アートの可能性’論/3...甲南大学 マネジメント創造学部 2017 年度...

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甲南大学 マネジメント創造学部 2017 年度 卒業研究プロジェクト 担当教員 佐藤治正 アートの可能性 学績番号 11481074 氏名 新家愛菜 目次 はじめに 第 1 章 現代アート 1-1 頭で見る芸術 1-2 ポップアートの誕生 1-3 アンディ・ウォーホル 第 2 章 ストリートアートと現代アートの関わり 2-1 ストリートアートの特徴 2-2 グラフィティの文化史 2-3 ストリートアートとポップアート 第 3 章 バンクシーとは誰か 3-1 バンクシーの作品から読み解く人物像 3-2 バンクシーin New York 3-3 バンクシーに対する評価 第 4 章 アートの持つ力 4-1 主張するアート 4-2 21 世紀のアート 4-3 アートの可能性 おわりに

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甲南大学 マネジメント創造学部

2017 年度 卒業研究プロジェクト

担当教員 佐藤治正

アートの可能性

学績番号 11481074 氏名 新家愛菜

目次

はじめに

第 1 章 現代アート

1-1 頭で見る芸術

1-2 ポップアートの誕生

1-3 アンディ・ウォーホル

第 2 章 ストリートアートと現代アートの関わり

2-1 ストリートアートの特徴

2-2 グラフィティの文化史

2-3 ストリートアートとポップアート

第 3 章 バンクシーとは誰か

3-1 バンクシーの作品から読み解く人物像

3-2 バンクシーin New York

3-3 バンクシーに対する評価

第 4 章 アートの持つ力

4-1 主張するアート

4-2 21 世紀のアート

4-3 アートの可能性

おわりに

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はじめに

私は、昔から美術が好きで、よく美術館に通っていた。高校生までは、美しい西洋画が

好きだったが、大学生からはストリートアートに興味を持つようになった。そのきっかけ

は、大学 2 年生でアメリカのニューヨーク州へ留学した際、街の壁に描かれていた美しい

絵を見て感動したことである。日本では全く見ることのない光景だったので、非常に新鮮

で斬新だった。その中でも私が最も心惹かれたのが、バンクシーというストリートアーテ

ィストの作品である。彼の作品は、ステンシル1という手法で描かれており、シンプルかつ

美しいと感じた。しかし、私はバンクシーのことを何も知らなかった。そこで、彼の作品

について調べてみると、ただ美しいだけでなく、強いメッセージが含まれていることが分

かった。「最近の芸術は、目で見て美しいと感じるよりも、頭で考える芸術や、強いメッセ

ージを含んでいるものが多い。」という佐藤先生からのアドバイスを頂き、卒業論文では、

ストリートアートを中心に、頭で考えるアートやアートの持つメッセージとその影響力、

そしてこれからのアートの可能性について調べることにした。

本論文では第 1 章に現代アートの特徴についてまとめ、その中のポップアートに焦点を

当てて書いた。第 2 章では、ストリートアーティストの特徴と歴史、そしてポップアート

との関わりによって大衆に受け入れられるまでを描いている。第 3 章では私が最も注目し

ているストリートアーティスト、バンクシーについて考察を深めた。第 4 章では、主張す

るアート、そして SNS の発達と共に広がるアートの力や可能性について書き綴り、締め

くくりたいと思う。

第 1 章 現代アート

1-1 頭で見る芸術

現代アートとは、第二次世界大戦後(1945 年)以降の芸術を指すことが多く、英語では

(contemporary art)と表現される。19 世紀が終わり、20 世紀に入ると高速道路、自動車、

航空機、写真、印刷、電話、エレクトロニクス、コンピュータなど技術が爆発的に発達し、

私たちの暮らしは大きく様変わりした。世の中の変化に伴って人々の価値観や感覚も大き

く変わり、新しい時代の到来と共に現代アートが誕生した。現代アートは、ルネサンス以

降の伝統的なアートであるクラシックアートとは大きく違っており、フェルメールやベラ

スケスの絵のような美しさを感じることが出来ない。展覧会へ行っても、ごみくずが置い

てあったり、石が置いてあったりとただそれを見ただけでは意味を理解しがたいのが特徴

である。

このような表現方法が生まれたのは、現代アートの父と言われるマルセルデュシャンが

1917 年、ニューヨークのアンデパンダン展覧会に「泉」を出展したことがきっかけである

1 型紙の模様を切抜いた部分に染料や絵具を摺り込む染色や版画の技法。

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と言われている。「泉」は、架空の芸術家の名前を記した、ただの便器である。男性用便器

にサインをしただけの作品「泉」は、これまでの美術の概念にあらゆる面から反発してい

る。まず、全く美しくない上に、どこにでもある工業製品であるため「作家が自身の手に

よって創り出した」という、美術のいちばん根本的な部分を否定してしまった作品である。

当時、この作品は「アート」と認められず、展覧会で展示されることはなかった。しかし、

これを契機に、「そもそもアートってなんだ」「美しくなければ芸術ではないのか」という

疑問がアーティストの間に広まり、従来の概念にとらわれないアート、「現代アート」が生

まれた。つまり、作品そのものよりも、その行為自体が作品として成立するという概念を

生み出したことで、アートの価値をシフトさせてしまったのである。2もちろん今でも色が

きれい、技術がすごいというところに重きを置いているアーティストもいるが、全体的な

流れとしてはコンセプト中心な傾向がある。デュシャン以後、芸術家たちは様々な「新し

い表現」を模索し、あらゆる主義、表現が生まれた。表現手法も、キャンバス絵画に囚わ

れることなく、立体や映像、インスタレーション(空間を含む表現)、パフォーマンス(身

体表現)、ストリートアートなど多岐に渡り、従来の概念に収まらない作品を多数生み出し

た。そして、現代アートが難しいと言われる原因は、作品の造形性よりも概念が重要にな

ってくるため、作品のコンセプトを理解しないと楽しめないという点にある。ただ見て「美

しい」ということにはならないので、作品の向こうにある政治や宗教、社会背景を理解し

なくてはいけない。このように作品概念そのものが作品の主要な構成要素であると見なさ

れるものは現代アートの中でも特にコンセプチュアルアートと呼ばれる。

2 藤田令伊「現代アート、超入門」

図 1-1 「泉」

出典:wikipedia

(https://ja.wikipedia.org/wiki/)

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1-2 ポップアート

1970 年代は、ベトナム戦争が起きていた時代である。アメリカのナパーム弾や銃弾爆撃

により、罪のない人々が逃げ惑う姿がテレビで報道されていた。その時、声を上げたのは

第二次世界大戦後に生まれた baby boom 世代の大学生たちだった。世界中で反戦運動が起

こり、アメリカに象徴される資本主義社会や文明社会に背を向ける若者たちが世界中に生

まれた。それがヒッピーである。彼らは髪と髭を伸ばしてラブ&ピースをかかげ、音楽と

セックス、ドラッグ、ロックンロールを愛した。これまでの価値観や権威を否定すること

から始まったこのような動きは、カウンターカルチャー(対抗文化)と呼ばれた。このカ

ウンターカルチャーと共に生まれたのが、ポップアートである。ポップアートは、現代ア

ートの一種であり、ポップアートもまた、新聞、雑誌、広告、写真など、これまで芸術が

対象としてこなかった身近な大衆メディアや日用品を活用したことで、デュシャンの「泉」

のように、「これが芸術?」というような、これまでの価値観を否定するところから始まっ

た。ポップアートという言葉の由来は、1つのマス(塊)としての人々を指す英語の単語、

populace(大衆)である。つまり popular(ポピュラー)とは人々の伝統や生活習慣にル

ーツを持つもの、大衆によって愛されるものである。という意味からきている。つまりポ

ップアートは、大衆のためのアートという意味である。3

3 Tilman Osterwold「POP ART」

出典:notos books(https://nostos.jp/archives/129154)

図 1-2「トム・ウェッセルマン グレート・アメリカン・ヌード」

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当時は、多くの人々がアメリカンドリームに憧れ、テクノロジー主導の消費社会へと移

り変わるなか、広告やテレビなどマスメディアの影響力が次第に増していたこともあり、

消費者に対するプロモーション活動が発達した。それまでとはまったく異なる形で発信さ

れるプロモーション活動に世の中の関心が集まり、社会の流れに敏感なアーティスト達も

ここに参入するようになった。これまでの芸術とは違い、コマーシャル重視、大衆に注目

されるために作ろうという意志がアーティストたちの間に芽生えた。それがきっかけで、

皆に好まれるポピュラー・アート(大衆芸術)となった。その結果、ポップ・アートの代

表的な作品として今でも挙げられるのは、大量印刷が可能な、何色にもプリントされたマ

リリン・モンローのポートレートや、コミックや写真などを素材に用いたコラージュであ

る。 大量消費社会と非常に密接な関係となったポップ・アートは、アメリカを中心に世界

中へ広がっていった。

1-3 アンディ・ウォーホル

そのころ、奇想天外なアーティストがニューヨークに現れた。のちに 20 世紀ポップアー

トの巨人と呼ばれる、アンディ・ウォーホルである。彼は、1928 年にアメリカのペンシル

ベニア州ピッツバーグで生まれた。彼の両親は、当時移民であったスロバキア人であり、

信仰心の深いカトリック信者として裕福ではない家庭で育った。このような家庭環境がき

っかけで、ウォーホルは、幼いことからお金を作り出すことに強い関心を持っていた。彼

のキャリアは、ニューヨークでイラストレーターとして始まった。初期の頃、ウォーホル

は「ハーパーズ・バザー」や「ヴォーグ」に自身のイラストを提供していた。

出典:The BROAD

(https://www.thebroad.org/art/andy-warhol/nations-nightmare)

図 1-3「CBS に提出したウォーホルのイラスト」

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1960 年代、ウォーホルの生活に馴染みのある商品や広告を、自身のキャンバスに取り入

れるようになったのが彼のポップアートの始まりである。幼少期から非常に繊細で体が弱

く、母親がよく彼に食べさせていた安いキャンベルスープ缶や、当時大人気だったコカ・

コーラなど、60 年代に誰もが手に入れられるものを主題に作成していた。スーパーマーケ

ットで手に入る商品の次に彼が選んだのは、ハリウッドスターだった。マリリン・モンロ

ーが突然死した際には、彼女のポートレートを切り取り、印刷し続けた。毎週日曜日には

決まって教会に通っていた彼にとって、当時アメリカ人男性の憧れとも言えるモンローの

肖像画作成には、幼少期から慣れ親しんだ聖母マリアの肖像画と、どこか重なるものがあ

ったのかもしれない。4

1964 年には、大量消費社会を批判するかのように自らのアトリエを「ファクトリー」と呼び、

頻繁にパーティなどを開いてアートについて議論をすることもあれば、セックスやドラッグが

溢れる華やかな無法地帯にもなった。この空間の中には上流階級と下流階級が関係なく入り混

4 Wikipedia より

出典:W

(https://www.wikiart.org/en/andy-war

hol/marilyn-1)

図 1-4「Marilyn」 図 1-5「キャンベル・スープ」

出典:東洋経済オンライン

(http://toyokeizai.net/articles/-/31619?page=

2)

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じり、多くの有名ミュージシャンやセレブだけではなく、トランスジェンダーからドラッグデ

ィーラーまでありとあらゆる人々が集まる独特の空間だった。アルミホイルや銀色の絵具で覆

われた空間であり、エレベーター内までも全てシルバーで整えられていたことから、「シルバ

ーファクトリー」とも呼ばれた。ウォーホルは隠れたスターを世の中に売り出すことや、彼ら

を利用して自分の地位を上げることにも長けていたが、一度飽きたり、関係が悪化すると、そ

の人気を簡単に地に突き落とすことが出来る影なる権力者でもあった。ストリートアーティス

トの中にも、ウォーホルと共同制作を行うことで、人気を手にし、ギャラリーに認められた人

たちがいる。

彼が自身のアーティスト人生で最も世間を驚かした点は、アート作品に「流れ作業」を取り

入れ、アートの世界に大量生産という概念を持ち込んだことだ。アーティストがまるで機械の

一部のようになり、彼のアトリエはまさに銀色の製造工場になった。それまでは作品が一点物

であることに大きな価値を見出してきたアート業界に対し、誰でも真似できてしまうこの大量

生産型の手法は、「アートの価値とは何なのか?」という疑問を世界中のアーティスト達に投

げかけたと同時に、広告やビジネスと密に関わることから、アートという基盤を大いに揺るが

すものだった。目覚ましい経済発展を遂げる当時のアメリカ消費社会において、ウォーホルは

その流れをうまくアートに取り込んだ。彼は、アーティストとしてのその奇抜な発想や技術を

発揮していたが、同時に紛れもない天才ビジネスマンだったと言える。それを証明するかのよ

うに、ウォーホルは次のような言葉を残した。

「お金を稼ぐことは芸術、働くことも芸術、うまくいっているビジネスは、最高のアートだ

よ。5」

ウォーホルは大量生産食品や映画スターなどこれまで芸術が対象をしなかった存在をモ

チーフに、作品を作り続けた。彼のアートは芸術が高尚なもの考えていた人々の思い込み

を打ち砕いた。

第 2 章 ストリートアートと現代アートの関わり

2-1 ストリートアートの特徴と位置づけ

ストリートアートも現代アートの一部である。ストリートアートを語る上で、グラフィ

ティという言葉が度々登場する。そもそも、ストリートアートとは、グラフィティ文化か

ら枝分かれして生まれた表現方法であり、アートである。しかしながら、ストリートアー

トとグラフィティの違いについては諸説ある。下図は、ベルリンの壁に描いてある有名な

ストリートアートである。

5 Green(http://ryu.jpn.com/archives/1352)より引用

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グラフィティ文化は、70 年代のニューヨークで発展した一つのサブカルチャーであるが、

実は何千年も前から存在していた。基本的に、公共空間6に独特にデザインした名前を主に

スプレー塗料やマーカーを用いて描くというものである。一方でストリートアートは、グ

ラフィティ文化を経由しながらも、より広い社会的・政治的メッセージ性、都市・建築な

どの空間に対する意識、現代美術のコンテクスト、さまざまな素材やテクニック、アイデ

ィアなどを取りこみながら実践されており、それぞれのストリートアーティストによって

表現方法も様々である。72000 年代に入り、ストリートかホワイト・キューブ(美術館)

かを問わず、時にはインターネットなどの情報環境も積極的に利用するような複雑で多様

な表現手段が急増していくにつれ、より広い意味をこめてストリートアートという言葉が

主流になっていった。他方で、グラフィティとストリートアートの境界線が曖昧なことか

ら、語の指示範囲がそれぞれの主観的な判断に委ねられることも多く、言葉としての安定

性に欠けていることも否めない。8

2-2 グラフィティの文化史

6 ストリートの壁など 7大山エンリコイサム「Against Literacy」 8 グラフィティ=ストリートアートという考え方もある

出典:

Booking.com(https://www.booking.com/articles/where-to-see-the-world-s-best-st

reet-art.html)

図 2-1「My God, Help Me Survive This Deadly Love.」

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グラフィティは、ニューヨーク発祥と思われがちだが、実は、何年も前から存在する。

グラフィティという言葉の語源はイタリア語の「graffio」からきていて、“引っかくこと”

や“引っかれたもの”などの意味を持つ。さらに遡るとギリシャ語の「graphein」(=書

く、描く、引っかく)になり、古代におけるグラフィティは尖ったものやチョーク、石炭

などを使って壁を引っかいて描いたものを意味していた。9古代のグラフィティには現代の

ように社会的、政治的な理想を掲げたメッセージより、愛の告白や思想などを言葉にした

ものが多かったようである。また、ギリシャ、ローマだけでなく、エジプトやスリランカ、

マヤ文明が発達したグァテマラなどの地域にもグラフィティの形跡が残っており、それら

は古代の文化の生活様式や言語を知る上で大きく役立っている。紀元前 1 世紀ローマ人は

定期的にメッセージを公共の壁に刻み込んだ。海を越えた場所では、マヤ人が多くの絵を

壁面に彫っていた。それは必ずしも、破壊行為ではなかった。ポンペイでは一般市民が、

愛の告白や思想などを言葉にしたもの、また、好きな剣闘士への応援メッセージでさえも

公共の壁に書き込んでいた。ギリシャ哲学者プルタルコスを含めグラフィティに反対する

人もいた。彼らはグラフィティは無意味でばかばかしいと批判した。これらのグラフィテ

ィは、古代の文化の生活様式や言語を知る上で大いにに役立っている。10

現在、「グラフィティ」の名で知られている文化は、60 年代末のニューヨークで始動し、

70 年代を通して花開いて、80 年代中頃までを一つの黄金期とし、現在も続行している。

グラフィティの定義としては、自らの名前を公共空間に書くこと、エアゾール・スプレー

やマーカーの使用、独特の文字デザインと視覚言語、有名性やスタイルを競うゲーム性、

人目に触れやすい空間への露出、反復、拡散、ヴァンダリズム11と違法性といった重要な

要素がある。当時の社会の流れも、グラフィティの誕生に大いなる影響を与えている。1960

年代に起こった社会の出来事として、都市におけるポスターや看板、広告のヴィジュアル、

テレビ・アニメやコミックのキャラクター、日常的に消費される大量生産商品のロゴやデ

ザイン、ヒップホップ、ソウル、パンク、テクノ、ヘヴィメタなどの音楽文化、政治的急

進主義やヒッピーの登場などが、当時のグラフィティに影響を与えていた。しかしながら、

この頃のグラフィティは、まだストリートアートとはかけ離れており、グラフィティライ

ターは美術史と外れたところにいた。

9 artscape(http://artscape.jp/artword/index.php/)より 10 TED 「a brief history of graffiti」 11芸術品、公共物、私有財産を含む、美しいものや尊ぶべきとされているものを、破壊も

しくは汚染する行為のこと。器物損壊や美しい外観や景観を損なわす行為(景観破壊)、落

書き、見苦しい建造物を建てる行為を含む。通常、器物損壊や迷惑行為として取り締まり

の対象となる。

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2-3 ストリートアートとポップアート

グラフィティと美術館を結びつけるきっかけとなった人物が、先ほど登場したアンデ

ィ・ウォーホルである。ストリートアーティストであった、キース・ヘリングとジャン・

ミシェル・バスキアは、アンディ・ウォーホルとの共作により、美術界に進出した。この

世代は、時代的な背景もあるが、メディアでの露出を最大限にし、コマーシャル系の依頼

にも臆せず、出来ることは何でもやるというのが特徴だった。彼らが美術界に進出したこ

とにより、グラフィティ・アートが世間に認められるようになる。グラフィティはアート

主流派との間にあった境界線を大きくまたいで、大衆に受け入れられるようになった。か

つてはあり得なかったことだがグラフィティ作家が伝統的な美術館やブランド、アーティ

ストと共同制作するようになると、これらの作家たちは影から抜け出し、主流のアート業

界でスポットライトを浴びた。グラフィティは破壊行為と結びついてはいるものの、自由

な芸術表現のための手段でもある。破損と美化の境界についての議論は今もなお続いてい

る。

キース・へリングは、サブウェイドローイング(地下鉄に描く絵)と呼ばれる落書きで

世界を変えた、ストリートアート界のパイオニアである。キース・へリングと言う名前を

知らなくても彼の作品を目にしたことは必ずあると断言できるほどキースへリングの作品

は至るところで目に映る。世界中で愛され続ける彼の作品は、様々な場所やアイテムに使

われている。日本ではユニクロの T シャツに彼の絵が使われていた。カラフルな色彩に力

強い線で描かれた簡略化されたアートが、キースへリングの作品の特徴である。キース・

ヘリングは 1986 年、ベルリンの壁への抗議行動としてチャーリー検問所の壁へ作品を残

した。彼はこの時、「冷戦の崩壊を願って、東側の壁に絵をかいた。人類の統合や未来へ

出典: GRAFFITI

(https://www.amsterdammuseum.nl/en/exhibitions/graffiti-new-york-meets-dam)

図 2-2「グラフィティ」

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の希望を込めた。政治的なメッセージの込もった作品である。」と語っている。12

ジャン・ミシェル・バスキアは、ニューヨーク市ブルックリン出身の画家であり、グラ

フィティ・アートをモチーフにした作品で知られる。1983 年アンディ・ウォーホルと知り

合い、作品を共同制作するようにもなる。1987 年のウォーホルの死まで 2 人の互いに刺

激しあう関係は続いたが、バスキアは徐々にヘロインなどの薬物依存性に陥り、妄想癖が

見られるようになった。そしてウォーホルの死によりさらに孤独を深めると共に、ますま

すヘロインに溺れていった。

12 NHK 映像の世紀「世界を震わせた芸術家たち」より引用

図 2-3 「キースヘリング」

出典: ST style(http://st-style.com/art/2490.html)

出典:JDN(https://www.japandesign.ne.jp/interview/150417-kobra2/)

図 2-4「ウォーホルとバスキア」

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第二世代のグラフィティライターとして、深くアートと関わっていたのは、サンフラン

シスコ出身のバリー・マッギーやカウズである。90 年、キース・ヘリングの AIDS による

死以降、アーティストたちの間で稼ぎたいという姿勢が見えすぎたことにより、アメリカ

の若者たちからの指示を得られなくなり始めていた。ヨーロッパでは、ドイツの東西統合、

経済的な不況から、列車や、かなり過激なスタイルのグラフィティが生まれた。これらが、

バリーやカウズたちに影響を与えた。カウズは果敢に広告へ飛込み、バリーはイタリアの

アルテボーベラを世にだしたキュレーターとして知られているジェルマーノ・チェントや

ハラルドゼーマンのヴェニス・ビエンナーレなどに巨大なインスタレーションを発表し、

アート界では不動の地位を獲得するが、名前を変え続け、アートコレクターたちから微妙

な距離を保った。つまり、第一世代が行ってきたメディアや広告、アート業界からも斜め

に構えたポジションを常にキープしているのがその特徴といえる。第二世代のスタンスを

さらに強固に推し進めているのが第三世代のバンクシーではないだろうか。中でも際立っ

た特徴が、その徹底的な匿名性である。イギリスのブリストル出身であること以外、一切

のプライバシーを明かすことなく活動を続けている。また、バンクシーは第一、二世代の

アーティストのように商業的に稼ぐようなことはほとんどしていない。それよりも、パレ

スチナの分離壁など、社会的・政治的にも意味を強く生じさせる場所を標的に活動を行っ

ている。そんな彼の活動は、アートの世界を超えて、社会的な出来事として、注目を集め

ることにつながっていく。ストリートから始まったアーティストたちであるが、キースや

バスキアの場合、アート界での名声を得るに伴い、素顔やプライベートな素顔が明らかに

なってゆき、その名声に押しつぶされるような最後を迎えたものも少なくない。特に第一

世代のアーティストに顕著に見られるこの傾向を、バリーら第二世代は懐疑的に見つめ、

よりクールなスタンスでアートの世界に接しているように思える。そして、第三世代のバ

ンクシーになると、第一世代とは全く逆のアプローチ法を行っているように思える。次章

ではそんなバンクシーについて考察を深める。

第 3 章 バンクシーとは誰か

3-1 バンクシーの作品から読み解く人物像

バンクシーは正体不明のストリートアーティストであり、世界各地でゲリラ的に作品を

描くことで知られている。それまでスプレー缶で名前を書くことが多かったストリートア

ートに、ステンシルという手法を取り入れ、視覚的にもデザイン的にも美しい絵柄を導入

した。町中の壁に反資本主義・反権力など政治色の強いストリートアートを残している。13

作品が有名であるにもかかわらず、イギリスのブリストル出身であること以外は、本名、

年齢など謎だらけである、覆面アーティストである。2005 年には、MOMA やメトロポリタン

美術館など、世界各国の有名美術館のひとけのない部屋に自作を無断で展示したこともあ

13 ユリイカ「バンクシーとは誰か」

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る。そんな活動から「芸術テロリスト」とも呼ばれ、素性を明かさない彼の作品と存在は、

アート界を超えて社会的にも注目を集めている。

バンクシーの作品の多くは、反権力的なメッセージを強く発している。とりわけ、バン

クシーを世界的に有名にしたのが、2005 年 8 月にエルサレムのベツレヘム隔離壁(ウエス

トバンク)にパレスチナ自治区側から 9 つのストリートアートを描いた行為である。イス

ラエル政府がパレスチナ自治区との境界線に国際法に反してまで建設を進めるこの分離壁

の向こう側に広がる美しい景色を描き、その必要性と分離壁の建設に対する犯罪性を問い

た。バンクシーのスポークスマンによると、この時、イスラエル軍の多くの狙撃兵が壁画

を描くバンクシーに銃口を向けていたという。通常、自作の背景にある社会・政治的状況

や歴史的コンテクストをあまり語ることのないバンクシーが、この作品に限っては、作品

集「Wall and Piece」に自ら解説を施していることからも、これらのストリートアートが

バンクシーにとって特別なものであることがわかる。バンクシー自身による解説は次の通

りである。

「1967 年以来、パレスチナはイスラエル軍事政府によって占領されてきた。2002 年、イ

スラエル政府は占領地をイスラエルから隔離する壁の建設を始めたが、その大部分は国際

法違反である。いまやパレスチナは世界最大規模の屋外収容所だが、グラフィティ・アー

図 3-1「スティーブ・ジョブズ」

出典:Banksy(http://www.banksy.co.uk/out.asp)

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ティストたちにとっては、最高に腕のふるいがいのある旅先である。」14

パレスチナ人によるインティファーダ(民衆蜂起)や国際社会からの批判にも関わらず、

イスラエルによる占領は現在もなお続いており、パレスチナとイスラエルとの和平はほと

んど不可能だとさえ言われている。そのように政治的な次元で展望の開けない場であるか

らこそ、バンクシーが、がグラフィティによってこじ開けた穴と、壁の向こう側に広がる

景色の意味は大きい。また、風船を手に舞い上がって、今にも壁を越えようとしている少

女のシルエットも印象的だった。この出来事はテレビや新聞に取り上げられ、世界に広ま

った。そして、バンクシーの発言通り、その後、この地域一帯は、多くのストリートアー

トで溢れる観光名所に生まれ変わったという。

14 「wall and piece」から引用

図 3-2「パレスチナの分離壁」

出典:Banksy (http://www.banksy.co.uk/ ) 出典:Banksy (http://www.banksy.co.uk/)

図 3-3「パレスチナの分離壁」

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バンクシーは、ストリートに絵を描くだけでなく、映画の製作や、パフォーマンスアー

トなどを行うこともある。その中でも、注目したい映画が、「Exit Through the gift shop」

(2010)という作品である。本作はアカデミー賞長編ドキュメンタリー部門に認定された映

画である。この映画では、素人同然だった男(ティエリー)が、グラフィティ・アーティ

ストである、MBW(ミスター・ブレインウォッシュ)となるまでの軌跡を描いている。

ティエリーは素人であるにも関わらず、友人であるバンクシーやシェパード・フェアリ

ーが応援メッセージを書いたことで、世間で話題となり、展覧会には多くの観客が押し寄

せたそうだ。さらにプロによる一定の評価まで獲得してしまった。なぜ、そのようなこと

が起きるのか不思議であるが、これこそが現代アートならではの特有の現象ということが

できるようだ。現代アートでは、文脈がありそのなかでも「参照と引用」というものが、

重要視されている。そこに目を付けたバンクシーは、アートの素養も技術もない素人をア

ーティストに仕立て、作品をその「アートの文脈」に則って作り上げた。それを端的にい

えば、現代アートの歴史を丸ごと真似して、ポップな色合いで塗りたくったものであり、

アンディ・ウォーホルをイメージさせる作品であるが、それが大衆からの評価を受けてし

まった。バンクシーが、現代アート界の仕組みを皮肉ったのは言うまでもない。

出典:GUY HEPNER(https://guyhepner.com/product/mr-brainwash-7-by-gavin-bond/)

図 3-4 「Mr.Brainwash」

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バンクシーは、グローバル企業による児童労働や搾取をモチーフにしたグラフィティを

数多く描いている。例えば、ベトナム戦争時に、米軍の空爆で焼き払われた南ベトナムの

村から裸で逃げ出してきた少女の姿がディズニーのミッキーとマクドナルドのドナルドに

連れて行かれるグラフィティが代表的なものである。このグラフィティの元となった写真

は AP 通信ベトナム人カメラマンだった、フィン・コン・ウト氏によって 1972 年 6 月 8 日

に撮られ、その後「戦争の恐怖」というタイトルが付けられた有名な一枚である。南ベト

ナム軍のナパーム弾で、火傷を負った子供らが逃げてくる場面を捉えたものだ。これは翌

年の 1973 年にピューリッツァー賞を獲得し、戦争の悲惨さを如実に表し、当時最も人々の

心に深く印象を焼き付けた写真と呼ばれた。15その子供が叫び声を上げている一方で、ア

メリカを代表する消費文化の象徴であるミッキーとドナルドはいつもの笑顔であり、グロ

テスクな恐怖を生み出している。あるレポートによると、ベトナムにはマクドナルドのハ

ッピーセットについてくるおもちゃやディズニーのキャラクターグッズを製造するスウェ

15 courier japon(2017 年 4 月 5 日)https://courrier.jp/news/archives/81471/

出典:BALLISTA(http://ballistamagazine.com/features/thierry-guetta-aka-mr-brainwash/ )

図 3-5「life is beautiful」

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ットショップがあり、そこでは若い女性たちが時給 6 セントで働かされていたという。16こ

うした背景を考えると、グローバリゼーションのシンボルであるミッキーマウスとドナル

ドに手を掴まれた少女が連れて行かれる先はスウェットショップなのではないかと思えて

くるし、グローバリズムの裏側を見たような気分になる。

これらの作品を見てわかるように、ただグラフィティやストリートアートを特定の場所

に施すだけでなく、それをきっかけに起こされる先の現象までを設計し、その一連の流れ

をプロジェクトとしてしまうのがバンクシーの最大の特徴であり、また今日の優れたスト

リートアートの一つの傾向でもある。

3-2 バンクシーin New York

2013 年 10 月に、バンクシーは突如、ストリートアートの聖地、ニューヨークシティに

やって来た。そして彼は、「Better out than in 」という名のプロジェクトを開始した。

内容は、バンクシーがニューヨークシティのどこかに、1 ヶ月間毎日、製作した作品を置

き、それを大衆が見つけるという内容で、実際にニューヨークで行なわれたものである。

このプロジェクトは現代アート業界だけでなく、ニューヨーク市全体を巻き込む一大騒動

に発展した。バンクシーは作品を設置するたびに、instagram に写真をアップしたが、設

16 (https://wokobo.net/2016/05/23/banksy/)より

図 3-6「Napalm」

出典:Banksy

(http://www.banksy.co.uk/)

出典:npr

(https://www.npr.org/2012/06/03/154234617/napal

m-girl-an-iconic-image-of-war-turns-40)

図 3-7「Napalm girl」

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置場所は明かさなかったため、実際の作品を一目見ようとするファンや画商たちがスマー

トフォンを片手に市内を探し回った。

その騒ぎを受けてニューヨークの市長は、改めて、「グラフィティは違法」という声明文

を発表する事態に陥り、警察は“バンクシー逮捕”を掲げて包囲網を貼り、その騒ぎを追

うマスコミが市内を駆け巡った。毎日どこに作品が現れるかわからない宝探しと、作品を

見つけた人たちによるソーシャルメディアを通じた一瞬の情報共有、そしてネット上を通

じたさまざまなコミュニケーションなどが印象的だった。今回のバンクシーのプロジェク

トには様々な人々が関わっている。熱狂的なファン、批評家、市長や警察のように不本意

にも巻き込まざるをえなかった人たち。白人も黒人もスパニッシュもアジア系も、アッパ

ーイーストサイドに住むお金持ちからゲットーの若者たちまで、老若男女様々だった。SNS

が普及している時代に、これだけたくさんの人々がネットにアップされた作品の現物を見

に行こうとするのも驚きだが、人々が普段は行かない場所へ行き、普段出会わないような

階層や人種の人たちが、作品を媒介に出会ったり、議論を交わしたりする様子が新鮮で、

バンクシーは、市民の反応や行動までを見越してこのプロジェクトをデザインしたのでは

ないかと思えてくる。

バンクシーのグラフィティは、いまやオークションで高値がつく。数時間後には誰かが

出典:instagram(https://www.instagram.com/banksy/)

図 3-8「banksy の instagram」

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バンクシーが描いた部分の壁やドアを切り抜いたりしていくシーンが多く登場する。それ

を逆手にとり、路上で名も無きホームレスがバンクシーの絵を 60 ドル(オークション価格

だと 2 万ドル以上)で販売するも、誰も目もくれないというシーンも印象的だ。これから

読み取れるメッセージは、美術作品が投資する金融商品と変わらなくなってしまった現代

アート業界への批判のように感じられる。

作品そのものから拡張し、アクションや行動、思考にまでノイズを走らせることによっ

て、世の中にある「当たり前に」疑問や視点を向けさせるバンクシー。作品の様子を Twitter

や Instagram で投稿するものすべてが、彼の作品のメッセージを強く拡散させるものとし

て機能する。彼の手を離れ、そこに参加する人たち自身がそれぞれの思いやメッセージを

もとに作品を投稿する。もちろん、そこにはポジティブなものもネガティブなものも含め

てだ。17

17 ドキュメンタリー映画「banksy does New York」より

図 3-9「Untitled」

出典:Banksy

(http://www.banksy.co.uk/ )

図 3-10「Untitled」

出典:Banksy

(http://www.banksy.co.uk/ )

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バンクシーのグラフィティを追いかけようとする人たちが多いなか、バンクシーはスラ

ム街のど真ん中にグラフィティを描いたシーンが印象的だ。日常では誰も寄り付かない場

所にあるグラフィティ。けれども、生で見て自身で撮影(そして自身のソーシャルメディ

アで拡散し「いいね!」や RT を欲しい)したいと考える人が、そこに足を向けていく。地

元の若者とバンクシーの追っかけをする普通の人たちがスラム街で衝突するシーンは、そ

れまで目をそらしていた街中の現実を私たちの目の前に突如として浮かび上がらせた。

バンクシーが作製するモノ(作品)自体に意味はない。モノは実はきっかけでしかなく、

あとはどう話題を生んで、どう言葉が大衆に広がっていくかをバンクシーはイメージして

いる。前時代のアーティストなら、作品としてモノを残すことが目的であったが、現代で

は、消されても構わないというバンクシーの意志が見え隠れする。昔であれば、映像や音

が残らなかったため、自分がした功績を残すために、作品を置いていくしかなかったが、

現代では、SNS の普及や技術の発展により、誰でも動画サイト(you tube)などで動画を

見れたり、instagram や twitter などで瞬時に情報を共有することも出来る世の中になっ

ているため、後世に作品を残す必要がない。つまり、作品の放つメッセージの方が重要に

なってきているということが、このプロジェクト全体を通して理解することが出来る。バ

ンクシーはこの一連の現象自体をアートとしているということがわかる。

3-3 バンクシーに対する評価

バンクシーがストリートに描く絵に対しての評価は様々である。ただし、注目されてい

るということに対しての異論はないだろう。ベン・アインを始め、多くのストリートアー

ティストたちは、バンクシーが、ストリートアートの巨頭だと認めている。18それは、バ

ンクシーの作品が、ただ美しいだけではなく、強いメッセージを持っているからである。

バンクシーは、ストリートアートの定義を変えた人物として、次世代のアンディ・ウォー

ホルのようだとも言われている。一方、近年では、アート市場での絵画の取引が盛んにな

っており、ストリートアートも、高額な値段で売買されている。アートディーラーたちは、

バンクシーが壁に描いた絵を取り外して、アートフェアで展示したり、それを売ったりし

ている。その中で最も有名なのが、ステファン・ケスラーというディーラーである。彼は、

バンクシーが描いた絵を本人の許可なく販売している。ケスラー本人は、後世に作品を残

すために、善意で行っていると主張している。彼は、実際のところ、先ほど述べたバンク

シーがパレスチナに描いた絵のうちの2つを切り取り、「アートマイアミ」という、マイア

ミで行われたアートフェアに出展していたのだ。しかし、バンクシーを含むストリートア

ートたちは、ケスラーの行為に対して抗議の声を上げている。

18 ドキュメンタリー映画「saving banksy」より

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ストリートアートは、その場所に描いてあるから美しく、意味があるのであって、スト

リートから切り離されてしまえば、その絵は意味がなくなってしまう。バンクシーを含め、

多くのストリートアーティストたちは、ハイエンドなコレクターに見てもらうためではな

く、一人でも多くの人たちに絵を見て欲しくて、ストリートに絵を描いている。

一方、市や警察は、バンクシーを追うのに必死である。いくら美しいアートとはいえ、

公共の場にその建物に住んでいる人の許可を得ずにアートを描く行為は、違法だとみなさ

れるからだ。イギリス国内では、バンクシーが描いた作品に対して、周囲の人々から苦情

が出たり、作品が消されてしまうこともある。しかしながら、行政の反応は意外であり、

「街の海岸通りに再度バンクシーがグラフィティを描いてくれることを待ち望んでいる。」

という声明を発表した。彼らが、バンクシーの商業的価値に気づいたからか、もしくは美

術的価値に気づいたからだろうか。VICE というサイトのスタッフは、エセックス州テンド

リング市の行政窓口のトップ、ナイジェル・ケネディに話を聞いた。「この認識が世間の共

通認識として広まるとは思えないが、バンクシーは彼独自の許可のようなものが存在する

と言えるし、そもそもこの場所の価値を高めるような行為なので今回の件に関しては、違

法性はないと判断した。このエリアは観光スポットでもあり、バンクシーのオリジナルの

作品があれば、それも一つの観光資源として多くの利益をもたらしてくれると考えたから

だ。19」という答えが返ってきたそうだ。このように、作品がお金を生み出すから、市は

バンクシーの作品を残すことに賛成したのだろう。バンクシーの作品を保護することに対

19 「VICE」HP より引用

出典:Banksy (http://www.banksy.co.uk/ )

図 3-11「ストップ・アンド・サーチ」

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しては賛成だが、このような、バンクシーだけに対する特例に対して、他のストリートア

ーティストたちはどのように感じているのだろうか。1982 年から活躍しているストリート

アーティストであるブレイズは、キング・ロボやベン・アインと共にロンドンでも活躍し

ている。彼はバンクシーに対して、「あれはヴァンダリズムなんかじゃない。壁に描いた金

だよ。」と答えている。

第 4 章 アートの持つ力

4-1 主張するアート

バンクシーの作品のように社会的・政治的メッセージを主張するアートは、これまでの

時代にもいくつか登場してきた。アート自体は、道具や手段になっており、それよりも、

アートを通して伝わるメッセージの方が重要になってきている。ロシアの文豪、トルスト

イが自身の本で芸術の定義について語ったメッセージがある。「芸術とは、一人の人が、意

識的に何か外に見える印を使って、自分の味わった気持ちを他の人に伝えて、他の人がそ

の気持ちに感染して、それを感じるようになるという人間の働きだ。芸術によって、同じ

時代の人たちの味わった気持ちも、数千年前に他の人たちが通ってきた気持ちも、伝わる

ようになる。芸術は今生きている私たちにあらゆる人の気持ちを味わえるようにする。そ

こに芸術の務めがある。20」

例えば、パブロ・ピカソのゲルニカは、強いメッセージ性を含んだアートであることが

わかる。1937 年、パリ万国博覧会が開催され、世界 44 カ国 3 千百万人が来場した。2120

世紀最大の芸術家であるピカソもゲルニカを出展した。これは、スペインに対するナチス

ドイツによる無差別爆撃を表した絵であり、当時人々がもてはやしていたヒトラーの非道

を告発した。ピカソはこの万国博覧会でゲルニカを展示するために、わずか一ヶ月で製作

したそうだ。しかし、万国博覧会で注目されたのは、急速に成長するナチスドイツとソビ

エト連邦で、両者のパビリオンが金賞を同時受賞した。ゲルニカは見向きもされなかった

という。しかし、その後、ゲルニカは反戦のシンボルとして世界に認識されることになる。

ゲルニカが放つメッセージは、世代を超えて広がっていく。2003 年 2 月、イラク空爆前

夜、当時のアメリカ国務長官コリン・パウエルが記者会見を行った際、そこにあるはずの

ゲルニカのタペストリーが暗幕で隠されていた。同じ年の六月、スイスのバーゼルで行わ

れた印象派の展覧会を訪れたところ、会場のロビーにそのタペストリーが飾られていたそ

うだ。横には、暗幕の前でパウエル国務長官が演説をしている写真と、展覧会の主催者に

して大コレクター、エルンスト・バイエラー氏のメッセージがあり、「誰がゲルニカに暗

幕をかけたかはわからない。しかし彼らはピカソのメッセージそのものを覆い隠そうとし

た。私たちはこの事件を忘れない」と。そしてタペストリーは所有者の意向により、国連

20 トルストイ「芸術とは何か」 21 Wikipedia パリ万国博覧会(1937 年)より

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本部から他の美術館に移された。結局、誰がゲルニカに暗幕をかけたのかは未だに分かっ

ていない。アメリカがイラクに軍を向派遣する、その演説にそぐわないと考えた何者かだ

と予測される。しかし、その何者かはゲルニカに暗幕をかけることで、作品の持つ強いメ

ッセージを図らずも世界中に伝えることになった。22

音楽が世界を変えた象徴的な出来事は、西ベルリンで、デイヴィッド・ボウイが野外ラ

イブを行ったことである。第二次世界大戦後、敗戦国となったドイツは西側を資本主義の

アメリカ、イギリス、フランスに、東側を共産主義のソ連に占領され、西ドイツと東ドイ

ツという 2 つの国に分かれることになる。東ドイツ領内にあった首都、ベルリンも東西で

分断され、西ベルリンは東ドイツにぽつんとある孤立した島のような状態になった。西に

比べて自由が少なく、監視も厳しい東ドイツでは、不満を抱く国民が後を絶たなかった。

そんな彼らは、西ベルリンに亡命しようとした。東ドイツは西への亡命を防ぐため、1961

年に西ベルリンをぐるりと囲む巨大な壁を建造した。そんなベルリンに変革の兆しが生ま

れたのは 1985 年のことであった。この年、ソ連の書記長となったゴルバチョフが「改革」

を意味するペレストロイカを提唱すると、その影響は、東ヨーロッパの共産主義国にも広

まり、共産主義からの脱却を求める声は勢いを増していった。23歴史が大きく動こうとし

ていた 1987 年6月6日、デイヴィット・ボウイはベルリンの壁を背にコンサートを催す。

会場となった西ベルリンのプラッツ・デア・レプブリックには大勢のファンが集まったが、

観客はそれだけではなかった。壁を挟んだ東側ベルリン側にも数千人の人たちが集まって

いたのだ。スピーカーのいくつかは東側に向けられ、コンサートが始まると壁の向こう側

から盛大な歓声、そして歌声が聞こえてきた。その姿をみることはできなかったが、彼ら

の存在はボウイの心を大きく揺さぶったという。24それは壁で隔てられた西と東がデイヴ

22 週刊東洋経済「がんとお金」(「暗幕のゲルニカ」を書いた原田マハ氏に聞くより) 23 Wikipedia (https://ja.wikipedia.org/wiki/)より 24 産経オンラインニュース 2016 年 5 月 2 日

図 4-1「ゲルニカ」

出典:MUSEY(https://www.musey.net/449)

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ィット・ボウイの音楽を通じて一つになった瞬間だった。デイヴィット・ボウイが 2016

年 1 月に亡くなった際には、「デビット・ボウイよ、さようならあなたは私たちのヒーロ

ーです壁の崩壊に力を貸してくれてありがとう25」というツイートをドイツの外務省が行

っていた。

4-2 21 世紀のアート

インターネットの発達によって誰もが撮影者になり、発信者になった。大きなメディア

に頼らず、自由に発信できるようになった芸術からは、世界をつなぐ力を感じることが出

来る。2015 年 11 月 13 日、世界に衝撃を与えたパリ同時多発テロ事件が起きた。ISIL(イ

スラム国ないし IS)の戦闘員と見られる複数のジハーディストのグループによる銃撃およ

び爆発が同時多発的に発生し、死者 130 名、負傷者 300 名以上を生んだテロ事件である。

2,3 年前の出来事であり、まだ記憶に新しい人も多いのではないだろうか。パリ同時多発

テロが起きた次の日、多くの人が犠牲になったパリのコンサートホール「Bataclan(バタ

クラン劇場)」の前で一人の若者がピアノを持ち込み、彼はピアノで、ジョン・レノンの

「imagine」を演奏した。「imagine」を演奏したのは、ドイツ人ピアニストの Davide

Martello。Davide はもともと、ドイツのコンスタンツという都市で演奏する予定であった。

しかし、アイリッシュパブで、フランス対ドイツの親善試合(サッカー)を見ていた際、

突如として起きた、正気の沙汰とは思えないテロ行為を目の当たりにし、いてもたっても

いられずパリまでやってきたそうだ。26Davide が「imagine」を演奏する映像が撮影され、

インターネットに投稿された。Youtube や instagram、vine などにアップされた動画は世

界中に広まった。CNN の 14 日朝の現地リポートでは、ピアノの音は中継のバックミュー

ジックとして流れた。私自身も instagram でこの動画を目にし、pray for Paris を投稿し

た記憶がある。次の日、その映像を見た人々が集まり、ギターでイマジンを演奏し、歌っ

た。その後、この行為はパリの各地に広がった。この「imagine」という曲は、Beatles

のジョンレノンが 1971 年に発表した曲である。当時は、ベトナム戦争が起きており、戦

争に心を痛めたジョンが平和を願って作った曲である。国家や宗教によって起こる対立や

憎悪を無意味なものとし、曲を聴く人自身もこの曲のユートピア的な世界を思い描き共有

すれば世界は変わる。という思いを込めて作成された。時代や国を超えて、この曲が広ま

っているところに、アートが持つ大きな力を感じる。また、SNS があったからこそ、多く

の人にこの動画が伝わり、次の日も、そのまた次の日もイマジンを演奏する人が絶えなか

ったという所に、SNS の可能性と影響力の大きさを感じた。

25 ドイツ外務省の twitter より引用 26 THE HUFFINGTON POST JAPAN 2015 年 11 月 15 日より

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4-3 アートの持つ可能性

アートの持つ可能性は計り知れない。メッセージを伝えるのに最適なアートが、今回取

り上げたストリートアートである。美術的な技法でなくて、メッセージを伝えることが出

来ればいい為、SNS の時代に上手く乗っかって、広がっていくことが出来る。描くことが

目的ではなく、手段であるのが、ストリートアートである。美術館などにある現代アート

に比べて、バンクシーなどが描くストリートアートは目的や批判する対象が明確に分かる

場合が多い。もしかすると中には、日本で生活しているだけでは理解できないようなテー

マがある場合もあるかもしれない。しかし、その絵を見たことがきっかけで、自分自身で

その絵が表す問題について調べてみたり、考えてみたりするようになるかもしれない。裏

を返せば、アートを通してそういったことを理解できるかもしれない。時代を振り返ると、

芸術家の活動は映像として残り、人々に勇気を与え、進むべき道を示したことが分かる。

だからこそ、バンクシーも自身の映画を作成したのだろうし、自身の作品が instagram や

twitter などにのることを考慮して製作することで、普通であれば、寿命が短いストリート

アートを、世界に、そして未来の人々に残したのであろう。SNS の時代だからこそ自分の

メッセージが作品を通して国を超えて世界中に広がり、他の人がその気持ちに感染して共

感が生まれる。同じ時代の人たちが味わった気持ちも、瞬時に味わうことが出来る。その

輪は放射線状に世界に広まり、あらゆる人があらゆる人の気持ちを味わうことが出来る。

芸術は新たな力を得たのである。

技術や政治、ビジネスは実際に世界を変える力を持っている。一方でアートは世界を変

えることができるのだろうか。アートは直接的に世界を変えることはないが、人生の見方

を変えることはある。アートは物事を変えられないからこそ、意見を交換して議論する中

立な場を提供してくれる。その結果として人々の世界に対する見方を変え、ひいては世界

を変えることがあるかもしれない。

図 4-2「PARK」

出典:Banksy(http://www.banksy.co.uk/out.asp)

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おわりに

今回、卒論の製作を通して痛感したことは、自分には文章を読み、理解する力が劣って

いるということだ。また、自分で考えて、意見を書くということが苦手だということも分

かった。もっと早い段階から卒論製作を行っていれば、より素晴らしい論文をかけたと思

うと、とても悔しい。先輩方の卒論製作の進度と比べると、今年の私たちは非常に甘かっ

たと反省している。これから、何かを行う時は、ギリギリに終えるのではなく、余裕を持

って作成出来るように、逆算をし、計画的に行おうと思う。また、佐藤先生から「ストー

リーを作れよ」というアドバイスを頂き、ストーリーを意識しながら行った卒業論文プレ

ゼンテーションで 2 位になったことは、プレゼンテーションが何よりも苦手な私にとって、

大きな自信となった。この卒業論文製作は、これまでの学生生活の中で最も力をいれたプ

ロジェクトである。私が、困っている時に助けてくれたゼミのメンバーに心から感謝する

と共に、お忙しい中で、卒業論文の添削をしてくださった佐藤先生に感謝の気持ちを込め

て、この論文を締めくくりたいと思う。

<参考文献>

書籍

1. 大山エンリコイサム(2014)「Against Literacy」LIXIL 出版

2. 石坂泰章(2016)「巨大アートビジネスの裏側」 文藝春秋出版

3. 週刊東洋経済 (2016)「がんとお金」 東洋経済新報社出版

4. トルストイ著 中村融 訳(1952)「芸術とは何か」 角川文庫

5. 藤田令伊 (2009) 現代アート超入門 集英社出版

6. 三浦篤(2016)「西洋絵画の歴史 3」小学館出版

7. 宮津大輔(2014)「 現代アート経済学」光文社新書

8. ユリイカ(2011) 「バンクシーとは誰か」 青土社出版

9. Banksy (2007)「wall and piece」 copyrighted material)

10. Tilman Osterwold (1992)「POP ART」Benedikt Taschen 出版

Web ページ

11. 産経オンラインニュース 2016 年 5 月 2 日

http://www.sankei.com/premium/news/160501/prm1605010016-n1.html

引用日(2017/2/15)

12. 日本経済新聞デジタル

https://www.nikkei.com/article/DGXBZO39979240Z20C12A3000000/

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13. ハフィントンポスト 2015 年 11 月 14 日

http://www.huffingtonpost.jp/2015/11/14/man-plays-imagine-bataclan_n_8566134.htm

l

引用日(2017/1/20)

14. Banksy

http://www.banksy.co.uk/

引用日 (2017/1/10)

15. courier japon「地獄からハリウッドまで」2017 年 4 月 5 日

https://courrier.jp/news/archives/81471/

引用日 (2017/1/16)

16. Hidden Treasures

http://www.slate.com/articles/news_and_politics/the_gist/2003/02/hidden_treasure

s.html

引用日(2017/2/1)

17. My modern net 「10 key moments in street art」

https://mymodernmet.com/graffiti-art-history/

引用日 (2017/12/09)

18. Sniffing Europe

http://sniffingeurope.com/2017/02/18/streetartist10/

引用日(2017/1/12)

19. TED 「a brief history of graffiti」

https://ed.ted.com/lessons/a-brief-history-of-graffiti-kelly-wall

引用日(2017/1/15)

20. VICE 「なぜバンクシーだけが壁に描くことを許されるのか」

https://jp.vice.com/lifestyle/banksy

引用日(2017/1/25)

21. VOGUE

https://www.vogue.co.jp/lifestyle/interview/2014-12-18/page/2

引用日(2017/1/27)

22. wokobo

https://wokobo.net/2016/05/23/banksy/

引用日 (2017/1/10)