『ハムレット』の不可能性 - 明治大学...『ハムレット』の不可能性...

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『ハムレッ ーメイエルホリドとタ 実現しなかっ 『ハムレット』が多くの演技者・演劇実践者にと 魅力的な素材であるのは言うまでもないだろう。名優と 呼ばれた者は、たいてい一度はハムレットを演じている。 舞台での名優たちのハムレットをよき思い出として胸に 抱いている演劇ファンは世界中にいる。舞台だけでなく、 映画化された作品でも、他のシェイクスピア作品に比し て圧倒的に多い。とくに、一九九〇年から二〇〇〇年ま でのたった十年の間にも三本製作されている。この数は、 映画産業の最盛期ならいざ知らず、この現代にあっては ちょっと珍しい現象だろう。 名著『シェイクスピアはわれらの同時代人』の中で著 者のヤン・コットがハムレットのことをこれまで生 きたどのデンマーク人よりも有名だとした上で、『ハム レット』について書かれた論文の目録を作るだけでワル シャワの電話帳の二倍の厚さになると語っているのも、 まんざら誇張でもない。 ちなみに英語で大根役者のことを「ハム」というが、 正確な語源はどうも十九世紀アメリカのミンストレル 『ハム・ファット・マン』に由来するらしいのだが(ラ ンダムハウス英英辞典に拠る)、「下手な役者ほどハムレッ トを演じたがるから」を語源とする説もあるらしく、そ のあたりも、こうした事情を反映しているのだろう。 153

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Page 1: 『ハムレット』の不可能性 - 明治大学...『ハムレット』の不可能性 ーメイエルホリドとタルコフスキーの 実現しなかった『ハムレット』をめぐってー

『ハムレット』の不可能性

ーメイエルホリドとタルコフスキーの

     実現しなかった『ハムレット』をめぐってー

 『ハムレット』が多くの演技者・演劇実践者にとって

魅力的な素材であるのは言うまでもないだろう。名優と

呼ばれた者は、たいてい一度はハムレットを演じている。

舞台での名優たちのハムレットをよき思い出として胸に

抱いている演劇ファンは世界中にいる。舞台だけでなく、

映画化された作品でも、他のシェイクスピア作品に比し

て圧倒的に多い。とくに、一九九〇年から二〇〇〇年ま

でのたった十年の間にも三本製作されている。この数は、

映画産業の最盛期ならいざ知らず、この現代にあっては

ちょっと珍しい現象だろう。

 名著『シェイクスピアはわれらの同時代人』の中で著

者のヤン・コットがハムレットのことをこれまで生きて

きたどのデンマーク人よりも有名だとした上で、『ハム

レット』について書かれた論文の目録を作るだけでワル

                         

シャワの電話帳の二倍の厚さになると語っているのも、

まんざら誇張でもない。

 ちなみに英語で大根役者のことを「ハム」というが、

正確な語源はどうも十九世紀アメリカのミンストレル

『ハム・ファット・マン』に由来するらしいのだが(ラ

              

ンダムハウス英英辞典に拠る)、「下手な役者ほどハムレッ

                 こ

トを演じたがるから」を語源とする説もあるらしく、そ

のあたりも、こうした事情を反映しているのだろう。

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 しかし、みんながやりたがり、また実際にやってしまっ

ている『ハムレット』であるが、この作品の具体化を望

みながら、実現できなかったクリエイターもいる。ひと

つの作品の実現には、もちろん、芸術家個人の思惑を超

えたさまざまな偶然が左右しているが、それにしても、

これだけ多くの演劇人・映画人が取り上げた作品を具体

化することができなかったということは、かなり呪われ

た運命と言ってもいい。

 ここではそんな実例を二つ、考察したい。それは、も

しかしたら、実際に実現された作品群よりもこの『ハム

レット』という作品の魅力を照らしだしているかもしれ

ないからだ。なぜ彼らは『ハムレット』を実現させるこ

とができなかったのかを考えることは、この作品の潜在

的な危険性を照らし出すことになるかもしれない。また、

なぜ彼らがそれほどまでに『ハムレット』にこだわった

のかを検討することは、この作品の悪魔的な魅力を明ら

かにすることになるだろう。その観点から、存在し得な

かった『ハムレット』を考察することは、おそらく実現

した『ハムレット』を考える以上に意味のある場合もあ

るだろう。

 ここで紹介する二つの実例が、ともにソヴィエト/ロ

シアのものであることは、ある意味偶然ではないと思う

が、ここではそこにはあまり踏み込まない。

メイエルホリドの『ハムレット』

 フセフォロド・メイエルホリド(一八七四-一九四〇)

と言えぱ、二〇世紀初頭のロシア/ソヴィエトを代表す

る演出家である。その遊戯精神に満ちた演劇世界と独自

の演劇観は、スターリン体制化での秘密裡の死という悲

劇的な運命もあいまって、今なお、演劇に関心を持つ者

の好奇心を引きつけてやまない。

 メイエルホリドの助手を務めていたアレクサンドル・

グラトコフによると、『ハムレット』を舞台化する夢は、

                     る 

「メイエルホリド全生涯を通じてのものであった」。メイ

エルホリドは、『ハムレット』を「あらゆる戯曲の中で

             ヨ 

も最高傑作と位置づけていた」のである。彼がそこまで

この作品に惹かれた理由として、メイエルホリド研究の

楯岡求美氏は、この作品が、「複数のエピソードが複雑

に交錯しあいながら最終的に包括的なイメージを構築す

る」点、「カーニバル的なエネルギッシュさと自由さと

を内包している点」、そして何より、作品自体が「優れ

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Page 3: 『ハムレット』の不可能性 - 明治大学...『ハムレット』の不可能性 ーメイエルホリドとタルコフスキーの 実現しなかった『ハムレット』をめぐってー

た演劇論になっている」点を挙げている。「ロシアのハ

ムレットと呼ばれる『かもめ』(チェーホフ作)のトレー

プレフ役から演劇のキャリアを始めたメイエルホリドに

                   も 

とっては『ハムレット』は非常に重要な作品」だったの

である。メイエルホリド自身が『ハムレット』に言及し

た言葉を引くと、確かに彼自身の強い『ハムレット』崇

拝が伝わってくる。

私の信条は、シンプルで簡明でありながら、複雑な結

合へとつながっていくような演劇言語である。その流

儀で私は『ポリス・ゴドノブ』や『ハムレット』を舞

         ア 

台化したいのである。

主人公が決定を下す過程を視覚的に示すことは、立ち

聞きや、顔をぴしゃりと叩いたり、決闘したりするこ

とよりも、遙かに劇的効果が高い。だからこそ、『ハ

ムレット』は、いつの時代でも誰にでも人気のある劇

なのである。これは、「認知」などよりも遙かに強力

である、『ハムレット』にも「認知」の場面はあるこ

とはあるが。『ハムレット』には、すべてが含まれて

いる。そして、体験を積んでいないナイーヴな者にとっ

ても、これは優れたメロドラマとなる。『幽霊』はい

い劇だ。しかし、『ハムレット』と比べてみると、い

                  き 

かに『ハムレット』が豊かなのかがわかる。

 しかし、こうした『ハムレット』崇拝もかかわらず、

初期の彼の発言からみる限り、『ハムレット』に対する

アプローチは、決して原作を尊重したものとはならなかっ

たろうと思われる。彼の手法は、一般に、テクストを自

分の目的に合わせて改変・改窟した上で、独自の視覚演

劇を展開することにあった。彼の発言を見ていく限り、

『ハムレット』においてもおそらくは、改変は避けられ 55

                          1

なかったであろうと思われる。

 メイエルホリドが最初に、より具体的な形で『ハムレッ

ト』の構想を明らかにしたのは、彼の演劇活動が頂点に

さしかかりつつある時期、一九二〇年の十月革命三周年

              

記念の企画に際してである。この一連の上演のレパート

リーの予告に『ハムレット』も名を連ねている。ちょう

どこのとき、メイエルホリドはこのように言っている。

人類は今、一つの歴史的時代に突入している。それは、

あらゆるものの相互関係、あらゆる価値観が変わりつ

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つある時代である。一九一七年以前、われわれは文学

作品に対しある程度慎ましい、恭しい態度で接してい

た。しかし、今やわれわれはもう文学の偶像的崇拝者

ではない。われわれはもう、脆いて祈るように「シェ

イクスピアよ!  ヴェルハーレンよ!」呼びかける

ことはない。

まず観客が変わった。そしてわれわれもわれわれの関

係を再検討することを迫られている。……いまやわれ

われは作品の要求を守る番人ではなく、観客の要求を

      り 

守る番人である。

一見してわかるように、これは、作者に敬意を表して作

品を尊重する姿勢の放棄を宣言したものである。

 実際、それを裏付けるように、この声明が発せられた

際に上演されていた『暁』において、メイエルホリドは、

本番が開いているにもかかわらず、以下の改変を作品に

施す。彼は、このとき、「ロシア電報通信社と特約を結

び、前線からの戦況報告を毎日劇場の廊下に張り出して

いた」が、クリミア半島を赤軍が奪回したという戦況報

告の電報を受け取った彼は、とっさの思い付きで劇中登

場人物の一人にそれを読み上げさせる。これは、結果的

に観客から大きな喝采を浴び、連日これを行うようになっ

    む

たという。

 メイエルホリドは、これに味をしめ、次の『ハムレッ

ト』においても同様の改変をもくろむ。このとき、メイ

エルホリドは、『ハムレット』を、「民衆演劇の健全な伝

                       の 

統の復活の名の下でブルジョワ演劇の老朽化した伝統」

を攻撃するための武器とするもくろみを持っていた。マ

ヤコフスキーとパステルナークにそれぞれ、新訳が依頼

され、マヤコフスキーは、第五幕の墓掘の場面を、「同

時代の政治に関する冗談と警句」として、散文のテクス 鵬

トに書き換えることも求められていたという(さらには、

墓掘人に時事解説をさせることまで計画していたらしい)。

また、ハムレットの役には、後に喜劇的な役どころで有

名となるイゴール・イリインスキーが考えられていた。

 結局『ハムレット』上演は実現してはいないため、推

測以上のことは言えないが、以上のことから察するに、

また、上記引用の発言からみても、おそらくこの『ハム

レット』が実現していても、これをシェイクスピアの名

の下に同定することは難しかったかもしれない。『ハム

レット』は、この時点では、彼にとっては、素材の一つ

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に過ぎなかった。

            *

 その傾向は年代が進んでも消えることはない。しかし、

趣は若干異なってくる。

 グラトコフに語ったところによると、一九三〇年代に

は、メイエルホリドは、以下のような『ハムレット』を

構想していたらしい。ーハムレットは二人の俳優によっ

て演じられる。一人は優柔不断なハムレットを、もう一

人は、断固たる態度のハムレットを表し、二人は絶えず、

入れ替わって舞台に登場する。ただし、一人が舞台にい

る時、もう一人は舞台を去ることなく、一人の足元に坐っ

ている。こうして一人の人物の中の二つの相反する気質

による悲劇的状況が強調される。第二のハムレットが第

一のハムレットを締め出してその場を奪ってしまうこと

     お 

すらもある。

 もちろん、この構想がたやすく実現できるものではな

いことはメイエルホリドも承知していた。その理由とし

て、彼は「身体的に均等の性質を備えた二人の俳優を見

つけることは困難だ」からだと語ったという。この構想

では、「そこがすべての要点」であったのであり、その

問題がクリアされない限り、先の段階へは進めないもの

だった。

 この『ハムレット』は、先の時事解説をする墓掘の例

と比べればはるかに素材以上に原作を活かそうとするも

のではあったかもしれない。この趣向が、ハムレットの

内面の分裂を視覚化したものであることは、明白だから

である。しかし、二人の俳優によるハムレットというア

イディア自体、やはり、テクストよりも演出家の趣向の

方が優位にあった印象を持たざるを得ない。

            *

 しかし、意外なことに、そのメイエルホリドが、一九

三〇年代の後半には、「書き替えなしで」の上演を構想 57

                          1

                け              ア

するようになったとグラトコフは言う。テクストに自由

に手を入れることにためらいのなかった彼が、完全版の

『ハムレット』を構想するに至ったということは、どう

いうことなのだろうか。何しろ、上記に引用したような

発言をしていたその彼が完全上演を思い立ったのである。

そこに何らかの意図の存在を読み込みたくなるのは自然

の流れだろう。

 実際、この時期、彼の『ハムレット』構想は、その発

言において、かなり具体的なものとなっていたという。

再びグラトコフの言葉を借りれば、それは、「すばらし

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い輝きを放つ詳細にわたるもの」で、話を聞いていても、

「舞台上で既に上演されたかのように想像」可能なもの

であった。上演を想定した実際的な話も進んでいる。一

九三六年の秋には、パリでピカソと『ハムレット』のデ

               あ 

ザインについて話し合っているし、建築が進んでいる新

しいメイエルホリド劇場(これは結局、完成しても彼の

手にはわたることはなかったのだが)の柿落しに『ハム

レット』を上演するつもりであったらしい。さらには、

メイルホリドは、『ハムレット』のみをレパートリーと

する劇場の構想も抱いていた。そこで、彼は、自身の演

出のものに加えて、スタニスラフスキi、ラインハルト、

クレイグのそれぞれのヴァージョンの『ハムレット』と

競演させる形の、いわば『ハムレット』劇場ともいうべ

きものを展開させようとしていたという。また、メイエ

ルホリドは、彼の『ハムレット』が、「過去の彼のすべ

ての上演」の要素が含まれる集大成的なものになるとさ

         

え、語っていた。

 しかし、実は、肝心の、この「すでに上演されたかの

ような」プランの詳細は、意外と明らかになっていない。

グラトコフが挙げている実例も二つだけである。

 最初にグラトコフが紹介しているのは、第四幕第五場、

レアティーズが群衆を引き連れて王城に攻め込む場面で

ある。ここでは、大雨の中と設定されている。「兜も武

具も濡れて反射して」いる、ずぶ濡れの群衆がイメージ

されている。技術上の問題もあり、助手たちも交えてい

かにこの趣向を実現するかについて話し合われたという

     ぼ 

ことである。

 また、これはグラトコフが語っているだけでなく、メ

イエルホリド自身が論文の中でも触れているが、亡霊と

の対面場面も、かなり具体的なイメージが展開している。

海岸。霧深い海。厳寒。冷たい風が銀色の波を、雪の 鵬

積もらぬ、砂の岸辺へと追い込んでいる。ハムレット、

頭から足まで、黒いマントに包まれて、自分の父親の

幽霊との出会いを待つ。ハムレット、食い入るように

海を見つめる。うんざりするような数分間、はるか彼

方を見つめているハムレットが目にするのは、岸に打

ち寄せる波とともに霧のなかから姿を現わし、海底の

脆い砂まじりの泥から、やっとのことで足を引き抜い

ている彼の父(父の亡霊)。全身銀色ずくめ、銀色の

マント、銀色の鎖帷子、銀色の顎髭。鎖帷子と顎髭に

は水滴が凍りついている。父親は凍え、疲れきってい

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る。岸に上がる。ハムレット、迎えに駆け寄る。ハム

レット、黒マントを脱ぎ、観客の前に銀色の経帷子姿

を現わす。ハムレット、父を黒マントで頭から足まで

包み込み、抱擁する。短い場面のなかで、銀色の父と

黒色のハムレットから、黒色の父と銀色のハムレット

               に 

へ。父と子抱き合って舞台から去る。

以上がグラトコフの挙げている二つの実例である。確か

に、このプランは、原作から抽出されているという限り

において、テクストを尊重しているものとは言える。少

なくとも、上記のそれ以前のプランの例に見たような

「逸脱行為」は、ここにはない。しかし、いずれも、伝

わってくるのは、視覚面についての具体的なイメージの

みである。ここでも、メイエルホリドは、原作テクスト

を軽視する形で作品を構想していたと結論したくなると

ころであるが、実は、そうではない。

 この点に関して考察する際に、一つヒントとなると思

われる点がある。メイエルホリドの観客に対する姿勢で

ある。というのも、メイエルホリドの演劇観の根底には、

常に「受け手との関係」の模索があったからである。そ

れはどのようなものなのか。

           *

 桑野隆氏は、メイエルホリドの演劇を、パフチンの民

衆文化に関する考察を引用しながらーメイエルホリド

とパフチンとの相似関係を認あながらー、常に他者と

の〈対話〉を求めて開かれたものと規定する。パフチン

のいう民衆文化におけるグロテスクとは、「異種のもの

を結び合わせ……世界に対する支配的な見方……から自

                    に 

由になることを助け」る相対性の世界であった。そうし

た「脱中心化」の過程の中で、常なる「生成状態」が生

     ね 

じるという。そのダイナミズムは、メイエルホリドにも

共通していると桑野氏は見る。

 ここでまず第一に意識されなくてはならないく他者V

とは、言うまでもなく、観客である。メイエルホリドは、

何より、観客をどのように操作するかを重視した。それ

は、劇場内に生じる「脱中心化」1観客が舞台に盲目

的に従うという主従関係の解体1の要となるものであ

る(原作を徹底的に改作するメイエルホリドの姿勢は、

先に引用した発言から見てもわかるように、観客との関

係を重視するこの姿勢から説明が可能となる)。

 一般に観客の操作というと、観客席との舞台の融合を

目指す運動を連想させるが、ロシア演劇研究家の永田靖

159

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氏の指摘によると、メイエルホリドの場合、単なる観客

と舞台との融合ではなく、より具体的に、「俳優」とい

う個人と観客席が、一方では融合しながらも、常に対峙

する関係も崩さないことが強調されているという。単な

る融合を目指したのではないところに、メイエルホリド

                   ぬ 

が「同時代の多くの改革者と異なっていた点」があると

される。

 手法としてのモンタージュが重要になるのも、この観

点からである。モンタージュとは、単なる「プロットの

連続した展開」としてではなく、「連続と対照の原理に

            お 

則って継続する、連続した絵」として意味の生成を目論

む方法であるが、それ自体、「それぞれ何らかの連想を

観客の中に引き起こす目的を有」するものであり、こう

した連想の積み重ねによって「観客のイマジネーション

             お 

が刺激され、幻想が活性化され」ることに、その最大の

         ム 

意義があるとされる。

 こうした観客を刺激し続けようとする彼の姿勢は彼の

生涯を通じてのものであった。晩年、建築中だったメイ

エルホリド劇場での柿落としをめざして『ハムレット』

が構想されていたのは既に述べた通りだが、この劇場自

体も観客をどのように位置づけるかという関心のもとに

構想されていたのである。この劇場は、ギリシア劇場の

円形を範とし、劇場外部の空間とのつながりを意識した

(外の道路を劇場の直結させようとさえしたという)も

のであったが、これは、また、「荒々しいが想像力に富

                     お 

んで、俳優と直接対峙し合えるいわば街頭の観客」のた

めの劇場でもあった。

 この劇場のために、『ハムレット』の削除しない形の

上演を企てられていたということ自体、様々な推測を呼

ぶ。具体的には、柿落としとして企図していたこの上演

を、メイエルホリドが、観客の想像力に対する新たな挑

戦と位置づけていた可能性はないであろうか。

 永田氏は、メイエルホリドの観客論は、体系化される

ことはなかったとはいえ、それ自体「ブレヒトの先駆け」

           ゐ 

と称するべきものだとする。舞台と観客とが、単なる送

り手と受け手という制約を超えて対等に向き合う中で、

弁証法的意味生成の場を創り出すーこの一点をもくろ

んでいる点で、両者は共通しているという。おそらく、

テクストのイメージそのものも、舞台上からの挑発の手

段として観客席にぶつけられたことであろう。完全版上

                       れ 

演の意図はそのことを裏付けるものと言えないだろうか。

この『ハムレット』において完全版がもくろまれていた

160

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ということは、劇テクストの言語イメージ、舞台上に展

開する視覚、観客の想像力との理想的インタープレイが

構想されていた可能性が十分にあったことも示唆してい

る。そして、それは、言語と視覚によって観客の想像力

に訴えかける、新たなモンタージュとも言うべきもので

         お 

あったかもしれない。

 いずれにしても、少なくとも彼の生涯をかけて熟成さ

れた結論が、この作品に小ざかしい書き換えは不要とい

う考えであったということは十分あり得るだろう。

 だが結局、そのプランですら、メイエルホリドは、実

現できずに終る。彼はグラトコフに「僕の墓石に書いて

くれ、ここに眠るは、 一度も『ハムレット』をやること

なく終わった俳優・演出家である、と」と語っていて、

そこには、自分の最も愛する劇の上演にすらたどり着く

                   

ことができなかった悲壮さが漂っている。

 それにしても、最終的になぜメイエルホリドは『ハム

レット』上演までたどり着けなかったのかという疑問は

残る。実際のところ、グラトコフは、メイエルホリドが

上演しようとすると「常に邪魔が入った」と語るだけで、

その「邪魔」が具体的にどのようなものであったのかは

明言していない。ただし、彼の『ハムレット』が実現し

なかったこととおそらく関連している事実がある。他な

らぬ、スターリンがこの劇を嫌っていたということであ

る(ロシア演劇研究の堀江新二氏によると、ゴードン・

クレイグの演出した一九一二年のモスクワ芸術座の『ハ

ムレット』が、長らくソヴィエトで再評価されなかった

             お 

理由も、そこにあったという)。スターリンとメイエル

ホリドの確執を思えば、そこに「何か」があってもおか

しくはない。実際、メイエルホリドが演出したユーリ・

オレイシャ作『善行目録』(一九三一)という作品にお

いては、冒頭の場面、ハムレットを演じている女主人公

の女優ゴンチャロヴァが、観客との公開討論会で、なぜ

このような戯曲を取り上げるのか、と執拗に攻められて

いる場面がある。この場面は、もちろん、フィクション

だが、当時の風潮を幾ばくかは反映していると見られよ

う。 

スターリンはハムレットの姿の中に、対話を閉ざして

独白に突き進む自分の姿を見てしまったのだろうか。ハ

ムレット化した独裁者の犠牲者の一人がメイエルホリド

であったというのは、あまりにも皮肉がきき過ぎている

のだが。

161

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二 タルコフスキーと『ハムレット』

 同じソヴィエトで活動し、やはりソヴィエト当局との

折衝・対立を繰り返し、結局亡命という形で国を出ざる

を得なかった映画監督アンドレイ・タルコフスキー(一

九三ニー一九八六)も、遺作となった『サクリファイス』

(一

續ェ六)に続く作品として『ハムレット』を構想し

ていたことはよく知られている。

 タルコフスキーというと、ほとんどアクションや変化

に乏しい、クロース・アップに頼らない長回し撮影を駆

使した、映像派の難解な作家というイメージがあり、言

葉の劇作家としてのシェイクスピアのイメージとはにわ

かに結びつかない。しかし、彼は、シェイクスピア愛好

家でもあった。青年期には、『ハムレット』と『リア王』

の優れたシェイクスピア映画を撮った(自身シェイクス

ピア学者でもある)グリゴーリィ・コージンツェフとも

交流があり、書簡において熱く論議を交わしているし、

舞台においては、メイエルホリドが並べて名をあげてい

た『ポリス。ゴドノブ』とともに『ハムレット』も実現

させている。タルコフスキーにとって『ハムレット』と

は、「唯一、永遠のものであった。タルコフスキーは、

何をするときにも、どんな映画を撮っているときでも、

                 

『ハムレット』を演出していたのだ」。

 実際、彼の映画の主人公たちは、常に世界と自己との

間に齪齢を感じ、その歪みが最終的に悲劇に至るという

意味で、すべてハムレットの分身とも言える。特に遺作

となった『サクリファイス』においてはそれが顕著であ

ろう。せりふとして『ハムレット』にも言及されている

ばかりでなく、はじめに言葉ありき、という劇中何度か

繰り返されるフレーズとともに、言葉の再獲得とこの世

の救済という、まるでハムレットに負わされたかのよう 魏

な使命を、主人公は背負いこむ。まさに、次に準備され

ていた『ハムレット』の助走とも言うべき作品である。

「(

アの映画の中の)ロシア的なものとは、ハムレットに

似て、解けた時間の結び目を、脱臼した時代を、立て直

                  む 

そうとする主人公のメシア的な認識である」。そして、

主人公アレクサンデルは、ハムレットと同様、自分自身

の真摯な目的のために、傍目からは狂気としか見えない

自滅をする1世界を救うためと称し、自らの屋敷に火

を放つ。

            *

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 さて、では、実現されることのなかったタルコフスキー

の映画版『ハムレット』は、どのようなものになったの

だろうか。『殉教録』と題されて死後出版された日記に

は、たびたび彼の構想する次回作『ハムレット』への言

及がみられる。おかげでわれわれは、他のタルコフスキi

作品のヴォキャブラリーに照らして、タルコフスキi版

『ハムレット』を想像して楽しむことが出来る。その中

のいくつかを紹介しながら、彼のハムレット像をたどっ

てみようー記述はあくまで断片的だが、すでに記した

ように、彼自身、「常に『ハムレット』を演出していた」

と評されるように、彼の演出パターンから見ればその全

体像は実は容易に想像しやすい。例えば、以下の一節は、

すでに触れた彼の遺作『サクリファイス』を連想せざる

を得ない。

 ハムレットはなぜ復讐を? 復讐とは、親密な血の

               サクリフアイス

絆を、最も近しい者たちのための供 犠を示す好意

の形態、聖なる義務だ。ハムレットは〈引き裂かれた

       よ

時の糸〉を再び繕り合せるため、正しくは、自己犠牲

の理念を実行に移すため、明確な意識を持って復讐す

る。ひとは行動に際してしばしばかたくなに、頑迷に

なるが、これは、供犠の、自己否定の、義務遂行のあ

り方を誤って把えたがゆえの結果で、害になるばかり

   お 

である。

この記述は日付が記されていないが、直前の日付はタル

コフスキーが亡くなる三ヶ月前(彼は一九八六年一二月

二九日になくなっている)の九月二五日である。まずこ

の時期の心境を綴ったと見てかまわないだろう。これに

続く以下の記述は、その前に『ハムレット』に言及され

ていなければ、そのまま『サクリファイス』の主人公ア

レクサンデルを連想してしまう。           63

                          1

 宗教的人間-責務として。ドストエフスキーが苦

悩への願望と名づけたもの。

 この苦難への願望は、組織立った宗教的方針によっ

て支えられていない限り、きわめて容易に精神異常へ

と転化し得る。

 結局、それは、形を見出せなかった愛だ。(中略)

愛は常に、自身から他者に与える愛だ。愛は常に、自

身から他者に与える贈り物だ。自己犠牲というと、否

定的な、一見破壊的な意味合いが1自らを犠牲に供

Page 12: 『ハムレット』の不可能性 - 明治大学...『ハムレット』の不可能性 ーメイエルホリドとタルコフスキーの 実現しなかった『ハムレット』をめぐってー

する当の個人についてi秘められているが、この行

為の本質は常に愛である。すなわち、肯定的な、創造

          お 

的な、神聖な行為である。

アレクサンデルも「形の見出せなかった愛」ゆえに、

「精神異常へと転化」し、愛に裏打ちされているとはい

え、コ見破壊的な意味合い」を装う自己犠牲を遂行す

る。しかし、他者の目にはどう映ろうと、彼にとってそ

れは「肯定的な、創造的な、神聖な行為」だ。

 実際、タルコフスキーにおいて『ハムレット』は、あ

る時期間違いなく『サクリファイス』と併走していたと

推測される。

 『ハムレット』の構想は『サクリファイス』完成以前

にも折に触れて語られている。たとえば一九八三年、彼

がソヴィエト国外で最初に撮った『ノスタルジア』完成

の年の八月一四日の日記においては『サクリファイス』

の簡単なプロットメモが記されているが、その中に、

『ハムレット』の名も記されている。

 ここで彼は、「『魔女』ー『サクリファイス』の新た

な筋書き」として以下のように書き始める。

123456

悪夢

誕生日ー演説テープ

父と息子

散歩

火事(自分の家に火をつける。誓い)

病院にて

しかし、ここでこのプロット構想は中断し、突然『ハム

レット』の記述に移る。彼のメモは、国王クローディア

ス役にエルランド・ヨセフソンを、父の亡霊にマックス・

フォン・シドーを指名し、以下の記述へと進む。    姻

 城は扉が一枚破壊されている。広間から広間へと荒

廃が進む。最後の、屋根のない、木の枝が茂り放題の

広間で、ハムレットは父の亡霊に会う。

 昼間(一連のシーンの開始時は夜、闇の中だが)、

ひだひとつ余さず照らすまぶしい光の中で。

 (側面からで、目は見えない。すぐれて巨大i背

中、耳、あからさまに腐敗。そしてまったく不意に

1全身)。亡霊はいぶる火で身を暖めている。

 ハムレットー

Page 13: 『ハムレット』の不可能性 - 明治大学...『ハムレット』の不可能性 ーメイエルホリドとタルコフスキーの 実現しなかった『ハムレット』をめぐってー

P

そしてその後、主要人物を四人に絞ること(ここでの記

述から類推するに、ハムレット、国王、亡霊、そして母

ガートルード)、フォーティンブラスのせりふをすべて

削ることなどが記される。そして、プロットの番号が重

複して復活する。

5 戦争勃発

6 夜。「祈り」ー決してうそをつかないと誓う。

 電話のベル(誰?)

7 魔女。息苦しいー

一見、これは『ハムレット』のプロット構想なのかと錯

覚してしまうが、「魔女」の記述と、5から始まる番号

からして、『魔女』ー『サクリファイス』の構想とわか

る。しかし、以下の記述を見るとちょっと混乱してしま

う。

12

@息子。フィナーレ。父は息子にすべてを語り、

             

 子は父を理解する。別れ。

『サクリファイス』において主人公アレクサンデルと

そのもの言わぬ息子イワンとの親子関係は物語の重要な

柱をなしている。しかし、この構想メモではその関係に

ついての言及はなく、間にハムレットが父の亡霊と再会

する場面のイメージ設計がはさまれているだけである。

ハムレットは父の亡霊からその死の真相を聞かされ、父

の復讐を誓うことになる。ここでの「父は息子にすべて

を語り、息子は父を理解する」の一節は、むしろその関

係を連想してしまう。こうして見ると、タルコフスキー

は『ハムレット』を夢想しつつ『サクリファイス』を練

りあげたとさえ言えるのではないか。

 ちなみに、ここでハムレットの叔父クローディアスに 65

                          ー

キャスティングされることになっていたエルランド・ヨ

セフソンーベルイマン映画の主演で知られるーは、

実際の『サクリファイス』においてはその父親のほうに

キャスティングされることになる。

            *

 もちろん、タルコフスキーにとって『ハムレット』が、

常に『サクリファイス』とともにあったというわけでは

ない。両者は併走しつつ、徐々に別の道をたどる。

 一九八三年八月二六日、タルコフスキーはニューヨー

クを訪れるが、その地の映画祭の合間に彼はドライブを

Page 14: 『ハムレット』の不可能性 - 明治大学...『ハムレット』の不可能性 ーメイエルホリドとタルコフスキーの 実現しなかった『ハムレット』をめぐってー

堪能し、「グランド・キャニオン、荒野、原住民保護区、

最後に堂々たるモニュメント・ヴァレi」を訪れるが、

そのモニュメント・ヴァレーに括弧付けで以下の記述

が続く。「(ワーグナー、ハムレット、冥府の川ステユク

 お 

ス)」。

 なぜモニュメント・ヴァレーにハムレットの名が続く

のか。おそらくその答えは、一〇月二二日の日記の中に

見出せる。

 『ハムレット』の一部はぜひともモニュメント・ヴァ

レーで撮りたい。あのような(モニュメント・ヴァレー

のような)場所、誰しも神との一対一の対話に引き込

まれずにはいないような場所でジョン・フォードばり

                    め 

の西部劇を撮れるアメリカ人の気が知れない。

モニュメント・ヴァレーとタルコフスキーの映像とは一

見そぐわない印象がある。しかし、一方で、いかにもタ

ルコフスキーらしい場面も構想されている。

溺れたオフォーリアの捜索-池の水を抜く。水に浸

かって歩く人々。水が引くにしたがって池の底が露わ

になり、犯罪が明るみに出る。目を見開いたままのオ

フィーリアが発見される。池底はぬるぬると湿った層

に覆われている。オフィーリアの衣装はひだのたっぷ

りした白いレース、池の水が浸み透っている。レース

                 

の網目に絡まってもがく一匹の魚。

タルコフスキーの映画が常に水を重要なモチーフとして

描き出されたことは知られているが、ここでもそれが反

復されていることがわかる。この描写だけでも、タルコ

フスキーがシェイクスピアの言葉をいかに巧みに視覚に

変換し得ていたのかが伝わる。それは、もし実現してい 鵬

たなら、今までの『ハムレット』映画のどれとも異なる、

きわめて独特なものとなっただろう。

 ただし、このオフィーリア溺死の場面に以下の三つの

カットが続くことが記されているのだが、この記述のタ

ルコフスキーの意図はいささか不可解である。三つのカッ

トとは、「1 引いていく水」「2 溺死者」「3 池底

にあらわれる犯罪の証跡」。

 1と2とがオフィーリアにかかわるのはすでに見たと

おりである。しかし、3の記述「犯罪の証跡」とは、ハ

ムレットが幼いころ宮中に仕えていた道化ヨリックのこ

Page 15: 『ハムレット』の不可能性 - 明治大学...『ハムレット』の不可能性 ーメイエルホリドとタルコフスキーの 実現しなかった『ハムレット』をめぐってー

とである。「ヨリックの頭蓋骨は墓地ではなく池の底か

                   

ら見つかる。ヨリックは撲殺されている」ヨリックの頭

蓋骨への言及が見られるのは、本来ならオフィーリアの

葬送の場面である。墓堀が彼女の墓穴を掘っているとこ

ろで偶然見つかったその頭蓋骨を前にしてハムレットが

人間の生のむなしさを語る。しかし、タルコフスキi版

ではその前に置かれることになる。となるとシェイクス

ピアの筋とは展開が異なるということなのだろうか。も

ちろんそれ以上の記述はここにはない。

 同じ日の日記の記述の後半は『サクリファイス』のよ

り詳細なプロット構想が続く。ここで記された構想は、

より実際完成された映画に近づいている。しかし、この

『サクリファイス』構想とは、その前に記されたオフィー

リア溺死の場面とは直接結びつかない。ここだけで判断

するのはいささか乱暴かもしれないが、『ハムレット』

と『サクリファイス』は別の方向を志向し始めたとも取

れる。一一月二三日の日記では、ロンドンで彼は『ハム

レット』よりも先に『サクリファイス』を仕上げるよう

                 お 

アドヴァイスを受けたことを記している。そして、実際、

とりあえず彼は『サクリファイス』を優先させるひ

 しかし、以上たどったタルコフスキーの思索の跡は、

『ハムレット』の変種として『サクリファイス』を見る

という見方を妨げるものではないだろう。むしろ彼の中

では、両者を連作とする意識すらあったかもしれない。

 実際、死の直前まで『ハムレット』は彼の念頭から去

ることはなかった。彼の日記は~以下の一節で終わる。

ハムレット…:二日中ベッドの中だ。身を起こすこと

もできない。(中略)衰弱がはなはだしい。死ぬのだ

ろうか? (中略)ハムレット……? 腕と背中の痛

みがなければ、化学療法で回復したといえるのだろう、

だが今はもう何もする力も残っていないーそれが問 67

                         1

  れ 

題だ。

有名な独白になぞらえたこの心境の吐露は、

徴的である。

三 終わりに

あまりに象

 歴史に「もしも」は禁物と言うが、しかしそれにして

も、メイエルホリドにしてもタルコフスキーにしても、

彼らが『ハムレット』を完成させていたらどうなったか

Page 16: 『ハムレット』の不可能性 - 明治大学...『ハムレット』の不可能性 ーメイエルホリドとタルコフスキーの 実現しなかった『ハムレット』をめぐってー

考えると想像は尽きない。どちらの場合も、その演出術・

世界観の集大成となったことは疑いない。その意味では、

たとえ失敗作であったとしても、演劇史・映画史が変わっ

たのは間違いないのだ。原作に大胆に手を入れることに

ためらいのなかったメイエルホリドが無脚色で挑もうと

した『ハムレット』、映像の詩人と呼ばれたタルコフス

キーの言葉との格闘の証として立案されていた『ハムレッ

ト』1。

 また、それぞれが、ソヴィエトという国家に嫌われた

反逆児だったこともハムレットと重なる。彼らは、まち

がいなく、自分たちの姿を、デンマーク国家に危険分子

として目をつけられることになったハムレットと重ねて

いただろう(タルコフスキーの最後の日記を見る限り、

彼が自らをハムレットに重ねていたことは明白だ)。

 言うまでもなく、日の目を見ることなく終わったその

作品が『ハムレット』であったことに意味がある。他の

作品であったなら、それほど伝説的には響かない。最初

に書いたように、この作品は、とにもかくにも、誰もが

一度はやってみたいと思うような作品なのだ。それなの

に彼らには出来なかった。その事実の意味するものは、

どちらの場合も、深い。

 『ハムレット』という作品には、クリエイターを魅惑

する要素と同時に、クリエイターの創造性にたちふさが

る悪魔的な力が作用している。人物としてのハムレット

自身が危険なように、『ハムレット』という劇そのもの

もそうした危うさの上に存在している。その事実だけを

確認しておこう。

《注》

(1) コット、六二頁。

(2) ランダムハウス英英辞典第二版(一九八七)より。

(3) ウィキペディア「大根役者」の項より。

(4)O轟穿。<もPω㌣ωドω9ヨ一鼻(Φeも」①゜

(5)o。筈a鼻(Φeも」①゜

(6) 楯岡、一七〇1一七一頁。

(7)O鑓鼻。〈も」ω⑩゜

(8) 、ミ罫OP一①◎。山①㊤含

(9) メイエルホリドが『ハムレット』上演に取りかかった

  のは、これ以前にもある。それは、一九一五年、ボロディ

  ンスカヤ・スタジオでの「実験的な上演」であるが、詳

 細はわからない(ブローン、 一八三頁、O冨α民o~や

  冨O)。しかし、一般には彼の『ハムレット』取り組みは、

  二〇年代に始まったと理解されているようである。『メ

168

Page 17: 『ハムレット』の不可能性 - 明治大学...『ハムレット』の不可能性 ーメイエルホリドとタルコフスキーの 実現しなかった『ハムレット』をめぐってー

  イエルホリド・ベスト・セレクション』(作品社、二〇

  〇一年)巻末の上演作品年表でもそれは踏襲されている。

(10) メイエルホリド、淵上克司訳「ロシア共和国第一劇場

  における『曙』上演に向けて」、『メイエルホリド・ベス

  ト・セレクション』、一六七頁。

(11) 佐藤恭子、五九頁。

(12) 9巴ざくも」°。⑩.

(13) ω9ヨご蝕(Φα゜)層,一刈゜

(14)さミ”P一メ

(15) Ω冨α犀o<讐P㊤メ妻に宛てたパリからの書簡より。

(16) ω魯3置け(巴シ,一⑳

(17) ♂ミ層づ」8

(18) メイエルホリド「プーシキンとチャイコフスキー」、

  ユトケーヴィッチ、成田典子訳「セルゲイ。エイゼンシュ

  テイン」に引用。浦、武隈、岩田編『ロシア・アヴァン

  ギャルド2 テアトル2』、四三三ー四三四頁。

  ω9ヨ一9(Φ臼)も」㊤゜

(19) 桑野、二三頁。

(20) 前掲書、一三頁。

(21) 永田、一三頁。

(22) ζ曽爵o〈層のoe§寄ミ蚕ピoコαoP一8心も゜刈9讐じ①8戸

  や一ω↑に引用。

(23) ゆ6ロロ(巴゜)も゜ω一⑩゜

(24) モンタージュは、一般には映画の手法として理解され

  ていうが、この理論化に大きな貢献をした映画監督エイ

  ゼンシュテインはもともとはメイエルホリドの弟子とし

  て演劇においてキャリアをスタートしており、両者の影

  響関係においても重要な意味を持っている。

(25) 永田、二一頁。

(26) 前掲書、一八頁。

(27) メイエルホリドにとって、完全版上演ががいかに珍し

  いことであったかは、例えば一九三四年の『椿姫』の上

  演に際しての、ブローンの以下の記述を見ればわかる。

  「多くの批評家は、メイエルホリドがロシアの古典をあ

  れほど〈改窟〉しておきながら、この問題の多いデュマ

  の原作には指一本触れていないことが不満だった。」プ

  ローン、三五〇頁。

(28) ω畠日乙け(a°)、P一①

(29) 堀江、=三ー=二一二頁。

(30) オスカル・レメズ「あらゆる時代を写す鏡」、『タルコ

  フスキーの世界』、三八九頁。

   ネール・ゾールカヤ「終わり」、前掲書、三二六頁。

   タルコフスキi(一九九三)、三二一頁。

   前掲書、三二二頁。

   A  A403938)  )  )

A  A  A  A  A  A  A37 36 35 34 33 32 31)  )  )  )  )  )  )

前掲書、

前掲書、

前掲書、

前掲書、

前掲書、

前掲書、

前掲書、

一〇四ー五頁。

一一二頁。

一二六頁。

一二一-一二二頁。

一二二頁。

一四一頁。

三三九-三四三頁。

169

Page 18: 『ハムレット』の不可能性 - 明治大学...『ハムレット』の不可能性 ーメイエルホリドとタルコフスキーの 実現しなかった『ハムレット』をめぐってー

 引用・参照文献

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  b一p易Φ》おo。P

コット、ヤン、喜志哲雄、蜂谷昭雄訳『シェイクスピアはわ

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ブローン、エドワード、浦雅春、伊藤愉訳『メイエルホリド

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浦、武隈、岩田編『ロシア・アヴァンギャルド2 テアトル

  2』、国書刊行会、一九八八年。

桑野隆『未完のポリフォニーーパフチンとロシア・アヴァ

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佐藤恭子「メイエルホリドーロシア革命以後1」、第十

  一回、『悲劇喜劇』、早川書房、一九八〇年一〇月号。

楯岡求美「演出という再-創造ーオレーシャの戯曲『善行

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永田靖「俳優と観客の対峙ーメイエルホリドの観客論」、

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堀江新二「心を持った超人形ー『ハムレット』 一九一一

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タルコフスキー(武村知子訳)『タルコフスキー日記H 殉

  教録』、一九九三年、キネマ旬報社刊。

『タルコフスキーの世界』、キネマ旬報、一九九五年。

※本稿の前半部分は、二〇〇四年五月二九日成城大学におい

                           70

 て行われた、日本演劇学会分科会静養比較演劇研究会の五 1

 月例会における口頭発表「初期アヴァンギャルディスドの

 シェイクスピア上演ーラインハルトとメイエルホリドの

 『ハムレット』に見られた視覚戦略を中心にi」の後半

 部分を改稿したものである。また、明治大学文化プロジェ

 クト公演『ハムレット』(主催明治大学、二〇〇九年=

 月十二~五日)のパンフレットに、本稿の簡略版(およそ

 三分の一)を「ハムレット・インポッシブル?」と題して

 寄稿した。