ファン・ダイク「チャールズi世と家族 の肖像」:宗旨の異な...
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ファン・ダイク「チャールズI世と家族の肖像」:宗旨の異なる不幸
鈴木繁夫
チャールズの 求婚
ダニエル・ミテンス「チャールズ王子の肖像」1623年頃
マリア・アナ・デ・アウストリア( 1606年- 1646年)
「詳説 世界史研究」抜粋
「詳説 世界史研究」抜粋
戦争の17世紀
• 西ヨーロッパ全土が戦場
–期間:1618年ー1648年
–焦点:カトリックとプロテスタントの対立
–結果:領邦(軍事・経済力を備えた君主による小国)が 相互放任
戦争の17世紀
• 違いの大きさ
–政治制度 ←大同小異
–文化 ←高位[イタリア・スペイン]の優位
–宗教 ←憎悪が顕著
イングランド:アングリカン教会 +カトリック教会+プレスビタリアン教会
相互放任
父ジェイムズ王の決断
• イングランド内ではカトリックは容認せず
チャールズの恋愛感情
「赤ん坊チャールズは心の底から惚れ込んでいて、…もしもあの人がい
ないなら、大打撃だと、誓って口にしています」
(バッキンガム公爵からジェイムズ王への書簡)
王族間結婚に恋愛感情
フランス王女との結婚
ヘンリエッタ・マライア
チャールズの結婚
1625年
王位継承直後に結婚
女王として認知不可
聖アウグスティン教会(カンタベリー)
ダニエル・ミテンス「チャールズ王子の肖像」1623年頃
チャールズとマライアとの結婚記念銀貨 1625年 [2010年発見]
ダニエル・ミテンス「王チャールズ一世」 1631年
FVNDIT .AMOR. LILIA. MIXTA. ROSIS 1625
「愛は、バラと絡み合ったユリを吹き出す」 1625
典拠:ウェルギリウス『アエネーアース』
マライアのカトリック信仰
1632年 サマセット邸宅
マライアの芸術擁護
グリニッチ邸宅 (1635年)
親密な夫婦
1629年以降 夫の支え
• マライアとの共同統治
個人統治
夫妻の親密さ
友愛の親密さ
チャールズからマライアへの書簡
「愛しい人よ、現在の状況をしっかりきちんと述べたと思うが、そうだよね。だからできるだけ早く君の考えを教えてもらえたらと願っている。そうしてくれたら、永遠に君のものであるあの人をすっかり満足させることになるから。」1646年1月
チャールズ処刑1649年
夫の意志の成就
ジョン・ライト「戴冠衣装のチャールズ二世」
1661-62年頃
ファン・ダイク「チャールズ一世と女王ヘンリエッタ・マライア」 1632年
夫婦愛: 信頼を寄せる夫 献身の妻
ファン・ダイク「家族の自画像」 1621 年
夫婦愛:? 信頼を寄せる夫 献身の妻
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The Marriage of King Charles I and Henrietta Maria
after Unknown artist line engraving, mid to late 18th century 15 1/2 in. x 17 3/4 in. (393 mm x 450 mm) paper size Given by the daughter of compiler William Fleming MD, Mary Elizabeth Stopford, 1931 NPG D26392