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Page 1: ボ 鳳 E と… はshindy.txt-nifty.com/shindy/files/merged_13.pdf · 花 開 い た 時 間 は 、 至 福 で あ っ た 。 織 難 で 蓼 鱗 義 亀 錢 舎 彗 溝 一

この風変わうな老人に魅入ら

れた絵画は、いつしか手品のよ

うに手元

へ引き寄せられてしま

うのである。

洲之内徹は1913

(大正

2)年に松山市で生まれ、19

87

(昭和62)年に74歳で逝

た画商である。美術雑誌に長期

連載したエッセー

『気まぐれ美

術館』の才筆でも知られた。

のちに「洲之内

コレクション」

と呼ばれるその蒐集は、屈折の

多い人生に寄り添

った同時代の

へ捧げる、モノマニア

ックな

「恋情」の結晶と呼ぶの

が適切かもしれない。

画商とはいっても、市場で人

気の高い現代画家の作品や高価

な泰西名画を扱うわけではない。

松本竣介、高鉄五郎、鳥海青児、

関根正二……。昭和という同時

代の傍流を生きた画家たちの埋

もれた作品を発掘した。それは、

洲之内にと

って自らが歩んだ過

去の失われた時間を呼びおこし、

重ねてみることにほかならない。

銀座の外れの古色漂うビルに

ある

「現代画廊」に流れ着く作

品の多くは、この画商が自ら小

さな車を駆

って全国を巡り、あ

るいは所蔵者のもとに通い続け

て入手したものである。

戦後、妻子のいる家庭を捨て

て無頼の人となった。住み着い

たのは大森に借りた、古いアパ

ートの

一室である。夜遅く画廊

から部屋に戻ると、周囲に無造

作に積み上げたカンバスの山に

が所蔵する膨大なコンクション

は、植民地など異域からの略奪

や買収を合めて、大英帝国やフ

ランスという覇権国家の力にま

かせた装置であり、それゆえに

その蒐集は西洋文明の正統性の

証ともいわれる。

ならば「洲之内

コレクション」

「昭和」という時代の影を生

きた

一人の日本人の、ひそやか

でもかけがえのない人生の自己

証明であろう。

訪ねあてた土地で出会い、心

を奪われた絵画に身を寄せて集

めた、も

っとも小さな

「世界」

の構築と言い換えてもいい。

洲之内の前半生には戦争が色

濃く影を落としている。

東京美術学校

(現東京芸大)

の建築科でドイツのバウ

ハウス

運動に傾倒したが、総力戦体制

へ向かう時代に抗して左翼運動

に身を投じ、非合法活動で検挙

されて退学。故郷の松山

へ帰

ても活動を続けて逮捕されたが、

服役中に偽装転向した。

1938

(昭和13)年に軍が

募集していた北支軍宣撫班の採

用試験に合格し、敗戦までの間、

中国大陸で日本軍の諜報活動に

従事した。左翼経験を利用でき

ると見込まれたとしても、18

0度の方向転換である。

「殺し尽くし、焼き尽くし、奪

い尽くす」。f一光作戦」と呼ぶ、

共産軍に対する凄絶な日本軍の

職滅作戦をすすめるために、山

西省などに公館を構えて、現地

調査という名目で行う情報活動

が洲之内の仕事であ

った。屈強

なシェパードを従え、モーゼル

銃を腰に下げて人に会い、情報

を得た。人を欺き、脅し、凌辱

することさえあ

ったろう。

「厭な仕事だ

ったが、厭だと思

いながら、私はそれをや

った。

ということは、

つまり、私は抵

抗しなかった。同時に、私は、

いわゆる便乗もできなかった」

∬鳳Eと…は恋情である

一ボアノ王ILと洲之内徹といつ人生

囲まれてひとり、ウィスキーを

片手にジャズを聴きながら入手

した新しい作品に向き合

った。

老いの坂道の途上に花開いた時

間は、至福であ

った。

で蓼

「蒐集」に対する人間

の情熱

根源をさかのぼると、どこにた

どう

つくのだろうか。

大英博物館やルーブル美術館

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MARCH 2018 46

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と洲之内は回想している。

この記述はどこかで自分のや

ましい過去を正当化したい洲之

内の

「気分」を伝える。

それは戦後に書

いた小説で、

中国での宣撫工作の経験を素材

にして芥川賞候補

にもな

った

『棗の本の下』などにも共通す

「気分」である。

権力に抗してきた人間が、立

場を変えて小さな権力を手にし

たことで、それを玩具のように

弄ぶ姿が、偽うなくその小説に

は描かれているからだ。

ともあれ、こうした虚無に包

まれた戦地の荒んだ暮らしのな

かで、偶然出会

ったのが海老原

喜之助の

「ポアソニユール」と

いう作品であり、それがこの戦

争で鬱屈した男の魂を浄化する

「救済」であった。

海老原喜之助は1904年、

鹿児島生まれの画家である。渡

仏して藤田嗣治に師事、サロン・

ドート

ンヌに入選し、「エビ

oブ

ルー」と呼ばれる明るく

鮮やかな色彩と、洗練された空

間構成で高い評価を得た。

洲之内がその代表作の

「ポア

ソニエール」と遭遇するのは、

山西省太原の軍司令部に勤務し

ていた昭和18年ころである。

現地の邦字紙の記者と知り合

い、自宅で日本から持

ってきた

という原色の複製画集を見る機

会があった。その

一点が

「ポア

ソニエール」だ

った。地中海ら

しい海辺の真

っ青な背景の前に、

獲れたばかりの魚の籠を頭上に

乗せた若い女の、透き通るよう

な表情は、生きることの歓びを

声のない囁きで伝えている。

〈知的

で、平明で、明

るく、

なんの躊いもなく日常的なもの

への信仰を歌

っている

「ポアソ

ニエール」は、いつも私を、失

われた時、もう返

ってはこない

かもしれない古き良き時代

への

回想に誘い、私の裡に郷愁をつ

のらせもしたが、同時に、その

ような本然的な日々

への確信を

とり戻させてもくれた〉

戦後の洲之内のこの回想には

おそらく、誇張はあるまい。

復員した洲之内は同人雑誌に

小説を書き、さまざまな仕事を

遍歴したのち、大陸で知り合

た作家、田村泰次郎の下で

「現

代画廊」の支配人として画商の

世界に入った。

そこで再会したのが

「ポアソ

ニエール」である。「平民宰相」

として知られた原敬の息子の原

一郎と文学の縁で出会い、訪

れた鎌倉の別荘の蒐集品のなか

に偶然

「ポアソニエール」の実

物を見つけた驚きは、想像を超

えるものがあったろう。

手放す気のない原を説き伏せ

るまでにどれほどの歳月がかか

ったのか。ようやく承諾を得た

洲之内はその場で作品を風呂敷

に包み、折からの家雨をついて

逃げるように鎌倉を後にした。

かくして洲之内の手元に落ち

「ポアソニエール」は没後、

宮城県美術館に収蔵されている。

「エビ

ハラ

oブ

ルー」の瑞々し

い輝きには、晩年何人もの女性

に愛されもしたこの数奇な老人

の人生が刻印されている。

(ジャーナリスト 柴崎信三)ロ

美の来歴

海老原喜之助「ポアソニエール」(1935年、宮城県美術館蔵)

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