エン オブライ 患者中心の 支 家族ケア 意思決定支援における...

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エンド・オブ・ライフ える 家族ケア エンド・オブ・ライフ える 家族ケア 連載 第6回 医療者にとって,「患者中心の意思決定」 という考え方は今や常識である。しかしなが ら,実際の臨床現場では,重要な意思決定に おいて患者がないがしろにされていたり,患 者自身も家族のお任せという事例も少なくな い。患者中心という,医療者にとっての常識 は,家族にとっては必ずしも常識ではないの である。患者中心の意思決定が求められる昨 今において,どのような家族ケアの課題があ るのかを考察する。 家族が意思決定にかかわる時 日本では,多くの意思決定は,慣習的に家 族と共に行われる。例えば,医療者は,患者 の意思決定能力に不安がある場合(未成年, 高齢,認知症,重傷患者など)や,悪い知ら せを伝える時(障害,終末期など)などには, 当事者である患者より先に家族に説明するこ とを優先してしまう。そして家族は,患者で はなく家族が説明を受けるのは当たり前だと 感じており,患者に先に伝えたことに対して の苦情はあっても,患者を抜きに家族に説明 することに対しての苦情はほとんどない。 患者は,長年の夫婦関係において夫が決め ることに慣れている人,長男が決めたことが 大事と考える人,さらには,医師の指導を守 ることが大事という価値観を持っている人も いる。特に,高齢者に多い印象であるが,こ のような価値観を持つ患者の場合は,他者が 自分に相談せずに決定することに対して違和 感を感じない。また,仮に他者が自分の意に 沿わない決定をしたとしても,その決定を受 け入れてしまうことがある。 余談であるが,筆者は,授業の際に学生に 「もし,自分の意見と家族の意見が対立した らどうするか」と尋ねることにしている。そ の際,①あくまで自分の意見を通す,②家族 の意見を聞いて再検討する,という2択にす ると,多くの学生は②を選択する。ある学生 は,「家族の意見を聞いて自分の意見を説明 し,納得してもらい,もしも家族の説明に納 得できたら自分も意見を変える」と答えた。 「では,もし家族が自分のことを勝手に決め てしまったらどう思う?」と尋ねると,それ は嫌だと答える。家族を省く気にはなれない が,勝手に決められるのも困るのである。 このように,意思決定は,慣習や嗜好の影 響を色濃く受ける。また,患者・家族・医療 患者中心の 意思決定支援における 家族ケアの課題 児玉久仁子 東京慈恵会医科大学附属病院 家族支援専門看護師 1999年東京慈恵会医科大学卒業。外科病棟に勤務し終末期看護に関心を持つ。2004年より緩和ケア病棟に勤務。 2010年東海大学健康科学研究科修了。同年家族支援専門看護師の認定を受ける。現在はコンサルテーション活動のほ か,家族看護実践センターにて看護職への教育活動を行っている。 70 エンドオブライフケア Vol.3 No.2

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  • エンド・オブ・ライフを支える

    家族ケアエエエエエエエエエエエエエンンンンンンンンンンンンンンンドドドドドドド・・・・・・・オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブ・・・・・・ララララララララララララララライイイイイイイイイイイイイイイイイイイフフフフフフフフフフフフををををををををを

    支支支支支支支支えええええええるええええるるるえるるるるエンド・オブ・ライフを

    支える家族ケア

    連載 第6回

     医療者にとって,「患者中心の意思決定」

    という考え方は今や常識である。しかしなが

    ら,実際の臨床現場では,重要な意思決定に

    おいて患者がないがしろにされていたり,患

    者自身も家族のお任せという事例も少なくな

    い。患者中心という,医療者にとっての常識

    は,家族にとっては必ずしも常識ではないの

    である。患者中心の意思決定が求められる昨

    今において,どのような家族ケアの課題があ

    るのかを考察する。

    家族が意思決定にかかわる時

     日本では,多くの意思決定は,慣習的に家

    族と共に行われる。例えば,医療者は,患者

    の意思決定能力に不安がある場合(未成年,

    高齢,認知症,重傷患者など)や,悪い知ら

    せを伝える時(障害,終末期など)などには,

    当事者である患者より先に家族に説明するこ

    とを優先してしまう。そして家族は,患者で

    はなく家族が説明を受けるのは当たり前だと

    感じており,患者に先に伝えたことに対して

    の苦情はあっても,患者を抜きに家族に説明

    することに対しての苦情はほとんどない。

     患者は,長年の夫婦関係において夫が決め

    ることに慣れている人,長男が決めたことが

    大事と考える人,さらには,医師の指導を守

    ることが大事という価値観を持っている人も

    いる。特に,高齢者に多い印象であるが,こ

    のような価値観を持つ患者の場合は,他者が

    自分に相談せずに決定することに対して違和

    感を感じない。また,仮に他者が自分の意に

    沿わない決定をしたとしても,その決定を受

    け入れてしまうことがある。

     余談であるが,筆者は,授業の際に学生に

    「もし,自分の意見と家族の意見が対立した

    らどうするか」と尋ねることにしている。そ

    の際,①あくまで自分の意見を通す,②家族

    の意見を聞いて再検討する,という2択にす

    ると,多くの学生は②を選択する。ある学生

    は,「家族の意見を聞いて自分の意見を説明

    し,納得してもらい,もしも家族の説明に納

    得できたら自分も意見を変える」と答えた。

    「では,もし家族が自分のことを勝手に決め

    てしまったらどう思う?」と尋ねると,それ

    は嫌だと答える。家族を省く気にはなれない

    が,勝手に決められるのも困るのである。

     このように,意思決定は,慣習や嗜好の影

    響を色濃く受ける。また,患者・家族・医療

    患者中心の 意思決定支援における 家族ケアの課題

    児玉久仁子 東京慈恵会医科大学附属病院 家族支援専門看護師 1999年東京慈恵会医科大学卒業。外科病棟に勤務し終末期看護に関心を持つ。2004年より緩和ケア病棟に勤務。

    2010年東海大学健康科学研究科修了。同年家族支援専門看護師の認定を受ける。現在はコンサルテーション活動のほ

    か,家族看護実践センターにて看護職への教育活動を行っている。

    70 エンドオブライフケア Vol.3 No.2

  • 者からとらえると,「患者中心の意思決定」

    という考え方が,必ずしも「当たり前」では

    ないことが分かる。

    集団主義文化の日本人

     家族ケアの視点から考察すると,日本の家

    族が持つ文化的な特徴が影響していることを

    考慮する必要がある。心理学者のシーナ・ア

    イエンガーは,人がどのような基準で選択を

    行うのか調査した結果1),欧米は個人の意思

    が尊重される個人主義的な社会であると述

    べ,それに対して集団の意向が重視される集

    団主義社会の代表として日本を挙げている。

    また,意思決定の場面では,欧米の人々は個

    人の考えを重視するのに対して,日本人は周

    囲の人々がどう考えるのかを重視する傾向が

    あるという。

     日本では,戦後までは民法で家制度が定め

    られ,家長が一家の大黒柱として,さまざま

    な意思決定を担ってきた。個人主義的な価値

    観が広まっている現代社会においても,古く

    からの価値観は根強く残っていると言えるだ

    ろう。

     厚生労働省の『人生の最終段階の医療の決

    定プロセスに関するガイドライン』2)では,患

    者にとっての最善について関係者の合意が得

    られるまで話し合うことが強調されており,

    患者だけでなく,家族も含め,いかに話し合

    うかがポイントになっている。患者中心とい

    う考え方は,まさに患者という個人を尊重す

    るためのものであり,個人主義文化である。

     関係者の合意を得るという考え方は,周囲

    の状況を重視する集団主義的な考え方であ

    る。このように,日本で推進されている意思

    決定支援は,患者中心を尊重しつつも,集団

    主義の価値観も踏まえるという日本の実情に

    沿った形だと言えるだろう。ただしそれは,

    そう簡単なことではない。現実的に,エン

    ド・オブ・ライフの時期に意思決定に関与す

    る人々は,年齢・性別・職業も多様である

    し,患者・家族・医療者など立場もさまざま

    である。援助者としては,患者中心の意思決

    定支援は,相反する価値観を両立させるとい

    う困難性の上に成り立っていることを念頭に

    置いておく必要があるのではないだろうか。

    患者家族の嗜好を考慮した 意思決定支援

     以上を踏まえて,患者・家族の意思決定の

    嗜好を考慮しながら,どのように患者中心の

    意思決定を行うのか,事例を通して考えてみ

    よう。

    事例:神経難病のAさん(80歳,女性)家族 夫は他界。長女(50代,独身,成年後見人,

    別居),次女(50代,既婚,主介護者,Aさ

    ん・家族と同居)

    病気の経過 Aさんは,3年前に神経難病を発症した。

    ここ数カ月,急激に症状が進行しほとんど寝

    たきりの状態になり,さまざまな介護サービ

    スを導入し,在宅療養を送っていた。最近に

    なり,嚥下機能が低下し誤嚥性肺炎を繰り返

    すようになり,Aさんや家族は,主治医から

    胃瘻造設や人工呼吸器の装着について検討す

    るよう促されていた。

    意思決定支援を必要とした場面 数日前,Aさんが食事を詰まらせていると

    ころを次女が発見し,救急搬送された。

     Aさんは誤嚥性肺炎を併発していたが,現

    71エンドオブライフケア Vol.3 No.2

  • 在,肺炎は改善傾向であり,Aさんとは会話

    での意思疎通が可能である。しかし,窒息の

    リスクが高く,絶飲食となっている。四肢を

    動かすことができず,寝たりきりの状態で,

    ナースコールを押すこともできない。

     Aさんは,「病気が悪くなっていることは

    分かっている。何もしないで家に帰りたい。

    もう死にたい」と訴えた。胃瘻や人工呼吸器

    については「絶対にやらない」と繰り返して

    いるが,治療をしなかった場合にどのような

    経過を辿るのかを説明すると泣き出してしま

    う。主介護者の次女は,「母は,病気が分かっ

    た時から,人工呼吸器はつけないと言ってい

    ました。母は,もともとしっかりした人です。

    病気になる前は,孫の世話をしていたくらい

    元気でした。ですから,こういう状況が耐え

    られないんだと思います」と語った。

     Aさんの治療方針に関しては,成年後見人

    の長女も交えて話し合うことになった。A氏

    は,長女の来院を伝えると「あの子が一番

    しっかりしている」と話し,医師の説明を長

    女と次女が聞くことに同意している。

    家族との話し合いの場面 医師は,Aさんの病状を説明し,胃瘻や人

    工呼吸器の装着について検討する必要がある

    ことを伝えた。すると長女は,「話し合うっ

    て何をですか? 人工呼吸器を着けないと死

    んでしまうんだから,着けてください。お願

    いしますね!」と,強い口調で訴えた。医師

    が次女の発言を促したが,「姉がそう言うな

    ら…」と,事前に語っていた内容を発言しよ

    うとしない。医師は,「治療の決定は,あく

    までもAさんが中心です。Aさん自身は,呼

    吸器を着けたくないと言っているので,それ

    も考慮する必要があります」と説明した。す

    ると長女は,突然興奮して声を張り上げ,「母

    は,あんなに不安定なのに何を言っているん

    ですか!! ああいう状況なんだから,冷静

    な判断なんてできません」と訴えた。

     医師は,A氏は不安定ではあるが,意思を

    表明していると繰り返し説明した。すると姉

    は,A氏の不安定さを訴え,医師と姉の押し

    問答に発展してしまった。最後は,長女が

    「私は成年後見人なんですから,私が決めま

    す!」と怒り,部屋を飛び出してしまった。

    ◯ 事例を振り返る この場面では,医師は,患者中心という価

    値観を持ちA氏の言動を考量するよう伝えて

    いる。一方で長女は,「成年後見人なのだか

    ら私が決める」と発言しており,Aさんの代

    わりに長女が決定することこそが正しいこと

    であると考えている。結果として,医師(個

    人主義)VS長女(集団主義)という構図に

    なり,悪循環に陥ってしまった(図)。

     このような事例は,人工呼吸器を希望しな

    いAさん,Aさんの思いを尊重する次女,自

    分の主張をする長女のように,すれ違いが生

    じた家族ととらえられがちである。しかし,

    個人主義・集団主義という観点から見ると,

    全く異なるアセスメントとなる。Aさんは,

    長女を「しっかりしている」と頼りにしてお

    患者が決めるべき(個人主義)

    家族が決めるべき(集団主義)

    医師

    提案する

    長女拒否する

    図◆医師と長女の悪循環

    72 エンドオブライフケア Vol.3 No.2

  • り,長女と次女に医師の説明を任せている。

    次女は,長女の発言を否定しない。長女は,

    成年後見人である自分が決めるべきだと思っ

    ている。つまり,Aさんの家族は,全体とし

    て集団主義的な傾向が強いのである。そのた

    め,「Aさんを中心に」という医療者の考え

    は,家族にとってフィットしない。

    ◯ 解決策 それでは,どうすればよかったのだろう

    か。「誰が決定するのか」を強調してしまう

    と,医療者(Aさんが決める)と家族(長女

    が決める)の対立が深まってしまう。そこで

    重要なことは,医療者と家族にとっての共通

    点を見つけることである。それが「患者に

    とっての最善」である。誰が決定するのかに

    ついては,Aさん家族の嗜好に合わせてもよ

    いだろう。

     この事例では,長女の対面を保つことが最

    も重要である。A氏が長女を頼りにしている

    こと,長女もA氏にとっての最善を考えよう

    としていることを承認していく。その上で,

    長女を中心にして,Aさんや次女の意見も踏

    まえて,Aさんにとっての最善について話し

    合うのである。

     このように,Aさん家族の嗜好に合わせた

    結果,長女は機嫌良くA氏や次女の思いを聞

    くようになった。A氏や次女も安心して語

    り,皆で相談する雰囲気が生まれた。

     また,最初の話し合いでは,胃瘻造設や人

    工呼吸器の装着が話題の中心であったが,A

    氏を交えた話し合いでは,A氏が「早く家に

    帰りたい」と訴えたため,療養場所やQOLを

    重視した話し合いに変化した。

    おわりに

     今回は,意思決定の背景にある集団主義・

    個人主義という価値観について述べてきた。

    解説では対立として紹介したが,多くの場合

    は,そのどちらも併せ持っていることが多い

    のではないだろうか。重要なことは,患者中

    心であれ,家族の代理意思決定であれ,極端

    になりすぎないことであると思う。「患者に

    とっての最善」は,まさに,その両者を包括

    してくれるのではないだろうか。

    引用・参考文献1)シーナ・アイエンガー著,櫻井祐子訳:選択の科学 コロンビア大学ビジネススクール特別講義,文藝春秋,2010.

    2)人生の最終段階における医療の普及・啓発の在り方に関する検討会:「人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン」解説編(改訂 平成30年3月)

    73エンドオブライフケア Vol.3 No.2