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20 18歳で花火づくりの道へ アメリカへの輸出で業容拡大 株式会社太洋花火は、2017(平成29)年11月の第 7回そうしんビジネス・イノベーション大賞で準大 賞を受賞した。花火の製造業界は伝統工芸の意識が 根強く、職人の技術力に頼る家内工業的な事業所 が多い。その中で同社は「職人の高い技術を生かし た花火製造を行いつつ、花火製造用自動機械も国 内で初めて導入したほか、バーコードを利用した 在庫管理や打ち上げ管理システムなど、生産管理 面の機械化・ICT化を積極的に進めており、生産性 向上を目指した経営革新に取り組んでいる」ことが 評価され、今回の受賞となった。 太洋花火の設立は1977(昭和52)年。園田泰洋社 長(76)は18歳の時から、地元の花火会社でアルバ イトとして花火製造に携わり、工場長を務めた後、 独立して会社を立ち上げた。設立当初は花火製造 の傍ら、出身地の桜島などで花火大会を請負って いたが、ほどなくして、貿易会社を通じてアメリ カへの輸出を手掛けるようになった。当時は1ド ル300円台の時代で、輸出拡大とともに製造量・売 上高は大きく伸びていった。 しかし、1985(昭和60)年のプラザ合意以降、円 高が急速に進み、80年代は1ドル200円台、90年代 以降は100円台になったことで輸出は減少し、7、 8年前からは皆無となった。輸出の減少分をカ バーしようと、当時の営業部長ら営業担当者2人 を中心に、全国の花火業者を回って卸売り先の開 拓に力を入れ、徐々に業績を回復。現在では売り上 げの約6割が卸売りである。 花火業者は全国に約330社あるが、うち自社製造 しているのは約120社。太洋花火の取引先は北海道 から沖縄まで約60社に上り、花火原料の大手問屋 からの仕入れ量は全国のトップ5に入る。「アメリ カへの輸出が盛んなころ、吉野工場、日吉工場と 規模を拡大し、ピークの1980年代前半は従業員も 50人ぐらいいた。輸出が減少したため、拡大した設 備・人員などのキャパシティを生かそうと、卸売り を積極的に進めたことで生き残ることができた」と 園田社長は振り返る。 国内有数の生産規模を誇る日吉工場の全景 活気みなぎる企業を訪ねて 元気企業 訪問シリーズ Vol.45 そうしん元気発信 代表取締役 園田 泰洋  株式会社  太洋花火 所在地 鹿児島市荒田1-7-11 設立  昭和52年4月 資本金 1,000万円 従業員 約40名 電話  099(250)2311 FAX  099(250)2314 (西郷団地支店お取引先)

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18歳で花火づくりの道へアメリカへの輸出で業容拡大

株式会社太洋花火は、2017(平成29)年11月の第7回そうしんビジネス・イノベーション大賞で準大賞を受賞した。花火の製造業界は伝統工芸の意識が根強く、職人の技術力に頼る家内工業的な事業所が多い。その中で同社は「職人の高い技術を生かした花火製造を行いつつ、花火製造用自動機械も国内で初めて導入したほか、バーコードを利用した在庫管理や打ち上げ管理システムなど、生産管理面の機械化・ICT化を積極的に進めており、生産性向上を目指した経営革新に取り組んでいる」ことが評価され、今回の受賞となった。

太洋花火の設立は1977(昭和52)年。園田泰洋社長(76)は18歳の時から、地元の花火会社でアルバイトとして花火製造に携わり、工場長を務めた後、独立して会社を立ち上げた。設立当初は花火製造の傍ら、出身地の桜島などで花火大会を請負っていたが、ほどなくして、貿易会社を通じてアメリカへの輸出を手掛けるようになった。当時は1ドル300円台の時代で、輸出拡大とともに製造量・売上高は大きく伸びていった。

しかし、1985(昭和60)年のプラザ合意以降、円高が急速に進み、80年代は1ドル200円台、90年代以降は100円台になったことで輸出は減少し、7、8年前からは皆無となった。輸出の減少分をカバーしようと、当時の営業部長ら営業担当者2人を中心に、全国の花火業者を回って卸売り先の開拓に力を入れ、徐々に業績を回復。現在では売り上げの約6割が卸売りである。

花火業者は全国に約330社あるが、うち自社製造しているのは約120社。太洋花火の取引先は北海道から沖縄まで約60社に上り、花火原料の大手問屋からの仕入れ量は全国のトップ5に入る。「アメリカへの輸出が盛んなころ、吉野工場、日吉工場と規模を拡大し、ピークの1980年代前半は従業員も50人ぐらいいた。輸出が減少したため、拡大した設備・人員などのキャパシティを生かそうと、卸売りを積極的に進めたことで生き残ることができた」と園田社長は振り返る。

国内有数の生産規模を誇る日吉工場の全景

  活気みなぎる企業を訪ねて

元気企業訪問シリーズ

Vol.45

そ う し ん 元 気 発 信

代表取締役 園 田 泰 洋  氏

株式会社 太洋花火□所在地 鹿児島市荒田1-7-11□設立  昭和52年4月□資本金 1,000万円□従業員 約40名□電話  099(250)2311□FA X  099(250)2314

(西郷団地支店お取引先)

職人技を生かしつつ機械化・ICT化を推進

花火に込める夜空の夢   

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全国初の自動玉貼り機導入バーコードで生産管理を効率化

取引先から信頼を得るためには、高い品質の花火を製造するのはもちろん、需要が夏場に集中する花火を安定して供給することが重要となる。そのためには、家内工業的な手作りでは間に合わない。敷地面積約2,000平方メートルの吉野工場と約4万平方メートルの日吉工場は、合わせて煙火火薬庫4棟、一時置場4棟、危険工室8棟、倉庫4棟などを備え、国内有数の生産規模を誇る。加えて花火製造の機械化にもいち早く着手し、生産合理化を図ってきた。

花火作りは、従来、火薬の粒である「星」などを「玉皮」と呼ばれる球状のボール紙の器に仕込んだ後、数人が手作業で貼り→乾燥→貼りを繰り返す「玉貼り」工程でクラフト紙を何重にも巻いて貼っていく。この作業を2013年、日本初の自動玉貼り機1台を導入し機械化した。翌14年には2台目を導入し、現在も稼働している。

この機械は7号玉(直径21センチ)までの花火製造が可能で、作業時間は従来の手作業に比べ、1玉あたり数日~ 10日程要していたものが1日に短縮され、製品も均質化された。さらに手作業では、繁忙期は他の部署の男性社員の手伝いが必要だったが、機械化で不要になり、社員も本来の作業に専念でき、研究開発の時間に充てるなどの効果が得られた。

在庫管理でも、バーコードで入荷予定や出荷予定、入庫処理、出庫処理、移動処理、在庫一覧表などのデータが瞬時に分かる「花火専用在庫管理システム」を導入。それまでの記帳管理に比べて格段のスピード化が図られ、正確性・安全性の向上にもつながっている。

音楽やフルカラーレーザーを取り入れた花火演出、デジタル点火器・システム導入

太洋花火は2尺玉まで作る製造能力を持ち、ウエーブ打ちや扇打ち、グラデーションをつけた色の変化など、さまざまな色や形、仕掛けに工夫を凝らした花火の製造に力を入れている。また、桜島や阿久根市、鹿屋市などの花火大会で打ち上げを担当するほか、鹿児島市の錦江湾サマーナイト花火大会などは同業者と共同で打ち上げている。打ち上げは電気遠隔点火が基本で、音楽やフルカラーレーザーとシンクロ演出が可能なデジタル点火器と専用システムを10年前に導入した。「関東では、音楽に合わせて花火を打ち上げる音楽花火

演出が標準になりつつある。匹敵する花火演出能力を備えるためには、大量のデジタル点火設備と音楽やフルカラーレーザーとコラボする専用システムが必要」と園田社長。このシステムは鹿児島県の2013年度ものづくり補助事業に採択され、保有数では九州最多、全国でも引けを取らない。

音楽花火の芸術性・表現力と花火大会の演出力も向上し、演出のプログラミングは男性若手スタッフ8人が当たり、年々、技術力を向上させている。

全国の花火業者が技を競う全国花火競技大会にも積極的に参加し、技術力アップと職人の意識高揚を図っている。「ミュージックスターマインの部」で、2013年は三重県の伊勢神宮奉納全国花火大会で10社中3位入賞、2014年は茨城県の土浦全国花火競技会で3等、熊本県の八代全国花火師競技会では同年と2017年に準優勝の成績を収めている。

人々に夢と感動を地域活性化に貢献する花火作り

園 田 社 長 の 名 刺 に は「 夜 空 に 夢 を 」、 英 語 で「THE DREAM IN THE NIGHT」の文字が記されている。同社の会社案内パンフレットやホームページでは「花火は華火ともいわれ、夜空いっぱいに咲く大輪の花は五感に響きわたる音、百花繚乱の煌めきで、人々に夢と感動を与えてきました。私共は人々とのつながりを大切にし、皆様の心に響くような美しく楽しい花火を創造してまいります」と掲載している。「夜空に夢を」の言葉には、太洋花火の事業にかける強い思いが込められている。

一方で、安全にも厳しいチェックを欠かせない。園田社長は毎朝6時に工場入りし、火薬類や道具類の点検を日課としている。「火薬は生き物。怒らすと怖い」「慣れに気を付けよう」が口癖で、従業員にも丁寧な取り扱いを強調する。園田社長は5年前から、薩摩川内市の花火大会の前に川内小学校の5年生を対象に花火の話をしている。「子どもたちにとって地元の花火大会の思い出は心に深く刻まれる。大きくなっても古里とつながるきっかけになる」と語る。

太洋花火製の花火は、国内外から夢を求めて人々が集まるUSJやハウステンボスなどの他、各地の著名な花火大会でも使われている。

園田社長は「2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて、日本の素晴らしい花火を世界に発信すべく、花火業界も最高の盛り上がりを見せるだろう。我が社もその為の計画の一員として関わるので、成功に向け、尽力したい」「花火を見ていると何もかも忘れる。花火の集客力は大きいだけに責任重大。地域の活性化につながるような花火をこれからも作り続け、打ち上げ続けたい」と語る。

音楽とフルカラーレーザーを駆使した花火の打ち上げ(フルカラーレーザー音楽花火)

国内で初めて導入した自動玉貼り機