プログラム・ノート 越懸澤麻衣 ベートーヴェンのピアノ三重...

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ベートーヴェンのピアノ三重奏について ピアノ三重奏曲 ── ピアノと 2 つの楽器(もっとも多いのはヴァイオリンとチェロ) のための作品 ── は、とりわけ1780 ~ 1800年頃たいへん人気のあったジャンルで ある。ただし、それらの多くは「伴奏付きピアノ・ソナタ」の系譜に属するもので、い わばピアノが主役、他のパートは伴奏、というバランスで書かれていた。それを大き く変えたのが、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770~1827)である。 ベートーヴェンの作品では、ヴァイオリンやチェロにも独自の旋律が与えられて いる。特にチェロが、単なるバス声部ではなく表現豊かなパッセージも奏するよう になったことは、ベートーヴェンのこのジャンルにおける功績の一つである。もちろ ん、伝統的に主役の座にあったピアノ・パートも、ピアノの名手として楽器の特性を 知り尽くしていたベートーヴェンの手によって、さらに魅力を増している。こうして 新たな声部のバランスを獲得したベートーヴェンのピアノ三重奏曲では、3 つの楽器 のさまざまな組み合わせで、新しい多彩なアンサンブルの響きが追求されているので ある。 I 6 月10日(水)19:00 開演 ピアノ三重奏曲第 1 番 変ホ長調 作品 1 - 1 1794 ~ 95年頃に作曲された3曲のピアノ三重奏曲は、「作品1」として1795年に ウィーンのアルタリア社より出版された。それまでに何曲も自作を出版していたベー トーヴェンが、あえて作品番号を付したのは、これらが自信作だったからであろう。 この出版を金銭的に支援したのが、パトロンのカール  ・リヒノフスキー侯爵(1761 ~ 1814)で、彼にこの記念すべき作品 1は献呈された。 これらの 3 曲には早くも、ピアノ三重奏曲におけるハイドンやモーツァルトのコン セプトを超える、野心的な試みが見られる。その一つは、規模の拡大である。当時、 たいてい 3 楽章で書かれていたこのジャンルで、ベートーヴェンは 3 曲とも4 楽章構 成で作曲した。しかも、終楽章には一般的だったロンドではなくソナタ形式の楽章を 置いた。こうした既存の型を破り交響曲のような規模で作曲することは、ピアノ・ソ ナタの場合と同様、若きベートーヴェンの挑戦の一つと言えよう。 第1番の第1楽章は、トゥッティでの主和音のあとピアノの上行形での分散和音に よって始まり、軽快に進んでゆく。この曲の始まり方は、第 2 番の第 1 楽章、第 3 番 プログラム・ノート 越懸澤麻衣

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Page 1: プログラム・ノート 越懸澤麻衣 ベートーヴェンのピアノ三重 …...ベートーヴェンのピアノ三重奏について ピアノ三重奏曲 ピアノと2つの楽器(もっとも多いのはヴァイオリンとチェロ)

ベートーヴェンのピアノ三重奏について ピアノ三重奏曲 ── ピアノと2つの楽器(もっとも多いのはヴァイオリンとチェロ)のための作品 ── は、とりわけ1780 ~ 1800年頃たいへん人気のあったジャンルである。ただし、それらの多くは「伴奏付きピアノ・ソナタ」の系譜に属するもので、いわばピアノが主役、他のパートは伴奏、というバランスで書かれていた。それを大きく変えたのが、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770 ~ 1827)である。 ベートーヴェンの作品では、ヴァイオリンやチェロにも独自の旋律が与えられている。特にチェロが、単なるバス声部ではなく表現豊かなパッセージも奏するようになったことは、ベートーヴェンのこのジャンルにおける功績の一つである。もちろん、伝統的に主役の座にあったピアノ・パートも、ピアノの名手として楽器の特性を知り尽くしていたベートーヴェンの手によって、さらに魅力を増している。こうして新たな声部のバランスを獲得したベートーヴェンのピアノ三重奏曲では、3つの楽器のさまざまな組み合わせで、新しい多彩なアンサンブルの響きが追求されているのである。

I 6月10日(水)19:00開演ピアノ三重奏曲第1番 変ホ長調 作品1 - 1 1794 ~ 95年頃に作曲された3曲のピアノ三重奏曲は、「作品1」として1795年にウィーンのアルタリア社より出版された。それまでに何曲も自作を出版していたベートーヴェンが、あえて作品番号を付したのは、これらが自信作だったからであろう。この出版を金銭的に支援したのが、パトロンのカール ・リヒノフスキー侯爵(1761~1814)で、彼にこの記念すべき作品1は献呈された。 これらの3曲には早くも、ピアノ三重奏曲におけるハイドンやモーツァルトのコンセプトを超える、野心的な試みが見られる。その一つは、規模の拡大である。当時、たいてい3楽章で書かれていたこのジャンルで、ベートーヴェンは3曲とも4楽章構成で作曲した。しかも、終楽章には一般的だったロンドではなくソナタ形式の楽章を置いた。こうした既存の型を破り交響曲のような規模で作曲することは、ピアノ・ソナタの場合と同様、若きベートーヴェンの挑戦の一つと言えよう。 第1番の第1楽章は、トゥッティでの主和音のあとピアノの上行形での分散和音によって始まり、軽快に進んでゆく。この曲の始まり方は、第2番の第1楽章、第3番

プログラム・ノート越懸澤麻衣

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の第4楽章とも共通しており、3曲セットとしての関連を感じさせる。抒情的なロンドによる緩徐楽章、前打音付きの旋律が印象的なスケルツォを経て、ウィットに富んだフィナーレとなる。

ヴェンツェル ・ミュラーの「私は仕立屋カカドゥ」による変奏曲 ト長調 作品121a この変奏曲は、1801~ 03年頃に第1稿が書かれ、その後1816年頃に改訂されたと考えられている。初版はウィーンのシュタイナー社より1824年に出版された。 主題の旋律は、ヴェンツェル ・ミュラー(1767 ~ 1835)のジングシュピール『プラハの姉妹たち』のアリア。これは1794年にウィーンで初演され、ベートーヴェンの生前に130回も上演された人気作であった。 アダージョ・アッサイの長い「序奏」(ト短調)のあと、アレグレットの軽やかな「主題」(ト長調)が提示され、それに10の変奏が続く。ピアノだけの第1変奏や弦楽器だけが対位法的に絡み合う第7変奏など、楽器の組み合わせにも工夫が施され、変奏を得意としたベートーヴェンらしく、主題が多彩な音型で展開される。

ピアノ三重奏曲第5番 ニ長調 作品70 - 1「幽霊」 1808年、作品70の対照的な2曲のピアノ三重奏曲が作曲された。初版は翌1809年、ライプツィヒのブライトコプフ&ヘルテル社より出版され、当時ベートーヴェンが住居を提供してもらっていたアンナ・マリー・エルデーディ伯爵夫人(1778 ~ 1837)に献呈された。 第1楽章は、単一主題のように冒頭の主題が基礎となり、何度もさまざまな形で現れる。2つの弦楽器で始まる緩徐楽章は、極端な強弱の対比、トレモロ音型や突然の休符など、独特の雰囲気をたずさえている。この楽章のことを、カール・チェルニー(1791~ 1857)がシェイクスピアの『ハムレット』における幽霊の最初の出現を思い起こさせる、と書いたことから「幽霊」というニックネームが付けられた。プレストの第3楽章では、即興風のパッセージも含みつつ華麗に進んでゆく。

II 6月14日(日)14:00開演ピアノ三重奏曲第4番 変ロ長調 作品11「街の歌」 オリジナルはヴァイオリンではなくクラリネットが入る、珍しい編成のピアノ三重奏曲。作曲のきっかけとなったのが、クラリネット奏者のヨーゼフ・ベーア(1744 ~1812)との出会いである。1797年末から98年夏にかけて作曲され、1798年に出版された。

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この初版のタイトル・ページには「クラリネットまたはヴァイオリン」と記されており、本日はヴァイオリンの演奏でお聴きいただく。 決然としたユニゾンのモティーフが印象的に展開される第1楽章、優雅な緩徐楽章を経て、変奏による終楽章に向かう。「街の歌」(=流行歌)というニックネームの由来は、この変奏主題が、ヨーゼフ・ヴァイグル(1766 ~ 1846)の喜歌劇『船乗りの愛』の「私が仕事にとりかかる前に」という大人気だった旋律であること。この素朴で明るい主題から9つの変奏が繰り広げられる。2つの短調の変奏(第4、第7変奏)が効果的に配置され、カノン風に始まる大規模で華やかな第9変奏で締めくくられる。

ピアノ三重奏曲第2番 ト長調 作品1 - 2 第2番は、第1楽章に長い序奏部があり、こうした点も交響曲のような構成を思わせる。ホ長調という当時としては珍しい6度調での緩徐楽章では、とりわけ弦楽器が活躍する。続くスケルツォではト長調に戻るのだが、冒頭では調がぼやかされているのが特徴的。そして急速な同音連打が効果的に響くフィナーレは、プレストで駆け抜けてゆく。

ピアノ三重奏曲第6番 変ホ長調 作品70 - 2 第6番は、おだやかな序奏部付きの内省的な第1楽章で始まる。珍しくアレグレットが第2、3楽章と2つ続き、いわゆる緩徐楽章はない。第2楽章は、二重変奏とリート形式を組み合わせた形式で、ハ長調とハ短調が交互に現れる。第3楽章はトリオ付きのメヌエット風の楽章でロマン派を先取りしているようだ。とくにフィナーレでは、3つの楽器が対等に旋律を受け渡しているのが際立っている。

III 6月18日(木)19:00開演ピアノ三重奏曲第3番 ハ短調 作品1 - 3 作品1のピアノ三重奏曲はおそらく1795年頃、リヒノフスキー侯爵家の演奏会で、ベートーヴェン自身のピアノによって初演された。そこには、ベートーヴェンの師匠ヨーゼフ・ハイドン(1732 ~ 1809)も同席していた。ハイドンはそのとき、第3番は「出版しない方が良い」と言ったという。それが作曲技法の問題だったのか、はたまた後にベートーヴェンが語ったとされるように、優秀な弟子への嫉妬だったのか、その理由は伝えられていない。 「ベートーヴェンのハ短調」は、ピアノ・ソナタ「悲愴」や交響曲第5番のように荒々

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しい性格が特徴的である。そうした強烈なパトスが全体を支配するなかで、主題と5つの変奏からなる第2楽章は安らぎを与えている。第3楽章は、作品1では唯一スケルツォではなくメヌエット。第1楽章とモティーフ的に密接な関連にあるプレスティッシモのフィナーレで、全体が閉じられる。

ディッタースドルフの主題による14の変奏曲 変ホ長調 作品44 1792年、カール・ディッタース・フォン・ディッタースドルフ(1739~99)の喜歌劇『赤ずきん』がボンで上演された。この時期、ボンの宮廷劇場でヴィオラ奏者を務めていたベートーヴェンは、オーケストラの一員としてこの作品を演奏したはずである。それがきっかけで、このオペラから主題を採った変奏曲を作曲したのであろう。 全体としてはピアノの活躍が目立つが、弦楽器が主旋律を奏でる変奏、またテンポや拍子が異なる変奏が挿入されるなど、変化に富んだ変奏曲である。

ピアノ三重奏曲第7番 変ロ長調 作品97「大公」 ピアノ三重奏曲のなかでもっとも有名なこの作品は、1810年後半から1811年はじめにかけて作曲された。中期様式から後期様式への移行期の作品である。1816年に出版され、「大公」というニックネームが示すように、ベートーヴェンの最大のパトロンで、かつ唯一の作曲の弟子だったルドルフ大公(1788 ~ 1831)に献呈された。そしてピアノ演奏も達者だったルドルフ大公のピアノで、1811年6月2日に初演された。1814年4月11日の慈善演奏会では、ベートーヴェン自身がピアノを担当。これが、公の場で彼がピアノを演奏した最後の機会となった。 作品全体を支配するのは、この時期に特有の「カンタービレ」な性格である。華麗なピアノ・パートに寄り添う弦楽器パートの役割も、それまでの作品以上に重要なものになっている。また交響曲でも稀なほどの規模の大きさも特徴的だ。 第1楽章は、ピアノの和音によるレガートの旋律で、優雅な雰囲気のなか始まる。展開部に見られる長い弦楽器のピッツィカートは、印象的な音響を創り出す。第2楽章は、中期の作品によく用いられる5部分からなる大規模なスケルツォ。そしてコラール風の主題と4つの変奏、コーダからなる変奏曲の第3楽章が続く。ロンド・ソナタ形式のフィナーレでは、多彩な音型で素材が徹底的に展開され、プレストのコーダで力強く締めくくられる。

(こしかけざわ まい・音楽学)