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1 ピザ、二つの海を渡る 小川 健太 はじめに 第一章:ピザとは何か 第一節:ピザの意味 第二節:ピザの語源 第二章:ピザの誕生 第一節:ピザの誕生 第二節:トマトは観賞用だった 第三節:マリナーラの誕生 第四節:マルゲリータの誕生 第三章:アメリカへの伝来 第一節:南イタリアからアメリカへ 1. イタリアの人々が移民を選択した背景 2. 南イタリア出身者は何故アメリカへ移民したのか 3. 移民たちの多くがニューヨークへ 第二節:アメリカ・ピザの誕生 1. アメリカ・ピザの発祥はニューヨーク 2. ニューヨークでの移民たちの暮らし 3. アメリカ内のピザの広がり 4. ピザチェーン店の登場 第四章:日本のピザ事情 第一節:日本のピザ事情 第二節:宅配ピザの現場から おわりに 参考文献・ウェブサイト

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ピザ、二つの海を渡る

小川 健太

はじめに

第一章:ピザとは何か

第一節:ピザの意味

第二節:ピザの語源

第二章:ピザの誕生

第一節:ピザの誕生

第二節:トマトは観賞用だった

第三節:マリナーラの誕生

第四節:マルゲリータの誕生

第三章:アメリカへの伝来

第一節:南イタリアからアメリカへ

1. イタリアの人々が移民を選択した背景

2. 南イタリア出身者は何故アメリカへ移民したのか

3. 移民たちの多くがニューヨークへ

第二節:アメリカ・ピザの誕生

1. アメリカ・ピザの発祥はニューヨーク

2. ニューヨークでの移民たちの暮らし

3. アメリカ内のピザの広がり

4. ピザチェーン店の登場

第四章:日本のピザ事情

第一節:日本のピザ事情

第二節:宅配ピザの現場から

おわりに

参考文献・ウェブサイト

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はじめに

私がピザという食べ物に興味を抱いたのは、アルバイトがきっかけだった。

大学二年生に進級すると同時に、私は宅配ピザのアルバイトを始めた。

アルバイトを始める前まで、私にとってピザというのは、誕生日やクリスマスなど、一

年を通して何かしらのイベントがある日に口にするもの、という一般家庭ではどこか特別

な食べ物であるという存在だった。

しかし実際にアルバイトをしてみると、平日や休日を問わず、アルバイト先にはピザの

注文の電話、また店まで足を運び、ピザを注文する客が後を絶たない。私が思っていた以

上に、このピザという食べ物は人々に親しまれていることを体感した。アルバイトを通じ

て何十種類ものピザに触れていながら、今自分が作っているピザはどのようにして生まれ

たのか、どのような意味を持っているのか、私は知らなかった。そこで、ピザについて知

識を深めたいと思ったことが、私がピザについて調べ始めたきっかけである。ピザの発祥

の国はイタリアであると言われているが、しかし今日、我々が日頃から利用している宅配

ピザはアメリカから伝わったものである。そこで私は、ピザはいつ頃イタリアから生まれ、

どのようにしてアメリカへ伝えられたのか、また日本におけるピザ事情とはどのようなも

のか、調べることにした。

今回イタリアとアメリカに焦点を置いた理由は、ピザ協議会1の公式ウェブサイトによる

と、世界におけるピザの消費量についてアメリカが 1 位、イタリアが 2 位と、ピザ消費が

特に多い国だからだ。

本論文ではこのピザ大国二国にポイントをしぼって、1.ピザとはどのようなものなのか

2.いつごろ生まれたものなのか 3.どのような経緯でアメリカへ伝わっていったのか 4.

日本でのピザ事情はどうなっているのか 以上の 4 つを中心に、私が調べたことをまとめ

ていく。

調査方法としては論文や文献、ウェブサイトを主に用いた。

なお、pizza には「ピザ」と「ピッツァ」の両表記があるが、本論では引用文を除いて、

1 ピザ協議会:1994 年 2 月 24 日設立。ピザについて、品質の改善・向上、流通の円滑化、

消費の拡大を図るため、 ピザ業界の発展に寄与することを目的に発足された団体。ピザハ

ットや伊藤ハムなどの大手食品メーカーを始め、2012 年時点で、50 社が会員企業として

参加している。

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表現をピザに統一している。

第一章 ピザとはなにか

第一節 ピザの意味

ピザについて、辞典では以下のように意味付けられている。

ピッツァ[伊 pizza]:本格的な(イタリア風の)ピッツァ。セレブと通以外の

人、特に若者はピザと呼ぶ。原音に近いのはピッツァ2。

ピザ[pizza]:イタリア料理の一つ。小麦粉を練って丸く平たくし、種々の具と

チーズをのせて焼いたもの。ピザ、パイ、ピッツァともいう3。

小麦粉を使った生地にさまざまなトッピングをのせ、チーズをかけて焼いたものが一般

的にピザと呼ばれる。また、世代層によって呼び方も変わっているが、若者たちの多くは

ピッツァではなく、ピザと呼んでいるようである。

第二節 ピザの語源

内林政夫『西洋たべもの語源辞典』に書かれている、ピザの語源についての記述をまと

めてみると、次のようになる。

「湿気」「脂肪」「液汁」を意味する古い印欧祖語がギリシア語に入ると、「pitta」

「pissa」(ケーキ、パイ)の意味を指すようになった。さらに同じ祖語から、別

にラテン語でピケア「picea」という語が出てき、先のギリシア語のケーキ、パ

イという語の代わりに使われ、さらにそのピケア「picea」がピッツァ「pizza」

になった4。

また、岡田哲『世界たべもの起源辞典』では、ピザの語源に関して以下のようになって

2 堀内克明、大森良子『現代用語の基礎知識』p.1354

3 川本茂雄監修『日本語になった外国語辞典』p.660

4 内林政夫『西洋たべもの語源辞典』pp.322-323

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図 1 フォッカッチャ

(出典:サイゼリヤメニュー

http://www.saizeriya.co.jp/men

u/)(参照 2013-1-13)

いる。

イタリア語の(pezzo/かけら)が転じてピッツァになる。俗ラテン語の(picca/

ねばねばした焼き菓子)からとする説、ギリシア語の(pitta/瀝青)からとする

説がある5。

このように述べており、偶然にも二つの文献のどちらにも、「pitta」が「pizza」に形を

変えたという説が登場している。しかし内林は引用文のすぐあとのところで、ピザの語源

について「これは憶測説である」と述べている。また、岡田も同じように、

ピッツァ誕生の経緯は定かではない。16 世紀初頭に、ナポリ周辺で突然使われ

だした言葉ともいわれる6。

と、曖昧な書き方をしている。岡田が述べている「pitta」(瀝青)は、アスファルトや

タールなどの、天然に産する個体や液体、気体の炭化水素類に対する一般名を意味してお

り(『広辞苑』第 6 版)、食べ物の語源として、ふさわしいとはいえないものである。ま

た、どちらの文献でも語源についての信憑性は薄いが、確認できる資料がない上、語源に

ついては本質的な話ではないので、ここまでとする。

第二章 ピザの誕生

第一節 ピザの誕生

トマトをピザのトッピングとして生地にのせる現在の形

になったのは、19 世紀の初めである。18 世紀後半までは、

トマトはピザに、トマトソースとして使われていた。トマト

ソースがピザに使われるまでは、小麦粉、イースト、塩、オ

リーブオイルで作られた円盤状の生地(クラスト)の上に、チーズをのせて焼き上げたも

5 岡田哲『世界たべもの起源辞典』p.322

6 岡田哲『世界たべもの起源辞典』p.322

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のが食べられていた。形としては、現在のフォッカッチャ7(図 1)に近い。前述の『世界

たべもの起源辞典』では、現在のピザについて「トマトをのせる現在のかたち」8と表記さ

れるほど、ピザにとってトマトとは、トッピングに欠かすことのできない野菜である。そ

のトマトがなぜ、18 世紀までピザに使われることがなかったのか。次節では、まずはトマ

トのことについて触れておく。

第二節 トマトは鑑賞用だった

池上俊一『世界の食文化 15 イタリア』の中に、トマトが食用として使われなかった時

代のことが詳しく書かれていた。その部分をまとめると次のようになる。

16 世紀前半、スペイン経由でヨーロッパに入ったトマトは、もともと観賞用の

珍奇な植物として受容された。食用とされなかったのは、トマトは当初、ベラド

ンナ、マンドラゴラなどの毒性で知られる植物との分類学的・形態的類似から危

険視されていたためである9。

トマトが危険視されていた中で、トマトを食用として使えないかと試みる人物がいた。

『世界の食文化 15 イタリア』(pp.144-145)によると、1544 年にアンドレア・マッティ

オーリという医者が、トマトを食用とするためのアドバイスを、当時の料理人たちにして

いる。当時はイタリアで疫病が流行っており、トマトを薬用として使えないかと試したの

である。しかし、16 世紀~17 世紀のイタリアの多くの料理人たちは、何故かトマトを食

用とすることを避け、レシピに含めることを拒みつづけた。このため、トマトが食用とし

てイタリア全体に浸透するまでに時間がかかったのである。

第三節 マリナーラの誕生

トマトが食用として広く浸透したのは、18世紀後半のことだった。『世界の食文化15 イ

タリア』では、食用としてのトマトについて、

7 オーヴンで薄く焼いたコムギ粉の発酵パン 舟田詠子『パンの文化史』p.122

8 岡田哲『世界たべもの起源辞典』p.322

9 池上俊一『世界の食文化 15 イタリア』p.144

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ナポリの料理人「ヴィンチェンツォ・コッラード」が『粋な料理人』(1773 年)

の中で、トマトに食材として優位な位置を与え、トマトを使った多くの美味しい

調理法、効用、パスタや野菜などへの併せ方を紹介している10。

と、書いている。『粋な料理人』という書によってトマトの

食用としての利用が広まっていき、パスタをはじめ、様々な

料理にトマトが使われるようになっていった。ピザにはトッ

ピングとしてではなく、生地に塗る「トマトソース」として、

トマトが使われた。ピザの名前は「マリナーラ」(図 2)と

いい、トマトソースを塗った生地に、オリーブオイルをふっ

ただけのシンプルなピザだ。ナポリの漁師たちが立ち寄った

パン屋で、ありあわせのトマトとオリーブオイルを使って作

らせたのが始まりである11。

マリナーラとはイタリア語で「船乗り」を意味しており、この名前はナポリの船乗りた

ちが、マリナーラを軽食として食べていたことに由来している。

マリナーラに使われたトマトソースについては、はっきりと述べている資料が見つから

ず、どのようなソースが使われていたのかは分からない。

ちなみに、当時のナポリで一般的に使われていたトマトソースについて、ナポリの料理

人、アントニオ・ラティーニが、ナポリでレシピを出版している。そのレシピについて、

前述した池上の書では次のように書かれている。

「スペイン風トマトソース」のレシピによって、その後のトマトの大成功のため

の大きなステップが踏み出された。それは、完熟したトマトを炭火の上で焙り、

丁寧に皮を取り、ナイフで細切れにする。そして細切れにしたタマネギ、胡椒、

イブキジャコウソウあるいはピーマンなどと混ぜて風味をつけ、塩、油、酢で味

を整える。これは、多少の調整――イブキジャコウソウがなくなったなど――をへ

10 池上俊一『世界の食文化 15 イタリア』p.145

11 日清製粉グループ公式ウェブサイト「ナポリピッツァの歴史」

図 2 マリナーラ

(出典:小林豊孝編『ピザの本』p.66

枻出版社、2009 年)

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て、イタリア料理の寵児となるレシピであるし、保存食としても輝かしい未来が

約束されていた12。

アントニオ・ラティーニや、『粋な料理人』など、トマトを使ったレシピが、トマトが

イタリア全土に浸透する前にナポリから出されていることから、ナポリの人々に限っては、

トマトが早い時期から食べものとして見なされていたことが伺える。

第四節 マルゲリータの誕生

トマトが食用としてイタリアに広まった 18 世紀後半、ナポリのあちこちでは、ピザの

店が開かれるようになっていた。しかしこの時点ではまだ、ナポリ以外の地域ではピザの

存在は知られていなかった。イタリアにピザが広まるきっかけとなるのが、1889 年、マル

ゲリータ王妃が、ピザに興味を持ったことがきっかけであるといわれている。マルゲリー

タ(図 3)の誕生についての物語が、蓮見孝『マルゲ

リータ女王のピッツァ かたちの発想論』の中で書か

れていた。つぎの文章は、その内容をまとめたもので

ある。

マルゲリータは、1889 年 6 月、イタリアのナポ

リで生まれた。その日、南イタリアの中心都市ナ

ポリを公式訪問していた、北イタリアの王家サヴ

ォイの女王マルゲリータは、馬車に乗り、市中の

視察に出掛けていた。市中を回っている時、ナポ

リの薄暗い裏通りの奥まった店先に、たくさんの人々が群がっているのを目にす

る。不思議に思ったマルゲリータに、従者がナポリの料理ピザを食べさせる店で

あることを伝えた。強い興味を持ったマルゲリータは、ピザがどのような味の食

べ物なのか試したくなったという。その時は好奇心を抑え、ピザを食べずにカポ

ディモンテ城に帰ってきたマルゲリータであったが、ピザへの興味が薄れず、つ

いに料理長のガリカミーロを呼びつけて、ピザを届けさせるように言い渡した。

12 池上俊一『世界の食文化 15 イタリア』pp.144-145

図 3 マルゲリータ

(出典:小林豊孝編『ピザの本』p.66

枻出版社、2009 年)

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彼はピザ屋に使いを差し向け、至急ピザを献上するように伝えた。その命令を受

けたのが、ピザ職人のドン・ラファエレ・エスポジトである。ラファエレは突然

の命令に戸惑いながらも、限られた時間の中でマルゲリータのために即興で特製

のピザを創作し、届けた。城に届けられたピザをマルゲリータが目にした時、彼

女は目に涙を浮かべるほど喜んで、直ちにラファエレに感謝状を送った。さらに

ラファエレが創作したそのピザに「ピッツァ・マルゲリータ」と名付けることを

許したという13。

ラファエレへの感謝状は、代理としてガリカミーロが書いた。次の文章は手紙の文面を

引用したものだ。

親愛なるラファエレ・エスポジトさま

あなたが女王陛下に献上されたピッツァを、女王陛下は大変お気に召されたこ

とを報告します。信じてください、これは本当のことなのです。

王室食膳長 ガリカミーロより

ナポリ/一八八九年六月一一日14

当時ピザは下層の人々のための、安く摂れる食事として栄えていたが、マルゲリータと

ラファエレの話がうわさとして広まっていくにつれて、好奇心の強いブルジョアや芸術家

たちがナポリを訪れるようになったという。

また同書では、マルゲリータ女王が、ラファエレがつくったピザをとても喜んだ理由が

書かれてあり、その部分をまとめると、

ラファエレが創作したピザは、ピザの台の上に水牛の乳でつくった真っ白なモッ

ツァレラチーズをたっぷりと敷き、その上にバジリコの緑の葉と赤いイタリア

ン・トマトをのせただけのものだ。しかしこの白・緑・赤の色の組み合わせに、

マルゲリータは喜んだという。それは、ラファエレが組み合わせたこの三色は、

13 蓮見孝『マルゲリータ女王のピッツァ かたちの発想論』pp.18-22

14 蓮見孝『マルゲリータ女王のピッツァ かたちの発想論』pp.19-20

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イタリア国旗を意味しているからだ。

その当時イタリアでは、サヴォイ家によるイタリア王国が成立し、宿願の南北統

一(1860 年)を実現した。また、フランス革命から生まれたトリコロールの旗

を模した「三色旗」が制定された。しかし、イタリア統一直後、イタリアでは新

しい自由貿易関税を全国一律に導入したために、地方経済、特に南部の経済が悪

化した。そのため、南イタリアでは 1861 年はじめから、それらの要因が重なっ

て、広範囲の農山村において反乱が生じていた。そのようなゴタゴタが多発する

南イタリアの中心都市ナポリで、マルゲリータ女王に一市民であるピザ職人から

届けられた、ピザにさりげなく隠された「愛国心」は、マルゲリータ女王の胸を

強く打った15。

マルゲリータに関するこの話は今も受け継がれており、ナポリの店「ブランティ」には、

マルゲリータ女王から授かった品質証明書が保管されていて、その日を記念とするマルゲ

リータのお祭りが毎年 6 月 11 日に盛大に行われている16。

第三章 アメリカへの伝来

第一節 南イタリアからアメリカへ

イタリアが統一された 19 世紀後半は、マルゲリータの登場によって、ナポリ以外の地

域にもピザの存在が知られるようになった。

しかし統一後、イタリアでは近代化の道を進むに従って、南北の貧富差が広がり、20 世

紀にはイタリア、特にイタリア南部の人々がアメリカへ大量に移民した。アメリカへピザ

を伝えたのは、その時期にアメリカへ移民したイタリア人であると言われている。まずは、

イタリア南部の人々が大量に移民を行うことになったその歴史的背景について述べたい。

1.イタリアの人々が移民を選択した背景

イタリア近現代史や移民史を研究している北村暁夫の『ナポリのマラドーナ イタリア

における「南」とは何か』によると、イタリアからの移民が急増するのは国家統一後の 1860

15 蓮見孝『マルゲリータ女王のピッツァ かたちの発想論』p.21

16 蓮見孝『マルゲリータ女王のピッツァ かたちの発想論』p.22

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年以降であり、1870 年代、80 年代は北イタリア出身の移民が多かった。しかし、90 年代

から南イタリア出身者の移民が急増し、20 世紀に入ると、イタリア移民の圧倒的多数を南

イタリア出身者が占めるようになったという17。なぜ 90 年代に、南イタリアの人々の移民

が急増し、圧倒的多数を占めるようになったのか。南イタリアの移民について述べる前に、

まずは北イタリアの移民から見ていく。同書では、北イタリアの移民について、つぎのよ

うに書いている。

当初は北イタリア出身者が多数を占めていたと述べたが、さらに仔細に見てみる

と、北イタリアでもとりわけアルプス山脈南部の山間や丘陵地域の出身者が圧倒

的に多かった。山間では、十九世紀を通じて土地の細分化が進行し、農民たちの

大半が零細な土地所有者となる一方で、自らが所有する土地で生産される農産物

だけでは生活を維持できないという状況が生まれていた18。

また、同書の北イタリアの移民についての記述をまとめてみると、つぎのようになる。

土地の細分化によって生活の維持が難しくなり、彼らは家庭を維持するために牧

畜や農耕、他人の土地で、賃金労働者としてブドウの収穫を行うなどの労働を行

なっていた。ほかの土地へ行って労働すること、つまり移民という行動も、彼ら

にとってはあくまで郷里の家計を維持するための一つの手段であった。北イタリ

アの人々は、郷里での生活を捨ててまで、移民先で新しい生活を始めることはせ

ず、いずれイタリアへ戻ってくることを想定した「出稼ぎ」的な性格が強かった

ため、近隣諸国への移民が多かったといえる19。

1870、80 年代は、イギリスや近隣諸国が従来の移民先であったため、70 年代に多く移

民した北イタリア出身者は、近隣諸国への移民を選択した。

一方で、南イタリアの場合はどうだろうか。同書では、19 世紀後半から 20 世紀前半に

17 北村暁夫『ナポリのマラドーナ イタリアにおける「南」とは何か』p.126

18 北村暁夫『ナポリのマラドーナ イタリアにおける「南」とは何か』p.126

19 北村暁夫『ナポリのマラドーナ イタリアにおける「南」とは何か』pp.125-126

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かけての南イタリア出身者の移民について詳しく書いていた。その一部を引用すると、つ

ぎのようになる。

北イタリアと同様に、南イタリアでも、移民が最初に始まったのは山間や丘陵地

域からであった。こうした地域には、零細な土地を所有する農民たちが広範に存

在していた。彼らは所有する土地からの収入だけでは不十分な家計を補塡するた

めに、さまざまな副業をおこなった。そのなかには、収穫期のずれを利用した平

野部の大土地所有地帯への出稼ぎ労働が含まれていた。大西洋を渡る移民は、こ

うした出稼ぎ的な労働の延長上に選択された行動であったといえる。近隣地域に

出稼ぎをするよりも、南北アメリカに渡ったほうがより多くの収入を得られる機

会が大きいと認識した人々が移民を選択したのだ20。

2.南イタリア出身者は何故アメリカへ移民したのか

南イタリア出身者が移民先として、南北アメリカを選択したのには理由がある。移民が

激増した 19 世紀後半、アメリカでは移民の大量の受け入れを行なっていた。アメリカが

移民を誘致していた理由としては、安武秀岳「移民の渡来と融合」で述べられており、その

内容の一部をまとめると、

ナポレオン戦争が終わった後、産業革命による過剰生産恐慌によって過剰人口が

一気に表面化し、本格的な移民の時代が始まった。当時のアメリカでも国内の産

業革命と内陸開発のための雇用労働力を必要とし、大量の移民を求めていた21。

また、山田史郎の「移住と越境の近代史」では、つぎのように書いている。

アメリカでは、船会社や雇用請負業者が、大型化した船舶の旅客集めに熱心な船

会社の意向を受けて、移民斡旋業者が南北アメリカでの雇用主を集める一方、東

20 北村暁夫『ナポリのマラドーナ イタリアにおける「南」とは何か』p.126

21 安武秀岳「移民の渡来と融合」(『総合研究アメリカ第一巻 ①人口と人種』所収)p.48

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欧・南欧で積極的に移民の勧誘につとめた22。

19 世紀後半は、外国からの労働力を求めて、アメリカが積極的にイタリアを含む東欧・南

欧から移民を勧誘しており、移民斡旋業者たちの活躍もあって、多くの南イタリア出身者

がアメリカへ渡ったのである。

3.移民たちの多くがニューヨークへ

19 世紀のアメリカで、移民の主な受け入れ先とされていたのが、移民を受け付ける最大

の港であったニューヨークである。斎藤真、金関寿夫、亀井俊介、岡田泰男『アメリカを

知る辞典』では、19 世紀から 20 世紀前半のニューヨークについて、つぎのように書いて

いる。

19 世紀前半、ニューヨークは貿易とともに金融、商業の中心地としての地位を

不動のものとした。移民の受入れ港でもあったニューヨークでは、40~50 年代

からアイルランド系、ドイツ系移民が急増し、人口も 60 年には 1840 年の 2.6

倍の 81 万に達した。この時代には東欧や南イタリアからの移民が増え、衣服産

業などに労働力を提供した23。

19 世紀のイタリアからの大量移民について、久保文明「革新主義と世界大国アメリカ」

の中で詳しく書かれていたので、その内容をまとめてみると、

アメリカは移民を迎え入れるにあたって、彼らの帰化の手続きの手伝いや就職の

世話、入居の斡旋など、あらゆる形で移民たちの面倒を見ていた。これには政治

的目的があり、アメリカでは 1830 年代に青年男子の普通選挙権が確立していた

ことが大きく関係していた。政治家たちは有権者であった移民たちの面倒を見る

見返りに、移民たちは政治家に対し投票し、政治家たちは大都市において一大勢

22 山田史郎「移住と越境の近代史」(『近代ヨーロッパの研究① 移民』所収)p.11

23 斎藤真、金関寿夫、亀井俊介、岡田泰男『アメリカを知る辞典』p.354

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力となった24。

以上のことから、アメリカは移民という労働力と有権者を求め、南イタリア出身の移民

たちは、移民の受入れ体制が出来ていて、なおかつ近隣諸国よりも収入が良い南北アメリ

カを、移民先として選んだことが伺える。加えて、移民の最大の受け入れ港であったニュ

ーヨークを、南イタリア出身者は、新しい生活の場としたのである。

第二節 アメリカ・ピザの誕生

1.アメリカ・ピザの発祥はニューヨーク

国内の経済不況から、出稼ぎ、もしくは永住を目的として、アメリカへ移民してきたイ

タリア人が、アメリカへピザを伝えたといわれている。「まるごと NY」25というウェブサ

イトがある。現地に住む人々の声を元に、ニューヨークでの暮らし方や、そこでの暮らし

に役立つ情報を発信しているサイトだ。そのウェブサイトの中で、アメリカ・ニューヨー

クのピザの発祥について詳しく書かれていた。つぎはその内容を簡潔にまとめたものであ

る。

アメリカのピザの歴史は、イタリアからアメリカへ移民してきたロンバルディと

いう人物によって始まったと言われている。19 世紀の終りにソーホー地区26の

食品店で働いていたロンバルディは、店の売れ残りのパンを使って何かをしよう

と考え、ピザの原型を作って売りだしたのが始まりといわれている。1905 年、

彼は 24 歳の時に独立し、ピザ専門店「Lombardi's」を開いた。この「Lombardi's」

24 久保文明「革新主義と世界大国アメリカ」(『新版世界各国史 24 アメリカ史』所収)

p.244

25 IT 関連の株式会社「No border inc」が運営する、マンハッタンとニューヨーク近郊に

住む日本人のために様々な情報を提供しているウェブサイト。ニューヨークでの生活のた

めのマニュアル『ニューヨーク便利帳』の直接販売を始め、住まい関連の情報も提供して

いる。

26 ソーホー地区は、ニューヨーク市のマンハッタン島南部(ダウンタウン)にある地域

のこと。

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がニューヨークのピザ店の第一店目と言われ、これがアメリカのピザの歴史の始

まりとなる。

このように、アメリカでのピザの始まりは、南出身者のイタリア人が多く移民したニュ

ーヨークであることが伺える。

2.ニューヨークでの移民たちの暮らし

ロンバルディが働いていたソーホー地区とは、リトル・イタリーや中華街に隣接してい

る地区である。当時は町工場が沢山あり、町工場では労働者が長時間働いていた。19 世紀

後半の、ニューヨークなどの大都市へ移民したその労働者たちの暮らしについて、紀平英

作『新板世界各国史 24 アメリカ史』では、つぎのように書いている。

住宅・下水道・公立学校などの施設などが大量の移民の流入に追いつかず、大都

市の生活環境が、スラム、スラムに近い劣悪なものであったことは否定しがたか

った27。

それでも、祖国では食べるものにこと欠くほど苦しい生活をしていたイタリア移民たち

にとって、たとえ劣悪な生活環境であっても、以前の生活と比べればアメリカでの暮らし

はずっと良いものであった。本間千枝子、有賀夏紀『世界の食文化 12 アメリカ』では、

イタリア移民たちのアメリカでの食生活についてつぎのように書いている。

アメリカでは働きさえすれば「食べたいものが何でも」食べられた。「どんなに

ひどいことがあっても(アメリカは)偉大な国だ」とイタリアから来た移民たち

は思った28。

移民たちにとっては、貧しいながらもしっかりとした食事ができることが大切なことだ

27 久保文明「革新主義と世界大国アメリカ」(『新版世界各国史 24 アメリカ史』所収)

p.247

28 本間千枝子、有賀夏紀『世界の食文化 12 アメリカ』pp.145-147

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った。移民たちがアメリカで日常的に食べていたものについては、同じ書の中で述べられ

ていた。その内容をまとめると、

イタリアからの移民たちがわずかな賃金で日常的に買っていたのは「イタリア

製」のオリーブ油、「イタリア製」のチーズ、肉、マカロニなどであるというこ

とだ。彼らがイタリア製の食品を買うことにこだわったのは、それらは祖国イタ

リアでは普段は金持ちが食べるもので、祝日や宗教的行事の時にわずかに口にす

る特別な意味を持った食べ物だったからだという。アメリカで「イタリアのもの」

を日常的に食べることで、彼らはイタリア人としてのアイデンティティを確立し

たのである。イタリアを含めた新移民たちは、自国の食べ物をアメリカの土地で

食べることで、イタリア人としての絆を強めていた。アイデンティティを確立す

るため、彼らは同じ民族同士で集まり、コミュニティを作り上げた29。

リトル・イタリーは、食べ物で自分たちのアイデンティティを確立しようと考えたイタ

リア人が住む居住地区である。その居住地区に隣接するソーホー地区でピザを販売するこ

とは、彼らにとって気軽に郷里の味を食べられる貴重な機会であった。アメリカでいわれ

るピザ・パイ30の名前に関しても、僅かな賃金で暮らしていたイタリア人が、自宅でパン

の生地を練り、トマトやハムといった具材を持って行って、パン屋で安く焼いてもらって

いた経緯から来ているといわれている31。

3.アメリカ内のピザの広がり

『世界の食文化 12 アメリカ』には、アメリカでピザの存在が広まったのは、第二次世

界大戦以降の 1950 年代であり、またピザをアメリカに普及させたのは、ピザチェーン店

であったと書いている32。加えて、同書ではアメリカにピザが広まるきっかけとして、イ

29 本間千枝子、有賀夏紀『世界の食文化 12 アメリカ』pp.145-147

30 イタリアのピッツァはアメリカに伝えられると、量産向きパンピザに変身する。アメ

リカのクラストは、厚めで柔らかい歯ざわりになる。『世界たべもの起源辞典』p.316

31 早島健『料理と食シリーズ 19 ピザパスタ料理』p.99

32 本間千枝子、有賀夏紀『世界の食文化 12 アメリカ』p.165

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タリアへ駐留していた GI33たちがイタリアで食べたピザを好きになり、アメリカへ帰った

際にその存在を広めたということも書かれていた。外国の食べ物の味を覚えてきた GI た

ちの帰還は、国内に従来あった移民の食を、アメリカ社会が受け入れることに貢献したの

である。

では何故、20 世紀初めにニューヨークでアメリカ・ピザの歴史が始まったにもかかわら

ず、アメリカ全土にピザが広まるまで時間がかかったのか。それは 20 世紀初めのアメリ

カが「革新主義」34の時代であったことが理由にあるらしい。

『世界の食文化 12 アメリカ』では、20 世紀始めのアメリカでの革新主義について、

詳しく書かれていた。その内容をまとめると、つぎのようになる。

革新主義の運動へ参加した改革者や政治家は「アメリカ文明」は世界に誇るべき

ものだと信じていた。そのような時代で、アメリカに大量に入ってきた移民の存

在は「アメリカ文明」を脅かすものに思えた35。

移民の脅威に対しアメリカ人は、新移民に対する「ネイティヴィズム」36と、「新

移民をアメリカ社会に同化させる」という 2 つの反応を見せた。20 世紀初期の

アメリカは、他国の文明よりも自国の文明の優位性を信じていた時代だったので、

移民たちが持ち込んだ外国の食は、革新主義の攻撃を受けることになった。1920

年代は新移民の入国を制限、禁止する法律が通ったりと、ネイティヴィズムが高

まった時代であったが、1930 年代に入ると、食における多様性を重視する傾向

が強くなった37。

33 Government Issue の略:アメリカ陸軍の兵士の俗称。(『広辞苑』第 6 版)

34 20 世紀初め頃から 1920 年頃までのアメリカにおいて、政治の革新と経済への政府干

渉の必要とを説くなど、経済発展に伴う混乱の中で秩序を回復しようとした多様な主張お

よびその運動の総称。(『広辞苑』第 6 版)

35 本間千枝子、有賀夏紀『世界の食文化 12 アメリカ』p.171

36 nativism(主に 19 世紀の、移民に対する)原住民保護政策。(『ジーニアス英和大辞典』)

37 本間千枝子、有賀夏紀『世界の食文化 12 アメリカ』pp.171-178

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1929 年から続いていた世界恐慌下においては、貧しい移民から食べ物の調達の

方法を学ぶなど、外国の食の知識を得るようになっていった。そして、第二次世

界大戦前の「アメリカの食」は、アメリカ各地の伝統的な食べ物、移民がもたら

した外国の食べ物などからなる混然としたものへと変わっていった38。

アメリカへピザが伝えられた当時は、移民先での生活環境が劣悪であったことや、アメ

リカ国内で外国の文明を排除する運動が盛んであったことから、アメリカ国内へピザが広

まることに時間がかかっていた。だが、時代が進むに連れて外国の料理を受け入れる体制

ができつつあったアメリカにとって、GI たちの帰還は、国内に従来あった移民の食をアメ

リカ社会が受け入れる後押しをしたのである。イタリアで食べたピザの味に感動した GI

たちは、帰還してもなお、美味しいピザを求めるようになる。

4.ピザチェーン店の登場

『世界の食文化 12 アメリカ』には、ピザをアメリカに普及させたのはピザチェーン店

だったと書いている39が、詳しくは触れられていないため、主に主要ピザチェーン店の公

式ウェブサイトを参考に触れていく。

大手ピザチェーン店シェーキーズの公式ウェブサイトによると、シェーキーズは 1954

年にアメリカのカリフォルニア州のサクラメントに、ピザレストランチェーン店として誕

生した。名前の由来は、創業者の一人であるシャーウッド・ジョイソンが喜びの表現とし

て客と何度も握手(=シェイクハンド)を繰り返したことから、「シェイクハンド」→「シ

ェーキーズ」と呼ばれるようになったという40。

また、今では我々の生活の身近な存在となっている、宅配ピザチェーン店の世界一号店

は、1960 年、ミシガン州イプシランティで生まれたドミノ・ピザだった。ドミノ・ピザの

公式ウェブサイトによると、1960 年、アメリカのミシガン州イプシランティの学生街に、

後にドミノ・ピザとなる「ドミニック」という小さな宅配ピザ専門店がオープンした。創

業者の名前はトーマス・S・モナハン。トーマスが生み出した「ハンドメイドならではの

38 本間千枝子、有賀夏紀『世界の食文化 12 アメリカ』pp.178-179

39 本間千枝子、有賀夏紀『世界の食文化 12 アメリカ』p.165

40 シェーキーズ公式ウェブサイト シェーキーズの歴史

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図 4 日本のピザマーケットの推移

味を食卓へ届ける」、「30 分を超えた場合は 50 セント引き」というシステムが、当時のア

メリカで多くの支持を受けた41、という話である。

第四章 日本のピザ事情

第一節 日本のピザ事情

では日本でのピザは、いったいどのような存在なのだろうか。至田玲子「ニッポンのピ

ザの歴史と今」では、日本でピ

ザの専門店がオープンしたのは、

1956 年、東京・六本木で

オープンした「ニコラス」であ

ると紹介している42。1964 年に

は J&C カンパニー(現ジェー

シー・コムサ)43が、アメリカ

から冷凍ピザを輸入し、日本で

初めて発売した。また同書によ

ると、1960 年代にアメ

リカで生まれた宅配ピザが日本

に誕生したのは、1985 年 9 月

30 日。東京・恵比寿にオープン

したドミノ・ピザが、日本の宅

配ピザの始まりである44。ピザ

専門店の開店、輸入ピザの発売、宅配ピザの開始はそれぞれ、今から 57 年前、49 年前、

41 株式会社ドミノ・ピザジャパン公式ウェブサイト「ドミノ・ピザの紹介」

42 至田玲子「ニッポンのピザの歴史と今」(『別冊 Lightning vol.61 ピザの本』所収)

pp.10-15

43 「ピザ協議会」の会長、大河原愛子が代表取締役会長を務める、食料品の製造・加工

及び販売、外食産業 などの事業を行なっている企業。 株式会社 JC コムサ公式ウェブサ

イト「企業情報:会社概要」

44 ピザ協議会監修「ピザ大解剖」(『別冊 Lightning vol.61 ピザの本』所収) p.68

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28 年前のことである。日本にとってのピザの歴史は、まだ浅いのだ。

ピザ協議会の調査によると、日本のピザ末端市場規模は 2011 年度の時点で、2459 億円

となっている(メーカーが作る業務用、家庭用のピザ製品、ピザ宅配店、ピザ専門店を含

む)。図 445はピザ協議会のウェブサイトにあるピザマーケットの推移のグラフである。グ

ラフを見てみると、調査を始めた 1980 年から、売上はゆるやかに伸びており、宅配ピザ

が始まった 1985 年から、売上が大きく伸びている。また、ピザ宅配店およびピザ専門店

のピザ売上高は、統計を開始した 1994 年では約 900 億円であるのに対し、2011 年では

1478 億円と、こちらの売上高も大きく伸びている46。このグラフから、ピザが日本に登場

してから今日まで、日本でのピザの需要が年々高くなっていることが分かる。

しかし実は、宅配ピザが日本でオープンする時、宅配ピザの成功は難しいと思われてい

た。その理由として、ドミノ・ピザの公式ウェブサイトを見てみると、宅配ピザが生まれ

た時のことについて書かれていた。つぎはその一部の引用である。

当時の日本人のチーズ消費量は、一人あたり 1kg 以下と欧州に比べ 1/20 とチー

ズ自体が生活の中に多く受け入れられていなかった事、日本にはすでに「出前」

というシステムがあり、日本での宅配ピザの成功は難しいだろうといわれていま

した。しかし、大方の予想とは逆に「焼き立てのピザを 30 分以内にお届けする」

というシステムが、当時の新しいライフスタイルに受け入れられ、たくさんのデ

リバリーピザチェーンが生まれてきました47。

各チェーン店のウェブサイトを覗いてみると、ドミノ・ピザの成功を皮切りに、1986

年にはシカゴピザとピザ・カリフォルニアがオープンし、87 年にはピザーラ、翌年 88 年

にはアオキーズ・ピザと、1980 年代後半には、多くの宅配ピザチェーン店がオープンして

いる。図 4 のグラフでも、宅配ピザチェーン店が増えた 1985 年から、1980 年から緩やか

45 出典: 2011 年度のピザマーケットの推移を推定し、ピザ協議会が作成。

http://pizzakyougikai.gr.jp/market.html(参照 2012-12-20)

46 「ピザ協議会、11 年度市場規模は過去最高 大河原会長「フォローの風」『日本食糧新

聞』2012 年 8 月 6 日

47 株式会社ドミノ・ピザジャパンウェブサイト 「ドミノ・ピザの紹介」

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に伸びていたピザの末端売上高が、急速に伸びていることが見て取れる。「失われた 10 年」

後半の 2000 年、「リーマン・ショック」が起こった 2008 年は売上を大きく落としている

が、その後は順調に売上を伸ばし、2011 年度には、ピザ末端市場規模は 2459 億円まで伸

びており、1980 年のピザ末端市場規模が約 500 億円であることを考えると、約 5 倍の売

上高まで成長した。

しかし、ピザ協議会のウェブサイトにかかれているアメリカのピザマーケットは 3 兆

5000 億円であり、まだまだその数字には届かない。だが、長い経済不況の中で、確実に売

上を伸ばしている日本のピザ市場は、まだまだこれからも成長していくことが考えられる

だろう。

第二節 宅配ピザの現場から

私は大学一年の後半から大学四年までの約三年間、某宅配ピザ店でアルバイトをしてき

た。そこで、本節では宅配ピザの注文を受けてから商品を届けるまでの流れについて、ア

ルバイト先の業務に差支えのない程度ではあるが、経験をもとに書いて行きたいと思う。

宅配ピザのアルバイトをしていると話して、まず友人に聞かれたのが「ピザは冷凍なの

か」ということだった。友人が言うには、予めトッピングがのせられた冷凍のピザ、言わ

ば「完成された」冷凍のピザを解凍して、オーブンで焼き上げて届けるのが宅配ピザなの

ではないかと想像していたそうだ。

宅配ピザチェーン店では、(他店や他社の場合が分からないが、少なくとも私が働いてい

た店では)はじめからトッピングがされた冷凍のピザは使っていない。生地は一から仕込

み、しっかりと発酵させた上で、生地の上にトッピングをしてオーブンで焼き上げる。手

作りの生地を使用し、注文を受けてからピザを作るのである。

さて、ピザが届けられるまでの流れだが、まずは来店や電話で客から注文を受けてから

「ピザメイク」に入る。ピザ作りを「ピザメイク」と呼んでいるのだ。ピザメイクでは注

文に応じた生地を用意し、その生地の上に具材を乗せていく。宅配ピザというのはいかに

早く、ピザを熱い状態で客のもとへ届けられるかが重要である。ピザメイクでも宅配同様、

手早く、そして正確に注文のピザを作ることが要求される。早く作るためには経験も必要

だが、どうすれば正確に効率良く一枚のピザをメイクすることが出来るのかを、メイク担

当がなるべく意識して、頭を使うことが必要であると私は思う。

チーズとトッピングがのせられたピザはオーブン、もしくは石窯に入れて焼かれる。良

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い焼き具合になったら取り出され、ピザのサイズに合わせてカットされ、箱に入れられる。

私のアルバイト先では基本的に、M サイズのピザは 8 カット、L サイズは 10 カットで

あった。また、クリスピータイプの場合はカット数が多くなり、M サイズは 12 カット、L

サイズは 16 カットになる。このカット数も、その宅配ピザチェーン店ごとに異なってい

る。各ピースがなるべく均等になるように注意してカットすることが重要である。日本で

は、宅配ピザというのは複数の人によって食べられることが多い。そこで、一人ひとりが

食べるピザの大きさが公平になるように、慎重に、そして素早くカットする能力が求めら

れるのだ。

箱に入れられたピザは保温性の高いサックなどに入れられ、この段階で配達が出来る状

態になるのである。ちなみに、ピザの宅配に使われる乗り物は、私のアルバイト先では車

が使われている。車で配達する場合は、ピザが入った保温性の高いバッグを、なるべく傾

けないように車に乗せて配達が行われる。宅配バイクの場合は、バイクの荷台の部分に、

保温性の高いケースなどが取り付けられているものもあるらしい。この保温のシステムも

店ごとによって違うようだが、ピザを熱い状態で客へ届けるために、様々な工夫がされて

いるのである。

一連の流れを通して言えることは、宅配ピザにはまず「早さ」が求められること。そし

て早さを前提とした「正確さ」が大切なのである。

おわりに

ピザについて調べるまで、「マルゲリータ」の語源がマルゲリータ女王であったことや、

フォッカッチャがピザの原型とされていることも知らなかったので、今回ピザについて調

べることが出来てよかった。

本論文ではピザの誕生や歴史、アメリカでのピザの誕生、日本のピザ事情について論じ

てきた。ピザという言葉の語源には諸説あり、現在でもどの説が正しいものなのか分かっ

ていない。

トマトが使われたピザが登場したのは、18 世紀のことだった。トマトソースとオリーブ

オイルだけが使われたマリナーラというものが、イタリア・ナポリで誕生した。マリナー

ラというピザは、調べる中で初めて知ったものである。トマトが始めて使われたピザが、

まさかトマトソースとオリーブオイルだけのものだとは知らなかった。

ピザがイタリアに広く知られるようになるのは 19 世紀である。当時ピザは、下層の人々

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が安定して食べることのできる料理として、ナポリのあちこちで食べられていた。ナポリ

を訪問したマルゲリータ女王がピザを食べ、大変気に入ったことが、イタリアにピザが広

まるきっかけであった。マルゲリータという名前を知っている人は多くとも、マルゲリー

タにイタリアの国旗を現している色のトッピングがされていることは、知らない人が多い

のではないだろうか。

イタリアで広まったピザは、移民によってアメリカへ伝えられる。アメリカへピザが伝

えられた当時は、移民先での生活環境が劣悪であったことや、アメリカ国内での外国の文

明を排除する運動が盛んに行われていたことから、アメリカにピザが広まることに時間が

かかっていた。実際アメリカにピザが広まるのは、第二次世界大戦から帰還した GI たち

が、アメリカにピザの存在を教えたからであると言われている。

日本のピザ事情について、ピザが日本に伝わってから今日まで、日本でのピザの需要は

高まっていることがグラフから伺われた。私がアルバイトをしていても、私の予想に反し

て、ピザ屋というものは忙しい。ピザを食べたいという人が日本に多いことを身を持って

経験した。

今回の論文作成の過程で、アルバイトをしているだけでは分からないことを多く知るこ

とができた。本論でも触れていたが、ピザは語源を始め、憶測説が多く飛び交う、まだま

だ謎が多い食べ物である。今後も機会があればピザに関しての知識を深めていき、また、

接していきたいと思う。

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