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의생명과학과 법

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  • 의생명과학과 법

  • 목 차

    - 3 -

    의생명과학과 법 第9卷

    목 차

    ◈ 연구논문 ◈

    日本における改正臓器移植法の成立と人の「死」について 一原 亜貴子

    의료과오소송에서의 증명방해이론

    - 증명방해의 소송상 제재의 근거와 효과를 중심으로 -

    ······························································································ 이정환 ········ 33

    연명치료중단에 있어서 의사결정과정의 구체적 쟁점 ·············· 이재경 ········ 65

    배아의 윤리― ‘인격 대 생명’의 논쟁을 중심으로 ···················· 이을상 ········ 91

    유전자변형생물체의 국가간 이동 등에 관한 법률」에 대한

    형법적 관점에서의 검토 ··················································· 심영주 ······ 121

    중국 「侵权责任法」 상 의료손해의 개념과 유형 ··················· 김정진 ······ 145무의미한 연명치료의 중단 ·························································· 점승헌 ······ 165

    ◈ 부 록 ◈

  • 의생명과학과 법 제9권

    - 4 -

    의생명과학과 법 第9卷

    Contents

    Legal Definition of death in Japan

    - Revising the Organ Transplantation Act -

    一原 亜貴子Theory of Hindrance to Evidence Proving in Medical

    Malpractice Litigation

    - Focusing on Basis and Effect of Judicial Punishment

    on Hindrance to Evidence Proving -

    ············································································ Lee, Jeong-Hawn ····· 33

    Zur Frage nach der Willensbestimmung bei dem

    Abbruch lebenserhaltender Maßnahmen ······ Yi, Jae-Kyeong ····· 65

    Ethics of Embryo: Debate between Person and Life in the

    embryonic Problems ············································· Lee, Eul-Sang ····· 91

    A Review on the 「Transboundary Movement, Etc. of Living

    Modified Organizms Act」

    - Centering on the Point of View of the Criminal Law -

    ·············································································· Shim, Young-Joo ·· 121

    Concept and Type of Medical Damage in Chinese Tort Law

    ··················································································· Kim, Jung-Jin ·· 145

    Withdrawal of Meaningless Life-sustaining Care

    ············································································ Jeom, Seung-Hun ·· 165

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    원광대학교 법학연구소

    의생명과학과 법 제9권 (2013. 06)

    日本における改正臓器移植法の成立と人の「死」についてLegal Definition of death in Japan

    - Revising the Organ Transplantation Act -

    1)一原 亜貴子*이치하라 아키코

    《目 次》

    はじめに

    一. 臓器移植法改正の概要二. 死の定義と死の基準

    三. 臓器移植法における人の「死」おわりに

    はじめに

    1997(平成9)年に成立した「臓器の移植に関する法律」(平成9年7月16日法律第104号。以下、「臓器移植法」と呼ぶ。)1)は、脳死した者の身体からの移植 * 岡山大学大学院社会文化科学研究科・法学部准教授** 本稿の公表にご尽力下さった圓光大学校ロースクール助教授이재경(Yi, Jaekyeong)氏に、

    心より御礼申し上げます。また、ドイツ・ゲッティンゲン大学博士論文執筆者である허황(Heo, Hwang)氏並びに오경주(Oh, Kyoungju)氏には、韓国の「臓器等移植に関する法律」の改正状況について御教示頂きました。ここに記して感謝の意を表します。

  • 의생명과학과 법 제9권

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    用臓器の摘出を日本国内で初めて合法化した。同法は、腎臓及び角膜を除き2)、それまで法的規制のなかった死体からの臓器摘出・移植3)について定めるものであるが、組織の摘出・移植及び生体からの臓器摘出・移植に関する規定は持たない4)。同法制定の目的は移植医療についての国民の理解を深め、これを推進することにあったが、その制定後もとりわけ脳死下での臓器提供件数は国際的に見て低水準に留まっており、日本臓器移植ネットワーク5)が公表している統計に拠れば、改正直前の2008(平成20)年における脳死下での臓器提供者数は13名、臓器移植法制定後の累計でも76名であった6)。これは例えば、日本とほぼ同時期に「臓器等移植に関する法律」7)を制定した韓国における同年の提供者数が256名8)、ヨーロッパの中では提供者数が少ないと言われているドイツで283名9)であったことに比しても著しく少ない10)。このことから、患者及びその家族、並びに移植医療関係者を

    1)本稿の公表にご尽力下さった圓光大学校ロースクール助教授이재경(Yi, Jaekyeong)氏に、心より御礼申し上げます。また、ドイツ・ゲッティンゲン大学博士論文執筆者である허황(Heo, Hwang)氏並びに오경주(Oh, Kyoungju)氏には、韓国の「臓器等移植に関する法律」の改正状況について御教示頂きました。ここに記して感謝の意を表します。

    立法までの経緯については、例えば大島伸一「臓器移植法の6年――臨床面から振りかえる」ジュリスト1264号(2004年)6頁以下、町野朔「臓器移植法の展開」刑事法ジャーナル20号(2010年)2頁以下等。

    2) (脳死体でない)死体の一部の摘出及び移植に関しては、既に「角膜移植に関する法律」(昭和 33年法 律第64号)が存在していたが、その適用範囲を腎臓にも拡大する「角膜及び腎臓の移植に関する法律」(昭和54年法律第63号)の成立により廃止された。角膜及び腎臓の移植に関する法律もまた、臓器移植法の成立を以て廃止されている(同法附則3条)。

    3) 同法において「臓器」とは、人の心臓、肺、肝臓、腎臓、膵臓、小腸及び眼球をいう(同法5条及び臓器の移植に関する法律施行規則1条)。

    4) この点も、日本の臓器移植法の大きな特徴のひとつである。但し、同法11条(臓器売買等の禁止)により売買が禁止される臓器は、死体から摘出されたものに限定されない。生体からの臓器摘出・移植については、厚生労働省「『臓器の移植に関する法律』の運用に関する指針(ガイドライン)」(平成9年10月8日制定、最終改正は平成24年5月1日。以下、「ガイドライ

    ン」と呼ぶ。)第13に、組織の摘出・移植については同第14に若干の定めがある。5) 日本臓器移植ネットワーク(http://www.jotnw.or.jp/)は、日本で唯一の、臓器移植法12条1

    項に基づいて死体の臓器の提供の斡旋を行う公益社団法人である。6) 尤も、心臓死後の臓器提供数も少なく(2008年は96名)、これを合計しても韓国やドイツの提

    供者数には及ばない。7) 1999年 2月8日制定(法律第5858号)。最終改正は2011年 8月4日(法律第11005号。同日施

    行)。

    8) 国立臓器移植管理センター(KONOS)の統計に拠る (http://www.konos.go.kr/konosis/index.jsp)。

    9) ドイツ臓器移植財団(DSO:Deutsche Stiftung Organtransplantation)の統計に拠る (http://www.dso.de/)。

  • 一原 亜貴子: 日本における改正臓器移植法の成立と人の「死」について

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    中心に、その原因は臓器移植法上の厳格な脳死判定及び臓器摘出のための要件にあるとして、法改正を望む声が上がっていたのである。

    そして2009(平成21)年7月13日、「臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律」(平成21年7月17日法律第83号)が成立し、これによって臓器移植法が改正された11)。この改正にあたっては衆参両院において計6つの法案が提出される等、激しい議論がなされたが、最終的には、2005(平成17)年に第162回国会に提出された後に廃案となり2006(平成18)年に第164国会に再提出された法案(いわゆるA案)が可決され、成立した12)。しかし、同改正は臓器移植法の基本構造を「かなりドラスティックに変更」13)するものであったため、これに対する強い批判もあり14)、未だ解明されていない問題も多い。本稿は、それらの問題のう

    ち改正臓器移植法における人の「死」について検討を加えるものであるが、その前提として、まず日本の臓器移植法の特徴及び2009(平成21)年改正15)の概略を述べておくことにする。

    一. 臓器移植法改正の概要

    10) 人口比を考え合わせれば、尚更である。11) 臓器移植法附則2条1項は「施行後3年を目途とし」た見直しを要請していたが、実際には改正

    までに12年が経過しており、町野朔はこれを「あまりにも遅い」と批判する(前掲注(1)2頁)。

    12) 国会での審議過程については、自ら参議院議員として審議にも加わった古川俊治による「臓器移植法の改正と医療現場」刑事法ジャーナル20号(2010年)18頁以下が詳しい。また、実際に可決されたもの以外の法案についても、同論文を参照のこと。なお、古川は、6案の「全てについて十分な議論が行われたかどうかは疑わしい」としている(19頁)。

    13) 町野・前掲注(1)2頁。14) 例えば、松宮孝明「2009年脳死・臓器移植法改正を批判する」法律時報81巻11号(2009年)

    1頁。

    15) 同改正についての主な論考としては、町野・前掲注(1)2頁以下、城下裕二「改正臓器移植法の成立と課題」刑事法ジャーナル20号(2010年)11頁以下、井田良「改正臓器移植法における死」日本臨床68巻12号(2010年)2223頁以下。また、ドイツ語で同改正を紹介したものに、Yuri Yamanaka, Warum ist die Organentnahme in Japan so schwierig?

    Bemerkungen zum japanischen Organtransplantationsgesetz, in: Festschrift für Claus

    Roxin zum 80. Geburtstag, Bd. 2, 2011, S. 1623ff. ; Akiko Ichihara, Das Recht der

    Transplantationsmedizin in Japan - Aktuelle Entwicklungen, MedR 2012, S. 500ff. が

    ある。

  • 의생명과학과 법 제9권

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    臓器移植法は、2009(平成21)年7月13日に成立した「臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律」(平成21年法律第83号)により改正された16)。主な改正点は、第一に6条2項の「脳死した者の身体」の定義から「移植術のための臓器摘出が行われる者」との前提を削除したこと、第二に脳死判定及び臓器摘出に関する本人の書面による意思表示がない場合であっても、家族の承諾のみで脳死判定及び臓器摘出が可能となったこと、第三に親族への優先提供の意思表示が認められるようになったこと、である。死後の臓器提供に関して特に法的に重要となるのは、「死」の定義・基準及び臓器提供に係る意思要件であるが、同改正はまさにそのいずれにも関連していた。改正法は公布の1年後より、但し親族への優先提供に係る6条の2のみ6ヶ月後より施行されている。

    改正の第一の点につき、改正前の臓器移植法は、本人の書面による承諾に基づく臓器摘出の場面では脳死も人の死である、との立場を採っていると解されていた。すなわち、脳死を一般的な人の死とはせず、臓器摘出を前提とする脳死判定を承諾している者との関係でのみ、脳死を人の死と認めていたのである。脳死の基準については、「脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止」した時としており、全脳死説を採用している(同法6条2項)。人の死の定義ないし判断基準については、臓器移植法制定以前より伝統的な三徴候説(心臓死説)と脳死説との対立があった。臓器移植法の解釈としても前者を採る立場からは、旧6条はまだ生きている「脳死した者」からの臓器摘出を殺人罪(刑法199条)ないし同意殺人罪(同202条)の正当化事由(ないし違法阻却事由)として立法化したものであると解された(心臓死一元説)17)。しかしながらこの見解は、なぜ臓器提供の場面において(同意)殺人罪の違法性が阻却され得るのか、また、なぜ法益主体たる本

    人のみならず家族の意思までもが要件となっているのかを説明することができないと批判されていた。これに対して、移植目的の有無を問わず脳死が人の死であるが、同条は提供者本人の書面による意思表示があり、家族がこれを拒否しない或いは家族が存在しない場合にのみ、臓器摘出の要件としての脳死判定及びこれ16) 改正前の法状況については膨大な数の文献があるが、差し当たり井田良「脳死と臓器移植法を

    めぐる最近の法的諸問題」ジュリスト1264号(2004年)12頁以下、町野朔=長井圓=山本輝之(編)『臓器移植法改正の論点』(信山社、2004年)等参照。ドイツ語によるものとしては、Hirokazu Kawaguchi, Strafrechtliche Probleme der Organtransplantation in Japan,

    2000, S. 77ff.

    17) 斎藤信治『刑法各論〔第3版〕』(2009年)10頁以下等。

  • 一原 亜貴子: 日本における改正臓器移植法の成立と人の「死」について

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    を前提とする臓器摘出を許容するものである、との見解(脳死一元説)18)も主張された。確かに、旧6条2項は死の定義ではなく、その判定手続を定めた規定に過ぎないと解することも可能である。しかし、脳死と心臓死とが等しく「人の死」なのであれば、なぜ同条3項において心臓死体については不要な意思要件が脳死体の判定に際して要求されているのかが問題となる。そこで、文言を忠実に解釈し、同条は死の概念を二元化したものである、とする脳死選択説19)が主張されるに至った。これによれば、一般的には三徴候を基準とする心臓死が人の死であるが、本人の書面による意思表示がある場合に限り脳死を人の死として認められる。つまり、移植用臓器を提供しようとする者は、脳死状態での臓器摘出を許容するのか、それとも心臓死後の摘出のみを許容するのかを自ら選択することができるのである20)。

    臓器移植法の改正にあたり、立法者は「脳死した者の身体」の定義から「その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって」という文言を削除した(同法6条2項)。また、同法附則4条は、遺族の承諾のみによる「脳死した者の身体以外の死体」、すなわち心臓死体からの眼球又は腎臓摘出を認めていたが21)、改正により同条が削除されたことで、脳死体と心臓死体との間で臓器摘出に係る意思要件が統一された22)。しかし、脳死判定実施の可否が本人及びその家族の意思に依存する点は、なお日本の臓器移植法の大きな特徴であり続けている。そしてこのことは、日本法と同様に脳死を一律に人の死とすることに慎重な態度を示している韓国の臓器移植法23)との大きな差異でもある。

    18) 長井圓「臓器移植法をめぐる生命の法的保護――脳死一元論の立場から――」町野=長井=山本(編)・前掲注(16)(初出:刑法雑誌38巻2号(1999年))218頁以下。井田良「臓器移植法と死の概念」法学研究70巻12号(1997年)211頁以下も参照。

    19) 石原明「死の概念――新臓器移植法擁護論――」刑法雑誌38巻2号(1999年)195頁以下。なお、石原は臓器移植法制定以前よりこのような解決を主張していた。

    20) 但し、この見解に対しても、なぜ本人が脳死判定及び臓器提供に承諾しているにも拘わらず家族がこの意思に反してこれを拒否することができ、且つ後者の意思が優先されるのか、という

    心臓死一元説に対する疑問が妥当する。この点については、後に検討する。21) 同条は、臓器移植法の成立による「角膜及び腎臓の移植に関する法律」の廃止(臓器移植法附

    則3条)に伴う経過措置を定める。「角膜及び腎臓の移植に関する法律」は、拡大された承諾意思表示方式を採り、遺族の承諾のみによる死体(心臓死体)からの移植術のための角膜及び腎臓の摘出を認めていたのである。

    22) 城下・前掲注(15)12頁。同頁の注7も参照。23) この点については後に言及する(第3章)。

  • 의생명과학과 법 제9권

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    臓器移植法改正の第二点目は、脳死判定及び臓器摘出のための意思要件の変更である。移植術に用いられるための臓器提供者の意思表示の役割に関しては、立法方式として一般に、「反対意思表示方式」、「承諾意思表示方式」及び「通知モデル」があるとされており、承諾意思表示方式はさらに「厳格な承諾意思表示方式」と「拡張された承諾意思表示方式」とに区別されている24)。改正前の臓器移植法は、これらのうち「厳格な承諾意思表示方式」を採用していた。これによれば、臓器提供を希望する者が生存中にその意思を書面により表示している場合に限り、臓器の摘出が許される。だが、旧6条1項は、脳死判定の場合と同じくここでもまた、本人の書面による承諾に加えて遺族25)がこれを拒まないこと又は遺

    族がいないことを臓器摘出の要件としていた。韓国の臓器移植法は、本人の意思が確認されない場合には家族の承諾のみで臓器の摘出を認める「拡大された承諾意思表示方式」を日本に先立って採用しているが(同法22条3項2号)、やはり本人が臓器摘出・提供に承諾している場合であっても家族(遺族)がこれに反対する場合には摘出が許されない(同条項1号)という点で、日本の臓器移植法と同様である。この、比較法的に見て稀な両国の立法方式は、「家族モデル」ないし「遺族主義」とも呼ばれる26)。

    日本の立法者が厳格な承諾意思表示方式を採用し、本人の書面による意思表示を脳死判定及び臓器摘出のための必須の要件としたことは、臓器移植医療に実践的問題、すなわち提供者不足を生ぜしめた。また、意思表示可能年齢が15歳以上

    24) アルビン・エーザー/長井圓 = 井田良(共訳)「ドイツの新臓器移植法(上)」ジュリスト1138号(1998年)89頁以下も参照。

    25) 臓器移植法は臓器摘出に際しては「遺族」(同条1項)、脳死判定の場面では「家族」(旧6条3項)と語を使い分けており、改正後も同様である。これは、臓器提供予定者が脳死と判定されるまでは生存しているものとして扱われる対して、臓器摘出の時点では死亡(脳死又は心臓死)していることに拠ると考えられる。「遺族」及び「家族」の範囲については、ガイドライン第3-1で定められている。

    26) 趙炳宣「日本と韓国の臓器移植法に関する比較法的考察」関東学園大学法学紀要24号(2002年)55頁以下及び75頁以下、城下・前掲注(15)16頁。Siehe auch Byung-Sun Cho, Die Organtransplantation im Spannungsfeld von Medizin, Ethik und Strafrecht in Korea,

    in: Menschengerechtes Strafrecht : Festschrift für Albin Eser zum 70. Geburtstag,

    2005, S. 1078ff. また、これを「制限された広い同意方式」と呼ぶのは、趙晟容「厚生科学研究報告書(平成11年度)・臓器移植の法的事項に関する研究(3)――韓国の臓器移植法の脳死の法的地位と死体臓器摘出要件――」町野=長井=山本(編)・前掲注(16)61頁。Ebenso Ho-No Joo, Organtransplantation und Strafrecht - Eine vergleichende Untersuchung

    zwischen deutschem und koreanischem Transplantationsgesetz - , 2004, S. 107f.

  • 一原 亜貴子: 日本における改正臓器移植法の成立と人の「死」について

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    であることから(ガイドライン第1)27)、小児からの臓器摘出は認められず、とりわけ幼児が患者である場合の心臓移植の途が閉ざされた。いわゆる移植ツーリズム(海外渡航臓器移植)の問題は臓器移植法制定以前から指摘されていたが、国際移植学会が2008年5月に海外渡航臓器移植禁止を宣言し、2009年1月には世界保険機構(WHO)理事会がやはり海外渡航臓器移植を原則的に禁止する方向での決議を行ったことで、海外渡航臓器移植が不可能となる虞もあった28)。2009(平成21)年改正の背景には、これらの事情が相俟って、臓器移植を必要とする患者及びその家族の団体並びに移植医療関係者を中心に、意思要件の緩和を求める声が絶えず挙がっていた、という事情がある。

    改正法は、旧法が採用していた「厳格な承諾意思表示方式」を放棄し、「拡大された承諾意思表示方式」を採用した。すなわち、提供(予定)者本人の書面に

    よる意思表示がない場合でも、生前に臓器提供意思がないことを表明していたのでない限り、その遺族の書面による承諾のみに基づく臓器の摘出が可能となったのである(同法6条1項2号)。他方で、本人が書面により臓器提供意思を表明していても、遺族がこれを拒否する場合には臓器摘出が認められないという「家族モデル」は維持された(同法6条1項1号)。この「拡大された承諾意思表示方式」は、脳死判定に係る意思表示にも妥当する(同法6条3項1号及び2号)。そして、このように本人の書面による承諾がない場合にも脳死判定及び臓器摘出が可能となったことで、臓器提供者の年齢制限が撤廃されることとなった29)。言い換えれば、15歳未満の小児については、常にその家族の書面による承諾のみで脳死判定及び臓器摘出が行われ得ることになったのである。この点に関連して、改正法の附則5項は、政府は虐待を受けて死亡した児童からの臓器提供が行われないようにするための方策を検討し、必要な措置を講じなければならない、とする。この規定の背後には、子を虐待死させた親の承諾に基づいて当該児童からの臓器の摘出を認めるべきではない、との考えがあると思われる30)。しかし、その他の原因に

    より死亡した者からの臓器摘出については何ら制限がないのにも拘わらず、なぜ27) これは「民法上の遺言可能年齢等を参考として」定められたものである。28) 古川・前掲注(12)21頁以下及び同所で引用されている諸文献を参照。29) 但し、臓器の移植に関する法律施行規則2条1項1号により、「生後12週(在胎週数が40週未満

    であった者にあっては、出産予定日から起算して12週)未満の者」には臓器移植法に基づく脳死判定を行うことができない。

    30) 古川・前掲注(12)23頁参照。

  • 의생명과학과 법 제9권

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    児童虐待による死亡の場合のみを特別に扱うのかは全く以て不明である。本稿ではこの問題をこれ以上論ずることはせず、同項は「賢明な立法とは思われな

    い」31)、との正当な批判を引用するに留める。 第三の改正点は、親族への優先提供の意思表示を認める規定を新設したことで

    ある(臓器移植法6条の2)。これにより、移植術のための臓器提供を希望する者は、自らの親族に対して当該臓器を優先的に提供する意思を書面により表示することが可能となった。ここでは、同法6条1項の「遺族」とも同条3項の「家族」とも異なる「親族」という語が用いられている。厚生労働省が定めるガイドライン第2-1は、「親族」の範囲を「立法者の意思を踏まえて限定的に解釈し、配偶者、子及び父母」と定め、「配偶者については、届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者は除き、養子及び養父母については、民法上の特別養子縁組による者に限る」。無論、上記のような意思表示がなされている場合であっても、「医学的な理由から、必ずしも親族に対し移植術が行われるとは限らない」(ガイドライン第2-4(1))。また、優先提供の意思表示をしている提供

    希望者が自殺を図った場合にも、親族への優先的な臓器の斡旋は行われ得ない(同第2-4(2))。

    他方で、韓国においても、2003年の臓器移植法施行令改正により親族への優先提供に関する規定が新設された(旧18条1項32))。しかし、制度的には日本法6条の2と本質的に異なっている。すなわち、韓国では、臓器提供者本人の意思は問題とならず、移植対象者の選定につき、提供者の親族が待機患者リストに入っている場合に当該親族が移植順位第一位とされる。これに対して、日本では親族が移植希望者(レシピエント)登録を行っている場合であっても、本人が優先提供意思を表示していなければ当該親族への優先的な配分は行われないのである33)。

    ここまで、2009(平成21年)年に行われた臓器移植法の改正を概観してきたが、この改正は同法の基本的性格を大きく変更するものであった。特に改正の第一点目及び第二点目は、「人の死」の定義に関わる重要な内容を含んでいる。以下では、まず一般的な死の概念及びその基準について検討を加え、その上で臓器31) 町野・前掲注(1)9頁参照。32) 同施行令は2011年5月30日に改正されており(大統領令第22945号)、現行26条。33) なお、日本法には移植対象者の選定に係る一般規定が存在しない。

  • 一原 亜貴子: 日本における改正臓器移植法の成立と人の「死」について

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    移植法における人の死について考察する。

    表)法改正後の本人及び家族の意思表示と臓器摘出が許容される状態との関係臓器提供に関する意思 脳死判定に関する意思 臓器摘出が許

    容される状態本人 遺族 本人 家族

    承諾(書面に

    よる)

    承諾/遺族な

    承諾(書面に

    よる)

    承諾/家族な

    し脳死

    承諾(書面に

    よる)承諾

    承諾(書面に

    よる)拒否 心臓死

    承諾(書面に

    よる)

    承諾/遺族な

    し拒否 - 心臓死

    承諾(書面に

    よる)拒否 - - 摘出不可

    不明承諾(書面に

    よる)不明

    承諾(書面に

    よる)脳死

    不明承諾(書面に

    よる)不明 拒否 心臓死

    不明承諾(書面に

    よる)拒否 - 心臓死

    不明 拒否 - - 摘出不可

    拒否 - - - 摘出不可

    二. 死の定義と死の基準

    改正臓器移植法が成立した際、マスメディアによって「脳死が人の死となる」との報道が相次いでなされた34)。確かに、「脳死した者の身体」の定義から「その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって」という文言(同法6条2項)が削除されたこと、及び同法附則4条が削除されたことによって、脳死体と心臓死体との間で臓器摘出のための意思要件が統一され、脳死体が心臓死体と同様に扱われることになったことから、移植術のための臓器摘

    34) 毎日新聞平成21年7月13日夕刊、朝日新聞平成21年7月13日夕刊等。

  • 의생명과학과 법 제9권

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    出を前提としない場合であっても脳死が「人の死」であるとする脳死一元説の理解により近付いたと言うことはできる35)。しかし、このことを以て、現行法は脳死を一般的な人の死の定義と認めた、と断定するのは早計である。現行法6条3項は、なお脳死判定の可否を本人及びその親族の意思に依存させている。「脳死は心臓死と同じく、すべての場面で人の死であるとしなければならない」と主張する論者ですら、現行法が旧法の脳死に関する理解を引き継いでおり、「脳死を一律に人の死と断定しているわけでない」ことを認めている36)。また、改正法案の提出者も衆議院本会議において、「(改正案は)脳死を人の死と法律で規定しているのではないか」との質問に対して、「法的脳死判定は臓器移植を行う場合に限定されている」と答弁している37)。

    周知のように、かつて「死」とは心臓死であるという「謂わば当然ともいうべき広汎な暗黙の了解が存していた」38)が、医療技術の進歩により心臓及び肺臓機能を長期間人工的に代替することが可能になったことから、この「暗黙の了解」の前提が揺らぐことになった。そして、臓器移植医療推進の思惑も相俟って「脳死が人の死である」という新たな定義が提唱され39)、医学、生命倫理学、法学を始めとする様々な分野で人の死の定義をめぐる論争が惹き起された40)。

    「人の死」をめぐっては、大別して三つの立場がある。第一は脳死を人の死とする見解、第二は従来の心臓死説(三徴候説)、そして第三は脳死を人の死と認めつつも、その判定は三徴候によりなされるべきであるとする見解である。ここで注意しなければならないのは、「死」の定義の問題と「死」の判定基準の問題

    とは区別されなければならない、ということである41)。すなわち、上に挙げた第

    35) 井田・前掲注(15)2226頁以下は、拡大された承諾意思表示方式の採用を根拠として、改正臓器移植法は「脳死が一律に人の死であることを前提」としている、とする。

    36) 町野・前掲注(1)7頁。37) 第171回国会・衆議院会議録第37号2頁以下参照。但し、前後の文脈も検討すると、この発言

    が脳死説を否定したものとも言い切れない。38) 伊東研祐「『死』の概念」ジュリスト1121号(1997年)39頁。39) いわゆるハーバード基準(Ad Hoc Committee of the Harvard Medical School, A

    definition of irreversible coma, in: Journal of the American Medical Association, 205

    (1968) 6, pp.337-340)。

    40) 長井圓「臓器移植法をめぐる生命の法的保護――脳死一元論の立場から――」町野=長井=山本(編)・前掲注(16)218頁(初出:刑法雑誌38巻2号(1999年))229頁注(10)は、「脳死基準の登場以前には、『死の概念』は医学的にも存在しなかった」とする。同所所掲の文献も参照。

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    三の立場は、換言すれば、死の定義としては脳死説を採用しながら、その判定基準としては三徴候説を採る見解、ということになる。三徴候説とは、脈拍と呼吸という心肺の機能の不可逆的停止と、瞳孔の拡大及び対光反射喪失を以て人の死とする立場である。これに対して、心臓死説は心臓機能の不可逆的停止のみを基準とする見解であるから、厳密には三徴候説とは異なるのであるが、脳死説との対比では三徴候説も心臓死説と呼ばれることが多い。一方、脳死説としては、脳幹死説及び大脳死説も主張されているが、「脳幹を含む全脳の機能の不可逆的停止」を以て人の死とする全脳死説が支配的であり、臓器移植法もこれを採用している(6条2項)。以下、本稿では特に断りのない限り、心臓死説というときはこれに三徴候説を含み、また脳死説とは全脳死説を指すものとする。

    日本では、心臓死説もなお主張されているが42)、実のところ、この立場に立つ論者の多くは、脳死説に一定の合理性を見出しながらも、脳死判定が不確実であることや社会的な合意が未だ確認されていないという消極的な理由から心臓死説を支持しているように見える43)。このような主張は、死の定義と判定基準の問題

    を明確に区別していない、と批判されているが44)、この意味で、人の死の定義としては脳死説が正しいことを認めながら、やはりその判定の不確実性や医学的・社会的な合意の不存在を理由として、死の判定は三徴候の具備に拠るべきであるとする上述の第三の見解45)とほぼ変わりがないとも言える46)。そして、そうだとすると、少なくとも「人の死」の定義としての「(全)脳死」は比較的広く受け入れられていると言えよう。

    従来、医学実務において、人の死は心拍動停止、呼吸停止及び瞳孔散大(対光反射消失)により確認されてきた(三徴候説)。つまり、人の生命現象について能動的機能を果たしている主要な臓器である心臓、肺臓及び脳を通じて、「生命41) 伊東・前掲注(38)40頁。死の定義・基準・判定法については児玉聡「近年の米国における死

    の定義をめぐる論争」生命倫理18巻1号(2008年)40頁以下も参照。42) 川口浩一「臓器移植法における提供者の同意要件について」法学雑誌36巻3・4号(1990年)

    430頁以下、及びKawaguchi, Anm. 16, S. 90f.

    43) 例えば、川端博『刑法各論概要〔第3版〕』(2003年)7頁以下。44) 伊東・前掲注(38)42頁。45) 例えば、大塚仁『刑法概説各論〔第3版増補版〕』(2005年)10頁。46) 但し、伊東・前掲注(38)42頁に拠れば、両見解は、死の概念を医学的意味で捉えるか否か

    という点で異なり、第三の見解が「『(全脳)死』の判定方法の医学的・社会的受容度ないし信頼度をめぐるものを主体とする」のに対して、前者の立場は「全脳死という観念・視座自体の医学的・社会的評価ないし受容度に関わる疑念の存在を意味することになる」。

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    の全体性」が確認されてきた47)。心拍動停止は循環系機能、呼吸停止は呼吸系機

    能、そして瞳孔散大は大脳神経細胞、すなわち脳機能の停止を徴表している。これに対して、循環系機能及び呼吸系機能をも司っているのが実は脳であることに着目して、脳の機能の停止を以て統合体としての人の死とするのが脳死説である。すなわち、心拍や呼吸という伝統的な生命の徴候は、脳機能の存在を示す代理的徴候に過ぎないというのである48)。

    ある論者に拠れば、全脳死説とは、「人は精神と身体という二つの要素からなり、これら二つの要素の『本質的』部分がともに不可逆的に失われたものは人と

    しての法的保護に値しないという、人間観・人間像と関連した法的価値判断」49)を前提として、「脳が人の精神作用を担う器官であることと並んで、脳(とりわけ脳幹)が全体としての有機体の各器官の機能を代替不可能な形で統括する中枢器官であること」から、「人の精神と身体のそれぞれの要素が本質的に失われる

    というとき、それは脳という器官が不可逆的に機能を停止することと同一視できる」とする見解であるという50)。このような見解は、「人」を「意識・感覚を備えた有機的統合体としての個体」と捉え、脳が人の身体各部を統合ないし統括する機能に着目し、これが不可逆的に失われた時点で「個体としての統一性」を持

    つ「人」でなくなるとするものである。厚生省脳死判定基準(いわゆる竹内基準)51)、「臨時脳死及び臓器移植調査会」52)の多数意見及び日本医師会脳死報告53)も同様である。

    これに対して、近時、アメリカ合衆国の小児神経学者Shewmonの論文54)に依47) 関哲夫「死の概念と脳死説」早稲田法学61巻2号(1986年)179頁以下参照。48) この意味で、三徴候説と脳死説とは完全に対立するものではない。49) 井田・前掲注(18)202頁、及び同「脳死説の再検討」町野=長井=山本(編)前掲注(16)

    (初出:『西原春夫先生古希祝賀論文集第3巻』(成文堂、1998年))254頁以下。50) 井田・前掲注(49)254頁以下。51) 1985(昭和60)年12月に、竹内一夫・杏林大学脳神経外科教授を座長とする厚生省研究班が

    発表した脳死判定基準である。52) 1990(平成2)年に首相の諮問機関として設置された。その「脳死及び臓器移植に関する重要

    事項について」と題する答申(平成4年1月22日)は、ジュリスト1001号(1992年)34頁以下に掲載されている。

    53) 日本医師会生命倫理懇談会「脳死および臓器移植についての最終報告」(1988年)。54) Shewmon論文の理解については、柴﨑文一「『脳死』と人の死」政経論叢75巻1・2号(2006

    年)144頁以下に拠った(原文は、D. Alan Shewmon, Chronic “Brain Death”: Meta-analysis and conceptual consequences, Neurology, 51 (1998), pp.1538-154

    5)。 Shewmonの一連の仕事を受けて、アメリカ合衆国では1981年の大統領委員会報告が再

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    拠して、脳が身体における有機的統合性の中枢器官ではないという可能性がある、との指摘がなされている55)。その根拠として、①交通事故や転落事故等により全身に損傷を受けた脳死者と、脳膜炎や脳挫傷のような原発性脳病変により脳死に至った者とを比較すると、その身体全体に対する損傷の程度が軽いと思われる後者の方が、明らかに生存率が高いという分析結果が得られたこと、及び②

    「脳に基づく身体の調整機能が急激に失われた時には、心血管虚脱に陥りやすいが、このような危機的状況を乗り越えた『脳死』者の場合、『ホメオスタシス〔生体の恒常的安定化機能〕が調整され、血流状態が改善されて、消化管の栄養吸収機能が復活することもあり、全体として身体の管理は容易なものとなって、徐々に容態が安定する方向に進む』」ことから、「脳死」者の身体に有機的統合性が存続している可能性を否定できないことが挙げられている。これは、脳死説の前提を揺るがす大きな問題である。

    また、脳死者であっても、妊娠を継続し、また自然分娩し得ることや、肺炎等の感染症に罹患し、また治癒し得ること、さらに子供の場合には身体的成長が見

    られるといった臨床例が存在することも、予てより報告されている。さらに、脳死と判定された後も、視床下部や延髄の機能が存続していることを示唆する分析結果もあるという56)。尤も、これらの症例から直ちに、人の死の定義としての脳死説が否定されるわけではない。なぜなら、そこで挙げられているのは、現行の脳死判定基準に従って脳死と判定された者に生じた事例だからである。つまり、(脳死説が言うように)人の身体各部を統合する脳の機能が不可逆的に失われた時点で個体としての統一性が失われるのであるが、このことは現在臨床的に用い

    られている脳死判定基準では判定し得ない(に過ぎない)、という可能性も否定できないのである。

    いずれにせよ、少なくとも現行の脳死判定基準が人の死の判定基準として妥当性を欠いている、と言うことはできよう。現に、「全脳の機能」を「脳の全ての

    検討され、2008年に生命倫理に関する合衆国大統領評議会により「完全脳不全は死と同義ではない」とする新たな報告が出された(Controversies in the determination of death: A

    White Paper of the President’s Council on Bioethics, 2008)。同国における議論の状況については、児玉・前掲注(41)を参照。

    55) 柴﨑・前掲注(54)146頁以下。56) 柴﨑・前掲注(54)153頁以下。Vgl. auch Sabine Müller, Wie tot sind Hirntote?, APuZ

    20-21/2011, S. 4f.

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    機能」と解する立場から、現行の竹内基準57)に従えば未だ脳の機能の一部が存続しているにもかかわらず脳死と判定される虞があることを理由として、同基準に基づいて脳死判定を行うことに明確に反対する論者も存在する58)。ここでは、全脳死説にいう「全脳の機能」が「脳の全ての機能」と「脳の全体としての機能」という二つの意味で理解されている59)、という点に注意を要する。「全脳の機能」を前者のように理解した場合、ある人の状態が「脳死」であると判断されるためには、その脳機能の全てが喪失・停止していなければならない。これに対して、後者の立場からは、一定の脳機能がなお残存している場合であっても「脳死」と判定され得ることになるのである。このことは必ずしも明確には意識され

    ていないが60)、一般的に見て、人の死の定義としてもその判定基準としても脳死説を主張する論者は、「全能の機能」を「脳の全体としての機能」という意味で捉えている。無論、竹内基準もそうである。しかし、ここで重要なのは、現行の脳死判定基準に基づいて脳死と判断された者には、(脳の機能の一部だけでなく)脳死説が言う人の身体を統合する「脳の全体としての機能」すらも残っている可能性がある、ということである。

    生物学的に見ると、生から死への移行は、暫時的な過程として生じている。すなわち、「瞬間的に生じる点としてではなく、過程的な連続線として生じている」61)。しかし、法律的には、このような過程の中のある時点を以て人の「個体

    としての死」を確定する必要がある。言うまでもなく、法は生きている「人」と

    死者との間に明確な区別を設けて取扱い、様々な場面でそれぞれに異なる法律効果を認めているからである。そして、法的な「死」の概念は、必ずしも医学界に57) なお、同基準では、「本指針では脳死をもって人の死とは決して定めていない」と述べられて

    いる。

    58) 松宮孝明「臓器移植法の問題点とその見直しにむけて」『刑事法学の潮流と展望―大野真義先生古稀祝賀』(世界思想社、2000年)416頁以下。柴﨑・前掲注(54)159頁以下も参照。

    59) これを明確に指摘するのは、松宮・前掲注(58)413頁以下。60) 例えば、全脳死を「脳幹を含む脳全体としての機能喪失」であるとしつつ、「『個体死』全体

    を根拠づける原因としての『脳死』は、直接的には『脳幹死』であれ、その結果として『脳全体』が『機能喪失』に至れば足りる」とする見解がそうである(長井・前掲注(40)226頁。傍点は引用者)。松宮・前掲注(58)420頁も参照。

    61) 関・前掲注(47)181頁以下。金沢文雄「死の判定をめぐって――法律上の立場から――」判例タイムズ233号(1969年)3頁、長井・前掲注(40)224頁も参照。「死はプロセスかイベントか」という議論につき、児玉・前掲注(41)42頁も参照。

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    おけるそれと一致する必要はない62)。無論、医学的知見は尊重されなければならないが、場合によってはこれとは別に、法的・規範的な死の定義並びに基準を立てることが可能なのではなかろうか。医学的には脳死を人の死とするのが通説となっているが、現在の脳死判定基準は、医師の立場から見た現在の蘇生医療における蘇生限界点、すなわち医師がそれ以上の治療義務を負わない時点を示すものと捉えるべきであろう63)。これに対して、法的には、「人の生命及び尊厳を可能な限り尊重し得る」形で「人の死」の基準を設けることが望ましい。そして、医学的な蘇生可能性が失われた後であっても、なお「人」としての法的保護に値する状態が継続しているのであれば、原則として、これを死者として扱うことは許されないと考える。

    人は、身体と精神とから成る統合体であり、この統合性ないし全体性が失われ

    た時に個体は死を迎える。個体レベルの生命の全体性を成り立たせる主要な機能

    は、心臓、肺臓及び脳が有していると考えられている。医学的には、これらの機能は相互に干渉し合っており、これらが揃って存在し、その機能が血液、血管、神経で連結しているのが「生命の環」であり、個体レベルの生命であるとして、これらのいずれか一つが永久に機能停止した最初の時点で個体の死がみとめられ

    る64)、とされている。しかし、このような時点は死へと向かう不可逆的な過程の

    始まりに過ぎないのではなかろうか。医学的にはもはや蘇生の可能性がない場合であっても、なお身体の重要な機能を有している者、例えば全身の血圧を維持する、妊娠を継続させるといった機能が存続している者については、法的には「人」として取扱い、法的保護を認めることが妥当であると考える。「もう助からない」ことと「もう死んでいる」こととは、同じではない。人の生命を成り立

    たせる重要な機能全て、すなわち心臓、肺臓及び脳の機能の不可逆的停止を以て、個体の死とすべきである。まして、脳が身体における有機的統合性の中枢器官ではない可能性が示唆されており、そのような中枢器官が実際に存在するのかも明らかでない現状では、脳死説の言うように脳の機能の停止のみで人の死を判断することは許されないのである。62) この意味で、脳死説は生物学的・医学的概念を最大限に尊重する立場である。63) 金沢・前掲注(61)3頁。川口・前掲注(42)431頁及び松宮・前掲注(58)414頁も参照。64) 関・前掲注(47)179頁以下参照。

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    三. 臓器移植法における人の「死」  それでは、上述のような立場からは、改正臓器移植法における「死」の概念

    はどのように解されることになるのであろうか。

    まず、臓器移植法は脳死を一律に人の死として規定するものではない。確かに、法改正によって、同法6条2項の「脳死した者の身体」の定義から「その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者」という文言が削除されたこと、並びに家族の承諾のみで臓器摘出が可能となったことは、脳死を人の死として認める見解と親和性を持つ65)。しかし、他方で同条3項は、脳死判定につき、引き続き本人ないし家族の承諾を要件としている。仮に脳死を一般的な人の死として認めるのであれば、このような承諾は不要となるはずである。これ

    に対しては、同条項は「死の判定の相対化」を許容したに過ぎない、との反論が考えられるが66)、そうであっても、死の判定に承諾が必要とされる根拠は明らかでない。

    次に、同法があらゆる場合に、すなわち移植術のための臓器摘出を前提とする場合をも含めて、心臓死説(三徴候説)を採っていると解することもできない。なぜなら、この立場に拠れば、脳死者は生きていることを前提として、本人及び家族の承諾に基づき、移植のための臓器摘出によって提供者を「死」に至らしめる行為の殺人罪(刑法199条)の違法性が阻却されることになってしまうが、このような解決方法は認め難いからである67)。確かに、厳格な承諾意思表示方式を採っていた改正前であれば、上のような解釈も可能であったと言える。例えば、ある論者は、脳死を本人の自己決定権を越えて介入するパターナリズムの限界を画する概念としてのいわゆる回復不可能性の判定基準と解した上で、本人の生前の真摯な承諾がある場合に限って脳死体からの臓器摘出が認められるとしていた68)。この見解による脳死の理解は本稿の立場と軌を一にするものであり、支持に値する。しかし、法改正により、本人の承諾がない場合であっても、家族の承

    諾のみで臓器の摘出が認められることとなった。本人が臓器提供に否定的な意思65) 井田・前掲注(15)2226頁参照。66) 城下・前掲注(15)14頁参照。67) 城下・前掲注(15)7頁参照68) 川口・前掲注(42)431頁及びKawaguchi, Anm. 16, S. 91f.

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    を表明している場合には臓器を摘出することは許されないが(同法6条1項2号)、本人の意思が不明である場合には、専ら家族にその判断が委ねられている。法は、家族に対して本人の意思を推し量ることを要求しているわけでもない69)。すなわち、家族の承諾のみで臓器摘出が行われる場合には、本人の推定的承諾すら存在しない可能性があるのである。したがって、現行法の解釈としては、承諾による(殺人罪の)正当化の理論を採ることは困難であると言わなければならない70)。

    以上のことから、臓器移植法は、やはり一般的な人の死については従来通りに取り扱うこととした上で、移植術を前提とする臓器摘出の場面にのみ、(全)脳死を人の死として認めるものと解するしかない。すなわち、一般的には心臓死説を採りつつ、本人(ないし家族)の意思に基づいて個別に脳死を以て死亡したものと認めるのである。通常は、臨床的に脳死と判断されてもなお生者であるが、臓器移植法6条3項に基づいて脳死と判定された場合にのみ71)、脳死者は「死亡した者」として扱われ、その身体は「死体」となる72)。そして、この意味で、法改

    正において6条2項から「その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって」という文言を削除すべきではなかったと考える。

    ところで、韓国の臓器移植法21条1項(旧17条)は、「脳死者がこの法律による臓器等の摘出によって死亡した場合には、脳死の原因となった疾病若しくは行為により死亡したものとみなす。」(傍点は引用者)と定めており、脳死を「人の死」とは認めていない、すなわち心臓死一元説を採るものと解することができる。韓国においても、脳死の法的地位について心臓死説に基づく違法性阻却説と、臓器移植の場合にのみ脳死説を認める機能的脳死説とが主張されているという73)。しかし、「脳死者の死亡時刻は脳死判定委員会が第18条第2項に従って脳

    69) ドイツ

    70) また、「臓器を得るためにドナーが殺されてはならない」というデッド・ドナー・ルール(Dead Donor Rule)にも抵触する。

    71) 尤も、現行の脳死判定基準に疑問があることは、既述のとおりである。72) この場合の死亡時刻は、「脳死判定の観察時間経過後の不可逆性の確認時(第2回目の検査終

    了時)」である(ガイドライン第9)。

    73) 趙晟容「厚生科学研究報告書(平成11年度)・臓器移植の法的事項に関する研究(3)――韓国の臓器移植法の脳死の法的地位と死体臓器摘出要件――」町野=長井=山本(編)・前掲注(16)59頁。これに対して、趙炳宣・前掲注(26)80頁は、同法は脳死者を「生きている者と死亡した者の中間段階に位置づけた」とする。Vgl. auch Ho-No Joo, Anm. 26, S. 59ff.

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    死判定をした時刻とする。」との規定が新たに追加されたことで(21条2項)、後者の見解により接近したと解することもできよう。

    さて、このように場面に応じて死の概念を相対化することに対しては、「目的に従属して人の生死が決定されるとすることであり、その重みを理解しないものである」74)、「『同意』の存否により『人間の尊厳』の基礎となる生命権保障に差異を認けるゆえに、憲法13条・14条等に反する疑いが強い〔原文ママ〕」75)との批判がある。しかし、医学的に治癒の見込みがなく、医師にそれ以上の生命維持治療を義務付けることが妥当でない段階に至っては、患者本人に、自らの「死に時」を決定する余地を認めることができるのではなかろうか76)。確かに、生命

    の保護に質的・量的差異を設けるべきではない。だが、医学的判断による医師の治療義務の消滅を媒介として、生命の保護よりも本人の意思が優先される場面を

    認めることは、必ずしも「人間の尊厳」に反するとは言えない。刑法は202条が同意殺人を処罰するのは、パターナリズムにより死への自己決定権が制約されるからであるが、ここでは、脳死状態による回復不可能性を前提として、本人の自己決定権を前にパターナリズムが後退すると考えられるのである77)。そして、このような理解からは、脳死判定について反対意思表示方式を採用することは許されないことになる。

    そうすると、ここでもやはり、脳死判定に係る家族の意思の性質が問われることになる。すなわち、本人の承諾があっても、家族がこれを拒む場合には脳死判定が行われ得ないこと、並びに、本人の承諾なしに家族の承諾のみに基づいて脳死判定が行われ得ることを如何に解すべきか、という問題である。この点につい

    ては、終末期における治療中止に関する議論が参考になると思われる。日本では、治療の中止が認められる根拠を医師の治療義務の限界と患者の自己決定権に求める見解が有力であり、これらの要素はいずれも単独で治療中止の根拠となり得るとされている78)。先に検討したように、脳死は医師の立場から見た現在の蘇

    74) 町野・前掲注(1)7頁。丸山英二「脳死説に対する若干の疑問」ジュリスト844号(1985年)57頁も参照。

    75) 例えば、長井・前掲注(40)221頁以下。76) 改正後の臓器移植法は、本人の意思が明らかでない場合にも家族の承諾のみに基づいて脳死判

    定を行うことを許容しているが、本稿の立場からは、これには問題がある。詳しくは次章で検討する。

    77) 川口・前掲注(42)431頁、及びKawaguchi, Anm. 16, S. 91f. 参照。

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    生医療における蘇生限界点、すなわち医師がそれ以上の治療義務を負わない時点として理解される。そして、本稿のように脳死選択説を採る場合、臓器移植法に基づいて脳死と判定された後は、単に医師の治療義務が否定されるのではなく、本人は「死亡した者」となり、その身体は「死体」として扱われることになるの

    である。そしてそれゆえに、臓器移植法は自己決定権の理論に基づいて本人の意思を要求しているものと考えられるのである。

    このように理解する場合の難点は、臓器移植法に拠れば「死の時期を選ぶという根本的な決定が、家族の意思によって左右されることになってしま」い、自己

    決定権の見地から死の時点を選択する権利を説明することができない79)、という点である。患者本人が脳死判定に明示的に承諾している場合に、これを家族の拒否によって覆すことを認めるのは(同法6条3項1号)、自己決定権を軽視するもので妥当ではない。臓器移植法は、臓器摘出についても遺族に拒否権を認めているが、この場合には死体についての処分権が問題となるため、必ずしも本人の意思が優先されなければならない訳ではないとも言える。しかし、死の時期の選択については、本人の明示の意思表示があるにも拘わらず、家族の意思を優先させる

    べきでない。

    終末期医療における治療中止に関して、医療に関する決定が求められる時点において患者の現実の意思表示が不可能且つ不明である場合には、家族の意思によって患者の意思を推定することができると考えられている。家族の意思による

    推定が認められるのは、通常、患者のことを最もよく知っていているのはその家

    族であり、患者本人がどのような判断をするかを推測するのに最も適しているからである80)。このことは、臓器摘出を前提とする脳死判定にも当てはまるのではなかろうか81)。臓器移植法は、脳死判定につき意思表示を行う家族に対して、本

    78) 例えば、佐伯仁志「末期医療と患者の意思・家族の意思」樋口範雄編著『ケーススタディ生命倫理と法』(2004年)70頁。いわゆる川崎協同病院事件第一審判決(横浜地裁平成17年3月25日判決・判タ1185号114頁)の立場も同様である。辰井聡子「治療不開始/中止行為の刑法的評価――「治療行為」としての正当化の試み」法学研究86号(2009年)76頁以下も参照。

    79) 井田良「生命維持治療の限界と刑法」町野=長井=山本(編)・前掲注(16)(初出:法曹時報51巻2号(1999年))266頁。

    80) 例えば、佐伯・前掲注(78)71頁以下。81) 辰井・前掲注(78)82頁は、治療不開始/中止行為については意思の推定が認められなければ

    ならないが、「生きるか死ぬかが問題であるなら、……『疑わしきは生命の利益に』という方

    針をとることが可能であるし、そうすることが妥当であろう」とする。

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    人の意思を推定することを明示的には要求していない。しかし、本人が脳死判定を受け入れる意思がないことを表示している場合には、脳死判定を行うことは許されない(同法6条3項2号)。このことから、同法は家族に対して自由に脳死判定の可否を決定することを認めているのではなく、あくまでも本人の意思を尊重し

    た上で決定することを求めていると解されるのである。立法的には、家族による

    本人意思の推定に関する規定を置くことが望ましい。

    おわりに

    以上の検討から、2009(平成21)年の臓器移植法は、「人の死」の一般的定義を変更するものではないことが明らかになった。三徴候説による従来の死の定義は「慣習法的な法概念であって、その変更は立法によることを必要とする」82)。臓器移植法が死体からの臓器摘出・移植というごく限られた場合のみを扱う法律であることに鑑みれば、同法6条2項乃至3項を如何に解するかに関わらず、同法が民法や刑法をさしおいて一般的な死を定義すべきではない。同法も当然に心臓死を人の死としつつ、臓器提供を前提とする場面においてのみ終末期における自己決定権を根拠に脳死を以て死亡したことを認める特別法に過ぎないのである。

    法改正によって脳死下での臓器提供者数は増加したものの、その後は横ばい状態である83)。その原因はいくつか考えられるが84)、その一つとして、脳死基準及びその判定に対する国民の不安感・不信感を払拭する試みが不足していることが挙げられよう。適切な情報提供無しに、国民の間に脳死及び臓器提供に対する理解が進むとは考えられない。現行の脳死判定基準に対しては、上述のように、人の身体を統合する「脳の全体としての機能」の消失を必ずしも確認し得ていないのではないかという疑念も存在する。判定基準の見直しも含め、移植医療を推進しようとする厚生労働省及び移植医療関係者には、脳死についての国民に対する

    82) 金沢・前掲注(61)2頁。83) 7月に改正法が施行された2010(平成22)年は32名(心臓死後は81名)、2011(平成23) 年

    は44名(68名)、2012(平成24)年は45名(65名)である。

    84) 例えば、古川・前掲注(12)21頁に拠れば、臓器提供推進に関する専門家が不足していること、臓器提供施設のスタッフへの教育システムが確立していないこと等が指摘されているという。

  • 一原 亜貴子: 日本における改正臓器移植法の成立と人の「死」について

    - 25 -

    十分な説明が求められる85)。 なお、本稿では、法改正により変更された臓器摘出に関する意思要件、小児か

    らの臓器摘出、親族への優先提供といった重要な問題を検討することができなかった。これらについては、稿を改めて論じることにしたい。

    (本稿は、平成24年度財団法人ウエスコ学術振興財団助成金による研究成果の一部である。)

    투고일: 2013. 06. 01 심사일: 2013. 06. 08 게재확정일: 2013. 06. 11

    85) ドイツにおける状況について、グンナール・ドゥトゥケ/山中友理(訳)「ドイツにおける死体からの臓器移植に関する最新の議論」刑事法ジャーナル34号(2012年)87頁以下参照。

  • 의생명과학과 법 제9권

    - 26 -

    参 考 文 献

    金沢文雄「死の判定をめぐって――法律上の立場から――」判例タイムズ233号(1969年)2頁

    唄孝一「脳死と民法(上)」ジュリスト828号(1985年)57頁丸山英二「脳死説に対する若干の疑問」ジュリスト844号(1985年)51頁斉藤誠二「刑法における『死』の概念と脳死説(上)――最近のヨーロッパの動き

    をふまえて――」ジュリスト853号(1986年)78頁、「刑法における『死』の概念と脳死説(下)――最近のヨーロッパの動きをふまえて――」ジュリスト854号(1986年)88頁

    関哲夫「死の概念と脳死説」早稲田法学61巻2号(1986年)17頁川口浩一「臓器移植法における提供者の同意要件について」大阪市立大学法学雑

    誌36巻3・4号(1990年)421頁臨時脳死及び臓器移植調査会「脳死及び臓器移植に関する重要事項について(答

    申)平成4年1月22日」ジュリスト1001号(1992年)34頁伊東研祐「『死』の概念」ジュリスト1121号(1997年)39頁井田良「臓器移植法と死の概念」法学研究(慶應義塾大学法学研究会)70巻12号

    (1997年)199頁

    井田良「脳死説の再検討」町野朔=長井圓=山本輝之(編)『臓器移植法改正の論点』(信山社、2004年)249頁(初出:『西原春夫先生古希祝賀論文

    集第3巻』(成文堂、1998年))アルビン・エーザー、長井圓・井田良(共訳)「ドイツの新臓器移植法(上)」

    ジュリスト1138号(1998年)87頁、「ドイツの新臓器移植法(下)」ジュリスト1140号(1998年)125頁(町野朔=長井圓=山本輝之(編)『臓器移植法改正の論点』(信山社、2004年)所収)

    石原明「死の概念――新臓器移植法擁護論――」刑法雑誌38巻2号(1999年)195頁長井圓「臓器移植法をめぐる生命の法的保護――脳死一元論の立場から――」町野朔

    =長井圓=山本輝之(編)『臓器移植法改正の論点』(信山社、2004年)218頁(初出:刑法雑誌38巻2号(1999年))

    山本輝之「臓器提供権者と提供意思――意思表示方式と承諾意思――」町野朔=長井

  • 一原 亜貴子: 日本における改正臓器移植法の成立と人の「死」について

    - 27 -

    圓=山本輝之(編)『臓器移植法改正の論点』(信山社、2004年)234頁(初出:刑法雑誌38巻2号(1999年))

    井田良「生命維持治療の限界と刑法」町野朔=長井圓=山本輝之(編)『臓器移植法改正の論点』(信山社、2004年(初出:法曹時報51巻2号(1999年))

    星野一正「第一回移植経過を踏まえ、臓器移植法施行三年後の見直しのための提言」時の法令1590号(1999年)69頁

    松宮孝明「臓器移植法の問題点とその見直しにむけて」『刑事法学の潮流と展望―大野真義先生古稀祝賀』(世界思想社、2000年)409頁

    宮崎真由「『死者の人格権』の可能性――臓器移植法改正に向けて」現代文明学研究4号(2001年)195頁

    城下裕二「臓器移植における『提供意思』について」『内田文昭先生古稀祝賀論文集』(青林書院、2002年)45頁

    趙炳宣「日本と韓国の臓器移植法に関する比較法的考察」関東学園大学法学紀要24号(2002年)53頁

    趙炳宣「韓国の臓器移植法に関する比較法的考察」姫路法学(姫路獨協大学)36号(2003年)142頁

    大島伸一「臓器移植法の6年――臨床面から振りかえる」ジュリスト1264号(2004年)6頁

    井田良「脳死と臓器移植法をめぐる最近の法的諸問題」ジュリスト1264号(2004年)12頁

    佐藤雄一郎「提供意思――提供先の指定および本人に能力がない場合の提供について」ジュリスト1264号(2004年)22頁

    小中節子「コーディネーターから見た臓器移植法の6年」ジュリスト1264号(2004年)28頁

    佐伯仁志「末期医療と患者の意思・家族の意思」樋口範雄編著『ケーススタディ生命倫理と法〔第2版〕』(有斐閣、2012年)86頁

    趙晟容「厚生科学研究報告書(平成11年度)・臓器移植の法的事項に関する研究(3)――韓国の臓器移植法の脳死の法的地位と死体臓器摘出要件――」町野朔=長井圓=山本輝之(編)『臓器移植法改正の論点』(信山社、

  • 의생명과학과 법 제9권

    - 28 -

    2004年)52頁

    芝﨑文一「『脳死』と人の死」政経論叢(明治大学政治経済研究所)75巻1・2号(2006年)137頁

    児玉聡「近年の米国における死の定義をめぐる論争」生命倫理18巻1号(2008年)39頁

    松宮孝明「2009年脳死・臓器移植法改正を批判する」法律時報81巻11号(2009年)1頁

    辰井聡子「治療不開始/中止行為の刑法的評価――「治療行為」としての正当化の試み」明治学院大学法学研究86号(2009年)57頁

    洪賢秀「《時評》改正臓器移植法・親族優先提供はどうなるか~韓国の経験に学ぶ」東京財団政策研究提言プロジェクト「生命倫理の土台づくり」レポート(2009年)http://www.tkfd.or.jp/research/project/news.php?id=517(2013年5月16日現在)

    町野朔「臓器移植法の展開」刑事法ジャーナル20号(2010年)2頁城下裕二「改正臓器移植法の成立と課題」刑事法ジャーナル20号(2010年)11頁古川俊治「臓器移植法の改正と医療現場」刑事法ジャーナル20号(2010年)18頁甲斐克則「改正臓器移植法の施行とその後」法学セミナー672号(2010年)34頁井田良「改正臓器移植法における死」日本臨床68巻12号(2010年)2223頁五十子敬子「意思決定の自由――死をめぐる自己決定について――」憲法論叢17号

    (2010年)1頁

    山﨑亮「脳死論の現在――臓器移植法の改定をめぐって」社会文化論集(島根大学法文学部紀要社会文化学科編)7号(2011年)145頁

    グンナール・ドゥトゥケ/山中友理(訳)「ドイツにおける死体からの臓器移植に関する最新の議論」刑事法ジャーナル34号(2012年)79頁

    Erwin Deutsch, Das Transplantationsgesetz vom 5. 11. 1997, NJW 1998,

    S. 777ff.

    Hirokazu Kawaguchi, Strafrechtliche Probleme der Organtransplantation in

    Japan, 2000

    Makoto Ida, Strafrechtliche Probleme der Todesbestimmung in Japan, in:

    Hirokazu Kawaguchi/ Kurt Seelmann (Hrsg.), Rechtliche und

  • 一原 亜貴子: 日本における改正臓器移植法の成立と人の「死」について

    - 29 -

    ethische Fragen der Transplantationsthechnologie in einem

    interkulturellen Vergleich, 2003, S. 107ff.

    Ho-No Joo, Organtransplantation und Strafrecht - Eine vergleichende

    Untersuchung zwischen deutschem und koreanischem

    Transplantationsgesetz -, 2004

    Byung-Sun Cho, Die Organtransplantation im Spannungsfeld von Medizin,

    Ethik und Strafrecht in Korea, in: Menschengerechtes Strafrecht :

    Festschrift für Albin Eser zum 70. Geburtstag, 2005, S. 1071ff.

    Ulrich Schroth, Die postmortale Organ- und Gewebespende, in: Claus

    Roxin/ Ulrich Schroth (Hrsg.), Handbuch des Meizinstrafrechts, 4.

    Aufl., 2010, S. 444ff.

    Sabine Müller, Wie tot sind Hirntote?, APuZ 20-21/2011, S. 3ff.

    Yuri Yamanaka, Warum ist die Organentnahme in Japan so schwierig?

    Bemerkungen zum japanischen Organtransplantationsgesetz, in:

    Festschrift für Claus Roxin zum 80. Geburtstag, Bd. 2, 2011, S.

    1623ff.

    Akiko Ichihara, Das Recht der Transplantationsmedizin in Japan -

    Aktuelle Entwicklungen, MedR 2012, S.500ff.

    韓国法の翻訳:水野邦彦(訳)「臓器等移植に関する法律」医療と倫理3号(2001年)108頁

    (1999年一部改正までを反映)

    水野邦彦(訳)「臓器等の移植に関する法律施行規則」「臓器等の移植に関する法律施行令」医療と倫理5号(2005年)63頁

    趙晟容(訳)「臓器等の移植に関する法律」町野朔=長井圓=山本輝之(編)『臓器移植法改正の論点』(信山社、2004年)70頁(2002年一部改正までを反映)

    Key Words

    organ transplantation, definition of death, brain death,

    revising the japanese Organ Transplantaion Act, organ harvesting.

  • 의생명과학과 법 제9권

    - 30 -

    [국문초록]

    일본에서 개정장기이식법의 성립과 인간의 ⌜사망⌟에 대해

    이치하라 아키코

    2009년(평성21) 일본 장기이식법개정의 주요한 특징은 첫 번째로 제6조제2

    항의 「뇌사자의 신체」의 정의에서 이식술을 위한 장기적출이 행해진 자라는

    전제를 삭제한 것, 두 번째로 뇌사판정 및 장기적출에 관하여 본인의 서면에

    의한 의사표시가 없는 경우에도 가족의 동의만으로 뇌사 판정 및 장기적출이

    가능하게 된 것, 세 번째로 친족에게 우선제공의 의사표시가 인정되어진 것이

    다.

    첫 번째 및 두 번째의 특징과 관련하여, 동법은 뇌사를 「사람의 죽음」으

    로 인정했다고 해석하는 입장도 적지 않지만, 제6조제3항은 한편으로 뇌사판정

    의 가부를 본인 및 그 친족의 의사에 의존시키고 있는 등, 동법은 또 종래의

    삼징후사와 뇌사라는 2개의 죽음을 인정하고 있다고도 해석할 수 있다.

    법적인 「죽음」은 삶에서 죽음으로의 잠시적인 과정 중에 있는 시점으로써

    사람 개체로써의 죽음으로 인정해야 한다. 이에 대하여 현재의 뇌사는 의사의

    입장에서 본 현재의 소생의료에서 소생한계점, 바꾸어 말하면 의사가 그 이상

    의 치료의무를 부담하지 않는 시점을 가리키는 것으로 파악해야 한다. 최근에

    뇌가 신체에서 유기적통합성의 중핵기관이 아니라는 가능성이 시사되는 등, 뇌

    사설의 전제가 흔들리고 있다.

    또 현행의 뇌사판정기준에도 의문이 들고 있다. 적어도 뇌가 신체의 통합성

    의 중핵기관이다고 단언할 수 없는 현 시점에서는 법적인 사람의 죽음은 또 삼

    징후를 기준으로 해야만 한다.

    개정 장기이식법도 뇌사를 일률적으로 사람의 죽음으로 규정했던 것이 아니

    라, 이식술을 전제로 하는 장기적출의 경우에만, (전)뇌사를 사람의 사망으로

    인정한 것에 지나지 않는다.

    형법 제202조는 동의살인을 처벌하고 있지만, 장기이식법의 뇌사판정의 경

  • 一原 亜貴子: 日本における改正臓器移植法の成立と人の「死」について

    - 31 -

    우에는 「뇌사」라는 의사의 치료의무의 한계시점을 객관적 기준으로 해서 온

    정주의에 의한 생명보호보다도 본인의 죽음에 대한 자기결정이 우선되어지고

    있다.

    주 제 어

    장기적출, 죽음의 정의, 뇌사, 일본의 장기이식법개정, 장기이식.

  • - 33 -

    원광대학교 법학연구소

    의생명과학과 법 제9권 (2013. 06)

    의료과오소송에서의 증명방해이론

    - 증명방해의 소송상 제재의 근거와 효과를 중심으로 -

    Theory of Hindrance to Evidence Proving

    in Medical Malpractice Litigation

    - Focusing on Basis and Effect of Judicial Punishment

    on Hindrance to Evidence Proving -

    86)이 정 환*

    Lee, Jeong-Hawn

    ≪ 목 차 ≫ Ⅰ. 서 론 Ⅱ. 증명방해의 소송상 제재의 근거(이론구성) Ⅲ. 증명방해의 효과 Ⅳ. 결 론

    Ⅰ. 서 론

    1) 의료과오소송이란 그 의미가 정확하게 법정되어 있는 법률적 개념도 아

    니고 이른바 의료사고에서 그 의료행위를 받은 환자측이 “그 사고는 의료상의

    * 법학박사, 서해대학교 부동산컨설팅과 강사. 86)

  • 의생명과학과 법 제9권

    - 34 -

    잘못으로 인하여 생긴 것”이라고 주장하면서 그 의료행위를 한 의료인 등을 상

    대로 손해배상을 구하는 소송이라 할 수 있다.1) 의료과정에서 유해한 결과가

    발생한 경우 그것이 의료과오 때문인지, 불가피한 사정이 있었는지, 의사측이

    단독으로 또는 제약회사 등과 공동으로 책임을 추급당해야 할 것인지, 또 책임

    의 범위를 어떻게 정할 것인지 등의 문제를 둘러싸고 일어나는 의사측과 환자

    측과의 의료분쟁이 재판상 절차로 다투어질 때 의료과오소송이 된다.2)

    이러한 의료과오소송은 일반손해배상소송과는 다르게 의료과오를 빚은 객관

    적 사실자체의 제현이 곤란하여 그 객관적 사실의 존재에 관한 증명이 곤란하

    고, 대부분 가해자인 피고측에 증거가 편재되어 있어 상대방이 협력하지 않으면

    증명이 곤란한 것이 보통이다.3) 이러한 증명의 곤란은 의료행위자체의 특성4)으

    로부터 초래 된다고 할 것이다. 특히, 의료행위의 재량성(과실의 측면에서의 치

    료방침의 선택의 결정권)이나 개체반응의 다양성(인과관계의 측면에서의 환자의

    정신적·심리적 요소의 작용) 등은 의료과오의 존재를 증명함에 있어서 장애가

    되고 있다.5)

    따라서 이러한 의료과오소송에 일반적인 증명책임분배이론을 적용하는 것은

    의료과오의 청구원인을 불법행위로 구성하든 또는 채무불이행으로 구성하든 모

    두 원고인 환자측에게 증명곤란의 불이익을 일방적으로 부담시키는 결과가 될

    수 있을 것이므로6) 의료과오소송의 실질에 맞게 수정할 필요성이 있다.

    1) 임좌혁, “醫療過誤訴訟에 있어서 立證責任에 관한 硏究”, 배제대학교박사학위논문, 2006,

    19~20면.

    2) 加藤一郞, 「不法行爲法の硏究」, 有斐閣, 1983, 9면(의료과오소송의 법적 구성방법으로는

    의료계약으로 인한 채무불이행과 불법행위가 모두 가능한데, 종래에는 불법원인을 청구원인

    으로 삼는 것이 통례였으나, 최근에 이르러서는 계약책임의 배타적 적용이 유력한 학설로

    재강조되고 있다).

    3) 石井宏治, “證明妨害”, 「裁判實務大系17」, 靑林書院, 1991, 405면.

    4) 의료행위의 특성으로서는 ① 현대의학상 완벽한 정도의 진료가 실시된 경우에도 그 결과의

    달성(완치)이 미필이라는 점, ② 진료에는 신체의 일부에 대한 침습 내지 생체기능의 변화를

    필연적으로 수반하는 위험이 내제하는 점, ③ 진료에 대한 객관적으로도 명확한 행위규준이

    의학상 존재하지 않는 점, ④ 환자의 개체차가 천자만별이며 아직도 미지의 분야가 많은 점

    등이 지적되고 있다(中野貞一郞, “診療債務の不安全履行と證明責任”, 「現代損害賠償法講

    座」(4卷), 有斐閣, 1995, 86면).

    5) 오석락, 「입증책임론」, 박영사, 2002, 167~168면.

    6) 특히, 의료과오소송을 채무불이행으로 구성하는 경우 의료채무는 특별한 경우를 제외하고는

    “결과채무”가 아니라 “수단(배려)채무”이므로 진료계약에 따른 불완전이행의 구체적인 내용

    의 특정은 그 전제로 된 의사의 선관주의의무의 내용에 따라 결정되기 때문에, 결국 증명책

    임부담은 피해자인 환자측에 있는 것이다.

  • 이정환: 의료과오소송에서의 증명방해이론

    - 35 -

    이에 환자측(원고, 피해자)이 부담하게 되는 과실 및 인과관계에 관한 증명

    책임(burden of proof, Beweislast)7)을 완화하기 위한 이론으로 증명책임경감

    론(개연성설, 사실상의 추정이론, 일응의 추정이론), 증명책임전환론, 증명방해론

    등의 적극적인 도입이 논의되고 있는 것이다.8)

    2) 본고에서 논하고자 하는 증명방해(Beweisvereitelung)란 증명책임을 부

    담하지 않는 당사자(증명책임을 부담하는 당사자의 상대방)가 고의·과실에 의하

    여 증명책임을 부담하는 당사자의 증명을 현저히 곤란하게 하거나 불능케 한

    경우에는 사실인정에 있어서 그와 같은 사정이 증명책임을 부담하는 당사자의

    이익으로 조정되어야 한다는 이론이다. 예컨대 의사가 진료기록부 등에 기존의

    기재부분을 훼손하거나 정정하여 당초의 과실을 은폐하려 하거나, 진료기록부

    제출을 교묘히 거부하는 경우 등이다.

    증명방해라는 개념자체는 독일에 있어서 조차도 오랫동안 문헌에서도 소홀

    히 단편적으로만 다루어지다가 1887년 11월 9일 독일 Reich법원이 증명책임을

    부담하고 있는 상대방의 증명을 유책(Schuldhaft)·불가능하게 한 자는 상대방의

    증명책임을 주장할 수 없고 상대방의 주장사실이 진실하지 않다고 하는 것을

    충분히 증명하지 못하는 한 상대방의 주장을 진실한 것으로 인정하여야 한다고

    판시하였다.9) 또한 독일연방최고재판소도 1958년 7월 11일 위 원칙을 승인하

    여 증명책임을 부담하지 않는 당사자가 유책하게 사실을 불명료한 상태에 이르

    게 하였을 때에는 거증에 있어서의 결함은 그 자의 책임으로 돌아간다고 판시

    한10) 이후 본격적으로 문제되기 시작하였다. 독일에서는 위 판결이래 오늘날의

    연방대법원에 이르기까지 일관하여 증명방해에 대하여 소송상의 제재를 가하고

    7) ‘입증책임’ 또는 ‘거증책임’이라고 하는데 국내의 경우는 물론 일본의 경우도 용어는 통일되

    어 있지 않다. 하지만 최근에는 ‘증명책임’이라고 칭하는 경우가 많으므로, 본고에서는 ‘증명

    책임’이라는 용어를 사용하기로 한다. 증명책임의 개념에 관하여 보다 구체적인 내용은 피정

    현, “증명책임의 개념에 관한 검토”, 「원광법학」(제26권3호), 원광대학교법학연구소,

    2010.9, 345~377면.

    8) 이외에도 증명책임을 완화하기 위한 이론으로 역학적 증명이론(강현중, 「민사소송법」, 박

    영사, 2004, 541면), 모색적 증명이론(피정현, “모색적 증명”, 「고시연구」(제26권 제12

    호), 고시연구사, 1999 참조 ; 전병서, 「민사소송법강의」, 법문사, 2003, 524면) 등이 논

    의되고 있다.

    9) RGZ 20, 5.

    10) BGH VersR 1958, 705.

  • 의생명과학과 법 제9권

    - 36 -

    있으며 학설 또한 이러한 판례의 태도에 대하여 긍정적인 입장에서 이론을 전

    개하고 있다.

    우리나라에서도 이러한 증명방해이론이 1970년대부터 논의되기 시작하였

    고, 1995년 3월 10일 대법원판결11)이 의료과오소송과 관련하여 증명방해이론

    을 채택하여 자유로운 심증에 기하여 상대방에게 불이익을 줄 수 있다고 설시

    한 이래 이에 근거한 판례들이 다수 등장하고 �