マリア・フィロメナ・モルデ-ル『ゲ-テの形態学的思想 url doi...meiji...

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Meiji University Title �-�-�{�1}[�] Author(s) �,Citation �, 385: 71-106 URL http://hdl.handle.net/10291/5212 Rights Issue Date 2004-03-31 Text version publisher Type Departmental Bulletin Paper DOI https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/

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Meiji University

 

Titleマリア・フィロメナ・モルデ-ル『ゲ-テの形態学的思想

』第二部{その1}[翻訳・注解]

Author(s) 長尾,史郎

Citation 明治大学教養論集, 385: 71-106

URL http://hdl.handle.net/10291/5212

Rights

Issue Date 2004-03-31

Text version publisher

Type Departmental Bulletin Paper

DOI

                           https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/

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明 治大 学 教 養 論 集 通 巻385号

(2004・3)pp.71-106

マ リア ・フ ィ ロ メ ナ ・モ ル デ ー ル

『ゲーテの形態学的思想』

第 二 部{そ の1}1[翻 訳 ・注解]

長 尾 史 郎

目 次[全体]

序 説[既 訳2]

第 一部 『具体的思考』の実行の固有 の相貌(fisionomia;physiognomy)と その諸条件[既

訳]3

第二部r具 体 的思考』に内在 的な知 覚的な諸プ ロ トタ イプ[原 型]と 言語(ラ ソガージ ュ)

の諸プ ロ トタイプ 諸通過 の理論 と翻訳 の理論 として の形 態学的 プロジ

ェク トの確立[本 稿 以降コ

lMariaFilomenaMolder,OPensamentoMorfol6gicodeGoethe,ImprensaNacional-

CasadaMoeda,Lisboa,1995.[502pp.]本 稿 で は,そ の うち の 第 二 部 の 一 部 を 訳 出

す る。

2[訳 注]『 明 治 大 学 教養 論 集 』通 巻334号 ,2000年3月

3[訳 注]以 下 の よ うに 既 訳 「第 一 部{そ の1}」:「1 .Cn'ticadeFaculdadede/tZt-

gar[Kritilederurteilsleraft;『 判 断 力 批 判]の 肥 沃 な 諸 当惑 」,「2.判断 力 の ゲ ー

テ 的 な 変 形gegenstdndigeDenken[対 象 的(な)思 考(す る こ と)]の 構 成 」

[r明 治 大 学 教 養 論 集 』通 巻336号,2000年9月];「 第 一 部{そ の2}」:「3.「 具

体 的 思 考 」の 諸 確 信 精 神 の 可 塑 性 お よび 自然 の 意 図 性 」[『 明 治 大 学 教

養 論 集 』通 巻343号,2001年1月];「 第 一 部{そ の3}」:「4,問 題(oproblema)

と問 題 的 な もの(oproblematico)」[『 明 治大 学 教 養 論 集 』通 巻351号,2002年

1月],「5.{1}」[r明 治 大 学 教 養 論 集 』通 巻351号,2002年1月];「 第 一 部{そ

の4}」:「5.{2}」[『 明 治 大 学 教 養 論 集 』通 巻355号,2002年3月];「 第 一 部

{そ の5}」:「5.{3}」[『 明 治 大 学 教 養 論 集 』通 巻361号,2002年9月];「 第 一

部{そ の6}」:「6.」[『 明 治 大 学 教 養 論 集 』通 巻370号,2003年3月];「7.」

[『明 治 大 学 教 養 論 集 』通 巻373号,2003年9月];「8.~10.」[『 明 治 大 学 教 養

論 集 』通 巻381号,2004年1月]。 ま た,「 参 考 文 献 」表 は,全 巻 終 了 後 の 最 後

に一 括 して示 す こ とに す る。

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72明 治大学教養論集 通巻385号(2004・3)

第 三部 〈現 わ れ る こ と(aparecer;appearing)〉[現 わ れ,現 象]の 諸 グ レ ー ド[度 合 い,

段 階]と 省 察 の 諸 グ レ ー ド ー 自然 の,お よび 芸 術 の 図式[未 訳]

目 次[本 稿]

第二部 『具体的思考』に内在的な知覚的諸プロ トタイプ[原型]お よ

び言語(ラ ンガージ ュ)の諸プ ロ トタイプ 移行(通 過)

の理論および翻訳の理論 としての形態学的プ ロジェク トの

確立{そ の1}

モットー

******

第二部

r具体的思考』に内在的な知覚的諸プロ トタイプ[原型]お よび言語(ラ ンガー

ジュ)の諸プロ トタイプ 移行(通 過)の理論および翻訳の理論 としての

形態学的プロジェク トの確立{そ の1}

ゲ ー テ の 自然 科 学 の 諸 著 作 は 言 語 の 真 の 再 生(復

活;Palingenesia;Palingenesis)で あ る。

最 も高揚 した レベル の一 つの芸術 作品 にお いては,

一 つの 有機的 な構i成における と同 じ く,最 も驚 嘆す

べき ものは,独 特 の形態ε形式]と いうことではな ぐ

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マ リア ・フ ィロメナ ・モルデール 『ゲーテの形態学的思想』73

して,一 つの形態 τ形式フが佗の形態 τ形 式」か ら出発

して視力る ことである。

フー ゴー ・フ ォン ・ホーフマンス タール『諸手記』

モ ツ ♪ 一

[183]「 形姿[ゲ シュタル ト;Gestalt]と 型[TyPus]は 直観[直感]の,よ

り高い諸形態[形 式;Fonuen]で ある。形姿の概念は形而上学的な権能を許

容し,型 の把握は精神的権能を保証する。両者は,あ らゆる時に,大 きな諸

主題として,思 考および反省を占有していた。(…)こ の主題は単純であ り,

そこにその困難が横たわる。単純な諸事物は複雑なものよりは記述するによ

り複雑である,と 言 うのは,そ れらは名一無 し[Namenlosen]に より近いか ら

であ り,記 述する老は言語(ラ ンガージュ)の基底まで歩み寄って頼らなけれ

ばな らないからだ。(…)そ の困難は,一 つの形態[形 式;Form]よ りは,形

成されている[形態(形 式)が与えられている]ものが,書 くのに容易であると

いう事実に存 している。(…)型 は自然においては与えられておらず,形 態

[形式]は 宇宙においては現れない。われわれは,そ れらを,二 つながら,諸

顕現の中に集めなければならない,一 ち ょうどそれは,そ の諸効果の中

に一つの力を求めて,あ るいは,そ の諸兆表の中に一つのテクス トを求めて

するかのようにだ。『鋳貨[造 幣局](Money;Mint)』 とは,手 から手へと渡

る貨幣の一片のことでもあるし,そ れが何千という人々のためにそこで鋳 ら

れる制度 一 その個別化の場所 一 でもある。これはわれわれの主題 と

の遭遇になる 一 われわれは貨幣を見るが,し かし造幣の鋳型を見るわけ

ではない。われわれは諸鋳貨を見るが,〈鋳貨〉を見るわけではない。もしも

一つのそうした鋳貨が現実に存在し,そ こからそれを想像しなければな らな

いとした ら,一 ここに[こ れらの諸設問の中に]常 に一貫して,判 断力の

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74明 治大学教養論集 通巻385号(2004・3)

最 も厳格な試金石が存 していたのだ。 この主題は単に諸設問を提示するだけ

で な く,そ れ ら に 応 答 す る人 を 変 形 し も す る4」(TyPus.Name.Gestalt,§ §1一

4[訳 注]》1/GestaltundTypussindFomlenderh6herenAnschauung .Di6Konzeption

vonGestaltenverleihtmetaphysische,dieErfassungvonTypensichert

geistigeMacht.BeidebeschaftigtendaherzuallenZeitenalsgro8eThemen

dasDenkenundNachdenken.(…)3/DasThemaisteinfach,unddarinliegt

seineSchwierigkeit.EinfacheDingesindschwierigerzubeschreibenalskom-

plizierte,weilsiedemNamenlosennaherliegenundderBeschreibendeauf

denGrundderSprachezurtickgreifenmu8.DieSchwierigkeitliegtdarin,da8

einGefo㎜tesleichterwahrzunehmenistalseineForm.(…)DerTypus

kommtnichtinderNaturunddieGestaltnichtimUniversumvor.W{rmUs・

senbeide,wieeineKraftanihrerWirkungodereinenTextanseinenZeichen,

andenErscheinungenablesen.(…)4/>MUnze〈istsowohldasGeldstUck,

dasvonHandzuHandgeht,alsauchdieAnstalt,indereszuTausenden

gepragtwird:derOrtseinerIndividuation./DasbetriMunserThema:Wirse-

hendiePragung,abernichtdenPrtigstock;wirsehendieMUnzen,aberwir

sehendieMUnzenicht、ObUberhaupteinesolcheMUnzebesteheundwosie

zuvermutensei:daswarvonjeherderscharfstePrUfsteinderUrteilskraft.

DasThemastelltnichtnurFragen,sondemesverandertdenMenschen,der

siebeantwortet.《(》TYPUS,NAME,GESTALT《,ERNST/ULIVGERSAM-

MTLICHEWERKE,VerlagsgemeinschaftErnstKlett-J.G.Cotta'sche

Buchhandlung,1981,Bd.13,SS.85-86.》;「 ゲ シ ュ タル トと型 は よ り高 い 直

観 の 形 態[形 式]で あ る。 諸 ゲ シ ュ タル トの 概 念 は形 而 上 学 的 な 力 を 与 え,型

の 把 握 は 精 神 的 な 力 を保 証 す る。 そ れ ゆ え 両 者 は あ らゆ る時 に,思 考 と反 省

[後 一 思 考]を,そ の大 き な主 要 諸 主 題 と して領 し て いた 。(…)3/こ の 主 題 は

単 純 で あ り,そ こに そ の 困難 が横 た わ って い る。 単 純 な事 物 は 複 雑 な もの よ

り も記 述 す る に よ り困 難 で あ る,と 言 うの は,そ れ らは 無 名[名 一無 し]に よ

り近 く横 た わ っ て い る か らで,記 述 す る 者 は,言 語 の 基 底 に立 ち戻 って 頼 ら

な け れ ば な らな い か らだ 。 困難 さは 次 の 点 に あ る 。 す な わ ち,一 つ の 形 態

[形 式]を 与 え られ た もの は,一 つ の形 態[形 式]よ りは知 覚 さ れ 易 い とい う こ

とだ 。(…)型 は 自然 に は現 わ れ ず,ゲ シ ュ タル トは宇 宙 に は生 じな い 。 わ れ ・

わ れ は そ の 両 者 を,ち ょう ど,力 を そ の 作 用 に お い て,あ る い は,一 つ の テ

ク ス トを そ の 諸 兆 表 に読 み 取 る よ うに,諸 現 象[現 わ れ]の 中 に読 み取 らな け ・

れ ば な らな い 。(…)4ノ 『通 貨』は手 か ら手 へ と伝 わ る金 の 小 片 で もあ る し,そ

れ が 何 千 と鋳 造 さ れ る施 設 その 個 別 化 の 場 所 で も あ る。/そ れ

は わ れ わ れ の 主 題 に も 当 て は ま る。 わ れ わ れ は 型 押 しは 見 る が,極 印 は 見 な

い 。 わ れ わ れ は 諸 鋳 貨 は 見 る が,〈 鋳 貨 〉は 見 な い。 一 般 に 一 つ の そ う した

〈鋳 貨 〉が 存 在 す る か ど う か,ど こ で そ れ を 想 像 す る か,一 こ れ が か つ て

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マ リア ・フ ィロメナ ・モルデール 『ゲーテの形態学的思想』75

4,pp.385-387)。

この エ ル ン ス ト ・ユ ン ガ ー の 一 つ の エ ッセ ー ー ゲ ー テの シ ラー との 避

道 の 主 題 に つ い て既 に 引 用 し た もの で あ り5,ま た,こ れ に つ い て は,た び

た び 回 帰 し な け れ ば な らな い の だ が の 抜 粋 は,ゲ ー テ の形 態 学 的 諸

テ ー ゼ へ の 導 入 の 特 権 的 な 一 つ の 契 機 を 構 成 す る もの だ 。 ゲ ー テの 形 態 学 は

優 れ て 判 断 力 の 科 学 そ の もの で あ り そ れ は これ か らの 諸 頁 の 展 開 で 見

られ る で あ ろ う,形 態[形 式],型,原 初 的 な諸 イ メ ー ジ の諸 設 問 で 自

らを 占有 す る科 学,し か もそ の 雰 囲 気 にお いて 最 も望 み の持 て る もの であ る

多数 性 と統 一 性 との 関 係,構 成 さ れ た もの(ocomposto;compound)と

の,過 剰 な もの との,単 純 な もの との,内 容 そ れ 自体 との関 係 。 と言 う こ と

は,形 態[形 式]の 問 題 は,転 形 と恒 常 性 との 諸 問 題,断 片 化 と充 実 との,通

過[移 行]と 終 了 との 問 題 として 定 式 化 しな けれ ば な らな い だ ろ う とい うこ と

だ 。 か くて,形 態[形 式]の 諸 設 問 を理 解 す る こ とは,ユ ソ ガ ー に とっ て は,

可 視 性 と非 可 視 性 の,存 在 と存 在 の 知 覚 可 能 性 の諸 問題 を措 くこ とに等 価 で

あ り,〈 の 間(entre;between)〉 の 位 置 を,適 切 に も,収 集 が可 能 に な る よ う

に再 定 義 す る こ とを義 務 付 け る も の だ。 とい う こ とが意 味 す るの は次 の こ と

だ 。 す な わ ち,形 態 学 的 プ ロジ ェ ク トは経 験 世 界(empirea)の 最 も穏 や か な

活 動,観 察,収 集,忍 耐 強 く反 復 さ れ る実 験 の一 つ の 内 包 的 お よび外 延 的 活

動,諸 詳 細 へ の一 つ の愛,総 体 的 了解 へ の,〈 全 体 〉の ヴ ィジ ョン へ の情 熱,

〈分 離 さ れ な い も の 〉[Ungesondere;Inseparado;Unseparated]へ の 接 近 の 間

の 一 つ の緊 張 の 中 を動 い て い る とい う こ とだ。 この振 動 こそ ゲ ー テ 的 な 思 考

に真 の 独 創 性 を 恵贈 し,同 時 に(そ して,そ れ ゆ え に)そ れ を 任 意 の どの シ ス

テ ム 哲 学 的 で あ れ,科 学 的 で あ れ 一 へ の 統 合 を も難 し くす る もの

で あ る。 しか しな が ら,こ の幸 運 な再 合 一 に は,形 態[形 式]の 思 考 を 織 り成

か ら最 も鋭い判断力の試金石 であった。 この主題は,諸 設 問を設 定するば か

りでな く,そ れに答 え る人 間を転換 しもす るのだ。」(拙 訳)

5[訳 注]「 第一部{そ の5}」 ,『明治大学教養論集』通巻361号,2002年9月,注24。

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76明 治大学 教養論 集 通巻385号(2004・3)

す諸設問の表面のいかなる解消も見 られず,反 対に,そ れら[諸設問]は再び

置き直され,最 も古い諸困難を響かせる 〈形態[形式]〉は諸形態[形 式]

から分離されているのか?〈 形態[形式]〉が分離されているのか,そ れとも

諸形態[形 式]が分離 されているのか?そ のうえ,そ れらの諸困難が提示さ

れる様態は常に言葉によって賄われてはいなかった と言うのは,そ の

区別 と決定の権能は,概 念的な努力によって強化されて,そ れら[諸困難]の

中に自己の固有の諸限界を発見するからだ これ らについてはゲーテは

継続的に省察していた。最後 にユンガーは,求 める者の自らの歩みの(発見

的な手続 きの)知 覚不能の妥協を定式化する そのような諸困難に応じ

ようと試みることは,応 じる者の変態を含意する。[184]

「自然の諸観察は私に多 くの喜びを惹 き起 こします。奇妙に思われます

が,そ して,し かしながら,自 然でもあるのですが,最 後に,主 観的な全体

性の一つの種類 が現れなければならないのです。もしも貴方がお望みなら

ば,そ れは視覚の世界(mundodavisdo)に 固有のことなのですが,自 ら〈形

態[形 式]〉と〈色彩〉とに集約されるのです。」〈形態[形 式]〉と〈色彩〉は,こ

のシラー宛の1796年11月15日 の書簡(HA/B2,p.244)6で それを打ち明ける

ように,唯 一の諸対象,そ の意味の固有の世界,を 構成するものであ り,そ

れは,た だに現れる限 りで在るもの との特権的な仲介を保証するだけでな

6[訳 注]》DieNaturbetrachtungenfreuenmichsehr .Esscheinteigenunddochistes

nat{irlich,daBzuletzteineArtvonsubjektivemGanzenherauskommenmu且.

EswirdwennSiewolleneigentlichdieWeltdesAuges,

diedurchGestaltundFarbeersch6pftwird.Dennwennichrechtachtgebe,

sobraucheichdieHUIfsmittelandererSinnenursparsam,undallesRasonne-

mentverwandeltsichineineArtvonDarstellung.《;「 自然 の諸 観 察 は私 を非

常 に 喜 ば せ ま す 。 独 特 に思 わ れ ます が,し か し 自然 な の で す が,最 後 に,一

種 の 主 観 的 な 全 体 が 出て 来 な け れ ば な らな い の で す。 そ れ は,も し も貴 方 が

お望 み な らば,本 来,眼 の 世 界 な の で,そ れ は,ゲ シ ュ タル トと色 彩 を通 じ

て汲 み尽 くされ るの で す 。 と言 うの は,私 が正 し く気 を つ け れ ば,他 の諸 感

覚 の 補助 手 段 は 滅 多 に必 要 とせ ず,総 ての 推 論 は一 種 の 記 述 の 技 芸 に転 化 す

る か らで す。」(拙 訳)

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マ リア ・.フィ ロ メナ ・モ ル デー ル 『ゲ ー テの 形 態 学 的 思 想 』77

く,ま たその色々な精神的な諸転形において 一 独自の知覚 として,高 め

られた直観[直 感]と して,思 考の可能性自体を打ち建て,概 念的な運

動に栄養を送 り,設 定し,活 気付ける。見ることと語ることとの間の,知 覚

することと命名することとの間の,不 釣合いは,ま さに,見 るという行為は

唯一のものであ り,第 一の行為である 一 比較不能で不断かつ不完全に伝

達[翻 訳]可 能である という確信から出発して主題化されている。その

APerCZt[洞 察]か ら諸植物の変態 と諸色彩の理論 が生 じて くるのだが,そ れ

は,最 も明白かつ明瞭な様態で,ご く最近まで,未 編集でフランツ ・シュミ

ットによって1971に 公刊されていた通 りだ(彼 については,因 みに,一 つの

文が既 に,第 一部の最後の,ゲ ーテの歴史の理解に捧げ られた諸パラグラフ

で言及されている7)。「要約として言えば,常 に最 も高められた諸公理が,

諸原理が存在し,そ れらが,そ れら自体の中に自分の基盤,精 神の普遍的な

諸言明[allgemeineEnuntiationen]を 携えているが,そ れ らは,基 底におい

て内的な諸直観であ り,経 験の互いに引き離された諸原理から出発 して[α%∫

einzelnenE2farungssdteen]構 成され,な いし構造化されたものではない。そ

れは精神の一つの閃 き,精 神の一つの輝 きで,突 然に生ずるものだ。そ し

て,諸 言葉による再生産だけが,一 つの外的な提示において,諸 理性および

諸小理性の構築およびモンタージュを通じて与えられるのだが,そ れは,も

しも,第 一に,探 求者の精神の中において,一 つの精神によって新たに貫か

れているのでなかったとしたら,何 も言おうとするものではないのだ。理性

による構造化,構 築,証 示およびその他の類似の事柄たちは,単 に理念の実

現,た だし不完全なそれに過ぎない。それから分離されて,そ れによって穿

入されずに,わ れわれはそれ らを総て脇に置 くことができる。従って,た だ

信念 だけ,た だ一つの最 も早い理 解(APerCU[洞 察])だ け,お よび性 向

(Amor[愛])が,一 挙に,一 つの理念(諸 植物の変態の,諸 色彩の理論の概

念)を把握することができる。[185]

7[訳 注]「 第 一 部{そ の8}」 ,r明 治大 学 教 養 論 集 』通 巻381号(2004.1),p.148.

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78明 治大学教養論集 通巻385号(2004・3)

「これ ら総 て は 同 じ種 の一 つ の ヴ ィジ ョン であ る し411esisteinSehenauf

dieselbeArt8]。 そ して,人 々 は,一 つ の第 二 の ヴ ィジ ョン が あ って そ れ が 第

一 の そ れ を 破壊 す る と考 え,そ れ が 今 は既 に 存在 しな い と き,狂 人 の よ う に

振 舞 う。 総 て の ヴ ィジ ョン は唯 一 で あ る。」

ゲ ー テは,古 代 人 た ち が動 詞intueorを 扱 った 様 態 の 一 つ の 特 別 の再 興 で

あ る よ う に 思 わ れ る 彼 らは,た だ,受 動 態 で の み 知 っ て い た 。Intuir

[直 観 す る]は 本 来 的 に精 神 の 一 つの 決 定 で は な く,一 つ の 要 請(imposigao;

imposition)に 対 す る一 つ の 同 意(aquiescencia;aquiescence),一 つ の証 明,

〈… に よ って 捉 え られ た 〉で あ る 活動 が蒙 られ る,何 物 か の ヴ ィジ ョン

が蒙 ら れ る,何 か の 事 物 が 見 られ る,ProduktiveLeidenschaft[生 産 的 苦 悩]

の 一 つ の形 態[形 式],世 界の 驚 異 への 第 一 の,原 初 的 な応 答 の形 態[形 式]で

あ る原 始 的 な衝 動 。 命 名 は,そ れ ゆ え,常 に,伝 達[翻 訳]の 一 つ の第 二 の運

動,一 つの 仲 介 的 な契 機 であ る。 ヴ ィジ ョン へ 回帰 しな い,不 断 に そ れ を展

開 す べ く努 め な い総 て の言 葉 は,意 味 が発 見 す る もの へ の諸 等 価 を見 出 しつ

つ,自 らの 説 明的 諸 命 題 を無 化 しつ つ,死 へ と宣 告 さ れ て い る。 や は り この

方 向 で,ユ ン ガ ー の 次 の 諸 言 葉 も解 釈 す る こ とが で き る 一 「認 知 的 精 神

が 知 覚 的 精 神 に 勝 利 す る とき,諸 支 出 が 増 大 し,諸 収 入 が 減 少 す る9」(op.

cit.§28,p.403)。

実 際,ゲ ー テ の 自然 お よ び 美 的 諸 研 究 の 中 心 的 諸 結 節 の 一 つ は,諸 形 態

[形式]の 出現 お よび転 態 の思 索 と記 述 に適 した理 論 的 言 語 の構 成 に 関 わ る こ

とで あ る。 その 結 節 は,自 然 の 諸 研 究 の場 合 に は,次 の必 要 性 に 帰着 す る。

す な わ ち,分 化 と亜 分 化 に よ っ て組 織 化 さ れ た一 つ の シ ス テ ム化 に基 い た一

つの 純 粋 な 命 名 体 系(nomenclatura;nomenclature)こ れ は,諸 存 在 の

8[訳 注]「 総 て は 同 一 の 種 へ の一 つ の見 遣 りで あ る。」(摂 訳)

9[訳 注]》DerAufwandwirdgr6GerundderErtraggeringer ,woderzerlegendeGeist

Uberdenwahrnehmendentriumphiert.《(Ebenda,S.103);「 分 析[分 解]す る精 神 が

知 覚 す る精 神 に勝 利 す る とこ ろ で は,支 出 は よ り大 き く,収 入 は よ り少 な くな ろ

う。」(拙 訳)

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マ リア ・フィロメナ ・モルデール 『ゲー テの形態学的思想』79

間に見いだされる諸差異 と諸類似に応答しようと努める 一 と,自 らを顕

示する各々の形態[形式]の 変態自体の垣間見と認識を宥め,再 興する一つの

言語 との間を区別することだ。 このことは,概 念が意図的に演 じてする

(protagonizar;protagonize)言 葉の一義性(非 二義性;univocidade;univoci-

ty)と,言 葉の結節的な本性 それは自らをシンボル として発見する

一 との間の差異を聞明することを義務付け,綱,科,属,種 としての諸

名辞は諸概念を指示せず 一 一つの厳格な意味においては,諸 型を

指示するのだ(その本性は内在的に理念的なものだから)という考察に導 く。

さらに次のことも前提に加えよ。すなわち,分 類は,純 粋な命名体系に転形

されないためには,諸 形態[形 式]一 諾形態[形 式]と しての,す なわち,

一つのWerdendes[生 成 しつつあるもの]の諸様相 としての形態[形 式]一

の認識から出発 して構成 されなければならないのだ。理論的な言語(ラ ソ

ガージュ)は,一 方では,一 義性の一つのdesideratum[望 まれるもの]を理解

し,他 方では,概 念 と,そ の直観的な核の間の深い親密性 一 多 くの場合

隠された を通じて以外では実現され得ない。つまり,概 念 として採 ら

れた言葉は,そ のようなものとして採 られるための一つの転換を蒙っており

一 それは,シ ンボ リックな一つの運動の結果である転換だ 一一,そ れ

は,直 観 と思考の意図的対象の間の諸紐帯 一 これ らはアプリオ リに完全

に特定化可能ではな く,ま た概念の意義付けの真の諸解放者だ を統合

する。ゲーテの形態学的プロジェクトは,そ の最 も早発的な諸顕現における

そうした運動の一つの特権的な驚 くべき機会である。既に証明されたよう

に,危 険は,直 観の概念への転換,概 念の一つの言葉への転換,お よび言葉

の一つの事物への転換においてあ り,そ れは,一 つの用語法の中に,容 赦な

くそこから脱出するものを物化する危険である。[186]

形態[形式]の 思考は,派 生した諸顕示の内部に生きつつ,自 ら原初[原 点]

の方へ動 く。この中間的な道程に対応して,暖 昧であることを止めることの

できない諸要請がある 一 それは,決 して生きた諸形態[形式]か ら自らを

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80明 治大 学教養論集 通巻385号(2004・3)

逸 らさない ということだ。生きた諸形態[形式]を観察するために,そ れらか

ら自らを逸 らさなければならない(そ れら自体が現れるために自らを分離し

なければならない,一 分離は顕示の,お よび,同 時に,認 識行為の必要

な諸契機の一つだ)。 次のような様態で自らを逸らす,す なわち,〈 全体〉と

の関係が再開されるように,そ の関係が常に存在していると仮定 しつつ,つ

まりと言 うことは,導 かれたものを原初[原 点]と共に考えることが必要なの

だ。ゲーテの形態学的思考はわれわれの直観 とわれわれの言語(ラ ソガージ

ュ)の諸原型の追求の中に打建て られ,そ れゆえ,そ の推論は常に次の提示

の一つの形式 として現れる 一 《undallesRdsonnementvenvandeltsichin

eineAitvonZ)arstellung》10と 彼がシラーに1796年11月15日 に書いている通

りだ。

ゲーテの思想[思 考]を,ラ イプニッツとの関係において提示 しようと準備

しつつ,ベ ルンゼン(opcit.,pp.11-12)は,そ の諸作品の効果の中で固定 さ

れ得,提 示され得 るよりは,よ り包括的で,包 絡的で,ず っとよ り生 き生 き

とした,一 人の著者の積極的な努力に従 う,何 かがあると宣言する 一 ち

ょうど,秋 に木の葉や木の実を集め,研 究 しても,一 本の木の本質をあれ程

少な くしか知ることがないの と同じように,一 人の人についても,そ の諸作

品を研究 してもやは り知 ることはないだろう 一 諾著作の純粋な事実性を

超え,超 越する何かが在 るのだ。作品は再加工される,し かも,顕 示がそこ

に根付いている理念が感 じられるような様態でそうすることが必要であ る

生きた形態[形 式]の 直観は単に観察から,作 品の考察からは結果 しな

い。実際,一 人の著者の諸作品と個性(そ のモットーはフンボル トのものだ)

との関係のベルンゼンの解釈は,ゲ ーテの形態学的思想[思 考]の最 も適切な

インスピレーシ ョンに正当に当たるとは思われない。厳格に言 うと,諸 作品

はその純粋な事実性において 自らを提示せず,純 粋な事実性は既に一つの還

元的,抽 象的な行為であるFaZtst[『 ファウス ト』]あるいはDieWahl-

lo[訳 注]注6を 参 照 。

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マ リア ・フィロメナ ・モルデール 『ゲー テの形態学的思想』81

〃θ物αηぬ碗鋤 θη[『親和力』]の純粋な事実性 とは何だろうか?ゲ ーテは,

樹木の本質は,偶 然に,そ して,そ れらの,自 らの発達と自らの移行の諸契

機,諸 断片から出発 して集まるものと考えていた。本質は,た だ顕現された

一つの歴史から出発 してのみ捉えられるのだ。そのうえ,ゲ ーテは,観 念の

母体(matriz;matrix)と しての形態[形 式]の 知覚は経験の一つのResultat[結

果]だ と言っていた(観 念は結果であ り,概 念は経験の合計であると,彼 は

『箴言』537で言う)11一 この場合,作 品の思索の結果であるが,そ れは,

疑いも無 く,非 連続性を記すものであるが,し かし,同 じく,次 のことを強

調することを止める訳ではない。すなわち,理 念の直観は,自 らを,一 つの

予兆 と,理 念の,形 態一母体の,作 品における輝き出そのもの との一致相応

という形態[形 式]の 下に与えるということだ 一 これは認識されることを

欲する形態[形 式]だ(ゲ ーテが芸術作品における形態[形 式]と の関係であれ

ほど表 白的に断言するように)。厳格に言 って,観 察 こそ,そ の最 も内包的

な様態において,沈 思として,諸 意味 と諸感受性の,諸 能力への転換を提供

するものである 一 われわれの固有の諸権能を増加させつつ,ま た,〈外〉

と〈内〉とを再統合する共通のものを顕示 しつつ 一 。もしも沈思をその最

も威厳を持った意味にとれば その場合,精 神は,沈 思するものの影響

の効果の下で震える 一,た だ,そ の下で読者が自らを穿入させ活気付け

る作品の沈思だけが,そ の固有の個性の,daimonの 直観[直 感]に導 き得る

のだ。そしてまさに移行の諸瞬間においてこそ 一 そしてこのことはまた

諸国民の歴史においても,ま た,諸 科学の歴史においても妥当するのだが

,人 間の精神の展開の隠れた諸傾向が最も可視的になるのだ。[187]

llこ の 箴 言 の 評 言 は 本 書 の 第 三 部 で な さ れ る。

[訳 注]》537BegriffistSumme,IdeeResultatderErfahrung;jene

zuziehen,wirdVerstand,dieseszuerfassen,Vemunfterfordert.《(HA12 ,S.438);シ カ で で

「概 念は経験 の総 計であ り,理 念は経験の結 果であ る。総 計を 出す には悟 性が,結

果 を把握 するには理性 が必要 とされる。」(岩崎英二郎 ・関楠生訳「箴言 と省察 」『ゲー

テ全集 第十三巻』,p.282)

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その人間精神に内在的な性格 その固有の諸規則性を移行[通 過]の諸

局面で,そ の展開の仲介的な諸環において,最 も強く証示する 一 は,任

意の どの 自然的な過程にも在る。現れることの諸法則は一つの領域において

も,他 においてと同 じである。直観は,自 然の研究において,ま さし く,

Obergdnge[諸 移行,通 過]の 観察から出発 して発揮され,処 理される 一

「私を注意深 く観察せよ」と彼はファルクに言う,「 それらの諸移行,そ れら

に最終的には,自 然においては総ては依存するのだ12」。

われわれは移行の主題を認識するのである 諸能力の間におけるそれ

であれ(劣 った諸能力と優れた諸能力との間の伝統的な区別の拒絶。見 るこ

とから直観することへの,そ して直観することから創造することへの移行が

ある),諸 能力 と諸形態[形 式コー それらを通じてわれわれの諸能力は自

らを拡張 し,新 たな諸器官として自らを発見する 一 との間におけるそれ

であれ,人 間精神の歴史の概念において増大するもの と維持されるもの との

間の関係においてであろうと,最 後に,任 意の形態[形式]の 成長の各瞬間の

間の関係においてであろうと 一 。われわれは「ゲーテ的な諸移行[aspas-

sagens;thepassages]」 について語ることも可能であっただろうが,そ れは

同時にヴァルター ・ベンヤミンの一つの作品への一つの引喩にもなっている

一 それは実際には断片の状態で維持されており,一 つの作品の約束のこ

とではあるが それはDasPassagen-Werle[rパ サージュ諸論集』]のこと

で,そ れは,パ リの建築の「諸移行」(そ の形成,そ の諸変態[転形],そ れら

を近代性の原初的なイメージととって,ま たボー ドレールの詩 と,他 方では

時代)の 記述 と理解のためにゲーテの形態学の方法的諸原理(特 に『諸植物の

変態』のそれ)を採 っていると主張 していた。そして,ペ ンヤミンがゲーテの

変態について持っていた深い理解の認識(短 い賛歌)は,移 行的な,仲 介的な

諸形態[形 式]と して記述しつつ,そ れらを横切 って辿 る道程は パサー

12J.Falk,GoetheatcsndhrmPersbnlichenUmgangedargestelt[『 身 近 な 個 人 的 な 交 流 か

ら叙 述 さ れ た ゲ ー テ 』],pp.23-24,apud[次 に 引 用]B6msen,op.cit.,p.25.

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マ リア ・フ ィロ メナ ・モルデール 『ゲーテの形態学的思想』83

ジュ[通過]は 同時に,一 つの形態[形 式]を 意味しかつ構成する 一 自然に

おいてであれ,自 然を知 りたいと情熱を傾ける者,ま た,相 互的な等価性を

認めっつ,等 置の不可能性を無視せず,一 つの通約不可能な共通項を発見す

る,そ ういう者においてであれ 一 「(…)私の「パサージュ」に関する仕事

[DasPassagen-VVerleコ は同じく私にとっては起源[原初,原 点]の 一つの基礎

付けを取 り扱う。実際,私 は,パ リの諸パサージュ[横町]の諸構成 と諸転態

の起源を,そ の誕生からその凋落[死]ま で追う,し かもそれを経済的諸事実

を通 じて。それらの事実は,因 果性の角度の下でつま り諸原因[Ursachen]

として考察されると,原 初的な諸原因[UrPhanomen]で はない。ただ,そ う

なるのは,そ の特別の展開[発 展;Entwiclelung]解 発[Auswicklung]

と言った方がより良いようだ 一 が,具 体的な過去の歴史的な諸形態[形

式]の 契機を表 させるに比例した場合に限るのだ 一ち ょうど葉から始ま

って,諸 植 物 の経 験 的世 界 の総体的 な富 が展開 す るよ うに 一 」。

(v.1[N2。,4],p.577)13。 一本の特定の植物の生長において任意の植物の展開

の範例的な提示が与えられる。ただ各形態[形 式]か ら次の形態[形 式]へ の諸

パサージュの総体的証示のみが,結 節的な様態の生長が理解されて,変 態の

過程の知覚的な把捉を許すことだろう。従ってわれわれは,形 態[形 式]を そ

の固有の転態の内的な歴史 何 らかの諸モティーフの一連の諸変形およ

13[訳 注]「(…)私 がパ サージ ュ論 で行お うとしてい るの も根源の探求であ る。 つまり

私は,パ リのパサー ジュのさまざまな形成過程 と変容 の根 源を,そ の始 まり

か ら終末 に至 るまで迫 って行 き,そ の根源 を経済的 なさまざま な事実 〔Fak-

ten〕のな かで捉 えるのだ。 こうした事実 は,も しそれが因果 関係 とい う観点

か ら捉 え られてい る場合 には,つ ま り原因 として見 られ ている場 合には,原ママ

現 象[Urphanomen]と 言 うこ とはで きな いであろう。経 済的な諸事実 が原現

象 に な る の は,そ れ らの 事 実 が そ の 内 発 的 な 発 展 一 む し ろ展 開

〔Auswicklung〕 と言 ったほ うがいいか もしれないが に従 って,パ サー

ジ ュの具 体的な,歴 史上の一連の形態 を 自分 自身の中か ら出現 させる場合 に

限 られ る。 ち ょうど植物 の菓 が,経 験 的な[empirisch]植 物界 の豊潤な全容

を 自らの うち か ら繰 り広げ てみせ るように。[N2a,4]」(『 パ サージ ュ論』第

3巻,今 村仁 司 ・三 島憲一 ほか訳,岩 波書店,2003年,pp.184-5)

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び姿を変えられた反復の歴史,あ るものたちが他のものたちから生み出す形

態[形 式]た ち,一 つの原始的なモデル と一致 して秩序付けられた系列 一

と見るべ きである。そのような,一 つの形態[形 式]の移行 一 あるいは,

よ りよく言えば,一 つの形態[形 式]の 一つの瞬間か ら他の瞬間への移行

は,イ マジネーシ ョンの行為を通じて知覚される。[188]

諸パサージュの転形 としての形態[形式]の 理解,お よび,記 述としてのそ

の個別的方法の理解が,他 の一人の同時代の思想家,ウ ィトゲンシ ュタイ

ン,に 反響を見出したが,彼 は,そ の言語に関する諸研究において,記 述的

方法に 一 そのことは,彼 をして,ゲ ーテと同じく,仮 説に,お よび仮設

的な ものに,い かなる ものであれ訴えることを拒絶させることになった

概観(Vbersicht[展 望]),す なわちまさに諸パサージュの総体的ヴィジ

ョン,に 一 選好を与 えた。J.シ ュルテは,ゲ ーテの形態学的理念はウ

ィトゲンシュタインの諸考察の基礎にあることを証示したが,そ れは一つの

直接のないし間接の影響 という意味においてではなく,ゲ ーテが言っていた

ように,wiederholteSpiegelungen[繰 り返される諸反射]と してであって,ウ

ィトゲンシュタインのテクス トの若干の解明的な諸節を引用すれば こうなる

一 「われわれの諸考察の中には仮設的なものは何物 もあるべきではない。

すべての解明は脇に置かれ,た だ記述のみがその場所を占めるべきである。」

「概観の概念はわれわれにとっては一つの根本的な重要性を持 っている。そ

れはわれわれの表象の形態[形式コ,わ れわれが諸事物を見る様態をを証示す

る(…)そ うした透明な表象は理解の仲介者であり,そ れはまさに『諸結合を

見ること』に存するのである。そこから,仲 介的な環を見出す ことの重要性

が生 じる。」実際,問 題になっているのは,各 瞬間に,一 つの顕現から他の

それへと行 くのを,一 つの道の りの表出的な一つの構成を,見 ると主張する

思考の形態[形式]で ある。シュルテが言うように,ゲ ーテとウィトゲンシュ

タインは単に自分たちの眼差しの下に在ったものを可視にすることだけを望

んだのだった 一 「総ての探求の本質的なことは,何 よりも,そ れと共に

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マ リア ・フ ィロメナ ・モルデール 『ゲー テの形態学的思想』85

わ れ わ れ は 何物 も新 らた に学 ぶ こ とを 望 ま な い とい う事 実 で あ る。 われ わ れ

は どん な こ とで あ れ,既 に わ れ わ れ の 両 眼 の 前 に あ る もの を 理 解 す る こ とを

望 む。 ま さ に これ が そ うで あ る が ゆ え に,あ らゆ る場 合 に,理 解 され る もの

とは見 え な い の だ14。 」こ の可 視 の もの の 固 有 の 困難 を 宣 言 す る様 態 は 一

そ れ は,一 つ の形 態[形 式]の,他 の そ れ か ら出 発 して の 驚 異 的 な 誕 生 か ら生

じる の だ が 一,『 諸 箴 言 詩(Xenien)』 の 一 つ の 中 に要 約 的 に,不 可 触 に,

見 出 さ れ るtt-P吻sistdesScbwerstevonα 〃8〃2~WasdirdUsLeichteste

dtinkt:/MitdenAugenzusehen,wasvordenAugendirliegti5。 ま た,Ver-

mischteBemerkungen[『 雑 諸 評 言 』]の中 に も,こ れ らの ゲ ー テ か らの 請 文 を

引 用 した か に 見 え る若 干 の 断 片 を わ れ わ れ は見 出 す(第 二 の 断 片 に お

い て,強 調 は引 用 老)《Wieschwerfalltmirzusehenwasvo(meinenAugen

liegti6》([1940],p.79):《M6geGottdemPhilosopheneinsichtgebenindas,

wasvorallenAugenliegti7》([1947],p.123)。 こ の 思考 す る こ との様 態 に近

くい るの が ポ ー ル ・ヴ ァ レ リー で,彼 は,《IntroductionhlaM6thodede

L60narddeVinci[レ オ ナ ル ド ・ダ ・ヴ ィン チ の方 法 へ の序 論]》で,一 つ の

観 点 を 擁 護 す るが,そ れ は,芸 術 家 の 職 業 を見 る慣 習 的 な様 態 に反 して い た

の で あ り,そ の 職 種 に対 して,可 視 の もの を見,と りわ け,不 可 視 の も の を

見 な い こ とを 試 み る とい うデ リケ ー トさ と緩 い課 題 を帰 し て い る(OeuvresI,

p.1165)。 その 時 が 来 た ら,わ れ われ は こ のパ ラ ドク ス に立 ち戻 ろ う。[18

14引 用 は それ ぞ れ,次 か ら と られ たPhilosoPhischeUntersuchungen,§109;《Be-

merkungenUberFrazersTheGoldenBough》,Synthese,p.29;Bemerkungentiberdie

PhilosoPhiederPsychologt'e,§950(apndSchulte,op.cit.,pp.115,116,123).

15[訳 注]「 総 て の中 で最 も重 い[難 しい]も の は 何 か?そ れ は 君 に 最 も軽 く[易 し く]

思 わ れ るだ ろ う もの だ。/そ れ は,両 眼 で も って 見 る こ と,君 の 両 眼 の 前 に

横 た わ る もの を 。」(拙 訳)。

16[訳 注]「 私 の 両 眼 の 前 に横 た わ る もの は,ど ん な に 重 く私 には 落 ち る よ う に見 え る

こ とだ ろ う。」(拙 訳)

17[訳 注]「 神 よ,願 わ くは,哲 学 者 に,総 て の 諸 眼 の 前 に 横 た わ る もの へ の 洞 察 を与

え た ま え」(拙 訳)。

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86明 治大学教養論集 通巻385号(2004・3)

9]

次 い で,ゲ ー テ の形 態 学 の 諸 対 象 は,諸 移 行 と して は諸 形 態[形 式]で あ

り,そ の プ ロ ジ ェク トは 一 諾 能 力 の 互 い の 他 へ の 相 互 的 な 諸 運 動 の 構 成

と して 一 つの 未 来 の 時 を 告 げ て お り,ま た,諸 能 力 の そ の 諸 対 象 へ の

転 換 の 努 力 として は諸 形 態[形 式]で あ る こ とが 示 され るで あ ろ う。 移 行 と し

て は形 態[形 式]はBewegliche,Werdende,Vergehende[可 動 の もの,生 成 中 の

もの,過 ぎ去 り行 く もの]と と られ て お り,そ の よ うな 演 出 は,同 時 に,形

態[形 式]を 全 体 性 と して理 解 す る こ とを 要 請 す る,つ ま り,移 行 は 停 止 を,

完 成 を 狙 い,熱 望 す る。 実 際,変 態 の 継 続 的 運 動 として の 移 行 は,解 消 の 危

険,そ の 内 的 な 限 界 を 見 出 さな い一 つ の 間 断 な い転 換 を 内 包 して い る

つ ま りそ の 独 自の 宿 命,エ ン テ レキ ー の 実 現 を。 一 つ の 形 態[形 式]か ら他 の

そ れ へ の,あ る い は一 つ の 形 態[形 式]の 顕 示 か ら他 の そ れ へ の 真 正 の移 行

は,す な わ ち,一 つ の 新 たな 形 態[形 式]と して 現 れ る だ ろ う もの は,強 化

(上昇)無 しに は 存 在 し な い。「わ れ わ れ の 祖 先 た ち は 自然 の 節 約 を賞 賛 した 。

そ こに 一 人 の 賢 い 人 物 が い る もの と考 え,そ の 人 が,他 の 人 々が 多 くを もっ

て 少 な く生 産 す る間 に,少 な きを も って 多 くの 事 物 を 実 現 す る傾 向 が あ るの

だ 。 わ れ わ れ は,や は りわれ わ れ を人 間 の 様 態 で 表 現 して,少 数 の 諸 原 理

[Grundmaxime{n}(基 本{諸}格 律)]に 制 限 され て は い る が,最 も多 様 な もの

を 生産 す る,そ れ が 知 って い るそ の 能 力 に,よ り驚 き を持 つ の だ 。 そ れ は,

そ の 他 に,生 の 原 理 に 奉 仕 す る が,そ れ は,強 化[上 昇;intensificagao;in-

tensification;Steigerung]を 通 じて,無 限 に,そ して,最 も異 化 され た様 態

で,諸 顕 現 の 最 も単 純 な 諸 開 始 を 多 様 化 す る可 能 性 を 含 ん で い るの だ 。」

(《Einleitung-Vortrage[講 義序 論]》,LAI,p.41718)Steigerungの 概 念 は,

18[訳 注]》UnsereVorfahrenbewundertendieSparsamkeitderNatur。Mandachtesie

alseineverstandigePerson,die,indessenanderemitvielenwenighervorbrin-

gen,mitwenigemvielzuleistengeneigtist.Wirbewundernmehr,wennwir

unsauchaufmensch]icheWeiseausdrUcken,ihreGewandheit,wodurchsie,

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マ リア ・フ ィロメナ ・モル デール 『ゲー テの形態学的思想』87

このテクス トでは,一 方では,次 の方法論的諸設問の枠内で用いられてい

る。すなわちそれらは自然が働 く様態の一つの原初的な知覚に対応するもの

だ 現れるものの最 も単純なものの諸原理が無限にまで,お よび,最 も

異化された様態で,多 様化すべきである,と いうい うもので(し かしなが

ら,問 題になっているのは,一 つの精神的な運動であって,そ れは,存 在す

るもの,か つて存在 したもの,こ れから存在し得るものの認知されないもの

を予兆 しえるのである),〈 少〉からこそ〈多〉が生 じて くるということの知覚

に達するような様態になっている。従って,そ して,他 方では,Steigerung

は,〈少〉/〈多〉の枠組み 一 これは他の諸テクス トでは〈一〉/〈多〉の定式の

中に打建て られる 一 の中で理解されるべきであり,よ り厳密には差別化

の力 として,新 しいものの出現の原理 として,主 題化されるぺきである。ま

さに新奇性の経験こそが,ご く少数の諸動機の上に据えられて,ゲ ーテが上

記に引用した諸テクス トの連続において展開するものだ 「現れるもの

は,単 に現れるだけのために自らを分離 しなければならない。分離されたも

のは,新 たに自らを求め,そ して新たに自らを発見し,再 合一できる。低級

な意味では,そ れは,そ の反対物 と混合 し,そ れに合一し,そ れを通じて,

顕現は無になるか,あ るいは少な くとも無関心なものになる。しかし,再 合

obgleichaufwenigeGrundmaximeneingeschrankt,dasMannigfaltigsteher-

vorzubringenweiB./SiebedientsichhierzudasLebensprinzip,welchesdie

M6glichkeitenthalt,dieeinfachstenAnfangederErscheinungendurch

SteigerunginsUnendlicheundUnahnlichstezuvermannigfalten.《[LAI,3,S.

417];「 わ れ わ れ の 祖 先 た ち は 自然 の 節 倹 に 驚 い た 。 人 は それ を一 人 の 賢 い

人 と思 い,そ の 人 が,他 の 人 々 が多 くを も っ て少 な く生 じさ せ て い る 間 に,

少 な き を も っ て多 くを す る こ とに傾 い て い た の だ。 わ れ わ れ は さ ら に,や は

り,人 間 的 に 表 現 す れ ば,そ の 器 用 さ に も驚 い て い た の だ が,そ れ に よ っ

て,自 然 は,若 干 の 根 本 的 諸 格 律 に限 定 さ れ て は い た もの の,そ れ を通 じて

最 も多 様 な もの を 造 出 す る こ とを 知 っ て い た の だ。/そ れ は ま た これ に加 え

て,生 の 原理 に奉 仕 して いた の で あ っ て,そ の 原 理 は,諸 現 象 の 最 も単純 な

諸 端 緒 を,上 昇 を 通 じて,無 限 お よ び 最 も似 な い もの へ と多 様 化 す る 可 能 性

を含 ん で い る。」(拙 訳)

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88明 治大学教養論集 通巻385号(2004・3)

一はまた,一 つのより高められた意味でも起こり得て,[そ の時は]第一に分

離 されたものは自らを強化し,強 化された諸側面の絡み合いを通じて,一 つ

の第三のもの,一 つの新 しいもの,一 つのより高められたもの,一 つの予期

されなかったものを造 りだすのだ19。」(Jdem)[190]

実際,こ こでわれわれは,発 生(生成)の,〈 現れ〉に委ねられることの主題

についての他の変形を与えなければならないのだ 一 移行の主題のより完

全な一つの概念の変形とともに 一 。現れるものは自らを分離し,〈全体〉,

自分自身 と合一 したものは,自 らを分離 し,自 らを切 り離し,差 異化 して表

れ,諸 多様性を造 りだす自らの権能を示す。その分離されたものは,し かし

ながら,一 つの孤立 したものではなくて,分 離は諸規則,諸 格律(少 数の)

一 これらは,分 離されたものを,あ れこれの様態で〈全体〉に繋げる

に従う。分離されたものは新たに,自 分自身 と合一した ものを求め,新 たに

自らを見出し,自 らを〈全体〉に再合一させるよう努める。そうした再合一は,

[あ るいは]互 いに合一するものの同一性の一つの解消的な避道 を通 じて

一 無関心化の形態[形 式] ,一 種の集塊化,加 法的および減法的合同の下

で 一,[あ るいは]集 中化および差異化を通じて,未 聞の様態で,何 か〈全

体〉との絡ま りを新規化するものを許すようなものを造 りだしつつ,諸 紐帯

19[訳 注]》WasindieErscheinungtritt,muBsichtrennen,umnurzuerscheinen.Das

Getrenntesuchtsichwieder,undeskannsichwiederfindenundvereinigen;

inniedernSinne,indemessichnurmitseinemEntgegengestelltenvermischt ,

mitdemselbenzusammentrtt,wobeidieErscheinungNulloderwenigstens

gleichgtiltigwird.DieVereinigungkannaberauchimh6hernSinnegesche-

hen,indemdasGetrenntesichzuerststeigertunddurchdieVerbindungder

gesteigertenSeiteneinDrittes,Neues,H6heres,Unerwarteteshervorbringt.《;

「現 象 へ と登 場 す る もの は,単 に 現 れ る た め だ け の た め に 自 らを分 離 しな け

れ ば な らな い。 分 離 さ れ た もの は 再 び,自 らを 求 め,そ して,再 び 自 らを 発

見 し,統 一 で き る 。 よ り低 い 意 味 で は,そ れ は,そ の 諸 対 立 者 との み交 わ

り,そ の 同 じ もの と共 同 で 登 場 し,そ の 際,現 れ は,無 に な るか,少 な く と

も無 関 心 に な る。 だ が,合 一 は,ま た よ り高 い 意 味 で も起 こ り得,そ の 際,

分 離 され た も の は,最 初 に 自 らを 強 化 し,強 化 され た諸 側面 の 結 合 を 通 じて

一 つ の 第 三 の ,新 た な,よ り高 い,予 期 さ れ な い もの が 生 じて くる 。」(拙 訳)

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マ リア ・フ ィロメナ ・モルデール 『ゲーテの形態学的思想』89

を 多 様 化 し,諸 結 合 を 活 気 付 け,新 た な 様 相 の 下 で,分 離 せ ず,世 界 を よ り

完 全 に 変 えつ つ,よ り多様 に しつ つ,そ して 同 時 に,よ り互 い に 調 和 の とれ

た も の に しつ つ,生 じ得 る。Steigerangの 原 理 が 主 と して,生 き た 諸 形 態

[形 式]の 無 限 の 多様 性 を理 解 す る こ とを 可 能 に す る一 つ の 特 定 化 の 原 理 で あ

る こ とは,DieFarbenlehre[『 色 彩 論 』]の §586に も う一 度 と りあ げ られ て い

る 一 「生 きた もの は 総 て色 彩 に 向 け て,個 別 的 な もの に 向 け て,特 殊 化

に 向 け て,効 果 に 向 け て,無 限 に微 妙 な と ころ に 至 る 不透 明 さ に 向 け て,自

ら動 く。 生 を奪 わ れ て しま った もの は 総 て,自 ら と共 に 白を 引 き摺 り,抽

象,一 般 性,変 容,透 明性 へ と傾 く20。」(HA13,p.455)ヘ ル マ ソ ・テ ィー

ッ が示 した よ うに(oP.cit.,pp.67-6821),Gradation[段 階]と い う こ とば は色

々な 度毎 に,Steigerungと い う概 念 に 同 義 語 と して 一 とっ て代 わ

る に ゲ ー テ に 役 立 っ た(1785年 と1799年 の 間 に7回 用 い られ た)。 しか しな

が ら,Steigerungの 意 味 はGradationの 意 味 に よ っ て は 吸 収 さ れ な い ま ま

で,後 者 は,同 時 に,カ ッ ト面 が よ り少 な く,よ り少 な く複 雑 で,よ り明 白

だ,つ ま り,Steigemngほ ど孕 ん で もい な い し,そ れ ほ ど変 化 に富 ん で もい

な いの だ 。[191]

「何 よ り もま ず,わ れ わ れ は,わ れ わ れ の最 も近 い 目標 に応 じて,有 機 的

諸 存 在 の 研 究 に お い て 得 られ る到 達 を 観 察 す るが,そ れ は,次 の 観 察 に よ

る。 つ ま り,わ れ わ れ の 課 題 の 総 て は 最 も単 純 な 顕 示 を最 も多 様 な もの と考

20[訳 注]》AllesLebendigestrebtzurFarbe,zumBesondem,zurSpezifikation,zum

Effekt,zurUndurchsichtigkeitbisinsUnendlichfeine.AllesAbgelebtezieht

sichnachdenWeiBen,zurAbstraktion,zurAllgemeinheit,zurVerklarmg,

zurDurchsichtigkeit.《;「 生 きた もの は す べ て 色 彩 を,特 殊 な もの を,特 殊 化

を,効 果 を,か ぎ りな く不 透 明 な もの を 求 め る。 そ れ に対 して 死 ん だ もの は

す べ て 白 い もの を,抽 象 化 を,一 般 化 を,浄 化 を,透 明 な もの を 目指 す。」

(『 色 彩 論 』[完 訳 版;第 一 巻 教 示 編 ・論 争 編],高 橋 義 人 ・前 田富 士 男 訳,

P.221)

21[訳 注]「 第 一 部{そ の7}」r明 治 大 学 教 養 論 集 』通 巻373号(2003年9月)注21参 照。

名 前 はHermannで な くてManfredに な って い る。

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90明 治大学教養論集 通巻385号(2004・3)

え,統 一 性[〈一 〉性]を 〈多 〉性[Vielheit]と 考 え る こ とに 存 す るの だ。 既 に 以

前[《DieAbsichteingeleitet[導 入 さ れ た意 図]》と題 さ れ た テ ク ス トに お い て]

わ れ わ れ は 信 頼 を も っ て,総 て の 生 きた もの は,そ う した もの として,一 つ

の〈多[Vieles]〉 で あ る と表 明 し,こ れ らの言 葉 と共 に,わ れ わ れ は これ らの

対 象 を 巡 る 思考 の 基 本 的 な要 請 を 十 分 に 取 り扱 っ た の だ と信 じた の で あ っ

た22。」(《Einzelnes{zunotenbestimmt}[個 別 的 な こ とに注 目す る こ とが 重

要 だ]》,LAI,10,p.279)こ の 〈一 〉の 中 の 〈多 〉[]VieleinEinem]は,テ クス

トの 延 長 に おい て 指 示 され て い る よ うに,単 純 な 継 続 性 として 考 え られ るべ

き で は な く 一 特 に,生 成[発 生]が 考 え られ た い と き に は 一,む し

ろ,わ れ わ れ は,「 展 開(発 展)」 とい う言 葉 を 一 つ の 高 め ら れ た 意 味 に お い

て,〈 多 〉を 単 数 性 に おい て,〈 多 〉を単 数性 に 絡 まれ た もの と認 め て,理 解 し

な け れ ば な らな い 。 ゲ ー テを 完 全 に 占 め て い るの は,彼 の 最 も真 正 の コ ミ ッ

トメ ン トは,最 も単 純 な 顕示 を最 も多様 な もの として,〈 一 性 〉を 〈多 性 〉と考

え る こ とで あ る。 〈多〉の 中 に 〈一 〉を見,〈 一 〉の 中 に 〈多 〉を 発 見 す る権 能 は,

形 態[形 式]の 一 つ の 思 考 に 固有 の,ゲ ー テ の諸 移 行 の 固 有 の 諸 手 続 きで あ

り,こ れ は,周 りを見 回 す ゆ っ く りし た一 つ の 眺 め や り[umhersehen]に よ

り実 現 し,そ れ は,総 て の 道 行 き,概 観 の ヴ ィ ジ ョン の 原 初 に 在 る もの

22[訳 注]》BetrachtenwirunseremnachstenZweckegem認vorallemdenGewinnwel-

chendasStudiumderorganischenWesendavonsichzueignetunserganzes

GeschaftistnundieeinfachsteErscheinungalsdiemannigfaltigste,dieEin-

heitalsVielheitzudenken.SchonfrUhersprachenwirgetrostdenSatzaus

allesLebendigealseinsolchesistschoneinVielesundmitdiesenWorten

glaubtenwirderGrundforderungdesDenkensuberdieseGegenstadegenug

zutun.《[L、41,10,S.279];「 わ れ わ れ は,わ れ わ れ の 当 面 の 目的 に応 じて 何

よ りも,有 機 的 存 在 の研 究 が 獲 得 した 成 果 を観 察 す る。 わ れ わ れ の 全 体 の 仕

事 は 今 や 最 も単 純 な現 わ れ を 最 も多 様 な もの と して,〈 一 〉性 を〈多 〉性 と して

考 え る こ とで あ る。 既 に 以 前 に わ れ わ れ は 慰 め を も っ て,総 て の 生 きた もの

は,そ う し た一 つ の もの と して 既 に 一 つ の ≦多 〉で あ る と語 り,こ れ らの 言 葉

と と も に わ れ わ れ は こ れ らの 対 象 に 関 す る思 考 の基 本 的要 請 に十 分 に応 じた

と信 じた の で あ った 。」(拙 訳)

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マ リア ・フィロメナ ・モルデール 『ゲー テの形態学的思想』91

だ。問題になっているのは,一 つの形態[形式]の 諸契機の生きた結合 として

の移行の主題の方法的変形であって,そ れを例示するのが,諸 植物の変態,

形態[形式]一 プロテウスから出発しての諸色彩理論 一 そこでは諸色彩が

UrPhdnomen[原 現象](明 澄さ/暗 さ)か ら出発 して 自己を導出する 一,

あるいは動物界における型の概念 ここには,諸 動物の諸形態[形 式]

が,諸 可能性として含まれている 一 である。ゲーテは,あ のタッソーの

詩句を自ら作る段階にあった -chePervariarnaturabbella(こ れを,ラ

イプニッツは彼のモットーの一つにした23)。

それはイタリアへの旅において,ま た,わ れわれにItalienischeReise[『イ

タリア紀行』]に書かれているところにおいて,ゲ ーテは彼のUrPfiαnze[原植

物]の 主題を宣明し,同 時に,そ こで諸色彩,植 物学 と共 に生 じた ような,

身に着けることを望んだような麗しい世界の表面の喜びへの彼の関心を展開

する。因みにわれわれは,絵 画を通じてこそ,世 界のその趣味的な表面の可

視性 を再興 し 一 白らをそれと混同する権能無しに 一(ゲ ーテにとっ

ては,自 然主義は任意の芸術作品の終わりの原理である),色 彩の諸設問が

自らを体系化する,と い うことを知っている。「実に一つの真の不幸である

のは,い ろいろな諸精神によって試みられ追求されることです。今朝早 く,

私は公園へ私の私的な諸夢を追求すべき硬 く静かな意図を持って行きました

が,た だ,そ れより早 く,他 の幻想が,こ れらの日々,既 に私を密かに追求

していたのですが,私 を捕 らえたのです。多 くの植物が,以 前には,単 に,

鉢植えで見ることに習慣付けていたものが,そ して,年 の大部分を温室を通

じて見 ることに慣れていたのに,こ こでは,美 しく新鮮に戸外で,そ して,

その宿命[Bestimmung]を 完壁に全うするかのように,わ れわれにとって,

より雄弁になるのです。そうした多くの新たで多様な諸形成を前にして私に

23女 王 ゾ フ ィー ・シ ャル ロ ッ テ ・フ ォン ・プ ロ イセ ン(SophieCharlottevonPreus-

sen)へ の 手 紙 。 次 を参 照 -GerhardtIII,p.348.[訳 注]詩 句 の意 味 は「自然 は変

化 す る が ゆ え に美 しい 」とな ろ う。

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92明 治大学教養論集 通巻385号(2004・3)

は,こ の 多 様 性 の 間 に,原 植 物[UrPLIIanze]を 発 見 す る こ とが で きな い もの

かを知るという古 くからのマニアがやって来たのでした。何かの事がこのよ

うにして生 じるぺきです。これないしはあの構成が一つの植物であるとどう

した ら認識できるか, もしも総てが一つのモデルに合わせて構成され

て い な い な ら ば24」 。(Palemlo,1787年,4月17日,HA11,p.266)Ur-

PLIZan2eの 主 題 は こ こ で は,そ の 最 も幻 視 的 な 様 態 で 定 式 化 さ れ て い る,す

なわち,認 識することの権能は形態[形 式]と の避道から生 じている。因み

に,諸 植物の多様性の間に 励 磁 批 のそのような発見をすることを試みる

24[訳 注]》EsisteinwahresUnglUck,wennmanvonvielerleiGeisternverfolgtund

versuchtwird!Heutefmhgingichmitdemfesten,ruhigenVorsatz,meine

dichterischenTraumefortzusetzen,nachden6ffentlichenGarten,alleineh'

ichmich'sversah,erhaschtemicheinanderesGespenst,dasmirschondiese

Tagenachgeschlichen.DievielenPflanzen,dieichsonstnurinKUbelnund

T6pfen,jadiegr6BteZeitdesJahresnurhinterGlasfenstemzusehen

gewohntwar,stehenhierfrohundfrischunterfreiemHimmel,undindemsie

ihreBestimmungvollkommenerfUllen,werdensieunsdeutl▲cher.ImAn・

gesichtsovielerleineuenunderneutenGebildesfielmirdiealteGrillewieder

ein,obichnichtunterdieserSchardieUrpfianzeentdeckenk6nnte.Eineso1・

chemu猛esdenndochgeben!Woranwiirdeichsonsterkennen,da8dieses

oderjenesGebildeeinePfianzesei,wennsienichtallenacheinemMusterge-

bildetwaren?《;「 い ろ い ろ な 幽 霊 に 追 い ま わ さ れ 試 練 を う け た りす る の は,

ま こ と に 不 幸 な こ と で あ る!今 朝 ぼ くは 詩 的 夢 想 を つ づ け よ う と い う 確 固

と し た 落 ち 着 い た 心 づ も り で 公 園 へ 出 か け た 。 と こ ろ が 思 い も か け ず,せ ん

だ っ て か らぼ く の 背 後 に 忍 び よ っ て い る 別 の 幽 霊 が ぼ く を と ら え た の だ 。 こ

れ ま で は 桶 や 鉢 の な か で ば か り,そ れ も 一 年 の 大 部 分 は ガ ラ ス 窓 の 向 う で ば

か り見 な れ て い た あ ま た の 植 物 が,こ こ で は 喜 ば し げ に 生 き 生 き と 自 由 な 空

の 下 に 立 っ て い て,そ の 使 命 を 余 す と こ ろ な く果 た し て い る の で,そ れ ら の

植 物 は ぼ くた ち に と っ て ま す ま す 明 瞭 な も の と な っ て く る 。 こ ん な に い ろ い

ろ な,新 し い,ま た 新 た に さ れ た 姿 を 目 の あ た り に す る と,こ の 一 群 の な かウ アブフランツェ

に 原植物 を発見 できないだろ うか とい う年来 の気 ま ぐれが,ま た もやぼ

くの心 に浮 んだ。 そうい う植物 が どうしてもあるはずだ!さ もなければ,

あれや これや の形 を とっている ものが同 じ植物 であるこ とが どうして認識でムスタ 

きようか,も しそれ らがすべて一 つの規範 にな らって形成 されてい るのでな

い とするな らば。」(高 木久雄訳「イタ リア紀行」『ゲーテ全集 第十一 巻』,

P.219)

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マ リア ・フ ィロメナ ・モルデール 『ゲーテの形態 学的 思想』93

ことの原始的な意図は評者たちに対 して大きな違和感を惹き起 こすのであっ

て,特 に,科 学的素養が最も強い人々に対してはそうである。 しかしなが

ら,そ れを,現 実に,UrP]lanzeで あるかもしれないような具体的な一つの

植物を見出す素朴な試みととるべきではない。そのような断定は,そ れに続

く断定に照 らして読まれるべきだ 一 一つの王国[界]の 統一性,お よびそ

の可視性の追求,原 初的な一つのモデルの追及だ。ユンガーが,ゲ ーテの思

考の固有の明瞭さを再興 しつつ,断 定するように 一 「科学は諸型を提示

し利用することができる ・ 諸形態[形式]に 占有されることはその課題で

はない。何千および何千 という諸植物を決定することができる 原初的

な植物[UrPflanze]は それにとっては不可視の一つの光の中で輝 く。いかな

る反対論でもないのは,そ の概念の事実において,根 本においては,一 つの

単純な葉以上のものは見えないということで,と 言うのも,そ れは避道の延

長か ら生 じるものでな く,そ の深みから生 じるものだからだ25」(oP.cit.,

§103,p.453)。 したがって,比 較によって,一 つの型を見出すことでな く,

形態[形 式]を 直観することが問題になっているのだ。その形態[形 式]か ら出

発 して,わ れわれは諸構成の多様性の中に一つの自然の王国の統一性〈一性〉

を認識 し,同 時に,そ の多様性 とそれらの諸構成を統一するものとの間の紐

帯を確立する可能性を表明するのだが,こ れはほとんど,〈全体〉の諸分離の

25[訳 注]》DieWissenschaftkannTypenaufstellenundverwenden-sichmit

Gestaltenzubeschaftigen,istnichtihreAufgabe.SiekannHunderttausende

vonPflanzenbestimmen-dieUrpflanzeleuchtetineinemfUrsieunsichtba・

renLicht./DaBbeidieserKonzeptionimGrundenichtmehralseineinfaches

Blattgesehenwird,istkeinEinwand,dennnichtaufdenUmfang,sondemauf

dieTiefederBegegnungkommtesan.《;「 科学 は 諸 型 を 設 定 し,適 用 す る こ

とが で き る 一 ゲ シ ュ タ ル トに専 念 す る こ とは そ の 任 務 で は な い 。 そ れ

は,何 十 万 とい う諸 植 物 を規 定 す る こ とが で き る 一 原 植 物 は そ れ に は 見

え な い一 つ の 光 の 中 で 輝 く。 こ の概 念 の 脇 に あ って は,根 本 に お い て 一 つ の

単 純 な葉 以 上 の もの は 見 られ な い とい う こ とは,決 し て反 対 論 で は な い,と

言 うの は,そ れ は,避 道 の 範 囲 で な く し て,そ の 深 み に 関 わ る こ とだ か ら

だ。」(拙 訳)

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94明 治大学教養論集 通巻385号(2004・3)

一つの〈全体〉への再興の手続きであ り,そ の統一性(〈一性〉)の原理を確証す

るものだ。 このように,植 物のあ らゆる諸部分の原初的同一性は輝 く一

明るい 一 ゲーテが言うようにleuchtetmir[私 には輝 く]。 このような様

態で,一 つの観点 と,一 つの再合一の点[GesichtsPunletお よびVereinigungs-

〃耽疏]の 間の一致の一つの形態[形 式]が,自 然の諸事物は 自らを認識 し,

繋が り合うことが可能だ と認めつつ,自 らを祝う。[192]

そしてまさに,こ れ らの諸前提から出発して,動 物界においてもまた,一

つの型の必要性が拘束的に思われるのだ。すなわち,一 つの一般的な像が

一ー一 そこから出発 して,総 ての動物の形態[形 式]が 現れることのできる像

で(一 つの原初的なイメージで,総 ての脊椎動物に妥当し,そ してゲー

テは無脊椎動物にまで拡張することを主張する 一 それらに,モ デルを類

比的に適用 して 。 しかし,そ の拡張は,よ り厳格には,哺 乳類に限ら

れなければならない),そ の概念は,一 つの特定の動物を諸他の標準一基準

として選ぶ ことを妨げるものだ 「この様態で,一 つの解剖学的な型,

一つの一般的な像,が 提案されるが,そ こには,そ の可能性に応じて,総 て

の諸動物の諸形態[形式]が含まれており,ま た,そ れによれば,各 動物は,

一つの一定の秩序で記述されるのだ。 この型は,生 理学的諸側面が可能な限

り考慮に入れられて提示されるべきである。一つの型の普遍的な理念から出

発 して,直 ちに,単 独のいかなる動物 もそのような比較の標準としては提示

できないことが演繹 ・結論される。いかなる単独性 も〈全体〉[例 えば人間]

のモデルではあ り得ないのだ26。」(《ErsterEntwurf[第 一草稿]》,HA13,

26[訳 注]》DeshalbgeschiehthiereinVorschlagzueinemanatomischenTypus,zuei-

nemallgemeinenBilde,worindieGestaltensamtlicherTiere,derM6glichkeit

nach,enthaltenwtiren,undwomachmanjedesTierineinergewissen

Ordnungbeschriebe.DieserTypusmU8tesovielwiem6glichinphys-

iologischerRUcksichtaufgestelltsein.SchonausderallgemeinenIdeeeines

Typusfolgt,daGkeineinzelnesTieralseinsolcherVergleichungskanonauf-

gestelltwerdenkδnne;keinEinzelneskannMusterdesGanzensein.《;「 そ れ

ゆ え,こ こ で 一 つ の 解 剖 学 的 な 型,一 般 的 な 像 の 提 案 が 生 じ る が,そ の 中 に

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マ リア ・フィロメナ ・モル デール 『ゲー テの形態学的思想』95

p.172)[193]

動物の型(こ れは,一 つの王国[界]の 差異化された秩序を,比 較の手段を

通 じて構造化しつつ,確 立する)と形態[形 式]と の間の関係を,概 念化する

ことはまだ可能ではないにせよ -UrPflan2e(こ れは,一 つの王国[界]を

同定することを許すが,そ の鍵は変態だ)と独自の植物の関係に同等の様態

で,一 方の場合でも,他 方の場合でも,要 約的に秩序付けられた諸形

態[形 式]の 一つの系列が問題 になっている。ゲーテにおいては,し たがっ

て,プ ラトン とア リス トテレスが開始した二つの大きな概念的諸運動が再結

合している 一 一方では,一 つの原初的なモデルの,可 視の諸形態学の一

つのアプ リオ リの追及であ り,他 方では,生 きた形態[形式]に 内在的な一つ

の意図の理念 一 諸動物の諸身体の統一性の理解を通じて,構 造的諸近似

性の発見により,表 現された目的論の諸設問 である。ユンガーは写真

からEntwicklung[現 像;発 展,展 開]と いう用語を採 り ポル トガル語

でそれを翻訳する場合にはやは り写真術の意味 でrevelagao[現 像]と して

一 ,命 名の権能,諸 型の確立の権能を,評 価するのに使っている そ

れは無一名から始まって,ど の各存在にも在る,選 択 し,諸 モデルを活動さ

せ,惹 き起 こすものである匿名の諸兆表を展開し,開 示する権能である。そ

れは,diegestaltendeMact[形 成する力](cf.op.cit.,§§7-8,p.388),bildende

臨 φ[形 成する力]の 彼の変形版,ゲ ーテが「原初的な多様性」の表示の下に

特定化 したもの,そ して,〈一〉と〈多〉の間の関係,一 定の〈一〉の中にく多〉を

見る要請を特定化する一つの再訂式化を構成するものである 一 「総ての

組織の下には一つの内的で原初的な共同体[社 会,コ ミュニテ ィー,ゲ マイ

は,可 能性か ら言 って,総 体的 な諸動 物の諸ゲシ ュタル トが含 まれているだ

ろ うし,そ れに よれば,人 は各動物 を一 つの一定の秩序の 中で記述 す ること

になる。 この型は,生 理学的 な点 で可 能な限 り多 くの設定 がなされていなけ

ればな らないだ ろう。既 に一 つの型 の一般 的な理念 から生 じるこ とだが,い

かなる個別 の動物 もその ような一 つの比較 の標準 として設定 される ことはで

きない。 いかなる個 別 も,〈全体〉の標 準ではあ り得ないのだ。」(拙 訳)

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96明 治大学教養論集 通巻385号(2004・3)

ン シ ャ フ ト;eineinnereundursPrijnglicheGemeinschaft]が 横 たわ っ て い

る。 これ と対 偶 的 に,諸 形 態[形 式]の 多 様 性 が,外 的 世 界 との 関 係 の 必 要 な

諸 構 造 か ら生 じ,そ れ ゆ え,理 由 を も って,一 つの 原 初 的 で 同時 的 な 多 様 性

[eineursPrtingliche,gleich2eitigeGemeinschaft]と,一 つの 不 断 に前 進 的 な転

形 が,不 断 の 諸 現 象 も,道 か ら外 れ た もの たち も知 覚 で き るた め には,受 け

入 れ られ るべ きで あ る27。」(《DieSkelettederNagetiere[醤 歯 類 の 骨 格]》,

HA13,p.218)色 々 な王 国[界]に お い て色 々な 形 態[形 式 コの 下 で 知 覚 さ れ る

この 原 初 的 な 多 様 性 は,極 性 の 原 理 の 一 つ の 変 形 と考 え られ る。

一 つ の 感 覚 的 な 性 質 で あ る か ら,色 彩 は 直 接 的 に与 え ら れ た 何 物 か で あ

り,そ の よ うな もの と して還 元 不 能 で あ り,そ こか ら,ゲ ー テの,多 くの 場

合 に批 判 的 な 好 意 と共 に考 慮 され た 断 定 が 生 じ る つ ま り,彼 の 諸 色 彩

の 理 論 は世 界 と同 じだ け 古 く,「 諸 話 の 終 わ りに,無 言 で 否 定 な い し通 過 さ

れ る こ とは で きな い だ ろ う」とは,1831年 に そ れ を エ ッカー マ ン に告 白 した

通 りだ 。UrPhdnomen[原 現 象]は 一 つ の 特 別 の 顕 現 で,光 が 一 つ の 不 透 明

な,あ るい は 半 透 明 な 媒 体 を 横 切 り,両 眼 が これ らの 媒 体 を 横 切 って 見 る と

き,原 初 的 な もの として 発 見 され,諸 色 彩 の 総 て の 多 様 性 を 統一 す る こ とを

可 能 に す る もの だ。UrPhdnomenに お いて は,原 初 的 な ま さ に極 性,光 と暗

さ の 対 立 「世 界 と同 じだ け 古 い 」 一 で あ り,絵 画 に お い て は,

chiaro-oscuro28と 定 式 化 され る。 ゲ ー テ は 色彩 の ヴ ィジ ョンを,そ れ を 通 じ

27[訳 注]》EineinnereundurspninglicheGemeinschaftallerOrganisationliegtzum

Gnmde;dieVerschiedenheitderGestaltendagegenentspringtausdennot-

wendigenBezieh皿gsverhaltnissenzurAuBenwelt,undmandarfdahereine

ursprtingliche,gleichzeitigeVerschiedenheitundeineunaufhaltsam

fortschreitendeUmbildungmitRechtannehmen,umdieebensokonstanten

alsabweichendenErscheinungenbegreifenzuk6nnen.《;「 総 て の 組 織 の 一 つ

の 内 的 で根 源 的 な共 同 社会 が 基 底 に 横 た わ る。 それ に対 して,諸 ゲ シ ュ タル

トの 差 異 性 が 必 然 的 な 諸 関 係 性 か ら外 的 な 世 界 に 対 し て生 じ,人 は そ れ ゆ

え,一 つの 根 源 的 で,同 時 的 な 差 異 性 と,一 つ の 停 止 す る こ とな く前 進 す る

形 成 を,不 断 で あ る と と もに 偏 った 諸 現 象 を 把 握 で き る た め に は,正 し くも

仮 定 して よい の だ。」(拙 訳)

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マ リア ・フ ィロメナ ・モルデール 『ゲーテの形態学的思想』97

て世 界 の表 面 が 自 らを 楽 しむ ヴ ィジ ョン,そ れ を 通 じて 世 界 の 可 視 性 が 自 ら

を反 射 す る ヴ ィジ ョン を,理 解 す る こ とを 欲 す る -VorallenDingener-

innernwiruns,dasswirimReichederBildenwandeln(DieFarbenlehre[『 色 彩

論 』]§21929)。 そ れ ゆ え,大 き な 困難 は,そ れ らの 諸 イ メ ー ジ を,そ の 抵 抗

を 完 全 に説 明 的理 論 に還 元 す る こ とな く,言 葉 で 理 解 可 能 に す る点 にあ る。

わ れ わ れ はGeschichteder、Farbenlehre[『 色 彩 論 史 』]に二 つ の文 を 見 出 す が,

そ こに は こ の 困難 が,そ の科 学 の歴 史 の そ の ヴ ィジ ョン の 固 有 の 主 題 と共 に

組 み込 ま れ て お り,そ れ らが言 葉 と直観 との 関 係 の枠 内 で も う一 度 採 り上 げ

られ て い る(こ こで は,言 葉/精 神 の 変 形 の 下 で)。 「一 つ の 構 成 さ れ た 言 葉

は,自 然 の残 りの諸 力 そ れ は必 然 的 に 効果 を持 つ の輪 に 入 る。

一 つ の効 果 は,人 間 が 自 ら動 く狭 い空 間 で,同 じ諸 必 要,同 じ諸要 請 を 繰 り

返 す ほ ど,そ れ だ け強 力 だ。 しか しな が ら,言 葉 の各 々 の伝 達 は あ ま りに 危

うい。 わ れ わ れ は言 葉 を 通 じ て 自分 に 留 ま る べ きで は な く と言 わ れ る

,精 神 を通 じて留 ま る べ き だ。 しか しな が ら,慣 習的 に,精 神 は 言 葉 を

無 化 し,あ る い は,そ の 原 始 的 な様 相 と意 義 付 け か ら,ほ ん の 僅 か しか 残 ら

な い よ う な様 態 で 転 形 す る30。」(HA14,p.15)こ こ に,精 神 の 活動 の破 壊 的

な諸 様 相 が浮 き彫 りに示 さ れて い る が,そ れ は,外 的 な言 葉 を掴 ん で,そ れ

を 自分 の た め にあ た か も 自分 に所 属 す る かの よ うに と り,そ れ に対 して,そ

れ が 言 わな か った,あ る い は言 う こ とが で きな か っ た,あ る い は言 う こ とを

望 ま な か った こ とを言 わ せ る ときだ 。 一 度 表 明 さ れ る と,言 葉 は一 つ の危 う

い生 を持 ち,あ らゆ る諸 濫 用,諸 忘 却,諸 誤 謬 に曝 さ れ る が,こ れ らは,言

28[訳 注]イ タ リア語 で「明一 暗」に当た る語。

29[訳 注]「特 に想起 しなければな らないのは,わ れわれが像[図]の 世界 に遊 んでいる

とい うこ とである。 お よそ 『見 る』 という場合 に,わ れわれが主 として注意

を向け るの は境界 のある ものであ り,光 線の屈折 によ って現われ る色彩現象

について語 っている今の場合で も,考 察の対象 となるのは境界のあ るもの,

すなわち像 にほかな らない。」(『色彩論』[完訳版;第 一巻教示編 ・論争編],

高橋 義人 ・前田富士男訳,p.112;下 線部 が引用部分)30[訳 注]出 所不詳

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98明 治大学 教養論 集 通巻385号(2004・3)

葉 か ら,他 の 一 人 の 言 葉 を造 りだ す 諸 緊 張 を 無 化 す る 人 々,言 葉 か ら,

〈… …の 間 〉の常 に 現 実 化 可 能 な場 所 を 造 りだ す 人 々の もの だ 。 一 つの 言 葉 を

受 け取 る人 に対 す る要 請 は,そ れ を,生 きた 音 として 見 や る とい うこ とで あ

り,そ れ は,一 つ の 経 験 を再 興 す る とい う こ とで あ る 。 この 主 題 に 関 す る

ゲ ー テ の諸 反 省 は 不 変 で あ り,わ れ わ れ は そ れ に多 くの 諸 箴 言 で 出会 うが,

特 に1021と1036で 強 力 で あ る 「言 語 そ れ 自体,な い しは そ れ 自体 の た

め の言 語 が 正確 で,有 能 で,優 雅 な わ け で は な く,そ の 内 に形 を とる精 神 が

そ うな の だ(… …)」;「 発 せ られ た 一 つ の 言 葉 が 新 た に 自分 自身 を掻 き立 て

る 」(pp.509,512)31。 さ らに ま た,1)ichtungundWahrheit[『 詩 と真 実 』]の

多 くの 文 に も,特 に,尋 常 で な い,皮 肉 な 最 後 の 第7編 の 諸 パ ラ グ ラ フ に

は 在 る。 そ の ク ラ イ マ ッ ク ス はFaust[『 フ ァ ウ ス ト』]の著 名 な 詩 句

NameistSchallundRauch[名 前 は 響 き と煙 だ]32で あ る。 し か し な が らわ れ

わ れ は,GeschichtederFarbenlehreか ら引 用 さ れ た第 一 のパ ラグ ラ フの,第

二 のパ ラグ ラフ に対 す る諸 影 響 を,順 序 を 入 れ 替 え る こ とに よ っ て引 き下 げ

る こ と が で き よ う と言 うの も,実 際,言 葉[単 語]の 伝 達 可 能 性(常 に

危 険 に 曝 さ れ て は い る が)の 条 件 は,諸 動 機 の 再 帰 に あ る か ら だ 。 そ れ ゆ

え,あ の ス トア 派,ゼ ノ ンの 表 現(プ ル タ ー ク を通 じて 引用 さ れ る)諸

色 彩 は 「物 質 の最 初 の諸 図式 主 義 で あ る」 は,彼 には 非 常 に歓 迎 され る

もの で あ る,と 言 うの も,古 代 人 た ち が 彼 に与 えた 意 味 に お いて は,わ れ わ

れ が そ れ に 導 入 す る もの を含 んで は い な か った けれ ど も,諸 言 葉[単 語]は,

そ れ に も拘 わ らず,十 分 に意 義 深 い もの だ か らだ。 そ れ らの ため に,ゲ ー テ

31こ こ で は ,ア フ ォン ゾ ・タ イ シ ャ イ ラ ・ダ ・モ タ(AfonzoTeixeiradaMota)の

MaximaseReflex∂es[『 諸 箴 言 と諸 反 省 』],Col.Filosofia&Ensaios,GuimaraesEdi-

tores,Lisboa,1987の 訳 に従 う。 この 編 が 従 った マ ックス ・ヘ ッ カー(MaxHecker)

の 分 類 で は,そ れ らの 諸 箴 言 はn.os610お よ び1000に 対 応 す る。

32こ の 主 題 に 関 して は ,次 の ウ ィ ロ ウ ビ ー の 開 明 的 な テ ク ス トを 参 照L.A.

Willoughby《`NameistSchallundRauch'.OnthesignificanceofNamesforGoethe》

GermanLLψandLetters16,1963,pp.294-307.

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マ リア ・フ ィロメナ ・モルデール 『ゲーテの形態学的思想』99

は 次 の 評 言 を定 式 化 す る 一 「物 質 は 現 わ れ,形 態[形 式]が 自 ら形 成 され

る。 形 態[形 式]は 一 つ の 法則 に 関 連 し,次 い で,色 彩 に お い て,そ の 存 続 に

お い て,そ して そ の 自己 変化 に お い て,示 され るが,そ れ は,自 然 の 一 つ の

規 則 性 が諸 眼 との 関 係 で 示 さ れ るご と くだ そ の 規 則 性 に つ いて は,他

の感 覚 に よ って は容 易 に特 定 化 で きな い の だ33。」(Materialen,id.[HA14],

p.36][195]

カ ン トの 思想[思 考]に お い て形 態[形 式]の 主 題 は,判 断 力 の,そ の 反 省 的

使 用 に お け る,両 方 の 美 的 お よび 目的論 的 一 諾 変 形 を カバ ー す る

とは い え,そ れ は,厳 密 には,KritikderurteilSleraft[『 判 断 力 批 判 』]にお い

て,美 的 経 験 を巡 って,『 美 の 分 析 』[『美 しい もの の 分 析 論 』]にお い て だ け

で な く,天 才 お よび美 的理 念 に捧 げ られ た 諸パ ラグ ラ フ に お い て も,展 開 さ

れ た。 各個 別 の もの の,個 別 の もの と して の,現 れ る こ との様 態 を 指示 しつ

つ,イ マ ジ ネ ー シ ョン の 提示 の一 つ の 行為 を通 じて構 成 さ れ て,形 態[形 式]

は,一 つ の 思索 的 な停 止 に好 意 的 で あ り,そ れ は,主 体 が,構 成 的 な形 成 的

転 形 者 と して の 自分 の権 能 を放 棄 し,自 然 を,諸 対 象 の一 つ の 体 系 と看 倣 さ

れ る に任 せ る こ との兆 候 で あ る。 形 態[形 式]は ま だ,一 つ の デ ッサ ン な い し

一 つ の 組 み 立 て,一 つ の 図柄(ゲ シ ュ タル ト)な い し一 つ の 遊 び(Gestaltund

助 劔[ゲ シ ュタ ル ト と遊 び コ)に よ って 提 供 され る一 つ の構 成 へ と 自己言 及 す

る が,一 つ の 孤 立 した音,な い し は孤 立 した 色 彩 は,カ ン トに とっ て

は美 的 な形 態[形 式]で は な い,と 言 うの も,一 つ の 多数 性 と一 つ の一 性 との

間 に関 係 示 さ れ る だ ろ う よ うに,概 念 的 に非 決 定 的 な 一一 が あ る こ

33[訳 注]》DieMater{etrittindieErscheinung,siebildet,siegestaltetsich.Gestalt

bezietsichaufeinGesetz.undnunzeigtsichinderFarbe,inihremBestehen

undWechseln,einnaturgestzlichesfUrsAuge,vonkeinemandemSinne

leichtunterscheidbar.《;「 物 質 は 現 象 にな り,自 ら を形 成 し,形 態 を作 りあ

げ る。 そ の形 態 は 法 則 を 指 し示 し,こ こに お い て,長 続 き し た り移 り変 わ っ

た りす る 色彩 の な か に,他 の 感 覚 に よ って は 容 易 に 見 分 け ら れな い よ うな 自

然 法則 が 眼 に 示 さ れ る。」(『 色 彩 論 皿 歴 史篇 』 南 大 路 ・嶋 田 ・中 島訳,

工 作 社,1999,p.101)

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100明 治大学教養論 集 通巻385号(2004・3)

とが必要だからだ 一 これは,任 意の美的形態[形 式]の 生成における諸手

続きである(§14)。最後に,諸 能力の内的調和に関しては,形 態[形 式]は,

やはり,構 成の生成の場所である 一 純粋に思索的な想像を通 じてであ

れ,天 才の創造的な想像を通 じてであれ(§§11-17;§§46-49)感 傷的

な形態[形 式]-desSubjektive[主 観的なもの](§38),clasFormale[形 式

的な もの](§15),適 切に言 って反省的な契機,自 分 自身 に働 きかける

GemUth[心 情],に おける合意の内的な一つの状態が経験される。 この最後

の決定に関するとり急いだ一 つの解釈に対 してわれわれは用心す る。形態

[形式]の意味を同意 と便宜的に統合する目的で互いの間で色々な諸決定を結

びつける必要がある。第一に,'も しも美 しいもの 一 美しい形態[形 式]

一 が一つの美的な理念の表現だ とするならば(§51) ,そ れは,芸 術的な

形態[形 式]な り,自 然的な形態[形 式]な りの一つの自律が知覚され,知 覚さ

れた自然がもはやたんに芸術作品 としてでなく,芸 術の諸作品の創造者 とし

て知覚されているからである。第二に,非 常に意義深いことに,§58で,目

的論の諸設問を宣明して,カ ン トが 自然の生きた諸形態について語っている

のであるが,そ の生産は,厳 密に機械的な一つの観点からは,静 止 していた

一つの流体的な物質から出発 して,揮 発化によってか,沈 殿によってか,物

質の親近性の普遍的な法則に従って,実 現されるが,そ れは,固 有の物質の

一つの美的な活動 としてとることができるものだ。諸形態[形 式]の その よう

な不可触性,そ の微妙な抵抗は,さ らに,§30で より明白な一つの様態で主

題化されているが,そ のときカン トは,当 然,眼 差 しに対 して隠された美 し

い諸形態[形 式]大 洋ないし大地の深みに隠されている の存在 と

共に自らを異なって見せ,読 者を混乱させている。実際上,自 然を優遇する

美的な行為には,わ れわれに対 してわれわれに好意的な一つの自然 という目

的論的な想定が対応し,最 初の違和感を減少させる傾向があることは,§67

で提示されている通 りだ。[196]

しかし,§15一 既に言及 一 においてこそ,生 きた形態[形 式]と 美

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マ リア ・フ ィロ メナ ・モ ル デ ー ル 『ゲ ー テ の 形 態 学 的 思 想 』101

しい形態[形 式]と の関係の一つの再秩序化が,一 つの提示の形式的契機(des

拘 夕%/θ[形式的なもの])の 決定から出発 して,許 されてお り,そ れをカン

トは次のように提示するのだ 一 「一つの多様性[多 性]の,一 つの一定の

統一性 との一致sc」(AKV,277)。 形式的契機は,一 つの直感的な多様性

[多性]と概念的な総合 との間の一致の一つの単純な変形ではない。形式的な

契機,美 的審判の条件 実際,判 断能力の純粋な契機,そ のようなもの

としての,自 律的な能力 としての,厳 密に反省的な 一 は,一 つの自己一

参照を含意 し,そ れは類比を通じて自らを表現 し,比 較を通じて実現され

る。一つの反省的な観点からすれば,一 致は直観の多様性[多 性]と概念の一

性(因 みに,一 性は不確定だと断定される)との間にあるというよりは,一 つ

の多様性[多 性]と それを統一する形態[形 式]と の間にある 一 多様性[多

性]は 一つの輪郭を,一 つの秩序を,一 つの原理を求めるものであ り,そ れ

に付随するが,し かし決定 しない,理 解 一 それゆえそれは立法 しない

の伴 う,想 像的な行為を通じて実現 される。一つの表象の形式的契機

は,一 方では,dαSl'enigeSubjektive[その主観的なもの](§38),諸 能力の間

の一致のその ような内的経験 一 それは美的審判の導出の核を構成する

,を 指 し示す。その一致は諸能力の,一 方から他方への緊張的な,傾 向

的な運動 として,一 つの相互的な天職が,一 つの情緒的な状態が,Gemtith

[心情]が 自らを感じつつ,発 見されるものとして,解 釈されるべきであ り,

他方では,§14で,芸 術的諸形態[形 式]と の関連で言われたことと関連 して

いる 一つの〈全体〉を構成するために,諸 要素の相互的な一つの呼びか

けから生まれた構成,だ 。要約 として,主 観における表象的な状態の一つの

一定の最終性 と,こ の状態の中で,イ マジネーシ ョンにおいて一つの形態

[形式]を 習得する[auffassen(把握する)]一 つの一定の便宜(§15)と,そ れを

34[訳 注]「 多様 な る もの と一 な る もの … … との 詣 和 」(『判 断 力 批 判 源 祐 訳 ,理 想 社,

1981,p.103;「 多 様 な もの と一 つ の もの ・との合 致 」 『判 断 力 批 判 上 』,牧 野 英

二 訳,岩 波 書 店,1999,p.88)

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102明 治大学教養論集 通巻385号(2004・3)

産出する可能性を指示する。

したがって,も しdasFormale[形 式的な もの]が,主 観的な一致 として 自

らを発見するなら,そ れは,思 索された形態[形式]が一つの主観的な幻影に

縮減されたのを見たい ということを言おうとしているのでもなく,思 索され

た形態[形 式]が 一つの自己一関係されたフィクシ ョンであると言おうとして

いるので もない。む しろ,ま さに,GemUth[心 情]の 自己一関係を通じて,

想像によって前に動かされて,学 ばれた形態[形式]の 間の一致 と,諸 能力の

間の調和が存在するのだ。諸能力の間の調和は構成の生成の場所であり,そ

れはたんに天才の視点からばか りでな く 芸術作品にとって不可欠の一

つの性格が生産されているのだから 一,思 索家の観点からもそうである

のは,一 つの美的形態[形式]の いかなる習得 も,そ の生成を想定する,あ る

いはより良 く言えば形態[形式]は形成 として習得されるという意味において

である。DαsFormaleは まさにこの移行を含意する。[197]

§§67と68で カン トがinnereForm[内 的な形態(形 式)]の概念を導入すると

き しかも§65で既に任意の類比の,一 つの生きた存在の内的な生成を

理解するための根源的な非便宜を記しているとき,ま さにその優先的な類比

が芸術的な活動を基盤に樹立される,わ れわれはその意義への接近

が,『判断力批判』の第一部全体で開始された形態[形 式]に関する反省の一つ

の適用によって優遇されていることを論証する。芸術においては,形 態[形

式]は 同時に,空 間と,時 間との一つの限定に関わ り,ま た,そ の限定の生

成に関わる。InnereFormは,形 態[形 式]自 体の生成,形 成(ゲ ーテの用語

ではBildung[形 成]),(生 長を通じての生きた諸存在の中での)自 己一顕示,

およびその理解 ・習得 -Gemtithが 自然の言語(ラ ンガージュ)に介入さ

れて どのように行動するかの様態 に関わる。しかしながら,formal

[形式的な]に おいて,調 和のとれた遊戯,諸 能力の均衡のとれた対位のリズ

ム,そ して,生 の内的秩序の基礎にある,諸 部分と全体の間の一つの特別の

関係が,契 約される。この契約は,形 態[形式]に 関する諸研究を乱 しまた惹

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マ リア ・フ ィロメナ ・モルデール 『ゲーテの形態学的思想』103

き付ける,と 言 うのも,客 観的および主観的諸傾き,あ らわれ,お よびその

意義付けを収集するからだ35。ゲーテはまさに,結 合の深い理解から出発す

るのだが,そ れが彼をして,自 然の諸存在の諸形態[形式]へ の興味を,形 態

学的諸設問への,特 に植物学におけるそれへの,そ して光 と色彩の変態への

興味へと掻 き立てることになるのだ。

始めから,ゲ ーテは,総 ての 自然 を,統 制された拡張における生におい

て,統 一 していた親密さ,親 近さの網目の知覚を持ってお り,そ れが彼を全

自然に結びつけ,彼 はその息子にして後継者だと感じていた。ゲーテをいか

なる体系的な意図も動かすことはな く,確 かなことは,生 きた諸存在の謎を

理解する必要性,そ して,ま さにすべての諸存在(生 きた,お よび生 きてい

ない)を互いに統一するものを理解することが,共 通の諸原理を見出す必要

性 一つの認識的な行為に転換する必要性ばかりでな く,そ の中で表出

の源泉 として働いていた 一 が,一 つの定数,一 つの発生的な焦点であっ

たということだ。共通の諸原理の発見と,諸 親密性の確信(連 続性の最 も高

められた原理の上に基礎付け られている)の間の同盟は,一 つの発見的一記

述的方法に統合されるとき,概 観的な提示に自らを転形するが,こ れは,単

に線形の因果図式を拒否するばかりか,そ れゆえ,い かなる説明的一立法的

手続 きも放棄する。概観的な提示は,最 も詳細な形体付与を通じて,諸 絡み

合い 一つの存在の他のそれへの,お よび,同 じ存在内で,一 つの生長

局面から他のそれへの,そ れぞれの諸転形 と諸移行 を示そうと主張す

35形 態 学 的 諸 設 問 に 関 す る 最 も肥 沃 な 諸 研 究 の 中 に ジ ャ ン ・プ テ ィ トー(Jean

Petitot)の 諸 作 品 が見 出 され るが,そ の 方 向性 は,「 形 態 学 的 秩 序 と意 義 付 け との 間

の シ ス テマ テ ィ ック な連 帯 性 」に向 け られ て お り,そ の 維 持 の 基 礎(同 時 に そ の試 金

石)は,ル ネ ・トム(Ren6Thom)に よ っ て提 示 され た カ タ ス トロ フ 理 論 で あ る。 引

用 され た主 張 は ま さ に,カ ン トの 『判 断 力 批 判 』に含 ま れ るプ ロ ジ ェ ク トの評 価 に関

わ る もの で,次 の もの か ら採 られ てい る 一 《Aproposdelaquerelledud6ter-

minisme-delath60riedesCatastrophesalaCritiquedelaFacult6deJuger[決 定 論

の 争 い 一 諾 カ タ ス トロフ の 理 論 か ら判 断 力 批 判 ま で]》,Traverses24,Fev、

1982,pp.134-151.

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104明 治大学教養論集 通巻385号(2004・3)

るが,そ れ らが各存在の不変性,内 的な調和を保証 し,そ の「周 りを見回す」

ことが尽きた場合には,諸 存在の色々な諸秩序の,そ して,各 存在の,そ の

顕現の過程の完壁さの,諸 裂け目の無い完全なヴィジ ョンを供給する。 しか

しながら,概 観的な提示は,よ り高められた見遣 りの要請に応 じるが,そ れ

には,諸 形態[形 式]の認識に専念するすべての探求者は応答すべく勤めなけ

ればならない 一 つまり,〈多を一の中に〉発見 し,〈多の中に一〉を見るこ

とだが 一 それはただ,同 時に,多 様なもの,多 数性[多 性],の 一つの自

律性が許容され,ま た,も しも一つの〈全体〉の中にその多様性を実現する秩

序の一つの至高の原理が把握された場合にのみ可能である。他方では,〈 多

を一の中に〉発見し,〈 多の中に一〉を見ることは,固 有の自然の一つの典型

的な手続 きに対応する 一 一つの胚あるいは一つの初めの核以来,顕 示さ

れた一つの豊饒へと歩み,そ してその多色性から一つの集中した変形版に回

帰し,最 初の点まで,契 約したように戻る 一 これは,自 然に内在的な分

析 と総合だ。[198]

諸形態[形 式],特 に自然諸形態[形 式],を 研究する者が遭遇する諸困難は

数多いが,主 要なものは,言 葉[単 語]を 通じて,そ れらが,形 態[形式]と し

て現れる限 りでどうであるかの様態を記述する様態に関わる。変態の過程を

記述するには,一 つの,還 元的な論議を乱 し,消 沈させ,混 乱させる

未聞の諸意味と諸機能の発見まで 一 と言い,命 名することの権能 と見る

ことの権能との間の分離的区別に同意すると言うことの一つの様態が必要で

あり,現 れることの完全さに言葉[単語]を 適応させると言うことの一つの様

態が必要である。

「アマチュアのコンパス」で案内されて,自 然の諸形態[形式]に 関するゲー

テの研究は,そ の詩的活動から不可分で,一 つの明白に形而上学的な天職を

含んでいる。われわれはこう言おう。すなわち,思 想[思 考]が 形態[形 式]

と,形 態学の諸設問 と取 り組んでいるときには,直 接的に,一 定の諸理念の

方向に解放的な一つの運動があたえられる,と 。形態[形 式]に 関する反省

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マ リア ・フ ィ ロ メナ ・モ ル デ ー ル 『ゲ ー テ の 形 態 学 的 思 想 』105

は,そ れに内在的に,一 つの,形 而上学的次元の主題的な配置を含意する

ここから,経 験論者の思想の不信,あ るいは,思 想の周 りに一つの有

機的な概念を持っていない者に対する無関心が生 じる。そして他方では,一

つの形態学的思想は,基 盤/基 盤付けられたもののタームで,一 つのハイア

ラーキーのこちらないしあちらにあり,一 つの認識理論を要請 し,そ れが観

点の上に留まり,統 合的な概観,統 合一限界に成功しようという様態で,総

ての諸観点を再合一 しようと希求する。孕んだ諸点の上に振 るわれる認識的

な構造,意 義のある諸現象,思 索と還元へと誘い,招 く諸顕示,そ して,そ

の認識的な構造はまた一つの,取 り返 しのつかないほど断片的だと知 ってい

る直観を経験する 言葉[単 語]に よる翻訳の場合はもっとそうだ

(同時に〈全体〉の一つの直観の可能性は諸断片の認識 に起源を持 っている

古生物学の様式のように)「 真の総合は多分,一 つの未知の国に

留まることだろう」とゲーテはエッカーマンに1829年2月 に言 っている(AA

24,p.316)。

[199]ジ ョフロワ ・サンティレールが1831年 に,パ リ・アカデミーのた

めにr諸 植物の変態』について報告し,そ の著作が公刊されたとき,少 数の

人々に注 目されただけでな く,一 つの偏奇 ととられた という事実を強調 し

た。そして,実 際,そ れに対 して帰するに一つの誤 り,一 人の天才だけが冒

すことができただろう誤 りを冒した そのテクストを,ほ とんど半世紀

早 く,そ れを知 り,研 究するに値する植物学者たちがいる前に作ったという

ことだ。その ような諸考慮はまた立ち戻 って,未 来の諸セ ッシ ョンで,

1836年 と1838年 に,繰 り返され,彼 の著作EtudesProgressivesd'unnaturaliste

[『一人のナチュラリス トの進歩的エチュー ド』]で再び採 り上げ られ,展 開さ

れた。しかし,こ の科学的関心の他に,彼 は,そ の最初のセッションに一つ

の他の決定的な様相を強調 しておいた 「実際のところ,も しもこの本

が表紙にこの限定的な表題を鼓していなかった としたら,わ れわれは人間精

神一般の発展の歴史,そ の次第次第の形成の歴史について,自 然の諸現象の

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106明 治大学教養論集 通巻385号(2004・3)

思 索 と理 解 を 視 野 に 入 れ て 読 む も の と信 じ さ せ ら れ る と こ ろ だ っ た だ ろ

う36。 」ゲ ー テ は 完 全 に経 験 的 な 一 つ の道 か ら植 物 学 に 入 れ ば,彼 の 能 力 か

ら して,彼 の 特 定 の分 枝 にお い て 植 物 科 学 を 前 進 させ る こ とは で きな か っ た

とは,エ ッ カ ー マ ン に そ れ を1827年2月1日 に 告 白 し た 通 りで あ る

「私 の 意 図 は,た だ,総 ての 諸 問題 を 一 つ の 共 通 の 根 本 的 な 法 則 に 再 還 元 す

る こ とで し た37」(AA24,p.237)。 彼 の 「自然 の 諸 限 界 無 しに 王 国[界]」 を見

遣 る こ と と認 識 す る こ と との 様 態 は,常 に,Schauen[見 る こ と]とWissen

[知 る こ と]と の 上 とい う よ りは む し ろ,Glauben[信 じ る こ と]とAhnen[予

感 す る こ とコとの 上 に 憩 って い た。(《DieLapaden[カ サ ガ イ]》,H413,p.

203)。 ユ ソ ガ ー は も う一 度,こ の 呼 び かけ に応 答 し た 「人 間 が 想 像 す

る もの は,ま さ に最 も親 密 な そ して 最 も広 大 な もの は,名 前 の 無 い充 実 か ら

生 じ,そ れ を 彼 は 決 定 し,名 前 を も っ て 限 定 す る(…)。 した が っ て,人 間

は,常 に,最 も強 力 に,知 って い る もの よ りも信 じて い る もの を擁 護 す る だ

ろ う。 諸 言 葉[単 語]は,道 を制 限 す るが,決 定 は しな い」(op.cit.,§112,pp.

451-460)o

(ながお ・しろ う 経営学部教授)

36CompteRendudesseancesdel'AcademiedesSciences[科 学 ア カ デ ミー の会 議 で な さ れ

た 報 告];ChezBachelier,Paris,Vol.1,1831,p.248.

37[訳 注]「 私 に とっ て大 切 なの は ,た だ 個 々の 現 象 を,一 般 的 な原 理 に還 元 す る こ と

だ け な の だ。」(エ ッカー マ ソ 『ゲ ー テ との 対 話(上)』 岩波 書 店,1970,p.299);

(参 考)「 … …ゲ ー テが 色 彩 論 を講 義 した方 法 に つ い て話 し た。 つ ま り,彼 は

そ の 際,す べ て の もの を,い くつ かの 根 本 原 理 か らみ ち び きだ し,個 々 の現

象 を,つ ね に ま た そ の原 理 に還 元 し た わ け だ が … … 」(同 上,p.299)。