アダム・スミスの交通観 url...
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53
ア
ダム
・
ス、
し
ス
の
交通観
♯
富
永
蕗
冶
ア
ダム
・
ス
ミ
ス
に
とつ
て
交通の
第一
の
意
義は
、
分業む
促進す
る
こ
とに
よ.
つ
て
労働の
生
産力を
増大
する
鮎に
あつ
た。
即ち
労働の
生産力
を
増
大
する
主
要原
因
たる
分業は
市場の
廣さ
に
よ
つ
て
制約せ
ら
れ、
こ
の
市場の
撞大は
交通の
便宜
に
依
存す
る。
そ
して
「
水
道に
よ
つ
て
各種の
産業に
封して
開か
れ
る
市場は
陸蓮の
み
に
よ
る
場合よ
り
も廣い
か
ら、
凡ゆる
種類
の
産業が
自
然に
分化し
改
良さ
れ
始める
の
は、
海岸で
か
又
は
可
航河
川の
岸に
沿
ふ
と
こ
ろで
あつ
て、
そ
れら
の
改良が
圃の
内陸
諸地
方に
及
ぶ
の
は
屡ミ
そ
れ
よ
り
ずつ
と
後の
こ
とで
あ
る。
+
(
H
訂
弓e
邑F
已
当已
-
。
ロ00
、
。
中
臣n
冒。-
召r
・
H
ち寧)
こ
の
水陸の
蓬
迭灯
お
け
る
優劣
里止
澄
する
ため
に、
ス
ミ
ス
は
「
八
頭立
の
廣輪四
輪荷馬車+
と・
「
六
人又
は
八
人の
乗組員を
も
つ
船+
と
の
輸迭能力の
比
戟を
輿へ
る。
『
国富論』
に
お
ける
こ
の
間
知の
個所に
封する
脚話に
お
い
て、
キャ
ナ
ン
は、
水蓮の
優越性がこ
1
で
は
過
大評
侵さ
れて
ゐ
る
と
注意
して
ゐ
る。
箕
際に
さ
うで
あつ
たか
ど
うか
、
を
瞼記
する
前に
、
右の
分業と
市場規模と
の
関係に
つ
い
て
の
発行
ア
ダム
・
ス
ミ
ス
の
交
通
軌
3与
一
橋
論
叢
第八
巻
第一
戟
36
思
想が
簡単
琴が
ら
見出
さ
れ
る
『
講義』
の
中に
あつ
て、
『
国富論』
で
は
省略を
れ
た
道路に
関する
次の
文句に
表注意し
3 6
て
置か
う。
「
更に
、
富裕を
蘭すた
め
の
分業は
、
常に
、
一
国に
お
け
る
安
易な遅速方
法に
よつ
て一
層完全と
なる
。
もし
路上に
強盗が
梼行し
、
泥
浮鞭くし
て
渥
畠が
容易で
ない
と
すれば
、
商業の
進歩は
阻止せ
ら
れざる
を
得ない
。
巧.五
十年前に
イ
ン
グ
ラ
ン
ド
で
道路が
改修せ
ら
れて
か
ら、
その
富は
急に
噂し
て.きた
ご
(
r
邑≡
潔
邑・
P日
吉コ
∵p.
-
鍔)
こ
の
講義は
、
キャ
ナ
ン
の
考苦に
よ
る
と、
一
七
六
三
卜四
年度か
六
二
卜三
年
度に
なさ
れ
た
もの
で
あ
る。
そ
れ
よ
り
四、
五
十
年前と
す
れぼ
十
八
世紀最初の
四
竿
世
紀に
常る
。
そ
して
こ
の
時
斯は
、
近
せの
英国に
ぉ
い
て
道路が
最も荒廃して
ゐ
た
頃
で、
常時の
陸
上交通が
如
何に
困難で
あつ
た
か
に
つ
い
て
は
別の
機倉に
述べ
た(
「
デフ
ォ
ウ
時
代の
イ
ギ
タ
ス
道
路+
-経済畢
雑誌
第八
巻
第五
璽。
た
ゞ、
右に
い
ふ
四+
五
十
年前の
道路
改
修云々
は、
厳密に
は
事箕に
合は
な
い。
上
記別
稿で
も明か
に
し
た
通
史
十七
世
紀か
ら
次
第に
顛著と
なつ
て
き
た
国内交通量の
増
大に
刺戟さ
れて
道路の
修築と
境張の
必
要が
一
般に
痛感せ
ら
れ、
そ
の一
封策と
して
タ
ー
ン
パ
イ
ク
の
創案な
ど
を
見た
け
れど
も、
箕際に
は、
道路
築造
技術の
幼稚さ
の
た
めに
改修は
殆ど
行は
れ
ず、
タ
ー
ン
パ
イ
ク
の
数も
少な
くそ
の
運用に
非難が
多か
つ
駕、
こ
の
時
期に
患
い
て
道路改修が
大胡模に
始め
ら
れて
ゐ
た
の
は、
む
し
ろ、
経
済
的に
は
後進国
た
るス
コ
ッ
ト
ラ
ン
ド
やア
イ
ル
ラ
ン
ド
で
あ
る。
そ
れ
は
主と
して
政
治的必
要
に
よ
告
殊に
前者で
竺七
三年の
ジャ
コ
バ
イ
ト
叛
乱以
後、
治安維持の
た
めの
軍事道路の
建造が
強
行さ
れて
ゐ
冤イ
ン
グ
ラ
ン
ド
に
お
け
る
道路
改良時
代は
十
八
世
紀の
後年
、
『
講義』
の
なさ
れ
た
頃に
やつ
と
始る
の
で
あ
る
(
「
交
通に
お
ける
デフ
ォ
ゥ
と
ヤ
ン
グ+
-国民
潜流雑
誌
第七
〇
巻
第六衆
参
顆)
。
甘
サ
ー
73
廿
・サ
一
遍、
ス
ミ
ス
は、
「
良好な
道路
・
運河
及び
可
航河
川+
とか
「
良好な
道路
・
橋
梁・
航行用運
河・
港
嘩等+
を
目
して「
商
業を
便な
ら
し
め
る
ための
諸
施設+
(
讃r
き
召
=H
}
■
忘-
甲)
の
表と
考へ
る。
つ
ま
り
労
働の
生
産力
増大忙
封する
交通
の
機能は
直接的で
は
な
くて
、
分業と
更に
こ
の
分巣む
新約す
る
市場の
形
成括動たる
商業を
味介と
す
る
と
考へ
る。
こ
ゝ
に
周蔵が
雪の
で
あ
る
が、
そ
れは
最後に
禦ノ
。
何れ
に
して
も、
費達し
考交通
手
段の
意義
を刀
証し
て
農が
ら、
『
国富論』
に
患
い
て
之に
関す
る
具標的事貿の
叙述が
比
較的少な・く
、
又
水
蓮
の
優越性む
範え
す儀
調して
ゐ
なが
ら、
そ
の
事例は
世
界
史的
な
もの
に
留つ
て
常時の
英国に
早け
る
内陸
李通に
水
蓮
が
演じ
準大
きな
鹿部
を不
常に
産外
税して
ゐ
る
や
う
に
息は
れる
。
こ
れ
は
柳か
奇異に
感ぜ
ら
れ
ざる
を
得な
い。
犬の
種類やり
ー
ス
港に
輸入さ
れる
‡ッ
ト
ラ
ン
ー ド
製靴下
這の
値段まで
知
ス
ト
ツ
ワ
7
-バ
ー
つ
て
ゐ
た
あの
事賛貪欲
者たる
ス
ミ
ス
がで
あ
る。
七
か
し
イ
ギ
三の
産業革命前夜斯の
分析書で
あ
る
『
国富
論・
・
…理
解の
た
めに
は、
宕制
約し
た
時
代的
背景の
表と
して
の
常時の
交通
状態の
知識も
亦た
択ぺこ
と
が
出
奔な
い
で
あ
ら
う。
その
上、
ス
ミ
ス
の
交通
問題へ
の
関心
は、
市場境大
に
封する
意義に
ぉ
い
て
主と
して
商品交通に
あつ
た
け
れど
も、
そ
の
随伴現
象と
して
の
人
間交
■通甘
見落し
て
は、
・
′
十八
草紀
の
イ
ギ
リ
ス
交通圏は
不
完全た
る
を
免
れ
ない
。
道路の
蟄達と
人
間交通の
状況と
は、
デ
フ
ォ
ウ
及びヤ
ン
グ
の
紀行を
中心と
し
て、
前記二
つ
の
別稿で
概説し
た
か
ら、
こ
ゝ
で
はス
ミ
ス
の
直
感取
扱つ
て
ゐ
る
問題たる
商品の
簡迭に
つ
い
て
層早
に
述べ
る。
〓
陸
路
遅
速
ア
ダ
ム
・
ス
、、
ヘ
ス
の
交
通
親
3 7
〔
H
)3
一
橋
論
叢
第八
巻
第一
親
和めの
『
国
富論』
か
ら
の
引
用か
ら、
常時
陸
上
に
至り
る
最大の
貨物運
迭手
段は
八
頭立の
廣輪四
輪荷馬車(
b
岩
邑弓F
邑・
星
雲F
g
笥且
で
あつ
たと
息は
れ
る。
四輪荷席亭が
い
つ
頃か
ら
用ひ
ら
れ
始め
たか
は
審か
で
な
い
が、
十
七
世紀の
二
十
年代に
相普
遍化しっ
1
あつ
た
もの
と
考へ
ら
れる
。
-
六
二
三
年、
車輌に
封する
最初の
港的規制が
行は
れ、
車
輌二
つ
以
上、
積載重量二
〇
星・
以
上
並に
牽引
(
1)
馬匹
五
頭以
上の
馬車使
用
禁止の
布
告が
出た
。
こ
れは
反面
か
ら
い
ふ
と、
常時
急に
増して
き
た
園内取
引の
必
要か
ら
こ
の
程
度の
陸上
蓮迭手
段を
以て
七は
既に
不
充分と
なつ
て
ゐ
た
尊茸を
物
語る
もの
で
ある
。
しか
も道路
修築技術の
幼稚さ
は、
増加す
る
交通量に
道路
を適
應せ
し
め
ずして
、
反
封に
交
璽芸道路に
適應せ
し
め
よ
うと
する
姑
息手
段を
探ら
し
め
た。
そ
れ
以
後、
積載量を
制限
す
る
種
芸方法が
行は
れ
たが
、
特に
重要なの
は、
言四
左タ
ー
ン
パ
イ
ク
道路の
各
徴税朗に
秤
(
2)
重器
を
備へ
て
取
締を
厳重に
し
た
例で
あ
る。
他方
、
重
量の
制限
と
並
んで
道路の
廃護の
ため
に
車輪の
縁を
廉くす
る
技
術的改
良が
考案鶉
制せ
ら
れ
た。
そ
の
意
想は
、
贋輪が
狭い
輪よ
り
も邁路
を
損ふ
こ
と
が
少
な
い
だ
けで
な
く、
↑
度庭園で
使ふロ
ー
ラ
ー
と
同じ
具合に
路面を
平坦
に
し
固め
る
作用を
する
、
と
い
ふ
の
で
挙る
。
贋綾の
輪を
励行す
る
た
め
に、
反
則
者に
封する
罰金
・
投
獄・
席匹の
没牧
、
廣輪車
輌に
封す
る
タ
ー
ン
パ
イ
ク
道路
通過
税の
嘩免
その
他種々
の
方策が
探ら
れた
。
之に
封する
反
封
琴動
、
或は
康輪と
さ
れ
た
結
畢生
じ
た
積載能力の
檜
蒼抑へ
る
た
めの
戟貨量制限の
禦化
等の
問題も起つ
た
が、
しか
し
贋輪の
鶉
剃は
十
九
草紀に
入つ
て
か
牡
ら
も緩け
ら
れ
た。
その
幅は
右五
三
年の
接待が
定め
た
九吋
とい
ふ
の
が
長
峯多く
、
時に
六
吋に
引
下げ
ら
れ
た
こ
と良
基つ
(
3)
た
が、
最大は
十
六
吋で
あつ
たや
うで
あ
る。
3 8
一
・サ
ー
93
一
■
貨物遥
迭に
つ
い
て
注意に
値する
の
は、
定期的な
辟
荷馬
車
盲鷲
書
篭-
J
♀
宮弓2
こ
がロ
ン
ド
ン
を
中心
と
して
比
(
4)
戟的
早くか
ら
行は
れ
たこ
と
でそ
れは
遊
客用の
辟馬車に
垂止
ちエ
リ
ザべ
ス
朝初
期に
創始せ
ら
れ
た
とい
は
れる
。
後に
は
単に
荷物だ
けで
な
く
貧しい
族
客を
も
蓮ん
だ。
迫剥は
荷馬車を
決し
て
襲は
な
か
つ
た
か
ら、
普通の
放
客馬
車よ
り
安全で
あ
つ
た
わ
けで
あ■る
。
彼等の
云
ひ
分は
、
貧乏
人を
狙
は
ない
とい
ふ
わ
けで
あ
る
が、
賛は
狙
ふ
値打が
なか
つ
たの
だ
ら
う。
し
か
し
辟
荷馬
車は
勿論
、
一
般の
荷馬車も
、
少
くと
も十
八
世紀の
前年に
お
い
て
は、
道路状態の
粗
撃去ら
廉く普及
し
得な
か
つ
た。
大
部分の
貨物遥
迭は
依然と
して
駄馬に
よ
つ
て
行は
れ
た。
主要
商業郡市の
大商
人は
何れ
も遠
近
の
市場へ
羊
毛
や
石
襲や
鏡石
や
璧や
魚や
陶器な
ど
を
遥ぶ
た
めに
多数の
馬を
常
備して
ゐ
た。
こ
れ
らの
往来の
は
げし
い
道路に
は、
泥
浮
(
5し
等に
よ
る
通行不能を
防ぐ
た
めに
二
択
乃至
四
沢の
幅で
板石又
は
小石
を
敷い
た
填
道(
筆雪皇が
設けて
あ
る。
その
頃の
族
行者達は
路上で
よ
く、
い
ろ
ん
な
商品を
載せ
空‡乃至
阿
十
頭か
ら
成る
一
列の
駄馬に
出
違つ
た
もの
だ。
発頭馬に
は
鈴
が
吊つ
て
あつ
て
反
封の
方向か
ら
凍る
もの
に
警告む
聾す
る。
そ
れ
ら
が
路
上で
行
交ふ
場合に
は、
何れか
〓
宗糧
道か
ら
舗
装ぎ
れて
ゐ
ない
路
面へ
跳
び
下
りて
避け
ねぼ
な
ら
ぬ。
し
か
もそこ
か
ら
再び
堤
道へ
戻り
上ら
う
と
す
る
こ
と
が】
通りの
苦努
(
6)
で
ない
、
とい
ふ
場合も
歩
くなか
つ
宅
あの
暢び
りし
た
「
メ
リ
ー・
イ
ン
グ
ラ
ン
ド+
の
牧
歌的風景の
名凍り
を
見せ
て
ゐ
る
の
で
あ
る。
と
こ
ろが
十八
世
紀の
中頃
か
ら・
弓英国に
お
け
る
産業革命進行の
過
程を
基
盤と
する
・
・
∃道路の
損張が
急速に
進む
に
つ
れて
、
道路
状態自饅に
は
さ
して
改
良が
加へ
ら
れ
な
か
つ
た
け
れ
ど
も、
貨物蓮
迭も
亦た
著し
く檜大し
駕そ
の
必
要か
ら
牽
引馬匹
教や
載貨重量に
お
ける
制限
が
漸次
緩和
せ
ら
れ、
革
健棒造の
改
良と
共に
車輌の
遅
速熊力も
向
上し
駕ア
ダム
・
ス
ア
ダム
・
ス
、、
、
ス
の
交
通親
3 9
八
U4
一
橋
論
叢
第八
巻
第一
戟
ミ
ス
の
例で
は
四
噸
積と
なつ
て
ゐ
る
が、
言六
五
年の
法律に
よ
る
構造の
荷馬革に
竺ハ
噸の
重量が
許さ
れ、
文
盲六
〇年
の
或る
著
書に
よ
る
と、
荷馬車
壷に
八
噸の
陶器
、
さ噸の
陶
手食料品
姦等が
積載せ
ら
れた
例が
ある
。
こ
の
世紀の
(
7)
(
8)
経
基に
なる
と、
ロ
ン
ド
ン
か
らエ
ディ
ン
バ
ラ
へ
通ふ
辟荷馬
琴は
】
○
頭の
馬に
上
っ
て
引か
れ
た。
荷馬革の
普及と
共に
嘗然啓発の
蓮迭
手
莞る
駄馬は
急に
磨れて
し
まつ
た。
そ
して
そ
の
結果生
じ
た
二
つ
の
著しい
現
象
は
猫立の
違法
巣の
蟄達と
見本販
責の
聾生で
あ■る
。
釦
ち商人の
或る
者は
もと
駄馬を
自ら
備へ
て
ゐ
た
と
同
じ
や
うに
、
自己
の
商品の
蓮澱の
た
めに
荷馬車
を持つ
て
ゐ
た
が、
大
多数の
小
商人に
とつ
て
斯くす
る
こ
と
は
不経
済で
あ■り
、
雄つ
て
取
引
量
が
激
警ノ
る
に
つ
れて
、
大
都市間を
繋ぐ
交通
路に
吉り
る
輸送の
大
部
雷引
受
け
る
遅
速
業者の
葺要
性が
大い
に
檜して
釆た
の
で
ある
。
彼等の
荷席亭は
書夜を
分
慧ノ
全
図の
公道に
お
い
て
見ら
れ
た。
マ
ン
チェ
ス
ク
ー
の
荷馬車は
規
則的に
ブ
リ
ス
ト
ル
やロ
ン
ド
ン
やエ
デ
ィ
ン
バ
ラ
に
通ひ
、
又
バ
ー
ミ
ン
ガ
ム
は
薄く北
方ヨ
ー
ク、
甫は
ブ
ザ
ス
トル
、
西
はウ
エ
ル
シュ
プ
ー
ル
、
(
S)
東は
リ
ン
カ
ー
ン
等三
十八
都市と
荷馬車連
絡を
もつ
て
ゐ
た。
そ
して
か
1
る
遥
遠
業の
蟄達は
、
蟄着時
刻
を定
め
たス
ケ
デュ
ー
ル
に
よ
る
定期蓮迭の
要求
を
常然生
ん
だ。
尤も
、
輸
望芸欒動と
路上の
諸障碍と
は
その
正
確な
蓬
行を
極
めて
困
難な
ら
し
め
牢し
た。
又
か
や
う
な
車輌道連の
繁柴も
経帝的に
進ん
だ
地
方及び
大
都市間の
主要
公道の
みに
見ら
れる
とこ
ろで
あつ
て、
僻陣地
方で
埠十
九世
紀の
中頃
に
室る
まで
駄馬が
依然と
して
童隆
志迭手
段で
雷ノ
、
革
嘩運
迭は
む
し
ろ
例外的で
(
u)
あつ
た。
見本販
費の
方浩に
つ
い
て
は、
碓釆の
商人は
そ
の
販
賛すべ
き
商品全
部を
駄馬に
載せ
て
各市場へ
出
向い
たの
で
あ■る
が、
今で
は
族
商が
見本の
み
を
携へ
て
地
雷廻
り、
商
談の
成立し
た
貨物は
荷馬車で
後か
ら
蓮
逢さ
れる
こ
と
1
な
つ
た。
墾
貢
4 0
▲I
.
一〝
片
14
L
一
事
†
〔
1 1)
津に
お
ける
こ
の
攣化は
一
七
三
〇
年か
ら
七
〇
年に
か
けて
行は
れ
た。
以
上
に
よ
つ
て
みる
と、
ア
ダム
・
ス
ミ
ス
の
頃に
行は
れた
萄馬
車道迭は
全
国
的に
普及
して
ゐ
な
か
つ
たに
して
も、
彼の
記
述
よ
り
多少
進んで
ゐ
準と
恩は
れ
る。
従つ
て
最初の
引
用へ
の
キャ
ナ
ン
の
註は
必
ずし
も
営つ
て
ゐ
ない
わ
けで
ない
。
し
か
し
か
や
う
な
五
〇
年代以
後に
畢ける
陸
嘉迭組
織の
著しい
蟄達に
も
拘ら
ず一
之
を
利用し
たの
は
腐敗
し
易い
農産物と
か
比
戟
的高
債な
商品だ
けで
、
全
輪
迭の
大
部分を
占める
大量貨物は
、
可
能な
限
り、
水
路に
よ
つ
て
蓮迭せ
ら
れ
汽
(
1)
串
巧言
-
--
甲
A・
も
ぎ{
焉?已
Ⅰ
已
邑
冒届
○
ユ
邑1
…
j邑邑0
ロ
5.
冒g
】
邑÷
邑○
已¢
-
ダ
ウ・
畠
監
選
(
2)
串
訂打
冒ロ
)
責
ヂ
ゴ蒜
冒e
昔話n
…=芭点さ
蔓ぎF
冒宥
岩畳
邑もP
旨邑葛
篭{
}
㌔OF
+ら
甲心
・
(
3)
串
守邑)
○
マ
ロ
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こr
余
色
諾
至
J
昌
冒昌〉
○
ワ
賢〉
マ
謡2
t
寧ナ
(
4)
鞍
討幕冒P
ロ}
。
マ
〔
チ
写-
革・
∽
こ草
(
5)
こ
の
琴道
に
つ
い
て、
特
に
ロ
ーマ
人の
達也
琵な
る
そ
れの
堅
固き
に
つ
い
て
デ
フ
ォ
ウ
は
口
を極
め
て
嘉し
て
ゐ
る。
-串
P告¢
〉
.P
㌔○
ロ
‥F
…各-
F①
至J
O
訂
Ⅰ
を
………
-
賢-
ロ
阜
冒雪害三
L
芦
阜
召r
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一
筆
(
6)
良
筆曾
-
2
叫、
W・
P
もー
邑
邑
邑{
-】
岩畳巴
ニロ
{
訂
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霊
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清孝ド
阜L
邑昌-
00
岸り
盟
言t
選
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已.
計已ハ
ー
ロ
昌)
。
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・
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(
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才ロe
曽一
邑-
)
甲
も客
t
2
邑岩2
已
弓叫
LO
已昌L
芽÷○
ロ
告ロ
ー
箋-
ワ∽
帖・
(
9)
已.
J
呂打
ヨ
昌}
。
p・
旦F
)
廿・
∽
蓋・
リ
(
望
見・
弓
草野
無
声)
日義
】
∑
旨邑
ぎe
岩
岳ロー
‥
-
Fe
警
守口
=}
-
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賢g
昌啓w
睾【+
邑0
2
-
塁甲
声
(
1 1)
異
句けPtt
)
○
マ
邑・
)
ワ
芦
ア
ダ
ム
・
ス
ミ
ス
の
交
通
親
4 Ⅰ
り一4
一
橋
論
叢
第八
巻
第一
奴
三
内
陸
水
蓮
水陸
両
道途
方法の
比
警患
い
て
ス
ミ
ス
が
用
芙例は
、
…ド
ン
とエ
デ
ィ
ン
バ
ラ
との
交通で
雪た
。
同
様な
比
蓼材
料
は
多く見出さ
れる
で
あ
ら
う
が、
之と
略
三岡七
陸
路行程の
例をい
三つ
選び
出
す
な
ら、
言七
〇
年に
出
た
或る
パ
ン
フ
レ
(
1)
ッ
ト
は
次の
や
う
に
述べ
て
ゐ
る、
-リ
ー
ズ
か
らワ
ヴ・ア
ブ
ー
ル
へ
商
曽陸
路
蓬
準する
と=
虚聞若くは
そ
れ
以
上か
ゝ
り、
遍に
付四
壁○
志で
且つ
毀損し
易い
、
そ
れが
水
路に
よ
る
と
極め
て
安全に
三
晶で
遍〓ハ
志の
費用で
運
迭さ
れる
だ
(
2〕
ら
う
と。
ィ
苦ノ
ス
の
交通史に
ぉ
い
て、
道路の
蟄達の
後れ
た
理
由が
多く水
路の
便宜
、
特に
沿
岸航
避に
あつ
たこ
とは
常
識的事茸
(
3)
で
あ
る。
賛際
、
イ
ギ
三度柴草命
を準
備し
、
そ
の
賀
誓可
能な
ら
し
め
た
交通上の
條件は
殆ど
専ら
蟄達し
た
水路に
よ
つ
て
輿へ
ら
れ
たと
云
つ
て
過
言で
な
い。
こ
の
意
味で
は、
水
蓮の
優
越性に
関する
ス
ミ
ス
の
力説も
誇張に
過ぎ
は
し
な
い。
(
1)
昆・
賢邑2
言・
P
A・
-
声e
I
已邑
鞋
邑宮岩
】
宣2 ・
-
夢1
き哲琵
i
}-
n
す監
買-
賢
告計恥
t
訂
彗ロ
ete
e
邑9日.
t
弓ヨ
∽・
乱・
r
O
ロaO
ロ
ー
琵A
)
p・
望P
(
2)
こ
の
水
陸
運
賃の
比
較
は、
時
期と
地
方
と
に
よ
つ
て
趣め
て
警で
雪て
、
樹括
的な
結
論を
下
し
難い
。
-畏
J
邑H
呂、
Op・
2 .
什・
)
ワ
皆の
監
芳一.
(
3)
異
音昌
t
O
阜勺・
盲①
-
邑畳
鞋
冒さ鼓
邑2
こ
芸事蔓岩鼻
1
} ・
言責邑・
声
音書盲号三選り
忘↑平
l
滑
岸
航
路
4 2
巾
{
▲
廿
カ
\
外洋航遥に
封する
内陸
水
蓮
手
段と
して
は、
沿岸航路
・
可
航河
川
及び
運河の
三
種が
あ■り
、
英国に
ぁ
け
る
聾達もこ
の
順
次で
行は
れ
冤そし
て
こ
の
国で
は、
道路の
蟄達を
遅
滞せ
し
め
た
と
同じ
事
情が
人工
水
路の
蟄達を
も
阻んで
ゐ
た。
即ち国
内自然水
路利用の
便宜が
少な
か
ら
ずあつ
たに
も
拘ら
ず、
屈曲の
多い
海岸線と
豊
富な
天然港湾
、
海岸と
河口
に
位す
る
都
市の
存
革(
ロ
ン
ド
ン
、
ハ
ル
、
ニ
ュ
ウ
カ
ッ
ス
ル
、
ブ
リ
ス
ト
ル
等)
、
内陸
諸
都市の
海岸へ
む
比
戟的
近
接、
こ
れ
らが
沼
岸航
窪む
盛な
ら
し
め、
自
然水
路の
建設は
固よ
り
河
川の
改
良さ
へ
も
閑却さ
れ
る
結
果む
生
ん
だの
で
ある
。
運河の
開整に
お
い
て
英国はフ
一
ア
ン
ス
よ
り二
世
紀牛以
上
も後れて
ゐ
る。
措岸航路
と
自然河
川と
の
比
較に
お
い
て、
前
者の
有
する
不利
、
邸ち
暴
風や
海賊の
危険或は
各種の
港湾公許を
計算に
入
れて
も其の
優越性は
問題な
く明か
で
あ
る。
そ
して
輸
迭貨物の
最重要な
もの
は
石
衆で
あつ
た。
そ
の
ため
に
用ひ
ら
れ
たの
(
1)
は
三
〇
〇
乃至
四
〇
〇
噸の
平般で
、
沿岸航行放と
して
は
常時
最大の
もの
で
あつ
た。
デ
フ
ォ
ウ
が
外囲製の
放と
較べ
て
自慢
(
2)
して
ゐ
る
の
も
東海岸に
就
航して
ゐ
たこ
の
種の
石
茨般で
あ
る。
石
茨は
すで
に
十
八
世
紀の
蘭学に
お
い
て
若干
製織用に
も
使
用さ
れて
ゐ
た
が、
主な
用
途は
家庭燃料で
あつ
た。
そ
の
沿
岸輪迭は
石
茨使
用の
普及と
共に
全
国的に
行は
れ、
特に
最大の
(
3)
生
産地
で
あつ
た
タ
イ
ン
流域の
ニ
ュ
ウ
カ
ブ
ス
ル
襲切
口
ン
ド
ン
そ
の
他南部諸都市へ
の
海上翰
迭-
Ⅰ俗に
筆
写-
とい
ふ
!が
重要で
あつ
た。
勿論
、
石
漠の
み
が
輸壊さ
れ
たの
で
は
な
い。
・都市の
人口
集
中に
よ
つ
て
必
要な
ら
し
め
ら
れ
た
食料
品供給も亦た大
規模に
海路を
経て
行は
れ
た。
その
外、
羊毛
・
明
賛・
染料
・
皮革
・
木材
・
餞・
鉛・
錫・
銅・
粘土
及
び
そ
れ
らの
製品の
一
部や
、
(
4)
4 3
酒・
砂
糖その
他の
輸入
食料品等
、
種々
雑多な
貨物が
沼
岸航運に
よ
つ
て
配
給せ
ら
れ
充。
何れに
して
も、
十
八
世
怒の
前年
ア
ダ
ム
・
ス
、
、、
ス
爪
二小
.′邁
磯
4 3
一
橋
論
叢
俸八
巻
第一
教
44
まで
滞
岸航速は
最も容
易
琴又
低
廉な
国内遅速
歪で
あら
た。
その
後そ
れが
裏返し
た
の・で
は
な
く、
む
し
ろ
警盛大に
な
4 4
っ
たが
、
たゞ
可
航河川の
贅達と
遥河の
出
現
とに
よ
つ
て
その
相封的地
位に
欒此が
起つ.たと
い
ふ
に
過
ぎ
ない
。
(
1)
冬
毛i
ニ
呂)
つ・
∝・
)
崇e
日口
的】
訂F
〔。
邑F恥
ゴP
倉-
至干-
芦√
呂
呂各
邑e
ニ箆ぶ
や
亡.
(
2)
串
宮宮-
P)
A
望
昌Of
告2
村
長】
訂F
宮・
2莞
諾、
et
O一
こ記00
、
乍∽
比.
(
3)
】
七
四
五
年に
北
部か
らロ
ン
ド
ン
へ
選
ら
れ
た
石
炭
は
五
〇
萬
噸を
超え
た。
そ
し
て一
七五
二
年の
ノ
ー
ザ
ン
バ
ラ
ン
ド
及
びダ
ラ
ム
産
の
石
炭の
殆
ど
六
分の
五
は
海路ロ
ン
ド
ン
その
他の
都
市へ
輸送き
れ
た。
-幕
臣≡○
ロ、
→.
ヂ
紆
Ⅰ.
晋打
悪、
ゴ】
e
GO
已
Ⅰ
已邑石
亀t
Fe
日g
冨2
ぎt
r
Q2
已弓ヨ
岩呂各e伊
訂1
-
琵タ})
マ一
宏、
比
琵
(
4)
串
W≡
昌)
β)
.
邑.、
ワ一
芸⊥
≡.
2
可
航
河
川
此
戟的小型の
沿
岸通
航般が
潮流に
よ
つ
て
相常内陸
深く遡航し
碍る
場合
、
或は
比
較的上
流に
河
港が
位置し
、
その
上ロ
ー
マ
道路
その
他の
道路との
連儲に
よつ
て
貨物の
園
内
配
給に
便利で
あ
る
限
り、
イ
ギリ
ス
の
河
川
は
古
くか
ら
重要な
役
目
む
(
1)
演じて
き
た。
後代に
なつ
て
もさ
う
で
あ
る
が、
テ
ム
ズ
(
ロ
ン
ド
ン
・
オ
ク
ス
フ
J
-
ド
間)
、
ト
レ
ン
ト
(
ハ
ル
抵)
、
セ■ヴァ
ー
ン
(
ブ
リ
ス
ト
ル
港)
の
三
大
河が
河
川交
通の
主
脈で
あ
る。
と
こ
ろが
河
床に
璃瀬が
出
奔、
・
或は
船型が
大き
くな
る
に
つ
れて
、
多くの
川は
漸
悪日
て
の
重
要性む
失つ
て
行つ
た。
改
良工
事を
施して
まで
之を
維持し
な
けれ
ぼ
な
らぬ
偲
ど
交通常要が
未だ
起ら
な
か
つ
たの
で
あ
る。
河
川
交通に
再び
大
き
な
関心
が
も
たれ
出
し
たの
は
十
七
世
紀の
後年に
入つ
て
か
ら
で
あ
る。
そ
し
て
こ
の
情勢を
欝し
た
の
は、
巾・
れ
4 5
1
†
一
西
印
度及びナ
.メ
リ
カ
大陸
に
霞る
殖民に
つ
ゞ
い
て
起つ
た
内外
商
業並に
製造
業の
急
襲壷達と
、
鼻糞生
産力に
霞る
蟄
展と
に
よ
つ
て
必
要な
ら
し
め
ら
れ
たよ
り
良き
内陸輪途方法へ
の
要望で
あつ
た。
そ
の
著しい
】
例
塞げる
な
ら
ば、
元々
ヽ
ヽ
〔
2)
「
知ら
れ
孝世
界の
殆ど
涯に
雪て+
畢に
ア
イ
ル
ラ
ン
ド
との
連絡の
ため
の】
地
歪に
過ぎ
なか
つ
たリ
グァ
プ
ー
ル
は、
新
世界との
交
通が
次第に
頻繁と
祭ノ
、
ラ
ン
カ
シ
ャ
とヨ
ー
ク
シ
ャ
との
製造
業が
蓉達する
と
共に
、
急に
重要
性む
増して
、
こ
れ
らの
エ
業地
域との
連絡水路の
琴艮が
眞創に
取
上げ
ら
れ
る
こ
とゝ
驚ノ
(
二公ハ
三
年の
マ
ー
ジ
ー
河航路改
量案
、
忘
二
毒の
同法案)
、
マ
ー
ジ
ー
は
重要
性に
患
い
て
テ
ム
ズ
或はセ
ヴァ
ー
ン
等と
括抗
する
やう
に
至ノ
冤
■河
川
改良の
頻駆
的
顕著と
し
て
著聞し
て
ゐ
る
の
は
喜i
書
誓言
冨邑
昌旨w-
ト
己
雪
冒邑
○}
J
の
三
人で
、
特に
ヤ
ラ
ン
ト
ン
の
著
書
野蒜
-
邑=壱
○
喜-
e
星
す
ぎ…已
ぎ①
ぎー
ヨは
歴
史的な
文献と
して
知ら
れて
ゐ
る。
し
か
し、
こ
れ
ら
の
改
良論
者の
刺戟の
下に
、
叉
硯
寛政脅の
要求
に
應じて
、
同
じ
必
要が
生
ん
ガタ
ー
ン
パ
イ
ク
制度の
箕施に
垂且
つ
て
着手せ
ら
れ、
運
河
時
代の
到
警で
凡
そ
百
年問緯い
た
河
川
事
誉こ
ゝ
で
詳述
する
こ
と
は
避
け
毛
苦か
や
う
な、
河
川の
加工
に
向け
ら
れ
声大
牢る
努力に
も拘ら
す、
差毒その
結
果
警れ
た
各種の
経済的
蓼呆は
著し
い
もの
が
雪た
に
して
も、
交通路と
して
河
川
が
もつ
本質的
妖陥
、
即ち
水
路が
初
めか
ら
固
定して
輿へ
ら
れて
ゐ
る
こ
と、
及
び
輿水
時の
水
量過
多と
早魅や
濁瀬に
よ
る
水
量不足
と
は、
十
八
世
紀の
中頃に
彗て
、
増大
する
交通
需要に
到
底邁應し
得ない
こ
とが
明
か
と
なつ
た。
か
くして
道河
時
代が
始る
の
で
ある
。
(
1)
そ
の
一
例
と
し
て
ヨ
ー
ク
市
に
つ
い
て
デ
フ
ォ
ウ
は
白
く、
-「
イ
ン
グ
ラ
ン
ド
の
如何な
る
都
市も
、
こ
ゝ
誓各
種の
食料が
豊
富に
又
品質の
わ
り
に
産慣に
僕給き
れ
る
と
こ
ろ
ほ
ない
。
川は
航
雷便で
曽り
、
海に
非
常K
近い
か
ら、
此
虔の
商
人は
その
欲す
る
まゝ
に
世
ア
ダム
・
ス
ミ
ス
の
交
通
揮
4 5
6dユ
●
一
橋
給
費
第八
巻
第一
敦
・
界の
如
何な
る
地
方と
も
直
接
に
貿
易を
す
る。
と
い
ふ
の
は、
如
何
な
ゑ見
物舶
も
本
市
窒D
哩
挽
肉
に
や
つ
て
凍ら
れ
る
し、
六
〇
噸か
ら
八
〇
噸
及
び
そ
れ
以
下の
小
舶
な
ら、
直か
に
こ
の
市ヘ
ヤ
つ
て
来る
か
らで
挙る
勺
+
-せ監c
2
㌔○
弓)
召r
-
H
ら盟戸
(
ヱ
賢→-
2皿
㌔・
盲ぎ昌Of
-
訂Q
昌亡
宣言
邑ぎ言Of
[
訂
宅○
:00
廣
各・
苧P
言
も勺・
阜ワー
∽
P
(
3)
串
J
g打-
ロ
呂もワ
a声
、
勺
+宅
急
寧】■
甚
運
河
英国で
運河
時
代を
開い
た
動因は
、
他稿で
述べ
た
十
八
世
紀
中葉に
道路の
改
良を
促し
たと
全
く同じ
事情で
あ
る。
従つ
て
そ
の
蟄端を
な
し
たの
は
産
業革命の
聾
梓地
た
る
イ
ン
グ
ラ
ン
ド
北
部地
方で
あ
ら
た。
こ
の
地
方、
殊に
ラ
ン
カ
シ
ャ
とヨ
ー
ク
シ
ャ
との
製造
業
望還に
躍
進し
っ
ゝ
あり
、
南部及び
東南部の
農業地
方か
ら
北
部工
業地
苛へ
の
人口
移動が
始つ
て
ゐ
た。
マ
ン
チェ
ス
ク
ー
と
リ
グァ
プ
ー
ル
は
漸次そ
の
人口
と
重要性と・を
増しっ
1
あつ
た。
エ
業の
蟄達と
人口
の
集中と
は、
之に
供給
すべ
き
原
料品や
製
品及び
食料
品の
昏迭
方法の
改
良を
不可
避なら
し
め
たの
で
ある
。
運河の
開
警茸現
せ
し
めた
直接の
動機は
石
衆道迭の
必
要で
あつ
た。
即ちイ
ギ
三景初の
運河
竺七
五
五
年の
サ
ン
キ
ー
遥河で
あ
る。
同
道河
はラ
ン
カ
シ
ャ
の
セ
ン
トヘ
レ
ン
ス
地
方の
豊富な
石
栄
誉ノ
ヴァ
プ
ー
ル
に
輪迭
する
目
的で
夢首
ぎC
k
に
沿
うて
造ら
れ
た。
し
か
し
虞に
英国で
蓮
河
時
代の
出
現を
劃し
たの
はブ
リ
ッ
ジ
ウオ
ー
ク
一
道河(
野
吾芸
F
す2ロ
已
言五
九
年着エ
、
妄ハ
妄
彗)
で
あ■る
。
ヤ
ン
グ
は
その
屈
宏行』
に
ぉ
い
て、
同
時
代人が
目し
て
世
界第八の
驚異
(
1‥
と
草し
たこ
の
エ
事の
記
述に
第十
丸
善翰重
曹充て
、
更に
マ
ン
チェ
■ス
タ
ー
とリ
グァ
プ
ー
ル
と
の
運河
連
絡工
事を
、
「
(
もし
賓
頭の
瞭に
は)
嘗て
息ひ
付か
れ
袴最大の
怠、
世界の
覇者で
あ■つ
卑官時の
ロ
ー
マ
人の
最高の
事業やセ
主フ
ミ
ス
の
俸詮
●
′
′
軒
丸
4 6
ワー4
r†、
一
ノ〔
才)
物静さへ
を
も家禽する
だ
ら
う+
と
まで
絶讃して
ゐ
るか
注意すべ
き
は、
こ
の
璧口
に
も同
道
河の
目
的が
ブ
ザL ブ
ジ
ウォ
ー
タ
ー
公
所有の
ウ
ア
ズ
リ
ー
漠坑と
マ
ン
チェ
ス
ク
ー
との
連
絡に
あつ
た
こ
と
で、
賓
際-
「
英国に
ぉ
け
る
水
蓮の
歴
史む
詳
細に
研
究す
れ
ぼ
す
る
ほ
ど、
そ
れ
が
石
襲の
歴
史と
如
何に
密
接
(
3)
(
4)
に
織り
交ざつ
て
ゐ
る
か
ゞ
分る
の
で
あ
る。
+
そし
て
そ
れは
濁り
水
遥だ
けで
な
く、
運河
を喚
び
起し
た
石
茨は
、
次の
世紀に
入つ
て
鋳造を
生ん
だ。
私達
は
こ
1
に
もー
イ
ギ
リ
ス
資本主
義の
蓉達に
急
ける
「
黒い
ダ
イ
ヤ+
の
大
き
な
役
割の
】
端を
窺ふ
こ
と
が
出
奔る
。
こ
の
節期の
運河
史と
不
可
分離の
登別
は、
ブ
リ
ッ
ジ
ウオ
ー
ク
ー
公の
技術的協力
考
猫峯の
天才プ
リ
ン
ド
リ
ー
(
J
琶①研
賢邑①
¥
-
ロ
苧-
ヨ帖)
で
あ
る。
イ
ギ
リ
ス
の
運
河は
技
術的に
は
彼に
よ
つ
て
基
礎を
築か
れた
と
云つ
て
よ
く、
その
間接的究
へ
5)
極的
影響に
着目し
て
ナ
ポ
レ
オ
ン
皇
帝を
覚際に
征服し
たの
は
プ
サ
ン
ド
リ
ー
だ、
と
極
言し
た
著さ
へ
あつ
冤工
場制確立
斯
に
主
と
して
北
部地
方の
交通改
良に
走力し
た
鮎で
、
陸
路
に
お
ける
メッ
ト
カ
ー
フ
と
封照
さ
れ
る
が、
仕事の
規模や
重大性に
患
い
て
固よ
り
後者の
及ぶ
とこ
ろで
は
ない
。
さ
て
ブ
リッ
ジ
ウオ
ー
ク
ー
と
プ
リ
ン
ド
リ
ー
と
が
達者し
た
最初の
技術的
・
財政
的困難に
も拘ら
ず、
同
道河
完成の
教具は
直ち
に
現れ
、
運河の
経済的社食的
有用
性と
企業と
して
の
有望さ
が
立
讃さ
れ
る
に
及んで
、
蓮河
建設計量は
汐辟と
し
て
全
国に
起つ
た。
後年の
鏡道マ
ニ
ヤ
に
比
せ
らる
べ
き
運河
狂
時代は
九
十
年代の
初め
に
な
ら
ねば
箕
現し
な
か
つ
た
け
れ
ど
も、
『
国
富論』
公
刊の
翌
年に
は
プ
リ
ン
F
マ最後の
大
事
業たる
苧
邑
冒ゴ打
2ロ已
二マ
ー
ジ
ー
と
ト
レ
ン
ト
の
連
結)
の
全
通
を
(
6)
見て
ゐ
る。
常時の
国内交通圏
里賛す
る
と、
英全
国
に
亘
斗
特に
ミ
ッ
ド
ラ
ン
ド・
ラ
ン
カ
シ
ヤ・
ウェ
ス
ト
ラ
イ
デ
ィ
ン
グ
ア
ダ
ム
・
ス
、、
、
ス
の
交
通
親
4 7
一
橋
論
叢
第八
巻
儀二
親
一、
鵜
等の
エ
業地
域に
は
縦横に
運河
網が
張り
廻
ら
さ
れ、
そ
れら
が
分水
嶺を
越え
て
セ
グァ
ー
ン
二7
ム
ズ・
ト
レ
シ
ト・
マ
ー
ジ
ー.
(
7)
ハ
ン
バ
ー
等の
大き
な
可
航河
川
を
結んで
ゐ
る
状態が
見ら
れ
る。
(
1)
串
ヒFF
、
ナ
せ
罵首
ti
O
ロ
e
=訂0
2
邑1
ニ…こ
}
旨エロ
句⊂
号
音-
窪
…-
已
芦邑訂
蒼1
ゝ昌告㌢
-
ま、
p・
-
軍船
)
已t
・
当P
芦t
O己
叫、
○
ワ
2 .
t●
)
p.
-
誌.
(
2)
ぺ○亡
烏‥P
・
}
A
梁対
等ロt
琶
ぎ弓t
Fr
O
点F
t
訂
ぎユF
O{
夢色
昌一
、
坪
冬)
訂已○
臼
-
ヨー
、
七dr
I
{
Ⅰ
・や地
雷.
(
3)
当
昌t
〇一
←
対、
○
ワ
2 .
叶)
ワ一
袋.
(
4)
一
七
五
入
-一
入
〇一
年
まで
の
間に
通
過し
た
運
河
條例
一
六五
の
う
ち、
九
〇
は
主
と
し
て
石
炭
密送
を
目
的と
す
る
もの
で
あつ
た。
1
よ汁
空E
-
】
首句・
主監H
彗已
日算○
石
見
Ⅰ
已
呂包
ぎ鼻邑昌、
句
蓋曹昌包
冒m2
告-
①-
0
こ・
2
チ
r
言争ロ
ー
豊∽
)
阜
七
宗{
t)
〇p・
2 .
t-
)
ワー00
㌍
(-
ヱ
辛
苦旨e
♂
P・
A・
)
紆
宰
串
声
A
覧葺き
○
弓
弓P{
買一
・
名♂
「L
言争ロ
ー
若や
やー
∽
叫.
(
ヱ
伽へ
ば
g
音-
口・
P-
阜Aロ
担訂
冒i
邑
雷品…七
す
急
ぎ告邑b
告岩
A・
P-
00
茎)
eEゴ
gd
笥
-
∽
碧、
ワ
加
島
の
水
路
固を
見
よ。
(
7)
ス
ミ
ス
は
運
河の
管理
に
つ
い
て、
公
道の
場
合と
は
反
射
に、
管理
者の
利
益が
彼等を
し
て
運
河の
維
持に
注
意
せ
し
め
る
理
由で
、
私
人の
陸曹を
推
奨し
た。
-串
弓e
已t-}
)
つO
「
ヨ二で.
望
干γ
四
資本の
蓄積と
交
通
1
資本
集約度と
交
通
強
度
・後に■詳
し
く見る
や
うに
、
ス
ミ
ス
竺般に
商業と
遥
遠
業と
を
何
遍し
.
交通の
行は
れる
手
段の
妄る
通路
藍卑
に
「
商
4 8
◆
94
か
廿
一
業を
便な
ら
し
める
た
めの
諸施設+
の一
種と
考へ
た。
そ
して
道路
・
橋
梁・
運
河・
港湾等の
建設と
維持と
を、
国
防及Ⅴ
司
法行政
と
並
んで
、
また
教育上の
施設と
共に
、
国家が
負はな
け
れ
ぼ
なら
ない
義務に
数へ
る。
而
して
こ
れ
らの
公
共工
作物
の
規模は
、
その
囲そ
の
地
方時々
の
富裕の
程度
、
こ
れ
ら
を
利用
する
商
業の
規模
、
い
ひ
かへ
る
と
交通需
要の
強
度に
適應す
る
は
ずで
あ
り、
叉
その
管理
方泣に
よ
りさ
うな
さ
る
べ
き
だ、
と
い
ふ
の
で
あ
る。
「
一
国の
商業を
便なら
し
め
る
公共工
作物
、
例へ
ば
良好な
道路
・
橋
架・
航行用蓮
河・
汚
濁等の
建設と
維持と
が、
赴
脅の
時代を
異
に
する
に
従つ
て
その
必
要と
する
短資の
程度を
甚だ
し
く
異に
する
は
ずの
こ
と
は、
別に
立
透し
なくて
も紺か
で
ある
。
どの
園で
も、
そ
の
公道の
建設維持費は
、
明か
に、
その
国の
土
地と
労働の
年生
産物と
共に
、
即ち
それらの
道路上で
取り
寄せ
蓮描する
こ
とを
必要な
らし
め
ら
れる
商品の
量と
重さと
共に
、
増加する
ほ
ず
で
ある
。
橋餐の
強
度は
、
その
上
ぎ
通過すべ
き
革輌の
数の
重さ
に
適應せ
ねば
な
ら
ず、
航行用運河の
水まと
水量と
は
共産で
商品
を
運搬すべ
き
膵舟の
敏と
噸
敷と
に、
叉滝
澤の
贋さ
は
共産に
碇泊すべ
き船舶の
数に
、
′
比
例せ
し
むべ
きで
ある
。
(
W
邑t
F、
つO
「
-
1】
廿
・
㌍
ヱ
・
そ
して
こ
の
通
路の
資本
集約度と
交通
強
度との
適合関係む
最も正
七
く確立す
る
方
法は
、
ス
ミ
ス
■に
よ
れ
ぼ、
そ
れに
要す
る
経
費計二
般
財政で
賄ふ
代り
に、
その
利用
者を
特別に
課徴す
る
に
あ■る
。
即ち運
搬
具の
重量又
は
容積に
比
例して
通
行栓
を
真珠は
し
める
と
き
は、
そ
れ
ら
が
公共工
作
物に
生ぜ
し
め
る
損耗に
丁
度比
例して
その
維持
費を
負括せ
し
める
こ
と
に
な
る。
「
か
ゝ
る
エ
作物を
維持す
る
の
に
こ
れ
以
上の
通
常な
方法む
考へ
出
すこ
とは
殆ど
不可
能と
息は
れる
。
…
…
公
苧橋梁
・
運
河
その
他が
か
や
うに
して
其
れら
を
利用して
営ま
れ
る
商業に
よ
り
建
設維持せ
ら
れる
と
き
は、
商業が
そ
れ
ら
を
要求
しV
従
つ
て
又
そ
れ
ら
を
建
設する
こ
とが
通常な
とこ
ろ
に
ぉ
い
て
の
み、
そ
れ
ら
は
建設せ
ら
れ
得る
の
で
あ
る+
と。
青年
〉
p・
坪
声)
こ
の
謂ゆ
る
手
数料主義の
主張の
官署
は
論
外に
置き
一
明か
に
交通阻害の
一
要因と
思は
れ
る
通行税の
是認は
、
自由な
商
4 9
ア
ダ
ム
・
∵ス
、
、
、
ス
の
交
通
灘
Or
n
〉
一
倍
静
叢
第八
巻
.第
一
競
品流通の
擁護者た
る
は
ずの
ス
ミ
ス
に
ぉ
け
る
矛盾し
た
態
度と
も
考へ
ら
れる
申
し
か
し
こ
れぼ
、
昔時の
交通路
殊に
道路の
改
良が
専ら
タ
ー
ン
パ
イ
ク
制度の
缶用
と
蹟張
とに
よ
つ
て
行は
如、
可
二
般財政
の
状態か
ら
こ
の
方故に
よ
る
し
か
行は
れ
得なか
′
っ
た
覚
悟と
、
通過
料に
よ
つ
て
韓持さ
れ
る
運
河の
目
覚しい
蚤達並に
その
著しい
数用との
反映
と
見る
べ
きで
あ■ら
う。
さ
て
か
ゝ
る
交通路の
改
良は
市場の
規
模を
蹟大
し、
従つ
て
そ
の
思
惑は
蹟大さ
れ
た
市場
関係に
入
り
葬る
凡て
の
地
鮎に
全
面
的に
生
ずる
は
すで
あ
る。
軒
ちそ
れ
は、
都合は
勿論の
こ
と、
都合附近の
地
方に
も又
都合を
新し
く市場と
して
持ち
得る
に
室つ
た
僻
遠の
農業地
方に
も
均
弄す
る
は
すで
あ
る。
(
已・
弓2
蔓-
-
召→
L
+ニ
こ夢)
恩
恵は
、
し
か
し
茸は
、
遠隔農業地
よ
り
も
都合附近の
農業地
に、
又
地
方よ
り
も
都合に
大き
い。
何故な
ら、
都合附近の
農業地
は
遠隔地
方の
農発着の
負捨し
な
け
れ
ぼ
な
ら
ない
遅
速費の
全
部を
、
そ
の
賛却品に
つ
い
て
は
利得し
、
その
購買品に
つ
い
て
は
節約する
か
ら
で
あ■る
。
(
串
≡d
.
-
ヮ∽
芦)
都合と
地
方と
の
比
較に
つ
い
て
は、
両
者間の
取
引の
相互
的・
五
感的利益の
強調
(
串
岩
島・
ら∽
芦)
に
も拘ら
ず、
現
箕に
は
種々
の
塵
取
的事情・
-例へ
ぼ
都合に
お
ける
ギル
ド
の
濁占
勢力の
結果と■いて
の
不
等傾交換
(
卑小
g.
右-
誌et
選)
或は
政
治
的安全に
上
る
都合へ
の
資本
偏在
(
-
ト
早宇∽
デご
ー一に
よ
り1
又
地
理
的事情に
基
く交通の
利
便に
よ
り、
都合の
産業の
一
方的楽典が
賓ら
さ
れ
たこ
と
をでミ
ス
自ら
が
指摘し
て
ゐ
る。
彼の
鮎に
つ
い
て
日
くー
■
「
なる
ほ
ど、
一
都昏の
住民は
常に
結局の
とこ
ろ
その
生酒資料と
その
産業の
全原料並に
手
段と
を
地方に
仰が
ねば
なら
ぬ。
し
か
し
海
岸か
可
航河川の
岸遵かに
位置する一
都禽の
住民は
、
必ずし
もそ
れら
を
附近の
地方に
仰が
ね
ば
なら
ぬ
と
は
限つ
て
ゐ
ない
。
彼等は
も
っ
と
廣い
供給範囲を
もち
、
自ら
の
勤勢に
よ
る
製
蕾甲との
交換に
よつ
て
か、
或は
遠い
諸国
間に
速達着た
る
役目を
果し
相互の
産物を
交換するこ
と
に
よ・つ
て、
それら
を
世界の
最も遠い
偶々
か
ら
取寄せ
る
こ
と
が
出来る
。
か
や
うにし
て
都
合は
、
その
附近の
地方の
み
な
5 0
せ
.
†
4r
+
▼
▲
■
ら
ず
その
取引する
凡て
の
地方が
資財と
不
幸と
に
沈ん
で
ぁ
るの
に、
大なる
富裕と
隆
昌と
を
致すこ
と
も出来るの
で
ある
。
+
(
毛e
已
ぎ
つOF
+)
マ
∽
ヨ・
)
さ
て
問題は
、
右に
い
ふ
「
遅
速者
…計H
たる
役
目+
とい
ふ
言葉で
あ
る。
こ
ゝ
か
ら
私達はス
ミ
ス
の
資本論に
ぉ
ける
交
通・の
取
扱に
入つ
て
ゆ
くの
で
あ
る。
2
投
資部門と
して
の
「
蓬
迭業+
周知の
適中
、
ス
ミ
ス
に
お
い
て
分業蟄生の
原
因
は
人間の
交換性癖に
あ
る
の
で
あ
る
が、
その
奪展の
限
界は
交換可
能の
程
度郎
ち市
場の
範囲に
よ
つ
て
輿へ
ら
れ、
こ
の
市場の
範囲は
交通の
費蓮に
制約せ
られ
色だ
が、
更に
彼に
よ
れ
ぼ、
分業が
こ
の
輿へ
ら
れ
た
限
界に
ま
で
蟄達し
得る
ための
條件と
して
資本の
蓄積を
欧くこ
とを
特な
い。
蓋し
分柴が
普及
す
る
場合各
人の
欲
望の
満足
は
その
剰飴生
産物の
販雪と
他人の
そ
れの
購入に
よ
つ
て
の
み
可
能で
あ
り、
し
か
も
之が
行は
れ
る
た
め
に
は、
各人に
お
い
て
少
くと
も生
産の
行は
れる
間の
生
活む
維持し
、
且つ
仕事の
原
料と
要具
と
を
供する
に
足る
資本が
蓄積さ
れて
ス
ト
ッ
ク
ゐ
な
け
れ
ぼ
な
らぬ
。
「
賓本の
蓄積が
事物の
性質上
分業に
先ん
じて
ゐ
な
け
れ
ぼ
な
ら
ない
や
うに
、
改め
蓄積さ
れ
た
資本が
益々
大と
な
る
に
比
例して
の
み
労働は
益々
細分さ
れる
。
+
(
弓
邑t
∫
ノ
∂F
+∵ワ
M
雷〕
従つ
七
資本の
蓄積と
交通の
蓉達と
は
′分業を
展
介と
して
関係する
だ
けで
な
く、
遅速業自饅の
聾達程度が
ス
ミ
ス
に
よ
れ
ぼ
資本蓄積の
程
度
堅不
す一
指標と
な
る
の
で
あ
る。
-
1「
蓮
迭業は
大なる
国富の
自
然的な
結果で
あ
り
徴侯で
あつ
て、
その
自然的原因で
あ■る
と
は
思は
れな
い。
+
つ君巴t
F、
七〇
㌻
H-
ワ
∽
宏一)
犯
し
か
しス
ミ
ス
の
い
ふ
蓬
鹿業
重畳羞
ぎ訂
と
は
その
言葉に
よ
つ
て
今日
私達が
考へ
る
もの
と
異る
こ
と
に
注意
し
な
け
ア
ダム
・
ス
ミ
ス
の
交
通
親
5 Ⅰ
一
橋
論
叢
第八
巻
第一
教
甲・
れぼ
駁
ら
ぬ。
一
倍、
一
国の
富裕の
原
因
は
後に
よ
れぼ
生産的労働に
あ
る
が、
努働量及び
労働の
生
産力
は
資本の
耗
封量に
依存する
。
と
同
時に
、
「
等
額の
資本が
動か
し
得る
生
産的労働量は
投
資方迭の
異る
に
つ
れて
著し
く相違する
。
+
彼の
考へ
る
投
資方法
に.は
四
種あ
る。
第一
は
原始生
産物の
獲得
、
第二
は
そ
れ
ら
の
製造
、
第三は
「
そ
の
原
始生
産物又
は
袈造
品の
潤澤な
場所か
ち
不足せ
る
場所へ
の
輸迭+
(
司
邑き七〇r・
Ⅰ)
勺・
∽
芦)
、
第四は
各種生
産物の
直接消費の
た
めの
配
給。
資本はこ
れ
ら
の
用一
途に
應じ
て、
(
私達の
用
語で
表せ
ぼ)
原始産業資本
、
製造
(
或は
エ
業)
資本
、
却衰及び
小責商業の
資本に
分た
れ
る。
而し
て
ス
ミ
ス
の
い
ふ
卸責商
業は
、
国内商業
、
国内消費の
ため
の
外国商品
購入
に
従事する
「
消費外囲
貿易+
(
輸出
貿易
ヽ
ヽ
ヽ
は
その
手
段的意
表に
お
い
て
之に
合重
し
め
ら
れ
る
と
息
は
れる
一年+一、
e
巳三-
、
ィOr
+こ
)
・
∝
芦)
、
及び
遅速業の
三
者を
含む
。
而して
彼の
意味す
る
「
遥
迭業は
諸外国問の
商
業を
な
す、
即ち
一
外囲の
剰飴生産物を
他の
外国へ
運
迭す
る
仕事を
す
る。
+
(
専守
-
t
F、
つOr
こ、
ワ
∽
串)
つ
ま
り
そ
れは
外圃聞貿易む
指し
、
同時に
他の
二
種の
却衰商業と
同じ
く蓮
迭行籍を
も併せ
行
ふ
もの
なの
で
あ
る。
とこ
ろで
、
等額の
資本が
動か
し
得る
生
産
的労働の
量、
云
ひ
か
へ
る
と一
国の
富裕の
源泉た
る
生
産的
労働の
支持能力の
鮎で
、
農業資本が
最高位に
、
次
い
で
築造
資本
、
卸東商実
費本
、
小東商葉資本の
順位に
置か
れる
。
(
こ
ゝ
に
もス
ミ
ス
に
怠
ける
重農主義思想の
影響が
現れ
て
ゐ
る
の
で
あ
る
が、
こ
の
間題に
つ
い
て
は
周
知の
キャ
ナ
ン
の
批判が
あ
る。
)
そ
心て
卸
責務業の
中で
は、
国内取
引に
用ひ
ら
れ
る
資本が
最も
多量の
生
産的労働を
動か
し、
「
遥
迭業+
=
外国
間貿易はこ
の
鮎で
最
も
劣る
と
さ
れる
。
(
串
責苛
卓)
七
辛・
一山
ワ
望㌣∽
芦)
常時
最
も富裕で
あつ
た
和
蘭の
、
又
之を
凌駕し
よ
う
と
して
ゐ
たイ
ギ
5 2
⊥
打
ー
†
q
J
-
h
U
▲川
_
一
リ
ス
の
繁柴は
主
とし
て
外国
貿易に
、
特に
和
蘭の
璧口
に
ぉ
け
る
外国
間
貿易の
盛大に
基
く、
との
通
念に
封して
重
商主
義批
判
者と
して
の
ス
ミ
ス
の
立
場が
開明さ
れて
ゐ
る
の
で
あ
る。
こ
の
場合
、
生
産と
流
通
との
原理
的唇別
室号ず
、
何れ
を
も
利潤の
源泉と
考へ
、
従つ
て
産業資本と
商業資本と
を
峻別
し
なか
つ
た、
彼に
車け
る
周
知の
根
本的
釈隋を
今こ
ゝ
で
問題に
七
よ
う
とは
思は
な
い。
何れ
に
して
も右の
ス
ミ
ス
の
立場か
ら
首然
、
外国貿易偏重の
排撃と
そ
の
人
為的促進へ
の
反
封とい
ふ
政
策的態度が
生れ
る。
「
凡ゆる
国の
鮭臍撃の
大
目的は
、
そ
の
国の
富と
カと
を
脅すこ
と
に
ある
。
だ
か
ら
そ
れは
、
消費外国貿易に
勤し
て
園内商業以上に
特
■
恵を
興へ
た
り特別な奨励策を
施し
た
り
すべ
きもの
で
もなけ
れば
、
他の
二
種の
商業の
何
れか
に
脅して
遅速業に
勤し
て
さ
うすべ
きで
もない
。
それほ
、
こ
れら
二
つ
の
投資路の
何れ
かへ
、
自然に
自づ
と
洗れ込むよ
り
以上
に
そ
の
囲の
資本の
分
望剛
を
強
制し
た
り誘引し
た
りすべ
きで
ない
。
⊥
国の
資本
(
名臣
賢旦が
、
滑費を
充し
その
特定国の
生
産的努傲を
支持する
の
に
使用し
きれない
程
度に
増加し
た
場
合に
は、
剰飴
分は
計然に
遅達
業へ
注ぎ
、
他の
諸国の
た
め
に
同じ
役目を
果すの
に
使用さ
れる
もの
なの
で
ある
。
+
(
弓e
P
≡-
、
七〇
P
H)
マ
∽
ぎ1
誤甲)
か
くし
て
さ
き
に
引用し
た
とこ
ろの
、
蓬
迭
業は
国富の
自
然的な
結果徴侯で
あ■つ
て、
その
自然的原因で
は
ない
、
とい
ふ
テ
ー
ゼ
が
辟結さ
れる
。
警か
や
う
な
自薦的助
長策は
斥
け
ら
る
べ
きで
あ
る
が、
反
封に
、
資本の
自然な
流入を
阻害す
る
制
度の
匡正
策は
許容せ
ら
れる
。
そ
れ
は、
元
釆恐ら
く遅速
業の
奨励
・
iとい
ふ
ス
ミ
ス
か
ら
み
れぼ
「
非常に
馬鹿
げた
動機+
か
ら
認め
ら
れ
た
-の
窄め
の
戻
税の
制度で
あ
つ
て、
彼は
戻栓を
もつ
て、
輸入
税に
よ
り
資本が
遥遠
業か
ら
不自然に
排除
さ
れ
る
こ
と
を
防ぐ手
段と
し
て
是認す
る。
(
串
弓e
巴t
■}
-
㌔○}
し
⊥H
こ)
・
ご
とこ
ろで
放で
注意
すべ
き
ほ、
三
種の
壁買
商柴に
ぉ
い
て、
それ
ぞ
れ
に
吸収
さ
れ
得る
資本量が
、
一
国の
生
産的労働支
持
ア
ダ
ム
・
ス
ミ
ス
の
交
通
観
5 3
一
橋
論
叢
第八
巻
第一
競
54
に
封する
各の
能力と
全
く避の
順位に
あ
る
こ
とが
指摘さ
れ
て
ゐ
る
露で
あ
る。
「
国内
商業並
に
それに
使用さ
れ得る
資本の
大い
さ
は、
それ
ぞ
れの
生産物を
相互
に
交換する
必
要の
ある
園内の
すべ
て
の
遠隔諸地方
の
剰飴生産
物の
債値に
よつ
て
必
然的に
制限さ
れる
。
消費
外国貿
易の
そ
れは
、
囲全畦の
剰飴生
産物の
債値並
に
そ
れで
もつ
て
括入
し
得る
とこ
ろの
もの
の
偵
値に
よつ
て
必
然的に
制限さ
れる
。
蓮畠業の
それほ
、
世
界諸国全鰹の
剰飴生産物の
債値に
よつ
て
必然的に
制
限さ
れる
。
鍵つ
て
蓮邁
業並
に
そ
れに
使用し
得る
資本の
大い
さ
ほ、
他の
二
者の
それに
較べ
て
云
はゞ
無限で
あり
、
最大の
資本を
吸
収
し
得る
わけ
で
ある
。
)
(
弓e
巴t
F〉
ノ、
○
㍗
{-
p.
∽
人声)
抽象的な
可
能
性と
して
は、
こ
れ
は
誤りで
ない
。
しか
し
賓際で
は、
一
国の
各地
方の
剰飴生
産物の
そ
れ
との
比
戟に
ぉ
い
て、
圃と
時
代と
に
よ
り
前
者が
必
ず大で
ある
と
は
決つ
て
ゐ
ない
。
たゞ
、
ス
ミ
ス
が
主と
して
考へ
叉
見て
ゐ
た
とこ
ろの
和
蘭
や
英国に
お
い
て、
国土の
狭
小や
園内取
引の
比
較的不
溶
澄に
封する
外国
貿易=
航蓮の
絶封的優位
、
特に
世界貿易に
お
け
る
両
国の
ヘ
ゲ
モ
ニ
ー
を
背景に
し
て
の
み、
こ
の
理
論は
視
覚的意
味を
もつ
て
ゐ
たの
で
あ
る。
3
違
法
業の
礪立
さ
て
こ
ゝ
で、
以
上に
お
い
て
わ
ざ
と
深く立
入る
こ
と
を
曙けて
き
た
問題に
移ら
う。
そ
れ
は、
右に
述べ
た
各種の
商業がス
ミ
ス
に
あ■つ
て
流通
機能と
商品の
場所的
移動の
南
面を
含ん
で
ゐ
る
こ
と
に
関す
る.
。
根本的に
は、
こ
の
混
同
は、
傾倍及び
利潤創出に
お
け
る
彼の
生
産と
流通との
同列
視、
従つ
て
商
業資本と
産業資本と
の
無差
別
翫、
及び
傾倍的観鮎と
素材的観鮎との
混
滑とい
ふ
理
論的誤謬に
基
くこ
とは
い
ふ
まで
もな
い。
だ
が
その
外に
、
後
に
患
い
て
か
やう
な
混
同を
生
ん
だ
事情と
して
誰し
も
児ひ
付くこ
と
は、
常時に
怠
け渇
雲量と
題迭
業との
分離情況で
あ
る。
5 4
▲m
.
書
女
お
▲
【
-、
;1
『
国富論』
の
中で
もはつ
き
り
と、
「
卸衰商
人の
資本は叉
三の
場所か
ら
他の
場所へ
彼の
商品を
輸迭
す
る
海貞及
び
蓮
澱
夫を
使
用す
る+
(
毒し
+‥
}
∴
夢)
と
述べ
ら
れて
ゐ
る。
ス
ミ
ス
の
時
代に
、
猫立せ
る
螢発と
して
の
蓮
迭
業は
彼が
そ
れ
む
開港とし
なか
つ
た
ほ
ど
未
蟄達の
状
態に
あつ
た
の
だ
ら
う
か。
尭づ
陸
上
交通で
は、
人
間に
つ
い
て
は
既に
こ
の
世
紀の
前年に
鐸馬革の
普及を
見、
商品に
つ
い
て
も右に
述べ
た
如
く
世紀
の
中頃か
ら
急に
進ん
だ
道路の
改
良・
荷馬車の
蟄達
・
輸迭
量の
増
大に
よつ
て、
大
都市間に
は
遅
造
営業
者の
荷馬車が
盛に
奔征し
、
自
豪用
達搬
具
を
備へ
る
もの
は
む
し
ろ
例外的な
大
商人の
み
と
なつ
た。
坑道
に
関して
は、
デ
フ
ォ
ウ
の
如
き
も
「
海港
都市に
怠
ける
、
又ロ
ン
ド
ン
自照の
河
岸地
域で
さ
へ
、
殆ど
すべ
て
の
店主及
(
1)
び
閣
内商は
船主売る
べ
く飴儀な
くせ
ら
れ、
航海に
係は
らぬ
に
して
も賠に
関係■む
もつ+
と
云つ
て
お
る
が、
常時の
商人
・
(
:)
舵
手船長の
関係に
は
種々
の
形
態が
あつ
た。
河
川
及
び
遥
河に
お
ける
事情を
審か
に
すべ
き
資料を
差
首り
も
たな
い。
沿
岸
航海に
お
い
て
は、
最も
重要な
貨物で
あ
り又
最も
大型
の
賠を
使
用して
ゐ
た
石
漠の
輸蓬その
他に
お
い
て
蓬
迭業の
分離が
早
くか
ら
行は
如、
既に
十
六
世
紀の
終り
噴か
ら
十
七
世
紀の
初め
に
か
けて
そ
の
例が
見ら
れる
。
し
か
し
そ
れ
は
十
八
世
紀に
な.
つ
て
も完全に
営業と
して
猫立す
る
に
至
ら
す、
従釆の
…
彗F
邑
喜羊竿
と
並
存し
、
且つ
猫立して
ゐ
る
場合で
も
融
通性む
(
3+
もつ
て、
或る
時
は
他の
商人の
貨物を
輪迭し
、
他の
場合に
は
船
長自ら
商人と
して
輸迭賓異に
従事し
た。
要す
る
に
こ
の
部
門に
お
け
る
商
業と
航遥
業との
分離
は
比
較的顆著に
行は
れて
ゐ
準こ
い
ふ
もの
の、
その
過
程は
未だ
完了して
ゐ
な
か
つ
た
と
い
ふ
の
が
常時の
覚
悟で
あつ
た
や
うで
あ
る。
ア
ダム
・
ス
ミ
ス
が
主と
して
著眼して
ゐ
た
と
思は
れる
封外坑道に
つ
い
て
も
大して
牽り
は
潅
い
が、
し
か
しこ
ゝ
で
は
分離
ア
ダム
・
ス
ミ
ス
の
交
通戟
55
一
橋
論
策
俸八
巻
第一
統
.
一
紙
過程は
一
骨進ん
で
ゐ
た
や
うに
見える
。
-
般に
世界海道
死に
お
い
て、
m①
邑き
オ
吉をか
ら
p
蔓訂
喜已湾
へ
の
韓換は
十
九
世
紀に
入つ
て
か
ら、
殊に
一
八
(
4)
去年(
ナ
ポ
レ
オ
ン
の
没落と
英米戟季の
経末)
を
劃
期とさ
れる
。
し
か
し
十八
世
紀の
初
頭(
忘〇
三
年)
に
早
くも
英米
を
結ぶ
郵便船の
定期的就
航の
尊貴が
知ら
れて
ゐ
る。
こ
の
世
紀に
ぉ
い
て
も互
大な
商船隊を
擁す
る
各特殊
貿易
食
紅の
活躍
は
依然と
して
見ら
れ
た
が、
東
印度禽敢の
胎二
の
例外を
除けぼ
絶て
静時
代の
盛大
さ
を
失ひ
、
之に
代る
べ
き
個人
的
貿易商
祀が
漸次
確固た
る
地
歩を
占
めつ
1
あつ
た。
そ
して
こ
の
推移と
並ん
で
商業と
坑道
発との
分離が
進
行し
た。
既に
世
紀の
初
めに
お
い
て
さへ
商人
や
船長や
代理
人
等の
組合に
よ
つ
て
投
機的に
建造
さ
れ
た
多くの
船舶・
卜こ
の
組織
自照は
十
六、
七
世
紀に
お
い
て
贋く行は
れた
船舶共有組合の
名残り
で
あ
る・
・-・抜
、
屡々
公開蓬迭放と
して
使
用さ
れ
た。
盛上
貿易量が
増
加
す
る
に
つ
れ
て
こ
の
船舶使
用方
法は
益々
有利と
な
り、
船
主に
よ
る
貿易投
機は
例外的な
もの
と
此
し、
国
有の
蓮
蓬
栄が
三
の
猫立
し
た
特殊
営業部門と
して
檜々
はつ
き
り
と
現
れて
き
寛一
商
社が
自己の
商
品を
輸迭す
る
船舶の
共有者の
一
人で
あ
る
場合で
も、
商品に
封する
持分と
賠舶に
封する
持分と
は
別
個の
もの
と
考へ
ら
れ、
たゞ
傭船契約書或は
船
荷澄
券に
よ
る
(
6)
契約陶係に
よ
つ
て
の
み
開
聯せ
し
め
ら
れ
た。
十
八
せ
紀に
お
ける
海上
貿易の
情況を加
賀に
措い
も
二
老
船
長の
追憶(
哲
昌
邑
翌-
¥
A}
昌要善臣■
要望
ぎ
芸①
買巴-
-
邑・
2
芳賀F・
ど已○
ゴ
ー
琵)
は、
常時
海蓮巣と
商業との
分裂が
確立
して
ゐ
た
諸事茸を
提供する
。
勿
論、
沿
岸航海に
お
け
る
と
同
様、
こ
の
世
紀の
問に
分離が
完了
し
た
わ
けで
は
ない
。
各特殊
貿易
合紅
を初
め
多数の
喜(
訂】
}
t
害
旨扱
が
侍ほ
活動して
ゐ
た。
たゞ
、
海運
業の
璽止
が
ど
の
程度に
進ん
で
ゐ
た
か
は、
次の
世紀に
移つ
て
間もな
く、
全
般主
協合(
臣
芸冒邑
芦
官責①
諾〉
溜
をユ
が、
或る
贋昔で
、
その
脅月
は
すべ
て
船舶遥航
{
√
廿
≠
5(i
7「
へU
㌧
●
・書
_
(
7〕
の
みに
携り
他の
利害を
もたぬ
者の
みか
ら
成る
こ
と
を
賀
詞し
た
事賢か
ら
拾測す
る
に
難くない
。
『
国富論』
の
思想が
成熟し
っ
ゝ
あ■つ
た
時
期に
は、
固よ
り
右の
韓換過
程が
全
幅的に
現
れて
ゐ
な
か
つ
た・で
あ
ら
う。
し
か
し
そ
れ
に
し
て
もそ
の
事箕は
部分的
・
璽ヰ的
な
が
ら
もス
ミ
ス
の
限に
映
ら
な
か
つ
た
は
すが
ない
に
も
拘ら
ず、
他の
交通
部門
に
貴
ける
同種現
象と
共に
、
彼は
之を
無税し
た。
息ふ
に、
債値徒つ
て
利潤の
源
泉と
して
の
生
産と
流
通と
を
区別し
なか
つ
たス
ミ
ス
に
お
い
て
は、
純粋な
流通
行
為で
あ■る
商業活動と
、
常に
流
通
過
程と
結ぼ
れて
そ
の
生
産的性
質が
膵液さ
れて
ゐ
る
運
迭行篤との
機能的相違が
認め
ら
れ
す、
ま
た
認め
る
必
要
が
な
く、
従つ
て
た
とへ
猫立し
た
道迭業の
存在に
気附い
た
に
して
阜
之
を
非本質的
・
偶聾的と
して
問題と
す
る
に
値ひ
せ
ぬ
と
考へ
ら
れ
たの
で
あ
ら
う。
だ
が、
彼か
ら
二世
紀牛経
過
し、
螢葉と
して
の
交通業が
問題な
く明か
に
商業か
ら
攣止
して
ゐ
る
今日
に
ぉ
い
て
す
ら、
両
者を
混
同
する
論者の
少
くない
事鷺を細心
払
起す
な
ら
ば、
現
象的に
両
者の
分離が
一
般化して
ゐ
な
か
つ
た
昔時の
ス
ミ
ス
の
素朴さ
の
み
を
非難す
る
の
は
苛酷に
失
す
る
の
で
あ
る。
(
1)
星O
e
も・
㌔訂
9弓
首-
①
2仰
首}
一
ゴ邑2
買2
ロ
も邑
・
-
記ヾ
、
七
dF
I-
-一
号(
早軋・
(
2)
河
川
交
通
に
つ
い
て
は、
1
喜
ぎ戸
ヂ
穿寛
ぎ碁邑昌F
空音nd
峯干-
謡○
-
Q
筈邑
が
参考に
なる
か
も
知
れ
ない
が、
手許に
な
い
か
ら
参照で
きな
い。
運
河
交
通
に
つ
い
て
は、
十
九
世
紀の
初
頭、
「
運
送
者の
彪
大な
網+
が
雷、
且つ
その
た
め
の
特
殊
な
食紅きへ
成立
し
て
ゐ
た
と
い
ふ
か
ら、
十
八
世
紀中
に
既に
遅
迭
専業が
可
成Ⅵ
壷達
し
て
ゐた
と
思
は
れる
。
1年
訂打】
邑-
)
手
早
七〇
P
→-
ワ
畠中
(
3)
已.
司i
〓
昌こF凸
対ロ
g】
i
臣
9邑訂粥
曽p
計-
窒干-
召○
-
p・
∽
A
e
言き
(
4)
串
許-
巨こ
・
R・
こ訂○
雷}
-
昏邑実)
早
・々
わ
【L
〇}
邑
+写∝
1マー
〇
∽
2t
若手
ア
ダ
ム
・
ス
ミ
ス
の
交
通
観
5 7
史U
-
nU
一
橋
論
策
弟八
巻
第一
雛
(
5)
串i
E包
J
ワー〔
声
(
6)
異
句
喜も声
、
ト
芦。
三茸?
?已-
訂
書芸00
望-
青息
→
邑F
昔÷っロ
d
昌-
¢
ぷマ
軍
(
7)
畏-
言d
・)
ワ
彗リ
5 8
▲
魂
■