混乱・模索するろう教育の現場 :...

1

Upload: others

Post on 31-Aug-2019

1 views

Category:

Documents


0 download

TRANSCRIPT

Page 1: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

教育政策・言語政策のはざまで

々木倫

石篤

・編

混乱・模索する

ろう教育の現場

Page 2: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

混乱 ・模索するろう教育の現場-教 育政策 ・言語政策のはざまで-

目 次

は じめ に

1 ろ う教育 の現場が直面す る課題-3視 点から一

2 一保護者か ら見 たろ う学校

3 ろ う教育 の現実 を考 える

4 新 しいろ う教育 を求 めて

5 ろ う児の教育:言 語政策 の視点か ら

あとが き

佐々木

佐々木

高 浜

新 井

木 村

古 石

古 石

倫 子 … …3

倫 子 ・… ・・5

良 友 … ・.19

孝 昭 ・… ・37

晴 美 … ・・53

篤 子 ・・…61

篤 子 ・… ・73

佐々木倫子 ・古石篤子 編

Page 3: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

は じ め に

本報告書は、2007年6月17日 に麗澤大学で行われた、日本言語政策学会でのパネル発表

が契機 となって まとめられた ものである。執筆者はその ときのパネル ・メンバーが中心 と

なって いる。

本書の編集を務める佐々木と古石は、いわば本報告書 の前身にあたる報告書を2004年 に

刊行 した。『ろう児への言語教育のあり方を求めて』と題す る報告書で、2003年11月 に行

われた 日本言語政策学会でのミニ ・シンポ ジウムをもとにまとめた ものである。そ の報告

書は印刷版に加えて、古石のHPか らもアクセスできる形 にしてある。ところが、刊行後3

年たって も報告書の配布希望が止ま らず、2007年 に増刷 を行 った。前報告書に対す るこの

よ うな反応は、現在いか にろう教育の現状 と課題 に関す る情報が不足 しているかの一端 を

示 しているのではないだろうか。

前回の報告書の刊行か ら4年 近 くが経過 し、ろう児たちは確実に4歳 大きくなった。一

方、ろう児をとりまく世界の歩みは遅々と している。それ どころか、2007年4月 か らは、

国内の聾学校 は法的には盲 ・養護学校 とあわせて特別支援学校 と して一本化 され、聾学校

の統廃合の動き も止 まらな い。状況は、ろうコミュニティーの強力な中核 となる場をろ う

者が失 いかねない方向に向かっているとも見える。そ こで、また、声をあげる必要性を強

く感 じ、2007年6月 の学会発表、それに続 く出版を進めた次第である。・

今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、 「混乱 ・

模索するろう教育の現場 一教育政策 ・言語政策のはざまで-」 とした。多様な背景 を持

っ住民がのびのび と共に生きることができる 日本社会 の将来像を描 くとき、現在の 日本の

マイ ノリティー政策はあま りに多 くの問題 を抱えて いる。特 に、ろう児 に対す る教育の現

状は、マイノ リティー集 団への抑圧が極端 に現 れて いるという意味で象徴的存在 とも言え

るのではな いだろうか。象徴的存在であるにもかかわ らず、そ の理解 は進まない。聞 こえ

に問題のある子 どもが誕 生する割合 に増減があるとは思 えないのに、聾学校の生徒数 は減

少を続ける。 といって、普通校受け入れ のための手立てが進んでいるわけで もな い。医療

機器の開発 ・改良 には膨大な経費が注 ぎ込 まれ る一方、ろう児の自尊感情、アイデンティテ

ィの育成を重視する教育プログラムの開発 ・改良には経費はほとんど用意されない。

そのような状況下で、私たちは、多 くの方々 に、まず、ろう教育の現場の状況を改めて

紹介することか ら始めなければいけな いと考えた。 ろう児の教育 に対 して十分な質が確保

されていない現実 を、異な るいくつかの角度か ら検証 したいと考 えた。善意 の聴者が、 自

身の同化主義、 自身が引き起 こす抑圧に気付いていない現実 とその要 因を明 らかにす る こ

一3一

Page 4: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

とを意 図 した 。そ の 上で 、 ろ う者 主体 の新 た な動 きを紹 介 し、 今後 の ろ う教 育展 開 の 可能

性 を示 した。

前報 告 書 同様 、 これ まで ろ う者 の世 界 に触れ て こなか った読 者 のた め に、 以下 に必 要最

小 限 の用語 につ いて の簡 略 な定 義 を掲 げ る。 定 義 は、 主 と して 『ぼ くた ち の言葉 を奪 わ な

いで!』(明 石 書店)の 用語解 説 、『月 刊 言 語 』2003年8月 号(大 修館 書 店)、 そ して 、市

田泰 弘 サイ ト(http://slling. net/resources/glossary. htm#SignWriting)を 参考 に した。

日本手話-日 本のろう者が使 う自然言語。 ろう者の第一言語

日本語対応手話-日 本語の語順 に手話の単語をつけるもの

聴覚 口話法一残存聴力を最大限に活用 し、話者の口のあけ方から話を読み取ろ うとす る 「読

話」 と自ら声を出す 「発語」か ら構成 される教育方法

イ ンテ グレーションー障害児が普通校 に通 うこと

書記 日本語一音声 日本語に対照されるもので、読み書きの 日本語

指文字 一手話の中で用いられる借用システムのひ とつで、人為的に創作され普及 した もの

アルファベ ッ トに対応 した指文字 をもとに、ア行に母音の指文字 を、力行か らワ

行 までのア段 の文字 に子音の指文字を割 り当て、それ以外の文字 を独 自に創作す

るという形で普及 している。

ホームサインーろ う社会(deaf community)に 属 さず孤立 した聴覚障害者が、家族や地域

社会の人々との間で使用する身振 り言語。

ASL(American Sign Language)一 アメリカ手話。米国のろう者の言語。

この報告書が ろう教育の前進に役立つ ことを願っている。

2008年1月

佐々木 倫子

-4-

Page 5: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

目次

1.は じめに 転換期のろう教育

2.聴 覚 口話法が引き起 こす課題

(1)ふ たつの論説か ら

(2) 「論点」1の 掲載の意味

(3)口 話の現状

3. "手 話"が 引き起 こす課題

(1)教 員 の手話能 力

(2)ろ う児の手話能力

4.医 療機器が引き起 こす課題

5.今 後の方向に向けて

(1)手 話講習会の整備

(2)協 働学習への転換

(3)2言 語能力の評価体 制の確立

(4)手 話単語の整備

(5)お わ りに

iは じめに 転換期のろう教育

2007年4月 をもって 「学校教育法等の一部を改正す る法律案」が施行の運びとな り、国

内の聾学校は法的 には盲 ・養護学校 とあわせて特別支援学校 として一本化 された。無論、

2007年4月 現在、国内には100に 近い聾学校が存在す る。 しかし、現在 も名称変更 と統廃

合 の動きは続いてお り、ろう教育 の専門性を考える上か らは、危機感 を抱かず にはい られ

ない。

通常の学級に在籍するLD・ADHD.高 機能 自閉症等の児童生徒 も含め、障害のある幼児児

童生徒に対 してその一人一人の教育的ニーズを把握 し適切な教育的支援を行 うとす る 「特

別支援教育」 の理念 は、時代の要請に応えるものである。 「障害の種類や程度 に応 じ特別

の場で指導を行 う 『特殊教育』」 (文科省 特別支援教育に関する中央教育審議会答 申)

か らの転換 も、障害者の隔離政策か らの脱皮、教育の質的な向上への動きと読み取れない

わけではない。 まさに、 「障害の有無にかかわ らず、誰 もが相互に人格 と個性 を尊重 し支え

合う共生社会」(文 科省 特別支援教育 に関する中央教育審議会答 申)こ そ多 くの人が現在

思い描 くものである。

一5一

Page 6: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

では、なぜ ここで危機感 を抱かざるを得な いのか。ひとつは、そ こに聾、盲、養護 とい

う、まった く異なる障害を持つ児童生徒 をひとくくりにする方向が見え、 これまで の教員

養成における専門性養成の不十分 さがいっそ う加速するのではないか と危惧 され るか らで

ある。そ して、 「きの うまで養護、今 日は聾、明 日は盲」 といった担 当移動の方向 に拍車

がかか るのではないか という危惧 もある。

本 稿は、聾学校が直面す る課題 を、聴覚 口話法、手話、医療機器 の3つ の視点か ら採 り

あげ、今後 の解決 の方向を探るものである。なお、 「ろう」 と 「聾」の表記であるが、本

稿では聴覚 に何 らかの障害 を持つ人々すべてを 「ろう者」、あるいは、 「ろう児」 と表記

する。 「ろ う」は、時にアイデンティテ ィの指標 となる。 「ろう者」は単に物理的 に聴 こ

えが悪 いという状態を指すわけではなく、肉体的には聴 こえがきわめて悪くても自身 を 「ろ

う者」 とは見なさな い人もいれ ば、その逆 もある。 しか し、本稿では、すべて 「ろ う者」

と表記する。そ して、聾学校、ろう学校は 「聾学校」 とまとめ、教育は 「ろう教育」 とす

る。なお、本稿のデー タは、先行研究、HPな どか らの情報に加えて、筆者が見学 した4っ

の聾学校での見学 メモ、および、接触 したろう者か らの手話通訳を介 した聴き取 りメモ に

よる。私立 の聾学校、お よび、フリースクールでの観察は含めていな い。 また、筆者 自身

は聾学校の現場に立って いる者ではな く、手話能 力も乏しく、第三者的立場にある ことを

断っておきた い。

本稿をまとめるきっか けのひとつが、ある若 いろう者の涙であった。聾学校 に通 ってい

たときのつ らい思 い出話 を話 し終 えようとするとき、彼女は聾学校の先生方に言いた いこ

ととして、 「わかる言葉で学 力がつく授業 をしてほ しい、窓のない暗い部屋 に閉 じ込め ら

れた ままのよ うな毎 日を過 ごす生活 をな くして ほしい」 と、涙なが らに語った。 このよ う

な願いが聾学校でかなえ られるときが、ろう教育の専門性が確立されるときである。

2.聴 覚口話法が引き起こす課題

(1)ふ たつの論説から

2006年12月 に、読売新聞にふたつの論説が掲載 された。最初の論説は聾学校 の従来型の

教育の姿を物語 り、2番 目の論説はそのような教育を受けた経験をもつろう者か らの反論だ

った。 ここに見 られ る、教育をお こなった側 と受けた側 の聴覚 口話法 に対す る正反対 の認

識は、ろう教育の内実を物語る。その詳細 は読売新聞の論説コラムである 「論点」、 「聾

学校 の言語教育、手話 よりも 『読唇 』優先で」 (2006年12月7日 元聾学校長)、 および、

「聾学校の言語教育 手話の効果、伝える責務」 (2006年12月20ろ う者弁護士)を 参照

していただきたい。本稿では、ふたつの論説の要点を対比する中で、聴覚 口話法が引き起

こす課題について考えたい。以下、やや長めの引用になる ことをお許 し願いたい。

「論点 」1

私は長年北海道の聾学校に勤めてきたが、聴覚口話法の指導は並大抵のもので

一6一

Page 7: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

はな い。手話を使わせないため両手 を縛って教えた こともある。発音指導 で、奥

舌を使 う音を定着 させ るのに1か 月かかった こともあった。残存聴力を引き出す

ために、 「今 日はできな くて も明 日は聴 こえる」 と信 じて、音楽テープを何度 も

聞かせた。

そ うするうちに子供たちは、聴 力を少 しで も発達 させ、音 声言語 として の 「こ

とば」 を認識 し、相手の唇か ら 「ことば」 を読み取れるよ うになって いく。

(元聾学校長)

「論点」2

今月7日 の 「論点」で、元聾学校長の森川佳秀氏が、聾学校では残存聴 力を活

用 して読唇の指導をす る聴覚 口話法が必要で ある と述べている。その成功例 と し

て 「聾学校か ら普通校 に転校 して東大法学部 を卒業 した弁護士」 を挙げている。

それは私のことである。 しかし私 は聴覚 口話法の失敗例である。

私は出生時か ら聴 力が殆 どない。鉄道 ガー ド下で頭上に電車が走ってきた とき

にその音がかすかに身体 に感 じられるだけである。2歳 か ら8歳 ほどまでの間、

聾学校で聴覚 口話法の指導を受 けた。教師が 口の形を私に読み取 らせて発話内容

を当てさせた り、教師の声を模倣させた りして いた。私は教師の声が聴き取れず、

内容を理解できな いまま一 日中延 々と このよ うな作業 をさせ られていた。手話の

使用は禁止 され、教 師は手話 を使 わせないた めに私の手を叩(た た)い た りつね

った りした。私 は教師の手を噛(か)ん だ り服のボタ ンをちぎった りして抵抗を

繰 り返 した。 このため読唇や発音は上達 しなかった。私の 日本語力は読唇や発音

とは関係がないのである。 (弁護士 ・ろう者)

両方の記事で争点 とな っているのが聴覚 口話法で ある。聴 こえない耳で聴 き取 り、発声

することを強要 される教育を好むろう児が限 りな くゼロに近 いことは、ろう者のHPや 著書

か らも明 らかであるし、上農(2003)ほ か、聴覚 口話法 の問題点 を突 く出版は多い。教育 を

行 う教師側 にして も、相手が嫌が り抵抗す る、 「並大抵 のものではな い」単純作業を来 る

日も来る 日も続 けることが楽 しいはずもな い。 これがやがて はろう児たちの将来のために

なると信 じなければ続け られ る作業ではない。いった いそ の根拠はどこにあるのか。

馬場(1996)は 聾教育国際会議の報告の中で、参加者の多 くに 「聴覚 口話法は、少数派の

教育方法であ り、もはや、聾教育の主流でな いということをはっき りと示 した。」(p.2)と 、

バイ リンガル教育優勢の方向を報告 している。 さらに聾学校を卒業 した多 くのろ う者が、

「口話法で教育を受けて いるにもかかわ らず、 口話で社会生活を送って いる というわけで

はな い」 こと、 「口話は通 じにくく不便な もの」 という点にも言及 して いる。そ して 口話

教育の最大の利点 として以下の2点 を挙げる。 (1996:9)

①現実 的に音声言語 を用いて コミュニケーションできない者よ り出来る者の方

が社会的に有利。

-7一

Page 8: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

②書き言葉へ移行 させ るのは比較的楽。

しか し、す ぐに 「現実には、聾学校 の生徒は、必ず しもこれ らの 口話法の恩恵に浴 して

いるわけではない」(p.9)と 続けられ、 口話法でろう児が順調に伸びていくためには以下の

条件が必要であ り、 「その条件が欠ける場合 は、 どんな先生が教えて も口話法での成功 は

覚束ないことは今 までの事実が証明 している。」(p.9)と されるので ある。以下の条件 とは

次ぎの通 りである。

①1歳 以内での早期発見

②熟練 した専門家 による信頼できる聴力検査

③発見に伴 う早期の聴能訓練

④親の全面的な協力と家庭での教育

⑤ 早期教育

⑥教育機器の揃ったよい教育環境

⑦幼稚部 ・小学部 ・中学部 ・一貫 した 口話による教育

⑧教師1人 当た りの適切な人数

ここまでの8条 件に関 して言えば、現在の 日本では、程度の差 こそあれ、ほぼ満足す る

ことの出来る状況 にある、つまり、口話教育を行 うための社会的文化的条件は整っている

とされる。

ところが、馬場の主張 は、 「これ ら、社会的、文化的条件が整 って いるだけでは、 口話教

育は成功 しない」(p.9)と 続 くので ある。そ して、挙げ られた成功のための条件 とは以下の

とお りである。(pp.9-10)

⑨聴 力損失が軽い聴覚障害者である

⑩言葉を習得 してか ら、聴力を失った聴覚障害者であること

⑪ 知的素質に恵まれた聾児

⑫ 家庭に経済的ゆとりがあること

⑬親 に学歴がある こと

現実の聾学校にこの13条 件を満たす聾児がどれだけいるだろうか。恐 らく、条件⑨や⑩

を満たす子 どもは普通校へのイ ンテグレー ションをする可能性が高い。現在の聾学校では

条件 を満たさない子 どもたちに口話教育 を行っているのが現実であろう。

(2)「論点」1の掲載の意味

21世 紀 の現代 にあって、 「手話 を使わせないため両手 を縛 って教えた」 といった人権侵

害の事例を堂々と語るといった ことは、今後まず二度 と起 こるとは思えないし、筆者 自身

は聾学校でそのような例 を見た ことはない。そ もそ も 「論点」1が 登場 した背景 には、 こ

の元校長が長年奉職 してきた地域 の聾学校 にも手話導入の動 きが起 きてきた という事実が

ある。っま り、長年の教育の伝統 が壊 され ることに危機感を持 った過去の教員の動きであ

一g一

Page 9: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

り、もはや時代の流れに沿 っていないことは明 らかである。それは地域の教育委員 会、現

職 聾学校校長、聾学校卒業生などか ら多 くの反論が寄せ られた ことか らも明 らかである。

(『 ろう教育の明 日を考 える連絡協議会』2006.12) 「論点」1に 書かれたような読話や

発語は、現在の聾学校では補完的な位置付けへと移 りつつ あると言 えよう。

それでは この論説はたったひとりの過去の教育者の意見 として脇 に押 しや ることで済む

のだろうか。聴覚 口話法はもはや聾学校 に存在 しないのだ ろうか。 ここで以下の3点 を指

摘 しておきた い。

まず第一は、2006年12月 の時点において、この投稿が多 くの読者 を持つ、一般新聞に採

用 され掲載された という事実である。非常に極端な一人の意見 と判断されれ ば、そ の人の

意見は取 りあげられな い。 この意見が取 りあげ られた背後 には、 「何 と言って も聴覚 口話

法はふつ うの聴者 とのコミュニケーシ ョンを可能 にする」 とか 「聾学校の教育の立場、伝

統をよく述べた」 といった強力な擁護派か ら、 「聴覚 口話法に問題が あって も、これは現

状の聾学校 の基本方針であ り、現実にもこれ しか出来ない」 「今は聴覚 口話法 も色々なテ

クノロジーを駆使 して楽 しく、効果的にや っている」 といった守旧的擁護派、 「ろ う者 の

ことはわか らない」 「手話 についてはよ く知 らな い」 といった無関心派までの多数の人が

存在するという事実がある。さ らに、ろ う教育歴の長い指導者層の教員に、厳格な口話主

義の伝統が生きてお り、聾学校 を方向づ けているという点も無視 できない。

そ して、第二 に問題 にしたいのは、聾学校の関係者 を近年の脳科学等の知見か らも、本

格的手話研修 か らも遠 ざける、聾学校教員の専門性養成の体制の問題である。専門性の養

成 は、ろう児 との コミュニケーシ ョン能 力の育成 という点をは じめとして、著 しく立ち後

れて いる。 これ まで訪れた どの聾学校 において質問 して も、手話講習 は限 られたものであ

った。限 られた講習です ら参加教員の数は教員総数 に比 して少なかった。手話能力が待遇

等 に反映 され るよ うな システムがない限 り、毎 日の教育実践に追われ 、他校への移動の可

能性 の大きい教員に手話習得を期待す るのは無理であろう。

最後 に、第三の問題点は、人権侵害的な 口話教育が行われて いる聾学校が まだ存在 して

いるという事実である。8月24日 の北海道新聞朝刊 には、 「男性教諭、女児ける 校長が

退職願」 という見 出しが出ている。そ して、女子児童の母親 は 「子供はなぜ暴力を振 るわ

れたのかが分か らず、その後 も男性教諭を怖がっている」 と語っている。

(北海道新聞 社会 htt://www. h0kkaido-n.co.●/news/societ/45201. h

2007年10月 現 在)

当該の学校では、事件が表面化 した ことで、問題 は沈静化するだ ろう。 しか し、この事

件が、日本の100校 近 い聾学校の中の唯一の例 とは信 じがたい。筆者 自身は聾学校での暴

力は 目撃 して いないが、かな りのろう者か ら体罰の経験を聞いて いる。高齢 のろう者 か ら

は無論の こと、まだ小学 生のろう児か らも聞くという事実がある。水面下で は体罰が行わ

れている聾学校が まだ存在するという事実を重 く受 け止め、そ の要因の解消 に手を尽 くさ

一g一

Page 10: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

なければいけない。そ して、要因の第一番 目にあがるのが 「体罰が行われた背景には、聴

覚 口話の授業で教諭、生徒の相互 にス トレスがたまった ことが あると指摘される」 (毎 日

新聞北海道版 「聾学校の手話教育」2007年9月7日)と いう報道の とお り、まさに 「聴覚

口話法」であろう。

日本手話で教育を行 う、あるフリース クールの関係者か ら語 られたエ ピソー ドも上記を

裏付ける。 (2007年9月 聞きとりメモ)

聾学校で教師との間が険悪 にな り、 どうにもな らないと親が判断 した小3の 男 の子が

ろ う者の教 えるフ リースクール に連れ られてきた。ろ う者の先生か ら見れば、手話の能

力 もまだ年齢相応 とは言えず、それな りの1日 目を過 ごして帰って いった という。 とこ

ろがその子のお母 さんの報告によると、初 日の夕飯のときに、その子は

「お母 さん、今度の学校の先生はぶたないんだよ!」 と伝えたという。

そ して、フリースクールの2日 目も無事過 ごし、夕飯時に、その子は

「お母 さん、今度の学校の先生はぼ くたちの言 うことがわかるんだよ!」 と伝えたと

いう。

以来、その子 はまった く問題な く、言 うまで もな く暴力行為などな く、フ リースクー

ルで元気 に学校 生活をおくっている。

聾学校でのその子の振 る舞いは、わか らな いままに置かれ ることへの小3の 精いっぱい

の抵抗だった。教師 も、 ろう児 も、そ して、時には親さえも、 フラス トレーションか ら暴

力行為を引き起 こす、その大きな要因は聴覚 口話法であると言っても過言ではない。

(3)ロ 話の現状

全国ろう児をもつ親の会のHPに は 「ろう学校の実情」 として、以下の記述がある。

一-今 日本の多 くのろう学校は聴覚 口話法を用 い、聞 こえる人に近づける ことを目

的 としているかのよ うな教育を行っています。

国語 も算数も理科 も社会 も手話 をほとんど用いず 口だけで授業を行なっているのです。

先生たちはこういいます。"社 会に出て聞 こえる人とコミ

ュニケー ションをとることが大切"

"し ゃべれるよ うにな らな きゃ"

そのために親たちは血み どろの努力を要求されます。

で も、本 当にそ うした教育がろう児にとって良いことなので しょうか??

現在 ろう学校での教育は地域校 と比較す ると大体1~3年 遅れています。

ひ どいところは6年 生なのに2年 生の教科書を使 って勉強を しているのです。一一

一10一

Page 11: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

「全国ろう児をもつ親の会」 血 ∠/www hac hi-ho ne◎/at home/

(2007年10月 現在)

筆者が見学 した聾学校の授業に、 口話だ けで授業が行われている例はなかった。教員 は

板書 をし、練習プ リン トを用いて いた。と同時に、手話単語 を付 けるか付けないかは別 と

して、聴者教員は授業で話 をしていた。聴者教員が声を出す こと、話す ことは どの聾学校

において も、 どのクラスにおいて も観察 された。それは、嫌がる生徒 に声を出す ことを強

制するといったものではない。 しかし、キーワー ドを正確 にくり返させる、教科書を読ま

せ る、口頭の応答を要求するだけでな く、 もう一度 くり返 させ るといった行動はかな り見

られ、ろ う児た ちはいつ ものこととして教員の指示に従 って、声を出 して いた。つ まり、

授業 は口話主義 に基づいていたのである。授業では、実物、 ビデオ教材、練習帳、パ ワー

ポイン トな ども用いられていたが、 ビデオ教材で、話 し手がまった く動かず、背景 も変わ

らず、音な しには何の意味もなさない講義形式の ものが流されている例 もあった。また、

例えば 「ス トーブ」 とか 「マ フラー」 といった 日本語単語 について、常に指文字 と口型の

正確 さを要求する授業 も見 られた。その一方で、生徒同士が真剣 に、かつ、のびのび と、

第一言語である日本手話で討議 を交わす といった授業は見 られなかったのである。その意

味で聾学校は口話主義を貫 いて いた。

言 うまで もな く、発声を望む生徒 ・保護者のために、聴能 クラスでの聴 き取 りと発音指

導が用意 され ることを非難するわ けではない。現場の混乱の要因のひ とつが、言語 イ ンプ

ッ トの中途 半端な性質にあること、それがろう児の言語能力 も学 力も低 いレベルに とどめ

ていることを指摘 したい。

3-"手 話"が 引き起こす課題

(1)教 員の手話能力

聾学校が抱える課題は口話法だけではない。"手 話"が 引き起 こす課題 もまた大きい。

「うちの学校は手話 を導入 しました」という場合の"手 話"と はどのよ うなものだろうか。

著者が訪問した ろう教育の現場で見 られた"手 話"で あるが、聴者、および、中途失聴者

の教員の授業では、口話に手話単語 を付ける形である日本語対応手話が多かった。さらに、

中間手話という呼び方の形もあ り、 これ らをすべてまとめて 「うちの学校 は手話を導入 し

ました」 とな りがちな現実がある。

聾学校を見学 した際、教員 によって くり返されていた手話単語つきの ことばに 「始めま

しょう」、 「試験 に出るよ。」、 「お しまい」があった。 これ らを教師は手話単語で示 し

て いたが、その程度の単語は口型だけで もわかるだろう。教員の発話 には 「覚えてるかな、

これ。」 「分かる?分 か りますか。」 「前にやったね。」 も多かった。 これ らの発話 は生

徒の認知能力の育成 にどう役立つ というのだ ろうか。単語や漢字 を訓練 によって定着 させ

て も、なんのためにその文字を書 くのか、なんのために指文字 を使 うのか、指文字で示す

ことによって何を伝えようとするのかがわか らなければ意味がない。

一11一

Page 12: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

結局、見学 した多 くの聴者教員 の"手 話"は 次のように見受 けられた。

① 言語 レベルで言えば、 日常会話程度かそれ以下の、いわば初級か初中級 レベルである。

② 自然言語である日本手話ではな い。 ほとん どが 日本語に手話単語 をつけた 日本 語対応

手話 で、多 くの場合 日本語の音声をともな っていた。そ の場合、手話よ りも音声のほ

うが はるかに情報量が多かった。

以上の特徴は、教員 の手話研修 制度が整 って いない以上、当然の帰結である。成人後 に

英語 を仕事 のあいまに短期間習ったか らと言って、母語話者であるア メリカ人やイギ リス

人の子 どもたちの思考能力を育てるよ うな教育 を英語で行 うことが出来な いのと同 じこと

である。人はカタコ ト英語で意思疎通をはかる とき、身振 り、表情、 日本語ま じりと、思

いっく限 りの手段 を駆使する。聴者教員 も複数 の手段を駆使 してなん とか ろう児たち と意

思疎通をはかろうとして いるのが実態であろう。

(2)ろ う児の手話能カ

ー般の聴者は、聴覚に障害を持つ人はみな手話を話す と思 っている。 しか し、幼時か ら

手話 に接するろう児は少ない。

ろう者:わ た しが手話 と出会ったのは中学生のときだ った。(中 略)ろ う学校 に通 う同

年代の友だち も手話が ほとんどできなか った。その中にろう学校 の中で先生にばれ

ないよ うに先輩か ら手話を学んで使 って いる友だちが いて、その友だちか ら手話 を

教 えて もらった。 (中略)で も手話 に出会えないままの人もた くさんいる。手話 は

ダメと言われ続 けて しだいに手話 はよ くな いものと思 い込んで しまいいまだに受 け

入れ られない友だちもいる。 (早瀬 2004:25)

ろう者と接する人間はろう者か ら、多かれ少なかれ、以下 と同様の感想を聞 く。

「手話を身 につ け始めると、それ まで 自分が持 っていた語彙が いか に少なかったか

ということを知 り、愕然 とした。 (中略)そ うそ う、本当はこんなふ うに表現 した

かったのよ。 これなんだよ、これ!と い うベス トマ ッチの表現 に出会 うと感動 もの

だった。手話を習得 した ことで、まず外部から得 られる情報の量が違 ってきたのだ。

そ してそれ までぼんや りして いた世界の輪郭が、どん どんはっき りと見 えるよ うに

な ったのだった。」 (大橋 2004:64)

それ までは、厚 い防音ガラスに覆われた中で、他の人がパクパク動かす 口や表情や ジェ

スチャーか ら常に推量を強 いられる生活か ら解 き放たれ、初めて障害 のないコミュニケー

ションを持った人の驚き、喜び、そ して、貧欲な吸収の様子が伝わって くる。

一12一

Page 13: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

"手 話"の 多様性の大きな要因に、まず、聾学校 に入学 して くるろう児の多様性が ある。

第一に、難聴の程度は一人一人異な り、軽度、中度、高度、重度 と幅がある。第二 に、子

どもによって失聴 の原因や時期が異な り、先天的か後天的(中 途失聴)か 、後者の場合は

何歳で失聴 したかによって、第一言語が何なのか、それが どの程度形成 されているかが異

なる。 さらに大きな意味 を持つのがどのような帰属意識が育て られて きたか という点であ

る。聴者の家庭で ろう児の誕生直後か らろう者 としてのアイデ ンティティを育てよ うと思

う保護者 は現状ではきわめて限 られて いる。ろ う者保護者でも、聴覚 口話法で育って、そ

の価値観 を内面化 した人は、社会状況か ら子 どもも聴覚 口話法で育てよ うと試みる例 もあ

る。 このよ うな要因が重な り合い、本来 の第一言語であるはずの 日本手話が年齢相応の発

達 をして いないろう児が多い。そ んなろ う児たちが 「音声,文 字,手 話等のコミュニケー

シ ョン手段の適切な活用」 (文科省)と いう、解釈の しようによっては何で も許され る教

育 を受けている。聴覚障害の多様性が理 由にな って、子 どもたちの思考 力を育てるような

コミュニケーションが成立 しなくて も許 されて きた現実があるのだ。一部の聴者教員 は手

話 ともいえない"手 話"を 使 うことで、聴覚口話法 の時代よ りはコミュニケー ション不全

状態 を脱 しているとして満足 して しまう。それでは通 じていないという指摘があった場合、

「同 じクラスに聴 こえの良い難聴児 もお り、彼 らのニーズ もある、ろう児でも口話 を要求

する親 もいる」 といった理 由が挙げ られ、 「声 を出して 日本語対応手話をつ けることによ

って多様な子 どものニーズに同時に応える努力を している」 という理 由づけもなされ る。

しか し、 日本語対応手話の限界は もう関係者 に共有 されているのではないか。 もう通用 し

ない時代だと考 えるべきではな いだろうか。

聴 こえの程度が何であれ、子 どもたちにとって、 もっとも自然に習得でき、 自分の思考

や感情を制約を感 じず に表現できるのは 日本手話である。その手話で満足の行 くコミュニ

ケー ションが可能なのは、 日本手話 を第 一言語 とするろう者教員である。 しか し、彼 らは

歴史的経緯、制度上の理 由か ら、聾学校 において数の上で圧倒的マイ ノリティーである。

しか も、教室内にお いてす ら、チーム制のもと、周辺的位置 に押 しや られるような体制が

見学 したろ う学校 には存在 していた。ろう教員 は職員会議な どでも満足な通訳が不在のた

め、情報弱者 に置かれて しまうことも多いと聞いた(2007年 私信 メール による)。 本来主

役であるべ きろ う児たちもろ う者教員 も、何が進行 しているかを推察 しなが ら学校にいる

という、典型的な情報弱者に留め置かれている。 これが聾学校 における"手 話"が 引き起

こす課題である。

4.医 療機器が引き起こす課題

子 どもたちは多 くが補聴器 をつけ、そ して、人工内耳装用の子 どもも散見 され るのが聾

学校の実状である。医療機器の進歩は聾学校の現場の課題解決 に寄与 しただろうか。補聴

器、人工内耳の開発 ・改良は"治 すべき存在"で ある難聴を補正 し、出来るだけ聴者 に近

づける ことにある。同化 の流れが ここで も明 らかであるし、それが大成功をおさめれば、

一13一

Page 14: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

ろ う者は存在 しな いということになる。バイ リンガルろ う教育の推進では世界の先端 を行

くとみな される北欧諸国やカナダで も、乳児のうちに人 口内耳手術 をおこなう例が90%を 超

えるという報告があいついでいる。 (研究会発表2007年6月 およびlD月)そ うなると、

手話は母語話者が いなくなる、いわゆる、危機言語 に仲間入 りす ることになる。手話 ので

きな い聴者教員がよ り聴 こえるろう児の聴力にたよって授業を進めているとすれば、手話

は教室内においては既 に危機言語であるということになる。鳥越 ・クリス ター ソン(2003)

にはスウェーデ ンのろう学校が、よ り完成 したバイ リンガル教 育をめざ している動 きと同

時に、増加する難聴児の入学者や人 口内耳装用児に対する対応を迫 られているとの報告が

あるが、 日本 もまた同じ道を進む可能性が高い。

これは聴者保護者がわが子を自身 と同様の肉体的条件に近づけた いと願うこと、それに、

医学が応えようとする努力を否定するものではない。ただ、 「大丈夫、今は補聴器 もいい

のがあ りますか ら」 「人工内耳の成果で」 といった言 い回 しによって、聴の保護者が過剰

な期待をもって しまうことの危 うさは認識されなければいけない。"聴 者なみ"は 現 状で

は実現 しない。つま り、情報保障が遅 々として進まない 日本の現状で医療機器の開発は大

きな役割 を持つのだが、それに比重をかけすぎるあま りに、ろ う児 自身の 自己肯定感 をな

いが しろにして、ろ う児を実験台的な手術 に向けて しまうようなことは、何があって も避

けなければいけないのである。確かに人工内耳の手術を受 ける ことで、きれ いな発音 をす

るよ うになったという声を聞く。 あるいは、大分聞き取れるようになったという声も聞く。

しか し、 「きれいな発音」が、即、言語能 力というわけではない。また、 どういう場面で

聞き取れたのかを検討する必要がある。静かな場所でよ く知って いる人 と1対1で 話す と

きは聞き取 りやす いが、初対面の人 との話や、雑音の中 とか何 人もの声が飛び交 う中での

話は聞き取 りにくい。全神経を集中すれば聞 こえるとして も、その状態を長時間保つのは

不可能だ。更に、相手の声が聞 こえることと、その話の内容 を正 しく理解することとでは、

認識の レベルが違 う。内容を理解 して いな くて も、ろう児は勘や推測 を働かせた り適 当に

頷 いてみせた りす るので、 「理解 した」 と相手は思 い込みがちである。そ の誤解が次 の誤

解を生み、結果 としてお互いに不信感をもつ ことにな りやすい。

人工内耳の手術 を受けたが期待 したほ どの効 果は得 られず、結局は使わな くな り、手術

と引き換えに失った残存聴力はもう取 り戻せないというケースも、聾学校 の教員は見て い

る。手術をする前に保護者に対 して十分な情報提供がなされたのだろうか。手術の危険性、

手術後の リハビリや聴能訓練の必要性、頭蓋骨内部に機器が埋め込んであるための制約(激

しい運動の禁止な ど)、 機器は必要に応 じて取替える こと、等 々、プラス面マイナス面両

方の説明が必要である。ろう児 に関わ る医療関係者、教育関係者、カ ウンセ ラーの連携が

うまく取れているのか どうかも気 になるところだ。

ろう者:「 補聴器 か ら入る不完全な音 と口話を照 らし合わせて話 し言葉を推測 してい く作

業は、ずいぶん と神経 をす りへ らす もので、 しか も不完全な対話手段なのだ。」 (秋山

一14一

Page 15: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

`まカa 2004:74)

聾学校 に来る子 どもたちの聴の親のなかには、 これ らの機器 の運用 に迷 う人々 と限界に

気付 いた人々 とが混在する。ろうの親 自身 も補聴器 についての意見は異なる。個々に聴 こ

えのケースが異なるので、機器 に対する見方 も異なって当然であるが、親がわが子 と機器

との関係 について判断す る材料が乏 しいために混乱が生 じている現状がある。聾学校 はそ

のような親の混乱にも対処 していかなければならない。

結 局は、医療機器は混乱の軽減にまだ貢献 してはいな い。 ろう教育の現場は、医療機器

が引き起 こす課題 を抱えたままである。現状では、バイ リンガル話者の活用 による、情報

保障が先に進め られるべ きではな いだろ うか。他 にも、重複障害のろう児、外国で育 った

ろ う児、地域校ヘイ ンテ グレーシ ョンした後聾学校に再転入 したろう児な ど、ろう学校 を

取 り巻 く課題は尽きな いが、それ らにつ いては他稿にゆず りたい。

5.今 後の方向に向けて

以上、ろう教育の現場が直面 している課題 を見てきた。では、解決 の方向はどこに見出

せ るか。

(1)手 話講習会の整備

まず、ろう児の保護者 ・兄妹に対する手話講習会、聾学校教員に対する手話講習会の整

備 が必要である。筆者 は聾学校教員ではな い。筆者がかつて参加 した 自治体援助の手話講

習会 は、聴者 とろう者講獅 との組み合わせで行われた。ティーム ・ティーチ ングは外国語教

育で も採用 され る方法であ り、そ のこと自体に問題が あるわけではない。 しか し、最初 の

ろう者講師は、言語形成期を過ぎてか ら難聴が悪化 した中途失聴者であった。授業は聴者

の解説だけでな く、"ろ う者"講 師 自身のかな り明瞭な声付きの対応手話によるものであ

った。何 も知 らない聴者に教えるには、音声が必要であるとの配慮による ものであろう。

その方法の採用によって、学習者は導入期か ら音声つきの手話単語 を、 日本語の文法構造

の中で覚えることに集中す ることになる。趣味のサークルな らば この程度で も未知の対象

に接す る喜びがあろう。 しか し、聾学校教員への手話講習は子 どもたちの思考や感情 の育

成に関われるだけの質が必要 となる。集 中的な講座が望まれる。

(2)協 働学習への転換

現状では十分な 日本手話 の能力を持つ ろう者、あるいは、聴者教員が不足 している。つ

ま り、以下の①の実現は難 しい。そ こで、現実的な方法 としてバイ リンガル話者の活用、

協働学習の推進 を考えるべきである。

① 日本手話に堪能なろう者教員がいる場合、教室 において教科の主担 当とし、聴者教員

はサポー ト役に回る。

一15一

Page 16: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

② ろう児たちのグループ学習 を重視 し、協働学習能力を育成することで、意味のある教

室活動 を増す。

③ 発音練習を望む保護者 を持つ児童には、別枠の時間帯 に聴能クラスを設ける.通 常の

教科の時間を日本語授業に変える ことは しない。

学習に有用な教材や教授法 も、子 ども文化、 ろう文化か ら出発する ことを重視 したい。

ろう児として、そ して、人間 として何が重要かか ら出発すべきで、聴者の文化で何が重要

かか ら出発 してはな らない。聴者 のテ レビ番組 に字幕をつけるとか、 日本語対応手話か ら

出発す るという方向そのものに問題がある。

ろ うの子 どもたちが主導権 をもって学習に役立つ教材や学習法の構築 を進める動きを重

視 したい。子 どもたち自身がテーマを見つけ、調べiま とめ、振 り返 るといったプ ロセ ス

を重視 し、企画、制作、評価 にもろう児 自身の主体性の育成を重視 した い。 ろう児たちの

情報 リテ ラシーを育て、聴者教員が教育 にお いてサポー ト役に徹することのできるシステ

ムが構築 され るべきである。そのためには、① 教員資格 をもった、 日本手話で授業が行 え

るろ う者教員の養成、②有能な手話通訳者の多用、③聴者教員への充実 した 日本手話研修

④ 日本手話を第一言語 とす るろう者保護者、日本手話がかな り高度にできる聴者保護者 の

学校への協力体制作 り、⑤ ろう児同士の相互の学びの重視、などが大 きな意味 を持っ。

(3)2言 語能力の評価体制の確立

バイ リンガルろう教育の先進国スウェーデンにお いて も手話 を用いた教育の成果に関す

る満足のいく調査結果は出ていない。その大きな要因はろう人口の少なさにある。 しか し、

日本はスウェーデ ンよ りも人 口の大きな国であ り、ろう児 も多 い。その気 になれば、調査

は出来 るのである。聾教育 に携わ る人々はよ り良い教育のあ り方のために、厳密な評価 の

実施に向けて動いてほ しい。聴児の評価方式 をそのまま流用す るのではなく、評価方法 も

評価 内容 もろう児 の能力を適切に測るものを開発 し、だれがどこで行 って も同一条件が保

たれる実施体制を作 り上げてい くべきである。そ こにろう教育の専門性がかかっている。

ろう児のコミュニ ケーシ ョン能 力を知るためには、①手話で教育を受けて いるろう児の手

話能力の測定② 口話教育を受けて いるろう児の 口話能力の測定③書記 日本語教育を受 けて

いるろう児の読み書き能 力の測定が必要であり、また、④教科教育 に関 して、同年齢の聴

児の学力との測定比較が望ましい。

(4)手 話単語の整備

本来、教育言語 としての手話が育つべき場である聾学校で、手話が抑圧 され周辺的位置

に置かれてきた。そのた め、 日本手話はアカデ ミックな単語が不十分だと言われる。さ ら

に、アカデミックな単語 として考案され決められた ものの中には、不 自然な動きを持っ も

のがあるという。左右の手が異なる動 きを しなければな らないといった形は、芝居のよ う

一16一

Page 17: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

に演 じた り、やって見せた りする場合 には出来て も、内容 に集 中する真のコミュニ ケー シ

ョンの手段 としては不適切である。 しか し、急 ごしらえの造語ではそのようなケース も起

きやすい。

また、単語整備 の際、 日本語 を出発点 とす る方向が強すぎるということはないだろ うか。

例えば、 「方程式」を示す手話は、 「ホ」の指文字に 「式」の手話を組み合わせ るという。

しかし、 「ホ」の部分は 「方程式」 という日本語 を知 らない場合、意味をなさない。

(財)全 日本 ろうあ連盟は 「わた した ちの手話」シ リーズの刊行 を重ねている。 『新 し

い手話2004』 を見 ると、仮名を基礎 とす るもの、漢字を基礎 とす るもの、アルファベ ッ ト

を基礎 とす るものが散見され る。抽象的な単語 に日本語か らの借用が必要な事情はよくわ

かるので、すべて に反対するわけではな いが、以下のような例はろう者 にとって不 自然で

はな いのか。使い勝手は どうなのだろうか。

例1-① 右手人差指で 「人」 と書き、②指文字の 「ジ」 を表 し、③指文字で 「イ」 「ン」

と表す 「人事院」

例2一 指文字 「ホ」の左手の手首部分に向けて右手の指先を繰 り返 し動かす 「ホルモン」

例3一 ①右手で指文字 「テ」を表現 し、②右手で指文字 「ロ」を表現する 「テロ」(r新

しい手話2005』 よ り)

例4一 アルファベ ッ トの指文字 「S」を右胸にあて、指 を開きなが ら上にね じりあげるサ

ーズ(SARS) (『新 しい手話2005』 よ り)

このよ うな単語がひとつ、ふたつではな く、多数あるということは何を意味するか。第

一言語 としての 日本手話は 日常生活 レベルの言語 に過 ぎないとして放置 して、公的なス ピ

ーチや抽象的内容は 日本語(と 日本語対応手話)で 育て るという姿勢が、手話の整備 に大

きな遅れ を生 じさせてきたという事実で ある。なぜ 日本手話 を第一の言語 として教育を行

い、その基礎の上 に、書記 日本語 をあわせて用 いる教育 によって、しっか りとした 自信 と

学 力を持 った人間を育て、結果としてふたつの言語 の力が育つ という方向が とれないのだ

ろうか。 ろう者教員 を中心 とする教育者 と、手話言語の専門的研究者 の両者 による協 力体

制で、 日本手話の整備が進められないものだろうか。

(5)お わりに

以上、見てきたように、ろう教 育の現場が直面する課題は大 きい。聾学校の現場の先生

方は これまでさまざまな工夫を積み上げて、ろ う児の教育にあたって こられた。その経験

知が果た して本 当に知であるかの再検討 を、聾学校の先生方、特に、指導者層の先生方に

切にお願 いしたいと思 う。

〈資料〉

「論点」1 「聾学校の言語教育 手話よ りも 「読唇」優先で」 『読売新聞』2006年12月

一17一

Page 18: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

7日

「論点」2 「聾学校の言語教育 手話の効果、伝える責務」 『読売新聞』2006年12月

20日

〈 参考 文 献〉

秋 山 なみ ・亀井 伸孝(2004)『 手話 で い こう』 ミネル ヴ ァ書房

上 農 正剛(2003)『 た った ひ と りの ク レオー ル 』ポ ッ ト出 版

金 澤貴 之(1999)「 聾教 育 にお ける 『障 害 』の構 築」 『障害 学 へ の招 待 -社 会 、 文 化 、デ

ィス ア ビ リテ ィ』明石 書店

現代 思 想編集 部(編)(2000)『 ろ う文化 』青土社 (1996・4『 現 代 思想 』臨 時増 刊号 「ろ う

文化 」)

酒井 邦 嘉(2002)『 言語 の脳 科学 』中央公 論新 社

全 日本 ろ うあ連盟/日 本 手話研 究 所(2004,2005)『 新 しい手話2004、2005』 (財)全 日本 ろ

うあ連 盟 出版局

鳥 越隆 士 & グニ ラ、 ク リス ター ソ ン(2003)『 バ イ リンガ ル ろ う教 育 の実 践 』 (財)全

日本 ろ うあ連 盟 出版局

長瀬 修(1999)「 障 害学 に向 けて」 『障害学 へ の招待 』明石書 店

馬場 顕(1996)「 第18回 聾教 育国 際会 議 と附属 聾学校 の教 育 」 『筑 波 大学 付属 聾学校 紀 要 』

18, pp.1-12

早瀬 久 美(2004)『 こころの 耳 』講 談社

ブ レイ クモ ア、S. J.& プ リス、 U. (著)乾 敏 郎 、山下博 志 、吉 田千里(訳)(2006)

『脳 の学 習 力』岩 波書店

毎 日新聞 北海道 版 「聾学校 の手話 教育 」 (2007年9月7日)

ろ う教 育 の明 日を考 え る連絡協 議 会(2006.12)『 ろ う教 育の 明 日を考 え る連絡 協議会 』

〈参考サイ ト〉

聞こえな い子をもつ親 の掲示板 (2007年8月 現在)

fltlp://www2. d-一(互gi±b1幽 」L

全 国 ろ う 児 を も つ 親 の 会 http://www. hat. hi-ho. ne. jp/at_home/ (2007年8月 現 在)

北 海 道 新 聞 社 会 htt://WWW. hokkaido-n.CO.●/news/societ/45201. h (2007年10

月現在)

文科 省 特別 支援 教 育 に関す る中央 教 育審 議会 答 申 「特別 支援 教 育 を推 進 す るた めの 制 度

の在 り方 につ いて」 (2007年8月 現在)

httP://www. mext. go. Jp/a _皿enu/shot0u/tokubetu/main/001。 htm

一18一

Page 19: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

目次

1.は じめに

2.家 族の紹介

3.私 が持っていた常識では考え られない事実

(1)「 名前」

(2)「 消 しゴム」

(3)「 できた」

(4)「 入学式」

(5)ろ う学校 というところ

(6)「 助 け合 い」

4.見 えてくる問題

(1)構 造的な悪循環

(2)構 造的差別 の恐ろしさ

5.悪 循環を断ち切るために必要な こと

(1)ろ う者だけがこの悪循環を断ち切れ る

(2)ロ ールモデル としてのろう者

(3)現 在のろう学校 の生徒

(4)ろ う者が教諭にな るためのハー ドル

6.ろ う者のためのろ う教育とは

(1)ろ う者 のいない中で どう日本手話 を身に付 けるのか

(2)ろ う者 中心 に設計された教育へ

(3)通 じな いことの最大の弊害

7.ど うか考 えて ください

8.お わ りに

1.は じめに

私 は32年 間ろう者Dが置かれている環境に無関係に生きてきた、 ごく一般的な人間でし

た。 中学時代の友人の弟が補聴器 をしていることを知っていた程度で、その子がどうにも

1 「ろう者」 とい う言葉 の定義 は、厳密 には諸説 あ りますが 、詳細は他 に任せ ると して、 ここ

では手話を母語 とす る人 と して話 を進めた いと思 います。

一19一

Page 20: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

聞き取れない言葉で話 をするのを、気にも留めず過 ごしていました。 もちろん手話がある

ことは知っていて、聞 こえない人たちは手話で話 をす るものだと漠然 と感 じてはいた もの

の、その子がなぜ手話を使わないのか、と考 えるには至 りませんで した。その私が、結婚

し、娘が生まれ、その娘が聞こえないことが分か り、初めて ろう者の世界 に触れました。

そ こでは、それまでの私が持っていた常識では考 えられない事実を次々と突きつけ られる

という経験をする ことにな ります。驚きの連続、まさに天地がひっ くり返 るほどの経験 で

した。その過程で様々な考えや人たちに出会 い、今娘 は小学1年 生になっています。

本稿は、私がろう教育に関係するようになって6年 ほどた った今、ろう教育が迎えてい

る局面を保護者の立場か ら概観するものです。いくつかの事例を、「私が持って いた常識で

は考え られない事実」 として紹介 し、ろう教育の抱える問題 を明 らかにします。

最後に、問題を整理 し、今のろう教育が抱える矛盾、すなわち 「ろう者のいないろ う教

育」 について考え、ろう者 こそ ろう教育の中心に据えるべきである ことを述べたいと思 い

ます。

2.家 族の紹介

最初に私 と私の家族 について紹介 します。

私の家族は、私、妻、それ と娘が2人 の4人 家族です。今年長女は小学1年 生、次女は

3歳 にな ります。私 と妻は聴者ですが、娘は2人 ともろう者です。長女は1歳3ヶ 月のと

きに聞 こえないことが判明 しました。私たち夫婦は、他の同じ状況 に置かれた多 くの方々

同様、「聞 こえない」という状況 を理解するためにゼロか ら色々調べまわ りました。結論 と

して 「ろう者 に聞くのが ::」という考えにな り、フリースクールや地元のろう者な ど、

手当た り次第 に聞こえない人を探 しもとめる日々が始 まり、それは今でも続 いています。

手話についても、全くのゼロか らのスター トでした。 自治体主催の手話講習会や手話サ

ークルに顔を出 し、今では恥ずか しい程の質問2を していた ことを思い出します。そんな風

に して、我が家にはろう者 と手話がほぼ同時に入って くることにな りました。一度手話で

コミュニケーシ ョンが取れ るよ うになると、意外に楽 しいものです。妻の手話力向上のお

かげですが、娘 との話 も特 に不 自由なく通 じることができ、 これ といって不満 もあ りませ

んで した。

次女が生まれ るとき、我が家では次女 も聞 こえないことを望みました3。病院の先生には

変 に思われたかもしれませんが、既に我が家では手話でのコミュニケーシ ョンがあったた

め、次女が加わる ことで別 の言語 も用いなければいけな い、という負担を考えたためです。

そんな こともあってか、次女 も 「無事」聞 こえない子供で した。長女 のとき と違い、次女

は生まれたときか ら手話がある環境で育っています。普通に意思表示 をし、普通に笑い、

2初 対面の方に 「あなたの手話は中間手話ですか? 日本手話ですか?」 と訪ねていました。

今考えるととても恥ずかしくとても失礼なことだと反省 しています。3長 女が妻のおなかを指さし 「ろうの女の子」と予言 していました。見事的中。

一20一

Page 21: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

普通 に泣いて、それが手話 によるものである ことを別 にすれば、我が家は聴者 の家庭 と変

わ らないと思 います。

3.私 が持っていた常識では考えられない事実

(1)r名 前」

長女が聞 こえないと分かってか ら、ろう学校 に通 うものだ と思った私たちは、ろう学校

に見学に行きました4。聴者の場合は、保育園か幼稚園という選択肢が一般的ですが、ろう

児 の場合、ろう学校 に0歳 か ら通 うことができます。私たちのろう学校では 「乳児相談」

と言って います。最初のエ ピソー ドは、私たちが事前の見学に行ったろう学校の1つ で、

実際に先生か らお聞きしたお話です。

「以 前は私たちのろ う学校で も非常 に厳 しい聴覚 口話法5に よる指導 を行って いまし

た。母親が先生の指導方法を逐一見学 し6、それをメモ して家で実践 した りしていまし

た。でも、今は我が校で も手話を導入 して いて、そ ういった風景 もな くな りました。

以前はそ こまで頑張って も、 どうしても友達 の名前が覚えられない子供がいたのです

が、手話を導入す るようになって、子供たちは友達の名前 も全部覚え られるようにな

ったんです。手話を導入 した効果だ と思いますよ。」

だいたい こんなお話で した。事前に本やイ ンターネ ッ トでろう学校 の状況は知って いた

つ もりですが、この話に私は衝撃 を受 けま した。それは、手話がす ごい、ということでは

な く、つい数年前まで友達 の名前が分か らない子供たちがいた という事実 にです。

少 しろう教育 に詳 しい方な らご存 じだと思いますが、以前のろう教育では 「名前」 とい

う概念 を教えるために、例 えば家中のモノの名前を紙に書いてそのモノに貼った りしてい

たそ うです。「お さら」「でんわ」「てれび」など。それで繰 り返 し親が名前を言 い、徐々に

子供 はモノに名前があることを学び、その名前を覚えて いったようです。そんな中で、子

供たちは友達の名前 も同 じよ うにして覚 えたので しょうか、方法は分か らないのですが、

先生のお話からは友達の名前を覚えきれな い子供たちが いた ことが分か ります。

聴者家庭、というか一般の家庭では ごく普通 に赤ちゃんに声をかけて、その過程でモ ノ

に名前があることを理解 していくのだろうと思います。逆 に 「赤ん坊に、モノに名前があ

るということを教えなさい」 と言われると、あま りに難 しい課題でめまいが します。 しか

し、従来のろう教育ではこのよ うな ことが ごく自然に行われていたのです。デフファミリ

4ろ う学校に見学に行き ました ..-..ろ う学校で は事前 の見学が ごく普通 に行われ てい ます 。

聴者 の場合 も同様 に行われ ているかは分 か りませんが、事 前 に学校 に行 き、特 に初めて聞 こえ

な い子 供を持 つ親 に対す る初期 フォローがな されるのではないか と思います。

5聴 覚 口話法 .。...補 聴器な どで聴覚 を補 い、聴覚 障害者 にも声を使 って会話がで きた り日本

語 を身にっ けた りす ることを目的 と した指導法 。イ ンター ネ ッ トで探せ ば詳細な解説が 閲覧 で

き ます。

6母 親 が先生の指導方 法を逐 一見学 し.....母 親 法 と言われて います。家庭で も母親がその 日

に受 けた授業 を復習 した り発音訓練な どを した りす るそ うです。

一21一

Page 22: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

,_._7ではどうかというと、聴者家庭と同 じです。ごく普通 に赤ちゃんに話 しかけ、モノに名

前があることを理解 していきます。ただ、それが声による日本語ではな く、動作による手

話によってです。違 いはそれだけです。我が家でもデフファミリーにな らい娘 に手話で語

りかけ、結果 として娘たちはモノの名前をどんどん覚えて8い っています。モノに名前があ

ることを明示的に教えなければな らないと考 えられていた事実もさることなが ら、手話の

導入によって友達 の名前が覚え られるようになった と喜ぶ先生が いることに、私は人生始

まって以来の衝撃 を受けました。これが この後 の更なる衝撃の序章にすぎなかった ことを、

このときは知る由もあ りませんで した。

(2)「消しゴム」

長女が幼稚部に通っているときに小学部の授業見学があ りま した。娘が通 うろう学校で

は、いわゆる 「日本語対応手話9」を使 う場面 も多 く、先生によって程度の差はありますが、

小学部の授業 も日本語対応手話で行われています。授業中は子供たちが意外に騒が しく、

それに負 けじと先生も声を張 り上げつつ手を動かす、 といった感 じで授業 は行われていま

す。

そんな中、1人 の子供が先生に手話で何かを訴え始めました。その子の手話 は日本語対

応手話ではな く、日本手話D0です。訴えに気付いた先生はその子の手話を見ていましたが、

よく分か らなかったらしく、「分か らない」と声で言いなが ら手話 をつ けました。子供は同

じ内容 を丁寧に言い直 しました。 しか し、や はり先生は見ていて も分か らなかったようで

す。更 に大きな声で 「分か らない」 と、今度はゆっくり、同じように返 しました(こ の間

は授業は止まっています)。す ると、その子は 「仕方ないな」という表情を して自席に戻 り、

伝えた いことをノー トに書いて、それを先生に見せました。先生はノー トを見て 「ああそ

うなの」 と、今度は声だけで言 い、別の子供 を注意 しました。 もちろん声を伴 う日本語対

応手話でです。「○○ ちゃん、だめで しょう、授業 中に消 しゴム投げちゃ。どうしてそんな

ことするの? 早く取ってきな さい」と声で言 いなが ら手話単語を並べ ました。それを 日

本語で書 くと次のようにな るで しょう。「○○/バ ツ/バ ツ/勉 強/中/消 しゴム/投 げる

/な ぜ/そ れ/こ と/や る/?/速 い/取 る/来 る」。音声 日本語のリズムに合わせて単語

を並べて います。 この場面で子供が言いたかったのは 「○○ ちゃんが消 しゴムを投げた」

ということ。たったそれだけです。小学生にはよくある話で しょう。「先生、○○ちゃんが

消しゴムを投げてま一す」 という、ある意味ほほ笑 ましい場面です。 しか し、日本語対応

手話を流ちょうに操る この先生には、子供の手話が読み取れなかった!

7親 も子供 もろ う者である家族はデ フフ ァミ リー と呼 ばれ ています

8長 女 も次女 も、最初 に 自分 が表現 したものは、我が家の食卓 にあるライ トで した。 ライ トが

灯 る と 「明か り」 と初めて手話 して くれた ことは今で もは っき り覚 えて います。感動 した!

9日 本語の語順 に合わ せて手話単語 を並べ て表現す る手話。 これ も定義 は様々 あ ります。一般

的 にはシム コムと言われ る、日本語 を話 し乍 ら手話単語 を合わせ る、というや り方 を取 ります 。

10ろ う者が通常使 用 して いる手話。独 自の文法 を持 つ 自然言語 です。 日本語ではあ りませ ん。

一22一

Page 23: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

この場面を見学 していた私はなぜ先生は読み取れなかったのか考えま した。先生は授業

中様々な ことに気 を配 らな ければいけな い、 まして今 日は授業見学 に来ている保護者 もい

る、普段 とは違 う状況だったか らだろうか。子供が興奮 してメチャクチャな手話で表現 し

たか らだ ろうか。

一般の学校に置き換えて考えてみると、このおか しさが理解できます。一般 の小学校の

授業であれば、子供 と先生は無意識にこの程度のや り取 りはできるはずです。それ どころ

か、授業を止める こともな く、うまく対応することでしょう。それがろう学校ではできな

い。授業 を止めてもダメ、子供がメモにしないと分からない。分かってもらうために子供

が懸命 に、 しか もどう考えても不要な工夫をしな いといけない。先生は大切な授業を止め

てまで読み取 ろうと努力 してお り、子供は何度も トライ し、その間先生は じっ と待って あ

げている。 これでは この程度のや り取 りができない原因は子供の側にあると言っているよ

うな ものではないで しょうか。 もしろう者の先生だった らどうで しょうか。おそ らく、聴

者の学校 と同様 に授業の リズムを崩す ことな く対処できるはずです。私は授業 を見学 しな

が ら、 とても暗たんたる気持ちにさせ られて しまいました。

更 に言えば、子供の手話が読み取 られなかったことよ りももっと悪いと思 った ことがあ

ります。それ は、ようや く伝えて もらった ことを 「ああそ うなの」 と言 うだ けで、それを

子供 に伝 えなかった先生の態度です。その後の先生の行動を見れ ば伝わった ことは分か り

ますが、何か一言でも手話で返 してあげ られないものか。 しかも注意されて も今一つ ピン

とこない手話。 これではあま りに子供たちがかわいそ うではないですか。そ こに双方向の

コミュニケーシ ョンはあ りませ ん。一方通行の、 しかもワンクッション挟んだ情報伝達 で

す。 これがろう教育の現場です。

この後 も淡々と授業は進み ました。ただ、これが果た して授業なのかどうか。次のエピ

ソー ドで触れ ます。

(3)「できた」

先ほどのエピソー ド 「消 しゴム」では比較的カジュアルなコミュニ ケーションについて

触れ ま した.今 度はやは り授業見学での出来事で、授業そのものにつ いて、 もう1つ 紹介

します。国語の授業で した。 「はなのみち11」という物語 を扱 って いま した。

先 生が問いかけます。 「じゃあ、 これ読める人」。普通の学校 と同じように子供は勢 い良

く手 を挙 げます。「それ じゃあ○○、読んでみて ください」と先生は指名 し、その子は立ち

上が り読みはじめました。 ここまでは普通 の授業 と同 じですが、立ち上が り読む子供は声

に手話を付けて読み上げます。従 って教科書は見ない。教科書を持って しまうと手が動か

11教 科書に掲載されているお話。くまさんが持っている袋の中身が分からない。中身を聞きに

友達の家に向かうが袋が破けているのに気付かず道中で中身がこぼれて しまう。友達の家に着

いたときに中身がないのに気付き、振り返ると道に花が咲いていて中身が花の種だった ことが

分かるというお話。

。23一

Page 24: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

せないため、教科書 は机 に置いたまま、チ ラッと見ては読む、という感 じで読み進めます。

日本語対応手話ですか ら、声に合わせて手話の単語だけを並べます。文章に表現す るのは

難 しいのですが、「きれい/花/道/で きる/終 わ り」といった感 じ。それを見た先生 は 「よ

しっ。よくできたっ」 とや はり勢い良く褒めました。

教科書の文章は 「きれいな花の道ができました」なので、た くさんのきれいな花が咲い

て道 になった、 といった意味だと思いますが、私は何が 「よくできた」のか分か りませ ん

で した。おそ らく子供 も意味は どうでもよくて、先生が褒めてくれ る方法 を実践 した にす

ぎないので しょう。そ の点ではなぜ褒め られたのか子供 も分かっていません。

分かって いるのは先生だけという授業です。 いったい何の授業なので しょうか。聴者 の

場合には、クラス全体で このクダ リの意味 を共有 した り、感 じた こと、作者の意図な どを

自由に想像 した りするので しょう。ろう学校では読んで終わ り。ひ ょっとすると、道は何

か らできているかとか、「花道」ではなく 「花の道」が正 しいとか、そ ういう日本語 の形式

を扱うかもしれません。少な くとも、クラス全体 で意見を言 いあうな どはあ りません。

このよ うな授業をすることを 「ろう教育の専門性」と言うのでしょうか。だとした ら、

そんな専門性は必要ないと私は思 います し、何よ り子供が分か らない授業 に意味はないと

思 います。

(4)「入学式」

これは我が家では少 し生々しいエ ピソー ドです。娘の小学部の入学式当 日の話です。

前 日まで入学式に行くと行 って いた娘が、当 日の朝、突然 「私学校 には行かない」 と言

い出 したのです。理由を聞いてみ ると 「学校の人はみんなペ ラペ ラしゃべ るだ けで、私は

分か らない。分か らないのに行って もつまんな いから行かな い」 とのこと。入学式は一生

に一度、 しかも小学校 の入学式はこれか らの楽 しい社会生活の始 まりでもあ りとて も楽 し

みにしていたので、私たち夫婦は何とか行かな いか、いろいろ話を しました。それでも娘

は頑 として聞かない。結局私だけで行 くことにしました。子供が いな い入学式 に私は出席

していました。何 とも複雑な心境です。入学式では、娘が言った通 り皆 しゃべるばか りで、

確かに娘が分かる言葉 はあ りませんでした。

そんな入学式に出席 しなが ら、私は娘が とて も素晴 らしく思えてきました。なぜな ら何

をやっているのか子供たちに分か らな い入学式などあってはな らないと思ったか らです。

それを娘は体 を張って訴えていると感 じたか らです。校長先生の話、司会進行、来賓の挨

拶、その全てが子供たちには伝わ らな い入学式です。手話通訳は日本語対応手話ができる

先生が担当なので、少な くとも新入生はよく分か らない。そ こに娘 はお らず、写真 もビデ

オも撮 りませんで したが、私はそれでいいと思いました。そ う思 うとだんだん気分 も晴れ

やかにな り、開き直って桜 を楽 しむ余裕 も出てきます。入学式は記念行事。新入生の記念

撮影 もあ ります。参加 した同級生や親御 さんに交 じり、私だけ写った!卒 業アルバムが楽

しみにな りま した。

一24-

Page 25: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

しか し、先生方は困った様子で した。入学式が終わったあと、私 になぜ娘が来なか った

のかを聞きに来 られ ました。私は正直に、先生方 の手話が分か らない こと、分か らな い中

で出席す ることは娘 には耐 えられないこと、私が見て も確かに分か らず娘の判断は正 しい

ことを伝 えま した。すると先生か らこう言われ ました。「確かに、私たちの手話は下手で分

か らないか もしれない」 と。

「か もしれない」程度の認識しかないのだと感 じました。一生に一度の入学式で、友達

が皆出席するのに、本当は一緒 に入場行進を したかったであろう娘が、先生の手話が分か

らないか らといって来なかった思いを 「か もしれない」 と言って しまう先生方の感覚が、

私にはとて も受け入れがたいもので した。更に先生はこう続けました。「それでも私たち教

員は子供たちが分か りやすい手話を頑張 って勉強 します。明 日か らで も何とか来 られない

で しょうか」 と。

ろう学校の先生は、少 しは子供たちのことを、子供たちの立場に立って考えた ことがあ

るのでしょうか。全ての大人が自分たちには分か らないことを話 し、 しかも話 して いるか

いないかさえ感 じられな い中で、6歳 の子供が周 りを うかがいなが ら過 ごさなければな ら

ないという状態 を、ろう学校の先生は考えた ことがあるので しょうか。 日本語対応手話 の

先に 「子供たちに分か りやすい手話」な どあるわけがな いことを、どうして理解する こと

ができないので しょうか。

ろう学校では、 しか しこれが 日常なのです。

(5)ろ う学校というところ

ろう学校では、先生と子供たち との双方向のコミュニ ケーションはできないのが現実で

す。先生方のほとんどが聴者で構成 され、ろう者ではな いし手話 もほ とんどできな い。 日

本手話ができな いのです。更に言えば 日本手話を身に付 けようとしている先生もほとんど

いません。 どうしているかと言えば、先ほ どのエピソー ドのように、大多数の先生方の世

界観 、つまり聴者の世界観の中でのコミュニ ケー ションをしている。 これでは何 も教えら

れないし、学校 という生活の場 としてはあま りに不 自然です。

聞 こえる/聞 こえないに拘 らず、障害の有無に拘 らず、親の願 いは誰でも同じです。 自

分に自信 と誇 りを持って 自分の人生を歩んで いかれる人にな って ほしい、皆そ う思って い

ると思 います。少な くとも、常 に聴者に通じるか を気 にして生きていってほ しいとは思っ

ていない。 これは私が出会 った先生方にご意見 をお聞き して もほぼ同じでした。

しか し、前述のエ ピソー ドでご説明 した通 り、現実は全く当てはま らないと言わざるを

得ません。手話 もできない、大人のろう者 もいな い中で、ろう児たちは どうやって 自分の

人生に自信と誇 りを持てるので しょうか。 自分 の言葉は大人 に理解されず、意味不明な授

業にひたす ら耐え、先生が望むように声を出 し、訳も分か らず褒め られる。そんな中で ど

うや って子供たちは育つので しょうか。多分、自己否定感 の中で育ち、学力もさることな

が ら、生きて行 く力もほ とんど得 られないまま卒業するので しょう。良 く行 って先生の望

一25-

Page 26: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

む行動 をすればいいこと程度が分かる大人 になるで しょう。そんなのは教育とは言わない。

私は保護者 として現状 を変えていかないといけないと強 く感 じます。

私 はこのような現状に問題を感 じ、先生方に問題提起を行 いますが、そのときに必ず と

いって いいほど次 のような回答 を聞きます。「お父さんのおっしゃる ことはよ く分か ります。

しか しろう学校では言葉の違いだけでな く、学力の問題、日本語の習得、そ の他様々な問

題が あります。また、残存聴力の活用、人工内耳の適用、重複障害児への指導など、多種

多様なニーズにも応えていく必要もあ ります。その中で我々教師はできる限 り努力 し、少

しで も良くなるよう頑張っています。どうか ご理解ください」 と。本当にどこを取っても

衝撃の連続ですが、これ も私 には大きな衝撃で した。そ もそ も言葉が違って いるのに、努

力する ことで何が解決するので しょうか。努力の結果が いつ どのよ うに実 を結ぶ というの

で しょうか。

子供は先生方の努力の結実 を待つ ことができません。 どうもそれは先生方にはご理解い

ただけないようで。

(6)「助け合い」

このようなろう学校の現実に、遅かれ早かれほとんどの保護者は 「何 となく」気付 いて

きます。 しかし気付いてなお更なる厳 しい現実が子供たちを襲 います。

ろう学校では主 に聴者 の保護者 を対象に様々な勉強会が企画実施 され ます。あるとき乳

児 の保護者を対象に補聴器についての勉強会がありました。同じ保護者で聞こえない保護

者の方もお られ、その方々のご意見を聞いて参考にしま しょうとの こと。

ある聞こえな い保護者の方は 「補聴器はな くて も困 らない し、あって も役に立たな い」

というご意見で した。また別の聞 こえない保護者の方は 「あると便利、聴者の社会では必

要」 というご意見でした。どち らもしっか りした ご意見です し、社会生活 を営む聴覚障害

者にとっては事実なのだろうと思います。 しか し、ろう学校の現実 に気付きはじめた保護

者は後者の意見に惹かれる傾向があ ります。つま り 「聴者の社会では必要」 という部分。

「そ うか、やは り世の中は聴者が多いし、仕事するに も聴者 とのコミュニケーションは

避けて通れないからな。やは り小 さいときか ら少 しずつ慣れてお いた方がよさそ うだ」と。

ろう学校では 「交流保育」 という仕組みがあって、希望する方には、子供の住んで いる

地元 にある一般 の幼稚園に、ろ う学校がお願い して子供 を定期的に通わせることができま

す。たいていは1週 間に1日 ですが、この仕組みを利用するな どして、幼 い子供たちを一

般の幼稚園に通わせるケースが少な くあ りません。親や先生の思 いも理解できないではな

いですが、ろう学校の子供たちは聞 こえる子供たちの中にたった一人で入 っていくわけで

す。幼稚園では最初か ら変わ り者扱 いです。幼稚 園の先生は多分 こんな紹介を します。

「はい。今 日か らお友達 になる○○ちゃんです。○○ちゃんはお耳が聞こえません。み

んな、○○ちゃんが聞こえな くて困って いた ら助 けてあげてね」。

親 も 「みんな、よろ しくね」 と子供たちに声をかけた りします。親 も、幼稚園の先生に

一26一

Page 27: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

も、悪気は全 くありません。子供たちだって簡単な挨拶な どの手話を覚えようとか、身振

りを交えてなんとか交流 しよ うとか、様々な努力や工夫をするので しょう。それ自体 にあ

ま り問題はないよ うに見 えます。

しか し、改めて考 えると、やは り私はこのよ うな状況 に非常 に強い違和感 を覚えます。

聞 こえないことは助けてあげなければいけな いことなので しょうか。そんなに違 いを意識

し溝 を埋める努力をしなけれ ばいけない存在なので しょうか。それ は多数派である聞 こえ

る人の論理で しかないのではないで しょうか。それは聴者が聞こえない人を差別 している

ことにほかな らないのではないで しょうか。しか も、この差別は非常 にタチが悪いのです。

大人が率先 して子供に差別意識を植え付けていて、 しかも 「助け合 い」のようなオブラー

トに包んでいるので誰 もそれ を差別 と気付かないまま差別環境を構築 している!

もう少 し分か りやす く説明 してみます。例えば、聞 こえる子供が先に遊んでいるお もち

ゃを○○ ちゃんが黙って取って しまった としましょう。それも何度 も取 り上げた としまし

ょう。多分聞こえる子供が泣 いて先生に訴えます。多分、通常な ら先生が注意 し諭すで し

ょう。 「○○ちゃん、だめで しょう。ほしいときはちょうだいって言わないといけないよ」

とか 「1人 で遊んで もつ まんないよ。一緒 に遊ぼ うよ」 とか。 しか し、○○ちゃんが聞 こ

えな い子供だ とした ら、 このよ うに注意 して諭す ことができるで しょうか。普通の幼稚園

の先生には多分できません。 日本手話な ら通 じるのに、それが使えな いために注意ができ

ません。どうするでしょうか。おそ らく、○○ ちゃんの周 りがあきらめて しまうで しょう。

「○○ ちゃんは聞こえないか ら我慢 してあげようね」 とか 「もう少 しした ら飽きちゃ うか

らそれ まで少 し待ってよ うね」 とか。そ うでなければ、声で諭 しなが ら○○ ちゃんか らお

もちゃを取 り上げることで しょう。先生や、周 りの子供たちは声で話 をするか ら分か りま

す。○○ちゃんに諭している内容や、その結果としてお もちゃが返 ってきたことな ど。で

も○○ ちゃんには分か らな い。 これが何度 も続いた ら、きっと○○ ちゃんは、幼稚園の人

たちはお もちゃを取 り上げる人たちだと感 じるようになって しまうで しょう。 これが教育

と言えるでしょうか。私 にはとて も教育 とは思えない。

4.見 えてくる問題

(1)構 造的な悪循環

3.で はいろいろなエ ピソー ドを紹介 してきました。

「名前」ではろう学校の先 生方 のろう教育へ の歴史認識の問題 を説明しています。つま

り、ろう学校の先生方は 「前に比べると今は断然良い」 と考えて いる。

「消 しゴム」では先生 と生徒が違 う言葉 を使 って いるが故 に日常生活でコミュニケーシ

ョンが取れな い現状を説明 しています。

「できた」ではコミュニケーションが取れな いために有意な授業が行われていない現状

を説明 しています。

「入学式」ではコミュニケーションの取れな い日常を、先生方は見通 しのな い努力で改

一27一

Page 28: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

善 しようとしている問題を説明しています。

「助け合い」では単にろう学校にとどまらず、親 も含めてろう者を 「ミソッカス」 にし

ようとしている現実を説明 して います。

まず第一の問題 として 「ろ う学校の先生方 は子供たち と話ができない」が挙げ られ ます。

ろう児 と向き合い、学校生活を行い子供たちが成長 して いくはずの場で、先生方は子供た

ちと話をする言葉 を持っていな い。

第二の問題 として、先生方はろう児 としっか りコミュニ ケー トできな いために、「ろう児

はどういう世界観 にいるのかが先生方に分か らない」 という現実があ ります。一方的 に聞

こえない声で話され、 自分抜きで周 りが コ トを進 め、そんな大人たちの中で生活をしてい

かなければいけな い子供たちの世界観を本質的に理解できません。理解 していないことは

自分で も分か りますか ら、結果 として 「努力」 「頑張る」 「徐々に」な どの レ トリックを多

用するようにな ります。

最後 の問題は、世界観 を理解 しないにとどまらず、聴者 の世界観か らろう児を位置づ け

てしまうことか ら 「ろう児 に対する差別が構造 として組み込まれている」 という大問題 に

至 ります。「言葉が違 う」→ 「コミュニケーシ ョンできな い」→ 「意思疎通が難 しい」→ 「(聴

者の価値観で)想 像 して解釈する」→ 「ズ レる」→ 「ズ レた ことが伝わ らな い」 という構

造的な悪循環が生 じています。

皆さん どう感 じますか? 当然だ と感 じませ んか?

例えば、昔のハ リウッ ド映画で扱われる 「ステ レオタイ プの 日本人像」を思い浮かべて

ください。メガネ をかけ、髪を7:3で 分け、早 口で話 し、お辞儀 して謝 りまくる 日本人 を。

私たち日本人は 「そ りゃないだろう」と思います。ところが、自分一人でアメリカに行き、

出会 うアメリカ人全てか ら、 自分がそ ういう目で見 られていることを想像 してください。

「日本人には女性 もいるよ」とか 「悪 くもな いのに謝 らないよ」 と反論するか もしれ ま

せん。 しか し、言葉が違 うので反論 しても意に介されな い。何をやって も、 うまくいかな

い。多勢に無勢でひたす らステレオタイプでいる ことを強要 され る。 メガネをかけ、髪 を

7:3に 分 け、お辞儀をしまくるとアメリカ人が満足そ うにす る。そ ういう環境 にいた らど

うな るでしょうか。「自分 はこれでいいのかもしれない」と感 じて、だんだんと卑屈になっ

た りして、アメ リカ人の考えるステ レオタイプな日本人像 に近づ くのではな いで しょうか。

それでも私たちは 自分がステレオタイプな 日本人像とは違 うことを知っています。です

か ら心理的にも逃げ道があるように思います。「適当に合わせておけばいいや」な どと思え

るか もしれません。しか しろう学校のろう児は全 く状況が違います。 自分 自身がろう者で

あることを知る前に、聴者 とは違 うということを知 ります。その違 いは 「埋めなければい

けないもの」であり、 「完全 には埋め られない」 ものであり、 「埋めるために努力しなけれ

ばいけな い」 ものである、そんな状況だろうと私は考えます。 自分がろう者であることを

知 ってさえいれ ば、違 いは 「単なる違い」でしかないことが分か ります し、「埋 めなけれ ば

いけないもの」 にはな りません。

。28-

Page 29: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

このような環境構造は未来ある子供 にとって、良 いことは何 もあ りません。

(2)構 造的差別の恐ろしさ

ろう学校の先生方は手を こまねいて いるわけではあ りません。 この埋めるべき聴者 との

差を少 しで も小さくす るために、大変な熱意でろう教育に取 り組んでお られます。その結

果が、歴史的な 口話教育であり、 日本語対応手話であ り、 トータルコミュニケーシ ョン理

念か ら生まれたシムコムです。

しか し残念な ことに、その どれ もろう者をろう者 として捉えているものはあ りません。

あくまで も 「聴者 と(少 しだけ)違 う人間」であ り、「本来同 じはずの人間」という視点か

らのものです。 しかもコミュニケー ションが欠けているためにどの方法であってもピシッ

とうまくいかない。

このような状況の中で 日々できる限 りの指導 をされている先生方の熱意や努力には頭が

下が ります。 しか し、冷静に考えれば考えるほど、これ らの熱意や努力は本質的に間違っ

て いるのではないかと感 じます。なぜな ら、そ こに 「あ りのままのろう者」 という捉 え方

がな く、 「聴者が考えるろ う者」 「聴者 とは違 う人間」という概念で捉えているか らです。

このズ レを回復 させ るべきコミュニケーションは言語が違 うがゆえに存在せず、「熱意」と

「努 力」でカバー しよ うとしているか らです。

ズ レたまま全ての教育行為が行われ、やればやるほどその溝は深 く大 きくな り、膨大な

熱意 と努力が必要にな り、という悪循環。 これは子供たちや先生方の気持 ちや感情の問題

ではあ りません。全体が 「うまくいく可能性が低いシステム」 として回って しまって いる

か らにほかな らないのです。 これではいくら熱意や努 力があって もどうしようもあ りませ

ん。 この悪循環 システムを打ち破る ことこそが、現代のろ う教育 に最 も必要な ことで、唯

一必要なことだ と私は考えています。

5.悪 循環を断ち切るために必要なこと

(1)ろ う者だけがこの悪循環を断ち切れる

一般 の学校で も先生の熱意が空回 りして 「どうして うまくいかないのか」 と思い悩む、

そ ういったことは非常によくある状況ではな いで しょうか。 しか し、 こういった悪循環が

発生 しないで済んでいるのは、このズ レを埋める 「コミュニケーシ ョン」があるか らです。

ろう学校には このコミュニケーシ ョンがない。これが悪循環 の根本原因の1つ だと考えま

す。

コミュニケー ション、それ はろう学校では 日本手話です。ろう児が最 も自然に、何のハ

ンデ ィもな く扱える言語 こそが必要です。 日本手話 さえあれ ば、エ ピソー ドであげて いる

ように名前 も覚え られ ます。消 しゴムを投げた ことや、お もちゃを取 り上げた ことな ども

簡単 に注意す ることができます。 ろう学校にお いてろう者が背負 うハ ンディキャップは、

コミュニケー ションモー ドが先生 と違 うことに根 ざしています。逆に、全てのコミュニケ

一29一

Page 30: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

一ションが 日本手話で行われれば、ろう者のハンディキャップはな くな ります。その場合

には 日本手話のできない人がハ ンディキ ャップを背負 うことにな ります。

では聴者の先生方が日本手話を習得すればよいで しょうか。簡単ではあ りませんが 、ろ

う児 とのコミュニ ケー ションに必要な レベルの 日本手話を身に付ければよいので しょうか。

仮に聴者の先生がろう児 とのコミュニ ケー ションができる程度の日本手話を身 につ けた

としま しょう。コミュニケーション自体に不 自由は しな くな ります。お互いに言いた いこ

とを言 い、相手の意図を汲む ことができる。 ごく普通の人間関係 を築 くことができます。

しか し、 これで特 に問題がない、と感 じるのは聴者の立場だからであ り、ろう者の立場か

らす るとやは り問題は解決 していないと感 じるのではないで しょうか。

日本手話ができるか らといっても、やは り聴者であることに変わ りはなく、ろう者か ら

してみる と違和感があるのではないでしょうか。私は聴者なので感覚的に理解はでき ませ

んが、想像力をた くましくすれば、そんな気がします。 この違和感は大人であれば 「単な

る違和感」で済 ませ ることもできるでしょう。 しか し、ろ う児にとってはこの違和感は大

きな問題にな ります。なぜな ら、「子供は大人を見て育つ」か らに他な りません。見せ られ

る大人が、日本手話はできるが自分 とは違 う 「音の世界」に生きている人だとした ら、子

供た ちは自身の成長 した姿 としてその大人を見る ことはできません。

やは り自分の延長だと リアルに感 じることのできる大人が、ろう教育、成長過程にある

子供たちには必要なのです。言葉が通 じるだけでは不十分なのです。ろう教育には、 日本

手話で考え、日本手話で理解す る、そ ういうろう者が必要であ り、そういうろう者だけが、

構造的悪循環 を断ち切ることのできる存在なのです。

(2)ロ ールモデルとしてのろう者

例えばアメリカンスクールで先生が全員 日本人だ とした らどうでしょうか。先生方は 日

本語は流ちょうに扱えるけれ ども英語はカタコ トだとした らどうでしょう。それをアメリ

カンスクール と言えるで しょうか。残念な ことに現在のろう学校 は限 りな くこの状態 に近

い。

ろ う児に 日本語で語 りかけるということは、例えば 「クチパク」 とほとん ど変わらない

とい うことです。英語を知 らない人が、クチパ クの英語で語 りかけられて も、全 く理解で

きないで しょう。 まば らに声を出 してみても同じです。例えばNHKテ レビの英会話番組 を

音声を消 して見続けて も英語ができるよ うになるとは思 えません。 これで英語 を身に付 け

られ ると考える方がおか しい。私 にはどうひいき 目に捉えてもおか しいとしか思えないの

ですが、ろう教育は長い間 このような方法で 日本語 を身に付 けられると信 じてやってきま

した。

それで も身に付 く子供たちも、ごく少数なが らいたようです。ろう者にとっては大変失

礼な言い方ですが、いわ ゆる 「成功例」 と呼ばれる子供たちです。私 には成功 した という

よ り、たまたまその子供たちに特異なセ ンスがあったとしか思えません。また、 ごく少数

一30一

Page 31: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

の成功例 と呼ばれ る子供た ちの陰には、成功例 とは呼ばれなかった大勢の子供たちが いる

ことを忘れてはな らないと思います。

言語の問題 もさる ことなが ら、今のろう児は学校でろう者に触れ る機会がほとんどあ り

ません。聴者が 日本語でコミュニケーションをす る環境に囲 まれています。聞 こえない こ

とがハ ンディキャップであることを強要 されて しまっています。先生方がいくら平等 ・公

平であろうと、聴者が 日本語でコミュニケー ションを取っている こと自体が、聞こえない

ことをハ ンディキャップとして しまっている。 このような中にあって、ろ う児は成長 して

いるのが現実です。

心理学者のエ リクソンという人が発達段階におけるアイデ ンテ ィテ ィ12という概念 を提

唱 しています。 これはろう児 も聴児 も同 じよ うに適用できる概念 と考 えられます。聞 こえ

ないことがハ ンディキャップである ことを強要されているろう児は どのようなアイデ ンテ

ィティの感覚を得 るので しょうか。多分、 自分は不完全な存在であるとしか考え られない

のではないで しょうか。なぜな ら、他の人は皆聴者であって、自分 はどう考 えても聴者で

はな いからです。

や はりろう児にはその成長 ・発達過程において、ろう者に囲まれて いる必要があると思 い

ます。どんなろう者で もいい。 自分 と同様に音のない世界に生き、聴者 とは違 う存在であ

ることを知って いるろ う者、そ ういうろう者 に囲まれる ことで、ろう児は自分の存在 を信

じる ことができるのだと思います。

(3)現 在のろう学校の生徒

まともに通 じる手話 もな く大人のろう者 もいないろう学校では、私たちが考え もしない

子供たちが現実 に育ってきています。

例えば、大き くなった ら自分は聞こえる大人になるのだと信 じている子供が います。補

聴器を着けるとお母 さんと同 じよ うに聞こえる人になっているという子供が います。聴者

でも、大きくな ったらウル トラマンにな るんだ、等の想像はよく聞くことなので、子供の

言 うことだと大人は相手 にしないか もしれ ません。 しか し、ろう学校 での問題は、 このよ

うな想像が構造的になされていることにあ ります。

例 えば、物事全てにおいてすんな り通 じた という経験のない子供が大勢いるのです。通

じた ことがな いので、自分が通 じていないことさえ理解できません。

怖 いと思いませんか? このような子供が ごく自然に発生 してしまうのが今のろう学校

なのです。聴者であれば、不十分なが ら心理的なケアをする体制がフォロー して くれるか

もしれません。 しかし、ろう者 にはそれす らありません。ほとん どの心理カウンセ ラーや

12自 己 同一性(Self Identity)の こと。最近 は様 々な と ころで 目に します が、 ここではあ ま り

厳密 な意味 には使 って いませ ん。 自分は何者な のか を確認す る感覚 、といった と ころです。本

来 は、生まれてか らこの先 も自分 はずっ とこの 自分なんだ という感覚 を葛藤か ら得て成長 して

い く、 という発達課題で のキー概念 です。

一31一

Page 32: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

臨床心理士は手話ができません。心理療法 に手話通訳を介す こともできません。

ろう者さえいれば、 このような低次元の心配 をす る必要はなくな ります。 しか し、現実

はろう者はお らず、聴者の先生ばか りがいるろう学校で、子供たちは日々生活をして いる

のです。

(4)ろ う者が教諭になるためのハ一ドル

なぜ聴者の先生ばか りなのか。それはろう者 の先生が圧倒的に少ないか らです。ろう者

の教諭がいれ ばろう学校は採用す ることも可能で しょう。 しかし、ろう者で教員免許 を持

っている人は非常に少な い。例えば娘の通 っているろう学校でも保護者か らの要望に応 じ

ろう者の教諭を探 しているようですが、なかなか該当者がいないそ うです。

ろう学校 を卒業、大学へ入学 し、学校教諭を目指そ うというろう者 もいるだろうと思い

ます。 しかし彼 らが教員免許 を取得 し、学校教諭 として正教員 として職を得 ることは現実

的にはとて も難 しいのです。簡単 に言って しまえば、一般の学校で教える ことができない

と先生にはなれない。「なれない」というのは言 い過ぎかもしれませんが、現実的には非常

に難 しい。つまり、声で聴者 とコミュニケーションすることができなけれ ば先生にはなれ

な いということです。

小学校の先生は音楽の授業 もこなす必要があるで しょう。授業中のコミュニケーション

は一対一ではな く一対多であ り、 これを音声で実施することは聴覚障害者 にとってはほと

んど神業に近い。ろう者が先生になるためには、 この神業をクリアする必要があります。

更に、教員採用試験をクリアして も、教員 としての採用はろう学校に限ることはできず、

一般 の学校 も同列 に扱 った上で配置校が決め られ ます。聴覚障害者であって も、ろう学校

に配置 されるわけではない。他 にも、教育実習では指導教諭はほとんどが聴者です し、ろ

う者が教員になるために越えなけれ ばな らないハー ドルは少な くあ りません。その結果、

ろう学校 にはろう者の先生がいない状況が現実 とな り、前述の悪循環 を産み続 けている。

このよ うな状況 は、別の見方をすれば現在 までのろう教育の成果とも捉えることができ

ます。手話を禁 じ、音声を強要した上で日本語教育を行ってきた結果、 日本手話を持たな

い聴覚障害者が大勢社会に出て います。 日本手話 を自身の言葉 として、私が 日本語を扱 う

の と同じレベルで第一言語 として 自由に利用できる聴覚障害者は非常 に少ない。っま り、

ろう者が非常 に少ないのです。現在のろう教育がなかなか改善されな い原因の大きな1っ

です。

6.ろ う者のためのろう教育とは

(1)ろ う者のいない中でどう日本手話を身に付けるのか

ろう者の先生が いない中で子供たちはどのよ うに 日本手話を身に付けていくので しょう

か。子供たちのほとん どは聴者の親を持つため、家庭で自然に日本手話を身に付けること

は通常では考えにくい。

一32一

Page 33: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

考え られるツールは2つ です。1つ は、デ フファミリーの子供を中心とした 日本手話コ

ミュニケーシ ョンによって身に付ける方法。 もう1つ は、幸運にもろう者 に出会 うことに

よって身に付 けられる方法です。

この辺 りは諸説 あり、専門家の研究成果によ り明 らかにされることを望みますが、娘の

通 うろ う学校や 日本手話を第一言語 としているろう者を見て いる限 り、いずれ にして もど

こかで 日本手話話者との接触が必要 にな ります。本稿ではここまで 日本手話を習得 してい

る子供 を前提 として話を進めてきて いますが、実際には、ろう学校であっても日本手話を

習得す るシステム13があるわけではありませ ん。先の、ろう者が先生になるハー ドル と合

わせ、現状のろう教育ではどこを取ってみて も聴者と日本語 しか出て こない、 という状態

なのです。

(2)ろ う者中心設計教育へ

ろ う学校で実施されているろう教育は、結局のところ、聞 こえない人に努力 して少 しで

も聞 こえる人に近づいてもらうための教育で しかあ りません。そ こにろう者 という概念は

ない。概念 上では聴者 と聴者か らレベルダウンした人 しかないのです。聴者に近づいた人

が 「成功例」 とな ります。保護者 としては、 これは 「聴教育」でしかないと感 じます。

ろう者が自身の人生を歩むため にどのような環境がろう児 に必要か、そのような視点が

ろ う教育には絶対 に必要です。この視点を持 っているのは、長年ろう学校で教 え続 けてい

る先生ではなく、ろう者です。聴者の先生はろう者の人生をほとん ど知 りません。なぜな

らコミュニケーシ ョンができないか ら。ろう者だけがろう者の人生を知っている。そのろ

う者の視点が ろう学校 にはない。

ろう者 の視点に立ち、 自分たちの言葉でろう児と関わ りあい、ろう者の視点か ら日本語

を始め様 々な ことを捉 える、そ ういう教 育がろ う教育 だ と思 います。 「Deaf Centered

Design」 であるろう教育、保護者はこれ を強 く望 んでいます。

(3)通 じないことの最大の弊害

ろう者が 日本手話でろう児に語 りかける と、ろう児はそ こか ら必ず何かを得ます。 日本

手話の中には世の中が広がっている.そ れ を見 ると子供たちは目を輝かせて語 りあいます。

そ こにはしごをかけてあげれば 日本語であろうと算数であろ うと自分か ら学ぶでしょう。

今のろう学校は子供たちと先生方 とのコミュニケーシ ョンが成立 して いな い。そんな中

で学校生活が営 まれています。朝学校に行 くと、わずかばか りの手話単語(「おはよう」「昨

日」「宿題」など)と クチパクの先生がいます。授業中先生は黒板 とプ リン トで何かを話 し

ていますが、子供たちはよ く分か らな い。先生と目があうと、状況か ら子供たちは どう行

動すべきか判断 し、行動 してみ る。先生が笑顔で頭をなでればOK、 そ うでなければNG。 別

13日 常会話という意味では、例えばろう学校の寄宿舎はよくできた仕組みに思えます。ただ、

考えを深めた り意見を述べた りといった 日本手話を習得するシステムは全 くありません。

-33一

Page 34: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

の行動が必要だったようだ。おそ らくこんな感 じです。

ろう学校を卒業 した大人のろう者 に聞くと、ほぼ全員が 「学校時代、先生が何 をしてい

たか全 く分か らなかった」 と言 います。分か らな いけれ どその表情か ら何か聞かれている

ような気がすれ ば 「はい、はい」 とうなずいていたと言います。それ以外 はじっと授業が

終わるのを待っていたそ うです。つ まり、子供たちは先生の顔色ばか りを伺って生活 して

います。ろう学校に入ってか らずっと、子供たちは先生の、場合によっては両親の、顔色

を伺 うしか手だてがないのです。私はこれが今のろう学校 の最大の弊害だ と考えています。

意思疎通がな いことでの悪循環 は、先生の熱 い思 いに冷静さを取 り戻 させる ことができ

ず、更に子供たちも頼 りは顔色だ け、という状況を産み ます。

これが現在のろう教育なのです。

7.ど うか考えてください

どうか考えて ください。聞 こえないばっか りにこのよ うな劣悪な子供時代 を送 らざるを

得な い子供たちのことを。子供たちに罪はないのです。

私はろう児を持つ保護者 として強く望みます。娘たちが ごく普通の当た り前の学校生活

を送れることを。 自由に考えて、好 きな ことを見つけ、 自分の世界 を持てる人生を。

ろう者の皆さん、今 こそ立ち上がってくだ さい。ろう学校に、ろう児 に力を貸 して くだ

さい。口話教育はろう者 の有 り様を長い間かかって今 日のよ うに変えてきました。 これか

らは、手話によるろう教育によって、ろう者 の有 り様をろう者の側か ら変えて いくのです。

やは り長い時間がかかるで しょう。一世代で終 えられる ことではありません。今ようや く

始まったばか りなのです。

この 「今」ろう者である ことを幸運だ と思いませんか? 自身がろう教育の分水嶺に立

って いるのです。 ろう教育を共にろう者の手の中に取 り戻 しましょう。

そ してろう学校の先生の皆 さん、 どうか気付 いて ください。 こんな状況を変え られ るの

はあなた方だけだ ということを。ろ う者のいない環境でろう教育を実践する ことのおか し

さを認識 して くだ さい。ろう者 と共 にろう教育を見直 していって ください。

8-お わりに

入学式をボイ コッ トした長女は、その後 は無事 に学校 に通っています。

学校 には長女の状況をよく理解 していただき、長女の主担任 として、デフファミリーの

ろう者の教員がつ くことになったのです。自身をろう者 と言 うだけでな く、 日本手話で考

え、 日本手話で表現 し、ろう者の中で育ってきた方に担任になっていただいています。現

在の公立のろう学校の状況を考 えると、あり得ないほどの環境を整えていただいています。

そのため、長女は非常に自然な学校生活を送ることができて います。

娘 の希望 もあり、現在 は補聴器 も全く使 っていません。聴力検査 もほとんどなく、「聞こ

えない」ということがネガティブに考え られることがほとんどな い毎 日を送ることができ

一34一

Page 35: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

ています。言葉が分か らない故の 「顔色 を伺 う」 ことも全 くありません。先生自身が ろう

者であるため、ろ う者として聴者の世界を捉える ことができているのだろうと思って いま

す。

様 々な制約があ り、全てが うまくいっているという訳ではあ りませ ん。例えば、音楽の

授業はや はり平然と実施 されています。手話のほとん どできない先生に教え られる授業 も

あ ります。学校行事は相変わ らず 「ペラペ ラ」です。ろう者の先生にとって も、手話での

教 え方や手話そのものの捉え方な どは、まだ手探 りの状態が多いのです。

更に、来年以降も同様の環境が続 くかどうかは未定です。他の学年や学部でもろう者の

教員がほしいという保護者の要望がた くさんあるそ うです。にもかかわ らずろう者の教員

は少ないのが現状です。学校側 として も対応 に苦慮 されているのだろうと思います。

改善すべきことはまだまだたくさんあ ります。ただ、皆さんに知っていただきた いので

す。ろう者がろ う教育 に真 っ向か ら取 り組み、 日本手話だけで学校 生活を送る子供たちが

生まれ はじめてきていることを。

一35一

Page 36: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

目次

-

∩∠

3

4

は じめに

大学教育での混乱

(1)授 業でのできごとを通して

(2)「 聴覚障害 とはコミュニケーション障害である」のか?

(3)常 に問われるコミュニケー ション

幼稚部教育の混乱

(1)幼 児教育の視点か ら

(2)席 巻する人工内耳

(3)人 工内耳 と幼児教育

おわ りとして-適 材適所 と専門性確保-

1.は じめに

筆者が勤める大学は 「聴覚障害者Jと 「視覚障害者」(ど ち らも医学的分類として)の

みが入学できる 日本で唯一の高等教育機関である。筆者は聴覚障害関係学部で18歳 以上

のろ う学生と難聴学生に対 して17年 間余 り授業を行って きた。授業は情報科学や数学関

係の ものが多いが、同 じ教室で授業を受ける学生同士 のコミュニ ケーションを観察 し、学

・ 生とのや り取 りを重ねる中で確信す るようになった ことがある。それは、彼 らに影響を与

え続けてきた教育現場での言語環境、コミュニケーション環境を作っている社会の問題で

あり、音声 日本語を話す人たちとうまくコミュニケーシ ョンできるようになることを彼 ら

にのみ求めてきた大人社会の責任である。

幼児期から聴者の大人達 に囲まれて育ってきた学生の中には、ろう学校で学んだ経験 も

手話に触れた経験 もないままに筑波技術大学(元 短期大学)へ 入学 し、全国から集まる多

くの 「聴覚障害学生」(取 りあえずの呼び方 として)と 出会い、大学生活の中で 「コミュニ

ケーション」や 「ことば」について考え始める者 もいれば、ろう者が集まる大学だ と言 う

ことで手話での教育や環境が十分 にあることを期待 して入学 して くる学生もいる(残 念な

が ら、この期待 は入学後に裏切 られ ることが多いよ うである)。以下の本文では、まず、こ

のように様々なアイデンティティを持った難聴や ろうの学生が一緒に高等教育を受けてい

る現場での混乱(で きごと)を 通 して考 えようと思 う。

次 に述べざるを得ないことは、幼児教育の問題である。なぜな ら、多くのろう学校の幼

稚部では、長い間、幼児教育 としての視点が極めて貧弱なまま、 日本語獲得へ向かっての

指導が教員(聴 者)主 導の教授学習的に行われ続 けてきたか らである。また、最近では幾

一37一

Page 37: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

つかのろう学校では配属 され るようになったが(し かし、まだまだごく少数)、多 くのろう

学校でろうの教員が幼稚部の専任 として配属されてこなかった(幼 児教育の専任養成 も為

されていない)事 実は、ろう児を幼児教育か らの視点で育て る環境として決 して認め られ

ることではない。幼児教育においては幼児の学びを生み出す 「遊び」 自体が幼児にとって

重要な活動目標であ り生活の土台であるのだが、多 くのろう児や難聴児が置かれて いる状

況はまだ、それ と離れた ところにあると感 じられる。そ して、新たな問題を作 りだ してい

る人工内耳の問題を北欧諸国の事例を紹介 しなが ら述べる。

おわ りには、教育政策 としてのろう教育放棄 ・ろう教育解体へつながるおそれが大きい

「特別支援教育」 とも強 く関連する 「教員人事 ・教員養成」の問題 に触れる。ろう教育 と

して成功 している北欧諸国(特 に、スウェーデ ンや フィンラン ド)の 例を出すまでもな く、

教員人事(適 材適所)と 教員養成(専 門性確保)は ろう児や難聴児の教育の神髄だか らで

ある。

2.大 学教育での混乱

(1)授 業でのできごとを通して

「聴覚障害学生」のみを対象 にして高等教育 を行っている大学の一教員 として、 自ら

が関わる教育現場での混乱、矛盾、問題等 をここで述べる。筆者が所属す る筑波技術 大学

産業情報学部は、毎年、ろうや難聴の学生約50名(1学 年)が 全国か ら集 まって くる大学

であ り、デザイン関係、建築関係、機械関係、電子関係、情報関係の専門教育を行って い

る。「聞 こえない」 「聞 こえにくい」 とい う聴覚器官の障害をもつ学生のみが入試を受 ける

資格 を持っている。入試を受ける資格 として手話や コミュニケーシ ョンの能力を問われる

ことはない。従って、当然のことかも知れないが、入学初年度(1年 次)の 授業では特に

コミュニケーションのずれ による混乱が多い。学生本人がそのずれ を実感 していれば修復

も可能だが、時 として無意識のままに授業が流れて しまう場合があ り、授業担当者として

は気 を抜 けない。

幼児期か ら聴者 に囲まれ、聴者 と聴覚 口話(読 話)の コミュニケーションを してきた学

生にすれば、コミュニケー ションにおける分か りにくさや多少のずれは当た り前のことで

あろう。長年 にわた りそ のような状況の中で生きてきたのであり、多人数の学生が集まっ

た授業な どでは授業中のや り取 りをリアルタイムで掌握す る体験 をした ことがほとん どな

いことを学生 自身が語ることもしばしばである。-般 高校では教員(聴 者)か ら通 じて い

るか どうかの確認 もされないまま授業は進み、学生は授業外の時間に自学 自習 をしてある

程度の成績を維持 して、周 りの聴児(生 徒)と 教室を共 にしてきた事例も多い。 このよう

な教育体験を経てきた学生にとっては、筆者のいる筑波技術大学での授業は、高校 との比

較 において、教室のその場で分かることが実感できる授業が増えたという点で、取 りあえ

ず居心地の良いものとな るようだ。 しか し、それは授業中に行われるや り取 りがすべて分

か るということでは決 してない。教室内で行われる直接的なや り取 りは、筆者の授業 に関

一38一

Page 38: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

して言えば、 日本語対応 手話(的 な もの)と 板書にな らざるを得ないが、手話 を読めない

学生 も相 当数お り、授業 中の曖昧度はなかなか解消されず学生同士 のや り取 りを教室全体

で共有す ることが難 しい。

また、同 じ授業の中には手話をはっきり求める学生が いる一方、音声の伴わないコミュ

ニケー ションに違和感 を訴える(音 声を求める)学 生も存在する。 もちろん、筆者の場合

は手話 を使 うことを前提 に授業を進めるので、学生 も次第に手話 を使 うことが普通になっ

て くるのであるが、最後 まで 口話でコミュニケーションをと り続 ける学生もお り、手話に

気持 ちを集中させて授業をや り通す ことはそれほど容易な ことではない。入学 を許可する

条件 として手話でのコミュニケーシ ョン能力の レベル を設定 して いない(も ちろん、 日本

語が出来 ることは前提 となって いる)以 上、我々教員は授業者として学生とのコミュニケ

ーションを成立させるよ うな対応を考え、実践 しなけれ ばな らない立場にある。音声中心

と手話中心の別 々のコミュニケーションスタイルでの授業が必要だと実感 じなが らも、そ

れが実現 されていない現実の中で、音声 日本語を出しなが ら日本語対応的手話での授業を

実践 して いる。

ろうの教員 とのコミュニケーションが難 しい学生がいる。そ して、手話で話す(音 声 日

本語を出さない)教 員に音声を出すように求める学生が いる。広 い日本の ことだか らろう

者 とコミュニケーションをした経験 のなかった学生が このような物言 いを しても不思議で

はないと言えるし、音声 日本語だけを自分のコミュニ ケーションスタイル にして、聴者 に

囲まれた学校教育で学んできた学生か らのろう教員への このような要望は、直接的 には、

音声がないと相手の話が読み取れないということか らの判断であろ うとも考え られる。学

生を責めることはできない。彼は今、 このような判断を下 してろうの教員に音声を求 める

ことの理不尽さ、不適切さを学んで いる最 中なのである。 しかし、本来 これは大学に入っ

て学ぶような事柄ではない。義務教育までの中で人々の生き方、在 り方として学ばれなけ

ればな らないことである。彼のような難聴の学生達 にこのよ うな ことを学ぶ機会が与え ら

れなかったのは、まさに教育の不作為 と言 うものである。

毎年、同じような混乱に一つの教室で向き合 う現実の中で、授業者 としてできることは、

あ りきた りではあるが、 目の前に突きつけられている現実(矛 盾)を 読み解きながら学生

の思考に授業者 としての考 えをぶつけ、時 としては彼 らの感性へ訴えかけなが ら学生自身

の自己実現につながる理屈 を作 り出す ことなのだ と考えている。

(2)「聴覚障害とはコミュニケ」ション障害である」のか?

「聴覚障害 とはコミュニケーシ ョン障害である」 と語 る幾人もの学生に出会ってきた。

同じような言葉 を見識ある研究者(聴 者)か ら耳にした こともある。確かに、学生たちは

この言 い回しをどこか(講 義 、講演 、あるいは紙 上か も知れない)で 学んでいるのだ と思

う。 しか し、筆者はこの言い回 し出会 うたびに、 しつ こいよ うだが必ず異議を唱え反論 し

てきた。学生にすれば、音声を用 いるのが当た り前の聴者社会の中では、聴覚に障害のあ

一39一

Page 39: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

ることで、即、相手との音声コミュニケー ションの不成立として立ち現れる体験 を 日常的

に繰 り返 しているのだか ら、そ ういうものだと納得 して しまう言 い回しなのだ とは思 う。

だか らこそ、授業や講演や論述な どの中で、先生や研究者(に 限 らな い)が この物言 いを

安易に使 うことは問題なのである。 この文言が聴者 とコミュニケーションできるか どうか

を判断基準 として しまい、一方の立場 を養護する物言いとなって しまうことに、我 々は も

っと自覚的であるべきだと思 うか らである。

元々 「聴覚障害」 とは聴覚 という個の身体機能(感 覚機能)に 機能的な異常があると判

断 された ことにつけ られた医学的な用語であ り、「コミュニケーション障害」とは コミュニ

ケーシ ョンという他者 とのや り取 りにおける不具合 に対 しての用語で ある。だか ら、「聴覚

障害 とはコミュニケーシ ョン障害である」と述べ ることは、「個 の身体機能の異常」を 「他

者 とのや り取 り関係の不具合」に転嫁することにな り、 コミュニ ケー ションの通 じな さの

原因を聴覚障害 をもつ側 に固定 して しまう文脈を、この物言 いは持っていると言える。決

して、「聴覚障害=コ ミュニケーシ ョン障害」ではないのにも関わ らずである。

米国に世界的にも有名なろう者が集 まる文系の大学(ギ ャローデ ッ ト大学)が ある。教

え子で もある学生が卒業後、ギャローデ ッ ト大学に約1年 間の留学体験をした。帰国後、

その学生がある集 まりで話 した記録をここに引用す る。()は 筆者が補った言葉である。

「そ こ(ギ ャローデ ッ ト大学)で 大きな驚きがあ りました。そ こでは、誰が ろうで聴者

かわか らないのです。講義を受けた とき、初めは補聴器 をつ けて いたのですが、音が入 っ

て こな くてボ リュームを上げたのです。それでも音が入 ってこな くて、補聴器が壊れてい

るのかと思いま した。結局、補聴器は壊れていませ んでした。ギャローデ ッド大学の場合、

歩 いて いてすれ ちがう人とも話そ うと思 えば(手 話で)話 せ るし、声を意識 しな くて も講

義が進み、友達 との間でも同様の保障があるのです。 こういう生活 は初めてで した。最高

の学生生活 をこの大学で送 りました。

そ して一年後 日本 に戻 りました。そ して また、 自分は 「障害者」だ、障害者 に戻った、

ということに気が付きました。 日本にいると、1人 でできて いたアメリカ時代 と比較す る

と何 もできないと感 じました。アメ リカにいた ときは、電話 リレーサービス(機 械で打 っ

た文字 を代わ りに読み上げ電話を代行 して くれるサービス)を 使って飛行機予約な どを し

ていま した。 日本にも同様のサー ビスはありましたが、時間帯の制限があった りな どして

充実 した ものではあ りませんで した。 また、誰かと話す といって も、皆筆談 には慣れて い

ないのです。アメリカの場合は、(ア メ リカ手話で)「 ろう」 とやる とす ぐに 「ろう」だ と

わかって くれることが多 く、す ぐさま紙 を用意 して くれ、筆談が始まりました。ですが、

日本では 「紙 とペ ンをお願いします」 と身振 りでや らな いと用意 して くれません。また、

その身振 りも通 じるのに時間がかか ります。筆談 をするということに慣れていないという

ことで しょうか。 日本の中では 「ろ う」 とい うことがわか らないのですね。障害者に戻っ

て しまいました。」

日本 に帰ってきて自分が 「聴覚障害者」だと実感 した この学生の言葉を素直 に受け取れ

-40一

Page 40: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

ば、「聴覚障害とはコミュニケーション障害である」を作 り出 しているのは 日本社会 のあり

方そのものであると言えるではないか。 こういう生身の体験感覚 をもつ彼 らと共に生きる

ためにも 「聴覚障害=コ ミュニケー ション障害」ではないことの現実を周 りに実現 して い

かなければな らないと思 う。

実は、手話を自分の ことばとして使用 し、授業の中でも学生同士スムーズなコミュニケ

ー ションを取ることに慣れている学生が、「手話の分か らない先生(聴 者)に 対 して コミュ

ニ ケー ションの障害があるように感 じることがあった」 と話すのを聞いた(見 た)こ とが

ある。皮肉だが、相手に問題が あると感 じる ことにおいては、「手話が分か らない=コ ミュ

ニケー ション障害」のように感 じる側 もいるのである。手話使用者 として生きている者か

らすれば、コミュニケー ション障害の現実が音声言語使用者 との間で逆転する。 このよ う

にして、「コミュニケー ション障害」は相対化 されることになる。もし、ろう者社会の中で、

その様な ことはあまり聞かな いが、「手指障害(手 話が十分に使えない)と はコミュニ ケー

ション障害である」 と言われて しまうのであれば、まさに聴者社会の写 し絵 でもある。

話を戻す と、だか らこそ、「聴覚障害 とはコミュニケーシ ョン障害である」と規定するこ

とは、音声言語的コミュニケーションができることを前提 とした聴者的な一方的見方であ

ることにもっと自覚的になる必要がある。「聴覚障害者はコミュニケーション障害者で あ

る」 とは一線 を引いて いても、向き合 う両者の関係が強者(多 数者)と 弱者(少 数者)の

関係 を前提 とするとき、 このような物言 いは、個人の思い(感 情)を 超えて抑圧的役割 を

十分 に演ずるか らである。

(3)常 に問われるコミュニケ-シ ョン

米国にろう学生のための国立工科大学(NTID:National Technical Institute f0r the

Deaf)が ある。筑波技術大学の前身である筑波技術短期大学(大 学 としては聴覚障害関係

学部 と視覚障害関係学部をもっているが、本稿ではすべて聴覚障害関係学部 を指す ことに

す る)の 建学に際 して、モデルケースとして参考にもした3年 制の大学である。文系分野

を専門の中心 とするギャローデ ッ ト大学に対 して、工学系分野を専門の中心 とするろう学

生 ・難聴学生のための大学 としてその役割 を担 っている。

10年 程前(1998年3月)、NTIDへ 交流研修旅行(学 生参加の国際的な交流研修旅行は開

学以来、現在 も続いている)に 参加 した学生が、当時のNTIDの 学部長(聴 者)に 大学(組

織等)の 仕組み、規則 の問題、教官やスタッフの手話の問題 につ いて質問を行 った。そ こ

には、大学教育 におけるコミュニケーシ ョン環境 を改善 して欲 しいという、開学以来何人

もの学生が訴え続 けてきた共通 の思いがある。少々長 いが、そのや り取 りの記録(ビ デオ

記録か らの報告:筑 波技術短期大学テクノレポー ト,N0.6, pp223-229,1999)を 以下に紹介

して議論を続けた い。

①(質 問)NTIDの 教職員は、皆手話ができるのですか?

一41一

Page 41: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

(回答)そ うです。ここでは、教職員全員が手話を上手になる必要があります。NTIDが

できてか ら30年 たった今は、教職員全員、手話ができることが、仕事の一部として条

件になっています。技短はまだ10年 で しょう。NTIDは できてから30年 経っています。

ですか ら、あと20年 後 には技短の先生たち も手話が上達 しているで しょう。

②(質 問)NTIDの30年 間で変化 した ことは他にもあ りますか?

(回答)30年 間で変化 した別 の大きなことは、教職員の中の聞 こえない人の数が増 えた

ことです。できたばか りの頃は、3人 しかいませんで した。今は、90人 にな りました。

学生の数 も、30年 前は80人 しかいませんで した。現在 は、全部でll00人 にな りまし

た。また、聞 こえない人の文化(ろ う文化)に 対す る理解 ・尊重の面で も大きく変わ り

ました。

③(質 問)学 生と教職員 の関係はどうですか?

(回答)良 い関係ができていると思います。先生たちは良い関係ができていると思って

います。でも、本当は学生たちに尋ねてみて下 さい。

④(質 問)NTIDは30年 前にできたということですが、隣にあるRIT(ロ チ ェスター工科大

学)は 、いつできたのですか?

(回答)1829年(170年 前)に できました。

⑤(質 問)NTIDの 中にもいろいろなコースが あってお互いに行き来できるのですか?

(回答)そ うです。いろいろな コースがあ ります。例えば、 ビジネス、印刷、芸術 、メ

ディアテクノロジー、工学技術、応用科学、コンピュータ技術な どです。

⑥(質 問)NTIDで は、30年 間の間に先生方の手話が上手 くなったと言われ ましたが、それ

は どうや って磨いたのですか?技 短では、10年 経って もあまり変わっていないような

のですが、20年 後は期待できるのか どうかお聞きしたいのですが?

(回答)自 分 自身の経験 をお話 しします。私は、NTIDが できてか ら3年 目に来ました。

来たばっか りの頃は、手話は全 く知 らなかった し、「聞 こえないこと」 もまったく分か

らなかった。聞 こえない人に会 った こともなかったのです。ここにきて、手話を学んだ

のです。私は、自分にできたことは、他の人にもできると思います。

(質問)ど んな方法で学んだのですか?

(回答)ま ず、教職員が手話を学ぶクラスを作 りそ こで学ぶ こと。第二に、専門分野の

手話を個別 に学ぶ こと。第三に、学生 と一緒 に手話を使 う場面 もあるのでそ こで学ぶ こ

と。第四に、練習、練習で した。

⑦(質 問)で も、技短の場合は、先生たちにそ ういう気持ちがあまりないのではないかと

思 いますが ・… 。

(回答)そ うですね、技短の場合は、まだできてか ら10年 目で若いということを思 い出

して下 さい。私は、想像するのですが、10年 前の状態よ りは手話ができる先生が増え

たのではないでしょうか。

⑧(質 問)も し、NTIDの 先生で、忙 しいか らといって、手話 を覚えようとしない先生がい

一42一

Page 42: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

た らどうするのですか?

(回答)大 学の中に規則があって、昇進するためには手話ができることを条件 にして い

ます。 また、ず一っと(終 身で)、 この大学の教官で いるためには手話ができることが

必要という規則 もあります。

(質問)そ の規則は、いつ頃できたのですか?

(回答)6年 前です。

⑨(質 問)も し、学生が先生に訴えることがあった ら、(先 生方は)ど のような態度を とり

ますか?

(回答)NTIDに は学生の組織(学 生会)が あります。それは、大学 の組織 と関係があり

ます。一緒に、大学を良くする為に協力 し合います。

(質問)学 生の意見をどのように聞くのですか。

(回答)お 互いに意見を聞き合います。学生の言っていることに賛成することもあれ ば、

意見が合わないこともあります。意見が合えば、その考えを一緒に進めていきます。合

わなければ、はっきりそれは違 うと学生に言います。

(質問)で きれば、具体 的な例 をお願 いします。

(回答)一 つの例 として、大学の予算が減 らされて、働 く人を減 らさなけれ ばな らなか

ったとき、学生はそれ に反対 した ことがあ ります。反対 の理由をききましたが、しか し、

私は同意できませんで した。結局、人員削減を しました。時 と場合によって、合 うとき

と合わないときがあるということです。学内で もいろいろな意見がでますが、この大学

の全容を知っている者 は少ないのです。私 の責任において、判断を しな くてはな りませ

ん。

や り取 りか ら分かるように、NTIDで は、教職員全員が米国の手話言語(ASL)と 英語対

応手話 をできるよ うになる ことが求められていて、教員が終身雇用されるためには規定の

米国の手話言語ができることが条件になっている。昇進の条件の一つ に相応の手話言語力

が求 め られてもいる。上述 のや り取 りは今か ら10年 近 く前であるか ら、NTIDは 既 に開学

か ら40年 近い歴史をもち、大学教員の手話言語 力を昇進の条件に取 り入れたのは今か ら

15年 前 ということにな る。NTIDよ り約20年 若い筑波技術大学(は じめは3年 制短大)は 、

あ と5年 程でNTIDが 大学教員の手話言語力を昇進の条件 として取 り入れるよ うにな るまで

と同 じ年数を経る ことになる。当時の学生か らの質問に対す る一つの回答が5年 後 に張 り

出され るわけである。

手話でのコミュニ ケー ションに関す る要望は、決 して一人のその学生だけのものではな

かった ことは、17年 間に近い時間 を学生達 と過 ごしてきた筆者の体験の中にしっか りと残

って いる。そ うであるにも拘 らず、学生か らの要望 はなぜ実現 して こなかったのか。なぜ、

その要望 は広が らなかったのか。そ こには、国内で唯一の聴覚障害学生を対象とす る大学

に入学 して くる学生達が、 「聴覚の障害」 という医学的な分類、 「聞き取れない、ほとん

一43一

Page 43: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

ど聞き取れない」 とい う 「負」の感覚機能 を持つということを共通項 として くくられた集

団であ り、決 して、授業現場でのコミュニケーシ ョン環境が手話であることを条件 にくく

られた集団ではなかった(今 もな い)と いうことが背景にあると、筆者は考 えている。だ

か ら当然のこととして、授業が始 まると、教員 と学生の間でのコミュニケーションの トラ

ブルが繰 り返 され る。学生としては、今 までの経験知か らその授業 のや り方 に合わせてや

り過 ごす ことが多 いようで、それ以上の問題 にはあまりな らない。学校教育が ものを言わ

ぬ(教 員 に向き合わな い)学 生を作 り出して いる現実は、ろ う学生で も同 じである。む し

ろ、 自分 の周 りをす ぐに認めて しまう 「優 しさぶ り」に出会 うと、さらに先 を行って いる

かも知れないと考えることも多 い。

もう一つ付け加えるな らば、 「手話は無いよ り、ある方が良い」 という前向きな気持ち

で使 う手話が、あ りがた迷惑的な混乱を起 こすことがよくある。例えば、手話 をまだあま

り読み取れない学生か らは 「頑張って手話をしている」 との評価 を受 ける一方で、手話 力

のある学生か らは 「間違 いが多 くて困る」 との批判になるのである。 「手話の間違いに気

を取 られて頭が別 の方へ行って しまう」などとい うこともある。手話の覚え始めにはよく

起 こりそ うなこととはいえ、教育現場では本来あっては困ることである。 このような こと

は、 日本語を話 しなが ら手話をや ろうとする場合 によく起 きている。手話を使 うので あれ

ば、そ こには 「授業で使 う手話は言葉(教 育的言葉)と して学生に必要不可欠である」 こ

との自覚 は不可欠であ り、学生に対 してある程度 を超えた力量で 自由に使いこなせる教員

の姿を見せることが重要だろう。手話を使わず、情報保障の観点から音声を文字変換 して

表示す る方法なども考え られるが、何れ にしろ授業におけるコミュニケーション環境を ど

う整えるかの問題に行き着 く。

少々冗長にな りなが ら述べてきたが、ろうや難聴の学生が集ま り学ぶ大学での筆者(の

みではない)の 授業における混乱は、筆者 自身のコミュニケーションカの問題 と大学 とし

ての学生受け入れと学 生集団へのコミュニケーシ ョン環境作 りの問題 と、そ して何よ り、

この国の教育システムが、ろうや難聴の児童 ・生徒の学習環境(学 習の権利)と してのコ

ミュニケーション環境(教 員養成 も含む)を 十分 に準備 していないという教育行政の不作

為の上に生 じていることを最後 に強調 しておきた い。

ここまでは、学校教育の成れの果てにある大学での混 乱 ・矛盾について、当事者として

の体験 をもとに して述べて きた。次 に、以下では、学校教育の入 り口であ り、ろう児や難

聴児にとって極めて大切な居場所となるはずのろう学校幼稚部教育について、述べようと

思 う。

3.幼 稚部教育の混乱

ろう学校の幼稚部は、聞 こえる幼児 と同様 に、就学前(6歳 まで)の 幼児が活動する 「生

活の場」でなければな らない。これは、幼稚園教育要領(ろ う学校幼稚部 もこれに準ず る)

に もはっきりと述べ られてお り、そ の意味す るところは、幼児の発達 にふさわ しい経験が

..

Page 44: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

毎 日の 「生活」や 「遊び」を通して行われるということである。もちろん、ここで言 う 「生

活」や 「遊び」 とは、家族や地域におけるものとは違 い幼稚園や幼稚部に集 まる幼児集 団

による生活や遊びのことである。 しか し、現実 には多 くのろう学校 での実践が幼児の発達

を踏 まえて彼 らの生活や遊びを通 して行われて いるとは言い難い。それは、聞 こえない幼

児達 に対する教育のあ り方が、多 くの場面 において幼児教育的視点で幼児教育を組み立て

るのではなく、日本語獲得のためにと意図された 「理不尽な指導」によって組み立て られ

ていることと無縁ではない。そ こには、幼児の発達 に適 したコミュニケー ション言語選択

の混乱 とそれを許 して しまう幼児教育につ いての理解不足が見て取れ る。 ここでは、幼児

教育の視点とは何か、そ して現実の幼稚部教育が どの辺 にあるのか確認 したい。

(1)幼 児教育の視点と現実

学校教育としての初等教育 を始める子 どもの年齢は、学校教育 を制度化 して いる多 くの

国で、ほぼ6,7歳 である。それは、子 どもの発達年齢を考 えたとき、学校教育 として 「言

語」を媒介に教科教育を行 うことに対応できる年齢が、6,7歳 頃であろうという認識 に

もとついているか らである。

一一方、幼児期については、時間割で くくった教科学習 のような教授学習ではなく、遊び

や生活 における主体的体験を幼児集団にお いて積み重ねていくことで発達が保障されるよ

うな環境構成が求め られている。それは、幼児 について、様 々な経験 を毎 日の生活 を通 し

てあるいは遊びという活動を通 して身につけていくものとして理解されているか らである。

幼児は、遊びなが らあるいは生活全体を通 して、言葉に関することも、健康に関す ること

も、人間関係の問題 も、関係 し合 いなが ら一緒 にまとめて経験す るということである。 し

たがって、幼児教育の組み立ては、教科別時間割に従 うような小学校以上の教授学習方法

に陥 らな いよ うな意識が必要不可欠である。

ところで、ろう学校の幼稚部教員 について言えば、ろう学校 内での他学部か らの異動や、

養護学校や一般校か らの異動によって、初めて幼稚部を担当する場合も多 い。 また、県 に

よっては、幼児教育の教員免許をもたない新任教員が幼稚部担当になる例 も少なくない。

既 に述べたよ うに、幼児教育の専門性を発揮す るためには、小学校以降の学校教育の教授

学習法に頼 らない取 り組みの必要があるのだが、幼稚部 の教員集団がそのよ うな視点を共

有するまでには、手話の習得 も含めた 自主的研修を重ねなければな らない。現在の、適材

適所よ り悪 しき平等主義優先の継続年数による半強制的人事異動 も多くみ られ る現実の中

で、幼児教育の専門性をろう学校幼稚部の実践 に生かそ うとしたときの教員のジレンマは

計 り知れない。

そ して、 これ こそ ろう学校幼稚部の致命的現実であるのだが、今、幼稚部で働 くろ う者

教員は希有な存在でしかないという現実で ある。人工内耳などの補聴器機装着 によって、

音声コミュニケーションが容易だ としてそれを第一義的に選ぶ幼児(親)の 増加があると

はいえ、そ うではないろう児(親)た ちの存在 も多 い中、ろう者 としてのコミュニ ケー シ

一45一

Page 45: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

ヨンを全 うできるろう者教員の存在があま りに少ない現実は、ろう幼児にとって不幸であ

る。それは、幼児が自らの視覚優位の感覚 を使って環境(「 もの」や 「ひと」)と 遊びや生

活という形で関わ りなが ら発達を遂げよ うとしている存在であるにもかかわ らず、その行

き着 く先の目標 とな りうる存在(ろ う者教員)と 関わ りなが ら、発達の援助 を受け られな

いか らである。

さらに、主体的な遊びを通 して活動する幼児にとって、自由に使 える 自分の 「ことば」

は、遊びを展開するための大事な道具である。 もちろん、幼児は単に道具 として使 うので

はな く、既に身につけていることばを使 いなが ら活動 し、活動 しなが らさらに使える こと

ばを身につけ、またそれ を使 うというように、ことばを再起的 ・発展的に用 いるのである。

その様子には、教科教育での国語 の授業を受けているときとは全く違 う学びの構造が ある。

使 うことばを共有 して いこうとする 「場」の存在があるのだ。だからこそ、幼児が 自由に

使えることば、または、使 えるよ うになることばをコミュニケーション環境 として用意 し

ておくことは、幼児教育の中では極めて重要な環境設定の一つなのである。そ してそれ は、

ろう家族 のろう児はもちろんであるが、聴者の中に生まれたろう児の場合、 自由に使える

自分 のことばが手話である(手 話 となるであろう)ろ う児集団や ろう教員 の存在 という環

境として実現 され る必要がある。またさらに、人工内耳装着な どの高度な医療技術 を背景

とした補聴器機 によって聴力がかな り確保 されている幼児にとって も、彼 らの心身の発達

をふ まえたとき、 自由に使える自分のことばとしての手話環境の必要性を払拭 できない こ

とは確かなのである。

ろう学校での幼児教育は、聴者へ近づ くかのよ うな 日本語獲得 を目指 して、そのすべて

を役立てようとするかのよ うな取 り組みが、非常に多 くの現場で続けられてきた。 いや、

今も続けられているか も知れない。そ して、幼児教育的な配慮があったとすれ ば、それは

「幼児にとってつ らくな らないように」「無理をさせすぎないように」、というチェック機

能のようなものに過ぎなかったのではないだろうか。 しか し、それでは幼児教育とは言え

ないのだ と、念 を押 しておきたい。幼児の世界に向き合い、その存在を否定せず(と 言 う

より、肯定 して)、その育ちを援助 していく取 り組みがなされて初 めて、ろう児に対する幼

児教育 と言えるのである。

さて、聴者である親は、我が子が聞 こえな いと分かった とき、当然の ことであるがそれ

を何 とか直せないか と医者の知恵を仰ぎ、そのア ドバイスに従お うとする。以前に比べて、

人工内耳装着の医療技術が進んだ こともあ り、人工内耳装着手術 を薦められ る幼児は年々

増加 し、装着幼児も着実に増えている。そ のことが幼児教育現場 に新たなまた一つの問題

を投げかけている。 この ことは日本だけの ことではな く、バイ リンガル教育 として世界的

に知 られている北欧でも、大きな教育問題 として現れている。人工内耳の普及とろう学校

の現実が どうであるのか、筆者が実際に訪れて得 られたデ ンマー ク、フィンラン ド、スウ

ェーデ ンでの情報を示 しなが ら、 日本のろう学校の問題 と関連づ けて述べてみたい。

一46-

Page 46: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

(2)席 巻する人工内耳

手話言語をベースにして、書記言語 として音声言語を習得 して社会へ出ることを目標 と

するバイ リンガル教育の実践を重ねてきたデンマークや フィンラン ド、ス ウェーデ ンでは、

ろう学校 として児童 ・生徒に教育を始めるのは、小学校か らの義務教育が基本である。そ

れよ り以前の幼児教育 については、 日本のようにろう学校 に幼稚部として必ず併設 されて

いるわけではない。ろう児と分かれば、ろう児が手話 に出会える幼児施設や家族も一緒に

手話の環境を与え られて生活す ることができる社会的支援体制がつ くられてきたので、ろ

う学校 の小学部に入学する時点では、手話を自分の ことばとして使 う児童が今 まではほと

んどであった。 「言語」 についての認識が市民 レベルで明確 に根付 いて いる北欧社会で は、

ろう教育の中で言語 としての手話を求める声が、教育行政の中で実践 として重ね られ てき

た。ろう児として育ち、ろう者 として生きるための手話の言語環境 を整えることを社会 と

して取 り組んできたのである。

しか しそれが今、デ ンマークでは新 しく生まれて くるろう児の95%位(聴 者が親の場合

はそのほとん どすべてのろう児)、 フィンラン ドでは聴者の親をもつ児童の90%位 、スウ

ェ主デンでもほぼ同様の普及率をもって人工内耳装着が広まっているという。社会保障の

行き届いた北欧社会では、人工内耳装着やその後の リハ ビリ ・教育な どが親の直接 の自己

負担を伴わず享受することができる。従って、音声言語社会 の便利 さや音声言語を共有 し

たいという気持 ちの実現がある意味で容易である。北欧の どの国も、その親がほとん ど聴

者であることがそれ を物語っていると言える。 しか し、そ こに幼児 自身の選択権は存在 し

ていない。意志 を示せない幼児に代わって親が責任 を持つ ということなのである。

本年(2007年)3月 、デ ンマークのコペ ンハーゲンにあるデ ンマークろう連盟で話を聞

いた。バイ リンガル教育で育ってきた何人 ものろう学生がろう学校の教員 を目指 して大学

で学び、卒業 した。 しか し今、デ ンマー クのろう学校ではろう者 を教員として求めていな

いと言 うのである。理由は、人工内耳装着児の増加でバイ リンガル教育を求める児童(保

護者)が 激減 したからである。以前は、ろう者教員 と聴者教員が同 じように必要とされて

いたのだが、今はろう学校か らリス トラされて しまい、ろう連盟の仕事をや っている元 ろ

う者教員 も多 いというのだ。また、人工内耳をしないろ う児をもつ親はそのほとん どが ろ

う者であ り、ろう学校でのろう児の集団が崩壊 して しまった現実を受け入れ られず、ろう

児の集団が確保されて いるろう学校 を求めてスウェーデンにまで移住する事例がいくつ も

あると言 う。ろう連盟の担当者は、「医学の進歩 と宣伝に一時的には敗北したが、新たな研

究成果を示 して立 ち向か う」と決意を述べた。

また、ろう児の手話環境 を強く求めて活動 し、手話を第一言語 としてのバイ リンガル教

育の実践 を指示 してきた 「ろう児をもつ親の会」の会長(聴 者)の 息子さん(ろ う児)が 、

小学生になってか ら人工内耳装着手術 を受けていたことを、筆者はメールを通 して知った。

筆者 も所属する研究会が中心になって 日本 に招待 し各地での講演 をお願 いした方である。

元々、人工内耳を否定 して いた方ではなかったが、手話 を第一言語 として獲得 した我が子

一47一

Page 47: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

に、音社会の利便性の享受や第二言語の習得をさせるためへの決意の強さを今で も語 って

いることを知った。そ して、人工内耳 を装着 したそのろう児は、ろう学校へ通い手話での

教育を受けているとの ことである。何れに しろ、バイ リンガル教育によってろ う児を育て

てきた教育か ら、音声言語を取 り込んだ人工内耳装着児を育てる聴者的教育へ と多 くの実

践がシフ トしたよ うに見えるデンマーク社会の現実は、教育を受 けて育って いく 「聴覚障

害」幼児 ・児童 にとって どのような居心地 となっていくのだろうか。バイ リンガル教育を

受けて教員にな ろうとしているろう学生の現実の壁と今まさに教育を受けている人工内耳

装着児童・生徒の将来と、デンマー ク社会が生み出している矛盾は決 して他人事ではな い。

さて、続 く本年(2007年)8月 、フィンラン ドのヘル シンキにある、アルバー トろう学

校(Albert Scho01)で 話 を聞く機会を得た。やは り、フィンラン ドでも人工内耳装着児の

増加が普通学校へ通 う児童の増加 となって現れて いる。7年 前は75名 だった児童数は、今

40名 に減って しまった という。人工内耳装着児 は、そのほとん どの親が聴者である。デフ

ファミリー(ろ う家族)で は、幼児に人工内耳装着 をほとんど求めていない。アルバー ト

ろう学校では、 ろう児クラス(ろ う者教員 ・手話)と 難聴児クラス(聴 者教員 ・手話 と音

声併用)を 作 り、親の意見 を聞きなが ら聴 力検査 と会話 によ りクラス分けをしていた。一

般的には、人工内耳装着児の多くは聴児 と一緒の小学校へ通 って いるのだが、一部の児童

は親の最終的判断でろう学校を選んでいて、その場合には手話力が身に付 いていな い場合

も多 く、クラス分 けが必ず必要になっている。

人工内耳装着幼児の増加で ろう幼児の数が激減 した ことの結果、就学前の保育時期にろ

う児だ けが集 まる施設(保 育園や幼稚園)は 無くなって しまった。そのため、ろう児であ

っても聴児が通 う保育園や幼稚園へ通わな けれ ばならな くなって いる。そ こには手話がで

きる教員(聴 者)は いるのだが、ろう者 はお らず、声を出 しなが らの対応手話的な ものに

なって いる。必然の結果 として、アルバー トろう学校へ入学 して くる児童は、以前のよう

に安定 した 「手話 ことば」 を共有できる集団として活動(コ ミュニケーション)で きる状

態ではない。しか し、それでも、デ フファミ リー(ろ う家族)の 児童と一緒の集団活動(勉

強や遊び)を 通 して、コミュニケー ションの成立や ことばの共有が可能になっていく。

一般校へ通って いる人工内耳装着児に関 して は、低学年 の時にはそれ ほど問題が顕在化

しな いが、高学年 になるにつれて勉強につ いて行 けなくなる事例が出ているという。音声

で進め られる教育言語での授業が難 しくなる ことによる影響が出ているのではないかとの

説明があ り、それ らの事例 に対 しては個別対応で支援 しているとのことである。小学校に

手話通訳を呼ぶ こともできるのだが児童 自身が手話を使いこなせないため、手話通訳では

適わないことが増えた という。また、一定期間、分からないところや遅れた ところの勉強

のためにろう学校へ通 う児童もいるが、ろ う学校へ来 ることでコミュニケー ションできる

友達ができるようにな り精神面での安定が見 られ る場合があるという。 これな どは、 日本

のろう学校で も経験している所があると思 う。人工内耳装着児が激増 しているフィンラン

ドでは、手話言語環境の社会的資源はあるにもかかわ らず、幼児期の言語環境 の選択が、

.・

Page 48: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

聴者両親 によって音声言語環境選択へと大きく方向づ けられているため、ろう学校 におけ

る対応も対症療法 としての支援 にな らざるを得な い現実は重 い。対症療法(泥 縄)ば か り

と言いたくな るほどの何でもが突きつけられて くる(と 筆者は実感 しているが)我 が国の

現場で向き合お うとしている教員にとっての現実は、どれ ほどのものであるのか。傷っき

なが らも変えていく知恵 と体力が求め られて いる気が してな らな い。

北欧事情の最後は、本年(2007年)9月 、スウェーデ ンのス トックホルムにある、マニ

ラろう学校での話である。スウェーデンも人工内耳装着児の増加は進んでいるのだが、デ

ンマークやフィンラン ドとは少 し違 う状況が起きつつある。それ は、ろう学校 の児童数の

変化である。人工内耳装着児の実態 を踏 まえた とき、精神面で も学習面でも人工内耳だけ

では子 どもたちに問題を生ずる ことが医療関係者(特 に、医者なのだが)に も認識 されて

きた ことが大き く影響 し、2年 前 くらい前か ら医者 自身が人工内耳装着児の親 に対 して手

話の必要性を説明するよ うにな ってきた というのだ。例えば、人工内耳装着児が幼 いうち

はそれほど顕著ではないが、小学校高学年か ら中学校 と進む につれて、聴者児童 ・生徒の

会話な どの音声を聞き漏 らした り、コミュニ ケー ションにつ いて行けな くなる ことか らの

精神的 トラブルが 目につ くようになった り、ろ う児童 ・生徒に対 して手話 もできないため、

孤立的な状況 におかれて しまう事例が増えて いるという。 これ らの事例を踏まえて親へ の

説明がなされている影響で、人工内耳を装着 して もろう学校(手 話環境)で 学ぼうという

児童が増えてきた という。実際、2007年 のマニ ラろう学校 の児童生徒数約100名 の内訳は、

人工内耳装着児童 ・生徒約40名 、補聴器装着児童 ・生徒約40名 、何 も付 けない児童 ・生

徒約20名 であ り、人工内耳装着児童の比率は大きい。しか し同時 に、人工内耳装着児がこ

のよ うに多いのだが、バイ リンガル教育の質 を保つために もろう者教員 と聴者教員の比率

を1対1に 維持 している ことは明記 しておかなければな らな い。

一一方、一般校で学ぶ人工内耳装着児童 ・生徒の数は依然増加 しているわけであ り、彼 ら

の親は人工内耳装着児童 ・生徒専門の学校設立な どを求めて活動 も行 って いる。ろう学校

とも聴児の学校 とも違 う第三の学校を求める親の要求は、人工内耳装着児 を新 しいタイ プ

の人間としてその存在を認めることを求める社会的活動 となっているといえる。一人の人

間を育てる教育的活動は、決 して、実験室で行われるよ うな実験であってはな らないのだ

が、手話を第一言語 としたバイ リンガル教育の実践を重ねなが ら、医学の成果が創 り出す

新 しいタイプの人間を社会がどう受け入れて行 こうとするのか、 日本での実践 と関わ る上

でも、筆者はスウェーデ ン社会の実践か ら目を離せない気持ちでいっぱいである。

(3)人 工内耳と幼児教育

北欧ほどではないにして も、 日本での人工内耳早期装着 も確実に増加 している。幾つか

のろう学校幼稚部や乳幼児相談での現場を見た限 りで もそれは実感できる。そ して、ろう

学校での教員の手話能 力やろう者教員が十分に確保 されて いない中で、人工内耳装着は、

聴者の子 どもと一緒にさせた いという親の要求 と一体 となって、手話に こだわ らない指導

一49-

Page 49: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

をろう学校教員 にも求めて くる場合が多い。 しか し、それは幼児の本音なのだろうか。

ろ う学校 の幼稚部で4歳 の男児(人 工内耳装着)と 共に次 のような時間を過 ごした こと

がある。ろう学校でのコミュニケーション場面では彼が音声で話す ところを見た ことがな

かった児童である。聴力データと しては音が取れているという話 もきいて いたが、彼 とコ

ミュニ ケーションするときは私 も音声を付けての会話はしない。(以下 『 』内が活動 の記

録)

rそ こは、ろう学校の幼稚部 としては広 い校庭(幼 稚園の場合は園庭 という)が 目の

前 に広が って いて、その片側 に小さな畑や花壇が あり、さ らにその先には草木が生 い茂

っていてちょっとした散策(探 検)を 楽 しむ ことが出来る空間が続 いている。たびたび

訪れているのでその男児 とは顔見知 り。会えば、お互 い笑顔で挨拶をする仲である。私

は彼の名前を覚えているが、彼が私の名前 を覚えてくれて いるかについては少々疑 問。

自由遊びの時間帯だったので私が畑の辺 りに出て いると、その男児 と出会 った。

私が畑 と花壇の仕切に並べてある石 とレンガの上を歩 き始めると、彼はす ぐ後か らつ

いてきて私の前 に回り込んだ。振 り向いて私 を見上げなが ら、先へ歩 こうと手を引いた。

探検 の始まりである。せっかくの機会なので最後 までつきあってみようと思い、つ いて

行 くことにした。

私(大 人)の 目線にかな り大きな蜘蛛の巣が入った。 「あっ1(動 きと表情)」 と目線

を合わせなが ら木の枝の方を指で指す と、彼の目線は私の顔か ら木の枝に張 り付いてい

る蜘蛛の巣へ しっか りと軌跡を描いて動きなが ら、獲物を待ちかまえて潜んでいる主(蜘

蛛)の 居場所 を視野に取 り込み、そ こを指さ しなが ら目線 を私 に返 してきた。私がその

蜘蛛の居場所へ視線 を向けるのとほぼ同時に、彼 はその木の下に近づいて幹を両手で揺

らし始めた。蜘蛛がそ うたやす く落ちて くるわけはない。彼は顔を私の方へ向けて応援

を求めた。私は少 し無理な姿勢で彼の腰を両手で掴み、彼の身体 を通 して木 を揺 らす 力

を伝えようと彼の身体を前後 に揺 らした。少 し強 く引っ張ったので彼の手が木から離れ

て しまい、勢い余って二人はそのまま後ろに倒れて尻餅 と同時に手をついて しまった。

二人 とも重な りなが らちょっと強く手をつ いたので、ゆがめた顔 を見せ合 いなが ら痛 さ

を我慢 しようとしたが、彼の目か らは涙が流れた。

私は、彼が次の行動をどうす るか観察 しなが ら、自分の身体 につ いた土や草を払った。

日頃か ら虫には強い興味 を示す男児なので、蜘蛛を揺 り落 とす ことに固執するか も知れ

な いと予想 したのだが、予想に反 して別 の遊びを探すように歩き始めよ うとした。そ こ

で、私が側に落ちていた少 し長めで杖にな りそ うな棒を手にして地面 を突きなが ら歩き

始めると、彼もそれを真似る行動をとった。私の真似 をしなが らも彼は何かを探すよ う

に行動 を続けた。最後 は、二人とも杖をつきなが ら木々の中か らお友達が遊んでいる校

庭へと出て いった。そ して私の都合で別 々になった。』

上述 の出来事 は20分 間ほどのことだった。早期に人工内耳を装着 したその男児はろう学

一50一

Page 50: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

校へ来た頃は、落ち着 くことができず、じっくりと遊び込む こともなかなか出来なかった。

しか し、時間がたつにつれて幼稚部での活動に自分の関わ りを作 ることができるよ うに変

わってきた。上記の活動の中でも、 自分の時間を自分の選択で 自分に とって 自由に使 える

ことばを使ってコミュニケー ションを行っていた。 このよ うな時間の流れ方や人や 自然 と

の関わ りが、幼児教育の一場面として とても大事な意味 をもって いる ことを指摘 しておき

た い。「人工内耳を装着 したのだか ら … 」といった 目的指向的な ことばは、医療関係者

か らは もちろんのこと、親や教員か らも語 られる ことが多いのだが、その幼児の発達 を援

助する視点と矛盾 していることも多いのだ。「手話 を使 うと、せっか く装着 した人工内耳の

効果が発揮できない」 という医療関係者の指摘や助言(北 欧社会で も同様)が 親の気持ち

をよ り目的指向的に している現実に対 して、それ を求めていない幼児がいる現実を重く受

け止め、真摯に向き合 う実践によって説明 してい く責任 と忍耐が、幼児教育に関わ るろ う

教育関係者に強 く求め られていると筆者 は思う。 自らの感情 と意志で環境(人 やものや こ

と)と 関わろうとしている幼児達のその動きを妨 げないで欲 しいと思 う。そ して、幼児集

団の中で対等にや り取 りできることば(コ ミュニケーシ ョン)を 身につけよ うとして いる、

その幼児に向き合って欲 しい。そ こか らしか、幼児教育は始まらないのだか ら。

4.お わりとして一適材適所と専門性確保一

本稿を書いている現在(2007年11月17日)、NHK教 育テ レビの番組 「ろうを生きる ・難

聴を生きる」で広島県教育委員会の人事関係担当者が 「年数による一律的な人事異動は必

要」「手話には こだわ らない」な どと言 うことを発言して いる。広島県に限 らず全国のかな

り多 くで似た状況が続 いている ことは、ろう学校教員であれ ば身をもって痛感 しているこ

とだ ろう。人事の適材適所 に反するような人事異動 に対 しては、ろう学校 に子どもを通わ

せて いる保護者 の多くか らも強い反対が出ているにもかかわ らず、そ うなのである。筆者

が、本稿で繰 り返 し述べて いた ことは、まさに、ろう教育現場で必要な教員の適材適所 の

問題に直結 してお り、そ の専門性確保の要請であることを踏 まえれ ば、 この 日の放送で語

った教育委員会担当者 こそが、ろう教育に関わる教員の人事担当者 として非適材適所その

もの、と言わざるを得ない。

また、「特別支援教育」の政策 とも関連 して、各地でろ う学校 と他の特別学校 との整理統

合が、現在幾つ も提案 されている。 しかし、特別支援教育な どと名付けた政策を実行する

のであれば、ろう児や難聴児の教育 につ いて は、言語や コミュニケーション環境が保障で

きる教員人事や統合がな されなければ意味をなさない。特別支援教育 とは、本来、特殊性

を知 りそれに適 した専門性をもって関わって いくなかで可能となる支援だか らである。 と

ころが実態は、そんな当た り前の思考 を共有せずに、経済的理由を背景にして当事者(親

や生徒や教員)に 理解の得 られな い理不尽な整理統合が行われつつある。特別支援教育と

いう言葉を使 っての弱者整理統合が行われつつあるというのが、実態だと思 う。

日本語(あ るいは手話)自 体が曖昧なのではない。 日本語(手 話)を 使う我々自身が曖

一51一

Page 51: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

昧な物言 いと思考 を繰 り返 して、それに慣れて しまうことが、 日本語(手 話)を 「曖昧な

ことば」 として しか使 えない我々 自身を作 り出 しているのだということを、 ここで改めて

指摘 しておきたい。

今後 も、 日本各地で実践 され る様 々なろう教育の実践 とかかわ りをもちつつ、大学教育

現場の人間 として実践 と理論を重ねよ うと思 う。本稿に対す る御意見 を頂 ければ幸 いであ

る。

一52一

Page 52: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

1.こ れまでのろう教育

2.日 本におけるバイ リンガルろう教育への取 り組み

3.バ イ リンガルろう教育

(1)ろ う児へのバイ リンガル ろう教育

(2)聴 児のバイリンガル教育 と異なる点

(3)龍 の子学園におけるL1・L2の 獲得状況

(4)L1、 L 2の 評価

(5)継 承語バイ リンガル教育

4.学 校法人化への取 り組み

5.最 後 に

1.こ れまでのろう教育

日本におけるろう教育は1878年 に京都盲唖院(古 河太四郎)を 置いたことがそ の始 ま り

とされて いるが、同じ頃、伊沢修二が視話法を 日本に持 ち帰っている。

古河は子 どもたちの持ち寄 ったホームサイ ンに手話の有用性 を見出 し、また、子 どもた

ちの手話はクレオール化 されていった。 これが 日本手話の原型となったといってよい。 日

本手話は、わずか10数 年でクレオール化 し、ひとつの言語 として機能 した。また、そ の手

話言語を母語 とす るろうの教員が全国各地 に設置 された聾学校(当 時は盲唖学校)に 赴任

し、さまざまな場面で活躍 した。以上のように19世 紀終わ りか ら20世 紀初めまでは、ろ

う教員を輩出する装置 として機能 した師範科があり、そ こでは少な くとも手話言語が用い

られていた。 この時代は、伊沢の持ち帰った視話法か ら出発する 「口話法」の脅威を背中

に感 じつつ も、ゆるやかな 「手話 の時代」であったと換言できる。

しか し、1880年 のミラノ会議(国 際ろう教育会議)に お ける 「口話法を是 とする。口話

法は手話法よ り優勢である」 とす る趣 旨の決議は、 日本 にもじわ じわと影響 を及ぼ した。

極めて特殊な教育成功例である西川はま子 を引き合いに出して 「聞 こえな くて も聞 こえる

人と同じようにスピーチできる」と口話法教育の成果を一般化 し、1925年 には政財界の著

名人を集めて 日本聾口話普及会が結成 され ることになる。

当時、 日本国民であるためには、音声 日本語 を話 さなければな らず、手話言語 を話すろ

う者 は人間 とみなされなかった。これは、「聾者を人間の言葉の世界 に引き入れなけれ ばな

らぬ。音声言語はか くべからざるものである。(中 略)あ くまで彼 らを人間足 らしめるため

に(後 略)」(1940、 川本宇之介)と いう表現 に端的に示されている。

一53一

Page 53: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

戦後、 さらに口話教育が推進 され る。 とりわけ1950年 代後半か ら1970年 代前半の高度

経済成長期にお けるテクノロジーの発達は、補聴器の性能 の向上に貢献 し、「ダム ・ノー ・

モア」(い まや唖な し)と いう合言葉 を生み出した。一方で、1960年 代半ばに 日本では、

聾学校高等部 を出て も学力は小学校高学年程度 にしか達 しな いという現状 を打破す るため

に、二つ の現象がみ られるようになった。ひとつは、聾学校 に見切 りをつけ、聞 こえる子

どもの通 う学校 に通わせるイ ンテグ レー ション(補 聴器の性能向上によ り聞 こえる子 ども

と同 じように聴覚活用ができるよ うになった と信 じられて いたため)で あ り、 もうひとっ

は、 トータルコミュニケー ションという概念を聾学校に導入させるという路線である。

しか し、補聴器の性能が どんなに向上 して も、聞こえる子 どもと同 じように音声言語を

母語 として自然 に獲得す ることは不可能である。インテグレーションした子 どもは、不完

全な聴覚のみな らず視覚 をもフル に活用 し(読 唇法等)、音声情報 を周囲か らキャッチ しな

けれ ばな らない。 しか し神経がす りきれ るほ ど努力して も、インテグレー ションしたほと

ん どの子 どもは、音声言語 を母語 としては獲得できない。そ して、手話言語に接する言語

環境 におかれる こともな く、結果 としてセ ミリンガル状態のまま成人することになる。

一方、 トータル コミュニ ケー ションという概念は、 口話法よ りいくらかは良いという理

由だけで ろう者社会(デ ブ ・コミュニテ ィ)か らも一時は歓迎 され、受け入れ られた。 し

かし、現場では何 も変わ らなかったのである。聾学校の先生は口や手を使 って話 して いる

けれ ども、それはろう者の話す 日本手話 と同 じではなかった。 トータルコミュニケー ショ

ンは、結局、さまざまな コミュニ ケー ション方法の寄せ集め(ト ータル ド)に 過ぎず、や

がて 「隠れ 口話主義」 と呼ばれ るようになった。 トータルコミュニケーションの根底にあ

った のは、「口話 にこだわ らず、聞 こえない子 どもにわかる方法で 『日本語』を獲得させる」

ことであ り、手話はその方便のひ とつに過ぎなか ったのである。

世界では、1960年 にス トーキーが 「手話は言語である」 ことを論文で発表 してから、言

語学の分野では 「言語 とは音声で聞いて話す ものである」 という定義を修正することを迫

られた。その ことは、ろう者 として積極的に生きようとする人々に勇気を与え、ろう教育

の場でも自分達の言語で教育 を受 ける権利 を主張 し始めるようになった。デ ンマークのバ

イ リンガルろう教育10年 プロジェク ト(1982)、 スウェーデ ンの政府法採択(バ イ リンガ

ル教育への完全移行、1983)、アメリカの一部の州にお けるバイ リンガルろう教育法採用な

どがその表れだ といえる。

2.日 本におけるバイリンガルろう教育への取り組み

ス トーキーの「手話は言語である」という発見か ら35年 を経た1995年 に、「ろう者 とは、

日本手話 という、 日本語 とは異なる言語を話す、言語的少数者である」という立場 に立 っ

た 「ろう文化宣言」(木 村 ・市田)が 発表された。この宣言に対 し、保守的立場 にたっ人々

か ら多 くの批判が出されたが、ろうを治療対象 とみなす福祉的観点 ・医学的視点か ら文化

的観点 ・社会点視点への転換 を図った この宣言が社会 に与えた影響は大きい。

一54一

Page 54: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

その影響を受 けたろうの青年たちは、ろ う児が 日本手話で楽 しく遊び学ぶ場 として1999

年に 「龍の子学園」を立ち上げた。 これの全身はDプ ロ(1993~)の 「ろ う教育研 究チー

ム」であった。Dプ ロは、任意 のろう者団体 であり、「ろ う者が ろう者 としてろう者 らしく

生きることのできる社会、および、 日本手話 とろう者の文化が 日本語や聴者の文化な どと

同等 に扱われ、尊重される社会の実現をめざす」 ことを理念としている。Dプ ロは、手話

言語を第一言語 とし社会の主要言語の書き言葉 を第二言語 とするバイ リンガルろう教育を、

日本で も始める必要があると考えて1998年 に 「ろう教育研究チーム」iを組織 した。その

チームのメンバーが担い手 となって 「龍の子学園」をスター トさせたのである。

「龍の子学園」は、月1回 の学園活動か ら始めて、2000年 には事務所を設置 して乳児か

ら中学生までを対象にした週1回 の 「學び舎」へ と活動 を展開 していった。2002年ll月

に活動の場を廃校 になった小学校 の教室 に移 し、2003年4月 よ り 「學び舎幼児教室」を週

4日 体制 に整えた。そ して、不登校のろう児 を対象に したフリースクールを開校 し、そ の

小学クラスに學び舎幼児教室 を終 えた子 どもたちが入学 した。 こうして、 日本で初めての

バイ リンガルろう教育が実現 していったのである。

3.バ イリンガルろう教育

(1)ろ う児へのバイリンガルろう教育

ろう児にとって第一言語(母 語)と な りうる言語は手話言語のみである。音声言語では

ない。なぜな ら、ろう児に自然に備わった言語モダリティは 「視覚 一動作」だか らである。

聴者 の 「聴覚 一口頭」 に対応す るのが、ろう者の 「聴覚 一動作」だ ということができる。

両者 は、言語入力 ・言語出力の際に活用す る感覚 と身体 の部分が違 う。 しか し、 この違い

は言語獲得には影響 しない。聴児が音声言語を自然 に獲得 していくのと同様の過程 と内容

で、ろう児 も自然 に手話言語を獲得 して いく。

龍の子学園が実践 しているバイ リンガルろ う教育では、第一言語を 日本手話、第二言語

を書記 日本語 として位置づけて いる。龍の子学園がめざしているバイ リンガル ・バイカル

チュラル ろう教育は下記 の通 りである。

図表1 龍の子学園のバイ リンガル ・バイカルチ ュラルろう教育

バイ リンガル バイカルチュラル

日本手話

・ ろう者の第一言語(母 語)

・ 自分で考え、創造し、自分を表現できる言語

ろう文化

・ ろう文化を学び、ろう者としてのアイデンティテ

ィを確立

・ ろう者である自分に自信を持つ

1 「ろう教育研究チーム」は龍の子学園立ち上げとともに発展的解消をした。

一55一

Page 55: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

(書記)日 本語

・ 新しい知識や学問を得るための言語

・ 聴社会と接点を持ち、聴者とコミュニケーション

を図るための言語

聴文化

・ 聴者や聴社会に対する興味や理解を深める

・ 聴文化を学び、お互いを尊重し、積極的に社会参

加できる力を育てる

出典:(ウ ェ ブ サイ ト)NPOバ イ リン ガル-バ イ カ ル チ ュ ラル ろ う教 育 セ ン ター

http://www。 bbed.0rg/what_bb一foIder/

(2)聴 児のバイリンガル教育と異なる点

ろうの親か ら生まれるろう児は全体の約10%し かいない。手話話者であるろうの親か ら

生まれ育った ろう児は、初めか ら家庭における第一言語環境が整ってお り、生活言語 とし

て手話言語を獲得 して いく。

一方、ろう児を手話言語で育てようと決意 した聴の親は、まず親が 自ら手話 を学ばなけ

ればな らない。親だけでな く、兄弟姉妹や祖父母 をも巻き込んでの、手話学習への意欲的

な取 り組みが求め られる ことになる。親が 自分の言語(こ の場合は音声 日本語)を 子 ども

に押 しっけず、まったく接点のなかった手話言語 を新たに学ぶという、いわゆる 「想定外」

の出来事 に接する。しか し、龍の子学園のろう児 の親は、その ことを否定的にはとらえず、

子供を手話で育てることによって、「ふつうの 日本人が経験できな いことを経験できた」、

「新 しい世界観が広がった」等、肯定的にとらえる人が多 い。

また、ろう児の場合、第二言語 は日本語 となるが、その 日本語 は音声によってではな く、

読み書き能力(リ テラシー)を 通 して獲得する。そこが、「聴覚 一口頭」を通 して第二言語

を獲得す る聴児のバイ リンガル教育 と異なる点である。

(3)龍 の子学園におけるL1ーL2の 獲得状況

龍の子学園におけるL1(日 本手話)の 獲得状況はおおむね、下表の通 りである。

図表2 L1(日 本手話)の 獲得状況(龍 の子学園)

0歳 児 視線 での 要求 、指 さ し(p0inting)の 出現 、 哺語 の表 出

1歳8ヶ 月前後 2語 文、NMS(非 手指動作)の 獲得

3歳 児 ロール シフ ト(文 法)の 表出、メタ言語能 力の発達

4歳 児 指さ し(文 法)を 獲得

5歳 児 私的会話から公的スピーチへ

龍の子学園では、第一言語の土台が しっか りしてから、第二言語である書記 日本語の意

図的導入を行なっている。 したがって、乳幼児クラスでは、 日本手話 にた っぷ り触れ る環

境のなかで言語形成が行なわれている。小学 クラスに入ってか ら 「日本語」 の時間で読み

一56-

Page 56: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

書きを学ぶよ うになるが、5歳 の段階ですでに日本語の文字 に興味を持ち、ひ らがな 、カ

タカナだけでなく、自分 の名前を漢字で書き始めるな どの行動が見 られ、それ は教育 に取

り込 まれる。

図表3 L2(書 記 日本語)の 獲得状況(龍 の子学園)

5歳 児 ~ ・日本語の文字 に興味を持つ(自 分の名前をかなや漢字で書 く)

・買い物体験で店員 と筆談をする

小学低学年 日本語(読 む ・書 く)指 導が週 に8コ マ

・L1(日 本 手 話)で 理解 して いな い事柄 の学 習 は、意欲 が 低下 す る。

・日本 語 を 日本 手話 に翻 訳す る作 業 も入れ 、理解 を深め る。

(4)L1、L2の 評 価

二 つ の言語 の言 語能 力評価 に役立 つ もの と してOBC評 価 が あ る。 OBC(Oral Pr0ficiency

Assessment for Bilingual C…dren)は 、多 種 多様な 言語 環境 に育つ バイ リンガル の子 ど

もの会 話 力 を知 るた め にカナ ダ 日本 語教 育振 興会 によっ て 開発 された もの で、2言 語 低 迷

型 バ イ リンガル に陥 って い る子 ど もを早期 に発見 し、 支援 す る こ とに役立 つ。OBCは 、 タ

ス クに絵 カー ドを用 い、1対1に よるイ ンタ ビュー形 式 で行 な う。 また、 子 ど もの年 齢 と

言語環 境 に応 じて 、 タス クの質や 量 の調 整が で き、子 ども に とって 負担 の少 な いテス トで

ある。

絵 カー ドを用 いた テス トに よって 言語 面 ・対 話 面 ・認 知 面 の3つ を評価 す るが 、子 ど も

の様 子 に応 じて 、 テス トを中止す るか次 に進 むか選 択す る ことが 可能 で あ る。

図表4 0BCの 評価項 目

書語面 対話面 認知弼

1 2言 語の分化 7 聴解力 13 話のまとま り

2 音声 8 会話への参加態度 14 内容の豊富 さ

3 語彙力 9 対話の流暢度 15 語彙の選択

4 文法的正確度 10 タスク達成度 16 段落の質

5 文の生成力 11 ことばの使い分け *

6 文 の タイ プ ・質 12 会話ス トラテジー *

(出 典:カ ナ ダ 日本 語 教 育 振 興 会(2000)『 子 ど も の会 話 力の 見 方 と評 価 ~ バ イ リン ガ ル 会 話 テ ス ト(0BC)の 開発 ~ 』)

龍の子学園の8歳 児6人 にOBCテ ス トを行なった結果は次の通 りである。

L1(日 本手話)に ついては、対象児6人 全員が認知タスクまで進む ことができた。 ま

た、基礎言語面 ・対話面 ・認知面の3面 においては全員が8歳 児相応 の言語発達を示 して

いた。

一57一

Page 57: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

しか し、不安材料 を抱える子どもが2人 み られた。龍の子学園には週1回 のみ登校 し、

他の 日はAろ う学校で 日本語対応手話による指導を受けている8歳 児の場合は、2言 語の

分化(日 本手話 と日本語対応手話)が み られず、対話面や認知面が弱かった。 また、龍の

子学園では日本手話、家庭ではASL(ア メリカ手話)、 書記言語は 日本語 と英語という言

語環境 にある8歳 児も、物語のタスクでASLの 語/MY/や/TABLE/、/TREE/を お りまぜ て用

いる等、 日本手話 とASLの 分化がみ られなかった。

L2(書 記 日本語)に 関 しては、対象児の間に有意差がみ られた。認知タスクまで進ん

だ子 どもは6人 中4人 であった。 ウォー ミングアップの意味合いが含 まれている語彙カー

ドのテス トでは、絵カー ドを見て書記 日本語にするが、回答 に要する平均時間は約7分 、

いちばん早い子 どもで2分40秒 、遅い子 どもで16分30秒 であった。また、3分 の2以 上

を 自力で回答できた子 どもは4人 、そ うでない子 どもは2人 いた。

認知タスクまで進んだ子 ども4人 のうち1人 は文法的な誤 りは犯 しているものの、意味

の通った、豊かな発想 に基づいた文を書 くことができた。一方、Aろ う学校がメイ ン校の

8歳 児の場合、「私は朝7時 に起きます」といった定型表現はできて も、定型表現以外 の表

現力が求め られ る 「食物摂取」や 「公害」の認知 タス クをこなす ことはできなかった。

日本語母語話者の8歳 児が、生活の場面か ら離れたタスク(食 物摂取 ・公害の絵カー ド)

を口頭で説明できるのは約30%で ある。したがって、8歳 のろう児が第一言語(日 本手話)

で説明 した り意見 を述べる ことはできて も、それを書記 日本語にするのはまだ難 しい段階

であることは明 らかである。

今回の0BCで は、第一言語(日 本手話)に お けるタスクをすべてのろう児が完 了して い

る。そ して、認知面の平均値が3.7点(最 高4.5点)と いう結果か らもわかるように、第

一言語 の学習言語の力は伸びていることを示 している2。

今回のOBCテ ス トか らわかった ことは、下記の通 りである。

①2言 語分化がみ られないのには、原因がある。

②L1(日 本手話)の 音声面(手 話 の音韻 レベル)に おいて、「位置」は獲得 されている

が、手型や運動は、曖昧であるか雑な部分がみ られ る(器 官=手 指の未発達)。

③L2(書 記 日本語)に 関 して、自分の知 らないことについて、いろいろな形でカバー

する(ス トラテジーを用いる)力 がある。

④L1(日 本手話)で は対象児全員が全部のタスクを完 了し、言語能力に有意差はみ ら

れなかった。 しか し、L2(書 記 日本語)で は有意差がみ られた。

⑤L2(書 記 日本語)に お けるメタ言語的行為は、 L1(日 本手話)を 通 して現れ る3。

(5)継 承語バイリンガル教育

2平 均値 はそれぞれ基礎言語面4 .5点 、対話面4.2点 、認知面3.7点 、全体 の平均値4 .1点 。3詳 しくは木村晴美(2007)『 日本手話 を母語 とするろう児 の言語形成 に関す る考察 ~ 日本

のバイ リンガルろ う教育の問題 点 と可能性~ 』(一 橋大学大学院修士論文)を 参照。

一58-

Page 58: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

継承語は、少数言語 を話す親か ら子 どもへと伝 える ことばである。母語と母文化が消滅

の危機 にさらされているマイ ノリティの子 どもたちへのバイ リンガル教育を特に 「継承語

バイ リンガル教育」 という。

日本手話 とろう文化は、それを維持するための対策を政策 として講 じないと消滅す る可

能性がある。テクノロジーやバイオテクノロジー を駆使すれば、日本手話を話す 「ろう者」

は数十年で抹殺 され る可能性があるという。それが現代 の求めている方向なのだろうか。

日本 手話は親か ら子 どもへ と継承 され るケースが少ない。先にも述べたとお り、親 も子 も

ろう者 という組み合わせ は、ろう児全体 のわずか10%程 度だか らである。それ以外の ろう

児は親が聴者なので、ほとんどの場合日本手話を学ぶのは親か らではな く成人ろう者 から

ということにな る。 日本手話はそのような形で しか継承されない。 したがって、ろう児へ

のバイ リンガル教育も 「継承語バイ リンガル教育」として位置づけるべきである

4-学 校法人化への取 り組み

バイ リンガルろう教育をよ り安定 した ものにし、子 どもたちが安心 して学校教育を受 け

るためには、フリースクールに依存するのでな く、学校 という形を成さなければな らない。

そのための取 り組みは、1999年 に始まる。ろう当事者 、保護者、元ろう学校教諭、手話

言語学の専門家、人権救済セ ンター(子 ども部会)の 弁護士 らが月に1回 の会合を重ね、

2003年5月 に 「日本手話による教育 を求める」人権救済 申立を行な った。これは、 日本手

話による教育 を選択肢のひとつ に加えてほ しいというもので ある。それを受けて、2005年

4月 に日本弁護士連合会か ら 「手話教育の充実 を求める意見書」が出され、同年6月 には、

NPOバ イ リンガル ・バイカルチュラル ろう教育セ ンターがかねてか ら申請 していた構造

改革特区提案(第6次)に 対 し 「所要の措置を講ずる」 との回答が文部科学省か ら出され

た。そ して、2007年1月 、東京都が国にバイ リンガル ろう教育の特区を申請 し、国がそれ

を認可 したのは2ヵ 月後の3月 である。

NPOバ イ リンガル ・バイカルチュラルろ う教育センターは、学校法人化にむけてさま

ざまな運動を展開 した。そのひとつが寄付金集めで、学校設 置に必要な1年 分の経常費 、

及び設備費(約4,500万 円)を 集めるため に東奔西走 した。そ して、行政上の手続きを経

て、2008年 の春、学校 という形では初めてのバイ リンガルろ う教育 を行なうろう学校 「学

校法 人明晴学 園」が誕生する運び となった。

5.最 後に

ろ う児が日本手話 と(書 記)日 本語のバイ リンガルになるためには、 日本手話を第一言語

(=母 語)と して獲得させる必要がある。 しっか りした土台(=日 本手話)な しに(書 記)

日本語 は獲得されないのだ。

理想は、日本手話 も(書 記)日 本語 も強い2言 語型バイ リンガル(バ ランス ・バイ リンガ

ル)の 子 どもであるが、さまざまな環境で育つ子 どもには個人差があって、バイ リンガル

一59一

Page 59: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

教育を受けたからといって、すべての子 どもが2言 語型バイ リンガルになるわけではない。

自分が考えた ことや感 じた ことを言葉 にして他者に伝え、他者の考えていることや 感 じ

ていることを、言葉を通 じて知 ることが人間の営みのうえで欠かせないことであるとすれ

ば、人間は最低でも 「ひとつの言語」を持たなければな らない。日本に住むろう者の場合、

そのひとつの言語 としてもっとも適切だ といえるのが 「日本手話」である。(口話主義下の

教育では、そ の最低限のひ とつの言語さえ も奪われて いる という事実を忘れてはな らな

い。)

この日本 という国で 「便利に」暮 らそ うとすれ ば、(書 記)日 本語ができるに越 した こと

はな い。だか らといって 日本語が完壁にできる必要 もないのだ。 日常生活を営む上で、必

要最低限の(書 記)日 本語能力を身につける ことが重要だ、という立場にたて ば、日本 手話

に強 い1言 語型バイ リンガル(ド ミナン ト ・バイ リンガル)の 子 どもであって もいい。

一番大事な ことは、 自分の第一言語 ・母語が主流社会(=聴 者社会)で 認め られること

であ り、その母語で話す権利が守 られ ることである。

そ ういう意味で も、学校法人明晴学園が行な うバイ リンガルろう教育は、学園の名が示

す とお り、日本のろう教育に明るい夜明けをもた らすだろう。

〈参考資料 ・文献〉

上野益雄(2001)『 聾教育問題史 ~歴史 に学ぶ~』日本図書センター

川渕依子編著(2000)『 手話賛美 ~手話 を守 り抜いた高橋潔の信念 』サ ンライズ出版

木村晴美 ・市田泰弘(1995)「 ろう文化宣言 ~言語的少数者 としてのろう者」『現代思想』

青土社

木村晴美(2007)『 日本手話を母語 とするろう児の言語形成 に関する考察 ~ 日本のバイ リ

ンガルろう教育の問題点 と可能性~ 』(一 橋大学大学院修士論文)

小嶋勇監修 ・全国ろう児をもつ親の会編(2004)『 ろう教育 と言語権 ~ろう児の人権救

済 申立 の全容~』明石書店

小嶋勇監修 ・全国ろう児をもつ親の会編(2006)『 ろう教育が変わる!~ 日弁連 「意見書」

とバイ リンガル教育への提言~』明石書店

コリン ・べ一カー(1996)『 バイ リンガル教育 と第二言語習得』大修館書店

全国ろ う児をもつ親の会編著(2004)『 ぼ くたちのことばを奪わないで! ~ろう児の人

権宣言~ 』明石書店

中島和子(1998)『 バイ リンガル教育の方法 ~12歳 までに親 と教師ができる こと~』ア

ルク

中島和子(2000)『 子 どもの会話力の見方 と評価:OBC』 カナダ日本語教育振興会

山本雅代(1996)『 バイ リンガルはどのよ うにして言語を習得するか』明石書店

山本雅代(2000)『 日本のバイ リンガル教育 』明石書店

-60-

Page 60: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

目次

1.は じめ に

2.Haugenの 枠 組 み にお ける問題 の位 置づ け

3. 「選択 」 の 問題 とダイ グ ロ シア的状 況:音 声 言語 優越 主義

3.1. 「ダイ グ ロシア」 と言 語 間の序列

3.2.音 声言語 優越 主義 と 「オー デ ィズ ム」

3.3.序 列 発 生の メカ ニズ ム

4.お わ りに

1.は じめに

わ が国 にお け るろ う児 は母語 を十 全 に もて な い危 険性 や 、教 育 を十分 に受 け られ

な い危 険性 を背負 って い る。この問題 につ いて は古石(2004a、2004b)で 言 語権 の

角 度か ら詳 し く論 じた ので こ こで は取 り上 げな いが 、このよ うな状 況 の改 善 をは か

るた め の方 策 のひ とつ が 日本 手 話 と書 記 日本 語 に よ るバイ リンガル教 育 の提 案 で

ある。 しか し北欧 な どで二 十年 ほ ど前 か ら行 われ て い る この教育 方法2も 、 日本 で

は受 け入れ に大 き な困難 が あ るよ うに見 え る。な ぜか 。そ こには単純 に は理解 で き

な い複 雑な い くつ もの 問題 が重 層的 に絡 み合 って い るよ うに思 え る。

そ こで本 論 ではHaugen(1983)の 言語 計画 の枠 組 み と、 Fergus0n(1959)の ダイ グ

ロシ ア(二 言語 変種 使 い分 け)の 概 念 を援 用 しつ つ、ろ う児 の教育 にか らむ構造 的

な 問題 の糸 を解 き ほ ぐ して みた い。そ の こと によって現 在 の 問題 の所在 を 明 らか に

し、今後 の方向 性 も提示 す る こ とが でき る と考 え るか らで あ る。

なお 、本稿における 「ろう児」とは年少の 「ろう者」をさす ものとする。また 「ろう者」

とは、一般に聴覚に障害のある人(聴 覚障害者)の なかで、1)生 まれつきほとん ど聞 こ

えな い人、2)言 語獲得以前にほとんど聞 こえな くなった人のことを指す もの とする。つ

まり聴力を第一言語(Ll)獲 得 との関連で位置付けることが、ろう児の教育を考えるとき

に極めて重要 になってくると考えるか らである3。その他、 「日本手話」 「日本語対応手話」

1本 稿は2005年6月26日 開催 日本言語 政策学会 における佐 々木倫子 氏 との共同発表 「ろ う児 の

教 育 と言語政策の課題」での古石担 当部分 を基 に執筆 した もので ある。2人工内耳 の普及 によ り北欧で もバイ リンガル教育実施 に 「揺 らぎ」が 生じて いると側聞す るが 、

そ の問題は また別 の角度か ら論 じな けれ ばな らな い。3「 聴力損失の程度 によ って厳密に 『難聴 』と 『ろ う』の区別がなされていた訳ではな い。 日常

生活 の中で、聴覚 か らの入 力によって自然 に音 声言語 を習得 できる、あるいはそ の可能性が ある

もの を、(マ ニ ラろう学校では)大 まか に難聴 と判 断 して いた。HeiDing(1994)は これ をr機 能

的 な(functionnal)区 別 』と言っている。 『機能的(実 際の生活場面で利用可能な状態 にある)』

一61一

Page 61: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

等の基本的な用語の定義 については、本報告書の 「はじめに」(p.4)を 参照 された い。ま

た、ろう児が知覚上の不全感な く獲得 し使用できる言語 は手話であ り、 日本ではそれは 日

本手話であるということと、ろう者の手話(日 本手話やアメリカ手話[ASL]等)は 音声 日本

語 と同様に、十全な体 系を整えた 自然言語であるということも最初に確認 しておきた い。

2.Haugenの 枠組みにおける問題の位置づけ

Haugen(1983)に よる言語計画の出発点 となる枠組みは次の通 りである。

表1

形式(政 策) 機能(言 語整備)

社会(地 位計画) 1.選 択(決 定 過 程) 3.実 施(教 育的普及)

a.問 題 の所在 a.訂 正過 程

b.規 範の位置づけ b.評 価

言語(本 体計画) 2.コ ー ド化(標 準 化過 程) 4.精 密化(機 能的発展)

a.書 記化 a.語 彙 のア ップデ ー ト

b.文 法化 b.文 体 的 発展

c.語 彙化

Haugen(1983, p.275) (日 本 語 訳 は 筆 者)

Haugen(1983, pp.270-271)は 、「言 語 問題」のほ とん どは複数 の相 容れ な い(conflicting)

言 語規 範 の存 在 か ら生 じ、そ の とき にそれ ぞれ の規 範 の位置 づ け(allocation of norms)

が 必 要 にな る と言 う。つ ま り領 域 「1.選 択 」 は、 どの言 語 、 どの規 範 を選 ぶか とい う こ

とに関 わ り、選択 した言語 形態(linguistic form4)に 対 して 、あ る社 会 にお け る特 定 の地

位 を与 え る とい う ことで あ る。Haugenは イス ラエル で のヘ ブ ライ 語 の選択や 、 アタ チ ュル

ク時代 の トル コでの ア ラ ビア文字 に代わ る ロー マ文字 の採 用 な どを例 として あ げて いる。

さて 、 クル マ ス(1987,p.38)は 「最 も難 しいの は標 準 モ デル の 決定 で あ る」 と言 って

いるが 、 日本 にお ける ろ う児 の言 語 問題 、教 育 問題 を考 え る場合 に も、問題 は多岐 にわ た

る が、 実 は この 「選択 」 の領 域 が最 も大 きな ネ ック にな って いるよ うに思 え る。例 え ば 、

「日本 手話」 を教 育媒 介 言語 に して ほ しい とい う主張 が提 出 され て も、 聴覚 障 害者 の な か

にそ れ に賛 意 を表 さな い 人 々 もいて 問題 は単純 で はな い。そ こには 神 田(1996)が 「複 合

言語 状態 」 と呼 ぶ 、聴覚 障害 者が 生 きて いる複 雑 な言 語状 況 が反 映 され てお り、 どの言 語

を 「選択」 す るか に関 して 深刻 な コ ンフ リク トが 認め られ る と考 え られ る。

とい うことばは 『ス ウェーデ ン ・モデル 』を読 み解 く重要なキー ワー ドで ある。」(鳥 越2003,

p.19)4そ の言語の一部、 あるい はその言語全体。

一62一

Page 62: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

日本語 と日本手話 とその混合言語(PSJ5)が 存在 し、聴覚障害者は失聴時期 、育っ

た環境、教育歴、思想、信条な どによ り、いずれかの変種 を習得 している、 とい

う複合言語状態であるというのがノーマルな状況である。 (神田p.39)

これについては本論の中心であるので、次の章で詳 しく考察する。

もちろんそ の他の3領 域(「2.コ ー ド化」 、 「3.実 施」、 「4.精 密化」)も 、ろ

う児の教育を考えるときにはそれぞれに重要であるが、本論のテーマか ら外れるので ここ

で は各領域の問題点を以下に簡単 に指摘す るに止め、それぞれ の掘 り下げは今後 の課題 と

したい。

まず 「2.コ ー ド化(標 準化過程)」 であるが、 ここには表 に見るように 「書記化、文

法化、語彙化」が入る。つま り、 これは選択 した 「言語」の正書法 ・文法 ・語彙の整備 を

行 い、ひとつの独立 した言語 として認知されるようにする作業 である。 日本手話の場合 に

は書記体 はないが、 しか し手話 には書記体 は無いとアプ リオ リに決め付 ける こともできな

い。理論的には書記体はありうるからである6。その他、文法や語彙の整備 と統一が重要な

課題 となる。

次 に 「3.実 施(教 育的普及)」 であるが、 ここでは政府、学校、メディア、作家な ど

を通 じて、選択 された言語規範が実際に流布 してゆくことが課題 となる。 この実践領域 に

規範の訂正や評価 も含 まれる。そ して この2と3の2つ の領域 は車の両輪のように強 く結

びついて進行すると考え られる。例 えば、選ばれた言語規範 を実際の教育の場で使お うと

すれ ば、当然に も正書法 ・文法 ・語彙の整備 と統一が喫緊の課題 となって くるし、教育が

広 い範囲を対象 に行われれ ば行われ るほ どその必 要性 は大き くな る ことは想像に難 くな

い。ろう児の教育に日本手話が教育媒介言語 として選択された として も、これ までそ の言

語が教育現場で使用 された ことがないとすれば、それ を実際の教室で使 っていくに当た っ

ての語彙の整備や文法の統一一な ど道は平坦ではない。栗原(1996)で は この ことにつ いて

次のように述べ られている。

手話は、表意記号であ り、同時性があ り、代理詞 とい うよ うな視覚言語が もっ

特性がある。また、音声言語 と同様 に造語 力があるので、 これ らの特性を十分に

いか しなが ら、授業で使用す る日本語 を置 き換えることができる手話表現 を開発

し、整理 していかね ばな らない。 (栗原P・166)

5「PSJ」 に つ い て 神 田(同 上p .35)は 「ア メ リ カ で は 手 話 と 英 語 の ピ ジ ン をPSE(Pidgin Sign

English)と 呼 ぶ の で 、本 書 で は そ れ に な ら い 、 PSJと 呼 ぶ 」 と 説 明 し て い る 。 つ ま りPidginSign

Japaneseの 略 で あ る 。

6聴 覚 言 語 に 書 記 体 が あ る な ら視 覚 言 語 に も 書 記 体 は あ り う る 。カ ナ ダ の ト ロ ン ト郊 外 ミ ル ト ン

に あ るErnest C. Drury School for DeafのASL‐phabetな ど が 例 に 挙 げ られ る 。 (中 島 和 子 氏

か ら 教 示)

一63一

Page 63: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

最後 に 「4.精 密化(機 能的発展)」 の領域 には、語彙 の精密化や アップデー ト、そ し

て文体 的な発展が含 まれる。言語 をよ り豊か にしてゆくことに関わる分野である。

3.「選択」の問題とダイグロシア的状況=音 声言語優越主義

この節では、ろ う児の教育を考える際の教育媒介言語 の選択 をめ ぐる論議 に絞って考察

する。前節で も述べたように、 これはHaugenの 言語計画 の領域1に 当たるが、 この論議を

通 じて浮き彫 りにされるものは、ろう者の手話である 日本手話 に対す るろう者を含めた聴

覚障害者 自身による低い評価 である。 ここには 「オーディズム(audisrn)」 とも呼 ばれる

音声言語優越主義が強 く反映されている。

3.1.「 ダイグロシア」と言語間の序列

2で も述べたように、神田(1996)は 聴覚障害者にとっては 「複合言語状態」が常態で

あると述べて いる。 「混合言語(PSJ)」 という用語 については、 「手話単語 を日本語順に

並べる、手話と 日本語の混合言語」 (p.34)と 定義 してお り、本論集で使 用 している 「日

本語対応手話」 に相 当すると考え られ るので、以下 引用部分を除 いて 「日本語対応手話」

とする7。付言すれば、この 「混合言語(PSJ)」 について神田(同 上)は 、 「ピジン手話 と

いう表現 は手話の一種であるような誤解 を受けるが、PSJは 無理に分類すれ ば日本語 の変種

であると認識 したい」 (p.35)と も述べている。

この聴覚障害者 における 「複合言語状態」を聴者の音声 日本語 と関連付 けて簡略に図示

した ものが図1で ある。 日本語対応手話 は言語の構造としては 日本語であるので 日本語 に

分類 した。 また、聴覚障害者のなかに も音声を使って コミュニケーシ ョンをとる人々 もい

て 「口話法」 と呼ばれるが、それ は当然の ことなが ら日本語 に分類 した。

さて言語使用に関 してであるが、ろう者 も含 めた聴覚障害者は 「失聴時期、育った環境、

教育歴、思想、信条な どにより、 いずれかの変種を習得 している」 (神田、同上p.39)う

えに、ひ とりの人間も時と場合や相手によって もこれ らを使 い分 ける ことがあるとい う8。

またその言語使用がアイデ ンティティの問題 とも深 く絡み合っているため、極めて複雑な

様相を呈 しているといえる。つま りここか らわ かるのは聴覚障害者の間に複数言語が存在

するだけではなく (言語多元状態)、 個人個 人 も 「多言語使用者」 (言語多重状態)で あ

るということである。

7そ の際に気 をつ けた いの は、 「日本語対応手話」 というのはひとつの理念型 のよ うな もので 、

輪郭 の明確 なひ とつの言語 が存在す るわ けで はな く、 「混合言語」とい う表現 が表 すよ うに時 と

場合 によって変わ る言語 の使用形態で ある ことを押 さえてお きた い。しか し以下便宜のため 「言

語」 と して扱 うこともある。8木 村(2007b)は 次 のよ うに書 いて いる

。 「私 自身、19歳 で上京 した ときか ら、手話 のわ かる

(程度 は問わな い)聴 者 には声を付 けた 日本語対応手話 、すなわち シム コム を、ろう者 には 日本

手話 と、自然に何 の疑 問 も持た ずにコー ドスイ ッチ ング をしていた。」(p.97)こ のろ う者の 「コー ドスイ ッチ ング」 とい う現象 について もよ り深 い研 究が必要 とされ る

-64一

Page 64: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

図1聴 覚障害者の 「複合言語状態」のイメージ図(古 石作成)

聴者

一 一_』 騨 障害者、ろう者

㊥ \) ノ11 ,'

しか しこ こで注 目 しな けれ ばな らな いの は、 それ らの複 数 「言語」 が 平等 に認識 され て

い るの で はな く、 「言 語」 の間 に 序列 が ある ことで あ る。Fergus0n(1959)は 「同一 言語

社 会 の 中で 同一 言語 の 二 つ の変種 が な らび行 わ れ 、そ れぞ れ の用 い られ る場 合 が社 会 的 に

はっ き り分 化 して い る状 態」 (大 塚 ・中島[監 修]1982,p.326))を 「ダイ グ ロシア(二 言

語 変種 使 い分 け)」 と命 名 し、そ の 「二つの 変種 は社 会 的威信 の 高 い変 種H(high)と 威信

の低 いL(low)に 呼 び分 け られ る」 (同 上)と して い るが 、聴 覚障 害者 の 「複合言 語状 態」

には このダイ グ ロシア状 態 を想起 させ る ものが あ る。Fergus0n(1959)はHとLに つ いて

機 能(Function)、 威 信(Prestige)、 文 学 的 遺 産(Literary heritage)、 言 語 獲 得

(Acquisition)、 標 準化(Standardization)、 安 定性(Stability)、 文法(Grammar)、

語 彙(Lexicon)、 音 韻(Phon010gy)な どの角度 か ら考 察 を加 えて い るのだが 、例 え ば 「機i

能 」 とい う点 で は、 政 治 的発言 、 大学 の講 義 、新 聞 ・ニ ュース 放 送な どの フ ォー マル な状

況 で はHが 使 われ 、家 庭や 友 人 との問な どのよ うにくだ けて 親密 な状 況で はLが 使 用 され

る と言 う。 「威信 」 の角 度か ら見 る と、 「Lは存在 しな いか のよ うだ。 また 、Hの ほ うがよ

り美 し く、論理 的 で、重 要な概 念 を表現 で き る と考 え られ て い る9」(同 上p.69)と し、 「言

語 獲 得」 の面 か らは 「Lは ふつ うの母 語 の 自然習得 、Hは 教 育 によ る」 (同 上p.70)と され

る。 またHの 文 法研 究 は発達 す るが 、Lの 「記述 的 ・規 範 的研 究 は存在 しな いか、存在 して

も最 近 の もので あ り量 も少 な い」 (同 上p,71)。 またHとLの 間 には大 きな文法 的差 異が

あ る こ と等 々 も特徴 と して 挙 げ られ て い る(同 上pp-72-73)。

これ らを頭 に置 いて 聴 覚障 害 者 の 「複 合 言語 状態 」 を見 る と、 ま さに これ と類似 した現

象 が 見 られ るので あ る。そ の場 合 、H(high varietyl社 会的威 信 の 高 い変種)は 日本 語対

応 手 話で 、L(10w variety:社 会的威 信 の低 い変種)は 日本 手話な ので あ り10、ろ う者 を含

む聴覚 障 害者 自身 の多 くの証言 がそ の ことを示 して いる。 (下線 は本稿筆 者 に よる。)

9Ferguson(同 上p .69)は 付 け加えて、 「Hを うまく使 い こなせな い人 ほどそ う信 じる度合いが

強 い」 と述べて いる。loも ちろん 「日本語対応 手話」 と 「日本手話」 は 「同一言語 の二 つの変種」 ではな い

。 しか し

「ダイグロシア」 とい う概念 はよ り広 く解釈 されて利用 されて いる。 (C%F…man l967)

一65一

Page 65: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

・ 「当時の私はなぜシムコム(日 本語対応手話)を 使ったのか。それはシムコムを使

っている方が、スマー トで知的に見えたか らである。両親や両親 のところに遊び

にやって来るろう者が使 うような手話は、教養に欠けた人々が使 うものであって、

日本語ができて、教養のあるろう者はシムコムで話すべきだ と思 い込んで いた。

また、そういう時代が到来すると信 じてもいた。」 (木村2007b, p.98)

・ 「日本語対応手話通訳(?)it 、手話学習者(日 本語対応手話)が 見ている限 りは 日

本語対応手話 を上手 に使 っているろう者、手話通訳者は 『頭 の切れる人』 『運動

ができる人』だ と思 って いる人が非常 に多いのです。逆に私 たちみたいなネイテ

ィブな手話を使って いるろう者、通訳者などは 『できない人』 『能 力ない』と見

て しまって い るのが現 状で す。」(同 上p.101木 村が ろ う者 か らも らった メール)

神田(前 掲書p.35)は こういった関係 を標準語 と方言の関係になぞ らえて次のよ うに述

べている。 「PSJとろう者の手話の関係は、 日本語共通語教育における標準語(共 通語)と

方言の関係と同 じである。正 しく美 しいのは標準語(PSJ)で あ り、方言(ろ う手話)は 汚

くみっ ともないもので晴れやかな場所で使 うものではない。」標準語 と方言の関係 とい う

のは、まさにFergusonの いう 「同一言語の二つの変種」の問の関係である ことか らも、 日

本語対応手話 と日本手話 との関係が極めてダイグロシア的であることが裏打ちされる。

またもうひとつ興味深 いことは、 このよ うな ろう者の手話と音声言語対応手話の関係の

認識の仕方は、わが国に特異な ものではないということである。例 えばスウェーデンで も

全 く同じような声を聞いた。

70年 代 には まだ ス ウェー デ ン語 対 応手 話 の ほ うが よ り知 的 に見 える と考 え られて

いた。 (2005年3月1.Ahlgren教 授談)

また、 口話に対 してもろう者の手話 を劣る もの として とらえているという証言 もある。

ろうの 口話者でパ ワーのある人たちはスウェーデン手話を低いステータスの もの

と見 て いた。 (2005年3月 ス ウ ェー デ ンろ う連盟 会長Lars一 欺eWikstr6m氏 談)

3.2.音 声言語優越主義と「オーディズム」

前節で述べた ことか ら、図Dで 挙げた言語 の間には、音声言語を頂点として図2の よう

な序列意識が聴覚障害者の間に浸透 して いることがわかるのである。 これ は音声言語優越

主義以外の何 ものでもな い。 日本語対応手話はた とえ全く音声を発 しない場合において も、

それが音声 日本語をベースにして成 り立って いる限 りにお いて、 日本手話よ り上位 に位置

11原 文 マ マ。

一66一

Page 66: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

付け られて認識 されているのである。

図2 聴覚障害者の使用言語の序列イメージ図(古 石作成)

\e)図__

この音 声言語優 越 主義 は別 名 「オーデ ィズ ム(audism)」 とも呼 ばれ る12。 この用 語 につ

いて木村(2007a)は 、 「オー デ ィズム(audism)は 、 アメ リカの ろ う者の 手 によ って造語

され た 語で あ る。オ ーデ ィズム に関す るウ ェプサ イ トもあ る。 よ く知 られ て いるFeminism

やSexism、 Racismよ りな じみが 薄 く、比 較 的新 しい語 で あ る」 (p.89)と しつつ 、4種 類

の定 義 を紹介 して いる。

オー デ ィズ ム とは 、 (1)個 人 の能 力 は聴 力 と聴 者 ら しい行 動 に基 いて判 断 さ

れ る とい う考 え(Humpheries,1975)、 (2)"聞 こえ る"こ との支配 、 再構 築、

そ して訓練 をデ フ ・コ ミュニ テ ィのな か に権 威 づ けよ う とす る こと(Lane,1992)、

(3)聞 こえ る能 力が優 先 され る社会 の こ と(Adapted fr0m wellman)、 (4)

ろ う者 を 音声 中心 に適 用 させ よ う とす る 、言 い換 え るな らば 、言 語 とは 人間 の象

徴 であ るが 、そ れ は あ くまで 話す もの で あ る とい う考 え、す な わ ち、 音 声言語 を

も た な い ろ う 者 は 十 全 な 意 味 で 人 間 と は み な さ れ ず 問 題 視 さ れ る こ と

(Bruggemann 1999, and Bahan and Bau皿an 2000)な どを指 して いる。

3.3.序 列発生のメカニズム

ここでは前節で述べた音声言語優越主義(オ ーデ ィズム)が 表す序列が、どのようなメ

カニズムで生 じるのかについて考えてみた い0

まず考え られるのは、我々の言語にたいす る 「常識」 に起因す るものである。例えば-一

12筆 者 は不勉強で2005年 の学会発表 の際には この用語 を知 らず 、一貫 して 「音 声言語優越主義」

と表現 した。

-67一

Page 67: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

般言語学は信 じられないくらい長 い間、音声言語 しか研究対象として見倣 して こなかった。

その ことに見 られるように、 「言語は音」であるとい う考え方は歴史的に強 く我々 のなか

に根付いている.そ れはまた 「話すのは口だとい う感覚」 (神田、前掲書p .ll)と も結び

ついて いる。つま り 「音声言語以外 は言語ではない」 という、我々の素朴理論的先入観 に

由来するものである。

また、手話には書き言葉がな く、書かれた文法書 もつ い最近まで存在 しなか った という

事実 も言語 としての手話の社会的地位の認知に大きな影響があろう。例 えば音声言語で あ

って も無文字言語の場合、言語共 同体外部の人間だけではな く、その言語の使用者 にとっ

て も客観的なと らえ返 しは困難 であると言える。従 って書記言語のない手話が言語 として

認知されることは困難であった ことは自然の慣わ しである。

次 に、社会 における人間関係 の レベルで考察 しよう。音声言語優越主義 は、まず聴者と

聴覚障害者 の間の圧倒的な力関係のアンバ ランスに由来すると言える。一般社会 において

は前者が数 的にも圧倒的にマジョ リティであり、聴者 とその使用言語 には、その ことに由

来す る 「パ ワー」が付与 されるわけである。そ してそ のことは、次の引用に見 るよ うに、

様々な社会制度を通 じて流布 していくのである。

ろ う者は常 に聴者 に遠慮 して生活す ることを強いられてきた こともあ り、聴者 の

手話であるPSJに 遠慮せ ざるをえない状況があった。ま して、(PSJは)地 方 自治

体が開催する手話教室で教 える手話なので権威 をもつのが 当然である。 (神 田、

前掲書p.35)

もうひ とつ便宜的な理 由も考え られる。つま り、聴者 にとって全 く異な る言語構造 を持

った 日本手話よ り、 自らの母語である音声言語 に手話単語 を付けた 日本語対応手話の方が

遥か に習得が容易なので、社会的な様々な特権 を生か して、ついそち らのほうを採用する

ことになる。また無知か らくる差別 も考え られ る。 日本語対応手話とは異な る日本手話 の

存在を知 らない聴者もまだまだ多 い。ろう者 と関わ りをもたないほとんどの人がそ うであ

るといっていい。

それか ら無視できない要因 として、国語政策 の影響もあろう。それは 日本社会の同化主

義的体質 と明治以来の 「国語」政策 の浸透 による(音 声)日 本語重視 、あるいは 日本語以

外 の言語 の軽視である。 このことは斉藤(1999)の 次の文章によ く表現 されている。

こどもには手話ではなく、 日本語 を教えな けれ ばな らない、 とい うのが ろう教育

の基本的な考え方だった。いや、そんな ことはどこにも書いていな いし、議論 さ

れた こともない。 日本 に生まれた以上、だれで も日本語を しゃべれるようになる

のは当た り前、人間に生まれた以上声で話す のが当然 という暗黙の合意が、手話

な どもってのほか、た とえ聞 こえない子であっても日本語を身につけなければな

-68一

Page 68: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

らない という教育方針 となってはるか昔か ら日本のろう学校 には定着 していた。

(p.37)

ここには、 「ひとつの国家語」=音 声 日本語の定着を強力に推 し進めてきたわが国の 「ふ

つ う」の人間の代表的な考 え方が うま く言 い表 されて いる。 このようなモノリンガル的発

想 はろう者の言語だけではな く、アイヌ語や琉球語、そ して方言や移住者の言語な どの異

言語マイノリティに対す る全般的な感受性の鈍 さとなって現れている。そ してそれは結果

として 自分 と異な る相手 に同化を求める ことにつなが り、意識 しない抑圧 となって いくの

である。 こういった体質が音声言語優越主義 を促進 してきた とも言 える。

最後 に、以上で述べたよ うな音声言語優越主義が もらたす 「日本語話者」への 「特権付

与」 について考えておこう。

言語 に序列をつ けるということは、その言語 の使用者 にも同時に序列をつけることにつ

ながる。音声日本語話者 を頂点 とし、その下 に日本語対応手話話者、最 も下 に日本手話話

者が位置付けられ るヒエ ラルキーが成立 して いる可能性 は無視できず、聴覚障害者の間に

コンフ リク トがある理由のひとつはそ こにあると考え られる。

また 日本語対応手話は 「手話」ではな く 「日本語」で ある という主張は神田(前 掲書)

によると、難聴者や中途失聴者な ど一部の聴覚障害者にとって受け入れがたいという。

・日本語 を母語 とする難聴者や晩期中途失聴者 にはろ う者的手話の獲得は難 しく、

PSJやSSS13は 便利である。 (p.36)

・(… こうした実情 に対 し、)完 全なコミュニ ケーシ ョンを求める聴覚障害者 は

ろ う者的手話の社会的是認を求めるようになる。ろう者的手話 という表現は前

提 として 「聴者 的手話」 を認めることになるが、それは手話ではな い。 日本語

の変種 にすぎないという意味を こめて、 自らの手話 を 「日本手話」 と呼ぶ。 し

か しPSJが 普及 し、その恩恵 に与る人々にとってはPSJも 手話 と信 じているの

で、PSJは 手話ではないという主張は、これ まで 「ろうあ運動=手 話運動」であ

った歴史を考えると、自己否定 につながって しま うため、 とうて い容認できる

ものではない。聴覚障害者の間で も議論があるゆえんである。 (pp.36-37)

4.お わりに

以上、Haugenの 言語計画の枠組みを利用 してろう児の教育にかかわる言語選択の問題 を

位置づけ、その選択に影響を及 ぼしている音声言語優勢主義 とそれを成立させている要因

について考察 してきた。ろう者 も含 めた聴覚障害者の言語使用状況は極めて複雑であり、

いわゆる部外者 には理解が難 しいのであるが、いくらかで も実情を理解する手がか りを提

出できたであろうか。

ろ う者の手話 と音声言語対応手話 との対立は、 とりもなおさずそれ らを使用する人々の

13SSSと はSign Supported Speechの 略 で 「手 話 支 援 発 話 」 と 訳 さ れ て い る 。 (p .36)

一69-

Page 69: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

間の対立につながる。しか し3.1で も述べたが、この現象は日本 に特有のものではな く、

普遍的な様相 を帯びて いる。2005年3月 に訪れたスウェーデンで も、また2007年11月 に

訪れたニュー ジーラン ドでも、わが国 と同 じ現象がかつて あった ことを知った。だが これ

らの国々ではその後その対立を見事 に乗 り越えて いる。つ まり、長 い期間にわたって音声

言語対応手話の方が社会的 にも認められ、その使用者がパ ワーを持つ という状況が続 いた

が、今ではろう者の言語であるスウェーデン手話やニュージー ラン ド手話が広 く認知 され

ているというのである。わが国でも、これ らのろ う教育の先進国に学ぶ ことは多いであろ

う。

またス トックホルム大学言語学科の1.AhIgren教 授 には大変興味深 い事実の指摘 を受 け

た。それは、スウェーデンにおけるろう者 とスウェーデ ン手話の認知は、1970年 代 の移民

の受 け入れ態勢の整備、それに続 く国内マイ ノリティの統合政策の整備 に続 く形で起 こっ

た という。つま り、ろう者 と彼 らの手話の社会的認知が単独で突然なされたわけではな く、

社会全体が言語的 ・文化 的少数者を受け入れることを考 え始めた文脈で同時に起こった と

いうことである。このことはわが国にとり極めて示唆的である。なぜな ら、ig80年 代、 go

年代か ら 「ニューカマー」 といわれる外国か らの移住者が急増 したわが国では、それ以前

か ら在住 していた 「オール ドカマー」の問題も捉 え返されるようになってきた。また最近

とみに 「多文化共生」とか 「異文化理解」ということが叫ばれるようになってきて もいる。

言語や文化が異なる人々との共生 を模索する姿勢が広がって きて いるな ら、従来のモ ノリ

ンガル的な発想を乗 り越えて、様々な問題解決に向かお うという社会的空気が少 しずっで

きっつあるかもしれな い。言語的少数者であるろう児の教育問題 も、 このよ うな社会的文

脈において人々の理解 を得て、大きく解決に向かってい くことを期待 した い。

参考文 献

大塚高信 ・中島文雄(監 修) (1982) 『新英語学辞典 』研究社.

神田和幸(1996) 「手話学の前提」 『基礎か らの手話学 』 (神田 ・藤野[編 著1)福 村出版,

PP.9ー48.

木村晴美(2007a)『 日本手話を母語 とするろう児の言語形成に関する考察~ 日本のバイ リ

ンガルろう教育の問題点と可能性~』一橋大学大学院言語社会研究科提出修士論

文.

ーー」一 (2007b)『 日本手話とろう文化 一ろう者はス トレンジャー』生活書院.

栗原和弘(1996) 「ろう学校 と手話」 『基礎からの手話学』 (神田 ・藤野[編 著])福 村出

版、pp.156-172.

クルマス、F.(1987):『 言語と国家-言 語計画な らびに言語政策の研究 一』 (山下公子

訳)岩 波書店.

古石篤子(2004a)「 ろう児の母語 と言語的人権」 『ろう児への言語教育のあ り方を求めて 』

-70一

Page 70: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

(佐 々木 倫子 ・古 石篤 子編 著)慶應 義塾 大 学湘 南藤 沢学会 、pp.16-30.

-一-ー (2004b)「 ろ う児 の母語 と言語 的人権 」 『ろ う教育 と言語 権 一ろ う児 の 人権 救済

申立 の全 容 』 (小 嶋勇 監修 ・全 国 ろ う児 を もつ 親 の会編)明 石書 店 、pp.47-77.

斉 藤道 雄(1999) 『も う一 つ の手話-ろ う者 の豊 か な世 界 』晶文社.

鳥越 隆士(2003) 「ス ウ ェーデ ンにお けるバ イ リンガル ろ う教育-ろ う学 校 の教室 か ら」

rバ イ リンガル ろ う教 育 の実践 一ス ウェー デ ンか らの報告 』(鳥 越 隆士 ・グニ ラ ・

ク リス ター ソ ン)全 日本 ろ うあ連盟.

*

Ferguson, C. A. (1959) Diglossia, In Word 15, pp.325-340.

Fishman, J. A. (1967) Bilingualism with and without diglossia;diglossia with

and

without bllingualiSID, In JoUrna/o/Socla!Issues, 23 (2), PP・29-38.

Haugen, E.(1983)The lmplementation of Corpus Planning:Theory and Practice,

In

Cobarrubias, J. & J. A. Fishman (eds.) Profi,「ess 1」ワlanguage、 ρノ81〃71」ワ8

Berlin:Mouton, pp.269-289.

一71一

Page 71: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

あ と が き

ことばというものは人と人をつな ぐ役割 も持つが、同時に人を抑圧す る力も持って いる。

筆者は昨年9月 にカナダに行った際に、「ことばが暴力として襲 いかかって くる」 というこ

とを経験 した。 ご存知のようにカナダは二言語多文化主義の国で、国 レベルの公用語 は英

語 とフランス語 の二つある。それ は トロン トか らモ ン トリオール(フ ランス語読みにする

とモンレアル)へ 向かうために並んだエ ア ・カナダのカウンターで起きた。チェックイ ン

の際、一緒 に旅を していた同僚(=フ ランス語教師)に ち ょっとした トラブルがあった。

そ こで彼 は フラ ンス語で説 明 を しよ うと した のだ が、対 応 した男性 の係員 に"Speak

English!" (英語を話せ!)と 怒鳴 られたのである。胸 にJ0hnと いう名札をつけたその

男性の態度 は威圧的でと りつ くしまもな く、人種差別 的な臭いさえ した。後で聞いた とこ

ろによる と、航 空会社 のカウンターでの職員のそ のよ うな態度 は、カナダでは十分に処罰

に値する ということであった。カナダの国是に照 らしてそれは当然で あろう。それに、そ

の ときの係員 とのや り取 りは傍に居た私 にさえ大 きなシ ョックを与え、怒 りと共 に一種 の

トラウマのようになって胸 に沈殿 した。 ことばで表現 された内容 に対 してではなく、「こと

ば 自体の否定」 は大きな暴力にな りうるのだ。それは存在がまるごと否定 されるよ うな感

覚 といった らいいだろうか。相手 との間に分厚 い壁が立ちはだかって しまう感覚 といった

らいいだろうか。それは絶対的な拒絶なのだ。

ろう児は、 自分 のことばが尊重 されず、他者 の ことばを押 し付 けられる環境を長い間生

きてきた。 日本 ろう者劇団の米内山明宏 さんが聞いた 「声 を出せ」は上の 「英語 を話せ」

と同じ響 きだ。

「… そ れ で先生 に指 され て、私 の 発言 にな ったか ら手 話でや ったん です。 そ うし

た ら 『声 を出せ 』って 言わ れ ま した。 … 」(斉 藤1999,p.55)

いやそれ どころか、 自分の ことばさえ しっか り持てないろう児 も多くいるのだ。そ して、

私たちのほ とん どがその ことに気づかないで生きてきた … 知 らな いことはや っぱ り罪

だろうと思わ ざるをえない。

私 はもっと多 くの人間が異言語 ・異文化 を生きる体験 をすべ きだと思 う。 ことばが通 じ

ない体験 、ことばを拒否され る体験、 自分の ことをわかっても らえな い体験、等々。ふだ

んあまりにも当た り前でそ こにある世界がほんの少 し不透明にな るとき、モ ノリンガル ・

★斉藤 道雄(1999)『 も うひ とつ の手話-ろ う者 の豊 かな 世界 』晶文社 .

一73一

Page 72: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

モ ノカルチ ュラルで堅牢な世界が少 し揺 さぶ られて隙間ができる。そ こに、他者へ思 いを

馳せる力が芽生えるのだ。

湘南藤沢学会から再びリサーチメモという形で、新 しいろう教育への道筋を提示する報

告書を発行できて嬉しい。

2008年1月

古石 篤子

一74一

Page 73: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

混乱 ・模索するろう教育の現場

-教 育政策 ・言語政策の はざまで-

発 行 日

著 者

編 集

編 集 助 手

表紙デザイン

発 行 所

印 刷 所

2008年2月28日

古石 篤子 他

佐々木 倫子 ・古石 篤子

石田 由美子 ・中村 成子

テルイデザイン

慶應義塾大学 湘南藤沢学会

株式会社 ワキプ リン トピア

ISBN 978-4-87762-194-0

SFC-RM2007-009

Page 74: 混乱・模索するろう教育の現場 : 教育政策・言語政策のはざまでmcarchive.sfc.keio.ac.jp/ekamo/tmpDocRoot/books/sfcac/0302-0000-0593/... · 今回の学会発表、および、報告書のテーマは、ろう教育の現場に焦点をしぼり、「混乱・

混乱・模索するろう教育の現場