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分光計測による予混合圧縮着火(HCCI)燃焼の研究 1. はじめに 地球温暖化やエネルギーセキュリ ティなど,エネルギー消費と環境に関 する問題が世界的にクローズアップさ れている.運輸部門における最も大き な排出源である自動車においては,全 世界での保有台数の増大が見込まれて おり,その主要な動力源である往復動 式内燃機関(以下,内燃機関)の効率 向上が強く求められる. そのような背景のもと,高効率かつ 低公害なエンジンの燃焼方式として予 混合圧縮着火(HCCI:Homogeneous Charge Compression Ignition) 燃 焼 が注目されている.この方式は,ガソ リンエンジンのように筒内に予混合気 を用意し,ディーゼルエンジンのよう に圧縮着火させる方式である(図1). 実用化に向けた大きな課題は着火と燃 焼の制御である.とくに,低温酸化反 応と呼ばれる着火前の化学反応が着火 過程に強く影響を及ぼすため,これら の特性を詳細に理解することが望まれ ている.本稿では,分光計測によって 当該燃焼特性を解析した例 (1) を紹介す る. 2. エンジン熱効率の向上方法と HCCI 内燃機関の熱効率を向上するには, 基本的にはオットーサイクルの理論熱 効率[η th=1-(1/ε κ-1 )]に示されるよ うに,圧縮比 ε と比熱比 κ を増加させ ることである.比熱比を向上すること は,作動ガスを空気に近づけることで あり,希薄燃焼が有効である.ガソリ ンエンジンの熱効率がディーゼルエン ジンに比べて低いのは,ノッキングが 発生するため圧縮比を向上できないこ とと,失火防止や排気浄化装置(三元 触媒)の浄化性能確保のために,理論 空燃比付近での運転が必要なためであ る.希薄燃焼を行うことは,燃焼温度 の低下による冷却損失の低減や,絞り 弁開度の増加によるポンピング損失の 低減にも寄与する(絞り弁開度が小さ いと,吸入行程時に吸気管内の圧力が 低下し,吸入仕事が増える).加えて, 実在気体である燃焼ガスの比熱比は温 度が上がると低下するため,それを防 ぐ効果も加わる. ディーゼルエンジンは,絞り弁なし で空気を吸入し,十分に高い圧縮比で 着火し,筒内全体で見ると希薄燃焼を 行うため,高い熱効率を示す.しかし, 噴射された燃料が空気と混合しながら (拡散)燃焼を行うため,局所的に不 均一な燃焼を行っており,過濃部から 粒 子 状 物 質(PM), 高 温 部 か ら 窒 素 酸化物(NOx)が生成され,その同時 低減が困難である(図1). HCCI エンジンは,ディーゼルエン ジンの拡散燃焼を予混合化したもの, あるいは,ガソリンエンジンの理論空 燃比での火花点火燃焼を,希薄・圧縮 着火にしたものである.よって,吸気 絞りなしで予混合気を十分に高い圧縮 比で燃焼させることが可能になるた め,高効率化とクリーン化の両立が実 現しうる.しかし,予混合気を圧縮着 火するため,着火時期の制御が困難で ある.また,燃焼室内で混合気がほぼ いっせいに自己着火燃焼するため(1),とくに高負荷域では打音を伴う 急峻な燃焼の抑制が必要である.すな わち,自己着火機構を深く理解し,燃 焼を制御する必要がある. 3. HCCI 燃焼の分光計測 分光計測に用いた燃焼室と測定装置 の概略を図2 に示す.本研究では, 燃焼室内ガスの自発光計測と,光の吸 収計測の 2 種類の方法を実施した.燃 焼室内ガスの発光を,石英窓 A から 取り出し,光ファイバによって分光器 および検出器(光電子増倍管)に導く ことで,任意の波長の発光強度を測定 する.また,石英窓 B から,燃焼室 内にキセノン光源の連続スペクトル光 を照射し,対向して設けた石英窓 C からその透過光を取り出し,分光器お よび検出器に導くことで,任意の波長 の光の吸収度合いを測定する.これら の測定により,HCCI 燃焼において, どのタイミング(クランク角度)で, どの波長帯に,どの程度の強さの発光 や吸収が起きるのか(化学種の生成・ 消費挙動)が解析できる.解析結果の 一例として,吸収スペクトルを図3 示す.吸収スペクトルでは,とくに着 火前に起こる低温酸化反応の生成物に よる吸収挙動が測定されている. これらの解析結果から,ある波長の 吸光度と,低温酸化反応の活発さに相 関があることなど,HCCI 燃焼機構の 解明に資する有用な知見が得られた (2) 4. おわりに 内燃機関は,他の動力源に比べて, 比出力・コスト・耐久信頼性に長けて おり,自動車の動力源として,これか らも主たる役割を果たしていくものと 考えられる.今後は,熱効率向上に向 けた研究開発がよりいっそう加速し, さらなる性能向上を果たすものと考え る. (原稿受付 2010 年 1 月 28 日) 〔飯島晃良 日本大学〕 ●文 献 ( 1 )飯島晃良・吉田幸司・庄司秀夫,予混合圧 縮着火機関の着火に関する分光学的研究, 日本機械学会論文集,74-724,B,(2008), 1433-1442. ( 2 )Iijima, A., Yoshida, K. and Shoji, H., A Study of Autoignition in an HCCI Engine by Using Light Absorption and Emission Spectroscopy, COMODIA 2008(2008-7). 図1  ガソリン・ディーゼルと HCCI エ ンジン 過濃部で PM 生成 噴霧火炎 希薄予 混合気 多点同時着火による 体積的(バルク)燃焼 ガソリンエンジン (予混合・火花点火・火炎伝ぱ燃焼) ディーゼルエンジン (拡散・自己着火・噴霧燃焼) HCCI エンジン (希薄予混合・自己着火・バルク燃焼) 空気 高温部で NO 生成 点火プラグ 伝ぱ火炎 未燃ガス 高温部で NO 生成 噴射ノズル 図 2 筒内分光計測装置の概要 燃焼室 シリンダ 石英窓 キセノン ランプ 分光器 分光器 光ファイバ 検出器 検出器 発光計測 吸収計測 A B C 図 3 HCCI 燃焼の吸収スペクトル 200 250 300 350 400 450 500 -0.6 -0.4 -0.2 0.0 0.2 0.4 0.6 0.8 1.0 -40 -30 -20 -10 TDC 10 ホルムアルデヒド (HCHO)の吸収 冷炎 熱炎 nheptane(0 RON) 当量比 0.4 圧縮比 10:1 回転数 1 000 rpm 吸光度,A(測定波長,λ(nm) OH 基の吸収 冷炎:低温酸化反応開始 熱炎:自己着火開始 クランク角度,θ(deg) 476 日本機械学会誌 2010.6 Vol.113No. 1099 ─ 66 ─

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Page 1: 分光計測による予混合圧縮着火(HCCI)燃焼の研 … › publish › kaisi › 100602t.pdf分光計測による予混合圧縮着火(HCCI)燃焼の研究 1.はじめに

分光計測による予混合圧縮着火(HCCI)燃焼の研究

1. はじめに 地球温暖化やエネルギーセキュリティなど,エネルギー消費と環境に関する問題が世界的にクローズアップされている.運輸部門における最も大きな排出源である自動車においては,全世界での保有台数の増大が見込まれており,その主要な動力源である往復動式内燃機関(以下,内燃機関)の効率向上が強く求められる. そのような背景のもと,高効率かつ低公害なエンジンの燃焼方式として予混合圧縮着火(HCCI:Homogeneous Charge Compression Ignition) 燃 焼が注目されている.この方式は,ガソリンエンジンのように筒内に予混合気を用意し,ディーゼルエンジンのように圧縮着火させる方式である(図 1).実用化に向けた大きな課題は着火と燃焼の制御である.とくに,低温酸化反応と呼ばれる着火前の化学反応が着火過程に強く影響を及ぼすため,これら

の特性を詳細に理解することが望まれている.本稿では,分光計測によって当該燃焼特性を解析した例(1)を紹介する.2. エンジン熱効率の向上方法と

HCCI 内燃機関の熱効率を向上するには,基本的にはオットーサイクルの理論熱効率[ηth=1-(1/ε κ-1)]に示されるように,圧縮比 ε と比熱比 κ を増加させることである.比熱比を向上することは,作動ガスを空気に近づけることであり,希薄燃焼が有効である.ガソリンエンジンの熱効率がディーゼルエンジンに比べて低いのは,ノッキングが発生するため圧縮比を向上できないことと,失火防止や排気浄化装置(三元触媒)の浄化性能確保のために,理論空燃比付近での運転が必要なためである.希薄燃焼を行うことは,燃焼温度の低下による冷却損失の低減や,絞り弁開度の増加によるポンピング損失の低減にも寄与する(絞り弁開度が小さいと,吸入行程時に吸気管内の圧力が低下し,吸入仕事が増える).加えて,実在気体である燃焼ガスの比熱比は温度が上がると低下するため,それを防ぐ効果も加わる. ディーゼルエンジンは,絞り弁なしで空気を吸入し,十分に高い圧縮比で着火し,筒内全体で見ると希薄燃焼を行うため,高い熱効率を示す.しかし,噴射された燃料が空気と混合しながら

(拡散)燃焼を行うため,局所的に不均一な燃焼を行っており,過濃部から粒子状物質(PM),高温部から窒素酸化物(NOx)が生成され,その同時低減が困難である(図 1). HCCI エンジンは,ディーゼルエンジンの拡散燃焼を予混合化したもの,あるいは,ガソリンエンジンの理論空燃比での火花点火燃焼を,希薄・圧縮着火にしたものである.よって,吸気絞りなしで予混合気を十分に高い圧縮比で燃焼させることが可能になるため,高効率化とクリーン化の両立が実現しうる.しかし,予混合気を圧縮着火するため,着火時期の制御が困難である.また,燃焼室内で混合気がほぼいっせいに自己着火燃焼するため(図

1),とくに高負荷域では打音を伴う急峻な燃焼の抑制が必要である.すなわち,自己着火機構を深く理解し,燃焼を制御する必要がある.3. HCCI 燃焼の分光計測 分光計測に用いた燃焼室と測定装置の概略を図 2 に示す.本研究では,燃焼室内ガスの自発光計測と,光の吸収計測の 2 種類の方法を実施した.燃焼室内ガスの発光を,石英窓 A から取り出し,光ファイバによって分光器および検出器(光電子増倍管)に導くことで,任意の波長の発光強度を測定する.また,石英窓 B から,燃焼室内にキセノン光源の連続スペクトル光を照射し,対向して設けた石英窓 Cからその透過光を取り出し,分光器および検出器に導くことで,任意の波長の光の吸収度合いを測定する.これらの測定により,HCCI 燃焼において,どのタイミング(クランク角度)で,どの波長帯に,どの程度の強さの発光や吸収が起きるのか(化学種の生成・消費挙動)が解析できる.解析結果の一例として,吸収スペクトルを図 3 に示す.吸収スペクトルでは,とくに着火前に起こる低温酸化反応の生成物による吸収挙動が測定されている. これらの解析結果から,ある波長の吸光度と,低温酸化反応の活発さに相関があることなど,HCCI 燃焼機構の解明に資する有用な知見が得られた(2).4. おわりに 内燃機関は,他の動力源に比べて,比出力・コスト・耐久信頼性に長けており,自動車の動力源として,これからも主たる役割を果たしていくものと考えられる.今後は,熱効率向上に向けた研究開発がよりいっそう加速し,さらなる性能向上を果たすものと考える.

(原稿受付 2010 年 1 月 28 日)〔飯島晃良 日本大学〕

●文 献( 1 )飯島晃良・吉田幸司・庄司秀夫,予混合圧

縮着火機関の着火に関する分光学的研究,日本機械学会論文集,74-724,B,(2008),1433-1442.

( 2 )Iijima, A., Yoshida, K. and Shoji, H., A Study of Autoignition in an HCCI Engine by Using Light Absorption and Emission Spectroscopy, COMODIA 2008(2008-7).

図1 �ガソリン・ディーゼルと HCCI エンジン

過濃部でPM生成

噴霧火炎希薄予混合気

多点同時着火による体積的(バルク)燃焼

ガソリンエンジン(予混合・火花点火・火炎伝ぱ燃焼)

ディーゼルエンジン(拡散・自己着火・噴霧燃焼)

HCCI エンジン(希薄予混合・自己着火・バルク燃焼)

空気

高温部でNO生成

点火プラグ

伝ぱ火炎

未燃ガス

高温部でNO生成

噴射ノズル

図 2 筒内分光計測装置の概要

燃焼室

シリンダ

石英窓

キセノンランプ

分光器分光器

光ファイバ

検出器検出器

発光計測 吸収計測

ABC

図 3 HCCI 燃焼の吸収スペクトル

200250300350400450500

-0.6-0.4-0.20.00.20.40.60.81.0

-40 -30 -20 -10 TDC 10

ホルムアルデヒド(HCHO)の吸収

冷炎 熱炎

n-heptane(0 RON)当量比 0.4圧縮比 10:1回転数 1 000 rpm

吸光度,A(-)

測定波長,λ(nm)

OH 基の吸収

冷炎:低温酸化反応開始熱炎:自己着火開始

クランク角度,θ(deg)

476 日本機械学会誌 2010.�6 Vol.�113��No.1099

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