歩行速度計測

計測者は道の端に立ち,イベント来場者の進行方向と水平になるよう計測エリアを設定した.目前を通過する人から無作為に計測対象者を選出し,計測エリアの端(基準線 X)から端(基準線 Y)までの移動をストップウォッチで計測,計測開始時間と移動時間を記録した.図 3に歩行速度計測のイメージ図を示す.計測エリア長 l [m](= 6.8m)を計測した移動時間 t [sec] で割ることで歩行速度 v [m/sec] = l/tを算出した.ここで移動時間 t [sec]は小数点 2位まで計測した.

歩行者密度推定

歩行者密度 ρ[人/m2]を把握するにあたり,計測エリアでは人は滞留せず移動し続けたことから,目視によ

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図 3: 歩行速度計測イメージ図

るエリア内の人数カウントは困難であった.また,イベント開始・終了が夜の日が多く,写真や動画撮影による計測は精度が落ちるリスクがあったため,目視で計測した歩行者の通過人数と歩行速度のデータを基に,歩行速度計測にて選定した計測対象者の前方に存在する歩行者の密度推定を行った.歩行者密度の推定にあたり,計測対象者と同方向へ

進む歩行者の流動係数 f [人/(m · sec)]と計測時刻を記録した.推定を行う上の仮定として計測対象者と前方歩行者は同一の歩行速度 vで移動すること,歩行路の流量は一様であることを前提とした.図 4に歩行者密度推定のイメージ図を示す.斜線部

の人数が時間∆tの間の流量となる.ここで流動係数 f

とは単位時間(1秒)、単位幅(1m)当たり通過する歩行者数のことであり,流量N([人/sec])はある幅 w[m]を持つ設定断面を単位時間内に通過する人数とすると,fは f = N/wより求めることができる.上図斜線部の群衆は道幅 w [m]の断面 αを通過して ∆tの時間後に下図斜線部へ移動することを想定すると,次の関係が成り立つことが知られている [日本 03].

wf∆t = wρv∆t → ρ = f/v

本推定では,計測結果より f ,vを得ることで,歩行者密度 ρを推定することができる.

4 歩行特性に関する仮説検証

4.1 歩行速度と歩行者密度の関係

2章で紹介したように,様々な条件下の歩行者の行動特性のモデル化が図られているが,それらはいずれも「歩行者密度」が「歩行速度」に影響すると定義されている.本節では,イベント来場者の平均歩行速度と平均歩行者密度の関係について評価を行う.イベント来場者の入場時及び帰宅時における平均歩行速度と平均

図 4: 歩行者密度推定イメージ図上図斜線部の群衆は道幅 wの断面 αを歩行速度 vで通過,∆tの時間後に下図斜線部へ移動する.

歩行者密度の分布を 0.1人/m2 毎で集約し,箱ひげ図として図 5にて示す.箱の上底と下底はそれおぞれ 75パーセントタイル値,25パーセントタイル値,箱内の横線は中央値を表しており,ひげの両端は最大値と最小値に相当する.結果:歩行速度の中央値は,歩行者密度が 0∼0.1人/m2

では 1.2m/sec程度だったが,0.7∼0.8人/m2では 1.0m/sec程度を示し,歩行者密度の増加に連れ歩行速度が低下する傾向が確認された.また,歩行者密度の増加に連れ歩行速度の最大値も低下し,0∼0.1人/m2では 3.8m/sec程度から,0.7∼0.8人/m2では 1.4m/sec程度まで低下した.考察:歩行者密度の増加につれ,歩行速度の中央値

及び最大値が低下したのは,密度の増加に伴い追い抜きが困難になり歩行速度の増加が抑制されたためと考える.歩行者密度が低い場合は入退場を急ぐ人は走ったり歩行速度を速めることが容易に行えるが,歩行者密度が増加すると歩行者速度を速めると周囲の人に衝突する危険性が高まるため,自然と歩行速度の上限を抑えざるを得なくなったと推察する.また,今回は歩行者密度が低い状態時において歩行速度の最大値は 3m/sec以上を記録した.これは一部の来場者がイベントの入退場を急ぎ走ったためであり,一部の来場者が走って駅や会場へ向かう様子が現場でも確認することができた.このような走って人が移動する状況は通勤時や避難時にはほぼ確認されないことから,大規模イベント特有の事象と考える.このこと

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図 5: イベント時の歩行速度と歩行者密度の関係

を踏まえ,次節以降では大規模イベント特有の歩行者特性について仮説を立案する.

4.2 大規模イベント特有の歩行特性仮説

前節で確認した通り,イベント時には入退場を急ぐ人の行動は歩行者密度の高低によって影響を受けたと推察される.本研究で対象とする大規模イベントでは,イベントの開演時刻にあわせて人が集まり,終演時刻以降に退場を開始するという行動が想定されることから,「時間」により急ぐ人の割合も異なり,「歩行速度」へ影響を与える要因として考慮に入れる必要があると考える.具体的には,イベント開始時の行動特性として開演

時刻が迫るほど,開演に間に合わせるため歩行速度が速くなることを想定する.イベント終演時の行動特性としては,来場者は様々な要因(利用交通機関の制約,当日・翌日の生活における時間的制約,混雑への許容度等)によって歩行速度が速くなることを想定し,その要因の影響度合いは人によって異なると考える.また,駅前の混雑に巻き込まれることで帰宅までの所要時間が受ける影響は大きいため,帰宅を急ぐ来場者は混雑発生前に混雑発生が想定される個所を通過したいと考え行動することが想定される.そのため,イベント終了直後は帰宅を急ぐ度合いが高い来場者が多くなることが想定され,歩行速度は早まると予測する.上記を踏まえ,以下の仮説を設定した.

仮説 歩行速度は前方密度だけでなく,イベント開始・終了時刻からの時間差にも依存する.イベント開演時には開演に近づくにつれ速くなり,終演時は終演直後が最も速くその後低下する.

以降では前章で示した計測結果および推定結果を基に,上記の仮説を検証する.

4.3 仮説検証

本節では,前節で設定した仮説について検証を行う.イベント開始・終了時刻に対する時間差毎の平均歩行速度と歩行者密度を求め,その関係性を評価することで仮説の検証を行う.

時間差と歩行速度,歩行者密度との関係

イベント開演・終演時刻との時間差と来場者の全計測期間における平均歩行速度及び平均歩行者密度との関係を図 6,7に示す.歩行速度,歩行者密度は 5分単位で平均をとり,計測時間の中間(0∼5分の場合は 2.5分)にプロットしている.また,歩行速度の標準誤差をバーにて示す.

図 6: 入場時のイベント開演時刻との時間差に対する平均歩行速度(上図),平均歩行者密度(下図)

結果:イベント開演時は,開演 30分前まで平均歩行速度は 1.1 ∼ 1.2m/secと安定し,その後 15分前まで上昇が確認できる.その後,平均歩行速度の上昇は落ち着くが,開演 30分前までよりも早い速度を保つ.

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図 7: 退場時のイベント終演時刻との時間差に対する平均歩行速度(上図),平均歩行者密度(下図)

イベント終演時は,終了直後に平均歩行速度が 1.2m/secから 1.6m/secまで約 30%上昇した.一方で,終了から 15分後以降は平均歩行速度が 1.1m/sec台まで低下し 40分を過ぎると再び上昇する様子が確認された.考察:イベント開演時は開演 30分前から歩行速度が

上昇を見せ,前節にて立案した仮説は正しいように見える一方,歩行速度の上昇に併せて,歩行者密度は低下していることから密度の低下により歩行速度が上昇したとも考えられ,本結果のみでは歩行速度の増加がイベント開演時刻に近づいたためか,歩行者密度が減少したためか判断が困難と考える.一方,イベント終演時は終了直後に歩行速度が急増

した後で徐々に低下しているが,歩行者密度は終了 20分後まで増加する傾向を見せ,歩行速度と歩行者密度の時間に伴う変動に明確なずれがあることから,イベント終演時は仮説は正しく,イベント終演時刻との時間差が歩行速度に影響したと考える.実際,現地でもイベント終了直後の時間に走って駅に向かう人を確認するなど,終了直後は他の時間帯と異なる行動が見られた.

5 評価

本章では,前章で検証した仮説に基づき,イベント終了時刻との時間差別による歩行速度の変化を考慮することの効果について,シミュレーションにより評価する.

5.1 シミュレーション設定

MAS:本稿の評価では,我々が独自で開発しているMASを用いる.このMASはエージェントの出発時刻,移動する経路を記述したユーザリストとエージェントが動く道路ネットワークを入力することで動作する.各時間帯 tにおける各計測地点で計測した通行人数 xreal

t をもとに各エージェントの出発時刻,移動する経路を決定し,ユーザリストに記述する.また,道路ネットワークはノードと幅を持ったエッジから構成される.各エージェントはユーザリストに記述された経路上を出発地から目的地まで移動する.MASはシミュレーション終了後に,エージェントが目的地に到達した時間を出力し,その値を基にシミュレーション上で計測開始からの累計到達人数 ysim

t を出力する.評価区間:図 2における計測地点 A-A’,B-B’の 2区

間の移動について評価を行う.出発地点は A,B, 目的地は A’,B’とする.両区間共に実際は脇道を有するが,MAS上では脇道がない一本道として評価を行う.評価指標値:シミュレーションによる目的地への到達

人数の予測精度検証のため,各時間帯 tにおける計測地点の通行人数 xtを基にMASを実行し,目的地の累計到着人数 ysim

t を算出,実際の観測値との比較を行う.評価指標値には,各目的地で実際に計測された累計到達人数 yreal

t の累計とシミュレーション上で同様に集計した累計到達人数 ysim

t の標準化絶対誤差(normalizedabsolute error:NAE)

NAE(t)=∑t

t′=0 |yrealt′ − ysim

t′ |∑tt′=0 yreal

t′

を用いる.検証手法:イベント終了時刻との時間差別による歩行

速度の変化を考慮することの効果を検証するため,変化を考慮する場合(以下、Sim A)としない場合(以下、Sim B)との比較評価を行う.各エージェントの速度分布は平均,分散を持つ正規分布にとなるようランダムに決定されることとし,平均,分散は評価対象日当日を除いた他日の実測値を基に算出する.時間差による歩行速度の変化を考慮する(Sim A)はイベント終了から 5分単位で算出し,変化を考慮しない (Sim B)ではイベント終了~1時間後より算出する.エージェントは発生した際に上記のルールに従い歩行速度が決定され,移動中は変動しないものとする.また,今回計測した歩行者の最大歩行速度 3.8m/sec,最低歩行速度0.4m/secをエージェントの歩行速度の上限,下限として設定し,その範囲内に収まらない場合は,再度計算を行う.

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5.2 シミュレーション評価

結果:区間A-A’,区間 B-B’における,イベント終了時刻との時間差による歩行速度の変化を考慮する SimAと考慮しない Sim Bの時間別における NAEの平均値を図 8に示す.

図 8: イベント終了時刻からの時間差に対するNAE  区間 A-A’(上図),区間 B-B’(下図)

計測日によっては,目的地の累計到達人数の観測値yreal

t とシミュレーション上の人数 ysimt の差(以下,観

測誤差)が大きいことがあり,イベント終了から 1時間後時点の誤差率が 10%以上の日を除いて評価を行った.誤差率は |yreal

t − ysimt |/yreal

t より算出した.区間A-A’はイベント終了直後~20分後にかけて Sim

Aが Sim Bより NAEが低い値を示した.一方,区間B-B’ではいずれの時間でも NAEの差分はほぼ見られなかった.また,各日の累計到達人数の観測値 yreal

t とシミュレーション上の人数 ysim

t の差( |yrealt − ysim

t |) の一例として,区間A-A’における 3/28の結果を図 9に示す.

考察:区間A-A’ではイベント終了時刻からの時間差を考慮することで,シミュレーション精度を向上できることを確認できた.特に終了から 20分頃までで差が大きく見られたのは,イベント終了直後の歩行速度の上昇を反映させたことが実際の来場者の行動を反映できたためと考える.一方で区間B-B’ではイベント終了時刻からの時間差

を考慮することによる効果は確認できなかった.日別で見ると,時間差を考慮することが有効な日もあった

図 9: 区間 A-A’ のにおける観測値 yrealt とシミュレー

ション上の人数 ysimt の差の一例(3/28の結果を示す.

上図は実数の差を示し,下図は yrealt により正規化して

いる)

が,その逆もあり一概に効果があるとは言えなった.原因は執筆時点では明らかにできていないが,区間A-A’と比較して距離が短い(120m)こと,来場者の行動が想定と異なること(速度の分布が正規分布ではない等)が影響したのではないかと推察する.また,図 9にて確認されたように区間 A-A’では概

ね、イベント終了~15分後頃まで歩行速度の変化を考慮する Sim Aが考慮しない Sim Bと比較して誤差が小さくなる傾向を示した.この時間帯は,4章で確認したイベント終了直後の歩行速度が上昇する時間と一致しており,イベント終演時刻との時間差と歩行速度の関係をシミュレーションに反映させることは,実観測された人流の再現に有効であったと考える.尚,最終的に収束した人数差は観測誤差と推察する.今回は全イベント日の計測データを用いてモデルを

作成したが,実際は曜日,イベント終了時刻,天気等も来場者の行動に影響を与えると考えられ,これらを考慮したモデルを作成することでより精度向上が図られると考える.

6 まとめ

本研究では,大規模イベントにおける来場者の歩行速度,歩行者密度を計測しイベント時の歩行者モデルについて考察を行った.イベント時には開演時刻に向けて人が集まり,終演時刻以降に人々が退場を始める点に着目し,「時間」がイベント来場者の行動に影響を与えうると考え,イベント時の歩行モデルの仮説を立

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案し検証を行った.また,計測データを基に本実験における歩行者モデルを構築し,シミュレーションにより評価を行った.結果,本研究では以下を確認した.

• 大規模イベント時の歩行速度は前方密度だけでなく,「時間」にも依存する

• イベント終演時刻からの時間差により歩行速度が異なりうる.特に,イベント終了直後は帰宅を急ぐ人の影響で歩行速度が増加する.

• 計測データを基に,イベント終了時刻との時間差による歩行送度を考慮することで,シミュレーション精度が向上しうることを明らかにした.しかし,別の経路では同傾向は確認できなかったため,引き続き調査が必要.

以上より,大規模イベント時のイベント来場者の誘導計画立案時には,「時間」を考慮して事前計画を立案する必要があると考える.研究の更なる方向性として,今回明らかになった点を踏まえた大規模イベント時の歩行者モデルの設計が挙げられる.今後の課題として,他会場・他種イベントでの再現

性確認や,今回未計測である自由歩行が困難なほど混雑の激しい環境下の評価等が挙げられる.

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