イギリスにお・ける社会福祉サービス の現状と課題 貧困問題...

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イ ギ リスにお・け る社 会 福祉 サ ー ビス の 現 状 と課 題 貧 困 問題 とPSS形 成をめぐって 1.は じめに イギ リス にお いて,従 来 の福祉サ ー一ビスか ら対人福祉サ ビ ス(Personal SocialServices,以 下PSSと 略 す)へ と用 語 が 置i6ら れ た の は,1968年 のシー一.一 ム報告 においてである。以後,1970年地方 自治体社会サ ー ビス法 に よ り社 会 サ ー ビス 部(SocialServicesDepartment,以 下SSDと 略 す)が 設 立 され た こ とか ら,PSS形 成 とい う新 しい時 代 が到 来 す る。 公 衆 の期 待 は 高 ま り,こ れまで未充足であったニーズが掘 り起 こ され,社 会福祉の一大飛躍 が遂げられたのである。 同様 に ア メ リカで も,1974年の タ イ トルXXに お い て,社 会 保 障 とは別 の対 人 福 祉 サ ー ビス の タ イ トル が設 定 され,公 的扶助か ら分離 され てい る。そ て,わ が国でもこの 「分 離 問 題 」 に関 心 が 寄 せ られ て お り,PSS形 成を社会 福 祉 ニ ー ドの変 化 と対 応 させ て社 会 福 祉 の転 換 を 強 調 す る議 論 も あ る。 この議 論 に よれ ば,社 会福祉は従来救貧対策と結びついて経済的ニードに対 応 して い た の に対 し,現 在 で は経 済 的 ニ ー ドへ の対 応 は所 得 維 持 政 策 に委 ね ら れ,こ の よ うな施 策 を補 充 ・代替する社会福祉政策から,現金給付では対応す ることのできない非経済的ニー ドに対 応 す る普 遍 的 サ ー ビス に焦 点 が 当 て られ 一1一

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Page 1: イギリスにお・ける社会福祉サービス の現状と課題 貧困問題 …...イギリスにおける社会福祉サービスの現状と課題 く3) いたことが原因の一つとなっていた。エイベル・スミスとタウンゼントの調査

イ ギ リスにお・け る社 会 福祉 サ ー ビス

の現 状 と課 題

貧困問題 とPSS形 成をめ ぐって

山 本 隆

1.は じ め に

イ ギ リス に お い て,従 来 の福 祉 サ ー一ビス か ら対 人 福 祉 サ ー ビ ス(Personal

SocialServices,以 下PSSと 略 す)へ と用 語 が 置i6ら れ た の は,1968年

の シ ー一.一 ム報 告 に お い て で あ る。 以 後,1970年 地 方 自治 体 社 会 サ ー ビス 法 に

よ り社 会 サ ー ビス 部(SocialServicesDepartment,以 下SSDと 略 す)が

設 立 され た こ とか ら,PSS形 成 とい う新 しい時 代 が到 来 す る。 公 衆 の期 待 は

高 ま り,こ れ ま で未 充 足 で あ っ た ニ ー ズ が掘 り起 こ され,社 会 福 祉 の一 大 飛 躍

が 遂 げ られ た の で あ る。

同様 に ア メ リカで も,1974年 の タ イ トルXXに お い て,社 会 保 障 とは別 の対

人 福 祉 サ ー ビス の タ イ トル が設 定 され,公 的 扶 助 か ら分離 され て い る。 そ し

て,わ が 国 で もこ の 「分 離 問 題 」 に関 心 が 寄 せ られ て お り,PSS形 成 を社 会

福 祉 ニ ー ドの変 化 と対 応 させ て社 会 福 祉 の転 換 を 強 調 す る議 論 も あ る。

この議 論 に よれ ば,社 会 福 祉 は従 来 救 貧 対 策 と結 び つ い て経 済 的 ニ ー ドに対

応 して い た の に対 し,現 在 で は経 済 的 ニ ー ドへ の対 応 は所 得 維 持 政 策 に委 ね ら

れ,こ の よ うな施 策 を補 充 ・代 替 す る社 会 福 祉 政 策 か ら,現 金 給 付 で は対 応 す

る こ と ので きな い 非経 済的 ニ ー ドに対 応 す る普 遍 的 サ ー ビス に焦 点 が 当 て られ

一1一

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佛教大學大學院研究紀要第15號

るべ きとされている。

小論では,シ ーボーム改革前後のイギリス社会福祉を素材にして,こ のよう

な 「分離体制」,PSS形 成をめ ぐる問題を貧困問題 との関連で考 察 す る。シ

ーボーム報告からパークレイ報告を経て約25年 間の歳月を経た現在,大 量失業

による貧困の増大や犯罪,非 行の多発,麻 薬,ア ルコール中毒,家 庭崩壊,児

童の放任や怠学などによってあらゆる種類のPSSが 一・段と求められている。

経済的ニー ドと分離された福祉サービスが,大 量失業,貧 困の深 化 の状 況下

で,果 して有効に機能 しえているのであろうか。こうした問いに,試 論の形で

検討 していきたい。

2.ソ ーシャル ・ポ リシーの展 開1964-1970年

「貧 困の再発 見」 と児童貧困問題へ の対応

戦後20年 間,「 福祉国家」の下で除去 されたと信 じられていたイギ リスの貧

困は,1965年 に再発見された。同年にエイベル ・ス ミスとタウンゼントの 『貧

困者と極貧者』(ThePoorandthePoorest)が 出版 され,公 的扶助基準以

下 の所得で生活 している人hの 数が1950年 代の問に減少するどころか,増 大 し

ていた事実が立証されたのである。

彼 らの調査研究によれば,1953,54年 から1960年 にかけて,貧 困世帯及び貧

困人口のいずれにおいても,そ の比率が大幅に増大 していた。彼らは貧困基準

の判定に際 して,国 民扶助(当 時)基 準に住居費を加えた金額 の140%未 満を(1」

貧 困 層 とみ な し,こ の定 義 に従 っ て1953,54年 時 点 で は家 族 消 費 調査 の各世 帯

の支 出 を,ま た1960年 時 点 で は所 得 を用 い て,貧 困 水 準 の世 帯 数 また は人 口を

算 出,比 較 して い る。 それ に よる と1953,54年 で世 帯 の10.1%,人 口 の7.8%,<2)

1960年 では17,9%と14.2%が それに当たるとした。ラウン トリーの研究では,

貧困人口は2%に 満たなかったのに対 し,彼 らの調査結果は予想をはるかに越

える多数の貧困者がイギリスに存在することを示 したのである。特に,家 族人

員の多い世帯に貧困が多 くみられたが,こ れは児童手当が低額 に据えおかれて

一2一

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イギリスにおける社会福祉サービスの現状と課題

く3)いたことが原因の一つ となっていた。エイベル ・ス ミス とタウンゼントの調査

研究で重要な点は,そ れまで貧困の調査研究において主として老人の貧困に関

心が集中 していたのに対 し,彼 らの調査では低消費世帯人口の34.6%が フルタ

イムの労働者世帯に よって占められていることが新たに立証された こ とで あ(4)るQ

こ う して,エ イ ベ ル ・ス ミス とタ ウ ンゼ ン トの 調査 結果 で は,公 的扶 助 基 準

の140%未 満 の貧 困層 は,1960年 時 点 で約750万 人 に 達 して お り,そ の 中 で も約

C5)

225万 人は16才 未満の児童であったことが明らかにされた。こうした驚 くべ き

数字の背景には,有 子世帯の最低生活が営めないほ どの低賃金が広 範 に存 在

し,ま た家族手当も低額に据えおかれたままとい う厳 しい事情があった。

この ように して,彼 らの研究では,老 人の貧困問題 と並 ん で 「児童貧困」

(ChildPoverty)の 深刻さが提起されたのであるが,そ れはとりもなおさず

低賃金世帯の児童の貧困問題でもあった。父母がフルタイムで就労 している場

合には,た とxそ の収入が公的扶助水準を下回っていても公的扶助を受けるこ

とがで きず,ま たその父母が失業等のために公的扶助を受けるようになった場

合でも,1975年 まではウェイジ ・ス トップによってその扶助額は就労中の所得

水準をxる ことができなかったのは周知の通 りである。このような児童貧困

闘題への対応策の一つは,ベ ヴァリッジが構想 したような児童 の生活を維持す

るに足る家族手当制度を改めて確立することであった。ただ子供一人の世帯の

低賃金に よる貧困も明らかにされてお り,新 しい児童手当制度の提案は第一子

をもその対象として含める必要があった。

そ こでエイベル ・ス ミス とタウンゼントなどのティトマス ・グル ー プ は,

1965年 に社会保障の充実を求める運動体である児童貧困行動グループ(ChiId

PovertyActionGroup,CPAG)を 結成 し,先 の 『貧困者 と極貧者』 の出

版をもって児童貧困キャンペーンを展開していった。こうして児童貧困とい う

事実を突 きつけられたウィルソン労働党政権にとって,家 族手当の引き上げを

これ以上引き延ばしてお くことは不可能な情勢 となってい く。ついに,労 働党

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佛教大學大學院研究紀要第15號

政府によって,1967年 から68年にかけて,56年 以来据えおかれていた家族手当

額が改定され,給 付額は従来の2倍 に増額 された。以下,児 童手当制度の改定

の動きをみてみると,ま ず67年10月,多 子家族を対象に給付額が引 き上 げ ら

れ,第 四子以降の児童について一人当た り25ペンスが増額 され75ペ ンスとなっ

ている。ついで68年4月 の改定では,第 二子及び第三子につき一人当た り35ペ

ンス増額され,第 四子以降についてはさらに10ペ ンスが引き上げられた。

しか し注 目しておかなければならない点は,こ うした家族手当額の引き上げ

がなされると同時に 「財政法」(FinanceAct)が 改正され,児 童扶養控除の

引き下げが代わ りとして実施されたことである。 これは,家 族手当の増額に要

した費用を,児 童扶養控除の引 き下げによる所得税増税によって国 庫 に 回 収

し,費 用負担を軽減 しつつ,家 族手当の効果を有子低所得層に限定 しようとす

る独 自な政策であった。このように,一 度給付 したものに租税を課 して国庫に

回収する方式はクロー・ミック(Claw-back)と 呼ばれたが,こ れにより1968年

4月 の改定では,家 族手当の対象となる児童一人につき児童扶養控除額が36ポ

ン ド削減され,利 益が非納税者に限定 されたのである。さらに,同 年10月 に家

族手当は一一律に15ペ ソス増額 されたが,翌69年4月 に児童扶養控除も6ポ ン ド

引 き下げられた。

結局のところ,1968年 から69年にかけて,家 族手当は児童一人につき年額26・

ポ ンド引 き上げられたのに対 し,児 童扶養控除は42ポ ン ド引き下げられたので

ある。総 じて,1968年 の場合家族手当の増額に1億8千 万ポン ドの追加支出が

なされ,こ れに対 し所得税増税の形で1億3千3百 万ポン ドが国庫に回収され

鍵1加 うるに,政 府は学校給食 と福祉 ミルクの料金,甌 保健サぜ スの記

負担額,国 民保険料の引き上げなどを断行 し,こ の結果家族手当の増額分は全

く意味のないものとなったのである。

このようYY,政 府は家族手当の増額分を所得税を引き上げることによって国

庫に回収し,支 出増を相殺 しながら家族手当の効果を有子低所得層のみに限定

しようとした。このクローバ ック方式が,児 童を有する家庭の貧困の解消策と

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イギリスにおける社会福祉サービスの現状と課題

して,満 足 しうる結果をもたらさなかったのは当然であった。以上が児童貧困

問題をめぐる政策対応の動きであった。

次に,当 時の労働党の政策を評価 してみたい。国際収支の悪化,イ ンフレー

ション,労 使関係の悪化,国 際競争力の低下など多難な課題を抱えて,1964年

にウィルソン政権が発足 した。 こうした厳 しい経済情勢の下で労働党政府は革

新的,抜 本的な政策に踏みこめず,前 任の保守党政策を修正す るにとどまり,

む しろ所得政策の採用により賃金凍結を断行するなど,強 引に経済成長を図ろ

うとした・ これが 「生産性向上」(Productivity・deal)政 策 となってい く。社

会保障制度の改正についても,労 働党政権は所得保障の完全実施は莫大な支出

を要するとのことから,1966年 に従来の国民扶助を補足給付に統合改変 して給

付のアクセスを容易にさせたものの,選 別主義に基づく政策を変更 しようとば

しなかった。

また,児 童手当に関しても,普 遍的な児童給付制度には多額の費用が見込ま

れるため,前 述のように極めて消極的な対応 しか示 さず,こ の問題は1970年 に

政権に復帰する保守党内閣による家族所得補足制度の実施によって新たな局面

を迎えることになる。このようにして,国 際収支の悪化に伴 う経済的苦境は,

労働党に産業政策優先を選択 させ,貧 困問題に対する抜本的な政策をお し進め

る途を歩 ませなかったのである。

3.ソ ーシャル ・ポ リシーの展 開1970-1979年

ソーシ ャル ・サ ー ビスの拡大 と抑 制

(1)家 族所得補足制度をめ ぐる問題点

1970年,政 権の座に返 り咲いた保守党はクローバ ックを伴 う家族手当制度と

は異なる新しい政策を盛 りこんだ法案を議会に提出し,同 年12月 に立 法 化 し

た。 これが家族所得補足(FamilyIncomeSupPlement,以 下FISと 略す)

制度であ り,翌71年8月 から実施された。FISは 負の所得税制度であるタッ

クス ・クレジットの導入を予定 し,フ ル ・タイムの就労者世帯を対象 とした。

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一その内容は厳 しい所得制限の下に,夫 と妻の総収入 と家族手当の合計額をその

凾家族 の子供 の人数で変動する一定基準額から差 し引いた額の半分を給付すると

いう負の所得税制度の仕組になっていた。,

FISは 児童手当の一種 というよりは,補 足給付を補完す る制度 とも考}xら

.れ,ま た賃金補助の性格 も有 していた。この意味は重要であり,こ のことをも

ってこの制度が1975年 のスピーナムランド制度のカムバ ックであるとの批判が

鱶 実施当初になされ哭涙 際,FISに よって被攤 贍 覯 役蠣 者にま

で拡大 され,貧 困,低 賃金問題が社会福祉の領域である被救恤民問題にす りか

xら 泌 という側面蝣 ってい鴇 事実,低 飴 労瀦 の錮 は・96・年以来激

増 し,補 足給付基準以下の所得者は1971年350万 人で,1966年 より実に100万 人

も増加 している。また貧困状態に陥っている有子世帯の数は・年々増加の傾向

を辿ってお り,補 足給付水準以下にある極貧の有子世帯数は1974年 の約11万 世

帯 から,76年 には二倍の約23万世帯へと急増 していたのである。 これを児童数くの

でみてみると,約26万 人か ら50万人への増加 となっている。このように・1970

年代後半において有子世帯の貧困化が一層顕著 となったが,そ の中で低所得勤

労 世帯は租税負担の増大 と児童援助額の相対的低下により,大 きな経済的打撃

をこうむっていた。また,単 親家庭及び失業世帯の増加 も,有 子世帯の貧困化

とい う現象をさらに促進させていたのである。

このように,家 族手当やFISの 存在にもかかわらず,多 子世帯に貧困者が

多 くみられたのはなぜであろうか。それは,支 給 される児童手当が必要生活費

の一部分 しか補充 されない少額であること,ま たFISも もともと基準額 とな

る子供の必要生活費を低 く見積 り,し かもその基準額 と実際の収入額 との差額

の 半分しか手当として支給 しないとい う極めて受給者にとってryし い制度にな

っているところに原因があったからである。

しか し,問 題の本質は低賃金にあり,低 賃金問題こそが是正され ね ば なち

'ず,こ れが児童手当,家 族サービスなどの諸施策にす りかえられていた点を見

てお く必要がある。 しかるに,低 賃金の問題に対する実際の対応は,低 賃金や

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イギリスにおける社会福祉サービスの現状と課題

賃金の大幅な格差そのものが取 り上げられるのではな く,む しろ最低生活が維

持できないような人 々に対 して,事 後的 ・個別的な給付,サ ービスが実施 され

るにすぎなかった。現在においても,全 国的な最低賃金制の導入に対する政府

の姿勢は消極的であ り,全 国一律最低賃金制は実施されていない。

こうした中にあって,1974年 に再度政権に就いた労働党政府は,第 一子をも

含めた全ての児童を対象 とする児童給付制度(ChildBenefitScheme)の 確

立を目指 し,翌1975年 に児童給付法を制定 した。この児童給付制度には,児 童

扶養控除の段階的な廃止が織 りこまれてお り,こ こにおいて初めて児童給付制

度が完全 に実施されることになった。こうして第二子以降を対象として戦後発

足 した家族手当制度は,1979年 には全児童を対象 とす る児童給付制度へと改編

されたのであった。振 り返 って,「 福祉国家」の下で完全な児童手当が実現 ざ

れるのに実に30数年の月日を要 したのである。

(2)「リカー ド現象」 とソーシャル ・ポ リシー

近年 のイギ リスの社会問題の底流に,ME革 命と呼ぼれる,生 産性の向上一一

コス ト削減を 目指す技術革新の社会的影響があるのを見落とすわけにはいかな

い。70年 代初頭のこの国の社会経済事情では,産 業雇用の減少とソーシャル ・

サービスの増大が特徴であったが,こ れも 「生産性向上」,「技術革新,合 理

化」によってもたらされた失業問題への対応であったのである。1960年 代から

生産のオー トメーション化が導入され,ME革 命の進行により生産性向上が達

成 されると共に失業率は高い数字を示 し始めた。労働 の広範な 「振 り落 とし」

(Shakeout)が 行われたのである。そ して1960年 代後半には,失 業者は50万'

人を突破 してお り,イ ギ リス政府にとって大群の失業者を如何に処理するかが.

最大の政治課題 となっていた。新技術の導入は,生 産高の増大 よりはむしろ人

件費を節約するためのものであ り,生 産高は漸増,生 産性は着実な伸びを示 し

つつ,適 合性を欠 く高齢者 と若者の間で失業者を増大 させ始めてい た の で あ,

る。B・ ジョーダンは,生 産性向上 と静態的生産 とい う状況を 「リカ ー ド現C10)象

」(RicardoPhenomenon)と 呼 ん で い る 。

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佛教大學大 學院研究紀要 第15號

図1.対 ソーシ ャル ・サー ビス政府総支 出

単位百万ポンド

(一九七五年の物価水準)

i

1

,117

097

363

,573

79

19711973ユ9751978

(出 所)BillJordan,AutomaticPoverty,oP・cit・,P127

このように,こ の時期の真に重要な問題は,低 所得家族であ り,技 術的失業

の始まりであった と言xよ う。この点は,シ ーボーム改革以降の社会福祉サー

ビスの動向との関連でも,留 意 しておく必要がある。 図1か ら明らかな よ う

に,1970年 代におけるイギリスのソーシャル ・ポ リシーの大 きな特徴は,ソ ー

シャル ・サービス支出の急激な拡大 と.75年 以降の拡大抑制とい う対称的な取

り組みである。事実,社 会サービスの拡大は 「リカー ド現象」への対応であっ

允。

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イギリスにおける社会福祉サービスの現状と課題

犠 保守党政府は 「リカー ド現象」により生 じたニーズを満たすために,ミ ーン

ズ ・テス トを伴 う給付 とサービス という最 も安上が りの施策でサービス拡大を

・図る途を取った。前節で述べたFISが その典型的な施策の一つであることは

・指摘するまでもないであろう。ピース保守党政権は,最 初は賃金を抑制 し,市

場 拡大が鈍化 したことに対応 して産業の合理化を促進し,引 き締め政策を選択

した。 しか し,現 に行われた合理化は,競 争力を回復させるには不十分なもの

であった し,し かも経済の相当な停滞 とい う犠牲を払 って初めて達成 されたの

である。

そこで,同 政権はUタ ーンを行い,景 気拡大策に乗 り出した。市場の諸力に

任せる度合いを減 らし,経 済への政府介入を強めたのである。・こうして,1971

年と75年 の間に急速にソーシャル ・サービスの支出が拡大 したが,そ の最大の

理由はイギリスの失業問題 とそれに対する政府の対応であった。ピース政権は

失業を緩和 しようとする際にソーシャル ・サービス部門で低賃金の雇用を進めくエわ

ているが,正 にこうした雇用の拡大は公共支出を通して経済の リフレーション

を図るとい うケインズ政策と一致するのである。

それは正に異常に高まる失業率への対応であった。しかし,1975年 以降 この

拡 大基調は終わ りを告げる。 というのも75年以降,経 済不振の阻止を目指す労

働党政権下で,資 本計画や賃金支払いの削減等を通 して,ソ ーシャル ・サービ

ス支出の削減が断行 されたからである。労働党政権はソーシャル ・サービスの

・抑制を図 り,生 産的産業の成長を促進 しようとした。特に資本計画を中心 とす

る支出を削減 し,福 祉労働者の削減を行 ったのである。しかし,皮 肉なことに

これらの政策や削減の結果は失業率のさらなる悪化 とい う事態であった。 こう

して,ユ970年 代にみられたソーシャル ・サービスの保守党による拡大 と労働党

に よる抑制とい うコントラス トは,苦 境に立つイギ リスの経済情勢を反映 した

・ものであったと言えよう。

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佛教大學大學院研究紀要第15號

4.貧 困問題 とソーシャル ・ワーク

(1)シーボーム改革以降の動向

イギリスの社会福祉において,PSSが 形成されるのは1968年 のシーボーん

報告以降のことである。 シーボーム改革は1970年 地方自治体社会サービス 法

(LocalAuthoritySocialServicesAct,1970)に よって実現化され・社会サ

ービス委員会の下で社会サービス部長をヘッ ドとする社会サービス部(Sociar

ServicesDepartment,以 下SSDと 略す)が 新たに設立された。このSSD

の下でニーズが明確にされ,そ れに応ずるための社会資源が獲得できるように

なった。周知め通 り,SSD設 置により,従 来地方自治体諸福祉部によって供

給 された各種の社会福祉サービスが統合化され,PSS形 成 という新 しい時代

の幕開きとなる。公衆の期待は高ま り,こ れまで未充足 となっていたニーズ1・

掘 り起こされるようにな り,社 会福祉の一大飛躍が遂げられたのである。この

機構改革により,地 方 自治体のPSSに 対する支出は急激に増大し始める。社

会福祉関係予算は,制 度発足か ら実質3力 年に,年 率平均14%の 伸びで増加 し

たのである。

同時に,ワ ーカーは多大な作業量を一挙に背負 うことになっ た。 さ ら に,

1974年 にロンドン郊外の地方 自治体 と保健サービスが再編成され,保 健サービ

ス,ソ ーシャル ・ワーカーがSSDに 雇用されたことにより,一 層多 くの作業

がSSDに 持ち込 まれたのである。

しかし,シ ーボーム改革に寄せられた期待 とは反対に,経 済給付 と対人サー

ビスの 「分離体制」に混乱をもたらす動向が生Lて くる。それは,経 済的給付

を管理する補足給付委員会(SupPlementaryBenefitCommission・ 以下SB

Cと 略す)の 地区担当官から援助を得 られなかった対象者がSSDを 訪れるよ

うにな り,多 くの地域においてケース負担が過重にな り始めたためである。金

銭的に行き詰ってSSDを 訪れる者は圧倒的に多 く,そ のため多 くの対立がワ

ーカーとSBC地 区職員との問で生 じた。このことは一つにはア ドボカシーに

一10一

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イギリスにおける社会福祉サービスの現状と課題

よる両者の食い違いによるのであり,今 一・つは1963年 以来ワーカーがクライエ

ン トに金銭的援助を与える権限を認められていることに起因して い る。 こ の

1963年 法については次節で検討する。

以下で述べるSSDとSBCを め ぐる状況は,小 論のテーマである貧困問題

とPSS形 成 との関連を明確にする上で極めて重要であると思われる。すなわ

ち,補 足給付申請者の受給認定に当って,SBC担 当官はあたかも納税者の利

益を最優先するかのように業務を遂行しがちであ り,給 付とニー ドのギャップ

が生 じる場合,そ れを埋めるためにSSDが 存在するとの認識に立って,多 くC12)

の対象者をSSDに 送致 して くるのである。しか し,こ のことが度を越 して,

SBCが 給付義務を怠っているにもかかわらず対象者がSSDに 送致 されて くC13)

るケースには,ワ ーカーも憤慨の念を禁 じ得ない。そ うした反面,社 会保障制

度の運用面でソーシャル ・ワーカーはSBCに 対 して潜在的な脅威 となっていX14)

るとも言える。その理由は,広 範な自由裁量の権限がSBCに 与え られ て い

て,こ の権限により法的に規定 されている給付額 より多 くのあるいはそれ以下

の認定が可能となるからである。

具体的な業務 として,SSDで は,燃 料費,家 具,衣 服,食 料代への補助金

や貸 し付けがなされ,ま たホームレスの保護のためにベ ッドや朝食代の支払い(15)

とい う形で,対 象者にますます多 くの金銭的援助が与えられている。1962年 の

児童ケア ・ワーカー協会の調査資料によれば,金 銭的援助を求める理 由 と し

て,借 金がケース全体の4分 の1を 占め,食 料 と衣服が22%,交 通費9%,家

庭用必需品43%と なっている。いずれの場合 も当時の国民扶助局による硬直的<is>

対応により,援 助が得られなかったためである。

このように,経 済的理由でSSDを 訪れる者が非常に多いことが調査で明ら

かになってお り,例 えばグラスゴウでは金銭的ニー ドとの関連が認められたケC1?)

一ス が80%に も達 して い た とい う報 告 が 出 され て い る。 こ う した 傾 向 は,シ ー

ボ ー ム改 革 以降,一 層顕 著 に な って お り,SBCか らSSDへ 問 題 が 意 図 的 に

転 嫁 され て い る。 この よ うな状 況 を ジ ョー ダ ン はrSSDはSBCへ の付 属 物

一11一

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佛教大學大學院研究紀要第15號くis)

(Appendage)」 と揶揄 している。

ソーシャル ・ワークにおける金銭的援助の拡大 は,少 なくとも1975年 まで急

速 に拡大 していった。 しかし,こ れ以降は経済的削減のため頭打ちとな り,根

本的な問題が未解決なままワーカーの自由裁量の余地が縮少され,給 付が画一

化 されてきている。また自由裁量権を統轄するSBCが1980年 に廃止された。

さらに,地 方 自治体の財源が限られているのと,ニ ー ドがあまりにも大きいた

めに,ワ ーカーは厳 しく援助の 「割当て」(rationing)を 行わざるを得 な いC19)

状況が生 じている。

同様に,1970年 代中頃から,中 央及び地方政府の多 くの福祉プログラムが削

減 され,PSSの 拡張が抑制されていった。また,イ ンフレーションによって

現金給付の実額は目減 りし,経 済的困窮が深化する中で,SSDを 訪問する者

の数は一層増加の度を加}て いる。不況の悪化 と福祉需要の増大 とい う重複す

ゐ問題状況の下で,ワ ーカーの自由裁量は極めて困),rな ってしまい,自 治体

の公的義務でさえ果せなくなっている。ワーカーは資源の分配者とい うよりは(20)

抑制者に転 じてきていると言われている。

シーボーム改革以来の新 しい傾向は,経 済的援助 とは関連のない 「分離サー

ビス」の提供であった。 しかし前述の事情により,社 会保障省,住 宅部等の他

の領域から対象者がSSDに 送致 され,こ のことが裁判所,警 察,学 校を含め(e!!

た諸機関にまで波及してきている。

このためワーカーが本来ソーシャル ・ワークの業務ではないものを遂行 して

お り,SSDがSBCや 住宅部の責任を部分的に肩代わ りしている。1970年 代

初頭以来,手 に負えない生徒,借 家人,扶 助申請者,患 者等 々や困難な対象者

の問題が,「福祉 ケース」(welfarecases)と みなされてSSDに 送致 されて

きてお り,近 年の厳 しい経済の状況下で収奪(デ プリベーション)が 一層強化

され資源が縮少化され るにつれてこの傾向はますます顕著になっている。こう

してSSDが 他部から 「ごみ入れ」("dustbin")の 存在となっているので あi?2)る。最近では,失 業者の急激な増加によってワーカーへより複雑な問題が押 し

一12一

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イギ リスにお ける社会福祉 サー ビスの現 状 と課題

つ け られ て い る。 特 に失 業 率 の高 い 「収 奪 され た地 域 」(deprivedarea)と

呼 ば れ て い る所 で は,失 業 者 のSSDへ の訪 問 が急 増 して お り,ワ ー カ ーに対(23)

して よ り多難 な役 割 が 要 求 され て い る。

実 際,広 くは 気 づ か れ て はい な い が,1970年 以 来,PSSの 趨 勢 は"サ ー ビ

ス の統 合化"の 方 向 とは 全 く逆 に な って きて い る。SSDの 内部 に で は な く,

そ の外 部 に お い て 多 くの サ ー ビス の拡 張 が な され て お り,特 に75年 以 降 顕 著 な

動 き とな って い る。例 え ば,相 談 セ ンタ ー(advicecentres),法 律 セ ン タ ー

(lawcentres),危 機 セ ン タ ー(crisiscentres),権 利 セ ン タ ー(rightcen・

-tres)な ど の新 しいサ ー ビス 部 門 が 地 方 自治 体 に よ っ て設 立 さ れ て い る。 ま

た,大 量 失 業 に焦 点 を 当 て て,「 ス ーパ ーバ イ ザ ー計 画 」(projectsuper・

visors)や 「生 涯 技 術 訓 練 者 」(life-skillstrainers)な どの プ ロ グ ラ ムが マ

<24)ンパ ワ ー ・サ ー ビス 委 員 会 の下 で進 め られ て い る。

こ う して,「 福 祉 ケ ース 」 の名称 の 下 に,全 て の問題 が ソ ー シ ャル ・ワ ー カ

ー に任 され る よ うに な っ て きて お り,所 得保 障 と対 人 サ ー ビス との 分離 は 実質

上,崩 れ 始 め て い る。 これ まで み て きた よ うに,経 済 問題 か ら解 放 され て い る

は ず の ソ ー シ ャル ・ワ ー クの業 務 に貧 困 問題 が持 ち込 ま れ て お り,こ うした機

能 的 「分離 論 」 は有 効 性 を失 って きて い る。

(2)パー ク レイ報 告 を め ぐっ て

1979年5月 の総 選 挙 の勝 利 に よ り政 権 の座 に就 い たサ ッチ ャ ー保 守 党 内 閣

は,肥 大 化 した公 共 部 門 の縮 少 と公 共 支 出 の削 減 策 を打 ち 出 し,公 共 部 門 の雇

用 者 及 び公 務 員 の人 員整 理 に乗 り出 した。198Q-81年 度 の予 算 編 成 で は,財 政

支 出 の大 幅 な コン トロー ル や一 連 の社 会 福 祉 政 策 の見 直 しが 盛 りこ まれ,ま た

福 祉 労 働 者 の人 員 整 理 と並 ん でサ ー ビス の 自治 体 責 任 か ら民 間 へ の 責 任 転 嫁 が

企 図 され た 。

こ の よ うにサ ッチ ャ ー政 権 発 足 当 初,大 胆 な 福 祉 削 減 の圧 力 が 高 ま った の を

契 機 に 「ワ ー カ ー不 要 論 」 が 持 ち 出 され,改 め て 「福 祉 とは何 か 」 とい う問 い

か け が な され た 。 そ の一 つ の 答 え が1982年 の ・ミー ク レイ報 告 で あ っ た。 これ に

一13一

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佛教大學大學院研究紀要第15號

先 だ つ1978年,賃 金 や 労働 条 件 に不 満 を もつ ワー カ ーが ス トライ キ を断 行 し,

こ れ に対 す る批 判 が沸 上 って い た。 この 出来 事 も当 時 の ソー シ ャル ・ワー クを'

め ぐる状 況 を 理解 す る上 で 重 要 で あ る。 マス コ ミ及 び 国会 に お い て ワー カ ー に

よ るス トライ キ は 激 し く批 難 され,ソ ー シ ャル ・ワー カ ーは む しろ イ ギ リス と

は不 要 で あ る との議 論 が 出 され た ほ どで あ った 。

折 りし も1980年8月,コ ー リン ・ブル ー ワー(ColinBrewer)と ジ ュー ゾ

・レイ ト(JuneLait)に よる 『ソー シ ャル ・ワー ク は生 き残 され るか 』("Can .

SocialWorkSurvive?")と い う書 物 が発 刊 され,「 ワ ー カ ー不 要 論 」 の火

に油 が注 がれ た。 著 者 た ち は ソー シ ャル ・ワ ー ク の領 域 に お い て も官 僚 化 の拡.

大 に よ る弊 害 が生 み 出 され て きて い る と指 摘 し,ま た ソー シ ャル ・ワ ー ク の ア

プ ロ ーチ は ウ ェ ッ トな心 理 力 動的 な伝 統 に頼 る ケ ース ワー ク に基 づ い て い る

か,も し くは政 治 的 な社 会 変 革 の ア ブR一 チ にす ぎず,利 用 者 は実 際 的 な援 助

を 求 め て来 訪 す る の に す ぎな い の で あ っ て,ケ ース ワー クな どは望 ん で は い な

い と痛 烈 な 評 価 を 下 して い る。 また,社 会変 革 に つ い て は,有 給 の役 人 が す る

C25)ことではな く,む しろ市民の課題であると喝破 している。

バークレイ委員会が設置されたのは正にこのようにソーシャル ・ワーカーが

公衆の批難にさらされ,社 会福祉の抜本的な見直 しがなされようとしている時

期であった。こうして,社 会福祉をめぐる情勢は危機的な雰囲気に包まれてい

た。ところが,こ うした山積する課題を受けたはずのバークレイ報告には社会

福祉が危機的状況に追い込まれた1970年 代末以降の政治的背景が把握 されてお一

らず,報 告書全体が楽観的 トーンで貫かれている。特に経済,ソ ーシャル ・ボ

1シ ー,ヅ 胃シャル ・ワークの三者の関係を扱っている章にそのことがよく表二

われていると思われる。

また,報 告書は専門職 とい う中立的な立場で議論を進めてお り,ワ ーカーの・

現在の任務について十分に記述されているものの,ソ ーシャル ・ワークのこれ

までの発展状況や現状分析については掘 り下げた議論がなされていない。この

点ば8・ ジ ョーダンの指摘する通 りであって,彼 によれば報告書では 「社会蝕

一14一

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イギ リスにおけ る社会福祉サ ービスの現状 と課題

ケ ア」(socialcare)や 「割 当 て 」(rationing),「 社 会 警 察 活 動 」(social

:policing)な どの 機 能 が 安 易 に ソ ー シ ャル ・ワ ー ク の部 分 とし て正 当 化 され て

お り,し か も 「社 会 的 ケ ア」 と 「ソ ー シ ャル ・コ ン トロ ール 」 との 関係 や政 治

経 済 との 関係 につ い て の分 析 が欠 落 した ま ま で あ る,と して い る。 さ らに,ソ

ー シ ャル ・ワー ク に対 す る統 制 要 素 は強 化 され る状 況 で,他 方 ケ ア要 素 が 縮 少

され て い く要 因 や現 実 に起 って い る ソー シ ャル ・ワー ク の状 況 変 化 の方 向が 認

知 され て お らず,経 済 不 況 や サ ッチ ャー政 権 下 の政 治 的 反 動 が ワ曽 カ ー にど の

よ うな 影 響 を 及 ぼ そ うと して い るの か とい う問題 も考 慮 され て い な い とい うの

C26)

:が彼 の 見 方 で あ る。

また,報 告 書 に お い て素 人 の参 加 と地 方 分 権 に基 づ い た 「コ ミュニ テ ィ ・ア

プ ロ ー チ 」 モ デ ル が提 示 され て い るが,こ れ は現 政 権 の政 策 と一 致 す る もの で

あ り,こ の ア プ ロー チ が あ え て新 しい接 近 で あ る のか ど うか,あ る い は 「安 全

網 ア プ ローチ 」,「福 祉 国 家 ア プ ロ ーチ 」 モ デ ル と比 較 して,第 一 番 目の もの とC27)

して 押 せ るか ど うか も不 明 で あ る,と ジ ョー ダ ンは付 記 して い る。大 規 模 な所

得,労 働,諸 資 源 の再 分 配 が 実 施 され るの で な け れ ば,彼 が 言 うよ うに,「 コ

ミュ ニ テ ィ ・ア プ ロー チ」 は潜 在 的 に資 本 蓄 積 の道 具 とも な りか ね な い で あ ろ

う。 事 実,ボ ラ ンタ リー ・ロー カル ・ネ ッ トワ ー クを 使 う 「コ ミsニ テ ィ ・ア

プ ロー チ 」 は,失 業 や社 会 保 障 給 付 と密 接 に結 合 して,政 府 に よって 既 に採 用

され て い る と言 わ れ て い る。

こ こで 特 に我 々が 見 落 として は な らな い点 はダ ソー シ ャル ・ワー クを め ぐる

澗 題 に お い て,地 方 自治 体 ソ ー シ ャル ・ワ ー クが廃 止 され る危 険 性 よ りも,む

し ろ ソ ー シ ャル ・ワ ー クが イデ オ ロギ ー的 に も,ま た経 済 的侵 食 に よ って も徐

々 に しか も知 らぬ間 に階 級 圧 迫 の手 段 に変 形 させ られ る危 険 性 が あ る という ジ

(28)

ヨー ダ ンの指 摘 で あ る 。

しか し,報 告 は こ うした危 険 性 に本 気 で取 り組 ん で は お らず,政 治 的 闘 いが

激 化 す る中 で,「 コ ミュ ニテ ィ ・ソー シ ャル ・ワー ク」 は抑 圧 の手 段 に も解 放

の 手 段 に も利 用 し うる強 さ と弱 さ,無 限 の柔 軟 性 と変 わ り易 さの両 面 を もっ て

一1 .5一

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佛教大學大學院研究紀要第15號

C29)いるのが真相である,と ジョーダンは結論 している。

約300万 人 という空前の失業者がイギ リスの社会問題 となっている現状で,

失業による貧困者の増加,麻 薬中毒やアルコール中毒,児 童の放任や怠学,家

族崩壊,非 行の増大,等 々によってPSSの 必要性が増 してきている。 こうし

た不況の悪化 と福祉需要の増大の状況下で,先 にも述べた通 りSSDの ソーシ

ャル ・ワーカーの自由裁量は困難になってきてお り,公 的な義務でさ}果 せな

くなっている。 ワーカーは,社 会経済情勢の変化の中で,資 源の分配者から抑

制者に転 じてきている。

現在イギ リスにおいて約20万 人の公的職員が福祉に従事 してお り,SSDは

強大な潜在力をもつ組織体 として存在 している。政治的影響力の受け方によっ・

ては統制の手段 とも解放の手段 ともな りうる福祉がどちらの方向を辿 るのか,

こうした厳 しい問いかけが今なされているのである。

(3)1963年児童青少年法に関 して

戦後ベヴァリッジ体制の発足時から残余的(residual)と された諸福 祉サー

ビスは,1950年 代に入 り徐々に制度と現実との矛盾を露呈して くる。それが集

中的に表われたのが地方自治体の児童部であ り,そ こか ら50年代後半にみられ

た ワーカーの金銭的給付を与える権限の要求が湧起った。

前章でみた ように,1950年 代の間に,公 的扶助基準以下の所得で生活する労一

働者家族の数は,減 少するどころか増大 さ}し ていた。繰 り返 しになるが,エ

イベル ・ス ミス とタウソゼン トの調査結果では,1960年 時点で公的扶助基準の'

140%未 満の貧困層は約750万 人に達してお り,中 でも約225万 人は16才 未満の

児童であった。こうして児童問題は50年 代から60年代にかけて,社 会福祉の焦

点 となっていた。

この時期の政府の姿勢は,「 問題家族」(ProblemFamily)モ デルに示さ

れているように,ク ライエン トの抱}る 問題を社会的次元で捉える の で は な.

く,ク ライエン ト自身に貧困の原因を求めるものであった。そこでは対人的な

視点,あ るいは人格的視点が強調されてお り,そ れが家族ケースワーク導入の

一16一

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イギ リスにおけ る社会福祉サ ービスの現状 と課題

根 拠 と され た の で あ る。 反 面,こ うした ア プ ロー チ は 「福 祉 国家 」 状 況 の 下

で,「 貧 困 解 消 論 」 が 有 力 で あ った 時代 だ け に,受 け入 れ易 い もの で あ った と

言 え よ う。

1954年 に,「 家 族 サ ー ビス ・ユ ニ ッ ト」(FamilyServiceUnits,以 下FS

Uと 略 す)に よ り,そ こ で取 り扱 わ れ た 家 族 の実 態 に つ い て,包 括 的 な調 査 が

実 施 され て い る。 この調 査 結 果 か ら改 め て確 認 され た の は,対 象 とな った129

家 族 の大 多数 が,最 底 辺 の社 会 階 級 に属 して い る(社 会 階 級 】yが41.1%,Vが

38.8%)と い う点 で あ る。129家 族 の うち所 得 が 最低 限度 か それ 以 下 の 家 族 は

22%,最 低 限度 以上 だ が50%ま で の家 族 は35%に な って い る。 そ して,国 家 扶

C30)

助の給付を長期にわたって受けている家族は,約12%を 占めている。

また,FSUの 実践活動の 「要約記録」に対す る小松源助教授の二点のコメ

ン トは,「 問題家族」の実情をよく伝えている。それによれば,(1)FSUが 援

助 している成人男子の大多数は,不 熟練労働者であ り,そ して家族の多 くは4

人もしくはそれ以上の子供を抱えているため,父 親が正規に働いていても,家

族全体の収入は国家扶助局が定めている必要額を超えないでいる。貧困から逃

れられない場合,仕 事を続け,十 分にや りくりしてい くためには,親 の側に,

ものすごい強さが必要 となっている。この状況は,「 豊かな」社会 に お い て

は,不 熟練労働者に,と くに厳 しくのしかかって くる。そこでは,貧 困は災難

とい うよ りも,本 人の欠陥によるものとされてしまう。(2)経済的困難は不適切

な住宅に よって悪化させられてお り,一 定 の住宅をきれいに保つためには,非

常に多 くのエネルギーと時間を費やさなければならず,お 湯,風 呂,空 間が全

くない場合,数 人の子供を抱えた家族の世話をすることは,母 親の 力 を弱 め

て,身 体的な故障を引きおこし,情 緒的に疲れさせてしまっている,と のことC31)

である。

実際,家 計の中の住居,光 熱,水 道費などいわゆる社会的強制支出が払えな

い ところからくる家族の生活困難 ひいては家族崩壊の危機に瀕 したクラィエ

ン トの問題を眼の当 りにしたワーカーは,経 済的ニーズが止めどもなく広がる

一17一

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佛教大學大學院研究紀要第15號

ヰ重で,対 人サービスでは全 く対応 しきれない状況におかれていた。

このように,ク ライエントの切実な経済上の諸問題に直面 したソーシャル ・

ワーカーは,民 間諸団体への照会に多 くの時間を費さなければならず,ま たク

ラィエン トや実情に応 じて国家扶助委員会,住 宅部等に照会することで問題を

切 り抜けていた。こうして,1950年 後半になると,止 むに止まれずワーカーは

経済的給付を与xる 権限を要求 し始めたのである。

そして,1960年 代初頭になると,ソ ーシャル ・ワークと経済的給付の完全な

分離は有効性があるものとは考}ら れず,低 賃金労働者家族の福祉要求に対 し

て,家 族病理に基づ く家族ケースワークとい う援助方法だけでは限界があるこ

とが明白になる。このことはイングルビー委員会によって公式に認められ,新

た な対応が勧告される。こうして,地 方自治体に金銭的及び現物給付を与xる

新たな権限が,1963年 児童青少年法第一条(theChildrenandYoungPer-

sonsAct1963,Section1)に よって地方自治体に付与 されたのである。

この1963年 法により,予 防的介入を行 う権限,す なわち必要あれば物品及び

金銭による援助を与}る 権限 も家族福祉サービスの主要な機能 とな り,そ の介

入方法は当初,予 防的ケースワーク中心であったが,次 第に居住施設,デ ィ・

ケア,物 的金銭的援助,家 政的援助などを含めた包括的なサービス提供に拡大

していったのである。

具体的には新 しく認め られた権限に よって,家 財道具の支給,割 賦購入の支

払 い,ガ ス,電 気料滞納,又 は母親の病気の期間児童の世話に来る親戚の交通

費 などの支払いに利用されることとなった。

それによって民間団体 との連繋が強化され,早 めの警告的手配,追 い立てを

くわないで済むための家賃保証や家計への助言,住 宅部 との協力関係も可能とC32)

なった。 ここで1963年 法第1条 に関して特に強調 しておきたい点は,戦 後の所

得保障 と諸福祉サービス との 「分離体制」が修正を余儀な くされ,ベ ヴァリッ

ジ計画が部分的にせ よ重要な変更を遂げたことである。

次に,イ ングラソ ドにおける第1条 件下での経済給付支出の動向であるが,

-18一

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表11963年 児童 青少年法 第

1条 下 における経済給付

年 噸(ポ ン ド)

1965~66

66^-67

67^-68

.:・ ・

69-70

70~71

71^-72

72^-73

73^-74

74-75

66,600

135,100

...

...11

244,900

377,000

534,0GO

652;000

1,431,000×

2,429,0QOX

3,450,000X

※ これ らの 数 字 に は,他 の 諸 項

目の 支払 い が 含 まれ てい る 。

そ れ ゆ え,直 接 に は そ の 前 年

度 の もの とは,比 較 し えな い 。

〈資 料)HomeOffice,Depart.

mentofHealthandSocial

Security,HealthandPer-

sonalSocialServiceStatis

ticsforEngland

《出所)MichaelPJackson&

B.MichaelValencia,Fin-

ancialAidThroizgsocial

tivork,Routleclge&Kegan

Paul1979.p17.20

イギ リスに おける社会福祉 サ畠 ビス の現状 と課題

表1に お い て,経 済給 付 の急 激 な 増 加 が 明 らか

に な って い る。1965年 度 を基 準 に す る と,1969

年 度 で5倍 強,1971年 度 で は10倍 に迫 る勢 い を

示 して い る。 また,ワ ー カー に配 分 され た 金 銭

的 援 助 総額 は1965年 一66年 で26万6000ポ ン ドで

あ った が,76-77年 で は430万 ポ ン ドに まで増C33)

加 して い った 。

ヘ イ ウ ッ ドとア レン の調査 は,1960年 代 後

半,北 西 イ シ グ ラ ン ド地 方 の2つ のパ ラ と2つ

の カ ウ ンテ ィ地 域 で,1963年 法第1条 下 の利 用

者65人 を 対 象 に 行 わ れ て お り,第1条 下 の利 用

者 が3つ の グル ー プ 現 金 給 付,現 物 給 付,

ヶ 一ス ワ ー クに 分 け られ て い る。 そ れ に よ れ

ぽ,ケ ース ワ ー ク ・サ ー ビス が 他 の2つ の グル

ー プを 上 回 っ て い る地 域 は な く,調 査 対 象 者 の

全 て を3グ ル ー プか らみ て み る と,各 々 の グル

'一プ の人 数 は ほ ぼ等 し くな って お り,現 金,現

物 給 付 の利 用 者 は,ケ ース ワ ー ク ・サ ー ビス の

2倍 に な っ て い る。 次 に,現 金 給 付 の理 由を み

て み る と,三 地 域 で の主 要 な 理 由 は 食 費 で あ

る。残 りの 地 域 で多 い 理 由 は 家 賃 滞 納 で 食 費 は

C34)

次 に く る 。

またジャクソンとバ レンシアに よれば,イ ングラン ドにおいて当初第1条 下

の現金給付のかな りの部分が食費,衣 服,家 庭内必需品に向け られてお り,ま

た最近では燃料費,住 居費の借金が重要なものとしてのぼってきている。利用

者全体の特徴 としては,国 家給付の受給者が63%,補 足給付水準がそれ以下の

低所得層が60%,フ ルタイム雇用に就いていない者が60%以 上,単 親家族が32

一19一

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佛數大學大學院研究紀要第15號

0と なっている。これを先の3つ のグループ別でみてみると,現 金給付のグル

ープでは補足給付水準かそれ以下の貧困状態の中で生活している大家族の割合

が68%と 最 も高い。現物給付のグループでは,前 のグループほどではないが依

然 として貧困である。通常その父親は民間賃貸住宅に住む熟練労働者である点

で,こ のグループは平均 してより安定 している。ケースワーク ・サービスのグ

ループでは,補 足給付水準かそれ以下の家族の割合は36%で,諸 給付に頼る家く35)族

は殆ど無いし,子 供の数も少ない。

こうして,1963年 実施以降,家 族崩壊を予防する事業の量は飛躍的に増加

し,1970年 には4万6000人 の児童が措置され,22万 人が自宅で監督指導を受け

た。依然,夫 婦関係の問題,家 計の問題,親 子関係の問題が主たるものであっ、<36)

たが,児 童部の救済能力を超える多 くの慢性的貧困が存在 した。

この金銭的援助の拡大は,少 な くとも1975年 まで急速に拡大 していったが,

これ以降は経済的削減のため頭打ちとな り,根 本的な問題が未解決のまま,自

由裁量への権限は軽減されてきている。

ベヴァリッジ計画は,画 期的な貧困対策の確立を目指したが,早 くも1950年

代には動揺を見せ始め,60年 代における 「貧困の再発見」は,ベ ヴァリッジ体二

制が有効に機能 していなかったことを明らかにした。

1950年 代から60年にかけて,朝 鮮戦争による軍事費増,国 際収支の悪化,ポ

ン ド危機,低 成長 とい う危機的状況を呈するイギ リス経済の長期停滞傾向の中・

で,貧 困は解消されるどころかむ しろ蓄積され続けてきたのである。

さらに言えば,ベ ヴァリッジ体制の前提である完全雇用政策は,そ の実施が

進められるほどに,貧 富の格差を一層拡大させていったのである。

エイベル ・ス ミス とタウンゼン トの研究では,老 人の貧困問題 と並んで,児

童貧困の深刻さが提起されたのであるが,そ れはとりもなおさず低賃金世帯の

貧困の問題であった。

こうして,1963年 法は,児 童 と家庭をとりまく根深い貧困問題への複合的な

措置であった と言える。貧困の度合いが深 くなり,貧 困者数が増加 し,そ れに

一20一

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イギ リスにおける社会福祉サービスの現状と課題

低賃金労働者,失 業者,疾 病者,老 人,児 童,未 亡人など各階層に広がって行

ったのである。

5.結 び に代 えて

1970年 代のイギ リスの社会福祉は,シ ーボーム改革の実施を経て,PSS形

成 とい う新 しい時代を迎えた。 ところが,70年 代の経済情勢の変化の中で,金

銭的に行 き詰 ってSSDを 訪れる者が圧倒的に多 くなり,経 済扶助 とは分離さ

れているはずの対人サービスを求めて,所 得保障制度の網から漏れた者たちが

アクセス してきている。

小論で明らかにされたように,現 実には貧困問題が 「福祉ケース」 としてワ

ーカーに任 されてお り,所 得保障 とPSSと の機能的分離は,ソ ーシャル ・ワ

ークの業務の中に経済的問題が持ち込まれることによって意味をなさな くなっ

ている。 この傾向は,む しろシーボーム改革以降,一 層顕著になってきてお

り,特 にSBCか らSSDへ 問題が意図的に持ち込まれている。

このようにして,イ ギ リスにおいて,「 分離体制」は既に有効性を失ってお

り,「 福祉国家」イギ リスが斜陽のものとなったように,「 分離問題」も神話

となって しまったようである。

約300万 人 という空前の失業者がイギ リスの社会問題となっている現状で,

貧困者の増加,非 行 ・犯罪の悪化,家 族崩壊,麻 薬,ア ルコール中毒などの増

大によって,社 会福祉の必要性が一層切実になっている。現在,イ ギ リスにお

いて約20万 人の公的職員が福祉に従事してお り,SSDは 強大な潜在力をもつ・

組織体 として存在 している。政治的影響力の受け方によっては,統 制の手段と

も解放の手段 ともなりうる福祉が,ど ちらの方向を辿 るのか,こ うした厳 しい

問いかけが今なされている。

と同時に,こ のことは福祉労働者が主体性を獲得する機会でもある。そのた

めには,修 羅場のような福祉現場の中で,社 会経済情勢の把握に立った積極的

な活動 ・運動が望まれているのである。

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Page 22: イギリスにお・ける社会福祉サービス の現状と課題 貧困問題 …...イギリスにおける社会福祉サービスの現状と課題 く3) いたことが原因の一つとなっていた。エイベル・スミスとタウンゼントの調査

佛 教 大 學 大 學 院 研 究 紀 要 第15號'

〈 註 〉

{1)BrianAbel-SmithandPeterTownsend,ThePoorandthePoorest,

G.Bell&Sons,1965,p.18

(2)Ibid.,p.58

く3)Ibid.,P・62

(4)Ibid.,p.30

(5)Ibid.,p.41

く6)福 島 勝 彦rイ ギ リ ス の 社 会 保 障 政 策 』 同 文 館,1983年,203-204ペ ー ジ 。

{7)Bill:Jordan,PaupersTheMakingoftheNewClaimingClass,Rout

Iedge&KeganPaul,1973,VictorGeorge,SocialSecurityandSociety

Routledge&KeganPaul,1973,NormanGinsburg,Class,Capitaland

SocialPolicy,Macmillan,1979,・ 以 上 の 著 書 の 中 に ス ピ ー ナ ム ラ ン ド制 度 と 関

連 さ せ た 批 判 が み ち れ る 。

〈8)BillJordan;ibid・,PP・2-7・

〈9)福 島 勝 彦 .『前 掲 書 』,215ペ ー ジ 。

^(10)BillJordan,AutomaticPoverty,Routledge&KeganPaul,1981,Chap

1.

く11)Ibid.,p.124,p.128...

一(12)BillJordan,InvitationtoSocialWork,1VdartinRobertson,1984,pp.

91-92.

・〈13)Ibid .,p.92

く14)Ibid.,p.102.

r{15)Robert .Holman,Poverty,ExplanationsofSocialDeprivation,Martin

Robertson,1978,p.277

〈16)JeanPackman,TheChild'sGeneration,BasilBlackwe11&Martin

Robertson,2nded.,1981,pp.67-68.

{17)RobertHolman,op.cit.,p.279

-<18)Bill ,Jordan,PoorParents:SocialPolicyandthe`CycleofDeprivation'.

1Zoutledge&KeganPaul,1974,pp.72-74.

く19)JeanPackman,op.cit.,p.167.

rf20)BarclayCommittee,SocialWorkers‐TheirRole&Tasks,Bedford

SquarePress,1982,P.109.(邦 訳)小 田 兼 三 訳 『ソ ー ・シ ャ ル ・ワ ー カ ー=役 割 』

全 国 社 会 福 祉 協 議 会,1984年,149ペ ー ジ 。

-22一

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イ ギ リス に お け る 社 会 福 祉 サ ー ビ ス の 現 状 と 課 題:

(21)BillJordan,InvitationtoSocialWork,op.cit.,p.90.

(22)BillJordan,AutomaticPoverty,op.cit.,p.123.

(23)BillJordan,InvitationtoSocialWork,op,cit.,p.136.

(24)Op.cit.,p143

(25)ColinBrewerandJuneLait,CanSocialWorkSurvive?,Temple・

Smith,1980.

(26)BillJordanandNigelParton(ed.),ThePoliticalDimensionsofSociaF'

Work,BasilBlackwell,1983,pp.1-22,BillJordan,InvitationtoSocial'

Work,op.cit.,pp.136-142,BillJordan,SocialWork:ReturntoPoor

Law?,NewSociety,6May1982.

(27)Ibid.

(28)Ibid.

(29)Ibid.

(30)小 松 源 助 「多 問 題 家 族 へ の ア ブ 卩 一 チ を め ぐ る 動 向 一 イ ギ リ ス に お け る,

FamilyServiceUnitsの 貢 献 一 」 小 松,仲 村,根 本,畠 山 編r多 問 題 家 族 へ の ア

プ ロ ー チ 』 有 斐 閣,1985年,15-16ペ ー ジ 。

(31)同 上 。

(32)EileenYounghusband,SocialWorkinBritain:1950-1975,Vol.1,

GeorgeAllen&Unwin,1978,P・44.(邦 訳)本 出 祐 之 監 訳 『英 国 ソ ー シ ヤ ル

ワ ー ク 史1950-1975・ 上 』 誠 信 書 房,1984年,36ペ ー ジ 。

(33)PeggyFoster,AccesstoWelfare,Macmillan,1983,p.146

(34)J.5.HeywoodandB.K.Allen,FinancialHelpinSocialWork,Man≪

chesterUniversityPress,1971.な お こ の 部 分 は,M.P.JacksonandB.M..

valencia,.

oP・cit・,PP・17-18,P・43,PP・109-111,の 引 用 に よ る 。

(35)BillJordan,PoorParents,op.cit.,pp.87-90.

(36)EileenYounghusband,oP.cit.,PP.44-45,(邦 訳)37ペ ー ジ 。

(社 会 学 研 究 科 博 士 後 期 課 程 ・社 会 福 祉 学 専 攻 〉

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