エネルギーの世界史 - 帝国書院...12 世界史のしおり 2019①...
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12│世界史のしおり 2019①
近年,過去の地球における気候変動や,各種感染症の流行の様相が判明しつつある。これらの要素の影響は想像以上に大きく,われわれの歴史観に変革を迫っている。本稿では,人類の歴史を「エネルギー」という側面から追ってみたい。エネルギーの調達と確保は現代国家の最重要課題だが,これは何も最近急に始まったことではない。
「エネルギー」という言葉を辞書で引くと,「物体や物体系がもっている,仕事をする能力の総称」という意の解説がなされている。自動車が走るのは,ガソリンの燃焼による化学エネルギーのおかげだし,電灯が光るのは送電線で送られてくる電気エネルギーによるものだ。ものをつくり出すのにも運ぶのにも,エネルギーは欠かせない。人類は誕生以来長らく,食料を体内で燃やすことで得られる化学エネルギー──要するに腕力と脚力だけをたよりに,事をなしてきた。このエネルギーは使いやすく安全だが,応用範囲が狭く量に限りがある。牛や馬などの家畜がもつ力は,長距離の移動や田畑の開墾に大きく貢献したが,これとてさまざまな制約があることに変わりない。人類にとってターニングポイントとなったのは,火という新たなエネルギーの使用だ。火は夜の闇を追い払い,冬の寒さから身を守る術となった。また,火は人類の肉体そのものにも大きな変化をもたらした。2011年,ハーバード大学の研究グループが,約190万年前に出現したホモ=エレクトゥスが,初めて火を使って加熱調理を行ったとする説を発表している。これによって肉や穀物の消化吸収がよく
はじめに
火の使用
なり,摂取カロリーが増加した。これと同じ時期に,人類の脳の容積が急激に大きくなっているのは,炭水化物などの効率的な摂取が可能になったおかげというのが彼らの主張だ。火はそれだけでなく,ものづくりの面にも大きな影響をもたらした。その最初の影響は,土器の製作という形で現れた。どこの国であれ,考古学は素焼きのつぼとその破片を探すところから始まるといわれるほど,土器は普遍的に使われた。水で練った粘土を焼くと硬化するのは,熱エネルギーによって粘土の粒子の原子配列がゆさぶられて組み変わり,粒子どうしが結びつくためだ。土器の登場により,人類は自由な形と大きさの容器を手に入れ,食物の貯蔵や調理がより容易になった。このことは,人類の定住生活開始と密接にかかわっていると考えられる。土をこねて焼くという技術の応用範囲は広く,メソポタミアでは記録材料として粘土板が利用されたし,れんがやかわらなどの建築材料も大量生産された。人類が都市を築き,文化をつくりあげるためにも,火は大きな役割を果たしたといえる。やがて人類は,ふいごなどで空気を送り込むことにより,火力を高める技術を手に入れる。この高エネルギーをフルに生かしてつくり出されたのが,青銅や鉄などの金属器だ。これらが歴史にどれだけ大きな影響をもたらしたかは,ここであらためて語るまでもないだろう。
火のエネルギーは人類に大きな恩恵をもたらした。しかしエネルギーの大量使用には,マイナスの面がつきまとう。初期の人類がおもに用いた燃料は薪であり,とくに都市化が進むにつれて山から大量に木が伐採された。この影響により,多く
エネルギーと環境破壊
エネルギーの世界史サイエンスライター 佐藤健太郎元東京大学特任助教
未来へ活かす世界史
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世界史のしおり 2019①│13
の文明が滅亡あるいは衰退を余儀なくされた。人類が経験した,最初の環境破壊であった。人類最初の文明であるメソポタミア文明は,れんがなどの大量生産のため,周囲の森林を次々に切り開いた。このため,雨水は山林で保水されることなく一気に川に流れ込み,大洪水を引き起こして都市を破壊した(ノアの箱舟伝説のモデルともいわれる)。土壌は流出して堆積し,滞留した水は夏の高温で干上がって,塩分が残された。かつての緑豊かな土地は,塩害で耕作不可能となり,やがて現在見るような砂漠へと姿を変えていった。同様の事例は世界のあちこちで起きている。黄河流域では,万里の長城建設などのために森林が伐採され,乾燥が進んだ。これは黄砂の原因となり,日本にも影響を与えている。そのほか,インダス文明やイースター島の文明など,森林破壊のために滅んだとみられる文明は少なくない。温暖湿潤な気候の日本では森林の再生が早く,比較的こうした害は少なかった。それでも,大仏殿などの建設のために周辺の森林が失われたことが,平城京から平安京への遷都の遠因となったとする説がある。江戸時代にも人口増加のために森林が犠牲となり,洪水が頻発した。こうした問題は火力に限ったことではなく,どのようなエネルギーであれ,環境への悪影響は避けられるものではない。原子力発電に伴う危険はいうまでもないが,水力発電や風力発電なども,自然にダメージを与えずにはおかない。クリーンエネルギーの代表格とみられてきた太陽光発電も,土砂崩れや廃棄時の有害物質処理など,無視できないデメリットが指摘されるようになった。エネルギー使用につきまとうマイナス面を知り,折り合いをつけつつ活用していかねばならないことを,われわれはあらためて肝に銘じるべきだろう。
川の流れのエネルギーを動力にかえる水車はギリシア時代に発明され,とくにヨーロッパで広く活用された。現代の水力発電もこの延長線上にある。水車は川のそばにしか設置できないというデメリットはあるものの,一度設置すれば24時間安定
水力の利用
したエネルギーが得られるという大きな長所をもつ。ただし,渇水や凍結などによる長期停止はありうるから,設置場所は慎重に選ぶ必要があった。得られた動力は金属の鍛造や皮なめし,鉱石や穀物の粉砕,灌漑などに広く用いられて産業の発展を助けた。18世紀半ばには,ヨーロッパ全体で50万から60万の水車小屋が存在していたと推定されている。水車は歯車や滑車と組み合わされて動力機械の技術が発展し,各種の工場がつくられていった。こうした機械技術は,やがてくる産業革命への礎石ともなった。
そして18世紀半ば,イギリスで産業革命が起こる。この世界史の一大転換点の影にあったのが,木材から石炭への「エネルギー革命」であった。石炭は古くから知られていたが,煤
ばい
煙えん
を多量に放出する扱いにくい燃料であり,大規模に活用されてはいなかった。しかし18世紀初頭,石炭を蒸し焼きにすることで硫黄分やコールタールなどを除き,炭素の純度を高める技術が開発される。こうして得られたコークスは有害な煤煙が少ないうえに,容易に高温を得られるすぐれた燃料であった。コークスの採用は,製鉄業に大きな飛躍をもたらした。1750年にはイギリスの銑鉄生産量は2万8000t程度であったが,その100年後には約200万tへ急増している。こうしてつくり出された鉄はあらゆる産業に供され,鉄道や蒸気船などとして交通網にも変革をもたらした。とはいえ,あまりに多量に用いられたコークスは,やはり弊害を引き起こさずにはおかなかった。工場から排出される黒煙は人々の健康をむしばみ,ロンドンを「霧の都」とする要因にもなった。第二次世界大戦後でさえ,石炭によるスモッグが呼吸器疾患の引き金となり,1週間で4000人以上が亡くなる惨事を引き起こしている。
産業革命と石炭
クロンプトンが発明したミュール紡績機(『最新世界史図説タペストリー 十七訂版』p.1812Ⓓ)
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14│世界史のしおり 2019①
石油の登場は,コークスにつぐ第2次エネルギー革命といえる。石油が大規模に使われるようになったのは,1859年にアメリカのペンシルヴェニアで油田が掘り当てられたのがきっかけだ。石炭に比べた石油のメリットは,液体であるという一点につきる。地中から得られた原油はさまざまな炭化水素の集まりだが,分
ぶん
留りゅう
という操作によってプロパンガスや灯油,ガソリンなど,沸点や着火温度の異なる燃料に分離でき,その際に硫黄分などの有害物質も除去できる。また,パイプラインなどでの輸送も可能だし,エンジンに用いて出力をかえることも容易だ(現代の観点からしても,得られる熱量あたりのCO2排出量は,石炭より少なく済む)。便利で「クリーン」な石油が,石炭を駆逐していくのは当然のことであった。石油はあっという間に大量に製造・販売される
ようになり,国家間の勢力バランスを大きくかえた。決定的であったのは,第一次世界大戦当時イギリス海軍大臣であったチャーチルが,自国に豊富に産する石炭を捨て,輸入にたよらざるをえない石油を艦船の動力に採用したことだ。補給性と機動力にすぐれたイギリス艦隊は敵を圧倒し,抵抗を続けたドイツも海上封鎖によって石油輸入を断たれたことで,ついに降伏のやむなきにいたった。その後,列強は石油で駆動する艦船の整備を進めていき,第二次世界大戦は最初から石油争奪戦の様相を呈した。日本が開戦に踏み切ったきっかけは,1941年8月のアメリカによる石油禁輸であったし,ドイツがフランスやソ連に侵入したの
「クリーンエネルギー」石油の登場
も,油田や石油施設をねらってのことであった。結局枢軸国は,最後まで十分な石油を確保できず,敗れ去る。石油の有無が各国の命運を分けたのだ。
20世紀は石油の世紀であった。しかし石油の埋蔵量には限りがあり,2010年ごろには産出量がピークをこえて,以降は減少の一途をたどると予測された(ピークオイル)。石油にかわるエネルギー源の確保は,人類最大の課題といってもよい。ウラン原子核の分裂の際に放出される巨大なエネルギーを用いる原子力発電は,ポスト石油の一番手とみなされてきた。しかし1986年のチェルノブイリ原発事故,2011年の福島第一原発事故により,その先行きには大いなる暗雲が立ちこめた。21世紀に入ってから急速に存在感を増しているのが,シェールガスやシェールオイルなどの新たな化石燃料だ。前者は地下深くの岩石の微細なすきまにたまっているガスを,高圧水を送り込んで岩石を破砕することで取り出すもので,その埋蔵量は世界需要の数百年分ともいわれる。まさに革命的なエネルギー源だが,温室効果の高いメタンガス放出など,思わぬ環境問題を引き起こす可能性もあり,これで資源問題は解決などと手放しで喜べる段階でないことは確かだ。地球温暖化問題がクローズアップされるにつれ,
「脱炭素社会」という言葉もよく使われるようになったが,現状をみるとその実現は容易ではない。当面は,こうした炭素エネルギー源をうまく利用しつつ,その循環をコントロールしていく術を探るのが現実的とみられる。近年では,CO2や余剰の有機物をもとに,燃料となりうる油脂を生産する藻類の研究なども進んでいる。難しくはあっても,エネルギー確保と環境問題の折り合いをつける道筋は,みえてきているといえよう。とくに福島第一原発事故以降,「浪費をやめて江戸時代の暮らしに戻れ」といった言説もみかけるようになったが,これは現在の社会状況や世界人口を考慮しない空論にすぎない。過去に学んで教訓を得つつ,あくまで前方の未来を切り開く姿勢こそ,今後必要となるものだろう。
21世紀のエネルギー
未来へ活かす世界史
『最新世界史図説タペストリー 十七訂版』p.218「④コークス高炉による製鉄」写真:WPS