ポスドク問題ー...
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ポスドク問題ーメリットと課題(私見)
東京大学名誉教授新領域創成科学研究科
北澤宏一(現在:科学技術振興機構)
ポスドクの歴史米国 1950年代に始まる
1980-1990 急増ハングリ―アメリカベトナム戦争終了
2001 急減現在5万人強
国策ではない 市場原理研究費による市場雇用 アメリカンドリームの出発点
過半数外国人、女性
日本 昔からオーバードクター問題→フェローシップ(学振、奨学金の考え方)→プロジェクト研究(任期雇用)増加→ポスドク1万人計画(1997開始)
2000:達成現在15000人位
国策として
95年科学技術基本法制定96年第1期科学技術基本計画97年の「ポスドク等1万人支援計画」00年達成06年の文部科学省調査で15496人
「科学技術創造立国」に向けた人材確保の観点なぜポスドクでなければならなかったのか?
若手研究戦力増強の必要 バイオ・高エネ常勤ポスト数の制約←公務員定員削減任期付き(ポスト数にカウントされない)助手技官ポストを減らして教授ポスト増加
米国のポスドク層厚み 5万人強、日本1.5万人
大学国研約16万人中8-10万人の研究者ポスト、民間研究者(60万人程度)
これに対してポスドク1.5万人(H18)急速に増加した←博士号取得者数 年14500人(H14)
ポスドク1万人計画達成の意義ポジティブな面
ハングリーネス 若手研究者を競争的環境においた米国のよさを取得←論文数の増大
人材確保 従来より余分に 若手国研のポテンシャル向上大学の研究レベルアップ 研究層厚くなった→企業研究開発力アップ?
グループ全体が任期付研究員で成り立つ部門も可能にフレキシブルで迅速な研究所設立可能にポスドクなしでは成立しない研究所も
プロジェクトにタイムリーにひとを集められるようになった
ポスドク制度なければ無理
日本の研究人材を厚くした 特に国研、バイオ、高エネ論文数増大(国研では2倍(物材機構など)
~数倍も(理研))国研の協力研究者不足を補った大学の助手定員減を補った研究者コミュニティにハングリーさ付与総じて日本の研究ポテンシャル上昇
○ポスドク1万人計画は成功したか?“とりあえず、成功”
日本の社会と、しかしながら、整合していない
ポスドク1万人計画は成功したか?
• ポスドク層の個人的・経済的負担
物理学会キャリア支援センター栗本猛氏による 2009.3.30.物理学会
RA制度リサーチ・
アドミニストレーター
「 漂う“ポスドク”1万人」毎日新聞:連載『理系白書06』第三部(2005年11月2日付朝刊)
1)正規職員と同等の研究成果、しかし、待遇がずっと悪い、2)ステップアップできる正規職の空ポストがなかなか生じず、いつ職を失うか3)必要な教育・訓練が施されず、使い捨てと感じる、4)正当な評価をしてもらえる場がなく、閉鎖社会の中で指導者の恣意的な評価に弄ばれ易い、
5)「まだ論文は自分だけで書けないし、業績も足りないので、もう少し訓練してからでないと人前に出せない。そのような期間中は給与もそれなりに低くて当然。」
6)「博士とは『一人前の研究者』であるはず。千尋の谷に突き落として這い上がってきたものだけを育てれば良い。」
7)「漫画家も音楽家もほんの一握りの成功者以外はすべて他の手段で食べていかねばならない。自己責任で生き方探しをするのが当然。」
8)「司法試験や医師国家試験ならパスすればその後の道が与えられる。博士は制度設計がおかしい。」
9)「すでにPDを雇用し、いい人は成功している。」10)「PDはフレキシビリティがなく、使いにくい。雇う予定はない。」11)企業に行こうと考えたこともない「食わず嫌い」が多数
労働問題としてのポスドク問題
• もともと日本は無給どころか授業料を払っている大学院生が研究の主力。
• 今は「有給」のポスドクが研究の中心に。それでも大学院生が日本の研究の主力部隊であるという構造は変わっていない。
• なぜ、彼らが無給どころかお金を払ってまでも、研究に没頭したか:その先には博士号があり博士号を得たからには、その中の大多数は研究者になれる可能性が担保されていたからだと思います。
http://shinka3.exblog.jp/6684347/
大学院生数
1991: 9万9千人
2000:20万5000、2008:26万3000
ポスドク1万人計画ーポスドク層自身の見方ー
• ポスドク1万人計画というのは、その前に重点化された大学院で「需要と無関係に続々生産された行き場のない専門職予備軍」である博士が、とりあえず「失業者」になることを阻止するために考え出された政治的時間稼ぎだったのだと思います。事実、当時そうした議論がありました。とりあえずポスドクとしてでも雇っておかないと、すぐさま「失業博士問題」が浮上するからなんとかしなければならないという、当時の中曽根政権の危機感だったのでしょう。説明としては、外国でもたくさんいるポスドクというものを日本でもたくさん作る。外国ではポスドクが終わると、みんな研究室を立ち上げるので、日本でもそいうことが「期待される」というようなことだったのだと思います。冷静に考えれば、少子化の中で大学教員が削減されつつあるなかで、彼らをPIとして受け入れる研究室が絶対的に足りないことは、少なくとも政府は知っていたはずです。
• http://shinka3.exblog.jp/6684347/
http://shinka3.exblog.jp/6684347/
• たとえポスドクでも、実力と社会性さえあれば研究職になれる、などという「可能性」を強調することは、たとえそれが嘘ではないとしてもかなり危うい言説であることは、私が知っている何人かの実力と社会性を兼ね備えたポスドクがまだ職を得ていない現実を見るだけでわかることです。能力がなかろうと、社会性がなかろうと、博士号を与えたり、ポスドクとして雇ったのだとしたら、自分には責任はないなどとは誰も言えないと思います。
私の見方:研究とは何なのか?
http://jrecin.jst.go.jp/
平成21年度(補正予算)「高度研究人材活用促進事業」(仮)の公募
中
ポスドク活躍促進による企業の研究開発活性化
大学国研約16万人中8-10万人の研究者ポスト、民間研究者(60万人程度)
国全体 80-170万人 A
これに対してポスドク13500人(H14)B急速に増加中 博士号取得者数 14500人(H14)
米国のポスドク層厚み 5万人強
テンポラルジョブとしてのPD期間の考え方
ポスドクとして過ごす期間(平均年数)t= 35年{B/(A+B)}ー α
テニュア制度の考え方:法人の責任「ポスト」という概念:法人化と逆行
ポスドク問題への私の見方
• 本人:自己責任 (法学、文学他との差)• 指導教授:製造者責任(ミクロに)
• 私個人:人生到る処青山あり(ひとは請われる処で働け)、人生でいくつ、何にチャレンジするか。海外経験の薦め:もう一つのチャレンジ
• 博士号はそれをとれば何かが保証されるという資格ではない。必要資格・名誉称号である。(制度)
• 日本のポスドク、大学、独法研究所、研究費が「国策の範囲内にあるか」:マクロ施策に国の責任→多面からの是正努力必要(人材を適正に配置で
きた国は無い)
サマリー
• ポスドク制度:日本国にとっても「必要人材」であることの証明はなされた
いくつかの側面:日本の社会制度のフレキシビリティ付与、迅速性・流動性→研究成果の向上(若手研究人材の不足を補った)
• 問題明確化必要:流動性と社会的安定性・社会的ステータス (何にとっての必要人材?)
• テニュア制度の考え方:法人の責任• 「ポスト」という概念の打破 法人化組織の改革• 製造者責任を問われる大学の改革:カリキュラム、定員
• ポスドクの自己責任:人生をどう生きるか:他の職業(漫画家、プロスポーツ)
設計:モラトリアム期間、チャレンジ期間、社会や家庭と自分、習得期間
決断(選択)の連続ーそれが人生(「私は既に多くのチャレンジを楽しんできた。次はこれ
で行こう!」)