ケース5:事業戦略と知財戦略 「日亜化学工業:白...

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ビジネスコンサル弁理士育成のための共同研究事業報告書Ⅰ 1 ケース5:事業戦略と知財戦略 「日亜化学工業:白色LEDの開発と事業化」 米山 茂美

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ビジネスコンサル弁理士育成のための共同研究事業報告書Ⅰ

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ケース5:事業戦略と知財戦略

「日亜化学工業:白色LEDの開発と事業化」

米山 茂美

ビジネスコンサル弁理士育成のための共同研究事業報告書Ⅰ

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ビジネスコンサル弁理士育成のための共同研究事業報告書Ⅰ

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ケース5:事業戦略と知財戦略

「日亜化学工業:白色 LED の開発と事業化∗」

1. はじめに エジソンが電球を実用化してから 1世紀余りたった現在、LED(Light Emitting Diode:

発光ダイオード)による「光の革命」が起きている。街路灯や街中の看板・ディスプレイ、

駅の案内表示板、交差点の信号機、自動車のヘッドライトやテールランプ、さらに室内の

照明やテレビ・ゲーム機・携帯電話などの電子機器に使われる液晶画面やスイッチ表示な

ど、われわれの身の回りは様々な光で溢れている。これまで、このような光は電球や蛍光

灯を主な光源としてきたが、近年、その多くが次第に LEDに置き換わりつつある。 LEDは、電圧を加えると発光する半導体素子の一種であり、1962年に米イリノイ大学のニック・ホロニアック(Nick Holonyak Jr.)が世界で初めて実用的な LEDの開発に成功した。その後、1980 年代に純赤色 LED が、90 年代半ばには高輝度の青色・緑色の LEDが開発され、これら光の三原色が揃ったことで、現在では様々な色の発光が可能となって

いる。LED は、電球や蛍光灯と比べ、低消費電力・長寿命・小型という特徴をもつ。電力消費量は、電球の 5分の 1~10分の 1程度であり、一方、耐久時間は電球の 10倍~100倍にもなる。また、構造が簡単なため、大量生産によって安価に作ることができ、小型・軽

量で、衝撃に強く故障の発生する頻度も低い。LED は、このような優れた特徴から、電球や蛍光灯に代わる次世代光源の一つとして大きな注目を集めている。 当然、こうした優れた特徴ゆえに、その開発と事業化には世界中から数多くの企業が関

わってきた。しかし、それら企業のほとんどは、LED を事業として育て、そこから収益を得ることはできなかった。そのようななかで、LED の開発・事業化をリードし、市場で圧倒的な競争力を示した企業が、日亜化学工業株式会社(以下、日亜化学)である。日亜化

学は、専門家の間で 20 世紀中の実用化は難しいとされてきた高輝度の青色 LED の開発に成功し、それをもとに他社に先駆けて白色 LEDを開発、事業化していった。そして、この白色 LEDの事業化を通じて、同社は大きく成長し、高い利益率を享受してきた。 日本中及び世界中の大企業を含めて、多くの企業がしのぎを削るなか、日亜化学という

規模的には決して大きいとはいえない企業が、どのように LEDの開発・事業化を進め、高い競争力を確立できたのだろうか。電球の開発と事業化において、エジソンがスワンやソ

イヤー、ゴーベルらと特許をめぐる争いを繰り広げたのと同じように、LED でも特許が開発・事業化における競争上の重要な鍵であった。日亜化学にとって、特許はいかなる意味

を持ち、同社の競争力にどのように寄与してきたのだろうか。LED のような新技術の事業化においては、その応用市場の形成も大きな課題となる。日亜化学は、こうした市場の形

成と自社の競争力とのバランスをどのように計画・実行していったのか。さらに、ここ数

年をみると、アジアの新興企業を中心に LED市場への新たな参入が増加し、価格競争が激化している。同社はこうした状況の中で、どのような対応を迫られているのだろうか。

∗ このケースは、分析及び討議のための資料として作成されたものであり、特定企業の経営管理上の優劣を例示するものではない。ケースに記載された内容について、無断での複写・転載を禁ずる。

© 米山茂美、作成:2009年 2月 3日(第 3版)

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ここでは、日亜化学の急激な成長と高い競争力の背後にあるこのような問題を考えるた

めに、特に白色 LEDに焦点を当ててその開発と事業化の経緯を詳しく見ていこう。 2. 沿革と概要 日亜化学は、徳島県阿南市に本社をおき、LED などの電子デバイスや蛍光灯などに使われる蛍光体を製造・販売する化学会社である。創業者・小川信雄(故人)が設立した協同

医薬研究所を母体とし、ランプ用蛍光材料のリン酸カルシウムの製造・販売を目的として

1956年に設立された。 1960年代には蛍光灯用蛍光体の製造を開始、さらに 70年代には TVブラウン管用蛍光体や X線増感紙などに事業領域を拡大していった。なかでも、カラーTV向けのブラウン管用蛍光体は世界シェア 50%を握るなど、日亜化学の主力事業として 1970年代後半から 80年代における同社の成長の原動力となってきた。 日亜化学は、蛍光灯用蛍光体、TVブラウン管用蛍光体の世界的メーカーであると同時に、従業員に農作業などのための長期の夏季休暇を与える会社としても名が知られていたが、

企業規模という点からみれば、1980年代末時点で従業員数約 350名、売上高 170億円程度の中堅企業にすぎなかった。しかし、1990年代には技術的な革新企業として有名になり、企業規模も急拡大していった。 日亜化学の急成長の契機となったのが、1993年の青色LEDの開発である。青色LEDは、セレン化亜鉛(ZnSe)や炭化珪素(SiC)を用いた研究が古くから行われ、ZnSeによる青緑 LEDが早くから開発されていたほか、SiCの青色 LEDも発光強度が弱いながら市販もされていた。しかし、高輝度の青色 LEDは研究者の長年の夢であり、窒化ガリウム(GaN)をベースに世界で初めてその実用化に成功したのが日亜化学であった。さらに1996年には、青色 LEDにそれまで同社が培ってきた蛍光体技術を組み合わせ、白色 LEDを開発した。日亜化学にとって、この白色 LEDの開発と事業化が成長の起爆剤となった。 図表 1・図表 2に示されるように、1995年に約 28億円であった同社 LED関連事業の売

上高は、2000 年には約 420 億円へ、2005 年には約 1,500 億円へと大きく拡大し、それにともなって全社売上高も 1995年の約 200億円から 2000年には約 680億円へ、2005年には約 1,950億円に成長した。営業利益についても、1995年の約 20億円から 2000年には約180億円へ、2005年には約 800億円と、10年間で 40倍近く増加した。直近の 2003~2007年度の 5年間における同社の売上高営業利益率は平均で 40%を超え、LED関連事業においては 60%を超えると推測されている1)。日亜化学は、高輝度の青色 LEDを世界で初めて実用化した企業として「青色 LEDメーカー」というイメージが強いが、同社の LED事業においては 1996年に開発・実用化した白色 LEDが売上のほとんどを占めている(図表 3)。 このような成長の過程で、従業員数も増加した。2008 年末現在ではグループ全体で約

5,100人を擁し、その数は 1995年時点から 7倍近くに増えている(図表 4)。 日亜化学の組織構造は事業部制を敷いている。本社機能を持つ「総合部門」のほか、蛍

1 日亜化学工業・営業報告書、「日経産業新聞」2007年 12月 11日号、「日本経済新聞」(地方経済面・四国)2008年 3月 28日号より。

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光体事業を担う「第一部門」と、LED など光半導体関係を担う「第二部門」からなる。国内の拠点は、1979 年の東京営業所開設を皮切りに、83 年には大阪営業所、97 年に名古屋営業所と営業体制の整備を進めてきた。また 1986 年には本社に研究棟を設け、”Ever Researching for a Brighter World”(「光明一途」)をモットーに研究開発を進めている。海外展開も 1987年に台湾、88年にアメリカ、89年にマレーシアにそれぞれ子会社を設立し、90 年以降はドイツ、中国、シンガポール、香港、韓国、タイと積極的な拠点開設を進めている。図表 5及び図表 6は、日亜化学の沿革と概要をまとめたものである。 3. 白色 LED の開発 白色 LEDは、携帯電話やデジタルカメラ、ノート PCなどの小・中型液晶用バックライ

トをはじめ、広告用ビルボードや各種スポーツ施設などのディスプレイ、自動車の車内照

明などに用いられ、近年では自動車用ヘッドライトや室内照明、街路灯など多様な分野へ

の応用が進められている。2006 年末時点において、世界全体の LED の市場規模(販売金額ベース)は約 6,000億円、うち電飾・玩具向けなどのローエンド品を除く高輝度 LEDが約 4,200億円と推定され、その約 6割が白色 LEDによって占められている2)。 この白色 LED市場において、日亜化学は一時期 70~80%の市場占有率をあげていたとい

われる。2003~4年頃からは台湾・韓国などのアジア企業の参入が相次いでその市場占有率は下がりつつあるが、現在でも 40%以上の占有率を維持するリーダー企業となっている(図表 7)。 日亜化学が、白色 LEDの開発を開始したのは、青色 LEDの開発に成功した直後の 1993

年である。白色は、光の三原色(赤・緑・青)の混合や、補色関係にある二色の混合によ

って得られる(図表 8)。LEDで白色を実現する場合にも、三原色を組み合わせるか、補色を利用するかのいずれかが必要であった。このうち、赤色は 1980年代中ごろまでに実用化されていたが、青色の実用化には時間がかかり、また緑色についても黄緑色こそ早くから

実用化されていたものの、純粋な緑色は青色と同じく実用化が遅れていた。実際に、緑色

LEDは青色と同じく GaN系半導体が用いられることもあり、その実用化は青色 LEDが開発されてはじめて可能となった(日亜化学において純緑色 LEDが開発されたのは 1995年であった)。日亜化学では、1993年に青色 LEDの開発に成功すると、緑色 LEDの開発と並行して、補色を利用した白色 LEDの開発に着手しはじめた。同社・常務取締役兼第二部門開発本部長の四宮源市は、このあたりの経緯について次のように述べる3)。

「青ができた後、今度はピュア・グリーンが必要だと。しかし、これもなかなか難しかった。それで

蛍光体を組み合わせてグリーンの LED の試作を作ったりしていた。でも、そこで使われた蛍光体は

紫外線や水分などで劣化しやすいことがわかっていて、実際にそれを使って何とか白を出すことはで

きたんですが、やはりすぐに劣化してしまった。じゃあ、黄色に発光する蛍光体はどうだということ

2 日亜化学工業による推定。 3 2008年 2月 12日、日亜化学工業(徳島県阿南市)でのインタビュー調査より。以下、本文中の四宮源市・常務取締役兼第二部門開発本部長のコメントは同じインタビュー調査から得られたコメントの引用で

ある。

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で、こちらもいろいろ探ってみたのですが、同じように劣化などの問題でうまくいかずに、しばらく

研究も中断した時期がありました」。

日亜化学はこれまでの事業展開から様々な蛍光材料を持ち、技術者はその特性について

熟知していた。この当時、日亜化学では、それまで蛍光体の開発・製造にかかわっていた

技術者の多くが LED 事業に移っていたこともあり、LED に蛍光体を組み合わせるということは技術者にとってはそれほど飛躍した発想ではなかった。しかし、どの蛍光体が最も

安定的な材料として利用可能なのか、それは技術者にとっても未知の問題であった。その

ようななか、社長の小川英治が檄を飛ばした。

「『社内には黄色に発光する蛍光体ってたくさんあるけど、それを全部試したのか』って、社長がいわ

れて、それに促されてもう一度すべての蛍光体を検討していったわけです」(四宮・常務取締役兼第二

部門開発本部長)。

こうした社長の後押しによって、あらためて蛍光体の探索を開始し、結果として YAG(Ytterium Aluminum Garnet)系蛍光体にたどりついた。LED部門の技術者は、さっそく蛍光体部門に青色で励起したときに安定的に黄発光する YAGの組成の研究を依頼し、蛍光体部門での約 1 カ月間の試行錯誤を経てその基本的な組成が確立された。この技術成果を踏まえ、1996年、青色 LEDのチップを YAG蛍光体で覆い、青色 LEDの光が蛍光体を発光させる際に得られる黄色と、蛍光体を透過する青色とを合わせることで白色を生み出

すという日亜化学独自の白色 LEDの実用化に成功した(図表 9)。同社取締役・法知部長の芥川勝行は、この当時を振り返り次のように述べている4)。

「われわれにとって YAG に行き着いたということが何よりも重要だったわけですが、そこには社長

の後押しがあった。社長にはやはり、自分たちのビジネスは蛍光体だとか LEDというよりも、Brighter

World、つまり光に関連したものであって、その光の究極は白であるという強い想いがあったんだと

思います。ですから、なんとしても白をものにしたい、そういう想いが根底にあったのではないでし

ょうか」。

また、四宮・常務取締役兼第二部門開発本部長は、白色 LEDの開発における蛍光体部門との連携について、次のように振り返る。

「白色 LEDの開発で YAGにたどりついたあと蛍光体部門にその検証をお願いしました。まずは実験

計画書を書いて、それを私が判を押し、蛍光体の部門に回すという形で、一応形式的な手続きをして

お願いしたわけです。まあ実際には、実験する者同士で話ができていて、蛍光体の技術者にすれば『ま

あ、とりあえずやってみましょう』ということで。会社としては、興味があるものはやらせてみよう

というところがあって、予算に縛られないというか、予算が明確ではなくて、必要であれば予算が取

れる、必要であれば明日にでも動けるというところがあります。今までにない新しいものは、どうし

ても予算に乗らない、スケジュール管理もできないですから、やらせてみる、面白ければやらせると

いう風土がありますね。もちろん結果が出ない場合もよくありますが、当初の目的とは違うところで 4 2007年 6月 13日、日本知的財産協会での講演より。

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結果につながることもあるんじゃないでしょうか。まあ、蛍光体の事業である程度利益が出ていたと

いうことも、それを可能にした要因だったと思いますが」。

このような青色 LEDに蛍光体を組み合わせることで白色発光させる方法では、蛍光体の塗布や発光色の制御などのノウハウが求められた。しかし、日亜化学は既存事業を通じて

そうしたノウハウを蓄積しており、それが白色 LEDの開発とともにその後の早期の生産立ち上げを可能としたのであった。 4. 白色 LED の事業化 日亜化学による白色 LED の開発成功は、大きなニュースとして新聞等で取り上げられ、その応用可能性や市場性についてさまざまなメディアが注目した。しかし、日亜化学では、

白色 LEDが開発された当初は、「誰もそんなにすごいものができたとは考えていなかった」(小川社長)という。

「最初は、まあ葬儀用の照明ぐらい。カラーではおかしいから、葬儀用のモノクロ照明には使えるだ

ろうというぐらいで。その後大きくなった携帯の液晶用バックライトや、一般照明用の光源としてこ

んなに大きくなるとは考えていなかったわけです」(小川社長)5)。

実際、白色LEDは1996年に開発されてすぐに大きく売れるようになったわけではなく、最初はオーディオ製品の表示用液晶バックライトの光源として、他の各色 LEDとともに製品化された。それが事業として大きく成長しはじめたのは、1990年代末ごろからの携帯電話の急速な市場拡大と、デジタルカメラや PDA、ポータブル・ゲーム機などの小型電子機器の普及にともなって、それら機器の液晶用バックライト光源に用いられるようになって

からであった。特に、携帯電話のバックライト光源は白色 LEDのもっとも重要な用途先として、同社の LED事業発展のけん引役となった。 日亜化学では、こうした白色 LED の事業化に向けて、1990 年代後半以降、設備投資を活発化させていった。図 10に示されるように、LED関連の設備投資額は 1996年以降 2000年にかけて急激に増加している。白色 LED が開発された 1996 年には前年の 19 億円から32億円へ、1997 年には 72億円へと倍増させ、2000年には 185億円と設備投資は大きく膨らんでいる。その額は、それぞれの年度の同社の全社営業利益を上回るものであり、同

社にとってはまさに社運を賭けた投資であった。 こうした投資は、白色 LEDの初期の主要用途である携帯電話が市場として本格的に立ち上がり始める時期に先行してなされたものであった。社長の小川は、当時の設備投資の意

思決定について、次のように述べている。

「うちの会社が成長できた一番の理由は、携帯電話が普及していったことで、それがなければ成長は

なかった。それはうちの力ではないわけであって運が良かっただけです。まあ、LEDという部品につ

5 2008年 2月 12日、日亜化学工業(徳島県阿南市)でのインタビュー調査より。以下、本文中の小川英治社長のコメントは同じインタビュー調査から得られたコメントの引用である。

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いて、うちの会社で青、そして白が作れるようになったわけで、せっかくそれがモノにできたわけで

すから、大きくやれば何かできるんじゃないかと、その程度の考えでした。当時の設備投資は、当社

にとっては確かに大きい額でしたが、まあ当時は借金が勝つか、当社の事業が勝つかと。せっかくい

いものができたわけだから、あとでこれはかつてこの会社が作ったものだと教科書に書かれるだけの

存在じゃなくて、それで商売をしていかなければいけないわけで、できた成果を最大限活かすために

はどうしたらいいかと。われわれはもともと田舎の粉屋ですからね、そういう会社がせっかく良い技

術を作って、それで商売をしていくんだったら、あまりお金を惜しんでいたんでは難しいし、それ相

当の授業料を払わなければならないなと。まあ、新しい仕事が根付いていくためには授業料がいりま

すわね。」

日亜化学におけるこのような意思決定の背後には、一方で同社が既存製品の一つとして

無機 EL蛍光体を扱っており、その事業化の過程で液晶用バックライト光源に大きな需要があるということを認識していた点も関係している。同社では、1990年代前半に無機 EL蛍光体の応用の幅を広げようと、東芝から分散型ガラス封止 ELの製法に関する技術指導を受け、その発展として樹脂フィルムを使った分散型フレキシブル ELを開発、液晶用のバックライトとして事業化していた。しかし、EL蛍光体は水分に弱く、防湿フィルムを用いてようやく製品になるという代物であった。一時期、年商数億円を販売するまでになったが、

製品の信頼性の点で同社の基本方針と合わず、1996年に中止していたという経緯があった。結果として ELは事業としては成功しなかったが、その経験から液晶バックライトの需要がかなり大きいものであることが認識され、またその性能に対するユーザーの要求内容が同

社の財産として蓄積されていた6)。 このような経緯から日亜化学は白色 LEDの事業化に向けた積極的な設備投資を行い、携帯電話市場が立ちあがると、機器メーカーからの受注にいち早く対応することができた。

そして、それが同社の白色 LEDの先行的な納入に結びついた。

「やっぱり最初のサプライヤーは有利です。LEDのような小さい部品にも意匠というのがあって、全

く同じデザインでないと置き換わらないんです。逆にいえば、ほかの会社は真似して入ってこなけれ

ばなりませんから当然たたかれることになります。そういう意味で、2 番手になると、最初のメーカ

ーに合わせた設計をしないとお客さんが受け入れてくれないという面があって、なかなか追いつくこ

とはできないんです」。(四宮・常務取締役兼第二部門開発本部長)

こうした設備投資とは別に、日亜化学は白色 LEDの事業化に際して次のような明確な方針を設定し、それを貫いていった7)。 (1) 安易な拡大路線に付かず、自力中心の取り組みを行う。 (2) 年商一千億円程度の事業をイメージして、商品化対応を行う。 (3) 販売はユーザー直接販売という日亜方式で行う。したがって、そのための営業体制づ

くりを行う。 (4) Dice販売(チップ販売)は特別な場合を除き原則行わないものとする。

6 日亜化学・知財部編、『社内報 窒化物 LEDの真相』, 2003年より。 7 日亜化学・知財部編、前掲資料より。

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(5) 知的財産権の一方的譲渡は行わない。 (6) 必要資金の調達は投機的要素の高い株式市場に頼らず、個人保証が必要であっても返

済義務のある銀行借り入れとし、背水の陣で臨む。 日亜化学には、青色 LED、さらに白色 LEDを開発して間もなく、「日亜のような経営資源の乏しい会社が有効に仕事を進めていくには、事業経験の豊かな会社とタイアップした

ほうがいいですよ」という話が多く持ちかけられたという。ある大手電機メーカーからは、

「うちの会社は世界に販売網を持っているので、そのルートを使えば日亜は仕事が増えて

よいのではないか」という打診もあった。しかし、日亜化学はそうした提案を一切検討の

対象とはしなかった。日亜化学の基本方針は、あくまでも「良いものを上手に造ること」

にあり、そのためにはユーザーの生の声を聞く必要があり、直接営業担当者や技術者がユ

ーザーを訪問し情報を集め、製品に反映していくことを基本とした。 また、日亜化学は、Dice販売(チップ販売)はせず、LEDとしての完成品またはその応

用商品を販売することを原則とした(後述するように、白色 LEDでは 2002年以降、一部の企業に対してチップ販売を開始している)。そのため、Dice生産ができただけで事業化するのではなく、LED 完成品の生産までを視野に入れた。応用商品は、それを手掛けることで LEDに必要とされる諸特性を理解して品質改良に役立てることができ、また LEDの用途開発を行う提案型企業となり、顧客と共同して LED市場の拡大を図ることができると考えられた。実際に、液晶用バックライトでは光源ユニットを手掛けることによって、LEDに対する必要特性の理解が進み、バックライト用 LEDのパッケージ開発へと事業を発展させていった。ディスプレイについても、LED ディスプレイが世の中に認知され、普及するのを促進するため、単に LED チップの開発だけでなく、LED をクラスターやユニットにしてディスプレイメーカーに販売した。この結果、LED ディスプレイは広告用のビルボードで普及が始まり、その後イベント用や舞台用、各種スポーツ施設、交通機関の諸施設へ

と大きく普及が進んでいった。 図表 11 は、白色 LED の事業化の形態を示したものである。後述するように、現在、白色 LEDの事業は、デバイス(パッケージ)を中心に、チップ、モジュール、器具という形での展開があり、メーカーによって方向性が異なる。そのなかで、日亜化学はデバイス売

りを中心とし、チップ単体での販売は原則行わない方針を貫いてきた。最近ではより川下

のモジュールの開発にも進出している。

「LEDのビジネスで、やっぱり苦労するのはチップ屋です。パッケージもいろいろ難しいところがあ

るが、単にチップ屋になると、パッケージにしていろいろ問題が出てきたとき、(チップ側なのかパッ

ケージ側なのか)どっちが問題なのかわからなくなる。力関係としては、チップ屋の方が弱いですね。

だから、チップ売りは当面辞めておけと。パッケージにしてこういうものができますという形で始め

た。そのかわり、投資はたくさん必要になります。商売を早く始めるんならチップ売りでしょうけど、

早く手軽に儲けるといってもそれは一時のものであって、すぐに頭を押さえられてしまう。モジュー

ルは一部やってはいますが、それは LED のシステムを普及させるためであって、まあそこはあまり

欲張らないと・・・。」(小川社長)

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このように日亜化学はデバイスの開発・販売、さらに一部モジュール開発を扱うことで、

白色 LEDの応用製品・システムの幅を広げ、市場を開拓していった。そして、日亜化学はその市場の発展とともに大きく成長していくことになる。

「われわれにとって良かったのは、このような用途市場がわれわれの企業の規模に見合った形で成長

していったことです。いきなり大きな市場ということであれば、日亜の企業規模からいって対応する

ことはできなかったでしょう。この点でも運が良かったと思います。」(芥川・取締役兼法知部長)8)

5. 知財戦略の展開 日亜化学は青色 LED を開発した 1993 年前後から LED 関連の特許出願を活発化させ、

白色 LEDを開発した 1996年以降には特許出願をほぼ倍増させて自社の技術の権利化を積極的に推し進めていった(図表 12 参照)。1996 年~2005 年までの 10 年間における GaN系 LEDの特許出願を見ると、日亜化学は競合企業である豊田合成の約 1.7倍の特許出願を行っている。その結果、白色 LEDとその基礎となる青色 LEDの開発・生産に必要な基本特許のほか、周辺特許を体系的に押さえて包括的な特許網を構築していった。 また、単に特許の量的な整備だけでなく、質的にも特許網を充実させていった。たとえ

ば、日亜化学は白色 LED特許のなかに、発光素子の形状や蛍光体の組成について限定のないものを組み込むことで(図表 13参照)、青色領域の可視光を発光する GaN系半導体素子に何らかの蛍光体を組み合わせて白色発光する LEDの多くを排除することを狙った。 事業化の基本方針でも示されたように、日亜化学は特許をはじめとする知的財産につい

て、その一方的な譲渡は行わない方針が原則である。同社は、知的財産に関して事業の発

展段階に応じた以下のような戦略を持ち、白色 LEDについてもその方針の下で知的財産の管理・活用を行うことを基本とした。 (1) 第一段階(製品化~5年) ライセンスを供与せず、自社内で特許技術を留保する(本業に専念する)

(2) 第二段階(5年~) 市場の形成のため、技術的に補完関係を築けるメーカーに限定的にライセンスを供

与する (3) 第三段階(~10年) クロスライセンス契約によって製品開発の迅速化や共同開発を実施する

(4) 第四段階(10年~) 他メーカーに広くライセンス供与し、自社の優位性を促進する

第一段階では、他社に一切ライセンス供与せず、独占排他権である特許の特性をそのま

ま利用した戦略を志向する。特許技術を利用した製品はすべて自前で製造し、自前で市場

に投入する。競合をできる限り排除することで価格競争に巻き込まれることなく、大きな

利益を確保する。第二段階では、LEDの市場拡大のために補完関係を築くことのできる限 8 2008年 6月 12日、日本知的財産協会・経営支援プロジェクト研究会での発言より。

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定的な企業に対してのみ、特許をライセンス供与する。そして、市場に追随企業が現れた

後には、それら企業とクロスライセンスを結び、製品開発のスピードアップや、必要に応

じて共同開発などを展開する第三段階に移る。この段階では、競合同士が互いに技術を供

与しあうことで技術進歩を進めるとともに、後発企業の市場参入を阻むという狙いもある。

最後に、広く他社にライセンス供与することで特許料収入を増やす。これが第 4 段階であり、一方的な権利譲渡に当たるが、あくまでもこれは最終段階での戦略と位置づけられる。 白色 LEDの場合にも、日亜化学はまず、徹底した特許のクローズト・ポリシーを展開した。日亜化学には、LED 技術をめぐってソニーやパナソニックなどの大手メーカーを含む10 数社からライセンス供与の申し出があったといわれるが、同社はその申し出を拒否し続け、他社の市場参入を回避してきた。

「特許というのは権利行使するのが正論で、自社の生産を守るのが特許の本来の役割です。ライセン

ス・オファーをしてきた会社は、もともと蛍光体をやっている時からのお客さまも含まれていたわけ

ですから、ライセンスしてくれと言われれば普通はするんでしょうけど、トップの考えでそれをしな

かった。それよりも、LEDを使ったビジネスでお客様に儲けてほしいと。そういう考えだったんです。」

(芥川・取締役兼法知部長)9)

また、この時期には自社の特許権に抵触する可能性のある競合企業の製品を徹底して排

除する戦略をとった。1996年から 2001年までの 5年間に、日亜化学は豊田合成と約 40件にのぼる訴訟を起こしている。国内だけでなく、異なる技術で青色 LEDを開発したとされる米国Cree社とその製品の輸入販売を行っていた住友商事に対しても特許侵害による訴訟を起こすなど、徹底して特許の独占排他権の活用を図った。取締役・法知部長の芥川は、

この当時の知財戦略を次のように振り返る。

「私は、経営(層)からライセンスしてお金を取ってこいとは言われません。とにかく(他社の参入

を)やめさせてこいと。特許で金を儲けるというつもりは全くないわけで、力のある会社とクロスラ

イセンスをして技術を自社に取り込むこと以外は、とにかく相手をディスターブさせる、参入の時期

を遅らせる、時間を稼ぐというのが特許戦略だと。特許は、相手のやる気をそがせるもので、その間

に自社の本当の競争力を磨いていこうと。・・・うちは豊田(合成)さんと特許を巡って大戦争をした

わけですが、世界のトヨタ(のグループ企業)と訴訟を 40 件やったというので、日亜って変な会社

だと、徹底してやる会社なんだと思われたと思います。結果的にはこれが、他社が入り込もうという

のを躊躇させることにもなった。大手にしてみれば、何十件も訴訟を抱えるのは、役員会だとか株主

対応などで面倒だと、逡巡したんだと思う。そうしているうちに技術がどんどん高度化してしまった

ということ、あるいは価格がどんどん下落してしまったということで、たとえ入っても儲からないよ

と。そういう形で、我々とすればうまく時間をつなげてこれたんだと思います。」

こうした第一段階における競合の参入の徹底した排除は、将来的な競合対応への布石で

もあった。つまり、

「多くの企業が参入すれば、その後の競争のなかでいずれ撤退する企業が現れ、その企業が装置を安

9 2008年 2月 12日、日亜化学工業(徳島県阿南市)でのインタビュー調査より。以下の芥川勝行・取締役兼法知部長のコメントは同じインタビュー調査から得られたコメントの引用である。

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くアジア企業に供給することで将来的に多くのアジア企業との競争が激化することになりかねない。

包括的な特許網の構築とその積極的な権利行使には、技術的な可能性や市場の潜在性を見て不用意に

参入する企業を防ぐことで、将来の競争をできる限り回避しようという狙いもあった」(芥川・取締役

兼法知部長)。

しかし、2002年以降、日亜化学はこうした特許戦略を大きく転換し、第二段階を迎えた。 白色 LEDの需要が携帯電話の液晶バックライト光源として大きく伸び、さらに自動車の車載用途などに広がり始めるなかで、日亜化学は 2002年 2月に「シチズン電子」と「朝日ラバー」に白色 LEDの販売及びライセンス供与を行い、事業提携を通じて市場の形成・拡大を図っていった(その後、日亜化学は自動車用ランプ大手のスタンレー電気と白色 LEDの生産・販売で提携している)。

「LEDを普及させるためのパッケージ技術を求めて、シチズン電子さんや朝日ラバーさんと手を組ん

だ。これは市場を広げるためです。シチズンさんや朝日ラバーさんは自前のパッケージ技術を持って

いますからね。実は、正式に契約するまで相当長い期間やりとりしていました。他の大手の会社から

も話はありましたが、自分たちと同じことをやろうとしている会社と一緒にやってもね。協力してや

っていける会社と競争になってしまう会社は分けなければいけません。たとえライセンス料をもらっ

たとしても、競争相手を増やすだけの協力はしない。その点、朝日とシチズンは協創できる相手です。

お互いに同じ土俵で話ができる。大手だと、上から話がきがちですしね。チップを出して、向こうが

パッケージして得意の分野に販売していく。たとえば、朝日ラバーさんはチップにきれいなキャップ

をして自動車メーカーに出していくわけです。」(小川社長)

このような第二段階のライセンス供与を通じた市場形成のためのパートナー作りの一方

で、白色 LEDでは第三段階のクロスライセンシングもほぼ同時期にスタートしていた。そこには、2000年 8月と 11月に豊田合成に対する訴訟で勝訴判決を手にしたものの、翌 2001年には複数の審決取消訴訟で敗訴し、米国 Cree社に対する特許権侵害差止請求も棄却されたという経緯があった。また、Cree社やドイツ OSRAM社をはじめとして、日亜化学とは異なる方式によって青色・白色 LEDの開発に成功する企業が出始めたことで、特許権により他社の市場参入を防ぐという戦略を維持することが困難な状況になりつつあった。

「豊田さんと 5年間にわたって特許紛争していたわけですけど、いろいろな会社と多くの訴訟をすれ

ばすべてに勝つことはできません。うちがたくさんの特許を出して、それに対してクレームをつけて

裁判に持ち込むわけでしょ。それを豊田さんを含めて 50件も 60件もやられたら、うちの技術では対

応できないわけですよ。最初は少なかったから対応していたんですけど。まあ、勝てない勝負しても

しかたないですからね。ただ、その間にうちの現場の力をどんどん強くしていって、商売で勝ったら、

それでいいんですよ。現場の力がつくまでの間は何とかブロックしようと、でもだんだんブロックで

きなくなってきた。それでクロスライセンスをかけたわけです。」(小川社長)

具体的には、2002年 6月にドイツ OSRAM社、9月に豊田合成、10月に米国 LumiLeds社、11 月には米国 Cree 社と相次いでクロスライセンス契約を締結した(図表 14 参照)。それは相互に特許について争わないという不争協定であり、その結果 2002年にはそれまで

ビジネスコンサル弁理士育成のための共同研究事業報告書Ⅰ

13

の一連の特許紛争はほぼすべて終結することとなった。 現在、日亜化学は、今後の中国市場への展開を考慮して、台湾 Opto Tech 社との提携を進めている。中国における機器メーカーの要望を吸い上げ、また中国内に販売網を築くう

えでこうした提携先が有効に働くと考えている。日亜化学の高付加価値品と、パートナー

となる台湾企業の低価格品を合わせることで、中国市場向けの豊富なラインアップを用意

する。ただし、この際にライセンス供与する技術は吟味する。すでに知財戦略の第四段階

に位置づけられる青色 LEDのみを対象とし、第二・第三段階にある白色 LEDについては供与していない。加えて、特許の使用は許諾するものの、製法ノウハウについては社内に

留保する。こうした厳密な知財の管理を通じて技術の流出を防いでいる10)。 以上のように、日亜化学が知財・特許を戦略的にとらえ、その管理・活用を用意周到に

進めてきた背景には、蛍光体事業を主力で行っていたころから、特許にかかわる問題にし

ばしば直面した経験があったことが関連している。蛍光体やその商品化に当たり特許は避

けて通れない問題であり、特許の重要性を意識していた。日亜化学は、その当時に特許で

争っていた相手方企業の知財担当者を自社に迎え入れるなど、LED 事業の展開の過程で多くの知財専門者を中途で採用していった。 6. 生産ノウハウの確立と装置・部材の内製化 日亜化学では、LED の事業化において特許とともに、もう一つの知財である生産ノウハウの重要性に着目し、その管理と活用を図っている。白色 LEDの生産では、塗布した蛍光体を透過する青色光の割合を正確に揃えることが難しいため、発色のばらつきが生じがち

である。また、蛍光体が LEDチップの発熱で劣化する問題もある。日亜化学の特許網をくぐり抜け独自の技術によって白色 LED市場に参入した企業や、日亜化学とクロスライセンス関係にある企業、及びそれら企業からのライセンス供与を受けて市場に参入した企業の

いずれの場合でも、こうした製造上の問題を克服して、不良率が低く信頼性の高い製品を

供給することは容易ではなかった。日亜化学は、青色・白色 LEDの事業化の過程で、蛍光体部門と協力しながら従来の蛍光体技術を高度化させてこうした問題を一つ一つ解決して

いった。 社長の小川英治は、日亜化学の真の競争力はこのようにして確立した「モノづくりの技

術・ノウハウ」にあるという。同社ではそうしたノウハウの保全を重視し、公証役場での

証拠保全を徹底している。また、ラボノート 1 冊につき 5,000 円の報奨金を用意し、特許出願せずに秘匿したノウハウに対しても関連する技術者に報酬を支払うなど技術者に対す

るインセンティブを充実させてきた。技術人材の採用は徳島県出身者が多く、人事面で地

元色を保つことで、ノウハウの流出にも配慮している。 また、装置や部材の内製化についても、その開発・改良のための技術者が全技術者の約

半数を占めるほどであり、これら人材に自由な研究風土と豊富な研究費の提供を通じて、

流出防止に努めてきた。「重要な装置の自社開発こそ、自社の生命線である」という日亜化

10 以上、ここでの知財戦略の内容と LED事業での戦略転換に関する記述は、芥川・取締役兼法知部長の講演、及び鮫島正洋編『新・特許戦略ハンドブック』(商事法務)を参照、一部引用している。

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14

学の経営方針の下で、GaN系化合物の単結晶膜製造に必要なMOCVD装置の内製化も行ってきた。製造においては、前工程は決して外部の協力企業には委託せず、すべて社内で行

うことで生産工程をブラックボックス化している。 7. 競争の激化と日亜化学の対応

1990年代末以降、携帯電話機用液晶パネルのバックライト光源を中心に大きな成長を遂げてきた白色 LED 市場は、今後さらにその市場規模を拡大させていくと見込まれている。中・大型液晶モニターや薄型テレビのバックライトをはじめ、自動車のヘッドライト、照

明機器での注目度が高まり、すでに実用化のフェーズに入っている。実際、東芝は 2005年発売のノート・パソコンから白色 LEDを搭載し、他社も追随しつつある。また、モーターショーに出展される最近のコンセプト・カーでは当たり前になっていた白色 LEDヘッドライトも一部の高級車で実用化された。照明用途では街路灯で白色 LED 搭載品が増え始め、パナソニック電工のように一般家庭も視野に入れた白色LED照明機器のラインアップを拡充し始めたところもある11)。LED 照明推進協議会は、2015 年には従来光源(白熱電球、蛍光灯、HID)の置き換わりが進み、すべて置き換わるとすれば約1兆円の市場規模になると想定している12)。さらに 2020年までには LED独自の照明用途も開拓されると予想する。 こうしたなか、既存の白色 LED 市場も依然として成長の余地が残されている。BRICs諸国などで携帯電話の出荷台数が増え続けているためである。携帯電話機向けの白色 LEDの出荷数はまだまだ伸び続けると見方が大半を占めている。 このように既存市場の発展とともに新しい用途市場が広がりを見せるなか、日亜化学を

はじめとする白色 LEDメーカーは前途洋々に見えるが、実際には必ずしもそうとはいえない状況が生まれている。新規市場の立ち上がりには時間を要する一方で、既存市場は競争

の激化とそれに伴う白色LEDの単価下落で金額ベースでの市場の伸びがあまり期待できなくなっている。中・大型液晶や車載機器が本格的に普及段階を迎えるにはあと数年、照明

機器は 2015年ころに普及段階に入るとみられている。新規市場で稼ぐ前に、既存の LEDメーカーは疲弊してしまう可能性がある13)。 現在、白色 LED市場には、日亜化学と豊田合成、ドイツ OSRAM社、米国 Cree社という大手のチップ・メーカーのほか、川下のパッケージやモジュール、アプリケーション(器

具)の分野に多くの企業が参入し、事業を展開している(図表 15)。上記 4社以外にチップを生産しているメーカーには、日本の住友電工や昭和電工など独自の方法で白色 LEDを手掛けるメーカーのほか、4社からのライセンスを受けてチップを生産するいくつかのメーカーが存在し、そこから川下に向けた展開を模索する。逆に、パナソニック電工や東芝ラ

イテックなどの照明メーカーは器具からモジュール、デバイスという川上展開の方向性を

探る。今後、高出力の GaN系チップが一般に外販される市場環境が整えば、照明メーカー 11 日経エレクトロニクスWebサイト、「白色 LED市場、笑うのはだれ?」、(http://techon.nikkeibp.co.jp /NE、2006年 9月 26日)より。 12 LED照明推進協議会、「白色 LEDの技術ロードマップ」、2008年 4月改訂版より。 13 日経エレクトロニクスWebサイト、前掲資料より。

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15

が白色 LEDに参入してくるとみられている14)。 参入メーカーは、日系はそれほど増えていないが、台湾や韓国、中国メーカーが増加、

特に台湾メーカーは 2003~04年にかけて急増した。台湾では、2007年 3月に台湾メーカー3 社が合併して誕生し、その生産能力は日亜化学をも上回るともいわれる Epistar が GaN系 LEDのチップ増産を拡大、そのほか EverLigntや Lite-On、Harvatekなどの有力 LEDメーカー(パッケージメーカー)が市場に相次いで参入している。 これら新興の白色 LED メーカーは既存の携帯電話機用が伸び続ける BRICs や、伸びが小さくなったとはいえ市場規模がまだまだ大きい欧米の市場に向けて、携帯電話機のバッ

クライト光源用の白色 LEDの出荷を伸ばしている。当初、これらアジア・メーカーが作る白色 LEDは日亜化学の白色 LEDと比べ性能、品質面で劣ることから、携帯電話テンキーや電飾、玩具などで用途展開し、日亜化学とすみ分けができていたが、台湾・韓国メーカ

ーのなかには、技術水準を向上させて、高輝度が求められる携帯電話バックライトなど日

亜化学がこれまで市場を押さえていた用途をターゲットに商品展開するメーカーも現れて

きている15)。 白色 LEDの市場にこのような台湾・韓国・中国メーカーが参入してきたのは、日亜化学

を含めて大手メーカーがクロスライセンスを結んでいることや、一部の大手メーカーが新

興メーカーに白色 LED関連の特許技術をライセンス供与していることが関係している。白色 LEDや、白色 LEDの基になる青色 LEDなどは大手の特許網があり、それ以外の LEDメーカーが市場に入り込むのは困難で、いくら新興メーカーの技術水準が向上したとはい

え、特許網を突き抜けるのは容易ではない。しかし、例えば日亜化学工業とクロスライセ

ンス契約を結ぶ米 Cree社の青色 LEDチップを、またドイツ OSRAM 社から OSRAM独自の白色 LEDのライセンスを受ければ、これら新興メーカーは特許網に抵触することなく白色 LEDを製品化することが可能となる16)。 もちろん、地域によって白色 LEDの有効な特許を保有する大手メーカーが異なるため、すべての地域で新興企業との競争に直面するわけではない。たとえば、日本市場の場合に

は、日亜化学工業が強力な白色 LED特許を保有しており、台湾勢の白色 LEDはほとんど入っていない。それに対して、米国市場や欧州市場では、欧米メーカーが多くの特許を保

有しているといわれ、実際にそれら大手メーカーからライセンスを受ける台湾・韓国勢の

製品がこれら市場に参入している。そもそも大手メーカーの特許が少なく、特許網に「抜

け」が多いといわれる BRICs市場では、台湾・韓国勢の勢いを止めるのが難しい状況にある17)。 このようななかで、白色 LEDの価格は急激なペースで下落し、2003年ごろと比べて三分の一ほどまで下がった。日亜化学の光半導体事業の営業利益率も、2003年度の 73.7%をピークに、2007年度には 47.3%と 25%以上も低下し18)、その成長神話にも陰りが見えつ

つある。

14 総合技研株式会社、『2008年版 白色 LEDの現状と将来性』より。 15 総合技研株式会社、前掲資料より。 16 日経エレクトロニクスWebサイト、前掲資料より。 17 日経エレクトロニクスWebサイト、前掲資料より。 18 「日経産業新聞」2007年 12月 11日号及び「日本経済新聞」(地方経済面・四国)2008年 3月 28日号

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日亜化学は、こうした状況に対応するために、すでにいくつかの手を打っている。その

一つは、今後の LED市場の広がりを見据えた技術開発と、そのための他社との提携の拡充である。日亜化学は白色 LED事業の展開の過程で、製品の品質・信頼性とともに、輝度の向上に向けた連続的な技術・製品開発を推し進めていた。図表 10に示されたように、白色LEDを開発した 1996年以降、設備投資と同時に試験研究費を一貫して増加させ、2002年までにその額は約 4.5倍に増加させている。この間、開発要員の数も 1996年に 100名強であったものが 2002年には 600名を超え、GaN系 LED開発における開発要員数で世界最大の開発陣を擁するまでになっていた。その過程で築き上げてきた技術開発力をベースに、

日亜化学は白色 LED の発光効率や演色性の向上に向けてさらなる革新を進めていった。2006年 3月には、発光効率が 100 lm/W(ルーメン/ワット)の白色 LEDを開発し、同年 6月からサンプル出荷を始めた。2005年時点では、100 lm/Wは 2010年頃の市場導入とされていたが、それを 3~4年前倒ししたものであった。さらに、2006年 12月には、150 lm/Wの白色 LEDの開発に成功した。これは、蛍光灯(3波長、90 lm/W)の 1.7倍、白熱電球(13 lm/W)の 11.5倍で、最も発光効率が高いとされている高圧ナトリウム灯(132 lm/W)をも凌ぐものである。 また、演色性(発光色の色合い。太陽光の下での色合いを Ra=100とする)についても、

YAG 系蛍光体の添加剤を見直し、Ra=80 超を実現した。一般的に、青色 LED チップを使う白色 LEDにおいて演色性を高めるには、赤色や緑色の蛍光体材料を添加したり,黄色の蛍光体材料を緑色と赤色を配合した材料に切り替えたりする手法が知られている。日亜化

学工業では「Raが 90を超える白色 LEDを得るには,蛍光体材料を抜本的に変更する必要がある。ただし,Raが 90超の用途は美術館の照明などごくわずか。Raが 80台で十分という市場は規模が大きい。ここには YAG系蛍光体材料を工夫することで十分対応できる」(取締役・向井孝志)19)と考えている。 こうした技術開発と並行して、新しい用途市場のための LEDパッケージやモジュールの開発を進めるために、他の企業との提携や共同開発を加速させている。2007 年 9 月にはCree社とのクロスライセンシングの範囲を拡大し、白色 LEDに関する特許と Cree社の複数の窒化物レーザーの特許を加えた。また、2007 年 12 月には、シチズン・ホールディングスとの間に資本提携を結び、2002年以来のシチズン電子とのライセンス関係をさらに発展させ、相互の経営資源の有効利用によって広がりを見せる新規分野への進出を図ること

とした。さらに、小糸製作所とは自動車のヘッドランプ用の LED 光源の共同開発を行い、トヨタの高級ブランド「レクサス」の新型車に世界で初めて搭載した。自動車用ランプの

世界市場は約 1 兆円とされ、2010 年には自動車生産台数の 5%が LED ヘッドランプを搭載するとの予測もある20)。より最近では、2008 年 11 月に、シャープと LED および半導体レーザーに関するクロスライセンス契約を締結、より高性能な LEDや半導体レーザーの創出を図り、拡大する市場のニーズへの対応の布石とした。 このような対応の一方で、日亜化学は台湾や韓国メーカーに対して積極的な権利行使に

での推定。 19 日経エレクトロニクスWebサイト、「発光効率 100lm/Wの白色 LED,日亜化学が 2006年 6月にサンプル出荷開始」(http://techon.nikkeibp.co.jp /NE、2006年 3月 8日)より。 20 「日経産業新聞」、2007年 12月 11日号より。

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も乗り出している。台湾メーカーに対しては、2003年 8月以降、台湾や日本で製造や輸入の差し止めを求めた裁判を起こしているが、今後は訴訟対象を機器メーカーに広げること

も辞さないとする。実際に訴訟に至った例はないが、日米の機器メーカーに対して「台湾

製の特許侵害品を使用しないように」と搭載中止を要求している。その結果、台湾製品の

使用を撤回し、日亜化学製品に切り替えた企業もある。さらに、機器メーカーにとどまら

ず、米国では販売流通業者に対する警告も発している。販売流通業者との交渉の結果、ア

ジア企業の白色 LEDから日亜化学製品に切り替えるとことも多々あるという21)。 また、韓国企業については、ソウル半導体に対して日米韓の裁判所に特許権や意匠権の

侵害で訴訟を起こしている。米国では 2007 年 11 月にソウル半導体の意匠権侵害を認めた陪審員評決が下った。2008年 5月、そして 9月には、英国で GaN系半導体素子の構成及び製造方法に関する訴訟を提起した22)。ここでも「特許権侵害品を使っていたユーザーが

当社製品に切り替えている」23)とその実効性を強調する。 日亜化学では、こうした活動を広く啓蒙すべく、同社の製品を使っていることを示すラ

ベルを機器メーカーに頒布している24)。米国インテル社が同社の CPU を採用しているパソコンに「Intel Inside」という表示のラベルを張ることを推奨したことがあるが、日亜が頒布するラベルは「日亜インサイド」を示すものともいえる。 今後、白色 LEDのさらなる市場成長と用途の広がりの中で、日亜化学はどのように競争に対処し、これまでのような持続的な発展と利益を確保していくことができるか。日亜に

とって、これまで以上に難しい経営の舵取りが求められている。// 謝辞 本ケースは、筆者と日本知的財産協会・経営支援プロジェクトとの共同研究成果の一部

である。同協会・専務理事(当時)の宗定勇氏及びプロジェクトリーダーの武田安弘氏(ブ

リヂストン知的財産部長)には調査研究上のご支援をいただいた。また、日亜化学工業の

小川英治社長をはじめ、四宮源市・常務取締役兼第二部門開発本部長、芥川勝行・取締役

法知部長にはヒアリング調査及びプルーフ・リーディングでの多大なご協力を得た。ここ

に記して感謝したい。

21 鮫島正洋編、前掲資料より。 22 2009年 2月 2日、日亜化学とソウル半導体は訴訟を和解し、クロスライセンスを締結した。これにより、特許その他の紛争に関して、米国・ドイツ・日本・英国および韓国において争われていた両社間の訴

訟すべてについて和解が成立した。 23 「日経産業新聞」、2007年 12月 11日号より。 24 日経エレクトロニクスWebサイト、「「日亜インサイド」,米国に上陸」(http://techon.nikkeibp.co.jp /NE、2005年 1月 20日)より。

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図表 1 日亜化学:売上高・営業利益の推移

(出典)日亜化学・営業報告書及び「日本経済新聞」(地方経済面・四国)2008年 3月

28日号より作成。

図表 2 光半導体事業の売上高と営業利益

(出典)日亜化学・営業報告書、「日経産業新聞」2007年 12月 11日号、及び「日本経済新聞」

(地方経済面・四国)2008年 3月 28日号より作成。2002年~2006年度の営業利益

額は「日経産業新聞」による推定。2007年度は、「日本経済新聞」に基づき、営業利

益ではなく経常利益を用いている。

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図表 3 日亜化学:LEDの色別売上高

(出典)日亜化学・芥川勝行氏(取締役・法知部長)の講演資料(2004)より。

図表 4 日亜化学:従業員数と平均年齢・勤続年数

(出典)日亜化学・営業報告書より作成。

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図表 5 日亜化学:会社の沿革 第一期 1956~1965 高純度カルシウム塩類他

昭和 31年 阿南市新野町(現新野工場)に日亜化学工業株式会社設立

昭和 39年 上中工場(現本社)操業開始

第二期 1966~1972 照明用蛍光体/カルシウム塩類他

昭和 41年 蛍光灯用蛍光体の製造開始

昭和 43年 GE社と蛍光体製造特許実施契約を締結(昭和 55年に終了)

昭和 46年 TVブラウン管用蛍光体の製造開始

昭和 47年 本社を新野町より上中町(現所在地)へ移転

第三期 1973~1992 各種蛍光体(蛍光灯/ブラウン管/X線増感紙)他

昭和 49年 徳島工場操業開始

昭和 51年 塩野義製薬株式会社との合弁により日亜薬品工業株式会社設立

昭和 52年 蛍光灯用三波長蛍光体の製造開始

昭和 54年 東京営業所開設

昭和 58年 大阪営業所開設

昭和 61年 本社に研究棟落成

昭和 62年 台湾の連合照明(現台湾日亜化学)有限公司に資本参加

昭和 63年 日亜アメリカコーポレーション設立

平成元年 日亜マレーシア株式会社設立

第四期 1993~ 蛍光体/LED/ファインケミカル他

ドイツに日亜ケミカルヨーロッパ GmbH設立 平成 5年

世界初高光度(1カンデラ)青色 LED開発に成功

世界初高光度(2カンデラ)青緑色 LED開発に成功 平成 6年

青色 LEDで世界最高光度(2カンデラ)を達成

辰巳工場操業開始

世界初高光度(6カンデラ)純緑色 LED開発に成功

平成 7年

世界初青紫色(410nm)窒化物半導体レーザ―の室温パルス発振に成功

白色 LED開発に成功 平成 8年

青紫色半導体レーザーの室温連続発振(35時間)に成功

名古屋営業所開設

日亜アメリカコーポレ-ション新工場操業開始

アメリ力にサンノゼ営業所開設

中国に上海代表処開設

本社に新研究棟落成

青紫色半導体レーザーの室温連続発振1万時間を達成

平成 9年

世界初紫外発光 LED開発に成功

平成 10年 世界初黄色発光窒化物 LED開発に成功

第二部門及び関連総合部門における ISO9001認証取得

青紫色半導体レーザーサンプル出荷開始

平成 11年

アメリカにデトロイト営業所開設

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本社に日亜光デバイス株式会社設立

本社に窒化物半導体研究所開設

オランダに日亜ヨーロッパ B.V.設立

第一部門及び関連総合部門における ISO9001認証取得

日亜シンガポール株式会社設立 平成 12年

30mWレーザーサンプル出荷開始

5mWレーザー商品化

YAG Yellow技術サンプル供給開始

ソウル事務所開設(現韓国日亜株式会社)

第二部門及び関連総合部門(車載 LEDの設計及び開発)QS9000認証取得

上海日亜電子化学有限公司設立

横浜市に東京技術センター新社屋開設

平成 13年

日亜グループ国内全サイト ISO14001取得

日亜電子化学株式会社を日亜化学工業株式会社へ吸収合併

株式会社シチズン電子とライセンス契約締結

株式会社朝日ラバーとライセンス契約締結

高出力タイプ UV-LED技術サンプル供給開始

オスラム GmbH社とのクロスライセンス契約

香港事務所開設 (現日亜化学(香港)有限公司)

豊田合成との和解契約締結

LumiLeds Lighting社とのクロスライセンスを締結

平成 14年

Cree社とのクロスライセンスを締結

照明用電球色 LEDが NYの LIGHTFAIR2003で技術革新賞を受賞

香港に日亜化学(香港)有限公司設立

平成 15年

超高出力白色 LED(1,000lm/PKG)及び 50lm/W砲弾型白色 LEDの開発に成功

日亜インド事務所開設

韓国日亜株式会社設立

日亜化学ヨーロッパ・フランクフルト本社設立

ドイツにニュールンベルグ営業所開設

平成 16年

アメリカにカリフォルニア営業所開設

上海日亜光電販売有限公司設立

特殊照明用途に LD白色ファイバー光源を開発(Micro White)

InGaN Yellow 技術サンプル供給開始

平成 17年

TS16949認証取得(LED)

東京技術センターを横浜技術研究所に改称、新社屋落成

日亜タイ株式会社設立

レーザー白色光源(MicroWhite)が「日経 BP技術賞」受賞

平成 18年

鳴門工場操業開始

平成 19年 鹿児島工場操業開始

(出典)日亜化学ホームページより。

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図表 6 日亜化学工業:会社の概要

Ever Researching for a Brighter World

当社は、「Ever Researching for a Brighter World」をモットーに掲げ、蛍光体(無機蛍光物質)を中心とし

た精密化学品の製造・販売を主体に発展してまいりました。 発光物質を追求する中で、1993年に世界を

驚かせた青色 LEDの発表以来、紫外~黄色迄の窒化物 LEDに加え、白色LEDといった相次ぐ商品化で、

LEDの応用分野は大幅に拡大しました。 更に、情報メディアの飛躍に不可欠な青紫半導体レーザーの開

発研究に力を注いでおり、窒化物半導体が、将来、半導体産業の大切な一分野になることを目指しており

ます。この様に、当社は独自技術を物つくりの分野に展開して世界に貢献できる企業であり続けたいと願

っております。

所在地 徳島県阿南市上中町岡 491番地

設立 昭和 31年 12月

払込資本金 317億 4,261万 1千円

代表者 代表取締役社長 小川英治

従業員 3,501名(平成 18年 12月 31日時点)、グループ合計 4,600名(平成 19年 12月時点)

・蛍光体(CRT用、蛍光灯用、PDP用、X線増感紙用)

・発光ダイオード LED

・半導体レーザー

・光半導体材料

・ファインケミカル(電子材料、医薬品原料、食品添加物)

・遷移金属触媒

・真空蒸着材料

・電池材料

事業内容

・磁性材料

取引銀行 徳島銀行、阿波銀行、四国銀行、日本政策投資銀行他

主な仕入先 パナソニック半導体ディスクソートデバイス、三井物産、信越化学

主な販売先 三洋電機、シチズン電子、シャープ

生産拠点 本社、A工場、TN工場、TS工場(以上徳島県阿南市)、V工場(徳島県徳島市)、

N工場(徳島県鳴門市)、K工場(鹿児島県)

営業拠点 東京、大阪、名古屋

研究センター 本社研究所(徳島県阿南市)

横浜技術研究所(横浜市)

台湾(新竹)、アメリカ(ランカスター、デトロイト)、マレーシア(セランゴール)、海外拠点

オランダ(アムステルダム)、ドイツ(ニュルンベルグ)、中国(上海、香港)、

シンガポール、韓国(ソウル) 、インド(ニューデリー)、タイ(バンコク)

(出典)日亜化学ホームページ及び『会社四季報』(東洋経済新報社)より。

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23

図表 7 白色 LED市場における市場占有率(2006年)

(出典)富士キメラ総研 推定

図表 8 光の三原色

2006年世界市場 (販売金額ベース)

1 006

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24

図表 9 日亜化学の白色 LED

現在、白色 LED には大きく分けて次の 3 種類の方法がある。それぞれの方法には特有の長所・短所が指摘されている。

(1) 青色ベアチップの上に、黄色の蛍光層を置き、青と黄の混合で白を得る方法 蛍光物質には YAG(イットリウム/アルミニウム/ガーネット+セリウム)を用いるものが主流(日亜方式)。そのほか、星和電機の Ca 系蛍光層などがある。1チップのため簡便のようではあるが、発光色制御が難しく、色ムラや色指向性を有するという欠点がある。また、2色スペクトラムのため演色性に難がある。

(2) RGB各ベアチップを 1パッケージに封入混光する方法(3in1方式) 発光色制御が他方法に比べて容易。しかし、ベアチップ 3個を使うために、コスト高である。この方法は発光スペクトルに欠落部分を持つため、(1)と同様に演色性は良くない。照明業界では発光スペクトルに欠落部分を持つ疑似白色を、白色の範疇に含まないことがある。

(3) 近紫外ベアチップ(UV 380nm前後)の上に RGBの混合蛍光層で混光する方法。 演色性に優れ、発光色制御が(1)に比べて容易。演色性は Ra=90以上が可能。UV LEDはパッケージ樹脂を侵すためガラス封止なども実用化されている。豊田合成が量産化を進めている。

これらのうち、(1)と(2)は実用量産されている。(3)も量産が進められており、今後が期待される。

(1)と(3)は蛍光体成分、同塗布技術のノウハウが大いに関係するため、寿命に関係するパッケージと封止樹脂の問題などと併せて、半導体技術だけでは開発できない。また(1)と(3)は、(2)のような 3 in 1タイプよりも、低コストで小型化が容易。

* 演色性(Ra)とは、太陽光の下で見た色彩に対する見え方の程度を指し、太陽光の下での見え 方に最も近い白熱電球が Ra=100である。LEDは電球のようなスペクトルではなく蛍光灯に近く、 一般に日亜タイプの白色 LEDは Ra=75~80とされる)。

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図表 10 研究開発費・設備投資費・開発要員の推移

(出典)日亜化学・芥川勝行氏(取締役・法知部長)の講演資料(2004)より。

図表 11 白色 LEDの事業形態

チップ 発光源となる LEDチップ デバイス

(パッケージ) LEDチップをパッケージングしたもの

モジュール

デバイスに放熱部材を組み合わせたもの 複数のデバイスを基板に実装したもの 電球タイプなどの光源モジュールやバックライトモジュール 車載ヘッドライドモジュールなど

川上

川下 器具 ダウンライト、スポットライトなどの照明器具 (出典)2008年版『白色 LEDの現状と将来性』(総合技研株式会社)より(一部修正)。

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図表 12 日亜化学の特許出願:分野別推移

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20

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1983

1984

1985

1986

1987

1988

1989

1990

1991

1992

1993

1994

1995

1996

1997

1998

1999

2000

2001

2002

2003

蛍光体

LED/LD/半導体

照明装置(応用)

2次電池

(出典)PATOLISデータベースより作成(Fターム=5F041CA40を対象、単願ベースの比較)。

図表 13 日亜化学の白色 LEDの特許網

白色 LED特許網の構築について

日亜化学工業株式会社(以下、日亜という)は、窒化ガリウム系半導体発光素子と蛍光体とを組

み合わせた白色 LED 等に関する様々な下記特許権(以下、日亜白色特許という)を取得し、日本

国内において白色 LED 特許網を構築しました。これらの日亜白色特許の中には、蛍光体の組成、

発光素子の形状についての限定がないものもあり、青色領域の可視光を発光する窒化ガリウム系

半導体発光素子と蛍光体を組み合わせた LED の多くは日亜白色特許を実施しております。日亜と

のクロスライセンス等により日亜白色特許を実施できる企業としては、豊田合成社、シチズン電

子社、朝日ラバー社、オスラム社、ルミレッズ社があり、これらの企業以外が製造、販売されて

いる白色 LED 等につきましては、日亜白色特許を侵害している恐れがあります。前記以外の企業

におかれましては、白色 LED 等を製造、販売される際には、日亜白色特許に十分ご注意頂きます

ようお願い致します。また、前記以外の企業から白色 LED 等を購入し商品に搭載して販売される

際にも、同様にご注意願います。

日亜は、今後も日亜の知的財産権を保護するために、いかなる企業に対しても、全世界的におい

て、適切な措置を講じ続ける所存です。

特許第2900928号

特許第2927279号

特許第3503139号

特許第3700502号

特許第3724490号

特許第3724498号

(出典)日亜化学プレスリリース、2006年 3月 23日。

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図表 14 白色 LEDメーカーのライセンス・提携・係争関係

(出典)「日本経済新聞」、「日経産業新聞」各号から作成。

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図表 15 白色 LEDメーカーの事業領域

チップ デバイス(パッケージ) モジュール 器具

日亜化学

 シチズン電子

 朝日ラバー

 スタンレー電気

 台湾Opto Tech

豊田合成

 台湾Twin Hill

昭和電工

住友電工

松下電器・半導体社

松下電工

東芝

シャープ

星和電機

ナイトライド・セミコン

Cree

 ローム

 韓国Seoul Semicon.

 香港Cotco

OSRAM Opto

 台湾Lite-On

 米国Vishay

 米国Avago

 韓国Samsung Ele.

 台湾Kingbright

 台湾Everlight

 台湾Harvatek

 豪Lednium

Philips Lumikeds

台湾Epistar

台湾Advanced Opto

マレーシアDominant

メーカー事業形態

(出典)2008年版『白色 LEDの現状と将来性』(総合技研株式会社)、「日本経済新聞」・「日経産業新聞」

各号から作成。

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事業戦略と知財戦略「日亜化学工業:白色LEDの開発と事業化」

分析のための設問例

設問1

・日亜化学が他社に先駆けて白色LEDを開発し、その事業化を通じて 2003 年時点まで

高い収益成長を実現することができた理由はどこにあったのか?

また、その過程で特許が果たした役割について分析してください。

設問2

・日亜化学は知財戦略について、2002 年以降にそれまでのクローズド・ポリシーから

オープン・ポリシーに転換したが、その戦略転換の狙いはどこにあったのか?

また、オープン化のタイミングや、オープン化の対象企業、オープン化の方法などに

ついて日亜化学の戦略の是非を検討してください。

設問3

・2004 年を境に日亜化学の業績は落ち込み始めている。この背後には台湾をはじめとする

競合企業の参入があるが、なぜ日亜化学はこれら企業につけ入られることとなったの

か?日亜化学はそれをどうすれば防ぐことができただろうか?

また、この状況において日亜化学がとるべき戦略は何か?

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<MEMO>