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2017年度 1学期号 地理・地図資料 ルーマニア/移牧のようす(解説p. 2) 教授用資料 〈 デザインリニューアル! 〉

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2017年度 1学期号

地理・地図資料ルーマニア/移牧のようす(解説p.2)

教授用資料

〈 デザインリニューアル! 〉

1地理・地図資料◦2017年度1学期号

社会主義時代をしのばせる首都ブカレスト

 首都ブカレストはルーマニア平原の中央部に位置し,200万近

い人々が住む。古い建物が残らずに無機質なコンクリートの建物

が建ち並んでおり,ヨーロッパ的な首都らしさが感じられない(写

真①)。これは第二次世界大戦で古くからの街なみが破壊された後,

社会主義体制のもとで“計画的”な街づくりが行われた結果である。

写真②の超巨大な「国民の館」は,独裁者チャウシェスク大統領の

“宮殿”として建設されたものだが,彼は完成を見ることなく,

ルーマニア革命によってその生涯を閉じた。現在,「国民の館」の

内部は一部公開されており,絢爛豪華な内部を見学しようと,多

くの観光客が訪れていた。

せめぎ合いの中ではぐくまれたトランシルヴァニア地方

 遊牧民族やオスマン帝国にたびたび攻め込まれたトランシル

ヴァニア地方には,教会を中心にして防御壁等で要塞化された村

落が数百も形成された。このような要塞教会は,有事の際に周辺

の住民が避難して,要塞内で生活できるつくりになっている。現

在,七つの要塞教会が世界文化遺産に登録されている(写真③,プ

レジュメルの要塞教会)。この地で生まれ,オスマン帝国に立ち向

かったのが,ドラキュラ伯爵のモデルになったといわれる“串刺し

公”ヴラド3世だ。ルーマニアでは侵略から国を守ろうとした英雄

ととらえられている。ドラキュラ城のモデルとなった「ブラン城」

(写真④)は,内外から多くの観光客を集める観光資源となっている。

 トランシルヴァニア地方には,昔ながらの生活・文化が息づき,

古きよき牧歌的な雰囲気が残る。牧童による移牧(表紙写真:写真

⑥)が営まれ,山あいの伝統的な作業小屋でチーズをつくる村もあ

る(写真⑤)。ルーラルツーリズムをさかんにしようという動きが

あり,伝統的な農村風景を保つ努力もなされはじめている。心落

ち着くこのような光景がいつまでも維持されることを期待したい。

〈帝国書院/取材班〉

ルーマニア2016年9月,東欧の国ルーマニアを訪れた。ハプスブルク家やオスマン帝国,ソ連など,時代時代の大国の影響を受けながら歴史をつむいできた国の姿を紹介したい。

表紙写真でめぐる旅�

250km0

ブラショヴ●③●④トランシルヴァニアルカル●⑤●⑥

●①●②

ル ー マ ニ ア

ウクライナスロバキア

黒 海ドナウ川

ハンガリー

セルビア

ブルガリア

モルドバ

ルーマニア平原ブカレスト

カルパティア山脈

トランシルヴァニア・アルプス山脈

●①

帝 国 書 院 が 行 く !

2地理・地図資料◦2017年度1学期号

●⑥

2007年のEU加盟以降,経済発展著しいルーマニアはヨーロッパ南東部に位置し,周辺諸国を横断するカルパティア山脈が国土の1/3を占める。山頂部にある準平原面には放牧地,そして斜面には森林が広がっている。また,盆地や深い谷に刻まれ,居住に適した環境には古代ローマ時代から集落が形成された。山地人口のうち約150万は約60の都市に,残り約200万は約2500の山村に暮らす(2002年時点)。山村の農家は,平均約3.4haの農林地を所有し,持続可能な自給的農業や林業による伝統的な生業を継承するが,少子高齢化,国内外への出稼ぎ・移動等を背景とした人口減少が問題となっている。

トランシルヴァニア・アルプス山脈東端のブラン−ルカル回廊はピアトラ・クライルイ連峰−ブチェジ連峰間で南北の山ごえの要所としてかつて関所がおかれた地であった。山村の多くの世帯は多就業農家で,林業や伝統的な家畜飼育を生業に,乳製品加工(チーズ,バター等),羊毛加工,製材・木材加工(クラフト等)を行うと同時に中世ごろから有名な移牧基地でもあった。

ブラン−ルカル回廊南部のルカル村の起源も古代ローマ時代にさかのぼり,中世には税関の村として機能した。長い間,伝統的な移牧システムが行われ,4月半ば,羊や牛が羊飼いと一緒に牧草を求めて山を登り,山の上

の放牧地で夏を過ごした後,9月半ばに下山し,数百km離れた温暖な低地の放牧地で越冬した。社会主義時代,村の多くの農民は近隣の工場や建設業,林業で働きながら農場を守った。羊毛加工や乳製品加工は受け継がれたが,冬の放牧地への移動は難しくなり,母村で舎飼いし,夏季に刈り取った干し草で飼養する方法にかわった。社会主義体制が終わった1989年以降,国全体の政治・経済・社会・文化の各方面で変化がみられた。農地や森地が個人に返され,EUの共通農業政策の支援による新たな家族(個人)経営企業も設立された結果,ルカル村では木材生産・加工などがさかんになった。2000年以降,家畜数や家畜飼育農家数が減少する一方,家畜数を拡大する農家もいるが,それらは移牧から平地に借りた牧場での飼育に転換した例が多い。

ピアトラ・クライルイ国立公園設立後は村内の森林が公園の一部となったため,同公園の森林保護により,木材加工業は落ち込んだ。一方,近年は公園内のカルスト地形や自然環境,田園風景,歴史や農村文化・伝統を資源にルーラルツーリズムやエコツーリズムが発展してきた。多くの農家が宿泊客を受け入れ,ペンション等も増加しており,ツーリズムによる地域の持続的発展が期待される。

●⑤

●④

●②

ルーマニアの写真はこちらから!

●③

写真はすべて2016年9月撮影/帝国書院

表紙写真解説

トランシルヴァニア・アルプス山脈における移牧の特色と人々の暮らし

首都大学東京 特任准教授 佐々木 リディア